長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

2-115.マツとトラ(改訂決定稿)

 サイムンタルー(早田左衛門太郎)は倭寇(わこう)働きをするために、去年の末、明国(みんこく)に行った。戦(いくさ)の経験のない跡継ぎの六郎次郎も連れて行き、浅海湾(あそうわん)内の浦々で暮らしている者たち一千人近くを率いて行ったという。
「六郎次郎も行ったのか。無事に帰ってくれるといいが‥‥‥」
 サハチ(中山王世子、島添大里按司)はサイムンタルーと六郎次郎の心配をした。永楽帝(えいらくてい)を怒らせたら、全滅するかもしれなかった。
「お前たちは行かなくても大丈夫だったのか」とサハチはマツ(中島松太郎)とトラ(大石寅次郎)に聞いた。
「当然、俺たちも明国に行くつもりだったんだ。そしたら、急に琉球に行って、お前に会って来いってお屋形様に言われたんだよ」とマツが言った。
琉球の事はシンゴから色々と聞いていたし、行ってみたいと思ってたんだ。明国はいつでも行けるけど、琉球にはなかなか行けないからな。お屋形様が行って来いと言うのなら今のうちに行こうと思ったんだ。それに、お前の妹(佐敷ヌル)に会って、あんな美人がいる国に行ってみたいと思ったんだよ」とトラが言うと、
「それにしても驚いたな。シンゴの奴がお前の妹といい仲になるなんてな」とマツが言った。
「俺もあの時は驚いた」とサハチはシンゴ(早田新五郎)を見ながら笑った。
「朝鮮(チョソン)での活躍を聞かせてくれ」と言って、サハチは、シンゴ、マツ、トラの三人を『対馬館(つしまかん)』に案内した。
「ヌルたちが酒盛りをしているぜ」とマツが言った。
 浜辺を見ると、佐敷ヌル、ササ、シンシン(杏杏)、ナナ、シズ、シーハイイェン(施海燕)、ツァイシーヤオ(蔡希瑶)、シュミンジュン(徐鳴軍)、そして、サタルー、ウニタル、シングルーも一緒にいて、ヤマトゥ(日本)から連れて来た山伏と僧侶もいた。
「俺たちもあそこに加わろうぜ」とトラが言った。
 サハチは笑ってうなづくと『対馬館』には向かわず、浜辺の酒盛りに加わった。
「ヤマトゥから帰って来ると琉球の景色の素晴らしさが改めてわかるわ」とササがサハチに言って笑った。
「そうだな」とサハチはうなづいた。
琉球はいい所じゃのう」と僧侶が言った。
 ササが山伏と僧侶を紹介した。
 山伏は福寿坊(ふくじゅぼう)という熊野の山伏で、僧侶は辰阿弥(しんあみ)という時衆(じしゅう)の僧侶だった。時衆というのは阿弥陀如来(あみだにょらい)様の教えを広めて、念仏を唱える仏教だというが、サハチにはよくわからなかった。
「正確に言えば、わしは熊野の山伏ではありません。本当は備前児島(びぜんこじま)の山伏です」と福寿坊は言った。
「児島といえば瀬戸内海の?」とサハチは聞いた。
「御存じですか」と福寿坊は嬉しそうな顔をした。
「児島の下(しも)の津で、塩飽(しわく)水軍のお頭と会いましたよ」
「そうでしたか。あのお頭はちょっと変わっておりますが、頼りになる男です。児島には新熊野三山(いまくまのさんざん)がありまして、山伏が大勢おります。わしはしばらく、那智に行って修行をしていたのです。まさか、琉球まで来るとは思ってもいませんでした」
「わしは慈恩禅師(じおんぜんじ)殿を追って参りました。あちこち探しておりましたが、まさか、琉球におられたとは驚きました」と辰阿弥は言った。
「慈恩禅師殿もまもなく現れるでしょう。琉球の酒盛りを充分に楽しんでください」
 サハチが二人と挨拶を交わしている隙に、シンゴとマツとトラは佐敷ヌルと一緒に酒を飲んでいた。高橋殿のお陰で、佐敷ヌルも呑兵衛(のんべえ)になったようだ。
 佐敷ヌルは、シンシンが持っていたガーラダマ(勾玉)のお陰で、『アキシノ』という厳島(いつくしま)神社の内侍(ないし)(巫女)の神様と出会って、小松の中将(ちゅうじょう)の神様から話を聞く事ができたと喜んでいた。熊野に行って、小松の中将が琉球に行く前に隠れていた山奥の村にも行って来たので、旅芸人のために、面白いお芝居が作れそうだと張り切っていた。
 首里(すい)からマチルギと馬天(ばてぃん)ヌル、お祭り(うまちー)の準備をしていたユリとハルとシビーがやって来た。
 佐敷ヌルはユリたちとの再会を喜んで、「お祭りは大丈夫だった?」と聞いた。
 佐敷ヌルはユリたちに取られ、ササたちも馬天ヌルに旅の話をしていた。
 サハチはマツとトラに、マチルギを紹介した。
「噂はイトから聞いているよ」とマツが言った。
「女子(おなご)の侍(さむらい)を百人以上も従えている凄い人だと言っていた。鬼のような女かと思ったら、凄い美人じゃないか」
「イトと出会った時に、一緒に遊んだ仲間なんだ」とサハチはマチルギに説明した。
 凄い美人と言われて嬉しいのか、マチルギは機嫌よく、「充分に琉球を楽しんでくださいね」と笑顔で言って、『対馬館』へ挨拶をしに行った。
 サハチはマツとトラから朝鮮の事を聞いた。
「朝鮮での暮らしは悪くはなかったよ」とマツが言った。
「屋敷も衣服も与えられて、充分な食糧も与えられたんだ。さらに、地位も与えられた。対馬に残したシノと子供たちには悪いが、向こうで家庭も持って、それなりに暮らしていたんだ。十四年も向こうにいたんだぜ。みんな、もう、対馬に帰る気なんかなくしていたよ。このままでいいって思っていたんだ」
「お前が朝鮮に来て、開京(ケギョン)(開城市)でお屋形様に会わなかったら、対馬に帰って来る事はなかったかもしれない。お前と会って、お屋形様は考えを変えたんだよ」とトラが言った。
「俺もサイムンタルー殿と会えるなんて思わなかった。五郎左衛門殿のお陰だよ」とサハチは言った。
「お屋形様が倭寇働きを再開したので、向こうの家族が心配だよ」とトラが言った。
「連れて帰る事はできなかったのか」
「人質のようなものだよ」
「連れ戻せないのか」
「難しいだろう」とマツが言った。
「お屋形様の家族だけなら何とかなるだろうが、俺たち全員の家族を連れ戻す事は無理だ。しかも、俺の妻になった女は生真面目な小役人の娘なんだ。絶対に対馬には来ないだろう」
「朝鮮ではなく、明国を攻めるのなら問題ないのだろう?」とサハチは聞いた。
「いや、見つかれば、向こうの家族は殺されるかもしれん。朝鮮は明国の言いなりだからな。明国を攻めた倭寇が、朝鮮と関係があったなんてばれたら大変な事になる。俺たちが朝鮮にいたという証拠になるようなものは、すべて抹殺するだろう。その中に俺たちの家族も含まれるんだ」
「皆殺しさ」とトラが苦しそうな顔をして言った。
「何の罪もない子供たちまで殺されるのか」
「国を守るというより、宮廷を守るための犠牲にされるんだ。両班(ヤンバン)たちは庶民や小役人の命なんて屁とも思っていないのさ」
 急に雨が降ってきた。日が暮れて、辺りも暗くなっている。サハチたちは『対馬館』に逃げ込んだ。
 その夜、サハチはシンゴ、マツ、トラの四人で、明け方近くまで語り明かしていた。翌日、島添大里(しましいうふざとぅ)城下のイトたちが滞在していた屋敷に案内して、ゆっくりしてもらった。
 シーハイイェンたちが帰って来たので、進貢船(しんくんしん)を出さなければならなかった。サハチは最終確認のために首里に行き、浮島(那覇)に行った。夕方、サハチが島添大里グスクに帰ると、マツとトラはシンゴと一緒に佐敷ヌルの屋敷にいた。
「話には聞いていたけど、女子(いなぐ)サムレーはすげえな」とトラが言った。
「俺より強い娘がいるなんて恐れいったよ。イトたちに再会して、対馬の女は強いと思ったが、琉球の娘たちはそれ以上だ」
「それに、みんな、美人だし、女子サムレーに守られているお前が羨ましいぜ」とマツが言った。
「マチルギが娘たちに剣術を教え始めてから、もう二十年以上も経つんだ。マチルギから剣術を教わった娘たちは相当な数に上るだろう。佐敷ヌルもマチルギの最初の弟子なんだよ」
「そうか。お前のかみさんは凄い女だな」
 佐敷ヌルの姿が見えないので、どこに行ったのか聞くと、サスカサ(島添大里ヌル)が、「あたしのおうちよ」と言った。
「お芝居の台本作りに熱中しているわ」
 サハチはサスカサの屋敷に行ってみた。
 佐敷ヌルは文机(ふづくえ)の前に座り込んで、必死に何かを書いていた。脇には何冊かの書物が積んであった。サハチが声を掛けると佐敷ヌルは顔を上げて、「お兄さん」と言ったが、すぐにまた筆を動かした。
 サハチは部屋に上がって、佐敷ヌルが書いている物を見た。台詞(せりふ)が並んでいた。
「うまくいっているようだな」とサハチは聞いた。
「今の所は順調よ。でも、そのうち、わからない事が出てくると思うわ」
「わからない事が出て来たら、来年もヤマトゥに行けばいい」
 佐敷ヌルは顔を上げて、サハチを見ると笑った。
 机の脇にあったのは『平家物語』だった。サハチは手に取って眺め、
「お前が写したのか」と聞いた。
「そうよ」と佐敷ヌルは答えた。
「『平家物語』はお爺が読んでいたよ。親父も読んだかもしれない」
「えっ!」と佐敷ヌルは驚いた顔をしてサハチを見た。
「そう言えば、お爺が難しいヤマトゥの書物を読んでいたのを今、思い出したわ」
「お爺はヤマトゥから色々な書物を取り寄せていたんだ。その書物は首里グスクのどこかにしまってあったらしいけど、今、報恩寺(ほうおんじ)の書庫にあるはずだよ」
「報恩寺?」
「ナンセン(南泉)禅師のために建てていたお寺(うてぃら)が完成して、『報恩寺』ってなったんだ」
「そこに書庫があるの?」
「お爺の書物だけでなく、親父の書物や、明国や朝鮮、ヤマトゥから持って来た書物もある」
 佐敷ヌルは目を輝かせて、「『保元(ほうげん)物語』と『平治(へいじ)物語』もあるかしら?」と聞いた。
「『保元物語』はお爺が持っていたはずだよ。俺に読めって勧めたけど、俺は頭の部分しか読まなかったんだ」
「『保元物語』と『平治物語』は『平家物語』の前のお話なの。源氏と平家に関係あるのよ。京都で読もうと思ったんだけど、時間がなかったの。まさか、お爺が持っていたなんて夢のようだわ。それで、その書物は借りられるの?」
「お前なら借りられるだろう。王様(うしゅがなしめー)の娘なんだからな」
 佐敷ヌルは嬉しそうにうなづいて、「明日、首里に行ってくるわ」と言った。
「俺も明日、マツとトラを連れて首里に行く。一緒に行こう」
 佐敷ヌルはうなづいて、「これで『小松の中将様』の台本も書けそうだわ」と笑った。
 翌日、佐敷ヌルと一緒に、マツとトラを連れて、サハチは首里に行った。シンゴは交易の仕事があるからと馬天浜(ばてぃんはま)に行った。
 報恩寺の書庫で、佐敷ヌルは嬉しい悲鳴を何度も上げていた。将軍様の書庫で、読みたいと思ったけど諦めた書物が何冊もあった。今更ながら、佐敷ヌルは祖父のサミガー大主(うふぬし)に感謝した。
 ナンセン禅師は書物を見ながら喜んでいる佐敷ヌルを見て、琉球にも素晴らしい女子がいるものだと驚いていた。
 書物を手に取っては読んでいる佐敷ヌルを報恩寺に置いて、サハチはマツとトラを連れて首里グスクに向かった。途中にある旅芸人の小屋を覗くと、旅芸人たちは旅から帰っていて、お芝居の稽古に励んでいた。
「何なんだ、ここは?」とマツが聞いた。
 サハチが旅芸人たちの事を説明しているとウニタキ(三星大親)が現れた。
「おう、丁度よかった。お前に会いに行こうとしていたところだ」とウニタキはサハチに言った。
「いつ、帰って来たんだ?」
「昨日だよ」
 サハチはマツとトラにウニタキを紹介した。
「おう、ウニタキか。ツタがよろしくって言っていたぞ」
 ウニタキは笑って、「ツタか。会いたいな」と言ってから、「話がある」とサハチを誘って小屋の中に入った。
 小屋の中には大きな絵地図が壁に貼ってあり、旅芸人たちが行った村々に印がしてあった。
「佐敷ヌルが今、『小松の中将様』の台本を書いている」とサハチは言った。
「そうか。来年の正月には今帰仁(なきじん)で上演できそうだな」
「元旦は今帰仁にいたのか」
「ああ。帰って来ようかと思ったんだが、ウニタルはいないし、チルーはグスクの手伝いで忙しいだろうし、帰って来るのはやめたんだ。それに、山北王(さんほくおう)(攀安知)の反応を見たかったしな」
「山北王の反応?」
「ああ。山北王は鬼界島(ききゃじま)(喜界島)攻めに失敗したんだよ」
「やはり、失敗したか」
「半数の兵が戦死して、先代の与論按司(ゆんぬあじ)の若按司も戦死したようだ。おまけに進貢船もやられて、奄美大島(あまみうふしま)で修理をして、やっとの思いで帰って来たようだ」
「進貢船もやられたのか」
「ひどいもんだった。よくあれで帰って来られたもんだと思ったよ。敵の船に体当たりされたようだな」
「山北王が怒っただろう」
「かなりの剣幕(けんまく)だったようだ。奄美大島攻めに失敗したあと、山北王は伊平屋島(いひゃじま)を攻めた。今回も腹いせに何かをやるかもしれないと見守っていたんだが、何も起こらなくてよかった」
「そうか。それで、先代の与論按司はどうなったんだ?」
「進貢船を直せと命じられた。鬼界按司(ききゃあじ)になるはずだったのに、船の普請奉行(ふしんぶぎょう)に格下げだ。直す事ができなければ首が飛ぶだろう」
「山北王の怒りは治まったのか」
「湧川大主(わくがーうふぬし)が、夏になったら鉄炮(大砲)付きの船に乗って鬼界島を攻めると言ったら、何とか治まったようだ」
「今年は湧川大主が鉄炮で攻めるのか。テーラー(瀬底之子)も行くのか」
「いや、その話は出ていない。テーラーには中南部の事を調べさせるつもりなんだろう」
「そうか。ウニタルだが、ずっとサタルーと一緒にササたちと行動を共にして、熊野まで行って来たようだぞ。頼もしくなって帰って来た」
「ウニタルが将軍様の奥方様と一緒に熊野まで行ったのか」
「高橋殿に鍛えられて、酒も強くなったようだ」
「そうか。倅と一緒に酒を飲みながら旅の話でも聞くか」
 嬉しそうな顔をしてそう言うと、ウニタキは小屋から出て行った。
 サハチも小屋から出て、マツとトラを探した。二人は五人の舞姫たちと楽しそうに笑っていた。
 旅芸人たちと別れて、サハチはマツとトラを首里グスクに連れて行った。ずっと続いている高い石垣に二人は驚いて、グスク内に立つ龍天閣(りゅうてぃんかく)にも驚いた。龍天閣に登って、思紹(ししょう)(中山王)に二人を紹介して、眺めを楽しんでから百浦添御殿(むむうらしいうどぅん)(正殿)に行った。
「凄い御殿だな」とマツとトラは目を丸くして眺めていた。
「ここがお前の本拠地か」
「いや、親父の本拠地だよ」
「それにしても驚いた。お前の親父が琉球の王様になったと聞いていたが、まさしく、ここは王様の宮殿だな」
「十六歳の時のお前は小さな城の若様だったが、今は王様の跡継ぎか。朝鮮でいったら世子(セジャ)だな」
「あの時は佐敷グスクの若按司だった。あとで連れて行くよ」
 南の御殿(ふぇーぬうどぅん)に行ったら、ユリたちがお祭りの準備をしていて、ササたちもいて、佐敷ヌルもいた。佐敷ヌルはユリたちに任せるつもりでいたが、顔を出したら、やはり気に入らない所が目についたらしい。厳しい顔をして、女子サムレーたちにお芝居の演技指導をしていた。
 サハチたちもお祭りの準備を手伝った。
 翌日、遊女屋(じゅりぬやー)の『宇久真(うくま)』で、シーハイイェンたちの送別の宴(うたげ)が行なわれた。旧港(ジゥガン)(パレンバン)の使者たちと通事のワカサ、シーハイイェンとツァイシーヤオとシュミンジュンを招待して、思紹とサハチ、ファイチ(懐機)とウニタキ、ササとシンシンとナナ、シンゴとマツとトラ、クルシ(黒瀬大親)とマグサ(孫三郎)、ヂャンサンフォン(張三豊)と慈恩禅師も参加した。サタルーも顔を出したので、サハチは驚いて、「お前、まだいたのか」と聞いた。
源五郎親方に瓦(かわら)の焼き方を教わっていたのです」とサタルーは言った。
「瓦の焼き方なんか教わってどうするんだ。奥間(うくま)で瓦を焼くのか」
「瓦じゃありませんよ。壺(ちぶ)とか鉢(はち)とかを焼くんです。ヤマトゥで焼き物(むん)で有名な『瀬戸』という所まで行って、焼き物を焼く窯(かま)を見てきたんです。首里で瓦を焼いていると聞いたので、行ってみて、親方から色々と教わったんですよ。親方は瓦だけでなく、壷や鉢も焼いた事があるんです」
「ほう。お前、奥間で焼き物をするつもりなのか」
「明国の焼き物は高価ですからね、庶民の手には入りません。それで、奥間の者たちに焼き物をやらせようと考えたのです。炭焼きの者たちはいますからね。あとは窯を作って、いい土を見つけるだけです」
「焼き物か‥‥‥お前も色々と考えているんだな。ヤマトゥ旅を無駄にしなかったようだな。見直したぞ」
「親父に褒められたら照れますよ」とサタルーは照れ臭そうな顔をして、
「ここは凄い所ですね」と言って、並んで座っている綺麗所(きれいどころ)を眺めた。
 思紹の挨拶をファイチが明国の言葉に訳して、宴が始まった。旧港の使者やジャワ(インドネシア)の使者の接待をするようになって、女将のナーサは遊女(じゅり)たちに明国の言葉も習わせていた。物覚えのいい二人の遊女が、何とか会話ができるようになって、使者たちの相手を務めた。ヤマトゥ言葉をしゃべれる遊女は何人もいた。
 マツとトラは驚いた顔をして、
「まるで、龍宮だな。美しい乙姫(おとひめ)様が何人もいる」と顔を見合わせた。
「俺が若い頃、対馬に行って、一緒に遊んだ仲間なんだ」とサハチはマユミに言った。
「あら、サイムンタルー様の御家来なんですね」
「お屋形様と一緒にずっと朝鮮にいたんだよ」とトラが言った。
「すると朝鮮の言葉もしゃべれるのですね」とトラの前にいる遊女、ヤマブキが聞いた。
「しゃべれるとも。最初は苦労したが、女を口説くために必死に覚えたんだ」
「うまく行ったのですか」とマツの前にいるミカサが聞いた。
「うまく行ったさ、なあ」とトラがマツに言った。
「いや、お前の言葉は全然、通じなかった」とマツは首を振った。
「何だと?」
「あとになって聞いたんだよ。俺たちは通じたものと思っていたけど、何を言っているのかさっぱりわからなかったと言っていた。でも、そこは男と女だ。言葉が通じなくても、心は通じたのさ」
「二人とも朝鮮に奥さんがいるのですね」とヤマブキが聞いた。
対馬にもいるよ」とサハチは言った。
「お前だって、琉球対馬に奥さんがいるだろう」
「ああ。孫もいるよ」とサハチが言ったら、マユミが笑って、
「もうお爺ちゃんですね」と言った。
「俺たちが朝鮮に行った時、ユキちゃんは十歳だった。母親に似て可愛い娘だった。その娘がお屋形様の息子と結ばれたなんて信じられなかったよ。お屋形様の息子は離れた所で暮らしていたんだ。まさか、二人が出会って結ばれるなんて奇跡だと思った。そして、ユキちゃんの娘がまた可愛い娘だ」
「ミナミちゃんでしょ」とミカサが言った。
「知っているのか」とマツが聞いた。
 ミカサはうなづいて、
「会同館(かいどうかん)で行なわれた御婚礼の宴で拝見いたしました。本当に可愛い天女のような娘さんでした」と言った。
 マツとトラがミカサとヤマブキを相手に朝鮮の事を話し始めたので、サハチは慈恩禅師と話しているワカサの所に行った。
 ワカサは勝連(かちりん)で息子に会えたと言った。
「息子と一緒に勝連の近くにある島々を巡って、楽しい一時を過ごしました。もう、あいつも一人前です」
 ワカサは満足そうな顔をして酒を飲んだ。
 ササたちと話をしているシーハイイェンの所に行って、「今回は琉球にいる時間が少なかったな」と言うと、
「ササたちと一緒に熊野に行ったり、対馬に行ったりしたので、楽しかったです」と言った。
「今年の夏はメイユー(美玉)さんと一緒に来ようと思っています。そしたら、たっぷりと琉球で過ごせます」
「ワカサ殿にも言ったが、王様を説得して琉球に来てくれ」
「はい」とシーハイイェンは笑ってうなづいた。
「まだ聞いていなかったが、奄美のどこに寄って来たんだ」とサハチはササに聞いた。
「まず、硫黄島(いおうじま)を見てきたのよ。按司様(あじぬめー)、知っていた? 坊津(ぼうのつ)と口永良部島(くちぬいらぶじま)の間に煙を上げている硫黄島があるのよ」
「ヤマトゥに行く時に見た事がある」
「何だ、知っていたんだ。あたしも何度か遠くから見た事はあったんだけど、近くまで行ったら凄い島だったわ。その島で硫黄を採って、明国との交易に使っていたんですって。硫黄島を見たあとはいつもの通り、トカラの島々を通って、宝島から奄美大島に渡ったわ。あたしたち、ヤマトゥから来た倭寇の振りをしたのよ。ヤマトゥの着物を着て、サタルーたちはヤマトゥ風の髷(まげ)を結ったのよ。クルシさんの案内で、浦上(うらがん)という港に入ったわ。孫六という按司のようなのがいて、しきりに今帰仁に行けって言っていたわ。マツさんとトラさんが対馬に隠れていた平家の子孫の振りをして、うまく孫六をだましていたのよ。朝鮮と交易をしていると言ったら驚いて、二人が朝鮮の言葉をしゃべったら、すっかり、話を信じてしまったみたい。二人のお陰で、あたしたちは平家の事を色々と調べる事ができたのよ」
 サハチは笑って、
「あの二人がそんなお芝居を演じたのか」と遊女を口説いているマツとトラを見た。
「うまかったわよ。きっと、朝鮮にいた時も、あんな調子で朝鮮の人たちをだましてきたに違いないと思ったわ」
 サハチの笑いは止まらなかった。
「浦上のあとは加計呂麻島(かきるま)の諸鈍(しゅどぅん)に行ったの。安徳天皇の偽者が隠れていたという鬼界島にも行きたかったけど、孫六から、山北王との戦で気が立っているからやめた方がいいと言われて、行くのはやめたわ」
安徳天皇の偽者?」
「鬼界島に隠れたのは偽者だったのよ。でも、島の人たちは偽者とは知らないで、ずっと、本物だと信じてきたらしいわ。きっと、今も偽者の子孫がいて、その子孫を守るための団結は強いと思うわ。だから、山北王の兵も負けたのよ」
「そうかもしれんな。本物はどこに逃げたんだ?」
「それはわからなかったわ。小松の中将様が言うには、結界(けっかい)が張られて、隠されてしまったと言っていたわ」
「結界か‥‥‥」
加計呂麻島の諸鈍でも、マツさんとトラさんの活躍で、小松殿から色々と聞く事ができたのよ。マシュー姉(ねえ)(佐敷ヌル)がとても喜んでいたわ」
「そうか」と言ってから、サハチは馬天ヌルの話を思い出した。
「お前のお母さんから聞いたんだけど、朝盛法師(とももりほうし)は亡くなる前に、ヤマトゥに帰ったらしい、やり残した事があると言って帰ったらしいが、その結界を張ったのは朝盛法師ではないのか」
「えっ!」とササは驚いて目を丸くした。
「お母さんはその事を誰から聞いたの?」
「舜天(しゅんてぃん)の神様だよ」
「えっ、お母さんが舜天の神様に会ったの?」
「舜天はお前にお礼を言ったそうだ」
「お母さん、舜天の神様に会ったんだ‥‥‥」
「朝盛法師の神様にも会ったと言っていたぞ」
「えっ、朝盛法師にも‥‥‥やっぱり、お母さんは凄いわ」
 ササは驚いた顔をしたまま首を振っていた。
「お母さんもお前は凄いって言っていたよ」
 サハチとササの隣りではサタルーがナナを口説いていた。サハチが睨むと、サタルーは違いますというように手を振った。シンシンはどこに行ったのかと見渡したら、シーハイイェンと一緒にヂャンサンフォンの所にいた。

 

 

 

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