長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

2-89.ユンヌのお祭り(改訂決定稿)

 サハチ(中山王世子、島添大里按司)、ササ(馬天若ヌル)、シンシン(杏杏)、ナナの四人は勝連(かちりん)グスクに行き、翌日、勝連ヌル(ウニタキの姉)を連れて、勝連の船に乗って与論島(ゆんぬじま)に向かった。
 勝連グスクは朝鮮(チョソン)に行く船の準備で忙しそうだった。勝連按司のサム(サハチの義兄)も交易担当の浜川大親(はまかーうふや)のサンラーも生き生きとした顔付きで、てきぱきと指示を与えていた。
 勝連は古くからヤマトゥ(日本)と交易をしていて、中山王(ちゅうさんおう)の察度(さとぅ)と組んでからは明国の商品も扱って、益々盛んになって行った。主な取り引き相手は肥前平戸(ひぜんひらど)の松浦党(まつらとう)で、平戸から毎年、船がやって来て、勝連から平戸に行く事もあった。サンラーも船頭(しんどぅー)(船長)だった頃、平戸まで行っている。
 六年前、勝連按司に率いられた百人の兵が南風原(ふぇーばる)の合戦で全滅して、サムが勝連按司の後見役として勝連グスクに入ると、戦死した家臣たちの家族は敵(かたき)に仕える事はできないと言って、勝連を去る者も多かった。以後、人材不足に陥って、ヤマトゥへの船は出せなくなっていた。サムが勝連按司になった今はようやく人材も整い、朝鮮への交易を任されて、皆、張り切っていた。
 梅雨も上がったようで、いい天気で風にも恵まれて、夕方には与論島に着いた。小舟(さぶに)に乗り移って、ウニタキ(三星大親)の絵図に書いてあった南側にある赤崎(あーさき)という砂浜から上陸した。砂浜には『三つ巴』の旗が風になびいていた。砂浜の近くの岩場にウタキ(御嶽)があって、ササたちは神様に挨拶をした。
 サハチは海を眺めた。辺戸岬(ふぃるみさき)がよく見えた。安須森(あしむい)も見えた。この島をヤマトゥ旅の拠点にしたいと思った。
「ねえ、按司様(あじぬめー)、ここの神様は『真玉添(まだんすい)』のヌルだったのよ」とササが驚いた顔をしてサハチに言った。
「えっ、真玉添のヌルが、この島に逃げて来たのか」とサハチも驚いていた。
「そうなのよ。このガーラダマ(勾玉)の持ち主だった運玉森(うんたまむい)ヌル様もいたのよ」
 ササは胸に下げた赤いガーラダマを見つめた。
「真玉添から逃げて、読谷山(ゆんたんじゃ)にガーラダマを埋めてから、この島まで逃げて来たんだわ」
豊玉姫(とよたまひめ)様の子孫たちが、この島に来たのね?」とナナが聞いた。
「そうよ。初代の運玉森ヌル様はアマン姫様の娘さんだわ」とササはうなづいて、海の向こうに見える辺戸岬を見た。
「あたしも神様の声を聞いたのよ」とシンシンが言った。
「このガーラダマの持ち主を知っている神様だったわ」とシンシンは青いガーラダマを見せた。
「ヤンバル(琉球北部)から来たヌルで、お船の安全をお祈りしていたヌルだって言っていたわ」
「航海安全を祈願していたヌルだったのか」とサハチは言って、海の色のように輝いているシンシンのガーラダマを見ながら納得していた。
「シンシンも立派なヌルになったな。そのヌルの跡を立派に継がなくてはならんぞ」とサハチが言うと、シンシンは真剣な顔をしてうなづいた。
「当時、真玉添にはヤンバルのヌルもいたのか」とサハチが言うと、
「ヤンバルから真玉添に来た時、理有法師(りゆうほうし)に攻められたみたい」とシンシンは言った。
「真玉添のヌルたちはどうして、ガーラダマを読谷山に埋めたの?」とナナがササに聞いた。
「いつの日か、真玉添を再興するつもりだったのよ。でも、それはかなわなかったわ」
「それじゃあ、真玉添にあった豊玉姫様の鏡も読谷山に埋められたのかしら?」
「そうらしいわ。ガーラダマが見つかった山の中に埋まっているはずよ」
「探すのは大変だわ」とシンシンが言った。
「でも、見つけなくてはならないわ。ヤマトゥ旅から帰って来たら探しに行きましょ」
 何の話だかさっぱりわからず、勝連ヌルはポカンとした顔でササたちを見ていた。ササは歩きながら、真玉添のヌルたちの事を勝連ヌルに説明した。
 所々に田畑がある細い道を進んで行くと、麦屋(いんじゃ)の集落があって、さらに進んで行くと高台の上に建つグスクが見えてきた。石垣で囲まれたグスクには三つ巴の旗がいくつも立っていた。グスクの手前にある城下の村(しま)を苗代之子(なーしるぬしぃ)の兵が見回りをしていた。
 グスクの大御門(うふうじょう)(正門)の前にはジルムイ(島添大里之子)とシラー(久良波之子)とウハ(久志之子)がいた。三人は近づいて来るサハチたちに気づくと駆け寄ってきて、「どうして、親父が来たんです?」とジルムイが聞いた。
「いい島だって聞いたもんでな、見に来たんだよ」とサハチは笑って、
「あんたたち怪我しなかった?」とササは三人に聞いた。
「見た通りさ」とシラーが少林拳(シャオリンけん)の構えを見せて、シンシンを見て笑った。
 ジルムイとシラーとウハと一緒にグスクに入ると、広い曲輪(くるわ)内には大勢の島人(しまんちゅ)がいた。皆、疲れたような顔をして、数人づつ固まって座り込んでいた。舞台の上には負傷者が何人もいて、女たちが看護に当たっていた。
「家臣の家族たちか」とサハチが聞くとジルムイがうなづいた。
「怪我人は何人出たんだ?」
「敵は二十三人、味方は十六人です。島人たちには怪我人はいません」
「そうか、よかった。戦死者も出たのか」
「敵は六人、味方は二人です」
「そうか‥‥‥」
「もしかして、あれはマトゥイなの?」と勝連ヌルが言って、負傷兵の看護をしているヌルを見た。
「麦屋(いんじゃ)ヌルです」とシラーが答えた。
 勝連ヌルは麦屋ヌルの方に向かった。
「あたしたちも手伝いましょ」とササが言って、シンシンとナナを連れて負傷兵の中に入って行った。
 サハチはジルムイと一緒に一の曲輪に行き、大将の苗代之子(マガーチ)とウニタキに会った。
「長い間、御苦労だったな」とサハチはウニタキに言った。
「久し振りにのんびりできたよ」とウニタキは真っ黒に日焼けした顔で陽気に笑った。
「お陰で、カマンタ(エイ)を捕るのもうまくなったぞ。海の中もいいものだ。まるで、別世界だよ。兄貴が中山王なのに、重臣としてグスクに入らず、鮫皮(さみがー)作りを続けているサミガー大主(ウミンター)の気持ちがわかったような気がする。このまま、ここでウミンチュ(漁師)をやっていくのもいいと思った。仕事が終わったら、みんなで酒を飲みながら歌を歌ってな、楽しかったよ」
「俺もな、子供の頃、お爺に憧れて、カマンタ捕りになろうと思っていたんだよ」とサハチは笑って、マガーチを見ると、「御苦労だったな」と言った。
「二人が戦死してしまいました。残念です」とマガーチは悔しそうな顔をした。
「上出来だよ」とサハチはマガーチの肩をたたいた。
 按司たちの家族は皆、捕まって、屋敷に閉じ込められていた。按司の側室だったフニは二人の子供を連れて、サミガー親方(うやかた)のもとに帰っていた。
 サハチは与論按司(ゆんぬあじ)と会った。与論按司は五十前後の男で、縄で縛られ、ぶすっとした顔でサハチの前に現れた。
「早く、殺せ」と与論按司は言った。
「お前たちは人質だ。殺すわけにはいかない」とサハチは言った。
「人質?」
「この島と伊平屋島(いひゃじま)、伊是名島(いぢぃなじま)を交換する。山北王(さんほくおう)が承諾したら、この島はお前に返す。それまではおとなしくしていてもらおう。騒ぎを起こせば、お前の家族たちが亡くなる事になる」
「この島を返すじゃと?」
「山北王の返事次第だな。山北王が交換に反対すれば、伊平屋島伊是名島は諦め、この島はもらう。そうなれば、お前たちは皆殺しになるかもしれんな」
「どうせ、わしは殺される」と与論按司は言った。
「こんなぶざまな事になって、山北王が許すわけがない」
「お前は殺されても家臣たちまで殺すまい。家臣たちを助けるために、取り引きが済むまで、おとなしくしていろ」
 与論按司を屋敷に戻すと、サハチはウニタキとマガーチから事の次第を聞いた。


 新しく編成された百人の兵を連れて、マガーチが勝連の港を出たのは五月の八日で、その日の夕方には辺戸岬の近くの奥(うく)に着いた。次の日の早朝、用意してきた小舟に乗って兵たちは与論島に渡った。皆、武装はせず、刀も持たず、ウミンチュの格好で、武器としては二尺(約六〇センチ)足らずの短い棒か小舟を漕ぐウェーク(櫂)だった。選ばれた百人の兵は皆、武当拳(ウーダンけん)を身に付けている者たちで、少林拳を身に付けているシラーとウハも当然、加わっている。ジルムイとマウシ(山田之子)もシラーに刺激されて、武当拳の稽古に励んでいた。マウシは今、明国に行っていて、組替えになった事を知らないが、帰って来たら喜ぶだろう。
 赤崎の砂浜から次々に上陸したマガーチの兵はグスクへと向かい、グスクの大御門の前で待機した。グスクの兵たちは、琉球から小舟が何艘も近づいて来るのに気づいていたが、今日はお祭りなので、見物にやって来たのだろうと思い、気にも留めなかった。
 その頃、ウニタキはグスクの中にいて、麦屋ヌルたちと一緒にお祭りの準備をしていた。お祭りの前に儀式があって、非番の兵たちも集められた。儀式も無事に終わって、非番の兵たちはサムレー屋敷で、すでに酒盛りを始めている。あと半時(はんとき)(一時間)もすれば準備が整い、グスクの大御門が開いて、二の曲輪が開放される。
 与論ヌルの指示によって、女たちが準備に走り回っている時、合図の指笛がグスクの外から聞こえた。麦屋ヌルが女たちを舞台の近くに集めた。ウニタキの配下の二人が大御門を開いた。マガーチに率いられた兵がグスク内になだれ込んできた。
 グスクの兵たちは、まだ敵の襲撃だとは気づかない。客が待ちきれずに入って来たものと思った。見張りの兵が客たちを押し戻そうとして倒れた。マガーチの兵たちは次々に見張りの兵たちを倒し、武器を奪うと用意していた縄で縛った。
 外の騒ぎに何事かとサムレー屋敷から出て来た兵たちも、次々に倒された。サムレー大将らしい二人の男が強敵だった。戦死した味方の兵は、その二人に斬られたのだった。サムレー大将の一人は、マガーチが相手をして何とか倒した。手加減をする事はできず、相手は腹を斬られて死んだ。マガーチも左腕に浅い傷を負った。
 三弦(サンシェン)を弾きながら成り行きを眺めていたウニタキは、ジルムイの危険を察して、石つぶてを投げた。石つぶては敵の額に命中して、ジルムイは助かった。ジルムイが持っていた棒を奪うと、ウニタキはサムレー大将と戦った。手ごわい相手だったが、ウニタキの敵ではなかった。サムレー大将はみぞおちを突かれて倒れた。ウニタキは手加減したつもりだったが、サムレー大将は死んでしまった。
 ウニタキとマガーチが一の曲輪に行くと、すでに按司按司の家族たちも捕まって、按司と一緒にいた重臣たちも捕まっていた。
 縛られている兵たちをサムレー屋敷に閉じ込め、マガーチは五十人の兵を連れて、アガサ泊(とぅまい)(茶花)に行き、サムレー大将と掛け合って全員を捕まえた。按司が捕まったと聞いて、サムレー大将も無意味な抵抗はしなかった。
 城下に住む家臣たちの家族たちも皆、グスクの中に押し込め、危害は加えないからおとなしくしていろと言った。


「武器を持たずに、グスク攻めができたのもヂャンサンフォン(張三豊)殿のお陰だな。うまく行ってよかった」とサハチは満足そうにうなづいて、「首里(すい)には使者を送ったのか」と聞いた。
「今朝、早くに送った。もう勝連には着いているだろう。今頃、首里に向かっている頃だ」とウニタキが答えた。
「ンマムイ(兼グスク按司)の出番だな」とウニタキは笑った。
 一の曲輪内にウタキがあって、ササたちがお祈りをしていた。サハチはササたちの所に行ってみた。ウタキは眺めのいい所にあり、その先は崖になっていた。島の西側が見渡せて、ウニタキがお世話になっているサミガー親方の作業場らしい建物も見えた。ウニタキが祖父のもとで修行させた者が、この島で鮫皮作りをしていたなんて、不思議な縁を感じていた。
按司様」とササが言った。
 サハチが振り返ってササを見ると不思議そうな顔をして、「ここの神様なんだけど、北(にし)の方から来たヤマトゥンチュ(日本人)なのよ」と言った。
「ヤマトゥンチュがこの島に来たのか。もしかしたら倭寇(わこう)か」
「わからないわ。かなり古いのよ。真玉添のヌルたちよりも百年も前に、この島にやって来たみたい」
「何しにやって来たのだろう?」
「ヤクゲー(ヤコウガイ)の交易をしていたみたいよ」
「ヤクゲーか‥‥‥」
 ヤコウガイは食用にもなるが、貝殻は螺鈿(らでん)細工の材料としてヤマトゥとの交易に使われた。祖父のサミガー大主(うふぬし)も鮫皮と一緒に、ヤコウガイや法螺貝(ほらがい)の貝殻を早田(そうだ)氏との交易に使っていた。祖父の頃は鮫皮ほどの価値はなかったが、昔はヤコウガイを手に入れるために、ヤマトゥンチュが大勢来ていたのかもしれないとサハチは思った。
「でも、その子孫たちは戦(いくさ)に敗れて、どこかに行ったみたいよ」とササは言った。
「この島で戦があったのか」
 ササは首を傾げた。
 麦屋ヌルからこの島の事を聞いてくると言って、ササたちは二の曲輪に下りて行った。
 サハチも二の曲輪に下りた。炊き出しが始まっていて、ジルムイたちも手伝っていた。山北王からの返事が来るまで、この状態を続けなければならない。毎日、捕虜になった者たちを食べさせるのは大変な事だった。首里から手の空いている女子(いなぐ)サムレーや城女(ぐすくんちゅ)を呼んだ方がいいなとサハチは思った。
 サムレー屋敷の隣りに物見櫓(ものみやぐら)があったので登ってみた。伊平屋島伊是名島が見えたが、戦が始まったかどうかはわからなかった。戦が始まる前に、山北王との交渉がうまく行ってくれればいいと願った。
 麦屋ヌルの家に泊めてもらったササたちと勝連ヌルは、次の日、麦屋ヌルの案内で島内のウタキを見て回った。
 昨夜は語り合って、ササたちは与論島の歴史を麦屋ヌルから聞き、ササは豊玉姫の事を麦屋ヌルに話した。ササの話を聞いて、勝連ヌルも麦屋ヌルもすっかりササを尊敬していた。勝連ヌルと麦屋ヌルから見れば、ササは娘と言っていいほどの若さだが、二人が知らない事を色々と知っていて、感心しないわけにはいかなかった。
 麦屋ヌルは朝戸(あしとぅ)の集落の奥にある小高い丘の上の古いウタキに案内した。
「ここは『ターヤパンタ』と言って、朝戸の御先祖様を祀っています。百年以上前に琉球の大里(うぷさとぅ)という所からやって来て、島人のために尽くした人です。当主は代々アジニッチェーと呼ばれています」
 ササはお祈りをした。麦屋ヌルも勝連ヌルもシンシン、ナナもお祈りをした。
「ここの神様は島添大里(しましいうふざとぅ)から来た人です。島添大里按司の息子さんらしいわ」とお祈りを終えたササは言った。
「えっ、島添大里按司の息子さんがこの島に来たの?」と勝連ヌルは驚いた。
「でも、かなり古いんですよ。真玉添のヌルたちよりも百年も前に、この島にやって来たみたい」
「すると、三百年も前って事?」と麦屋ヌルが聞いた。
「そうみたいです。その頃、ヤクゲー(ヤコウガイ)の交易が盛んで、その交易のためにこの島に来たようです。同じ頃、ヤマトゥンチュもこの島にやって来ています。そのヤマトゥンチュと何度も争いがあったみたいです」
「祖父から聞いた話だけど、祖父がこの島に来た時、アジニッチェーと組んで、ヤマトゥンチュを倒して、あそこにグスクを築いたと言っていました」と麦屋ヌルが言った。
「アジニッチェーは祖父の家臣になって、代々、島のために尽くしてくれましたけど、山北王が攻めて来た時、父や兄と一緒に戦死してしまいました」
「アジニッチェーの妹にインジュルキって妹さんがいたでしょ」とササが言うと、麦屋ヌルは驚いた顔をしてササを見た。
「どうして、知っているの?」
「新しい神様がそう名乗って、お礼を言ったのです。敵(かたき)を討ってくれてありがとうって」
「そうだったの。インジュルキは朝戸のヌルで、わたしと仲良しだったのよ。弓矢の名人で、攻めて来る敵を何人も倒したんだけど、結局、戦死してしまったわ。インジュルキも神様になったのね」
 そう言って、麦屋ヌルはウタキに両手を合わせた。
 麦屋ヌルが次に案内してくれたのは岩山の中にあるウタキだった。そこからの眺めは最高だった。四方が眺められた。永良部島(いらぶじま)(沖永良部島)が見え、その向こうに徳之島(とぅくぬしま)も見えた。西を見れば伊平屋島伊是名島が見え、南を見ればヤンバルの山々が見えた。
 景色を眺めながら、「来てよかったわね」とナナが嬉しそうに言った。
「ここは『ハジピキパンタ』と言って、かなり古いウタキなんだけど、わたしは今まで神様の声を聞いた事がないの」と麦屋ヌルはササに言った。
「あなたなら神様の声が聞こえるわね、きっと」
 ササたちはお祈りをした。
 ササは神様の声を聞いた。ササが思っていた通り、与論島にもスサノオの足跡があった。神様はアマン姫の娘の『ユンヌ姫』だった。
 ユンヌ姫は与論島に来て、祖父のスサノオが造ったヤマトゥの国のためにタカラガイを集めていたのだった。ヤマトゥから来る船をここから見張って、アガサ泊で交易をしていた。タカラガイの交易が終わって、ヤマトゥからの船が来なくなると、一族は島の南側の麦屋に移って暮らし始める。真玉添から逃げて来たヌルたちを助けたのは、ユンヌ姫の子孫たちだった。
「祖父が初めて琉球に来た時、ここに登って、琉球を見たのよ」とユンヌ姫は言った。
豊玉姫様もヤマトゥに行く時、ここから琉球を見たのですか」
「勿論よ。祖母はここから琉球を見て、もう二度と帰って来られないって覚悟を決めたって言っていたわ。あたしが生まれた時、祖母はヤマトゥに行っていて、もう帰って来なかったわ。生きている祖母には会えなかったけど、亡くなったあと、祖母は琉球に帰って来たわ。あたしは時々、セーファウタキ(斎場御嶽)に行って祖母に会うのよ。祖母には会えるけど、祖父には会えないわ。母や祖母からお話は聞くけど、会った事はないの。会いたいわ」
「伯母(玉依姫)さんには会ったのですか」とササはユンヌ姫に聞いた。
「会ったわ。伯母さんのお話、とても面白かったわ。あなたが連れて来てくれたんでしょ。ありがとう」
「いいのよ。御先祖様のためですもの。あなたはヤマトゥに行った事はあるのですか」
 ユンヌ姫の返事はなかった。気まぐれなお姫様のようだと思い、ササはお祈りを終えた。
 麦屋ヌルはササから神様の話を聞いて、「ここは麦屋の御先祖様のウタキだったのね。大切にしなければならないわね」と言って両手を合わせた。
 その頃、サハチはウニタキと一緒に海に潜ってカマンタ捕りに熱中していた。
 三日後、馬天浜(ばてぃんはま)からシンゴ(早田新五郎)とマグサ(孫三郎)の船が、朝鮮に行く勝連の船二隻を連れて与論島に来て、浮島(那覇)からヤマトゥに向かう交易船が与論島に来た。
 シンゴの船にはサハチの四男のチューマチと越来(ぐいく)の若按司のサンルーが乗っていた。
 勝連の船には中山王の正使として新川大親(あらかーうふや)、副使の南風原大親(ふぇーばるうふや)、通事のチョルとカンスケが乗っていた。前回とは船が違うので、朝鮮に着いてから問題になるかもしれないが、経験豊かな新川大親なら乗り越えてくれるだろう。
 交易船には責任者の平田大親(ひらたうふや)(ヤグルー)、正使のジクー(慈空)禅師、副使のクルシ(黒瀬大親)、サムレー大将の宜野湾親方(ぎぬわんうやかた)、ヌルたちは去年の顔ぶれにサスカサ(島添大里ヌル)が加わって、女子サムレーは首里のミミが隊長を務め、十六人を連れて乗っていた。
 翌日、ササ、シンシン、ナナの三人は交易船に乗り込んで、ヤマトゥへと旅立って行った。

 

 

 

ヤコウガイの考古学 (ものが語る歴史シリーズ)