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長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部はその後の尚巴志の活躍です。お楽しみください。

2-72.ヤンバルの夏(第二稿)

尚巴志伝 第二部

 歓迎の宴で出たヤマトゥ酒はうまかった。京都の高橋殿の屋敷で飲んだ上等の酒と同じような気がするとンマムイ(兼グスク按司)は思った。酒も料理もうまかったが、緊張していたので、あまり酔う事もなかった。
 なぜ、緊張していたのかわからない。妻の実家には違いないが、山北王(さんほくおう)が何を考えているのかわからないせいかもしれなかった。宴の主役は妻のマハニで、みんなが妻の思い出話を語っては笑っていた。
 次の日、朝早く目覚めたンマムイは客殿を出ると散歩をした。さわやかな朝だった。南部よりも涼しいような気がした。三の曲輪(くるわ)の方から弓矢を射る音が聞こえたので行ってみた。門の所で門番に止められた。諦めて外曲輪(ふかくるわ)の方に行こうとしたら、「兼(かに)グスク殿」と誰かが呼んだ。振り返ると、昨夜の宴に出ていたサムレーがいた。名前は忘れたが、サムレー大将らしい。
「兼グスク殿がいらしたらお通しすようにと王様(うしゅがなしめー)から言われております。どうぞお入りください」
「王様が弓矢の稽古をなさっているのですか」
「毎朝の日課です」
 ンマムイはサムレーに従って三の曲輪に入った。中は思っていたよりもかなり広く、向こう側の石垣に沿って的場があり、山北王が一人で弓矢を射っていた。近くまで行って的を見ると、ほとんどが中央に当たっている。噂通り、武芸の腕はなかなかのようだ。
「やはり、来たか」と山北王は笑った。
「そなたの事をマアサと浦添(うらしい)ヌルに聞いたら、いつもフラフラしていて落ち着きのない男だと言っていたぞ。明国にも行って来たそうだな」
「妻には苦労の掛け通しでした」
「わしも明国に行ってみたかった。だが、親父があまりにも早く亡くなってしまい、行く事ができなくなったんだ。そなたも一汗かくか」
 ンマムイは首を振った。
「弓矢はあまり得意ではありません」
「得意は剣術だったな。よかったら腕前を披露してくれんか。ジルーを相手にな」
 ンマムイはうなづき、ジルーと呼ばれたサムレーから木剣を受け取った。
 お互いに頭を下げ、木剣を構えた。サムレー大将らしく、かなりの腕を持っているが、ンマムイは勝てると思った。しかし、この場で勝っていいものか迷った。何も山北王に自分の実力を見せる必要もなかった。
 ンマムイは適当にあしらい、相手の勢いに押されて負けた事にした。
 山北王はンマムイがわざと負けた事に気づいたのか、ニヤリと笑って、「本部(むとぅぶ)にテーラーという者がいる」と言った。
「サムレー大将なんだが、ちょっと悪さをして、今は謹慎している。わしの幼馴染みだ。マハニもよく知っている。本部に行ったら会ってみろ。そなたといい勝負をするだろう」
 山北王と別れて客殿に戻ると、「朝早くからお兄さんと何をしていたの?」とマハニが聞いた。
 ンマムイは笑って、「弓矢の稽古さ」と言った。
 その日はアタグの案内で、ンマムイたちは城下を見て回った。唐人(とーんちゅ)が住む一画には『天使館』と呼ばれる立派な屋敷があり、その屋敷の前が広場になっていて、鉄でできた檻(おり)の中に、見た事もない大きな獣(けもの)がいた。
「虎(とぅら)じゃよ」とアタグが説明した。
「唐人が持って来たんじゃ。子供の頃から人に育てられたので、それほど凶暴ではないというが、怒らせれば人を喰い殺すという」
 猫を大きくしたような感じだが、口の中には鋭い牙があって、噛まれたら間違いなく死ぬだろう。
「贈られたのはいいが、かなりの大食らいで、王様も困っているようじゃ」
「何を食べるんですか」とンマムイが聞いた。
「肉なら何でも食べる。牛や馬(んま)、猪(やましし)や山羊(ひーじゃー)、フカ(鮫)やザン(ジュゴン)、何でも食べるんじゃが、その量が半端ではないそうじゃ」
 鳴き声も不気味で、子供たちは侍女たちの後ろに隠れながら目を丸くして虎を見ていた。
 グスクの裏側にも志慶真(しじま)村と呼ばれる城下があった。今帰仁(なきじん)合戦の時はこちらの城下も焼け落ちてしまったとマハニは言った。
 マハニは志慶真村の長老に歓迎された。長老は八十歳を過ぎた高齢だが、十歳以上は若く見え、元気だった。マハニの父が生きていた時、父は長老に様々な事を相談していたという。マハニは長老との再会を喜んでいた。
 長老と話し込んでいると女が現れて、縁側からマハニに声を掛けた。
「マカーミ」と叫んで、マハニは女の所に飛んで行った。
 マハニはマカーミとの再会を涙を流しながら喜び、「あたしと仲良しだったのよ」とンマムイに紹介した。
 マカーミは長老の孫で、同い年の従姉妹(いとこ)だった。十三歳の時、本部から今帰仁に移ったマハニは、長老が連れて来たマカーミと仲よくなった。浦添に嫁ぐ日まで、マカーミと一緒に過ごした日々は、マハニにとって宝物のように大切なものだった。
 マハニが嫁いだ翌年、マカーミは山北王の重臣の息子に嫁ぎ、四人の子供に恵まれ、今はグスクの表側の城下で暮らしている。長老からの知らせがあって、すぐに飛んで来たのだった。
 その夜は長老に引き留められ、志慶真村で歓迎の宴が開かれた。ンマムイは長老から今帰仁の歴史を興味深く聴いていた。
 次の日は運天泊(うんてぃんどぅまい)に行った。運天泊にはマハニの兄の湧川大主(わくがーうふぬし)と叔母の勢理客(じっちゃく)ヌルがいた。そろそろ明国から密貿易船が来るので、準備をしているという。子供たちを連れての旅なので、景色を眺めながらのんびりと歩いていた。二歳のマミンはアタグが背負った籠(かご)の中でキャッキャッと喜んでいた。
 運天泊は正面にある郡島(こおりじま)(屋我地島)との間に挟まれた大きな川のような所にあった。港には小さな舟はいくつもあるが、大きな船は泊まっていなかった。
 湧川大主の屋敷は港の近くにあり、大きくて立派な屋敷だった。その隣りに勢理客ヌルの屋敷があった。湧川大主は留守だったので、隣りに行って、勢理客ヌルと会った。
「マハニなのね。よく帰って来たわねえ」
 勢理客ヌルはマハニを抱き寄せて、再会を喜んでいた。やがて、湧川大主も現れて、マハニとの再会を喜んだ。
 湧川大主は山北王と一つ違いの弟で、その下がマハニで、一番上に姉の今帰仁ヌルがいた。
「元気そうなので安心したぞ。子供たちも連れて来たのか。大変だっただろう」
 ンマムイたちは湧川大主の屋敷に上がった。広い屋敷の中には侍女が何人もいて、奥方様も女の子を連れて現れた。
「側室のハビーだ」と湧川大主は言った。
「あら、奥さんじゃないの?」とマハニが聞いた。
「俺の妻のミキは今帰仁にいる。羽地(はにじ)按司の娘なんだよ。子供は二人いるんだが病弱でな。ここでの事はハビーに任せているんだ。中山王から兄貴に贈られた側室なんだが、俺が横取りしたのさ。よく気が利く女で、俺も助かっている」
「ハーン兄さんから横取りしたの?」とマハニは驚いた。
「今の中山王が中山王になった時、兄貴はお祝いに側室を贈ったんだ。そのお返しとしてやって来たのがハビーだ。俺が一目惚れをして、兄貴にくれって言ったら、わりとすんなりと俺にくれた。兄貴の好みじゃなかったようだ」
「そうなの。でも、ハーン兄さんはどうして、敵に側室を贈ったりしたの?」
「側室というのは王様の近くにいる。色々な情報が手に入るだろう」
「それはそうだけど、その情報を誰が今帰仁まで持って行くの?」
首里(すい)グスクにも『油屋』が出入りしているんだ。油屋がその情報を持って来るんだよ」
「へえ。ハーン兄さんも凄い事を考えるのね」とマハニは感心した。
 湧川大主は笑った。
「側室を送り込んで情報を得るのは兄貴が考えたわけじゃない。古くから行なわれている事だよ。油屋が探った所によると、中山王の側室には山北王が贈った側室だけでなく、山南王(さんなんおう)が贈った側室、米須按司(くみしあじ)が贈った側室、ヤマトゥの商人たちが贈った側室がいるそうだ。商人たちの側室はただの御機嫌取りだろうが、山南王、米須按司は何らかの情報を得るために送り込んだんだよ。中山王から贈られて来たので、兄貴は警戒して、おれにくれたのだろうが、ハビーは頭がいいので本当に助かっているよ」
「もし、ハビーが今帰仁グスクに入ったとして、中山王はどうやって、その情報を得るの?」
「旅人に扮して今帰仁に来るのか、それとも密かに誰かを城下に住まわせているのかはわからんが、中山王も今帰仁を探るために何らかの対策をしているはずだ」
「それじゃあ、ここにも中山王の配下の者が隠れているの?」
「それはわからん。荷揚げ人足(にんそく)たちの中には流れ者も多いからな。人足として住み着いているのかもしれん」
 湧川大主はンマムイを見ると、
「油屋から聞いたが、阿波根(あーぐん)グスクに武芸者たちを集めているそうだな。そして、明国の拳術も身に付けていると聞いたが、本当なのか」と聞いた。
 ンマムイがうなづくと、
「お手合わせ願いたい」と言って、湧川大主はさっさと庭に降りて行った。
 湧川大主の構えを見て、少林拳(シャオリンけん)だとすぐにわかった。湧川大主も明国に行って少林拳を身に付けたのだろうか。ンマムイも少林拳で相手をする事にした。思っていた以上に湧川大主は強かった。勝つ事もできたが、あえて引き分けという形で試合を終えた。
「噂以上だな」と湧川大主は笑った。
「驚きました。湧川殿が少林拳をやるとは思ってもいませんでした」
「明国の海賊に教わったんだよ。まもなく、来るだろう。紹介するよ」
 屋敷に上がると酒盛りが始まり、ヤタルー師匠も加わって武芸の話で盛り上がった。
 翌日の正午過ぎ、海賊たちは三隻の船でやって来た。海賊の首領はリンジェンフォン(林剣峰)といい、福州を本拠地にしているという。今回、三隻の船を率いて来たのはリンジェンフォンの倅のリンジョンチェン(林正賢)だった。リンジョンチェンは何度も琉球に来ているとみえて、琉球の言葉がしゃべれた。年齢は三十前後で、ンマムイと同年配に見えた。
 『福州館』という海賊たちの宿泊施設で歓迎の宴が開かれ、ンマムイも招待された。三隻の船に乗って来た海賊たちは百人近くもいた。皆、一癖ありそうな顔付きで、海賊たちの接待を務めるのも大変な事だとンマムイは思った。
 大広間に集まった海賊たちは嬉しそうな顔をして料理を食べ、酒を飲んでいる。明国の言葉が飛び交い、まるで明国にいるようだった。今帰仁から呼んだのか、遊女(じゅり)らしい女たちも大勢参加していて、酒を注ぎ回っていた。
 ンマムイはヤタルー師匠、アタグ、湧川大主、リンジョンチェン、リンジョンチェンの補佐役のソンウェイ(松尾)と一緒に酒を飲んでいた。
鄭和(ジェンフォ)のお陰で、ヤマトゥの商品は高く売れます」とリンジョンチェンは言った。
鄭和の大船団が持ち帰った異国の商品が応天府(おうてんふ)(南京)には溢れています。鄭和の船に乗り込んだ商人たちは、明国の商品は勿論の事、ヤマトゥの商品も持って行きます。南蛮(東南アジア)や天竺(ティェンジュ)(インド)や大食(タージー)(アラビア)の国々でも、ヤマトゥの刀は大変喜ばれるそうで、今、ヤマトゥの刀の相場が上がっています。今回はなるべく多く、ヤマトゥの刀を持って帰りたいと思っています。よろしくお願いします」
「刀なら充分にあります。ご心配なさらずに」
 湧川大主はそう言って笑うと、「ヤタルー殿」と言ってヤタルー師匠を見た。
「ソンウェイ殿はヤマトゥンチュです。ヤマトゥ言葉が通じますよ」
 ヤタルーとソンウェイは驚いた顔をして顔を見合わせた。
「そなたは日本人ですか」とソンウェイはヤマトゥ言葉でヤタルーに聞いた。
阿蘇弥太郎と申します。名前の通り、九州の阿蘇の生まれです」
「そうでしたか。わしは五島の生まれです。松尾新三郎と申します」
「五島といえば、松浦党(まつらとう)ですかな」
 ソンウェイは笑ってうなづいた。
「五島の松浦党も毎年、今帰仁に来ているようですが、時期が合わないので会う事ができません。懐かしい顔もいると思うのですが残念です」
 ヤタルー師匠とソンウェイは改めて乾杯して、ヤマトゥ言葉で語り始めた。そこにアタグも加わった。湧川大主がリンジョンチェンと仕事の事を話し始めたので、ンマムイもヤマトゥ言葉で、ソンウェイに明国の事などを聞き、ンマムイが明国に行った事があると言うと話も弾んできた。その夜は遅くまで酒を飲みながら語り合っていた。
 翌日、勢理客ヌルはリンジョンチェンと数人の海賊を連れて、今帰仁に帰って行った。湧川大主とソンウェイは船から大量の荷物を降ろしていた。ンマムイたちは運天泊を離れて、羽地に向かった。
 羽地グスクで羽地按司と会い、城下にある湧川大主の側室、メイの屋敷にお世話になった。湧川大主は四人の側室を持っていて、運天泊、羽地、名護(なぐ)、国頭(くんじゃん)の各城下に置いているという。
 羽地按司は湧川大主の義父だが、マハニから見れば大叔父の息子で、特に近い親戚でもなく、今帰仁にいた頃、何度か挨拶をした程度の間柄だった。羽地グスクに行っても形だけの挨拶をして、あとは城下を散策した。
 羽地はマハニの祖父の故郷だった。祖父がいた頃はもっと栄えていたのだろうが、今はすっかり寂れていた。
 羽地の次には名護に行った。名護(なん)グスクは山の中にあり、城下も山の中にあった。名護按司の奥方はマハニの叔母で、よく来てくれたと歓迎してくれた。名護の城下も羽地と同じように寂れていた。
「山北王が進貢船(しんくんしん)を送っていた頃、わしらも従者として明国に行き、向こうで交易をして来た。それなりの稼ぎがあったんじゃが、海賊船が毎年来るようになると進貢船を出すのをやめてしまった。儲かるのは今帰仁だけで、名護も羽地も寂れてしまったんじゃよ。羽地には米があるからまだいい。国頭には材木がある。名護にはピトゥ(イルカ)があるだけじゃ」
 そう言って名護按司は力なく笑った。
「兄は何もしてくれないのですか」とマハニは叔父に聞いた。
「ヤマトゥと交易すればいいと言うが、わしらには売る物がないんじゃよ」
 情けない顔をして名護按司は首を振った。
 そんな名護按司を見ながら、ヤンバルは一枚岩ではないとンマムイは思っていた。ヤンバルに来る前、ヤンバルの按司たちは皆、親戚で結束は固いと聞いていたが、実際は山北王の今帰仁だけが栄えていて、他の按司たちは蚊帳(かや)の外に置かれているようだった。
 名護から綺麗な砂浜を通りながら本部へと向かった。子供たちは海の中に入って楽しそうに遊んでいた。
 三月から五月に掛けて、ピトゥが群れをなして名護にやって来るという。ウミンチュ(漁師)たちが小舟(さぶに)に乗って、ピトゥを砂浜の方に追い込んで、砂浜に乗り上げて動けなくなったピトゥを捕まえ、みんなで分けて食べるらしい。その時、浜辺はピトゥの血で真っ赤に染まるという。ピトゥの肉は塩漬けにして保存されるが、ヤマトゥとの交易には使えないと名護按司は言っていた。
 本部にはマハニの叔父の本部大主(むとぅぶうふぬし)がいた。父の一番下の弟で、本部大主だった父が山北王になった時、本部大主を継いでいた。再会を楽しみにしていたのに、奄美大島(あまみうふしま)を攻めるために出掛けていて留守だった。本部大主が戦に出掛けたと聞いてマハニは驚いた。本部大主は武芸よりも書物を読むのが好きなおとなしい人で、戦に行くような人ではなかった。マハニが嫁いでから人が変わったのだろうか。
 奥さんから話を聞いたら、「あの人も覚悟を決めたのです」と暗い顔付きで言った。
「山北王は厳しい人で、何もしない者はたとえ身内であっても許さないのです。あの人はただ山北王の叔父というだけで、今まで何もやってはいません。ここで腰を上げないと見捨てられると思ったようです。手柄を立てて来ると言って、勇んで出掛けましたが心配でなりません」
「叔父さんは無茶な事はしないから、無事に帰って来ますよ」としかマハニには言えなかった。
 マハニが生まれて、十三歳まで育った屋敷はまだ残っているのかしらと思いながら、懐かしい村を歩いていると、
「おーい、マハニじゃないのか」と誰かが言った。
 マハニが声のした方を見ると、砂浜に上げた小舟のそばで、真っ黒に日焼けしたウミンチュが手を振っていた。誰だろうと思いながら、マハニはウミンチュに近付き、「もしかして、テーラーなの?」と聞いた。
「おう、俺だ。お前が帰って来たという噂は聞いたぞ。会いに行きたかったんだが、今の俺は今帰仁には行けんのだ。お前が来てくれるのを待っていたんだ。幸いに大漁だ。御馳走するぞ」
「ねえ、どうして、テーラーがウミンチュなのよ」とマハニは言った。
「色々とわけがあるんだよ」とテーラーは苦笑した。
 テーラーというのは山北王から聞いていた。話し振りからマハニとはかなり親しいようだ。俺といい勝負をするだろうと言っていたが、確かに武芸の腕はある。しかし、どうしてサムレー大将がウミンチュになっているのか、ンマムイにはわけがわからなかった。
「幼馴染みのテーラーよ」とマハニがンマムイに紹介した。
「兼グスク殿ですな。噂は色々と聞いております」とテーラーは笑った。
 何となく憎めない笑いで、山北王や湧川大主とは違って、気が許せる相手のような気がした。
「兄を守っているサムレー大将だったのに、何よ、この様(ざま)は」とマハニが言った。
「ちょっとな」とテーラーは頭を掻いた。
 テーラーはマハニが以前暮らしていた屋敷に住んでいた。奥さんと息子が一人いたが、奥さんは随分と若かった。
「後妻なんだよ」とテーラーは言った。
今帰仁合戦で王様が亡くならなかったら、俺はお前と一緒になるつもりだったんだ」
「えっ!」とマハニは驚いたが、マハニもそうなるだろうと思っていた。
 今帰仁合戦で祖父と伯父が戦死して、何もかもが変わってしまった。今帰仁とは縁のなかった父が山北王となり、中山王と同盟するために、マハニは浦添に嫁ぐ事になった。祖父と伯父が亡くならなかったら、テーラーと一緒になって、本部で平和に暮らしていたかもしれなかった。
「お前がお嫁に行った翌年、謝名大主(じゃなうふぬし)の娘のシマを妻にもらったんだよ」
「えっ、シマちゃんが奥さんになったの。よかったわね。シマちゃん、テーラーの事、好きだったのよ」
「俺も幸せだった。でも、シマは出産に失敗して亡くなっちまったんだ。俺が明から帰って来たら亡くなっていたんだよ」
「シマちゃん、亡くなったんだ‥‥‥テーラーは明国に行ったの?」
「何度も行ったよ。使者の護衛として毎年のように行っていた。シマに寂しい思いをさせてしまった‥‥‥」
「そうだったんだ‥‥‥」
「シマが亡くなってから俺は後妻はもらわなかった。半年は留守にしている俺に後妻なんて必要ないと思っていたんだ。でも、ハーン(山北王)が進貢船を送るのをやめてしまい、俺も明国に行く事もなくなった。それで親に勧められて後妻をもらったんだよ」
「そう。よかったじゃない。跡継ぎもできたし」
「そうなんだけど、ウミンチュの跡継ぎじゃなあ」
「お兄さんと喧嘩をしたの?」
「まあ、そうなんだが」とテーラーは口ごもった。
「浮気をしたんですよ」と料理を持って来た奥さんが言った。
「よりによって、王様の側室様に手を出して、王様の怒りを買ったんです」
「まったく、何をやっているのよ」とマハニはテーラーを横目で睨んだ。
「手なんか出していないんだ。ただ、話をしていただけなんだよ。その側室はハーンが山北王になった時、奥間(うくま)から贈られた側室なんだ。俺は一目見て惚れちまったんだ」
「兄に贈られた側室に惚れたの?」
「何となく、お前に似ていたのかもしれない」
「何を言っているのよ」
「でも、俺はウクの事はきっぱりと諦めて、シマを嫁にもらった。その後、ウクの事はすっかり忘れていたんだ。去年の暮れ、奄美大島攻めから帰って来たあと、二の曲輪の屋敷で慰労の宴が開かれたんだ。ハーンはジルータ(湧川大主)にやたらと文句を言っていた。現場にいなかったハーンは何もわかっちゃいない。もし、ハーンが行ったとしても、奄美大島を平定する事はできなかっただろう。俺は腹が立って宴席から抜け出した。庭で星を見上げていたら、ウタキの方に人影が見えた。曲者(くせもの)かと思って行ってみるとウクだった。ウクはウタキでお祈りをしていた。声を掛けるとウクは驚いて振り返った。慌てて帰ろうとしたので、俺はお祈りを続けるように言ったんだ。久し振りに会ったウクは相変わらず綺麗だったけど、何となく寂しそうだった。お祈りが終わったあと、何を祈っていたんだと聞いたら、ウクは笑って、「気晴らしです」と言った。一日中、御内原(うーちばる)に籠もっていると疲れるので、内緒で抜け出して、ウタキでお祈りをしていると気持ちが落ち着くと言っていた。その後、何度か、俺とウクはそのウタキの所で会って、他愛ない話をしていたんだ。それが先月、いや、その前か、御内原の侍女に見つかって、ハーンに告げ口されて、俺は謹慎という事になっちまった。本当なら、今頃、本部大主と一緒に奄美に行っていたんだ」
「ウクとは何もなかったの?」
「何もないさ。いつも、ちょっと話をしただけだ」
「それなら、そのうち許してくれるわよ」
「もうどうでもよくなったよ。ハーンは進貢船を出さなくなったし、今帰仁に戻っても俺の仕事はない」
「来年またどこかの島を攻めるんじゃないの?」
「そうだな。今年、奄美大島を平定したら、来年は鬼界島(ききゃじま)(喜界島)を攻めるだろう。それまでは、ここでのんびり暮らすさ」
 次の日はテーラーの小舟に乗って近くの島に行って遊んだ。子供たちはテーラーから泳ぎを教わり、海に潜っては綺麗な魚がいっぱいいると言って大喜びしていた。

 

 

 

沖縄やんばるフィールド図鑑