長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

2-92.ハルが来た(改訂決定稿)

 六月になってウニタキ(三星大親)が与論島(ゆんぬじま)から帰って来た。
「麦屋(いんじゃ)ヌルは馬天(ばてぃん)ヌルに預けたけど、会って来たか」とサハチ(中山王世子、島添大里按司)が聞くと、ウニタキはうなづいた。
「慈恩禅師(じおんぜんじ)殿がヤンバル(琉球北部)から連れて来た、しゃべれない娘と一緒にいたよ。一緒に『キーヌウチ』にあるウタキ(御嶽)を拝んでいるそうだ」
「なぜか、麦屋ヌルになついてしまったようだな。もしかしたら、母親に似ているのかもしれんな」
「名前もわからないので、カミーと呼ばれている」
「馬天ヌルが名付けたのか」
「そうらしい。耳も聞こえないようだからカミーと呼ばれてもわからないはずなんだが、そう呼ぶと笑うそうだ。本当にカミーという名前なのかもしれないな。ところで、『三王同盟』になったんだってな。今帰仁(なきじん)で聞いて驚いたよ」
「なに、今帰仁に行ったのか」
「ついでだから、ちょっと寄ってみたんだ。そしたら城下はお祭り騒ぎだった。お前の親父から事の成り行きを聞いたが、面白い展開になったもんだな」
「忙しくなるぞ。特にお前はな」
「ああ。王様(うしゅがなしめー)が『三星党(みちぶしとー)』のために、キラマ(慶良間)の若い者を百人くれると言った。その百人を使って、ヤンバルをバラバラにしなくてはならん。キンタ(奥間大親の息子)にも協力してもらって、拠点をいくつも作らなければならんな」
今帰仁と名護(なぐ)にある『よろずや』は中山王(ちゅうざんおう)とは関係ないという事になっているが、どことつながりがあるんだ?」とサハチは聞いた。
「『よろずや』は先代の山南王(さんなんおう)(汪英紫)が情報を集めるために作ったが、今は山南王とのつながりはなく、商売に専念しているという事になっているんだよ」
「『よろずや』は今、いくつあるんだ?」
「八店だ。『まるずや』は五店ある」
「今度、今帰仁に作るのは『まるずや』で、『よろずや』とは交流は持たないのか」
「商人同士の付き合い程度だな。山北王(さんほくおう)を倒すまでは、別々に行動した方がいいだろう。もし、同盟が壊れた時、『まるずや』は引き上げなくてはならなくなるが、『よろずや』はそのままいられるからな」
「成程、それもそうだな。先の事はどうなるかわからんからな」
「話は変わるが、シタルー(山南王)は首里(すい)に使者を送って同盟しようと言って来たのか」
「いや、本人がここに来たのさ。二人の供を連れただけでな」
 ウニタキは楽しそうに笑った。
「お前はなめられているんだよ」
「そうかもしれんな。でも、昔のシタルーを見たような気がして、何だか嬉しくなったんだよ。物見櫓(ものみやぐら)の上で話したんだ。帰りに石垣を見ながら、直すべき所が何カ所かある。『石屋』を送るから直した方がいいと言っていた」
「シタルーが石屋を送ると言ったのか」
「ああ。首里には側室を贈ったので、内情はわかるが、ここの事はわからない。石屋を城下に置いて、俺の動きを探るつもりなんだろう。しかし、石屋が来るのはありがたい。そいつを通じて、石屋の頭領と会えるかもしれない。石屋は味方に付けなければならないからな」
「石屋だって商売だ。シタルーに付いているより中山王に付いた方が稼げるだろう。焦らなくても向こうから近づいて来るさ」
「そうなればいいがな。今回は長い間、御苦労だった。早く、帰った方がいいぞ。チルーが首を長くして待っているだろう」
「チルーは対馬(つしま)でアワビ捕りをしたと楽しそうに言っていた。俺は与論島(ゆんぬじま)でカマンタ(エイ)捕りをしたって自慢してやるよ」
「久高島(くだかじま)にでも行って、フカマヌルも一緒に海に潜ってくればいい」
「それもいいかもしれんな」とウニタキは笑うと帰って行った。
 六月十日、正月に明国(みんこく)に行った進貢船(しんくんしん)が無事に帰って来た。正使を務めた程復(チォンフー)は、永楽帝(えいらくてい)からたっぷりとお土産をもらって、故郷に帰って行ったと副使の具志頭大親(ぐしかみうふや)は言った。そして、久米村(くみむら)のワンマオ(王茂)が予定通り『国相(こくしょう)』に任命されたという。
 ワンマオを国相に任命するように頼んだのはファイチ(懐機)だった。以前、アランポー(亜蘭匏)が国相に任じられていたが、アランポーの死後、久米村には国相がいなかった。明国から使者が来た場合、国相がいないと久米村の言い分が通らず、使者の思い通りにされてしまう。それでは具合が悪いので、ワンマオを国相に任じるように頼んだのだった。国相の地位は使者たちよりも高く、琉球に来た使者たちは国相の言い分を聞かないわけにはいかなかった。ワンマオを国相に任じると共に、長年、琉球のために尽くしてくれた程復も名誉職として国相に任じられていた。
 マウシ(山田之子)は興奮した顔で帰って来て、「明国は凄い」と何度も言っていた。外間親方(ふかまうやかた)と一緒に応天府(おうてんふ)(南京)まで行って、明国の都の素晴らしさを堪能してきたという。浦添(うらしい)の若按司のクサンルーと垣花按司(かきぬはなあじ)の次男のクーチも従者として応天府まで行き、非番の時は三人で都を歩き回っていたらしい。
 いつものように会同館(かいどうかん)で帰国祝いの宴(うたげ)があり、遅くまで酒を飲んで、翌日の正午(ひる)頃、首里グスクに顔を出すと、島添大里(しましいうふざとぅ)グスクに山南王から側室が贈られて来たとマチルギから言われた。
「シタルーが俺に側室をか」とサハチは驚いて、マチルギに聞き返した。
「ついさっき、ナツから知らせが来たのよ。どうしたらいいのかわからないので、島添大里に来てくれって」
「石屋を送るというのは聞いているが、側室の話なんてシタルーから聞いていないぞ」
「贈られたものを送り返すわけにはいかないでしょ」とマチルギは言って、サハチとマチルギは龍天閣(りゅうてぃんかく)にいる思紹(ししょう)(中山王)を訪ねた。
「シタルーもやるな」と思紹は笑った。
「島添大里グスクの内情を探るために側室を贈ったのだろう。あそこには御内原(うーちばる)がないから、何でも筒抜けになるぞ」
「まいったなあ」とサハチは頭を掻いた。
「御内原を建てるほどの土地はないし、間者(かんじゃ)が一緒にいると思ったら、のんびりくつろぐ事もできなくなる」
「御内原は無理でも小さなお屋敷なら建てられるんじゃない。そこに侍女(じじょ)と一緒に入れておけば?」とマチルギが言った。
「小さな屋敷か‥‥‥それもいいが、あそこに龍天閣みたいなのを建てるか。俺がそこで暮らせばいい」
 思紹が笑って、「それもいいが、一の曲輪(くるわ)内に建てるのは危険だぞ」と言った。
「普請(ふしん)中に大工や職人が一の曲輪内に出入りする事になる。敵の間者が紛れ込んで来るじゃろう」
「そうか。そうなると東曲輪(あがりくるわ)に建てるしかないな」
「完成するまで一年近く掛かるぞ」
「いっその事、隠居して、島添大里グスクはサグルーに譲るか」とサハチが言うと、
「馬鹿な事、言ってないでよ」とマチルギが睨んだ。
「わしが隠居する。お前がここに来ればいい」と思紹が言った。
「二人とも何を言っているんですか、まったく」とマチルギは二人を交互に睨んでいた。
 サハチはマチルギと一緒に島添大里グスクに向かった。
 シタルーから贈られた側室と二人の侍女は、佐敷ヌルの屋敷にいるとナツは言った。
「お屋敷で待ってもらっていたのですが、東曲輪で女子(いなぐ)サムレーたちが武当拳(ウーダンけん)のお稽古をするのを見て、見に行ったまま、まだ帰って来ないのです」
「ほう。武芸に興味があるのか」
 サハチとマチルギは東曲輪に向かった。武当拳の稽古はしていなかった。佐敷ヌルの屋敷に入ると、側室のハルは女子サムレーたちと楽しそうに話をしていた。
 サハチとマチルギが来たので、女子サムレーたちは急に静かになった。佐敷ヌルがサハチとマチルギの事をハルに教えた。
 ハルは二人に頭を下げて、「島尻大里(しまじりうふざとぅ)から参りましたハルと申します。よろしくお願いいたします」と言った。
「本当は島尻大里じゃなくて、粟島(あわじま)(粟国島)から来たの」と付け加えた。
 サハチとマチルギはハルと侍女を連れて、一の曲輪の屋敷に戻って、ハルから話を聞いた。
 ハルは粟島で女子サムレーになるための修行を積んでいた。それが、突然、島添大里按司の側室になれと言われて、侍女になる事に決まったタキとマサと一緒に島を出て、島尻大里グスクに行って山南王と会い、五日間、行儀作法などを仕込まれただけで、ここに送られて来たという。
「あなた、側室が何だかわかっているの?」とマチルギがハルに聞いた。
按司様(あじぬめー)のお嫁さんになる事だって言われました。でも、按司様には正式な奥さんがいるので、二番目の奥さんだと言われました」
「二番目じゃないわよ。あなたは四番目よ」
「えっ?」とハルは目を丸くしてサハチを見ると、「按司様は三人も奥さんがいるのですか」と聞いた。
「山南王はもっといっぱいいるでしょ」とマチルギが言った。
 ハルは首を傾げて、「よく知りません」と言った。
「島尻大里グスクにも女子サムレーがいるの?」とマチルギは聞いた。
 ハルはまた首を傾げて、「見た事ありません」と答えた。
「あたし、ここに来て初めて女子のサムレーを見ました。あたしもあんなサムレーになりたいと思いました」
「だって、あなた、女子サムレーになるために粟島で修行していたんでしょ」
「そうなんですけど、あたしにはよくわかりません。時々、アミーさんに呼ばれて島を出て行く人はいます。でも、どこに行ったのかわかりません」
「アミーがお前の師匠だったのか」とサハチが聞いた。
「そうです。あたしが十三の時、アミーさんが来て、あたしを島に連れて行ったんです。按司様はアミーさんを知っているのですか」
「ああ、昔、会った事がある」
「そうですか。アミーさんは強いですよ。アミーさんのお父さんは、若い頃の山南王の護衛を務めていたと言っていました。戦(いくさ)で怪我をして、今は隠居しているそうです」
 サハチはシタルーが若い頃に連れていた二人のサムレーを思い出していた。あのサムレーのどちらかがアミーの父親だったのだろうか。
「侍女の二人も一緒に修行していたのか」とサハチはハルに聞いた。
「そうです。タキ姉(ねえ)もマサ姉も一緒に島に行って修行を積みました」
 サハチが二人の侍女を見ると二人とも俯いていた。ハルが何でもペラペラとしゃべるので困っているようだった。
「粟島には何人の修行者がいるの?」とマチルギが聞いた。
「いっぱいいますよ。男の人は三百はいます。女子は三十人くらいです。前はもっといたんですけど、去年、二百人が島から出て行きました。阿波根(あーぐん)グスクと保栄茂(ぶいむ)グスクに入ったそうです」
「お前、そんな事までしゃべってもいいのか」とサハチはハルに聞いた。
「えっ?」とハルは驚いた顔をして侍女を見た。
 二人ともちょっと怖い顔をしてハルを見たが何も言わなかった。
「大丈夫ですよ」とハルは陽気に笑った。
「山南王と中山王は同盟を結んだんでしょ。二人の王様が仲よくするために、あたしはここにお嫁に来たのです。よろしくお願いいたします」
 あとの事をナツに任せて、サハチとマチルギは屋敷を出ると、東曲輪の物見櫓に登った。
「シタルーはどうしてあんな娘をここに入れたのだろう」とサハチは海を眺めながらマチルギに聞いた。
「油断させるためじゃないかしら。あの娘(こ)、アミーに仕込まれた刺客(しかく)かもしれないわよ」
「シタルーは俺を殺そうとしているというのか」
「あなたがいなくなれば、中山王を倒すのも楽になるって考えたんじゃないかしら」
「冗談じゃないぜ。刺客が三人もグスク内にいたんじゃ、安心して眠る事もできないじゃないか」
「しばらく様子を見て、眠れないようだったら首里のお屋敷で休めばいいわ」
「まったく、シタルーも余計な事をしやがって‥‥‥」
 一応、佐敷ヌルによって婚礼の儀式を行ない、ハルは側室として迎えられ、二階の一部屋が与えられた。儀式が終わるとマチルギは首里に帰って行った。
 儀式のあと、歓迎の宴が開かれて、サグルー夫婦とイハチ夫婦、ユリとシビー、主立った重臣たち、侍女と女子サムレーも呼んで、祝い酒を飲み、子供たちの笛を聞いたりして楽しんだ。
 サグルーの妻、マカトゥダルは六日前に、赤ん坊のサハチを連れて戻って来ていた。孫のサハチは女子サムレーたちの人気者になっていた。
 ユリは与那原(ゆなばる)の修行から戻ってからは佐敷の屋敷に帰る事はなく、佐敷ヌルの屋敷に住んでいた。娘のマキクが帰りたくないと駄々をこね、佐敷ヌルがここで暮らせばいいわと言って、ユリも佐敷ヌルの言葉に甘える事にした。お祭りの準備で佐敷ヌルと行動を共にしているので、一緒にいた方が何かと便利だった。
 シビーはメイユー(美玉)の弟子になってから、メイユーと一緒にお祭りの準備を手伝うようになり、音楽やお芝居に興味を持つようになっていた。勿論、武芸の稽古には励んでいるが、横笛や踊りの稽古も始めていた。
 ハルは子供が大勢いる事に驚いて、子供たちが吹く笛にも驚いた。さらに、ユリの笛に驚いて、佐敷ヌルが笛を吹く事にも驚き、サハチの一節切(ひとよぎり)には感動して涙を流していた。
 ヤマトゥで増阿弥(ぞうあみ)の一節切を聴いてから、サハチの一節切はさらに上達して、聴く者、皆を感動させた。ハルの侍女、タキとマサの二人も感動して目に涙を溜めていた。
「凄いわ」とハルが目を輝かせて言った。
「笛の音を聴いて泣いたの、あたし、初めてですよ。どうしてなの?」
按司様の笛にはみんな、感動するのよ」とナツが言った。
「ナツ様も按司様の笛に感動して、側室になったのですか」
「えっ?」とナツは言って、昔を思い出した。
 今まで気づかなかったが、ナツが佐敷グスクに通って剣術の稽古をしていた頃、サハチは笛を吹き始め、だんだんとうまくなっていった。サハチの妹のマカマドゥと一緒に、本曲輪から流れてくる笛の音を東曲輪で聴いていたのを思い出していた。
「そうかもしれないわね。あの頃は一節切じゃなくて、横笛だったけど感動したんだわね、きっと」
「あたし、いい所にお嫁に来たのね。あたし、幼い頃に両親を亡くして、座波(ざーわ)ヌル様のお世話になっていました。若ヌル様には子供がいて、時々偉そうなおサムレー様が訪ねていらっしゃいました。あとになって知ったのですけど、そのおサムレー様は島尻大里の王様でした。王様はあたしを島に送って剣術の修行させてくれました。そして、お嫁にも出してくれました。あたしがお嫁に行くなんて、まるで、夢のようなお話です。しかも、こんな立派なグスクに住んでいらっしゃる按司様のもとへお嫁に来るなんて、あたし、とても幸せです」
 ハルは祝い酒を飲みながら、自分の過去の事を話して、ついには酔い潰れてしまった。侍女に聞いたら酒を飲んだのは初めてだという。
 シタルーが送った刺客かもしれないと思いながらも、憎めない娘だとサハチは思っていた。
 次の日、サハチが起きた時、ハルはナツに連れられてグスク内を見て歩き、今は佐敷ヌルの屋敷にいるという。
 酔い潰れた振りをしたハルが、夜中に襲って来るかもしれないと思うと、サハチはなかなか寝つけず、ちょっとした物音にも目が覚めて、ゆっくり休む事もできなかった。
「あそこが気に入ったみたいね」とナツは笑った。
 サハチはあくびをしながら、「ハルは朝までぐっすり眠っていたのか」と聞いた。
「眠っていましたよ。二日酔いで起きられないと思ったけど、ちゃんと起きて、挨拶に来ました。素直で可愛い娘ですよ」
「侍女たちも怪しい動きはなかったんだな?」
「大丈夫ですよ。侍女のお屋敷に入ってから朝まで出て来ませんでした。女子サムレーがちゃんと夜中も見張っています」
「そうだな。気にしすぎたようだ」
 ハルは朝食の時、サハチに挨拶をして、一緒に食事を取ったが、また佐敷ヌルの屋敷に行った。
「好き勝手にさせていいのか」とサハチはナツに聞いた。
「まず、この環境に慣れてもらおうと思っているんですよ。みんなと仲よくなれば、裏切る事はできなくなるでしょ。あの娘、ユリさんから笛を習っているんですよ。シビーとチミー(イハチの妻)と同い年なんです。三人で仲よくやっていますよ」
「そうか、シビーとチミーと同い年か。そんな若い娘を側室に迎えるとは思わなかったよ」
「先の事を考えたら子供は多い方がいいと奥方様(うなじゃら)がおっしゃっていました。南部が安定しているのも、按司様の妹様方がお嫁に行ったからだと言っておりました。琉球を統一するためには、按司様の娘様方を中部や北部に嫁がせなくてはならないと言っておりました」
「マチルギがそんな事を言っていたのか」
 マチルギは男の子は七人も生んだが、女の子は四人だった。長女はサスカサになり、次女はウニタキの長男と婚約している。お嫁に出せる娘は二人しかいなかった。
「あなたも女の子を産みなさいって言われました」とナツは言って、嬉しそうな顔をしてサハチを見た。
「マチルギの命令なら従わなくてはならんな」とサハチは笑った。
 その夜、ハルがサハチの部屋にやって来て、「昨夜は酔ってしまって申しわけありませんでした」と謝った。
「お酒がおいしくて、つい飲み過ぎてしまいました」
「初めて飲んだのか」とサハチが聞くと、ハルは驚いたような顔をして、「内緒ですよ。実は島でも飲んでいました。お酒が好きなお姉さんがいて、師範たちの所からちょっといただいて飲んでいました。でも、あんなおいしいお酒ではありませんでした」と言った。
「師範の酒を盗み飲みしていたのか」
 サハチはハルの顔を見て、思わず笑っていた。
「侍女のタキに怒られました。お床入りの晩に酔っ払うなんて情けないと言われました。今晩、よろしくお願いします」
 サハチはハルの部屋に行って酒の用意をさせて、床入りの前に、ハルと一緒に酒を飲みながら聞きたい事を聞いた。
「はっきりと聞くが、お前は刺客なのか」
「刺客? 刺客って何ですか」とハルは聞いた。
「俺を殺すためにここに来たのか」
「えっ?」とハルは驚いて、「どうして、按司様を殺すのですか」と聞いた。
「山南王は俺の命を狙っているからな」
「どうしてですか。同盟を結んだんでしょ」
「同盟というのは、先に進むための手段なんだよ」
按司様も島尻大里の王様の命を狙っているのですか」
「いや、狙ってはいないよ」
「そうなんですか」
「お前は俺の命を狙っていないようだが、侍女たちはどうだ?」
「わかりません。でも、あの二人が按司様の命を狙ったら、あたしが倒します」
「なに、お前が倒す?」
「あたし、あの二人よりも強いのです」
「本当なのか」
「本当です。ナツ様の強さも、奥方様の強さも、佐敷ヌル様の強さもわかりました。勿論、按司様の強さもわかっています」
「ほう、ナツやマチルギ、佐敷ヌルの強さがわかるのか」
 サハチはハルを見直していた。戦いもせずに相手の強さがわかるというのは、ハルもかなり強いという事だった。
「隊長のカナビーさん、リナーさん、カリーさんも強いです。あの島ではあたしより強い女子は師匠のアミーさんだけでした。でも、ここにはあたしより強い人がいっぱいいます。こんな凄い所に来られて幸せです」
「お前は面白い娘だな」とサハチは言った。
「それ、褒め言葉ですか」
「ああ、褒め言葉だ」
「嬉しい」と言って笑った笑顔は可愛かった。
 サハチはハルを抱いた。
 ハルが来てから三日後、『石屋』がやって来た。クムンと名乗った親方(うやかた)は、七人の職人を連れていた。サハチが思っていたよりも若く、サハチと同年配に見えた。
 サハチは用意しておいた屋敷に案内して、石屋の事をクムンから聞いた。
「親方、そなたが島添大里グスクの石垣を築いたのですか」とサハチが聞くと、クムンは首を振って、「あの頃、わしはまだ子供でした。叔父が築いたのでございます」と言った。
「そうか。すると、そなたの叔父は豊見(とぅゆみ)グスクも築いたのだな」
「さようでございます」
首里グスクもか」
「さようでございます」
「そなたの叔父が色々とやっているようだが、そなたの父親は何をしておったんだ?」
「わしの親父は五代目の頭領でしたが、親父が亡くなった時、わしは二十二歳だったのです。頭領になるのは若すぎると言われて、叔父に頭領の座を奪われてしまったのでございます。実際、当時のわしはまだ未熟で、頭領を務めるのは無理でした。親父は中山王に仕えて、叔父は山南王に仕えておりました。首里グスクを築く時、叔父が中心になって石垣を築いて、親父に仕えていた職人たちもほとんど、叔父に取られてしまいました。台風で石垣が壊れましたが、それもわしのせいにされて、さらに職人たちがわしのもとから去って行きました。先代の中山王が亡くなった時、わしは数人の職人を連れて叔父のもとに行き、頭を下げて仲間に加えてもらったのです。叔父も三年前に亡くなって、従兄(いとこ)が七代目の頭領になっております」
「頭領の座を叔父に奪われて、頭領になった従兄のもとで、肩身の狭い思いをしているというわけだな」
「さようでございます」
「どうして、新しい中山王に仕えようとしなかったのだ?」
「数人の職人を引き連れて行っても、どうにもならないと思ったのです。それと、頭領の座を何とかして取り戻したいという気持ちもありました。でも、従兄と山南王は強い絆で結ばれていて、頭領の座を取り戻す事はできませんでした」
「そうだったのか。今回、そなたをここによこしたのは山南王なのか」
「いいえ、頭領です。邪魔者を追い出したのでしょう」
「頭領と山南王は仲がいいのか」
「豊見グスクの石垣を築いた時に、意気投合したようです」
「そうか。そなたの親父が五代目だと言ったな。初代はどこから来たんだ?」
「高麗(こーれー)です。もう百年以上も前の事です。当時、高麗の国は元(げん)の国に攻められて混乱状態だったそうです。琉球の船が高麗に来ていて、石屋を探しているという話を聞いた初代は、職人たちを引き連れて琉球にやって来たようです」
「ほう、百年以上も前に、琉球の船が高麗に行っていたのか」
「瓦(かわら)を求めてやって来たようです」
「成程、瓦か」
「初代が築いた石垣は、今帰仁(なきじん)グスクの石垣なのか」
「いいえ、浦添グスクです。初代の次男が今帰仁按司に仕えて、今帰仁グスクの石垣を築きました」
「そうだったのか。当時、浦添今帰仁はつながっていたのか」
浦添按司は英祖(えいそ)という人で、今帰仁按司は英祖の息子だったと聞いております」
「成程。すると、今帰仁の石屋は、初代の次男から代々今帰仁按司に仕えているんだな」
「そうです。長男の家系は浦添按司に仕えてきました」
「今も浦添の家系と今帰仁の家系は交流があるのか」
「昔は交流があったようですが、今はありません」
「そうか。玉グスクの石屋とはつながっているのか」
「玉グスクは三代目の時に分かれたようです。玉グスクの石屋も首里グスクの石垣造りを手伝っていましたので交流はあります」
「色々と聞いてすまなかった。今まで石屋と付き合いがなかったものでな。島添大里グスクの石垣の修理をよろしく頼む」
「かしこまりました」とクムンは頭を下げた。
 石屋として、どれほどの腕を持っているのかわからないが、生真面目そうな男だとサハチは思った。

 

 

 

粟国の塩 500g