長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

2-62.具志頭按司(改訂決定稿)

 九月十日、平田グスクでお祭り(うまちー)が行なわれた。
 お祭り奉行の佐敷ヌルは、ヒューガ(日向大親)の娘のユリと一緒に張り切って準備に明け暮れた。メイユー(美玉)、リェンリー(怜麗)、ユンロン(芸蓉)の三人も手伝ってくれた。初めての大々的なお祭りなので、平田大親(ひらたうふや)(ヤグルー)の妻、ウミチルも張り切って、娘たちに笛や踊りの指導をしていた。
 お祭りの当日、太鼓や法螺貝(ほらがい)の音に誘われて、人々が続々と開放されたグスクに集まって来た。
 フカマヌルも娘のウニチルを連れて、母親のフカマヌルと一緒にやって来た。まぎらわしいが、母も娘もフカマヌルだった。母は平田のフカマヌルで、娘は久高島(くだかじま)のフカマヌルだった。
 佐敷からクルー夫婦と佐敷大親(マサンルー)の妻のキクが子供たちを連れてやって来た。女子(いなぐ)サムレーたちも一緒だった。
 首里(すい)から伊是名親方(いぢぃなうやかた)(マウー)が配下のシラーとウハを連れて、馬に乗ってやって来た。三人とも平田大親と一緒に明国(みんこく)に行っていた。伊是名親方は今まで平田大親とは交流がなかったが、共に辛い旅を経験して仲よくなっていた。もっとも、伊是名親方が平田に来たのは平田大親に会うためだけではなく、リェンリーに会うためだった。妻の手前、首里では会えないので平田までやって来たのだった。
 島添大里(しましいうふざとぅ)からはナツとマカトゥダルが、サハチ(島添大里按司)の子供たちを連れてやって来た。ウニタキ(三星大親)の妻のチルーとファイチ(懐機)の妻のヂャンウェイ(張唯)も、子供たちを連れて一緒にいた。子供たちを守るために慶良間之子(きらまぬしぃ)(サンダー)と女子サムレーたちも付いて来た。
 慶良間之子の目当てはユンロンだった。慶良間之子は非番の度にユンロンと会っていた。妻も薄々気づいているようで、はっきりとは言わないが、最近はずっと機嫌が悪かった。そんな妻の顔を見ていると、余計にユンロンに会いたくなるのだった。
 知念(ちにん)の若按司夫婦も子供たちを連れて来てくれた。
 馬天浜(ばてぃんはま)のシタルーは宇座按司(うーじゃあじ)の娘のマジニを連れて、仲よくやって来た。明国から帰って来たシタルーはお土産を持って宇座に行き、マジニに自分の気持ちを打ち明けた。マジニは喜び、宇座按司も許してくれた。
 シタルーは昨日、馬に乗って宇座に行き、マジニを馬天浜に連れて来て、両親(サミガー大主夫婦)に紹介した。両親は突然の事に目を丸くして驚いたが、大喜びしてくれた。嫁をもらう事にまったく興味を示さなかったシタルーが、こんなにもいい娘さんを連れて来るなんて夢にも思っていなかった。しかも、宇座按司の娘だという。両親は良縁を授けてくれた神様に感謝をした。
 平田グスクは十年前に、マサンルーが築いたグスクだった。
 長男のサハチがマチルギを嫁にもらう時、佐敷グスクを拡張して東曲輪(あがりくるわ)を造った。次男のマサンルーは奥間大親(うくまうふや)(ヤキチ)の娘を嫁にもらって、ヒューガが住んでいた屋敷に入った。その頃、ヒューガは山賊となって運玉森(うんたまむい)に住んでいた。三男のヤグルーの嫁は玉グスク按司の娘だったので、グスク内に住まわせた方がいいだろうと東曲輪に屋敷を新築した。三男夫婦をグスク内に住ませ、次男夫婦をグスクの外に住ませるのもおかしなものだと、ヒューガの屋敷に住んでいたマサンルー夫婦を東曲輪の本屋敷に入れた。当時、サハチ夫婦は一の曲輪の屋敷に住んでいて、隠居した父は久高島にいたし、二人の妹たちも嫁いでいたので、マサンルー夫婦が本屋敷に入る事ができたのだった。
 それから四年後、四男のマタルーが八重瀬按司(えーじあじ)(タブチ)の娘を嫁にもらう事になった。さて、マタルー夫婦の屋敷をどうしようかと考えていた時、マサンルーが平田にグスクを築いて移ると言い出した。サハチたちも賛成してグスクを築き、マサンルーが平田グスクに移って、ヤグルーが東曲輪の本屋敷に移り、マタルー夫婦は新屋敷に入った。
 それから三年後、サハチは島添大里グスクを奪い取って島添大里グスクに移り、マサンルーは佐敷大親になって佐敷グスクに戻り、一の曲輪の屋敷に入った。東曲輪の本屋敷にいたヤグルーが平田大親になって平田グスクに移り、マタルーが東曲輪の本屋敷に入った。その翌年、末っ子のクルーが山南王(さんなんおう)(シタルー)の娘を嫁に迎えて、東曲輪の新屋敷に入った。マタルーが与那原大親(ゆなばるうふや)になって出て行くと、クルー夫婦は本屋敷に移り、今、新屋敷は空いていた。あと四、五年もすれば佐敷大親の長男が嫁を迎えて入る事だろう。
 マサンルーが平田グスクにいた時、家臣は五十名だったが、ヤグルーが入った時、家臣は倍の百人になった。ヤグルーはグスクを拡張した。以前は一つの曲輪だけだったが、裏山を切り崩して新しい曲輪を造って土塁で囲み、そこを一の曲輪にして、以前の曲輪を二の曲輪にした。一の曲輪に屋敷を新築して、以前の屋敷はサムレーたちの屋敷にした。お祭りで開放したのは二の曲輪だった。
 二の曲輪内に舞台を作って、酒や食べ物を振る舞う屋台がいくつも並び、揃いの着物に着飾った女子サムレーたちが配っている。
 舞台では娘たちが歌や踊りを競い合っていた。平田の娘たち、佐敷の娘たち、島添大里の娘たち、知念の娘たち、久高島の娘たちと津堅島(ちきんじま)の娘たちも来ていた。娘たちを応援するために各地から集まって来た人々は、楽しそうな顔をして拍手を送ったり、指笛を鳴らしていた。進行役の佐敷ヌルとユリはメイユーが贈った明国の着物を着ていた。身分の高い女の人が着る高級な着物だという。二人は何を着ても似合っていた。
 娘たちの競演が終わると、女子サムレーたちの剣術の模範試合が行なわれ、メイユー、リェンリー、ユンロンの三人も明国の剣術を披露した。シラーとウハは明国で身に付けた少林拳(シャオリンけん)を披露した。
 シラーとウハは共に伊是名親方の配下のサムレーで、下っ端なので順天府(じゅんてんふ)(北京)までは行けず、ずっと泉州の来遠駅(らいえんえき)にいた。来遠駅の守備兵に少林拳の名人がいて、二人は滞在中、少林拳の修行に励んでいたのだった。ウハはヤンバル(琉球北部)生まれで、ヒューガの配下のタムンが扮した東行法師(とうぎょうほうし)に連れられてキラマ(慶良間)の島に行き、武術の修行を積んでいた。
 武器を持たずに素手で戦う少林拳は見物人たちの興味を引いて、皆、真剣な顔付きで、二人の素早い動きを追っていた。
 武術の演武が終わると飛び入りの芸能大会が行なわれ、各自、自慢の芸を披露した。笑われる者がいたり、冷やかされる者がいたり、喝采(かっさい)を送られる者がいたりと、皆、楽しそうに舞台を見ていた。
 舞台から少し離れた所にある縁台では、平田大親が弟のクルーと酒を飲みながら明国での思い出を語り合っていた。
「八重瀬按司(タブチ)があんなにも達者に明国の言葉をしゃべるなんて驚いたな」と平田大親が言うと、
「八重瀬按司は三度も明国に行っていますからね。去年はマサンルー兄貴とマタルー兄貴も八重瀬按司のお世話になっています」とクルーが言った。
「そうらしいな。あれだけしゃべれれば使者も務まりそうだ」
「ええ。それよりも米須按司(くみしあじ)が順天府まで来たのには驚きましたね」
「米須按司は八重瀬按司と仲がよかったようだから、八重瀬按司から話を聞いて、明国に行きたくなったんだろう」
「順天府の『会同館』で再会を喜んでいましたね」
「順天府まで行って、知人と会う事など滅多にない。たとえ、知人でなくても同じ琉球人(りゅうきゅうんちゅ)なら懐かしく思うもんだ」
「確かにそうですね。順天府まで行ったら、中山(ちゅうざん)だの山南(さんなん)だのなんてどうでもいい事です。同じ言葉をしゃべるだけで仲よくなれますよ」
 平田大親はうなづいて、「明国というのはとてつもなく大きな国だ。あの大きさというのは実際に行ってみなくてはわからん。明国に行って来て、本当によかったと思っている」としみじみと言った。
 舞台では『浦島之子(うらしまぬしぃ)』というお芝居が始まっていた。
 佐敷ヌルが対馬(つしま)にいた時、船越の『アマテル神社』のお祭りがあった。土寄浦(つちよりうら)にいた佐敷ヌルはフカマヌルと一緒に船越に戻ってお祭りを楽しんだ。その時、旅芸人の一座が来ていて、『浦島之子』のお芝居を演じた。佐敷ヌルは初めて見るお芝居に感激して、琉球のお祭りで演じたいと思った。旅芸人たちから詳しい話を聞いて、琉球に帰って来てから準備を進めた。首里のお祭り、島添大里のお祭り、佐敷のお祭りでは準備が整わなかったが、平田のお祭りには間に合ったのだった。
 佐敷ヌルが琉球を舞台にした話を作って、その話に合わせてユリが曲を作り、ウミチルが踊りを考えて、平田の女子サムレーによって演じられた。舞台の背景の絵はイーカチ(三星党副頭)が描いていた。
 馬天浜で子供たちにいじめられている亀(かーみー)を助けた浦島之子は、亀の背中に乗って海の彼方にある龍宮(りゅうぐう)に行く。龍宮では美しい乙姫様(うとぅひめさま)に歓迎される。浦島之子は乙姫様と結ばれて、夢のような日々を送る。あっという間に三年が過ぎて、浦島之子は故郷に帰りたくなる。
 乙姫様から、「決して開けてはなりません」と言われ、玉手箱(たまてぃばく)をもらって故郷に向かう。故郷に帰ると七百年の月日が経っていた。知っている人は誰もいない。呆然として海を眺めていた浦島之子は玉手箱を開けてしまう。
 玉手箱から煙が立ち上って、浦島之子は急に白髪のお爺さんになって亡くなってしまう。やがて、鶴(ちるー)に変身した浦島之子は龍宮へと飛び立つ。龍宮では亀に変身した乙姫様が待っていた。再会を喜んだ鶴と亀は共に長生きをして幸せに暮らした。
 女子サムレーのナカウシが浦島之子を演じて、ミニーが亀を演じて、チリが乙姫様を演じた。亀をいじめていた子供たちは、そのあと着替えて、龍宮の舞姫たちを演じた。物語は笛と太鼓の音に合わせて進み、ゆっくりとした会話と歌で物語を説明していた。
 浦島之子が亀の背中に乗って移動する場面は、木で作った甲羅を背負ったミニーが四つん這いになって、ナカウシを乗せたが、ナカウシの足もミニーと一緒に歩いていたので、見ている者たちを笑わせた。
 龍宮は首里グスクの百浦添御殿(むむうらしいうどぅん)(正殿)にそっくりだった。背景に描かれた龍宮の前で、浦島之子と乙姫様が仲よくお酒を飲みながら、舞姫たちの踊りを見ている。舞姫たちは明国の妓女(ジーニュ)のような華やかな着物を着て華麗に舞っていた。亀がのそのそと出て来て、三年が過ぎた事を教えた。
 玉手箱を持って馬天浜に戻って来た浦島之子が、玉手箱を開けて変身する場面が最大の見せ場だった。岩の上に座って玉手箱を開けると紙吹雪が飛び出して、紙吹雪が舞っている間に、ナカウシは白髪頭の老人に変身した。そして、苦しみながら亡くなり、岩陰に隠れて鶴に変身して出て来た。大きな翼を羽ばたかせながら飛んで行き、龍宮で乙姫様と再会する。乙姫様は乙姫様の格好のまま甲羅を背負って、亀になった事を表現していた。舞姫たちが二人を祝福するように踊って、お芝居は終わった。
 観客たちは拍手を送り、指笛が飛び交った。琉球で最初に演じられたお芝居は大成功に終わった。
 その後、子供たちの笛の合奏、ミヨンの歌と三弦(サンシェン)が披露され、ユリ、チタ、佐敷ヌル、ウミチルの笛の競演が行なわれ、最後は調子のいい曲に合わせて、みんなが踊って終わりとなった。
 平田のお祭りから一月余り経った十月十四日、馬天浜でお祭りが行なわれた。七年前に先代のサミガー大主(うふぬし)が亡くなった日だった。今までは身内だけで集まって、サミガー大主を偲んでいたが、サミガー大主を慕っていたウミンチュ(漁師)たちが自然と集まって来るようになっていた。島添大里のお祭りを復活させて、佐敷と平田のお祭りを始めたように、馬天浜のお祭りも恒例行事として始めたのだった。
 馬天ヌル、佐敷ヌル、サスカサ(島添大里ヌル)がサミガー大主夫婦が眠っているガマ(洞窟)の前でお祈りを捧げて、馬天浜に移ってお祭りは始まった。ウミンチュたちが各地から集まって来て、馬天浜は小舟(さぶに)で埋まり、『対馬館』の大広間から砂浜に至るまで、ウミンチュたちの酒盛りが始まった。
 対馬館の庭に作った舞台では『サミガー大主』と題したお芝居が演じられた。演じたのは島添大里と佐敷の女子サムレーたちだった。平田のお祭りで演じた『浦島之子』の評判がよかったので、佐敷ヌルが祖父の話をお芝居にしたのだった。一月余りしかなかったので、お芝居の中で流れる曲や踊りは『浦島之子』とほとんど同じで、歌詞だけを変えた。
 伊是名島(いぢぃなじま)で鮫皮(さみがー)を作っていたサミガー大主は、ヤマトゥ(日本)からの船が来ないので島を追い出される。今帰仁(なきじん)の近くの海で夜を明かした時、夢の中に鎧武者(よろいむしゃ)が現れて、「馬天浜に行け」と言われる。
 サミガー大主は夢のお告げを信じて、馬天浜に行く。馬天浜で鮫皮作りに励んでいるとヤマトゥの船がやって来る。サミガー大主は鮫皮と大量の鉄を交換して、浜の人たちに喜ばれる。その事は大(うふ)グスク按司の耳にも入り、御褒美として大グスク按司の娘、マシューをお嫁にもらう。お姫様姿のマシューが馬天浜に嫁いで来て、浜の人たちに祝福されてお芝居は終わる。
 サミガー大主を演じるリンが、穴の空いた船から足を出して移動する場面では皆が大笑いした。岩陰で眠っているサミガー大主の枕元に、突然現れた鎧武者は見ている者たちを驚かせた。幕の後ろに隠れていた鎧武者を、幕を一瞬のうちに下ろして見せただけなのだが、見ている者たちは鎧武者が突然、出現したと思って驚いていた。
 サミガー大主が水中で人喰いフカ(鮫)と戦って見事に勝つ場面もあった。フカを擬人化して、フカの顔を描いた烏帽子(えぼし)をかぶったマイがフカを演じ、飛んだり跳ねたりしながら、サミガー大主を演じるリンと見事な棒術の演武を披露した。
 ヤマトゥの船が来た時は、浜の娘たちが華麗に踊り、大グスクのお姫様が嫁いで来た時は、全員で祝福の踊りを踊って幕は下りた。お芝居を観ていたウミンチュたちは笑いながらも、サミガー大主を思い出して泣いている者も多かった。
 馬天浜のお祭りの次の日、三姉妹の船は明国に帰って行った。メイユーはマチルギの許しを得て、サハチの側室になっていた。
 それから三日後、与那原グスクが完成して、運玉森ヌル(先代サスカサ)によって儀式が行なわれ、マタルーは正式に与那原大親に就任した。
 メイユーたちがいなくなって、何だか急に静かになったように感じられた。
 マチルギはイーカチから各地の様子を知らされた。
 山北王(さんほくおう)(攀安知)は弟の湧川大主(わくがーうふぬし)に奄美大島(あまみうふしま)を攻めさせた以外は目立った動きはないようだった。明国の海賊、リンジェンフォン(林剣峰)の船は今年も三隻でやって来て、進貢船(しんくんしん)を出すよりもかなり多くの商品を持って来ていた。リンジェンフォンも南蛮(なんばん)(東南アジア)との交易をやっているらしく、南蛮の品々も数多く持って来ていた。交易を担当していた湧川大主がいないので、山北王は忙しく、弟を奄美に行かせたのは失敗だったとぼやいているという。
 山南王は完成した長嶺(ながんみ)グスクに、娘婿のクルクを長嶺按司に任命して守らせたという。そして、ヒューガが調べた所によると、山南王は粟島(あわじま)(粟国島)で密かに兵を育てているらしい。
「あたしたちの真似をしているのね」とマチルギが言うと、イーカチはうなづいた。
「今の兵力では中山王(ちゅうざんおう)にはかないませんからね。兵力を育てるのは当然の事です。ただ、どこで育てているのかわからなかったのです」
「その粟島ってどこにあるの?」
「キラマよりかなり北(にし)の方です。あそこから糸満(いちまん)に来るには、風に恵まれなければ一日では来られないでしょう」
「そう」と言いながら、マチルギは久し振りに船に乗りたくなっていた。しかし、今は船には乗れなかった。お腹に赤ちゃんがいるのだった。この年齢(とし)でお腹が大きくなるなんて恥ずかしかったが、今後の事を思えば子供は一人でも多い方がいい。でも、子作りは今回で最後にしようと思っていた。
「何となく、具志頭(ぐしちゃん)で何かが起こりそうです」とイーカチは言った。
「どういう事?」とマチルギは聞いた。
「タブチの留守中に具志頭の若按司に山南王の娘が嫁ぎました。具志頭グスクは八重瀬グスクの東(あがり)にあります。八重瀬グスクは島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスクと具志頭グスクに挟まれた格好です。タブチにしてみれば目障りな存在でしょう。明国から帰って来たタブチが動くかと思われましたが、その素振りは見せませんでした。ところが今月の初め、隠居していた先代の具志頭按司が亡くなりました。それから何日かして、島添大里按司として戦死したヤフス(屋富祖)の妻だった具志頭按司の姉が、八重瀬按司を訪ねているのです。奥間(うくま)からタブチに贈られた側室によると、具志頭按司の姉は自分の倅が按司になれるようにタブチに頼んだようです。タブチははっきりと返事をしなかったようですが、もしかしたら動くかもしれません」
 八重瀬城下にはウニタキの配下の研ぎ師のハンルクがいた。十年以上、城下に住んでいるのでタブチにも信頼されている。奥間から側室が贈られたのは二年前で、その側室から得た情報はハンルクを通してイーカチに知らされた。タブチの動きは筒抜けになっていた。
「具志頭按司の姉が弟を滅ぼして、自分の息子を按司にしようとたくらんでいるの?」とマチルギは聞いた。
「そうです。本来ならヤフスが具志頭按司になって、その息子が若按司になるはずだったのです。ところが、ヤフスが島添大里で戦死してしまったため、ヤフスの倅は按司になれなくなってしまいました」
「それにしたって、実の弟を倒すなんて考えられないわ」
「女は怖いですよ」とイーカチは笑った。
 一月が経って、イーカチの心配は現実のものとなった。
 タブチは具志頭グスクを攻め、たったの一日で攻め落とした。具志頭按司と若按司を殺し、ヤフスの倅を具志頭按司にした。若按司の妻のマアサは助けた。シタルーの娘であり、タブチにとっては姪だった。まだ十四歳のマアサは、お嫁に来たけど、あの人は好きになれないと言って、タブチにお礼を言った。タブチはマアサに手紙を持たせて島尻大里に送り届けた。その手紙には、今は亡き弟の倅が具志頭按司になったのだから文句はあるまいと書いてあったという。
 タブチは明国に行くようになってから、八重瀬の城下に明国の商品を売る店を出し、行商人を使って山南王の様子を探っていた。シタルーに隙があれば、シタルーを倒して山南王になるという夢をまだ捨ててはいなかった。その行商人を使って具志頭按司の姉と密かに連絡を取り、お互いに準備を進めて、奇襲を掛けたのだった。ヤフスの倅の手引きでグスク内に潜入した八重瀬の兵たちは、敵対する者を次々に倒して行った。突然の襲撃に、具志頭按司は守りを固める事もできずに討ち死にした。
 イーカチはタブチの動きを知っていた。知っていたが、中山王に関わる事ではないので放っておいた。
 新しい具志頭按司の妻は米須按司の娘だった。今回、米須按司は動いていないが、米須按司がタブチ側に寝返る可能性が出て来た。米須按司が中山王側に付けば、山南王の勢力は削減し、都合のいい事だった。

 

 

 

浦島太郎の日本史 (歴史文化ライブラリー)

2-61.英祖の宝刀(改訂決定稿)

 サハチ(島添大里按司)たちがヤマトゥ(日本)と朝鮮(チョソン)に船出した日から七日後の五月四日、豊見(とぅゆみ)グスクで毎年恒例の『ハーリー』が行なわれた。思紹(ししょう)(中山王)は王妃を連れて出掛けて行った。従ったのは馬天(ばてぃん)ヌルと五人の女子(いなぐ)サムレー、護衛の兵が十人だった。敵の襲撃を考えて、全員が馬に乗って出掛けた。
 佐敷のお祭りの時に髪も髭も剃ってしまった思紹は、その後、髪を伸ばす気はないようで、坊主頭に中途半端に伸びた髭面に、ヤマトゥのサムレーが着る直垂(ひたたれ)姿で馬に跨がっていた。王妃はこの日のために用意したきらびやかな着物に袴をはいて馬に跨がり、女子サムレーたちもいつもより華やかな着物を着ていた。馬天ヌルは白い鉢巻き、白い着物に白い袴姿で馬に跨がり、扇子を手に持ち、胸には大きなガーラダマ(勾玉)が光っていた。
 思紹たちは豊見グスクでシタルー(山南王)に大歓迎され、豊見グスク按司(太郎思)の妻のマチルーは両親の来訪に大喜びした。ハーリーの儀式のために来ていた島尻大里(しまじりうふざとぅ)ヌル(ウミカナ)は馬天ヌルとの再会を喜び、馬天ヌルを誘って儀式を執り行なった。島尻大里ヌルはシタルーの妹で、島添大里(しましいうふざとぅ)ヌルだった時、馬天ヌルに命を助けられていた。その儀式には豊見グスクヌル(シタルーの娘)と李仲(リーヂョン)ヌル(李仲按司の娘)も加わっていて、豊見グスクヌルも馬天ヌルとの再会を喜んでいた。
 サハチが言った通り、開放された豊見グスクの中は子供たちだらけで、思紹も王妃も驚いていた。
「孫たちも連れてくればよかったわね」と王妃は言ったが、思紹は素直にうなづく事はできなかった。
 階段状の物見台の脇にある仮小屋では南部西方(いりかた)の按司(あじ)たちが酒を飲んでいて、思紹と王妃を冷たい目付きで眺めていた。
 南部西方の按司たちが思紹を見るのは初めてだった。十七年前に隠居して坊主になったというのは噂で知っている。その後、何をしていたのかは誰も知らない。隠居した佐敷按司が何をしているかなんて、誰に取ってもどうでもいい事だった。七年前、佐敷按司(サハチ)は島添大里グスクを奪い取った。長い籠城戦(ろうじょうせん)のあと、戦(いくさ)は終わったとホッとしていた敵の隙を狙って奪い取ったのだった。その戦に隠居した佐敷按司が参戦していた事など誰も知らないし、三年前に首里(すい)グスクを奪い取った戦に、総大将として指揮を執っていた事も知らない。島添大里按司(サハチ)が中山王(ちゅうざんおう)になるものと思っていたのに、なぜか、隠居していた思紹が中山王になった。誰もが、思紹は飾りに過ぎない。本当の中山王はサハチだと思っていた。
 シタルーは思紹たちを按司たちのいる仮小屋には案内せずに、別の仮小屋に案内した。
「申しわけありません。せっかく来ていただいたのに、いやな思いをさせてしまったようです」
「それは仕方のない事じゃ」と思紹は笑った。
 シタルーは思紹たちを酒と料理でもてなしてくれたが、危険だと言って、物見台には連れて行かなかった。ハーリーを見る事もできず、何のために来たのかわからなかった。ただ、マチルーの四人の子供たちに会えたのはよかった。初めて会ったにもかかわらず、四人の孫たちは思紹と王妃をお爺、お婆と呼んで馴染み、二人は目を細めて孫たちと遊んでいた。
 今年は中山王の龍舟(りゅうぶに)が加わって、山南王(さんなんおう)、久米村(くみむら)、若狭町(わかさまち)、小禄(うるく)の五艘の競争となり、優勝したのは小禄で、中山王は惜しくも二着だった。
 シタルーは何度も謝って、来年は代理の者をここに送っても構わないが、龍舟は来年も参加してほしいと頼んだ。思紹は来年も龍舟を出すと約束して、豊見グスクをあとにした。敵の襲撃もなく無事に首里に帰った。勿論、苗代大親(なーしるうふや)とイーカチ(三星党副頭)は周到な護衛を付けていた。
 五月の半ば、普請中の与那原(ゆなばる)グスクに玉グスクの石屋が加わって石垣作りを始めた。与那原大親になったマタルーから石垣の事で相談を受けた思紹は、イーカチと話し合って玉グスクの石屋に頼む事に決めたのだった。玉グスクの石垣の修繕も終わったので、どうぞ、使ってくれと玉グスク按司は快く承諾してくれた。
 玉グスクの石屋がシタルーとつながっている事はイーカチは知っている。しかし、石屋を味方に付けるには石屋の事を知らなければならない。イーカチは配下の者を人足(にんそく)として与那原グスクに入れて、石屋についての情報を得ようとしていた。
 同じ頃、今帰仁(なきじん)では山北王(さんほくおう)(攀安知)の弟の湧川大主(わくがーうふぬし)が、進貢船(しんくんしん)に兵を乗せて奄美大島(あまみうふしま)に向かっていた。去年、攀安知(はんあんち)が徳之島(とぅくぬしま)を平定して凱旋(がいせん)して来たので、兄貴に負けるものかと張り切っていた。
 サハチたちが京都の高橋殿の屋敷にお世話になっていた七月の初め、三姉妹の船が今年も二隻でやって来た。一隻は明国(みんこく)の商品を積み、もう一隻は旧港(ジゥガン)(パレンバン)の商品を積んでいた。今年もメイファン(美帆)は来ないで、メイリン(美玲)、メイユー(美玉)、リェンリー(怜麗)、ユンロン(芸蓉)の四人だった。
 ファイチ(懐機)の家族も無事に帰って来た。生まれ故郷を見てきた息子のファイテ(懐徳)と娘のファイリン(懐玲)の目は輝いていた。龍虎山(ロンフーシャン)の祖父母に歓迎されて、楽しい時を過ごして来たのだろう。ウニタキ(三星大親)の妻のチルーが子供たちを連れて迎えに来ていて、一緒に島添大里に帰って行った。
 ファイチの家族は首里の新しい屋敷に一年ほど住んでいたが、島添大里の屋敷に戻っていた。ウニタキの家族と仲よく付き合っていて、ウニタキの家族が島添大里にいるので戻ったのだった。それに、妻のヂャンウェイ(張唯)も子供たちも馬天浜が気に入っていた。島添大里にいた頃はよく遊びに行っていたのに、首里からは遠かった。
 マチルギと佐敷ヌルの歓迎を受けて、メイユーたちはメイファンの屋敷に入った。今年もメイユーはリェンリーと一緒に旧港まで行って来たが、倒れる事はなく元気だった。
 旧港で手に入れたと言って、メイユーは孔雀(コンチェ)という綺麗な大きな鳥をマチルギに贈った。檻の中に入っている大きな鳥は羽を広げると鮮やかな扇子のように綺麗で、こんな鳥がこの世にいるなんて信じられなかった。マチルギも佐敷ヌルもあまりの驚きに声も出なかった。
「みんなにも見せましょう」と佐敷ヌルが言って、オスとメスのつがいの孔雀は首里グスクの北曲輪(にしくるわ)に置かれ、庶民たちに開放した。噂が噂を呼んで、孔雀を見るために大勢の人がやって来た。苗代大親は急遽、兵を配置して人々の整理に当たった。
 マチルギは佐敷ヌルと一緒にメイユーたちを久高島(くだかじま)に連れて行った。フカマヌルに歓迎され、フボーヌムイ(フボー御嶽)でお祈りをして、海に入って遊んだ。佐敷ヌルは神様に引き留められて、三日間、フボーヌムイに籠もった。
 神様は佐敷ヌルに前回よりも詳しく琉球の歴史を語り、英祖(えいそ)(浦添按司)の時代に鎌倉の将軍様から贈られた三つの宝刀を探し出せと言った。三つの宝刀は太刀(たち)と小太刀(こだち)と短刀で、三つ揃って『千代金丸(ちゅーがにまる)』と呼ばれる。英祖は琉球を統一するために、子供たちに守り刀として、それらの刀を渡して各地に派遣した。琉球を統一すれば、それらの刀は浦添(うらしい)に戻って来るはずだった。しかし、琉球を統一する前に、英祖は亡くなってしまい、三つの刀が揃う事はなかった。琉球を統一するには、その三つの刀を揃えなければならないと神様は言った。
「その刀はどこにあるのですか」と佐敷ヌルが神様に聞いたら、「それを探すのがお前の使命だ。兄のためにやり遂げなさい」と言われた。
 久高島から帰った佐敷ヌルは馬天ヌルに相談した。
「英祖様の宝刀?」と馬天ヌルは驚いた顔をして佐敷ヌルを見つめた。
 馬天ヌルは今まで、そんな話を神様から聞いた事もなかった。
「英祖様が鎌倉から贈られたって言ったわね?」と馬天ヌルが聞くと、佐敷ヌルはうなづいた。
「英祖様はヤマトゥに船を送って鎌倉の将軍様と交易をしていたようです。その頃、鎌倉では大仏様を造っていて、大量の宋銭(そうせん)を英祖様が鎌倉に贈って、そのお礼として三つの宝刀をいただいたようです」
「銅銭を溶かして、大仏様を造ったの?」
「そうみたいです」
「その三つの刀を見つけ出さないと琉球の統一はできないって言うのね?」
「神様はそうおっしゃいました」
 馬天ヌルは少し考えた。
「以前、先代のサスカサ(運玉森ヌル)さんから聞いたんだけど、あのフボーヌムイにはサスカサ系とフカマヌル系の二種類の神様がいらっしゃるらしいわ。サスカサ系は二百年以上も前から久高島にいる大里(うふざとぅ)ヌルの御先祖様たちよ。フカマヌル系は英祖様の娘のチフィウフジン(聞得大君)様が久高島のウミンチュ(漁師)と結ばれて、産まれた娘が初代のフカマヌルになって、今のフカマヌルの御先祖様たちなの。サスカサ系の神様は島添大里との関係は勿論だけど、首里にあった真玉添(まだんすい)や運玉森(うんたまむい)のヌルたちとも関係があるのよ。フカマヌル系は英祖様と玉グスクとも関係があるらしいわ。あなたがお話しした神様はフカマヌル系の神様だったのよ」
「英祖様の孫娘の初代フカマヌル様だったのかしら」
「初代のフカマヌル様は浦添で育ったので、鎌倉の宝刀の事は知っていた。でも、久高島に来たので、宝刀の行方は知らないのかもしれないわね」
浦添に行けば何かがつかめそうね」と佐敷ヌルは期待に胸を膨らませた。
「叔母さん(馬天ヌル)は『ティーダシル(日代)の石』を探しているし、ササは『スサノオの神様』の事を調べているし、あたしも何かがしたかったのよ。やっと、神様があたしにお仕事をくれたのね」
 佐敷ヌルはメイユーを誘って、馬に乗って浦添に向かった。
 浦添ヌルのカナと会って、宝刀の事を聞いたら、カナは知らなかった。浦添領内のウタキ(御嶽)を巡って神様のお話は色々と聞いたけど、英祖の宝刀の事は初めて聞くという。
 佐敷ヌルはまず、グスク内にあるウタキを巡った。グスク内のウタキは古いウタキばかりで、神様たちは英祖の事は知っていても宝刀の事は知らなかった。
「チフィウフジン様に聞けばわかるんじゃないかしら?」とカナは言った。
「歴代のチフィウフジン様は英祖様のお墓に眠っています。このグスクの裏の崖下にあります」
「行きましょう」と佐敷ヌルは張り切っていた。
「六十年間、ほったらかし状態だったので凄い所ですよ。それに、神様たちはうるさいし‥‥‥」
「神様がうるさいってどういう事?」
「六十年間、誰もあそこに近づかなかったらしくて、あたしが初めて行った時、神様たちは一斉にしゃべり出したの。頭がおかしくなりそうだったわ。それに異国の言葉をしゃべる神様もいましたよ。英祖様も異国との交易を盛んにしていたみたいですね」
 カナの案内で行った英祖のお墓は本当にひどい所にあった。かつては道があったのだろうが、そんなものは跡形もなく、薮(やぶ)をかき分けて進んで行った。
「こんな薮の中にあるお墓をよく見つけられたわね」と佐敷ヌルが聞くと、
「神様に連れて来られたのです」とカナは言った。
「英祖様はあなたたちの御先祖様だから、お墓をちゃんと守りなさいって言われました。王様(うしゅがなしめー)にお墓の事を伝えたら、島添大里按司様が朝鮮から帰って来たら相談しようっておっしゃいました」
 お墓に行く途中、古い石垣に囲まれた草茫々の平地があった。
「ここには何かがあったの?」と佐敷ヌルはカナに聞いた。
極楽寺(ごくらくじ)というお寺があったのです。極楽寺のお坊さんが英祖様のお墓を守っていたようです。初代の中山王(察度)が焼き討ちにして、そのお寺に集まっていた英祖様の一族を滅ぼしてしまったのです」
浦添にお寺があったなんて知らなかったわ」
 さらに薮をかき分けながら足場の悪い坂を登って行くと、目の前に険しい崖が現れ、崖の下に二つの穴が開いていた。
「このお墓は『ユードゥリ』と呼ばれていたそうです。右側のガマ(洞窟)が英祖様のお墓で、左側のガマが歴代のチフィウフジンのお墓です。英祖様のお墓には、歴代の浦添按司夫婦が一緒に眠っているようです。チフィウフジンのお墓の方には按司たちの側室や幼くして亡くなった子供たちも眠っています」
 英祖に挨拶するために、佐敷ヌルたちは右側のガマに入った。かつては入り口に扉があったのだろうがそんな物はなかった。ガマの中に瓦葺(かわらぶ)きの屋敷が建っていたようだが、朽ち果てて、屋根は半ば崩れ、落ちて割れた瓦が散乱していた。屋敷の中に厨子(ずし)がいくつかあったが、厨子も壊れていて白骨が散乱している。
 佐敷ヌルが突然、耳をふさいで、ガマから飛び出して行った。カナはそんな佐敷ヌルを見ながら笑っていたが、メイユーには何が起こったのかわからず、慌てて佐敷ヌルを追って行った。
「確かに頭がおかしくなるわね」と佐敷ヌルはカナに言った。
「神様が同時に話しかけて来るから、何を言っているのかさっぱりわからないわ」
「初めての時はそうなりますけど、だんだんと落ち着いて来ます」とカナは言った。
「あなたは何度、ここに来たの?」
「今回で七回目です。五回目くらいから落ち着いて来ました」
 佐敷ヌルはうなづいて、今度はチフィウフジンのお墓に入った。こっちのガマには屋敷は建っていなかった。いくつかの壊れた厨子があって、白骨が散乱していた。佐敷ヌルはここでも耳をふさいでガマから飛び出した。
「こっちのが凄いわ」と佐敷ヌルはカナを見て笑った。
「確かに異国の言葉も聞こえたわ」
「異国の女子(いなぐ)が側室になったのかしら?」とカナが言うと、
「異国の女でも側室になれるのね」とメイユーが目を輝かせてカナに聞いた。
「なれるわよ」と佐敷ヌルが答えた。
「先代の中山王(武寧)は高麗(こーれー)の女を何人も側室にしていたわ。先代の中山王の母親も高麗人(こーれーんちゅ)だったらしいわよ」
「あたしもなれるのね」とメイユーが嬉しそうな顔をして佐敷ヌルに言った。
 カナが不思議そうな顔をしてメイユーを見ているので、佐敷ヌルが説明した。
「メイユーはお兄さん(サハチ)が好きなのよ」
「えっ!」とカナは驚いた。
「お姉さん(マチルギ)には言ったの?」と佐敷ヌルはメイユーに聞いた。
「言おうと思って勇んで来たんだけど、奥方様(うなじゃら)の顔を見たらなかなか言えないわ」
「メイユーの気持ちはよくわかるわ。あたしも奥さんのいる人を好きになっちゃって、奥さんに土下座して謝ったのよ」
「マシュー(佐敷ヌル)が土下座したの?」とメイユーは驚いた。
「そうよ。でも、許してもらえたわ」
「そうなの‥‥‥ナツも奥方様に土下座したの?」
「ナツもしたのよ」
 佐敷ヌルとメイユーのやり取りを見ていたカナは、
「このお墓を直さなくてはなりません。佐敷ヌルさんからも王様に言って下さい」と言った。
「そうね、ひどすぎるものね。直さなければならないわ」
 佐敷ヌルとメイユーはカナの屋敷に泊めてもらって、毎日、『ユードゥリ』に通った。カナの言った通り、五日目には神様も静かになった。佐敷ヌルが宝刀の事を聞くと英祖のお墓では、神様は答えてくれず、『極楽寺』を再興しろと言った。チフィウフジンのお墓では、何代目かのチフィウフジンが答えてくれた。
 英祖が鎌倉から贈られた三つの宝刀のうち、太刀は今帰仁按司になった次男のジルー(湧川按司)に贈り、小太刀は島尻大里按司になった五男のグルーに贈り、短刀は玉グスク按司に嫁いだ次女のチムに贈ったという。その後、それらの刀がどうなったのかは神様たちは知らなかった。
今帰仁に行ってしまった太刀は今は無理だわ。小太刀と短刀は見つかるかもしれないわ」
 佐敷ヌルは神様とカナにお礼を言って、メイユーを連れて首里に戻ると馬天ヌルに相談した。
「英祖様が島尻大里按司に小太刀を贈ったのはいつの事なの?」と馬天ヌルは佐敷ヌルに聞いた。
「百年以上も前の事です」
「百年以上も前だとすると、今の山南王が持っているかどうか難しいわね。確か、先々代の山南王は朝鮮に逃げて行ったんでしょ。朝鮮に持って行ったかもしれないわよ」
「まさか、そんな。朝鮮までなんて行けないわ」
「島尻大里ヌルのお墓に行けば、誰かが知っているかもしれないわね」
「お墓はどこにあるのですか」
「島尻大里の城下の北(にし)、糸満川(いちまんがー)(報得川(むくいりがー))の近くの崖にあるガマよ。前に行った事があるわ」
「敵地だわね」
「そうね。危険がないとは言えないわ。焦る事はないわよ。琉球を統一するまでに集めればいいんでしょ。玉グスクに贈ったという短刀からやってみたら。マナミー(玉グスク若按司の妻、佐敷ヌルの妹)が何か知っているかもしれないわ」
「マナミーの長女がヌルの修行をしているようだから会いに行って来ようかしら」
「マナミーにそんな大きな娘がいるの?」と馬天ヌルは驚いた顔をした。
「十五の娘がいるのよ」
「えっ、マナミーに十五の娘? 驚いたわね。あたしが年齢(とし)を取るはずだわ」
 佐敷ヌルはメイユーを連れて、玉グスクに向かった。
 驚いた事に玉グスクに女子サムレーがいた。武寧(ぶねい)の三男、イシムイ(石思)に嫁いだが、浦添グスクが焼け落ちたあと玉グスクに戻って来たウミタル(思樽)が始めたという。
 ウミタルは二人の娘を連れて戻って来た。夫だったイシムイは頼りない男だったが、武寧が首里グスクに移ったあと、浦添グスクを任されて、浦添按司になるはずだった。ウミタルは浦添按司の奥方様になるはずだったのに、島添大里按司によって武寧は殺され、浦添グスクは焼け落ちた。
 玉グスクに帰って来た当初は島添大里按司を恨み、自分の不運を嘆いていたが、兄の若按司が中山王の船に乗って明国に行く事が決まると、新しい時代が始まったような気がして、いつまでもくよくよしていても始まらないと思うようになった。玉グスクを守るために何かをしなければならない。考えた末に、首里のような女子サムレーを作ろうと決めたのだった。
 義姉のマナミーとマナミーの侍女たちから剣術を習い、さらに玉グスクのサムレーたちからも習って、自分でも工夫しながら修行を積んだ。一年間の厳しい修行のあと、素質のありそうな娘を十人集めて、剣術を教えたのだった。佐敷ヌルが来た事を知るとウミタルは娘たちを鍛えて欲しいと頼んだ。佐敷ヌルは喜んで引き受け、メイユーと一緒に娘たちを鍛えた。
 マナミーもウミタルも宝刀の事は何も知らなかった。玉グスクヌル(マナミーの義姉)も聞いた事もないという。玉グスクヌルと一緒に歴代の玉グスクヌルのお墓に行って神様に聞くと、短刀をもらったチムの娘のカミーが、八重瀬按司(えーじあじ)に嫁いだ時に守り刀として持って行ったと言った。
 佐敷ヌルとメイユーは次の日、八重瀬に向かった。
 タブチ(八重瀬按司)の妹の八重瀬ヌルに会って、古いお墓に行って神様の声を聞いた。八重瀬按司に嫁いだカミーは、中グスク按司に嫁いだ娘のウミに短刀を持たせたという。
 八重瀬にも武寧の四男、シナムイ(砂思)に嫁いだ娘がいた。嫁いで一月もしないうちに戻って来たミカ(美加)は若ヌルになっていた。
 佐敷ヌルとメイユーは中グスクに向かった。
 中グスクヌルと再会を喜び、中グスクヌルの案内で古いお墓に行って神様の声を聞いた。中グスク按司に嫁いだウミは、人質になって安里の察度(さとぅ)の屋敷に行った娘のミイに守り刀として短刀を持たせたという。
「人質ってどういう事?」と佐敷ヌルは中グスクヌルに聞いた。
「父から聞いたんだけど、曽祖父の頃の話です。曽祖父は若按司だったんだけど、按司を継ぐ事ができなかったのです。浦添按司(玉城)の弟が婿に入って来て、中グスク按司になりました。曽祖父は按司の座を取り戻すために、密かに察度と同盟を結んで、娘を人質として察度に送ったのです。察度は浦添按司(西威)を滅ぼして、浦添按司になり、曽祖父も婿を倒して、中グスク按司になったのです」
「そんな事があったの。それで、ミイという娘は察度の奥さんになったの?」
「察度にはもう奥さんはいました。勝連(かちりん)按司の娘さんです。ミイは戦で活躍した武将の奥さんになって、その武将は越来按司(ぐいくあじ)になったと聞いています」
 佐敷ヌルは中グスクヌルにお礼を言って、メイユーと一緒に越来グスクに向かった。
 越来ヌルと再会を喜んで、英祖の短刀の事を聞くと、「ちょっと待っていて」と言って、神棚から綺麗な袋に入った物を持って来た。
「これの事かしら?」と言って、越来ヌルは袋の中から短刀を取り出した。
 あまりに突然に探していた短刀が現れたので、佐敷ヌルもメイユーも驚いて言葉も出なかった。
 短刀は長さが一尺半(約四十五センチ)もあり、佐敷ヌルが思っていたよりも大きかった。柄(つか)は鮫皮で、青い鞘(さや)は螺鈿(らでん)細工のようだった。
「どうして、あなたが持っているのですか」と佐敷ヌルは越来ヌルに聞いた。
「わたしの母が嫁いだ時に持って来たのです。正確に言うと察度の人質になった時に守り刀として祖母からもらったらしいわ」
「そして、あなたがお母さんからそれをもらったのですか」
「それは違うわ。わたしの母親は勝連に嫁いだ妹にこれをあげたのよ。妹は勝連按司の次男に嫁いだの。その次男は江洲(いーし)按司になって、やがて勝連按司になったけど、わけのわからない奇病で亡くなってしまったの。跡継ぎだった若按司も亡くなってしまい、妹はやつれた姿で越来に帰って来たの。二年後に妹は亡くなって、この短刀をわたしに残したのよ」
「この短刀は勝連のあの騒ぎに巻き込まれて、またここに戻って来たのね」
 佐敷ヌルは短刀を抜いてみた。詳しい事はわからないが、切れ味の鋭い名刀のようだった。
「誰かがこれを探しに来るような気がしていたの。あなただったのね」
 佐敷ヌルは英祖の三つの宝刀の事を越来ヌルに話して、大切に持っていて下さいと頼んだ。
「あとの二つも探すつもりなの?」と越来ヌルは聞いた。
 佐敷ヌルはうなづいた。
 そんないわれのある短刀なら、首里に持って行って保管してくれと越来ヌルは言ったが、佐敷ヌルは断った。
「その短刀は鎌倉から浦添に来て、玉グスク、八重瀬、中グスク、越来、勝連と旅をして、越来に戻って来ました。女たちの守り刀として活躍してきたのです。一カ所にじっとしているのは苦手なようです。今後の事はあなたにお任せします。ただ、どこにあるのかだけは把握しておいて下さい」
 越来ヌルは笑ってうなづいた。
「わたしには娘はいないから、越来ヌルを継ぐハマにあげようと思っているのよ」
「ハマならきっと守ってくれるでしょう」
 佐敷ヌルとメイユーはお礼を言って、越来をあとにして首里に戻った。
 七月の末に台風が来たが、それ程の被害はなくて助かった。北部の方ではかなりの被害があったようだった。
 八月の初めに進貢船が帰って来た。正使のサングルミー(与座大親)、副使の中グスク大親、サムレー大将の宜野湾親方(ぎぬわんうやかた)、副将の伊是名親方(いぢぃなうやかた)、従者として行った平田大親、クルー、馬天浜のシタルー、八重瀬按司のタブチ、サムレーとして行ったシラー、みんな無事に帰って来た。そして、念願の新しい海船が一緒に付いて来た。
 いつもより帰りが遅いので心配していたが、サングルミーの話だと、永楽帝(えいらくてい)が今、北平(ベイピン)(北京)に新しい都を造っていて、永楽帝に会うために北平まで行って来たという。北平は『順天府(じゅんてんふ)』と名前が変わって、応天府(おうてんふ)(南京)から順天府までは一月近くも掛かり、辛い旅だったとサングルミーは思紹に報告した。
 サングルミーの話を聞きながら、サハチが反対しても、来年は必ず、明国に行こうと思紹は心に決めていた。

 

 

 

居合刀-1 短刀・御守刀 (鮫巻柄6寸)

2-60.李芸とアガシ(改訂決定稿)

 開京(ケギョン)(開城市)から漢城府(ハンソンブ)(ソウル)に帰ると、サハチたちを待っている男がいた。イトから話を聞いていた李芸(イイエ)だった。ヤマトゥ(日本)言葉が話せるというので、サハチも会いたいと思い、丈太郎(じょうたろう)に頼んでいた。
 サハチたちが漢城府に帰った次の日に、李芸は『津島屋』にやって来た。ファイチ(懐機)は手に入れたヘグム(奚琴)の弾き方を習おうと、ンマムイ(兼グスク按司)と一緒にサダン(旅芸人)の所に出掛け、サハチたちも行こうとしていた所だった。
 李芸は両班(ヤンバン)の格好をして、見るからに頭がよさそうだった。意外に思ったのは、武芸の嗜(たしな)みがあるという事だ。にこやかな顔をして、武器は持っていないが、かなりできそうだと思った。
 流暢(りゅうちょう)なヤマトゥ言葉で李芸はサハチたちに挨拶をした。サハチは琉球中山王(ちゅうざんおう)の世子(せいし)(跡継ぎ)だと名乗った。丈太郎が李芸を信じて、すでにサハチの正体を告げていたのだった。
「驚きましたよ。琉球中山王の世子が、使者たちと別行動を取って、先に漢城府に来ていたなんて」
「内緒にしておいて下さい。ばれると使者たちの立場が悪くなるかもしれません」
「わかっています。お忍びという事で」と李芸は笑った。
 サハチたちは津島屋の離れで、お茶を飲みながら李芸と話し合った。そのお茶は開京で手に入れたものだった。漢城府ではお茶を手に入れる事もできなかった。
 李芸は琉球に連れ去られた朝鮮(チョソン)人の事をサハチに聞いた。
「今はあまりいません」とサハチは答えた。
「二十年以上前はかなりいました。先々代の中山王(察度)が琉球に連れて来られた高麗(こうらい)人を高麗に送り返す事で、琉球と高麗の交易が始まりました。中山王に高麗人を高麗に返すようにと進言したのは、ここにいるウニタキです。ウニタキの母親は琉球にさらわれた高麗人なのです」
「えっ、それは本当なのですか」と李芸は驚いて、ウニタキ(三星大親)を見た。
 ウニタキはうなづいた。
「当時、俺は勝連(かちりん)という所にいて、親父は勝連の領主でした。交易に来た倭寇(わこう)は親父に取り入るために、高麗からさらって来た美しい娘を贈ったのです。それが俺の母親です」
「わたしの母親はわたしが八歳の時に倭寇に連れ去られました。父は蔚州(ウルジュ)(蔚山)の役所に勤めていましたが殺されました。八歳のわたしは倭寇を憎んで、両親の敵(かたき)を討たなくてはならないと思ったのです」
「それで武芸を始めたのですね?」とサハチは聞いた。
 李芸は笑って、「皆さん方にはかないませんよ」と言った。
「ナナの父親は朝鮮の兵に殺されました。ナナは敵を討つために武芸を習い、初代の朝鮮の王様を敵と狙っていたようです」
「何ですって!」と李芸は驚いて、男の格好をしたナナを見た。
「敵は死んじゃったわ」とナナは言って、両手を広げて見せた。
「敵は討ったのですか」とサハチは李芸に聞いた。
 李芸は首を振った。
倭寇と戦うには強くなって、武官にならなくてはならないと思ったのです。でも、倭寇といっても数が多すぎます。あの時、蔚州を襲って、父を殺して、母をさらって行ったのが誰なのか、まったくわかりません。最近は大物の倭寇たちは朝鮮に投降して、朝鮮のために働いています。もう、敵を討つのは諦めました。でも、さらわれた母親は何としてでも救い出したい。それで、母親を探すために日本に行き、連れ去られた者たちを連れ帰っているのです。もしかしたら、母が琉球にいるかもしれません」
「八歳の時と言えば、三十年近くも前じゃないのですか」
「そうです。生きていれば、もうすぐ六十歳になります」
 六十歳と言えば、今回、通事(つうじ)として連れて来たチョルより少し年上という事になる。サミガー大主(うふぬし)の作業場で働いていた高麗の女たちもいたが、六十過ぎまで生きている者はいないような気がした。
「今回、琉球の使者たちが連れて来たのは先代の中山王(武寧)の側室だった女たちです。先代の中山王の母親も高麗人で、高麗の娘を何人も側室に迎えたようです。他にも連れ去られて来た者がいたら連れて帰ろうと思ったのですが、見つかりませんでした」
「本当ですか」
琉球まで連れて来るよりも、九州辺りで高く売れるのでしょう」
「確かに」と李芸は苦笑した。
「朝鮮に来る日本人たちは『大蔵経(だいぞうきょう)』を手に入れるために、倭寇に連れ去られた者たちをかき集めているようですね」
「二、三十年前に琉球に連れて来られて、遊女屋に買われた娘たちは今、どうしているのかわかりませんが、まだ琉球にいるはずです。遊女屋以外にも商人たちに買われた者や鳥島硫黄鳥島)に人足として送られた者など、探せば見つかるかもしれません。来年も使者を送るつもりなので、なるべく探し出して連れて来ますよ」
「ありがとうございます。お願いします」
「李芸殿、お聞きしたいのですが、琉球の使者たちが都に来る許可は下りたのでしょうか」
「下りています。今頃はこちらに向かっている事でしょう」
「そうでしたか。それにしても許可が下りるまで随分と時間が掛かったように思いますが、何か問題でもあったのでしょうか」
「問題があったのは琉球側ではなくて、宮廷の方です。前回に琉球の使者たちが来た時の記録がなかなか見つからなかったようです。都の引っ越しが二度もあったので、どこかに紛れ込んでしまったのでしょう。おまけに、当時の担当者もすでにいなくなっていて、宮廷は大わらわだったようです。記録を管理していた者は左遷されました」
「そうでしたか。そう言えば、前回に来た琉球の使者はここではなく、開京に行ったのでしたね」
「そうです。開京から苦労して、こちらに移り、四年後に開京に戻って、そして、二年後にまたここに戻って来たのです。三日も掛けての大移動ですよ。記録がどこかに行ってしまうのも当然な事です」
「兄弟で王の座を争ったと聞いていますが、どうして、そのような事になったのですか」
「初代の王様(李成桂(イソンゲ))の長男(李芳雨(イバンウ))が跡を継ぐ前に亡くなってしまって、初代の王様は二番目の奥方様が産んだ末っ子(李芳碩(イバンソ))を跡継ぎに決めてしまいました。それが争いの原因になったのです。最初の奥方様の息子たちが猛反対して戦(いくさ)となり、最初の奥方様の次男(李芳果(イバングァ))が二代目の王様になりました。それで、無事に治まるかと思われましたが、今度は四男(李芳幹(イバンガン))が反乱を起こします。二代目の王様が王族の私兵を禁止したのに反対した四男が開京に攻め込んだのです。その反乱を鎮圧したのが五男の今の王様(李芳遠(イバンウォン))です。二代目の王様の正妻には子供がなかったので、今の王様が跡継ぎとなって、やがて、二代目は王位を今の王様に譲って上王(サンワン)となります。二代目の王様はもともと王位に就く気はなかったようです。今の王様に勧められて王位に就きましたが、実権を握っていたのは今の王様だったのです」
「今の王様はどうして、二代目の王様にならなかったのですか」
「今の王様は五男です。上には三人の兄がいます。いくら実力があったとしても、三人の兄を差し置いて王になる事はできなかったのです。大義名分がありません」
 サハチは自分の兄弟の事を思った。もし、サハチが父より先に亡くなったら、兄弟で王位を巡って争いを始めるのだろうか。サハチは五人兄弟で、弟は四人いる。仲のいい弟たちがそんな事をするはずはないと思うが、あり得ないとは言い切れなかった。
 サハチは話題を変えて、「ところで、朝鮮の王様が何を欲しがっているのかわかりますか」と李芸に聞いた。
「わたし共の方も朝鮮の使者たちの記録が残っていなくて、詳しい事がわからないのです。できれば、喜ばれる物を持って来たいと思っております」
「まず、日本刀ですね。ただし、大量の日本刀を持って来られると困ります。名刀を数本です。王様が活躍した武官に下賜(かし)するのに使います。それと火薬の原料となる硫黄(いおう)も必要です。これも大量に持ち込まれると困ります。朝鮮は常に明国を刺激しないように努めています。大量の武器を仕入れている事が明国に知られると誤解されかねません。元(げん)の時代、高麗は元の大軍に攻め込まれて降参し、元の属国になってしまいました。二度とあんな惨めな思いはしたくはありません」
 李芸は軽く笑ってから話を続けた。
「銅も喜ばれるでしょう。御存じのように、朝鮮では銅銭が流通していません。明国に行った事のある王様は銅銭の便利さを知っています。銅銭を造って国内に流通させたいと考えています。それに、胡椒(こしょう)も喜ばれます。仏教が禁止されて、両班たちは堂々と肉を食べ始めました。今、両班たちは目の色を変えて胡椒を求めています。勿論、宮廷でも必要としています。布を赤く染める蘇木(そぼく)も喜ばれるでしょう。位の高い役人が来ている赤い官服(かんぷく)は宮廷内で作っています。蘇木は明国から仕入れていますが、琉球が持って来てくれれば王様も大喜びするでしょう」
「蘇木と胡椒、数本の名刀と適量の硫黄、それに銅ですね。明国の陶器はどうですか」
「陶器も喜ばれますよ」
「陶器は大量に持って来ても大丈夫ですね?」
「勿論です。ただ、富山浦(プサンポ)からここまで運ぶのが大変でしょう」
 サハチは細い山道を思い出した。確かに運ぶのは大変だった。
「水路は利用できないのですか」とサハチは聞いた。
「できない事はありませんが、前例のない事を決めるのは容易な事ではありませんよ」
 李芸はヂャンサンフォン(張三豊)にも明国にさらわれた朝鮮人はいないかと聞いていたが、ヂャンサンフォンは知らないようだった。ウニタキからウニタキの母親の事を聞き、ナナから戦死した父親の事を聞いて、また来ると言って李芸は帰って行った。
 琉球の使者たちが来るまでの間、サハチたちは毎日、サダンたちの仮小屋に行っていた。ファイチはヘグムの弾き方を習い、ヂャンサンフォンはテグム(竹の横笛)の吹き方を習い、サハチはテピョンソ(チャルメラ)の吹き方を習い、ウニタキは三弦(サンシェン)、ンマムイは横笛の稽古に励み、その合間に、サダンの者たちに武芸を教えていた。
 ウニタキの三弦は開京の妓女(キニョ)からもらったものだった。五十年以上も前に元の国から来た使者が妓女に贈った物だという。贈られた妓女はその三弦を弾き、代々受け継いで弾いていたらしいが、五、六年前に、三弦を弾いていた妓女が亡くなってしまってからは誰も弾く者はいない。しまっておくより、ウニタキが弾いてくれた方が三弦も喜ぶだろうと妓女は惜しげもなく、ウニタキに譲ったのだった。ウニタキが言うにはかなりの名器だという。大きさが一回り大きいので、何となく渋い音が出るようで、ウニタキは気に入っていた。三弦が手に入ったので、ウニタキはテピョンソをサハチに返した。結局、サハチが吹き方を身に付けなければならなくなっていた。
 八月が過ぎて九月となり、朝晩が肌寒く感じるようになってきた。琉球の使者たちが漢城府に着いたのは九月六日の事だった。その日、サハチは五郎左衛門が来るような予感がして、いつもよりも早く、サダンたちの仮小屋から引き上げてきた。
 津島屋にはお客さんが来ていた。屋敷の一画に小さな店があって、タカラガイなどの貝殻を売っている。店番をしているのはハナだった。父と娘らしい二人が店の中にいて、貝殻を見ていた。
 朝鮮の娘たちは『ノリゲ』と呼ばれる飾りを身に付けているが、そのノリゲに綺麗なタカラガイを飾るのが流行っていた。
 ハナの話では、それを流行らせたのは王様の娘で、今では宮廷で働く女官たちから両班の娘たちまで、タカラガイのノリゲを身に付けていると言って、自分のノリゲを見せてくれた。紐を束ねたような飾りで、その付け根のあたりに黄色いタカラガイが付いていた。漢城府でタカラガイを手に入れるには津島屋しかなく、用があって宮廷の外に出た女官や両班の娘たちが買い求めに来るという。開京の妓女たちもタカラガイのノリゲを身に付けていた。
 両班の娘が父親を連れて、タカラガイを買いに来たのだろうと思い、サハチが離れの方に行こうとしたらナナに声を掛けられた。
「ねえ、あの人、どう思う?」とナナは店の中にいる両班を見ながらサハチに聞いた。
「どう思うとは?」
「何者かって事よ」
両班だろう。身なりからして、かなり地位の高い男じゃないのか」
 ナナはサハチにうなづき、「王様のような気がするのよ」と小声で言った。
「えっ?」とサハチは驚いて、ナナを見てからもう一度、両班を見た。
 四十の半ばといった年頃で、貫禄があり、よく手入れされた髭にも風格があった。
「王様を見た事があるのか」とサハチはナナに聞いた。
「一度だけ、馬に乗っている姿を見た事あるわ。格好は全然違うけど、何となく似ているのよ」
「お忍びだとしても護衛の者がいるだろう」とサハチは言って、津島屋の門の外にいた二人の両班を思い出した。大通りを歩いている両班は珍しくもないが、その二人は門の脇に立って、立ち話をしていた。王様の護衛かもしれなかった。
「それに、あのアガシ(お嬢さん)なんだけど、前にも何度か来ているのよ。どこのアガシだろうと思って、あとを追って行った事があるの」
「お前は危ない事ばかりしているな。そのうち痛い目に遭うぞ。それで、あのアガシの正体はわかったのか」
 ナナはうなづいて、「慶安公主(キョンアンコンジュ)様だったのよ」と言った。
 サハチが驚くと思ったのにポカンとした顔をしているので、「王様の娘さんだったのよ」と言い直した。
タカラガイのノリゲを流行らせたのがあのアガシだったのよ」
「王様の娘なら宮殿に住んでいるんだろう。お前、宮殿内に忍び込んだのか」
「違うわよ。あのアガシ、お嫁に行って宮殿から出ているのよ」
「お嫁に行っている娘には見えないが」とサハチは言った。
 どう見ても、十五、六歳にしか見えなかった。
「王族は婚礼が早いのよ」
「あのアガシが王様の娘なら、一緒にいるのは王様かもしれんな」
「そうでしょ。あのアガシが住んでいるお屋敷の周辺で聞いたんだけど、王様が度々、お忍びでやって来るって言っていたわ。あのアガシは王様の三女で、美人のうえ聡明で、王様にもっとも可愛がられているらしいのよ」
「あのアガシのお陰で、タカラガイは益々売れそうだな」とサハチは言った。
「そうよ。シンゴ(早田新五郎)さんにタカラガイをもっと持って来るように伝えてね」
 そう言って、ナナは腰にぶら下げたノリゲを見せた。綺麗なタカラガイが光っていた。男の格好をしているくせに、女心はあるらしい。
「サハチが似合うよ」と言うと、ナナは嬉しそうに笑った。
「そんな所で何をしているんだ?」と誰かが言った。
 振り返ると官服を来た五郎左衛門がいた。
「五郎左衛門殿。使者たちはやっと着いたのですね?」とサハチは五郎左衛門に聞いた。
 五郎左衛門はうなづいた。
「東大門(トンデムン)の外にある円明寺(ウォンミョンサ)というお寺に入った。みんな、疲れ果てている。わしはこれから宮殿に行くんだが、通り道なんで、ちょっと寄ってみたんだ」
 ナナが店の方を五郎左衛門に示した。
「チョナー」と五郎左衛門は言った。
「やっぱり、王様だったのね」とナナが言った。
 五郎左衛門は慌てて、王様の所へと向かった。ひざまずこうとして、王様に止められたようだった。五郎左衛門は店の脇に立ち止まったまま、王様と娘を見守った。
 気に入ったタカラガイを手に入れて、大喜びした娘は父と一緒に帰って行った。五郎左衛門は頭を下げただけで、王様と話をする事はなかった。サハチたちも軽く頭を下げただけで、王様と慶安公主を見送った。何も知らないハナが五郎左衛門を見つけて、「あら、お祖父(じい)様、いらっしゃい」と笑った。
「今のアガシはよく来るのか」と五郎左衛門がハナに聞いた。
「お得意様よ。お兄さんのお嫁さんのお誕生日のお祝いに贈るタカラガイを探していたのよ。お祖父様はまたお客さんを都に連れて来たのね。もうお仕事は終わったの?」
「いや、これから宮殿に行く所じゃ」
「そうなの。早く、帰って来てね」
 五郎左衛門はハナにうなづくと、サハチたちの所に来て、「ハナには話すなよ」と言った。
「あのアガシはまた来るだろう。正体を知ってしまったら、ハナの奴、まともな応対もできなくなる。それに、あのアガシも来なくなってしまうだろう。内緒にしておいてくれ」
 そう言って、五郎左衛門は出て行った。
「驚いたな」とサハチは五郎左衛門を見送ってからナナに言った。
「王様に会えるとは思ってもいなかった」
「会ったというよりは見ただけだけど」
「そうかもしれんが、こんなに近くで王様に会うなんて、なかなかできないだろう」
「そうね。敵を討てばよかったかしら」
「馬鹿な事を言うな。ここで騒ぎを起こしたら、津島屋はつぶされるぞ」
「冗談よ。なぜか、王様を見ても、敵だとは思わなかったわ。王様もお父さんなのねって思っただけよ」
「確かに、娘を想うお父さんだったな」
「いいわね。あたしはお父さんていうものをよく知らないのよ。幼い頃、時々、訪ねて来てくれたんだけど、だんだんとその記憶も薄れてきてしまって、どんな顔だったのかも思い出せないの」
「開京でお屋形様(早田左衛門太郎)に会っただろう。お前の親父はお屋形様をちょっと男前にした感じだよ」
「あたしのお父さんの事、知っているの?」
「二十二年前、対馬に行った時、お前の親父さんに会った。お屋形様と並んで座っていたけど、お前の親父さんの方が貫禄があったよ。早田(そうだ)家の跡継ぎという威厳が備わっていた」
「そうだったの。お父さんがお屋形様より威厳があったんだ‥‥‥」
「先代のお屋形様もお前の親父さんを頼りにしていたらしい。今のお屋形様は当時、奥さんの実家の中尾家を継いで中尾姓を名乗っていたんだよ。お前の親父さんが亡くなってから、早田姓に戻ったようだ」
「そうだったの‥‥‥戦死しなければ、お父さんがお屋形様になっていたのね」
「そうだな。お前はお屋形様の娘として育ち、武芸なんかしなかっただろう」
「あら、そんな事はないわ。サキ叔母さんだって武芸を身に付けているもの。ところで、みんなはどうしたの?」
「まだ、サダンの所にいるよ」
「どうして、一人で帰って来たの?」
「何となく、五郎左衛門殿が帰って来るような予感がしたんだ」
 ナナは笑って、「まるで、ササみたい」と言った。
 俺も神人(かみんちゅ)に近づいて来たのかなとサハチは思った。

 

 

 

玄界灘を越えた朝鮮外交官 李芸―室町時代の朝鮮通信使―   李藝 ---最初の朝鮮通信使

2-59.開京の将軍(改訂決定稿)

 ファイチ(懐機)は開京(ケギョン)(開城市)でヘグム(奚琴)を手に入れる事ができた。ナナだけでなく、浦瀬小次郎も一緒に来てくれた。開京には宿屋もちゃんとあって、食事も酒も提供してくれた。サハチ(琉球中山王世子)たちは宿屋に滞在しながら、五日間を開京で過ごした。
 都を囲んでいる城壁は二重になっていて、外側は高麗(こうらい)時代の古い城壁で、内側は朝鮮(チョソン)時代に築かれた新しい城壁だった。古い城壁と新しい城壁の間には家々がびっしりと建ち並び、大きな寺院もあり、寺院には高楼もあって、大通りの両側には二階建ての瓦(かわら)屋根の屋敷も並んでいた。漢城府(ハンソンブ)(ソウル)よりもずっと都らしさが感じられた。新しい城壁の南側に立派な門があったが、閉ざされていて中には入れなかった。門の上にある楼閣には守備兵がいて、城壁の中に宮殿があるという。
 ほとんどの人たちが漢城府に移って廃墟と化しているのだろうとサハチは思っていたが、かなりの人たちが暮らしていた。初代の王様が都を漢城府に移す時、財産や土地を所有している両班(ヤンバン)たちは猛反対した。何とか説得して都を移したが、旧都を破壊する事はできなかったらしい。役職に就いていない両班たちの多くは開京に住んだままで、上王(サンワン)となった先代の王様(李芳果)も仁徳宮(インドックン)という宮殿で気楽に暮らしているという。
 母親の生まれ故郷に来たウニタキ(三星大親)は感激していた。母親が見ていたであろう景色を瞼(まぶた)に焼き付けようとしているのか、黙って辺りを見回していた。噂では、高麗の王様が暮らしていた宮殿は無残にも焼け落ちているという。他にも宮殿はいくつかあるようで、上王がいる仁徳宮もその一つらしい。
 開京に楽器を作っている工房があった。元々は寺院に所属していたが、独立して芸人たちのために作っているという。楽器を売ってくれと言うと親方らしい男は渋い顔をして断ったが、ウニタキが三弦(サンシェン)を披露すると、興味深そうに三弦を見ていた。朝鮮には三弦はないらしい。三弦と交換するならいいと親方は言った。
 ウニタキが断るだろうと思ったが、ウニタキはそれでいいとうなづいた。ウニタキの三弦とヘグムを交換して、さらにヂャンサンフォン(張三豊)がテグムという大きな横笛を買い、サハチは明国(みんこく)の使者たちが行列の時に吹いていたスオナ(チャルメラ)によく似たテピョンソという笛を手に入れた。
 支払いは銭ではなく、布だった。朝鮮では布が銭の代わりに使われているという。小次郎が立て替えてくれた。
「三弦を手放して大丈夫なのか」とサハチが聞くと、
「あれは安物だ」とウニタキは笑った。
「旅の途中で壊れるかもしれないので安物を持って来たんだ。しかし、旅はまだ長い。三弦がないと心細いな」
 サハチは笑って、「それじゃあ、こいつの稽古をしろよ」とテピョンソを渡した。
「それは俺が吹くために手に入れたんじゃないんだ。来年、ヤマトゥ(日本)に行く使者たちの行列に使うつもりだ。琉球に帰って、それと同じ物を作らせて、稽古をさせるんだ。まだ吹き方もわからんが、お前が身に付けて、みんなに教えてくれ」
「暇つぶしになりそうだな」とウニタキはテピョンソを受け取って吹いてみた。
 音は鳴らなかった。
「あれ、難しいな」と言って、もう一度吹いてみると、情けないおならのような音がして、皆が笑った。
「頑張れよ」とサハチはウニタキの肩をたたいた。
 ンマムイ(兼グスク按司)が妓楼(ぎろう)(遊女屋)を知っているというので行ってみたが、すでになく、草茫々で空き家になっていた。
「どうせこんな事だろうと思ったよ」とウニタキが笑った。
「可愛い妓女(キニョ)がいたのになあ。どこに行ってしまったんだろう」
 ンマムイが嘆いていると、「俺の知っている妓楼に行こう」と小次郎が言った。
「一流の妓楼です。ただし、今晩ではありません。一流の妓楼は行けばすぐに上がれるというわけではないのです。明日か明後日の晩になると思いますが、楽しみにしていて下さい」
「あたしも連れてって」とナナが言った。
「一流の妓楼という所を見ておきたいわ」
 小次郎は苦笑しながらうなづいた。
 それから二日後の夕方、サハチたちは妓楼に繰り出した。川のほとりに建つ妓楼はけばけばしくなく落ち着いた雰囲気で、立派な庭園もあって、見るからに高級そうな妓楼だった。
「取り引きをしている妓楼なんです」と小次郎がサハチに言った。
「丈太郎(じょうたろう)さんから皆さんを連れて行ってくれと頼まれていたのです」
「何だ。そうだったのか」
「開京一、いえ朝鮮一の妓楼でしょう。両班(ヤンバン)でもしかるべき者の紹介がなければ、ここには入れません。勿論、妓女も一流です。富山浦(プサンポ)(釜山)の遊女屋のように、簡単に床入りはできません。妓女をものにするには、それなりの散財をしなければならないのです」
「明国の『富楽院(フーレユェン)』と同じだな」とウニタキが言って、「朝鮮の一流の妓女を拝めるとは嬉しいねえ」とンマムイを肘でつついた。
 サハチたちが庭園に咲く綺麗な花を眺めながら屋敷に近づくと、美しい妓女たちがぞろぞろと現れた。着ているのはチマチョゴリだが、色が鮮やかで、形も洗練されているように見えた。複雑に結い上げた髪には美しい髪飾りが光り、手には日本の扇子を持っていた。七、八人現れたが、美人ばかりで目移りがした。
 艶(あで)やかな妓女たちに案内された部屋には先客がいた。両班の格好をした貫禄のある男だった。豪華な料理が並べられた長卓の向こう側で腕を組んで座っている。
 部屋を間違えたのではないかとサハチが小次郎を見ると、「お屋形様です」と小声で言った。
「えっ!」とサハチは驚いて、もう一度、男を見た。
 男は笑って、「久し振りじゃのう」と片手を挙げた。
「サイムンタルー殿」と言って、サハチは男のそばまで行った。
 あまりにも突然の出現に、サハチはサイムンタルー(早田左衛門太郎)の顔を見つめるだけで言葉が出て来なかった。何年振りの再会なのだろうか。十年以上は経っている。その十年間でサイムンタルーの顔付きはすっかり変わっていた。お屋形様としての貫禄が充分に備わって、父親のサンルーザ(三郎左衛門)にそっくりになっていた。
「お前が朝鮮に来たと知らせを受けた時、わしは初めて琉球に行った時の事を思い出したんじゃ。一緒に琉球を旅して、各地のグスクを見て回った。その時、お前は中山王(ちゅうざんおう)を倒すと言った。わしはそれを聞いて、馬鹿なガキじゃと思っておった。しかし、お前は自分が言った通り、見事に中山王を倒した。まったく、大したもんじゃよ。お前と一緒に酒が飲みたくなってな。こうして、やって来たわけじゃ」
 サハチも当時を思い出していた。クマヌ(中グスク按司)の案内で、サハチ、サイムンタルー、ヒューガ(日向大親)の四人で琉球各地を巡る旅をした。あちこちのグスクを見て、初めて浮島(那覇)に行って驚いたのもあの時だし、初めて奥間(うくま)に行って長老たちに歓迎されたのもあの時だ。宇座の御隠居(うーじゃぬぐいんちゅ)(泰期)に出会ったのもあの時だし、マチルギと出会ったのもあの時だった。見る物すべてが新鮮で、楽しい旅だった。旅から帰って、サハチは父に中山王を倒して琉球を統一すると言った。そのあと、でかい事を言い過ぎて、急に恥ずかしくなったのだった。
「今はどちらにいるのですか」とサハチはサイムンタルーに聞いた。
「北の方じゃ。黄海道(ファンヘド)という所の海を守っている。明国の山東(シャントン)半島と向き合っている所でな、明国に向かう倭寇(わこう)が必ず通って行く所なんじゃよ。そこで倭寇の取り締まりをしているんじゃ。まあ、夜は長い。酒を飲みながらゆっくりと話そう」
 みんなが席に着いて、妓女たちも男たちの間に入った。ナナも男装して加わっていた。サハチは琉球から来た者たちをサイムンタルーに紹介した。
「みんなの事はシンゴ(早田新五郎)からの手紙で知っている。ヂャンサンフォン殿は明国で有名な武芸者、ファイチはサハチの軍師、ウニタキは裏の組織でサハチを守っているそうじゃのう。ンマムイは先代の中山王(武寧)の倅だと聞いている。敵の倅まで連れて来るとは、相変わらず、お前は面白い男じゃのう」
 まず、再会を祝して乾杯したが、言葉が通じないので、美女たちがいても場は盛り上がらなかった。ナナと小次郎がしきりに通訳をしていた。妓女たちの事は二人に任せて、サハチはサイムンタルーに朝鮮に来てからの事を色々と聞いていた。
 十三年前の十二月、サイムンタルーは朝鮮の軍船に囲まれた。鉄炮(てっぽう)(大砲)を積んでいる軍船だった。戦っても負けると判断したサイムンタルーは投降の意を示して、長男の藤次郎を人質に差し出した。一旦、対馬(つしま)に戻ったサイムンタルーは翌年の四月、八十人の家臣を引き連れて朝鮮に投降した。
 サハチがどうして投降したのですかと聞くと、
「時代の流れというものかのう」とサイムンタルーは言った。
「余りにも多くの者たちが亡くなった。わしらもそうじゃが朝鮮もそうじゃ。初代王の李成桂(イソンゲ)は高麗を倒した時、従わなかった多くの有能な武将を殺した。殺しすぎて、倭寇を退治する武将が足らなくなったらしい。そこで、投降して来た倭寇に官職を与えて俸禄(ほうろく)を出して、倭寇退治をさせようと考えたようじゃ。わしらに投降を勧めた敵の武将がいい奴だった事もある。奴とは未だに仲よく付き合っておるんじゃよ」
倭寇倭寇を退治させるなんて、実際にそんな事ができるのですか」
「退治と言っても殺すわけではない。投降を勧めたり、交易を勧めたりしているんじゃよ。朝鮮としては倭寇が減ればそれでいいんじゃ。どうしても言う事を聞かない奴らは殺す事もあるがのう」
「効果はあったのですか」
「ある程度はな。倭寇がなくなる事はあるまい。ただ、昔のように大船団でやって来る事はもうない。十隻や多くても二十隻程度じゃな。それに今、倭寇にさらわれた者たちを朝鮮に送り返して、その見返りとして『大蔵経(だいぞうきょう)』を求める事が流行っている。倭寇にさらわれた者がいなくなると困るんじゃよ。人買いを専門にやっている倭寇もいるようじゃ」
「敵対している対馬倭寇を倒しているとイトから聞きましたが、それは本当なのですか」
 サイムンタルーは笑った。
「わしもお前に負けられんからのう。対馬を統一しようと思っているんじゃよ」
対馬の守護の宗讃岐守(そうさぬきのかみ)と富山浦(プサンポ)で会いましたよ。奴を倒すのですか」
「いつかは倒さなくてはなるまいな」
「今、サイムンタルー殿が乗っている船には鉄炮を積んでいるのですか」
「ああ、積んでいるぞ。鉄炮というのは凄い物じゃよ。ただ、敵の船に命中させるのはかなり難しい。訓練を積めば身に付くんじゃが、火薬が貴重なので、充分な訓練ができんのじゃよ」
「サイムンタルー殿は火薬の作り方を知っているのですか」
「火薬の製造法は極秘事項になっているんじゃ。『軍器寺(クンギシ)』という役所で造っているんじゃが、火薬の製造法を知っている者はほんの数人だけじゃろう」
「火薬は明国で発明されて、その製造法は明国でも秘密にしているのに、朝鮮はどうして、火薬の作り方を知っているのですか」
「高麗の末期に『崔茂宣(チェムソン)』という男がいて、そいつが明国から来た商人から教わったと言うが、商人が火薬の作り方を知っているはずはない、試行錯誤を重ねたあげく、火薬の作り方を見つけ出したんじゃろう。今から三十年余り前の事じゃという。奴は火薬だけでなく、鉄炮も作って、それを船の上に乗せた。奴の鉄炮で土寄浦(つちよりうら)一帯は焼け野原になってしまったんじゃ。崔茂宣は亡くなってしまったが、倅が跡を継いで、様々な武器を開発しているようじゃ。去年、いや、一昨年(おととし)か、火薬を使った新しい武器を披露したんじゃが、その時、北山殿(足利義満)が朝鮮に送った使者もそれを見ていて、腰を抜かすほどに驚いたそうじゃ。日本にはまだ火薬はないからのう」
「そうだったのですか。琉球も火薬と鉄炮が欲しいですよ。それがあれば、琉球を統一するのも簡単です」
「それは言えるな」とサイムンタルーは笑って、肉料理をつまんだ。
 サハチも肉料理を食べてみた。胡椒(こしょう)が効いていてうまかった。小次郎はこの妓楼と取り引きをしていると言っていたが、胡椒やタカラガイを売っているようだった。妓女たちのノリゲ(着物に付ける装飾品)にタカラガイが光っているのをサハチは気づいていた。漢城府で流行っているタカラガイは開京でも流行っているようだ。
「崔茂宣の倅で思い出したんですけど、人質になった長男の藤次郎殿はどうして亡くなったのです?」
 サハチは以前から気になっていた事を聞いてみた。
「流行病(はやりやまい)にやられたんじゃよ。というのは表向きの事でな、実は殺されたんじゃ」
「えっ!」とサハチは驚いた。
 藤次郎は六郎次郎よりも八つ年上だった。サイムンタルーの跡継ぎとして、十六歳から船に乗って活躍して、人質になったのは十八歳の時だと聞いている。
「殺したのは倭寇に親父を殺された両班の倅だった。親の敵(かたき)を討つために、藤次郎をずっと付け狙っていたらしい。藤次郎はわしの家臣の源次郎と孫左衛門と一緒に人質になったんじゃ。わしがまだ対馬にいた時に漢城府に行き、李成桂と会って、官職を授かり、屋敷も賜わった。わしが投降して漢城府に行った時、これからの事をじっくりと語り合った。それから二か月後、藤次郎はあっけなく亡くなってしまったんじゃ」
 サイムンタルーは首を振って、酒を飲んだ。
 サハチは長男のサグルーの事を考えていた。もし、サグルーが殺されたら、殺した奴は絶対に許せない。八つ裂きにしても物足りなかった。家族たちも皆殺しにするかもしれなかった。
「殺した奴は捕まえたのですか」とサハチは聞いた。
「源次郎が斬り捨てた。一緒にいたんじゃが、ちょっと目を離した隙に、藤次郎はやられたらしい。奴もそれなりの武芸は身に付けていたんじゃが、異国に来て浮かれていたのかもしれんな。事件は闇に葬られて、病死という事になったんじゃ。藤次郎が亡くなって、末の弟の左衛門五郎が新たな人質として対馬からやって来た。漢城府で暮らしていたんじゃが、三年前、全羅道(チョルラド)に倭寇退治に出掛け、嵐に遭って溺死してしまった。源次郎も一緒に船に乗っていて、亡くなってしまったんじゃよ。余りにも犠牲者が多すぎる」
 末の弟の左衛門五郎とはシンゴの下の弟だろうが、サハチには会った記憶はなかった。サイムンタルーの兄弟は、兄の次郎左衛門と弟の左衛門次郎が戦死し、末っ子の左衛門五郎も海で亡くなった。六人兄弟で三人が亡くなって、残っているのはサイムンタルーとシンゴ、五島にいる左衛門三郎だけになっていた。サイムンタルーが言うように、余りにも犠牲者が多すぎた。
 サハチはサイムンタルーの盃に酒を注いだ。今、気づいたが、それは朝鮮の酒だった。明国の酒に似た強い酒だった。開京にはお寺があった。そのお寺で造っている酒だろうかとサハチは思った。
 サイムンタルーは酒を飲んで、サハチを見て笑うと、「六郎次郎がお前の娘と一緒になると聞いた時は驚いたぞ」と言った。
「わしがユキを最後に見たのは、ユキが十歳の時じゃった。可愛い娘じゃったのう。イトに負けずに美人になるじゃろうと思った。六郎次郎より一つ年下で、嫁さんに丁度いいと思っていたんじゃよ。しかし、六郎次郎は船越にいる。出会う事もあるまいと思っていたんじゃが、運命というものかのう。二人が出会って結ばれるとは本当に喜ばしい事じゃと思ったぞ」
「俺も驚きましたよ」とサハチは言った。
「ミナミにも会ったのか」とサイムンタルーは聞いた。
 サハチはうなづいて、「可愛い孫娘です」と言った。
「おう、そうか。会いたいのう」
対馬にはもう帰れないのですか」
「いや、何としても帰るつもりじゃ」
「帰れるんですか」
 サイムンタルーはうなづき、「策がある」と言って笑った。
「今度はお前の活躍を聞かせてくれ。わしが最後に琉球に行った時、サグルー(思紹)殿はキラマ(慶良間)の島で兵を育てておった。そのあと、どうなったんじゃい」
 サハチは父が中山王になるまでのいきさつを簡単に説明した。
「なに、新しく造っていた首里(すい)グスクを奪い取って、浦添(うらしい)グスクを焼き討ちにしたのか」
「焼き討ちにするだけなので、大軍は必要ありません。ウニタキの配下の者たちで焼き討ちにしたのです」
「奇抜な作戦じゃのう」
「ファイチが考えた作戦です」
「ほう、そうか」とサイムンタルーはサハチを見ながら嬉しそうな顔をしてうなづいた。
「高麗の都だった開京で、お前とこうして酒を飲んでいるなんて、あの頃、想像もできなかった事じゃな」
「本当ですよ。サイムンタルー殿が朝鮮に投降したと聞いた時は、牢屋にでも閉じ込められて、首を刎ねられてしまうのではないかと心配しました」
 サイムンタルーは大笑いをして、真顔に戻ると、「まだまだ先があるな」と言った。
「お前はいつの日か、琉球を統一するじゃろう。わしも負けてはおれんぞ」
「サイムンタルー殿は、こちらでは林温(イムオン)将軍でしたね」
「そう呼ばれておる。日本には将軍様は一人しかおらんが、朝鮮には何人もおる。それでも、将軍と呼ばれるのは気分がいいもんじゃよ」
「この妓楼も将軍として、何度も利用しているのですか」
「まあな。どこの国の男も皆同じじゃ。美女がいれば、話もうまくまとまるという事じゃな」
「王様もここに来るのですか」
漢城府にはこんな妓楼はないからのう。気晴らしに来ているようじゃな」
 いつの間にか、ウニタキが三弦を弾いていた。ウニタキが持っていた三弦よりも一回り大きいようだった。この妓楼にあったのだろうか。サハチもサイムンタルーも話をやめてウニタキの歌に耳を傾けた。
 歌が終わると妓女たちが拍手を送った。やはり、言葉はわからなくても音楽はわかり合えるのだとサハチは思った。
「うまいもんじゃのう。何となく琉球が感じられる。キラマの景色が目に浮かんだよ。琉球にもまた行きたくなって来た。そう言えば、シンゴの奴がお前の妹といい仲になったらしいのう。あんな美人をものにするとはシンゴを見直したよ。奴もよくやってくれるので助かっている」
「シンゴは毎年、琉球に来てくれます。本当に助かっていますよ」
 ウニタキがお前の一節切(ひとよぎり)を披露しろと言った。サハチはうなづいて、一節切を吹き始めた。
 サイムンタルーとの思い出をサハチは一節切の調べに乗せていた。琉球を一緒に旅をして、マチルギと出会った時もサイムンタルーはそばにいた。奥間(うくま)村で一緒に剣術の稽古に励み、対馬に来たサハチが琉球に帰る時には、サイムンタルーの船に乗って帰った。それから五年後、サイムンタルーは琉球に来て、イトがユキを産んだ事を教えてくれた。三年後に来た時はキラマにいる若者たちのために食糧を運んでくれた。そして、今、十三年振りに再会した。
 サハチの曲が終わると皆、シーンとしていた。涙を浮かべている妓女もいた。サイムンタルーも泣いていた。
 サイムンタルーは涙を拭うと、「何という奴じゃ」とサハチに言った。
 皆が拍手をして、様々な事をしゃべり出した。
「みんな、感動しています」とナナが涙を拭きながら言った。
「笛の調べを聞いて泣いたのは初めてじゃよ」とサイムンタルーは言った。
「なぜか、故郷が思い出されてのう。急に対馬に帰りたくなったわい」
 今度は妓女たちが琴を披露した。明国の音楽とも違う、朝鮮らしい曲だった。ヘグムを披露する妓女もいた。ファイチは真剣な顔をして聴いていた。テグムを披露する妓女もいた。今度はヂャンサンフォンが真剣な顔をして聴いていた。
 サハチたちは手振り身振りで妓女たちと会話をして、合奏をしたり、歌を歌ったりして夜が明けるまで、楽しい時を過ごした。
 サイムンタルーは一睡もせずに、馬に跨がると北へと帰って行った。どこにいたのか、三人の従者を従えていた。
「楽しい夜じゃった。お前に会えてよかったぞ」とサイムンタルーは笑って、うなづいた。
「今度はどこで出会うのか楽しみじゃのう」
「きっとまた意外な所かもしれませんね」とサハチも笑った。
 サハチはサイムンタルーの後ろ姿を見送った。

 

 

 

ノリゲ―伝統韓服の風雅 (梨花女子大学コリア文化叢書 2)   チマチョゴリの胸から垂らす飾り 玉風飾りノリゲ(梅飾り彫り)

2-58.サダンのヘグム(改訂決定稿)

 昨日はいなかったが、ハナにはナナという姉がいた。男の格好をして刀を背負い、二十歳を過ぎていると思えるが、お嫁に行かないで、商品の護衛を務めているという。そして、ヂャンサンフォン(張三豊)を師匠と呼んで、再会を喜んでいた。
「ここにも師匠の弟子がいたのか」とンマムイ(兼グスク按司)は驚き、ナナにサハチ(琉球中山王世子)たちを紹介して、「みんな、師匠の弟子だよ」と言って、「俺が一番下っ端だ」と付け加えた。
 ナナは笑って、「皆さんたちが武芸の達人だというのは一目見てわかりましたよ」と言った。
 そう言うナナもかなりの腕だという事は、サハチたちにもわかっていた。
 ナナはサイムンタルー(早田左衛門太郎)の兄、次郎左衛門の娘だった。しかし、次郎左衛門がナナの母親の事を内緒にしたまま戦死してしまったので、その存在は誰も知らなかった。
 ナナの母親は富山浦(プサンポ)(釜山)に住んでいた対馬(つしま)の漁師の娘で、次郎左衛門が戦死した時、ナナは七歳だった。次郎左衛門は自分がお屋形様になったら、ナナの母親を側室に迎えると約束したが、その前に戦死してしまった。ナナの母親は一人で娘を育てる決心をして、父親は海で亡くなったとだけナナに話していた。
 ナナが十四歳の時、母は病に罹って亡くなった。亡くなる前、ナナの母親は次郎左衛門がナナの父親だと打ち明けた。ナナの母親の両親は驚いた。ナナの母親が亡くなったあと、ナナの祖父は五郎左衛門を訪ねて、わけを話した。ナナの母親が大切に持っていた次郎左衛門の手紙と形見の品が決め手となって、ナナは五郎左衛門が育てる事になった。
 漁師の娘ではなく、武将の娘だと知ったナナは、父親の敵(かたき)を討たなければならないと思った。対馬で娘たちに剣術を教えていると聞いたナナは五郎左衛門に頼んで、対馬に渡った。祖父の三郎左衛門の屋敷にお世話になりながらイトから剣術を習ったのだった。
 イトの娘のユキと同い年で、すでにかなり強かったユキに負けるものかとナナは必死に稽古に励んだ。年頃になってもお嫁に行く事など考えず、ひたすら敵を討つ事だけに集中した。ユキたちが男たちに会うために無人島に行く時も一緒に行く事はなく、一人で稽古に励んでいた。
 ユキがお嫁に行く前、ナナはユキと試合をして引き分けた。ユキは船越に嫁いで、ナナは朝鮮(チョソン)に戻った。その年、五郎左衛門は漢城府(ハンソンブ)(ソウル)に『津島屋』を出した。ナナは丈太郎(じょうたろう)の娘として漢城府に来て、以後、警護の仕事をしている。去年、対馬に武術の達人が来た事を知ると教えを請うため対馬に渡り、ヂャンサンフォンの指導を受け、マチルギからも指導を受けていた。
「ナナさんの敵(かたき)とは誰なんです?」とンマムイが聞いた。
「朝鮮の初代の王様です」
「えっ、王様を討つつもりなのか」
 ンマムイは驚いた顔をしてサハチたちを見た。サハチたちも唖然とした顔でナナを見ていた。
「でも、去年、亡くなってしまいました。初代の王様は開京(ケギョン)(開城市)からここに来る事なく、咸州(ハムジュ)(咸興市)のお寺に隠居していました。そのお寺を襲撃しようと思っていたのですが、あたしが剣術の修行を積んで朝鮮に戻って来たら、漢城府に来ていて、新しくできた宮殿の中にいました。あの宮殿に侵入するのは不可能でした」
「本当に王様を狙っていたのか。無謀だな。殺されるぞ」
 ナナは可愛い顔をして笑った。
「敵討ちはもうやめたんだな?」とウニタキ(三星大親)が聞くと、ナナは首を振った。
「父の敵は死んじゃったけど、今の王様に恨みを持っている人たちは大勢いるわ」
「今の王様を狙っているのか」
 ナナはまた首を振った。
「今、どうしようか考えているの。琉球にでも行ってみようかな。そう言えば今回、ササは来ているの?」
「富山浦まで来たけど、今頃は対馬に帰っただろう」
「あの娘(こ)、面白いわ。会いに行こうかしら」
 サハチたちはナナの案内で都見物に出掛けた。津島屋の裏口から出て、大通りと反対の方に向かうと川に出た。清渓川(チョンゲチョン)だという。川に沿って東に向かうと橋があった。橋の上から東の方を見ると、川岸に家々が建ち並んでいた。
「応天府(おうてんふ)の秦淮河(シンファイフェ)に似ているな」とファイチ(懐機)が言った。
 そう言われてみれば雰囲気は似ていた。しかし、応天府のような高い建物はどこにもなく、低い藁葺(わらぶ)きの屋根が並んでいるだけだった。
「妓楼(ぎろう)(遊女屋)はないのか」とンマムイがナナに聞いた。
 ナナは笑って、「あれが妓楼です」と川沿いに建つ建物を示した。
 その建物は他のものより少し大きいような気がするが、どう見ても妓楼には見えなかった。
「禁酒令があるから大っぴらに店を構えられないのです」
 そう言って、ナナは振り返って川の上流の方を指さした。
「この先で二つの川が合流するんですけど、左側の川に沿って行くと『雅楽署(アアッソ)』と呼ばれるお役所があって、そこに妓女(キニョ)が大勢います」
「役所に妓女がいるのか」とウニタキが驚いた。
雅楽署には音楽を担当する者たちや歌や踊りを担当する妓女たちがいて、宮廷の儀式で活躍するのです。明国(みんこく)や日本の使者たちが来た時も歌や踊りを披露します」
「面白いな」とサハチは言って、「中に入れるのか」とナナに聞いた。
「お役所ですから用があれば入れますけど‥‥‥」と言ってからナナは一人で笑って、「大丈夫。入れます」とうなづいた。
「そんな所に入ってどうするんだ?」とウニタキがサハチに聞いた。
琉球にも必要な役所だと思ったんだ」
「そういう事か。確かに必要かもしれんな」
雅楽署のそばには『図画署(トファソ)』もあります」
「トファソ?」
「絵を描いているお役所です。色々な行事の様子を細かく描いたりしています。一番名誉あるお仕事は王様のお姿を描く事だそうです」
「そんな役所もあるのか」とサハチが言うと、
「イーカチにやらせればいい」とウニタキが言った。
「そうだな。栄泉坊もいるしな」
「見に行きましょ」とナナは言った。
「入れるのか」
「図画署の絵描きさんたちはお役所のお仕事だけでは食べていけないの。それで、怪しい絵を描いて両班(ヤンバン)たちに売っているのよ」
「怪しい絵というのはあれか」とンマムイがニヤニヤしながら聞いた。
「男と女が仲よくしている絵よ。それを売るお手伝いをあたしがしているの。これは内緒よ」
 橋を渡って、サハチたちは川に沿って上流へと向かった。土塀に囲まれた図画署があった。
 ナナが知り合いを呼んで、しばらく話をしていたが、結局、中に入る事はできなかった。
「あたし一人なら内緒で入れる事もできるけど、他の者たちは駄目だって。ごめんなさいね」
「仕方がない」とサハチは笑った。
「もし捕まって、琉球から来た事がばれたら、面倒な事になるかもしれない。危ない所には近づかない方がいいだろう」
 ナナは残念そうな顔をしてうなづいた。
「ここには何人くらいの絵描きがいるんだ?」
「二十人くらいじゃないかしら」
「そんなにもいるのか」
「下働きの女たちもいるわ。墨をすったり、顔料(がんりょう)(絵の具)を溶いたりしています」
「成程、そういう仕事もあるのか」
雅楽署に行きますか。あそこも入れないとは思いますけど」
「近くなんだろう。行ってみよう」
 川に沿って進んで行くと広い通りに出て、通りの向こう側に雅楽署があり、音楽が聞こえてきた。聞こえて来る音楽は、琉球の新年の儀式の時に流れる音楽に似ていた。
 馬天(ばてぃん)ヌルが浦添(うらしい)に仕えていたヌルたちを探した時、冊封使(さっぷーし)が来た時に音楽を担当した者たちも集めて、新年の儀式の時に演奏させていた。朝鮮の音楽も明国の音楽を真似しているようだった。
 ファイチに聞いてみると、「明国の宮廷音楽、『雅楽(ヤーユエ)』と同じです」と言った。
「ここには何人くらいいるんだ?」とサハチはナナに聞いた。
「結構いますよ。楽器を演奏する人たちに、踊りを担当する妓女たち、それに、楽器を作る人たちもいます」
「楽器もここで作っているのか」
「そうですよ。日本には楽器を専門に作っている職人さんたちがいるけど、朝鮮にはそういう職人たちは皆、お役所に所属しているの。お役人が着る着物を作るお役所や紙を作るお役所もあります」
「ほう、何でも役所で作っているんだな」とウニタキが感心して、「武器を作っている役所もあるのか」とナナに聞いた。
「あります。倭寇(わこう)退治に活躍した鉄炮(てっぽう)(大砲)を作ったのもお役所の工房です。刀や槍も作っていますが、日本の物には及びません。高麗(こうらい)の時代には、お寺にも職人さんがいっぱいいて、お寺で必要な物はすべて、お寺で作っていたようです」
 サハチたちは雅楽署から離れて、広い通りを東の方に進んだ。
「ここは『恵民庫局(ヒェミンゴグ)』というお役所で、お医者さんがいて、庶民たちを診てくれます」
「ほう、そんな役所もあるのか」
「でも、ほとんどの人たちはここに来るよりも『ムーダン』を頼りにしているみたい」
「ムーダン?」とサハチは聞いた。
琉球のヌルのような人たちです。神様とお話ができる人です。おまじないをして病を追い払うのです」
「朝鮮にもヌルがいるのか」
「国のためにお祈りをするムーダンたちがいるお役所もあるんですよ」
「今度はその役所に向かうのか」とウニタキが聞いた。
「違います。ムーダンのお役所に行っても中には入れないし、ここからは遠すぎます。『サダン』と呼ばれている芸人さんたちを紹介します」
「そいつは面白そうだ」
「その人たちもお寺に所属していた芸人さんなんです。お寺が土地を奪われて食べていけなくなって、お寺を追い出されてしまったのです」
「王様はお寺の土地を奪い取って、その土地を家臣たちに分け与えたのか」とヂャンサンフォンがナナに聞いた。
「いいえ。王様の土地になっていると思います。この都の土地も王様のものなんです。勝手に家を建てる事はできません。家を建てるには王様の許可が必要なんです」
「この土地が王様のものなのか」とンマムイが驚いた顔で周りを見回した。
「城壁で囲まれている中はすべて王様の土地なんです」
「ここに古くから住んでいた人たちもいたじゃろう。そいつらも王様の許可を得て、住んでいるのか」とヂャンサンフォンが聞いた。
「古くから住んでいた人たちは揚州(ヤンジュ)に移されたようです」
「ほう、朝鮮の王様というのは凄い力を持っているんじゃのう」
「城壁を造る時は国中から人を集めて、その数は二十万人もいたと聞いています。富山浦からも大勢の人がここまで連れて来られて、二か月近くも働かされたそうです」
「二十万?」とンマムイは驚いたが、サハチにはその数が見当もつかなかった。
 橋を渡って川沿いの細い道を進んで行った。この辺りに来ると家もまばらで、森や荒れ地が広がっている。川のほとりに粗末な小屋がいくつも建っているのが見えた。賑やかな鉦(かね)や太鼓の音も聞こえてきた。
「あの小屋も王様の許可を得て建てたのか」とンマムイがナナに聞いた。
 ナナは笑って首を振った。
「無許可です。役人に見つかったら追い出されます。でも、許可が下りるまで、道ばたに小屋掛けして待っている人は大勢います。それらの人たちを一々追い出していたら切りがありません。役人たちも見て見ぬ振りをするしかないのです。もっともサダンの人たちは許可を求めてはいません。そのうち、どこかに旅に出ます」
 大きな木の後ろから突然、男が現れた。刀を左手に持っていた。日本刀のようだ。男はナナと何かを話し、サハチたちを見るとニヤッと笑い、先に立って小屋と小屋の間を抜けて行った。そこは小屋に囲まれた広場になっていて、芸人たちが稽古に励んでいた。
 鉦や太鼓に合わせて踊っている者、綱渡りをしている者、宙返りをしている者、剣術の稽古をしている者たちが動きを止めて、サハチたちを見た。踊りを踊っていた女がナナを見て、駆け寄ってきた。
 女はナナと親しそうに話をして、サハチたちを見て笑った。ナナと同い年くらいの娘だった。稽古をしていた者たちも集まって来て、サハチたちを見ていた。サハチたちを案内した男がみんなに何かを話したあと、ナナに何かを話した。
 ナナがサハチたちを見て、「ごめんなさい」と謝った。
「あなたたちを琉球から来た武芸者たちって言ったら、どうしても教えを請いたいって言うのよ。どうします?」
「師匠、教えてやりましょうよ」とンマムイがヂャンサンフォンに言った。
 ヂャンサンフォンはサハチを見てから、「いいじゃろう」とうなづいた。
 ナナが親方らしい男に何かを言った。親方はうなづいて、仲間の中から五人の男を選んだ。五人とも自信があったのだろうが、サハチたちの敵ではなかった。五人ともサハチたちに簡単に負け、ナナの言葉を信じたようだった。試合のあと、サハチたちは親方に歓迎された。
 ここには三十人近くの芸人たちがいた。ナナの話だと高麗の都だった開京から来た芸人たちらしい。漢城府に来たのは五月頃で、それからずっとここに滞在して、両班から頼まれると芸を披露しに出掛けているという。
 ナナと親しい娘はユンという名で、両班の屋敷で踊りを披露した時、そこの息子に見初められて、しつこく付きまとわれていた。適当にあしらっていたのだが、息子は諦めず、ならず者たちを使ってユンをさらおうとした。ユンも武芸の心得はあったが、相手が多すぎた。さらわれようとした時、たまたま通りかかったナナに助けられた。両班の息子の仕返しが気になって、ナナは度々、ユンに会いに行き、芸人たちとも仲よくなったのだった。
 芸人たちは料理と酒も用意してくれたが、言葉が通じないので、どうしても場がしらけてしまう。ユンが気を利かして楽器を弾き始めた。サハチの知らない楽器だった。人の泣き声のように聞こえる哀調を帯びた調べが流れた。
「ヘグムという楽器です」とナナが言った。
「懐かしい」とファイチが言った。
「明国では奚琴(シーチン)と言います。わたしの母が昔、弾いていました。すっかり忘れていましたが、今、はっきりと思い出しました」
 ファイチは目を閉じて、ユンが弾くヘグムを聴いていた。子供の頃、母は子守歌代わりに奚琴を弾いてくれた。でも、いつの日からか、母は奚琴を弾かなくなった。どうしてなのか、わからなかったが、ユンの弾く曲を聴いているうちに思い出した。ファイチが十歳の時、姉の懐永(ファイヨン)が北平(ベイピン)(北京)に嫁いで行った。その時、母は懐永に奚琴を贈ったのだった。妹の懐虹(ファイホン)の話だと、懐永は北平で無事に暮らしているという。なぜか、急に姉に会いたくなってきた。
 ユンの演奏が終わるとサハチは腰から一節切(ひとよぎり)を取り出して、袋から出して吹き始めた。目を閉じて何も考えずに、その時に感じたままを吹いた。富山浦から漢城府までの長い旅が思い出され、風の音や雨の音、川のせせらぎ、鳥の鳴き声や虫の声などが、知らずに表現されていた。その調べは、終わりのない旅を続けている芸人たちの心を振るわせ、感動させた。
 サハチが一節切を口から離すと、しばらくして拍手が起こり、芸人たちが何事かをしゃべり始めた。
「みんな、素晴らしいと言っています」とナナが言った。
 サハチはみんなにお礼を言って、音楽というのは言葉が通じなくてもわかり合える素晴らしいものだと改めて思っていた。
 そのあと、ユンのヘグムとサハチの一節切で合奏をした。最初は悲しい調べだったが、やがて明るい調子になり、手拍子が始まると、踊り出す者たちも現れた。娘たちに誘われて、ウニタキ、ファイチ、ンマムイも一緒になって踊った。
 楽しい一時を過ごし、サハチたちは芸人たちと別れた。芸人たちはまた遊びに来てくれと言った。
「三弦(サンシェン)を持ってくればよかった」とウニタキは悔しがった。
「百六十年も生きて来て、わしは音曲(おんぎょく)には縁がなかった。今更ながら、何か楽器をやっていればよかったと思う」とヂャンサンフォンがしみじみと言った。
「師匠、今からでも間に合いますよ。俺も笛を始めたばかりです」とンマムイが言った。
「お前も吹けばよかったのに」とサハチが言うと、ンマムイは手を振った。
「俺のはまだ人には聴かせられませんよ。しかし、師兄(シージォン)は凄い。師兄の一節切を聴きながら泣いている者もいましたよ。俺も早く師兄のようにうまくなりたいですよ」
 サハチは笑って、「うまくならなくてもいいんだよ。自分を表現できれば、それでいいんだ」とンマムイの肩をたたいた。
「ササも笛がお上手でしたね。あたしも笛を習おうかしら」とナナは言った。
「わたしもヘグムが弾きたくなりました」とファイチも言った。
「ヘグムの音は心に染みる。ファイチのためにもヘグムを手に入れたいな」とサハチは言った。
 ナナは首を傾げて、「手に入れるのは難しいと思いますよ」と言った。
「芸人たちはどうやって楽器を手に入れているんだ?」とウニタキはナナに聞いた。
「お寺に属していた芸人たちはお寺で作った楽器を使っています。でも、お寺がなくなってしまったので、これからどうするのかわかりません」
「お寺で楽器を作っていた職人たちはどうなったんだ?」
「腕のいい職人なら雅楽署に入ったと思います。ほかの職人たちはノビ(奴婢)として宮廷に入ったのかもしれません」
「しかし、お寺はかなりあったんじゃろう。お寺にいたノビたちをすべて宮廷には入れられまい」とヂャンサンフォンが言った。
「そうですよね。芸人たちのように放浪しているのかしら」
 広い通りに出るとナナは右に曲がった。
「今度はどこに行くのです?」とサハチはナナに聞いた。
「ちょっと遠いのですけど、『成均館(ソンギュングァン)』の隣りに『泮村(パンチョン)』という村があります。そこは芸人たちの村なのです。楽器の事がわかるかもしれません」
「芸人たちの村があるのか」
「住んでいる人たちが全員、芸人じゃないけど芸人たちが多いのです。泮村は成均館で学んでいる人たちの面倒を見ている村で、成均館で使用される物はすべて、泮村で用意します。泮村に住んでいるのは全員がノビで、宮廷の儀式の時に芸を披露する芸人たちも住んでいて、成均館のために働いています」
「成均館というのは、明国の『国子監(こくしかん)』のようなものか」とヂャンサンフォンが聞いた。
 ナナは首を傾げた。
「わかりませんけど、難しい書物を学んでいて、偉いお役人を育てている所です」
「ここにも国子監があるのか、琉球にも必要だな」とサハチは言った。
 広い通りを左に曲がって、しばらく行くと清渓川に出た。橋を渡って、しばらく行くと大通りに出た。大通りを突っ切って北に向かって四半時(しはんどき)(三十分)ほど歩くと成均館に着いた。途中、左側に石垣に囲まれた新しい宮殿(昌徳宮(チャンドックン))があった。
 今の王様(李芳遠(イバンウォン))が咸州のお寺にいた初代の王様(李成桂(イソンゲ))を漢城府に呼ぶために建てた宮殿だという。その宮殿を建てる時、お寺を追い出された大勢の僧たちも人足(にんそく)として強制的に働かされたらしい。初代の王様が亡くなったあとは、明国の使者や日本の使者が来た時に接待の場として使われている。琉球の使者たちも多分、この宮殿で接待されるのだろうとナナは言った。
 成均館は土塀で囲まれていて中には入れないが、門から覗くと揃いの着物を着た若者たちが書物を抱えて歩いているのが見えた。
「こっちですよ」とナナが言って、あとに付いて行くと成均館の隣りに活気に溢れた村があった。
 不思議な村だった。芸人たちの村というよりも職人たちの村のようだった。村全体が工房のようで、あらゆる物を作っていた。成均館の若者たちに牛肉を食べさせるために、牛の解体までしているのには驚いた。楽器を作っている人もいて、ヘグムが手に入らないかとナナが聞くと、その職人は少し考えてから、開京に行けば手に入るかもしれないと言ったらしい。
「明日、あたしは開京に行く事になっているの。一緒に行きましょう」とナナは言った。
「それはいい」とウニタキが喜び、サハチたちは高麗の都だった開京に行く事に決まった。

 

 

 

踊る崔承喜