長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

3-12.ササの娘、ヤエの誕生(第二稿)

 サスカサたちが徳之島(とぅくぬしま)で神様たちとの酒盛りを楽しんでいた頃、首里(すい)グスクの龍天閣(りゅうてぃんかく)の三階の回廊からササは満月を見上げながら酒杯(さかづき)を傾けていた。
 ササと一緒にお酒を飲んでいるのは玻名(はな)グスクヌルとミッチェとサユイ、タマミガとツキミガで、若ヌルたちは明国(みんこく)のお菓子を食べながらおしゃべりを楽しんでいる。部屋の中央ではヤエが大の字になって気持ちよさそうに眠っていた。
 今日の夕方、スサノオ瀬織津姫(せおりつひめ)の声が聞こえて、ササが産んだヤエを祝福してくれた。ヤエにもスサノオ瀬織津姫の声が聞こえるのか嬉しそうにキャッキャッと笑っていた。スサノオ瀬織津姫が帰った後、ミッチェたちがやって来たので、ササは月見酒よと酒盛りを始めたのだった。
 一緒に南の島(ふぇーぬしま)に行ったチチー(八重瀬若ヌル)、ウミ(運玉森若ヌル)、ミミ(手登根若ヌル)、マサキ(兼グスク若ヌル)、南の島には行かなかったが富士山まで行ったカミー(アフリ若ヌル)、この五人は神様の声が聞こえ、大三島(おおみしま)で神様の姿も拝んでいた。キラ(沢岻若ヌル)、クトゥ(宇座若ヌル)、マナ(勢理客若ヌル)の三人は弟子になったばかりで神様の声は聞こえない。中グスクヌルと勝連(かちりん)若ヌルもササの弟子になっていたが、中グスクヌルは父が凱旋(がいせん)してきたので中グスクに帰り、勝連若ヌルは父の戦死からまだ立ち直ってはいなかった。
 島添大里(しましいうふざとぅ)グスクにいた二か月ほど前、サハチ(島添大里按司)と一緒に勝連グスクに行って、寝込んでいた若ヌルを慰め、グスクの周辺で明月道士(めいげつどうし)の霊符(れいふ)を見つけたササは、明月道士を必ず探し出して退治すると心に決めた。翌日、佐敷グスクのお祭りに行こうとした時、祖父の中山王(ちゅうざんおう)がお輿(こし)を送ってきた。従わないと護衛のサムレーたちが罰せられると言うので、ササは仕方なく、お輿に乗って首里グスクに向かった。
 若ヌルたちを連れて御内原(うーちばる)に入ったササは、三星党(みちぶしとう)の侍女にチュージを呼んでもらった。チュージは三星党の四天王の一人で、浮島(那覇)と首里、及び琉球中部を担当していた。ササはチュージに霊符を見せて、明月道士の拠点を見つけ出してくれと頼んだ。
 明月道士の事はチュージもウニタキから聞いていて、勝連にいる配下の者に望月党の以前の隠れ家を見張らせているが、明月道士が現れる事はなかった。
「明月道士は奄美大島(あまみうふしま)からお舟に乗って勝連に来るのよ。勝連半島の東方(あがりかた)には島がいくつもあるわ。どこかの島に拠点があるはずだわ」
 その事はチュージも気づいて、イチハナリ(伊計島)から津堅島(ちきんじま)までの島々を調べさせたが何も見つからなかった。しかし、また霊符が見つかったとなるともう一度、調べ直した方がいいと思い、ササの頼みを引き受け、サンダラから聞いてイーカチが描いた明月道士の似顔絵をササに見せた。
 明月道士は七十歳近い老人で、長く伸ばした髪も髭も真っ白で、眼光の鋭い道士だという。サンダラが調べた所によると、明月道士は『望月党』を作った初代の望月サンルーの次男で、二十歳の頃に元(げん)の国に渡り、華山(ホワシャン)という険しい山で道士としての修行を積んだ。帰国したのは思紹(ししょう)が中山王になった年で、すでに望月党は壊滅していた。どうやって探したのかわからないが、望月党の残党が住み着いていた奄美大島南部の勝浦(かっちゅら)にやって来て、長老として望月党の再起を図っているらしい。
 華山は思紹がヂャンサンフォン(張三豊)と一緒に行っているので、ササも話は聞いているし、クマラパも華山で修行したと言っていた。ヂャンサンフォンやクマラパのように、明月道士も武芸の達人かもしれないと警戒した。
 明月道士の似顔絵を若ヌルたちに写させたが、ササに似たのか絵の才能のある若ヌルはいなかった。思紹の側室のユイがうまいというので描いてもらった。瓜二つといえるほどそっくりに写したのでササは驚き、側室を辞めたらイーカチ(中山王の絵師)の所に行ったらいいと勧めた。
 翌日、思紹の側室たちは女子(いなぐ)サムレーや城女(ぐすくんちゅ)たちと一緒にマチルギを助けるために今帰仁(なきじん)に向かった。同じ日、佐敷大親(さしきうふや)のマサンルーが長男のシングルーに佐敷大親を譲り、美里大親(んざとぅうふや)を名乗って越来(ぐいく)グスクに行き、幼い若按司の後見役になった。サハチは首里城下の『油屋』に行ってウクヌドー(奥堂)と会い、味方に引き入れる事に成功した。お芝居に夢中になった娘のユラのお陰で、ウクヌドーは何の疑いもなく、中山王に従うと言ってくれた。
 梅雨が上がって例年通り、五月四日に豊見(とぅゆみ)グスクでハーリーが催された。去年は弟の豊見グスク按司に任せていた他魯毎(たるむい)も今年は琉球が統一されたお祝いだと言って、山南王(さんなんおう)の主催で中山王を招待した。思紹は王妃と孫たちを連れて豊見グスクに行った。一応、チュージが陰の護衛を務めたが何事も起こらずに無事に終わった。山南王、中山王、久米村(くみむら)、若狭町(わかさまち)の四艘の龍舟(りゅうぶに)が競い、久米村が優勝した。海上からハーリーを見ていたサハチは愛洲(あいす)ジルーたちとルクルジルー(早田六郎次郎)たち、李芸(イイエ)と早田(そうだ)五郎左衛門を連れてキラマ(慶良間)の島へと行った。
 翌日、サハチたちがキラマの島から浮島に帰って、『那覇館(なーふぁかん)』で休んでいたら、ミャーク(宮古島)の船がやって来た。
 与那覇勢頭(ゆなぱしず)とクマラパ、タマミガとツキミガ、ガンジューとミッチェとサユイ、ナーシルとペプチとサンクルが去年に引き続き、今年もやって来た。南の島の人たちを『那覇館』に案内して、サハチは歓迎の宴(うたげ)の準備を命じた。
 与那覇勢頭もクマラパも中山王が山北王(さんほくおう)を倒したと聞くと驚き、琉球が一つになった事を喜び、是非ともヤンバル(琉球北部)に行ってみたいと言った。クマラパの娘のタマミガはササがもうすぐ出産すると聞くと驚き、跡継ぎに恵まれてよかったと喜び、早く会いたいと言った。ミャークの人たちは翌日、サハチの先導で首里まで行列して、中山王と会い、ササと会った。
 五月八日にはビンダキ(弁ヶ岳)山頂にできた弁才天堂(びんざいてぃんどー)の落慶式が覚林坊(かくりんぼう)と福寿坊(ふくじゅぼう)によって行なわれた。思紹が彫った弁才天像が祀られ、弁才天を守るように役行者(えんのぎょうじゃ)像も祀られた。
 サハチは山伏のお寺をビンダキの裾野に造ろうと思っていたが、覚林坊と福寿坊は山グスクがいいと言った。
「あそこは岩場が多いので修行の場になります。ここにお寺を造っても修行する場所がありません」
 サハチは鞍馬山(くらまやま)を思い出して、山伏のお寺は山の中にあるのかと納得した。苗代大親(なーしるうふや)がサムレー総大将を引退して山グスク按司になる予定だったが、サム(勝連按司)が戦死してしまい、勝連若按司の後見役に就く事に決まった。思紹が引退して山グスクに行くかと言っていたが、まだ引退してもらっては困る。山グスクにいたサグルーたちは今、奄美平定をしていて、それが終わったらチューマチの後見役として今帰仁に残る事になっている。サグルーたちの家族もすでに山グスクから出て、首里の兵が交代で守ってるだけなので、山グスクを山伏のお寺にするのもいいかもしれない。今ある建物にちょっと手を加えて、山門を建てればお寺になりそうだと思った。
「俺の一存では決められないが、山グスクをお寺にするのも面白い。検討してみるよ」とサハチは二人に言った。
 首里グスクに戻って龍天閣に行き、思紹と相談すると、
「わしが行こうと思っていたのにお寺にしてしまうのか」と思紹は木像を彫りながら言った。
「まだ引退するには早すぎます」
 思紹は手を止めてサハチを見ると、「お前、ムラカ(マラッカ)に行きたいと言っておったのう」と聞いた。
今帰仁の再建が終わったら、ファイチ(懐機)とウニタキと一緒にヂャン師匠に会いに行ってきますよ」
「そうか。わしが引退するのはお前がムラカから帰ってきてからでもいいぞ」
 何を彫っているのだろうと粗彫りの木を見ていたサハチは、裏がありそうだと思紹を見た。
 思紹はニヤニヤしながら、「条件がある」と言った。
「ヤマトゥ旅ですか」とサハチは聞いた。
「五郎左衛門殿と一緒に京都まで行ってみたいんじゃよ」
 マチルギがいない今、思紹がヤマトゥに行ったら、サハチが首里にいなくてはならなくなるが、山北王がいなくなったので何の問題も起きないだろうとサハチは思紹のヤマトゥ旅を許す事にした。
「もう五郎左衛門殿と約束したんでしょう?」
「実はそうなんじゃ。人の上に立つ者として約束を破るわけにはいかん」
「わかりました。俺との約束もちゃんと守ってくださいよ」
「わかっておる。ササから高橋殿の事も聞いたので会って来ようと思っているんじゃ」
「タミーがササの代わりに行くので、タミーと一緒に会えばいいですよ」
「タミーというのは須久名森(すくなむい)のヌルじゃな。ヤグルー(平田大親)から話は聞いている。高橋殿に会えば七重の塔に登れるじゃろう。楽しみじゃよ」
「あそこから京の都の全貌が見渡せます。七重の塔の近くにある金閣も見てきてください。首里もあのような立派な都にしなければなりません」
「よく見てくるつもりじゃよ。山グスクの件じゃが、お寺にするのはいい考えじゃ。東行法師(とうぎょうほうし)がお寺にいるのは当然の事じゃからな。上のグスクを東行寺にして、下のグスクを山伏寺にすればいい」
「東行寺ですか。それもいいかもしれませんね。ところで今度は何を彫っているのです?」
蔵王権現(ざおうごんげん)じゃ。山伏の神様らしい。熊野の近くの大峯山(おおみねさん)の山頂に蔵王堂というのがあって、そこに祀られているそうじゃ。覚林坊が連れて行ってくれると約束してくれたんじゃ」
「まったく、覚林坊とも約束していたんですか」
「マチルギがおらんからのう。お前なら許してくれると思ったんじゃ」
「覚林坊が一緒なら俺も安心できますよ。いい旅をして来てください」
大峯山は山伏の本場だそうじゃ。どんな山だか楽しみだわい」
「五郎左衛門殿も登るのですか」
「五郎左衛門殿も大峯山には昔から登りたかったそうじゃ。冥土(めいど)の土産に登ると張り切っておる」
「無理をしないでくださいよ。五郎左衛門殿は七十に近いですからね」
「わかっておるよ」と思紹は言って彫り物に熱中した。
 五月十二日、島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスクでお祭りが行なわれた。トゥイ様(前山南王妃)とマアサはいないが、王妃と島尻大里ヌルがユリたちの助けを借りて頑張った。馬天(ばてぃん)ヌルが南の島の人たちを連れて行って、南の島の人たちは大歓迎され、南の島の歌や踊りを披露して大盛況だったという。サハチは交易船の準備で忙しく、行く事はできなかった。
 その日の午後、冊封使(さっぷーし)を送って行った進貢船(しんくんしん)が帰ってきた。サングルミーが会同館の帰国祝いの宴でサンクルとペプチ母子と再会した。母子はパティローマ(波照間島)には帰らずに琉球で暮らすと言ったので、サングルミーは喜び、その気持ちを二胡(アフー)で表現して喝采を浴びた。
 サングルミーは香炉と大量の線香を明国から持ってきて、馬天ヌルは首里グスク内のキーヌウチのウタキ(御嶽)に香炉を置いて線香を焚いた。
 五月十五日、ササが首里グスクの御内原で無事に女の子を産んだ。見守っていた真玉添姫(まだんすいひめ)、アマン姫、豊玉姫(とよたまひめ)に祝福された女の子はヤエと名付けられ、元気な泣き声は神様たちの耳に入って、琉球中の神様たちが祝福にやって来た。出産に疲れ切って眠っているササに代わって若ヌルたちが神様たちの応対に大わらわだった。
 ササの出産を見届けるとサハチは久し振りに島添大里グスクに帰った。安須森(あしむい)ヌルの屋敷に行って女子サムレーたちとユリたちにササの娘が生まれた事を話していたらウニタキが顔を出した。今帰仁で別れて以来だった。
 サハチはウニタキを誘って物見櫓(ものみやぐら)に登った。
「ササが母親になったとは驚きだな」とウニタキは笑った。
「ヤエを抱いているササは幸せそうだったよ。母親という顔付きをしていた」
「どんな娘に育つか楽しみだな」
「サグルーの倅のサハチを守ってくれるだろう」
「そういえばサグルーの嫁さんも御内原にいるらしいじゃないか」
「サハチの妹か弟がもうすぐ生まれるんだよ。ところで、見つかったのか」
 ウニタキは首を振った。
「どこにもいないんだ。山の中も周辺の島々も探したがどこにもいない」
「奴らを助ける仲間はいないはずだが、どこに逃げたのだろう」
「仲間と言えるのは島尻大里グスクにいるミンと保栄茂(ぶいむ)グスクにいる小浜大主(くばまうふぬし)とテーラーグスクにいる辺名地之子(ひなじぬしぃ)だが、奴らと接触すればすぐにわかる。まだ南部には来てはおるまい」
「ミンは山南王の世子(せいし)ではなくなり、ただの娘婿になった。辺名地之子と小浜大主はテーラーの戦死を聞いて、山南王に仕える事になった。ミンは弟のフニムイが現れれば匿うだろうが、辺名地之子と小浜大主はフニムイには従わないだろう。焦る事はない。気長に探せば必ず見つかる。それより、親父がヤマトゥ旅に行く事になった。覚林坊と福寿坊が一緒に行くので大丈夫だと思うが、誰か護衛の者を送れないか」
「やっぱり行くのか」
「俺たちがムラカに行くためには許すしかなかったんだ」
「王様(うしゅがなしめー)の護衛か‥‥‥」
「熊野の近くの大峯山に登ると言っていたから多分、山伏の格好で行くのだろう」
「山伏と言えばイブキがかみさんを連れてヤマトゥに行きたいと言っていたな。今帰仁再建が終わったらヤマトゥに行かせようと思っていたんだが、イブキに頼むか」
「イブキは今、今帰仁にいるのか」
「ああ。『よろずや』はもう畳むつもりだから、首里でも勝連でも好きな所で隠居しろと言ったんだが、今帰仁の再建が終わったら考えると言って、『よろずや』の連中と一緒にマチルギを手伝っているんだ」
「イブキか‥‥‥もういい年齢(とし)だろう」
「ああ、七十に近いはずだ。五郎左衛門殿と同じくらいじゃないのか。護衛と言うより旅の道連れだな。ヤマトゥで中山王を狙う奴はいないだろうし、ヤマトゥ言葉が話せる奴じゃないと怪しまれるからな。長年、仕えてくれた御褒美として、『よろずや』の連中をヤマトゥに行かせよう。覚林坊と福寿坊、ジクー禅師とクルシ、クルーもいるから大丈夫だろう」
「そうだな。親父もお忍びで行くようだから目立つような事はしないだろう」
「話は変わるが、フニムイ探しをしていて、明月道士の足跡らしき物が見つかった」
「なに、本当か。明月道士の事はササがチュージに頼んだようだ」
「ああ、ササはチュージを顎(あご)で使っているよ。三星党の四天王もササにはかなわないようだ」
「奴の拠点が見つかったのか」
「いや、拠点と言えるほどの物ではない。名護(なぐ)から東海岸の方に行くと大浦(うぷら)に出る。大浦の東に安部(あぶ)という村(しま)がある。そこは勝連グスクを築いた時の材木採取場だったらしい。その責任者が安部大主という奴で村の名前に残ったようだ。今は勝連とのつながりはないようだが、安部大主の子孫が住んでいて杣人(やまんちゅ)や漁師(うみんちゅ)をやっている。その村に数年前、勝連の出身で長い間、明国で修行していたという道士がやって来て、小屋掛けして半年ほど暮らしていたと言ったんだ」
「数年前と言うのは何年前なんだ?」
「五、六年前らしい」
「若按司が病死した頃だな」
「そうだ。あの時、安部にいた明月道士が霊符を撒いたに違いない。近くに拠点はないかと探してみたが見つからなかった。今回は別の所にいたようだ」
奄美大島の拠点を攻めるわけにはいかないのか」
「あそこを攻めるのは難しい。二、三百の兵で完全に包囲して攻めないと山の中に逃げられる」
「いつまでも放っておくわけにも行くまい。サグルーたちが奄美按司を従わせたら攻めたらどうだ」
「まだ兵力となる若者は五十人といるまい。今のうちに始末した方がいいかもしれんな。ただ、幼い子供たちがかなりいるようだ。子供たちを殺すわけにもいくまいし、敵の動きをよく調べて、来年あたり、主要な奴らを始末するか」
「来年になれば今帰仁も落ち着くだろう。今帰仁の兵も出陣させればいい」
「中山王の兵が動くとなると大義名分が必要だぞ」
大義名分はサムの敵討(かたきう)ちさ」
 ウニタキは笑った。
 五日後、思紹を乗せた交易船と李芸の船は浮島を発ち、親泊(うやどぅまい)(今泊)でルクルジルーと愛洲ジルーの船と合流して与論島(ゆんぬじま)に向かった。与論島でシンゴ(早田新五郎)とマグサ、朝鮮(チョソン)に行く勝連船と合流した。湧川大主(わくがーうふぬし)の武装船を警戒して、シンゴとマグサ、ルクルジルーと愛洲ジルーの船が交易船を護衛し、ルクルジルーに李芸の船を朝鮮まで送るように頼んだ。
 母親を見つける事はできなかったが、李芸は琉球で見つけた朝鮮人を四十四人連れて帰った。『材木屋』のナコータルーの下で働いていた杣人(やまんちゅ)、今帰仁の遊女(じゅり)たちと石屋たち、屋部(やぶ)の瓦(かわら)職人たち、武寧(ぶねい)の側室だったサントゥクの家族たち、そして、山北王の側室だったパクと娘のカリンも帰って行った。
 交易船と李芸の船を見送ったサハチは首里グスクに帰った。思紹とマチルギのいない首里グスクは何となく活気を失ってしまったかのように思えた。
 御内原に行ってササの娘のヤエをかまって、百浦添御殿(むむうらしいうどぅん)の二階に行ったが落ち着かず、サハチは龍天閣の三階に登って眺めを楽しんだ。
 思紹が帰って来るのは年末、マチルギも年末には帰って来るだろう。来年、メイユーたちが帰る時、一緒に乗ってムラカに行こう。ウニタキとファイチ、ンマムイ(兼グスク按司)も連れて行ってやるか。楽しい旅になりそうだ。今年はメイユーが娘を連れて来るだろう。メイユーに似て可愛い娘に違いない。メイユーの活躍を本人の口から聞くのも楽しみだ。マチルギがいないのに城下の屋敷に帰っても仕方ないので、サハチは龍天閣に寝泊まりする事にした。
 午前中は思紹の代わりに政務に就き、午後は苗代大親の代わりに武術道場に行って若い者たちを鍛えた。時には慈恩寺(じおんじ)に行き、慈恩禅師を手伝った。
 忙しい毎日が続き、久し振りに島添大里グスクに行き、帰って来ると龍天閣にササたちがいた。夕べ、酒盛りをしたとみえて、城女たちがブツブツ文句を言いながら後片付けをしていた。三階に行くと若ヌルたちが掃除をしていて、ササはヤエをあやしていた。サハチを見ると、「どこに行っていたの? 一緒にお酒を飲もうとやって来たのに」と言った。
「島添大里に帰っていたんだ。チューマチとマグルーが守っているが、まだ任せられないからな」
「チューマチはいつ、今帰仁に行くの?」
「あいつは早く行ってマチルギを手伝いたいと言っているんだが、まだ悲しみが癒えないマナビーに惨めなグスクを見せたくないからな。グスク内の屋敷が完成してからになるだろう」
「先代の山北王妃も一緒に行くの?」
「それはどうかな。マナビーの妹のウトゥタルが女子サムレーになりたいといって安須森ヌルの屋敷に入り浸りなんだ」
「へえ。その子、いくつなの?」
「マシューより一つ年下の十三だ。マシューとも仲良くやっている」
「父親の敵(かたき)だと思っていないのね」
「姉のマナビーがお世話になっているから、みんな。身内だと思っているようだ」
「早く島添大里に帰りたいんだけど、一月はここにいろって言うのよ。だけど、御内原にいたらお酒も飲めないからここに移る事にしたの。よろしくね」
「なに、お前たちがここで暮らすのか」とサハチは部屋の中を見回した。
 玻名(はな)グスクヌルと若ヌルが八人もいて、サハチの居場所はなかった。二階は思紹の彫りかけの木像やらがあって狭い。サハチは追い出される格好となり、龍天閣をササたちに明け渡して城下の屋敷に移った。ササは龍天閣で若ヌルたちに笛を教えていて、ピーヒャラピーヒャラやかましかったが、誰も文句は言えなかった。それでもササが吹く笛の音が城下に流れると誰もが耳を澄まして聞き、龍天閣を見上げながら感動していた。
 六月十六日、ササは若ヌルたちを連れて島添大里グスクに帰った。若ヌルたちを引き連れて颯爽と歩く赤ん坊をおぶったササの姿を見たウトゥタルはササに憧れた。従姉妹(いとこ)のマサキと再会して、神々(こうごう)しく見えるマサキに驚き、わたしもヌルになりたいと言ってササの弟子になった。ヤエは女子サムレーたちに囲まれて楽しそうに笑い、その晩、ヤエの誕生祝いの宴が催された。

 

 

 

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3-11.アメキウディーの饗宴(第三稿)

 ウンノー泊(どぅまい)(面縄港)に戻ってサグルー(山グスク大親)たちと合流したサスカサ(島添大里ヌル)たちは、先代徳之島按司(とぅくぬしまあじ)の妹の犬田布(いんたぶ)ヌル(先代徳之島ヌル)と会った。犬田布ヌルは山北王(さんほくおう)(攀安知)を倒してくれた事を感謝したが、中山王(ちゅうざんおう)(思紹)が今の按司を倒す意志がない事を知って悲しんだ。
 犬田布ヌルは二人の若ヌルを連れていて、一人は先代按司の娘のリン、もう一人は今の按司の娘のマクトゥだった。リンは両親と兄と弟を山北王に殺されていた。犬田布ヌルがマクトゥの指導をする事に決まった時、リンは敵(かたき)の娘に会いたくないと言って会わなかった。あれから三年が経って、当時、七歳だったマクトゥは敵ではないと理解して、今では仲良くやっていた。マクトゥは許せるが按司は許せない。中山王が討ってくれないのなら、いつか、必ず敵を討つと言って、リンはサスカサの弟子になった。
 サグルーたちは『ウンノーグスク』で徳之島按司と会い、母のマティルマと妹のマハマドゥの説得で、徳之島按司は中山王に忠誠を誓ってくれた。妻のマキクは按司が中山王に従う事に決めたと言うと、半狂乱になったので部屋に閉じ込めたという。
 按司の事はサグルーたちに任せて、サスカサたちは犬田布ヌルの案内で『トゥクカーミー』の窯場(かまば)跡を見に行った。わたしの出番はなさそうだと永良部(いらぶ)ヌル(前瀬利覚ヌル)も一緒に来た。
 窯場跡はウンノーグスクの西半里(約二キロ)ほどの所にあって、草茫々の荒れ地になっていた。二百年も続いたので、かなり広い地域にいくつもの窯場があった。窯で焼くための木を切り開きながら南から北へと移動して行ったのだろう。今も機能している窯場は、まだ樹木(きぎ)が残っている森の近くにあった。トゥクカーミーが始まる前は、この辺り一帯は鬱蒼(うっそう)とした樹木が生い茂っていたに違いない。
 北に見える『インタブウディー(犬田布岳)』に古いウタキ(御嶽)があるというので登ってみた。思っていたより遠くて、山頂まで一時(いっとき)(二時間)あまりも掛かった。暑い中、苦労して登ったのに山頂には木が生い茂っていて眺めは悪く、若ヌルたちはブーブー文句を言っていた。古いウタキらしい岩があったのでお祈りしたが神様の声は聞こえなかった。
「古いウタキなんだけど、『トゥク姫様』もご存じなかったのよ」と『トゥクヌ姫』の声が聞こえた。
「多分、トゥク姫様がこの島にいらっしゃる前に、山裾に住んでいた人たちの神様だと思うわ。山裾にはガマ(洞窟)がいくつもあるのよ」
「『トゥク姫様』というのは『ユン姫様』の娘さんですか」とサスカサは聞いた。
「そうよ。北部にある『アメキウディー(天城岳)』に祀られているわ。毎年、夏至の時にあたしの子孫のヌルとトゥク姫様の子孫のヌルがアメキウディーの山頂でお祈りをするのよ。今年も先月に集まったけど、あなたたちが来たから、もう一度、集まるのも悪くないわね。トゥク姫様はお酒が好きだから、山頂で酒盛りをしましょ。あたしがヌルたちに声を掛けるわ。明日は満月だから酒盛りに最適ね」
 お祈りを終えると、「山頂で酒盛りなんて、『ウムトゥダキ(於茂登岳)』を思い出すわね」とナナ(クーイヌル)が楽しそうに言った。
「色々な神様が現れたわね」とシンシン(今帰仁ヌル)が笑って、「何となく、『スサノオ様』が現れそうな気がするわ」と空を見上げた。
「まさか?」とサスカサも空を見上げてから、犬田布ヌルにアメキウディーの事を聞いた。
「わたしはトゥクヌ姫様の子孫ではないので、トゥクヌ姫様の声は聞こえませんが、『目手久(みぃてぃぐ)ヌル』は聞こえます。目手久ヌルは大伯母の徳之島ヌルの曽孫(ひまご)で、初代按司の妻だった『恩納(うんな)ヌル』の血を引いています。わたしにはよくわかりませんが、恩納ヌルとトゥクヌ姫様はつながりがあるようです。それで、目手久ヌルも夏至の集まりには参加しています。東海岸を北上して、『サン(山)』という村(しま)まで行って、そこからアメキウディーに登るようです。トゥクヌ姫様の子孫のヌルたちは冬至の日に『ブマウディー(井之川岳)』に登り、夏至の日に『アメキウディー』に登っています」
「サンダラ(海のまるずやの主人)に頼んで、明日、アメキウディーに行きましょう」と志慶真(しじま)ヌルも楽しそうに言った。
 翌日、サスカサたちを乗せたサンダラの船はサンに向かった。サスカサの弟子になった犬田布若ヌルのリンと永良部ヌルも一緒だった。
 喜念浜(きゅにゅんはま)に寄って、喜念ヌルと目手久ヌルを乗せた。『まるずや』の船が来たので、浜辺に人々が集まってきた。
「改めてまた来ます」とサンダラは人々に叫んだ。
 目手久ヌルは腰に刀を差し、喜念ヌルは弓矢を背負っていたので、サスカサたちは驚いた。話を聞くと目手久ヌルは少林拳(シャオリンけん)の名手で、喜念ヌルは弓矢の名手だという。二人ともサスカサと同年配で、武芸は母親から習っていて、何代か前の先祖が武芸の名人と結ばれたらしい。『トゥクカーミー』で栄えていた徳之島には各地から武芸の名人も集まってきたようだ。
 喜念浜から北上して秋津浜(あきちゅはま)(亀徳)に寄って、秋津ヌルと亀津(かみぢ)ヌルと尾母(うむ)ヌルを乗せた。秋津ヌルと尾母ヌルは五、六歳の娘を連れていて、亀津ヌルは志慶真ヌルと同い年で娘はいなかった。
 井之川浜(いぬはま)に寄って、井之川(いぬ)ヌルと諸田(しゅだ)ヌルを乗せた。井之川ヌルは十一歳の男の子と九歳の女の子を連れていて、諸田ヌルは四歳の娘を連れていた。
 母間浜(ぶまはま)に寄って、母間ヌルと娘のイサと再会した。母間ヌルは十歳の娘を連れた久志(くし)ヌルをサスカサたちに紹介した。『まるずや』の船には乗れないので、母間ヌルと久志ヌルは小舟(さぶに)に乗って従った。
 花徳浜(けぃどぅはま)の手前に擂り鉢を逆さにしたような山があって、『花徳按司』のグスクがあった所だと喜念ヌルがサスカサに説明した。初代の花徳按司は花徳ヌルの弟で、この辺りを二百年近く支配していたが、九代目の按司が山北王に滅ぼされてしまったという。
 花徳浜に寄って、花徳ヌルと会った。花徳ヌルは背が高く、弓矢を背負っていて、まだ跡継ぎには恵まれていなかった。花徳ヌルに花徳按司の事を聞くと、初代花徳按司の姉の花徳ヌルは鬼界島(ききゃじま)(喜界島)から来た初代の『御所殿(ぐすどぅん)(阿多源次郎)』と結ばれたという。
「この島の初代御所殿は『源為朝(みなもとのためとも)』の孫ですよね。為朝は大男だっというので、あなたも背が高いのですね。そして、弓矢の名手なのね」とサスカサは言って、御所殿の後ろ盾があったから花徳ヌルの弟はグスクを築いて按司になったようだと思った。
「母は背が高くはありませんが、祖母は高かったです。何代かおきに背が高い娘が生まれるようです。背が高いせいか、『マレビト神様』に巡り会えません」
 そう言って寂しそうに笑った花徳ヌルはシンシンと同い年の二十七歳だった。
「『大城按司(ふーぐすくあじ)』も御所殿と関係あるのですか」とナナが花徳ヌルに聞いた。
「大城按司は『大和城按司(やまとぅぐすくあじ)』と関係があります。初代大和城按司は熊野(くまぬ)の山伏で、『阿布木名(あぶきなー)ヌル』と結ばれて、この島に落ち着いて按司になりました。大城按司は阿布木名ヌルの一族です。阿布木名ヌルは唯一残っているトゥク姫様の子孫のヌルで、阿布木名ヌルの一族は古くから西方(いりかた)に勢力を持っていました。大城按司は大和城按司に倣って山の上にグスクを築いて按司になったのです」
「もしかしたら、大和城按司のグスク跡に『熊野権現』がありませんか」
「あります。按司が滅ぼされた後、あの山に登ったら、グスクの中に『熊野権現』と書かれた石の祠(ほこら)がありました」
 ナナが嬉しそうにうなづいて、「『スサノオ様』を呼べるわね」とシンシンに言った。
「そうね。でも、ササ(運玉森ヌル)か安須森(あしむい)ヌル(先代佐敷ヌル)がいなければ無理だわ。あたしたちが笛を吹いても『スサノオ様』はやって来ないわよ」
「ササ様の事は神様からよく聞いています。もしかしたら、ササ様と一緒に『瀬織津姫(せおりつひめ)様』をお連れした方たちなのですか」と花徳ヌルが目を輝かせて聞いた。
 ナナとシンシンがそうだと言うと、花徳ヌルは跪(ひざまづ)いて両手を合わせた。話を聞いていた母間ヌルと久志ヌルも驚いた顔をしてナナとシンシンを見て、跪くと両手を合わせた。
 ナナとシンシンは慌てて、みんなを立たせた。
「『トゥクヌ姫様』がヌルたちを集めた意味がようやくわかりました」と母間ヌルが言った。
「中山王のヌルのために、どうしてそこまでするのだろうと不思議に思っていましたが、ササ様と一緒に瀬織津姫様をお連れした偉大なヌル様たちだったのですね。瀬織津姫様がこの島にいらしたお陰で、以前は阿布木名ヌルしか聞こえなかったトゥク姫様の声が、トゥクヌ姫様の子孫のヌルたちにも聞こえるようになりました。トゥク姫様も大歓迎なさるでしょう」
「トゥク姫様の子孫のヌルは阿布木名ヌルだけなのですか」とサスカサが母間ヌルに聞いた。
「そうです。『アメキヌル』もトゥク姫様の子孫でしたが絶えてしまって、六代前の母間ヌルの妹が跡を継いで、『アメキウディー』を守っています。アメキヌルを継いでもトゥク姫様の声は聞こえず、それでも儀式を欠かさずに行なっていました。トゥク姫様の声が聞こえて、一番喜んだのはアメキヌルです。トゥク姫様から感謝されてアメキヌルは泣いていました。阿布木名ヌルもトゥクヌ姫様の声が聞こえるようになったと喜んでいました」
 花徳ヌルは母間ヌルの小舟に乗ってもらいサンに向かった。
 サンの浜辺に着くと、アメキヌルと手々(てぃてぃ)ヌルと阿布木名ヌルが待っていた。アメキヌルは十一歳の娘を連れていて、手々ヌルと阿布木名ヌルは二十代の後半だが、娘を連れてはいなかった。唯一のトゥク姫の子孫だという阿布木名ヌルは腰に刀を差していた。
「突然、『トゥクヌ姫様』から、今晩、アメキウディーの山頂で酒盛りをするって聞いて驚きましたよ」と言ってアメキヌルは笑った。
「中山王のヌル様は偉いから、みんなで歓迎するのね」と阿布木名ヌルが皮肉っぽく言った。
「ナナ様とシンシン様はササ様と一緒に『瀬織津姫様』を琉球にお連れしたヌル様なのですよ」と母間ヌルが阿布木名ヌルに言った。
「えっ!」と驚いて阿布木名ヌルは跪こうとした。
 ナナが押さえて、「わたしたちは偉くはないわ。一緒にお酒をのみましょう」と笑った。
 アメキヌルが用意してくれたお酒と料理を持って、二十人のヌルたちは『アメキウディー』の山頂を目指した。サンダラも配下のイシタキと一緒に『まるずや』の酒樽を担いで付いてきた。サスカサの弟子の与論(ゆんぬ)若ヌル、畦布(あじふ)若ヌル、犬田布若ヌルはまだ神様の声が聞こえないので、ヌルたちの子供と一緒にアメキヌルの屋敷に残した。
 夕方近くになって、ヌルたちがぞろぞろとお山に向かっているので、村(しま)の人たちは驚いた顔をしてヌルたちを見送った。
 サスカサは同年配の喜念ヌルと目手久ヌルから武芸の事を聞かれて、ヂャンサンフォン(張三豊)の事を話しながら山道を登った。ナナは阿布木名ヌルと花徳ヌルに、シンシンは母間ヌルとアメキヌルに、瀬織津姫様と出会った時の事を話していた。他のヌルたちもナナとシンシンの話に耳を傾けていた。
 半時(はんとき)(一時間)余りで山頂に着いた。山頂の手前に小さな広場があって、『熊野権現』の石の祠があった。
「やっぱり、ここにもあったのね」とナナが言って両手を合わせた。
 皆も熊野権現に両手を合わせた。
「山頂は狭いので、ここで酒盛りをしましょう」とアメキヌルが言って、お酒と料理をそこに置いて、サンダラとイシタキに待っていてもらい、ヌルたちは山頂に向かった。
 山頂は眺めがよかったが確かに狭かった。サスカサたちは眺めを楽しんでから、石を積み上げた古いウタキの前でお祈りを捧げた。
「二十人もヌルが集まるなんて久し振りね」と神様の声が聞こえた。
「『トゥク姫様』ですね」とサスカサが聞いた。
「そうよ。満月の夜に酒盛りをするなんて、『トゥクヌ姫』も粋な事を考えたわね。遙か昔の事だけど、満月の夜に、ここで酒盛りをしたのを思い出したわ。わたしがこの島に来て、初めてこのお山に登った時、ここでお酒を飲んでいる人がいたのよ。話をしているうちに頭の中が真っ白になって、気がついたら満月の下で、二人でお酒を飲んでいたわ。わたしたちは結ばれて、二人でこの島を統一したのよ。そして、その人がこの島の名前を『トゥクぬ島』って名付けてくれたわ。その人の名前はアメキヒコで、わたしがこのお山を『アメキウディー』って名付けたのよ。わたしたちの子孫は島中に広まって、わたしの血を引いたヌルたちもいっぱいいたんだけど、みんな絶えてしまって、今は阿布木名ヌルだけになってしまったわ。わたしがこの島に来たのは千五百年も前の事だから仕方ないわね」
「アメキヒコ様は『シネリキヨ』ですか」とナナが聞いた。
「そうよ。この島に稲を持ってきた人たちよ。わたしがこの島に来た時、シネリキヨの他にも色々な人たちが暮らしていたわ。『瀬織津姫様』がヤマトゥ(日本)に行った時から八十年近く経っていたから、ヤマトゥに行くお舟が立ち寄る浜辺には『アマミキヨ』たちも暮らしていたのよ。サンの浜辺はヤマトゥに行くお舟の最後の浜辺で、風待ちをして与路島(ゆるじま)に向かって行ったわ。ヤマトゥから来たお舟はサンに最初に来て、お土産を置いて行ったわ。阿布木名ヌルとアメキヌルのガーラダマ(勾玉)はその頃の物なのよ。そろそろ暗くなるから下の広場で酒盛りの支度をした方がいいわ。わたしも顔を出すから一緒にお酒を飲みましょう」
 サスカサたちはお祈りを終えて、熊野権現の広場に戻った。
 サンダラとイシタキが茣蓙(ござ)を引いて酒盛りの準備を始めていた。
「『トゥク姫様』は顔を出すって言ったけど、本当に現れるのかしら?」とナナが言うと、「まさか?」とアメキヌルも阿布木名ヌルも首を振った。二人ともトゥク姫様の姿を見た事はないという。
 ヤマトゥの大三島(おおみしま)でお酒好きな『伊予津姫(いよつひめ)様』と一緒にお酒を飲んだ事をナナが話したら、アメキヌルも阿布木名ヌルも、一緒にお酒を飲むなんて恐れ多いと言いながらも期待しているようだった。
 神様たちと一緒にお酒を飲んだ話はササや安須森ヌルからも聞いていて、あたしも神様の姿を拝みたいと願っていたサスカサは、今晩、夢がかなうかもしれないと胸をときめかせた。
 熊野権現にお酒を捧げて、顔を出した満月を拝むと酒盛りが始まった。ヌルたちが二十人もいるので賑やかだった。
 サスカサが喜念ヌルと目手久ヌルに祖父の中山王の話を聞かせ、ナナが阿布木名ヌルと花徳ヌルに南の島(ふぇーぬしま)の話を聞かせ、シンシンが母間ヌルとアメキヌルに明国(みんこく)(中国)の話を聞かせ、志慶真ヌルが亀津ヌルと手々ヌルにヤマトゥ旅の話を聞かせ、永良部ヌルが尾母ヌルと諸田ヌルに永良部島の事を話していた時、突然、まぶしい光に包まれた。皆が目を閉じて、目を開けると神様たちがいた。
 ナナとシンシンは『ユンヌ姫』と『キキャ姫』はわかったが、残りの五人は誰だかわからなかった。
 ユンヌ姫が『ユン姫』を紹介した。
 ユン姫が娘の『トゥク姫』と孫娘の『ワー姫』を紹介した。
 キキャ姫が娘の『トゥクヌ姫』と姪の『イラフ姫』を紹介した。
 神様を目の前にして、ヌルたちは驚きのあまりポカンとしていたが、アメキヌルがひれ伏すと皆がひれ伏した。
 サスカサは感激して両手を合わせていた。志慶真ヌル、東松田(あがりまちだ)の若ヌル、瀬底(しーく)の若ヌルはサスカサを真似して両手を合わせた。隅の方で酒を飲んでいたサンダラとイシタキは眠りに就いていた。
「皆さん、顔を上げて、お酒を飲みましょう」とトゥク姫が言って、ヌルたちは恐る恐る顔を上げて神様たちを見た。
 神様たちが現れたら、まるで昼間のような明るさになり、蒸し暑さも納まって涼しい風が吹いてきた。
 『トゥク姫』は弓矢を背負っていて、この島を治めていた首長としての貫禄があった。キキャ姫の娘の『トゥクヌ姫』は優しそうな顔をしているが、左手に立派な剣を持っていた。『ユン姫』はトゥク姫の母親だが、トゥク姫よりも若く見え、優雅な着物をまとっていた。ユン姫の孫の『ワー姫』は気品のある顔つきで、桜色の着物がよく似合っていた。『イラフ姫』は不思議な美しさを持っていて、顔付きに似合わず弓矢を背負っていた。ウムトゥ姫に会うために独りで池間島(いきゃま)まで行く度胸と武芸の腕も持っているようだ。
「『赤名姫様』と『メイヤ姫様』が来ているはずですけど、一緒ではないのですか」とナナがユンヌ姫に聞いた。
「あの二人はササに頼まれて奄美大島(あまみうふしま)に行ったわ」
奄美大島? ササは何を頼んだのです?」
「明月道士(めいげつどうし)の動きを探ってくれって頼まれたらしいわ」
「明月道士って、望月党(もちづきとう)の?」
「勝連(かちりん)グスクで明月道士の霊符(れいふ)が見つかって、ササは琉球にある明月道士の拠点を見つけようとしているようだわ」
「赤ん坊を産んだばかりだというのに、ササはそんな事をしているのですか。無理をしないように見守ってください」
「大丈夫よ。ササの事は神様たちがみんな知っているから危険な事はさせないわ」
 神様たちのお酒を用意して、「素晴らしい夜にしましょう」とトゥク姫が言って、皆で乾杯をした。
 かしこまってお酒を飲んでいたヌルたちも酔うにつれて、神様たちから色々な事を聞いていた。
 サスカサは三人の『マレビト神』に会ったイラフ姫にマレビト神の事を相談した。
「このお酒、おいしいわ」とイラフ姫は笑った。
 ユンヌ姫が言っていたように、その笑顔は素敵だった。イラフ姫と出会った人たちが、イラフ姫を忘れないように島の名前に残したわけがわかるような気がした。
「ヤマトゥのお酒です。『まるずや』さんが上等なお酒を用意してくれました」
「叔母様(キキャ姫)がお祖母(ばあ)様(ユンヌ姫)と一緒にヤマトゥに行ったと聞いて、わたしも久し振りに行ってきたのよ。京都は素晴らしかったわ」
「北山第(きたやまてい)の『七重の塔』もご覧になったのですね」
「叔母様からも必ず、見てきなさいって言われたんだけど、なかったのよ」
「えっ、なかった?」
「一月の半ばに雷が落ちて焼け落ちてしまったらしいわ。わたしが行ったのが二月だったから、もう少し早く行けばよかったって後悔したのよ」
「あの塔が焼け落ちてしまったのですか」とサスカサは信じられないといった顔で首を振った。
 いつの間にか阿布木名ヌルが来ていて、サスカサとイラフ姫の話を聞いていた。
「わたしは二十一の時に『ウムトゥ姫』を追って池間島に行って、近くにある西島(いりま)(伊良部島)で最初のマレビト神に会ったわ。娘も生まれて、とても幸せだったのよ。でも、わたしは西島に落ち着かず、与論島(ゆんぬじま)に戻って、ヤマトゥに行ったわ。今思えば、何か目に見えない力によって動かされていたように思えるのよ。あなたも自分の心に素直に従って行動すれば、必ず、素敵な『マレビト神』に会えると思うわ」
 今まで、自分の心に素直に従って来ただろうかとサスカサは自問した。
 佐敷按司の長女として生まれ、十歳の時に父が島添大里按司(しましいうふざとぅあじ)になって佐敷グスクから島添大里グスクに移った。十二歳になると叔母の安須森ヌルのもとでヌルになるための修行を積んだ。叔母の屋敷には女子(いなぐ)サムレーたちが住んでいて、女子サムレーたちに囲まれて育ち、武芸の修行も当然の事のように励んだ。祖父が中山王になるとキラマ(慶良間)の島から来た先代のサスカサから指導を受けて、十六歳の時、セーファウタキ(斎場御嶽)で儀式をして、『サスカサ』を継いだ。同じ年頃の男の子が近づいてくる事もなく、ササが妊娠するまで、『マレビト神』に興味はなかった。叔母の安須森ヌルに憧れていたので、ヌルになったのは素直に心に従っていた。三年前の十月、奥間(うくま)のサタルーがクジルーを連れて島添大里グスクに来た。クジルーに会った時、胸がときめいて、『マレビト神』かしらと思った事もあったが、その後、会う事もなく、戦(いくさ)の最中だったので忘れようと思った。あの時、素直に心に従っていたらクジルーに会いに奥間まで行っていただろう。クジルーは『マレビト神』だったのかしらと今更ながらサスカサは考えていた。
 阿布木名ヌルもイラフ姫に『マレビト神』の事を聞いていた。唯一の『トゥク姫』の子孫なので、跡継ぎを絶やすわけにはいかないと焦っているのかもしれないとサスカサは思った。
 突然、まぶしい光に包まれて、目を閉じ、目を開けると二人の神様が現れた。勿論、サスカサが初めて見る神様だが、『スサノオ』と『瀬織津姫』だとすぐにわかった。二人ともサスカサが思い描いていた姿のまま現れていた。
「おっ、サスカサがササの代わりに来ているのか。しばらく見んうちに美しくなったのう。母親に似たようじゃな」とスサノオがサスカサを見て笑った。
「お祖父(じい)様、どうして、ここにいるの?」とユンヌ姫が飛んできて聞いた。
「今年もササたちが来ないので、瀬織津姫様が心配してのう。一緒に様子を見に来たんじゃよ。首里(すい)に行ったらササが可愛い赤ん坊を抱いていたので驚いたぞ」
「ササはまだ首里にいるのですか」とシンシンがスサノオに聞いた。
「何じゃ、知っておったのか」
「ヤマトゥに行く交易船が永良部島に寄ったのです。その時に聞きました」
「そうじゃったのか。ササは若ヌルたちと一緒に龍天閣(りゅうてぃんかく)にいるが、若ヌルが随分と増えていたぞ」
「ヤマトゥから帰ってきて、ササの弟子になった若ヌルたちもいるのです」
「面倒見のいい事じゃ。みんな、高い所が好きなようで、楽しそうにやっておった」
「王様(うしゅがなしめー)(思紹)がいないので、龍天閣を占領したのね」とナナが笑った。
「赤ちゃんは『ヤエ』という名前の可愛い子で、丁度一月前の満月の晩に生まれたそうよ。今頃、月を見ながらキャッキャッて笑っているでしょう」と瀬織津姫が言った。
 サスカサたちはいつものようにスサノオ瀬織津姫と話をしていたが、徳之島のヌルたちは驚きの余りひれ伏していて、神様たちも二人の出現に驚いてポカンとしていた。
「ユンヌ姫の娘たちと知念姫(ちにんひめ)様の娘たちじゃな。山のてっぺんが明るかったので下りてみたら、お前たちがいたので一緒に酒を飲もうと現れたんじゃよ。サハチがとうとう琉球を統一したようじゃな。祝い酒といこう」
 ひれ伏しているヌルたちの顔を上げさせて、改めて乾杯をした。
スサノオ様、わたしの母を知っているのですか」とサスカサが聞いた。
「おう。声を掛けたら驚いておった。『アキシノ』を助けてくれたお礼を言ったんじゃよ。『瀬織津姫様の勾玉(まがたま)』を下げて今帰仁(なきじん)グスクに攻め込んだそうじゃのう。大した女子(おなご)じゃ。お前も母親のようになりそうじゃな。琉球のために、これからも頼むぞ」
 ヌルたちがササの事を聞かせてくれと言ったので、スサノオはササとの出会いから話し始めた。
「わしが『豊玉姫(とよたまひめ)』に贈った勾玉を身に付けた娘が突然、京都の船岡山に現れた。それがササだったんじゃよ。ササは翌年もやって来て、豊玉姫の事を聞いた。わしは教えてやったよ。ササは九州にある豊玉姫のお墓を見つけ出して、わしの娘の『玉依姫(たまよりひめ)(卑弥呼)』と会い、玉依姫琉球に連れて行ったんじゃ。翌年はユンヌ姫を連れて来てくれた。その年にサスカサも一緒に来たんじゃったな」
「はい。高橋殿と一緒に熊野に行って『新宮(しんぐう)の十郎様』と会いました」
「ササは『源氏』を調べるために熊野に行き、翌年は『平家』を調べるために熊野に行ったんじゃ。ササは疑問に感じた事を徹底的に調べて、わしと出会い、瀬織津姫様も探し出したんじゃよ。みんなも疑問を感じた事があったら納得するまで調べるがいい。結果はどうであれ、その過程で経験した事は決して無駄にはならないじゃろう」
 スサノオが話すササの話をヌルたちも神様たちも真剣に聞いていた。瀬織津姫もササのお陰で立ち直る事ができて、お礼として勾玉を贈った事を話した。
 ササの事をよく知っているサスカサ、シンシン、ナナ、志慶真ヌルもスサノオ瀬織津姫が話すササの話を聞いて、改めてササの凄さを感じていた。

 

 

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3-10.トゥクカーミー(第三稿)

 シンシン(今帰仁ヌル)とナナ(クーイヌル)が予想したように、島ヌルのカリーと親方の息子のサクラーは消えてしまった。どこに行ったのかわからないが、無事に帰ってくるまで、サスカサ(島添大里ヌル)たちは待っている事にした。
 ヒューガ(日向大親)は先に帰ったが、『まるずや』のサンダラたちは一緒に残った。トカラの宝島まで行けば冬にならなければ帰れないので、急ぐ必要もないと言って浜辺に店を開いていた。サスカサたちは硫黄(いおう)の採掘を手伝ったり、島の娘たちに武当拳(ウーダンけん)を教えたり、カリーの代わりに子供たちに読み書きを教えたりして過ごした。
 四日目の夕方、カリーとサクラーは無事に鳥島(とぅいしま)(硫黄鳥島)に帰ってきた。気がついたら豪華な御殿(うどぅん)にいたので二人は驚いた。永良部(いらぶ)ヌル(瀬利覚ヌル)が現れて話を聞いたら、カリーたちは神様(初代永良部ヌル)に呼ばれて永良部島(いらぶじま)(沖永良部島)に来ていて、永良部ヌルは神様に言われて、二人の面倒を見ていたと言った。二人は永良部ヌルと一緒に越山(くしやま)に登って、神様に感謝して帰ってきたという。
 サスカサたちはカリーとサクラーを祝福して、翌日、永良部島に帰ってきた。
 後蘭孫八(ぐらるまぐはち)は按司のグスクの南東にある丘の上に若按司(先代按司の次男マジルー)のためのグスクを築き始めていた。サグルー(山グスク大親)たちは永良部按司(サミガー親方)と重臣たちと一緒に、今後の対策を練っていた。サスカサは永良部按司鳥島の必要物資の補給を頼んだ。
 ジルムイ(島添大里之子)と百人の兵を玉グスクに残して、サグルーたちが永良部島を離れ、徳之島(とぅくぬしま)に向かったのは六月十二日になっていた。徳之島按司を説得するために、母親のマティルマと妹のマハマドゥ、永良部ヌルも一緒に行った。
 サスカサたちはサンダラの船に乗っていた。畦布(あじふ)若ヌルのマチルー(先代永良部按司の次女)が一緒に乗っていた。マチルーは人質として来たわけではなく、サスカサたちが武芸の名人だと知って、弟の若按司を守るために強くなりたいと言ってサスカサの弟子になっていた。瀬底(しーく)若ヌル、与論(ゆんぬ)若ヌルに続いて三人目の弟子で、島に行く度に弟子が増えるので、まるで、ササみたいとシンシンとナナが笑った。
 風に恵まれて船は気持ちよく進み、正午(ひる)頃に徳之島に着いた。徳之島按司のグスクは島の南部にあるので、ウンノー泊(どぅまい)(面縄港)に向かっていたら、
「母間浜(ぶまはま)に行って」と神様の声が聞こえた。
 聞いた事のない声だった。
「あたしの娘の『キキャ姫』よ」と『ユンヌ姫』の声が聞こえた。
「母間浜で母間ヌルが待っているわ」とキキャ姫が言った。
「母間ヌルは『トゥクヌ姫』の子孫なの。トゥクヌ姫はキキャ姫の娘なのよ」とユンヌ姫が言った。
按司に会う前に『トゥクヌ姫様』に会った方がいいのですね」とサスカサが聞いた。
按司の事はサグルーたちに任せて大丈夫よ。徳之島は鬼界島(ききゃじま)(喜界島)と同じように早いうちからヤマトゥンチュ(日本人)が入ってきた特別な島だから、過去に何が起こったのかちゃんと知っておくべきよ」
「わかりました。母間浜に向かいます」
 ウンノー泊に着くと、サスカサは母間浜に行く事をサグルーに告げて、サンダラの船を島の東側を北上させた。一時(いっとき)(二時間)ほどで母間浜(母間港)に着いた。
 浜辺で待っていた母間ヌルは八歳くらいの娘を連れていて、サスカサたちが『まるずや』の船に乗ってきたので驚いた。母間ヌルが送ってくれた小舟(さぶに)に乗って上陸すると浜辺には大勢の人が集まってきた。『まるずや』目当ての客たちで、サスカサたちは人混みを抜けて母間ヌルと会った。
「勇ましい姿ですね」と母間ヌルはサスカサたちが腰に差している刀を見て笑った。
 サスカサは名乗って、ヌルたちを紹介した。
 母間ヌルは南側に見える山を指さして、「あのお山は『ブマウディー(井之川岳)』と言って、この島で一番高いお山です。あのお山の頂上に『トゥクヌ姫様』のウタキ(御嶽)があります。トゥクヌ姫様がお待ちしておりますので、ご案内いたします」
 サスカサを守らなければならないと言ってサンダラが付いてきた。断っても無駄だと思い、サスカサは一緒に来てと言った。
 母間ヌルの娘のイサは元気な娘で、先頭に立って歩き、若ヌルたちに島の事を色々と教えていた。
 サスカサは母間ヌルから徳之島按司の事を聞いた。
 母間ヌルがイサを産んだ前年に、山北王(さんほくおう)(攀安知)が攻めてきて、先代の按司は殺され、先代に仕えていた大城按司(ふーぐすくあじ)と花徳按司(けぃどぅあじ)も殺された。城下は焼かれて、戦(いくさ)に巻き込まれて亡くなった島人(しまんちゅ)も多かったという。
「今度も戦になるのですか」と母間ヌルは心配そうに聞いた。
「ならない事を願っています。今の按司の奥さんは山北王の妹だと聞いています。奥さんにそそのかされて、按司が抵抗しなければいいのですが」とサスカサは答えた。
按司様(あじぬめー)は山北王を恐れていて、わがままな奥方様(うなぢゃら)の言いなりでしたが、山北王が亡くなって、内心、ホッとしているのではないでしょうか。中山王(ちゅうざんおう)(思紹)がこの島の按司として認めてくれれば、中山王に従うと思います」
按司は奥さんを押さえられますか」
「後ろ盾を失った奥方様を恐れる事はないでしょう。実はあの子の父親は按司様なのです」
「えっ!」とサスカサたちは驚いて立ち止まり、母間ヌルを見た。
「奥方様を恐れて、この事はずっと内緒にしてあります。按司様が中山王に従えば、イサも堂々と父親に会う事ができるようになるでしょう」
按司が『マレビト神』だったのですか」とナナが聞いた。
「出会った時はまだ按司ではありません。畦部大主(あじふうふぬし)と名乗っていました。わたしと出会った畦布大主様は、戦で活躍して按司になって、この島に住むと約束してくれました。約束通りに、花徳按司と大城按司を倒して按司になったのです。戦が終わって、冬に山北王は帰りましたが、畦布大主様は残りました。翌年の夏に家族がやって来るまで、畦布大主様は母間までよくやって来ましたが、奥方様がいらっしゃると警戒して、あまり来なくなってしまったのです」
「あの子は父親の事を知っているの?」
按司様だとは知りません。永良部島のサムレーだと言ってあります」
「近くにいるのに会えないなんて可哀想ね」
 集落を抜けて細い山道に入って行った。
「山北王が攻めて来る数日前に、わたしはこの島に来たのですよ」とシンシンが言った。
「覚えています」と母間ヌルは言って笑った。
「わたしは会っていませんが、女子(いなぐ)のサムレーがやって来たと島中で噂になりました。それから十日くらい経って山北王が大きなお船に乗って攻めてきたのです」
「その時、按司の妹の徳之島ヌルがあちこちのウタキを案内してくれましたが、徳之島ヌルも殺されてしまったのですね」
「徳之島ヌルは生きています。按司だった兄と甥の若按司は殺されましたが、母親と若ヌルだった姪は助けられて、母親と若ヌルを連れて犬田布(いんたぶ)に隠棲しました。今は『犬田布ヌル』を名乗っていて、按司様の娘を徳之島ヌルにするための指導をしています」
「敵(かたき)の娘を指導しているなんて、麦屋(いんじゃ)ヌル(先代与論ヌル)と同じだわ」とナナが言った。
「中山王が山北王を滅ぼしたと聞いた時、犬田布ヌルは泣いていました。中山王が敵を討ってくれたと感謝していました。犬田布ヌルは中山王が按司様も倒してくれる事を願っているようだけど、その願いはかなわないわね。犬田布ヌルの父親は三代目の按司で、母親は山北王に滅ぼされた与論按司(ゆんぬあじ)の娘で、中山王だった察度(さとぅ)の姪でした。察度が亡くなり、跡を継いだ武寧(ぶねい)も滅ぼされて、後ろ盾を失った先代は山北王に滅ぼされたのです」
「武寧は山北王の義父だったわ。義父が亡くなって、義父の従姉(いとこ)が嫁いだ島を奪い取るなんて、ひどい事をするわね」
「初代の按司は『ミナデウンノー』と呼ばれた英雄だったのです。ミナデウンノーは各地にいた按司たちを倒して、島を統一して徳之島按司になりました。わたしの曽祖母はミナデウンノーと結ばれて祖母を産みました」
「英雄の『ミナデウンノー』はこの島の人なのですね」とサスカサが聞いた。
浦添按司(うらしいあじ)だった玉城(たまぐすく)の弟のようです。当時、与論島と永良部島を支配していた今帰仁按司(なきじんあじ)の義弟でもあったようです」
「その頃の今帰仁按司って『千代松(ちゅーまち)様』じゃないの?」とナナが言った。
「そうです。千代松様です。二代目の按司様の奥方様は千代松様の娘さんでした」
「すると、徳之島は今帰仁按司支配下だったのですね」
「そのようです。千代松様が亡くなった後、永良部島は按司が入れ替わりましたが、徳之島按司は無事でした。初代の按司様は琉球の『ウンノー』から来たので、『ミナデウンノー』って呼ばれて、グスクも『ウンノーグスク』になりました。港も『ウンノー泊』になって、あの辺りは『ウンノー』と呼ばれるようになったのです」
琉球の『ウンノー』ってどこなの?」とサスカサが聞いた。
 母間ヌルは首を傾げてから、「ミナデウンノー様は『ウンノーウディー』で武芸の修行に励んで、『ウンノーヌル』と出会って妻に迎えて、この島に連れてきたと伝えられています」と言った。
「ウンノーヌル? 聞いた事もないわね。ウンノーウディーという地名も知らないわ」とナナが言った。
「『ウディー』というのはお山の事です。ウンノー山か、ウンノー岳だと思います」
「恩納岳(うんなだき)かしら?」とシンシンが言って、「ウンノーは恩納の事よ」と手を打った。
「恩納がウンノーか。そうかもしれないわね」とナナも納得したようにうなづいた。
 険しい場所もなく、半時(はんとき)(一時間)ほどで山頂に着いた。山頂は思っていたよりも広く、大きな岩がいくつもあった。眺めもよくて、海の向こうに奄美大島の島々が見えた。
 古いウタキは樹木(きぎ)が生い茂っている中にあり、巨岩の前に祭壇らしき平らな岩もあった。サスカサたちはお祈りを捧げた。
「祖母からあなたたちの事は聞いたわ」と神様の声が聞こえた。
「『トゥクヌ姫様』ですね」とサスカサが聞いた。
「キキャ姫の娘のトゥクヌ姫よ。よろしくね」
「ここに来る途中で母間ヌルから『ミナデウンノー』の話を聞きましたが、琉球の『恩納』から来たのですか」
「そうよ。恩納ヌルを連れてやって来て、この島を統一して徳之島按司になったのよ。来た当初は『恩納ぬミナデ』って呼ばれていたんだけど、いつしか『ミナデウンノー』って呼ばれるようになったのよ」
「その頃、この島には按司が何人もいたのですか」
「いたわ。『トゥクカーミー』が終わって、関わっていた人たちが引き上げてから四十年が経っていたけど、昔の夢が忘れられずに、この島にしがみついて小競り合いをしていたのよ」
「『トゥクカーミー』って何ですか」
「『トゥクカーミー』はこの島で焼かれた甕(かーみー)の事よ。この島から奄美の島々、琉球やミャーク(宮古島)、八重山(やいま)にも運ばれて、『ヤクゲー(ヤコウガイ)』や『ブラゲー(法螺貝)』と交換されたのよ」
「ここで作られた甕がミャークや八重山にも行ったのですか」とナナが驚いた。
「そうよ。最盛期は凄かったわ。『トゥクカーミー』を積んだお船が次々に出掛けて行って、貝殻を満載にしたお船が鬼界島に向かって行ったのよ」
「どうして鬼界島に行くのですか」とサスカサが聞いた。
「鬼界島にヤマトゥ(日本)の役所があったのよ。最初から話さないと、この島の事はわからないわ」とキキャ姫の声がして、キキャ姫は七百年余り前に鬼界島に『大宰府(だざいふ)』の役人がやって来て、遣唐使(けんとうし)のために建てた『唐路館(とうろかん)』の事から話し始めた。
 突然、ヤマトゥから大きな船が何隻もやって来て、女官(にょかん)を連れた役人たちが百人余りも鬼界島に住み着いた。当時、キキャ姫の子孫のヌルが島を統治していて、ヌルは島の発展のためにヤマトゥンチュたちを歓迎した。
 翌年、鬼界島に初めて遣唐使が来た。四隻の大きな船に五百人も乗っていて、鬼界島は人で溢れた。遣唐使たちは風待ちのために十日余り滞在して、奄美大島に向かって行った。十五年後に二度目の遣唐使が四隻の船で来た。その一行にいた留学生は若ヌルの『マレビト神』だった。若ヌルは翌年、娘を産むが、『仲麻呂(なかまろ)』と名乗った留学生と二度と会う事はなかった。その十六年後に三度目の遣唐使が来て、その十九年後に四度目の遣唐使が来て、その九年後にヤマトゥに帰る遣唐使が来たのが最後で、その後、遣唐使の航路は変わってしまう。
 遣唐使の船が来る事はなくなるが、鬼界島は『ヤコウガイ』の交易拠点となった。大宰府からヤマトゥの商品を積んだ大きな船がやって来て、ヤマトゥの商品を積んだ船が奄美の島々や琉球に行ってヤコウガイを集め、集められたヤコウガイ大宰府の船に乗せられてヤマトゥへと行った。やがて、鬼界島に行けばヤマトゥの商品が手に入る事を知った奄美の島の人たちや琉球の人たちもやって来て、鬼界島は賑わった。
 百年くらいは順調だったが、九州の商人たちが大宰府の許可なく、商品を積んで島々を巡るようになってくる。彼らは鬼界島では手に入らない刀や槍などの武器の取り引きもしたので島の人たちに喜ばれた。琉球でも九州の商人たちは歓迎され、武器を手にした首長たちは兵力を蓄えて、『按司』が誕生していく事になる。
 やがて、ウミンチュ(海士)を連れてやって来て、勝手にヤコウガイを捕っていく悪賢い奴らが現れてくる。奄美の島々や琉球は『唐路館』の役人に、やめさせるように頼むが、大した兵力もない役人の手には負えなかった。そんな頃、ヤマトゥの商品を積んで鬼界島に向かっていた船が嵐に遭って沈没してしまう。ヤコウガイを先に渡していた人々がヤマトゥの商品を渡せと怒り、勝手にヤコウガイを捕っている奴らに怒っていた各島々の首長たちも怒りを爆発させてしまう。
 島々の首長たちは立ち上がり、武装した人々を引き連れて九州に向かい、九州の西沿岸の港を襲撃して略奪を繰り返し、ウミンチュたちを捕まえて凱旋した。当時、琉球の首長はヌルたちだったが、補佐役の按司たちを出陣させた。凱旋した按司たちは人々から歓迎され、ヤマトゥンチュの報復に備えて守りを固め、ヌルたちから主導権を奪い、按司の時代に入っていく。九州の商人たちから武器を手に入れた事で、ヌルの時代から按司の時代へと変化していったのだった。
「それはいつの事なのですか」とサスカサが聞いた。
「四百年くらい前かしら」とキキャ姫が言って、
「『平家』が栄える前の話よ」とユンヌ姫が言った。
「ヤマトゥンチュの仕返しはあったのですか」とナナが聞いた。
「同じ頃、高麗(こーれー)(朝鮮半島)の海賊が九州の各地を攻めていたようなの。そっちの方の対応が忙しくて、奄美の事は大宰府に任されたのよ。鬼界島の役人に暴れている奄美人(あまみんちゅ)を捕まえろって命じたけど、鬼界島にとっても無断でヤクゲーを捕っている奴らは憎いから、そいつらを捕まえて処刑して、退治したと報告したのよ。その事件から七、八十年が経って、博多の商人たちが高麗人(こーれーんちゅ)の職人を連れて鬼界島に来て、熊野水軍の山伏たちも大勢やって来たわ。役人たちと相談して、徳之島で甕を焼く事に決まって『トゥクカーミー』が始まったのよ」
「どうして、徳之島で甕を焼く事になったのですか」
「焼いた甕とヤクゲーを交換すれば、ヤマトゥの商品が届かなくても騒ぎが起きないでしょ。でも、あれだけ大規模な甕作りが始まるなんて、当時のあたしにもよくわからなかったのよ。つい最近、母と一緒にヤマトゥに行って『玉依姫(たまよりひめ)様(卑弥呼)』から当時の事を聞いて、やっとわかったわ。その頃、ヤマトゥでは『白河天皇』という力を持った人がいて、立派なお寺(うてぃら)を建てるために大量の『ヤクゲー』を必要としていたみたい。白河天皇がその事を熊野別当に頼んで熊野水軍が動いたらしいわ。熊野別当もブラゲーが欲しくて天皇の力を利用したのよ。一応、海外交易を担当していた大宰府の役人も加わっているけど、博多にいた宋(そう)の国(中国)の商人たちも加わったのよ。宋の商人たちは精密な螺鈿細工(らでんさいく)が欲しかったの。宋の偉い人たちに高く売れたようだわ。宋の商人たちは高麗とも取り引きしていたので、高麗人の焼き物職人たちを連れて来たのよ。天皇が後ろ盾になっているから大規模な窯(かま)を作って、ヤクゲーやブラゲーと交換する甕作りが始まったのよ。熊野水軍は甕をお船に積んで、ミャークや八重山にも行ったわ。ミャークや八重山にも熊野権現(くまぬごんげん)があったって母から聞いたわ。『トゥクカーミー』を積んだお船に乗って行った山伏たちが、あちこちの島に熊野権現を祀ったのよ。それからの事はトゥクヌ姫に任せるわ」
「島の南部に大きなお船が何隻も来て、大勢の人たちが上陸して来たのよ。まさに、大事件だったわ」とトゥクヌ姫が言って話を引き継いだ。
「ヤマトゥンチュの大宰府の役人や熊野の山伏、唐人(とーんちゅ)の博多の商人、高麗人の焼き物職人と色んな言葉をしゃべる人たちが大勢やって来たのよ。炊き出しをするための女たちも大勢いて、お祭り騒ぎたったわ。この島のためになるから歓迎しなさいって、あたしは母間ヌルに言ったのよ。職人たちはあちこちの土を調べて、『インタブウディー(犬田布岳)』の南麓の樹木を切り倒して、いくつもの窯を作ったわ。窯場の近くに役人たちのお屋敷や職人たちのお家(うち)が建ち並んで、何もなかった所に賑やかな都が出現したのよ。甕ができると熊野水軍お船に積んで、南へと旅立ったわ。そして、貝殻を満載にして戻って来て、博多の商人たちを乗せて帰って行ったの。島に残った熊野水軍もいて、季節に関係なく甕を積んで島々を巡って貝殻を集めたのよ。当時、島尻泊(しまじりどぅまい)と呼んでいたウンノー泊には、貝殻の蔵と甕の蔵がずらりと並んでいたわ。船乗りたちのお家も建ち並んで、遠くから来た人たちのための宿屋もあったのよ。やがて、ヤマトゥの国が『平家』の世の中になると、大宰府も平家の言いなりになって、この島にも平家のサムレーがやって来たわ。薩摩に『阿多平四郎』という勢力を持ったサムレーがいて、平家に追われて鬼界島に逃げて来たんだけど、鬼界島にいた大宰府の役人や平家のサムレーたちを追い出して、鬼界島を支配したのよ。今の『御所殿(ぐすどぅん)』の先祖よ。阿多平四郎はこの島にも攻めてきて、役人や平家を追い出して、トゥクカーミーの交易を支配したわ。平四郎は薩摩にいた頃からトゥクカーミーの交易に関わっていて、博多の商人たちとも知り合いだし、熊野水軍とも親しくて、自分の水軍も持っていて貝殻を運んだりもしていたらしいわ。平家が滅んで『源氏』の世の中になっても、阿多平四郎の子孫たちは鬼界島を支配していて、この島も支配していたのよ」
「そこの所はあたしに任せて」とキキャ姫が話に割り込んだ。
「阿多平四郎の娘は『源為朝(みなもとのためとも)』と結ばれたのよ。手に負えない暴れ者だった為朝は京都から九州に追放されたけど、九州でも暴れて、九州を平定してしまうの。平四郎は為朝を娘の婿に迎えるんだけど、京都に帰った為朝は戦に敗れて伊豆の大島に流されてしまうのよ。為朝は伊豆の大島で亡くなったけど、娘は『平太』という息子を産んだわ。平太が平四郎の跡を継いで、源氏が鬼界島に攻めて来た時、御所殿だった平太は為朝の遺品を見せて、息子だと証明して、鬼界島の事を任されたのよ。その時、平太から『源八』に名前を変えて、源八の次男が徳之島に来て徳之島を支配したのよ。トゥクヌ姫、話を続けて」
 為朝の事はサスカサも知っていた。ヤマトゥに行った時に話を聞いて、帰国した後、安須森(あしむい)ヌル(先代佐敷ヌル)に話して、安須森ヌルは『鎮西八郎為朝(ちんじーはちるーたみとぅむ)』というお芝居を作っていた。弓矢の名人で大男の為朝の子孫が鬼界島にいたなんて信じられないとサスカサたちは驚いた。
「この島に来た源八の次男の源次郎は、源八と同じように『御所殿』と呼ばれて豪華なお屋敷で暮らしていたわ。今、按司のグスクがある所にお屋敷があったのよ。島の人たちにとっては、上の人が大宰府の役人だろうが平家だろうが、阿多氏だろうと関係ないわ。甕を焼いて、貝殻と交換する交易は変わりなく続いていたのよ。でも、この島にも按司が現れたわ。熊野の山伏が住み着いて阿布木名(あぶきなー)(天城町)の山にグスクを築いたのが始まりで、勢力のある島人たちも山の上にグスクを築いて按司を名乗って武力を誇るようになるわ。御所殿もお屋敷の周りに石垣を築いて守りを固めて、窯場の警護も厳重になったわ。そんな頃、浦添按司になる前の若い『英祖(えいそ)』もこの島に来たのよ。島の賑わいを見て驚いていたわ。当時、この島では銭(じに)が流通していたのよ。島人たちは銭でお米や着物を買っていたの。琉球で銭が流通するのは百年後の事なのよ。英祖が来てから十年余りが経って、英祖の弟が徳之島に来たわ。英祖は浦添按司になっていて、徳之島を支配下に組み入れようとしていたの。御所殿は英祖に従ったのよ。当時、鎌倉の幕府に仕えるサムレーで『千竃(ちかま)氏』というのがいて、徳之島も鬼界島も自分の領地だと主張していたらしいわ。それを牽制するために、徳之島と鬼界島は琉球の領土だと思わせるために表向きだけ英祖の支配下に入ったのよ。それから十年くらい経って宋の国が滅んで、ヤマトゥと宋の国の交易は終わったわ。さらに、蒙古(もうこ)の大軍(元寇)が博多に攻めて来て博多は全焼してしまい、二百年も続いたトゥクカーミーと貝殻の交易も終わってしまったのよ。御所殿も鬼界島に引き上げて行って廃墟のようになってしまったわ。二百年の間にお山の樹木(きぎ)も切り払われて、すっかりハゲ山になってしまったのよ。大勢の人たちが忙しそうに働いていた時は気にならなかったけど、人がいなくなったら惨めな姿をさらしていたわ。何人かの職人たちは残って甕を焼き続けたけど、貝殻と交換しても引き取り手はいないし、生きるために食糧と交換するしかなくて、細々と生きていくしかなかったのよ」
「この島が賑わっていた頃、職人たちの食糧はどうしていたのですか」とナナが聞いた。
「貝殻を積んで行ったお船がヤマトゥの商品や食糧、必要雑貨を運んで来たのよ。ヤマトゥの商品は鬼界島で下ろされて、鬼界島の役人たちが独自に取り引きをしていたわ。若い頃の英祖も徳之島から鬼界島に行って、武器を手に入れて勢力を広げたのよ。この島に来た食糧や雑貨類は、トゥクカーミーの取り引きに関わっている人たちに配られたのよ。やがて、銭が流通するようになると手間賃を銭で払うようになって、食糧や雑貨を銭で買うようになるの。毎年、余剰の食糧や雑貨があって、それらを目当てにやって来る者たちもいたわ。余剰の食糧や雑貨で稼いで按司になった者もいたのよ。あっ、『石鍋(いしなーび)』を忘れていたわ」
「『石鍋』って何ですか」とサスカサが聞いた。
「石でできた鍋よ。鉄の鍋が高価で手に入らない頃、料理をするのに重宝したのよ。石鍋は九州で作られて、トゥクカーミーが始まる時に大量に運ばれてきて、トゥクカーミーと一緒に貝殻交易に使われたのよ。その後も食糧と一緒に運ばれてきて、石鍋はトゥクカーミーと一緒に各地に広まっていったの。話を戻すけど、御所殿が引き上げた後、島内の按司たちが勢力争いを始めたわ。御所殿から命じられて窯場の警護をしていた『アザマ按司』と『ウービラ按司』が争って、アザマ按司が勝って御所殿のグスクに入って『島尻按司』を名乗ったの。北部でも『大城按司(ふーぐすくあじ)』と『花徳按司(けぃどぅあじ)』が争いを始めたわ。熊野水軍の『大和城按司(やまとぅぐすくあじ)』も三代目になっていて、熊野水軍が来なくなってしまったけど倭寇(わこう)が来るようになって、真瀬名川(ませなごー)の河口は倭寇の中継地として機能するのよ」
「その頃の倭寇は何を求めてやって来たのですか」
「英祖は宋の商人と貝殻の交易をしていたのよ。貝殻と言ってもヤクゲーやブラゲーじゃなくて『シビグァー(タカラガイ)』よ。トゥクカーミーに関わっていた宋の商人が琉球でシビグァーが取れる事を知って、博多を通さずに直接、取り引きを始めたようだわ。宋の国の山奥の方ではシビグァーが銭の代わりとして使われているらしいわね。それで、琉球に行けば宋の商品が手に入るので倭寇たちは琉球に行ったのよ。英祖は宋の商品を持たせた使者を鎌倉にも送って、お礼として名刀をもらってきたわ」
「『英祖の宝刀』だわ」とシンシンが言った。
「いよいよ、『ミナデウンノー』の登場よ。ミナデは英祖の曽孫(ひまご)なの。父親は英祖の孫の『英慈(えいじ)』で、長兄の浦添按司、次兄の八重瀬按司(えーじあじ)、三兄の北原按司(にしばるあじ)は四兄の玉城(たまぐすく)に滅ぼされたわ」
「北原按司はミャークに逃げたのね」とナナが言った。
「祖母から聞いて驚いたわ」
「どうして、玉城は三人の兄を倒したのですか」とシンシンが聞いた。
「それは玉城の意志じゃないのよ」とユンヌ姫が答えた。
「義父の玉グスク按司が昔の栄光を取り戻したくて、娘婿の玉城を浦添按司にしたのよ。お祖母様(豊玉姫)の頃からずっと玉グスクは琉球の都だったけど、島添大里(しましいうふざとぅ)按司の婿だった『舜天(しゅんてぃん)』が浦添按司になってから浦添が栄えて行って、『英祖』が浦添按司になると海外との交易を盛んにして、港のない玉グスクは寂れてしまったのよ。玉グスク按司は娘婿の玉城を浦添按司にして、玉グスクを以前のように栄えさせたかったの。交易で手に入れた商品は玉グスクへと運ばれて、玉グスクは以前の繁栄を取り戻したかに見えたんだけど、『察度』に滅ぼされて、また寂れちゃったのよ」
「さっきの話の続きだけど、三兄の北原按司と四兄の玉城の間に『千代松』の奥さんがいるのよ。五兄は中グスク按司の婿になって、六兄は越来(ぐいく)にグスクを築いて初代の越来按司になったわ。自分もどこかにグスクを築いて按司になろうと思っていた七男の『ミナデ』は、強くなるために武芸に打ち込んで、修行の旅に出たわ。恩納岳の山中で修行していた時、弓矢の名手の『恩納ヌル』と出会ったのよ。お互いに相手の腕を認めて、一緒に修行に励んで、二人は結ばれたわ。兄の玉城が上の兄たちを倒して浦添按司になった時はまだ十一歳だったので戦には出ていないけど、義兄の千代松が今帰仁グスクを取り戻して按司になった時は二十歳になっていて、ミナデも恩納ヌルと一緒に活躍したのよ。今帰仁に残れって千代松に引き留められたけど、武芸の修行を続けたいと言って二人は恩納に帰ったわ。恩納岳で厳しい修行を積んで自信を持ったミナデと恩納ヌルは今帰仁に挨拶に行ったの。逞しくなった二人を見て、千代松は徳之島を平定して来いって言ったのよ。ミナデと恩納ヌルは今帰仁の兵を率いて徳之島を攻めたわ。最初に島尻按司を倒してグスクを奪い取って、次にウービラ按司を倒したの。島尻按司の妹にマルという勇敢なヌルがいたけど、恩納ヌルと戦って敗れたわ。南部を平定した後、北に向かったけど、大和城按司も大城按司も花徳按司も戦わずに降参したので配下にしたのよ。ミナデは『トゥクカーミー』も再開して、浦添今帰仁に持って行って、必要な雑貨類と交換して来たのよ。やがて、兄の玉城が亡くなると若按司の『西威(せいい)』がまだ十歳だったので母親が後見したんだけど、その母親がどうしようもない女で、庶民の事なんて顧みないで贅沢のし放題だったの。千代松が怒ってね、元(げん)の商人との取り引きを奪い取っちゃったのよ。英祖の頃からやっていたシビグァーの取り引きよ。千代松は運天泊(うんてぃんどぅまい)で取り引きを始めて、ミナデもシビグァーを集めて運天泊に送ったわ。シビグァーのお陰で島も活気づいて来たのよ。千代松が亡くなって、『帕尼芝(はにじ)』が若按司を殺して今帰仁按司になってもシビグァーの取り引きは続いたわ。帕尼芝の奥さんは千代松の娘で、ミナデの長男の若按司の奥さんも千代松の娘で、若按司の奥さんの方が姉さんだったのよ。帕尼芝も奥さんには頭が上がらないみたいで、奥さんに言われて、今まで通りに取り引きに参加させたのよ。帕尼芝が永良部島を攻め取ったけど、徳之島を攻めなかったのは奥さんに言われたからに違いないわ。シビグァーの取り引きは西威を倒して浦添按司になった察度も始めたのよ。千代松から察度の事を聞いたミナデは察度に会いに行って取り引きをまとめて、浮島(那覇)にもシビグァーを送ったわ」
「ミナデウンノーは察度から鳥島に水や食糧を運ぶ事を頼まれたのですか」とサスカサが聞いた。
「そうなのよ。察度はお礼として元の商品やヤマトゥの刀を贈ってくれたわ。毎年、夏になると察度の知り合いの倭寇が届けてくれたのよ。でも、察度が亡くなったら、それもなくなってしまって、それでも鳥島の人たちが可哀想だと送っていたんだけど、シビグァーの取り引きも終わってしまって、鳥島の面倒まで見られなくなったのよ」
「どうして、シビグァーの取り引きは終わったのですか」
「元の商人が来なくなったらしいわ。代わりに海賊が来るようになったんだけど、海賊はヤマトゥの商品を欲しがって、シビグァーは必要なくなってしまったのよ」
「でも、察度が明国(みんこく)との交易を始めたら、また必要になったんでしょう」
「そうなのよ。その頃はミナデは亡くなっていて二代目の時代だったけど、二代目は喜んでシビグァーを送ったわ。でも、武寧の代になったら、貝殻なんかわざわざ持ってくるなって言われたのよ。武寧は海外交易を唐人のアランポー(亜蘭匏)に任せっきりだったから貝殻の価値を知らないのよ。シビグァーを銭の代わりに使っている国があるなんて、まったく知らなかったのよ」
「ミャークの人たちも同じ事を言われて、怒って琉球に来なくなったわ」とナナが言った。
「その頃は三代目だったけど、同じように怒って、鳥島の補給もやめてしまったのよ。武寧が滅ぼされて、今の中山王になってから、シビグァーの取り引きも再開されて、お茶を飲むためのお椀作りも始まったのよ。でも、山北王に攻められて、ミナデの子孫は四代目で滅ぼされてしまったのよ」
「今でもお茶碗作りは続いているのですか」とサスカサが聞いた。
「続いているわ。山北王の支配下になった後は今帰仁の城下にお店を出して売っていたのよ。戦の時に焼けてしまったけど、また、お店が出せるといいわね」
今帰仁だけでなく、首里(すい)にもお店を出せば、お茶碗は売れると思います」
「この島の事がわかったかしら。二百年続いた『トゥクカーミー』の時代は今思えば夢のような時代だったけど、あの時、島に来た人たちの子孫で、この島に残っている人たちも大勢いるわ。ヤマトゥンチュの子孫や唐人の子孫や高麗人の子孫も、今ではわからなくなってしまって、みんな仲良く暮らしているわ。八年前の時のような悲惨な戦は起こさないでね」
 戦にならないように努力しますと言って、サスカサたちはトゥクヌ姫と別れた。

 

 

 

ヤコウガイの考古学 (ものが語る歴史シリーズ)

3-09.海の『まるずや』(第三稿)

 越山(くしやま)のウタキ(御嶽)で神様の話を聞いた翌日、鳥島(とぅいしま)(硫黄鳥島)の事を聞こうとサスカサ(島添大里ヌル)たちはサミガー親方(うやかた)に会いに行った。永良部按司(いらぶあじ)になったサミガー親方だったが、仕事の引き継ぎをしなければならないと言って知名(じんにゃ)の屋敷に帰っていた。
 知名の浜に大勢の人が集まっていたので、何事かと行ってみると浜辺に市が開かれていた。近くにいたおかみさんに聞いたら、「『まるずや』さんが来たのですよ」と嬉しそうに言った。
「まるずや?」とサスカサたちは顔を見合わせた。
 よく見ると『まるずや』と書かれた旗がいくつも立っていて、沖に浮かんでいる船にも下手くそな字で『まるずや』と書いてある。
 『まるずや』の船がこんな所まで来ていたのかとサスカサたちは驚いた。
 『まるずや』さんはよく来るのですかと聞いたら、毎年、年に二回やって来ると言う。
「何でもトカラの島まで行くようで、行く時に寄って、帰りにまた寄るのですよ」と言って、おかみさんは人混みの中に入って行った。
 琉球にある『まるずや』と同じように娘たちの売り子が古着や雑貨類を売っている。朝鮮(チョソン)の綿布(めんぷ)を広げて、その上に商品が山積みにされていた。
「あっ!」と志慶真(しじま)ヌルが叫んで、店主らしい男の所に駈けて行った。
「サンダラじゃないの?」と志慶真ヌルが言った。
 男は驚いた顔で志慶真ヌルを見て、「ミナか」と聞いた。
 志慶真ヌルはうなづいた。
「ミナがどうして、こんな所にいるんだ?」
「あなたこそ、どうして、こんな所にいるのよ」
「俺は毎年、今頃になるとこの島に来ているんだよ」
「あたしはサスカサさんと一緒に中山王(ちゅうざんおう)(思紹)のお船に乗って、この島に来たのよ」
「そうか。志慶真ヌルとして、サスカサさんと一緒に来たんだな」
「どうして、あたしがヌルになった事を知っているの?」
「『まるずや』にいると色々と情報が入るんだよ。サスカサさんがヌルたちを連れて奄美攻めに行ったのは聞いているけど、お前まで一緒に来ているとは知らなかった。今帰仁(なきじん)の城下の再建で忙しいと思っていたよ」
「あたしも奥方様(うなぢゃら)(マチルギ)を助けるつもりだったのよ。でも、この島に『アキシノ様』の子孫がいるから会って来なさいって奥方様に言われてやって来たのよ」
「アキシノ様の子孫?」
 そう言ってサンダラは首を傾げた。
「誰なの?」とサスカサが志慶真ヌルに聞いた。
「キラマ(慶良間)の島で一緒に修行をした人なのです。こんな所で再会するなんて思ってもいなかったわ」
「もしかして、胸が熱くなった人?」とタマ(東松田の若ヌル)が聞いた。
「いやだー」と言って志慶真ヌルは照れた。
 サスカサたちはサンダラを誘って、サミガー親方の作業場の近くにあるウミンチュ(漁師)たちの休憩小屋に行き、サンダラから話を聞いた。
 中山王が首里(すい)グスクを奪い取る前、サンダラはキラマの島を離れて、『三星党(みちぶしとう)』に入った。ウニタキ(三星大親)に従って浦添(うらしい)グスクを炎上させた後、イーカチの配下になり、マチルギの護衛としてヤマトゥ(日本)にも行った。イーカチが絵師になった後はシチルーの配下になって、東方(あがりかた)(琉球南部の東方)の按司たちの様子を探っていた。中山王が山北王(さんほくおう)(攀安知)と同盟した後、ウニタキに命じられて、クユー一族(望月党の残党)を調べるために奄美大島(あまみうふしま)に行った。奄美大島から帰って、ウニタキに海の『まるずや』を提案して許され、海の『まるずや』の主人になった。三年前の事で、毎年、夏になると商品を積んだ船に乗って、トカラの宝島まで行き、冬になると帰ってきていた。
「どうして、海の『まるずや』の主人になろうとしたの?」と志慶真ヌルがサンダラに聞いた。
「俺の故郷(うまりじま)はヤンバル(琉球北部)の塩屋湾に面した村(しま)なんだけど、『まるずや』のような店があったら便利だろうなって、いつも思っていたんだ。だけど、あんな田舎に店が出せるわけないって諦めていたんだよ。奄美大島まで行った時、子供たちが粗末な着物を着ているのを見て、『まるずや』があれば安い古着が買えるのにって思ったんだ。そこでひらめいたんだよ。船に古着を積んで売り歩けばいいんだってね。お頭に相談したら、それはいい考えだって賛成してくれたんだ。『まるずや』として奄美の島々を巡れば、情報も集められるから、お前がやってみろって言ったんだよ。そして、いつも最初に故郷に寄ってから、伊是名島(いぢぃなじま)、伊平屋島(いひゃじま)、与論島(ゆんぬじま)に寄って、この島に来るんだ」
「あなたはどこかのサムレーになっているって、ずっと思っていたわ。島添大里(しましいうふざとぅ)、佐敷、平田、首里にはいないから、中グスクか越来(ぐいく)か勝連(かちりん)にいるんだろうって思っていたのよ。まさか、こんな所で会うなんて‥‥‥」
「縁があったのですよ」とタマが言った。
「この島の次は徳之島(とぅくぬしま)に行くのですね」とサスカサが聞いた。
「はい。徳之島に行きますが、その前に鳥島に寄ってから行きます」
「えっ、鳥島に行くの?」と志慶真ヌルが驚いてサスカサを見た。
「あの島には銭(じに)を持った人たちが大勢いるのです。硫黄(いおう)掘りの手間賃が銭で支払われるのですが、その銭の使い道は博奕(ばくち)しかないんです。行くと女たちが大喜びをして、気前よく買ってくれるんですよ」
「えっ、あの島に女たちがいるのですか」とナナ(クーイヌル)が驚いて聞いた。
 玻名(はな)グスクの捕虜が人足(にんそく)として送られたと聞いているので、人足しかいない島だと思い込んでいた。そんな島にヌルが行ったというので、余程強いヌルなんだろうと思っていた。
「女もいますよ。子供たちもいます。守備兵もいるので、どちらかと言えば男の方が多いですけどね」
「女たちも硫黄を掘っているのですか」
「畑仕事をしている人もいますが、土が悪いので大した物は作れません。硫黄掘りをやれば飯は食えるし、銭ももらえるので、女たちもやっています」
「その女の人たちも何か悪い事をして鳥島に送られたのですか」とサスカサが聞いた。
「以前はそういう女もいたようですが、中山王が変わってからはいません。ほとんどの人は夫婦で移住してきた者たちです。一年働けば結構稼げるので、故郷に帰って、それを元手に商売を始める者も多いようです」
「島の出入りも自由なのですか」
「自由です。ただ、小舟(さぶに)であの島から出るのは難しいでしょう。西(いり)に流されたら遭難してしまいます。定期的に来る中山王の船に乗って帰るか、俺たちの船に乗って、この島に来る者もいます」
「わたしたちを鳥島に連れて行って下さい」とサスカサはサンダラに頼んだ。
「いいですよ。あの島にいるヌルのカリーはシンシンさんの弟子ですから、再会を喜ぶと思いますよ」
「えっ、あたしの弟子?」とシンシン(今帰仁ヌル)が驚いた。
「馬天浜(ばてぃんはま)の娘で佐敷グスクに通って、ササ(運玉森ヌル)さんとシンシンさんから剣術と武当拳(ウーダンけん)を習ったって言っていましたよ。馬天ヌル様の勧めで首里のヌルになって、三年前に鳥島に来ました」
「ああ、あの娘(こ)か」とシンシンは思い出した。
「あの娘が鳥島にいたなんて驚いたわ。確か、キラマの島に行ったジニーと同期で、ヂャン師匠(張三豊)のもとで一か月の修行もしているわ」
「あたしも会った事あるかしら?」とナナがシンシンに聞いた。
「ナナが来た時はもう首里に行っていたわ。でも、久高島参詣(くだかじまさんけい)の時に会ったかもしれないわね」
 今晩、玉グスクで一緒にお酒を飲む約束をして、サンダラは浜辺に戻った。
 サンダラの後ろ姿を見送ると、「サンダラさんには奥さんがいるの?」とサスカサが志慶真ヌルに聞いた。
 志慶真ヌルは首を傾げた。
「五月に浮島(那覇)を出て、奄美の島々を巡って二月頃に帰るんでしょう。琉球にいるのは二月しかないわ。奥さんがいるわけないわよ」とナナが言った。
「それじゃあ、奥さんも一緒に来ているのかしら?」とタマが言った。
「奥さんがいても大丈夫よ。あたしの『マレビト神』は奥さんがいるもの」とナナが言った。
「まだ、『マレビト神』だって決まってないわよ」と志慶真ヌルは手を振った。
「でも、再会した時、胸が熱くなったんでしょ」とタマが聞いた。
 志慶真ヌルは胸を触ってうなづいた。
「サンダラさんはミナ姉(ねえ)の『マレビト神』に違いないわ」とタマは決めつけた。
 サンダラが鳥島に連れて行ってくれるので、サミガー親方に頼む必要がなくなり、サミガー親方の屋敷に行くのはやめて浜辺に戻った。
 先ほどよりも大勢のお客がいて、『まるずや』は繁盛していた。人手が足らなそうなので、サスカサたちも手伝った。
 午後には与和の浜(ゆわぬはま)に移動して店を開き、ここでも大繁盛だった。夕方、店仕舞いをして、サンダラたちを連れて玉グスクに帰った。
 サグルー(山グスク大親)たちも『まるずや』の船が奄美の島々を回っている事に驚き、ウニタキから聞いた島々の情報を調べたのがサンダラだった事に驚いた。サグルーの護衛のヤールーとサンダラはキラマの島で一緒に修行した仲で、久し振りの再会を喜んでいた。
 サンダラの配下は六人いて、他に船乗りたちがいるが、彼らは『三星党』ではなく、雇われたウミンチュだった。マギーとイシタキは男で、ナカチルー、サフー、イチナビ、クンマチは売り子の娘たちだった。
 サフーは島添大里のサムレーの娘で、女子(いなぐ)サムレーだったミナから剣術を習っていて、ミナとの再会を喜んだ。サスカサと同い年だが、サフーが島添大里グスクに通い始めた年に、サスカサはヌルになっていたので近寄りがたく、剣術の腕も雲泥の差があって一緒に稽古をしてはいなかった。三年間、島添大里グスクに通い、さらに強くなるためキラマの島で修行して、『三星党』に入った。首里の『まるずや』で売り子をした後、サンダラの配下になっていた。
 一緒にお酒を飲んで、サンダラに奥さんがいない事がわかって、ミナは喜んだ。キラマの島での思い出を懐かしそうに話していたサンダラは酔うにつれて、ミナの事をずっと見守っていたと言った。イーカチの配下だったので、東方の様子を探っていて、島添大里グスクにいるミナを陰ながら見ていたと言った。
「海の『まるずや』の主人になってからも帰って来ると必ず、ミナの姿を見に行ったんだ。今年の二月、旅から帰って島添大里グスクに行ったら、ミナがヌルの修行をしていたので驚いた。ミナがササさんたちと一緒にヤンバルに行った時も陰の護衛を務めたんだよ。その後はずっと今帰仁にいて、戦(いくさ)が終わると浮島に行って、旅の準備をして、この島に来たんだ。ミナがこの島に来ていたなんて本当に驚いたよ」
「あたしの近くまで来ても、声を掛けてくれなかったのね」
「『三星党』は陰なんだよ。表に出てはいけないんだ」
「でも、表の顔は海の『まるずや』の主人でしょ。海の『まるずや』の主人としてなら会えるはずよ。来年は塩屋湾の故郷に寄る前に志慶真村に寄って、あたしに会いに来てね」
「いや、二月に帰った時、浮島に行く前に志慶真村に寄るよ」
「必ずよ。待っているわ」
 翌朝、サンダラとミナは消えていた。
 鳥島に行く予定だったのに延期となった。
「三日は帰って来ないわね」とシンシンとナナが言った。
「あの二人はどこに行ったの?」とサスカサは聞いたが、誰も答えなかった。
 二人が帰ってくるまで、サスカサたちは『まるずや』を手伝った。
 その日の午後、ヤマトゥに行く中山王の交易船が与和の浜にやって来た。シンゴ(早田新五郎)とマグサ、ルクルジルー(早田六郎次郎)と愛洲(あいす)ジルーの船、朝鮮(チョソン)に帰る李芸(イイエ)の船と勝連(かちりん)の船も一緒だった。
 何隻もの船が近づいて来るのを知った永良部按司も知名から戻って来て、ウミンチュたちに命じて小舟を送り、サグルーたちと一緒に出迎えた。
 『まるずや』のお客も減って閑散としていた浜辺に、また人々が集まってきた。
 小舟に乗って最初に上陸したのは総責任者のクルー(手登根大親)とジクー(慈空)禅師とクルシ(黒瀬大親)、覚林坊と福寿坊、もう一人の坊主頭の山伏の顔を見て、サスカサたちは目を疑った。中山王の思紹(ししょう)だった。
 驚いたサスカサは思紹のもとへ駆け寄った。
「お祖父(じい)様、どうして、こんな所にいるの?」
「戦も終わったし、ヤマトゥ旅に行く事にしたんじゃよ」
「何ですって!」
 話を聞いていたシンシンとナナ、サグルーたちも唖然とした顔で思紹を見ていた。
「お父さんがよく許しましたね」
「あいつはムラカ(マラッカ)に行くと言い出してな、行っても構わんが、その前にわしをヤマトゥに行かせろと言ったんじゃ。あいつもしぶしぶ承諾したというわけじゃ」
「お母さんが今帰仁で頑張っているというのに、お祖父様もお父さんも旅の相談をしていたのですか」
「わしが中山王だという事は内緒だぞ。好きに動けなくなるからな。わしは山伏の東行坊(とうぎょうぼう)じゃ。わかったな」
 思紹たちは永良部按司と一緒にグスクへと向かった。
 愛洲ジルーが下りてきたのでササの事を聞いたら嬉しそうな顔をして、五月十五日に無事に女の子を産んだと言った。
「ササによく似た可愛い娘で、俺の母の名前をもらって『ヤエ』と名付けたんだ。馬天ヌル様も喜んだけど、王様が一番喜んで、毎日、ヤエの顔を見に来ていたよ」
「よかったわ」とサスカサたちは喜んだ。
 その晩、玉グスクでササの出産祝いとヤマトゥや朝鮮に行く人たちの送別の宴(うたげ)を開いた。
 ササの代わりにタミー(須久名森ヌル)がいたので、御台所様(みだいどころさま)(将軍義持の妻、日野栄子)と高橋殿によろしく伝えてくれと頼んだ。李芸の船に山北王の側室だったパクと娘のカリンが乗っていて、今帰仁若ヌルだったカリンはサスカサとの再会を喜んだ。カリンはヌルをやめて母の故郷に帰るという。
「言葉がわからないので不安だけど、武当拳を身に付けたので母を守って何とか生きていこうと思います」と言ってカリンは笑った。
 翌日、思紹を乗せた交易船は六隻の船を引き連れてヤマトゥへと旅立っていった。サスカサたちは『まるずや』を手伝って、和の浜(わーぬはま)(和泊)、湾門浜(わんじょはま)、沖の浜(うきぬはま)(沖泊)、島尻浜(しまじーはま)(住吉浜)と商売をして、知名の浜に戻って来た夕暮れ時、サンダラとミナは現れた。
 仲良く寄り添った二人は幸せそうだった。三日前の晩、酔っているはずなのに眠れないミナは庭に降りて星を見上げていた。そこにサンダラが現れ、目が合った途端に頭の中が真っ白になって、気が付いたら大きなガマ(洞窟)の中にいたという。二人はみんなから祝福された。
 その夜はサミガー親方の屋敷に泊めてもらい、翌朝、鳥島を目指した。沖の浜で出会ったヒューガの武装船が島尻浜にいたので声を掛けたら、一緒に行く事になって、サンダラの船はヒューガの船に従った。ヒューガの配下の水軍が鳥島を守っているので、ヒューガが一緒だと心強かった。
 鳥島は思っていたよりも遠かった。風に恵まれれば半日で着くとサンダラは言ったが、生憎、風に恵まれず、未(ひつじ)の刻過ぎ(午後三時)にやっと到着した。
 高い断崖に囲まれた島で、山のあちこちから煙が上っていて、異様な臭いが鼻を突いた。島の東側に二隻の船が泊まっていて、その近くに船を泊めて、小舟に乗って砂浜に上陸した。
 石ころだらけの砂浜にヒューガの配下のグルータとシルーが待っていてヒューガを迎え、サスカサが来た事を知らせると驚いた顔をしてサスカサたちを迎えた。
「この島のヌルに会いに来ました」とサスカサが言うと、
「そうでしたか」とグルータとシルーは納得した。馬天ヌルから何かを頼まれたのだろうと二人は思い、シルーが案内してくれた。
 石がゴロゴロした険しい岩場を登って行くと断崖の上に出た。丸太作りの大きな家が建っていて、その先の広い草原の中に粗末な小屋がいくつも建ち並んでいた。右側に煙を上げている丘があり、さらに、その奥の方にも煙を上げている岩山があった。
「凄い所ね」とナナが言った。
「こんな所に人が住んでいるなんて‥‥‥」とミナが首を振った。
 キャーキャー言いながら登って来た若ヌルたちも目の前の景色を見て呆然となっていた。
「この島には何人の人が住んでいるのですか」とサスカサがシルーに聞いた。
「わしら守備兵を入れて、四百人余りといった所でしょう。二年前に玻名グスクの捕虜たちが来て、急に増えました」
「捕虜たちはどこかに閉じ込められているのですか」
「いいえ。各自で小屋掛けして暮らしていますよ。五十人余りの捕虜が来たのですが、皆、かみさんと子供を連れて来たので、一気に百人以上も増えました。硫黄掘りをしている人たちには飯を食わせなければならないので、食糧の調達だけでも大変ですよ」
「どこから調達するのです?」
伊平屋島です。永良部島(いらぶじま)(沖永良部島)と徳之島(とぅくぬしま)が中山王の支配下になれば、その島から調達できるので大分、楽になります。この島には材木になる木もないので、材木や薪(たきぎ)も調達しなければならないのです」
 どこから出て来たのか、女たちが大勢現れて、『まるずや』が来たと言って、浜辺へと続く道へと向かって行った。子供たちも現れて、子供たちと一緒にいたのが島ヌルのカリーだった。カリーはシンシンを見て驚き、「お師匠!」と叫んだ。
「お師匠がどうして、この島へ?」
「カリーの顔を見に来たのよ。元気そうなので安心したわ」
「お客様を頼むぞ」とシルーはカリーに言って引き上げて行った。
 カリーが子供たちに、「今日はこれで終わりよ」と言うと子供たちはワーイと叫びながら浜辺の方に駈けていった。
 シンシンがカリーにサスカサたちを紹介した。
「この島の神様に会いに来ました」とサスカサがカリーに言った。
「『トゥイヌル様』ですね」とカリーは言った。
「『トゥイヌル様』の声が聞こえるの?」とシンシンがカリーに聞いた。
「それが不思議なのです。今朝、急に聞こえるようになって驚きました。神様は『お客様が来るわよ』とおっしゃいましたが、何の事かわかりませんでした。まさか、お師匠たちが来るなんて‥‥‥でも、ササ様は一緒ではないのですか」
「ササはおめでたなの。今月の半ばに首里で女の子を産んだのよ」
「そうだったのですか。ササ様が赤ちゃんを抱いている姿なんて想像もできませんけど、おめでとうございます」
 サスカサたちはカリーの案内で、『トゥイヌル』のウタキに向かった。島の中央に『グスク』と呼ばれている古い火口があり、ウタキはグスクの北側の小高い丘の上にあった。島の北には『硫黄岳(いおうだき)』という火山があって、ウタキから硫黄岳の火口が見えた。白い池があって、白い岩肌から所々に煙を上げている黄色い硫黄が見えた。火口の近くで硫黄を採掘している大勢の人たちの姿があった。
「この島の守り神様なので、この島に来て以来、毎朝、お祈りを捧げていました。三年間、神様の声が聞こえず、まだまだ修行が足りないと、ヂャン師匠から教わった呼吸法を続けてきましたが、ようやく、聞こえるようになりました。でも、『お客様が来るわよ』と一言聞いただけなのです」
「大丈夫よ。一言聞こえれば、すべて聞こえるわ」とシンシンがカリーに言った。
 サスカサたちはウタキの前に跪(ひざまづ)いてお祈りを捧げた。
「驚いたわね。この島に六人ものヌルが来るなんて」と神様の声が聞こえた。
「しかも、曽祖母(アキシノ)の子孫のヌルが二人もいるのね」
 そう言われて、永良部ヌル(瀬利覚ヌル)も連れてくればよかったかしらとサスカサは思った。
「初代永良部ヌル様の娘の『トゥイヌル様』ですね」とサスカサは聞いた。
「そうよ。あたしがこの島に来て十六年目に硫黄の採掘は終わってしまったのよ。あたしたちは島から撤収して、永良部島に戻ったわ。あたしは永良部島で亡くなったけど、二代目を継いだ娘がこの島に来て、ここに祀ってくれたのよ。娘は二代目を継いだけど、硫黄採掘が再開される事もなく、跡継ぎにも恵まれず、トゥイヌルは二代で絶えてしまったわ。馬天ヌルに話したら、カリーを連れて来てくれたのよ。でも、カリーはあたしの声は聞こえないし、トゥイヌルを継いでくれるのかわからなくて、『イラフ姫様』と一緒に琉球に行って『豊玉姫(とよたまひめ)様』に相談したのよ。そしたら、カリーは『垣花姫(かきぬはなひめ)様』の子孫だってわかったわ。あたしはもっと詳しく知りたいと思ってイラフ姫様と一緒に佐敷に行って、カリーの母親の事を調べたのよ。母親は馬天浜のウミンチュに嫁いだんだけど、『志喜屋(しちゃ)ヌル』の娘だったの。志喜屋ヌルというのは元々は垣花ヌルだったのよ。按司の娘が垣花ヌルになるようになったので、垣花ヌルは『志喜屋ヌル』を名乗るようになったの。カリーは『垣花姫様』の血を引いたヌルだったのよ」
「わたしの祖母は『志喜屋ヌル』でした」とカリーが言った。
「でも、わたしが五歳の時に亡くなってしまったので、わたしは会った事がありません。志喜屋ヌルを継いだ伯母には何度か会いましたが、何となく近寄りがたい人でした。剣術を習うために佐敷グスクに通って、馬天若ヌルのササ様と出会って、こんなヌルもいるのかと驚いて、わたしはヌルに憧れました。両親はウミンチュなので、ヌルになるのは諦めようと思っていた時、馬天ヌル様に勧められてヌルになるための修行を始めました。修行を始めたのが遅かったので、神様の声は聞こえませんでしたが、離島に行って修行に専念すれば、やがて、聞こえるようになるだろうと言われて、この島に来ました。まさか、こんなに遠い島だとは思ってもいなくて、凄い所に来てしまったと後悔した事もありましたが、負けるものかと必死に修行に励みました。今朝、ようやく神様の声が聞こえて喜びました。たった一言だけだったので不安でしたが、サスカサ様とお話しする神様の声がはっきりと聞こえました。ずっと見守っていただき、ありがとうございます」
「あなたが三年間、くじけずに修行を積んできたからよ」
「もしかしたら、あなたのお祖母(ばあ)さんは神人(かみんちゅ)だった『志喜屋大主(しちゃうふぬし)様』の娘さんなの?」とサスカサがカリーに聞いた。
「はい、そうです」
「志喜屋大主様はわたしの父が生まれた時に祝福してくれたのよ。そして、娘の志喜屋ヌル様はわたしの祖父に古いガーラダマ(勾玉)を渡して、そのガーラダマは大叔母の馬天ヌルが今も身に付けているわ」
「そうだったのですか」とカリーは驚いた。
「あなたたちは縁があったようね。わたしの声が聞こえるようになったから教えるけど、親方(うやかた)の息子のサクラーはあたしの子孫なのよ」
「えっ!」とカリーはまた驚いた。
「初代永良部ヌル様から、トゥイヌル様の子孫は絶えたと聞きましたが」とサスカサが言った。
「二代目が娘に恵まれなかったのでヌルは絶えてしまったけど、息子は生まれたのよ。その息子の孫が、察度(さとぅ)(先々代中山王)が硫黄の採掘を始めたと聞いて、この島に来て硫黄掘りをして、やがて親方になるの。今の親方は二代目で、その息子がサクラーなのよ」
 サクラーからお嫁になってくれと何度も言われ、カリーもサクラーが好きだった。サクラーは『マレビト神』かしらと思ったが、一人前のヌルになってもいないのに『マレビト神』が現れるはずもないと思い、修行をしなければならないと言って断ってきた。
「あなたとサクラーはお似合いよ。二人が結ばれれば、あたしの血を引く娘が生まれるわ。そうなったら素敵ね」
 カリーは恥ずかしそうに俯いた。
「トゥイヌル様がこの島にいらした時と今では、この島は変わりましたか」とナナが聞いた。
「あたしがこの島に来たのは百年以上も前よ。当時は父(タケル)のために硫黄を採っていたから、みんな和気藹々(わきあいあい)としていたわ。永良部島から材木や食糧、水も運べたし、仕事が終われば毎晩、酒盛りをやっていたのよ。楽しかったわ。でも、九年後、浦添按司の英祖(えいそ)の弟のサンルーが妹のサチと結ばれて永良部按司になると、捕虜となった兵たちが人足として島に来て、島を守るための兵もやって来たわ。楽しかった島が一変してしまうのよ。捕虜たちを恐れて、若い娘たちはみんな島から出て行ったわ。子供たちもいなくなって、殺風景な島になってしまったのよ。島の人たちが減ったので、浦添から罪を犯した人たちが送られてくるようになって、この島は罪人の島になってしまったわ。それから七年後、ヤマトゥからのお船も来なくなって硫黄の採掘は終わり、みんな島から撤収したのよ」
「捕虜たちも撤収したのですか」とサスカサが聞いた。
「捕虜たちも七年間、働いたから解放したのよ。過酷な労働に耐えられなくて亡くなった人も多かったわ。無人島になったこの島は忘れ去られて、九十年後に、浦添按司の察度のサムレーが百人ほどの人たちを連れてやって来て、硫黄の採掘を再開するのよ。察度は元(げん)の国(明の前の王朝)から琉球の浮島に来た商人から硫黄を頼まれたらしいわ。連れてきた人たちは罪人じゃなくて、若い夫婦が多かったわ。一年間働けばかなりの銭が稼げると言われてやってきたのよ。その話を聞いたあたしの子孫の親方も家族を連れて、この島にやって来たの。その頃の永良部島は今帰仁按司の帕尼芝(はにじ)の支配下にあったから、察度は徳之島から材木や食糧を運んでいたわ。察度は明国(みんこく)との交易を始めて、大量の硫黄が必要になって、さらに若い夫婦たちを連れて来て、島は賑やかになったわ。倭寇(わこう)に連れて来られた高麗人(こーれーんちゅ)の夫婦もいたわ。島に活気が戻って来て十年くらい経った頃、帕尼芝の兵が攻めて来て、察度の兵と戦って察度の兵を追い出してしまうの。鳥島今帰仁按司の領地だって主張したのよ。でも、察度はすぐに兵を送って取り戻したわ。察度は帕尼芝が邪魔しないように、帕尼芝と同盟を結んで、鳥島の領有権を得るのよ」
「帕尼芝はその見返りに何を要求したのですか」とナナが聞いた。
「帕尼芝は明国の海賊と密貿易をしていたの。海賊が欲しがるのはヤマトゥの商品よ。特にヤマトゥの刀ね。ヤマトゥから来る倭寇たちは明国の商品を欲しがって、みんな浮島に行っちゃうから帕尼芝の手に入らないのよ。それで、ヤマトゥの刀を察度に要求したの。そして、察度は帕尼芝の使者を明国に連れて行って、帕尼芝を山北王にさせてあげたのよ。明国の商品で倭寇と取り引きをして刀を手に入れられるようにね。五年後に帕尼芝は進貢船(しんくんしん)がもらえないからって怒って、またこの島を奪い取ったけど、察度に今帰仁を攻められて戦死してしまったわ」
「戦の時、島の人たちは大丈夫だったのですか」とサスカサが聞いた。
「硫黄岳の方に逃げたから大丈夫よ。帕尼芝が亡くなって今帰仁の兵は攻めて来なくなったけど、四年後に察度が亡くなると急に待遇が悪くなったのよ。徳之島からの物資の供給も滞るようになって、浦添から罪人が送られてくるようになったわ。前と同じように島から出て行く人たちが増えて、それを補充するために次々に罪人が送られてきたの。ヌルたちも送られてきたのよ」
「武寧(ぶねい)(先代中山王)がヌルをこの島に送ったのですか」
「武寧が首里にグスクを築く時に反対したヌルたちがいたのよ。武寧は捕まえて、この島に送ったのよ。その頃は罪人の男ばかりだったから、ヌルたちは男たちの慰み者になってしまって可哀想だったわ。身投げして亡くなったヌルもいたのよ。その後も首里グスクの石垣が台風で壊れた時、手抜き工事をした者たちの家族が送られてきて、女たちは慰み者にされたわ。そんな状態の時に、武寧を倒した島添大里按司が水軍を率いてやって来て、武寧の兵たちを説得して、新しい中山王(思紹)に仕える事になったのよ。その後、馬天ヌルがやって来て、あまりのひどさに驚いて、環境を改善させて、徳之島からの物資の供給も定期的に行なうように改めたのよ。その頃の馬天ヌルはあたしの声は聞こえなかったけど、ここに来て熱心にお祈りをしていたわ。二年後に徳之島が山北王(攀安知)に奪われると、物資の供給は伊平屋島からするようになるの。二度目に来た時、馬天ヌルはあたしの声が聞こえるようになっていて、この島の歴史を教えてあげたわ。そしたら、以前のような平和な島に戻すって約束してくれたのよ。馬天ヌルは親方と相談して、悪人たちは島から追い出したわ」
「その悪人たちはどこに行ったのですか」
伊平屋島から物資を運ぶお船の漕ぎ手にしたみたい。距離もあるからかなりきついみたいよ。悪人たちがいなくなって、新しい夫婦たちもやって来て、カリーもやって来て、昔のように笑い声が聞こえる島に戻ったのよ。永良部島と徳之島が中山王の支配下になって、行き来が自由になれば、この島はもっと住みやすくなるわ。よろしく頼むわね」
 島の人たちをお守り下さいと言って、サスカサたちはお祈りを終えた。ウタキから下りて、カリーの案内で硫黄採掘の現場を見てから集落に戻った。集落の外れに『喜羅摩(きらま)』と看板を掲げた遊女屋(じゅりぬやー)があったのには驚いた。二か月間滞在する守備兵のために、首里の『喜羅摩』の主人のサチョーの配下が六年前に開いたという。
 その夜、星空の下でサスカサたちとサンダラたちは島の人たちに囲まれて酒盛りを楽しんだ。途中からヒューガも加わり、父と一緒に初めてこの島に来た時の様子をサスカサは聞いた。
 志慶真ヌルとサンダラはまるで夫婦のように見え、カリーとサクラーは楽しそうに笑っていた。サスカサは羨ましそうにカリーとサクラーを見て、志慶真ヌルとサンダラを見て、あたしの『マレビト神』はどこにいるのだろうと星空を見上げた。
「ねえ、あの二人は三日間、どこに行くの?」とカリーとサクラーを見ながらナナがシンシンに聞いた。
「小舟に乗って海に出るんじゃないの」とシンシンが言った。
「海の上に三日間もいるの?」
「頭の中が真っ白になって、気が付いたら海の上にいるのよ」
「三日間も海の上をさまよっていたら帰って来られなくなるわよ」
「大丈夫よ。『トゥイヌル様』が見守っているわ」
「そうね」とナナは納得してサスカサを見ると、「今回の旅で、サスカサも『マレビト神』に出会うような気がするわ」と言った。
 サスカサはナナを見て微かに笑った。

 

 

日宋貿易と「硫黄の道」 (日本史リブレット)

3-08.永良部ヌルと鳥島(第三稿)

 世の主(ゆぬぬし)(永良部按司)が以前に暮らしていた玉グスクは、新しいグスクの東、半里(約二キロ)ほどの小高い丘の上にあり、浦添(うらしい)グスクを小さくしたようなグスクだった。
 高い石垣はかなり古く、『英祖(えいそ)』の弟が永良部按司(いらぶあじ)になった時に築いたのだろうとサグルー(山グスク大親)は思った。大御門(うふうじょう)(正門)から中に入ると厩(うまや)とサムレー屋敷がある二の曲輪(くるわ)があり、中御門を抜けると按司の屋敷があった。屋敷には侍女(じじょ)や城女(ぐすくんちゅ)がいて、サグルーたちは歓迎された。
 侍女に聞くと、中山王(ちゅうざんおう)(思紹)の船が知名の浜(じんにゃぬはま)に着いたと知らせがあった時、世の主に命じられて歓迎の準備を始めて待っていたという。侍女たちはまだ世の主が自害した事を知らないようだった。
 食事の用意もしてあったが、兵たちの分まではないので、与和の浜(ゆわぬはま)にいる船から食糧を運んで炊き出しを始め、兵たちを守備の配置につけた。サグルーたちは世の主が用意してくれた料理や酒を御馳走になりながら今後の対策を相談した。
 先代按司の妻のマティルマ(察度の娘)に長男夫婦と孫が自害した事を報告しないわけにはいかないので、グスクに呼んで知らせたら唖然となって泣き崩れた。娘のマハマドゥも信じられないと言った顔で呆然としていた。トゥイ(先代山南王妃)とマアミ(先々代越来按司の妻)とナーサ(宇久真の女将)も驚いていたが、マティルマとマハマドゥを慰めた。
 どうしてこんな事になってしまったのか、マティルマは自分の運命を嘆いた。浦添から遙かに遠い永良部島(いらぶじま)(沖永良部島)に嫁ぎ、島の人たちに大歓迎されて、寂しかった気持ちも吹き飛んだ。初めて見る夫の真松千代(ままちちゅー)(帕尼芝の三男)も思っていたよりも素敵な人で、賢くて、正しいと思った事はすぐに行動に移す人だった。夫と一緒に永良部島を住みやすい平和な島にしようと一生懸命に生きて来た。子供たちにも恵まれて、島の人たちもいい人ばかりで幸せだった。
 最初の不幸は十年前、兄の武寧(ぶねい)(先代中山王)が島添大里按司(しましいうふざとぅあじ)(サハチ)に殺されて、生まれ育った浦添グスクが焼け落ちた事だった。同じ年に今帰仁(なきじん)のサムレーに嫁いだ次女のマナビーが二十一歳の若さで病死した。そして、三年前には夫が急死してしまった。まだ五十六歳だというのに突然倒れて、そのまま逝ってしまった。悲しみに打ちひしがれ、ようやく立ち直って報告のために今帰仁に行ったら、義姉のマアミと再会した。亡くなったと思っていたのに生きていて、昔の事を語り合い、島には帰らず、マアミと一緒に暮らす事にした。二年前には琉球の南部に行った三男の知名大主(じんにゃうふぬし)が戦死したと聞いて悲しんだが、妹のトゥイが今帰仁に来て再会できたのは嬉しかった。
 今年の三月、今帰仁のお祭りの翌日、中山王が攻めて来ると大騒ぎになって、その日の夜に城下が全焼した。グスク内は避難民で溢れ、義弟の屋我大主(やがうふぬし)(前与論按司)と屋我大主の息子に嫁いでいた三女のマハマドゥと一緒に名護(なぐ)に避難した。中山王の兵が攻めて来て山北王(さんほくおう)(攀安知)は滅び、夫の故郷もなくなった。浦添今帰仁を滅ぼした中山王を恨み、もう行く所は永良部島しかなかった。マアミと一緒に永良部島に行こうと相談していたら、中山王の船に乗ってトゥイが名護に来た。トゥイに説得されて、息子を助けるために中山王の船に乗って帰って来たのに、自害してしまうなんて、いくら泣いても泣ききれなかった。
 マハマドゥは久し振りの帰郷を楽しみにしていた。それなのにこんな事になるなんて‥‥‥悲しむ母を見ながら、マハマドゥも自分の運命を嘆いていた。隣り島の与論按司(ゆんぬあじ)の若按司に嫁ぎ、三人の子供に恵まれて幸せな日々を送っていた。突然、中山王の兵が攻めて来て捕まり、与論島は奪われなかったものの義父は与論按司を剥奪された。今帰仁に行って、義父は名誉を挽回するために鬼界島(ききゃじま)(喜界島)を攻めるが失敗して、夫は戦死してしまう。夫にはヌルになった姉と名護に嫁いだ妹がいるだけで、男の兄弟はなく、跡をつぐのはマハマドゥが産んだ息子しかいなかった。息子はまだ七歳で、一人前に育つまで今帰仁にいてくれと義父に頼まれ、永良部島に帰る事は諦めた。翌年、永良部按司だった父が亡くなり、母が今帰仁に来た。母が島に帰らず、グスクの外曲輪(ふかくるわ)で暮らす事になったのは嬉しかった。城下が焼けてグスクに逃げ込み、母と一緒に名護に行き、中山王の船に乗って永良部島に帰ってきたのに、兄が自害してしまうなんて悪夢でも見ているようだった。
 マアミは幼い頃に兄の真松千代から聞いた永良部島に行くのが夢だった。真松千代は母親違いの兄で、マアミが三歳の時、永良部島から母親と一緒に今帰仁にやって来た。どうして、永良部島に兄がいるのかよくわからなかったが、二つ違いの兄はマアミを可愛がってくれた。十年後、真松千代は母と一緒に永良部島に帰って按司になった。真松千代と一緒に過ごした十年間はマアミの楽しい思い出だった。真松千代が去った三年後の冬、マアミは浦添に嫁いだ。夫は察度(さとぅ)(先々代中山王)の三男のフシムイで、フシムイの妹のマティルマと仲良くなった。マティルマは夏になったら真松千代に嫁ぐという。マアミはマティルマに真松千代の事を話し、いつか必ず永良部島に行くと約束した。フシムイが越来按司(ぐいくあじ)になって越来に移り、按司の奥方として頑張った。フシムイが何度も明国(みんこく)(中国)に行ったので、寂しい時もあったが、六人の子供に恵まれて幸せだった。十一年前、フシムイは何者かに殺された。その翌年、島添大里按司が攻めて来て越来グスクを奪われ、四人の息子たちは戦死した。若ヌルだったマチルーと一緒に越来を離れ、義兄の米須按司(くみしあじ)を頼って米須に行き、米須の近くの小渡(うる)(大度)で暮らした。マチルーが調べた所によると、フシムイを殺したのは島添大里按司ではなく、勝連按司(かちりんあじ)だったという。過去の事を忘れて、小渡でのんびり暮らしていたら戦が始まり、米須按司に頼まれて、マチルーと一緒に今帰仁に帰ってきた。三十八年振りの帰郷だった。真松千代が亡くなって、マティルマが今帰仁に来て一緒に暮らし、今帰仁も奪われて、ようやく永良部島に来たのに、真松千代とマティルマの長男が自害してしまうなんて慰めようもなかった。
 サグルーたちにとっても永良部按司の自害は、まったく想定外の事だった。先に来ていたヤールーの配下が、与論按司(ゆんぬあじ)が中山王に忠誠を誓って、按司でいる事を許されたと噂を流していた。それを聞けば早まった事はしないはずだったのに、こんな事になってしまった。按司がいなくなった今、新しい按司を決めなければ、ここから先へは進めない。按司の身内に按司を継いでもらうか、さもなければ、ジルムイ(島添大里之子)、マウシ(山田之子)、シラー(久良波之子)の誰かを按司の代理として残さなければならなかった。
 サグルーは配下の者たちを使って永良部按司の事を調べていたヤールーから按司の身内の事を聞いた。
 先代の按司(真松千代)には八人の子供がいて、長男は自害した按司、次男は徳之島按司(とぅくぬしまあじ)になっている。三男は知名大主で、南部に嫁いだ山北王の娘マサキの護衛として保栄茂(ぶいむ)グスクに行ったが、二年前の島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスク攻めの時に戦死していた。四男は畦布大主(あじふうふぬし)を名乗って湾門浜(わんじょはま)のグスクを守っていた。長女は永良部ヌル、次女のマナビーは真喜屋之子(まぎゃーぬしぃ)(与和大親)に嫁いで十年前に亡くなっている。三女はマハマドゥで、三人の子供を連れて永良部島に帰って来ている。四女は志慶真大主(しじまうふぬし)の長男に嫁いで志慶真村にいた。
 按司の子供は五人いて、長男は自害した若按司、次男は末っ子でまだ十歳。長女は九歳で亡くなり、次女は若ヌル、三女は十三歳で、次男のマジルーと三女のマティルマは国頭(くんじゃい)ヤタルーと一緒にどこかに逃げていた。
「国頭ヤタルーというのは重臣なのか」とサグルーがヤールーに聞いた。
重臣です。永良部按司には四天王と呼ばれる四人の重臣がいます。知名の浜に来た北見国内兵衛佐(にしみくんちべーさ)と後蘭孫八(ぐらるまぐはち)、それと国頭ヤタルーと屋者(やーじゃ)マサバルーです」
 北目国内兵衛佐は瀬利覚(じっきょ)ヌルの兄で、父親はマティルマの護衛役として永良部島に来た察度の重臣の城間大親(ぐしくまうふや)だった。城間大親は瀬利覚ヌルの母と結ばれて、国内兵衛佐と瀬利覚ヌルを産んだ。城間大親の長男は父の跡を継いで浦添に残り、今は中山王の重臣になっていて、次男と三男は南風原(ふぇーばる)で戦死していた。永良部按司重臣となった父親は十四年前に亡くなり、国内兵衛佐が跡を継いでいた。
 後蘭孫八は奄美大島(あまみうふしま)の浦上(うらがん)を領する平家の子孫、孫六の弟で、家族を連れて島に来たのは六年前だった。後蘭の地にグスクを築いて本拠地とし、後蘭孫八と呼ばれている。先代の按司に築城の腕を見込まれて、越山(くしやま)の中腹に按司のグスクも築いていた。
 屋者マサバルーは先代の按司今帰仁から帰ってきた時に後見役として島に来た山川大主(やまかーうふぬし)の息子で、この島で生まれた。自害した按司と同い年だったので十歳まで一緒に育った。十歳の時に父と一緒に今帰仁に行き、今帰仁で学問や武芸に励んでサムレーになった。仲宗根大主(なかずにうふぬし)の娘を妻に迎えて子供も生まれたが、二十一歳の時に永良部島に残っていた長兄のマタルーが病死したため、永良部島に帰って長兄の跡を継いで重臣になっていた。
 国頭ヤタルーは初代の永良部按司に従って、今帰仁から来たサムレーの子孫で、世の中が変わったため代々、ウミンチュ(漁師)として暮らしていた。父親が武芸の素質があり、先代の按司と同い年だったので、山川大主の推挙で十五歳だった先代の按司に仕える事になった。父親は先代の按司と一緒に武芸の修行に励み、先代の按司が一人前になってからは側近の重臣として仕えた。先代の按司が亡くなった後、父親は隠居して、ヤタルーが今の按司重臣になった。
「ヤタルーは二人の子供を連れて徳之島に行ったに違いない」とマウシが言った。
「多分な」とサグルーはうなづいた。
「徳之島から連れ戻して按司にしたらどうでしょう」とシラーが言った。
「それもいいが、次男はまだ十歳だからな。後見役が必要だ」
「畦布大主を後見役にしたらどうです?」とジルムイが言った。
「畦布大主は何歳なんだ?」とサグルーがヤールーに聞いた。
「二十五、六歳だと思います。徳之島按司になった兄が畦布大主を名乗っていて、その跡を継いで湾門浜のグスクを守っています。そのグスクですが『ヤマトゥグスク』と呼ばれていて、以前は倭寇(わこう)の拠点だったそうです。帕尼芝(はにじ)(先々代山北王)が攻めて来た時に倭寇も追い出したようです。畦布大主の奥さんは屋者マサバルーの兄のマタルーの娘です」
「マサバルーの義理の甥というわけだな。四天王が補佐すれば、畦布大主の後見役で、次男のマジルーを按司にすれば大丈夫だろう」とサグルーが言って、皆が同意した。
「永良部ヌルはどうするの?」とサスカサ(島添大里ヌル)が聞いた。
「マジルーが按司になるんだから、姉の若ヌルがなればいいんじゃないのか」
「できれば、瀬利覚ヌルが永良部ヌルに戻ってほしいわ」
「瀬利覚ヌルが永良部ヌルに戻るには、北見国内兵衛佐が按司になる事だが、他の重臣たちが許すまい」
 翌日、後蘭孫八と瀬利覚ヌルが玉グスクに来て、世の主が自害に至った経緯を説明した。
 中山王の船が知名の浜に着いた事を知った世の主は、北見国内兵衛佐と後蘭孫八を使者として送った。いつまで経っても知らせがないので、二人は殺されたと思い、中山王の船が与和の浜に向かってくる事を知ると覚悟を決めて、先代が眠る『ウファチジ』に行って、奥方様(うなぢゃら)と若按司を道連れに自害を遂げたという。
 自害を遂げた第一の原因は湧川大主(わくがーうふぬし)(山北王の弟)に脅された事だと思われる。山北王の一族は皆、殺されると言われて、按司はそれを信じ込んでしまった。
 第二の原因は今帰仁に送った使者の報告で、今帰仁の城下が跡形もなく全焼して、グスクも悲惨な姿となり、山北王の兵たちは皆殺しにされたと聞いて、島の人たちを守るには自分が自害するしかないのかと按司は思った。
 第三の原因は父親があまりにも立派過ぎたので、何をやっても父親と比べられ、父に負けない事をしなければならないと常に思っていて、死に様だけは立派にしたいと思った事。
 第四の原因はいつまで経っても『旗』が揚がらず、二人の使者は殺されてしまったと思い込んだ事。
 第五の原因は中山王の船が与和の浜に向かってきて、陸からも兵が攻めて来て、いよいよ城下が焼かれると思い込んだ事。
 第六の原因は叔母の大城(ふーぐすく)ヌルから、世の主ならば自分を犠牲にしてでも島の人たちを守らなければならないと言われて覚悟を決めたと思われる。
「第四の原因の『旗』とは何の事です?」とサグルーは孫八に聞いた。
「サミガー親方(うやかた)の屋敷にはウミンチュたちに危険を知らせたりするために、旗を揚げる高い棹(さお)が立っています。戦が回避されるようなら『白い旗』を揚げろと世の主から言われていたのですが、わしら二人ともすっかり忘れてしまったのです。先代の奥方様と会えるなんて思ってもいなかったので、会えたのが嬉しくて、わしらは酒を飲み過ぎてしまったようです。湧川大主殿から奥方様は殺されただろうと言われて、皆、嘆いておりました。それなのに元気なお姿で現れたので信じられなくて、本当に嬉しかったのです」
「『旗』を揚げていれば世の主の自害は防げたかもしれませんね」
「わしらの失態です。悔やんでも悔やみきれません」
「原因は六つもあります。『旗』だけが原因ではないでしょう」とサグルーは言って、「世の主は湧川大主と親しかったのですか」と孫八に聞いた。
「湧川大主殿は鬼界島攻めの行き帰りにこの島に寄っています。世の主は湧川大主殿を歓迎して、楽しそうに酒を飲み交わしておりました。先月の半ばに来た時はこのグスクに七日間、滞在して徳之島に向かいました」
 サグルーはうなづいて、「死んでしまったものは仕方がない。今後の事を考えなくてはならないが、次の世の主は誰にしたらいいと思いますか」と聞いた。
「その事ですが、わしらの考えでは、サミガー親方がよいのではないかと思います」
 意外な答えにサグルーたちは驚いた。
「サミガー親方は世の主の身内だったのですか」とサグルーは聞いた。
「身内ではありません」と瀬利覚ヌルが言った。
「実はわたしの従兄(いとこ)なのです。帕尼芝に滅ぼされた世の主の三男の息子なのです」
「帕尼芝に滅ぼされた世の主は、今帰仁按司だった千代松(ちゅーまち)様の次男でしたよね」とサスカサが聞いた。
「そうです。世の主と長男と次男は戦死しましたが、十三歳だった三男とわたしの母は祖母に連れられて逃げました。祖母は永良部ヌルから瀬利覚ヌルになってグスクから遠ざけられましたが殺されずに済みました。三男は島から逃げたように見せかけて、ガマ(洞窟)の中に隠れていました。帕尼芝の兵が引き上げた後、ウミンチュと一緒に馬天浜(ばてぃんはま)に行ったのです」
「という事はサミガー親方様は千代松様の曽孫(ひまご)という事ですね」
「そうです。山北王が滅んだ今、山北王がこの島を攻める前に戻して、千代松様の曽孫のサミガー親方が世の主になればいいと思います」
「先代のサミガー親方が生き残った三男だと帕尼芝は気づかなかったのですか」ジルムイが瀬利覚ヌルに聞いた。
「帕尼芝はこの島に来ていませんので、先代のサミガー親方には会っていません。でも、山川大主が気づいて帕尼芝に知らせたのかもしれません。先代の世の主様から聞きましたが、帕尼芝は義父だった千代松様を尊敬していたようです。千代松様が亡くなった後、跡を継いだ義兄が余りにも頼りなくて、自分が按司を継ぐべきだと思って、義兄を倒して今帰仁按司になったようです。そして、義兄だった永良部按司も倒したのです。後になって後悔して、罪滅ぼしのつもりでサミガー親方を許して、立派な屋敷も建てたのかもしれません」
「サミガー親方様が世の主を継ぐ事に、重臣の方々は賛成なのですか」とサスカサが聞いた。
「サミガー親方がわたしの従兄だという事は隠していました。知っているのはサミガー親方とわたしだけだったのです。兄の国内兵衛佐も驚いていました。マサバルー様も驚きましたが、山北王が滅んだ今、山北王の身内が継ぐより、サミガー親方が継いだ方がいいだろうと言いました。兄も孫八も賛成しました」
「サミガー親方様も引き受けると言ったのですね」
「これから説得します」と瀬利覚ヌルが言った。
「千代松様の曽孫がこの島の按司になってくれれば、きっとうまくいくと思います。わたしたちの母も千代松様の曽孫なのです」
 サスカサがそう言うと、「えっ!」と瀬利覚ヌルが驚いた。
 イラフ姫からサスカサがアキシノの子孫だと聞いた時、アキシノの子孫で南部に行った人がいたのだろうと思っていた。まさか、千代松の玄孫(やしゃご)だったなんて思いもしなかった。
「わたしの母は伊波按司(いーふぁあじ)の娘なのです。伊波按司は帕尼芝に滅ぼされた二代目千代松様の次男なのです。母は幼い頃から敵討ちをしなければならないと言って武芸の修行に励みました。そして、父と出会って馬天浜のある佐敷に嫁ぎ、娘たちを鍛えて女子(いなぐ)サムレーを作りました。母から剣術を習った娘たちは相当な数になります。ヌルたちも皆、武芸を嗜み、出掛ける時は女子サムレーの格好をしている事が多いのです。母の願いはかなって山北王は滅びました。今、母は今帰仁の城下の再建をしています。千代松様の曽孫のわたしがしなければならないと言って頑張っています。城下が再建されたら、わたしの弟のチューマチが今帰仁に行って今帰仁按司になります」
「弟さんのお名前はチューマチというのですか」
「そうです。千代松様の名前をもらったのです」
「チューマチ様が今帰仁按司に‥‥‥」
 そう言って瀬利覚ヌルは涙をこぼした。
 意外な展開になったが、サグルーたちもサミガー親方が永良部按司になる事に賛成した。
 瀬利覚ヌルと孫八がサミガー親方を説得に行き、サミガー親方はグスクに入って、サグルーたちが立ち合い、永良部按司に就任した。
 按司になったサミガー親方は先代の按司と奥方、若按司の葬儀を執り行ない、子供のいないサミガー親方は先代の遺児、マジルーとマティルマを養子として迎えると言って、徳之島に逃げたであろう二人をを連れ戻すように命じた。
 先代按司の弟の畦布大主は中山王に忠誠を誓って、以前のごとくヤマトゥグスクを守り、按司の自害を止められなかった永良部ヌルと大城ヌルはグスクから追放された。
 永良部ヌルは畦布ヌルとなり、若ヌルを連れて弟の所に行き、大城ヌルは御殿(うどぅん)から追い出されて北目(にしみ)に戻り、瀬利覚ヌルが永良部ヌルに復帰した。
 大城(ふーぐすく)と呼ばれている御殿は、真松千代の母親が永良部ヌルを娘に譲って引退した時、真松千代が母親の隠居屋敷として建てた御殿だった。立派な御殿だったので、いつしか大城と呼ばれるようになり、母親が亡くなった後、真松千代の妹が入って大城ヌルを名乗っていた。
 御殿に入った瀬利覚ヌルは驚いた。豪華な衣装や装飾品、銭の詰まった木箱がいくつもあった。娘の北目ヌルに聞いたら、とぼけていたが、母親が追放された事を知ると渋々白状した。
 母の代からサミガー親方が作った鮫皮(さみがー)の取り引きの仲介をしていて、上前をはねていたという。さらに、大城ヌルはサミガー親方からブラ(法螺貝)を安く仕入れて、湧川大主に高く売っていた。ブラはヤマトゥンチュ(日本人)も明国の海賊も欲しがっていたので高く売れる商品だが、サミガー親方はそんな事は知らなかった。この島だけでなく、琉球の島ならどこでも捕れるので、身を食べた後の貝殻を大城ヌルに安く売っていたのだった。
 大城ヌルが溜め込んだ財産は島の人たちのために使うために没収された。
 徳之島に行ったのは孫八と瀬利覚ヌル、マティルマとマハマドゥで、国頭ヤタルーを説得して、マジルーとマティルマを連れてきた。
 亡くなった按司は長女に母の名前をもらってマティルマと名付けたが、長女は九歳で亡くなってしまった。その年に三女が生まれたので、長女の生まれ変わりだと言って、マティルマと名付けたのだった。
 マジルーとマティルマは両親と長兄が亡くなった事を悲しみ、両親と長兄のいないグスクに入ろうとはしなかった。姉の若ヌルがいる畦布のグスクに行くと言って、祖母のマティルマと叔母のマハマドゥを連れて畦布のグスクに行った。
 四天王たちは考えて、マジルー姉弟と先代の奥方様のために新しいグスクを築く事に決め、孫八は張り切ってグスクを建てる場所を探し始めた。
 新しい按司も決まって一段落したので、サスカサたちは永良部ヌルになった瀬利覚ヌルの案内で越山に登った。大山と違って山頂からの眺めがよく、四方が見渡せた。
「ここには二つのウタキ(御嶽)があります」と永良部ヌルが言った。
「一つは『初代永良部ヌル様』のウタキで、もう一つの古いウタキは最近までわかりませんでしたが、『ワー姫様』のウタキだとわかりました。この山に初代永良部ヌル様のウタキがあったので、この山の中腹に世の主のグスクを築くように孫八に勧めたのです」
 サスカサたちは最初に初代永良部ヌルに挨拶をした。
「永良部ヌルが若ヌルを連れて、ここでお祈りをしていたけど、お祈りは通じなかったようね」と神様の声が聞こえた。
「『アキシノ様』の孫の初代永良部ヌル様ですね」とサスカサは聞いた。
「そうよ。二代目今帰仁ヌルの娘の永良部ヌルよ」
「神様にも世の主の自害は止められなかったのですか」
「それは無理よ。世の主の叔母の大城ヌルも世の主の妹の永良部ヌルもわたしの声は聞こえないもの」
「大城ヌルは神様の子孫なのに聞こえないのですか」
「大城ヌルの母親はヌルとは名ばかりで、ろくに修行もしないで我欲の強い女だったのよ。今帰仁に行って帕尼芝を誘惑して真松千代を産んで、姉から永良部ヌルの名を奪ったけど、自分の欲を満たす事しか考えなかったわ。そんな母を見て育った大城ヌルも自分の事しか考えない女なのよ。マティルマがいた時はマティルマに従っていたけど、マティルマが今帰仁に行ってからはもうやりたい放題よ。世の主の銭を勝手に持ち出して、マティルマに島の様子を報告に行くと言って今帰仁に行き、『まるずや』で欲しい物を大量に買い込んできたわ」
「大城ヌルは『まるずや』のお得意さんだったのですか」とナナ(クーイヌル)が聞いた。
「そうなのよ。本部(むとぅぶ)のテーラー(瀬底大主)が奄美大島を平定して帰って来た時、お祝いのために今帰仁に行ったのが始まりよ。その年に山北王と中山王が同盟して、今帰仁に『まるずや』ができたのよ。大城ヌルは欲しい物が何でも手に入る『まるずや』が気に入って、毎年、行くようになったわ。今年は腰が痛いとか言って行かなかったけど、行っていたら今帰仁城下の火事で死んでいたかもしれないわね」
「世の主が自害する前、大城ヌルと一緒にいたようですけど、大城ヌルは自害を止める事はできなかったのですか」とサスカサは聞いた。
「止めるどころか、大城ヌルは自害する事を望んでいたのよ。何だかんだ言って、世の主を自害に追い込んだのよ。世の主が中山王に忠誠を誓って按司のままでいられたとしても、色々と調べられたら自分の悪事がばれてしまい、溜め込んだ財産を失う事を恐れたのよ」
「世の主が自害したら、自分は安全だと思ったのですか」
「悲しんだ振りをして、逃がしたマジルーを按司にして、その後見役を勤めるつもりだったのよ。中山王はこの島の事は何も知らないし、中山王のヌルがこの島の神様の声が聞こえるはずはないと思って、何とかごまかせると思っていたのよ。サスカサがサチ(瀬利覚ヌル)と会った事も知らないしね」
「調子に乗りすぎたのよ」とサチが言った。
 初代永良部ヌルは笑って、「この島で、祖母の血を引くサチとサスカサ、志慶真ヌルの三人が出会うなんて不思議ね」と言った。
「神様は『アキシノ様』に言われてこの島に来たのですか」とサスカサが聞いた。
「あたしは祖母から弓矢を教わったけど、あたしが九歳の時に亡くなってしまったわ。あたしは神様のお導きで、この島に来たのよ。叔父が二十五年前に来て永良部按司になっていて、もうヤマトゥ(日本)から追っ手が来る心配もなかったんだけど、あたしは神様に呼ばれたのよ。『あなたがやるべき事があるから待っていなさい』って言われたの。何を待つのかわからなかったけど、狩りをしたり、馬を育てたりしていたら、四年後の冬に『マレビト神』がやって来たのよ」
「えっ、『マレビト神』に会うためにこの島に呼ばれたのですか」
「そうだったよ。あたしも驚いたわ。『マレビト神』は博多から来た『タケル』っていうサムレーで、宋(そう)の国から来た商人のために働いていたの。貝殻を求めて琉球に行く途中で、徳之島の山の上から西(いり)の方を見たら、煙を上げている島が見えたって言うのよ。その島に行こうとしたんだけど、徳之島にはその島に行ったウミンチュがいなくて、この島にいるらしいって聞いて、やって来たのよ。あたしたちはウミンチュを探して、その島に行ったわ。断崖に囲まれた島で、煙を上げていたのよ。物凄い臭いが漂っていて、ウミンチュは恐ろしがって島には上がらずに帰っちゃったけど、あたしたちは砂浜から上陸して岩をよじ登って、崖の上まで行ったのよ。誰も住んでいなくて、あっちこっちから煙が出ていて、凄い所だったわ。思った通り、硫黄(いおう)が採れるってタケルは大喜びしていたわ。あたしは硫黄なんて知らなかったけど、宋の国との取り引きに使えるってタケルは言っていた。海辺にお湯が沸いている所があって、お湯に浸かったら気持ちよかったわ。あたしたちはその島で結ばれたのよ」
「その島は『鳥島(とぅいしま)(硫黄鳥島)』ですね」とサスカサが聞いた。
「そうよ。タケルがあたしの名前を付けてくれたのよ」
「えっ、神様のお名前は『トゥイ』なのですか」
「そうよ。タケルが『トゥイぬ島』って名付けて、『勝手に硫黄を取ってはいけません、永良部ヌル』っていう石碑を建ててくれたのよ。今は『ぬ』が抜けてトゥイ島って呼ばれているけど、あたしの名前なのよ。あたしたちは一旦、この島に戻って来て、力自慢を連れてトゥイ島に行って硫黄を採って、タケルは翌年の夏に帰って行ったわ。その年の冬、タケルは硫黄掘りの職人を連れて来て、本格的に硫黄採掘を始めて、トゥイ島に村ができたのよ。タケルは毎年、冬になるとやって来て、夏に帰って行ったわ。わたしは三人の子供を産んで、長女はトゥイ島に行って『トゥイヌル』になって、あの島の人たちを守ったわ。長男はこの島で牧場をやって、次女が『永良部ヌル』を継いだのよ」
「硫黄が採れる島は薩摩(さつま)(鹿児島県)の近くにもあるのに、タケルさんはどうして、トゥイ島を探したのですか」とナナが聞いた。
「薩摩の近くの『硫黄島』は島津氏が支配していて、タケルは入れないって言っていたわ。博多の商人たちは島津氏から硫黄を買っていたんだけど、タケルが『トゥイ島』を見つけたので、博多の商人たちはとても喜んだって言っていたわ。宋の国が硫黄を欲しがっていて、トゥイ島の硫黄が大量の銭(じに)や絹(いーちゅ)や壺(ちぶ)などと交換されたらしいわ。長女がトゥイヌルになって六年後、浦添按司になった英祖の弟のサンルーが硫黄を求めてトゥイ島にやって来たのよ。トゥイヌルは、永良部島に行って、あたしと相談しろって言ったわ。この島に来たサンルーはトゥイ島の硫黄を譲ってくれって言ったけど、わたしは永良部按司と相談して断ったの。タケルのお船は毎年、やって来て硫黄を運んで行ったし、硫黄のお陰で、この島は豊かになったわ。タケルを裏切れないし、今帰仁按司も『トゥイ島は絶対に守れ』って言っていたのよ。サンルーは諦めて帰って行ったけど、それで終わりにはならなかったわ。二年後、永良部按司が亡くなると、その翌年、サンルーはこの島に攻めて来て、按司を殺して永良部按司になったのよ。その時、驚いた事が起こったわ。わたしの次女の『マレビト神』がサンルーだったのよ。わたしは驚いて、『イラフ姫様』に相談したわ。そしたら、『島を守るために英祖に従いなさい』と言ったのよ。わたしはイラフ姫様に従って、次女とサンルーを祝福して、永良部ヌルを次女に譲ったわ。その年もタケルのお船はやって来て、サンルーは例年通りに取り引きをしたわ。翌年の夏、怒った今帰仁按司が攻めて来たけど、サンルーは追い返したわ。英祖は宋の国から来る商人と取り引きするために永良部島とトゥイ島を奪い取ったけど、七年後には宋の国は滅んでしまったの。タケルのお船も来なくなってしまって、硫黄採掘も終わってしまったわ。宋の国を滅ぼした元(げん)の国(明の前の王朝)は大きな国で、国内で硫黄が採れるので硫黄を必要としなかったのよ。今帰仁按司も英祖の次男の湧川按司に倒されてしまって、永良部島は今帰仁按司支配下になったけど、トゥイ島の硫黄は必要とされなくなって島に住んでいた人たちも引き上げたわ。島を守っていたトゥイヌルは二代で絶えてしまったのよ」
「でも、トゥイ島は復活したのでしょう」とサスカサが聞いた。
「復活したのは百年近く経ってからよ。浦添按司の察度が明国に進貢(しんくん)を始めて硫黄が必要になったのよ。察度はトゥイ島に行って硫黄を採掘したわ。当時は無人島になっていたから勝手に採っていたの。それを知った今帰仁按司の帕尼芝が怒ってトゥイ島に行って、察度が送り込んだ兵たちを追い返したのよ。それで、察度は帕尼芝と同盟を結ぶ事にして、察度の娘のマティルマが永良部按司に嫁いで、帕尼芝の娘のマアミが越来按司に嫁いだのよ。その後のトゥイ島は中山王の支配下になってしまったわ」
「永良部島が今の中山王の支配下になれば、トゥイ島は永良部ヌルに返す事ができると思います」とサスカサは言った。
「そうなってくれれば、トゥイヌルも喜ぶと思うわ。トゥイ島にはトゥイヌルのウタキがあって、あの島で硫黄を掘っている人たちの神様になっているの。トゥイヌルが絶えた後、ヌルはいなかったんだけど、馬天ヌルのお陰でヌルもやって来て、島の人たちを守っているわ」
「えっ、大叔母はトゥイ島に行ったのですか」とサスカサは驚いた。
「あなたのお祖父さんが中山王になった時、ヒューガ(日向大親)のお船に乗って行ったのよ。島の悲惨な状況を見て驚いて、改善させたわ」
「そんなにひどい状況だったのですか」
「中山王にとって硫黄は必要な物だったから、察度は島の人たちのためにできるだけの事をしてやっていたけど、察度が亡くなると、跡を継いだ武寧は島の人たちのために何もやらなかったのよ。あの島は水がないし、作物も育ちにくいから、食べる物にも困るのよ。海産物は採れるけど、それだけでは体が持たないわ。飢え死にした人たちも大勢いたのよ。その時の馬天ヌルはトゥイヌルの声は聞こえなかったけど、七年後に来た時はトゥイヌルの声が聞こえるようになっていて、あの島の事を色々と聞いたみたいね。トゥイヌルのウタキを守るためにヌルを送り込んで、島の人たちを励ましているわ」
 馬天ヌルから鳥島の事を聞いてはいないが、鳥島まで行っていたなんて、大叔母の行動力に今さらながらも驚いた。できれば、行ってみたいとサスカサは思った。
「今もこの島から鳥島に行けるウミンチュはいますか」
「いるわ。カマンタ(エイ)を捕るために鳥島の近くまで行くウミンチュがいるわよ」
「サミガー親方の所のウミンチュですね」
「そうよ。サミガー親方も行った事があるんじゃないかしら」
 サスカサたちはお礼を言って、初代永良部ヌルと別れた。
「ねえ、サスカサ、鳥島に行く気なの?」とシンシン(今帰仁ヌル)が聞いた。
 サスカサはうなづいた。
 シンシンは笑って、「ササ(運玉森ヌル)に似てきたわね」と言って、ナナを見ると、「あたしも行ってみたいと思っていたの」とナナは笑って、「ヒューガさんに連れて行ってもらえばいいのよ」と言った。
「でも、今、どこにいるのかわからないわ」と志慶真ヌルが言った。
 ヒューガは永良部島の様子を調べるために武装船に乗って、島の周りを回っていた。
「サミガー親方の所のウミンチュを連れて、ウムンさんのお船で行けばいいわ」とシンシンが言った。
 それがいいとみんなで賛成して、『ワー姫』のウタキに向かった。
 薄暗い森の中にある古いウタキは霊気が漂い、瀬利覚ヌルが近寄りがたいと言った意味がよく理解できた。初代永良部ヌルよりも一千年以上も昔の神様だという事を改めて認識して、サスカサたちはお祈りを捧げた。
「この島にも『瀬織津姫(せおりつひめ)様』が『スサノオ』と一緒に来たのよ」と神様の声が聞こえた。
「ユン姫様のお孫さんのワー姫様ですね」とサスカサが聞いた。
「そうよ。この島は『ワーヌ島』だったのに、『イラフ姫』に取られてしまったわ」とワー姫は笑った。
「でも、いいのよ。『和の浜(わーぬはま)』として残っているし、叔母の名前も『与和の浜』として残っているわ。叔母がこの島に残っていたら、わたしはこの島に来なかったわね。わたしがこの島に来て十五年くらい経った頃、ヤマトゥとの交易は終わってしまって、静かな島になったのよ。平和だったけど退屈だったわ。それから四百年近く経って、スサノオ琉球に来て貝殻の交易が再開されたわ。そして、この島にイラフ姫が来たのよ。二人の娘を連れて来て、この島で三人目を産んだわ。三人の『マレビト神』に出会うなんて驚いたわ。行動的な娘でね、わたしもあの娘(こ)のあとを追って行って南の島(ふぇーぬしま)に行ったり、ヤマトゥの近くにある永良部島に行ったりして楽しかったのよ。どこに行ってもあの娘は歓迎されて、人気者だったわ。島に名前を残したいってみんなが思うのよ。あの娘のマレビト神がいる島はみんな『イラフ島』になってしまったのよ」
「ワー姫様のマレビト神はどんな人だったのですか」とサスカサが聞いた。
「わたしはたった一人よ。しかも、半年間、一緒にいただけで、その後は会えなかったのよ」
「ヤマトゥから来た人なのですね?」
「そうなのよ。会った時は知らなかったけど、一緒に『垣花(かきぬはな)の都』に行って、『垣花姫様』と一緒にお話を聞いたら、瀬織津姫様の子孫で富士山の裾野にある瀬織津姫様が作った都からやって来た事がわかったの」
「樹海の下にあった都から来たんだわ」とシンシンが言った。
「そうなのよ。『アスマツヒコ』は四代目の『アスマツ姫様』の息子さんだったのよ」
「アスマツ姫?」とナナが言った。
「初代のアスマツ姫は瀬織津姫様よ。瀬織津姫様は『アスマツウフカミ様』として祀られていたわ。後に『浅間大神(あさまぬうふかみ)様』って呼ばれるけど、当時は富士山を『アスムイ』って呼んでいて、都の名前は『アスマ』だったのよ」
「『知念姫(ちにんひめ)様』の子孫と『瀬織津姫様』の子孫が結ばれたのですね」とサスカサが言ったら、
「あなたの両親と一緒ね」とワー姫は笑った。
「神様になってからも会っていないのですか」とナナが聞いた。
瀬織津姫様がスサノオと一緒に、この島にいらした後、わたしもヤマトゥに行けるようになって会いに行ってきたわ。富士山は本当に綺麗な山だったわ。アスマツヒコにも会えて、昔の事を懐かしく話して、その後の事も色々と聞いたわ。アスマツヒコが暮らしていた都は樹海の下に埋まってしまったけど、それは仕方のない事ね。垣花の都も森の中に埋もれてしまったものね。瀬織津姫様が帰って来たお陰で、あなたたちともお話ができるようになってよかったわ。永良部ヌルに復帰したサチも気楽に相談しに来ていいのよ」
「ありがとうございます。これからもこの島をお守り下さい」とサチは両手を合わせた。
 サスカサたちもお礼を言ってワー姫と別れ、森から出て西の方を眺めたが、鳥島はよく見えなかった。

 

 

日宋貿易と「硫黄の道」 (日本史リブレット 75)