長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

尚巴志伝 第三部

3-17.古見のクミ姫(第二稿)

古見(くみ)(小湊)に着いたサスカサたちは驚かされた。 サスカサたちを迎えた古見ヌルはマキという七歳の娘を連れていて、マキの父親は本部(むとぅぶ)のテーラーだと言った。 七年前に奄美大島(あまみうふしま)平定のために湧川大主(わくがーうふぬし)と一…

3-16.戸口の左馬頭(第二稿)

アマンウディー(カサンウディー、大刈山)を下りたサスカサたちが万屋(まにや)グスクに行くと、広い庭に大勢の若者が集まって武当拳(ウーダンけん)の稽古に励んでいた。 万屋グスクは湧川大主(わくがーうふぬし)の鬼界島(ききゃじま)(喜界島)攻めの拠点と…

3-15.アマンウディー(第二稿)

赤木名(はっきな)グスクで催された歓迎の宴(うたげ)に手花部(てぃーぶ)ヌルが若ヌルを連れて参加した。手花部ヌルは奄美ヌルを指導したマジニから奄美ヌルの後見役を頼まれて引き受けたという。赤木名ヌルが絶えた後、カサンウディー(アマンウディー、大刈…

3-14.赤木名(第二稿)

目を覚ましたサスカサは自分がどこにいるのかわからなかった。 水の音が聞こえるので小屋から出てみると目の前に滝があった。 ここはどこだろうと周りを見回すと鬱蒼(うっそう)と樹木が生い茂り、滝から落ちてくる水が溜まっている所の上だけが明るく、青空…

3-13.湯湾岳のマキビタルー(第二稿)

夜明けまで続いた神様たちとの酒盛りの後、アメキウディー(天城岳)を下りたサスカサたちはアメキヌルの屋敷に着くと疲れ果てて眠りに就いた。 夕方に目覚めたヌルたちはサスカサたちを尊敬のまなざしで見て、改めて歓迎の宴(うたげ)を開いてくれた。今後、…

3-12.ササの娘、ヤエの誕生(第二稿)

サスカサたちが徳之島(とぅくぬしま)で神様たちとの酒盛りを楽しんでいた頃、首里(すい)グスクの龍天閣(りゅうてぃんかく)の三階の回廊からササは満月を見上げながら酒杯(さかづき)を傾けていた。 ササと一緒にお酒を飲んでいるのは玻名(はな)グスクヌルとミ…

3-11.アメキウディーの饗宴(第二稿)

ウンノー泊(どぅまい)(面縄港)に戻ってサグルーたちと合流したサスカサたちは、先代徳之島按司(とぅくぬしまあじ)の妹の犬田布(いんたぶ)ヌル(先代徳之島ヌル)と会った。犬田布ヌルは山北王(さんほくおう)を倒してくれた事を感謝したが、中山王(ちゅうざ…

3-10.トゥクカーミー(第二稿)

シンシンとナナが予想したように、島ヌルのカリーと親方の息子のサクラーは消えてしまった。どこに行ったのかわからないが、無事に帰ってくるまで、サスカサたちは待っている事にした。 ヒューガは先に帰ったが、サンダラたちは一緒に残った。トカラの宝島ま…

3-09.海の『まるずや』(第二稿)

越山(くしやま)のウタキ(御嶽)で神様の話を聞いた翌日、鳥島(とぅいしま)(硫黄鳥島)の事を聞こうとサスカサたちはサミガー親方(うやかた)に会いに行った。永良部按司(いらぶあじ)になったサミガー親方だったが、仕事の引き継ぎをしなければならないと言…

3-08.永良部ヌルと鳥島(第二稿)

世の主(ゆぬぬし)(永良部按司)が以前に暮らしていた玉グスクは、新しいグスクの東、半里(約二キロ)ほどの小高い丘の上にあり、浦添(うらしい)グスクを小さくしたようなグスクだった。 高い石垣はかなり古く、英祖(えいそ)の弟が永良部按司(いらぶあじ)に…

3-07.永良部島騒動(第二稿)

武装船を先頭に中山王(ちゅうざんおう)の船は永良部島(いらぶじま)(沖永良部島)に向かっていた。 永良部島にはアキシノ様の子孫のヌルがいるという。母(マチルギ)から聞いた話では初代の永良部ヌルはアキシノ様の孫で、代々続いて来たが、永良部按司の娘…

3-06.与論島平定(第三稿)

梅雨が上がった五月の五日、山グスク大親(うふや)(サグルー)が奄美の島々を平定するために水軍大将のヒューガ(日向大親)の武装船に乗って親泊(うやどぅまい)(今泊)を出帆した。弟のジルムイ(島添大里之子)とマウシ(山田之子)とシラー(久良波之子…

3-05.伊江島と瀬底島(第三稿)

瀬底(しーく)の若ヌルが今帰仁(なきじん)に来た翌日、雨がやんで、久し振りに日が出たので、サスカサ(島添大里ヌル)、シンシン(今帰仁ヌル)、ナナ(クーイヌル)、タマ(東松田の若ヌル)、志慶真(しじま)ヌルがサグルー(山グスク大親)とマウシ(山田…

3-04.今帰仁再建(第三稿)

今帰仁(なきじん)グスクの外曲輪(ふかくるわ)に朝鮮(チョソン)の綿布(めんぷ)で作った仮小屋がずらりと並んで建っていた。戦(いくさ)の被害が少なく、広い外曲輪が今帰仁再建の拠点として機能していた。 三の曲輪と中曲輪を囲む高い石垣は所々に鉄炮(てっぽ…

3-03.逃避行(第三稿)

今帰仁(なきじん)の戦(いくさ)が始まる半月ほど前の三月二十八日、武装船に乗って逃亡した湧川大主(わくがーうふぬし)(攀安知の弟)は与論島(ゆんぬじま)に着いた。前日の夕方、運天泊(うんてぃんどぅまい)を出帆し、奥間(うくま)沖で一泊してから与論島に…

3-02.凱旋(第三稿)

山北王(さんほくおう)(攀安知)を倒した六日後の四月十七日、サハチ(尚巴志、島添大里按司)は中山(ちゅうざん)軍を率いて首里(すい)に凱旋(がいせん)した。 今帰仁(なきじん)を発ったのは十四日で、その日は名護(なぐ)まで行き、二日目は恩納(うんな)まで…

3-01.沖の郡島(第三稿)

永楽(えいらく)十四年(一四一六年)の四月十一日、総大将を務める島添大里按司(しましいうふざとぅあじ)のサハチ(尚巴志)が率いた中山(ちゅうざん)軍は、今帰仁(なきじん)グスクを攻め落として山北王(さんほくおう)を滅ぼした。 山北王の攀安知(はんあん…