長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

2-71.ンマムイが行く(改訂決定稿)

 

 明国(みんこく)の陶器や南蛮(なんばん)(東南アジア)の蘇木(そぼく)、朝鮮(チョソン)の綿布(めんぷ)などを大量に積み込んだ『油屋』の船に乗って、ンマムイ(兼グスク按司)は家族を連れて今帰仁(なきじん)に向かっていた。
 妻のマハニ(真羽)、十二歳の長女マウミ(真海)、十歳の長男マフニ(真船)、七歳の次女マサキ(真崎)、二歳の次男マミン(真珉)を連れ、師匠のヤタルー(阿蘇弥太郎)、侍女二人、サムレー五人と女子(いなぐ)サムレー二人が従っていた。
 子供たちは楽しそうに船の中を走り回って、侍女と女子サムレーが子供たちを追っていた。
 マミンを抱いたマハニが海を眺めながら、「里帰りができるなんて思ってもいなかったわ」とンマムイに言って、嬉しそうに笑った。
「もっと早く連れて行ってやりたかったんだけど、随分と遅くなってしまった。お前には随分と苦労を掛けたな。今帰仁に着いたら、家族たちとゆっくり過ごしてくれ」
「ありがとうございます。父は亡くなってしまったけど、母とヌルになった姉に会うのが楽しみだわ」
「兄の山北王(さんほくおう)(攀安知)に会うのは楽しみじゃないのか」
「ハーン兄さんは暴れん坊だったの。わたしが嫁いだ時、ハーン兄さんは若按司だったけど、祖父(帕尼芝)に似ているって周りの者たちから言われて、いい気になって馬を乗り回して、あちこちで悪さをしていたのよ。ジルータ兄さん(湧川大主)はまるで家来のようにハーン兄さんに従っていたわ」
「山北王は暴れ者だったのか」
「もう十六年も前の事よ。今はどうなっているんだか‥‥‥」とマハニは言って首を振った。
 南風(ふぇーぬかじ)を受けて、船は穏やかな海を北(にし)に向かって快適に進んで行った。
 親泊(うやどぅまい)(今泊)から上陸して、『油屋』の男と一緒に今帰仁へ向かうハンタ道を進んで、今帰仁の城下に着いたのは、日が暮れる大分前だった。
 船で来れば意外と近いものだなとンマムイは思いながら、賑やかに栄えている城下を見回していた。
 マハニは十六年前の面影がまったくない城下を見て驚いていた。故郷に帰って来たというよりは、まるで異国の都に来たようだった。山南王(さんなんおう)の島尻大里(しまじりうふざとぅ)の城下よりも、中山王(ちゅうさんおう)の首里(すい)の城下よりも栄えているように見えた。
 島尻大里には何度も行っている。首里には去年、次男が生まれたあとに行ってきた。前から噂を聞いていて行ってみたいと思っていたが、中山王はンマムイの父親を倒した敵なので行けなかった。ところが、なぜかンマムイは中山王の息子の島添大里按司(しましいうふざとぅあじ)と仲よくなって、一緒に朝鮮に行った。夫が何を考えているのかわからないが、首里に行っても大丈夫だろうと思って、ヤタルー師匠と女子サムレーを連れて都見物に出掛けた。高い石垣に囲まれた立派なグスクには噂の高楼が誇らしく立っていた。大通りには大勢の人々が行き交い、色々な物を売っている店もあった。さすが、中山王の都だと感心したが、今帰仁首里よりも立派な都で、山北王になった兄は凄い人だったのかもしれないと見直していた。
 今帰仁グスクが見えてくると、「凄いな」とンマムイは思わず言った。昔に見た記憶よりも大きく見え、首里グスクよりも立派に見えた。
 マハニは高い石垣を見上げて、今帰仁に帰って来た事を実感していた。
 マハニが生まれたのは本部(むとぅぶ)だった。山北王(帕尼芝)の次男だった父(珉)は本部大主(むとぅぶうふぬし)と呼ばれていた。十三歳の時、今帰仁合戦が起こって、祖父の山北王と伯父の若按司が亡くなり、父が山北王となった。マハニは家族と一緒に今帰仁グスクへ移った。焼け野原となった城下は悲惨で、グスク内の屋敷も焼け落ちていた。
 山北王となった父の最初の仕事は城下の再建だった。城下の人たちが全員、避難できるようにグスクを拡張して、いくつかの大通りを基準にして、整然とした新しい城下造りが始まった。再建には二年余りも掛かり、城下の人たちが以前の生活に戻れた頃、マハニは今帰仁を離れて、浦添(うらしい)グスクにいたンマムイに嫁いで行った。
 グスクはあの頃と変わっていないが、城下はすっかり変わっていた。あの頃、鬱蒼(うっそう)とした森だった所も切り開かれて家々が建ち並び、唐人(とーんちゅ)たちが暮らしている一画もあった。
 大御門(うふうじょう)(正門)に着くと、案内してくれた油屋の男が御門番(うじょうばん)にマハニの事を話した。御門番はうなづいて中に入れてくれた。油屋の男は中には入らず帰って行った。ンマムイたちはお礼を言って、油屋の男を見送った。
 グスクの中はかなり広かった。右側の方に屋敷がいくつか建っていて、大きな厩(うまや)もあった。子供たちがわーいと叫びながら駆け出し、侍女と女子サムレーが慌ててあとを追って行った。
「ここは外曲輪(ふかくるわ)と呼ばれているの」とマハニが説明した。
今帰仁合戦の前までは、城下の一部で重臣たちの屋敷が並んでいたようだけど、皆、焼け落ちてしまったので、グスクを拡張したのよ」
「これだけ広ければ、城下の人たちも皆、避難できるな」と言いながらンマムイは正面に見える高い石垣を見ていた。
 ンマムイは首里グスクと今帰仁グスクを比べていた。ンマムイは建築中の首里グスクを何度も見ていて、完成した姿も見ていた。今の中山王(思紹)はグスクの北側に曲輪を造って防備を固めたようだが、首里グスクよりも今帰仁グスクの方が攻め落とすのは難しいと思っていた。
 外曲輪を中御門(なかうじょう)(以前の正門)に向かって歩いていると、山伏姿の男が近づいて来た。
「王女様(うみないび)!」と叫びながら山伏はやって来た。
「アタグ‥‥‥」とマハニは言って、懐かしそうな顔をして山伏を迎えた。
「お久し振りでございます」と言いながら山伏は子供たちを眺めて、「王女様によく似た可愛いお子さんたちですなあ」と嬉しそうに笑った。
「ヤマトゥ(日本)の山伏のアタグ(愛宕)よ」とマハニは山伏をンマムイに紹介した。
「本部にいた頃から、アタグにはお世話になっているの。変わっていないので安心したわ」
「いやあ、わしはもう年ですよ。それより、王女様は相変わらずお美しい。王様(うしゅがなしめー)も先代の王妃様(うふぃー)も王女様の里帰りを喜んでおります。城下もすっかり変わったでしょう。グスク内も随分と変わりました」
 アタグの案内で、ンマムイたちは中御門をくぐって、中曲輪へと入って行った。坂道が上へと続いていた。左側に三の曲輪があるらしいが石垣に囲まれていて見えなかった。
 坂道の途中に立派な屋敷があって、「王女様、この客殿をご利用下さい」とアタグが言った。
 客殿は阿波根(あーぐん)グスクの屋敷よりも広く、子供たちはキャーキャー言いながら走り回っていた。荷物を客殿に入れて、子供たちの事を侍女たちに頼み、ンマムイとマハニはアタグと一緒に二の曲輪に向かった。
 御門から中に入って、マハニは驚いた。二の曲輪内はすっかり変わっていた。
「凄いでしょう」とアタグが言った。
 マハニは言葉も出なかった。中央に広い庭があって、左右に細長い建物が建っていて、庭の正面の石垣の上には華麗な御殿(うどぅん)がこちらを向いて建っていた。今帰仁合戦のあと、一の曲輪の屋敷は焼け落ちて、父が再建したが、あんなにも大きな建物ではなかった。
首里のグスクを真似したんじゃよ」とアタグが言った。
 まさしくその通りだとンマムイは思っていた。山北王が一の曲輪の御殿から二の曲輪を見下ろして、二の曲輪の庭で様々な儀式を執り行なうのだろう。
 二の曲輪から御内原(うーちばる)に入って、マハニはまた驚いた。御内原の屋敷も立派な二階建てに変わっていた。
 御内原の屋敷で、母の先代王妃と姉の今帰仁ヌルと妹のマナチーがマハニを待っていた。母の顔を見た途端、涙が知らずに溢れ出て来た。
「マハニ‥‥‥」と言ったまま、母はじっとマハニを見つめていた。
 マハニは子供に返ったかのように母に抱き付いていた。もう二度と会えないのではないかと諦めていた母が目の前にいた。涙が止まらず、挨拶をする事もできなかった。
 ようやく落ち着いて、涙を拭うとマハニは恥ずかしそうに笑った。
「ただいま、帰って参りました」
「お帰り」と母も笑った。
「相変わらず、泣き虫なのね」と姉が言った。
 姉はすっかり貫禄のあるヌルになっていた。妹のマナチーは母親違いの妹で、マハニが嫁いだ時は赤ん坊だった。マナチーは、「姉上様、お帰りなさい」と頭を下げたが、妹という実感は湧かなかった。マナチーは去年、アタグの長男に嫁いだという。アタグの長男はマハニが嫁ぐ二年前に生まれていた。当時、赤ん坊だった二人が夫婦になっているなんて、改めて、十六年の時の長さを実感していた。
 マハニが母と姉を相手に昔の話をしていると兄の山北王(ハーン)が現れた。十六年振りに見るハーンはすっかり変わっていた。マハニが嫁いだ時、父は四十歳だった。ハーンはまだ四十歳にはなっていないが、全然、父に似ていなかった。やはり、皆が言うように祖父に似ているのかもしれない。それでも、「やあ」と言って笑ったハーンの顔には昔の面影があって懐かしく思えた。
 ハーンはマハニの近くに座り込むと、じっとマハニを見つめて、「会いたかったぞ」と言った。
 その言葉を聞いて、マハニはまた涙が出て来た。ハーンからそんな事を言われるなんて思ってもいなかった。
「お前がいなくなって、グスクの中が急に寂しくなったよ」
 マハニは涙を拭いて、「何を言っているんですか。あたしの代わりにお嫁さんが来たんでしょ」と言った。
「ああ、いいお嫁さんが来た。でも、あの頃の俺は親父のやり方に反対していて、お祖父(じい)さんの敵(かたき)である中山王(武寧)の娘をお嫁さんとは認めずに口も利かなかったんだ。今、思えば可哀想な事をしたと思っている」
「そうだったの」
「今はマアサの事は大切にしているよ。お前は向こうで苦労をしたんじゃないのか」
 マハニは首を振った。
「夫はちょっと変わった人だけど、あたしを大切にしてくれました。苦労なんてしてないわ」
「そうか。それはよかった」
 マハニが母と姉と兄との再会を喜んでいた時、ンマムイはアタグと一緒に二の曲輪内を見て回っていた。御内原には王様以外の男は入れなかった。
 しばらくして、マハニが山北王を連れて御内原から出て来た。マハニがンマムイを紹介すると、山北王はマハニを連れて来てくれたお礼を言ったあと、「まずは仕事から片付けよう」と言って、ンマムイを連れて一の曲輪に向かった。
 山北王はンマムイが想像していた姿とは大分違っていた。髭の濃いがっしりとした体つきの男だと思っていたが、背が高く、すらっとしていて、顔付きもヤマトゥンチュ(日本人)に似ていた。ンマムイは子供の頃、宇座の御隠居(うーじゃぬぐいんちゅ)(泰期)から、「今帰仁グスクは二百年前にヤマトゥから逃げて来た落ち武者が築いたんじゃ」と言われた事を急に思い出した。今の山北王にもヤマトゥンチュの血が流れているのかもしれない。そう言えば、妻のマハニも京都で見た女たちとどことなく似ている事に気づいた。
 ンマムイは一の曲輪にある豪華な御殿の二階の部屋で、山北王に用件を語って、山南王から頼まれた書状を渡した。
 山北王は山水画の描かれた屏風(びょうぶ)を背にして座り、部屋の中にはヤマトゥの刀や明国の香炉、南蛮の壺(つぼ)など、珍しい品々がさりげなく飾ってあった。山北王が密貿易をしているとの噂は本当のようだった。
 書状を読み終えると山北王は顔を上げて、ンマムイを見た。
「そなたは今回、山南王の使者として、今帰仁に来られたが、去年は中山王の船に乗って朝鮮に行った。一体、そなたはどちらに属しているんだ?」
 ンマムイは少し考えたあと、「今のところは中立です」と答えた。
「中立か。しかし、山北王と山南王が同盟を結べば、中山王は不利な立場になる。中山王に狙われるんじゃないのか」
「中山王の跡継ぎである島添大里按司はわたしの師兄(シージォン)に当たります」
「シージォンとは何だ?」
「兄弟子の事です。兄弟子は弟弟子であるわたしを狙う事はできません」
「どうしてだ?」
「弟子同士の争いは師匠が許さないからです。もし兄弟子がわたしを殺せば、兄弟子は師匠たちから殺される事になるでしょう」
「ほう。そんなにも厳しいのか。それで、師匠というのは誰なんだ?」
「ヂャンサンフォン(張三豊)殿です。明国では有名な武芸者です」
「ヂャンサンフォン‥‥‥どこかで聞いた事があるような気がするな」
「今回、ここに来る事も兄弟子には伝えてあります」
「なに、山南王の使者として今帰仁に行く事を島添大里按司に伝えたのか」
 ンマムイはうなづいた。
「それで、島添大里按司は何と言ったんだ?」
「充分に楽しんで来いと」
「まったく、お前が言っている事はわけがわからんな。島添大里按司はお前が妻を連れて遊びに来たと思っているのか」
「いえ。同盟の事も知っています」
「知っていながら、楽しんで来いと言ったのか」
「太っ腹なんですよ、島添大里按司は。小さい事にはあまりこだわらない性格のようです」
「山北王と山南王の同盟は小さな事ではあるまい」
「まあ、そうですけど、やがては同盟するに違いないと思っていたんじゃないですか」
「山北王と山南王の同盟は計算済みの事だというのか。中山王は山北王と山南王を相手に勝てると思っているのか」
「勝てるとは思っていないでしょう。ただ、同盟したからと言って、すぐに攻めて来る事はないと思っているのでしょう」
「確かにすぐに攻める事はない。わしは今、奄美(あまみ)を攻めている。奄美を平定してからだな、中山王を攻めるのは。それに中山王は材木を大量に買ってくれるからな。今のところは稼がせてもらおう。中山王は稼がせてくれるが、山南王はわしらのために何をしてくれる。同盟したとして、わしらに何の得があるんだ?」
「書状には書いてありませんでしたか」
「書いてない。時期が来たら、山北王と山南王で中山王を挟み撃ちにして滅ぼし、中グスクと北谷(ちゃたん)を結んだ線で南北に分けると書いてあるだけだ。山南王が首里を手に入れて、わしらは勝連(かちりん)を手に入れる。馬を育てている読谷山(ゆんたんじゃ)が手に入るのは嬉しい事だが、浮島(那覇)は山南王のものとなってしまう。首里と浮島を手に入れれば、山南王は発展して行くだろう。わしらの方が分が悪いような気がするな」
「それでは、中山王と同盟して山南王を滅ぼすというのはどうでしょう」とンマムイは聞いた。
「お前、山南王を裏切るのか」
「わたしは中立です」
 山北王は楽しそうに笑った。
「山南王を滅ぼして、山南王の土地を半分もらったとしても何の得にもならん。そう言えば南部の東(あがり)半分は島添大里按司が支配しているのではないのか」
「はい。東方(あがりかた)と呼ばれる八重瀬(えーじ)グスクより東は中山王の支配下にあります」
「まずは山南王に南部を統一しろという条件を付けるか。中山王の挟み撃ちはそれからの話だ」
「わたしにも条件を付けさせて下さい」
「どうして、そなたが同盟の事に口を出すのだ」
「命の危険がありますので、わたしが亡くなった場合は、同盟は無効になるという条件です」
「島添大里按司はお前を殺す事はないんだろう」
「山南王に殺されるかもしれません」
「どうしてだ?」
「わたしが島添大里按司に近づきすぎるからです。山北王との同盟にわたしが必要なので生かしておりますが、同盟が決まったら、もう用なしになって殺されるかもしれません」
「成程な。よかろう。その条件も付けてやろう。お前が死んだらマハニが悲しむからな」
 山北王と別れて二の曲輪に下りると、山北王妃のマアサと浦添ヌルのマジニが二の曲輪にある屋敷の中で待っていた。
「お兄様、よくいらしてくれたわ」とマアサが涙目で言って、
「お兄様、いよいよ敵討ちが始まるのですね?」とマジニも目に涙を溜めて言った。
 マアサと会うのは十六年振りで、マジニと会うのは五年振りだった。マアサはすっかり山北王の奥方としての貫禄が付いて、昔の弱々しい雰囲気はなかった。遠いヤンバル(琉球北部)に嫁いで、大丈夫だろうかと心配したが、十六年の月日はマアサを逞しく育てたようだ。マジニは五年前とあまり変わらないが、当時よりも顔色はよかった。ンマムイにはヌルの事はよくわからないが、浦添にいた頃は何かと苦労していたのかもしれない。ヌルの仕事から解放されて、のびのびと暮らしているのだろう。
 マアサがンマムイを見て笑った。
「お兄様、あまり変わっていないので安心したわ。お兄様のグスクは攻められなかったの?」
「ああ、大丈夫だったよ」
「そう言えば、お兄様が島添大里按司と一緒に朝鮮に行ったって噂が流れていたのよ。本当なの?」
「ああ、去年、一緒に朝鮮の都にも行ったし、ヤマトゥの京都にも行って来た」
「どうしてなの?」とマアサが聞いて、
「敵(かたき)を討つために一緒に行ったんでしょ」とマジニが言った。
「でも、どうして敵を討たなかったの?」
「島添大里按司は俺より強いんだよ。一度、殺してやろうと本気で戦ったんだけど、逆に俺が殺されそうになった事があるんだ」
「お兄様は明国で少林拳(シャオリンけん)を習ったんでしょ。それなのに負けたの?」
「島添大里按司武当拳(ウーダンけん)の方が強かったんだ」
「へえ、そうなんだ。それで、今度は戦(いくさ)をして倒すのね」
「まあ、そういう事だな」
「いつ、攻めるの?」
「すぐにとは行かないさ。まず、山北王と山南王が同盟しなけりゃならない」
「山北王は同盟するって言ったの?」
「今、考えているところだろう」
「あたしが敵を討ってって、ずっと言っているのに、のらりくらりとして、ちっとも腰を上げてくれないのよ」
「ねえ、お兄様、あたしたちのお母様は無事なの?」とマアサが聞いた。
 マアサとマジニの母親は武寧(ぶねい)の側室で、二人とも同じ母親から産まれていた。
「無事だよ。今、首里で平和に暮らしている」
「何ですって!」とマジニが驚いた顔でンマムイを見つめた。
「どうして、お母様が敵の都で暮らしているの?」
重臣たちのほとんどがナーサに助けられて、今の中山王に仕える事になったんだ。お前たちのお母さんは実家に戻って、前田大親(めーだうふや)の屋敷で暮らしている」
「ナーサって、侍女たちを束ねていたあのナーサ?」
「そうだよ。ナーサは今、首里で遊女屋(じゅりぬやー)をやっている」
「ナーサが遊女屋?」と今度はマアサが驚いていた。
「どうして、ナーサが裏切ったの?」とマジニが聞いた。
「俺にもよくわからんのだが、島添大里按司とナーサは古くからの知り合いらしい」
「どういう事? ナーサは浦添グスクの隅から隅まで知っていたわ。そのナーサが島添大里按司の回し者だったの?」
「俺にも信じられなかったが、ナーサは島添大里按司の事をすっかり信頼しているんだ。王様になるべき人だと言っていた。それと、島添大里按司は宇座の御隠居様ともつながりがあるんだ」
「えっ、宇座の御隠居様は亡くなる前に、お父様と喧嘩して、浦添に顔を出さなくなったわ。御隠居様がお父様を倒せって島添大里按司に言ったの?」
「そこまでは知らんが、御隠居様の末っ子は島添大里按司に仕えていて、去年、一緒に朝鮮に行っている」
「末っ子ってクグルーの事?」
「そうだ」
「ウミンチュ(漁師)になったんじゃなかったの?」
「俺もそう思っていた。ところが、御隠居様が亡くなったあと、クグルーは母親と一緒に佐敷に移って、島添大里按司に仕えたんだよ」
「信じられない。島添大里按司って何者なの?」
「わからん。ただ、運の強い男だ。当てもなく京都に行って将軍様と会っているし、朝鮮に行った時も、偶然だが、朝鮮王とも会っている」
「その島添大里按司だけど、お父様を倒したのにどうして中山王にならなかったの?」とマアサが聞いた。
「島添大里按司の親父がまた凄い男だ。首里の兵たちは皆、今の中山王の弟子たちらしい。隠居したと言って、どこかで兵を育てていたに違いない。噂では島添大里按司よりも強いという」
「すると、今の中山王が密かに育てた兵によってお父様は滅ぼされたのね」
「そのようだな。それと首里を攻めたサムレーから面白い話を聞いた。親父の側室でアミーというのを覚えているか」
「アミーならお父様のお気に入りだったわ」とマジニが言った。
「亡くなる前に一緒に首里に連れて行ったわ。お父様と一緒に殺されたんでしょ?」
「それがそうじゃないんだ。アミーは山南王が送り込んだ刺客(しかく)だった。山南王は親父を殺して、首里グスクを奪い取るつもりだった。しかし、島添大里按司に先に奪われてしまったんだ。山南王から親父の暗殺を命じられていたアミーは、島添大里按司の兵が攻めて来たのを山南王の兵が攻めて来たと勘違いして、親父を殺したんだ。島添大里の兵が親父を見つけた時、親父はアミーに殺されたあとだったらしい」
「何ですって‥‥‥」
「アミーは捕まって、山南王のもとに返されたそうだ。その後、どうなったのかわからない。探してみたが見つからなかった。多分、山南王のために裏の仕事をやっているのだろう」
「お父様の敵はアミーだったの‥‥‥」と気が抜けたような顔をしてマジニが言った。
「その側室は山南王から贈られた側室なの?」とマアサが聞いた。
「違うわ」とマジニが首を振った。
「山南王が贈った側室もいたけど、お父様は警戒して身近には置かなかったわ。アミーは城下の商人から贈られたのよ。勿論、綺麗な娘だけど、それだけでなく、気が利くのでお父様のお気に入りになったのよ」
「山南王がその商人を利用して送り込んだんだな」とンマムイは言った。
「そうなるとお父様の敵は山南王なの?」とマアサが聞いた。
「いいえ、そうじゃないわ。アミーが殺さなくても、島添大里按司の兵に殺されたわ」とマジニが強い口調で言った。
 マアサは首を振ると、「殺されたお父様の遺体はどうなったの。どこに捨てられたの?」とンマムイに聞いた。
首里グスクの下には大きなガマ(洞窟)があって、そこに戦死した者たちは皆、葬られたそうだ。勿論、親父も一緒だ」
 マジニが急に笑い出した。
首里グスクはお父様のお墓なのね。大きなお墓だわ」
 その夜、二の曲輪にある屋敷で歓迎の宴(うたげ)が開かれて、ンマムイは主立った重臣たちを紹介された。

 

 

 

 

 

モモト別冊 今帰仁城跡   琉球の王権とグスク (日本史リブレット)

2-70.二人の官生(改訂決定稿)

 六月八日、思っていたよりもずっと早く、正月に出帆した進貢船(しんくんしん)が帰って来た。
 正使の中グスク大親(うふや)の話によると、永楽帝(えいらくてい)はまだ順天府(じゅんてんふ)(北京)にいるが、わざわざ来なくてもいいとの事で、応天府(おうてんふ)(南京)で皇太子に謁見(えっけん)して帰って来たという。
 泉州(せんしゅう)の『来遠駅(らいえんえき)』に新川大親(あらかーうふや)たちは来たかとサハチ(中山王世子、島添大里按司)が聞くと、来ていないと言った。
「応天府からの帰りに福州(ふくしゅう)に着いた時、琉球の船が温州(ウェンジョウ)に来たとの噂が流れておりました。泉州の来遠駅に着いてから役人に聞いてみたら、琉球の船に間違いない事がわかりました」
「そうか、温州に着いたのか。それで、無事に上陸できたのか」
「かなり待たされたようですが無事に上陸して、わたしどもが泉州に着いた五月の初めには、応天府に向かっているだろうと言っておりました」
「そうか、よかった。その船には親父とヂャンサンフォン(張三豊)殿が乗っているんだよ」
「えっ、王様(うしゅがなしめー)が‥‥‥」と中グスク大親は驚いた顔してサハチを見つめた。
「王様ではない。『東行法師(とうぎょうほうし)』として行ったんだ。多分、使者たちとは別行動を取るだろう」
「そうでしたか。新川大親殿も大変ですね」
「大変には違いないな」とサハチは苦笑した。
「ところで、旧港(ジゥガン)(パレンバン)の船は無事に帰ったのか」
「はい。泉州で水の補給をして南に帰って行きました。旧港まで五十日前後は掛かるそうです」
「そうらしいな。やがては琉球からも船を出す事になろう」
 中グスク大親は旅の様子を報告したあと、『国子監(こくしかん)』の官生(かんしょう)(留学生)を二名送るように頼まれたと言った。思紹(ししょう)(中山王)も誰かを官生として送りたいと言ってはいたが、誰を送るかはまだ決めていなかった。できれば才能のある若者を送りたい。読み書きを教えているナンセン(南泉)とソウゲン(宗玄)に相談してみようとサハチは思った。
 サグルーとクグルーが無事に帰って来た。
「明国(みんこく)の広さには驚きました。何もかも驚く事ばかりでした」とサグルーは目を輝かせて言った。
「博多や漢城府(ハンソンブ)を見て、応天府も似たようなものだろうと思っていましたが、規模が全然違いました。行って来て本当によかったです」とクグルーも満ち足りた顔付きで言った。
 二人ともタブチ(八重瀬按司)に大変お世話になったという。サハチは二人と一緒に来たタブチにお礼を言った。
「順天府まで行くつもりだったんじゃが、永楽帝は遠征に出ているらしい。北(にし)の方には元(げん)の生き残りがいて、永楽帝はそいつらを退治しているようじゃ。皇帝自らが戦(いくさ)に出る必要はないと思うが、じっとしてはいられない性分らしいのう」
 タブチはそう言って笑った。
 田名親方(だなうやかた)と一緒にジルムイも帰って来た。
「応天府まで行ったのか」と聞くと、ジルムイはうなづいた。
「使者たちの警護をして行ってきました。泉州から応天府までがあんなにも遠いとは思ってもいませんでした」
「応天府ではサグルーと一緒に都見物をしたのか」
「隊長は兄貴の所に行っていいと言ったのですが、俺だけ特別扱いされるのは気が引けて、ずっと仲間と一緒に行動しました」
「そうか、それでいい。今は八番組の一員に過ぎんからな。やがて、お前の出番が来る」
 その夜、『会同館(かいどうかん)』で帰国祝いの宴(うたげ)が開かれ、サハチはタブチに今までの感謝を込めて太刀(たち)を贈った。タブチにふさわしい刃渡り三尺もある備前(びぜん)の業物(わざもの)だった。去年のヤマトゥ(日本)旅で『一文字屋』に頼んで手に入れた物だった。
 タブチは感激して太刀を受け取り、みんなから拍手を送られていた。四回も明国に行き、サハチの弟や息子がお世話になっただけでなく、従者として初めて明国に行く者たちは皆、タブチのお世話になっていた。使者たちでさえ、わからない事があるとタブチに相談するという。誰もがタブチに感謝していた。
 翌日は島添大里(しましいうふざとぅ)グスクでサグルーとクグルーの帰国祝いの宴が開かれた。
「明国の都、応天府を見て、親父がやっている都造りの意味がよくわかりました。首里(すい)をあのような都にしなければなりません。応天府には各国から来た様々な人々が大勢いました。市場では見た事もない色々な物を売っていました。遠くから旅をして来た人たちが、こんな小さな島に、こんなにも立派な都があると驚くような都にしなければなりません」
「よく言ったぞ。その通りだ」とサハチは嬉しそうな顔をして、旅に出て成長したサグルーを見た。
首里を素晴らしい都にしなければならん。ところで、応天府には各国から来た者たちが大勢いたのか」
 サハチが行った頃は、他国から来たような人はあまりいなかった。あれから三年しか経っていないのに、随分と変わったようだ。
「タブチ殿の話では、永楽帝鄭和(ジェンフォ)という者に大船団を率いさせて、遠い国々まで行かせたそうです。遠い国々の人たちが鄭和の船に乗って、明国に貢ぎ物を捧げにやって来ているのです。その者たちが持って来た珍しい商品が応天府には溢れています。鄭和は今、三度目の長旅に出ているそうです」
 鄭和というのは三姉妹たちから聞いた事があった。大船団を率いて旧港に来て、暴れていた海賊を退治して、天竺(ティェンジュ)(インド)の方に向かって行ったと言っていた。サハチたちが明国にいた時、最初の航海に出ていたのだろう。そう言えば、三姉妹も鄭和のお陰でヤマトゥの商品が高く売れると言っていた。鄭和と一緒に行く商人たちが、遠い異国で売るためにヤマトゥの商品を買い集めているようだった。
「明国に行ってみて、親父(泰期(たち))の気持ちが少しわかったような気がします」とクグルーは言った。
「親父が亡くなったのは、俺が十三の時でした。親父から明国に行った時の話は何度も聞いていました。でも、俺には夢のような話でした。年の離れた兄(宇座按司)は親父の跡を継いで、何度も明国に行っていましたけど、俺には縁のない話でした。俺は馬を育てていればいいんだと思っていました。馬と一緒にいるのが楽しかったのです。親父が亡くなって、俺は母親の実家に移り、ウミンチュ(漁師)になれと言われました。俺は牧場に戻りたいと言って母を困らせました。急にウミンチュになれと言われても俺には納得できなくて、毎日、海を眺めていました。長浜に来て一月くらい経った頃、母がサムレーになりたいのかと聞きました。サムレーとしての親父の活躍も聞いていましたので、密かにサムレーになりたいとは思っていました。でも、諦めていたのです。俺はうなづいて、母と一緒に佐敷に来ました。浦添(うらしい)や小禄(うるく)でなく、どうして佐敷に来たのか、わけがわかりませんでしたが、按司様(あじぬめー)の顔を見て納得しました。按司様の話は親父からよく聞いていました」
「俺が宇座(うーじゃ)の牧場に行ったのを覚えていたんだな」
「はい。夫婦揃ってやって来て、親父が歓迎していたのを覚えています。子供の頃、一緒に遊んだのもおぼろげながら覚えています」
「お前と最初に会ったのは、まだ赤ん坊の時だった。行く度にお前が大きくなっているので驚いたよ。そして、母親と一緒に佐敷に来た時は一番驚いた」
「ンマムイ(兼グスク按司)さんにも俺を覚えているかと聞かれました。忘れていましたが話を聞いて思い出しました。ウニタキ(三星大親)さんも牧場に来たようですけど、四歳だったので覚えていませんでした」
「そうか。お前はウニタキとンマムイにも会っていたんだな。一緒に朝鮮(チョソン)まで行くなんて、不思議な縁だな」
「はい。俺もそう思いました。親父が俺のためにみんなに会わせてくれたんだと思いました。親父にも母にも感謝しております。佐敷に来て本当によかったと思っています。そして、親父の跡を継いで使者になりたいと思っています。使者になるため従者として何度も明国に送って下さい」
「そうか。親父の跡を継ぐか」とサハチは嬉しそうにうなづき、クグルーの妻のナビーを見た。
「クグルーが使者になると言っているが、お前はどう思う?」
「寂しいけど仕方ありません」とナビーは笑った。
「クグルーとマウシがヤマトゥに行った時、妹(マウシの妻マカマドゥ)とも話し合ったんです。琉球のためなら喜んで夫を異国に送りだそうと決めました」
「そうか。苦労を掛けるがよろしく頼む」
「ねえ、あたしもヤマトゥに行きたいわ」と娘のサスカサ(島添大里ヌル)が言い出した。
「なに、お前も行きたいのか」
「ササ姉(ねえ)は三度も行っているのよ。弟のイハチも行ったわ」
「そうか、そうだな。来年のヤマトゥ旅にお前も行ってみるか」
「約束よ」とサスカサは喜んだ。
「ササたちは今、どこにいるのかしら」と佐敷ヌルが言った。
「まだ京都には着かんだろう。博多に着いて、京都に向かっているところじゃないのか」とサハチは日にちを数えながら言った。
「瀬戸内海の海賊に村上水軍というのがいるんだが、そこの娘と仲よくなったから、今頃、再会して喜んでいるかもしれんな」
「羨ましいわ。ササは二度目の京都よ。あたしも京都に行きたいわ」
「これから毎年、ヤマトゥに船を出す。ヌルも毎年行く事になる。佐敷ヌルとサスカサの二人が一緒に行くのはまずいけど、交替で行けばいい」
「あたしも行ってもいいのね」と佐敷ヌルは喜んだ。
「あたしも行きたい」とナツも言い出した。
「ヌルになるのは無理だけど女子(いなぐ)サムレーとしてなら行けるわ」
「おい。お前がいなくなったら大変だろう。子供たちはどうするんだ」
「あと十年は無理ね」とナツは情けない顔をした。
「でも、十年後には行けるわね」
「十年後か‥‥‥それなら行けるかもしれないな」
「十年後を楽しみにしているわ」
 ウニタキとファイチ(懐機)は顔を見せないが、ウニタキの家族とファイチの家族は来ていて、ファイチの息子のファイテ(懐徳)とウニタキの娘のミヨンは仲がよく、お似合いの二人に見えた。ミヨンと楽しそうに話をしているファイテを見ながら、ファイテを官生として国子監に送ったらいいんじゃないかとサハチは考えていた。
 次の日、サハチはソウゲン寺(でぃら)と呼ばれているソウゲンの屋敷に行った。朝早いので、まだ子供たちは来ていなかった。ソウゲンは庭に水を撒いていた。
按司様、珍しいですのう。何かわしに用ですかな」
「ソウゲン殿にちょっと聞きたい事がありまして」
 ソウゲンはうなづき、屋敷に上がるとサハチのためにお茶を点ててくれた。その姿を眺めながら年齢(とし)を取ったなと思った。サハチがソウゲンから読み書きを習っていたのはもう三十年近くも前の事になる。元(げん)の国に留学して厳しい修行を積み、ヤマトゥに帰れば偉い僧侶になれるのに、思紹のためにずっと琉球に滞在している。本当にありがたい事だった。
「実はファイテの事なんですが、学問は好きでしょうか」
 ソウゲンはにこやかに笑った。
「去年、明国に行きましたが、難しい書物を何冊も手に入れて帰って来ました。わからない所があると昼夜構わず、ここに来て教えてくれと言います。物覚えもいいし、探究心も旺盛です。将来、按司様を助ける人物となるでしょう」
「そうですか。実は明国の国子監に官生を送る事になりまして、ファイテはどうかと考えていたのです」
「国子監の官生ですか。それならファイテは適任ですよ」
「もう一人送りたいのですが、誰か心当たりはありませんか」
「それなら、ジルークがいいじゃろう。ファイテとジルークは仲がいいし、お互いに競争して勉学に励んでいる」
「ジルークというのは浦添按司の三男のジルークですか」
「そうじゃ。當山之子(とうやまぬしぃ)の三男じゃよ。家族は浦添に移ったんじゃが、浦添には読み書きの師匠がいないといって、一人でここに残っているんじゃ」
 ジルークの事はウニタキの妻のチルーから聞いていた。ファイチの家族が首里から島添大里に戻って来た時、ジルークも一緒に戻って来て、一人暮らしをしていた。チルーが食事の面倒を見ているらしい。その後、家族は首里から浦添に移ったが、ジルークだけは島添大里に残り、ソウゲンの屋敷に通い、武術道場にも通っていた。
 サハチはソウゲンにお礼を言って別れると、そのまま首里に向かった。北の御殿(にしぬうどぅん)で政務を執り、午後になると浮島(那覇)に向かった。
 ファイチはメイファン(美帆)の屋敷にいた。何かを書いていたが顔を上げると、「サハチさん、珍しいですね。メイユー(美玉)はまだ来ていませんよ」と笑った。
「去年、会えなかったからな。会うのが楽しみだよ」
「メイユーがサハチさんの側室になったそうですね。マチルギさんは偉い女子(いなぐ)です」
「誰から聞いたんだ?」
「ウニタキさんですよ」
「ウニタキはよく来るのか」
「何日か前に来ました。ファイテとミヨンの事です」
「ウニタキは許したのか」
「いつかはお嫁に出さなければならないのなら、お前の倅に嫁がせようと言っていました」
「そうか。奴も覚悟を決めたか」
「ただ、条件がありました。絶対に明国には行かせるなと言っていました」
「ファイテは明国に行きたいと言っているのか」
「明国を見て来て、色々な事に驚いたのでしょう。琉球のために明国の技術を身に付けたいと言っていました。また明国に行きたいと言い出すかもしれません」
「そうか。お前の倅だから、そう考えるのも当然だな。ファイチも国子監の官生の事は聞いているだろう。ファイテを送ろうと思うんだがどう思う?」
「ファイテを官生に? サハチさんの息子を送らないんですか」
「俺の息子たちは勉学は苦手なようだ。俺とマチルギの子だからな。皆、使者になるよりもサムレー大将になって遠い国々に行きたいようだ。クグルーとシタルーは使者になると言っているが、二人ともすでにかみさんがいて、三年間も離れて暮らすのは無理だろう。ただ一人、適任者がいた。浦添按司の三男のジルークだ。ファイチも知っているだろう」
「ジルークならファイテと仲がいいので知っています」
「ファイテとジルークを送ろうと思っているんだ」
「二人とも喜ぶでしょう。でも、ウニタキさんには怒られそうですね」
「いや、三年間、お嫁に行くのが伸びれば、ウニタキも喜ぶだろう」
「そうなればいいのですが」
「大役(うふやく)たちと相談して正式に決まるが、十月に出す進貢船に乗せるつもりだ」
 ファイチがお礼を言うと、「次は浦添按司の許可を得んとな」とサハチは言って、ファイチと別れた。
 そのまま浦添に向かい、浦添按司に会って話をすると、浦添按司は腰を抜かさんばかりに驚いた。
「ジルークが国子監の官生‥‥‥あいつに務まるでしょうか」
「ファイテも一緒に行くから大丈夫だろう」
浦添按司になれたのも夢のような話なのに、倅が官生になるなんて、何とお礼を言ったらいいのか‥‥‥」
「倅のジルークがファイテに負けずに勉学に励んでいるからだよ。ソウゲン和尚がジルークを勧めたんだ」
「そうでしたか。確かにあいつは書物を読むのが好きです。きっと、祖父(じい)さんに似たんでしょう。わたしの妻の父親は大(うふ)グスク按司に仕えていて、『物知り(むぬしり)』と呼ばれていました。大グスクの合戦で戦死してしまいましたが、ジルークに才能を残してくれたようです」
 サハチは浦添按司の了解を得て、首里に帰り、大役たちに報告した。
 それから何日かして、ウニタキが島添大里グスクにいたサハチを訪ねて来た。
「ファイテが国子監の官生になると聞いたが、そいつは本当なのか」とサハチの顔を見るなりウニタキは言った。
「まだ正式には決まってはいないが、そのつもりだ」
「三年間、帰って来ないのか」
「多分な」
「そうか‥‥‥ミヨンが悲しむな」
「お前はファイテが官生になる事に反対なのか」
「いや。行くべきだと思う。あいつは漢字だらけの難しい本を読んでいる。その才能はもっと伸ばすべきだ」
浦添按司の三男のジルークを知っているか」
「知っている。以前に暮らしていた屋敷で一人で暮らしていて、食事の時はチルーが呼んで、一緒に食べているようだ。ファイチの家族も呼んで、賑やかにやっている事もあるらしい。あいつはちょっと変わっている。物の見方が普通じゃないんだ。星や月を見上げれば、どうして落ちてこないんだろうと言うし、鳥を見れば、どうして空を飛べるんだろうと言う。魚はどうして水の中で生きられるのだろう。俺たちが当たり前の事として納得している事が、あいつには当たり前ではないようだ。あいつを明国で学ばせれば、様々な事を身に付けて帰って来るだろう。あいつなら石で橋が作れるかもしれない」
「そうか‥‥‥官生というのは使者になるためだけに送るんじゃないんだな。明国の技術を身に付けて帰って来れば、琉球は発展する。頭がいいだけではなく、ちょっと変わった奴を送った方がいいかもしれん」
「そうだよ。塩飽(しわく)の船大工のように、何か一つの事を徹底して熱中する奴がいい」
 サハチはうなづいた。
「話は変わるが小禄按司(うるくあじ)が亡くなったようだ」とウニタキは言った。
「具合が悪いと聞いていたが亡くなったか。いくつだったんだ」
「六十三だという。若按司が跡を継いだんだが、若按司の妻は中グスク按司の娘らしい。一族は皆、亡くなっている。唯一生き残っているのは姪の中グスクヌルだけだ」
小禄按司はクグルーの兄貴に当たるわけだが、葬儀に行くと言い出すかな」
「どうかな。大して面識もないんじゃないのか」
「そうだろうな。俺も小禄按司とはあまり話をした事もなかったが、本心はどこにあったのだろう。やはり、シタルー(山南王)と組もうとしていたのかな」
「察度(さとぅ)(先々代中山王)が生きていた時、小禄按司は頻繁に浦添グスクに出入りしていた。中山王の重臣のような立場だった。浮島が近いので、浮島にある蔵を管理していたのが小禄按司だった。親父の宇座の御隠居(うーじゃぬぐいんちゅ)(泰期)様が何度も使者として明国に行っていたので、倅に商品の管理をさせていたのだろう。親父が亡くなったあと、アランポー(亜蘭匏)が力を持つようになって、浮島の蔵の管理はアランポーの一族の者に移された。小禄按司は腹を立てて、武寧(ぶねい)(先代中山王)とは疎遠になったようだ。今までのように浦添グスクに顔を出さなくなった。先代の山南王(汪英紫)が亡くなった時、小禄按司はシタルーの味方をしたが、その後、シタルーに近づいたようでもない。山南王になったシタルーは義兄の武寧と協力して首里グスクを築き始めた。小禄按司は黙って成り行きを見ていた。首里グスクが完成して、武寧がシタルーを攻めた時は、武寧の命令に従ってシタルーを攻めたが、途中で引き上げている。武寧が亡くなったあとも敵(かたき)を討とうという素振りはない。はっきり言って何を考えているのかわからない男だった。ただ、城下での評判はいい。城下の者たちは皆、小禄按司を慕っていて、按司の事を自慢する。城下に鍛冶屋(かんじゃー)たちが住む一画があって、宇座の御隠居様が『金満按司(かにまんあじ)』として祀られている」
「金満按司?」
「宇座の御隠居様は鍛冶屋の神様として祀られているんだ」
「どうしてだろう。御隠居様は鍛冶屋だったのか」
「もしかしたら、御隠居様の親父が奥間(うくま)の鍛冶屋だったんじゃないのか」
「察度の親父が奥間出身だと聞いた事はあるが、御隠居様の親父も奥間出身だったのか」
「多分、そうだろう。察度は奥間に鉄屑を運んでいたらしいが、実際は御隠居様が運んでいたんじゃないのか。そして、奥間の鍛冶屋が小禄に住み着いて、御隠居様を神様として祀ったんだよ」
「御隠居様が鍛冶屋の神様か‥‥‥」
 航海の神様か馬飼いの神様になるのならわかるが、鍛冶屋の神様とは意外だった。
 侍女が顔を出して、ンマムイが訪ねて来た事を知らせた。サハチは通すように言い、「今頃、何だろう」とウニタキを見た。
「ンマムイは最近、シタルーに呼ばれて島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスクに出入りしている。いよいよ、シタルーが動いたようだ」
「シタルーが動いたか‥‥‥」
 侍女に連れられてンマムイがやって来た。
「師兄(シージォン)たち、お久し振りです」とンマムイは頭を下げると、「しばらく、留守にする事になりましたので挨拶に参りました」と言った。
「今度は明国にでも行くのか」とサハチがからかうと、
「違いますよ。妻の里帰りです」とンマムイは言った。
「なに、今帰仁(なきじん)に行くのか」とサハチはわざと驚いて見せた。
「朝鮮旅を許したのだから、今度は俺の願いを聞いてくれと山南王に言われましてね。いい機会ですから行って来ようと思っています。妻も喜んでいます。嫁いで来てから十六年も経っていますからね」
「子供も連れて行くのか」
「勿論です」
「赤ん坊もいるじゃないか。大変だな」
「山南王が船の用意をしてくれたので大丈夫です。子供たちも船に乗るのを楽しみにしています」
「そうか。今の時期なら船で行けるな。帰りも船となると、帰って来るのは年末だな」
「そうのんびりもしてられませんよ。一月後には帰って来いと言われました。帰りは歩きです。せっかくの旅ですから、あちこちに寄って来ようと思っています」
「そうか。お前は今帰仁には行った事があるのか」
「一度だけですが、ヤタルー師匠(阿蘇弥太郎)と一緒に行きました。今帰仁合戦の二年後で、まだ城下の再建をしていました」
今帰仁の城下も随分と変わったらしい。充分に楽しんで来てくれ。そう言えば、山北王(さんほくおう)(攀安知)の妻はお前の妹だったな。再会するのが楽しみだろう」
「ええ。噂では浦添ヌルになった妹も今帰仁にいるようです」
「それで、シタルーに何を頼まれたんだ」とウニタキがンマムイに聞いた。
「同盟の事ですよ」とンマムイはあっけらかんとした顔で言った。
「お前、そんな事をここでしゃべってもいいのか」
「しゃべらなくても、すでに知っているのでしょう」
「まあな」とウニタキは笑った。
 ンマムイが帰ったあと、「奴の命が危険だな」とサハチはウニタキに言った。
 ウニタキはうなづき、「シタルーはンマムイを殺すつもりだろう」と言った。
「山北王と山南王が同盟を結べば、奴の役目は終わる。俺たちと親しくしているンマムイはシタルーにとって目障りだろう。役目が終わったらシタルーはンマムイを殺し、中山王の仕業だと言うに違いない。世間の者たちは同盟を阻止するために、中山王がンマムイを殺したんだと信じるだろう」
「それだけではないな」とサハチは言った。
「一緒に朝鮮に連れて行ったンマムイを中山王が殺せば、中山王から離反する者たちも出てくるに違いない」
「そうだ。それがシタルーの狙いだ。お前たちもいつかは殺されると言って、東方(あがりかた)の按司たちを味方に引き入れるに違いない」
「シタルーならやりかねんな」
「もしかしたら、ンマムイは今帰仁からの帰りに殺されるかもしれんぞ。中山王の仕業にするなら、山北王の書状が山南王に届く前に殺すはずだ。ヤンバル(琉球北部)の山の中で殺されてしまうかもしれん」
「絶対に防いでくれ」とサハチはウニタキに頼んだ。
「わかっている」とうなづいたあと、「ンマムイの心配より、山南王と山北王の同盟を阻止しなくてもいいのか」とウニタキは聞いた。
「山南王と山北王の同盟は計算済みだからな。同盟したからと言って、山南王も山北王も、すぐに攻めて来る事はできないはずだ。特に山北王は今、北(にし)に勢力を伸ばしている。南(ふぇー)に目を向けるのは北が片付いてからだろう。山南王もタブチがいる限り、簡単には動けない。首里を攻めている隙に、タブチに島尻大里グスクを奪われる。同盟して状況がどう変わるのか様子を見て、今後の作戦を練るしかないな」
「ンマムイの事は任せろ」と言ってウニタキは帰って行った。

 

 

 

マンガ 沖縄・琉球の歴史

2-69.座ったままの王様(改訂決定稿)

 今年の『丸太引き』のお祭り(うまちー)は華やかだった。
 首里(すい)は赤(あかー)、島添大里(しましいうふざとぅ)は水色(みじいる)、佐敷は白(しるー)、久米村(くみむら)は黄色(きーるー)、若狭町(わかさまち)は黒(くるー)、今年から加わった浦添(うらしい)は緑色(おーるー)と決め、守護神たちは決められた色の着物と袴を着けて、丸太の上に乗って飛び跳ねた。首里はササ(馬天若ヌル)、島添大里はサスカサ(島添大里ヌル)、佐敷はナナ(シンゴの姪)、久米村はシンシン(范杏杏)、若狭町はシズ(ウニタキの配下)、浦添はカナ(浦添ヌル)が守護神を務めた。丸太を引く若者たちはそれぞれの色の鉢巻きを頭に巻いて、先導役はそれぞれの色の旗を振った。お祭り奉行(うまちーぶぎょう)の佐敷ヌルとユリは黄金色(くがにいる)の衣装に身を包み、白馬に乗って佐敷ヌルは先頭を進み、ユリは最後尾を進んだ。
 天気にも恵まれて、大勢の見物人たちが道の両側で応援する中、丸太は勢いよく首里への坂を登って行った。首里の大通りに入った時、首里浦添、佐敷、若狭町が並ぶような格好で首里グスクを目指した。丸太の上ではササ、カナ、ナナ、シズが掛け声を掛けながら飛び跳ねていた。首里若狭町の丸太がぶつかり、ササとシズがはね飛ばされた。二人は無事に着地したが、その隙に、浦添が飛び出して優勝した。二位が佐敷、三位が首里だった。
 浦添を参加させるように頼んだのはカナだった。浦添ヌルとなって浦添に行ったカナは、寂れてしまった浦添を見てがっかりして、何とかして人々を城下に呼び戻さなくてはならないと思った。丸太引きで優勝して、人々を呼び戻そうと思い、サムレーたちと猛特訓したのだった。
 丸太を引いていたのは首里浦添がサムレーたちで、島添大里はサムレーと城下の若者が参加して、佐敷はサムレーと『対馬館』に滞在しているヤマトゥンチュ(日本人)、それにウミンチュ(漁師)も加わっている。若狭町は交易に来た倭寇(わこう)の荒くれ者たちが中心となり、久米村は久米村に住む若者たちだった。久米村の若者たちは『ハーリー』には精を出すが、丸太引きには積極的ではなく、最下位になった。シンシンは悔しがって、若者たちに檄を飛ばしていた。
 思紹(ししょう)(中山王)がいなくなって、サハチ(中山王世子、島添大里按司)は忙しかった。様々な事の最終決定を出さなければならず、午前中は北の御殿(にしぬうどぅん)で政務に励んでいた。今の時期はヤマトゥンチュとの交易で忙しく、大きな問題が起こるとサハチが現場まで行って解決しなければならなかった。さらに、今年は三回、進貢船(しんくんしん)を送り、ヤマトゥ(日本)と朝鮮(チョソン)にも使者を送るので、例年よりもずっと忙しかった。進貢船に乗せる人員の配備や積み荷の仕分けなど、やる事が山積みになっていた。ファイチ(懐機)も忙しいらしく、打ち合わせのために度々、久米村からやって来ていた。
 今回、思紹の身代わりはいなかった。ウニタキ(三星大親)が思紹に似ている男を捜してこようと言ったが思紹は断った。前回のように殺されたら哀れじゃ。わしの代わりはあれで充分じゃと言った。
 あれというのはヒューガ(日向大親)が彫った木像だった。その木像は思紹の着物を着て、碁盤の前に座っていた。知らない者が見れば、本物と見間違うほどよく似ていた。
 いつも同じ所に座っている思紹を眺めながら、簡単な気持ちで明国(みんこく)行きを許したのは失敗だったとサハチは後悔していた。
 『丸太引き』のお祭りの次の日、サハチは首里グスクの西曲輪(いりくるわ)で京都での行列の下見をした。
 朝鮮で手に入れたテピョンソ(チャルメラ)は奥間大親(うくまうふや)(ヤキチ)の紹介で、腕のいい木地屋(きじやー)に作ってもらった。テピョンソを吹くのは四人で、サムレーの中からやってみたいという者を選んで、サハチが暇を見て教えていた。太鼓の二人もサムレーから選び、横笛の四人は女子(いなぐ)サムレーから選んだ。稽古の時は佐敷ヌルとユリに立ち会ってもらい、何とか人様に聴かせられる腕になっていた。
 交易船に乗って行くのは二百人だが、船を守るサムレーと船乗りたちは兵庫港に置いていく。京都まで行列をするのは半数の百人ほどだった。
 行列の先頭は馬に乗った久高親方(くだかうやかた)とサムレーが二人、そのあとに十人の楽隊が続き、その後ろにサムレーが十八人、馬に乗った正使と副使と通事(つうじ)、従者たちと続き、その後ろに六人のヌル、女子サムレーが十二人、荷物を運ぶ荷車、サムレーが三十人と続いて、最後尾に馬に乗った佐敷大親(マサンルー)と美里之子(んざとぅぬしぃ)がいた。
 正使はジクー(慈空)禅師、副使はクルシ(黒瀬大親)、通事はカンスケだった。ヌルはササ、シンシン、ナナ、シズとユミーとクルーの二人が付いて行く事になった。女子サムレーは隊長が首里のトゥラで、首里から四人、島添大里から三人、佐敷、平田、浦添、与那原(ゆなばる)から各二人づつが選ばれ、十六人のうち、首里のチタとクニ、島添大里のサキ、平田のナミーが楽隊に入っていた。
 佐敷大親と一緒に行く美里之子は越来按司(ぐいくあじ)の次男だった。父と兄は越来に移ったが、祖父から続いている武術道場を継ぐため、祖父の名を継いで佐敷に残っていた。
 全員が揃って本番さながらの行進が始まった。見ているのはサハチとマチルギ、馬天ヌルと佐敷ヌル、サスカサ(島添大里ヌル)と運玉森(うんたまむい)ヌル(先代サスカサ)も二人の若ヌルを連れて来ていた。
「いいんじゃないの」と馬天ヌルも佐敷ヌルも言うが、何か物足りなさをサハチは感じていた。
「お前はどう思う?」とサハチはマチルギに聞いた。
「あたしは唐人(とーんちゅ)の行列を見た事ないので、よくわからないけど、琉球らしさが足りないように思うわ」
琉球らしさか‥‥‥お揃いの衣装を身に付ければ琉球らしくなるんじゃないのか」
 衣装はマチルギが指示して、思紹の側室たちが作っていた。
「そうね。でも、旗は持たないの?」
「旗か」
「三つ巴の旗よ」
 サハチはうなづいて、旗を用意させて先頭のサムレーに持たせた。
「一つだけじゃなくて、後ろのサムレーにも持たせたら」とマチルギが言うと、
「サムレーたちに棒を持たせたらどう?」と佐敷ヌルが言った。
 サハチは言われた通りにやってみた。サムレーたちは刀を腰に差して、弓矢を背負っているが、両手は手ぶらだったので、棒を持たせた方が行列が引き締まり、旗も先頭だけでなく、中程にもあった方が見栄えがよかった。
「太鼓の音が弱いな」とサハチは言った。
「道の両側に見物人が溢れて騒ぐと、太鼓の音が聞こえなくなってしまう。太鼓の音が聞こえないと行進も乱れてしまう。あと二人増やそう」
 太鼓は急に増やせないので、誰かを任命して稽古させなければならなかった。
「初回だからこんなものでいいだろう。あとは京都の人たちの反応を見て直すしかない。マサンルーによく言っておこう」
 四月の初め、梅雨に入って雨降りの日が続いた。毎日が忙しく、サハチは島添大里になかなか帰れなかった。佐敷ヌルは佐敷のお祭りの準備のため佐敷に行き、島添大里の事はナツとマカトゥダル(サグルーの妻)とサスカサに任せっきりだった。サハチが島添大里に帰れば小言ばかり言うナツだが、小奥方様(うなじゃらぐゎー)と呼ばれるのにふさわしく、家臣たちにも信頼されているので、サハチも助かっていた。
 四月十五日に浮島(那覇)で、ヤマトゥと朝鮮に行く交易船の出帆の儀式が行なわれた。準備もほぼ整って、あとは梅雨が明けるのを待つだけとなった。
 四月二十一日、雨が降る中、佐敷グスクのお祭りが行なわれた。集まって来た人たちも軒下で雨宿りをしながら、恨めしそうに雨を眺めていた。屋根のない舞台の上ではシラーとウハが雨に濡れながら少林拳(シャオリンけん)の演武をやっていた。
 シラーとウハは伊是名親方(いぢぃなうやかた)率いる四番組のサムレーだった。去年、明国に行って来たが、今年も十月に行く予定になっている。
 苗代大親(なーしるうふや)はサムレーたちの組替えで頭を悩ませていたが、結局、組替えは中止になった。思紹と相談してそのように決めたのだった。すでに、三番組から九番組まで明国に行ったが、それは半数の者たちだけだった。今、組替えをしたら行った者と行かない者がこんがらがってしまうので、残りの半分も行ったあとに組替えしたらいいと言われたようだった。それに、明国に行った者たちの中には船が苦手で、二度と船に乗りたくないという者もいるに違いない。そういう者たちを一番組と二番組に集めればいい。それと、佐敷や平田、浦添、与那原、上間(うぃーま)にいるサムレーたちも、やがては連れて行ってやれと頼まれたという。
首里だけでも大変なのに、全体のサムレーの面倒を見なけりゃならんとはまったく大変な事じゃ」と言って苗代大親は笑った。
 首里に九百人、島添大里に三百人、浦添に百五十人、佐敷、平田、与那原、上間に各百人、総勢一千七百五十人のサムレーたちの面倒を見るのは確かに大変な事だ。苗代大親だからできる事だった。その他に、ヒューガが率いている水軍の者たち二百人がいるが、その者たちまで明国に行きたいと言い出したら、さらに大変な事になりそうだった。
 みんなの願いが天に届いたのか、正午(ひる)近くになって雨はやんで、雲間から日が射してきた。綺麗なヤマトゥの着物を着た佐敷ヌルとユリの進行で、舞台が始まった。舞台の前に敷かれた筵(むしろ)の上に子供たちが大勢集まって来て座り込んだ。ナツとマカトゥダル、ウニタキの妻のチルーとファイチの妻のヂャンウェイ(張唯)もいた。
 いつものように娘たちの踊り、女子サムレーの模範試合があって、お芝居が始まった。今回は『瓜太郎(ういたるー)』だった。
 佐敷ヌルはサハチからヤマトゥ土産にもらった『御伽話集(おとぎばなししゅう)』を読んでいた。ひらがなで書かれた庶民向けの書物で、その中から『桃太郎』を選んだ。琉球には桃はないので瓜に変えて、桃太郎と一緒に鬼(うに)ヶ島に行く猿は亀(かーみー)に変え、雉(きじ)はサシバに変えた。
 お爺さんはウミンチュで、小舟(さぶに)に乗って魚を釣りに行き、お婆さんは川に洗濯に行く。お婆さんは川に流れてきた大きな瓜を拾って家に帰って来る。瓜を割ったら瓜太郎が生まれて、瓜太郎はお爺さんとお婆さんの子供として育つ。ある日、村に鬼が攻めて来て、食糧や娘たちをさらって行く。瓜太郎は娘たちを助けるために鬼ヶ島に鬼退治に出掛ける。途中で出会った犬(いん)と亀とサシバに餅(むーちー)を与えて、一緒に鬼退治に行く。亀の背中に乗って鬼ヶ島に渡った瓜太郎たちは酒に酔った鬼たちを退治して娘たちを救い、鬼が溜め込んでいた財宝を持って村に帰って来る。喜ぶ村人たちに囲まれて、めでたしめでたしでお芝居は終わった。
 主役の瓜太郎を演じたのはササだった。首里グスクのお祭りで『察度(さとぅ)』のお芝居に感激したササは、必死に稽古をして主役を勝ち取った。最近、おとなしくしていると思ったら、お芝居の稽古に熱中していたようだ。シンシンは大きな羽を付けて飛び回るサシバを演じ、ナナは両手に刀を持って暴れる犬を演じた。亀を演じたのは女子サムレーのリンチーで、『浦島之子(うらしまぬしぃ)』で使った甲羅を背負って、見事な棒術で鬼と戦った。
 鬼は四人いて、背の高い女子サムレー四人が太い棍棒を振り回してササたちと戦った。やたらと飛び跳ねているシンシンはまるで本物の鳥のようで、観ている者たちは皆、口をポカンと開けて見とれていた。
 『瓜太郎』のお芝居は大成功で、お芝居が終わったあと拍手が鳴り止む事がなく、ササたちはもう一度、鬼との戦いを演じたという。そして、その噂は首里に届いて、御内原(うーちばる)の女たちが是非見たいと騒いだ。佐敷ヌルは佐敷の女子サムレーたちを引き連れて首里に行き、御内原で上演した。
 サハチも忙しくて佐敷には行けなかったので、御内原で観たが、ササ、シンシン、ナナの軽やかな身のこなしに、改めて凄いと感心していた。お芝居もうまいし、もしかしたら高橋殿からお芝居のコツでも教わったのかなと思った。
 佐敷のお祭りの二日後、梅雨が明けた。そして、二日後、ヤマトゥと朝鮮に行く交易船が浮島から出帆した。その前日、馬天浜からシンゴ(早田新五郎)とマグサ(孫三郎)の船が伊平屋島(いひゃじま)に向かっていた。シンゴの船に乗ってヤマトゥに行くのは浦添按司の次男のクジルーと中グスクの若按司だった。クジルーは去年、ヤマトゥに行ったクサンルーの弟で、中グスクの若按司はマチルギの弟のムタだった。中グスク按司のクマヌから、わしが元気なうちに若按司をヤマトゥに連れて行ってくれと頼まれたのだった。
 交易船の総指揮官は佐敷大親だった。ヤマトゥの正使はジクー禅師、朝鮮の正使は本部大親(むとぅぶうふや)で、普通は正使が指揮を執るのだが、正使が二人いるため、佐敷大親が総合的な判断をして指揮を執る事にしたのだった。一つの船で京都に行ったり、富山浦(プサンポ)(釜山)に行ったりするのは忙しいので、来年からは朝鮮の事はサム(勝連按司)に任せようとサハチは考えていた。
 交易船には倭寇によって琉球に連れて来られた朝鮮人が十四人乗っていた。通事のチョルが妻と一緒に探し回って、朝鮮に帰りたいと言う者たちを集めたのだった。皆、朝鮮が高麗(こーれー)だった頃に連れ去られた者たちで、男が六人、女が八人だった。探してみると思っていた以上の高麗人がいたが、ほとんどの者は琉球に落ち着いていて、帰ってももう知人もいないだろうし、国が変わってしまったので帰るのが恐ろしいと言ったらしい。
 サハチは相変わらず忙しかったが、浮島にいたヤマトゥンチュたちもヤマトゥに引き上げ、それに、ササたちもいなくなって、何となく寂しくなったと感じられた。
 五月に入って、久し振りに島添大里に帰って来たサハチはナツとお茶を飲んでいた。
「三隻のお船がみんな出て行きましたね」とナツは言った。
「そうだな。六百人の者たちが今、琉球から出ている。寂しくなるわけだな」
「王様(うしゅがなしめー)とヂャン師匠(張三豊)は今、どこにいるのかしら?」
「もう応天府(おうてんふ)(南京)に着いたかな。永楽帝(えいらくてい)は応天府に帰って来たのだろうか。順天府(じゅんてんふ)(北京)まで行くとなると大変だな」
「あの二人が使者たちと一緒に行動するとは思えませんよ。ササから聞いたけど、王様は武当山(ウーダンシャン)に行きたいって言っていたようですよ」
武当山か‥‥‥懐かしいな。もしかしたら、俺たちが修行した山の中で、親父も修行するかもしれないな」
「王様もヂャン師匠みたいに仙人になるのかしら?」
 ナツが真面目な顔をして言ったのでサハチは笑った。
「親父が仙人になって百六十まで生きてくれたら俺としても助かるが、そう簡単には仙人にはなれまい」
 ナツが去ったあと、サハチは『宗玄寺(そうげんじ)』を建てる場所を考えた。できれば大通りに面して建てたいが、大通りに面した場所はすでに家々が建て込んでいて場所はなかった。グスクの北側にある『会同館』の近くに建てようかと首里の絵地図を睨んでいたら、珍しく、ウニタキがやって来た。
 旅芸人になるウニタキの配下の女たちは今、島添大里の佐敷ヌルの屋敷に泊まり込んで、女子サムレーたちと一緒に暮らし、稽古に励んでいた。女子サムレーたちも佐敷に負けないお芝居を演じようと歌や踊り、笛や太鼓の稽古に励んでいる。
「どうした、何かあったのか」とサハチはウニタキに聞いた。
「ここのお祭りの時、お前、舞台を観たのか」とウニタキは聞いた。
「ああ、観たが、それがどうかしたのか」
「お芝居が終わったあと、ミヨンは誰と一緒に三弦(サンシェン)を弾いたんだ?」
「ファイテ(懐徳)だろう」
「どうして、その事を黙っていたんだ」
「別に黙っていたわけじゃない。ファイテが三弦を弾いているのを見て驚いたが、家族ぐるみの付き合いをしていると聞いていたんで、お前が教えたのだろうと思ったんだ」
「確かに俺が教えたが、舞台で一緒に歌えとは言ってない」
「何で今頃になって、そんな事を聞くんだ。もう二か月以上も前の事だぞ」
「誰も俺に教えてくれなかったんだよ。旅芸人たちの様子を見ようと今、佐敷ヌルの屋敷に顔を出したら、みんなが一休みしてお茶を飲んでいたんだが、ここでのお祭りの話になって、舞台の最後にミヨンがファイテと一緒に三弦を弾いていたって言ったんだ。ミヨンもチルーもそんな事は一言も言わなかった」
「お前がいなかったから、ファイテが代わりにやっただけだろう」
「俺もそう思いたいが、ミヨンも今年で十六になった。ファイテは隣りに住んでいるので頻繁に行き来しているが、お互いに気があるのかもしれんと疑いたくなってきたんだ」
「ミヨンがファイチの息子と仲よくなるのならいいじゃないか」
「まあ、相手に文句はないのだが‥‥‥」
「ミヨンをお嫁にやりたくはないんだな」
 ウニタキは答えなかった。サハチは話題を変えて、山北王(さんほくおう)の事を聞いた。
「今年も奄美大島(あまみうふしま)に兵を送ったようだ」とウニタキは言った。
「また湧川大主(わくがーうふぬし)が行ったのか」
「いや、羽地按司(はにじあじ)の次男を奄美按司(あまみあじ)に任命して、叔父の本部大主(むとぅぶうふぬし)を付けて送った。兵は百五十人だ。進貢船とヤマトゥ船の二隻で行ったらしい。進貢船は冬になったら戻って来るが、五十人の兵とヤマトゥ船はそのまま奄美に残るのだろう」
「そうか。今年、奄美大島を平定したら、来年は宝島か」
「いや、奄美大島の東方(あがりかた)にある鬼界島(ききゃじま)(喜界島)だろう」
「鬼界島? そんな島があったのか」
「ヤマトゥに行く時、奄美大島の西方(いりかた)を通るので気がつかないが、東方にあるんだよ。クルシの話だと、古くからヤマトゥとつながりがある島らしい」
「そうか。そっちに行ってくれると助かる。山北王が宝島を攻めたら、助けに行かなければならんからな」
「ササの出番だな」とウニタキは笑った。
「ササが犬と亀とサシバを連れて鬼退治に行くだろう」
 次の日、サハチはマチルギと一緒に、佐敷ヌルとクルーの妻のウミトゥク、女子サムレー五人を連れて豊見(とぅゆみ)グスクの『ハーリー』に行った。二年前と同じように開放されたグスクでは子供たちが駆け回り、サハチたちは山南王(さんなんおう)のシタルーに歓迎された。
 ンマムイ(兼グスク按司)も家族を連れて来ていた。ンマムイに会うのも三月半ばのヂャンサンフォン(張三豊)の送別の宴(うたげ)以来だった。
「師兄(シージォン)」と呼んで寄って来て、仮小屋まで案内すると家族を紹介してくれた。サハチもマチルギを紹介した。マチルギとンマムイが会うのは初めてだった。ンマムイの奥さんは赤ん坊を抱いていた。ンマムイがヤマトゥ旅に出ている間に生まれたようだった。
 ンマムイのお陰で、二年前よりは居心地は悪くなかった。小禄按司(うるくあじ)は体調を崩したとかで来ていなくて、息子の若按司が来ていた。若按司といっても四十歳を過ぎていて、父親によく似ていた。武寧(ぶねい)(先代中山王)の弟の瀬長按司(しながあじ)は冷たい目付きでサハチを見ていたが、同じ弟の米須按司(くみしあじ)はそうでもなかった。
「タブチ(八重瀬按司)はまた明国に行っているらしいのう。向こうで会う約束をしたんじゃが、今年は無理のようじゃ。あの広い大陸を見ると、こんな小さな島で争っているのが馬鹿らしくなってくる。ンマムイの奴もすっかり手なづけたようじゃな。兄貴でさえ持てあましていたあいつを手なづけるとは、そなたは大した男じゃのう。まあ、タブチに比べたらンマムイなんぞ大した事ないか」
 そう言って米須按司は笑った。
「ヂャンサンフォン殿のお陰ですよ。ヂャンサンフォン殿がいなければ、二年前、ンマムイに襲撃されていたでしょう」
「ンマムイに襲撃されたとしても、それなりの準備をして乗り込んで来たんじゃろう」
「本当は来たくはなかったのですが、山南王とは古い付き合いなので断れませんでした」
「古い付き合い? そう言えば、山南王は昔、大(うふ)グスクにいたんじゃったな。あの頃、佐敷按司は潰されると思っていたが、中山王(ちゅうざんおう)になるとは、まるで、夢でも見ているようじゃ。世の中、先の事はわからんもんじゃのう」
 豊見グスク按司夫婦が挨拶に来たので、サハチは米須按司から離れて、マチルギのもとに戻った。
「今年はお兄さんが来たのね」と豊見グスク按司の妻のマチルーが言った。
「親父は留守番だよ」とサハチは言った。
 マチルーは笑って、「お師匠、お久し振りです」とマチルギに挨拶をして、姉の佐敷ヌルとの再会を喜んだ。
 ウミトゥクは兄の豊見グスク按司との再会を喜んでいた。
 『ハーリー』は中山王が優勝して、慶良間之子(きらまぬしぃ)が去年の雪辱を果たした。苗代大親とウニタキがサハチたちの警護に当たっていたが、何事もなく島添大里グスクに帰れた。

 

 

 

桃太郎の誕生 (角川ソフィア文庫)   桃太郎の運命

2-68.思紹の旅立ち(改訂決定稿)

 サム(マチルギの兄)の勝連按司(かちりんあじ)就任の儀式が終わったあと、ウニタキ(三星大親)は今帰仁(なきじん)に向かい、サハチ(島添大里按司)は島添大里(しましいうふざとぅ)に帰った。
 次の日は島添大里グスクのお祭り(うまちー)だった。天候にも恵まれて大勢の人たちが集まって来た。舞台の演目は首里(すい)グスクのお祭りとほとんど同じで、女子(いなぐ)サムレーが演じるお芝居は『サミガー大主(うふぬし)』だった。サハチが見たいと佐敷ヌルに頼んだのだった。
 前回、馬天浜(ばてぃんはま)で演じた時は、時間がなかったので曲や踊りは平田で演じた『浦島之子(うらしまぬしぃ)』と同じだったが、今回演じるに当たって、新しい曲や踊りを取り入れ、前回よりも素晴らしいできになっていた。人喰いフカ(鮫)との戦いの場面では、アミーが加わって、サミガー大主役のリンは、アミーとマイの二匹のフカを相手に華麗に戦って拍手を浴びた。
 舞台の最後はウニタキとミヨンの親子の三弦(サンシェン)だったが、ウニタキがいないので、ファイチ(懐機)の息子のファイテ(懐徳)がミヨンと一緒に三弦を弾いて歌を歌った。ファイテが三弦を弾くなんて知らなかったが、なかなかうまいものだった。それよりも、仲よく歌っている二人の姿を見たら、ウニタキが怒るに違いないと思った。サハチは心の中で、まだ帰って来るなよと祈っていた。
 ウニタキは翌日の夕方に帰って来た。今帰仁の『よろずや』にいるイブキの妻のヤエから『望月党』の生き残りの事を聞いてきた。
 ヤエは望月ヌルとして『望月党』を支えてきたが、兄たちの争いに巻き込まれて殺されそうになった。イブキに命を助けられて、望月党が壊滅したあとは、『よろずや』の女将(おかみ)として平和に暮らしていた。
 勝連の若按司が亡くなって、勝連グスクの森の中から霊符(れいふ)が発見されたと聞いて、ヤエは青ざめた顔付きになったが、霊符と望月党のつながりは知らなかった。
「お頭だったサンルー(三郎)の家族で生き残っているのは、サンルーの三男のマグサンルー(孫三郎)とその姉の若ヌル、そして、二人の母親の三人だけです」とヤエは言った。
「五年前に望月党が滅んだ時、マグサンルーは十四歳、若ヌルは十七歳でした。若ヌルはヌルとして一人前になっています。望月ヌルは『摩利支天(まりしてぃん)』という神様に仕えるヌルで、摩利支天法を使って、人を呪い殺す事もありますが、霊符などは使いません。霊符を使うのは道士(どうし)です。もし、その霊符が望月党の仕業であったなら、明国(みんこく)の道士が関わっているのかもしれません」
 ヤエの話によると、望月党の配下の者たちは二百人はいて、普段は農民やウミンチュ(漁師)として普通に暮らしていたという。サンルーとグルー(五郎)の身内同士の争いによって半数余りの者が亡くなり、ウニタキによる本拠地の襲撃によって全滅した。しかし、妻や子供は生き残っている。
 馬天(ばてぃん)ヌルと一緒に勝連の呪いを鎮めた時、ヤエは知っている配下の者を訪ねたが、すでに誰もいなかった。皆、どこかに逃げたようだった。ただ、逃げずに留まっている者たちもいる。よそに嫁いだ娘の侍女として付いて行った女たちは逃げる事もできずに留まっているし、役人としてグスク内で働いている者もいるかもしれない。
 十五歳以下の男の子は一人前として認められなかったので生きている。あれから五年が経って、二十歳になった若者たちがマグサンルーを中心に再結成をした可能性はある。
 望月党が動き出せば、あちこちのグスクに入っている侍女たちが動き出すだろうとヤエは言った。そして、望月党の話をしているうちに思い出したらしく、ヤエには会った事がない叔父がいるという。ヤエが生まれる前に、元(げん)の国(明の前の王朝)に渡ったと聞いている。その後、どうなったのかわからないが、その叔父が道士になって帰って来たのかもしれないと言って怯えた。
 サハチはウニタキの話を聞いて驚いた。望月党の生き残りはサンルーの妻と子供の三人だけだと思っていた。二百人の配下の者たちの家族が生きている事を数に入れてはいなかった。配下の者たちの妻や子は夫や父を殺された恨みを勝連にぶつけてくるに違いない。成長した子供たちは『望月党』を再結成するに違いなかった。
「奴らはどこにいるんだ?」とサハチはウニタキに聞いた。
「ヤンバルの山の中か、あるいはどこかの島だろう」
「二百人もいると思うか」
「いや、女や子供を入れればいるかもしれんが、役に立つ者たちはまだ五十人もいるまい。当時、十五歳だった者がようやく二十歳だ。まだ幼い子供たちの方が多いんじゃないのか」
「そうだろうな」とサハチはうなづいた。
「よそのグスクに侍女たちが残っていると言ったが、伊波(いーふぁ)にもいたな」
「いや、今は安慶名(あぎなー)にいる。安慶名按司の妻が俺の妹だからな」
「そうか、マイチの奥さんだったな」
「その下の妹は武寧(ぶねい)(先代中山王)の長男に嫁いだが、勝連に戻って来ている。俺の兄貴だった勝連按司の娘が中グスクに嫁いだが、その娘も勝連に戻って来ている。侍女たちも一緒に戻って来ていて、今、どうしているのかは調べないとわからん。越来(ぐいく)に嫁いだ俺の叔母がいるが、その叔母も帰って来て城下で暮らしている。今、よそのグスクにいる望月党の女は安慶名だけだろう」
「そうか。ところで、望月サンルーの妻はお前の姉なのか」
「そうだ。一番上の姉だ。俺が十歳の時に嫁いで行った。それ以後、会ってはいない」
「サンルーの家族たちはどこに住んでいたんだ?」
「城下のはずれに立派な屋敷があった。俺も知らなかったんだが、望月ヌルに連れて行ってもらったんだ。勿論、もぬけの殻になっていた。近所の者たちに聞いたら、偉いお師匠様が住んでいたんだが、急にいなくなってしまった。勝連グスクが呪われたので、愛想を尽かしてどこかに行ったのだろうと言った。望月サンルーの表の顔は読み書きを教えるお師匠だったんだよ。甲賀大主(くうかうふぬし)と言って、俺も幼い頃、二代目のサンルーから読み書きを教わっていた。まったく、気がつかなかった」
「その屋敷は空き家のままなのか」
「いや、新しい読み書きのお師匠が入っている」
「若按司に教えていたのか」
「若按司とサムの子供たちに教えている。俺の配下なんだ」
「何だって! お前、勝連を見張っているのか」
「望月党を警戒して入れたんだよ」
「成程な。しかし、お前の配下に、読み書きを教えるような者がいるとは思えんが」
「お前の親父の紹介さ。お前の親父はキラマ(慶良間)で武芸だけを教えていたんじゃないんだ。それぞれの特技を伸ばそうとしていた。奴の親父は今帰仁合戦で戦死したサムレーで、奴は子供の頃から親父に読み書きを習っていたらしい。ただ、側室の倅だったため、親父が戦死したら母親と一緒に追い出されてウミンチュになった。やがて、母親が病死して、海辺でしょんぼりしている時にサミガー大主と出会ったんだ。当時、十六歳だったが、倭寇(わこう)になって南蛮(なんばん)(東南アジア)に行くという話を信じて、キラマの島に渡ったそうだ。島にはヒューガ(日向大親)殿が海賊働きをして奪い取った書物もあった。奴は書物を片っ端からむさぼり読んだ。お前の親父も好きなだけ読めと言ったらしい。お前の親父は奴を首里グスクに呼んで役人にしようと思ったようだが、役人は性に合わないと言って断り、俺の所に来たというわけだ」
「親父が読み書きの師匠を育てたのか」
「読み書きの師匠だけじゃない。あの島では何でも自分たちで作らなければならなかったので、陶器を焼く職人も育てたし、紙を漉(す)く職人も、弓矢を作る職人も育てた。塩を作る職人も育てたようだ。奴らは首里に来ても特技を生かして暮らしている」
「そうだったのか。今更ながら、親父には頭が下がるよ」
「その親父さんだが、明国に行くそうだな」
「困ったもんだよ」
「親父さんの事だから、使者たちとは別行動を取るだろうな」
「確実だよ。『武当山(ウーダンシャン)』と『龍虎山(ロンフーシャン)』に行くのを楽しみにしている」
 ウニタキは笑ったが、「ヂャン師匠(張三豊)と一緒だから大丈夫だと思うが、あの二人だけだとどこに行くかわからんぞ。船に乗り遅れるかもしれん」と警告した。
「乗り遅れたら三姉妹の船で帰ってくればいい」とサハチは簡単に考えていた。
「それはそうだが、使者たちの立場に立ってみろ。王様(うしゅがなしめー)が行方知れずになったら帰って来られないだろう」
「確かにそうだな。本人は東行法師(とうぎょうほうし)のつもりで気楽だが、使者たちにしたらたまったものではないな」
「誰か、しっかりと手綱(たづな)を取れる者を一緒に行かせた方がいいぞ」
「親父の手綱を取れる奴か」とサハチは考えて、「クルーに頼むか」と言った。
「クルーで大丈夫か」
「親父が東行法師だった頃、マサンルー(佐敷大親)は親父と一緒に旅をした。ヤグルー(平田大親)とマタルー(与那原大親)はお爺のサミガー大主と旅をしたんだが、クルーだけは旅をしていないんだ。クルーも兄貴たちのように旅に出るのを楽しみにしていたんだが、お爺は旅をやめてしまった。親父と旅ができれば喜ぶだろう」
「喜ぶどころか、あの二人と一緒だと辛い旅になりそうだぞ」
「その辛さを乗り越えたら、クルーも成長するだろう」
 三月三日、恒例の『久高島参詣(くだかじまさんけい)』が行なわれた。出産後のマチルギも元気になっていたが、みんなから無理をするなと言われて、今回は参加しなかった。例年のごとく、敵の襲撃を警戒して、思紹(ししょう)(中山王)のお輿(こし)にはヂャンサンフォン(張三豊)が乗って、思紹は最後尾を馬に乗って従った。沿道はきらびやかな行列を見ようと人々で埋まり、天気にも恵まれて、久し振りにグスクの外に出た女たちはウキウキしながら歩いていた。馬天ヌルが率いているヌルたちの一行の中に、ササとシンシン(杏杏)の姿があり、女子サムレーに扮したナナの姿もあった。
 苗代大親(なーしるうふや)もウニタキも万全の警備態勢を敷いて待ち構えた。何事も起こらず、一行は無事に久高島に渡って、一泊して帰って来た。
 ササたちは久高島のフボーヌムイ(フボー御嶽)に入って神様の声を聞いた。古い神様はいっぱいいたが、スサノオあるいはウシフニを知っている神様はいなかったし、豊玉姫もいなかったという。豊玉姫は久高島にいるに違いないと勇んで行ったササは、がっかりした顔で佐敷に帰って行った。
 留守番をしていたサハチも首里から島添大里に帰った。山南王(さんなんおう)のシタルーから知らせがあって、『ハーリー』の準備を始めなければならなかった。帰る途中、旅芸人の小屋に寄ってみた。
 笛や太鼓の音が聞こえて来たが、耳をふさぎたくなるようなひどいものだった。いくつも立てられた小屋に囲まれた広場に行くと、五人の娘が踊っていて、二人の男が笛を吹き、二人の男が太鼓を叩き、一人の男が三弦(サンシェン)を弾いていた。娘たちの踊りはバラバラでぎこちなく、とても見られたものではなかった。ウニタキは縁台に座り込んで頭を抱えていた。
「見事な一座だな」とサハチは言って、ウニタキの隣りに腰を下ろした。
「おう、いい所に来たな。奴らに笛を教えてくれ」
「みんな、お前の配下なのか」
「ああ。武芸の腕はそれなりにあるんだが、芸の腕はまるで駄目だ」
「お前が選んだのか」
「やってみたいと思う奴は集まれと言って集めたんだ。三十人近く集まって来て、その中から才能のありそうな者を十人選んだんだが、この有様だ」
「まず基本から身に付けないとどうしようもないな」
「ああ。簡単に考えすぎていた。参ったよ」
「ユリが今、島添大里で女子サムレーたちに笛を教えている。一緒に教えてもらえばいい」
「男二人が女子サムレーたちと一緒に稽古をするのか」
「お客を集めるなら女に吹かせた方がいいんじゃないのか」
「旅をするんだ。女だけじゃ危険だろう」
「男は座頭(ざがしら)と荷物を運ぶ奴と舞台を組み立てたり背景を描いたりする奴でいいんじゃないのか」
「座頭は何をするんだ?」
「お芝居の話を作ったり、お芝居に合わせた曲を作ったり、お芝居に合わせた踊りを考えたりするんだ。佐敷ヌルがやっている事だよ」
「そんな難しい事ができる奴などいない。お芝居はやらなくても踊りだけでいいんじゃないのか」
「考えが甘いぞ。踊りだけなら、どこの村(しま)に行っても娘たちの踊りがある。それと同じ事をやっても誰も見には来ない。お芝居をやれば必ず、お客は大勢集まってくる」
「難しいな」
「一流の芸を見せなければ、すぐに怪しまれるぞ」
「確かにそれは言えるが、難し過ぎる。笛はユリに習うとして、踊りはどうする? 誰に教わればいい」
「踊りか‥‥‥踊りと言えば平田のウミチルだが、付きっきりで教える事はできんだろうし、ユリも踊りの基本は知っているはずだ。ユリに聞いてみるか」
「ユリは奥間(うくま)で、笛や踊りを覚えたのか」
「そうだ。読み書きも武芸も覚えたと言っていた」
「側室になるのも大変だな」
「ただ綺麗なだけではすぐに飽きられるからな。奥間を守るためだと必死に稽古をしたんだろう」
「奥間と言えばナーサだ。ナーサの遊女屋(じゅりぬやー)の遊女(じゅり)たちも踊れるな」
「遊女たちは昼間、踊りや笛の稽古をしているとマユミが言っていた。そこに混ざって稽古をしたらどうだ」
「ナーサに頼むか」
「ちょっと待て。首里(すい)にも奥間から来た側室がいたな」
「何を言っているんだ。王様の側室に頼めるわけないじゃないか」
「王様はしばらく留守になる。側室たちは外に出たくてしょうがないんだ。頼んだら教えてくれるかもしれんぞ。親父が出掛けたらマチルギに頼んでみよう。ここならグスクからも近いしな。出て来られるかもしれん」
「うまくいけばいいが」とウニタキは笛を吹いている二人の男と太鼓を叩いている二人の男、三弦を弾いている男を眺めて、「お前の言う通り、楽器をやるのも女にしよう」と言った。
「その方が見栄えがいい」とサハチは言って、踊っている女たちを見た。踊りは下手だが顔付きは可愛かった。
「フクラシャカリユシマイだ」とウニタキが言った。
 何を言っているのかわからず、サハチはウニタキの顔を見た。
「五人の名前だよ。フクとラシャとカリーとユシとマイだ。五人揃って『誇(ふく)らしゃ嘉例吉舞(かりゆしまい)』というわけだ。縁起がいいだろう。
「本当の名前なのか」
「まさか?」とウニタキは笑った。
「ところで、わざわざ旅芸人を見に来たわけでもあるまい。何かあったのか」
「忘れていた。山南王の事だ。まだ進貢船(しんくんしん)を出していないようだが、何かあったのか」
「どうも修理をしているようだ。去年の台風で座礁したらしい」
「国場(くくば)川に入れなかったのか」
「明国から帰って来たばかりで荷物を降ろしていたようだ。まだ大丈夫だろうと作業を続けていたら大きな波が来て珊瑚礁(いのー)に乗り上げてしまったようだ。按司たちが早く俺の荷物を降ろせと騒いでいたらしい。今年は無理じゃないのか」
「そうか。明国に行けないとなると按司たちがまた騒ぎそうだな」
「米須按司(くみしあじ)あたりがな」とウニタキは笑った。
「向こうでタブチ(八重瀬按司)と会う約束でもしたかもしれん」
「三月の船に乗せてやってもいいが、シタルーが怒りそうだな」
「向こうから言ってきたのならともかく、こっちから声を掛ける事もあるまい。シタルーは焦っている。今はあまり刺激しない方がいいだろう。ところで、三月の船にも按司たちを連れて行くのか」
「いや、按司たちは一年に一回でいいだろう。今回は首里の役人たちを連れて行く。毎年、三回も明国に行くとなると使者たちも育てなければならない。従者として明国に行ってもらい、使者になりたいと言う奴には何度も行ってもらって副使となり、やがては正使となってもらう」
「身内からもクグルーと馬天浜のシタルーが使者になりそうだな」
「ああ、ありがたいよ。弟のクルーも使者になるって言っているしな」
 ウニタキと別れて島添大里グスクに帰ると、サハチは慶良間之子(きらまぬしぃ)(サンダー)を呼んで、ハーリー奉行に任命した。今年こそは必ず優勝すると慶良間之子は張り切っていた。
 奉行は決まったが、今年は誰を行かそうかと考えた。王様の代理となるとやたらな者は送れない。王様の息子か孫でなくてはならないが、誰がいいものだろうか悩んだ。
 ナツがお茶を持って来た。
「奥方様(うなじゃら)はいつ帰っていらっしゃるのですか」とナツは聞いた。
「多分、帰って来ないだろう。もうすぐ、親父がいなくなるからな。留守を守らなければならない」
「どうして、お許しになったのです。王様(うしゅがなしめー)が半年も留守にするなんて信じられませんよ」
「許すも許さないも、親父はもう決めていた。一度、決めたらもう何を言っても無駄だよ。隠居すると言った時と同じ目をしていたんだ」
 そう言ってサハチは首を振った。
「王様がいなくなったら按司様(あじぬめー)も首里に行く事が多くなりますね。若按司もいないし、どうするんです?」
「お前と佐敷ヌルがいるから大丈夫だろう。俺が留守の時、マチルギは時々、ここに来ていたのか」
「月に三度は必ず来ていました。なるべく子供たちと一緒に過ごすようにしていました」
「そうか。佐敷ヌルは『丸太引き』の準備で首里にいるのか」
 ナツはうなづいて、「今年は佐敷からナナさんが出るんですよ」と言った。
「ナナが出るのか」とサハチは驚いた。
「ナナさん、佐敷の娘たちに剣術を教えていて、読み書きも教えているんです。娘たちに人気があって、娘たちがナナさんに出てって言ったようです。ササもシンシンも出る事を知ったら、ナナさんも出たいと言って決まったのよ」
「そうだったのか。もうすっかり琉球人(りゅうきゅうんちゅ)だな」
「そうね」とナツはうなづき、「ナナさんはシンゴ(早田新五郎)さんの姪なんでしょ。という事は佐敷ヌルさんの姪でもあるのよね」と言った。
「そうか。そういう事になるな。するとナナは俺たちとも親戚になるのか」
「そうなのよ。親戚なのよ。何となく他人に思えなかったけど、親戚だったのよ。それにね、今年は浦添(うらしい)も出る事になって、カナ(浦添ヌル)さんも出るんですよ」
「カナも出るのか。そいつは面白そうだな」
 四月五日に行なわれていた『丸太引き』のお祭りは、今年から三月二十日に変更された。梅雨時だと危険だからだった。
 三月十日、浮島(那覇)で進貢船の出帆の儀式が馬天ヌル、佐敷ヌル、サスカサ(島添大里ヌル)、運玉森(うんたまむい)ヌル(先代サスカサ)の四人によって行なわれ、神名が授けられた。手伝っていたのはヌルの修行中のマチとサチだった。
 マチは佐敷大親(さしきうふや)の長女で、サチは平田大親の長女だった。二人とも十五歳で、去年の五月から修行をしていた。二人とも按司の娘ではないので、佐敷大親も平田大親も娘をヌルにするつもりはなかった。しかし、二人がどうしてもヌルになりたいと言うので、馬天ヌルに相談した。馬天ヌルは少し考えてから、「佐敷ヌルはやがては首里に来るだろうし、ササは馬天ヌルを継いで、佐敷から出るかもしれない。平田にはフカマヌルがいるけど、娘のフカマヌルは久高島にいる。佐敷にも平田にも若ヌルは必要だわね」と言った。
 馬天ヌルは平田のフカマヌルとも相談して、二人を運玉森ヌルのもとで修行させる事に決めたのだった。
 ヂャンサンフォンも運玉森ヌルと一緒に来ていた。弟子のシュミンジュン(徐鳴軍)が旧港(ジゥガン)(パレンバン)に帰ったあと、ヂャンサンフォンは島添大里から与那原(ゆなばる)グスク内にある運玉森ヌルの屋敷に移っていた。与那原のサムレーたちに武芸の指導をしていて、与那原大親のマタルーも一緒に指導を受けていた。サハチに頼まれて、急に明国に行く事になり、運玉森ヌルとの別れを惜しんでいるのかもしれなかった。
 十五日には、サミガー大主(ウミンター)の次男のシタルーと宇座按司(うーじゃあじ)の娘のマジニの婚礼が馬天浜で行なわれた。思紹は甥の婚礼なので首里でやろうと言ったが、シタルーもマジニも大げさな婚礼はいいと言い、宇座按司も微妙な立場にいるので、身内だけでやろうと言った。
 宇座の御隠居(うーじゃぬぐいんちゅ)(泰期)が武寧と喧嘩して以来、宇座按司は山南王に仕えてきた。今も息子たちは山南王の使者として活躍している。宇座は中山王の領内にあって、育てている馬は中山王の交易に使われているが、微妙な立場にいる事は確かだった。息子たちのために山南王を刺激したくはないのだろう。思紹も納得して、サミガー大主の屋敷でやる事になった。
 宇座按司夫婦と娘のマジニは前日に首里に来て、思紹に歓迎された。翌日、首里のサムレーに守られた花嫁行列は馬天浜に向かった。華やかな花嫁行列を見ようと沿道は人で溢れ、マジニは中山王の甥に嫁ぐ事を改めて実感していた。
 馬天浜にも大勢の人が待っていた。『対馬館』に滞在しているヤマトゥンチュ(日本人)たちからも祝福されて、馬天ヌルと若ヌルのササによって婚礼の儀式が厳粛に行なわれた。シンシンとナナもヌルの格好をして手伝っていた。
 夫婦となった二人は首里に屋敷が与えられ、シタルーは馬天之子(ばてぃんぬしぃ)を名乗って、交易の使者を目指す事になる。
 シタルーの婚礼から三日後、進貢船が出帆した。
 思紹は東行法師の格好、ヂャンサンフォンは道士の格好、クルーは二人の荷物持ちという格好だったので、誰も気づく事もなく、無事に船に乗り込んだ。
 正使は新川大親(あらかーうふや)で、副使は越来大親(ぐいくうふや)、サムレー大将は又吉親方(またゆしうやかた)で、副大将は外間之子(ふかまぬしぃ)だった。新川大親と又吉親方は去年、朝鮮(チョソン)に行って、年末に帰って来たばかりだったが、喜んで引き受けてくれた。
 副使の越来大親は越来生まれだった。察度(さとぅ)(先々代中山王)の三男が越来按司だった頃、越来按司は二度、正使として明国に行っている。その時、副使を務めたのが越来大親の父親だった。父親が亡くなったあと、越来大親は従者として何度も明国に行っていた。そして、今回、越来大親となり副使に昇格したのだった。
 唐人(とーんちゅ)の船乗りたちはヂャンサンフォンが一緒に乗る事を知って喜んでいた。ヂャンサンフォンは唐人にとって神様のような存在だった。
 天気にも恵まれ、進貢船は東風(くち)を受けて気持ちよく西(いり)へと向かって行った。
 サハチはタチを抱いたマチルギと一緒に龍天閣(りゅうてぃんかく)の三階から、思紹たちの無事を祈って進貢船を見送った。

 

 

 

旅芸人のいた風景: 遍歴・流浪・渡世 (河出文庫)

2-67.勝連の呪い(改訂決定稿)

 正月の下旬、シンゴ(早田新五郎)とマグサ(孫三郎)の船が馬天浜(ばてぃんはま)にやって来た。イハチ(サハチの三男)とクサンルー(浦添按司)が無事に帰国した。
 ナナが来ているので、イハチと仲よくなったミツが一緒に来るかと思ったが、来なかった。一時は母親と一緒に来ると言ったのだが、今の対馬(つしま)の状況を考えたら、やはり行けないと言ったという。行く気になればいつでも行けるので、お屋形様(早田左衛門太郎)たちが帰って来たら必ず行くと言ったらしい。
 シンゴの話では、お屋形様たちが帰って来たら、妹のサキも娘と一緒に琉球に行くと言ったという。イトたちも行くと言ったし、大勢の女たちが琉球にやって来そうだ。来てくれるのは嬉しいが、あちこちで騒動が起きそうだった。
 歓迎の宴(うたげ)で飲み過ぎて『対馬館』に泊まり、正午(ひる)頃に島添大里(しましいうふざとぅ)に帰るとサハチ(島添大里按司)はナツに怒られた。
「若按司様(わかあじぬめー)(サグルー)が明国(みんこく)に行っていて、佐敷ヌルさんはお祭り(うまちー)の準備で首里(すい)に行っています。按司様(あじぬめー)がちゃんとしてくれないと困ります。それに、奥方様(うなじゃら)ももうすぐ、赤ちゃんをお産みになられます」
 マチルギは今、首里グスクの御内原(うーちばる)に入っていた。出産の兆しがあれば首里から知らせが届く手はずになっていた。
 サハチはナツに謝った。もともと気が強い女なのかもしれないが、だんだんとマチルギに似てきていた。二人が同時にサハチを責めて来たら、とても太刀打ちできない。そこに、メイユー(美玉)まで加わったら、もうお手上げだった。
 さんざ小言を言ったナツが引き上げると、サハチはイーカチが描いた首里城下の絵地図を広げて、どこにお寺を建てようかと考えた。首里のお祭りが終わったら、首里グスクの百浦添御殿(むむうらしいうどぅん)(正殿)の唐破風(からはふ)の普請(ふしん)を始めて、それが完成したら、長年仕えてくれたソウゲンのために『宗玄寺』を建てて、次に首里で読み書きを教えているナンセンのために『南泉寺』を建てて、次にジクー禅師のために『慈空寺』を建てる。次は慈恩禅師(じおんぜんじ)が来てくれたら、『慈恩寺』を建てる。それに、浦添の『極楽寺』も再建しなければならなかった。荒れ果てたままの英祖(えいそ)のお墓も直さなければならない。極楽寺を入れて五つ。浮島(那覇)の『護国寺』を入れれば六つになる。残りの四つはヤマトゥ(日本)から僧侶を連れて来るか、琉球人(りゅうきゅうんちゅ)の僧侶を育てるかしなければならない。身内で誰かいないかと探してみたが、思い当たる者はいなかった。
 あれこれ考えているうちに夕方になり、ササたちがヤンバル(琉球北部)の旅から帰って来た。
 ササは目を輝かせて、「按司様、見つけたわよ」と言った。
 一緒に行ったシンシン(杏杏)とナナも興奮しているような顔付きだった。
スサノオの神様の足跡が見つかったのか」とサハチは驚いた顔をしてササに聞いた。
「辺戸岬(ふぃるみさき)まで行って来たのよ。ヤマトゥから島伝いに琉球に来たスサノオ様は、辺戸岬まで来て、きっと上陸したと思うわ。宇佐浜(うざはま)という砂浜よ。宇佐浜から安須森(あしむい)(辺戸岳)に登ったのに違いないわ。あたしたちも登ってみたの。頂上からの眺めは、とても素晴らしかったわ」
 若い頃に辺戸岬に行った時、サハチも安須森を見上げて登って見たいと思った。しかし、安須森は山自体が神聖なウタキ(御嶽)になっているので登る事はできなかった。
「安須森に登ってスサノオ様は南の方(ふぇーぬかた)を見たと思うんだけど山ばかりで玉グスクまでは見えないわ。山の上に古いウタキがあるんだけど、なぜか、神様の声は聞こえなかったの」
スサノオ様が来た時、すでに安須森は神聖なウタキになっていて、スサノオ様は登れなかったんじゃないのか」とサハチは言った。
「そうか」と言ってササは考えてから、「そうかもしれないわね」とうなづいた。
「宇佐浜に村(しま)があって、そこのヌルから玉グスクの場所を聞いたのかもしれないわ。辺戸岬からスサノオ様が東の方(あがりかた)に進んだのか、西の方(いりかた)に進んだのかわからなかったんだけど、ヌルから場所を聞いたとすれば、東の方に進んで行ったに違いないわ。東の方に進めば勝連(かちりん)半島にぶつかるわ。それで、勝連を調べたんだけど、何も見つからなかったの。ついでだから、望月党の隠れ家に行ってみたんだけど、誰かが来た形跡はなかったわよ。去年、あたしたちが片付けたままの状態だったわ」
「そうか。望月党の残党が戻って来れば、必ず、あそこに現れるだろうとウニタキ(三星大親)は言って、あそこを『三星党(みちぶしとー)』の拠点にはしなかった。勝連にいるウニタキの配下の者が時々、様子を見に行っているらしい。ちょっと待て。お前、辺戸岬からスサノオ様が東に進んだのか、西に進んだのかわからなかったと言ったな。西に進めば今帰仁(なきじん)にぶつかる。まさか、今帰仁に行ったのではあるまいな」
「行かなかったわ」とササは首を振った。
 サハチはホッとした。
「行こうと思ったんだけどね、何かいやな予感がしたのでやめたわ」
「そうか、よかった。あと六年待て。六年経ったら好きなだけ歩き回ってもいい」
「そうね。勝連半島を迂回したスサノオ様は南下して馬天浜に上陸したのよ」
「確かにスサノオ様が琉球に来たとすれば、馬天浜に上陸しただろうが、そんなの信じられんな」
「あたしだって信じられなかったわ。でも、佐敷グスクの裏山にある古いウタキの神様が教えてくれたのよ」
スサノオ様が来たってか」
「はっきり、スサノオ様とは言わなかったけど、遙か昔、ヤマトゥから若い王様がやって来たって言ったわ。その王様は上陸した浜を『果ての浜』って名付けたそうよ」
「果ての浜?」
「ハテノハマがハティヌハマになって、いつしかバティンハマになったんだと思うわ」
「果ての浜か‥‥‥確かにヤマトゥから来たら、細長い島の果てにある浜だな」
「それだけじゃないのよ。その王様は琉球に着いた喜びから踊ったんだけど、髪に挿していた佐世(させ)の木が落ちたので、その地を佐世木と呼ぶようになったらしいわ」
「サセキがサシキになったのか」
「そうらしいわ」
「その佐世の木というのはどんな木なんだ?」
ツツジの仲間らしいわよ。スサノオ様はヤマタノオロチを退治した時も、佐世の木を髪に挿して踊ったらしいわ。琉球に来て、佐世の花が咲いているのに感激して、髪に挿して踊ったのよ」
「その王様の名前を神様は知らなかったのか」
「ウシフニって言っていたわ」
「ウシフニ‥‥‥スサノオっていうのは神名(かみなー)で、ウシフニっていうのが童名(わらびなー)じゃないのか」
「そうだといいんだけどわからないわ。明日、玉グスクに行って調べて来るわ。マシュー姉(ねえ)(佐敷ヌル)に聞いたら、スサノオ様が来た頃の玉グスク按司は、あたしたちの御先祖様だって言っていたわよ」
「やはり、そうだったか」とサハチは満足そうにうなづいた。
 言いたい事を言ってササが帰ろうとしたら、「オキナガシマ」とシンシンが言った。
「あっ、そうそう。スサノオ様が来た頃、琉球は沖の長島とか沖長島って呼ばれていたみたい」
「沖長島か‥‥‥」
 遙か沖にある細長い島だからそう呼ばれていても不思議はなかった。タカラガイの交易が終わって、この島の事は忘れ去られて、いつしか明国が名付けた琉球という名が島の名前になってしまったのだろう。
 ササたちが帰って行ったあと、お茶を持って来て、一緒に話を聞いていたナツが、
「ヤマトゥから来た娘さんを初めて見たけど、すっかり馴染んでいて、古くからのササのお友達みたいね」と言った。
 そう言われてみれば、ヤマトゥから来た女は見た事がなかった。ヤマトゥの商人たちは女を連れては来ないし、浮島の若狭町(わかさまち)にもヤマトゥの女はいなかった。サハチが知っている限りでは、ナナは初めて琉球に来たヤマトゥの女かもしれない。いや、一人いたのを思い出した。思紹(ししょう)(中山王)の側室にヤマトゥの女がいた。薩摩の商人から贈られたアユだった。今まで不思議に思わなかったが、アユは思紹の側室になるためにヤマトゥから連れて来られたのだろうか。
「どうしてササはスサノオの神様の事を調べているの?」とナツが聞いた。
「さあ?」とサハチは首を振った。
「一昨年(おととし)のヤマトゥ旅でスサノオの神様の事を知ったらしい。そして、去年のヤマトゥ旅で、京都でスサノオ様の声を聞いたんだ。あまりにも偉大な神様なので興味を持ったのだろう。俺たちの家紋『三つ巴』も、スサノオ様の神紋だったらしいから、俺たちに関係がないとは言えない。気が済むまで調べればいいさ」
 ナツは笑って、「馬天浜が『果ての浜』だったなんて驚いたわ」と言った。
「そうだな。意味もわからずに馬天浜って言っていたけど、地名というのはそれなりにちゃんとした意味があるんだな」
首里は真玉添(まだんすい)のスイでしょ。島添大里は島襲い大里で、佐敷が佐世木、ねえ、津堅島(ちきんじま)のチキンって何なの?」
 サハチは首を傾げた。
 二日後、ササは玉グスクから帰って来て、何も見つからなかったと言った。
「本人から聞くのが一番早いんじゃないのか」とサハチはササに言った。
「それがわかれば苦労はないわ。豊玉姫(とよたまひめ)様が今、どこにいるのかわからないのよ」
対馬の『ワタツミ神社』のお墓にはいなかったのか」
 ササは首を振った。
対馬にはスサノオ様も豊玉姫様もいなかったわ。スサノオ様には京都で会えたけど、豊玉姫様はいないのよ。一体、どこにいるの?」
「京都には別の奥さんがいたと言ったな」
稲田姫(いなだひめ)様よ。出雲(いづも)のお姫様なの。豊玉姫様は琉球の事が心配になって琉球に帰って来ていると思ったんだけど、玉グスクにはいなかったわ」
琉球のお姫様じゃなかったんじゃないのか」
「いいえ、琉球のヌルよ。いつか必ず、探してみせるわ」
「神様から与えられたお前の仕事だ。頑張れ」
「神様から与えられたお仕事?‥‥‥そうかもしれないわね」
 ササは納得したような顔をして笑った。
 二月九日、首里グスクのお祭り(うまちー)が盛大に行なわれた。
 早いもので四回目のお祭りだった。一回目のお祭りの時、サハチはいなかったが、思紹の身代わりが殺された。二度目は何事も起こらなかった。三度目は『龍天閣(りゅうてぃんかく)』の普請中だったので北曲輪(にしくるわ)で行なった。ようやく龍天閣も完成して、今年は西曲輪(いりくるわ)を開放して、龍天閣も開放した。
 朝早くから人々が集まって来て、大御門(うふうじょー)が開くのを待っていた。門が開くと、北曲輪にいる孔雀(コンチェ)に歓迎されて、人々は坂道を上って西曲輪に入った。人々が目指すのは西曲輪の奥に立つ龍天閣だった。龍天閣の前には長い行列ができた。龍天閣に上るために泊まり掛けでやって来た人も多かった。城下にはそんな人たちのための宿屋もいくつかできていた。
 ササはシンシンとナナと一緒に例年のごとく、見回りをしていた。女子(いなぐ)サムレーたちは屋台で酒や餅を配っている。四番組のシラーは石垣の上からグスクを守っていた。五番組のマウシは残念ながらお祭りを見る事はできず、浮島の警護に当たっていた。
 舞台では綺麗なチマチョゴリ(朝鮮の着物)を着た佐敷ヌルとユリの進行で、娘たちの踊りの競演、女子サムレーの模範試合、シラーとウハの少林拳(シャオリンけん)の演武、飛び入りの芸能大会と進んで、女子サムレーたちによるお芝居が始まった。演目は『察度(さとぅ)』だった。
 察度の父、奥間大親(うくまうふや)は畑仕事のあとに森の泉に手足を洗いに来る。泉では若く美しい女が行水(ぎょうずい)をしている。木陰に隠れて女に見とれていた奥間大親は、木の枝に掛かっている羽衣(はごろも)を見つける。奥間大親は羽衣を隠してから泉に行く。女は慌てて泉から出るが羽衣がない。女は天女だと名乗り、羽衣を探してくれという。奥間大親は一緒に探す振りをして、天女を家に連れて帰る。
 天に帰れなくなった天女は奥間大親の妻となって暮らし、子供も二人生まれる。男の子がジャナ、女の子がチルー。ジャナが十歳になった時、妹のチルーが歌う歌を聴いて、天女は羽衣を見つけ出す。子供たちと別れるのは辛いが、天女は意を決して天に帰ってしまう。
 ここまでは博多で見た『羽衣』と同じだったが、その先があった。ジャナは勝連グスクに行って、勝連按司の娘、マナビーを嫁にもらい、チルーはジャナの親友のタチに嫁ぐ。ジャナとタチは兵を集めて浦添(うらしい)グスクを攻め、浦添按司を倒す。浦添按司になったジャナは察度と名を改め、めでたしめでたしでお芝居は終わった。
 天女を演じたのはチニンチルーだった。女子サムレーとしての最後の仕事がこのお芝居だった。チニンチルーは天女の舞を華麗に舞っていた。子供の頃のジャナを演じたのはウニタキの娘のミヨンで、チルーを演じたのはサハチの三女のマシューだった。マシューはミヨンの弾く三弦(サンシェン)に合わせて、見事に歌いきった。八歳のマシューはミヨンと一緒に首里の屋敷に泊まり込んで稽古に励んでいたという。マシューの歌を聴きながら、サハチはマチルギと一緒に聴きたかったと思っていた。マチルギは御内原で頑張っていた。赤ん坊は今日か明日にも産まれるだろう。
 察度が浦添グスクを攻める戦(いくさ)の場面では、十人の女子サムレーが迫力ある棒術の演武を披露して観客たちを喜ばせた。イーカチが描いた背景の浦添グスクの絵も見事なできばえだった。
 お芝居のあと、笛の競演があって、シンシン、チタ、ウミチル、ササ、ユリ、佐敷ヌルが横笛を披露して、サハチも一節切(ひとよぎり)を披露した。それぞれが皆、前回のお祭りの時よりも腕を上げ、自分らしさを表現していた。
 ウニタキが娘のミヨンと一緒に三弦を弾いて歌を歌い、最後はみんなで踊って、舞台は終わった。ウニタキは朝鮮(チョソン)で手に入れた大きめな三弦を弾いていた。
 舞台から降りたウニタキから、リリーが四日前に女の子を産んだ事を聞いた。
「おめでとう」とサハチが言うとウニタキは苦笑した。
 お祭りは何事も起こらず、無事に終わった。
 次の日、御内原で舞台が再現された。お芝居が終わって、女たちが拍手を送っている時、マチルギが男の子を産んだ。子供が産まれる前、マチルギは宇座の御隠居(うーじゃぬぐいんちゅ)(泰期)の夢を見たと言った。若い頃の御隠居が大きな船に乗って大海原を走っていたという。
「御隠居様の生まれ変わりかもしれんな」とサハチが言うと、マチルギは嬉しそうに笑った。
「ちょっと待て。今日は何日だ」とサハチは言った。
「二月十日でございます」と侍女が答えた。
「御隠居様の命日だ」とサハチは言って、マチルギを見た。
「まさしく、御隠居様の生まれ変わりに違いない。御隠居様のように、サグルーを助けてくれるに違いない。でかしたぞ、マチルギ」
 サハチの八男、奥間のサタルーを入れると九男になるが、宇座の御隠居の名をもらってタチ(太刀)と名付けられた。
 一徹平郎(いってつへいろう)と新助を中心に百浦添御殿の正面を飾る唐破風の普請が始まった。瓦(かわら)職人の源五郎は瓦を焼くのに適した土を探しに出掛けて行った。通訳としてイハチが従った。好きになったミツのお陰か、イハチのヤマトゥ言葉は随分と上達していた。
 ウニタキは旅回りをする芸能一座を作ると張り切っていた。首里グスクとビンダキ(弁ヶ岳)の中程辺りに、朝鮮のサダン(旅芸人)たちが暮らしていたような小屋を立てて、そこで稽古を積み、一年後には旅に出られるようにするという。サハチにも暇な時に笛の指導に来てくれと言っていた。
 二月十八日、以前、ファイチ(懐機)の家族が暮らしていた重臣屋敷で、イーカチとチニンチルーの婚礼が行なわれた。イーカチは辺土名大親(ふぃんとぅなうふや)を名乗って王府の絵師となった。イーカチは奥間生まれだが、奥間大親はすでにいる。母親の生まれが辺土名だったので、辺土名大親を名乗る事になった。
 身内だけの婚礼だったが、ウニタキ夫婦を中心に、女子サムレーたちが代わる代わるやって来て賑やかな婚礼となった。ナツも子供たちの面倒を佐敷ヌルとユリに頼んでやって来た。『まるずや』の者たちも、店が閉まると女主人のトゥミが売り子たちを連れてやって来た。『まるずや』では扇子を売っていて、その扇子の絵を描いているのがイーカチだった。
 イーカチの表向きの顔は地図を作っている三星大親(みちぶしうふや)(ウニタキ)の配下で、三星大親と旅をしながら各地の風景を描いているという事になっている。また、『まるずや』が三星党とつながりがある事も、三星党の者たち以外は知らなかった。
 イーカチとチニンチルーはみんなから祝福されて、幸せそうだった。チタがお祝いの笛を吹いて、クニがお祝いの舞を舞った。ウニタキがお祝いの三弦を弾いて、サハチも一節切を吹いた。その日はナツがいたので、サハチも遅くまで飲んでいる事はなく、ナツと一緒に早々と引き上げた。
 イーカチの婚礼から五日が経って、勝連から若按司が病に倒れたとの知らせが届いた。勝連の若按司は十二歳で、勝連の血を引く唯一の跡継ぎだった。もし亡くなってしまったら大変な事になる、と勝連では大騒ぎになっているに違いない。サハチはウニタキと馬天ヌルに勝連に行ってもらい、薬草に詳しい中グスク按司(クマヌ)にも行くように頼んだ。さらに、ファイチに頼んで、久米村(くみむら)にいる医者にも通事を付けて行ってもらった。
 あらゆる看護の甲斐もなく、倒れてから三日後に若按司は亡くなってしまった。今後の対策を考えるため、サハチも勝連に向かった。ササ、シンシン、ナナの三人も付いて来た。
 勝連按司後見役のサムと勝連の重臣たち、そこにサハチとウニタキが加わって今後の事を相談した。
 平安名大親(へんなうふや)は、ウニタキに戻って来てほしいと頼んだが、ウニタキは今は無理だと丁重に断った。平安名大親もその事は覚悟していたのだろう。別の案を出した。
 ウニタキの妹で、武寧(ぶねい)(先代中山王)の長男、カニムイ(金思)に嫁いだ娘がいた。その娘はカニムイとの間に二人の子を産み、長男は殺されたが、長女を連れて勝連に戻って来ていた。今、長女は十四歳になった。その長女とサムの長男を一緒にさせて、サムが勝連按司になるという案だった。そうすれば、三代後には勝連の血を引く者が勝連按司になると平安名大親は言った。
 サハチたちに文句はないが、勝連の重臣たちの反応が問題だった。勝連とは関係のないサムが按司になる事を許すだろうか。
 サハチは心配したが、反対する者はいなかった。後見役を務めていた四年間、様々な事があっただろうが、サムは重臣たちの心をつかんだようだった。勝連の血は流れていないが、サムはサハチの義兄であり、中グスク按司の娘婿だった。伊波按司(いーふぁあじ)、山田按司、安慶名按司(あぎなーあじ)もサムの兄たちで、勝連の地を守っていくには申し分のない男と言えた。
 重臣たちも勝連ヌルも平安名大親の案に賛成して、サムが勝連按司になる事に決まった。サムが勝連按司になってくれれば、交易の事も頼みやすくなる。今後、勝連にはもっと活躍してもらおうとサハチは思っていた。
 次の日、若按司の葬儀が行なわれた。葬儀が終わった頃、ササが森の中で見つけたと言って、紙切れを見せた。
「シンシンが言うには、道士(どうし)が使う霊符(れいふ)で、呪いの霊符に違いないって言うわ」
 確かに『龍虎山(ロンフーシャン)』で見た霊符に似ていた。奇妙な字が書いてあって、サハチにはまったくわからない。
「お前たち、すぐに帰って、それをヂャン師匠に見せろ」とサハチは言った。
 ササたちはうなづいて帰って行った。
 呪いの霊符がどうして、こんな所にあるのだろう?
 若按司は誰かに呪い殺されたのか‥‥‥
 一体、誰が勝連を呪おうとしているんだ?
 望月党か‥‥‥望月党が復活したのか‥‥‥
 復活したとしたら大変な事になる。サハチはすぐにウニタキに知らせた。

 

 

 

沖縄の聖地