長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

2-102.安須森(改訂決定稿)

 去年の十一月、ヤンバル(琉球北部)に旅だったウニタキ(三星大親)の旅芸人たちは、浦添(うらしい)、中グスク、北谷(ちゃたん)、越来(ぐいく)、勝連(かちりん)、安慶名(あぎなー)、伊波(いーふぁ)、山田と各城下でお芝居を演じ、周辺の村々(しまじま)でも演じて人々に喜ばれ、ヤンバルに入った。
 恩納(うんな)の城下で演じて、恩納から名護(なぐ)へは荷車を引いて行けないので、小舟(さぶに)に乗って名護に向かった。名護の城下、羽地(はにじ)の城下、運天泊(うんてぃんどぅまい)の港町でお芝居を演じて、今帰仁(なきじん)に着いたのは年の暮れになっていた。今帰仁の城下で新年を迎え、羽地に戻って、国頭(くんじゃん)、奥間(うくま)へと行った。
 奥間のサタルーから、奥間の者たちにもお芝居を教えてくれと頼まれて、奥間に一月滞在して、今帰仁に戻り、本部(むとぅぶ)から名護に出て、名護から小舟で山田まで渡り、浦添に帰って来たのは四月の五日だった。
 今年から浦添グスクでも四月十日にお祭り(うまちー)をやる事に決まり、浦添ヌルのカナから、お祭りには是非とも参加してほしいと頼まれていた。旅芸人たちは浦添で旅の疲れを取りながら、お祭りの準備を手伝った。
 カナは佐敷ヌルから『舜天(しゅんてぃん)』の台本をもらって、女子(いなぐ)サムレーたちと稽古に励んできた。
 お祭りの当日、首里(すい)や佐敷からもお客が集まり、浦添を舞台にした『舜天』のお芝居と、旅芸人たちのお芝居『瓜太郎(ういたるー)』は観客から喝采(かっさい)を浴びた。旅をしながら何度も演じられた『瓜太郎』は改良が重ねられて、以前よりも楽しいお芝居になっていた。佐敷ヌルもユリ、シビー、ハルを連れて来ていて、旅芸人たちの『瓜太郎』に感心して、お芝居は生きていると実感した。ササたちと一緒に、イト、ユキ、ミナミも来ていて、お祭りを楽しんだ。
 浦添グスクの初めてのお祭りは天気にも恵まれて、大勢の人たちが集まって来て大成功に終わった。
 後片付けをしている時、旅芸人の座頭(ざがしら)のクンジは佐敷ヌルに、『小松の中将(くまちぬちゅうじょう)様』のお芝居を作ってくれと頼んだ。佐敷ヌルは、小松の中将様を知らなかった。
「誰なの?」と聞くと、今帰仁按司の御先祖様で、そのお芝居を今帰仁で演じたら喜ばれるに違いないという。
 佐敷ヌルはササに、小松の中将様の事を聞いた。
「聞いた事ある名前だわ」とササは言った。
「確か、平家の大将だった六波羅殿(ろくはらどの)(平清盛)の孫じゃなかったかしら。六波羅殿の長男が小松殿で、小松殿の長男が小松の中将様だったような気がするわ。源氏の事は色々と調べたんだけど、平家の事はよく知らないのよ」
今帰仁按司の御先祖様らしいわよ」と佐敷ヌルが言うと、
「久高島(くだかじま)の神様の話だと、辺戸岬(ふぃるみさき)から上陸した平家の者たちが、安須森(あしむい)(辺戸御嶽)を滅ぼしてから今帰仁に落ち着いたって言っていたわ」とササは言った。
「平家が安須森を滅ぼしたの?」
「そうらしいわよ」
「あたし、佐敷のお祭りが終わったら、安須森に行こうと思っていたの。ササも一緒に行ってくれる?」
「いいわよ。安須森には前に行った事があるから案内するわ」
「ありがとう。ササが一緒なら心強いわ」
「そのガーラダマ(勾玉)の事を調べるのね」とササは佐敷ヌルのガーラダマを示した。
 佐敷ヌルはうなづいて、「あたしのお役目だからね」と笑った。
 クンジは志慶真(しじま)の長老から聞いたと言って、小松の中将様の事を佐敷ヌルに話した。長老もその事を知ったのは二年前で、湧川大主(わくがーうふぬし)と本部(むとぅぶ)のテーラー(瀬底之子)が奄美大島(あまみうふしま)で聞いて来たという。小松の中将(平維盛(たいらのこれもり))が御先祖様だと聞いた長老は驚いて、持っていた書物をあさって平維盛の事を調べた。
 平維盛平清盛の嫡男、重盛(しげもり)(小松殿)の長男に生まれた。母親の身分が高くなかったため、幼い頃は異母弟の資盛(すけもり)が嫡男だったが、成長するにつれて、光源氏の再来と噂されるほどの美貌が評判となり、歌や舞にも優れていたので、嫡男の座を取り戻した。
 しかし、維盛が二十歳の時、妻の父親が平家打倒を企てて捕まり、流刑地(るけいち)で亡くなった。その二年後には、父の重盛が病死してしまう。平家の嫡流は叔父の宗盛(むねもり)に移ってしまい、維盛は微妙な立場に立たされる事になる。
 翌年に後白河法皇(ごしらかわほうおう)の皇子(おうじ)、以仁王(もちひとおう)が平家打倒の令旨(りょうじ)を発して、各地の源氏が蜂起する。総大将に任じられた維盛は、大軍を率いて駿河(するが)(静岡県)や北陸に出陣して源氏の兵と戦うが、時の勢いには勝てず、平家は京都を追われてしまう。
 平家は一ノ谷の合戦のあと、壇ノ浦の合戦で滅びるが、維盛はそれらの戦(いくさ)には参戦していない。一ノ谷の合戦の前に戦線から離脱して、熊野に向かい入水(じゅすい)自殺を図ったと伝わっている。志慶真の長老は、熊野の水軍の助けによって、維盛は琉球に来たのに違いないと言ったという。
 大体の話はわかったが、お芝居にするにはもっと詳しい事を知らなければならなかった。ヤマトゥ(日本)旅で京都に行って、小松の中将様の事を調べようと佐敷ヌルは思った。
 浦添グスクのお祭りの次の日、梅雨に入ったようで、雨降りの日が続いた。
 四月十八日、ジルムイの妻のユミが女の子を産んだ。可愛い孫娘の誕生で、サハチ(中山王世子、島添大里按司)はようやく、クマヌ(先代中グスク按司)の死から立ち直る事ができた。孫娘は祖母の名をもらって、『マチルギ』と名付けられた。
 その三日後、佐敷グスクのお祭りが行なわれた。幸いにも雨は降らなかった。お芝居は『察度(さとぅ)』が演じられ、旅芸人たちもやって来て、『瓜太郎』を演じた。『瓜太郎』の鬼退治の話は、どこでやっても子供たちが喜んだ。
 佐敷グスクのお祭りが終わると、佐敷ヌルはササ、シンシン(杏杏)、ナナ、シビー、ハルを連れて、ヤンバルに旅立った。ナツが言うように、ハルには側室になったという自覚はまったくなかった。常に佐敷ヌルと行動を共にしていた。サハチも好きにさせていた。
 立ち直ったサハチは、ヤマトゥと朝鮮(チョソン)に送る交易船の準備で忙しかった。明国(みんこく)に送る進貢船(しんくんしん)は、今の時期に送ると泉州まで行けないので、今年はやめにした。永楽帝(えいらくてい)は気にしていないとサングルミー(与座大親)は言っていたが、あまり役人を怒らせない方がいいだろう。去年は四回も送って、三姉妹も三隻の船で来たので、浮島(那覇)の蔵の中には商品がたっぷりと溜まっている。今年は二月、十月、十一月の三回にしようと思紹(ししょう)(中山王)と決めていた。
 四月の末、交易船の準備も一段落したサハチが、小雨の降る中、島添大里(しましいうふざとぅ)グスクに帰るとウニタキが現れた。
「ハルは佐敷ヌルに取られたようだな」とウニタキは楽しそうに笑った。
「側室というよりも、わがままな娘が一人増えたという感じだよ。シビーと一緒に、佐敷ヌルの留守を守らなければならないと必死になっているんだ。可愛いもんだよ」
「佐敷ヌルはヤマトゥに行くのか」
「佐敷ヌルは京都で本場のお芝居を見たいんだよ。名人と言われる増阿弥(ぞうあみ)や道阿弥(どうあみ)の芸を観たら、琉球のお芝居も大発展するだろう」
 ウニタキはニヤッと笑うと、
「佐敷ヌルと高橋殿、意気投合しそうだな」と言った。
「ササも一緒に行くと言ってくれたから、高橋殿と必ず会うだろう。どんな出会いになるのか見てみたいものだな」
「お互いに相手を見ただけで、何かを感じるんじゃないのか。それにしても、ササがよく行くと行ったな。そろそろ、ヤマトゥ旅も飽きてくる頃だと思っていたんだが」
「そうなんだよ。俺も助かっている。旅芸人のお陰だよ」
「『小松の中将様』だな」
 サハチはうなづいた。
「ササが平家に興味を持ったようだ。山北王(さんほくおう)を倒すには、敵の御先祖様の事を知らなければならないと言っていたよ」
「御先祖様と戦(いくさ)が関係あるのか」とウニタキは首を傾げた。
「ササはヤンバルの神様たちを味方に付けようとしているんだよ」
「成程、それは必要だな。俺たちには考えもつかない事だ」
「馬天(ばてぃん)ヌルも、ヤンバルのウタキ(御嶽)巡りの旅をもう一度やると言っているんだ」
「そうか、神様とヌルたちを味方に付ければ、山北王はお手上げだな。馬天ヌルと言えば、サワさんと仲良しになったようだな」
「ああ、馬天ヌルの屋敷に滞在して、麦屋(いんじゃ)ヌル(先代与論ヌル)とも仲よくしているようだ」
「言葉をしゃべれない娘も一緒にいるようだな。ところで、テーラーも戻って来たそうだな」
「ンマムイ(兼グスク按司)夫婦とチューマチ夫婦を連れて今帰仁に行ったんだが、また戻って来て、『ハーリー』の稽古に励んでいるよ。今年も優勝するつもりでいる」
「まもなく、ハーリーか。今年は三人の王様の龍舟(りゅうぶに)が久し振りに揃うんだったな。何年振りの事だ?」
「何を言っている。三人の王様の龍舟が揃うのは今回が初めてだよ」
「えっ、そうだったのか。山北王の龍舟は去年のテーラーが最初だったのか」
「そうさ。ンマムイの嫁さんに付いて来た山北王のサムレーが何人かいたようだけど、ハーリーには出なかったようだ」
「そうだったのか。俺は山北王が、テーラーに鬼界島(ききゃじま)(喜界島)を攻めさせると思っていたんだが、前の与論按司(ゆんぬあじ)父子(おやこ)にやらせるようだぞ」
「なに、前の与論按司を行かせるのか」
「叔父に従弟(いとこ)だからな。もう一度、機会を与えてやるんだろう。見事に鬼界島を平定したら、鬼界按司(ききゃあじ)になるのだろう。だが、鬼界島を平定するのは難しいようだ」
「手ごわい領主がいるのか」
「志慶真の長老の話だと、あの島は古くからヤマトゥとのつながりがあったようだ」
「お前、志慶真の長老に会ったのか」
「ああ。座頭のクンジと一緒に会って、『小松の中将様』の事を聞いたんだよ。首里からやって来たと言っても、長老は歓迎してくれた。そして、色々と教えてくれたんだ。亡くなってしまったなんて残念だ。しかし、俺たちから見れば、長老がいなくなって、山北王を諫(いさ)める者がいなくなったとも言える。仲尾大主(なこーうふぬし)もミーグスクに追いやられたしな。今の山北王の周りには諫める者は誰もいない。やりたい放題の事をやれば、ヤンバルの按司たちは離反するだろう」
「成程な。志慶真の長老の死は、俺たちにとっては都合がよかったのか」
「そういう事だ。長老が言うには、昔、博多に『鴻臚館(こうろかん)』という外交施設があって、鬼界島には鴻臚館の役所があって、遣唐使(けんとうし)を送る時の中継基地になっていたという。鴻臚館がなくなったあとも、その役所に勤めていた者たちによって島の支配が続いて、平家が宋(そう)の国と交易していた時も、鬼界島は中継基地として使われたようだ。宋の国というのは、明の国の前が元(げん)の国で、その前の国が宋なんだ。今、琉球で使われている銭(じに)も、宋の国が作った銭だと長老は言っていた。そして、壇ノ浦で平家が滅ぼされた時、平家の流れを汲む天皇が鬼界島に逃げて来て、隠れ住んでいたという」
「平家の流れを汲む天皇とは何だ?」
「平家の大将だった清盛は、自分の娘を天皇の后(きさき)にして、その娘が産んだ子を天皇にしたんだよ。その天皇は壇ノ浦の合戦の時、まだ十歳で、鬼界島で平家の残党たちに守られて成長したという。今も、その天皇の子孫が島を支配しているようだ」
「平家の残党の島か」
「ただの残党ではない。中心に天皇の子孫がいる。団結は固いだろう」
「前の与論按司父子には手に負えそうもないな。来年はテーラーが行く事になりそうだ。ところで、テーラーから『クユー一族』の事を聞いたのか」
「聞いたよ。奴らは『望月党』に間違いない」
「何だって!」
 サハチは驚いて、ウニタキの顔を見つめた。
「クユー一族のクユーは『九曜紋』の事だそうだ。九曜紋は望月党の家紋だ。そして、やつらは勝連の残党だとテーラーに言ったんだよ。首領のウトゥミという女は、俺の姉だよ」
「なに、お前の姉が望月党の首領なのか。望月党が奄美大島にいたとは驚いた。いつの日か、勝連を攻めるな」
「ああ」とウニタキはうなづき、「居場所がわかっただけでもよかったよ。配下の者を奄美大島に送って、動きを探らせる」と言った。
「危険じゃないのか」
「奴らは、俺の事は知らない。死んだと思っているだろう。奴らは今、仲間を増やすのに躍起になっている。ウミンチュ(漁師)が迷い込めば、歓迎してくれる。女に惚れたとか言って、奴らの所に住み込めばいい」
「つなぎはどうする?」
「そいつを探しに来たウミンチュを行かせる」
「そうか。うまくやれよ」
「望月党の事は任せてくれ。最悪の時は、山北王の兵に扮して、総攻撃を掛けて全滅させる」
「その時は、ヒューガ(日向大親)殿の鉄炮(てっぽう)(大砲)を使ってもいいぞ」とサハチが言うと、
鉄炮今帰仁攻めのために取っておけ」とウニタキは言った。


 梅雨空の中、ヤンバルに向かった佐敷ヌルたちは、初日は山田グスクに行って山田按司のお世話になった。マウシ(山田之子)の姉の山田ヌルも一緒に行きたいと言ったので、連れて行く事にして、二日目は名護の木地屋(きじやー)の親方、ユシチのお世話になった。三日目は奥間(うくま)に行って、奥間ヌルに歓迎された。
 四日目は大雨が降り続いて、奥間に滞在した。次の日は雨も上がって、久し振りに太陽も顔を出した。奥間ヌルも一緒に行く事になって、いい話し相手ができたと佐敷ヌルは喜んだ。佐敷ヌルと奥間ヌルは同い年で、会ったのは初めてだったが気が合った。
 女ばかり八人の一行は、道なき険しい山の中を安須森(あしむい)を目指した。雨が降らなかったので大分助かり、日が暮れるかなり前に、安須森の麓(ふもと)にある辺戸(ふぃる)の集落に着いた。
 前回、安須森に登ったササたちは、山頂まで四半時(しはんとき)(三〇分)もあれば登れると言うが、じっくりとウタキを拝みながら登りたいので、安須森に登るのは明日にして、辺戸ヌルに会う事にした。ササたちは前回に来た時も辺戸ヌルのお世話になっていて、遠くからよくいらしたと村人(しまんちゅ)たち総出で、歓迎してくれた。
 佐敷ヌルは辺戸ヌルに、安須森ヌルの事を聞いた。
「安須森は古いウタキで、神聖なるウタキです。昔、この辺りには、安須森ヌル様を中心としたヌルたちの村(しま)があったとアフリヌル様から聞いております。二百年余り前、ヤマトゥのサムレーが攻めて来て、安須森ヌル様は殺され、ヌルたちの村も全滅したそうです。唯一、生き残ったのがアフリヌル様で、亡くなったヌルたちの霊を弔いながら、安須森ヌル様のガーラダマ(勾玉)を守って来たのです」
 そう言って、辺戸ヌルは佐敷ヌルのガーラダマに気づいて、ハッとなり、佐敷ヌルを見つめた。
「あなただったのですね?」
 佐敷ヌルはうなづいた。
 辺戸ヌルは急にかしこまって、佐敷ヌルに両手を合わせ、何やら、神歌(かみうた)を唱えていた。
 辺戸ヌルの一族は百年ほど前に、宇佐浜(うざはま)から移って来て、ここに集落を造ったので、それ以前の事はアフリヌルから聞いた話しか知らなかった。
 辺戸ヌルはアフリヌルの家族なら、もう少し詳しい事を知っているかもしれないと言って、連れて行ってくれた。辺戸ヌルたちの一族がここに移って来る前、ここに住んでいたのはアフリヌルだけだったという。
 アフリヌルは娘に跡を継がせて、代々続いて来たのだったが、七年前に亡くなった最後のアフリヌルは息子を産んでしまった。息子に嫁をもらって、娘ができたら跡を継がせるつもりだったのに、生まれた娘はしゃべれなかった。アフリヌルは焦ったが、神様からのお告げがあって、もう跡継ぎはいらないと安心していたという。
 アフリヌルの息子はウミンチュで、子供は三人いた。男の子が一人と女の子が二人いたが、口がきけない女の子は去年の二月、神隠しに遭って、いなくなってしまったという。
 ササが詳しく聞くと、慈恩禅師(じおんぜんじ)がヤンバルから連れて来た女の子に違いなかった。
「その子なら無事です。わたしの母が預かっています」とササは言って、状況を説明した。
 死んでしまったと思っていた娘が無事だと聞いて、母親は泣き崩れて、ササに感謝した。
「あの人見知りのカミーが、知らない人たちに付いて行くなんて考えられん事じゃ」と父親は言った。
「やはり、名前はカミーだったのですね。名前もわからなかったんだけど、母がカミーと呼んだら笑ったそうです。首里ではカミーと呼ばれて、みんなに可愛がられています」
「あの子が可愛がられている‥‥‥」
 そう言って、母親はまた泣いた。
「その子は以前、わたしの母に会った事はありますか」とササが聞くと、父親も母親も首を振った。
「会っていれば、母もここの娘だって気づきますね」
「あなたのお母さんが初めて、ここにいらした時、あの子はまだ生まれていませんでした。母が亡くなったあとに来られた時は、辺戸ヌル様と一緒に来られましたが、子供たちとは会ってはいません。遊んでいる姿は見たかもしれませんが、言葉がしゃべれない事は知らないでしょう」
 ササはうなづいて、「あの子が母のもとに行ったのは、何か神様のお導きのような気がします」と娘の両親に言った。
 アフリヌルの息子夫婦は安須森の事は何も知らなかった。アフリヌルが代々、安須森ヌルのガーラダマを守って来たという事さえ知らない。
「帰ったら母に知らせて、娘さんを戻すように伝えます」と言って、ササたちは息子夫婦と別れた。
 その夜は辺戸村の広場に村人たちが集まって、歓迎の宴(うたげ)を開いてくれた。佐敷ヌルは新しい安須森ヌルだと紹介されて、まるで、神様のように扱われ、祭壇の上に座らされた。
「わたしなんて、まだまだです。そんな扱いをされるヌルではありません」と佐敷ヌルは必死になって謙遜するが、「いいえ、あなたは凄いヌルです。安須森を復活させてください」と辺戸ヌルは聞かなかった。
 ササに助けを求める佐敷ヌルを、ササは楽しそうに眺めていた。ササが助けてくれないので、佐敷ヌルは奥間ヌルを道連れにして、一緒に祭壇に座った。村の人たちが次々にお酒を注ぎに来るので、佐敷ヌルは参っていた。
「こんな事になるなんて」と奥間ヌルが佐敷ヌルを見ながら笑った。
「まったくよ、もう」と佐敷ヌルは口をとがらせた。
「あたし、ちょっと思い出した事があるの」と奥間ヌルは言った。
「先代の奥間ヌルから聞いたんだけど、昔、安須森ヌルがいた頃、安須森は聖地として賑わっていて、ヤンバルのヌルたちは必ずお祈りに行ったって言っていたわ。そして、安須森の麓に流れる川から、聖なるお水を汲んで帰って来たらしいわよ」
「二百年も前の事が言い伝えられて来たの?」
「お水を汲んで来たという瓢箪(ちぶる)が残っているのよ。本物じゃないと思うけど」
「明日、その川に行ってみましょう」
 次の日、佐敷ヌルたちは安須森に登った。梅雨はもう明けたのかと思うほど、いい天気だった。辺戸ヌルが案内すると言ったが、佐敷ヌルは断った。時間を掛けてじっくりとウタキ巡りをしたかった。
 思っていたよりも安須森は静かだった。山の中には古いウタキがいっぱいあるのに静かすぎた。霊気は感じるが、セーファウタキ(斎場御嶽)のように、霊気がみなぎっているという感じはない。おかしいと佐敷ヌルは思って、ササに聞いた。
「前に来た時、神様の声は聞いたの?」
「聞いたけど、古い神様はいなかったのよ。スサノオの神様を知っている神様はいなかったわ。あの時はスサノオの神様の事を調べに来たので、気づかなかったけど、古いウタキなのに、何か、おかしいわね」
「でも、凄い所ね」と山田ヌルは言った。
「十六年前に来た時と少しも変わらないわ」と奥間ヌルは言った。
 奥間ヌルは先代に連れられて、一度だけ安須森に来ていたが、先代が亡くなってから来るのは初めてだった。
 佐敷ヌルたちは登り道の途中にあるウタキを拝みながら、険しい山道を登って行った。
 お祭りに熱中していたので、シジ(霊力)がなくなってしまったのかしらと佐敷ヌルは自分を責めていた。辺戸ヌルからあんな事を言われて、多少はいい気分だったけど、やっぱり、ヌルとしてはまだまだだわ。
 頂上に着いた。ウタキがいくつかあった。
「すごーい」とハルとシビーが景色を眺めながら騒いだ。
 確かに凄い景色だった。北を見れば辺戸岬(ふぃるみさき)が見え、輝く海の向こうに与論島(ゆんぬじま)が見えた。西には伊平屋島(いひゃじま)と伊是名島(いぢぃなじま)が見える。南を見ればヤンバルの山々が連なっていた。皆、黙って景色に見とれた。
「来てよかったわ」と山田ヌルが言った。
「ほんと、いい眺めね」と佐敷ヌルも素晴らしい景色に感動していた。
「アキサミヨー(キャー)!」とハルが悲鳴を上げた。
 ハルが怯えた顔をして指さす方を見ると、鎌首を上げた大きなハブがいた。
「ハブは神様のお使いよ」と佐敷ヌルが言った。
 ハブがいる所をよく見ると、かなり古いウタキのようだった。
「ここだわ」と言って、佐敷ヌルはハブの前に座り込んで、お祈りを始めた。
 ハブは鎌首を上げたまま佐敷ヌルを見ていたが、やがて、頭を垂れるとゆっくりと去って行った。
 ササ、シンシン、ナナ、奥間ヌル、山田ヌルも佐敷ヌルに従ってお祈りを始めた。ハルとシビーも顔を見合わせて、みんなの真似をしようとした時、突然、辺りが暗くなった。二人が空を見上げると、どこから湧いて来たのか黒い雲に覆われていた。雨が降らなければいいけどと心配しながら二人が座ろうとした時、突然、大きな雷が落ちたような音が鳴り響いて、二人は悲鳴を上げた。奥間ヌルと山田ヌルとシンシンとナナが振り返って、ハルとシビーを睨んだ。
 ハルとシビーは小声で謝って座ったが、また大きな雷が落ちて、悲鳴を上げた。
 雨が勢いよく降って来て、二人の悲鳴も消された。山頂にいるので、隠れる場所もなかった。大雨の中、険しい道を下りて行くのは危険だった。
 雨に濡れながらも佐敷ヌルとササはお祈りを続け、奥間ヌルと山田ヌルとシンシンとナナも必死になってお祈りを続けている。雷鳴が鳴り響いて、稲光が光り、滝のような雨が降る中、ハルとシビーはあまりの恐ろしさに抱き合って泣いていた。
 どれだけの時が経ったのかわからない。雨がやんで、辺りが急に明るくなった。ハルとシビーが顔を上げて、空を見上げた。そこに神様の姿があった。二人は感動して、慌てて両手を合わせて、お祈りを捧げた。
 佐敷ヌルとササは神様の声を聞いていた。
「あなたのお陰で、ようやく、開放されたわ。ありがとう」と神様は言った。
 佐敷ヌルにもササにも何の事だかわからなかった。
「あなたは安須森ヌル様(アオリヤエ)ですか」と佐敷ヌルは神様に聞いた。
「そうよ。長い間、封じ込まれていたのよ。あの時、ヤマトゥのサムレーが突然、やって来たわ。宇佐浜から上陸して、安須森に登ろうとしたの。安須森は神聖なウタキだから男の人は入れませんと言ったけど、言葉が通じないのよ。身振り手振りでやったけど駄目で、わたしが無理やり止めようとしたら、斬られてしまったのよ。わたしが殺されてしまったので戦になってしまい、わたしたちは皆、殺されてしまったわ。わたしの娘はなぜか助かって、今帰仁に連れて行かれたの。娘がどうなったのかわからない。わたしたちの恨みの思いが、マジムン(怨霊)になってしまったのね。浦添から朝盛法師(とももりほうし)がやって来て、わたしたちの霊を封じ込めてしまったのよ。安須森ヌルを継ぐ者が現れるまで、封印は解けないって言っていたわ。わたしたちは諦めていたんだけど、馬天ヌルがやって来たわ。もしかしたら、封印は解けるかもしれないと期待したけど、その時はなかなかやって来なかった。でも、待っていた甲斐があったわ。今日、ようやく、封印は解かれたのよ」
「封印が解かれて、マジムンたちが暴れたりしないのですか」と佐敷ヌルは心配して聞いた。
「それは大丈夫よ。安須森ヌルが復活すれば、亡くなったヌルたちも喜んで、マジムンにはならないわ」
スサノオの神様を知っていますか」とササが聞いた。
「わたしの出番ね」と別の神様が言った。
「勿論、知っているわよ。スサノオ琉球に来た時、安須森に登ろうとしたので、止めたのはわたしよ。あの時も言葉は通じなかったけど、スサノオはわかってくれたわ。いい男だったけど、玉グスクヌル(豊玉姫)に取られてしまったわ。わたしの孫が跡継ぎに恵まれなくてね、玉グスクヌルの孫娘を跡継ぎに迎えたの。玉グスクヌルがヤマトゥから持って来たガーラダマをその娘が持って来て、代々、安須森ヌルのガーラダマとして伝えて来たのよ」
「久し振りにそのガーラダマを見たわ」と別の神様が言った。
「封印が解けたので、みんな、嬉しくてしょうがないのよ」と最初の神様が言った。
「これで、安須森も昔のように栄えるでしょう。でも、わたしの娘がどうなったのか、あなた、調べてちょうだい。それと、わたしを殺したヤマトゥンチュ(日本人)が誰だったのかも調べてね。あなたが安須森ヌルを継ぐヌルだったら、そんな事は調べられるはずだわ。お願いね」
 その後も解放された神様たちは、佐敷ヌルとササに話し掛けてきた。耳をふさぎたくなる心境だったが、二人ともじっと我慢して神様の話を聞き続けて、どっと疲れて山を下りた。びしょ濡れだった着物も、いつの間にか乾いていた。
 昨日の奥間ヌルの話を思い出して、麓にある川に行ってみたら、今度はアフリヌルの声が聞こえた。
 アフリヌルは佐敷ヌルにお礼を言ったあと、今帰仁にいるアオリヤエの事を説明した。今帰仁のアオリヤエは偽者で、安須森とはまったく関係ない。今帰仁ヌルを次代に譲ったあと、勢理客(じっちゃく)ヌルを継いで、アオリヤエを名乗っているだけで、正式な神名(かみなー)ではないと言っていた。佐敷ヌルは疲れ切って、ぼんやりと話を聞いているだけだった。
 辺戸村に帰ったら、村人たちは大騒ぎして、佐敷ヌルを迎えた。佐敷ヌルが安須森に登っていた時、安須森の上に笠雲(かさぐむ)が掛かっていたという。古くからの言い伝えで、安須森に笠雲が掛かった時、神様が降りて来ると言われていた。
 辺戸ヌルも初めて笠雲を見て感激して、佐敷ヌルは神様に違いないと確信を持って言ったが、佐敷ヌルは疲労が極限に達して倒れてしまった。

 

 

 

沖縄の聖地