長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部はその後の尚巴志の活躍です。お楽しみください。

2-144.無残、島尻大里(第二稿)

 三月十日の早朝、他魯毎(たるむい)の兵と山北王(さんほくおう)の兵によって島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスクの総攻撃が行なわれた。
 本部(むとぅぶ)のテーラー率いる兵二百人が大御門(うふうじょー)(正門)の前に陣を敷いて、他魯毎が率いる兵二百人が東曲輪(あがりくるわ)の御門(うじょう)の前に陣を敷き、諸喜田大主(しくーじゃうふぬし)が率いる兵二百人が西曲輪(いりくるわ)の御門の前に陣を敷いた。裏御門のある北側は他魯毎の重臣たちの兵三百人が、敵が逃げ出して来ないように見張っていた。
 グスク内に避難民たちがいないので、炊き出しの様子は見られないが、石垣の上を守っている兵たちは疲れ切っているようだった。すでに兵糧(ひょうろう)は尽きたものと判断した他魯毎とテーラーは総攻撃に踏み切った。
 テーラーは新兵器を用意していた。頑丈な荷車に太い丸太を乗せて固定して、敵の弓矢を防ぐために鉄板を張った屋根を付け、その荷車の中に八人の兵が入って荷車を動かすのだった。新兵器は二台あって、大御門と西曲輪の御門の前に置かれた。
 それを見た他魯毎の兵たちは驚いた。あれで御門に突っ込めば御門は壊れるに違いないと誰もが思った。他魯毎は山北王があんな新兵器を隠し持っていた事に驚いたが、山北王に負けてなるものかと身を引き締めて、兵たちに活を入れた。
 法螺貝(ほらがい)の響きと同時に総攻撃が始まった。新兵器の丸太車が御門を目掛けて突っ込んで行った。御門の上の櫓(やぐら)から弓矢が雨のように飛んで来たが、鉄の屋根に当たってはじかれた。一度目の突撃では御門は壊れなかった。丸太車を援護するため、楯(たて)を持って兵が進み出て、櫓と石垣の上の兵を弓矢で狙った。丸太車に気を取られている敵兵は次々に倒れていった。
 二度目の突撃でも御門は壊れなかったが、三度目の突撃で西曲輪の御門が壊れて、丸太車はそのままグスク内に入って行った。諸喜田大主率いる兵が喊声(かんせい)を上げながら西曲輪に突入して行った。
 大御門も四度目の突撃で壊れた。テーラー率いる兵がグスク内になだれ込んで行った。
 他魯毎の兵たちはグスク内に攻め込む山北王の兵たちを横目で見ながら、敵の弓矢を楯で防ぎながら攻撃を続けていた。突然、敵の攻撃がやんだ。御門の上の櫓の上の敵も石垣の上の敵も姿を消した。
「突撃!」と他魯毎は叫んだ。
 梯子(はしご)を持った兵が飛び出して石垣に取り付いた。敵の攻撃はなかった。兵たちが梯子を上っていた時、御門が開いた。武器を捨てた敵兵が両手を上げて出て来た。
 他魯毎は出て来た敵兵を捕虜として確保するようにサムレー大将の我那覇大親(がなふぁうふや)に命じて、兵たちと一緒にグスク内に突入した。
 東曲輪内にいた兵たちはサムレー大将の新垣之子(あらかきぬしぃ)が率いていた兵たちで、皆、武器を捨てて投降した。成り行きから他魯毎に敵対する事になってしまったが、皆、他魯毎の父親に従っていた兵たちだった。すでに負け戦と決まった今、他魯毎に敵対する理由もなかった。新垣之子は新垣按司の甥だった。
 他魯毎は投降した者たちを一か所に集めた。百人近くの兵がいた。
 東曲輪には御内原(うーちばる)があり、侍女や城女(ぐすくんちゅ)たちの屋敷があった。他魯毎は女たちを保護した。御内原にいたのは摩文仁(まぶい)の妻と山グスク大主(うふぬし)の妻と中座大主の妻、摩文仁の娘の島尻大里ヌルと慶留(ぎる)ヌルだった。
「ここをどこと心得る。不届き者め、出て行け!」と摩文仁の妻はわめいた。
「ここはわたしの母の住まいだった。勝手に上がり込んで好き勝手な事をしておるのはどっちだ」
 摩文仁の妻たちは母が大事にしていた着物や髪飾りを身に付けていた。他魯毎は怒りが込み上げてくるのを必死に抑えて、「この者たちを捕まえろ」と兵たちに命じた。
 島尻大里ヌルと慶留ヌルは二の曲輪内にあるヌルの屋敷にいた。朝早くから法螺貝が鳴り響いて、御門に何かが当たる物凄い音がして、危険が迫ってきたのを察して御内原に逃げて来ていた。他魯毎は二人も捕まえた。
 東曲輪では戦う事なく制圧できたが、石垣を隔てた隣りの一の曲輪では地獄絵さながらの悲惨な状況に陥っていた。
 一の曲輪を守っていたのはサムレー大将の高良之子(たからぬしぃ)率いる百人の兵と、武術師範の真壁大主(まかびうふぬし)率いる五十人の兵だった。真壁大主が率いている兵は島尻御殿(しまじりうどぅん)や北の御殿(にしぬうどぅん)などの屋敷を警備していた。
 大御門から二の曲輪に突入したテーラー率いる山北王の兵は二の曲輪内の敵兵を倒して、一の曲輪の御門を破壊して一の曲輪に突入した。山北王の兵たちは刃向かって来る敵は勿論の事、逃げ回る敵も容赦なく殺し回った。グスクを守っていた高良之子率いる兵たちを倒した山北王の兵たちは、摩文仁がいる島尻御殿に突撃した。そこに立ちはだかったのは真壁大主だった。
 真壁大主の素早い太刀さばきによって、山北王の兵は次々に倒された。テーラーもかなわぬとみて、三人の兵に弓矢で狙わせた。同時に三か所から飛んで来る矢を真壁大主は見事に刀で払った。そして、懐(ふところ)から出した石つぶてを打って、弓を持った三人の兵を倒した。
 テーラーは十人の兵に弓矢で狙わせた。真壁大主は素早く石つぶてを投げて四人の兵を倒し、三本の矢を払ったが三本の矢は防げなかった。次々に撃たれる弓矢が真壁大主の体に刺さった。頭にも顔にも刺さり、弓矢だらけとなった真壁大主は立ったまま息絶えた。
 真壁大主がやられると、敵兵は戦意をなくして武器を捨てたが、山北王の兵は投降を許さず、斬り捨てた。
 島尻御殿の二階に武装した摩文仁と山グスク大主と中座大主がいた。三人の老将はよく戦ったが、次から次へと掛かってくる敵兵には勝てず、皆、討ち死にした。摩文仁を討ったのはテーラーの弟の辺名地之子(ひなじぬしぃ)だった。
 摩文仁は腰に察度(さとぅ)の御神刀(ぐしんとう)を差していたが、それは使わずに敵から奪い取った刀を持って死んでいた。不思議な事に摩文仁が御神刀を抜こうとした時、抜く事ができなかったのだった。
 テーラーたちが島尻御殿の中で、摩文仁たちを倒していた時、諸喜田大主が率いる兵は西曲輪にいた敵を倒して、客殿の中に侵入していた。客殿の中には『若夏楼(わかなちるー)』の遊女(じゅり)たちが避難していた。遊女たちは悲鳴を上げて大騒ぎした。諸喜田大主は、女子(いなぐ)には手を出すなと命じて、客殿から出て、一の曲輪に攻め込んだ。御庭(うなー)に入って、テーラーが島尻御殿を攻めているのを見た諸喜田大主は北の御殿に突入した。
 北の御殿には新年の行事に参加していた役人たちがいた。グスクに閉じ込められてしまったため、ここで寝泊まりしながら仕事をしていた。役人たちは武装もしてなく、抵抗もしなかったが、すべての者が無残に斬られた。
 一の曲輪の南の御殿(ふぇーぬうどぅん)の大広間には正月半ばの合戦で負傷した兵たちがいたが、諸喜田大主も負傷兵を殺す事はなかった。
 東曲輪から他魯毎が兵を率いて一の曲輪に入った時、すでに戦は終わっていた。他魯毎は島尻御殿の裏側にある書斎の横から一の曲輪に入って行った。あちこちに敵兵の死体が悲惨な姿で転がっていた。島尻御殿の北側を通って御庭に出ると、島尻御殿の前に弓矢だらけの真壁大主が倒れていた。
「お師匠!」と叫んで数人の兵が真壁大主に近寄って、壮絶な死に様に涙した。
 島尻御殿の中は死体だらけだった。他魯毎は呆然として死体を眺めた。敵には違いないが、皆、父に使えていた兵たちだった。
 テーラーが二階から降りて来た。
「偽者は倒したぞ」とテーラーは言った。
 他魯毎はうなづいて、二階に上がった。
 二階には玉座(ぎょくざ)があって、山南王が重臣たちに重要な命令を伝える時に使われた。その玉座の近くに摩文仁は倒れていた。首から斜めに斬られていて、辺りは血だらけだった。摩文仁の周りに十人近くの死体が転がっていた。皆、とどめを刺されたとみえて、うめいている者はいなかった。山グスク大主と中座大主の死体もあった。二人とも何か所も斬られて死んでいた。
 他魯毎はふと摩文仁が腰に差している刀に気づいた。父が大事にしていた祖父の刀だった。どうして、摩文仁が差しているのかわからなかったが、他魯毎摩文仁の腰から刀をはずして、鞘(さや)から抜いてみた。刃は綺麗だった。摩文仁を見ると別の刀を持っていた。どうして、この刀を使わなかったのかわからないが、刃が汚れていなくてよかったと安心した。他魯毎は山南王の執務室に行き、刀掛けにある刀をはずして、祖父の刀を元に位置に戻した。執務室には死体はなく、荒らされてもいなかった。
 他魯毎が御庭に戻ると、山南王の兵たちが整列していて勝ち鬨(どき)を上げていた。テーラーが近づいて来て、書庫の床下に三人の死体があったと伝えた。
米蔵に火を掛けた三人ではないのか」とテーラーは言った。
 他魯毎はテーラーと一緒に見に行った。書庫の脇に三人の死体はあった。一人の顔に見覚えがあった。李仲按司(りーぢょんあじ)の配下のサムレーだった。やせ細っていて餓死(がし)したようだった。他魯毎は三人に両手を合わせて冥福(めいふく)を祈った。
 テーラーが御庭に戻ったあと、サムレー大将の東江之子(あがりーぬしぃ)が来て、「北の御殿が大変です」と他魯毎に告げた。
「そう言えば、波平大親(はんじゃうふや)の姿がなかったな」と他魯毎は言った。
「北の御殿にいるかもしれません。ただ、役人たちは皆、殺されています」
「何だと!」
「武器を持っていない役人たちを山北王の奴らは殺したのです」
「何という事だ‥‥‥」
 他魯毎は島尻御殿の裏を通って、北の御殿に行った。見るに堪えないひどい有り様だった。戦とは関係なく働いていた者たちなのに、皆殺しにされていた。重臣たちの執務室を覗くと、ここまで逃げて来て殺されたのか、五人の死体が転がっていた。
「波平大親を探せ!」と他魯毎は東江之子に命じた。
 東江之子が転がっている死体を調べて執務室から出て行こうとしていた時、波平大親が現れた。
「おお、無事だったか」と他魯毎は波平大親に駆け寄った。
 波平大親は力なく笑って、「テハが使っていた隠し部屋に隠れていて助かりました」と言った。
「そうか。無事で本当によかった」
「しかし、ここで働いていた者たちを助けられなかった。山北王はひどい事をする。他魯毎殿が山南王になっても、勢力が弱まるように役人たちを皆殺しにしろと命じたようです」
「何だって?」
「ここに攻め込んだのは今帰仁(なきじん)から来たサムレー大将で、テーラーと言い争いをしていました。テーラーが兵以外の者は殺すなと言ったら、そのサムレー大将は山北王から命じられたと言ったのです」
「ひどい奴だ」と他魯毎は死体を見ながら首を振った。
 他魯毎は顔を上げて、波平大親を見ると、
「長い間、御苦労様でした」とねぎらった。
「蔵を守るのがわたしの仕事ですから」と波平大親は苦笑した。
 波平按司はシタルーが大(うふ)グスク按司になった時からシタルーに仕えて、シタルーが山南王になった時に財政を管理する重臣になった。山南王の財政を管理していたので、タブチや摩文仁に従ったというよりも、山南王の財産を守るために島尻大里グスクから離れる事はできなかった。山南王妃もその事を理解していて、他魯毎に波平按司は必ず、助け出せと命じていた。

 


 島尻大里グスクが落城した翌日、山グスクにいたサハチは八重瀬(えーじ)グスクの本陣に呼ばれた。サハチはウニタキと苗代大親(なーしるうふや)と一緒に八重瀬に向かった。
 サハチたちは奥間大親(うくまうふや)から島尻大里グスクが落城して、摩文仁が戦死した事を聞いた。
「テーラーが内緒で作っていた新兵器が活躍したようじゃ」と思紹(ししょう)が言った。
「その兵器は話に聞いた事があります。かなり昔に使われた兵器です」とファイチが言った。
「山北王の軍師にリュウインという唐人(とーんちゅ)がいる。そいつが考えたのかもしれんな」とウニタキがファイチを見た。
「その新兵器、今帰仁グスク攻めに使えるかもしれん。よく調べておいてくれ」と思紹がウニタキに言った。
「わかりました」とウニタキはうなづいた。
 奥間大親がグスク内にいた遊女から聞いた話だと、グスク内にいた男たちは皆殺しにされ、隠れていた波平大親だけが助かったという。重臣のくせに役人たちを見殺しにして隠れていたなんて情けない。生き延びても、他魯毎に殺されるだろうと言っていたという。
「先に投降した新垣大親(あらかきうふや)と真栄里大親(めーざとぅうふや)は波平大親に誘われて仕方なく、摩文仁に従ったと言っていますから、波平大親も処罰されるでしょう」
他魯毎が山南王になっても、人材不足になりそうじゃのう」と思紹が心配した。
「山北王が重臣を送り込むかもしれません」とファイチが言った。
「なに、山北王が重臣を島尻大里グスクに入れるというのか」とサハチが驚いた。
「島尻大里グスクが落とせたのは山北王の新兵器のお陰ですから、そのくらいの事はやるでしょう。改めて同盟を結ぶと言って、他魯毎の長男に嫁を送って来るかもしれません」
他魯毎の長男のシタルーと俺の娘のマカトゥダルの婚約はすでに決まっているぞ」とサハチが言った。
「強引な事を言ってくるかもしれません」
「シタルーの娘で、山北王の長男と婚約した娘がいなかったか」と思紹が聞いた。
「奥間の側室が産んだ娘で、今帰仁グスク内に新しい屋敷を建てて、母親と一緒に暮らしています。まだ十三歳ですから婚礼は三、四年後になるでしょう」とウニタキが答えた。
「山北王の世子(せいし)は他魯毎の義弟となるわけじゃな。まあ、どっちにしろ、山北王の命はあと二年余りじゃ。好きな事を言わせておけ」
「そうだった」とサハチが笑った。
「強引な事を言ってきたとしても、山北王がいなくなれば、すべてが解決する」
 絵地図を眺めていた苗代大親が、「あとは波平グスク、真壁グスク、伊敷(いしき)グスク、山グスク、大(うふ)グスク、与座(ゆざ)グスクじゃな」と言った。
「島尻大里グスクが落ちて、摩文仁は戦死した。他のグスクも降伏するじゃろう。抵抗する理由はないからのう」
「石屋のテサンは戦死したのですか」とウニタキが奥間大親に聞いた。
「テサンは北の御殿にいたようですから戦死したはずです」
 ウニタキはうなづいて、「當銘蔵(てぃみぐら)グスクに行ってくる」とサハチに言った。
「頼むぞ。みんなを首里(すい)に連れて行ってくれ」
 ウニタキが出て行くのと入れ替わるように、浦添(うらしい)の若按司が波平大親を連れて来た。
 サハチたちは驚いた。捕まっているはずの波平大親が、どうしてここに来られたのかわけがわからなかった。
 波平大親の顔を見て、サハチは思い出した。十年近く前に、島尻大里グスクの婚礼に行った時、何かと世話を焼いてくれた男だった。あの時、かなり、シタルーに信頼されている重臣だと思ったが、波平大親だったとは知らなかった。
 波平大親は頭を下げて名乗ったあと、
「わたしが島尻大里グスクに残ったのは、八重瀬殿(タブチ)のためでも、摩文仁殿のためでもありません。王妃様(うふぃー)のためだったのです。わたしは必ず戻って来るから、それまで蔵を守っていてくれと言われました。わたしは王妃様に言われた通り、蔵を守り通しました」と言った。
「もしかして、王妃様を逃がしたのは、そなただったのか」と思紹が聞いた。
 波平大親はうなづいた。
「重臣たちが八重瀬殿を山南王にしようとしている事を知って、王妃様に知らせ、サムレー大将を務めている弟にも知らせて逃がしました。わたしが王妃様に会ったあと、照屋大親(てぃらうふや)殿も会いに行ったようです。王妃様が島尻大里グスクから出て行った時、照屋大親殿が裏切り者がいると言いました。重臣たちはわたしを疑っているようでしたが、兼(かに)グスク大親殿と賀数大親(かかじうふや)殿が出て行ったあと、波平グスクにいる妻や子を守るために残ると言ったら納得してくれました。照屋大親殿が裏切った事で、すべてが照屋大親殿の仕業に違いないと思ったようです」
「最初から残るつもりだったのですか」とサハチは聞いた。
「弟に頼んで王妃様を逃がしたあと、隙を見て、わたしも逃げるつもりでした。でも、王妃様から蔵を守れと言われて、残る覚悟を決めました」
「王妃様に恩でもあるのですか」とファイチが波平大親に聞いた。
 波平大親はファイチを見るとうなづいた。
「わたしの父はサムレー大将でした。東方(あがりかた)の大グスク攻めの戦で戦死しました。その戦のあと、わたしはシタルー殿に仕えるようになりました。父の跡を継いでサムレー大将にならなければならないと思いましたが、わたしは武芸は苦手なのです。どんなに稽古をしても強くはなりません。落ち込んでいたわたしを豊見(とぅゆみ)グスクの普請奉行(ふしんぶぎょう)の補佐役に任じてくれたのは王妃様だったのです。普請のための資材を集めたり、その手配をするのが楽しくて、わたしは新しい生き方を見つける事ができました。わたしが財政の管理を任されるようになれたのも王妃様のお陰なのです」
「王妃様は人の才能を見抜く目も持っていたようじゃな」と思紹は笑って、「他魯毎のために、これからもよろしくお願いする」と波平大親に言った。
「かしこまりました」と波平大親は頭を下げた。
 思紹は浦添按司に波平グスクから撤収して、山グスクに行って、苗代大親と合流するように命じた。
 波平大親と浦添按司が苗代大親と一緒に帰ったあと、
「波平大親が王妃のために残っていたとは驚いたのう」と思紹が言った。
「もし、波平大親がいなかったら、グスク内の財宝は皆、摩文仁に奪われていたかもしれませんね」とサハチが言った。
「照屋大親にしろ、波平大親にしろ、お芝居のうまい役者が揃っていますね」とファイチが言って、皆を笑わせた。
「確かにのう」と思紹がうなづいた。
「しかし、一番の主役は山南王妃じゃろうな。今まで、表に出て来なかったのが不思議なくらい立派な女子(いなぐ)じゃよ。王妃の手本と言えるじゃろう」
「次のお芝居は『山南王妃』ですね。糸満(いちまん)の港で演じたら、ウミンチュたちが大喜びしますよ」
「そいつは面白い。シビーとハルに台本を書かせよう」とサハチは笑いながら言った。
「山南王妃もお芝居は好きなようじゃから喜ぶじゃろう」と思紹は楽しそうに笑った。

 

 

 

三山とグスク―グスクの興亡と三山時代