2021-01-01から1年間の記事一覧
ウンノー泊(どぅまい)(面縄港)に戻ってサグルーたちと合流したサスカサたちは、先代徳之島按司(とぅくぬしまあじ)の妹の犬田布(いんたぶ)ヌル(先代徳之島ヌル)と会った。犬田布ヌルは山北王(さんほくおう)を倒してくれた事を感謝したが、中山王(ちゅうざ…
シンシンとナナが予想したように、島ヌルのカリーと親方の息子のサクラーは消えてしまった。どこに行ったのかわからないが、無事に帰ってくるまで、サスカサたちは待っている事にした。 ヒューガは先に帰ったが、サンダラたちは一緒に残った。トカラの宝島ま…
越山(くしやま)のウタキ(御嶽)で神様の話を聞いた翌日、鳥島(とぅいしま)(硫黄鳥島)の事を聞こうとサスカサたちはサミガー親方(うやかた)に会いに行った。永良部按司(いらぶあじ)になったサミガー親方だったが、仕事の引き継ぎをしなければならないと言…
世の主(ゆぬぬし)(永良部按司)が以前に暮らしていた玉グスクは、新しいグスクの東、半里(約二キロ)ほどの小高い丘の上にあり、浦添(うらしい)グスクを小さくしたようなグスクだった。 高い石垣はかなり古く、英祖(えいそ)の弟が永良部按司(いらぶあじ)に…
武装船を先頭に中山王(ちゅうざんおう)(思紹)の船は永良部島(いらぶじま)(沖永良部島)に向かっていた。 永良部島には『アキシノ様(初代今帰仁ヌル)』の子孫のヌルがいるという。母(マチルギ)から聞いた話では初代の永良部ヌルはアキシノ様の孫で、代…
梅雨が上がった五月の五日、山グスク大親(うふや)(サグルー)が奄美の島々を平定するために水軍大将のヒューガ(日向大親)の武装船に乗って親泊(うやどぅまい)(今泊)を出帆した。弟のジルムイ(島添大里之子)とマウシ(山田之子)とシラー(久良波之子…
瀬底(しーく)の若ヌルが今帰仁(なきじん)に来た翌日、雨がやんで、久し振りに日が出たので、サスカサ(島添大里ヌル)、シンシン(今帰仁ヌル)、ナナ(クーイヌル)、タマ(東松田の若ヌル)、志慶真(しじま)ヌルがサグルー(山グスク大親)とマウシ(山田…
今帰仁(なきじん)グスクの外曲輪(ふかくるわ)に朝鮮(チョソン)の綿布(めんぷ)で作った仮小屋がずらりと並んで建っていた。戦(いくさ)の被害が少なく、広い外曲輪が今帰仁再建の拠点として機能していた。 三の曲輪と中曲輪を囲む高い石垣は所々に鉄炮(てっぽ…
今帰仁(なきじん)の戦(いくさ)が始まる半月ほど前の三月二十八日、武装船に乗って逃亡した湧川大主(わくがーうふぬし)(攀安知の弟)は与論島(ゆんぬじま)に着いた。前日の夕方、運天泊(うんてぃんどぅまい)を出帆し、奥間(うくま)沖で一泊してから与論島に…
山北王(さんほくおう)(攀安知)を倒した六日後の四月十七日、サハチ(尚巴志、島添大里按司)は中山(ちゅうざん)軍を率いて首里(すい)に凱旋(がいせん)した。 今帰仁(なきじん)を発ったのは十四日で、その日は名護(なぐ)まで行き、二日目は恩納(うんな)まで…
永楽(えいらく)十四年(一四一六年)の四月十一日、総大将を務める島添大里按司(しましいうふざとぅあじ)のサハチ(尚巴志)が率いた中山(ちゅうざん)軍は、今帰仁(なきじん)グスクを攻め落として山北王(さんほくおう)を滅ぼした。 山北王の攀安知(はんあん…
西暦 明歴 派遣王 行き先 出帆 入貢 帰帆 使者1372年 洪武5年 察度1 明国 10月 12月29日 翌年5月 泰期 ※明国の使者、楊載。 1374年 洪武7年 察度2 明国 8月 10月26日 翌年5月 泰期 ※琉球に帰る船で、李浩が来る。 1376年 洪武9年 察度3 明国 2月 4月1日 7月 …
1178年 弓矢の腕を見込まれて厳島神社の内侍(巫女)になる。16歳 1180年 3月 厳島神社に来た平維盛と出会う。18歳 4月 安徳帝が即位する。 1181年 閏2月 平清盛が病死する。19歳 1183年 4月 平維盛が総大将として北陸に出陣する。21歳 5月 弥山で青い勾玉を…
1387年 5月 早田三郎左衛門がサハチを対馬に連れて帰る。 1388年 1月 早田左衛門太郎がサハチを連れて琉球に行く。 5月 左衛門太郎が琉球から帰る。 8月 高麗を襲撃して多くの兵を失い、三郎左衛門たちが対馬に帰る。 9月 高麗の富山浦(釜山)で生まれる。1…
1390年 明国の襄陽郊外の村に生まれる。1歳 1398年 張三豊がファイホン夫婦を連れて武当山に戻る。9歳 1399年 村が山賊に襲われて、父は殺され、母はさらわれる。10歳 張三豊に助けられ、武当山に行き、ファイホン夫婦に預けられる。 両親の敵を討つために、…
1383年 10月 志慶真若ヌルが出産に失敗して亡くなる。 1384年 1月 志慶真ヌルが志慶真大主の娘を若ヌルとして育てる。 1389年 ミナ、志慶真村に生まれる。1歳 1391年 4月 今帰仁合戦で祖父と父が戦死。志慶真村も今帰仁城下も焼かれる。3歳 1393年 4月 今帰…
1281年 弘安の役(元寇)で水軍を率いて愛洲氏が活躍する。 1324年 愛洲憲俊とその子能俊は、大塔宮、正成らと共に赤坂城に篭城して戦う。 1338年 後醍醐天皇の綸旨に、紀州高田が愛洲憲俊に安堵される。 1339年 神山城(松阪市)の戦いに南朝方として愛洲六…
1361年 祖父の羽地按司が今帰仁グスクを奪い取り今帰仁按司になる。 1376年 兄ハーンが生まれる。 1377年 本部で本部大主の次男に生まれる。童名はジルータ。1歳 1379年 妹マハニが生まれる。3歳 1380年 1月 ウクヌドー(奥堂)が今帰仁に来て、城下に「油屋…
1406年 1月 サハチが中山王武寧を倒し、首里グスクを奪い取る。32歳 アランポー一族を抹殺し、王茂を中心に新しい久米村を作る。 中山王になるサハチの父サグルーの名前を「思紹」と決める。 永楽帝が順天府に紫禁城の改築を始める。 5月 中山王の進貢船が帰…
あ 東松田ヌル 読谷山の喜名のヌル。1367- 東松田若ヌル タマ。東松田ヌルの姪。マレビト神はサハチ。1398- 安謝大親 中山王の重臣。武寧の重臣→思紹の重臣。1348- 天久之子 安謝大親の四男グラー。1388- 新垣大親 中山王の正使。国子監に留学。武寧の正使→…
あ アサ 奥間でのクマヌの一夜妻。1358- アランポー 亜蘭匏。久米村を支配している唐人。1342-1406 アミー シタルーが刺客として武寧に贈った側室で、武寧を殺す。1387- 安謝大親 中山王の重臣。1348- 安勢理大親 勝連按司の重臣。1358- い 伊波按司 マチル…