長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

2017-01-01から1年間の記事一覧

2-107.屋嘉比のお婆(改訂決定稿)

今帰仁(なきじん)をあとにした馬天(ばてぃん)ヌルの一行は運天泊(うんてぃんどぅまい)に行って、勢理客(じっちゃく)ヌルに歓迎された。 勢理客ヌルは、馬天ヌルがヤンバル(琉球北部)のウタキ(御嶽)巡りをしている事を知っていて、首を長くして来るのを待…

2-106.ヤンバルのウタキ巡り(改訂決定稿)

ウタキ(御嶽)巡りの旅に出た馬天(ばてぃん)ヌルの一行は、山田グスクに行く途中、読谷山(ゆんたんじゃ)の喜名(きなー)で東松田(あがりまちだ)ヌルと会っていた。 馬天ヌルが東松田ヌルと会うのは十四年振りだった。馬天ヌルは再会を喜び、ササがガーラダマ…

2-105.小松の中将(改訂決定稿)

琉球の交易船の警護をしなければならないと言って、あやは上関(かみのせき)に帰って行った。 ササ(馬天若ヌル)たちはあやにお礼を言って別れ、京都へと向かった。 六月三十日、ササたちは京都に着いて、いつものように高橋殿の屋敷に入った。男はだめよと…

2-104.アキシノ(改訂決定稿)

無事に坊津(ぼうのつ)に着いた交易船から降りた佐敷ヌルとササたちは、『一文字屋』の船に乗り換えて博多に向かった。サイムンタルー(早田左衛門太郎)の船から降りたサタルー、ウニタル、シングルーも一文字屋の船に移った。 六月の七日、博多に着くと、『…

2-103.送別の宴(改訂決定稿)

佐敷ヌルとササ(馬天若ヌル)が安須森(あしむい)の山頂で、神様の声を聞いていた頃、馬天(ばてぃん)ヌルは首里(すい)グスクの『キーヌウチ』で、麦屋(いんじゃ)ヌル(先代与論ヌル)とカミーと一緒にお祈りを捧げていた。突然、カミーが悲鳴のような大声を…

2-102.安須森(改訂決定稿)

去年の十一月、ヤンバル(琉球北部)に旅だったウニタキ(三星大親)の旅芸人たちは、浦添(うらしい)、中グスク、北谷(ちゃたん)、越来(ぐいく)、勝連(かちりん)、安慶名(あぎなー)、伊波(いーふぁ)、山田と各城下でお芝居を演じ、周辺の村々(しまじま)でも…

2-101.悲しみの連鎖(改訂決定稿)

中山王(ちゅうさんおう)(思紹)の孫、チューマチと山北王(さんほくおう)(攀安知)の娘、マナビーの婚礼は大成功に終わった。 サハチ(中山王世子、島添大里按司)たちが会同館(かいどうかん)でお祝いの宴(うたげ)をやっていた時、開放された首里(すい)グス…

2-100.華麗なる御婚礼(改訂決定稿)

二月九日、首里(すい)グスクのお祭り(うまちー)が行なわれた。 首里に滞在していたイトたちは勿論の事、与那原(ゆなばる)で武術修行をしていたスヒター(ジャワの王女)たちも戻って来て、お祭りを楽しんだ。 お芝居は『鎮西八郎為朝(ちんじーはちるーたみと…

2-99.ミナミの海(改訂決定稿)

慈恩禅師(じおんぜんじ)と別れて、島添大里(しましいうふざとぅ)グスクに帰るとサスカサが(島添大里ヌル)待っていた。 ナツと話をしていたサスカサは、サハチ(中山王世子、島添大里按司)を見ると急に目をつり上げて、「あたしよりも年下の娘を側室に迎え…

2-98.ジャワの船(改訂決定稿)

十二月の末、ヤマトゥ(日本)に行った交易船が無事に帰国した。交易船はジャワ(インドネシア)の船を連れて来た。 突然のジャワの船の来訪で、浮島(那覇)も首里(すい)も大忙しとなった。 サハチ(中山王世子、島添大里按司)を始め、首里の者たちは『ジ…

2-97.大聖寺(改訂決定稿)

与那原(ゆなばる)グスクのお祭り(うまちー)が無事に終わった。 サハチ(中山王世子、島添大里按司)は忙しくて行けなかったが、慈恩禅師(じおんぜんじ)が越来(ぐいく)ヌルと一緒に来たらしい。佐敷ヌルの話だと、二人は夫婦のように仲がよかったという。意外…

2-96.奄美大島のクユー一族(改訂決定稿)

中山王(ちゅうさんおう)(思紹)と山北王(さんほくおう)(攀安知)の同盟を決めるために、今帰仁(なきじん)に来たンマムイ(兼グスク按司)を見送った本部(むとぅぶ)のテーラー(瀬底之子)は、その三日後、奄美大島(あまみうふしま)攻めの大将として二百人…

2-95.新宮の十郎(改訂決定稿)

熊野の本宮(ほんぐう)から新宮(しんぐう)までは船だった。淀川下りのようにお酒を飲みながら、のんびりできるとササたちは思っていたが、山の中の川はそんな甘くはなかった。 淀川のような大きな船ではなく、四、五人乗りの小さな舟で、曲がりくねった川を下…

2-94.熊野へ(改訂決定稿)

三姉妹の船が浮島(那覇)に着いた頃、ヤマトゥ(日本)に行ったササ(馬天若ヌル)たちは、京都から熊野に向かっていた。 五月十四日に与論島(ゆんぬじま)から交易船に乗り込んだササたちが、薩摩の坊津(ぼうのつ)に着いたのは五月三十日だった。坊津で交易…

2-93.鉄炮(改訂決定稿)

側室のハルはほとんど佐敷ヌルの屋敷に入り浸りで、二人の侍女も佐敷ヌルを尊敬したようで、真剣に武当拳(ウーダンけん)を習っていた。 石屋のクムンは職人たちと一緒に、島添大里(しましいうふざとぅ)グスクの石垣を見て回って修繕していた。職人の中に腕の…

2-92.ハルが来た(改訂決定稿)

六月になってウニタキ(三星大親)が与論島(ゆんぬじま)から帰って来た。「麦屋(いんじゃ)ヌルは馬天(ばてぃん)ヌルに預けたけど、会って来たか」とサハチ(中山王世子、島添大里按司)が聞くと、ウニタキはうなづいた。「慈恩禅師(じおんぜんじ)殿がヤンバ…

2-91.三王同盟(改訂決定稿)

ンマムイ(兼グスク按司)が山北王(さんほくおう)(攀安知)の書状を持って今帰仁(なきじん)から帰って来たのは、伊是名島(いぢぃなじま)の戦(いくさ)が終わった三日後だった。 山北王の書状には同盟のための条件が三つ書いてあった。 一、伊平屋島(いひゃじ…

2-90.伊是名島攻防戦(改訂決定稿)

サハチ(中山王世子、島添大里按司)とウニタキ(三星大親)が与論島(ゆんぬじま)の海に潜ってカマンタ(エイ)捕りに熱中している頃、伊是名島(いぢぃなじま)では戦(いくさ)が始まっていた。 伊是名親方(いぢぃなうやかた)が伊是名島に、田名親方(だなうや…

2-89.ユンヌのお祭り(改訂決定稿)

サハチ(中山王世子、島添大里按司)、ササ(馬天若ヌル)、シンシン(杏杏)、ナナの四人は勝連(かちりん)グスクに行き、翌日、勝連ヌル(ウニタキの姉)を連れて、勝連の船に乗って与論島(ゆんぬじま)に向かった。 勝連グスクは朝鮮(チョソン)に行く船の準…

2-88.与論島(改訂決定稿)

伊平屋島(いひゃじま)と与論島(ゆんぬじま)に兵を送り出した次の日の午後、ヤマトゥ(日本)へ行く交易船の準備を終えたサハチ(中山王世子、島添大里按司)は、龍天閣(りゅうてぃんかく)の三階にいる思紹(ししょう)(中山王)を訪ねた。 思紹はウニタキ(三…

2-87.サグルーの長男誕生(改訂決定稿)

三月十五日、勝連(かちりん)グスクでサムの息子、若按司のジルーと勝連ヌルの妹の娘、マーシの婚礼が行なわれた。サハチ(中山王世子、島添大里按司)とマチルギ、馬天(ばてぃん)ヌル、ジルムイ夫婦が四歳になったジタルーを連れて勝連に行き、新婚夫婦を祝…

2-86.久高島の大里ヌル(改訂決定稿)

ササは馬天(ばてぃん)ヌルと佐敷ヌルとサスカサ(島添大里ヌル)を連れてセーファウタキ(斎場御嶽)に行き、切り立った岩の上にあるウタキに登って、豊玉姫(とよたまひめ)と娘のアマン姫に会わせた。すでに玉依姫(たまよりひめ)はヤマトゥ(日本)に帰って…

2-85.五年目の春(改訂決定稿)

永楽(えいらく)九年(一四一一年)の年が明けた。 月日の経つのは速いもので、首里(すい)で迎える五回目の春だった。 サハチ(中山王世子、島添大里按司)は四十歳になり、長男のサグルーは二十二歳になった。サハチは二十一歳の時に佐敷按司になった。自分…

2-84.豊玉姫(改訂決定稿)

我喜屋大主(がんじゃうふぬし)と田名大主(だなうふぬし)はいなかったが、山北王(さんほくおう)(攀安知)の兵もいなくなって、島人(しまんちゅ)たちは大喜びして、小舟(さぶに)に乗って、ヤマトゥ(日本)から帰って来た交易船を迎えに行った。 交易船に乗っ…

2-83.伊平屋島のグスク(改訂決定稿)

サグルー(島添大里若按司)たちが奥間(うくま)の木地屋(きじやー)の案内で、辺戸岬(ふぃるみさき)の近くにある宜名真(ぎなま)という小さなウミンチュ(漁師)の村(しま)に着いたのは、島添大里(しましいうふざとぅ)を出てから四日目の事だった。 三日目の夜…

2-82.伊平屋島と伊是名島(改訂決定稿)

島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスクで山南王(さんなんおう)(汪応祖)と山北王(さんほくおう)(攀安知)の婚礼が行なわれた五日後、思紹(ししょう)とヂャンサンフォン(張三豊)を乗せた進貢船(しんくんしん)が無事に帰って来た。迎えに行ったのはマチルギ…

2-81.玉依姫(改訂決定稿)

伊勢の神宮参詣から京都に帰ったササたちは、御台所(みだいどころ)様(将軍義持の妻、日野栄子)と一緒にスサノオの神様の家族について整理をした。公家(くげ)の先生にも話を聞いたが、どうしても神様の話とは食い違っていた。 神様の話では、スサノオの妻は…