長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

2-190.パティローマ(改訂決定稿)

 トンド王国(マニラ)に滞在した四か月はあっという間に過ぎて行った。
 都見物を楽しんだあと、ササ(運玉森ヌル)たちはアンアン(トンドの王女)たちと一緒に川の上流にある大きな湖に行った。湖には王様の離宮があって、そこに滞在して舟遊びをして楽しんだ。
 トンド湾(マニラ湾)の沖にある『ルバング島』にも離宮があって、その島にも行って半月ほど滞在した。二月だというのに夏の日差しで、ササたちは海に潜って魚や貝を捕って遊んだ。
 ルバング島よりもっと遠くにある『パラワン島』にも、佐伯(さえき)新十郎の船に乗って行った。パラワン島に行く途中、大小様々な島がいくつもあった。島々を行き来している小舟も多く、小舟を操るのが生活の一部になっているようだった。
 パラワン島には砂金を採っている日本人がいた。円通坊(えんつうぼう)という彦山(ひこさん)(英彦山)の山伏で、新十郎の親戚だった。新十郎と一緒にトンドに来て、島々を巡った時、パラワン島で彦山権現のお告げを聞いて、パラワン島に金(きん)がある事を確信したという。
 ササたちは円通坊に教わって砂金採りに熱中した。一日掛かりでも、ほんの少しの砂金しか採れず、根気のいる仕事だった。パラワン島の周辺には定住しないウミンチュ(海洋民族)たちが多くいて、砂金を採ってくれるのはいいが、食料と交換すると、どこかに行ってしまうと円通坊はぼやいていた。
 パラワン島だけでなく、砂金が採れる島はいくつもあって、トンドのあるルソン島でも金が採れた。ルソン島には金塊が採れる山もあって、そこは王様が管理していて、誰も近づけないという。
 アンアンたちも一緒に行って、身分を隠していたので、円通坊とアンアンがいい雰囲気になっていた。二人は現地語で話をしていた。円通坊はパラワン島に来て三年余りが経つので現地語がわかり、アンアンは山の砦にいた頃から現地語を話していた。山の砦で鍛えていた若者たちは現地人が多かった。
 ササたちはアンアンと円通坊がうまく行けばいいと願ったが、アンアンの正体を知ったら、円通坊がどういう態度に出るかはわからなかった。
 ササたちがパラワン島にいた時、ユンヌ姫たちが戻って来た。ヤマトゥ(日本)に行った交易船が無事に帰って来た事と、マグルー(サハチの五男)とマウミ(ンマムイの長女)、ウニタル(ウニタキの長男)とマチルー(サハチの次女)の婚礼の事をササたちに知らせた。
 マサキ(兼グスク若ヌル)が姉のマウミの婚礼を喜んでいたので、「あなた、ユンヌ姫様の声が聞こえるの?」とササが聞いた。
「えっ?」とササを見たマサキは、「聞こえたわ」と言って、チチー(八重瀬若ヌル)、ウミ(運玉森若ヌル)、ミミ(手登根若ヌル)、マユ(安須森若ヌル)を見た。
 四人の若ヌルたちも、聞こえたと言った。
 ササは若ヌルたちを見て、「みんな、神人(かみんちゅ)になったのね」と喜んだ。
 若ヌルたちはポカンとした顔をしてお互いの顔を見ていたが、嬉しそうに笑うと飛び上がって喜んだ。シンシン(杏杏)とナナ、安須森(あしむい)ヌル(先代佐敷ヌル)と玻名(はな)グスクヌルも、よかったわねと喜んでいた。
豊玉姫(とよたまひめ)様は『瀬織津姫(せおりつひめ)様』の事を知っていたの?」とササはユンヌ姫に聞いた。
「お祖母(ばあ)様は知っていたわ。ヤマトゥに行って気づかなかったのに、南の島(ふぇーぬしま)に行って、瀬織津姫様の事を知るなんて信じられないって驚いていたわ」
瀬織津姫様は琉球の人だったの?」
「そうなのよ。やっぱり、わたしたちの御先祖様だったのよ」
 ササと安須森ヌルは手を打ち合って喜んだ。
瀬織津姫様は垣花(かきぬはな)のお姫様だったのよ。今の垣花じゃなくて、昔、都だった垣花よ。瀬織津姫様は石器を作る堅い石を求めて、貝殻を持ってヤマトゥに行ったのよ。当時はまだヤマトゥの国はなくて、『倭人(わじん)』と呼ばれていた人たちがヤマトゥのあちこちで暮らしていたみたい。瀬織津姫様は貝殻の交易で成功して、倭人たちに尊敬されて、倭人の神様になったのよ」
瀬織津姫様は貝殻の交易をしていたんだ」とササは納得したような顔をして、「それで、瀬織津姫様のガーラダマ(勾玉)は琉球にあるの?」と聞いた。
「お祖母様はその事を教えてくれなかったわ。ササが帰って来たら、詳しい事を教えるって言っていたわよ」
「きっと、あるわよ」と安須森ヌルは言った。
「そうね」とササはうなづいた。
 パラワン島から帰ったササたちは帰りの準備を始めた。ヤマトゥの刀と大量の砂金を交換して船に積み込んだ。砂金は思っていたよりもかなり重かった。
 お世話になった人たちにお別れを告げて、ササたちは四月の半ば、ミャーク(宮古島)の船と一緒にパティローマ(波照間島)に向かった。アンアンも琉球に行ってみたいと言って、王様の許しを得て、一緒に付いて来た。
 ミャークの船を先頭に、ササたちを乗せた愛洲(あいす)ジルーの船、アンアンの船と三隻の船が南風を受けて、ルソン島を北上して行った。崖に囲まれた島まではターカウ(台湾の高雄)から来た航路を戻って、そこから黒潮を超えてパティローマを目指した。黒潮を超えたあと、アンアンの船がはぐれてしまったが、ユンヌ姫たちが見つけて、無事に合流する事ができた。
 四日間、海しか見えない広い海原を進んで、トンドを出てから十二日目、ようやく、パティローマが見えてきた。ミャークの船は慣れていて、先導してくれたので、ジルーたちも助かっていた。何度もトンドに行っているクマラパとムカラーも、黒潮に流されると方向を見失ってしまうので恐ろしいと言っていた。パティローマが見えるとホッとして、いつも神様に感謝しているという。
「ただ、パティローマに向かっている海流もあって、うまくそれに乗ると信じられない速さでパティローマに着くとアコーダティ勢頭(しず)は言っていた。わしは経験がないがのう」とクマラパは言った。
「マシュク按司ってどんな人ですか」とササはクマラパに聞いた。
「トンドに来ていた倅のプルキが親父によく似ているよ。わしがアコーダティ勢頭と初めてパティローマに行った時、マシュク按司も若かった。二度目にトンドに行った時、マシュク按司も一緒に行ったんじゃよ。トンドの都を見て、腰を抜かすほどに驚いておった。その後も何度もトンドに行っている。パティローマはトンドに行ったマシュク按司たちによって発展してきたんじゃよ」
「マシュク按司琉球にも行っているんでしょう?」とナーシルがクマラパに聞いた。
「一番最初の時に行ったんじゃ。ナーシルのお母さんと一緒に行ったんじゃよ。そのあと、ブドゥマイ(大泊)按司とペミシュク按司も行っている。最後の年にはマシュクのブーパーが行った。『ブーパー』というのはミャークでいう『ウプンマ』の事じゃ。ヌルじゃよ。プルキの姉でな、琉球から帰って来て娘を産んでいる。娘の父親は琉球人(りゅうきゅうんちゅ)だそうじゃ」
「えっ!」とササが驚いて、「パティローマにも琉球の娘がいるのですか」と言った。
「父親は誰なんですか」と安須森ヌルが聞いた。
「浮島(那覇)で出会った頭のいい酔っ払いだと言っていた」
「浮島の酔っ払い?」
「唐人(とーんちゅ)の言葉がしゃべれるそうだから通事(つうじ)じゃないのか」
 安須森ヌルは安心した。もしかしたら、兄のサハチではないかと疑ったのだった。
「パティローマは『佐田大人(さーたうふんど)』にやられたんじゃよ。西側にあった村は奴らに襲われて全滅したんじゃ。幸い、一晩で去って行ったが、それでも百人余りは殺されたじゃろう。連れ去られた娘たちもいたようじゃ」
 しばらく忘れていた佐田大人の名を聞いて、ササと安須森ヌルはパティローマで『鎮魂の曲』を吹かなければならないと思った。
 パティローマの南側に白い砂浜が見えたが、そこから上陸する事はなく、船は島の東側を回って行った。東側は高い崖が続いていた。島の北側に回ると崖の上にグスクの石垣が見えた。
「あれがマシュクのグスクじゃ」とクマラパが言った。
「佐田大人が攻めて来る前はあんな石垣はなかったんじゃが、佐田大人に攻められたあと、村を守るために築いたんじゃよ」
 マシュクのグスクの先にもう一つグスクがあった。そのグスクの下に砂浜があって、小舟がいくつも泊まっていた。砂浜には武装した兵たちの姿もあった。
 ミャークの船から小舟が砂浜に向かって行った。マフニとプルキとブドゥマイの若按司が乗っていた。しばらくして、武装した兵たちは引き上げて、何艘もの小舟がササたちの船に向かってやって来た。ササたちは上陸した。
 浜辺にマシュク按司とブドゥマイ按司がいて、ササたちを歓迎してくれた。ドゥナン島(与那国島)のドゥナンバラ村のラッパと娘のフー、ダティグ村のアックと娘のユナパの姿もあって、ササたちは再会を喜んだ。ナーシルは一緒に琉球に行ってくれるのねとフーとユナパの手を取って喜んでいた。ユンヌ姫が琉球から帰って来た時、ユウナ姫に琉球に行きたい人はパティローマまで来るようにと告げたので、それを聞いてラッパたちはやって来たのだった。
 マフニはラッパとフーと三年振りの再会を喜んでいた。アンアンたちも上陸してきた。
琉球の王様の娘とトンドの王様の娘が一緒に来るなんて、なんて光栄な事じゃろう。島をあげて歓迎いたします」とマシュク按司が言ったが、ササたちには言葉がわからなかった。
 一緒にいたブドゥマイのブーパーが訳してくれた。ブーパーは琉球の言葉がしゃべれた。琉球に行ったのですかと聞いたら首を振って、神様から教わったと言った。
 パティローマにも『宮古館』があるので、船から降りた人たちは、ブドゥマイ若按司とプルキの案内で『宮古館』に向かった。
 ササたちは『パティローマ姫』に挨拶するために古いウタキ(御嶽)に向かった。パティローマではウタキの事を『ワー』と言い、パティローマ姫のワーはブドゥマイのグスクの中にあるという。
 ブドゥマイのブーパーの案内で、ササたちはグスクに入った。タキドゥン島(竹富島)のグスクと同じだった。屋敷の周りを石垣で囲んであるので、屋敷の庭をいくつも通り抜けて行かなければならなかった。見慣れぬ女たちがぞろぞろと庭を通って行くので、住人たちは驚いていた。ブーパーの話を聞いて、さらに驚いているようだった。
 パティローマ姫のワーは一番奥の高台の上にあった。ササたちはお祈りを捧げた。
スサノオ様を連れて来てくれて、ありがとう」とパティローマ姫はお礼を言った。
「この島にもスサノオ様はいらしたのですね?」とササが聞いた。
「三度もいらしてくれたわ。二度目は豊玉姫様をお連れになって、三度目はホアカリ様をお連れになったのよ」
「ホアカリ様を御存じでしたか」
「わたしも若い頃にヤマトゥに行った事があるのよ。すでに豊姫(とよひめ)様はお亡くなりになって、息子さんが大王(だいおう)様になっていたわ。大王様もかなりの年齢だったけどお元気で、御先祖様のお話をして下さったの。ホアカリ様は三代目の大王様なのよ。ホアカリ様が亡くなったあと、ホアカリ様の息子さんでは多くの国をまとめられないので、玉依姫(たまよりひめ)様が四代目の大王様になったわ。玉依姫様が亡くなったあと、ホアカリ様のお孫さんが五代目の大王様になったんだけど、五代目の大王様に嫁いだのが豊姫様なの。豊姫様は五代目が亡くなったあと、六代目として女王様になるのよ。そして、豊姫様の息子さんが七代目の大王様になったの」
玉依姫様が四代目の大王様だったのですか」
「そうよ。玉依姫様はヤマトゥの国の筑紫(つくし)の島(九州)の女王様だったの。でも、元々は筑紫の島の王様は玉依姫様の弟のミケヒコ様なの。日巫女(ひみこ)という名前の通り、玉依姫様は巫女として弟の王様を助けていたのよ。弟が亡くなったあとに、玉依姫様が筑紫の女王様になったの。ヤマトゥの国はいくつもの国をまとめてできた国なのよ。それぞれの国に王様がいて、王様たちをまとめていたのが大王様なの。初代の大王様はスサノオ様で、二代目はサルヒコ様なの。サルヒコ様が亡くなったあと、ヤマトゥの国は分裂してしまうわ。当時、出雲(いづも)におられたホアカリ様は筑紫の島に来て、母親の玉依姫様と一緒に筑紫の島を平定するの。そのあと東へと向かって各地を平定して、奈良という所にあるサルヒコ様の都に入って、三代目の大王を継いだのよ。そして、ホアカリ様が亡くなったあと、四代目の大王になったのが玉依姫様だったのよ。玉依姫様は跡継ぎに、ミケヒコ様の曽孫(ひまご)の豊姫様を選んで、ホアカリ様の跡を継いだ孫のアシナカヒコ様の妻として、奈良に送り出したのよ。豊姫様は玉依姫様に負けないくらい、シジ(霊力)が高かったようだわ。豊姫様が女王様になって、ようやく、ヤマトゥの国は一つにまとまったのよ」
「凄いですね」と安須森ヌルは感心していた。
「豊姫様の息子さんの大王様から聞いたお話なのですね?」
「そうなんだけど、本当はよく理解できなかったの。スサノオ様からお話を聞いて、やっと理解できたのよ」とパティローマ姫は笑った。
瀬織津姫様の事は御存じないですよね?」とササが聞いた。
スサノオ様から聞いたわ。あなたたちが調べているってね。残念ながら、わたしは知らないわ」
「パティローマ姫様がこの島にいらした時、この島はどんな様子だったのですか。南の国(ふぇーぬくに)から来た人たちが住んでいたのですか」と安須森ヌルが聞いた。
「わたしはイリウムトゥ姫の娘だからクン島(西表島)から来たんだけど、この島にもクルマタの人たちが住んでいたのよ。クルマタの言葉は学んできたので、島の人たちとすぐに仲良くなれたわ。わたしはクルマタの若者と結ばれて子孫を増やしたのよ。でも、わたしが亡くなったあと、大きな津波がやって来て、島の人たちのほとんどが流されてしまったの。わたしの娘も流されてしまったわ。幸いに孫娘は助かって島を再建したのよ」
「その津波というのはミャークを襲った津波ですか」
「多分、違うと思うわ。クン島もそれ程の被害はなかったの。この島だけが大きな被害に遭ったのよ。わたしの娘は島の中央に新しい村を作ったんだけど、その村はなくなってしまったわ。『熊野権現(くまぬごんげん)』の近くに娘のワーがあるから寄ってみてね」
「この島にも熊野権現があるのですか」とササたちは驚いた。
「ターカウの熊野権現の山伏が来て、島の中央にある丘の上に祠(ほこら)を建てたの。スサノオ様たちがいらした時、そこで歓迎の宴(うたげ)を開いたのよ。今ではあの辺りは畑になっているけど、娘が村を造った頃は密林が続いていたわ。娘は木を切り開いて村を造ったのよ。でも、あそこは水の確保が難しくてね、村は再建されなかったわ」
「佐田大人が攻めて来た時に全滅した村があったと聞きましたが、どこの村なのですか」とササが聞いた。
「西方(いりかた)の村よ。佐田大人はニシハマ(北浜)から上陸したの。近くにあったミシュク村は全滅したのよ。ひどかったわ。上陸した佐田大人は大勢の兵で村を囲んで、食料を出させて、娘たちに乱暴したのよ。異変に気づいたカンチ村とユナチ村のブリャが助けに向かったけどやられてしまったわ」
「ブリャって何ですか」
「ブリャは村長(むらおさ)の事よ。按司って呼ばれる前はブリャって呼ばれていたの。カンチ村とユナチ村のブリャにやられた佐田大人の兵もいて、佐田大人は怒って、隣り村のヤグ村を攻めたわ。でも、ヤグ村のブリャが村人たちを逃がしたので、殺される人はいなかったけど、村は焼かれてしまったわ。ミシュク村の北にあるトンドから来た人たちが住んでいたイナサイ村も全滅してしまったのよ。島の人たちは一晩中、恐怖に震えながら守りを固めていたの。幸いに、佐田大人は翌朝に去って行ったわ。皆、ホッとしたけど、ミシュク村とイナサイ村は悲惨だった。焼け焦げた死体がゴロゴロと転がっていたわ。百人近くも殺されたのよ」
「連れ去られた娘たちはミャークに行ったのですか」
「そうよ。目黒盛(みぐらむい)によって佐田大人が滅ぼされたあと、何人かが島に戻って来て、村を再建したけど、佐田大人の兵たちの子供を産んだ娘たちも多くいて、恥ずかしくて島に戻れないと言って帰って来なかったのよ。でも、ミャークに残った娘たちも子供を立派に育てて、今では孫たちもいるわ。船乗りになってこの島に来た息子もいるのよ」
「佐田大人はムーダンの女を連れていませんでしたか」と安須森ヌルが聞いた。
「連れていたわ。残虐な女よ。ミシュク村のブーパーはその女に殺されたわ。ブーパーが殺されて怒った村人たちが戦ったけど、ヤマトゥの武器には勝てなかった。刃向かった者たちは皆、殺されてしまったの。そして、村を去る時、子供や年寄りも殺して、村に火を付けたのよ。あれから三十年が経って村も再建されたわ。二度とあのような悲劇が起こらないように、どこの村も石垣で囲んで、ヤマトゥの刀や弓矢も手に入れたのよ」
 パティローマ姫と別れて、ブドゥマイのグスクを出て、ササたちは宮古館に向かった。宮古館はブドゥマイ村とマシュク村の中程にあって、それ程高くない石垣に囲まれていた。庭は広くて、小屋がいくつも建っていた。船から降りた人たちは思い思いの所に座って休み、島の女たちは忙しそうに歓迎の宴の準備をしていた。
 ササたちはブドゥマイのブーパーに案内された小屋の中で休んだ。ササと安須森ヌルはブドゥマイのブーパーと一緒に『マシュクのブーパー』に会いに行った。
 慣れた手つきで大きな魚をさばいていたマシュクのブーパーは安須森ヌルと同年配に見え、二十歳くらいの娘がいた。
「イシャナギ島(石垣島)のマッサビ様と一緒に琉球に行ったのですか」と安須森ヌルが聞いたら、
「そうなんです」とマシュクのブーパーは楽しそうに笑った。
琉球に行ったわたしは驚いてばかりいて、マッサビ様とリーミガ様のあとを付いてばかりいました。浮島に行った時、浜辺でお酒を飲んでいたあの人と出会ったのです。この娘(こ)の父親ですよ。会った途端、この人だわと思ったの。マッサビ様とリーミガ様に相談したら、運命の人に違いないと言ってくれたの。わたしは帰るまで、その人と一緒に暮らしたわ。その人は久米村(くみむら)の安宿で暮らしていたのよ。その人は毎日、お酒ばかり飲んでいたけど、わたしはとても幸せだったわ」
「その人は通事だったの?」
「よくわからないけど、唐人の言葉はしゃべれたわ。二年余り明国(みんこく)に行っていて、帰って来たら父親が亡くなっていたらしいの。知らないうちに弟が跡を継いでしまって、自分が帰る場所はないって悔しがっていたわ。それで、毎日、お酒を飲んでいたみたい。でも、わたしと一緒にいるうちに、お酒の量も減ってきて、悲しみから立ち直れたみたいだったわ。もう一度、明国に行って色々と学んでくると言っていたわ」
「ちょっと待って」と安須森ヌルが言った。
「その人の名前は『サングルミー』じゃないの?」
「そうです。知っているのですか」
 安須森ヌルは驚いてササを見た。ササも驚いていた。
「サングルミー様は中山王(ちゅうざんおう)の使者として何度も明国に行っているわ」
「えっ、あの人が中山王の使者になったのですか」
「そうですよ。使者の中でも一番優秀な人なのよ。以前、わたし、聞いた事があるの。独身のままなので、どうして、お嫁さんをもらわないのかって。そしたら、若い頃、好きになった人がいて、その人の事が忘れられないって言っていたわ。わたしはその人は亡くなってしまったのか、誰かに嫁いでしまったのだと思って、それ以上は聞かなかったけど、その人の名前を教えてくれたの。思い出そうとしているんだけど、思い出せないのよ。ただ、星の名前だったような気がするわ」
「ペプチ」とマシュクのブーパーは言った。
「そう、それよ。ペプチだったわ」と安須森ヌルは思い出した。
「ペプチはわたしの名前です。南の星(ふぇーぬふし)という意味です」
「サングルミー様は今でもペプチさんの事を想っていますよ」とササが言うと、ペプチは目を潤ませて、「会いたいわ」と言った。
 歓迎の宴で、久し振りにおいしい料理を食べて、お酒も飲んで、船旅の疲れを取った。
 次の日はペプチの娘、『サンクル』の案内で熊野権現に行った。この島で一番高い所だというが、ちょっとした丘で、津波に襲われたというのもうなづけた。ササと安須森ヌルは『鎮魂の曲』を吹いた。
 熊野権現より東側は密林が続いていて、村はなかった。西側にある森の中に『二代目パティローマ姫』のワーがあった。お祈りを捧げると二代目パティローマ姫の声が聞こえた。
「すばらしい曲をありがとう。亡くなった人たちが皆、感動していたわ。わたしのせいで大勢の村人たちを死なせてしまって、わたしなんかが神様になる資格なんてないんだけど、島の人たちはわたしを祀ってくれたのよ。亡くなった人たちのためにも、わたしはこの島の人たちを守らなければならなくなったわ。そして、わたしは精一杯守ってきたつもりよ」
「佐田大人の時はどうだったのですか」とササは二代目パティローマ姫に聞いた。
 安須森ヌルもその事を聞きたかったが、神様が怒ると思って聞けなかった。さすが、怖い物知らずのササだわと感心していた。
「やはり、その事を聞いてきたわね」と二代目パティローマ姫は軽く笑った。
「あの時はわたしも驚いたわ。あんな凶暴な人間がいるとは思わなかったわ。ミシュク村の人たちを助けられなかったのは、わたしの失策だったけど、佐田大人を追い出す事には成功したのよ。この事は初めて言うんだけど、佐田大人はムーダンの女の言いなりだったわ。ムーダンの女はネズミ嫌いだってわかったので、眠っている所にネズミたちに行ってもらったのよ。女は大騒ぎして、さっさとこの島から出て行くって決めたのよ」
「ムーダンの女はネズミ嫌いだったのですか」とササは笑ってから、「ミャークの人たちにも教えてあげればよかったのにね」と言った。
「ウパルズ様に伝えたわよ。でも、台風でお船がやられて、ミャークから出て行く事ができなくなって、ムーダンの女は高台にある高腰(たかうす)グスクに逃げたのよ」
「そうだったのですか」
 ササはウパルズ様がネズミの事を言っていたのを思い出した。その時、少し気になったけど、驚く事が多すぎてネズミの事は忘れてしまった。ウパルズ様はネズミの事をクマラパに言ったに違いない。でも、クマラパは佐田大人を利用するために追い出さなかったのだった。
 これからも、この島の人たちをお守り下さいとお願いして、ササたちは二代目パティローマ姫と別れた。
 二代目パティローマ姫のワーから西に行くと、石垣に囲まれたユナチ村とカンチ村があって、その西にヤグ村があった。佐田大人に焼かれたヤグ村も石垣に囲まれていて、村は再建されていた。ヤグ村の南にペミシュク村があって、ヤグ村の西、海の近くにミシュク村があった。ミシュク村も石垣に囲まれていた。
 ミシュク村を再建したのは戦死したブリャの孫、アガポだった。当時、十一歳だったアガポは若ブリャだった父親に言われて、敵兵に包囲されていた村から抜け出してユナチ村のブリャに助けを求めた。ユナチ村のブリャは島一番の勇者だった。ユナチ村のブリャはカンチ村のブリャと一緒に、腕自慢の若者たちを引き連れて、ミシュク村を助けに行ったが戦死してしまう。
 家族を失ったアガポはユナチ村で育って、嫁を迎えるとミシュク村に戻って村の再建を始めた。やがて、アガポを手伝う若者たちが集まって来て、若者たちによって、新しいミシュク村ができた。アガポは村長(むらおさ)として按司を名乗った。当時の若者たちも四十歳を過ぎて、何人かの孫も生まれていた。
 ササたちはミシュク村に寄って按司から再建の苦労話を聞いて、佐田大人が上陸したニシハマに行った。
 白い砂浜が続くニシハマは、そんな恐ろしい事が起こったなんて信じられないほど静かで美しい浜だった。若ヌルたちはキャーキャー騒ぎながら綺麗な海に入って行った。

 

2-189.トンドの新春(改訂決定稿)

 琉球から遙か離れたトンド王国(マニラ)では、ササ(運玉森ヌル)たちが新年を迎えていた。お正月といっても、トンドは琉球よりもずっと暖かかった。
 宮殿の敷地内にある客殿に滞在しているササたちは、『宮古館』で出会ったツキミガとインミガを宮殿に連れて行って、アンアン(トンドの王女)に紹介した。二人も一緒に客殿に滞在する事になった。
 ササたちはトンドの都見物を楽しんだ。トンドには様々な人たちが暮らしていた。宮殿の周りには唐人(とーんちゅ)たちが住み、宮殿の東側に日本人町があり、『宮古館』はその南にある。朝陽門(ちょうようもん)(東門)の近くにインドゥ人の住む町があり、その南側にチャンパ人(ベトナム人)の住む町があった。南薫門(なんくんもん)(南門)の近くにタージー人(アラビア人)の住む町があり、その北にブルネイ人(ボルネオ島人)の住む町があった。順天門(じゅんてんもん)(西門)の周辺には現地の人たちが暮らしていた。
 大きなお寺がいくつもあって、仏教のお寺には金色に輝く様々な仏像が安置されていた。道教のお寺にも金色に輝く様々な神様が安置されていた。ササたちは琉球のお寺にある仏像を思い出して、琉球の仏像も金色にした方がいいと思った。インドゥのお寺は派手な色で飾られ、奇妙な神様がいっぱいいた。タージーのお寺には神様も仏様もいなかった。それでも決まった時間になると大勢の信者が集まって来て、お祈りを捧げていた。
 海賊チェンジォンジー(陳征志)退治のお陰で、ササたちは有名になっていて、現地人たちのササたちを見る目が変わっていた。シンシン(杏杏)の通訳によると、チェンジォンジーがいなくなって、皆が喜んでいるという。ウミンチュ(漁師)たちもチェンジォンジーの妨害にあって漁ができなかったらしい。
 チェンジォンジーを退治したのは女海賊の『ヂャンジャラン(張嘉蘭)』なのだが、ヂャンジャランを知っている人は少なく、ササたちがチェンジォンジーを退治したと思っている人が多かった。シンシンがその事を説明しても、なかなか信じてもらえなかった。ヂャンジャランの手柄を横取りしたような感じで、ヂャンジャランに悪いような気がした。
 アンアンと一緒に山の砦にも行って来た。思っていたよりも山の奥で、途中にいくつも見張り台があって、充分に警戒していた様子がわかった。
 山の砦では大勢の若者たちが武芸の稽古に励んでいた。アンアンに頼まれて、ササたちは若者たちを鍛えて、その日は山の砦に泊まった。焚き火を囲んで、若者たちと一緒にお酒を飲んで語り合った。語り合うといっても言葉が通じないので不便だった。今後のためにも、唐人の言葉を覚えた方がいいわねとササたちはシンシンから言葉を教わる事にした。
 十二月の二十日を過ぎると、港に船が続々と入って来て、都も賑やかになってきた。広州から来る海賊か多かった。チェンジォンジーがいなくなったので、例年以上の海賊たちがやって来たらしい。海賊といっても武装した商人たちで、法を犯して密貿易をしているので海賊と見なされていた。
 トンドの王様が明国に送った進貢船(しんくんしん)も帰って来た。使者として明国に行ったのはアンアンの兄のヤンラン(洋然)だった。ヤンランは順天府(じゅんてんふ)(北京)まで行って、順天府の会同館で琉球の使者のサングルミー(与座大親)と会ったという。同い年のクグルー(泰期の三男)と仲良くなって、一緒に都見物をして、一緒にお酒を飲んで語り合ったと楽しそうにシンシンに言った。明国の言葉がしゃべれるクグルーをササは羨ましく思った。
 ヤマトゥ(日本)の倭寇(わこう)もやって来た。ササたちは日本人町の『倭館』に行って、倭寇に挨拶をした。五隻の船を率いて来た『佐伯(さえき)新十郎』というお頭は、豊後(ぶんご)の国(大分県)の大友氏に仕えている倭寇だった。豊後の国と言われてもどこだかわからないので聞くと、博多の東の方だという。
「あの辺りは『豊(とよ)の国』ではありませんか」と安須森(あしむい)ヌル(先代佐敷ヌル)が聞いたら、新十郎はうなづいて、
「昔は豊の国と呼ばれていたんじゃが、二つに分かれて豊前(ぶぜん)(福岡県東部)と豊後になったんじゃよ」と言った。
「『豊玉姫(とよたまひめ)様』を御存じですか」とササが聞いた。
豊玉姫様? ほう、豊玉姫様を知っているのか。トンドに来て、豊玉姫様の名前を聞くとは思わなかった。豊玉姫様はわしらの御先祖様じゃよ」
「えっ!」とササたちは驚いた。
「日向(ひゅうが)の国(宮崎県)との境に姥岳(うばたけ)(祖母山)という山があって、その山頂に祀られているのが豊玉姫様じゃ。わしらは『大神(おおが)一族』と呼ばれて、一時は豊後の国を支配していた事もあるんじゃよ。源平の戦(いくさ)や南北朝の戦で、一族は敵味方に分かれて争ったので、かつての勢力は失ってしまったが、皆、豊玉姫様の子孫だという誇りを持って生きている。豊前の国だが、香春(かわら)の三の岳の山頂にも豊玉姫様は祀られているし、宇佐の八幡宮にも祀られている」
「驚いたわ」と安須森ヌルがササと顔を見合わせてから、「わたしたちも豊玉姫様の子孫なんです」と言った。
「何じゃと?」と新十郎は驚いた顔をして、安須森ヌルを見た。
「どうして、琉球豊玉姫様の子孫がいるんじゃ?」
豊玉姫様は琉球で生まれて、スサノオ様と一緒にヤマトゥに行ったのです」
「なに、豊玉姫様が琉球で生まれた? そんな事は聞いた事もない」
豊玉姫様が琉球の人だという事は隠されてしまったのです」
「一体、誰が隠したんじゃ?」
「それはわかりませんが、昔の権力者でしょう。豊玉姫様が琉球から来た事が知れると都合が悪かったのでしょう」
 新十郎はうなづいて、「権力者という者は都合の悪い事は抹殺してしまうからのう」と言った。
豊玉姫様は海人(あま)族の姫様で、南の方からやって来たというのは聞いた事があったが、それが琉球だったとは驚いた」
 スサノオ琉球に来て豊玉姫と出会い、一緒に対馬(つしま)に行って、豊の国に移ってから生まれた娘が琉球に帰って来た話をしていたら、三人の娘が現れた。ササたちと同じように袴(はかま)を着けて腰に刀を差していた。新十郎の娘だと聞いて、ササたちは驚いた。琉球に来る倭寇の船で、女を連れて来る船はなかった。
「この娘が生まれた時、わしの妻は豊玉姫様の夢を見たんじゃ。それで、トヨと名付けた。トヨは幼い頃から船に乗っていたんじゃよ。ある日、大きな嵐に出遭ったが、この子は泣く事もなく、じっと座っていた。嵐が去ったあと、ニコッと笑ったこの子を見て、船乗りたちが、この子は豊玉姫様の生まれ変わりに違いないと言って、以後、航海の守り神として、トヨは船に乗っているんじゃ。年が明けたら二十歳になるというのに、お嫁にも行かず、親としては心配の種なんじゃよ」
 トヨと一緒にいるのは幼馴染みのイチとミヨだった。三人はすぐにササたちの仲間に加わった。トンドに来ても、言葉が通じる若い女はいなかったので、トヨたちも喜んでいた。
 トヨの話によると、日本からトンドに来るのは父の新十郎だけだという。ターカウ(台湾の高雄)まで来る者は多いがトンドまでは来ない。新十郎がトンドまで来るのは砂金が目当てで、大友氏の軍資金として砂金を集めていたのだった。
 その晩、ササたちは新十郎に引き留められて、お酒を御馳走になって豊玉姫様の事を色々と話した。新十郎は御先祖様の事を真剣になって聞いていて、安須森ヌルが源氏や平家の事にも詳しいので驚いていた。
 北から来た船が次々に港に入って来るのと同じ頃、南の国から来ていた船が次々に帰って行った。インドゥ人たちが宿泊していた『印度館(いんどぅかん)』が空いて、王様の許しで、ササたちが入る事に決まった。『印度館』はインドゥ人町にあり、庭は広くて、建物も大きかった。港の近くの宿舎にいた船乗りたちも皆、『印度館』に移って来た。
 ササたちは堅苦しい宮殿から出られてホッとしていた。ササたちが『印度館』に入るとインドゥ人たちが贈り物を持ってやって来た。インドゥ人の船がチェンジォンジーにやられた事があって、敵(かたき)を討ってくれたと喜んでいた。言葉は通じないが、インドゥ人たちは親切で、楽しく暮らせそうだとササたちも喜んだ。
 年が明けて新年となり、トンドの都はあちこちの町で新年を祝う行事が催された。ササたちは宮殿に招待されて祝宴に参加した。正午(ひる)過ぎに終わったので、日本人町熊野権現(くまのごんげん)に行って、スサノオの神様、ユンヌ姫、アキシノ、アカナ姫、メイヤ姫と一緒に新年を祝って酒盛りをした。スサノオの神様に言われて、安須森ヌルとササが笛を吹いたら、ヴィーナの調べが聞こえてきた。皆が驚いていたら、サラスワティが現れた。
「驚いたわ。あなたたちがこんな所にいるなんて」とサラスワティが言った。
「サラスワティ様がいらっしゃるクメール王国(カンボジア)はここから近いのですか」とササが聞いた。
「海を隔てた西にあるわ。お船で行ったら二十日から一月といったところね。チャンパの国の隣りよ」
「クメールの人たちもトンドに来ているのですか」と安須森ヌルが聞いた。
「金(きん)を求めて来ているわよ」
「トンドの金は有名なのですか」とササが聞いた。
「さあ、どうなのかしら。クメールではいつもお寺を作っていて、お寺に置く仏像は金で飾るのよ。金はいくらあっても足らないんじゃないかしら」
弁才天宮(べんざいてんぐう)にあったサラスワティ様の像も金色に輝いていたわ」とシンシンが言った。
「あんなのがお寺の中にいくつもあるのよ」
「奈良の東大寺の大仏も、できた当初は金色に輝いていて見事なものじゃった」とスサノオが言った。
 大仏なんて見た事はないが、ササは金色に輝いていた北山第(きたやまてい)の金閣を思い出して、将軍様に金を贈れば喜ばれるだろうと思った。
 サラスワティも加わって、夜が明けるまで酒盛りを楽しんだ。目が覚めると午後になっていて、日本人町の太守(タイショウ)、赤星小三郎に招待されて祝宴に参加した。夜遅くまで飲んで、翌日は『宮古館』の祝宴に招待され、次の日にはインドゥ人たちの祝宴にも参加した。毎日がお酒三昧(ざんまい)で、お酒好きなササたちも二日酔いに悩まされていた。
 二日酔いを追い払おうと庭で武当拳(ウーダンけん)の套路(タオルー)(形の稽古)をやっていたら、娘たちが集まって来て、ササたちは娘たちに武当拳を教えた。
 それから二日後、ササと安須森ヌルが南薫門の近くにあるお寺に行って、楼閣に登って景色を楽しんでいたら、「お客さんが来たわよ」とユンヌ姫の声が聞こえた。
「誰が来たの?」とササが聞いた。
「わたしのお姉さんの『ギリムイ姫』と従兄(いとこ)の『ホアカリ』よ」
「えっ、ホアカリ様が来たの?」とササと安須森ヌルは驚いた。
 伊勢の神宮にいるホアカリ様がどうして、トンドまで来るのか、わけがわからなかった。
「お姉さんがサスカサに頼まれてヤマトゥに行って、ホアカリを琉球に連れて来たの。ホアカリはササを追ってここまで来たのよ。そしたら、お祖父(じい)様(スサノオ)が来ていたと知って、びっくりしていたわ」
「ササ、久振りじゃな」とホアカリの声が聞こえた。
「今年は日本に来なかったので、何をしているのかと思ったら、こんな遠くまで来ていたとは知らなかった。お祖父様まで連れて来るなんて、ササも大したもんじゃな」
「ほんと、随分と遠くまで来たわね」と言ったのはギリムイ姫だった。
 懐かしい声だった。幼い頃、ササが初めて聞いた神様の声がギリムイ姫の声だった。その頃はただ神様の声だと思っていて、ギリムイ姫と言う名前は知らなかった。セーファウタキで豊玉姫様と出会ってから、ギリムイ姫が島添大里(しましいうふざとぅ)グスクのウタキの神様だと知ったのだった。
「ギリムイ姫様がヤマトゥまで行ったのですか」とササは聞いた。
「ヤマトゥに行ったお船の帰りが遅いので、サハチが心配してね、それで様子を見に行ったのよ」
「ヤマトゥで戦が始まったのですか」
「戦にまではならなかったわ。でも、なかなか京都から出られなくて遅くなったのよ。博多で新年を迎えてから帰るって言っていたわ」
「皆、無事なのですね?」
「無事よ」
 ササと安須森ヌルは安心した。そして、ギリムイ姫からタミーの活躍を聞いて驚いた。
「タミーを送ったのは正解だったわね」とササと安須森ヌルは喜んだ。
 安須森ヌルは『伊勢津姫様』の事をホアカリに聞いた。
「伊勢津姫様の事まで知っているなんて驚いた。わしらの御先祖様だよ。でも、あまりにも昔の事なのでよくわからないんだ。伊勢で亡くなったので、わしは伊勢津姫様のお墓を守るために、伊勢に祀られたんだよ」
阿蘇津姫様、武庫津姫(むこつひめ)様、瀬織津姫(せおりつひめ)様は皆、伊勢津姫様の事なんですね?」
「そうだと聞いている。海を渡って南の国から来られた伊勢津姫様は九州に着いて阿蘇山に登って、阿蘇津姫様と呼ばれるようになった。さらに瀬戸内海を渡って武庫山(六甲山)に登って、武庫津姫様と呼ばれるようになった。武庫山から船で那智まで行って、那智の滝に住んで瀬織津姫様と呼ばれるようになった。那智から伊勢の宇治に行って、伊勢津姫様と呼ばれ、その地で亡くなった。死後、水の神様として、瀬織津姫の名前が有名になって各地に祀られるようになったんだ。でも、今は瀬織津姫様の名前は隠されてしまって、『弁才天』に置き換えられている」
「えっ、瀬織津姫様が弁才天様になったのですか」
「琵琶湖の竹生島(ちくぶしま)の弁才天も、熊野の奥にある天川(てんかわ)の弁才天も、元々は瀬織津姫様を祀っていたんだよ」
 『天川の弁才天』の事は元日の夜、サラスワティから聞いていた。『役行者(えんのぎょうじゃ)』という山伏に呼ばれて、天川まで行ったが言葉がまったく通じなかったと笑っていた。役行者は、神様として瀬織津姫を祀り、仏様として弁才天を祀る天川神社を創建したという。
厳島(いつくしま)神社の神様も瀬織津姫様に違いありません」とアキシノが言った。
 いつになく興奮しているような口調だった。
「福原殿(平清盛)から聞いた事があるのです。表向きは宗像(むなかた)のイチキシマ姫様を祀っているけど、本当は伊勢の国から勧請(かんじょう)した、わしらの御先祖様の神様じゃと言ったのです。神様のお名前は教えてはくれませんでしたが、きっと、伊勢津姫様と呼ばれていた瀬織津姫様だと思います。本殿には黄金に輝く弁才天様がお祀りしてありました」
 厳島神社には行ったが弁才天を見た記憶はなかった。
「今はその弁才天様はないのですか」と安須森ヌルはアキシノに聞いた。
「今もありますが、秘仏として公開していないようです。もしかしたら、当時の黄金の弁才天様は盗まれてしまったのかもしれません」
「きっと、源氏が盗んだのね」とササが言った。
「どうして、瀬織津姫様は隠されてしまったのですか」と安須森ヌルがホアカリに聞いた。
「多分、祖母(豊玉姫)が隠されてしまったのと同じ理由じゃないのかな。天皇の御先祖が南の国から来た隼人(はやと)の女神様だった事を隠したかったのだろう」
瀬織津姫様はどこから来たのですか」とササが聞いた。
琉球じゃ。と言いたいところだが、どこから来たのか、わしにもわからんよ」
役行者という人を御存じですか」と安須森ヌルは聞いた。
修験道(しゅげんどう)の開祖と言われている、わしらの子孫だよ」
「それで、御先祖様の瀬織津姫様を天川にお祀りしたのですね?」
「そうだよ。役行者は武庫山で初めて、瀬織津姫様の声を聞いたようじゃ。そして、瀬織津姫様のお導きで、大峯(おおみね)の弥山(みせん)に登って瀬織津姫様を祀って、天川にも祀ったんだ」
瀬織津姫様の勾玉(まがたま)がどこにあるのか御存じですか」とササが聞いた。
「勾玉? さあ、わからんのう。跡を継いだ娘に贈ったんじゃないかのう」
伊勢の神宮のお宝の中にはないのですね?」
「なかったはずだ」
瀬織津姫様の娘さんとは誰ですか」
「それもわからん。瀬織津姫様にはアマテル様として祀られた夫がいたが、子供の事は何も伝わっておらんようじゃ。跡を継いだ娘は伊勢から、さらに東の方に行ったのかもしれん。もしかしたら、駿河の富士山に祀られている神様かもしれんのう」
「それは何という神様ですか」
「『浅間大神(あさまのおおかみ)』だ。『アサマ』も『アソ』も火山を意味する南方の言葉だろう。南方の言葉が富士山の神様の名前に付いているという事は瀬織津姫様の娘に違いないとわしは思う。そして、常陸(ひたち)(茨城県)の鹿島と下総(しもふさ)(千葉県北部)の香取にも古い神様がいる。その神様も浅間大神と関係あると思うんだが、よくわからんのだよ」
スサノオの神様にもわからないのですか」
「お祖父様はサラスワティという神様と一緒にクメールという国に行ったようだ。わしは会っていないんだよ」
「えっ、スサノオの神様はクメールに行ったのですか」とササと安須森ヌルは驚いた。
「多分、お祖父様にもわからないだろう。瀬織津姫様の時代はわしらが生きていた頃より五百年も前の時代だ。御先祖様だから、わしらを守ってくれたけど、いちいち家族の事なんて聞いていないだろう」
「ホアカリ様は瀬織津姫様の声を聞いた事があるのですか」
「わしは聞いていない。ヤマトゥの王にはなったが、わしは琉球の言葉で言う神人(かみんちゅ)ではないからな。母(玉依姫)は聞いているよ。姉(トヨウケ姫)も聞いているかもしれない」
「お祖母(ばあ)様も聞いているかもしれないわ」とユンヌ姫が言った。
 ササと安須森ヌルが『印度館』に帰ると娘たちの武当拳の稽古が始まっていた。木陰でシンシンが見知らぬ男と話をしていた。若くて背の高い男は、道教のお寺で見た道士の格好をしていた。
 シンシンに呼ばれて二人が近づくと、「師兄(シージォン)のシュヨンカ(徐永可)さんです」とシンシンは男を紹介した。
武当山(ウーダンシャン)で一緒に修行をしていたのよ。トンドで出会うなんて、まるで夢を見ているようだわ」とシンシンは嬉しそうに言った。
武当山の道士がトンドにいたなんて驚きだわね」とササが言った。
「もっと驚く事があるわ。わたしも初めて知ったんだけど、ヨンカは旧港(ジゥガン)(パレンバン)にいるシュミンジュン(徐鳴軍)さんの孫なのよ」
「えっ!」とササと安須森ヌルは驚いて、ヨンカを見た。そう言われれば、顔つきが似ているような気もした。
「でも、祖父のシュミンジュンさんはヨンカが生まれる前に旅に出てしまって、ヨンカが七歳の時に帰って来たけど、すぐにまた旅に出て行ったらしいわ。わたしとヂャン師匠(張三豊)が武当山を去ったあと、ヨンカは祖父を探す旅に出たの。広州まで来て、祖父が旧港にいるという噂を聞いたらしいわ。直接、旧港まで行くお船がなくて、トンドに来て、トンドのお船に乗って旧港まで行って、シュミンジュンさんと会って来たんですって」
「どうして、またトンドに戻って来たの?」
「それがね、ヨンカはシャオユン(小芸)に一目惚れしちゃったのよ。初めの頃は相手にされなかったみたいだけど、ヨンカは武当剣の達人だし、今はシャオユンもヨンカが好きみたい。でも、シャオユンはアンアンがお嫁に行くまでは自分もお嫁には行けないって言っているの。ヨンカはアンアンがお嫁に行くのをじっと待っているという状況ね」
 娘たちの稽古が終わったあと、ササと安須森ヌルはシンシンと一緒にヨンカが任されているお寺に行った。ナナとナーシルが一緒に来た。
 宮殿の西側にある『五龍観(ウーロングァン)』という道教のお寺だった。南の方にも『龍虎観(ロンフーグァン)』という道教のお寺があって、そこには道士が何人もいたが、『五龍観』にいるのはヨンカと三人の弟子だけだった。
 武当山が破壊される前は何人もの道士がいたようだが、破壊されたあとに道士たちは皆、帰ってしまって、しばらく誰もいない状況が続いた。武当山の道士が来た事に王様は喜んで、ヨンカは王様に頼まれて『五龍観』の住職になった。武芸の腕も見込まれて、兵たちの指導もしているという。
 『五龍観』に祀られている神様は真武神(ジェンウーシェン)だった。真武神にお祈りをしたあと、再会を祝って酒盛りが始まった。ヨンカから武当山の話を聞いていたら、アンアンたちがやって来た。ササたちがいるのに驚き、一緒に酒盛りに加わった。ヨンカはシャオユンの顔を見て嬉しそうに笑って、シンシンを師妹(シーメイ)だと紹介した。
 シャオユンは驚いた顔をしてシンシンを見て、ヨンカの話を聞いていた。ヨンカとシャオユンはお似合いの二人だとササたちは思った。
 正月の半ば、クメールに行っていたスサノオが戻って来て、ホアカリ、ギリムイ姫と一緒に帰って行った。ユンヌ姫たちも琉球に帰った。豊玉姫から瀬織津姫の事を聞いてくると言って張り切っていた。

 

2-188.サハチの名は尚巴志(改訂決定稿)

 島添大里(しましいうふざとぅ)グスクのお祭り(うまちー)の前日の夕方、マグルー(サハチの五男)夫婦、ウニタル(ウニタキの長男)夫婦、シングルー(佐敷大親の長男)夫婦、サングルー(平田大親の長男)、福寿坊(ふくじゅぼう)、カシマは無事に旅から帰って来た。婚礼の翌日、十六日に旅立って、十二日間の旅だった。
 玻名(はな)グスクの残党の襲撃事件はウニタキの配下のアカーから聞いていて、サハチ(中山王世子、島添大里按司)は知っていたが、その後は誰からも知らせはなかった。皆の顔を見て、何事もなくてよかったとサハチは胸を撫で下ろした。
「ヤンバル(琉球北部)で敵の襲撃はなかったんだな?」とサハチは聞いた。
「はい。警戒していたんですけど、敵の襲撃はありませんでした。奥間(うくま)まで行って、サタルー兄さんに会ってきました」とマグルーが言った。
「サタルーさんと一緒に今帰仁(なきじん)に行ったんです」とウニタルは言った。
今帰仁には大勢のヤマトゥンチュ(日本人)がいて賑やかでした。俺たちの事をいちいち気にするような人はいませんでした」とシングルーが言った。
「山北王(さんほくおう)(攀安知)に会って来たのか」とサハチが聞くと、
「伯父さんは歓迎してくれました」とマウミ(ンマムイの長女)が言った。
「なに、みんなして山北王に会ったのか」とサハチは驚いた顔で皆を見た。
「そのつもりだったのですが、ウニタキさんに危険だと言われて、俺とマウミだけが『まるずや』の主人と一緒にグスクの中に入りました」とマグルーが答えた。
「そうか。お前たちが山北王と会ったか‥‥‥」
 サハチは山北王に会った事はなかった。察度(さとぅ)(先々代中山王)の葬儀の時、浮島(那覇)に来た山北王を一目見ようとウニタキ(三星大親)と一緒に出掛けたが、警備が厳重で浮島に近づく事もできなかった。浦添(うらしい)グスクで行なわれたイシムイ(武寧の三男)とウミタル(玉グスク按司の三女)の婚礼の時、三人の王様が揃ったが、遠くの壇上にいたので顔までよく見えなかった。マチルギの祖父の敵(かたき)だった山北王は初代の山北王(帕尼芝)で、今の山北王の祖父だった。琉球を統一するためとはいえ、会った事もない男を倒さなければならないのかと気持ちが少しぐらついた。
「山北王はどんな男だった?」とサハチはマグルーに聞いた。
「色が白くて、ヤマトゥンチュのようでした。御先祖様が平家の美男子だったというのもうなづけました」
「ほう、山北王は美男子だったか」とサハチは笑った。
「チューマチの兄貴とマナビー姉さんをどうして連れて来なかったんだと聞かれて、娘が生まれたので来られなかったと言ったら、山北王は目を細めて喜んでいましたよ」
 マグルーは懐(ふところ)から書状を出すとサハチに渡した。
「何だ?」と言いながらサハチは書状を受け取った。
 書状には山北王の印(いん)が押してあり、中山王(ちゅうざんおう)(思紹)に宛てた物だった。
「山北王の頼みが書いてあります。山北王はヤマトゥ(日本)の商人たちと取り引きをする商品が足らなくて困っているようです。『まるずや』と『よろずや』に頼んだようですが、それでも足りなくて、中山王に頼みたいと言っていました」とマグルーは言った。
「頼むのはいいが、今の時期、今帰仁には運べんぞ」
「陸路で運ぶそうです。中山王の了解を得たら商品と人足(にんそく)を送ると言っていました。そして、書状の返事は首里(すい)の『油屋』に渡してくれと言っていました」
「そうか、わかった」とサハチはマグルー夫婦を見て笑い、「御苦労だった」と言った。
 サハチは皆の顔を見回した。
「皆、一回り大きくなったようだな。無駄な旅ではなかったようだ。明日はお祭りだ。シングルー夫婦とサングルーは泊まっていけ。福寿坊殿とカシマ殿、若夫婦たちに付き合ってくれてありがとう。お祭りを楽しんでからお帰り下さい」
 サハチは侍女に頼んで、福寿坊たちを城下のお客用の屋敷に案内させた。若夫婦たちがいなくなると、ウニタキが現れた。
「子供たちの護衛、ありがとう」とサハチはお礼を言った。
「玻名グスクの残党が出て来たのは予想外だったが、あとは何も起こらなかった」とウニタキは言った。
「マグルーが山北王に会ったらしいな」
「あの時は俺も迷ったよ。マウミは会いたいと言うし、マウミ一人を行かせるわけにもいかない。マグルーも行かせる事にして、もしもの事があったら、グスクに忍び込んで助け出そうと思ったんだ」
「忍び込めるのか」
「非常時ではないからな。守りもそれほど厳重ではない。『まるずや』の連中がグスクの周辺を色々と調べていて、潜入できそうな場所はわかっているんだ。助け出すのは難しいだろうがやらなければならないと覚悟を決めたんだよ。幸いに、マグルーは山北王から書状を頼まれて、グスク内に泊まる事もなく帰って来た。二人の顔を見て、ホッとしたよ」
「そうか、心配を掛けたな」
「明国(みんこく)の海賊が来なくなったお陰で助かったんだ。そうでなければ、マグルー夫婦はグスク内に軟禁されたかもしれない」
「マグルー夫婦が人質になったと言うのか」
「その可能性は充分にあった。山北王の娘は島添大里にいるが、中山王の子供は今帰仁にいないからな。婚約した娘が今帰仁に来るまで、マグルーたちは今帰仁で暮らす事になったかもしれん」
「婚約した娘か。マタルー(八重瀬按司)の次女のカナはまだ八歳だ。今帰仁に送るのは早すぎる」
「山北王としても明国から海船が下賜(かし)されるまでは強気には出られないだろう。次に出す進貢船(しんくんしん)にも使者を乗せてくれと頼むかもしれんぞ」
「次の進貢船か。まだ、いつ送るか決めていないが五月頃になるだろう。次の進貢船には按司たちの従者を乗せなければならんからな、できれば断りたいものだ」
「断るのも面白いかもしれんぞ。山北王は怒ると何をしでかすかわからん。自分の首を絞めるような事をするかもしれんな。話は変わるが、二、三日したら俺は旅芸人たちと一緒に旅に出る。来月の二十四日、今帰仁のお祭りがあって、旅芸人たちのお芝居をやってくれって頼まれているんだ」
「なに、今帰仁でもお祭りを始めたのか」
「いや、お祭りは古くからやっているようだ。三月二十四日は『壇ノ浦の合戦』があった日で、御先祖様の冥福(めいふく)を祈ってきた日だそうだ。最近になって、外曲輪(ふかくるわ)を開放して庶民たちにもお祭りを楽しんでもらっているらしい。そのお祭りが終わったら、湧川大主(わくがーうふぬし)は鬼界島(ききゃじま)(喜界島)に向かうようだ。奴を見送ったら帰って来る。それまで、ウニタルの事なんだが、マグルーと一緒に政務の事を教えてやってくれ」
「旅から帰って来たら、ウニタルを仕込むのか」
「奴の顔つきが変わった。跡を継ぐ覚悟を決めたようだ」
 サハチはうなづいて、「ウニタルならできるさ」と言った。
 お祭りは例年通り、大勢の人たちが集まって来た。マウミはまだ帰って来ないのかと心配顔でやって来たンマムイ(兼グスク按司)夫婦は、マウミがいるのを見て、無事を喜んでいた。ファイチ(懐機)夫婦とミヨンもファイリン(懐玲)の心配をしてやって来て、ファイリンから旅の話を聞いていた。マチルギもマグルーとマチルーの心配をしてやって来た。マチルギが島添大里グスクのお祭りに顔を出すのは久し振りで、城下の人たちから喜ばれていた。
 佐敷大親(さしきうふや)夫婦も平田大親夫婦も子供たちを心配してやって来た。山南王(さんなんおう)夫婦は来なかったが、トゥイ様(先代山南王妃)と島尻大里(しまじりうふざとぅ)ヌルがやって来た。前もって約束していたのか、マガーチ(苗代之子)もやって来て、島尻大里ヌルを連れてどこかに行った。手登根大親(てぃりくんうふや)の妻、ウミトゥクが子供たちを連れて来て、母親のトゥイがいるのに驚いた。
 婚礼の準備で忙しかったので、お芝居の稽古をする暇もなく、お芝居は去年と同じ『ウナヂャラ』だった。マチルギの反応が怖くもあったが、マチルギは楽しそうに自分が主役のお芝居を子供たちと一緒に楽しんでいた。旅芸人たちもやって来て、『かぐや姫』を演じた。
「島尻大里グスクでもお祭りをする事に決めたのですよ」とトゥイがサハチに言った。
「そのために、ここのお祭りを見に来たのに、マナビー(島尻大里ヌル)ったらどこに行ったのかしら。まったく困ったものね」
「いつ、やるのですか」とサハチは聞いた。
「五月ですよ。五月の十二日。義父(汪英紫)が山南王になった日なの。シタルー(先代山南王)は豊見(とぅゆみ)グスクで『ハーリー』を始めたけど、島尻大里ではお祭りをしなかったわ。父親に厳しく躾(しつけ)られたから庶民たちと一緒に騒ぐ事はできなかったの。今、『ハーリー』の時、豊見グスクの三の曲輪(くるわ)を開放しているけど、あれを始めたのは他魯毎(たるむい)(山南王)なの。マチルー(山南王妃)からここのお祭りの事を聞いて、庶民たちに開放したのよ。他魯毎もマチルーも去年の戦(いくさ)で城下の人たちに迷惑を掛けた事を気にしていて、お詫びのしるしとしてお祭りをする事に決めたのですよ」
「それはいい。城下の人たちも喜ぶでしょう。五月十二日でしたね。佐敷グスクのお祭りが四月二十一日にあります。それが終わったら、ユリたちを助っ人として送りますよ」
「そうしてもらえると助かるわ。それとお芝居の台本を借りられるかしら。マアサが女子(いなぐ)サムレーたちにお芝居をさせるって張り切っているわ」
「大丈夫でしょう。あとでユリと相談して下さい」
 島尻大里ヌルは昼過ぎに戻って来て、トゥイと一緒にユリたちにお祭りの事を話した。ハルとシビーは喜んで手伝うと言って、ユリも引き受けた。
 サハチは山北王の書状をマチルギに渡して、マチルギは夕方、帰って行った。
 三月になって、ウニタキは旅芸人たちと一緒に旅立った。三日には恒例の『久高島参詣(くだかじまさんけい)』が行なわれた。中山王のお輿(こし)にはいつもヂャンサンフォン(張三豊)が乗っていたが、今年は無精庵(ぶしょうあん)が乗っていた。サスカサ(島添大里ヌル)が大里(うふざとぅ)ヌルに会いたいと言って、与那原(ゆなばる)で合流して一緒に行った。
 中山王が久高島に行っている留守に、山北王の船が浮島にやって来た。マチルギに呼ばれて、サハチは浮島に行って、山北王との取り引きを手伝った。翌日、荷物を背負った人足たちが、ぞろぞろと今帰仁へと向かって行った。高い所から見たら、大きな蛇が北に向かっているように見えた。
 六日にはマウシの長男、トゥクが首里の苗代大親(なーしるうふや)の屋敷で生まれた。知らせを受けて山グスクから飛んで来たマウシは、三人目にやっと生まれた男の子に感激していた。
 十日には山南王の弟、シルムイ(阿波根按司)が糸数按司(いちかじあじ)の娘、マクミを妻に迎えた。二人は従兄妹(いとこ)で、婚礼は先代の山南王(シタルー)が決めたのだったが、シタルーの死とその後の戦のために遅れていた。糸数按司は中山王に属しているので、東方(あがりかた)の代表として八重瀬按司(えーじあじ)(マタルー)が婚礼に出席した。
 十九日はクマヌ(先代中グスク按司)の命日で、二十日には丸太引きのお祭りが行なわれた。安須森(あしむい)ヌルもササたちもいなかったが、ユリとハルとシビーの三人がうまくやって無事に終わった。
 ササの代わりは女子サムレーのクニが務めた。クニはササの従姉で、ササの代わりは、わたししかいないと稽古に励んで選ばれた。
 シンシン(杏杏)の代わりはファイリンだった。ファイリンは佐敷に嫁いでいるので久米村(くみむら)とは関係ないのだが、シンシンに代わる者が見つからず、ファイチが頼まれたのだった。ファイチはその事を告げるために佐敷に行って、ファイリンが旅に出た事を知って驚いた。ウニタキが陰ながら守っていると聞いて安心したが、それでも心配した。
 無事に旅から帰って来たファイリンに告げて、シングルーもやってみろと言ったので、ファイリンは引き受けた。義姉の佐敷ヌルが経験者なので、義姉から丸太に乗るコツを教わって何とかお祭りに間に合った。ファイチの娘が丸太に乗ったので、久米村の若者たちも張り切って頑張り、見事に優勝した。ファイリンは一躍、有名になっていた。
 四月になって旅芸人たちは帰って来て、浦添(うらしい)グスクのお祭りでお芝居を上演をしたが、なぜか、ウニタキは帰って来なかった。ウニタキが帰って来たのは、浦添グスクのお祭りから八日後だった。
 五月に送る進貢船の準備のため首里にいたサハチは、ウニタキに呼ばれて『まるずや』に行った。小雨が降っているし、夕方だったので『まるずや』には、お客はあまりいなかった。売り子に言われて、店の裏にある屋敷に行くと、ウニタキがトゥミと一緒に縁側にいた。その屋敷は『まるずや』の主人のトゥミが息子のルクと母親代わりのカマと一緒に住んでいる屋敷だった。
「トゥミがお前に話があるというので呼んだんだ。悪かったな」とウニタキがサハチに言った。
「そんな事は別にいい。随分と遅かったな。何かあったのか」とサハチが聞くと、ウニタキはニヤニヤと笑って、「色々とあったぞ」と言った。
 サハチはウニタキの隣りに腰を下ろして、トゥミを見ると、「話とは何だ?」と聞いた。
「お頭に話したら、按司様(あじぬめー)に話した方がいいと言われて‥‥‥実はルクの事なんです」とトゥミは言った。
「ルクか‥‥‥大きくなっただろうな」
「はい、十五になりました」
「なに、もう十五になったのか」とサハチは驚いて、ウニタキを見た。
「速いもので、あれから十三年が経っているんだ」とウニタキは言った。
 先代の島添大里按司だったヤフスが殺されたのが十三年前だった。当時、ヤフスの側室になっていたトゥミはヤフスの息子のルクを産んだ。その翌年、島添大里グスクはサハチによって攻め滅ぼされた。ヤフスを殺したのはトゥミで、その事は絶対にルクに知られてはならない事実だった。二歳だったルクは十五歳になっていた。
「ルクには父親はサムレーで、あの時の戦で戦死したと言ってあります。戦で活躍した強いサムレーだったと‥‥‥」
「父親は佐敷のサムレーだった事になっているんだな」とサハチが言うと、トゥミはうなづいた。
「母(カマ)から読み書きを教わって、剣術の基本も身に付けています。できれば、武術道場に通わせたいのです」
 サムレーの息子は十五歳になれば、武術道場に通う事ができるが、商人の息子や農民の息子、ウミンチュ(漁師)の息子が武術道場に通う事はできなかった。才能のある子供は誰でも武術の修行ができるようにした方がいいなとサハチは思った。苗代大親と相談して、才能のある子供たちを集めようと考えた。
「わかった。ルクが武術道場に通えるように、何とか考えてみよう」とサハチはトゥミに言った。
 トゥミはお礼を言って、店の方に戻った。
「ルクを『三星党(みちぶしとう)』に入れなくていいのか」とサハチはウニタキに聞いた。
「ルクはまだ母親の正体を知らない。知った時に考えればいいさ」
「そうか。そうだな」とサハチは言って、「湧川大主は鬼界島に行ったのか」と聞いた。
「行った。四月の十日だった。どうやら、浮島に来ていた鬼界島の船が帰るのを待っていたようだ。鬼界島の船のあとを追って行ったので、途中で襲うつもりなのかもしれんな。鉄炮(てっぽう)(大砲)を積んだ武装船とヤマトゥ船二隻が一緒に行った。連れて行った兵は二百人といった所だろう」
「途中の島で襲うつもりなのか」
「鬼界島の奴らも、与論島(ゆんぬじま)、永良部島(いらぶじま)、徳之島(とぅくぬしま)が山北王の支配下にある事は知っているだろう。島には寄るまい。沖に停泊している所を襲うのだろう。船を沈めてしまえば、敵の兵力は減るし、交易もできなくなる」
「船に積んである商品も海に沈めてしまうのか」
「欲を出したら味方も損害を受ける。鬼界島に行く前に、兵力を減らすような事を湧川大主はやるまい」
琉球からの船が帰って来なければ、ヤマトゥに行く船も出せないというわけだな」
「そういう事だ。湧川大主は鬼界島の船を皆、鉄炮で破壊して、奴らを島に閉じ込めて、全滅させるつもりだろう」
「そうか。今回は湧川大主が勝ちそうだな。来年の今帰仁攻めは延期になりそうだ」
「そうも行くまい」とウニタキは首を振った。
「鬼界島を手に入れた山北王の次の狙いはどこだ?」
「なに、次の狙い? トカラの宝島か」
「そういう事だ」
「宝島は絶対に守らなければならん」
「そのためには、やはり、来年、倒すしかない」
「士気が上がっている今帰仁を倒すのは難しいぞ」
「難しいがやらなくてはならんのだ」
 サハチは厳しい顔つきでうなづいた。
「湧川大主が船出したので帰ろうとしたら、今帰仁グスクで騒ぎが起こったんだ。湧川大主を送り出した山北王は、クーイの若ヌルに会いに沖の郡島(うーちぬくーいじま)(古宇利島)に出掛けた。王妃と側室たちがクーイの若ヌルを恨んで、今帰仁ヌルに頼んで、若ヌルを呪い殺そうとしたらしい。城下にいた勢理客(じっちゃく)ヌルがグスクに呼ばれて、何とか騒ぎが治まったようだ」
「どうやって呪い殺そうとしたんだ?」
「城下の噂では、藁(わら)で人形を作って、太い釘で木に打ち付けて、火を付けたらしい。その火が飛び火して小火(ぼや)になって騒ぎになったようだ。藁人形にはクーイの若ヌルの髪の毛が三本入っていたと、まるで見てきたような事を言う奴もいたらしい」
「髪の毛が三本? クーイの若ヌルは今帰仁に来たのか」
「お祭りに来たんだよ。城下にクーイの若ヌルのための屋敷を用意して、山北王はお忍びで、そこに入り浸りだったようだ」
「王妃が怒るのも無理ないな」
「クーイの若ヌルのお陰で、王妃と側室のクンは仲良くなったらしい。クンは王妃が嫁いで来る前から恋仲だった女で、長女と長男を産んでいる。王妃はマナビーの母親だが男の子は産んでいない。側室たちは王妃派とクン派に分かれて、何かと対立していたらしい。クーイの若ヌルのお陰で、みんなが仲良くなったようだ。そして、次の日、名護按司(なぐあじ)が亡くなったんだ」
「えっ、名護按司が?」
 サハチは驚いた。亡くなるような年齢ではないはずだった。
「まだ五十五歳だった。その日は梅雨入り前のいい天気で、波も穏やかだった。名護按司は船を出して、釣りを楽しんでいたそうだ。突然、船の中で倒れて、浜に着いた時には、すでに亡くなっていたらしい」
「跡を継いだ若按司はいくつなんだ?」
「三十前後だろう。若按司の妻は羽地按司(はにじあじ)の妹だ」
「羽地按司も去年亡くなって、若按司が継いだんだったな」
「そうだ。羽地按司の妻は恩納按司(うんなあじ)と金武按司(きんあじ)の姉だ」
「すると、羽地、名護、恩納、金武は兄弟というわけだな」
「まあ、そうとも言える。四人の按司をまとめて寝返らせよう」
 サハチはうなづいて、「いい風向きになってきたようだ」と笑った。
「そこまではよかったんだが、予想外の奴がやって来たんだ」とウニタキは顔を曇らせた。
「何だ? 誰がやって来たんだ?」
「新しい海賊が運天泊(うんてぃんどぅまい)にやって来たんだよ。運天泊は大慌てだ。湧川大主はいないし、急遽、山北王を呼びに行ったんだ。若ヌルとお楽しみ中に迷惑だっただろうが、山北王はやって来て、海賊たちを歓迎した。湧川大主の側室で、ハビーという女がいるんだが、そのハビーがしっかり者で、海賊たちの接待を慣れた態度でやっていたそうだ」
「そのハビーというのは、お前の配下だろう」
「そうだ。ハビーから聞いたら、その海賊は『リンジェンフォン(林剣峰)』の配下だったらしい。配下と言っても直属ではなくて、リンジェンフォンに従っていた小さな海賊だったようだ。リンジェンフォンが亡くなって、倅のリンジョンシェン(林正賢)も明国の官軍にやられたあと、福州の海賊たちをまとめて、のし上がって来たようだ。リンジョンシェンと一緒に運天泊に来た事があって、冊封使(さっぷーし)が来る前に引き上げようと早々とやって来たようだ。二隻の船に商品をたっぷりと積んで来たので、山北王は大喜びしていたよ」
「新しい海賊が現れたか。山北王から何も言って来ないのでおかしいと思っていたんだ。山北王の進貢は一回だけで終わりそうだな」
リュウイン(劉瑛)がうまく海船を賜わる事ができれば一回で終わるだろうが、失敗したら、また送るかもしれんな。進貢はしなくても海船は欲しいだろう」
 サハチは笑って、「その海賊は何という奴なんだ?」と聞いた。
「『ヂャオナン(趙楠)』という名前らしい」
「ヂャオナンか。福州の海賊なら、メイユー(美玉)たちが知っているかもしれんな」
「そうだな。明国の商品をたっぷりと手に入れた山北王は、中山王に頭を下げる必要はなくなった。これからは強気に出て来るかもしれんぞ」
 サハチはうなづいた。
「無理難題を言って来るかもしれんな。ところで、山北王の側室で思い出したんだが、側室の中に親父の娘がいるはずだな」
「『ミサ』という側室だ。ただ、本人は中山王の娘だという事は知らない。父親は旅の坊さんだと聞いているようだ」
「知らないのか」
「危険だと思って、知らせていないのだろう」
「そうか。一応、俺の妹になるわけだ。どんな娘か知っているか」
「俺は見た事はないが、『まるずや』の者たちの話だと、高貴な顔立ちをした美人(ちゅらー)だと言っていた。男の子を産んだんだが、その子は二年前に四歳で亡くなってしまったようだ。今は子供がいないので、お祭りでは娘たちを指導して、お芝居を演じたんだよ」
「なに、今帰仁の娘たちがお芝居をしたのか」
「奥間の側室は芸を身に付けているからな。もう一人、ウクという奥間の側室がいるんだが、二人で踊りや笛の指導をしたようだ」
「お芝居の台本はどうしたんだ?」
「『油屋』の主人、ウクヌドー(奥堂)に『ユラ』という娘がいるんだが、お芝居が好きで、首里グスクや佐敷グスクのお祭りでお芝居を観ているんだよ」
今帰仁から首里まで来ていたのか」
「そうじゃない。ウクヌドーは首里の店ができた時、今帰仁の本店は長男に任せて、家族を連れて首里に移ったんだ。ユラは首里で育ったんだよ。首里グスクの娘たちの剣術の稽古にも通っていたようだ」
「『油屋』の娘が、マチルギの弟子だったとは驚いた」
「女子サムレーに憧れていたようだが、親が許さなかったようだ。お嫁に行く予定だったんだが、相手は去年の戦で戦死した。行商(ぎょうしょう)の最中、戦に巻き込まれて亡くなった事になっているが、危険な事をしていたんだろう。ユラは親が決めた相手と一緒にならなくてよかったと喜んで、その後はお嫁にも行かず、家業を手伝っていたようだ。山北王がユラのお祭り好きを知って今帰仁に呼ばれて、お芝居の台本を書いたんだよ。お芝居は『瓜太郎(ういたるー)』だったが、少し違っていた。それでも面白いお芝居で、子供たちは大喜びしていたよ」
「旅芸人たちは何を演じたんだ?」
「『かぐや姫』だ。『小松の中将様(くまちぬちゅうじょうさま)』は子供たちにはちょっと難しいからな」
「お前は三弦(サンシェン)を弾いたのか」
 ウニタキは苦笑した。
「ユラのお陰で弾くはめになっちまった。ユラは島添大里グスクのお祭りにも来ていて、俺の歌を何度も聞いていたんだよ。最後はみんなで踊って、お祭りは大成功に終わったよ」
「そうか、よかったな」とサハチは笑って、「今度は俺の番だ」と言った。
 何だ?と言う顔をしてウニタキはサハチを見た。サハチは懐(ふところ)から紙を出してウニタキに見せた。その紙には『尚巴志』と書いてあった。
「何だ、これは? ショウハシと読むのか」
「サハチだよ。俺の明国での名前だ。今度の進貢船は中山王ではなくて、世子(せいし)の俺が出す事になったんだ。それで、ファイチが俺の明国での名前を考えてくれたんだよ」
「ほう、これで、サハチか」
「お前が言ったように、『ショウハシ』と読んでもいいそうだ。『尚』という姓が明国にはあるらしい。琉球では今まで、誰も姓を持ってはいなかった。これからは『尚』を姓として、代々、尚何とかと名乗ればいいとファイチは言っていた」
「姓か。ヤマトゥンチュは姓を持っているな。『源氏』や『平氏』というのは姓だろう。ヒューガ殿は『三好』だし、ヤタルー師匠は『阿蘇』だ。中山王の姓は『尚』か。ファイチもうまい事を考えるな」
 サハチはもう一枚の紙をウニタキに見せた。紙には『尚覇志』と書いてあった。
「ファイチは最初、それに決めたそうだ。『覇』という字には、琉球を統一するという意味があるらしい。『志』はこころざすで、琉球統一を志すという意味だ」
「おう、そっちの方がいいんじゃないのか」とウニタキは言った。
「『覇』という字は、武力をもって統一するという意味があって、武力をもって統一した者は武力によって滅ぼされるという意味も隠されていると言うんだ。それで納得しなかったらしい。明国には『覇道』と『王道』という言葉があって、『王道』というのは、天に任命された者が政治を行なう事で、『覇道』は力のある者が、その力によって政治を行なうという。『覇道』よりも『王道』を目指すべきだとファイチは言うんだ。それで、『尚王志』にしようかと思ったけど、どうも気に入らない。そんな時、島添大里グスクのお祭りに来たファイチは、グスクになびいている『三つ巴』の旗を見て、これだと思って、『覇』の代わりに『巴』を入れたんだよ。『三つ巴』はスサノオの神様の神紋(しんもん)だ。スサノオの神様の道を志すという意味なんだよ」
「よくわからんが、ファイチも色々と難しい事を考えるものだな。スサノオの神様の道を志して、琉球を統一するのか。凄い名前だな」
「ああ、ショウハシ‥‥‥俺の新しい名前だ」
 サハチとウニタキは『尚巴志』と書かれた紙をじっと見つめていた。

 

 

 

真壁型(翁長開鐘写)仲嶺盛文製作

2-187.若夫婦たちの旅(改訂決定稿)

 マグルー(サハチの五男)とマウミ(ンマムイの長女)、ウニタル(ウニタキの長男)とマチルー(サハチの次女)の婚礼も無事に終わって、サハチ(中山王世子、島添大里按司)とウニタキ(三星大親)とンマムイ(兼グスク按司)は親戚となり、今まで以上に固い絆(きずな)で結ばれた。
 マグルー夫婦は島添大里(しましいうふざとぅ)グスクの東曲輪(あがりくるわ)にある、以前にサグルー(山グスク大親)夫婦が住んでいた屋敷に入った。マウミは侍女を二人連れて来ていて、侍女たちはイハチ(具志頭按司)が住んでいた屋敷に入った。侍女といっても、マウミと一緒に武芸の稽古に励んでいた仲良しの娘たちだった。
 ウニタル夫婦は城下の屋敷に入った。ウニタキの屋敷の近くで、サハチはマチルーのために古い屋敷を綺麗に改築していた。
 翌日、マグルー夫婦とウニタル夫婦はサハチに挨拶に来て、ウニタル夫婦はさっそく、『まるずや』巡りの旅に出ると言った。
 それを聞いていたマグルーは、「俺たちも一緒に旅に出ます」とサハチに言った。
「なに、お前たちも一緒に行くというのか」とサハチは驚いて、マグルーとマウミを見た。
「ヤマトゥ(日本)や明国は行って来ましたが、俺はまだ琉球の旅をしていません。親父は若い頃、お母さんと一緒に今帰仁(なきじん)まで旅をしたと聞いています。俺もマウミと一緒に旅がしたいのです」
「マウミも旅がしたいのか」とサハチが聞くと、マウミはうなづいた。
「十二歳の時に母の故郷の今帰仁に行きました。マグルーさんにも今帰仁の賑わいを見せてあげたいと思います」
 サハチはマウミが山北王(さんほくおう)(攀安知)の姪(めい)だった事を思い出した。山北王を滅ぼしたらマウミとその母のマハニ(攀安知の妹)が悲しむ事になる。チューマチ(ミーグスク大親)の妻のマナビー(攀安知の次女)も悲しむだろう。十年前と状況が変わっている事に改めて気づいて、山北王を滅ぼしていいのだろうかと気持ちが少しぐらついた。
「お前たちの気持ちはわかった」とサハチはうなづいた。
 ウニタルが『三星党(みちぶしとう)』を継いだ時に、ウニタルとサグルーのつなぎ役が必要だった。マグルーにそのつなぎ役になってもらおうとサハチは思った。
「ウニタキと相談してみる。少し待っていてくれ」
 若夫婦たちを安須森(あしむい)ヌルの屋敷で待たせて、サハチは侍女のマーミにウニタキを呼んでもらった。
 ウニタキはすぐに来た。マグルー夫婦の事を告げると、「やはり、そうか」と笑った。
「そんなような気がしていたんだ。ウニタルとマチルーだけだったら配下の者に任せるつもりだったが、マグルーとマウミも行くとなると、俺も行って四人を守るよ」
「そうか。お前が行ってくれるか。そうしてもらえると俺も安心だ」
「庶民の格好をして行けば、怪しまれる事もあるまい。湧川大主(わくがーうふぬし)は今、鬼界島(ききゃじま)(喜界島)攻めの準備で忙しいようだからな」
「今年は行くのか」
「去年、行けなかったから今年こそは敵(かたき)を討ってやると張り切っている。四月には行くだろう」
「鬼界島の連中がヤマトゥに行く前を襲うつもりなんだな」
「そうだ。ヤマトゥに船を出されたら、一昨年(おととし)の二の舞になるからな」
「今年はうまく行きそうか」
「わからんな。鬼界島でも待ち構えているはずだ。鬼界島を攻め取る事に成功したら、今帰仁の士気は上がる。来年の今帰仁攻めは延期した方がいいかもしれん」
「失敗したらどうなる?」
按司たちの反感を買うだろう。特に国頭按司(くんじゃんあじ)は大損害を受ける。一昨年、鬼界按司(ききゃあじ)に任命された一名代大主(てぃんなすうふぬし)が戦死して、率いて行った兵たちも戦死した。新たに任命された鬼界按司は一名代大主の兄の根謝銘大主(いんじゃみうふぬし)だ。二人とも国頭按司の弟で、二人の弟を失えば、国頭按司は山北王を恨むだろう。鬼界島攻めの兵糧(ひょうろう)も各按司から集めている。失敗に終われば、それらは返っては来ない」
「失敗に終われば、来年の今帰仁攻めは予定通りだな」
「鬼界島の島人(しまんちゅ)たちに頑張ってもらうしかない」
「そうだな」と言いながら、サハチは鬼界島の神様『キキャ姫』がユンヌ姫の娘だという事を思い出した。ユンヌ姫がいたら、キキャ姫に湧川大主が攻める事を教えられるのにと残念に思った。
 庶民の格好に着替えたマグルー夫婦とウニタル夫婦は山伏姿の福寿坊(ふくじゅぼう)に連れられて、正午(ひる)過ぎに旅立った。福寿坊はササたち、ヂャンサンフォン(張三豊)、愛洲(あいす)ジルーたちと一緒に琉球一周の旅をしているので安心だった。
 ウニタルは三弦(サンシェン)を背負っていて、マグルーは横笛を腰に差し、四人とも五尺ほどの棒を杖(つえ)代わりに突いていた。陰ながらウニタキが配下を引き連れて守っていた。
 島添大里の城下にある『まるずや』に行って、女主人のサチルーに挨拶をして、『まるずや』巡りの旅は始まった。
 島添大里の『まるずや』は最初にできた店だった。先代の島添大里按司(ヤフス)のために働いていた『よろずや』が浦添(うらしい)に逃げて行き、空き家となっていた店の看板を『まるずや』に直してできた古着を売る店だった。『よろ』を『まる』に書き直しただけで、ウニタキもいい加減な奴だと思い、変な名前だと思っていたが、今では誰もが知っている名前になっていた。
 『よろずや』もウニタキが開いた店なのだが、ウニタルは知らない。『よろずや』は島尻大里(しまじりうふざとぅ)にあるのが本店で、先々代の山南王(さんなんおう)(汪英紫)が始めた店だと父から聞いていた。
「あら、まあ。新婚の御夫婦が揃って旅に出るのですか」とサチルーは驚いた。
「親父の跡を継ぐには、各地の事を知らなくてはなりません。各地にある『まるずや』さんのお世話になって、旅をして参ります」とウニタルは言った。
「あなたたちは御両親を見倣って旅に出るのね?」とサチルーはマグルー夫婦に言った。
 二人はうなづいて、「今帰仁に行って、マウミの伯父さんに挨拶をしてきます」とマグルーは言った。
「マウミちゃんの伯父さんて、もしかしたら、山北王の事?」
「そうです。前回、里帰りした時、マウミは山北王に気に入られて、お嫁に行ったら、必ず、相手を連れて来いって言われたみたいです」
「あら、まあ。同盟しているとはいえ、充分に気を付けて行って来るのよ」
 サチルーに見送られて、一行は馬天浜(ばてぃんはま)に下り、佐敷グスクに行って、叔父のマサンルー(佐敷大親)に挨拶をした。東曲輪に行って若大親(わかうふや)のシングルーにも挨拶をした。
 シングルーとウニタルは一緒にヤマトゥ旅をした仲だった。奥間(うくま)のサタルーと一緒に熊野にも行っていた。
 旅支度で現れた四人を見て、羨ましそうに、「俺たちも一緒に行きたいな」とシングルーは妻のファイリン(懐機の娘)に言った。
 ファイリンはうなづいて、「楽しいでしょうね」と言った。
「よし、行くぞ」とファイリンに言って、「親父の許しを得てくるから待っていろ」とシングルーは東曲輪から出て行った。
 息子から旅に出たいと聞いて、マサンルーは驚いた。親父も若い頃に旅をしたと聞いている。俺も世間を見なければならないと言われて、だめだとは言えなかった。倅だけならいいが、ファイリンも一緒に連れて行くのが問題だった。ファイリンに、もしもの事があったら大変な事になる。自分だけでは決められなかった。兄貴と相談してくるから東曲輪で待っていろと言って、マサンルーは馬に乗って島添大里に向かった。途中でウニタキと出会った。
「俺が陰ながら守っているから心配するな」とウニタキは言った。
 マサンルーはウニタキを見つめて、「お願いします」と頼んだ。
「一緒に旅をすれば絆が深まる。奴らは俺たちの次の世代を担っていく。サハチも許すだろう。サハチには俺の配下の者が知らせる。俺の事は子供たちには内緒にしてくれ」
 マサンルーは馬を返して佐敷グスクに戻ると、シングルー夫婦に旅に出る事を許した。すでに旅支度をしていたシングルーとファイリンは喜んで一行に加わった。
 中山王(ちゅうざんおう)(思紹)の発祥の地なのに、佐敷には『まるずや』はなかった。『まるずや』は父が地図を作るために各地を歩いて、その拠点として開いたので、地元にないのは当然だが、佐敷の人たちのためにも作るべきだとウニタルは思った。
 福寿坊と三組の若夫婦たちは楽しそうに笑いながら手登根(てぃりくん)グスクに向かった。叔父のクルー(手登根大親)に挨拶をして、平田に向かおうとした時、馬に乗ったサムレーがやって来た。
「カシマじゃない。どうしたの?」とマウミが驚いた顔をしてサムレーに聞いた。
「マウミ様が旅に出たと聞いて、お屋形様が驚いて、わしに一緒に行けと命じたのです」
「お父様ったら、心配ないのに」とマウミは言ったが、
「わしも心配じゃ。一緒に行くぞ」と言って、カシマは馬から下りた。
 マウミはカシマを皆に紹介した。
「ヤマトゥのサムレーで、わたしの剣術のお師匠でもあります」
「今更、帰れないでしょう。一緒に行きましょう」と福寿坊が言った。
「若い者たちとはどうも話が合わない。話し相手が欲しいと思っていたのです」
「そうか。そなたはどこの山伏じゃ?」
備前(びぜん)の国、児島(こじま)の行者(ぎょうじゃ)です」
「なに、児島か。行った事があるぞ。わしは常陸(ひたち)の国、鹿島神宮(かしまじんぐう)の神官の倅じゃ」
鹿島神宮には行った事がありますよ」と福寿坊が笑うと、カシマも笑って、お互いにヤマトゥ言葉で話し始めた。
 カシマは馬をクルーに預けて、一緒に旅立った。
 平田グスクに着いて、叔父のヤグルー(平田大親)に挨拶をして、若大親のサングルーと会った。サングルーはマグルーと同い年で、一緒にヤマトゥ旅にも行っていた。サングルーはまだ独り者で、仲良くやって来た三組の夫婦を羨ましそうに見て、「俺も頑張らなければならんな」と笑った。
「例の娘はどうなったんだ?」とマグルーが聞いた。
 サングルーはニヤニヤしながら、「うまくいっているよ。俺は五月に明国に行くんだけど、帰って来たら婚礼さ」と言った。
「どこの娘なんだ?」とシングルーが聞いた。
「垣花按司(かきぬはなあじ)の娘なんだ」
「垣花按司の娘? 一体、どこで出会ったんだ?」
「ここだよ。お祭りに来たんだよ。知念(ちにん)のマカマドゥ叔母さんが、娘のマカミーと一緒に連れてきたんだ」
「こいつは一目惚れしたんだよ」とマグルーがシングルーとウニタルに言った。
 サングルーも一緒に行くと言って付いて来た。九人に増えた一行は知念グスクに行って、叔父の知念按司に歓迎されて、その日は知念グスクに泊まった。
 二日目は垣花グスクに行って、サングルーの婚約者のマフイと会った。マフイは突然、サングルーがやって来たので驚いた。若夫婦たちを紹介されて、わたしも早く、みんなの仲間に入りたいと思った。これから玉グスクに行くというので、マフイも一緒に行った。マフイは玉グスクのウミタルから剣術を習っていた。
 ウミタルは武寧(ぶねい)(先代中山王)の息子のイシムイに嫁いだが、浦添グスクが炎上した時、ウニタキに助け出されて、二人の娘を連れて玉グスクに戻って来た。玉グスクにも女子(いなぐ)サムレーを作ろうと考えて剣術の修行を始め、ヂャンサンフォンの弟子にもなっていた。今では三十人の女子サムレーを率いる総隊長として、玉グスクを守り、近在の娘たちにも剣術の指導をしていた。
 玉グスクの城下で『まるずや』の女主人、ハマドゥに挨拶をして、グスクに行って、叔父の玉グスク按司に挨拶をした。ぞろぞろと若者たちがやって来たので、玉グスク按司も妻のマナミーも驚いたが歓迎してくれた。ウミタルも喜んで、女子サムレーたちを鍛えてくれと言った。ファイリン、マチルー、マウミは女子サムレーたちを鍛えた。三人の強さに皆が驚いた。
 玉グスクをあとにした一行は具志頭(ぐしちゃん)グスクに行って、マグルーとマチルーの兄、イハチ(具志頭按司)に歓迎された。ファイリンとマチルーとマウミは師匠のチミー(イハチの妻)に弓矢の上達ぶりを披露した。
 具志頭グスクから玻名(はな)グスクに行って、玻名グスク按司のヤキチに歓迎された。ヤキチはシングルーの祖父だった。
 玻名グスクで昼食を御馳走になって、鼻歌を歌いながら米須(くみし)に向かっていた時、何者かの襲撃を受けた。敵は十人だった。五人づつが前後に現れて、一行は囲まれた。
 お頭らしい髭だらけの男が刀を抜いて、「命が惜しかったら荷物を置いて、さっさと行け!」と怒鳴った。
 カシマはニヤニヤと笑って、「お前ら馬鹿か」と言った。
「わしらに勝てると思っているのか」
「命知らずの奴だ」とお頭は笑って、配下の者たちに、「やれ!」と命じた。
 刀を持っているのは福寿坊とカシマだけだったので、敵も油断したようだ。十人の敵はあっという間に倒された。死んだ者はいない。皆、急所を打たれて気絶していた。
「こんな所に山賊がいるとは驚いた」と福寿坊が言った。
「去年の戦(いくさ)の残党かもしれんな」とカシマが言った。
「それにしても弱すぎる」と言ってウニタルが笑った。
「こいつら、どうするんです?」とマグルーが福寿坊に聞いた。
「そうだな。玻名グスク按司に知らせて片付けてもらうか」
「俺が知らせて来ますよ」とシングルーが言った。
「わたしも行くわ」とファイリンが言って、玻名グスクに戻ろうとした時、前方から大勢の人が近づいて来た。
「こいつらの仲間が来たようだ」とカシマが言った。
 敵は二、三十人はいるようだった。若夫婦たちは棒を構えて待ち構えた。道の両側の森の中から別の一団が出てきて、近づいて来る敵と戦いが始まった。
「近づくな!」と誰かが叫んだ。
「親父だ!」とウニタルが言って、敵を斬りまくっているウニタキを見つめた。
「ウニタキさんを助けなくちゃ」とマグルーが言った。
「待て!」と福寿坊が言って、後ろを振り返った。
 後ろでも斬り合いが始まっていた。
「飛び道具があるかもしれん。気をつけろ!」とカシマが言って、道の両側の森を見た。
 一行は輪になって周囲を警戒した。
 ウニタルは父の素早い動きを見守っていた。父が強いのは知っていたが、実際に戦っているのを見るのは初めてだった。まったく無駄のない動きで、次から次へと敵を倒していた。父の味方の者たちは十数人いるようだった。
 どれだけの時が経ったのかわからなかった。あっという間の出来事のような気もするし、長い時間が経ったような気もした。すべての敵を倒して、父が近づいて来た時、ウニタルは構えていた棒から手を離そうとしたが、強く握りしめていたため、なかなか棒から離れなかった
「みんな、無事だな」とウニタキは皆を見た。
 ウニタキの着物には返り血が飛んでいた。
「あいつらは何者です?」とウニタルが父に聞いた。
「玻名グスクの残党だ。摩文仁(まぶい)の残党も混ざっている。奴らの事は知っていたんだが、どこかに隠れていて見つける事ができなかったんだ。最初に出て来たのも奴らの一味だ。そいつらがやられたので他の奴らが現れたようだ」
「もしかしたら、親父は俺たちを守っていたのですか」
 ウニタキはうなづいた。
「最後まで、隠れて守るつもりだったんだが、思惑がはずれちまったな」
「もしかしたら、ウニタキさんの仕事は、親父を守る事なのではありませんか」とマグルーが聞いた。
 ウニタキは笑った。
「みんなも聞いてくれ。中山王には『三星党(みちぶしとう)』という裏の組織がある。中山王のために敵の情報を集めたり、敵が放った刺客(しかく)を殺したりもする。『三星党』ができたのは、島添大里按司が佐敷按司だった頃だ。佐敷按司を守るために若い者たちを鍛えて結成したんだ。今では、三星党の者たちは各地にいる。勿論、敵地にもいる。『まるずや』で働いている者たちは勿論の事、敵のグスクに側室や侍女として入っている。地図を作っている三星大親(みちぶしうふや)というのは表の顔で、三星党の頭領が俺なんだよ。この事を知っているのは数人だけだ。お前たちも胸の中にしまっておいてくれ」
 そう言うとウニタキは森の中に消えて行った。ウニタキが話をしている時、ウニタキの配下の者たちが気絶していた十人を森の中に連れ去っていた。
「凄かったな」とマグルーがウニタルに言った。
「お前は『三星党』の事を知っていたのか」とウニタルはマグルーに聞いた。
 マグルーは首を振った。
 ウニタルがシングルーを見るとシングルーも首を振った。サングルーも首を振った。
「あたし、ウニタキさんに助けられた事を思い出したわ」とマウミが言った。
「初めての里帰りで今帰仁に行って、帰る時だったわ。山の中で何者かに襲われて、ウニタキさんに助けられたの。あの時はあまり深く考えないで、父の知り合いの人が助けてくれたと思っただけだったけど、今、思えば、ウニタキさんはずっと、あたしたちを守っていてくれたのね。母から聞いたんだけど、父には亡くなった姉がいて、その姉の夫がウニタキさんだったらしいわ」
「何だって?」とマグルーが驚いた。
「ウニタキさんが兼(かに)グスク按司殿の義兄だったのか」
「詳しい事はわからないけど、そうらしいわ」
 ウニタキの妻はマグルーの祖母の妹のチルー大叔母さんだった。大叔母と出会う前に、兼グスク按司の姉と一緒になっていたのだろうか。マグルーにもマチルーにもよくわからなかった。
 ウニタルの頭も混乱していた。兼グスク按司の姉と父が一緒になっていたなんて信じられない事だった。
「凄い剣術使いじゃのう」とカシマが唸った。
「消えているわ」とファイリンが言った。
 前方を見ても後方を見ても、倒れていた敵の姿は一人も見えなかった。五十人もの死体が転がっているはずなのに、何もなかったかのようにひっそりとしていた。
 ウニタルが前方に走って行った。皆もあとを追った。血の跡があちこちに残っているが、森の中を見ても死体は見当たらなかった。
「ウニタキさんの配下の者たちが片付けたのね」とマチルーが言った。
「ウニタキさんじゃなくて、親父だよ」とウニタルがマチルーに言うと、
「お父さんね」とマチルーは笑って、「凄いお父さんだわ」と言った。
 襲撃事件のあと、皆の顔つきは変わっていた。物見遊山(ものみゆさん)の気楽な旅だったが、『三星党』の存在を知った事で、自分たちもやらなければならない事があるはずだと考え始めた。今回の旅を決して、無駄な旅にしてはならないと誰もが思っていた。
 米須の城下に行って『まるずや』の女主人のチャサに挨拶をした。女主人を見る目も変わっていた。今までは古着屋の女主人に過ぎないと気にも止めなかったが、よく観察すると、動きに隙がなく、武芸を身につけている事がわかった。売り子たちもそうだった。愛想よくお客の接待をしているが、皆、かなりの使い手だった。
 『まるずや』の者たちが皆、親父の配下として働いていると思うと、ウニタルは改めて、親父は凄い人だったんだと思い、親父を見る目がすっかり変わっていた。
 米須から八重瀬(えーじ)に行った。八重瀬にも『まるずや』があった。ここの主人は男だった。主人の話によると四年前に島尻大里に店を出したが、去年の戦の時、八重瀬に避難して、そのまま、八重瀬にいるという。どうして、島尻大里に戻らないのかと聞いたら、島尻大里には古くから『よろずや』があって、『よろずや』にはかなわないので八重瀬に移ったと言った。
「商売敵(がたき)だな」とシングルーが笑った。
 その日は叔父のマタルー(八重瀬按司)のお世話になって、八重瀬グスクに泊まった。
 ウニタルが『三星党』の事をマタルーに聞いたら、急に険しい顔になって、「誰に聞いた?」と聞いた。
「父から聞きました」と言って、襲撃事件の事を話すと、
「そうか」とマタルーはうなづいた。
「『三星党』は裏の組織だ。敵に絶対に知られてはならんのだ。敵に知られたら『まるずや』の者たちは皆殺しにされるだろう。『まるずや』を巡るのもいいが、ただの古着屋だと思って、気楽な顔をして行く事だな。何も知らんという顔で旅をしないと怪しまれるぞ。『三星党』の事は二度と口に出すな」
 ウニタルたちは神妙な顔をしてうなづいた。
 三日目は八重瀬から山南王(他魯毎)の本拠地、島尻大里の城下に行った。商売敵の『よろずや』は繁盛していた。たとえ、商売で負けたとしても、山南王の本拠地には『まるずや』は置くべきだとウニタルは思った。
 山南王は叔父だったが、島尻大里グスクには寄らなかった。叔母のマチルーが豊見(とぅゆみ)グスクに嫁いだのは、マグルーとマチルーが幼い頃で、その後もあまり里帰りはしていないので、馴染みが薄かった。訪ねて行けば歓迎してくれるだろうが、庶民の格好で山南王に会うのははばかられた。
 糸満(いちまん)の港を見て、以前、マウミが住んでいた阿波根(あーぐん)グスクを見て、保栄茂(ぶいむ)グスク、テーラーグスク(平良グスク)を見て、豊見グスクの城下にある『まるずや』に行った。マタルーに言われたように、何も知らないといった顔で古着を見ただけで、いちいち主人を呼んで挨拶はしなかった。
 豊見グスクから兼グスクに行ってンマムイに挨拶をしたら、今晩は泊まって行けと言われて、マウミは早々と里帰りを楽しんだ。
 その夜、お酒を御馳走になりながら、ウニタルたちはンマムイからウニタキの事を聞いた。
「ウニタキ師兄(シージォン)は勝連按司(かちりんあじ)の息子だったんだ」とンマムイが言うと、皆が「えっ!」と驚いた。
「今の勝連按司じゃないぞ。二十年も前の勝連按司だ。お前たちも知っているだろう。その頃は俺のお爺、察度(さとぅ)が中山王だったんだ。俺のお姉(ねえ)のウニョンは勝連按司の息子だったウニタキ師兄に嫁いだんだよ。そのあと、今帰仁合戦があって、ウニタキ師兄は大活躍をした。師兄には二人の兄がいて、その兄たちが師兄の活躍をうらやんで、殺そうとしたんだ」
「兄たちが弟を殺す?」と信じられない顔でマグルーが聞いた。
「勝連には『望月党(もちづきとう)』という裏の組織があって、そいつらが高麗(こーれー)の山賊に扮して、師兄を襲ったんだ。姉のウニョンと娘は殺されたけど、師兄は何とか生き延びた。そして、佐敷に逃げて行って、サハチ師兄を頼ったんだ。その後はお前たちも知っているように、サハチ師兄のために各地の情報を集めているというわけだ」
「父上はどうして、勝連の裏の組織の事まで知っているのですか」とマグルーが聞いた。
「父上か‥‥‥」と言って、ンマムイがマグルーを見て笑った。
「俺もそんな事は全然知らなかったんだよ。ウニタキ師兄はウニョンと娘の敵(かたき)を討つために『望月党』と戦っていたんだ。見事に敵を討って、『望月党』は壊滅したそうだ」
 父が勝連按司の息子で、殺された妻と娘の敵を討っていたなんて、ウニタルのまったく知らない事だった。
「父が敵を討ったのはいつの事ですか」とウニタルはンマムイに聞いた。
「さあ、そこまでは知らんな。親父に聞いてみろ」
 妻と娘を殺されて佐敷に逃げて来た父は佐敷に落ち着いて、母と一緒になった。ウニタルが生まれたのは佐敷グスクの裏山にある屋敷だった。六歳の時、島添大里の城下に移ったので、当時の事はあまり覚えていない。姉と一緒に山の中を走り回っていたのを覚えているくらいだった。あの頃の父は猟師の格好をしていて、自分は猟師の倅だと思っていた。あの頃、敵を討ったのだろうか。
 島添大里に移ってからは父は地図を作るために旅に出ていて、滅多に家には帰って来なかった。各地を回って情報を集めていたに違いない。『三星党』の事なんて知らなかったし、頭領である父の跡を継ぐのは、並大抵の事ではないとウニタルは悟って、俺に務まるのだろうかと自問していた。
「自分でも不思議に思っているけど、親父の敵として命を狙っていたサハチ師兄と、こうして親戚になったなんて、世の中というのはまったく面白いもんだ。先の事なんて神のみぞ知るだな」
 そう言って、ンマムイは楽しそうに笑っていた。

 

 

 

鹿島神宮

2-186.二つの婚礼(改訂決定稿)

 山北王(さんほくおう)(攀安知)の使者たちを乗せた中山王(ちゅうざんおう)(思紹)の進貢船(しんくんしん)が船出した翌日、ようやく、ヤマトゥ(日本)に行った交易船が帰って来た。同じ日に、シンゴ(早田新五郎)、マグサ(孫三郎)、ルクルジルー(早田六郎次郎)の船も馬天浜(ばてぃんはま)に来たので忙しかった。
 交易船の出迎えはマチルギ(サハチの妻)に任せて、前回の進貢船が帰国した時と同じように、浮島(那覇)から首里(すい)まで行進させた。総責任者の手登根大親(てぃりくんうふや)(クルー)、正使のジクー(慈空)禅師、副使の黒瀬大親(くるしうふや)(クルシ)が馬に乗って先頭を行き、小旗を振る民衆たちに歓迎された。
 サハチ(中山王世子、島添大里按司)は馬天浜に行って、シンゴたちを出迎えて、そのまま、『対馬館(つしまかん)』での歓迎の宴(うたげ)に加わった。佐敷大親(さしきうふや)(マサンルー)の次男のヤキチ、中グスク按司(ムタ)の長男のマジルー、シビーの兄のクレーも無事に帰って来て、いい旅だったと満足そうに言った。
 佐敷大親が妻のキクと一緒に来ていて、ヤキチの無事の帰国を喜んだ。
 サハチはクレーからヤマトゥの戦(いくさ)の事を聞いた。
将軍様足利義持)が伊勢の神宮参詣から帰って来てから京都に兵が集まって来ました。凄かったです。京都は兵たちで埋まりました。噂では五万人の兵が集まったと言っていました」
「なに、五万人の兵?」
 サハチには五万人の兵がどれだけなのか想像もできなかった。
「今にも戦が始まる状況でした。戦が始まったら帰れなくなってしまうかもしれないので、俺たちは『一文字屋(いちもんじや)』の船に乗って京都を離れました。十月の半ば頃です。その後は対馬にいたので、京都の事はわかりませんが、交易船が博多に来たのは十二月の半ばを過ぎた頃でした。無事に京都を出られてよかったとホッとしました。結局、戦は起こらなかったようです」
「本当に凄かったです。あの兵たちを見られただけでもヤマトゥに行ってきてよかったと思います」とマジルーは目を輝かせて言った。
 サハチはシンゴたちの所に行って、クレーたちがお世話になったお礼を言った。
「京都の戦の原因は何なんだ?」とサハチはシンゴに聞いた。
南北朝(なんぼくちょう)の戦のけりがまだついていないんだよ。天皇家南朝北朝に分かれて戦ったのが、南北朝の戦なんだ。将軍家は北朝方として戦って、南朝勢力を滅ぼしていき、南朝が支配していた九州は壊滅した。しかし、まだ南朝方の武将は生きている。その代表が伊勢の北畠(きたばたけ)なんだよ。南北朝の戦が終わる時、南朝北朝が交互に天皇になるという約束をしたんだ。でも、北朝天皇南朝天皇に譲る事なく、北朝天皇に跡を継がせたんだ。約束を破ったと言って北畠は怒ったんだよ」
「どうして約束を破ったんだ?」
「将軍家にとって、もはや、天皇は飾り物に過ぎない存在なんだよ。南朝方は天皇を中心とした政治をやりたがっているようだ。将軍家としては天皇が力を持っては困るんだよ」
南朝天皇になると、北畠が将軍になるのか」
「その可能性はあるな。将軍を任命するのは天皇だからな」
「それで、将軍様天皇の座を南朝に譲らないのか」
「このままでは終わるまい。将軍様にしろ、北畠にしろ、けりをつけなければならない。もしかしたら、今頃、戦が始まっているかもしれない」
「今年、送る交易船も戦に巻き込まれそうだな」
「博多は大丈夫だよ。博多で様子を見てから京都に行けばいい。話は変わるが、宗讃岐守(そうさぬきのかみ)の使者が朝鮮(チョソン)の塩浦(ヨンポ)(蔚山)で騒ぎを起こしたようだ」
「塩浦とはどこだ?」
「富山浦(プサンポ)(釜山)より少し北に行った港だ。詳しい事はわからんが、富山浦を叔父(五郎左衛門)が仕切っているので、塩浦に拠点を築こうと考えたのだろう。塩浦にも対馬の人たちが住んでいて、叔父の配下の者が仕切っているんだ。そこに割り込もうとして争いになったようだ。朝鮮の役人たちもやって来たが、叔父の味方をして、宗讃岐守の使者たちは追い返されたようだ」
「相変わらず、五郎左衛門殿も活躍しているな」
「活躍しているんだが、年齢(とし)には勝てんと言っていた。もう、六十の半ば過ぎだろう。そろそろ。隠居するかと言っていたよ」
「隠居したら琉球に来るように伝えてくれ。大歓迎するってな。ところで、サイムンタルー(早田左衛門太郎)殿はどうしている?」
「着実に勢力を広げているよ。琉球から持って帰る商品が威力を発揮して、うまく行っている。琉球の船が毎年、ヤマトゥに行くようになって明国の陶器が出回った。今まで明国の陶器なんて知らなかった者たちが欲しがるようになったんだ。対馬の者たちも明国の陶器を宝物のようにありがたがっているんだよ」
「そうか。そいつはよかった。旧港(ジゥガン)(パレンバン)とジャワ(インドネシア)の船もやって来るようになったので、陶器はたっぷりとある。南蛮(なんばん)(東南アジア)の人たちが欲しがっているのは刀だ。これからも刀を頼むぞ」
「わかっている。そろそろ、今帰仁(なきじん)攻めだろう。今回は鎧(よろい)も積んで来た」
「そいつは助かる。ありがとう」
 サハチはルクルジルーから、イト、ユキ、ミナミ、三郎の事を聞いて、あとの事はマサンルーに任せて、暗くならないうちに首里に向かった。
 首里の会同館(かいどうかん)では帰国祝いの宴が始まっていた。サハチはマチルギと入れ替わって、使者たちをねぎらった。思紹(ししょう)も来ているので、マチルギは首里グスクに帰って行った。
「とんだ目に遭いましたね」とサハチが言うと、
「参ったよ」とジクー禅師は苦笑した。
「京都は武装した兵で埋まって、等持寺(とうじじ)を守る兵も増えて、わしらは外に出られなくなってしまったんじゃよ」
将軍様の力をまざまざと見せつけられたような気がする」とクルシは言った。
将軍様が一声掛けたら五万もの兵が集まってくる。あれだけの兵で攻めたら北畠も敗れるじゃろう」
「タミー(慶良間の島ヌル)ですが、高橋殿に頼まれて、京都に残してきました」とクルーは言った。
 サハチはうなづいて、ヂャンサンフォン(張三豊)が琉球から去った事を教えた。
「親父から聞きました。馬天浜で盛大な送別の宴をしたそうですね。俺も参加したかったですよ」
「ヂャン師匠はムラカ(マラッカ)に行くと言っていたから、今帰仁攻めが終わったらムラカに行く船を出そう」
「等持寺に閉じ込められた時、ヂャン師匠と親父と一緒に明国の険しい山々を走り回っていた事を思い出したんです。外に出られなくて退屈していたので、みんなに武当拳(ウーダンけん)を教えていましたよ」
「そうだったのか」とサハチはクルーを見て笑った。
 サハチはヌルたちの所に行った。馬天ヌルがヌルたちから旅の話を聞いていて、サハチの顔を見ると、「ねえ、『ギリムイ姫様』がヤマトゥに行ったの?」と聞いた。
「サスカサ(島添大里ヌル)がヤマトゥに行った人たちの無事をお祈りしたら、ギリムイ姫様がヤマトゥまで行って様子を見てきてくれたのです」
「あら、そうだったの。わたしも神様にお願いしたのよ。『真玉添(まだんすい)姫様』がヤマトゥまで行って来てくれたわ」
「なんだ、叔母さんもみんなの無事を知っていたのですか」
「あなたたちにも知らせようと思ったんだけど、年末年始は忙しくて知らせられなかったわ。でも、新年の挨拶に来たあなたは知っていたから、誰かから聞いたんだろうと思っていたのよ」
「真玉添姫様も京都まで行ったのですか」
「いいえ。博多でユミーから話を聞いて帰って来たわ」
「そうでしたか。ギリムイ姫様は京都まで行って、タミーと会って来たようです」
「タミーさんは凄い人です」とハマ(越来ヌル)が言った。
「京都に着いてから、タミーさんは毎日、『船岡山(ふなおかやま)』に通っていました。ササ(運玉森ヌル)に言われて、スサノオの神様に御挨拶をするためです。スサノオの神様はいらっしゃいませんでしたが、雨の日も風の日も休まずに行って、色々な神様のお話を聞いていたようでした。わたしには神様の声は聞こえませんでしたが、毎日、タミーさんに付き合いました。一月くらい経って、わたしも神様の声が聞こえるようになりました。初めて聞いた神様の声は、恐ろしい事を言っていました。わたしは怖くなって、その場から逃げたいと思いましたが、タミーさんは少しも恐れずに話を聞いていました。神様の姿は見えませんが、恐ろしい声で、お前たちを殺すと言ったのです。わたしは神様が刀を振り上げている姿を想像して悲鳴を上げたくなりました。タミーさんは少しも動ぜず、神様の怒りを見事に静めていました。凄い人だと、わたしは尊敬しました」
「『ユンヌ姫様』から話を聞いたよ。ハマもスサノオの神様の声が聞こえるようになったって言っていた。よかったな」
 ハマは嬉しそうにうなづいた。
「そういえば、ササはユンヌ姫様と一緒に南の島(ふぇーぬしま)を探しに行ったのですか」
「ああ。無事にミャーク(宮古島)に着いて、近くにある島々を巡っているようだよ」
「そう」と言って、ハマは笑った。
「わたし、ササに追い着こうと必死でした。でも、ササはいつもわたしの先を行っています。毎日、船岡山に通っていて、わたし、わかったのです。ササはササの道を歩いている。わたしはわたしの道を歩かなければならないって。今のわたしにはまだ、自分の道はわからないけど、越来(ぐいく)ヌルとしてやるべき事をやろうと思いました。まずは越来周辺の古いウタキ(御嶽)を巡ってみようと思います」
「そうだな。ウタキ巡りはヌルの基本だ。古い神様と出会えば、やるべき事が見つかるだろう。ハマはタミーと一緒に高橋殿の屋敷にいたのか」
「そうです。わたしたちが等持寺から船岡山に通っているのを高橋殿が知って、高橋殿のお屋敷の方が近いと言って、移る事になりました。ササが滞在していたので遠慮はいらないと言われましたが、凄いお屋敷だったので、びっくりしました。そして、高橋殿に連れられて将軍様の御所にも行って、御台所(みだいどころ)様(将軍義持の妻、日野栄子)に御挨拶をしました。御台所様はササの事を聞いて喜んでおりました。ササが将軍様の奥方様とあんなにも親しかったなんて驚きました」
「中山王と将軍様の取り引きがうまく行っているのも、ササと御台所様が仲がいいからなんだとも言えるんだよ」
 ハマはうなづいてから、「高橋殿のお酒好きには参りました」と言って笑った。
「高橋殿のお陰で、ササも安須森(あしむい)ヌル(先代佐敷ヌル)もサスカサもお酒好きになってしまった。困ったもんだよ」
「タミーさんもお酒好きで、高橋殿のお屋敷にはおいしいお酒があるって喜んでいました」
「なに、タミーもお酒好きだったのか」
「キラマ(慶良間)の島にいた時、師範たちとよく飲んでいたそうです」
「そうだったのか。それで、高橋殿と一緒に『伊勢の神宮』に行ったのか」
「はい。将軍様と大勢の兵も一緒でした。高橋殿はわたしたちと行動を共にしていましたが、高橋殿の配下の人たちがあちこちにいるみたいで、様々な格好をした人たちが高橋殿に報告に来ていました。そして、タミーさんはお城の近くを通ると、あそこで戦の準備をしていると高橋殿に告げていました」
「タミーは遠くの物が見えるのか」
「遠くの景色が頭の中に浮かんでくると言っていました」
「凄いシジ(霊力)だな」
「それで、京都に残る事になったのです。わたしも残りたかったけど、越来の事も心配だったので帰ってきました」
「タミーの事を調べたのよ」と馬天ヌルが言った。
「普通の娘じゃないような気がしてね。そしたら、タミーのお祖母(ばあ)さんが『須久名森(すくなむい)ヌル』だってわかったのよ」
「えっ、須久名森にヌルがいたのですか」
 サハチは昔、クマヌ(先代中グスク按司)と一緒に須久名森に登った事があるが、ウタキには気づかなかった。
「わたしも知らなかったのよ。タミーのお祖母さんは二十年も前に亡くなっていて、娘さんが跡を継いだんだけど、若くして亡くなってしまって、今は絶えてしまっているのよ。タミーのお母さんはヌルを継いだ娘と双子だったの。姉がヌルを継いで、妹は佐敷のウミンチュ(漁師)に嫁いで、タミーが生まれたの。お母さんもタミーが十歳の時に亡くなってしまったわ。タミーはお祖母さんもヌルを継いだ伯母さんも知らないけど、自分でも知らないうちに、須久名森ヌルを継ぐ道を歩み始めたんだと思うわ」
須久名森のウタキは古いのですか」
「多分ね。タミーが神様とお話をすればわかると思うわ」
 福寿坊(ふくじゅぼう)が知らない連中たちと一緒にいるので、サハチは行ってみた。
按司様(あじぬめー)、職人たちを連れてきましたよ」と福寿坊は口をもぐもぐさせながら言った。
「そうか、ありがとう」と言いながら、サハチは職人たちの顔触れを見た。
 皆、一癖ありそうで、頑固そうな顔をしていた。福寿坊がサハチを紹介すると急にかしこまって頭を下げた。福寿坊は一人づつ紹介した。鋳物師(いもじ)の三吉、紺屋(こうや)の五助、畳(たたみ)刺しの義介(ぎすけ)、桶(おけ)作りのタケ、革作りの重蔵(しげぞう)、酒造りの定吉(さだきち)、櫛(くし)作りの文吉(ぶんきち)、竹細工のトシの八人だった。
「よく琉球まで来てくれた。今晩は旅の疲れを取ってくれ。あとで技術を見せてもらう」
「鋳物師の三吉は梵鐘(ぼんしょう)も造れます。琉球のお寺に鐘楼(しょうろう)を造って、鐘を鳴らしたらいかがでしょう」と福寿坊は言った。
「鐘楼か。気がつかなかった。お寺には鐘楼が必要だったな。うむ、それはいい考えだ。鐘の音が響けば、都らしくなるな」
 サハチは満足そうな顔をして三吉を見て、「頼むぞ」と言った。
「まずは職人を育てなければなりません」と三吉は言った。
「わかっている。すぐに造れとは言わん。職人を育ててくれ」
 翌日、サハチは思紹と一緒に職人たちの腕を見た。皆、人並み外れた腕を持っていた。『職人奉行』という役職を新たに作って、職人たちを管理させ、彼らを親方として、弟子たちを育てる事を命じた。
 朝鮮に行っていた使者たちが勝連(かちりん)から帰って来た。朝鮮の様子を聞くと世子(せいし)のヤンニョンデグン(譲寧大君)の女遊びが宮廷で問題になっていて、そのうち、廃嫡されるかもしれないと噂されているという。その話は以前にも聞いた事があった。以前は妓女が相手だったが、最近は重臣の妾(めかけ)に手を出して大騒ぎになったという。
 サハチは武寧(ぶねい)(先代中山王)の側室だった高麗美人(こーれーちゅらー)を奪い取った山南王(さんなんおう)を思い出していた。その山南王も家臣の妻に手を出したと聞いている。結局は汪英紫(おーえーじ)(先々代山南王)に攻められて、王の座を奪われ、朝鮮に逃げて行った。その世子が王様になったら、朝鮮でも戦が起こって、王様が入れ替わるかもしれないと思った。
 その晩、朝鮮に行っていた者たちを遊女屋(じゅりぬやー)『宇久真(うくま)』でねぎらった。
 二月になって浮島の『那覇館(なーふぁかん)』の拡張工事が始まった。『天使館』には冊封使(さっぷーし)たちが入るので、旧港とジャワの使者たちを『那覇館』に入れなければならない。今までの倍の規模に拡張しなければならなかった。首里でジクー寺を造っている一徹平郎(いってつへいろう)たちにも、ジクー寺を中断して手伝ってもらう事になっていた。
 九日には首里グスクのお祭りが行なわれ、ハルとシビーの新作のお芝居『ササと御台所様』が上演された。ササたちが交易船に乗ってヤマトゥに行き、御所に行って御台所様と再会する。高橋殿と御台所様と一緒に熊野に向かう珍道中が描かれていた。山賊退治で大暴れして、新宮(しんぐう)の神倉山(かみくらやま)ではスサノオの神様も現れた。まるで喜劇だった。観客たちはササのやる事に腹を抱えて笑っていた。面白いお芝居だったが、ササが観たら怒るような気もした。
 その頃からナツのお腹が大きくなってきた。ナツにとっては二人目の子供で、サハチにとっては十五人目の子供だった。本当は奥間(うくま)ヌルが産んだミワも入れると十六人目になる。我ながら随分と子供を作ったものだと驚いた。
 首里にいたユリたちが島添大里(しましいうふざとぅ)グスクに戻って来て、本格的に婚礼の準備が始まった。
 安須森ヌルがいないので、サスカサは一人で頑張るつもりでいたが、馬天ヌルが麦屋(いんじゃ)ヌル(先代与論ヌル)とカミー(アフリ若ヌル)を連れて手伝うと言い、佐敷ヌルと平田ヌルも将来のために婚礼の儀式を経験したいと言ってきた。ハルとシビーに手伝ってもらっても三人だけで舞うのは寂しいと思っていたサスカサは喜んで、ユリと一緒に儀式の時のヌルの舞を考えた。
 二月十五日、神様も祝福しているのか、朝からいい天気だった。南風原(ふぇーばる)の兼(かに)グスクからマウミ(ンマムイの長女)が乗ったお輿(こし)がヤタルー師匠(阿蘇弥太郎)の先導で、島添大里グスクへと向かった。ヤタルー師匠は慈恩寺(じおんじ)にいたが、可愛いマウミの婚礼に参加したいと言って先導を務めていた。マウミが生まれた時から知っていて、幼いマウミに剣術の指導をしたのもヤタルー師匠だった。
 マウミは旗を振って見送ってくれる城下の人たちに手を振りながら、マグルー(サハチの五男)との出会いを思い出していた。
 新(あら)グスクから兼グスクに移った頃、マグルーは兼グスクにやって来た。当時、マウミに会いに按司たちの息子が何人も訪ねて来ていた。マグルーもその手の男だろうと弓矢の試合をして追い返した。その後、マウミはマグルーの事は忘れた。
 翌年、従姉(いとこ)のマナビーが今帰仁(なきじん)から島添大里に嫁いできた。マウミはマナビーがいるミーグスクに度々遊びに行った。ミーグスクには的場があって、マグルーがそこで弓矢の稽古に励んでいる事を知った。初めて試合をしてから二年後、マウミはマグルーと弓矢の試合をして負け、マグルーを好きになっている自分に気づいた。その後、マグルーはヤマトゥに行き、明国にも行って来た。そして、今、マグルーのもとへ嫁いで行く。マウミは幸せ一杯だった。
 佐敷グスクからはお輿に乗ったマチルー(サハチの次女)が、サグルーとジルムイの先導で島添大里グスクに向かっていた。マチルーは島添大里グスクで暮らしていたが、生まれたのは佐敷グスクだった。山グスクにいたサグルーとジルムイは、可愛い妹の婚礼のために先導を買って出ていた。マチルーの花嫁行列は小旗を振る人たちに見送られて島添大里グスクへと向かった。
 マチルーがウニタル(ウニタキの長男)と婚約している事を知ったのは十三歳の時だった。島添大里グスクのお祭りの時、ウニタルが姉のミヨンと三弦(サンシェン)を弾いて歌を歌った。うまいわねとマチルーが褒めると、お前の婚約者だと父は言った。マチルーは驚いて、どうして今まで黙っていたのと父を責めた。お嫁に行くのはまだ先の事だし、お前がいやなら断ってもいいと父は言った。
 お嫁に行く事なんて考えてもいなかったマチルーは、断るなら早い方がいいだろうと思って、兄のマグルーからウニタルの事を聞いた。ウニタルはマグルーより一つ年上なので、あまり話はした事はないが、三弦がうまいだけでなく、剣術も強いと言った。親父の片腕とも言える三星大親(みちぶしうふや)の息子なら、お嫁に行ってもいいんじゃないのかと兄は笑った。
 島添大里グスクのお祭りから二か月後、兄のイハチが婚礼を挙げて、具志頭(ぐしちゃん)からチミーが嫁いできた。弓矢の名人のチミーに憧れて、マチルーは弓矢の稽古に励んだ。翌年には兄のチューマチのもとへ今帰仁からマナビーが嫁いできた。マナビーも武芸の達人だった。マチルーは武芸の稽古に夢中になって、ウニタルの事は忘れた。その年の五月、ウニタルがヤマトゥ旅に出る前、マチルーはファイリン(懐機の娘)に誘われて、佐敷グスクに行った。
 ファイリンはマチルーより二つ年上で、島添大里グスクの娘たちの剣術の稽古に通っていて、チミーの弟子でもあった。ヤマトゥに行くウニタルがマチルーに会いたがっていると言われて、マチルーはウニタルに会って、親が決めた縁談なんて、やめにしようとはっきり言おうと思った。
 佐敷グスクの裏にある的場で、シングルー(佐敷大親の長男)とウニタルが待っていた。ウニタルから弓矢の試合をしようと言われて、試合をしてマチルーは負けた。勝ったら縁談を断ろうと思っていたのに、断る事はできなかった。その後、的場にある小屋の中で世間話をして、シングルーがファイリンにヤマトゥ旅から帰ってくるまで待っていてくれと言って、ファイリンはうなづいた。ウニタルはマチルーに待っていてくれと言った。うなづくつもりはなかったのに、ウニタルに見つめられて胸が熱くなって、うなづいてしまった。ウニタルは喜んだ。シングルーとファイリンもよかったねと喜んでいた。
 ウニタルとシングルーがヤマトゥ旅に出たあと、マチルーはファイリンと一緒に二人の無事を祈った。ファイリンとウニタルは幼なじみだった。ファイリンからウニタルの事を色々と聞いて、マチルーは少しづつウニタルが好きになっていった。
 ヤマトゥ旅から無事に帰ってきたウニタルからお土産をもらって、ヤマトゥの話を聞いた。旅から帰ってきたウニタルは頼もしくなっているように感じた。シングルーはファイリンと一緒になり、ウニタルは兄のマグルーと一緒に明国に行った。マチルーはマウミと一緒に二人の無事を祈った。十七歳になったマチルーは、ウニタルとの事は親が決めた縁談ではないと思っていた。自分で決めた縁談で、神様のお導きによって、ウニタルと一緒になるのだと思っていた。マチルーも幸せ一杯だった。
 大勢の見物人を引き連れてきたマチルーの花嫁行列は島添大里グスクの東曲輪(あがりくるわ)に入った。東曲輪は開放されて、見物人たちも入って来た。マチルーは安須森ヌルの屋敷に入って休憩した。しばらくするとマウミの花嫁行列もやって来て、東曲輪は見物人たちで埋まった。
 マウミが安須森ヌルの屋敷に入って四半時(しはんとき)(三十分)後、法螺貝が鳴り響いて、二人の花嫁が出てきた。二人ともヤマトゥ風の美しい着物を着ていた。サムレーたちが通路を開けて、馬天ヌルとサスカサに先導された二人の花嫁は二の曲輪に入って行った。
 二の曲輪では家臣たちと新郎新婦の兄弟たちが並んでいた。正面にある舞台の上に、サハチとマチルギとナツを中央に、左側にウニタキ(三星大親)とチルーの夫婦、右側にンマムイ(兼グスク按司)とマハニの夫婦が、ヤマトゥ風の礼服を着て座っている。舞台の下にある椅子に座っていた二人の花婿、マグルーとウニタルが立ち上がって花嫁を迎えた。馬天ヌルに導かれたマチルーと、サスカサに導かれたマウミは、それぞれ花婿の所に行って、花婿の隣りに腰を下ろした。
 法螺貝が鳴り響いて、一の曲輪から女子(いなぐ)サムレーたちが現れて、整列すると掛け声を合わせて、武当拳(ウーダンけん)の套路(タオルー)(形の稽古)を演じた。白い着物に白い袴を着けて、赤い明国風の上着を着た女子サムレーたちは一糸乱れずに見事に演じた。套路が終わると女子サムレーたちは脇に控え、幻想的な笛の音が響き渡って、ヌルたちが現れた。
 ヌルたちは袖の大きな白い着物を着ていて、両手を広げて、まるで白鳥が飛んでいるような舞を披露した。馬天ヌル、サスカサ、麦屋ヌル、若ヌルのカミー、佐敷ヌル、平田ヌル、そして、ハルとシビー、八羽の白鳥が華麗に飛び回って、二組の新郎新婦を祝福した。
「おめでとう」という『ギリムイ姫』の声をサハチは聞いた。馬天ヌルとサスカサも聞いたらしく、一瞬、舞が止まったように思えた。サハチはギリムイ姫に感謝した。
 ヌルたちの舞が終わると、馬天ヌルとサスカサによって、二組の新郎新婦は固めの杯(さかずき)を交わした。杯を交わす時もユリが吹く笛の音が流れていて、見ている者たちを感動させた。
 サハチもマチルギも、マグルーとマチルーが生まれた時の事を思い出していた。マグルーとマチルーは一つ違いだった。
 マグルーが生まれたのは大きな台風が来て、首里天閣(すいてぃんかく)が倒れた三日後だった。その年には宇座の御隠居(うーじゃぬぐいんちゅ)様(泰期)と明国の洪武帝(こうぶてい)が亡くなっていた。翌年は密貿易船が続々とやって来て、毎年恒例の旅で浮島に行ったサハチたちは、泊まる宿がなくて松尾山で野宿をした。ウニタキに頼んで、浮島に『よろずや』を開いたのが、その年だった。ウニタキの配下のトゥミが島添大里按司だったヤフスの側室になったのも、その年の七月で、八月には八重瀬按司(えーじあじ)のタブチから使者が来て、マタルーの縁談が決まった。そして、十一月にマチルーが生まれたのだった。
 マグルーはサハチが知らないうちに、南部一の美人と言われていたマウミに惚れて、弓矢の修行に励んで、マウミの心をつかむ事に成功した。マグルーがヤマトゥ旅から帰って来て、二人の婚約は決まった。
 マチルーはマチルギが産んだ七番目の子供で次女だった。長女のミチ(サスカサ)が生まれたあと、マチルギは女の子を望んでいたが、男の子ばかりが続いて、ようやく生まれた女の子だった。ミチがヌルになるための修行を始めてからは、お姉さんとして弟や妹の面倒をよく見てくれた。ナツともうまくやっていた。幼い頃からウニタルと婚約していたが、お嫁に行くなんて、もっと先の事だと思っていた。いつの間にか、マチルーは十七歳になっていた。
 幼い頃のマチルーを思い出していたら目が潤んできた。サハチはごまかすためにマチルギを見て笑った。マチルギも笑って、あれを見てというように、ンマムイの方を示した。サハチがンマムイを見たら、くしゃくしゃな顔をして涙を拭いていた。みっともない奴だと思いながらも、素直に泣いているンマムイがうらやましかった。サハチはこぼれる涙をそっと指で拭いた。
 固めの杯が終わると拍手が沸き起こって、新郎新婦たちは東曲輪に退場した。
 東曲輪では酒と餅が配られて、新郎新婦たちは集まった人たちに祝福された。二の曲輪にいた家族と家臣たちは一の曲輪の大広間に移って、お祝いの宴が開かれた。

 

 

 

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