長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

2-188.サハチの名は尚巴志(改訂決定稿)

 島添大里(しましいうふざとぅ)グスクのお祭り(うまちー)の前日の夕方、マグルー(サハチの五男)夫婦、ウニタル(ウニタキの長男)夫婦、シングルー(佐敷大親の長男)夫婦、サングルー(平田大親の長男)、福寿坊(ふくじゅぼう)、カシマは無事に旅から帰って来た。婚礼の翌日、十六日に旅立って、十二日間の旅だった。
 玻名(はな)グスクの残党の襲撃事件はウニタキの配下のアカーから聞いていて、サハチ(中山王世子、島添大里按司)は知っていたが、その後は誰からも知らせはなかった。皆の顔を見て、何事もなくてよかったとサハチは胸を撫で下ろした。
「ヤンバル(琉球北部)で敵の襲撃はなかったんだな?」とサハチは聞いた。
「はい。警戒していたんですけど、敵の襲撃はありませんでした。奥間(うくま)まで行って、サタルー兄さんに会ってきました」とマグルーが言った。
「サタルーさんと一緒に今帰仁(なきじん)に行ったんです」とウニタルは言った。
今帰仁には大勢のヤマトゥンチュ(日本人)がいて賑やかでした。俺たちの事をいちいち気にするような人はいませんでした」とシングルーが言った。
「山北王(さんほくおう)(攀安知)に会って来たのか」とサハチが聞くと、
「伯父さんは歓迎してくれました」とマウミ(ンマムイの長女)が言った。
「なに、みんなして山北王に会ったのか」とサハチは驚いた顔で皆を見た。
「そのつもりだったのですが、ウニタキさんに危険だと言われて、俺とマウミだけが『まるずや』の主人と一緒にグスクの中に入りました」とマグルーが答えた。
「そうか。お前たちが山北王と会ったか‥‥‥」
 サハチは山北王に会った事はなかった。察度(さとぅ)(先々代中山王)の葬儀の時、浮島(那覇)に来た山北王を一目見ようとウニタキ(三星大親)と一緒に出掛けたが、警備が厳重で浮島に近づく事もできなかった。浦添(うらしい)グスクで行なわれたイシムイ(武寧の三男)とウミタル(玉グスク按司の三女)の婚礼の時、三人の王様が揃ったが、遠くの壇上にいたので顔までよく見えなかった。マチルギの祖父の敵(かたき)だった山北王は初代の山北王(帕尼芝)で、今の山北王の祖父だった。琉球を統一するためとはいえ、会った事もない男を倒さなければならないのかと気持ちが少しぐらついた。
「山北王はどんな男だった?」とサハチはマグルーに聞いた。
「色が白くて、ヤマトゥンチュのようでした。御先祖様が平家の美男子だったというのもうなづけました」
「ほう、山北王は美男子だったか」とサハチは笑った。
「チューマチの兄貴とマナビー姉さんをどうして連れて来なかったんだと聞かれて、娘が生まれたので来られなかったと言ったら、山北王は目を細めて喜んでいましたよ」
 マグルーは懐(ふところ)から書状を出すとサハチに渡した。
「何だ?」と言いながらサハチは書状を受け取った。
 書状には山北王の印(いん)が押してあり、中山王(ちゅうざんおう)(思紹)に宛てた物だった。
「山北王の頼みが書いてあります。山北王はヤマトゥ(日本)の商人たちと取り引きをする商品が足らなくて困っているようです。『まるずや』と『よろずや』に頼んだようですが、それでも足りなくて、中山王に頼みたいと言っていました」とマグルーは言った。
「頼むのはいいが、今の時期、今帰仁には運べんぞ」
「陸路で運ぶそうです。中山王の了解を得たら商品と人足(にんそく)を送ると言っていました。そして、書状の返事は首里(すい)の『油屋』に渡してくれと言っていました」
「そうか、わかった」とサハチはマグルー夫婦を見て笑い、「御苦労だった」と言った。
 サハチは皆の顔を見回した。
「皆、一回り大きくなったようだな。無駄な旅ではなかったようだ。明日はお祭りだ。シングルー夫婦とサングルーは泊まっていけ。福寿坊殿とカシマ殿、若夫婦たちに付き合ってくれてありがとう。お祭りを楽しんでからお帰り下さい」
 サハチは侍女に頼んで、福寿坊たちを城下のお客用の屋敷に案内させた。若夫婦たちがいなくなると、ウニタキが現れた。
「子供たちの護衛、ありがとう」とサハチはお礼を言った。
「玻名グスクの残党が出て来たのは予想外だったが、あとは何も起こらなかった」とウニタキは言った。
「マグルーが山北王に会ったらしいな」
「あの時は俺も迷ったよ。マウミは会いたいと言うし、マウミ一人を行かせるわけにもいかない。マグルーも行かせる事にして、もしもの事があったら、グスクに忍び込んで助け出そうと思ったんだ」
「忍び込めるのか」
「非常時ではないからな。守りもそれほど厳重ではない。『まるずや』の連中がグスクの周辺を色々と調べていて、潜入できそうな場所はわかっているんだ。助け出すのは難しいだろうがやらなければならないと覚悟を決めたんだよ。幸いに、マグルーは山北王から書状を頼まれて、グスク内に泊まる事もなく帰って来た。二人の顔を見て、ホッとしたよ」
「そうか、心配を掛けたな」
「明国(みんこく)の海賊が来なくなったお陰で助かったんだ。そうでなければ、マグルー夫婦はグスク内に軟禁されたかもしれない」
「マグルー夫婦が人質になったと言うのか」
「その可能性は充分にあった。山北王の娘は島添大里にいるが、中山王の子供は今帰仁にいないからな。婚約した娘が今帰仁に来るまで、マグルーたちは今帰仁で暮らす事になったかもしれん」
「婚約した娘か。マタルー(八重瀬按司)の次女のカナはまだ八歳だ。今帰仁に送るのは早すぎる」
「山北王としても明国から海船が下賜(かし)されるまでは強気には出られないだろう。次に出す進貢船(しんくんしん)にも使者を乗せてくれと頼むかもしれんぞ」
「次の進貢船か。まだ、いつ送るか決めていないが五月頃になるだろう。次の進貢船には按司たちの従者を乗せなければならんからな、できれば断りたいものだ」
「断るのも面白いかもしれんぞ。山北王は怒ると何をしでかすかわからん。自分の首を絞めるような事をするかもしれんな。話は変わるが、二、三日したら俺は旅芸人たちと一緒に旅に出る。来月の二十四日、今帰仁のお祭りがあって、旅芸人たちのお芝居をやってくれって頼まれているんだ」
「なに、今帰仁でもお祭りを始めたのか」
「いや、お祭りは古くからやっているようだ。三月二十四日は『壇ノ浦の合戦』があった日で、御先祖様の冥福(めいふく)を祈ってきた日だそうだ。最近になって、外曲輪(ふかくるわ)を開放して庶民たちにもお祭りを楽しんでもらっているらしい。そのお祭りが終わったら、湧川大主(わくがーうふぬし)は鬼界島(ききゃじま)(喜界島)に向かうようだ。奴を見送ったら帰って来る。それまで、ウニタルの事なんだが、マグルーと一緒に政務の事を教えてやってくれ」
「旅から帰って来たら、ウニタルを仕込むのか」
「奴の顔つきが変わった。跡を継ぐ覚悟を決めたようだ」
 サハチはうなづいて、「ウニタルならできるさ」と言った。
 お祭りは例年通り、大勢の人たちが集まって来た。マウミはまだ帰って来ないのかと心配顔でやって来たンマムイ(兼グスク按司)夫婦は、マウミがいるのを見て、無事を喜んでいた。ファイチ(懐機)夫婦とミヨンもファイリン(懐玲)の心配をしてやって来て、ファイリンから旅の話を聞いていた。マチルギもマグルーとマチルーの心配をしてやって来た。マチルギが島添大里グスクのお祭りに顔を出すのは久し振りで、城下の人たちから喜ばれていた。
 佐敷大親(さしきうふや)夫婦も平田大親夫婦も子供たちを心配してやって来た。山南王(さんなんおう)夫婦は来なかったが、トゥイ様(先代山南王妃)と島尻大里(しまじりうふざとぅ)ヌルがやって来た。前もって約束していたのか、マガーチ(苗代之子)もやって来て、島尻大里ヌルを連れてどこかに行った。手登根大親(てぃりくんうふや)の妻、ウミトゥクが子供たちを連れて来て、母親のトゥイがいるのに驚いた。
 婚礼の準備で忙しかったので、お芝居の稽古をする暇もなく、お芝居は去年と同じ『ウナヂャラ』だった。マチルギの反応が怖くもあったが、マチルギは楽しそうに自分が主役のお芝居を子供たちと一緒に楽しんでいた。旅芸人たちもやって来て、『かぐや姫』を演じた。
「島尻大里グスクでもお祭りをする事に決めたのですよ」とトゥイがサハチに言った。
「そのために、ここのお祭りを見に来たのに、マナビー(島尻大里ヌル)ったらどこに行ったのかしら。まったく困ったものね」
「いつ、やるのですか」とサハチは聞いた。
「五月ですよ。五月の十二日。義父(汪英紫)が山南王になった日なの。シタルー(先代山南王)は豊見(とぅゆみ)グスクで『ハーリー』を始めたけど、島尻大里ではお祭りをしなかったわ。父親に厳しく躾(しつけ)られたから庶民たちと一緒に騒ぐ事はできなかったの。今、『ハーリー』の時、豊見グスクの三の曲輪(くるわ)を開放しているけど、あれを始めたのは他魯毎(たるむい)(山南王)なの。マチルー(山南王妃)からここのお祭りの事を聞いて、庶民たちに開放したのよ。他魯毎もマチルーも去年の戦(いくさ)で城下の人たちに迷惑を掛けた事を気にしていて、お詫びのしるしとしてお祭りをする事に決めたのですよ」
「それはいい。城下の人たちも喜ぶでしょう。五月十二日でしたね。佐敷グスクのお祭りが四月二十一日にあります。それが終わったら、ユリたちを助っ人として送りますよ」
「そうしてもらえると助かるわ。それとお芝居の台本を借りられるかしら。マアサが女子(いなぐ)サムレーたちにお芝居をさせるって張り切っているわ」
「大丈夫でしょう。あとでユリと相談して下さい」
 島尻大里ヌルは昼過ぎに戻って来て、トゥイと一緒にユリたちにお祭りの事を話した。ハルとシビーは喜んで手伝うと言って、ユリも引き受けた。
 サハチは山北王の書状をマチルギに渡して、マチルギは夕方、帰って行った。
 三月になって、ウニタキは旅芸人たちと一緒に旅立った。三日には恒例の『久高島参詣(くだかじまさんけい)』が行なわれた。中山王のお輿(こし)にはいつもヂャンサンフォン(張三豊)が乗っていたが、今年は無精庵(ぶしょうあん)が乗っていた。サスカサ(島添大里ヌル)が大里(うふざとぅ)ヌルに会いたいと言って、与那原(ゆなばる)で合流して一緒に行った。
 中山王が久高島に行っている留守に、山北王の船が浮島にやって来た。マチルギに呼ばれて、サハチは浮島に行って、山北王との取り引きを手伝った。翌日、荷物を背負った人足たちが、ぞろぞろと今帰仁へと向かって行った。高い所から見たら、大きな蛇が北に向かっているように見えた。
 六日にはマウシの長男、トゥクが首里の苗代大親(なーしるうふや)の屋敷で生まれた。知らせを受けて山グスクから飛んで来たマウシは、三人目にやっと生まれた男の子に感激していた。
 十日には山南王の弟、シルムイ(阿波根按司)が糸数按司(いちかじあじ)の娘、マクミを妻に迎えた。二人は従兄妹(いとこ)で、婚礼は先代の山南王(シタルー)が決めたのだったが、シタルーの死とその後の戦のために遅れていた。糸数按司は中山王に属しているので、東方(あがりかた)の代表として八重瀬按司(えーじあじ)(マタルー)が婚礼に出席した。
 十九日はクマヌ(先代中グスク按司)の命日で、二十日には丸太引きのお祭りが行なわれた。安須森(あしむい)ヌルもササたちもいなかったが、ユリとハルとシビーの三人がうまくやって無事に終わった。
 ササの代わりは女子サムレーのクニが務めた。クニはササの従姉で、ササの代わりは、わたししかいないと稽古に励んで選ばれた。
 シンシン(杏杏)の代わりはファイリンだった。ファイリンは佐敷に嫁いでいるので久米村(くみむら)とは関係ないのだが、シンシンに代わる者が見つからず、ファイチが頼まれたのだった。ファイチはその事を告げるために佐敷に行って、ファイリンが旅に出た事を知って驚いた。ウニタキが陰ながら守っていると聞いて安心したが、それでも心配した。
 無事に旅から帰って来たファイリンに告げて、シングルーもやってみろと言ったので、ファイリンは引き受けた。義姉の佐敷ヌルが経験者なので、義姉から丸太に乗るコツを教わって何とかお祭りに間に合った。ファイチの娘が丸太に乗ったので、久米村の若者たちも張り切って頑張り、見事に優勝した。ファイリンは一躍、有名になっていた。
 四月になって旅芸人たちは帰って来て、浦添(うらしい)グスクのお祭りでお芝居を上演をしたが、なぜか、ウニタキは帰って来なかった。ウニタキが帰って来たのは、浦添グスクのお祭りから八日後だった。
 五月に送る進貢船の準備のため首里にいたサハチは、ウニタキに呼ばれて『まるずや』に行った。小雨が降っているし、夕方だったので『まるずや』には、お客はあまりいなかった。売り子に言われて、店の裏にある屋敷に行くと、ウニタキがトゥミと一緒に縁側にいた。その屋敷は『まるずや』の主人のトゥミが息子のルクと母親代わりのカマと一緒に住んでいる屋敷だった。
「トゥミがお前に話があるというので呼んだんだ。悪かったな」とウニタキがサハチに言った。
「そんな事は別にいい。随分と遅かったな。何かあったのか」とサハチが聞くと、ウニタキはニヤニヤと笑って、「色々とあったぞ」と言った。
 サハチはウニタキの隣りに腰を下ろして、トゥミを見ると、「話とは何だ?」と聞いた。
「お頭に話したら、按司様(あじぬめー)に話した方がいいと言われて‥‥‥実はルクの事なんです」とトゥミは言った。
「ルクか‥‥‥大きくなっただろうな」
「はい、十五になりました」
「なに、もう十五になったのか」とサハチは驚いて、ウニタキを見た。
「速いもので、あれから十三年が経っているんだ」とウニタキは言った。
 先代の島添大里按司だったヤフスが殺されたのが十三年前だった。当時、ヤフスの側室になっていたトゥミはヤフスの息子のルクを産んだ。その翌年、島添大里グスクはサハチによって攻め滅ぼされた。ヤフスを殺したのはトゥミで、その事は絶対にルクに知られてはならない事実だった。二歳だったルクは十五歳になっていた。
「ルクには父親はサムレーで、あの時の戦で戦死したと言ってあります。戦で活躍した強いサムレーだったと‥‥‥」
「父親は佐敷のサムレーだった事になっているんだな」とサハチが言うと、トゥミはうなづいた。
「母(カマ)から読み書きを教わって、剣術の基本も身に付けています。できれば、武術道場に通わせたいのです」
 サムレーの息子は十五歳になれば、武術道場に通う事ができるが、商人の息子や農民の息子、ウミンチュ(漁師)の息子が武術道場に通う事はできなかった。才能のある子供は誰でも武術の修行ができるようにした方がいいなとサハチは思った。苗代大親と相談して、才能のある子供たちを集めようと考えた。
「わかった。ルクが武術道場に通えるように、何とか考えてみよう」とサハチはトゥミに言った。
 トゥミはお礼を言って、店の方に戻った。
「ルクを『三星党(みちぶしとう)』に入れなくていいのか」とサハチはウニタキに聞いた。
「ルクはまだ母親の正体を知らない。知った時に考えればいいさ」
「そうか。そうだな」とサハチは言って、「湧川大主は鬼界島に行ったのか」と聞いた。
「行った。四月の十日だった。どうやら、浮島に来ていた鬼界島の船が帰るのを待っていたようだ。鬼界島の船のあとを追って行ったので、途中で襲うつもりなのかもしれんな。鉄炮(てっぽう)(大砲)を積んだ武装船とヤマトゥ船二隻が一緒に行った。連れて行った兵は二百人といった所だろう」
「途中の島で襲うつもりなのか」
「鬼界島の奴らも、与論島(ゆんぬじま)、永良部島(いらぶじま)、徳之島(とぅくぬしま)が山北王の支配下にある事は知っているだろう。島には寄るまい。沖に停泊している所を襲うのだろう。船を沈めてしまえば、敵の兵力は減るし、交易もできなくなる」
「船に積んである商品も海に沈めてしまうのか」
「欲を出したら味方も損害を受ける。鬼界島に行く前に、兵力を減らすような事を湧川大主はやるまい」
琉球からの船が帰って来なければ、ヤマトゥに行く船も出せないというわけだな」
「そういう事だ。湧川大主は鬼界島の船を皆、鉄炮で破壊して、奴らを島に閉じ込めて、全滅させるつもりだろう」
「そうか。今回は湧川大主が勝ちそうだな。来年の今帰仁攻めは延期になりそうだ」
「そうも行くまい」とウニタキは首を振った。
「鬼界島を手に入れた山北王の次の狙いはどこだ?」
「なに、次の狙い? トカラの宝島か」
「そういう事だ」
「宝島は絶対に守らなければならん」
「そのためには、やはり、来年、倒すしかない」
「士気が上がっている今帰仁を倒すのは難しいぞ」
「難しいがやらなくてはならんのだ」
 サハチは厳しい顔つきでうなづいた。
「湧川大主が船出したので帰ろうとしたら、今帰仁グスクで騒ぎが起こったんだ。湧川大主を送り出した山北王は、クーイの若ヌルに会いに沖の郡島(うーちぬくーいじま)(古宇利島)に出掛けた。王妃と側室たちがクーイの若ヌルを恨んで、今帰仁ヌルに頼んで、若ヌルを呪い殺そうとしたらしい。城下にいた勢理客(じっちゃく)ヌルがグスクに呼ばれて、何とか騒ぎが治まったようだ」
「どうやって呪い殺そうとしたんだ?」
「城下の噂では、藁(わら)で人形を作って、太い釘で木に打ち付けて、火を付けたらしい。その火が飛び火して小火(ぼや)になって騒ぎになったようだ。藁人形にはクーイの若ヌルの髪の毛が三本入っていたと、まるで見てきたような事を言う奴もいたらしい」
「髪の毛が三本? クーイの若ヌルは今帰仁に来たのか」
「お祭りに来たんだよ。城下にクーイの若ヌルのための屋敷を用意して、山北王はお忍びで、そこに入り浸りだったようだ」
「王妃が怒るのも無理ないな」
「クーイの若ヌルのお陰で、王妃と側室のクンは仲良くなったらしい。クンは王妃が嫁いで来る前から恋仲だった女で、長女と長男を産んでいる。王妃はマナビーの母親だが男の子は産んでいない。側室たちは王妃派とクン派に分かれて、何かと対立していたらしい。クーイの若ヌルのお陰で、みんなが仲良くなったようだ。そして、次の日、名護按司(なぐあじ)が亡くなったんだ」
「えっ、名護按司が?」
 サハチは驚いた。亡くなるような年齢ではないはずだった。
「まだ五十五歳だった。その日は梅雨入り前のいい天気で、波も穏やかだった。名護按司は船を出して、釣りを楽しんでいたそうだ。突然、船の中で倒れて、浜に着いた時には、すでに亡くなっていたらしい」
「跡を継いだ若按司はいくつなんだ?」
「三十前後だろう。若按司の妻は羽地按司(はにじあじ)の妹だ」
「羽地按司も去年亡くなって、若按司が継いだんだったな」
「そうだ。羽地按司の妻は恩納按司(うんなあじ)と金武按司(きんあじ)の姉だ」
「すると、羽地、名護、恩納、金武は兄弟というわけだな」
「まあ、そうとも言える。四人の按司をまとめて寝返らせよう」
 サハチはうなづいて、「いい風向きになってきたようだ」と笑った。
「そこまではよかったんだが、予想外の奴がやって来たんだ」とウニタキは顔を曇らせた。
「何だ? 誰がやって来たんだ?」
「新しい海賊が運天泊(うんてぃんどぅまい)にやって来たんだよ。運天泊は大慌てだ。湧川大主はいないし、急遽、山北王を呼びに行ったんだ。若ヌルとお楽しみ中に迷惑だっただろうが、山北王はやって来て、海賊たちを歓迎した。湧川大主の側室で、ハビーという女がいるんだが、そのハビーがしっかり者で、海賊たちの接待を慣れた態度でやっていたそうだ」
「そのハビーというのは、お前の配下だろう」
「そうだ。ハビーから聞いたら、その海賊は『リンジェンフォン(林剣峰)』の配下だったらしい。配下と言っても直属ではなくて、リンジェンフォンに従っていた小さな海賊だったようだ。リンジェンフォンが亡くなって、倅のリンジョンシェン(林正賢)も明国の官軍にやられたあと、福州の海賊たちをまとめて、のし上がって来たようだ。リンジョンシェンと一緒に運天泊に来た事があって、冊封使(さっぷーし)が来る前に引き上げようと早々とやって来たようだ。二隻の船に商品をたっぷりと積んで来たので、山北王は大喜びしていたよ」
「新しい海賊が現れたか。山北王から何も言って来ないのでおかしいと思っていたんだ。山北王の進貢は一回だけで終わりそうだな」
リュウイン(劉瑛)がうまく海船を賜わる事ができれば一回で終わるだろうが、失敗したら、また送るかもしれんな。進貢はしなくても海船は欲しいだろう」
 サハチは笑って、「その海賊は何という奴なんだ?」と聞いた。
「『ヂャオナン(趙楠)』という名前らしい」
「ヂャオナンか。福州の海賊なら、メイユー(美玉)たちが知っているかもしれんな」
「そうだな。明国の商品をたっぷりと手に入れた山北王は、中山王に頭を下げる必要はなくなった。これからは強気に出て来るかもしれんぞ」
 サハチはうなづいた。
「無理難題を言って来るかもしれんな。ところで、山北王の側室で思い出したんだが、側室の中に親父の娘がいるはずだな」
「『ミサ』という側室だ。ただ、本人は中山王の娘だという事は知らない。父親は旅の坊さんだと聞いているようだ」
「知らないのか」
「危険だと思って、知らせていないのだろう」
「そうか。一応、俺の妹になるわけだ。どんな娘か知っているか」
「俺は見た事はないが、『まるずや』の者たちの話だと、高貴な顔立ちをした美人(ちゅらー)だと言っていた。男の子を産んだんだが、その子は二年前に四歳で亡くなってしまったようだ。今は子供がいないので、お祭りでは娘たちを指導して、お芝居を演じたんだよ」
「なに、今帰仁の娘たちがお芝居をしたのか」
「奥間の側室は芸を身に付けているからな。もう一人、ウクという奥間の側室がいるんだが、二人で踊りや笛の指導をしたようだ」
「お芝居の台本はどうしたんだ?」
「『油屋』の主人、ウクヌドー(奥堂)に『ユラ』という娘がいるんだが、お芝居が好きで、首里グスクや佐敷グスクのお祭りでお芝居を観ているんだよ」
今帰仁から首里まで来ていたのか」
「そうじゃない。ウクヌドーは首里の店ができた時、今帰仁の本店は長男に任せて、家族を連れて首里に移ったんだ。ユラは首里で育ったんだよ。首里グスクの娘たちの剣術の稽古にも通っていたようだ」
「『油屋』の娘が、マチルギの弟子だったとは驚いた」
「女子サムレーに憧れていたようだが、親が許さなかったようだ。お嫁に行く予定だったんだが、相手は去年の戦で戦死した。行商(ぎょうしょう)の最中、戦に巻き込まれて亡くなった事になっているが、危険な事をしていたんだろう。ユラは親が決めた相手と一緒にならなくてよかったと喜んで、その後はお嫁にも行かず、家業を手伝っていたようだ。山北王がユラのお祭り好きを知って今帰仁に呼ばれて、お芝居の台本を書いたんだよ。お芝居は『瓜太郎(ういたるー)』だったが、少し違っていた。それでも面白いお芝居で、子供たちは大喜びしていたよ」
「旅芸人たちは何を演じたんだ?」
「『かぐや姫』だ。『小松の中将様(くまちぬちゅうじょうさま)』は子供たちにはちょっと難しいからな」
「お前は三弦(サンシェン)を弾いたのか」
 ウニタキは苦笑した。
「ユラのお陰で弾くはめになっちまった。ユラは島添大里グスクのお祭りにも来ていて、俺の歌を何度も聞いていたんだよ。最後はみんなで踊って、お祭りは大成功に終わったよ」
「そうか、よかったな」とサハチは笑って、「今度は俺の番だ」と言った。
 何だ?と言う顔をしてウニタキはサハチを見た。サハチは懐(ふところ)から紙を出してウニタキに見せた。その紙には『尚巴志』と書いてあった。
「何だ、これは? ショウハシと読むのか」
「サハチだよ。俺の明国での名前だ。今度の進貢船は中山王ではなくて、世子(せいし)の俺が出す事になったんだ。それで、ファイチが俺の明国での名前を考えてくれたんだよ」
「ほう、これで、サハチか」
「お前が言ったように、『ショウハシ』と読んでもいいそうだ。『尚』という姓が明国にはあるらしい。琉球では今まで、誰も姓を持ってはいなかった。これからは『尚』を姓として、代々、尚何とかと名乗ればいいとファイチは言っていた」
「姓か。ヤマトゥンチュは姓を持っているな。『源氏』や『平氏』というのは姓だろう。ヒューガ殿は『三好』だし、ヤタルー師匠は『阿蘇』だ。中山王の姓は『尚』か。ファイチもうまい事を考えるな」
 サハチはもう一枚の紙をウニタキに見せた。紙には『尚覇志』と書いてあった。
「ファイチは最初、それに決めたそうだ。『覇』という字には、琉球を統一するという意味があるらしい。『志』はこころざすで、琉球統一を志すという意味だ」
「おう、そっちの方がいいんじゃないのか」とウニタキは言った。
「『覇』という字は、武力をもって統一するという意味があって、武力をもって統一した者は武力によって滅ぼされるという意味も隠されていると言うんだ。それで納得しなかったらしい。明国には『覇道』と『王道』という言葉があって、『王道』というのは、天に任命された者が政治を行なう事で、『覇道』は力のある者が、その力によって政治を行なうという。『覇道』よりも『王道』を目指すべきだとファイチは言うんだ。それで、『尚王志』にしようかと思ったけど、どうも気に入らない。そんな時、島添大里グスクのお祭りに来たファイチは、グスクになびいている『三つ巴』の旗を見て、これだと思って、『覇』の代わりに『巴』を入れたんだよ。『三つ巴』はスサノオの神様の神紋(しんもん)だ。スサノオの神様の道を志すという意味なんだよ」
「よくわからんが、ファイチも色々と難しい事を考えるものだな。スサノオの神様の道を志して、琉球を統一するのか。凄い名前だな」
「ああ、ショウハシ‥‥‥俺の新しい名前だ」
 サハチとウニタキは『尚巴志』と書かれた紙をじっと見つめていた。

 

 

 

真壁型(翁長開鐘写)仲嶺盛文製作

2-187.若夫婦たちの旅(改訂決定稿)

 マグルー(サハチの五男)とマウミ(ンマムイの長女)、ウニタル(ウニタキの長男)とマチルー(サハチの次女)の婚礼も無事に終わって、サハチ(中山王世子、島添大里按司)とウニタキ(三星大親)とンマムイ(兼グスク按司)は親戚となり、今まで以上に固い絆(きずな)で結ばれた。
 マグルー夫婦は島添大里(しましいうふざとぅ)グスクの東曲輪(あがりくるわ)にある、以前にサグルー(山グスク大親)夫婦が住んでいた屋敷に入った。マウミは侍女を二人連れて来ていて、侍女たちはイハチ(具志頭按司)が住んでいた屋敷に入った。侍女といっても、マウミと一緒に武芸の稽古に励んでいた仲良しの娘たちだった。
 ウニタル夫婦は城下の屋敷に入った。ウニタキの屋敷の近くで、サハチはマチルーのために古い屋敷を綺麗に改築していた。
 翌日、マグルー夫婦とウニタル夫婦はサハチに挨拶に来て、ウニタル夫婦はさっそく、『まるずや』巡りの旅に出ると言った。
 それを聞いていたマグルーは、「俺たちも一緒に旅に出ます」とサハチに言った。
「なに、お前たちも一緒に行くというのか」とサハチは驚いて、マグルーとマウミを見た。
「ヤマトゥ(日本)や明国は行って来ましたが、俺はまだ琉球の旅をしていません。親父は若い頃、お母さんと一緒に今帰仁(なきじん)まで旅をしたと聞いています。俺もマウミと一緒に旅がしたいのです」
「マウミも旅がしたいのか」とサハチが聞くと、マウミはうなづいた。
「十二歳の時に母の故郷の今帰仁に行きました。マグルーさんにも今帰仁の賑わいを見せてあげたいと思います」
 サハチはマウミが山北王(さんほくおう)(攀安知)の姪(めい)だった事を思い出した。山北王を滅ぼしたらマウミとその母のマハニ(攀安知の妹)が悲しむ事になる。チューマチ(ミーグスク大親)の妻のマナビー(攀安知の次女)も悲しむだろう。十年前と状況が変わっている事に改めて気づいて、山北王を滅ぼしていいのだろうかと気持ちが少しぐらついた。
「お前たちの気持ちはわかった」とサハチはうなづいた。
 ウニタルが『三星党(みちぶしとう)』を継いだ時に、ウニタルとサグルーのつなぎ役が必要だった。マグルーにそのつなぎ役になってもらおうとサハチは思った。
「ウニタキと相談してみる。少し待っていてくれ」
 若夫婦たちを安須森(あしむい)ヌルの屋敷で待たせて、サハチは侍女のマーミにウニタキを呼んでもらった。
 ウニタキはすぐに来た。マグルー夫婦の事を告げると、「やはり、そうか」と笑った。
「そんなような気がしていたんだ。ウニタルとマチルーだけだったら配下の者に任せるつもりだったが、マグルーとマウミも行くとなると、俺も行って四人を守るよ」
「そうか。お前が行ってくれるか。そうしてもらえると俺も安心だ」
「庶民の格好をして行けば、怪しまれる事もあるまい。湧川大主(わくがーうふぬし)は今、鬼界島(ききゃじま)(喜界島)攻めの準備で忙しいようだからな」
「今年は行くのか」
「去年、行けなかったから今年こそは敵(かたき)を討ってやると張り切っている。四月には行くだろう」
「鬼界島の連中がヤマトゥに行く前を襲うつもりなんだな」
「そうだ。ヤマトゥに船を出されたら、一昨年(おととし)の二の舞になるからな」
「今年はうまく行きそうか」
「わからんな。鬼界島でも待ち構えているはずだ。鬼界島を攻め取る事に成功したら、今帰仁の士気は上がる。来年の今帰仁攻めは延期した方がいいかもしれん」
「失敗したらどうなる?」
按司たちの反感を買うだろう。特に国頭按司(くんじゃんあじ)は大損害を受ける。一昨年、鬼界按司(ききゃあじ)に任命された一名代大主(てぃんなすうふぬし)が戦死して、率いて行った兵たちも戦死した。新たに任命された鬼界按司は一名代大主の兄の根謝銘大主(いんじゃみうふぬし)だ。二人とも国頭按司の弟で、二人の弟を失えば、国頭按司は山北王を恨むだろう。鬼界島攻めの兵糧(ひょうろう)も各按司から集めている。失敗に終われば、それらは返っては来ない」
「失敗に終われば、来年の今帰仁攻めは予定通りだな」
「鬼界島の島人(しまんちゅ)たちに頑張ってもらうしかない」
「そうだな」と言いながら、サハチは鬼界島の神様『キキャ姫』がユンヌ姫の娘だという事を思い出した。ユンヌ姫がいたら、キキャ姫に湧川大主が攻める事を教えられるのにと残念に思った。
 庶民の格好に着替えたマグルー夫婦とウニタル夫婦は山伏姿の福寿坊(ふくじゅぼう)に連れられて、正午(ひる)過ぎに旅立った。福寿坊はササたち、ヂャンサンフォン(張三豊)、愛洲(あいす)ジルーたちと一緒に琉球一周の旅をしているので安心だった。
 ウニタルは三弦(サンシェン)を背負っていて、マグルーは横笛を腰に差し、四人とも五尺ほどの棒を杖(つえ)代わりに突いていた。陰ながらウニタキが配下を引き連れて守っていた。
 島添大里の城下にある『まるずや』に行って、女主人のサチルーに挨拶をして、『まるずや』巡りの旅は始まった。
 島添大里の『まるずや』は最初にできた店だった。先代の島添大里按司(ヤフス)のために働いていた『よろずや』が浦添(うらしい)に逃げて行き、空き家となっていた店の看板を『まるずや』に直してできた古着を売る店だった。『よろ』を『まる』に書き直しただけで、ウニタキもいい加減な奴だと思い、変な名前だと思っていたが、今では誰もが知っている名前になっていた。
 『よろずや』もウニタキが開いた店なのだが、ウニタルは知らない。『よろずや』は島尻大里(しまじりうふざとぅ)にあるのが本店で、先々代の山南王(さんなんおう)(汪英紫)が始めた店だと父から聞いていた。
「あら、まあ。新婚の御夫婦が揃って旅に出るのですか」とサチルーは驚いた。
「親父の跡を継ぐには、各地の事を知らなくてはなりません。各地にある『まるずや』さんのお世話になって、旅をして参ります」とウニタルは言った。
「あなたたちは御両親を見倣って旅に出るのね?」とサチルーはマグルー夫婦に言った。
 二人はうなづいて、「今帰仁に行って、マウミの伯父さんに挨拶をしてきます」とマグルーは言った。
「マウミちゃんの伯父さんて、もしかしたら、山北王の事?」
「そうです。前回、里帰りした時、マウミは山北王に気に入られて、お嫁に行ったら、必ず、相手を連れて来いって言われたみたいです」
「あら、まあ。同盟しているとはいえ、充分に気を付けて行って来るのよ」
 サチルーに見送られて、一行は馬天浜(ばてぃんはま)に下り、佐敷グスクに行って、叔父のマサンルー(佐敷大親)に挨拶をした。東曲輪に行って若大親(わかうふや)のシングルーにも挨拶をした。
 シングルーとウニタルは一緒にヤマトゥ旅をした仲だった。奥間(うくま)のサタルーと一緒に熊野にも行っていた。
 旅支度で現れた四人を見て、羨ましそうに、「俺たちも一緒に行きたいな」とシングルーは妻のファイリン(懐機の娘)に言った。
 ファイリンはうなづいて、「楽しいでしょうね」と言った。
「よし、行くぞ」とファイリンに言って、「親父の許しを得てくるから待っていろ」とシングルーは東曲輪から出て行った。
 息子から旅に出たいと聞いて、マサンルーは驚いた。親父も若い頃に旅をしたと聞いている。俺も世間を見なければならないと言われて、だめだとは言えなかった。倅だけならいいが、ファイリンも一緒に連れて行くのが問題だった。ファイリンに、もしもの事があったら大変な事になる。自分だけでは決められなかった。兄貴と相談してくるから東曲輪で待っていろと言って、マサンルーは馬に乗って島添大里に向かった。途中でウニタキと出会った。
「俺が陰ながら守っているから心配するな」とウニタキは言った。
 マサンルーはウニタキを見つめて、「お願いします」と頼んだ。
「一緒に旅をすれば絆が深まる。奴らは俺たちの次の世代を担っていく。サハチも許すだろう。サハチには俺の配下の者が知らせる。俺の事は子供たちには内緒にしてくれ」
 マサンルーは馬を返して佐敷グスクに戻ると、シングルー夫婦に旅に出る事を許した。すでに旅支度をしていたシングルーとファイリンは喜んで一行に加わった。
 中山王(ちゅうざんおう)(思紹)の発祥の地なのに、佐敷には『まるずや』はなかった。『まるずや』は父が地図を作るために各地を歩いて、その拠点として開いたので、地元にないのは当然だが、佐敷の人たちのためにも作るべきだとウニタルは思った。
 福寿坊と三組の若夫婦たちは楽しそうに笑いながら手登根(てぃりくん)グスクに向かった。叔父のクルー(手登根大親)に挨拶をして、平田に向かおうとした時、馬に乗ったサムレーがやって来た。
「カシマじゃない。どうしたの?」とマウミが驚いた顔をしてサムレーに聞いた。
「マウミ様が旅に出たと聞いて、お屋形様が驚いて、わしに一緒に行けと命じたのです」
「お父様ったら、心配ないのに」とマウミは言ったが、
「わしも心配じゃ。一緒に行くぞ」と言って、カシマは馬から下りた。
 マウミはカシマを皆に紹介した。
「ヤマトゥのサムレーで、わたしの剣術のお師匠でもあります」
「今更、帰れないでしょう。一緒に行きましょう」と福寿坊が言った。
「若い者たちとはどうも話が合わない。話し相手が欲しいと思っていたのです」
「そうか。そなたはどこの山伏じゃ?」
備前(びぜん)の国、児島(こじま)の行者(ぎょうじゃ)です」
「なに、児島か。行った事があるぞ。わしは常陸(ひたち)の国、鹿島神宮(かしまじんぐう)の神官の倅じゃ」
鹿島神宮には行った事がありますよ」と福寿坊が笑うと、カシマも笑って、お互いにヤマトゥ言葉で話し始めた。
 カシマは馬をクルーに預けて、一緒に旅立った。
 平田グスクに着いて、叔父のヤグルー(平田大親)に挨拶をして、若大親のサングルーと会った。サングルーはマグルーと同い年で、一緒にヤマトゥ旅にも行っていた。サングルーはまだ独り者で、仲良くやって来た三組の夫婦を羨ましそうに見て、「俺も頑張らなければならんな」と笑った。
「例の娘はどうなったんだ?」とマグルーが聞いた。
 サングルーはニヤニヤしながら、「うまくいっているよ。俺は五月に明国に行くんだけど、帰って来たら婚礼さ」と言った。
「どこの娘なんだ?」とシングルーが聞いた。
「垣花按司(かきぬはなあじ)の娘なんだ」
「垣花按司の娘? 一体、どこで出会ったんだ?」
「ここだよ。お祭りに来たんだよ。知念(ちにん)のマカマドゥ叔母さんが、娘のマカミーと一緒に連れてきたんだ」
「こいつは一目惚れしたんだよ」とマグルーがシングルーとウニタルに言った。
 サングルーも一緒に行くと言って付いて来た。九人に増えた一行は知念グスクに行って、叔父の知念按司に歓迎されて、その日は知念グスクに泊まった。
 二日目は垣花グスクに行って、サングルーの婚約者のマフイと会った。マフイは突然、サングルーがやって来たので驚いた。若夫婦たちを紹介されて、わたしも早く、みんなの仲間に入りたいと思った。これから玉グスクに行くというので、マフイも一緒に行った。マフイは玉グスクのウミタルから剣術を習っていた。
 ウミタルは武寧(ぶねい)(先代中山王)の息子のイシムイに嫁いだが、浦添グスクが炎上した時、ウニタキに助け出されて、二人の娘を連れて玉グスクに戻って来た。玉グスクにも女子(いなぐ)サムレーを作ろうと考えて剣術の修行を始め、ヂャンサンフォンの弟子にもなっていた。今では三十人の女子サムレーを率いる総隊長として、玉グスクを守り、近在の娘たちにも剣術の指導をしていた。
 玉グスクの城下で『まるずや』の女主人、ハマドゥに挨拶をして、グスクに行って、叔父の玉グスク按司に挨拶をした。ぞろぞろと若者たちがやって来たので、玉グスク按司も妻のマナミーも驚いたが歓迎してくれた。ウミタルも喜んで、女子サムレーたちを鍛えてくれと言った。ファイリン、マチルー、マウミは女子サムレーたちを鍛えた。三人の強さに皆が驚いた。
 玉グスクをあとにした一行は具志頭(ぐしちゃん)グスクに行って、マグルーとマチルーの兄、イハチ(具志頭按司)に歓迎された。ファイリンとマチルーとマウミは師匠のチミー(イハチの妻)に弓矢の上達ぶりを披露した。
 具志頭グスクから玻名(はな)グスクに行って、玻名グスク按司のヤキチに歓迎された。ヤキチはシングルーの祖父だった。
 玻名グスクで昼食を御馳走になって、鼻歌を歌いながら米須(くみし)に向かっていた時、何者かの襲撃を受けた。敵は十人だった。五人づつが前後に現れて、一行は囲まれた。
 お頭らしい髭だらけの男が刀を抜いて、「命が惜しかったら荷物を置いて、さっさと行け!」と怒鳴った。
 カシマはニヤニヤと笑って、「お前ら馬鹿か」と言った。
「わしらに勝てると思っているのか」
「命知らずの奴だ」とお頭は笑って、配下の者たちに、「やれ!」と命じた。
 刀を持っているのは福寿坊とカシマだけだったので、敵も油断したようだ。十人の敵はあっという間に倒された。死んだ者はいない。皆、急所を打たれて気絶していた。
「こんな所に山賊がいるとは驚いた」と福寿坊が言った。
「去年の戦(いくさ)の残党かもしれんな」とカシマが言った。
「それにしても弱すぎる」と言ってウニタルが笑った。
「こいつら、どうするんです?」とマグルーが福寿坊に聞いた。
「そうだな。玻名グスク按司に知らせて片付けてもらうか」
「俺が知らせて来ますよ」とシングルーが言った。
「わたしも行くわ」とファイリンが言って、玻名グスクに戻ろうとした時、前方から大勢の人が近づいて来た。
「こいつらの仲間が来たようだ」とカシマが言った。
 敵は二、三十人はいるようだった。若夫婦たちは棒を構えて待ち構えた。道の両側の森の中から別の一団が出てきて、近づいて来る敵と戦いが始まった。
「近づくな!」と誰かが叫んだ。
「親父だ!」とウニタルが言って、敵を斬りまくっているウニタキを見つめた。
「ウニタキさんを助けなくちゃ」とマグルーが言った。
「待て!」と福寿坊が言って、後ろを振り返った。
 後ろでも斬り合いが始まっていた。
「飛び道具があるかもしれん。気をつけろ!」とカシマが言って、道の両側の森を見た。
 一行は輪になって周囲を警戒した。
 ウニタルは父の素早い動きを見守っていた。父が強いのは知っていたが、実際に戦っているのを見るのは初めてだった。まったく無駄のない動きで、次から次へと敵を倒していた。父の味方の者たちは十数人いるようだった。
 どれだけの時が経ったのかわからなかった。あっという間の出来事のような気もするし、長い時間が経ったような気もした。すべての敵を倒して、父が近づいて来た時、ウニタルは構えていた棒から手を離そうとしたが、強く握りしめていたため、なかなか棒から離れなかった
「みんな、無事だな」とウニタキは皆を見た。
 ウニタキの着物には返り血が飛んでいた。
「あいつらは何者です?」とウニタルが父に聞いた。
「玻名グスクの残党だ。摩文仁(まぶい)の残党も混ざっている。奴らの事は知っていたんだが、どこかに隠れていて見つける事ができなかったんだ。最初に出て来たのも奴らの一味だ。そいつらがやられたので他の奴らが現れたようだ」
「もしかしたら、親父は俺たちを守っていたのですか」
 ウニタキはうなづいた。
「最後まで、隠れて守るつもりだったんだが、思惑がはずれちまったな」
「もしかしたら、ウニタキさんの仕事は、親父を守る事なのではありませんか」とマグルーが聞いた。
 ウニタキは笑った。
「みんなも聞いてくれ。中山王には『三星党(みちぶしとう)』という裏の組織がある。中山王のために敵の情報を集めたり、敵が放った刺客(しかく)を殺したりもする。『三星党』ができたのは、島添大里按司が佐敷按司だった頃だ。佐敷按司を守るために若い者たちを鍛えて結成したんだ。今では、三星党の者たちは各地にいる。勿論、敵地にもいる。『まるずや』で働いている者たちは勿論の事、敵のグスクに側室や侍女として入っている。地図を作っている三星大親(みちぶしうふや)というのは表の顔で、三星党の頭領が俺なんだよ。この事を知っているのは数人だけだ。お前たちも胸の中にしまっておいてくれ」
 そう言うとウニタキは森の中に消えて行った。ウニタキが話をしている時、ウニタキの配下の者たちが気絶していた十人を森の中に連れ去っていた。
「凄かったな」とマグルーがウニタルに言った。
「お前は『三星党』の事を知っていたのか」とウニタルはマグルーに聞いた。
 マグルーは首を振った。
 ウニタルがシングルーを見るとシングルーも首を振った。サングルーも首を振った。
「あたし、ウニタキさんに助けられた事を思い出したわ」とマウミが言った。
「初めての里帰りで今帰仁に行って、帰る時だったわ。山の中で何者かに襲われて、ウニタキさんに助けられたの。あの時はあまり深く考えないで、父の知り合いの人が助けてくれたと思っただけだったけど、今、思えば、ウニタキさんはずっと、あたしたちを守っていてくれたのね。母から聞いたんだけど、父には亡くなった姉がいて、その姉の夫がウニタキさんだったらしいわ」
「何だって?」とマグルーが驚いた。
「ウニタキさんが兼(かに)グスク按司殿の義兄だったのか」
「詳しい事はわからないけど、そうらしいわ」
 ウニタキの妻はマグルーの祖母の妹のチルー大叔母さんだった。大叔母と出会う前に、兼グスク按司の姉と一緒になっていたのだろうか。マグルーにもマチルーにもよくわからなかった。
 ウニタルの頭も混乱していた。兼グスク按司の姉と父が一緒になっていたなんて信じられない事だった。
「凄い剣術使いじゃのう」とカシマが唸った。
「消えているわ」とファイリンが言った。
 前方を見ても後方を見ても、倒れていた敵の姿は一人も見えなかった。五十人もの死体が転がっているはずなのに、何もなかったかのようにひっそりとしていた。
 ウニタルが前方に走って行った。皆もあとを追った。血の跡があちこちに残っているが、森の中を見ても死体は見当たらなかった。
「ウニタキさんの配下の者たちが片付けたのね」とマチルーが言った。
「ウニタキさんじゃなくて、親父だよ」とウニタルがマチルーに言うと、
「お父さんね」とマチルーは笑って、「凄いお父さんだわ」と言った。
 襲撃事件のあと、皆の顔つきは変わっていた。物見遊山(ものみゆさん)の気楽な旅だったが、『三星党』の存在を知った事で、自分たちもやらなければならない事があるはずだと考え始めた。今回の旅を決して、無駄な旅にしてはならないと誰もが思っていた。
 米須の城下に行って『まるずや』の女主人のチャサに挨拶をした。女主人を見る目も変わっていた。今までは古着屋の女主人に過ぎないと気にも止めなかったが、よく観察すると、動きに隙がなく、武芸を身につけている事がわかった。売り子たちもそうだった。愛想よくお客の接待をしているが、皆、かなりの使い手だった。
 『まるずや』の者たちが皆、親父の配下として働いていると思うと、ウニタルは改めて、親父は凄い人だったんだと思い、親父を見る目がすっかり変わっていた。
 米須から八重瀬(えーじ)に行った。八重瀬にも『まるずや』があった。ここの主人は男だった。主人の話によると四年前に島尻大里に店を出したが、去年の戦の時、八重瀬に避難して、そのまま、八重瀬にいるという。どうして、島尻大里に戻らないのかと聞いたら、島尻大里には古くから『よろずや』があって、『よろずや』にはかなわないので八重瀬に移ったと言った。
「商売敵(がたき)だな」とシングルーが笑った。
 その日は叔父のマタルー(八重瀬按司)のお世話になって、八重瀬グスクに泊まった。
 ウニタルが『三星党』の事をマタルーに聞いたら、急に険しい顔になって、「誰に聞いた?」と聞いた。
「父から聞きました」と言って、襲撃事件の事を話すと、
「そうか」とマタルーはうなづいた。
「『三星党』は裏の組織だ。敵に絶対に知られてはならんのだ。敵に知られたら『まるずや』の者たちは皆殺しにされるだろう。『まるずや』を巡るのもいいが、ただの古着屋だと思って、気楽な顔をして行く事だな。何も知らんという顔で旅をしないと怪しまれるぞ。『三星党』の事は二度と口に出すな」
 ウニタルたちは神妙な顔をしてうなづいた。
 三日目は八重瀬から山南王(他魯毎)の本拠地、島尻大里の城下に行った。商売敵の『よろずや』は繁盛していた。たとえ、商売で負けたとしても、山南王の本拠地には『まるずや』は置くべきだとウニタルは思った。
 山南王は叔父だったが、島尻大里グスクには寄らなかった。叔母のマチルーが豊見(とぅゆみ)グスクに嫁いだのは、マグルーとマチルーが幼い頃で、その後もあまり里帰りはしていないので、馴染みが薄かった。訪ねて行けば歓迎してくれるだろうが、庶民の格好で山南王に会うのははばかられた。
 糸満(いちまん)の港を見て、以前、マウミが住んでいた阿波根(あーぐん)グスクを見て、保栄茂(ぶいむ)グスク、テーラーグスク(平良グスク)を見て、豊見グスクの城下にある『まるずや』に行った。マタルーに言われたように、何も知らないといった顔で古着を見ただけで、いちいち主人を呼んで挨拶はしなかった。
 豊見グスクから兼グスクに行ってンマムイに挨拶をしたら、今晩は泊まって行けと言われて、マウミは早々と里帰りを楽しんだ。
 その夜、お酒を御馳走になりながら、ウニタルたちはンマムイからウニタキの事を聞いた。
「ウニタキ師兄(シージォン)は勝連按司(かちりんあじ)の息子だったんだ」とンマムイが言うと、皆が「えっ!」と驚いた。
「今の勝連按司じゃないぞ。二十年も前の勝連按司だ。お前たちも知っているだろう。その頃は俺のお爺、察度(さとぅ)が中山王だったんだ。俺のお姉(ねえ)のウニョンは勝連按司の息子だったウニタキ師兄に嫁いだんだよ。そのあと、今帰仁合戦があって、ウニタキ師兄は大活躍をした。師兄には二人の兄がいて、その兄たちが師兄の活躍をうらやんで、殺そうとしたんだ」
「兄たちが弟を殺す?」と信じられない顔でマグルーが聞いた。
「勝連には『望月党(もちづきとう)』という裏の組織があって、そいつらが高麗(こーれー)の山賊に扮して、師兄を襲ったんだ。姉のウニョンと娘は殺されたけど、師兄は何とか生き延びた。そして、佐敷に逃げて行って、サハチ師兄を頼ったんだ。その後はお前たちも知っているように、サハチ師兄のために各地の情報を集めているというわけだ」
「父上はどうして、勝連の裏の組織の事まで知っているのですか」とマグルーが聞いた。
「父上か‥‥‥」と言って、ンマムイがマグルーを見て笑った。
「俺もそんな事は全然知らなかったんだよ。ウニタキ師兄はウニョンと娘の敵(かたき)を討つために『望月党』と戦っていたんだ。見事に敵を討って、『望月党』は壊滅したそうだ」
 父が勝連按司の息子で、殺された妻と娘の敵を討っていたなんて、ウニタルのまったく知らない事だった。
「父が敵を討ったのはいつの事ですか」とウニタルはンマムイに聞いた。
「さあ、そこまでは知らんな。親父に聞いてみろ」
 妻と娘を殺されて佐敷に逃げて来た父は佐敷に落ち着いて、母と一緒になった。ウニタルが生まれたのは佐敷グスクの裏山にある屋敷だった。六歳の時、島添大里の城下に移ったので、当時の事はあまり覚えていない。姉と一緒に山の中を走り回っていたのを覚えているくらいだった。あの頃の父は猟師の格好をしていて、自分は猟師の倅だと思っていた。あの頃、敵を討ったのだろうか。
 島添大里に移ってからは父は地図を作るために旅に出ていて、滅多に家には帰って来なかった。各地を回って情報を集めていたに違いない。『三星党』の事なんて知らなかったし、頭領である父の跡を継ぐのは、並大抵の事ではないとウニタルは悟って、俺に務まるのだろうかと自問していた。
「自分でも不思議に思っているけど、親父の敵として命を狙っていたサハチ師兄と、こうして親戚になったなんて、世の中というのはまったく面白いもんだ。先の事なんて神のみぞ知るだな」
 そう言って、ンマムイは楽しそうに笑っていた。

 

 

 

鹿島神宮

2-186.二つの婚礼(改訂決定稿)

 山北王(さんほくおう)(攀安知)の使者たちを乗せた中山王(ちゅうざんおう)(思紹)の進貢船(しんくんしん)が船出した翌日、ようやく、ヤマトゥ(日本)に行った交易船が帰って来た。同じ日に、シンゴ(早田新五郎)、マグサ(孫三郎)、ルクルジルー(早田六郎次郎)の船も馬天浜(ばてぃんはま)に来たので忙しかった。
 交易船の出迎えはマチルギ(サハチの妻)に任せて、前回の進貢船が帰国した時と同じように、浮島(那覇)から首里(すい)まで行進させた。総責任者の手登根大親(てぃりくんうふや)(クルー)、正使のジクー(慈空)禅師、副使の黒瀬大親(くるしうふや)(クルシ)が馬に乗って先頭を行き、小旗を振る民衆たちに歓迎された。
 サハチ(中山王世子、島添大里按司)は馬天浜に行って、シンゴたちを出迎えて、そのまま、『対馬館(つしまかん)』での歓迎の宴(うたげ)に加わった。佐敷大親(さしきうふや)(マサンルー)の次男のヤキチ、中グスク按司(ムタ)の長男のマジルー、シビーの兄のクレーも無事に帰って来て、いい旅だったと満足そうに言った。
 佐敷大親が妻のキクと一緒に来ていて、ヤキチの無事の帰国を喜んだ。
 サハチはクレーからヤマトゥの戦(いくさ)の事を聞いた。
将軍様足利義持)が伊勢の神宮参詣から帰って来てから京都に兵が集まって来ました。凄かったです。京都は兵たちで埋まりました。噂では五万人の兵が集まったと言っていました」
「なに、五万人の兵?」
 サハチには五万人の兵がどれだけなのか想像もできなかった。
「今にも戦が始まる状況でした。戦が始まったら帰れなくなってしまうかもしれないので、俺たちは『一文字屋(いちもんじや)』の船に乗って京都を離れました。十月の半ば頃です。その後は対馬にいたので、京都の事はわかりませんが、交易船が博多に来たのは十二月の半ばを過ぎた頃でした。無事に京都を出られてよかったとホッとしました。結局、戦は起こらなかったようです」
「本当に凄かったです。あの兵たちを見られただけでもヤマトゥに行ってきてよかったと思います」とマジルーは目を輝かせて言った。
 サハチはシンゴたちの所に行って、クレーたちがお世話になったお礼を言った。
「京都の戦の原因は何なんだ?」とサハチはシンゴに聞いた。
南北朝(なんぼくちょう)の戦のけりがまだついていないんだよ。天皇家南朝北朝に分かれて戦ったのが、南北朝の戦なんだ。将軍家は北朝方として戦って、南朝勢力を滅ぼしていき、南朝が支配していた九州は壊滅した。しかし、まだ南朝方の武将は生きている。その代表が伊勢の北畠(きたばたけ)なんだよ。南北朝の戦が終わる時、南朝北朝が交互に天皇になるという約束をしたんだ。でも、北朝天皇南朝天皇に譲る事なく、北朝天皇に跡を継がせたんだ。約束を破ったと言って北畠は怒ったんだよ」
「どうして約束を破ったんだ?」
「将軍家にとって、もはや、天皇は飾り物に過ぎない存在なんだよ。南朝方は天皇を中心とした政治をやりたがっているようだ。将軍家としては天皇が力を持っては困るんだよ」
南朝天皇になると、北畠が将軍になるのか」
「その可能性はあるな。将軍を任命するのは天皇だからな」
「それで、将軍様天皇の座を南朝に譲らないのか」
「このままでは終わるまい。将軍様にしろ、北畠にしろ、けりをつけなければならない。もしかしたら、今頃、戦が始まっているかもしれない」
「今年、送る交易船も戦に巻き込まれそうだな」
「博多は大丈夫だよ。博多で様子を見てから京都に行けばいい。話は変わるが、宗讃岐守(そうさぬきのかみ)の使者が朝鮮(チョソン)の塩浦(ヨンポ)(蔚山)で騒ぎを起こしたようだ」
「塩浦とはどこだ?」
「富山浦(プサンポ)(釜山)より少し北に行った港だ。詳しい事はわからんが、富山浦を叔父(五郎左衛門)が仕切っているので、塩浦に拠点を築こうと考えたのだろう。塩浦にも対馬の人たちが住んでいて、叔父の配下の者が仕切っているんだ。そこに割り込もうとして争いになったようだ。朝鮮の役人たちもやって来たが、叔父の味方をして、宗讃岐守の使者たちは追い返されたようだ」
「相変わらず、五郎左衛門殿も活躍しているな」
「活躍しているんだが、年齢(とし)には勝てんと言っていた。もう、六十の半ば過ぎだろう。そろそろ。隠居するかと言っていたよ」
「隠居したら琉球に来るように伝えてくれ。大歓迎するってな。ところで、サイムンタルー(早田左衛門太郎)殿はどうしている?」
「着実に勢力を広げているよ。琉球から持って帰る商品が威力を発揮して、うまく行っている。琉球の船が毎年、ヤマトゥに行くようになって明国の陶器が出回った。今まで明国の陶器なんて知らなかった者たちが欲しがるようになったんだ。対馬の者たちも明国の陶器を宝物のようにありがたがっているんだよ」
「そうか。そいつはよかった。旧港(ジゥガン)(パレンバン)とジャワ(インドネシア)の船もやって来るようになったので、陶器はたっぷりとある。南蛮(なんばん)(東南アジア)の人たちが欲しがっているのは刀だ。これからも刀を頼むぞ」
「わかっている。そろそろ、今帰仁(なきじん)攻めだろう。今回は鎧(よろい)も積んで来た」
「そいつは助かる。ありがとう」
 サハチはルクルジルーから、イト、ユキ、ミナミ、三郎の事を聞いて、あとの事はマサンルーに任せて、暗くならないうちに首里に向かった。
 首里の会同館(かいどうかん)では帰国祝いの宴が始まっていた。サハチはマチルギと入れ替わって、使者たちをねぎらった。思紹(ししょう)も来ているので、マチルギは首里グスクに帰って行った。
「とんだ目に遭いましたね」とサハチが言うと、
「参ったよ」とジクー禅師は苦笑した。
「京都は武装した兵で埋まって、等持寺(とうじじ)を守る兵も増えて、わしらは外に出られなくなってしまったんじゃよ」
将軍様の力をまざまざと見せつけられたような気がする」とクルシは言った。
将軍様が一声掛けたら五万もの兵が集まってくる。あれだけの兵で攻めたら北畠も敗れるじゃろう」
「タミー(慶良間の島ヌル)ですが、高橋殿に頼まれて、京都に残してきました」とクルーは言った。
 サハチはうなづいて、ヂャンサンフォン(張三豊)が琉球から去った事を教えた。
「親父から聞きました。馬天浜で盛大な送別の宴をしたそうですね。俺も参加したかったですよ」
「ヂャン師匠はムラカ(マラッカ)に行くと言っていたから、今帰仁攻めが終わったらムラカに行く船を出そう」
「等持寺に閉じ込められた時、ヂャン師匠と親父と一緒に明国の険しい山々を走り回っていた事を思い出したんです。外に出られなくて退屈していたので、みんなに武当拳(ウーダンけん)を教えていましたよ」
「そうだったのか」とサハチはクルーを見て笑った。
 サハチはヌルたちの所に行った。馬天ヌルがヌルたちから旅の話を聞いていて、サハチの顔を見ると、「ねえ、『ギリムイ姫様』がヤマトゥに行ったの?」と聞いた。
「サスカサ(島添大里ヌル)がヤマトゥに行った人たちの無事をお祈りしたら、ギリムイ姫様がヤマトゥまで行って様子を見てきてくれたのです」
「あら、そうだったの。わたしも神様にお願いしたのよ。『真玉添(まだんすい)姫様』がヤマトゥまで行って来てくれたわ」
「なんだ、叔母さんもみんなの無事を知っていたのですか」
「あなたたちにも知らせようと思ったんだけど、年末年始は忙しくて知らせられなかったわ。でも、新年の挨拶に来たあなたは知っていたから、誰かから聞いたんだろうと思っていたのよ」
「真玉添姫様も京都まで行ったのですか」
「いいえ。博多でユミーから話を聞いて帰って来たわ」
「そうでしたか。ギリムイ姫様は京都まで行って、タミーと会って来たようです」
「タミーさんは凄い人です」とハマ(越来ヌル)が言った。
「京都に着いてから、タミーさんは毎日、『船岡山(ふなおかやま)』に通っていました。ササ(運玉森ヌル)に言われて、スサノオの神様に御挨拶をするためです。スサノオの神様はいらっしゃいませんでしたが、雨の日も風の日も休まずに行って、色々な神様のお話を聞いていたようでした。わたしには神様の声は聞こえませんでしたが、毎日、タミーさんに付き合いました。一月くらい経って、わたしも神様の声が聞こえるようになりました。初めて聞いた神様の声は、恐ろしい事を言っていました。わたしは怖くなって、その場から逃げたいと思いましたが、タミーさんは少しも恐れずに話を聞いていました。神様の姿は見えませんが、恐ろしい声で、お前たちを殺すと言ったのです。わたしは神様が刀を振り上げている姿を想像して悲鳴を上げたくなりました。タミーさんは少しも動ぜず、神様の怒りを見事に静めていました。凄い人だと、わたしは尊敬しました」
「『ユンヌ姫様』から話を聞いたよ。ハマもスサノオの神様の声が聞こえるようになったって言っていた。よかったな」
 ハマは嬉しそうにうなづいた。
「そういえば、ササはユンヌ姫様と一緒に南の島(ふぇーぬしま)を探しに行ったのですか」
「ああ。無事にミャーク(宮古島)に着いて、近くにある島々を巡っているようだよ」
「そう」と言って、ハマは笑った。
「わたし、ササに追い着こうと必死でした。でも、ササはいつもわたしの先を行っています。毎日、船岡山に通っていて、わたし、わかったのです。ササはササの道を歩いている。わたしはわたしの道を歩かなければならないって。今のわたしにはまだ、自分の道はわからないけど、越来(ぐいく)ヌルとしてやるべき事をやろうと思いました。まずは越来周辺の古いウタキ(御嶽)を巡ってみようと思います」
「そうだな。ウタキ巡りはヌルの基本だ。古い神様と出会えば、やるべき事が見つかるだろう。ハマはタミーと一緒に高橋殿の屋敷にいたのか」
「そうです。わたしたちが等持寺から船岡山に通っているのを高橋殿が知って、高橋殿のお屋敷の方が近いと言って、移る事になりました。ササが滞在していたので遠慮はいらないと言われましたが、凄いお屋敷だったので、びっくりしました。そして、高橋殿に連れられて将軍様の御所にも行って、御台所(みだいどころ)様(将軍義持の妻、日野栄子)に御挨拶をしました。御台所様はササの事を聞いて喜んでおりました。ササが将軍様の奥方様とあんなにも親しかったなんて驚きました」
「中山王と将軍様の取り引きがうまく行っているのも、ササと御台所様が仲がいいからなんだとも言えるんだよ」
 ハマはうなづいてから、「高橋殿のお酒好きには参りました」と言って笑った。
「高橋殿のお陰で、ササも安須森(あしむい)ヌル(先代佐敷ヌル)もサスカサもお酒好きになってしまった。困ったもんだよ」
「タミーさんもお酒好きで、高橋殿のお屋敷にはおいしいお酒があるって喜んでいました」
「なに、タミーもお酒好きだったのか」
「キラマ(慶良間)の島にいた時、師範たちとよく飲んでいたそうです」
「そうだったのか。それで、高橋殿と一緒に『伊勢の神宮』に行ったのか」
「はい。将軍様と大勢の兵も一緒でした。高橋殿はわたしたちと行動を共にしていましたが、高橋殿の配下の人たちがあちこちにいるみたいで、様々な格好をした人たちが高橋殿に報告に来ていました。そして、タミーさんはお城の近くを通ると、あそこで戦の準備をしていると高橋殿に告げていました」
「タミーは遠くの物が見えるのか」
「遠くの景色が頭の中に浮かんでくると言っていました」
「凄いシジ(霊力)だな」
「それで、京都に残る事になったのです。わたしも残りたかったけど、越来の事も心配だったので帰ってきました」
「タミーの事を調べたのよ」と馬天ヌルが言った。
「普通の娘じゃないような気がしてね。そしたら、タミーのお祖母(ばあ)さんが『須久名森(すくなむい)ヌル』だってわかったのよ」
「えっ、須久名森にヌルがいたのですか」
 サハチは昔、クマヌ(先代中グスク按司)と一緒に須久名森に登った事があるが、ウタキには気づかなかった。
「わたしも知らなかったのよ。タミーのお祖母さんは二十年も前に亡くなっていて、娘さんが跡を継いだんだけど、若くして亡くなってしまって、今は絶えてしまっているのよ。タミーのお母さんはヌルを継いだ娘と双子だったの。姉がヌルを継いで、妹は佐敷のウミンチュ(漁師)に嫁いで、タミーが生まれたの。お母さんもタミーが十歳の時に亡くなってしまったわ。タミーはお祖母さんもヌルを継いだ伯母さんも知らないけど、自分でも知らないうちに、須久名森ヌルを継ぐ道を歩み始めたんだと思うわ」
須久名森のウタキは古いのですか」
「多分ね。タミーが神様とお話をすればわかると思うわ」
 福寿坊(ふくじゅぼう)が知らない連中たちと一緒にいるので、サハチは行ってみた。
按司様(あじぬめー)、職人たちを連れてきましたよ」と福寿坊は口をもぐもぐさせながら言った。
「そうか、ありがとう」と言いながら、サハチは職人たちの顔触れを見た。
 皆、一癖ありそうで、頑固そうな顔をしていた。福寿坊がサハチを紹介すると急にかしこまって頭を下げた。福寿坊は一人づつ紹介した。鋳物師(いもじ)の三吉、紺屋(こうや)の五助、畳(たたみ)刺しの義介(ぎすけ)、桶(おけ)作りのタケ、革作りの重蔵(しげぞう)、酒造りの定吉(さだきち)、櫛(くし)作りの文吉(ぶんきち)、竹細工のトシの八人だった。
「よく琉球まで来てくれた。今晩は旅の疲れを取ってくれ。あとで技術を見せてもらう」
「鋳物師の三吉は梵鐘(ぼんしょう)も造れます。琉球のお寺に鐘楼(しょうろう)を造って、鐘を鳴らしたらいかがでしょう」と福寿坊は言った。
「鐘楼か。気がつかなかった。お寺には鐘楼が必要だったな。うむ、それはいい考えだ。鐘の音が響けば、都らしくなるな」
 サハチは満足そうな顔をして三吉を見て、「頼むぞ」と言った。
「まずは職人を育てなければなりません」と三吉は言った。
「わかっている。すぐに造れとは言わん。職人を育ててくれ」
 翌日、サハチは思紹と一緒に職人たちの腕を見た。皆、人並み外れた腕を持っていた。『職人奉行』という役職を新たに作って、職人たちを管理させ、彼らを親方として、弟子たちを育てる事を命じた。
 朝鮮に行っていた使者たちが勝連(かちりん)から帰って来た。朝鮮の様子を聞くと世子(せいし)のヤンニョンデグン(譲寧大君)の女遊びが宮廷で問題になっていて、そのうち、廃嫡されるかもしれないと噂されているという。その話は以前にも聞いた事があった。以前は妓女が相手だったが、最近は重臣の妾(めかけ)に手を出して大騒ぎになったという。
 サハチは武寧(ぶねい)(先代中山王)の側室だった高麗美人(こーれーちゅらー)を奪い取った山南王(さんなんおう)を思い出していた。その山南王も家臣の妻に手を出したと聞いている。結局は汪英紫(おーえーじ)(先々代山南王)に攻められて、王の座を奪われ、朝鮮に逃げて行った。その世子が王様になったら、朝鮮でも戦が起こって、王様が入れ替わるかもしれないと思った。
 その晩、朝鮮に行っていた者たちを遊女屋(じゅりぬやー)『宇久真(うくま)』でねぎらった。
 二月になって浮島の『那覇館(なーふぁかん)』の拡張工事が始まった。『天使館』には冊封使(さっぷーし)たちが入るので、旧港とジャワの使者たちを『那覇館』に入れなければならない。今までの倍の規模に拡張しなければならなかった。首里でジクー寺を造っている一徹平郎(いってつへいろう)たちにも、ジクー寺を中断して手伝ってもらう事になっていた。
 九日には首里グスクのお祭りが行なわれ、ハルとシビーの新作のお芝居『ササと御台所様』が上演された。ササたちが交易船に乗ってヤマトゥに行き、御所に行って御台所様と再会する。高橋殿と御台所様と一緒に熊野に向かう珍道中が描かれていた。山賊退治で大暴れして、新宮(しんぐう)の神倉山(かみくらやま)ではスサノオの神様も現れた。まるで喜劇だった。観客たちはササのやる事に腹を抱えて笑っていた。面白いお芝居だったが、ササが観たら怒るような気もした。
 その頃からナツのお腹が大きくなってきた。ナツにとっては二人目の子供で、サハチにとっては十五人目の子供だった。本当は奥間(うくま)ヌルが産んだミワも入れると十六人目になる。我ながら随分と子供を作ったものだと驚いた。
 首里にいたユリたちが島添大里(しましいうふざとぅ)グスクに戻って来て、本格的に婚礼の準備が始まった。
 安須森ヌルがいないので、サスカサは一人で頑張るつもりでいたが、馬天ヌルが麦屋(いんじゃ)ヌル(先代与論ヌル)とカミー(アフリ若ヌル)を連れて手伝うと言い、佐敷ヌルと平田ヌルも将来のために婚礼の儀式を経験したいと言ってきた。ハルとシビーに手伝ってもらっても三人だけで舞うのは寂しいと思っていたサスカサは喜んで、ユリと一緒に儀式の時のヌルの舞を考えた。
 二月十五日、神様も祝福しているのか、朝からいい天気だった。南風原(ふぇーばる)の兼(かに)グスクからマウミ(ンマムイの長女)が乗ったお輿(こし)がヤタルー師匠(阿蘇弥太郎)の先導で、島添大里グスクへと向かった。ヤタルー師匠は慈恩寺(じおんじ)にいたが、可愛いマウミの婚礼に参加したいと言って先導を務めていた。マウミが生まれた時から知っていて、幼いマウミに剣術の指導をしたのもヤタルー師匠だった。
 マウミは旗を振って見送ってくれる城下の人たちに手を振りながら、マグルー(サハチの五男)との出会いを思い出していた。
 新(あら)グスクから兼グスクに移った頃、マグルーは兼グスクにやって来た。当時、マウミに会いに按司たちの息子が何人も訪ねて来ていた。マグルーもその手の男だろうと弓矢の試合をして追い返した。その後、マウミはマグルーの事は忘れた。
 翌年、従姉(いとこ)のマナビーが今帰仁(なきじん)から島添大里に嫁いできた。マウミはマナビーがいるミーグスクに度々遊びに行った。ミーグスクには的場があって、マグルーがそこで弓矢の稽古に励んでいる事を知った。初めて試合をしてから二年後、マウミはマグルーと弓矢の試合をして負け、マグルーを好きになっている自分に気づいた。その後、マグルーはヤマトゥに行き、明国にも行って来た。そして、今、マグルーのもとへ嫁いで行く。マウミは幸せ一杯だった。
 佐敷グスクからはお輿に乗ったマチルー(サハチの次女)が、サグルーとジルムイの先導で島添大里グスクに向かっていた。マチルーは島添大里グスクで暮らしていたが、生まれたのは佐敷グスクだった。山グスクにいたサグルーとジルムイは、可愛い妹の婚礼のために先導を買って出ていた。マチルーの花嫁行列は小旗を振る人たちに見送られて島添大里グスクへと向かった。
 マチルーがウニタル(ウニタキの長男)と婚約している事を知ったのは十三歳の時だった。島添大里グスクのお祭りの時、ウニタルが姉のミヨンと三弦(サンシェン)を弾いて歌を歌った。うまいわねとマチルーが褒めると、お前の婚約者だと父は言った。マチルーは驚いて、どうして今まで黙っていたのと父を責めた。お嫁に行くのはまだ先の事だし、お前がいやなら断ってもいいと父は言った。
 お嫁に行く事なんて考えてもいなかったマチルーは、断るなら早い方がいいだろうと思って、兄のマグルーからウニタルの事を聞いた。ウニタルはマグルーより一つ年上なので、あまり話はした事はないが、三弦がうまいだけでなく、剣術も強いと言った。親父の片腕とも言える三星大親(みちぶしうふや)の息子なら、お嫁に行ってもいいんじゃないのかと兄は笑った。
 島添大里グスクのお祭りから二か月後、兄のイハチが婚礼を挙げて、具志頭(ぐしちゃん)からチミーが嫁いできた。弓矢の名人のチミーに憧れて、マチルーは弓矢の稽古に励んだ。翌年には兄のチューマチのもとへ今帰仁からマナビーが嫁いできた。マナビーも武芸の達人だった。マチルーは武芸の稽古に夢中になって、ウニタルの事は忘れた。その年の五月、ウニタルがヤマトゥ旅に出る前、マチルーはファイリン(懐機の娘)に誘われて、佐敷グスクに行った。
 ファイリンはマチルーより二つ年上で、島添大里グスクの娘たちの剣術の稽古に通っていて、チミーの弟子でもあった。ヤマトゥに行くウニタルがマチルーに会いたがっていると言われて、マチルーはウニタルに会って、親が決めた縁談なんて、やめにしようとはっきり言おうと思った。
 佐敷グスクの裏にある的場で、シングルー(佐敷大親の長男)とウニタルが待っていた。ウニタルから弓矢の試合をしようと言われて、試合をしてマチルーは負けた。勝ったら縁談を断ろうと思っていたのに、断る事はできなかった。その後、的場にある小屋の中で世間話をして、シングルーがファイリンにヤマトゥ旅から帰ってくるまで待っていてくれと言って、ファイリンはうなづいた。ウニタルはマチルーに待っていてくれと言った。うなづくつもりはなかったのに、ウニタルに見つめられて胸が熱くなって、うなづいてしまった。ウニタルは喜んだ。シングルーとファイリンもよかったねと喜んでいた。
 ウニタルとシングルーがヤマトゥ旅に出たあと、マチルーはファイリンと一緒に二人の無事を祈った。ファイリンとウニタルは幼なじみだった。ファイリンからウニタルの事を色々と聞いて、マチルーは少しづつウニタルが好きになっていった。
 ヤマトゥ旅から無事に帰ってきたウニタルからお土産をもらって、ヤマトゥの話を聞いた。旅から帰ってきたウニタルは頼もしくなっているように感じた。シングルーはファイリンと一緒になり、ウニタルは兄のマグルーと一緒に明国に行った。マチルーはマウミと一緒に二人の無事を祈った。十七歳になったマチルーは、ウニタルとの事は親が決めた縁談ではないと思っていた。自分で決めた縁談で、神様のお導きによって、ウニタルと一緒になるのだと思っていた。マチルーも幸せ一杯だった。
 大勢の見物人を引き連れてきたマチルーの花嫁行列は島添大里グスクの東曲輪(あがりくるわ)に入った。東曲輪は開放されて、見物人たちも入って来た。マチルーは安須森ヌルの屋敷に入って休憩した。しばらくするとマウミの花嫁行列もやって来て、東曲輪は見物人たちで埋まった。
 マウミが安須森ヌルの屋敷に入って四半時(しはんとき)(三十分)後、法螺貝が鳴り響いて、二人の花嫁が出てきた。二人ともヤマトゥ風の美しい着物を着ていた。サムレーたちが通路を開けて、馬天ヌルとサスカサに先導された二人の花嫁は二の曲輪に入って行った。
 二の曲輪では家臣たちと新郎新婦の兄弟たちが並んでいた。正面にある舞台の上に、サハチとマチルギとナツを中央に、左側にウニタキ(三星大親)とチルーの夫婦、右側にンマムイ(兼グスク按司)とマハニの夫婦が、ヤマトゥ風の礼服を着て座っている。舞台の下にある椅子に座っていた二人の花婿、マグルーとウニタルが立ち上がって花嫁を迎えた。馬天ヌルに導かれたマチルーと、サスカサに導かれたマウミは、それぞれ花婿の所に行って、花婿の隣りに腰を下ろした。
 法螺貝が鳴り響いて、一の曲輪から女子(いなぐ)サムレーたちが現れて、整列すると掛け声を合わせて、武当拳(ウーダンけん)の套路(タオルー)(形の稽古)を演じた。白い着物に白い袴を着けて、赤い明国風の上着を着た女子サムレーたちは一糸乱れずに見事に演じた。套路が終わると女子サムレーたちは脇に控え、幻想的な笛の音が響き渡って、ヌルたちが現れた。
 ヌルたちは袖の大きな白い着物を着ていて、両手を広げて、まるで白鳥が飛んでいるような舞を披露した。馬天ヌル、サスカサ、麦屋ヌル、若ヌルのカミー、佐敷ヌル、平田ヌル、そして、ハルとシビー、八羽の白鳥が華麗に飛び回って、二組の新郎新婦を祝福した。
「おめでとう」という『ギリムイ姫』の声をサハチは聞いた。馬天ヌルとサスカサも聞いたらしく、一瞬、舞が止まったように思えた。サハチはギリムイ姫に感謝した。
 ヌルたちの舞が終わると、馬天ヌルとサスカサによって、二組の新郎新婦は固めの杯(さかずき)を交わした。杯を交わす時もユリが吹く笛の音が流れていて、見ている者たちを感動させた。
 サハチもマチルギも、マグルーとマチルーが生まれた時の事を思い出していた。マグルーとマチルーは一つ違いだった。
 マグルーが生まれたのは大きな台風が来て、首里天閣(すいてぃんかく)が倒れた三日後だった。その年には宇座の御隠居(うーじゃぬぐいんちゅ)様(泰期)と明国の洪武帝(こうぶてい)が亡くなっていた。翌年は密貿易船が続々とやって来て、毎年恒例の旅で浮島に行ったサハチたちは、泊まる宿がなくて松尾山で野宿をした。ウニタキに頼んで、浮島に『よろずや』を開いたのが、その年だった。ウニタキの配下のトゥミが島添大里按司だったヤフスの側室になったのも、その年の七月で、八月には八重瀬按司(えーじあじ)のタブチから使者が来て、マタルーの縁談が決まった。そして、十一月にマチルーが生まれたのだった。
 マグルーはサハチが知らないうちに、南部一の美人と言われていたマウミに惚れて、弓矢の修行に励んで、マウミの心をつかむ事に成功した。マグルーがヤマトゥ旅から帰って来て、二人の婚約は決まった。
 マチルーはマチルギが産んだ七番目の子供で次女だった。長女のミチ(サスカサ)が生まれたあと、マチルギは女の子を望んでいたが、男の子ばかりが続いて、ようやく生まれた女の子だった。ミチがヌルになるための修行を始めてからは、お姉さんとして弟や妹の面倒をよく見てくれた。ナツともうまくやっていた。幼い頃からウニタルと婚約していたが、お嫁に行くなんて、もっと先の事だと思っていた。いつの間にか、マチルーは十七歳になっていた。
 幼い頃のマチルーを思い出していたら目が潤んできた。サハチはごまかすためにマチルギを見て笑った。マチルギも笑って、あれを見てというように、ンマムイの方を示した。サハチがンマムイを見たら、くしゃくしゃな顔をして涙を拭いていた。みっともない奴だと思いながらも、素直に泣いているンマムイがうらやましかった。サハチはこぼれる涙をそっと指で拭いた。
 固めの杯が終わると拍手が沸き起こって、新郎新婦たちは東曲輪に退場した。
 東曲輪では酒と餅が配られて、新郎新婦たちは集まった人たちに祝福された。二の曲輪にいた家族と家臣たちは一の曲輪の大広間に移って、お祝いの宴が開かれた。

 

 

 

フォーエヴァー・ウェディング~ハッピー・ソングス   12のラヴ・ストーリー~ウェディング・ソングス・オン・ヴァイオリン

2-185.山北王の進貢(改訂決定稿)

 島添大里(しましいうふざとぅ)グスクで島尻大里(しまじりうふざとぅ)ヌル(前豊見グスクヌル)と出会って、どこかに行ってしまったマガーチ(苗代之子)が、首里(すい)の自宅に帰って来たのは三日後の事だった。浮島(那覇)にはヤマトゥ(日本)の商人たちが続々とやって来ていて、サハチ(中山王世子、島添大里按司)も何かと忙しくて首里にいた。
 サハチはマガーチを呼んで、西曲輪(いりくるわ)の物見櫓(ものみやぐら)に誘って話を聞いた。
「島尻大里ヌルと出会って、その目を見た途端に頭の中は真っ白になってしまいました。何が何だかわからなくなって、気がついたら久米村(くみむら)の中の宿屋で、島尻大里ヌルと一緒にいました」
「なに、久米村にいたのか」とサハチは首を傾げてマガーチを見た。
「島尻大里ヌルの名前はマナビーというのですが、マナビーは幼い頃、両親と一緒に久米村に行ったそうです。なぜか、その時の事が思い出されて、行きたくなったと言っていました」
「マナビーはシタルー(先代山南王)とトゥイ様(先代山南王妃)と一緒に久米村に行ったのか‥‥‥何かうまい物でも御馳走になったのだろう」
「そのようです。明国(みんこく)の料理を嬉しそうに食べていました」
「そうか。マナビーのマレビト神がマガーチだったとは驚いた」
「俺も驚きましたよ。サンダー(慶良間之子)からマナビーの美しさは聞いていました。でも、マナビーは山南王(さんなんおう)の娘ですからね。雲の上の人だと思っていましたよ」
「お前だって中山王(ちゅうざんおう)(思紹)の甥だ。庶民たちから見れば雲の上の人だぞ」
「俺が?」と言ってマガーチは笑った。
「奥さんにはばれなかったのか」
「浮島で積み荷の検査をしていたと言って誤魔化しました」
「そうか。人の事は言えんが、奥さんを悲しませるなよ」
「わかっています。親父の事も聞きましたよ。親父が南の島(ふぇーぬしま)から来たヌルと親しくなったと聞いて驚きましたが、まさか、俺も親父と同じ事をやるなんて、夢にも思っていませんでした。親父から話を聞いた次の日ですよ、マナビーと出会ったのは」
「マナビーと出会う運命だったのだろう。それにしても、よく三日で別れられたな」
「別れは辛かったですよ。島尻大里グスクまで送って行ったんですけど、別れられず、またどこかに行こうと誘ったんです。マナビーもうなづきましたが、考え直して別れました。これ以上、隠れていたら騒ぎになってしまいますからね」
「お互いに大人だったという事だな」
按司様(あじぬめー)もヌルに惚れた事があるのですか」とマガーチが聞いた。
「そいつは内緒だ」と言って、サハチは笑った。
 三日後、島添大里グスクに帰ったサハチは、サスカサ(島添大里ヌル)にヤマトゥに行った者たちの無事を祈ってくれと頼んだ。いつもなら、もう帰って来ているはずなのに、今年は遅かった。京都で戦(いくさ)が起こって、それに巻き込まれてしまったのだろうかと心配だった。サスカサはうなづいて、ウタキ(御嶽)の中に入って行った。
 サハチは自分の部屋に行くと、サタルーから話を聞いてイーカチが描いた今帰仁(なきじん)グスクの絵図を広げて眺めた。サハチが今帰仁に行った頃はなかった外曲輪(ふかくるわ)は思っていた以上に広かった。城下の人たち全員が避難できる広さがあった。まず、その外曲輪を突破しなければ、以前のグスクを攻める事はできなかった。グスクの東側に志慶真(しじま)川が流れていて、志慶真川から険しい絶壁をよじ登って、かつて先代の山田按司がグスク内に潜入した。それを真似するために、今、サグルーたちが山グスクで岩登りの訓練をしている。グスク内に潜入できれば、落とす事はできそうだが、外から攻めるだけでは落とせない。敵の兵糧(ひょうろう)が尽きるのを待つ長期戦になりそうだった。戦が始まる前に、グスク内の兵糧を減らした方がいいなと思って、サハチがうまい方法はないものかと考えていたら、サスカサがやって来た。
「『ギリムイ姫様』がヤマトゥに行って、様子を見てくるって出掛けて行ったわ」とサスカサは言った。
「ギリムイ姫様っていうのはギリムイグスクの神様か」
「そうじゃないわ。ここが『大里(うふざとぅ)』って呼ばれる前、ここは『ギリムイ』と呼ばれる聖なるお山だったのよ。スサノオの神様が琉球にいらして、ヤマトゥとの交易が始まると、このお山にグスクを築いたの。それがギリムイグスクなのよ。やがて、ギリムイグスクの城下に人々が大勢移り住んできて、大里と呼ばれるようになったわ。ギリムイグスクはこちらに移って、大里グスクって呼ばれるようになるの。島尻にも大里グスクができると、区別するために島添大里グスクって呼ばれるようになったのよ」
「へえ、昔は『ギリムイ』って呼ばれていたのか」
「『ギリムイ姫様』はアマン姫様の娘さんで、ユンヌ姫様のお姉さんなの。ユンヌ姫様がササ姉(ねえ)と一緒にヤマトゥに行ったり、南の島に行ったりしているから、自分も行ってみたくなったって言っていたわ」
「ほう。そこのウタキにユンヌ姫様のお姉さんがいたとは知らなかった。ギリムイ姫様はヤマトゥに行った事があるのか」
「一度、行った事があるらしいわ。お祖母(ばあ)様の豊玉姫(とよたまひめ)様がヤマトゥで亡くなってから何年か経った頃に行ったみたい」
「そうか。行った事があるなら大丈夫だろう。帰って来られなくなったら大変だからな」
「大丈夫よ。年が明ける前に戻って来るって言っていたわ」
「あと三日で年が明けるぞ。そんなに速くに戻って来られるのか」
 サスカサは首を傾げた。
 サスカサが帰ると入れ違いのように、ウニタキ(三星大親)が顔を出した。
「おっ、今帰仁グスクの絵図か。イーカチが描いた奴だな」
「内部の様子が大分わかってきたが、今帰仁グスクを攻め落とすのは難しい。長期戦になりそうだと考えていた所だ」
「長期戦か。シタルーがいなくなったから長期戦になっても大丈夫だろう」
「それはそうだが、長期戦になったら兵糧が足らなくなってしまうかもしれん」
「兵糧なら羽地按司(はにじあじ)に出させればいい」
「そいつはいい考えだ。羽地按司は寝返りそうか」
「まだ一年あるからな、何としてでも寝返らせる。羽地按司だけでなく、名護按司(なぐあじ)と国頭按司(くんじゃんあじ)もな」
「そうだ。そこまでしないと山北王(さんほくおう)(攀安知)は倒せん。兵糧の事なんだが、羽地按司から買い取った兵糧を貯蓄しておく蔵をヤンバル(琉球北部)に作れないか。向こうに置いておいた方が運ぶ手間が省けるぞ」
「そうか。それもそうだな。首里まで運んで、また運ぶのは二度手間だ。山北王の目の届かない場所を見つけて保管して置こう」
「頼んだぞ」
 ウニタキはうなづいてから、「倅(せがれ)の事で迷っているんだ」と言った。
「来年、お前の娘をお嫁にもらってから、ウニタルをどうしようかと迷っているんだよ」
「何を迷っているんだ?」
「普通なら重臣の倅として、ここか首里のサムレーになる。それもいいと思っている」
「『三星党(みちぶしとう)』の事か」
「そうだ。山北王を倒せば『三星党』はもういらないだろうと思っていたんだが、敵はいなくなっても、各地の情報を集める事は必要だと考え直したんだ。そうなると、俺の跡を継ぐ者が必要になる」
「ウニタルに継がせればいいだろう」
 ウニタキはうなづいたが、「お前の娘が危険な目に遭うかもしれないぞ」と言った。
「お前の倅に嫁がせると決めた時から、覚悟はしているよ」
「マチルーは俺の正体を知っているのか」
「『三星党』の事は知らない。でも、地図作りのおじさんで、『まるずや』の主人でもあり、各地の情報を集めている事は知っている。マチルーはウニタルと一緒になったら、二人で各地にある『まるずや』を巡ってみたいと言っているよ。剣術の修行も幼い頃からしているので、身を守る術(すべ)も心得ている。ウニタルがお前の跡を継いでも、ウニタルを助けて、うまくやって行くだろう」
「そうか。『まるずや』巡りか‥‥‥今、ウニタルは山グスクにいる。サグルーに預けてきた。マチルーの言う通り、二人に『まるずや』巡りをさせてみるか。そして、ウニタルが跡を継ぎたいと言ったら、跡を継がせる事にするよ」
「それがいい」とサハチは笑って、「ウニタルなら跡を継ぐと言うだろう」とうなづいた。
 大晦日(おおみそか)の日、『ギリムイ姫』は帰って来た。サハチはサスカサに呼ばれてついて行った。ウタキに入るのかと思ったら東曲輪(あがりくるわ)に行って物見櫓に上がった。
「どうして、ここに登るんだ?」とサハチはサスカサに聞いた。
「きっと、お父様が内緒話をする時に、ここに登るって知っているのよ」
 サハチは苦笑して空を見上げた。
「サハチですね。噂はユンヌ姫から聞いています。ヤマトゥの様子を知らせるわ」とギリムイ姫の声が聞こえた。
「みんな、無事なのですね?」とサハチは聞いた。
「無事です。今、博多にいるわ」
「なに、まだ博多にいるのですか」とサハチは驚いた。
「伊勢の方で戦が起こる気配があって、戦の準備で将軍様も忙しかったようだわ。各地から大勢の兵が京都に集まって来て、琉球の人たちは等持寺(とうじじ)から身動きができなかったみたい。結局、戦は起こらず、十一月の末になって、ようやく、将軍様から返書をいただいて帰る事ができたの。十二月の半ば過ぎに博多に着いたら、朝鮮(チョソン)に行っていた勝連(かちりん)のお船が待っていて、すぐに帰ろうとしたんだけど、琉球に着く前に年が明けちゃうから、博多で新年を迎えてから帰った方がいいって渋川道鎮(どうちん)に言われたの。それで、年が明けてから帰るようにしたみたいよ」
「十一月の末まで京都にいたとは大変だったな。京都にいる兵たちは引き上げたのですか」
「引き上げたけど、年が明けたら戦が始まるかもしれないって高橋殿は言っていたわ」
「高橋殿って、ギリムイ姫様は京都まで行ったのですか」
「行ってきたわよ。タミー(慶良間の島ヌル)が京都に残っているのよ」
「何だって? どうして、タミーが残っているんです?」
「高橋殿に頼まれたみたい。伊勢の北畠(きたばたけ)という武将が反乱を企てたんだけど、タミーのお陰でその事を知る事ができて、将軍様は早い対応ができたのよ。北畠の方はまだ戦の準備が整っていなくて、息子を人質として将軍様に送って頭を下げたみたい。でも、北畠は時間稼ぎのために頭を下げただけだって、高橋殿は言っていたわ。年が明けたら反乱を起こすだろうから、その時のために、タミーの力が必要らしいわ」
「ほう。タミーが高橋殿に頼られるとは大したヌルになったもんだな」
「タミーと一緒にクルーが残っているわ」
「そうか。クルーが一緒なら安心だ。ありがとう。これで心置きなく新年が迎えられます」
「お客様を連れて来たわ」とギリムイ姫は言って、従兄(いとこ)の『ホアカリ』を紹介したが、サハチには誰だかわからなかった。ホアカリをお祖母様に会わせてくると言って、ギリムイ姫はセーファウタキ(斎場御嶽)に向かった。
「タミーさんも高橋殿に気に入られたみたいね」とサスカサは楽しそうに笑った。
「ササの代わりを立派に務めたようだな」とサハチも笑って、「ホアカリ様って知っているか」とサスカサに聞いた。
「ササ姉から聞いた事あるわ。伊勢の神宮にいる神様で、『玉依姫(たまよりひめ)様』の息子さんらしいわ」
玉依姫様はヤマトゥの女王様だから、その息子ならヤマトゥの王様だった人かな?」
「京都の近くに南都(なんと)と呼ばれる奈良という所があって、そこは今でも大和(やまと)の国って呼ばれているわ。ホアカリ様は九州から東に攻めて行って、そこにヤマトゥの国を造ったんじゃないかしらってササ姉は言っていたわ」
「大和の国が今でもあるのか‥‥‥また、ヤマトゥに行ってみたくなってきた」
 そう言ってサハチは北の方に視線を移した。
「ササ姉は今、どこにいるのかしら?」とサスカサが言った。
「きっと、ドゥナン島(与那国島)で従妹(いとこ)のナーシルと会っているんだろう」
「あたしも行ってみたいわ」
「ササが南の島の人たちの船を連れて来るだろう。そうすれば南の島との交易が始まる。南の島から毎年は無理でも一年おきに船がやって来るようになる。誰でも気軽に南の島に行けるようになるよ」
「でも、二年も留守にできないわ」
「そうだな。来年は冊封使(さっぷーし)が来るから忙しい。再来年は今帰仁攻めだ。それが終わったら琉球から南の島に行く船を出してもいい」
「ほんと? 楽しみにしているわ」
「それより、明日は頼むぞ」
「わかっているわ。ハルとシビーを連れて行ってくるわ」
 サハチはうなづいて、物見櫓から降りた。


 年が明けて永楽(えいらく)十三年(一四一五年)になった。
 例年のごとく、首里グスクの新年の儀式に参加したあと、サハチは島添大里グスクに帰って新年の儀式を行なった。サスカサは儀式が済むと馬にまたがり、ハルとシビーを連れて山グスクに向かった。
 安須森(あしむい)ヌル(先代佐敷ヌル)とササ(運玉森ヌル)がいないので、与那原(ゆなばる)グスクの新年の儀式は麦屋(いんじゃ)ヌル(先代与論ヌル)がカミー(アフリ若ヌル)と一緒に執り行なって、八重瀬(えーじ)グスクの儀式は喜屋武(きゃん)ヌル(先代島尻大里ヌル)に頼み、玻名(はな)グスクの儀式は隠居したフカマヌルに頼み、手登根(てぃりくん)グスクの儀式は佐敷ヌルに任せた。
 二日にはサハチの兄弟たちが首里グスクに集まったので、サハチも首里に行った。ヤマトゥに行った末の弟のクルー(手登根大親)がまだ帰って来ないので、皆が心配していた。サスカサが神様に頼んでヤマトゥの様子を見に行ってもらい、無事に博多にいる事がわかったというと皆、安心した。ミチ(サスカサ)も立派なヌルになったなと皆が感心した。
 マタルーは上の兄たちを差し置いて、自分が按司になった事を恐縮していた。
「そんな事を気にする事はない」とマサンルー(佐敷大親)もヤグルー(平田大親)も言った。
「タブチ殿があんな事になってしまった。タブチ殿のためにも立派な按司になってくれ」
 マタルーは兄たちを見て、うなづいた。
 二日はグスクを守っている大親(うふや)たちが思紹(ししょう)(中山王)に挨拶に来る日で、按司になったマタルーは三日に来ればよかったのだが、いつも通りに二日に来て兄たちと会っていたのだった。与那原大親になったマウーと上間大親(うぃーまうふや)も来ていた。サハチは上間大親に長嶺按司(ながんみあじ)の動きに注意を払ってくれと頼んだ。
 翌日、按司たちが新年の挨拶にやって来て、首里は賑わった。知念按司(ちにんあじ)は隠居して、サハチの義弟の若按司按司になっていた。マタルーの義弟の新(あら)グスク大親が新グスク按司となって、サハチの三男のイハチが具志頭按司(ぐしちゃんあじ)になり、奥間大親(うくまうふや)が玻名グスク按司になり、若按司だったマルクが米須按司(くみしあじ)になって、今年、初めて、按司として挨拶に来ていた。勿論、昨日から来ていたマタルーも按司として父の思紹に挨拶をした。
 挨拶が終わったあとの祝いの宴(うたげ)に集まった顔ぶれを見ると、世代が入れ替わった者も多く、越来按司(ぐいくあじ)、伊波按司(いーふぁあじ)、山田按司、玻名グスク按司の四人だけが五十代だった。サハチよりも若い者たちが多いが、去年の戦を経験したせいか、皆、頼もしくなっているように見えた。
 山グスク攻めで跡継ぎを失った勝連按司のサムは、悲しみを乗り越えたとみえて機嫌がよかった。ただ、朝鮮に行った者たちがまだ帰って来ないと心配していた。サハチはサスカサの話をして安心させた。
 それから二日後、サハチが島添大里グスクに帰っていると、トゥイ様が島尻大里ヌルと一緒に挨拶に来た。隠居したとはいえ、先代山南王妃(さんなんおうひ)が訪ねて来るなんて信じられなかった。サハチは大御門(うふうじょう)(正門)まで迎えに出た。
「新年の御挨拶に参りました」とトゥイは笑った。
 旅から帰って来たトゥイ様は何だか若返ったように思えた。マガーチと出会えた島尻大里ヌルも以前よりも輝いていた。護衛として女子(いなぐ)サムレーが一緒にいた。
 女子サムレーには二の曲輪で待っていてもらって、サハチはトゥイ様と島尻大里ヌルを一の曲輪の屋敷に案内した。
「ここに来たのは何年振りの事でしょう」とグスク内を見回しながらトゥイが言った。
「義父(ちち)(汪英紫)がここにいらした時は、毎年、シタルーと一緒に新年の御挨拶に参りました。義父が山南王になってからは来なくなりました。もう二十年も前の事ですわね」
 屋敷の廊下に飾ってある絵や置物をトゥイは懐かしそうに眺めて、「あの頃とあまり変わっていないようですわね」と言った。
「わたしにはこういう物はよくわかりませんが、先々代の山南王が集めた物は皆、素晴らしい物ばかりなので、そのまま飾っております」とサハチは言った。
「義父は鋭い目を持っておりました」とトゥイは言った。
「本物か偽物かをすぐに見分けられる目です。絵や壺などに限った事ではありません。人を見る目もありました。義父があなたを潰さなかったのは、あなたを認めていたのかもしれませんね」
「まさか?」とサハチは笑った。
 サハチは二階の会所(かいしょ)に案内して、ナツにお茶を頼んだ。
 トゥイは飾ってある水墨画を見てから、サハチに目を移すと、「去年の暮れの事です」と言った。
「この娘(こ)が三日間、行方知れずになりました。座波(ざーわ)ヌルの話だと、このグスクでマレビト神様と出会って、どこかに行ったけど心配はいらないと言いました。帰って来た娘は幸せ一杯の顔をしていて、わたしは怒る事も忘れて、祝福してやる事にしました。相手は誰なのかと聞いたら、『マガーチ』という名前を知っているだけで、何をしている人なのかも知らないと言うのです。まったく、呆れてしまいました。それで、按司様がマガーチという人を御存じなのかを聞きに参ったのでございます」
 サハチは島尻大里ヌルを見て笑った。しっかりしているように見えるが、抜けている所もあるらしい。
「マガーチはわたしの従弟(いとこ)です。首里のサムレーの総大将、苗代大親(なーしるうふや)の息子です」
 そう言ったら、トゥイも島尻大里ヌルも驚いたあとに安心したような顔になった。
「苗代大親様の名前は存じております。中山王の弟さんですよね。そうでしたか。苗代大親様の息子さんと聞いて安心いたしました」とトゥイが言った。
「進貢船(しんくんしん)のサムレー大将として明国に行って、帰って来たばかりです。以前はここのサムレー大将でした。あの日は、ここのサムレー大将をしている弟に会いに来ていたのです」
「そういえば思い出しました」と島尻大里ヌルが言った。
「マガーチ様は明国のお話を色々と聞かせてくれました」
「この娘(こ)ったら、マガーチ様と一緒にいるのが嬉しくて、どこで何をしていたのかも覚えていないのですよ」とトゥイが娘を見ながら言って、「すると、今は首里にいるのですか」と聞いた。
「そうです。『苗代之子(なーしるぬしぃ)』と名乗って首里でサムレー大将を務めています」
「そうでしたか。勿論、奥さんはいるのでしょう?」
「ええ、妻も子供もいます」
 トゥイはうなづいて、島尻大里ヌルを見た。
 その話はそれで打ち切って、トゥイは去年の旅の話をした。
「宇座(うーじゃ)の叔父(泰期)が亡くなる前、わたしはお見舞いに参りました。その時、馬天浜(ばてぃんはま)の若夫婦が時々、遊びに来ると叔父は楽しそうに言っておりました。その時はウミンチュの夫婦が遊びに来ていたのかと思って気にも止めませんでした。今回の旅で、宇座に寄って、馬天浜の若夫婦が按司様とマチルギ様だと知って、わたしは驚きましたよ。佐敷の按司だったあなたがどうして、叔父と親しく付き合っていたのですか」
「佐敷に『クマヌ』という山伏がいたのを御存じではありませんか」
「存じております。中グスク按司になられたお方でしょう」
「クマヌは各地を旅していて、宇座の御隠居(うーじゃぬぐいんちゅ)様を知っていました。わたしが初めて、クマヌと一緒に旅をした時、クマヌが連れて行ってくれたのです。その後、マチルギと一緒に旅をした時も何度かお世話になっています」
「そうだったの‥‥‥叔父の息子のクグルーを引き取ったそうですね」
「御隠居様が亡くなったあと、ナミーさんがクグルーを連れて佐敷に来ました。クグルーがサムレーになりたいと言うので、恩返しのつもりで預かる事にしました」
「ナミーは、息子はウミンチュにするって言って出て行ったと聞いております」
「そのつもりでいたようですが、クグルーがサムレーになりたいと言ったようです」
「でも、どうして佐敷に行ったのでしょう?」
「御隠居様が、もし、クグルーがサムレーになりたいと言ったら佐敷に行けと言ったようです」
「そう‥‥‥浦添(うらしい)や小禄(うるく)じゃなくて、佐敷を選んだのね。クグルーは今、どうしているの?」
「毎年のように明国に行っています。今に立派な使者になるでしょう」
「そうだったの。あのクグルーが使者に‥‥‥父親の血を立派に引いているのね‥‥‥叔父に代わってお礼を言うわ。ありがとう」
「クグルーは今、ここの城下にいるはずです。呼びましょうか」
 トゥイは首を振って笑うと娘を促して立ち上がった。サハチが送って行こうとしたら、「そのままで結構です」と手で押さえる仕草をした。
 サハチは控えている侍女に送るように命じた。
 伊波(いーふぁ)に行っていたウニタキが帰って来たのは、それから半月後だった。サハチはナツと一緒に、来月半ばに行なわれるマグルー(サハチの五男)とウニタル(ウニタキの長男)の婚礼の準備で忙しかった。安須森ヌルはいないし、ユリたちは首里のお祭りの準備で首里に行っている。ユリたちが帰って来るまでに、やるべき事が色々とあった。
 安須森ヌルの屋敷で、女子サムレーたちと一緒に作業していたサハチは、一休みしようと言って一の曲輪の屋敷に戻った。二階の会所で、ウニタキはナツと話をしていた。
「伊波の『まるずや』は大盛況だったんですって」とナツが言って、「お茶の用意をするわ」と出て行った。
「うまく行ったようだな」と言って、サハチは座った。
「これからは山田まで行かなくて済むって、みんなが喜んでくれたよ。マチルギの実家があるのに、店を出すのが遅れてしまった」
「マチルギに言われたのか」
「そうじゃない。去年の暮れ、ウニタルとマチルーに『まるずや』巡りをさせればいいって言っただろう。それで、改めて『まるずや』の事を調べたんだ。そしたら、伊波にない事に気づいたんだよ。敵地の金武(きん)や恩納(うんな)にあるのに、伊波にないのはうまくないと思って、年が明けたら早速、準備に行ったというわけだ。うまい具合に丁度いい空き家も見つかって、思っていたより早くに開店できたんだ」
「そうか。マチルギも喜ぶだろう」
「伊波にいた時、金武まで行って来たんだ。金武按司が困っていたので助けてやったよ」
「何があったんだ?」
「金武按司の奥さんは国頭按司の娘なんだ。国頭から杣人(やまんちゅ)や炭焼きを連れてきて、恩納岳(うんなだき)の木を伐ったり、炭を焼いたりしていたようだ」
「材木や炭は今帰仁に持って行くのか」
「いや、金武から今帰仁まで行くのは大変だ。辺戸岬(ふぃるみさき)を超えて行かなければならない。そこで、金武按司は勝連按司と取り引きを始めたようだ」
「なに、勝連と取り引きをしていたのか」
「勝連でも材木は必要だったんだ。今まではヤンバルまで木を伐りに行っていたようだ」
「勝連には山北王の『材木屋』はいないのか」
「いなかった。ところが、最近になって山北王は宜野座(ぎぬざ)に『材木屋』の拠点を造ったらしい」
宜野座とはどこだ?」
「東側を通って今帰仁に向かう時、途中から山道に入って名護(なぐ)に向かうだろう。山道に入る手前の辺りだ。そこで木を伐り出して、勝連に運んだようだ。金武の材木よりも質がいいので、勝連は『材木屋』と取り引きをしてしまって、金武の材木はいらないと言ったようだ。材木の処理に困った金武按司は『まるずや』に泣きついて来たというわけだ」
「山北王も考えたものだな」
「今まで一手に材木の取り引きをしていたのが、『まるずや』が加わって、材木の仕入れ値も上がった。それに、国頭按司も独自に材木の取り引きを始めた。それで、中山王だけでなく、東側の按司とも取り引きをしようと考えたのだろう。やがては、中グスクや佐敷とも取り引きをしようと考えているに違いない」
「金武按司の取り引きを奪うなんて、山北王は自分で自分の首を絞めているようだな」
「お陰で、金武按司は山北王を恨んで、中山王に近づこうとするだろう」
「うまく切り離してくれよ」
「買い取った材木の代価を弾んでやるさ」とウニタキは楽しそうに笑った。
 その日の夕方、ファイチ(懐機)から連絡があって、今帰仁からリュウイン(劉瑛)が来たので、久米村に来てくれと言ってきた。
 サハチはウニタキと一緒に久米村に向かった。メイファン(美帆)の屋敷で、ファイチとリュウインが待っていて、サハチたちは新しくできたという遊女屋(じゅりぬやー)に向かった。
 『慶春楼(チンチュンロウ)』という遊女屋は豪華な造りだった。立派な庭園には大きな池まであった。
「応天府(おうてんふ)(南京)の『富楽院(フーレユェン)』を思い出すな」とウニタキが言った。
「富楽院か‥‥‥懐かしい」とリュウインは言った。
リュウイン殿も行きましたか」とファイチが笑った。
 明国風の着物を着た女に案内された洒落た部屋で待っていると、遊女(じゅり)というよりも妓女(ジーニュ)と呼ぶのにふさわしい娘たちが現れた。明国の娘たちかと驚いたが、琉球の言葉をしゃべったので安心した。話を聞くと皆、琉球の娘たちだった。
「旧港(ジゥガン)(パレンバン)から来た商人が、この遊女屋を始めたのです」とファイチが言った。
若狭町(わかさまち)には遊女屋がいくつもありますが、言葉が通じません。琉球は益々栄えて行くだろうと考えて、その商人は久米村に高級な遊女屋を造ったのです。久米村としても土地を提供して、その商人を助けました。今年、やって来る冊封使たちも、これを見たら驚くでしょう」
「芸も一流なのですか」とリュウインが聞いた。
「旧港にある一流の妓楼から引退した妓女を呼んで仕込んだようです。勿論、明国の言葉もしゃべれます」
 リュウインが明国の言葉で何事か言うと、妓女は見事に答えていた。
「得意な芸を聞いたら、二胡(アフー)と舞、絵も嗜むそうです」とリュウインは言った。
 妓女たちが奏でる明国風の音楽を聴きながら、
「明国に帰るのは十五年振りになります」とリュウインは言った。
「山北王が進貢船を出すのも十年振りです。どうして、十年も来なかったのかと聞かれるでしょう。うまく説明して、海船を賜(たま)わらなくてはなりません」
「礼部のヂュヤンジン(朱洋敬)に会って下さい。何とかしてくれるでしょう」とファイチは言った。
「今年も順天府(じゅんてんふ)(北京)まで行く事になると思います。長い旅ですが気をつけて行って来てください」
 リュウインはうなづいて、
「順天府は永楽帝(えいらくてい)の本拠地ですからね。うるさい重臣たちに応天府を任せて、新しい都を造りたいのでしょう」と言った。
永楽帝に会った事はあるのですか」とサハチはリュウインに聞いた。
「会った事はあります。わたしが仕えていた湘王(ジィァンワン)と、当時、燕王(イェンワン)と呼ばれていた永楽帝は仲がよかったのです。燕王は戦の報告をしに応天府に帰って来ると必ず、湘王を呼んで戦の話をしていました。一度、富楽院で一緒に飲んだ事もあります」
「『酔夢楼(ズイモンロウ)』ですか」とウニタキが言った。
 リュウインが驚いた顔をしてウニタキを見た。
「確かに『酔夢楼』です。行った事があるのですか」
「そこで、お忍びの永楽帝と会いました」
 ウニタキがそう言うと、リュウインはサハチとファイチを見て、ニヤニヤと笑った。
「何という人たちだ。永楽帝に会ったなんて信じられん。ファイチ殿は永楽帝にとっても大切な人だったようですな」
永楽帝リュウイン殿の事も覚えているかもしれませんよ」とサハチが言うと、リュウインは首を振った。
「わたしは湘王の従者として会っていただけです。それに、わたしの兄は永楽帝に殺されました。わたしの正体がわかれば、わたしも殺されるかもしれません。まあ、直接、永楽帝と話をする機会なんて、ないとは思いますがね」
 五日後、リュウインは山北王の正使として、中山王の進貢船に乗って明国に旅立った。中山王の正使は南風原大親(ふぇーばるうふや)で、南風原大親は前回の時も順天府まで行っていた。サムレー大将は久高親方(くだかうやかた)で、中グスクのサムレーたちも乗っていた。山北王のサムレー大将は十年振りに明国に行く本部(むとぅぶ)のテーラー(瀬底大主)だった。

 

2-184.トンド(改訂決定稿)

 十二月七日、ササ(運玉森ヌル)たちはアンアン(安安)の船と一緒にトンド王国(マニラ)に向かっていた。何度もトンドに行っているムカラーも、ターカウ(台湾の高雄)からトンドに行った事はなく、アンアンの船が先導してくれるので助かっていた。
 アンアンの船は琉球の進貢船(しんくんしん)と同じくらい大きい船で、形もよく似ているが、海賊を追い払うために鉄炮(てっぽう)(大砲)を積んでいた。ターカウからトンドまでの海域は女海賊『ヂャンジャラン(張嘉蘭)』の縄張りなので、滅多に海賊は現れないが、広州のならず者『チェンジォンジー(陳征志)』が現れるかもしれないという。
 チェンジォンジーは旧港(ジゥガン)(パレンバン)で暴れていて、鄭和(ジェンフォ)に捕まって処刑されたチェンズーイー(陳祖義)の息子だった。パレンバンから広州に逃げたチェンジォンジーはメイユー(美玉)の前夫だったヤンシュ(楊樹)を頼って、ヤンシュのもとで働いていた。メイユーに逃げられたヤンシュはリンジェンフォン(林剣峰)に近づいて、娘のリンチョン(林冲)を妻に迎えて勢力を広げ、広州の海賊たちを一つにまとめた。リンジェンフォンの傘の下での親分気取りも長くは続かなかった。リンジェンフォンが亡くなると、広州の海賊たちはヤンシュから離反して、さらに、妻のリンチョンとチェンジォンジーに裏切られて広州から追い出された。チェンジォンジーはリンチョンを妻に迎えたという。ヤンシュの配下だった者たちはチェンジォンジーを嫌って、メイユーを頼った者も多いらしい。チェンジォンジーのもとにはならず者たちが集まって来て、海賊同士の掟も無視して暴れているという。
 ターカウの港を出た愛洲(あいす)ジルーの船は北風を受けて南下して、その日は島の最南端まで行って船の中で休んだ。二日目の早朝、夜が明ける前の暗いうちにターカウの島を離れて、南へと進んだ。東側に黒潮が流れているので注意しなければならなかった。
 目が覚めたササは甲板(かんぱん)に出た。丁度、朝日が昇る時刻だった。ササは朝日に両手を合わせて、航海の無事を祈った。タマミガがやって来て、朝日に両手を合わせた。
 朝日に照らされて海が輝き、遙か遠くまで海が広がっているのが見えた。琉球を旅立ってから、すでに三か月が過ぎていた。琉球を旅立つ時、ターカウもトンドも知らなかった。随分と遠くまで来てしまったとササは思いながら空を見上げた。多少の不安はあるけど、スサノオの神様も一緒だし、ユンヌ姫様とアキシノ様も一緒なので安心だった。
 ササはタマミガを見ると、「ミャーク(宮古島)からトンドに行く時は、どうやって行くの?」と聞いた。
 トンドに行った事があるのはクマラパとタマミガだけだった。ミッチェもサユイもナーシルも行った事はなかった。
「ミャークから多良間島(たらま)に行って、イシャナギ島(石垣島)に行くんだけど、イシャナギ島から南下して、フシマ(黒島)に寄って、パティローマ(波照間島)まで行くのよ。パティローマで風待ちをして南下するの。途中で黒潮を越えるんだけど、それが難しいみたい。下手(へた)をするとターカウまで流されちゃうらしいわ。ミャークの人たちはもうトンドに着いているんじゃないかしら」
「そうか。トンドに行けばミャークの人たちと会えるのね」
「トンドにも『宮古館』があるのよ。お父さんがアコーダティ勢頭(しず)様と一緒に、初めてトンドに行ったのは、もう四十年近くも前の事なの。当時、宰相(さいしょう)だった『ヂャンアーマー(張阿馬)』が歓迎してくれて、ヂャンアーマーが『宮古館』を建ててくれたそうだわ」
「クマラパ様はヂャンアーマーと親しかったの?」
「元(げん)の国が滅びる時の混乱時に、戦(いくさ)をしていた者同士だったので意気投合したみたい」
「一緒に戦をしていたの?」
「そうじゃないわ。詳しい事はわからないけど、その頃、王様を名乗っていた人が何人もいたみたい。お父さんが仕えていた王様も洪武帝(こうぶてい)にやられて、ヂャンアーマーが仕えていた王様も洪武帝にやられたのよ」
「クマラパ様とヂャンアーマーは同じ位の年齢(とし)だったの?」
「お父さんの方が二つ年上だったらしいわ」
「そうなんだ‥‥‥」
「お父さんはお嫁に行く前のジャランさんに会っていて、嫁いでからもターカウで会っているのよ。ヂャンアーマーは娘のジャランは海賊には絶対に嫁がせないと言って、本人も太守(タイショウ)の奥さんとして、海賊とは縁がない生活をしていたの。それなのに、女海賊になったなんて、とても信じられないって、お父さんは言っていたわ」
「ジャランさんが女海賊になったのは、メイユーさんの影響かしら?」
「お父さんから聞いたんだけど、ジャランさんはメイユーさんと一緒に広州に行ったらしいわ。そこで海賊の事を学んだんじゃないかしら。そして、亡くなった父親の跡を継ごうと決めたんだと思うわ」
 海賊の世界の事はよくわからないけど、ターカウのためにもヂャンジャランに頑張ってほしいとササは思っていた。
「トンドってどんな所なの?」
「ターカウの日本人町をもっとずっと大きくしたような所よ。町全体が高い城壁に囲まれているの。その中に高い城壁に囲まれた宮殿があるのよ。マフニさんと一緒に宮殿に行って王様と会ったわ。会ったと言っても挨拶をしただけだけどね。歓迎の宴(うたげ)も開いてくれたけど、王様は来なかったわ。ターカウと違って、一国の王様だから何かと忙しいみたい。その時、アンアンは旧港に行っていて、いなかったのよ」
「王様って山賊だった人なんでしょ?」
「アンアンから話を聞くまで、そんな事は知らなかったわ。あたしたちが行った時は政権が替わってから七年も経っていたから、前の王様を従弟(いとこ)が倒したという事しか知らなかったの。お父さんがお母さんと行った時は、まだ、ヂャンアーマーもいたらしいわ。ヂャンアーマーの一族がいなくなってしまったので、お父さんは不思議がっていたのよ。でも、ヂャンアーマーは王様を飾り物にして好き勝手な事をしていたから、いつか必ず転ぶだろうと思っていたって言ったわ」
「城壁の中の町はどうなっているの?」
「町の中には川も流れていて、宮殿へと続く大通りには大きなお屋敷が建ち並んでいるわ。日本人町もあって、ターカウの人や倭寇(わこう)たちがいるわ。『宮古館』は日本人町の近くにあるのよ。大きなお寺がいくつもあって、天妃宮(てぃんぴぐう)もあるわ」
熊野権現(くまぬごんげん)様もあるんでしょ?」
日本人町の中にあるけど、ターカウの方が大きいわね。タージー(アラビア)という国の人たちのお寺や、インドゥ(インド)という国の人たちのお寺もあるのよ」
「タージーにインドゥ? その国はどこにあるの?」
「遙か西の方にあるみたい。鼻が高くて、目が青い人もいるのよ。髪の毛が黄金色(くがにいる)の人もいて驚いたわ。勿論、言葉は全然わからないわ」
「へえ、面白そうな所ね」
「五月頃まで滞在しなければならないけど、決して飽きないと思うわ」
 もう一眠りしようとササたちは船室に戻った。
 十二月だというのに日差しは強くて暑かった。日が暮れる頃、ようやく島影が見えて来た。崖に囲まれた島だった。
 上陸できない事はないが、この島にも首狩り族がいるとクマラパが言った。ミャークからトンドに向かう時もこの島を目指して来るという。
 島の近くに船を泊めて夜を明かして、翌日、南下して行くと島がいくつも見えてきた。小さな無人島に上陸して一休みした。そこから島伝いに南下して行き、ターカウを出てから六日目、ようやく『トンド』がある『ルソン島』に着いた。
 ルソン島はターカウの島よりも大きく、高い山々が連なっていた。ルソン島の北部にも首狩り族が住んでいるので上陸する事はできなかった。ルソン島の西側を南下して、四日後にようやく、トンドに到着した。途中、悪天候に見舞われて、揺れる船の中で一晩を過ごしたが、若ヌルたちが具合が悪くなる事もなく、何とか無事にトンドに着いた。
 島が大きく窪んだ湾内の奥に『トンド』はあった。港には大小様々な船が泊まっていて、琉球の浮島(那覇)よりも栄えているように思えた。大きな川が流れていて、その北側に高い城壁に囲まれた町が見えた。その大きさにササたちは驚いた。ターカウの日本人町の数倍の大きさだった。
「トンドは宋(そう)の国の都だった杭州(こうしゅう)を真似して造った町なんじゃよ」とクマラパが言った。
杭州って言えば、メイユーたちのおうちがある所だわ」と安須森(あしむい)ヌル(先代佐敷ヌル)が言った。
「綺麗な湖の近くにおうちがあるって言っていたわ。メイファン(美帆)から聞いたんだけど、本拠地をムラカ(マラッカ)に移しても、そのおうちは拠点として残すって言っていたわ。いつか、行ってみたいわね」
「トンドにも大きな湖があるわよ」とタマミガが河口を指差して、「あの川の上流にあるのよ。みんなで行きましょう」と楽しそうに言った。
 アンアンのお陰で、煩わしい手続きもなく、ササたちは上陸した。
 港は賑やかだった。商人らしい唐人たち、荷物運びをしているのは現地人のようだった。そして、見た事もない肌の色の黒い人たちや髪の色が黄金色をした人たちもいた。ササたちは驚いた。若ヌルたちは驚きのあまり言葉も出ないようだった。いつものようにキャーキャー騒ぐ事もなく、目をキョロキョロさせていた。
 アンアンに従って、ササたちは大きな門を抜けて城壁の中にある町に入った。広い広場があって、その先に大通りがあり、大通りの右側に『天妃宮』があった。ターカウの天妃宮よりも大きくて、その建物の華麗さにササたちは驚いた。いたる所に黄金色に輝く飾り物があった。御本尊の天妃様も黄金色に輝いていた。ササたちは無事の航海のお礼を告げた。広い境内の中には様々な神様を祀っているお堂がいくつもあって、その中に『メイユー』を祀っているお堂もあった。
 シンシンが通訳してくれたアンアンの話によると、アンアンの父、今の王様がここにメイユーのお堂を建てて祀ったのが初めで、それをターカウの天妃宮にも勧請(かんじょう)したという。剣を振り上げているメイユーの像も黄金色に輝いていた。ターカウの像はあまりメイユーに似ていなかったが、ここのはよく似ていた。ササたちはメイユーの神様にお祈りを捧げた。
 大通りの両側には商人たちの大きな屋敷が建ち並んでいた。それぞれの屋敷が大きな看板を掲げていて、看板に書かれている字は黄金色に輝いていた。
 大通りを歩いている人たちは様々な格好をしていて、しゃべっている言葉も様々だった。ミャークやイシャナギ島、ターカウに行った時でさえ、異国という感じはしなかったが、トンドはまさに異国だった。はるばる異国までやって来たと皆が実感していた。
 何を見ても驚いていたササたちは気づかなかったが、日本の侍(さむらい)のような格好をして腰に刀を差しているササたちは好奇の目で見られていて、王女様がまた奇妙な人たちを連れて来たと噂されていた。
 しばらく行くと広い十字路に出た。左を見ると高い城壁に囲まれた宮殿の立派な門が見えた。右を見ると大通りの遙か先に城壁の門が見えた。
「昔は向こうに港があって、向こうの門から入ったんじゃよ」とクマラパが右の方を見ながら言った。
「向こうの門から入ると正面に宮殿が見える。南薫門(なんくんもん)と呼ばれる向こうが正門だったんじゃが、西側に新しい港ができて、皆、順天門(じゅんてんもん)から入るようになったんじゃ」
 ササたちは左に曲がって宮殿に向かった。門の上には朱雀門(しゅじゃくもん)と黄金色で書かれた扁額(へんがく)を掲げた大きな建物が建っていた。
 アンアンが一緒なので、簡単な手続きをして宮殿内に入れた。順天門にいた門番も、ここの門番も皆、日本の刀を腰に差していた。トンドの兵たちは皆、日本の刀を差しているのかもしれなかった。
 正面にまた城壁に囲まれた宮殿があった。宮殿へと続く大通りの両側には役所が並んでいて、明国(みんこく)の官服(かんぷく)のような着物を着た役人たちが忙しそうに行き来していた。
「凄いわね」と安須森ヌルがササに言った。
 ササは辺りを見回しながらうなづいた。
「この宮殿も宋の国の宮殿を真似して作ったらしい」とクマラパが言った。
「『トンド』というのは『東の都』という意味なんじゃよ。宋の国がここに移ったという意味が込められているんじゃ。しかし、元の国も明の国も、トンドとは認めず、島の名前をとって『ルソン国』と呼んでいるようじゃ」
 宣徳門(せんとくもん)でまた簡単な手続きをして門内に入ると、そこは広場になっていて、正面に首里(すい)グスクの百浦添御殿(むむうらしいうどぅん)のような宮殿が建っていた。百浦添御殿よりも一回り大きくて、あちこちに黄金色に輝く彫刻が施されていて、凄く豪華に見えた。
 アンアンに従って宮殿に入って、一室で待たされたあと、ササと安須森ヌルとクマラパは王様に拝謁した。
 黄金色の装飾があちこちに輝く豪華な部屋で、王様は高い所にある黄金色の玉座(ぎょくざ)に座っていた。王様の頭の上にも黄金色に輝く王冠が載っていた。厳(いか)めしい顔をした重臣たちが並んでいて、重苦しい雰囲気だった。
 近くに寄れと王様が言ったので、ササたちは玉座の近くまで行って、クマラパの通訳で王様の話を聞いた。
 王様は琉球からよく来てくれたと歓迎してくれ、メイユーが琉球の王子の側室になった事に驚いていた。夫と別れたあとメイユーはトンドに来なくなってしまった。あとで琉球でのメイユーの事を聞かせてくれと言った。その後、王様はクマラパと話をしていたが、ササと安須森ヌルには何を話しているのかわからなかった。
 アンアンから山賊だったと聞いているが、そんな面影はまったくなかった。時々、見せる鋭い目つきが武芸の心得がある事を物語っているが、生まれついての王様という気品が漂っていた。
「引き上げよう」とクマラパに言われて、ササと安須森ヌルは王様に頭を下げて引き上げた。
 豪華な部屋を出て、王様と何を話していたのかとササがクマラパに聞いたら、クマラパは笑って、
「わしは王様に誤解されていたようじゃ」と言った。
「わしがヂャンアーマーと親しくしていたので、敵だと思って警戒していたそうじゃ」
「誤解は解けたのですか」と安須森ヌルが聞いたら、
「わかってくれたようじゃ」とうなづいた。
 皆が待っている部屋に戻って王様の事を話しているとアンアンが来て、一緒に宮殿を出た。役所の間を抜けて行くと立派な庭園のある御殿に出た。先代の王様が側室のために建てた御殿で、今は客殿として使っているので、ここに滞在してくれという。
 宮殿の敷地内に滞在するのは堅苦しいような気がするが、『宮古館』にはミャークの人たちがいるので泊まれない。町の様子がわかったら、どこか宿泊施設を見つけて、そちらに移ろうと思い、それまでは王様の好意に甘える事にした。
 客殿は広く、一階には食事をする広い部屋があって、二階には部屋がいくつもあった。各部屋には寝台が四つづつあって、ササたちは分散して部屋に納まった。ササは安須森ヌル、シンシン、ナナと一緒の部屋に入ろうとしたら、
「あなたはジルーと一緒よ」と安須森ヌルに言われた。
 ササは苦笑して、ジルーと一緒に部屋に入った。ミッチェとガンジュー(願成坊)も一緒に入り、ゲンザとミーカナ、マグジとアヤーも一緒に入った。若ヌル五人だけを一部屋に入れるのは心配なので、二つの寝台を運び入れて、玻名(はな)グスクヌルが一緒に入った。タマミガ、サユイ、ナーシルが一緒に入り、クマラパとムカラーが一緒に入った。
 客殿には何人もの侍女たちがいて、ササたちの世話をしてくれたが言葉が通じないので、いちいちシンシンかクマラパを呼ばなければならず面倒だった。
 その夜、別の御殿で歓迎の宴が開かれて、豪華な料理を御馳走になった。何人かの重臣たちを紹介されたが王様は現れなかった。舞台では歌やお芝居が演じられて、言葉はわからないが面白かった。安須森ヌルは真剣な目をしてお芝居を観ていた。
 そろそろ宴がお開きになる頃、ササはユンヌ姫の声を聞いた。
お船が狙われているわ」とユンヌ姫は言った。
 ササは驚いて、「どういう事なの?」と聞いた。
「チェンジォンジーという海賊が、ジルーのお船を奪い取ろうと企んでいるのよ。今夜、襲撃するわ」
「あたしたちを追って来たの?」
「そうらしいわ。ターカウにはヂャンジャランがいるので襲えなくて、トンドまで追って来たのよ」
 今、ジルーの船には二十人の船乗りしかいなかった。半数は船から下りて、王様が用意してくれた港の近くの宿舎で休んでいた。
「敵は何人いるの?」とササは聞いた。
「五十人くらいいるわ。でも、船乗りは襲撃に加わらないから三十人といった所ね」
 ササはユンヌ姫にお礼を言った。
 ユンヌ姫の声を聞いた安須森ヌル、シンシン、ナナがササを見た。
お船を守らなくてはならないわ」とササは言った。
 皆はうなづいたが、
「宮殿の門はみんな閉まってしまったわ」とシンシンが言った。
「アンアンに頼めば何とかなるわよ」とササは言った。
 シンシンはうなづいて、アンアンの所に行って相談した。
 宴が終わると玻名グスクヌルと若ヌルたちを客殿に返して、ササたちはアンアンと一緒に宮殿の東門から外に出た。
 空には満月が出ていて明るかった。宮殿の横に川が流れていて、荷船が泊まっていた。ササたちはアンアンと一緒に荷船に乗って水門から城壁の外に出た。水門も閉まっていたが王様の許可を得ているので大丈夫だった。順天門から出たらチェンジォンジーの配下の者が見張っている可能性があるが、荷船に隠れて水門から出ればわからなかった。
 川岸でムカラーを下ろして、ジルーの配下の船乗りたちがいる宿舎に向かわせた。町中を流れていた川は大きな川に合流して海へと出た。荷船に乗ったまま港に向かって、ジルーの船まで行った。敵の襲撃はまだないようだった。
 船に乗ったササたちは見張りの船乗りに襲撃の事を告げて、敵を待ち伏せるための準備をした。
 一時(いっとき)(二時間)近くが過ぎて、本当に敵の襲撃はあるのかしらと待ちくたびれた頃、静かに近づいて来る船があった。進貢船を一回り小さくしたような船だった。敵船はジルーの船に横付けすると、船と船の間に梯子(はしご)を何本も渡した。敵船の甲板(かんぱん)の方がジルーの船よりも四尺(約一二〇センチ)ほど高かった。
 次々と敵が船に乗り移ってきた。敵の一人が船室を覗こうとした時、法螺貝が鳴り響いた。ガンジューが吹く法螺貝が合図で、ササたちの攻撃が始まった。
 ミッチェとサユイが屋形の屋根の上から弓矢を撃ち、ナーシルが槍を投げた。突然の反撃に敵はひるんでいた。ササ、シンシン、ナナ、タマミガ、ミーカナ、アヤーは敵船に乗り込んで暴れ回った。敵船に残っていた者たちはササたちの敵ではなかった。刀を抜くまでもなく、武当拳(ウーダンけん)によって皆、簡単に倒された。
 ササたちがジルーの船に戻ると、すでに戦闘は終わっていた。大将らしい男はナーシルの槍で絶命していた。
「こいつはチェンジォンジーではないようじゃ」とクマラパが言った。
「チェンジォンジーは妻のリンチョンと一緒に隠れ家にいるらしい。簡単に奪えると思っていたんじゃろう」
「怪我人は出たの?」とササが聞いた。
「大丈夫よ。みんな、無事よ」と安須森ヌルが言った。
「強そうな五人はナーシルの槍とミッチェとサユイの弓矢にやられたわ。あとはみんな大した腕はなかったわ」
 ムカラーの知らせを聞いて、宿舎で休んでいた船乗りたちが小舟に乗ってやって来た。ジルーは倒れている者たちを縛り上げろと命じた。
 ササ、安須森ヌル、シンシン、ナナ、ミッチェ、サユイ、ナーシル、クマラパは敵の一人に案内させて、チェンジォンジーの隠れ家に向かった。隠れ家に残っているのはチェンジォンジーとリンチョンと二人の見張りだけだという。
 チェンジォンジーの隠れ家は港の北側にある遊女屋町の中にあった。真夜中だというのに酔っ払った男たちがうろうろしていた。小さな遊女屋が建ち並ぶ通りの裏側にある古い家が隠れ家だった。見張りの姿は見当たらなかった。連れて来た男に声を掛けさせたが、隠れ家から返事はなかった。
 警戒しながら戸を開けて中に入ると、土間に二人の見張りが倒れていて、部屋の中で男と女が血まみれになって倒れていた。それを見て、連れて来た男が何事か叫んだ。
「チェンジォンジーとリンチョンか」とクマラパが聞くと、連れて来た男はうなづいた。
「一体、どうなっているの?」と安須森ヌルが言って、
「誰の仕業なの?」とナナが言った。
 ササは警戒しながら二人の死骸に近づいた。酒を飲んでいたとみえて、酒の入った酒壺(さかつぼ)が転がっていて、料理が散らかっていた。死骸のそばに何かを書いた紙切れが落ちていた。シンシンがそれを取って読んで、
「ヂャンジャランの仕業よ」と言った。
「『海賊の恥となるチェンジォンジーとリンチョンを退治した。ヂャンジャラン』て書いてあるわ」
「ジャランさんはチェンジォンジーを追って来たのかしら?」とササは言った。
「そのようじゃな」とクマラパは言って、「ジャランも立派な海賊になったもんじゃ」と苦笑した。
 翌朝、王様の命令を受けた役人たちがやって来て、チェンジォンジーの配下たちを捕まえて、船を没収した。チェンジォンジーとリンチョンの首は、見せしめとして港に晒(さら)された
 チェンジォンジーを倒したのがヂャンジャランだと知ると、王様は生かしておいてよかったなと笑ったという。
 ササたちは宮殿の東側にある『宮古館』に行って、マフニと再会した。上比屋(ういぴやー)のツキミガと来間島(ふふぁま)のインミガも来ていて再会を喜んだ。
 日本人町に行くとトンドの太守として南遊斎(なんゆうさい)の息子の小三郎がいて歓迎してくれた。ササたちがチェンジォンジーを倒した事は噂になっていて、日本人町の人たちも喜んでいた。チェンジォンジーにやられた倭寇たちも多いという。
 言葉が通じる日本人町に来るとホッとした。できれば日本人町に滞在したいと太守に相談したら、これから倭寇たちがやってくるので難しいだろうと言われた。
 『弁才天宮(べんざいてんぐう)』は朝陽門(ちょうようもん)と呼ばれる東門の近くにあった。イシャナギ島の石城按司(いしすかーず)が描いた『サラスワティ』の像があった。その像は思っていたよりも大きくて神々しかった。ササたちはイシャナギ島で会ったサラスワティを思い出しながらお祈りを捧げた。

 

 

 

Exotic India ZBU74 女神サラスヴァティ、16.5インチ、ブラウン