長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

2-116.念仏踊り(改訂決定稿)

 二月四日、今年最初の進貢船(しんくんしん)が二隻の旧港(ジゥガン)(パレンバン)の船を連れて出帆して行った。
 正使はサングルミー(与座大親)で、従者としてクグルーと馬天浜(ばてぃんはま)のシタルー、イハチも行き、垣花(かきぬはな)からはシタルーの義弟のクーチと若按司の長男のマグサンルーが行った。サムレー大将は六番組の又吉親方(またゆしうやかた)で、『国子監(こくしかん)』に入る三人の官生(かんしょう)、北谷(ちゃたん)ジルー、城間(ぐすくま)ジルムイ、前田(めーだ)チナシーも乗っていた。
 五日後には首里(すい)グスクのお祭り(うまちー)が華やかに行なわれた。北曲輪(にしくるわ)の石垣が完成して、以前よりも立派になったグスクを見ようと、大勢の人たちが集まって来て賑わった。
 毎年の事だが、ササ、シンシン(杏杏)、ナナの三人は曲者(くせもの)が潜り込んではいないか見回りをしていた。ウニタルとシングルーを連れて、サタルーも一緒にいた。
 ヂャンサンフォン(張三豊)が運玉森(うんたまむい)ヌル(先代サスカサ)を連れてやって来た。福寿坊(ふくじゅぼう)と辰阿弥(しんあみ)も一緒にいた。二人は慈恩禅師(じおんぜんじ)からヂャンサンフォンを紹介されて、ずっと与那原(ゆなばる)にいたらしい。慈恩禅師も越来(ぐいく)ヌルと一緒にやって来た。
 ンマムイ(兼グスク按司)夫婦も子供たちを連れてやって来た。一緒にテーラー(瀬底之子)と八重瀬(えーじ)の若ヌルとチヌムイもいた。テーラーは山伏姿になって旅をしていたようだが、帰って来たようだ。テーラーは山南王(さんなんおう)(シタルー)が用意した屋敷を保栄茂(ぶいむ)グスクの城下に持ち、中山王(ちゅうさんおう)(思紹)が用意した屋敷を島添大里(しましいうふざとぅ)のミーグスクの城下に持っていた。その時の気分で行ったり来たりしていて、ンマムイの兼(かに)グスクの城下にも屋敷をもらったようだった。八重瀬の若ヌルと弟のチヌムイは相変わらず、八重瀬から兼グスクに通って武芸を習っているようだ。
 豊見(とぅゆみ)グスク按司(タルムイ)夫婦も子供を連れて、豊見グスクヌルと一緒に来た。
 マツ(中島松太郎)とトラ(大石寅次郎)は旅芸人たちの小屋が気に入ったようで、そこに入り浸っていた。マツは舞姫のカリーを、トラはフクを贔屓(ひいき)にしていた。二人は必死に口説いているが、適当にあしらわれているようだ。それでも、座頭(ざがしら)のクンジに、ヤマトゥ(日本)や朝鮮(チョソン)の芸人たちの話を聞かせて喜ばれているようだった。二人は旅芸人たちと一緒にやって来て、お芝居の準備を手伝っていた。
 舞台では、ヤマトゥの着物を着たハルとシビーが進行役を務めていた。ハルは娘の格好だが、シビーは直垂(ひたたれ)に烏帽子(えぼし)をかぶった男装だった。すらっとしたシビーは男装姿がよく似合っていた。
 地区対抗の娘たちの踊りから始まって、女子(いなぐ)サムレーたちの剣術、サムレーたちの棒術、シンシンとシラーの武当拳(ウーダンけん)と続いた。二人の動きは見事に呼吸が合い、相手の攻撃を受けるとすぐに次の攻撃を仕掛け、目にも止まらぬ速さで拳や蹴りがくり出された。身の軽いシンシンは舞台上で飛び跳ねて、シラーの鋭い拳をかわし、皆、凄いと言った顔をして見入っていた。
 喝采(かっさい)が鳴り止まぬ中、静かに音楽が鳴り響いて、お芝居『かぐや姫』が始まった。主役のかぐや姫は前回に引き続いてハルだった。舞台の脇には、このお芝居のために高い櫓(やぐら)が建っていた。
 ハルの演技は一段と進歩して、すっかり、かぐや姫になりきっていた。決められた台詞(せりふ)をしゃべっているはずなのに、その時その時の感情を素直に言葉として表現しているように見えた。ハルの演技に刺激されて、女子サムレーたちの演技もうまくなっていて、ちょっとした仕草で、観ている者たちを笑わせた。
 音楽も以前よりずっと深みのあるものに変わっていた。三つの笛が違う調べを吹いて、それがうまく重なって心地よく響いていた。かぐや姫が月に帰る場面に流れた音楽は、幻想的で美しい調べだった。増阿弥(ぞうあみ)の舞台を観た佐敷ヌルがさっそく、名人芸を取り入れたのだろう。
 櫓に吊り上げられたハルが月に帰って、皆に手を振ったあと、一瞬のうちに消えるとお芝居は終わった。指笛と喝采がいつまでも鳴り響いた。
 少し休憩があって、旅芸人たちのお芝居『舜天(しゅんてぃん)』が演じられた。馬天ヌルの話だと、このお芝居によって、中グスクの北に住んでいる舜天の子孫たちが、長い間の誤解が解けて大喜びしているという。お芝居という娯楽が、人々の人生にまで影響を与えている事にサハチ(中山王世子、島添大里按司)は驚いて、たとえ、お芝居といえども、嘘はつけないなと思った。
 旅芸人たちのお芝居も見事なものだった。何度も上演して、お客の反応を見て、少しづつ修正しているのだろう。三年前のぶざまな有様を思い出すと、みんな、別人のように思えた。
 お芝居が終わったあと、サハチは舞台に上がって一節切(ひとよぎり)を吹いた。首里グスクを奪い取ってから今日までの出来事を思い出しながらサハチは一節切を吹いていた。皆、シーンとなって聴いていた。
 明国(みんこく)に行って、メイユー(美玉)と出会った。応天府(おうてんふ)の妓楼(ぎろう)で永楽帝(えいらくてい)とも会った。おかしな娘のシンシンと出会い、ヂャンサンフォンと会って武当山(ウーダンシャン)に行き、武当拳の修行を積んだ。
 ヤマトゥに行って、高橋殿と出会い、将軍様とも会った。増阿弥の素晴らしい一節切も聴いた。今、振り返れば、奇跡の連続のようだった。豊玉姫(とよたまひめ)様、そして、スサノオの神様にずっと見守られていたに違いなかった。サハチは神様に感謝の気持ちを込めて一節切を吹いていた。
 いつの間にか、ササが舞台で舞っていた。素晴らしい舞だった。高橋殿から教えを受けたのだろうか。『天女の舞』によく似ていた。
「見事じゃ」と誰かの声が聞こえた。
 サハチはさらに吹き続けた。
 朝鮮に行ってサイムンタルー(早田左衛門太郎)と再会して、サイムンタルーがイト、ユキ、ミナミを連れて琉球にやって来た。今年はマツとトラがやって来た。
 サハチは神様に感謝の気持ちを捧げて、一節切を口から離した。ササがサハチに合わせるように舞台から消えた。
 喝采と指笛が響き渡る中、サハチはまた、「見事じゃった」という声を聞いた。
 舞台を下りて、サハチはササに聞いた。
「『見事じゃ』と誰かが言ったんだけど、誰だろう?」
 ササは驚いた顔をしてサハチを見ると、「聞いたの?」と聞いた。
「一節切を吹いている途中で、『見事じゃ』と誰かが言って、曲が終わった時、『見事じゃった』と言ったんだ」
 ササは笑って、「スサノオの神様よ」と言った。
スサノオの神様?」
「ユンヌ姫様と一緒に琉球まで来たみたい。あたしも今、初めて知ったの」
「俺が神様の声を聞いたのか」
 サハチは信じられないという顔をしてササを見た。
按司様(あじぬめー)も一節切のお陰で、神人(かみんちゅ)になったんだわ」
「俺が神人か」
「だって、スサノオの神様の声を聞いたんだから神人だわ」
「俺が神人か」とサハチはもう一度言った。
 舞台ではウニタキ(三星大親)とミヨンが三弦(さんしぇん)を弾きながら歌を歌っていた。心に染みる恋歌を歌ったあと、調子のいい陽気な歌を歌って、観客たちが踊り出した。いつもならこれで終わるはずだが、今年は違った。
 辰阿弥と福寿坊が舞台に上がって、辰阿弥が鉦(かね)を叩きながら、「ナンマイダー(南無阿弥陀仏)」と念仏を唱え始めた。福寿坊は太鼓を叩きながら念仏を唱えた。
 見ている者たちは唖然(あぜん)とした顔で二人を見ていたが、やがて、辰阿弥が鉦を叩きながら踊り始めると、ササ、シンシン、ナナが辰阿弥と一緒に踊り始めた。見ていた観客たちも踊り始めた。鉦と太鼓の響きに合わせて、みんなで「ナンマイダー」と唱えながら踊っていた。
 サハチも体が自然と動き出して、一緒になって踊った。ウニタキとミヨンも踊っていた。佐敷ヌルとユリ、ハルとシビーも踊っていた。誰もが意味もわからず、「ナンマイダー」と叫びながら楽しそうに踊っていた。
 お祭りの翌日、佐敷ヌルはササたちと一緒にヤンバル(琉球北部)に旅立って行った。神様たちにヤマトゥ旅の報告とお礼を言うためだった。マツとトラ、福寿坊と辰阿弥も同行した。サハチも一緒に行こうとしたら、ウニタキに止められた。
「ヌルたちとヤマトゥから来た旅の者たちがヤンバルをうろうろしていても、山北王(さんほくおう)は気にも止めないが、そこにお前が加わると話が違ってくる。お前のためにみんなが危険な目に遭う事になるんだ」
「山北王が俺を狙っているというのか」
「山北王は気分屋だ。機嫌が悪いと何をするかわからない。お前が今帰仁(なきじん)に来たと知った時、機嫌が悪ければ、お前を捕まえろと命じるだろう。敵地で捕まったお前を救い出すのは容易な事ではない。大勢の者が犠牲になるだろう」
「俺を捕まえれば、戦(いくさ)になるぞ。そんな事はするまい」
「お前を人質に取れば、山北王は有利になる。殺せば戦になるが、大切に預かっていると言えば、中山王も手が出せない。そんな状況になれば、シタルー(山南王)が大喜びをするだろう。シタルーを喜ばすような、軽はずみな事はやめるべきだ」
 サハチは一緒に行くのを諦めて、一行を見送った。
 奥間(うくま)に帰るサタルーに、「ちゃんと、みんなを守れよ」と言うと、
「わかっています」と力強くうなづいて、サハチの耳元で、「『赤丸党(あかまるとー)』の者が陰ながら守っています」と言った。
 『赤丸党』の事は以前、ウニタキから聞いていた。奥間の者がウニタキの所に来て、二年間の修行のあと、奥間に帰って裏の組織『赤丸党』を作ったと言っていた。奥間の鍛冶屋(かんじゃー)や木地屋(きじやー)は各地にいて、様々な情報を手に入れている。その情報をいち早く、サタルーの耳に入れるためにできた組織だった。身が軽く、素早い奴ばかりで、剣術、棒術、弓術、それに、武当拳も身に付けているという。その『赤丸党』のお頭が、クマヌ(先代中グスク按司)の息子のサンルーだというのは、亡くなる前にクマヌから聞いて、サハチは初めて知ったのだった。
「ウニタキも知っているのか」と聞くと、
「勿論ですよ」とサタルーは笑った。
 羨ましそうな顔をして一行を見送ったサハチは、武術道場に行って苗代大親(なーしるうふや)と会った。
「どうした、珍しいな。何かあったのか」と苗代大親はサハチの顔を見ると言った。
 苗代大親は書類を見ながら何かをやっていた。
「何をしているんですか」とサハチは聞いた。
首里以外のサムレーたちが明国に行きたいと騒いでいるんじゃよ。わしとしても、みんなを行かせてやりたいと思っているんじゃ。それで、明国に行っている時期だけ、持ち場を入れ替えようかと考えているんじゃよ」
「島添大里のサムレーが、首里の補充をしているようにですか」
「そうじゃ。島添大里のサムレーが明国に行ったら、首里のサムレーが島添大里に行くというわけじゃ。ただ、何も知らないサムレーばかり連れて行っても仕事にならんから、以前にやっていたように、半分づつ連れて行く事になるがのう」
「叔父さんも大変ですね」
「なに、戦がないだけでも、楽なもんじゃよ。今の所、進貢船が遭難する事故もないしな」
「叔父さんは明国には行かないのですか」
「兄貴から話を聞いて、わしも行きたくなったんじゃがのう。半年も留守にはできまい。隠居してから、のんびりと行って来るよ」
 サハチは笑って、「ヒューガ(日向大親)殿も同じ事を言っていました。隠居したら、ヒューガ殿と一緒に行って来たらいいですよ」と言った。
「ヒューガ殿とか。楽しい旅になりそうじゃな。ヒューガ殿と一緒に武当山(ウーダンシャン)に行って来よう」
「今、永楽帝武当山の再建を行なっているそうです。叔父さんたちが行く頃には、きっと立派な道教のお寺(うてぃら)がいくつも建っている事でしょう」
「兄貴から聞いたが、ヂャンサンフォン殿が武当山に現れたという噂を聞いて、大勢の弟子たちが集まって来たそうじゃのう。武芸を志す者として、一度は行ってみたいものじゃ」
 サハチはうなづきながら、もう一度、行ってみたいと思っていた。
「ところで、わざわざ、ここまで来るなんて何かあったのか」と苗代大親が聞いた。
「叔父さんに相談したい事があるのです。ナンセン(南泉)禅師殿の『報恩寺(ほうおんじ)』が完成して、次に、慈恩禅師殿の『慈恩寺(じおんじ)』を建てるのですが、慈恩寺を武術道場にしようと思っているのです」
「お寺が武術道場なのか」と苗代大親は首を傾げた。
「慈恩禅師殿はヤマトゥにお寺を持っていて、そのお寺は武術道場として栄えているそうです。僧侶だけでなく、サムレーたちも遠くからやって来て修行を積んでいるようです。そんなお寺を首里に作りたいのです。ここは今、首里のサムレーたちが修行を積む道場ですが、慈恩寺はキラマ(慶良間)の修行者の中から選ばれた者たちを鍛えて、やがてはサムレー大将になる者を育てるのです。ソウゲン(宗玄)禅師の『大聖寺(だいしょうじ)』は子供たちに読み書きを教えます。ナンセン禅師の『報恩寺』は、さらに勉学に励みたい者たちに様々な事を教えます。明国にある『国子監』のようなものを目指しています。やがて、『報恩寺』から使者や通事、重臣になる者たちが育つ事を願っています。『慈恩寺』は武術の国子監です。兵たちを率いる大将を育てるのです」
「成程のう。サムレー大将を育てる武術道場か。武術だけでなく、兵法(ひょうほう)も教えるのだな」
「そうです」とサハチはうなづいて、「その『慈恩寺』をこの道場の隣りに建てようと思っていますが、どうでしょうか」と苗代大親に聞いた。
「そうすると、この道場も慈恩寺の一部になるという事か」
「その辺の事はまだ考えてはいません。ここは今まで通りに、首里のサムレーたちの道場でいいと思いますが、武術関係の施設は近くにあった方がいいような気がしたので、隣りに建てようと思ったのです」
「そうか」と言って、苗代大親は少し考えてから、「首里のサムレーたちも修行次第で、慈恩寺に入れるとなれば、修行の励みになる。隣りにそういう道場があった方がいいかもしれんのう」と言った。
「才能がある者は、どこのサムレーでも『慈恩寺』で修行できるようにするつもりです」
 苗代大親はうなづくと、「慈恩禅師殿を手放すなよ」と言った。
「凄いお人じゃ。とてつもなく強い。ヂャンサンフォン殿は別格として、わしは久し振りに、師と仰ぐべき人と出会った。慈恩禅師殿が琉球の若者たちを鍛えてくれるのなら、わしは喜んで協力するぞ」
「叔父さん」とサハチは言って、満足そうにうなづいた。
 サハチは苗代大親と一緒に、樹木(きぎ)が生い茂っている森の中を歩いて、お寺を建てる場所を探した。
 苗代大親と別れて、島添大里に帰ったサハチは慈恩禅師とお寺の事を相談した。慈恩禅師は武術道場となる『慈恩寺』を建てる事には賛成したが、島添大里の子供たちの事を心配した。サハチは慈恩寺が完成する前に、このお寺の師匠は必ず探すと約束した。
 島添大里グスクに帰ると一の曲輪(くるわ)内のウタキ(御嶽)から出て来たサスカサ(島添大里ヌル)と出会った。
「今頃、何をしているんだ?」とサハチはサスカサに聞いた。
 サスカサがここのウタキにお祈りをするのは、十五夜(じゅうぐや)の時以外は、いつも朝だった。
「大変なのよ。どうしよう?」とサスカサは慌てていた。
「ねえ、叔母さん(佐敷ヌル)とササ姉(ねえ)は旅に出たの?」
「ああ、今朝、ヤンバルに向かったよ。一体、何が起こったんだ?」
スサノオの神様が琉球にいらしたのよ」とサスカサは目を丸くして言った。
「お前、スサノオの神様の声を聞いたのか」
「そうなのよ。初め、おうちにいた時に聞いたんだけど、空耳かなって思って、でも、何か気になったので、ここに来たの。そしたら、やっぱり、スサノオの神様だったのよ」
スサノオの神様は何て言ったんだ?」
「最初は『元気そうだな』と言ったの。ここに来たら、『豊玉姫に会いに来たんだが、行きづらいから一緒に来てくれ』って言ったのよ。どうしよう?」
 サハチは笑った。
スサノオの神様も豊玉姫様が怖いんだな。一緒に行ってやればいいじゃないか」
「でも、どうして、スサノオの神様が琉球にいるの?」
「ユンヌ姫様と一緒に琉球に来たようだ」
「えっ!」とサスカサは驚いてから、「どうして、お父さんがそんな事を知っているの?」と聞いた。
「昨日、首里のお祭りでスサノオの神様の声を聞いたんだよ。それで、ササに聞いたら、そう言ったんだ。ササも昨日、初めて、スサノオの神様が来た事を知ったようだ」
「お父さんがスサノオの神様の声を聞いたの?」
「ああ、一節切を吹いていたら、『見事じゃ』と言ったんだよ」
「えっ、お父さんがスサノオの神様の声を聞いた‥‥‥」
 サスカサは信じられないと言った顔で、サハチを見ていた。
「ササが言うには、俺も神人になったそうだ」
「お父さんが‥‥‥」と言って、サスカサはサハチを見つめていたが、納得したようにうなづくと、「これからセーファウタキ(斎場御嶽)に行って来るわ」と言った。
「今からか」
「大丈夫よ。クルー叔父さんが道を作ってくれたお陰で、セーファウタキは近くなったのよ」
「一人で行くなよ。女子サムレーかチミー(イハチの妻)を連れて行け」
 サスカサはうなづいて、「チミーとマナビー(チューマチの妻)を連れて行くわ」と言って、東曲輪(あがりくるわ)の方に行った。
 スサノオの神様はまだここにいるのかなとサハチは空を見上げて、両手を合わせた。
 スサノオと一緒にセーファウタキに向かったサスカサは、クルー(手登根大親)が造った道を通って、一時(いっとき)(二時間)余りで久手堅(くでぃきん)ヌルの屋敷に着いた。
 スサノオの神様を連れて来た事を告げると久手堅ヌルは腰を抜かさんばかりに驚いて、身を清め、衣服を改めて、スサノオの神様を迎えるお祈りを捧げてから、サスカサと一緒にセーファウタキに入って行った。
 セーファウタキに向かう道中、突然、帰って来て豊玉姫が怒らないかと心配していたスサノオだったが、すでに、豊玉姫スサノオが来ている事を知っていて、やって来るのを待っていた。
「あなた、自分が誰なのか忘れたのですか?」と豊玉姫スサノオに言った。
「あなたを知らない神様はいないのですよ。あなたが与論島(ゆんぬじま)でユンヌ姫と遊んでいた事は与論島の神様が教えてくれたわ。すぐにここに来ると思って待っていたのに、一体、何をぐずぐずしていたのですか」
「久し振りじゃったもんでのう、何となく、来づらかったんじゃよ。沖長島(うきなーじま)(琉球)は相変わらず美しい島じゃのう。それに、お前も相変わらず美しい」
「何を言っているのですか」と豊玉姫は笑った。
「わたしが会いに行くべきなのに、わざわざ、いらしてくれてありがとうございます」
 スサノオ豊玉姫が懐かしそうに昔の事を話し始めたので、サスカサと久手堅ヌルは引き上げて来た。スサノオを歓迎しているのか、セーファウタキには綺麗な蝶々がたくさん集まって来て、優雅に飛び回っていた。


 スサノオ豊玉姫が久し振りの再会を喜んでいた頃、佐敷ヌルとササたちは仲順大主(ちゅんじゅんうふぬし)の屋敷で、長老たちに歓迎されていた。
 浦添(うらしい)に行った佐敷ヌルとササたちは、浦添ヌルのカナの案内で『トゥムイダキ』に行って、朝盛法師(とももりほうし)にお礼を言った。
 やり残した事があると言って、朝盛法師が亡くなる前年にヤマトゥに行ったのは、壇ノ浦から逃げて隠れていた安徳天皇の御霊(みたま)と三種の神器(じんぎ)を封印するためだった。朝盛法師が行った時、すでに、安徳天皇は亡くなっていた。安徳天皇を守っていた平知盛(たいらのとももり)も亡くなっていたが、安徳天皇の御陵(ごりょう)を守っている武士が何人もいた。朝盛法師は結界(けっかい)を張って御陵を隠し、御陵を守っている武士たちは外に出られないようにしたという。
 佐敷ヌルがその場所を聞いたが、朝盛法師は忘れてしまったと言って教えてくれなかった。
 カナの案内で『喜舎場森(きさばむい)』に行って、舜天の妹の浦添ヌルにお礼を言って、仲順の『ナシムイ』に行って、舜天にもお礼を言った。喜舎場と仲順の長老たちに歓迎されて、山田グスクまで行く予定だったのに、引き留められてしまった。
 ササはナシムイで舜天に感謝されて、佐敷ヌルは喜舎場と仲順の人たちから、『舜天』のお芝居を作ってくれた事に感謝された。
 去年の九月、旅芸人たちが来て、喜舎場と仲順で『舜天』を演じていた。座頭(ざがしら)のクンジから『舜天』のお芝居を作ったのは佐敷ヌルだと聞いていて、その佐敷ヌルが来たというので村は大騒ぎになった。長老たちが出て来て、仲順大主の屋敷で歓迎の宴(うたげ)が開かれる事に決まったのだった。
 ササは舜天の父親の事を色々と聞かれ、佐敷ヌルはお芝居の事を色々と聞かれた。辰阿弥と福寿坊は『念仏踊り』を踊って皆に喜ばれ、マツとトラも滑稽(こっけい)なヤマトゥの踊りを披露して喜ばれた。

 

 

 

踊り念仏 (平凡社ライブラリー (241))

2-115.マツとトラ(改訂決定稿)

 サイムンタルー(早田左衛門太郎)は倭寇(わこう)働きをするために、去年の末、明国(みんこく)に行った。戦(いくさ)の経験のない跡継ぎの六郎次郎も連れて行き、浅海湾(あそうわん)内の浦々で暮らしている者たち一千人近くを率いて行ったという。
「六郎次郎も行ったのか。無事に帰ってくれるといいが‥‥‥」
 サハチ(中山王世子、島添大里按司)はサイムンタルーと六郎次郎の心配をした。永楽帝(えいらくてい)を怒らせたら、全滅するかもしれなかった。
「お前たちは行かなくても大丈夫だったのか」とサハチはマツ(中島松太郎)とトラ(大石寅次郎)に聞いた。
「当然、俺たちも明国に行くつもりだったんだ。そしたら、急に琉球に行って、お前に会って来いってお屋形様に言われたんだよ」とマツが言った。
琉球の事はシンゴから色々と聞いていたし、行ってみたいと思ってたんだ。明国はいつでも行けるけど、琉球にはなかなか行けないからな。お屋形様が行って来いと言うのなら今のうちに行こうと思ったんだ。それに、お前の妹(佐敷ヌル)に会って、あんな美人がいる国に行ってみたいと思ったんだよ」とトラが言うと、
「それにしても驚いたな。シンゴの奴がお前の妹といい仲になるなんてな」とマツが言った。
「俺もあの時は驚いた」とサハチはシンゴ(早田新五郎)を見ながら笑った。
「朝鮮(チョソン)での活躍を聞かせてくれ」と言って、サハチは、シンゴ、マツ、トラの三人を『対馬館(つしまかん)』に案内した。
「ヌルたちが酒盛りをしているぜ」とマツが言った。
 浜辺を見ると、佐敷ヌル、ササ、シンシン(杏杏)、ナナ、シズ、シーハイイェン(施海燕)、ツァイシーヤオ(蔡希瑶)、シュミンジュン(徐鳴軍)、そして、サタルー、ウニタル、シングルーも一緒にいて、ヤマトゥ(日本)から連れて来た山伏と僧侶もいた。
「俺たちもあそこに加わろうぜ」とトラが言った。
 サハチは笑ってうなづくと『対馬館』には向かわず、浜辺の酒盛りに加わった。
「ヤマトゥから帰って来ると琉球の景色の素晴らしさが改めてわかるわ」とササがサハチに言って笑った。
「そうだな」とサハチはうなづいた。
琉球はいい所じゃのう」と僧侶が言った。
 ササが山伏と僧侶を紹介した。
 山伏は福寿坊(ふくじゅぼう)という熊野の山伏で、僧侶は辰阿弥(しんあみ)という時衆(じしゅう)の僧侶だった。時衆というのは阿弥陀如来(あみだにょらい)様の教えを広めて、念仏を唱える仏教だというが、サハチにはよくわからなかった。
「正確に言えば、わしは熊野の山伏ではありません。本当は備前児島(びぜんこじま)の山伏です」と福寿坊は言った。
「児島といえば瀬戸内海の?」とサハチは聞いた。
「御存じですか」と福寿坊は嬉しそうな顔をした。
「児島の下(しも)の津で、塩飽(しわく)水軍のお頭と会いましたよ」
「そうでしたか。あのお頭はちょっと変わっておりますが、頼りになる男です。児島には新熊野三山(いまくまのさんざん)がありまして、山伏が大勢おります。わしはしばらく、那智に行って修行をしていたのです。まさか、琉球まで来るとは思ってもいませんでした」
「わしは慈恩禅師(じおんぜんじ)殿を追って参りました。あちこち探しておりましたが、まさか、琉球におられたとは驚きました」と辰阿弥は言った。
「慈恩禅師殿もまもなく現れるでしょう。琉球の酒盛りを充分に楽しんでください」
 サハチが二人と挨拶を交わしている隙に、シンゴとマツとトラは佐敷ヌルと一緒に酒を飲んでいた。高橋殿のお陰で、佐敷ヌルも呑兵衛(のんべえ)になったようだ。
 佐敷ヌルは、シンシンが持っていたガーラダマ(勾玉)のお陰で、『アキシノ』という厳島(いつくしま)神社の内侍(ないし)(巫女)の神様と出会って、小松の中将(ちゅうじょう)の神様から話を聞く事ができたと喜んでいた。熊野に行って、小松の中将が琉球に行く前に隠れていた山奥の村にも行って来たので、旅芸人のために、面白いお芝居が作れそうだと張り切っていた。
 首里(すい)からマチルギと馬天(ばてぃん)ヌル、お祭り(うまちー)の準備をしていたユリとハルとシビーがやって来た。
 佐敷ヌルはユリたちとの再会を喜んで、「お祭りは大丈夫だった?」と聞いた。
 佐敷ヌルはユリたちに取られ、ササたちも馬天ヌルに旅の話をしていた。
 サハチはマツとトラに、マチルギを紹介した。
「噂はイトから聞いているよ」とマツが言った。
「女子(おなご)の侍(さむらい)を百人以上も従えている凄い人だと言っていた。鬼のような女かと思ったら、凄い美人じゃないか」
「イトと出会った時に、一緒に遊んだ仲間なんだ」とサハチはマチルギに説明した。
 凄い美人と言われて嬉しいのか、マチルギは機嫌よく、「充分に琉球を楽しんでくださいね」と笑顔で言って、『対馬館』へ挨拶をしに行った。
 サハチはマツとトラから朝鮮の事を聞いた。
「朝鮮での暮らしは悪くはなかったよ」とマツが言った。
「屋敷も衣服も与えられて、充分な食糧も与えられたんだ。さらに、地位も与えられた。対馬に残したシノと子供たちには悪いが、向こうで家庭も持って、それなりに暮らしていたんだ。十四年も向こうにいたんだぜ。みんな、もう、対馬に帰る気なんかなくしていたよ。このままでいいって思っていたんだ」
「お前が朝鮮に来て、開京(ケギョン)(開城市)でお屋形様に会わなかったら、対馬に帰って来る事はなかったかもしれない。お前と会って、お屋形様は考えを変えたんだよ」とトラが言った。
「俺もサイムンタルー殿と会えるなんて思わなかった。五郎左衛門殿のお陰だよ」とサハチは言った。
「お屋形様が倭寇働きを再開したので、向こうの家族が心配だよ」とトラが言った。
「連れて帰る事はできなかったのか」
「人質のようなものだよ」
「連れ戻せないのか」
「難しいだろう」とマツが言った。
「お屋形様の家族だけなら何とかなるだろうが、俺たち全員の家族を連れ戻す事は無理だ。しかも、俺の妻になった女は生真面目な小役人の娘なんだ。絶対に対馬には来ないだろう」
「朝鮮ではなく、明国を攻めるのなら問題ないのだろう?」とサハチは聞いた。
「いや、見つかれば、向こうの家族は殺されるかもしれん。朝鮮は明国の言いなりだからな。明国を攻めた倭寇が、朝鮮と関係があったなんてばれたら大変な事になる。俺たちが朝鮮にいたという証拠になるようなものは、すべて抹殺するだろう。その中に俺たちの家族も含まれるんだ」
「皆殺しさ」とトラが苦しそうな顔をして言った。
「何の罪もない子供たちまで殺されるのか」
「国を守るというより、宮廷を守るための犠牲にされるんだ。両班(ヤンバン)たちは庶民や小役人の命なんて屁とも思っていないのさ」
 急に雨が降ってきた。日が暮れて、辺りも暗くなっている。サハチたちは『対馬館』に逃げ込んだ。
 その夜、サハチはシンゴ、マツ、トラの四人で、明け方近くまで語り明かしていた。翌日、島添大里(しましいうふざとぅ)城下のイトたちが滞在していた屋敷に案内して、ゆっくりしてもらった。
 シーハイイェンたちが帰って来たので、進貢船(しんくんしん)を出さなければならなかった。サハチは最終確認のために首里に行き、浮島(那覇)に行った。夕方、サハチが島添大里グスクに帰ると、マツとトラはシンゴと一緒に佐敷ヌルの屋敷にいた。
「話には聞いていたけど、女子(いなぐ)サムレーはすげえな」とトラが言った。
「俺より強い娘がいるなんて恐れいったよ。イトたちに再会して、対馬の女は強いと思ったが、琉球の娘たちはそれ以上だ」
「それに、みんな、美人だし、女子サムレーに守られているお前が羨ましいぜ」とマツが言った。
「マチルギが娘たちに剣術を教え始めてから、もう二十年以上も経つんだ。マチルギから剣術を教わった娘たちは相当な数に上るだろう。佐敷ヌルもマチルギの最初の弟子なんだよ」
「そうか。お前のかみさんは凄い女だな」
 佐敷ヌルの姿が見えないので、どこに行ったのか聞くと、サスカサ(島添大里ヌル)が、「あたしのおうちよ」と言った。
「お芝居の台本作りに熱中しているわ」
 サハチはサスカサの屋敷に行ってみた。
 佐敷ヌルは文机(ふづくえ)の前に座り込んで、必死に何かを書いていた。脇には何冊かの書物が積んであった。サハチが声を掛けると佐敷ヌルは顔を上げて、「お兄さん」と言ったが、すぐにまた筆を動かした。
 サハチは部屋に上がって、佐敷ヌルが書いている物を見た。台詞(せりふ)が並んでいた。
「うまくいっているようだな」とサハチは聞いた。
「今の所は順調よ。でも、そのうち、わからない事が出てくると思うわ」
「わからない事が出て来たら、来年もヤマトゥに行けばいい」
 佐敷ヌルは顔を上げて、サハチを見ると笑った。
 机の脇にあったのは『平家物語』だった。サハチは手に取って眺め、
「お前が写したのか」と聞いた。
「そうよ」と佐敷ヌルは答えた。
「『平家物語』はお爺が読んでいたよ。親父も読んだかもしれない」
「えっ!」と佐敷ヌルは驚いた顔をしてサハチを見た。
「そう言えば、お爺が難しいヤマトゥの書物を読んでいたのを今、思い出したわ」
「お爺はヤマトゥから色々な書物を取り寄せていたんだ。その書物は首里グスクのどこかにしまってあったらしいけど、今、報恩寺(ほうおんじ)の書庫にあるはずだよ」
「報恩寺?」
「ナンセン(南泉)禅師のために建てていたお寺(うてぃら)が完成して、『報恩寺』ってなったんだ」
「そこに書庫があるの?」
「お爺の書物だけでなく、親父の書物や、明国や朝鮮、ヤマトゥから持って来た書物もある」
 佐敷ヌルは目を輝かせて、「『保元(ほうげん)物語』と『平治(へいじ)物語』もあるかしら?」と聞いた。
「『保元物語』はお爺が持っていたはずだよ。俺に読めって勧めたけど、俺は頭の部分しか読まなかったんだ」
「『保元物語』と『平治物語』は『平家物語』の前のお話なの。源氏と平家に関係あるのよ。京都で読もうと思ったんだけど、時間がなかったの。まさか、お爺が持っていたなんて夢のようだわ。それで、その書物は借りられるの?」
「お前なら借りられるだろう。王様(うしゅがなしめー)の娘なんだからな」
 佐敷ヌルは嬉しそうにうなづいて、「明日、首里に行ってくるわ」と言った。
「俺も明日、マツとトラを連れて首里に行く。一緒に行こう」
 佐敷ヌルはうなづいて、「これで『小松の中将様』の台本も書けそうだわ」と笑った。
 翌日、佐敷ヌルと一緒に、マツとトラを連れて、サハチは首里に行った。シンゴは交易の仕事があるからと馬天浜(ばてぃんはま)に行った。
 報恩寺の書庫で、佐敷ヌルは嬉しい悲鳴を何度も上げていた。将軍様の書庫で、読みたいと思ったけど諦めた書物が何冊もあった。今更ながら、佐敷ヌルは祖父のサミガー大主(うふぬし)に感謝した。
 ナンセン禅師は書物を見ながら喜んでいる佐敷ヌルを見て、琉球にも素晴らしい女子がいるものだと驚いていた。
 書物を手に取っては読んでいる佐敷ヌルを報恩寺に置いて、サハチはマツとトラを連れて首里グスクに向かった。途中にある旅芸人の小屋を覗くと、旅芸人たちは旅から帰っていて、お芝居の稽古に励んでいた。
「何なんだ、ここは?」とマツが聞いた。
 サハチが旅芸人たちの事を説明しているとウニタキ(三星大親)が現れた。
「おう、丁度よかった。お前に会いに行こうとしていたところだ」とウニタキはサハチに言った。
「いつ、帰って来たんだ?」
「昨日だよ」
 サハチはマツとトラにウニタキを紹介した。
「おう、ウニタキか。ツタがよろしくって言っていたぞ」
 ウニタキは笑って、「ツタか。会いたいな」と言ってから、「話がある」とサハチを誘って小屋の中に入った。
 小屋の中には大きな絵地図が壁に貼ってあり、旅芸人たちが行った村々に印がしてあった。
「佐敷ヌルが今、『小松の中将様』の台本を書いている」とサハチは言った。
「そうか。来年の正月には今帰仁(なきじん)で上演できそうだな」
「元旦は今帰仁にいたのか」
「ああ。帰って来ようかと思ったんだが、ウニタルはいないし、チルーはグスクの手伝いで忙しいだろうし、帰って来るのはやめたんだ。それに、山北王(さんほくおう)(攀安知)の反応を見たかったしな」
「山北王の反応?」
「ああ。山北王は鬼界島(ききゃじま)(喜界島)攻めに失敗したんだよ」
「やはり、失敗したか」
「半数の兵が戦死して、先代の与論按司(ゆんぬあじ)の若按司も戦死したようだ。おまけに進貢船もやられて、奄美大島(あまみうふしま)で修理をして、やっとの思いで帰って来たようだ」
「進貢船もやられたのか」
「ひどいもんだった。よくあれで帰って来られたもんだと思ったよ。敵の船に体当たりされたようだな」
「山北王が怒っただろう」
「かなりの剣幕(けんまく)だったようだ。奄美大島攻めに失敗したあと、山北王は伊平屋島(いひゃじま)を攻めた。今回も腹いせに何かをやるかもしれないと見守っていたんだが、何も起こらなくてよかった」
「そうか。それで、先代の与論按司はどうなったんだ?」
「進貢船を直せと命じられた。鬼界按司(ききゃあじ)になるはずだったのに、船の普請奉行(ふしんぶぎょう)に格下げだ。直す事ができなければ首が飛ぶだろう」
「山北王の怒りは治まったのか」
「湧川大主(わくがーうふぬし)が、夏になったら鉄炮(大砲)付きの船に乗って鬼界島を攻めると言ったら、何とか治まったようだ」
「今年は湧川大主が鉄炮で攻めるのか。テーラー(瀬底之子)も行くのか」
「いや、その話は出ていない。テーラーには中南部の事を調べさせるつもりなんだろう」
「そうか。ウニタルだが、ずっとサタルーと一緒にササたちと行動を共にして、熊野まで行って来たようだぞ。頼もしくなって帰って来た」
「ウニタルが将軍様の奥方様と一緒に熊野まで行ったのか」
「高橋殿に鍛えられて、酒も強くなったようだ」
「そうか。倅と一緒に酒を飲みながら旅の話でも聞くか」
 嬉しそうな顔をしてそう言うと、ウニタキは小屋から出て行った。
 サハチも小屋から出て、マツとトラを探した。二人は五人の舞姫たちと楽しそうに笑っていた。
 旅芸人たちと別れて、サハチはマツとトラを首里グスクに連れて行った。ずっと続いている高い石垣に二人は驚いて、グスク内に立つ龍天閣(りゅうてぃんかく)にも驚いた。龍天閣に登って、思紹(ししょう)(中山王)に二人を紹介して、眺めを楽しんでから百浦添御殿(むむうらしいうどぅん)(正殿)に行った。
「凄い御殿だな」とマツとトラは目を丸くして眺めていた。
「ここがお前の本拠地か」
「いや、親父の本拠地だよ」
「それにしても驚いた。お前の親父が琉球の王様になったと聞いていたが、まさしく、ここは王様の宮殿だな」
「十六歳の時のお前は小さな城の若様だったが、今は王様の跡継ぎか。朝鮮でいったら世子(セジャ)だな」
「あの時は佐敷グスクの若按司だった。あとで連れて行くよ」
 南の御殿(ふぇーぬうどぅん)に行ったら、ユリたちがお祭りの準備をしていて、ササたちもいて、佐敷ヌルもいた。佐敷ヌルはユリたちに任せるつもりでいたが、顔を出したら、やはり気に入らない所が目についたらしい。厳しい顔をして、女子サムレーたちにお芝居の演技指導をしていた。
 サハチたちもお祭りの準備を手伝った。
 翌日、遊女屋(じゅりぬやー)の『宇久真(うくま)』で、シーハイイェンたちの送別の宴(うたげ)が行なわれた。旧港(ジゥガン)(パレンバン)の使者たちと通事のワカサ、シーハイイェンとツァイシーヤオとシュミンジュンを招待して、思紹とサハチ、ファイチ(懐機)とウニタキ、ササとシンシンとナナ、シンゴとマツとトラ、クルシ(黒瀬大親)とマグサ(孫三郎)、ヂャンサンフォン(張三豊)と慈恩禅師も参加した。サタルーも顔を出したので、サハチは驚いて、「お前、まだいたのか」と聞いた。
源五郎親方に瓦(かわら)の焼き方を教わっていたのです」とサタルーは言った。
「瓦の焼き方なんか教わってどうするんだ。奥間(うくま)で瓦を焼くのか」
「瓦じゃありませんよ。壺(ちぶ)とか鉢(はち)とかを焼くんです。ヤマトゥで焼き物(むん)で有名な『瀬戸』という所まで行って、焼き物を焼く窯(かま)を見てきたんです。首里で瓦を焼いていると聞いたので、行ってみて、親方から色々と教わったんですよ。親方は瓦だけでなく、壷や鉢も焼いた事があるんです」
「ほう。お前、奥間で焼き物をするつもりなのか」
「明国の焼き物は高価ですからね、庶民の手には入りません。それで、奥間の者たちに焼き物をやらせようと考えたのです。炭焼きの者たちはいますからね。あとは窯を作って、いい土を見つけるだけです」
「焼き物か‥‥‥お前も色々と考えているんだな。ヤマトゥ旅を無駄にしなかったようだな。見直したぞ」
「親父に褒められたら照れますよ」とサタルーは照れ臭そうな顔をして、
「ここは凄い所ですね」と言って、並んで座っている綺麗所(きれいどころ)を眺めた。
 思紹の挨拶をファイチが明国の言葉に訳して、宴が始まった。旧港の使者やジャワ(インドネシア)の使者の接待をするようになって、女将のナーサは遊女(じゅり)たちに明国の言葉も習わせていた。物覚えのいい二人の遊女が、何とか会話ができるようになって、使者たちの相手を務めた。ヤマトゥ言葉をしゃべれる遊女は何人もいた。
 マツとトラは驚いた顔をして、
「まるで、龍宮だな。美しい乙姫(おとひめ)様が何人もいる」と顔を見合わせた。
「俺が若い頃、対馬に行って、一緒に遊んだ仲間なんだ」とサハチはマユミに言った。
「あら、サイムンタルー様の御家来なんですね」
「お屋形様と一緒にずっと朝鮮にいたんだよ」とトラが言った。
「すると朝鮮の言葉もしゃべれるのですね」とトラの前にいる遊女、ヤマブキが聞いた。
「しゃべれるとも。最初は苦労したが、女を口説くために必死に覚えたんだ」
「うまく行ったのですか」とマツの前にいるミカサが聞いた。
「うまく行ったさ、なあ」とトラがマツに言った。
「いや、お前の言葉は全然、通じなかった」とマツは首を振った。
「何だと?」
「あとになって聞いたんだよ。俺たちは通じたものと思っていたけど、何を言っているのかさっぱりわからなかったと言っていた。でも、そこは男と女だ。言葉が通じなくても、心は通じたのさ」
「二人とも朝鮮に奥さんがいるのですね」とヤマブキが聞いた。
対馬にもいるよ」とサハチは言った。
「お前だって、琉球対馬に奥さんがいるだろう」
「ああ。孫もいるよ」とサハチが言ったら、マユミが笑って、
「もうお爺ちゃんですね」と言った。
「俺たちが朝鮮に行った時、ユキちゃんは十歳だった。母親に似て可愛い娘だった。その娘がお屋形様の息子と結ばれたなんて信じられなかったよ。お屋形様の息子は離れた所で暮らしていたんだ。まさか、二人が出会って結ばれるなんて奇跡だと思った。そして、ユキちゃんの娘がまた可愛い娘だ」
「ミナミちゃんでしょ」とミカサが言った。
「知っているのか」とマツが聞いた。
 ミカサはうなづいて、
「会同館(かいどうかん)で行なわれた御婚礼の宴で拝見いたしました。本当に可愛い天女のような娘さんでした」と言った。
 マツとトラがミカサとヤマブキを相手に朝鮮の事を話し始めたので、サハチは慈恩禅師と話しているワカサの所に行った。
 ワカサは勝連(かちりん)で息子に会えたと言った。
「息子と一緒に勝連の近くにある島々を巡って、楽しい一時を過ごしました。もう、あいつも一人前です」
 ワカサは満足そうな顔をして酒を飲んだ。
 ササたちと話をしているシーハイイェンの所に行って、「今回は琉球にいる時間が少なかったな」と言うと、
「ササたちと一緒に熊野に行ったり、対馬に行ったりしたので、楽しかったです」と言った。
「今年の夏はメイユー(美玉)さんと一緒に来ようと思っています。そしたら、たっぷりと琉球で過ごせます」
「ワカサ殿にも言ったが、王様を説得して琉球に来てくれ」
「はい」とシーハイイェンは笑ってうなづいた。
「まだ聞いていなかったが、奄美のどこに寄って来たんだ」とサハチはササに聞いた。
「まず、硫黄島(いおうじま)を見てきたのよ。按司様(あじぬめー)、知っていた? 坊津(ぼうのつ)と口永良部島(くちぬいらぶじま)の間に煙を上げている硫黄島があるのよ」
「ヤマトゥに行く時に見た事がある」
「何だ、知っていたんだ。あたしも何度か遠くから見た事はあったんだけど、近くまで行ったら凄い島だったわ。その島で硫黄を採って、明国との交易に使っていたんですって。硫黄島を見たあとはいつもの通り、トカラの島々を通って、宝島から奄美大島に渡ったわ。あたしたち、ヤマトゥから来た倭寇の振りをしたのよ。ヤマトゥの着物を着て、サタルーたちはヤマトゥ風の髷(まげ)を結ったのよ。クルシさんの案内で、浦上(うらがん)という港に入ったわ。孫六という按司のようなのがいて、しきりに今帰仁に行けって言っていたわ。マツさんとトラさんが対馬に隠れていた平家の子孫の振りをして、うまく孫六をだましていたのよ。朝鮮と交易をしていると言ったら驚いて、二人が朝鮮の言葉をしゃべったら、すっかり、話を信じてしまったみたい。二人のお陰で、あたしたちは平家の事を色々と調べる事ができたのよ」
 サハチは笑って、
「あの二人がそんなお芝居を演じたのか」と遊女を口説いているマツとトラを見た。
「うまかったわよ。きっと、朝鮮にいた時も、あんな調子で朝鮮の人たちをだましてきたに違いないと思ったわ」
 サハチの笑いは止まらなかった。
「浦上のあとは加計呂麻島(かきるま)の諸鈍(しゅどぅん)に行ったの。安徳天皇の偽者が隠れていたという鬼界島にも行きたかったけど、孫六から、山北王との戦で気が立っているからやめた方がいいと言われて、行くのはやめたわ」
安徳天皇の偽者?」
「鬼界島に隠れたのは偽者だったのよ。でも、島の人たちは偽者とは知らないで、ずっと、本物だと信じてきたらしいわ。きっと、今も偽者の子孫がいて、その子孫を守るための団結は強いと思うわ。だから、山北王の兵も負けたのよ」
「そうかもしれんな。本物はどこに逃げたんだ?」
「それはわからなかったわ。小松の中将様が言うには、結界(けっかい)が張られて、隠されてしまったと言っていたわ」
「結界か‥‥‥」
加計呂麻島の諸鈍でも、マツさんとトラさんの活躍で、小松殿から色々と聞く事ができたのよ。マシュー姉(ねえ)(佐敷ヌル)がとても喜んでいたわ」
「そうか」と言ってから、サハチは馬天ヌルの話を思い出した。
「お前のお母さんから聞いたんだけど、朝盛法師(とももりほうし)は亡くなる前に、ヤマトゥに帰ったらしい、やり残した事があると言って帰ったらしいが、その結界を張ったのは朝盛法師ではないのか」
「えっ!」とササは驚いて目を丸くした。
「お母さんはその事を誰から聞いたの?」
「舜天(しゅんてぃん)の神様だよ」
「えっ、お母さんが舜天の神様に会ったの?」
「舜天はお前にお礼を言ったそうだ」
「お母さん、舜天の神様に会ったんだ‥‥‥」
「朝盛法師の神様にも会ったと言っていたぞ」
「えっ、朝盛法師にも‥‥‥やっぱり、お母さんは凄いわ」
 ササは驚いた顔をしたまま首を振っていた。
「お母さんもお前は凄いって言っていたよ」
 サハチとササの隣りではサタルーがナナを口説いていた。サハチが睨むと、サタルーは違いますというように手を振った。シンシンはどこに行ったのかと見渡したら、シーハイイェンと一緒にヂャンサンフォンの所にいた。

 

 

 

平家物語 (池澤夏樹=個人編集 日本文学全集09)   保元物語 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)   平治物語 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)

2-114.報恩寺(改訂決定稿)

 島添大里(しましいうふざとぅ)グスクの刺客(しかく)襲撃事件から二十日が過ぎた。
 女子(いなぐ)サムレーたちはユーナが山南王(さんなんおう)の間者(かんじゃ)だったと知って驚いたが、自分たちを裏切らなかったので、いつの日か、また会える事を願っていた。マチルギも驚いて、もっとよく調べるべきだったと後悔していた。ユーナの代わりに、キラマ(慶良間)の島からハミーという娘がやって来て加わった。
 島添大里グスクを奪い取るのを失敗したのに、山南王のシタルーの悪夢は消えた。父親の亡霊に悩まされて寝不足が続く事もなく、シタルーはホッと胸を撫で下ろしていた。
 座波(ざーわ)ヌルがおかしいと疑問を持って、シタルーの周辺にいるヌルたちを調べたら、慶留(ぎる)ヌルがシタルーに呪いを掛けて、父親の悪夢を見させていた事がわかった。
 慶留ヌルはシタルーの従妹(いとこ)だった。母親は汪英紫(おーえーじ)の妹で島添大里ヌルだった。母親が亡くなったあと島添大里ヌルを継いで、汪英紫が山南王になると、汪英紫と一緒に島尻大里(しまじりうふざとぅ)に移って島尻大里ヌルになった。汪英紫が亡くなって、シタルーが山南王になると島尻大里ヌルの座をシタルーの妹のウミカナに譲って、慶留ヌルとなった。
 慶留ヌルにとって島添大里グスクは十歳から二十四歳まで過ごした地で、思い出も多く、何とかして取り戻したいと思っていた。母親のお墓も島添大里にあって、お墓参りもできなかった。シタルーが中山王(ちゅうざんおう)(思紹)と同盟したあと、慶留ヌルは覚悟を決めて、島添大里グスクの近くにある母親のお墓に行ってお祈りを捧げた。その時、母親から島添大里グスクを取り戻すようにと頼まれたのだった。慶留ヌルは母親と相談して、シタルーに暗示を掛け、悪夢を見るように仕向けた。勿論、母親の霊も慶留ヌルを助けた。
 座波ヌルが慶留ヌルの行動に気づいた時はすでに手遅れで、シタルーは島添大里攻めの計画に熱中していた。座波ヌルもシタルーの作戦がうまくいくように祈ったが、失敗してしまった。座波ヌルは慶留ヌルを何とか説得して、シタルーの悪夢をやめさせた。
 襲撃に失敗したのは刺客の誰かが裏切ったのに違いないが、一体、誰が裏切ったのか、わからなかった。シタルーは粟島(あわじま)(粟国島)からアミーを呼んだが、アミーはいないという。島添大里の噂から、間者だった妹を心配して現れた姉も殺されたと聞いて驚いた。アミーとユーナの遺体を回収しようとしたが、どこに葬られたのか見つける事はできなかった。シタルーは豊見(とぅゆみ)グスクで子供たちに読み書きを教えているアミーとユーナの父親、中程大親(なかふどぅうふや)に謝った。
 やはり、座波ヌルが言ったように、まだ時期が早かったのかもしれない。焦らずに時期を待とうと思い、シタルーは来年の正月に送る進貢船(しんくんしん)の準備に励んだ。


 浮島(那覇)ではヤマトゥ(日本)に行った交易船が、二隻の旧港(ジゥガン)(パレンバン)の船を連れて帰って来た。メイユー(美玉)から、旧港の船が来る事を聞いていたので、準備を整えて待っていた。何の問題もなく、旧港の使者たちを迎え入れる事ができた。
 交易船を追って来たかのように、ヤマトゥの商人たちの船も続々とやって来た。昨日まで閑散としていた浮島が急に賑やかになって、人々が忙しそうに走り回っていた。
 旧港の使者たちはファイチ(懐機)と交易担当の北谷大親(ちゃたんうふや)に任せて、サハチ(中山王世子、島添大里按司)は交易船の使者たちを迎えた。
 総責任者のマタルー(与那原大親)、正使のジクー(慈空)禅師、サムレー大将の久高親方(くだかうやかた)、女子サムレーの隊長を務めたマナミー、皆、元気な顔で帰って来た。
「チタ、クニ、サキ、ナミーの四人はササたちと一緒に、あとから帰って来ます」とマナミーがサハチに言った。
「ササたちはシンゴ(早田新五郎)の船で帰って来るのか」
「佐敷ヌル様が調べたい事があって、奄美の島に寄って来るとの事です。クルシ(黒瀬大親)様も一緒です」
「なに、クルシも残ったのか」
「旧港のシーハイイェン(施海燕)様、ツァイシーヤオ(蔡希瑶)様、シュミンジュン(徐鳴軍)様も残っています」
「なに、シーハイイェンたちも残ったのか」
 『小松の中将様』のお芝居のために、奄美の島に寄って来るのだろうが、山北王(さんほくおう)(攀安知)の支配下になってしまった奄美の島で、問題が起きなければいいがとサハチは心配した。
 会同館(かいどうかん)の帰国祝いの宴(うたげ)で、マタルーから佐敷ヌルとササたちが将軍様の奥方様と一緒に熊野に行ったと知らされた。
「なに、また熊野まで行ったのか」とサハチは驚いた。
「熊野は山全体が大きなウタキ(御嶽)のようで、神気がみなぎっているとササは言っていました。一度、その魅力に取り憑かれると、二度三度と行きたくなるようです。旧港の娘たちも一緒に行きました」
「シーハイイェンたちもか」
「サタルーたちもです」
「サタルーたちもササたちと行動を共にしていたのか」
 サタルーがナナを追い掛けているなと思い、「困った奴だ」とサハチは独り言を言って、マタルーを見ると、「それで、京都の様子はどうだった?」と聞いた。
「九年振りのヤマトゥ旅でしたが、博多も随分と変わっていました。初めて行った京都の賑わいには驚きましたよ。まさしく、ヤマトゥの都です。明国(みんこく)の応天府(おうてんふ)(南京)とは違って、何というか、ヤマトゥらしい都でした。言葉も博多や対馬(つしま)とはちょっと違って、華やかな感じがしました。勘解由小路(かでのこうじ)殿(斯波義教)が歓迎の宴を開いてくれまして、増阿弥(ぞうあみ)殿の田楽(でんがく)という舞台を観ました。一流の芸というのは凄いと感激しましたよ」
「ほう。増阿弥殿の田楽を観たのか。佐敷ヌルも観たのか」
「俺たちが観た時、マシュー姉(ねえ)は熊野に行っていたけど、あとで、高橋殿のお屋敷で観たようです」
「そうか。佐敷ヌルが増阿弥殿の芸を観たら、琉球のお芝居ももっと素晴らしいものになるだろう」
「高橋殿ですが、綺麗な人ですね、あんな美人(ちゅらー)、初めて見ましたよ」
「高橋殿に会ったのか」
「等持寺(とうじじ)にササたちを迎えに来た時に挨拶にみえました。兄貴に会いたいと言っていましたよ」
「何を言うんだ」と言いながら、サハチはマチルギの姿を探した。
 マチルギは女子サムレーたちと一緒に『天使館』に料理を運ぶのを手伝っていて、まだ来ていないようだった。
「お前、そんな事をマチルギには言うなよ」
 マタルーは楽しそうに笑って、
「やはり、何かあったのですね」と言った。
「何もない。一緒にお酒を飲んで酔い潰れただけだ。高橋殿は先代の将軍様の側室で、今の将軍様の母親代わりの人なんだ。ササが気に入られて親しくしているけど、本来なら会う事もできない雲の上のお人なんだよ」
将軍様の母親代わりにしては若すぎるような気もしますが」
将軍様の母親は将軍様が十四、五歳の時に亡くなって、高橋殿は先代の将軍様から、今の将軍様を守るように頼まれたらしい」
「そうだったのですか‥‥‥ササの話だと、舞の名人で、武芸も一流だそうですね。一目見て、マシュー姉と仲よくなったようです」
「そうだろうな」とサハチは笑ってから、「対馬はどうだった?」と聞いた。
 マタルーは急に嬉しそうな顔をして、
「ユキさんが男の子を産みました」と言った。
「なに?」とサハチは驚いた顔でマタルーを見た。
「イトさんと一緒に明国の商品を船に積んで、あちこちに行って商売をしていたのですが、帰って来たら、だんだんとお腹が大きくなって、十一月の末に元気な男の子を産みました」
「ほう、そうだったのか。琉球に来た時、すでにお腹にいたんだな」
「ルクルジルー(六郎次郎)殿の跡継ぎが生まれたと皆、大喜びでした」
「そうか‥‥‥跡継ぎが生まれたか」
 サハチは嬉しそうに何度もうなづいていた。
「三郎という名前です。琉球風に言ったらサンルーですね」
「サンルーザ(早田三郎左衛門)殿の名前をもらったんだな」
「そのようです」
「サンルーか。サンルーはユキのお腹の中から、琉球の景色を見ていたに違いない。ミナミと同じように琉球対馬の架け橋になってくれるだろう。ところで、イトの商売の事だが、女だけで大丈夫なのか」
「女だけではありませんよ。武装した兵も護衛として付いて行っています」
「そうか。それなら大丈夫だな」
「サイムンタルー(早田左衛門太郎)殿ですが、浅海湾(あそうわん)内の人たち全員を助けるには、やはり、倭寇(わこう)働きをしなければならんのかと悩んでいました」
琉球の交易だけでは駄目なのか」
「貧しい浦々は交易をする元手もありませんからね。サイムンタルー殿が食糧を分け与えると言っても、わしらは乞食(こじき)ではない。自分の食い扶持(ぶち)は自分で手に入れると言って、朝鮮(チョソン)に行って倭寇働きをすると言い出すようです。朝鮮に行かれたら、サイムンタルー殿としても面目(めんぼく)がつぶれてしまうので、明国まで連れて行かなければならないと言っていました。でも、昔と違って、明国も警戒が厳重になっている。行けば、かなりの損害が出てしまうだろうと言っていました」
「サイムンタルー殿も大変だな」
「来年はルクルジルー殿が琉球に来るそうですよ」
「なに、ルクルジルーが来るのか」
「久し振りに会いましたが、立派な男になっていたので驚きましたよ」
「お前が前回、行った時に、ユキがルクルジルーに嫁いで行ったんだったな」
「そうです。ユキさんが嫁いで行ったあと、初めて船越に行って、ルクルジルー殿に会ったのです。あの時は、ただのガキ大将といった感じだったけど、武将という貫禄が付いていましたよ」
「サイムンタルー殿が朝鮮に行ったのは、ルクルジルーがまだ十歳の時だったらしい。色々な事があったのだろう。そう言えば、お前の留守中、大きな台風が来てな、与那原(ゆなばる)がやられたんだ」
「えっ、与那原が‥‥‥」とマタルーは心配そうな顔をした。
「みんな、グスクに避難していたので無事だった。海辺のウミンチュ(漁師)の家はかなりつぶれたが、もう再建も終わっている。マカミーがサムレーたちを顎(あご)で使っていたぞ。その姿を見て、親父(タブチ)によく似ていると思ったよ」
「そうでしたか‥‥‥よかった」と安心したあと、
「マカミーだけど、俺も時々、親父に似ていると思いますよ」とマタルーは楽しそうに笑った。
「親父はまた正使として明国に行ったよ」とサハチは言った。
「毎年、明国に行かないと気が済まないようですね」
 マチルギが顔を出した。
「佐敷ヌルもササたちも帰って来ないんですって?」
「そのようだ。対馬で正月を迎えるらしい」
対馬の正月か‥‥‥今頃、対馬は雪が降っているかもね」
「そうだな」とサハチも美しい雪景色を思い出していた。
「旧港の通事(つうじ)(通訳)のワカサさんを連れて来たわ」とマチルギは言った。
「慈恩禅師(じおんぜんじ)様に会いたいんですって」
「ワカサは慈恩禅師殿を知っているのか」
「九州にいた時、教えを受けたらしいわ」
「へえ、そうだったのか」とサハチは慈恩禅師と懐かしそうに話をしているワカサを見た。
 サハチはマタルーと別れて、慈恩禅師の所に行った。越来(ぐいく)ヌルも来ていて、馬天(ばてぃん)ヌルと一緒にユミーとクルーから旅の話を聞いていた。ヌルたちで帰って来たのは、ユミーとクルーの二人だけだった。
按司殿」とワカサはサハチに挨拶をして、「ジクー禅師殿から、慈恩禅師殿が琉球にいると聞いて驚きました」と言った。
「わしが若い頃、慈恩禅師殿が平戸(ひらど)にやって来て、しばらく滞在していました。その時、武芸の指導を受けたのです。もう二十五年も前の事です。琉球で師匠に会えるなんて、まるで、夢でも見ているようです」
「わしが平戸に行ったのは、喜次郎が嫁をもらったばかりの頃じゃったのう。嫁さんは元気でおるかね」と慈恩禅師がワカサに聞いた。
 ワカサの本当の名前は喜次郎というようだ。
「幸い、かみさんも子供たちも元気にしていたので助かりました。わしは二十年近く前に明国に行って、明国の水軍の鉄炮(てっぽう)(大砲)にやられてしまったのです。船は沈んでしまって、何日も海の上をさまよっていた所を明国の海賊に助けられたのです。リャンダオミン(梁道明)という広州では名の知られた海賊でした。師匠のお陰で、武芸の腕を認められて、リャンダオミンの護衛を務める事になったのです。やがて、旧港に行って、リャンダオミンは旧港の王様になります。リャンダオミンが引退したあと、シーハイイェンの父親のシージンチン(施進卿)が王様になって、今に至っているというわけです。わしは四年前、王様の命令でヤマトゥに行きました。そして、十六年振りにかみさんと子供たちに再会したのです。かみさんも子供たちもわしは死んだものと思っていました。わしが平戸を離れた翌年に生まれた娘もいて、わしは驚きました。かみさんは一人で三人の子供を立派に育てていました。そのまま、家族と一緒に暮らしたいと思いましたが、それはできません。旧港にもかみさんと子供がいるのです。まさか、日本に帰れるなんて思ってもいなかったので、向こうで家庭を持ったのです。今年も平戸に寄って来ましたが、かみさんは快く迎えてくれました」
「いい嫁さんじゃよ」と慈恩禅師は言った。
 いつの間にか、遊女(じゅり)のマユミがサハチの隣りに座って、ワカサの話を聞いていた。
「平戸の松浦党(まつらとう)は勝連(かちりん)に来ているんじゃないですか」とサハチはワカサに言った。
「多分、そうでしょう。わしも二度、勝連に行った事があります。勿論、浦添(うらしい)や浮島にも行きました。もしかしたら、今、倅が勝連にいるかもしれません」
「明国に向かうのは来年の正月です。息子さんに会いに勝連に行って来たらいいですよ。案内させますよ」
「ありがとうございます。わしは何もせんのに、倅は立派な船乗りになったようです」
「ヤマトゥとの交易なのですが、ヤマトゥの刀が欲しいのであれば、わざわざヤマトゥまで行かなくても、ここまで来れば手に入りますよ」とサハチはワカサに言った。
「シーハイイェンやメイユーからその話は聞いております。実はわしもその方がいいと思ってはいるのですが、王様は日本まで行って来いと言うし、わしも家族の事が心配だったので、日本まで行ったのです。家族の無事もわかったので、何とか、王様を説得してみます」
「よろしくお願いします。琉球をもっと栄えさせたいのです」
 その後、サハチは明国の海賊と過ごした日々をワカサから聞いた。他人事(ひとごと)のように話しているが、かなり危険な事を何度もやって来たようだった。
 次の日、ワカサは勝連に向かった。ワカサと入れ違いのように朝鮮(チョソン)に行った使者たちが勝連から首里(すい)に帰って来た。今年も大量の綿布(めんぷ)を持って来たというので、サハチは喜び、遊女屋(じゅりぬやー)『宇久真(うくま)』で帰国祝いの宴を開いた。
 正使の本部大親(むとぅぶうふや)の話によると、朝鮮の宮廷では、去年、ヤマトゥの将軍が明国の使者を追い返した事が話題になっていて、戦(いくさ)にならなければいいがと心配しているという。
「もし、明国とヤマトゥが戦になったとして、朝鮮も関係あるのか」とサハチは聞いた。
「明国とヤマトゥが戦になれば、百年余り前に起きた蒙古(もうこ)襲来(元寇)の時のような大がかりな戦になって。朝鮮は先鋒を務めさせられるのではないかと心配しているようです」
 蒙古襲来と言えば、対馬壱岐島(いきのしま)が全滅して、博多が焼け野原になった大戦(うふいくさ)だった。あんなのが起こったら大変な事になる。永楽帝(えいらくてい)は本気でヤマトゥを攻めるつもりなのだろうか。永楽帝が送った使者が追い返されたのだから、面目を潰されて怒るかもしれなかった。
永楽帝は怒っているのか」とサハチは本部大親に聞いた
「それを確かめるために、朝鮮の王様(李芳遠)は明国に使者を送ったようです」
「そうか。怒りを静めてくれればいいが」
「富山浦(プサンポ)(釜山)の五郎左衛門殿も心配しておりました」
 サハチは永楽帝が信じている真武神(ジェンウーシェン)に、永楽帝の怒りを抑えてくれるように祈った。


 年が明けて、永楽十一年(一四一三年)になった。素晴らしい初日の出も拝めて、今年もいい年になりそうだった。
 佐敷ヌルが留守なので、サスカサ(島添大里ヌル)は忙しかった。島添大里(しましいうふざとぅ)、佐敷、手登根(てぃりくん)で新年の儀式を行なわなければならず、ハルとシビーに手伝わせていた。ハルとシビーを引き連れて歩く姿が、ササによく似ていた。サスカサがハルと仲よくなったお陰で、サハチに対する風当たりも弱まってきて、サハチも一安心していた。ナツが言うように、時が解決してくれたようだった。
 運玉森(うんたまむい)ヌル(先代サスカサ)のもとで修行していたマチとサチは修行を終えて、マチは佐敷の若ヌル、サチは平田のフカマ若ヌルになった。マチはサスカサと一緒に佐敷で新年の儀式を行ない、サチは平田でフカマヌルと一緒に新年の儀式を行なった。
 正月の半ば、山南王の進貢船が船出して行った。中山王の進貢船も準備は整っているのだが、シーハイイェンたちが帰って来ないと船出はできなかった。
 その頃、ナンセン(南泉)禅師のために建てていたお寺が、首里グスクとビンダキ(弁ヶ岳)の中間辺りの静かな森の中に完成した。
 ナンセン禅師によって、『報恩寺(ほうおんじ)』と名付けられた。その名前には、長い間、お世話になった琉球に対して、その恩に報いるために、立派な学者や僧侶を育てるというナンセン禅師の意気込みが感じられた。
 首里グスクの北にある大聖寺(だいしょうじ)は子供たちに読み書きを教えるお寺で、報恩寺は、さらに勉学に励みたい者が通う学問所で、明国の『国子監(こくしかん)』を真似したものだった。学問を教えるのはナンセン禅師とすでに隠居している物知りを集めた。ファイチ(懐機)の紹介で、以前、通事をやっていた者が明国の言葉を教える事に決まって、チョルも朝鮮の言葉を教えてくれるという。クルシにも船乗りを引退したら航海術を教えてもらうつもりだった。さらに、医術や造船術、地理や歴史など、何でもいいから他人(ひと)より詳しく知っている者たちを集めなければならなかった。
 立派な山門にナンセン禅師が書いた『報恩寺』という扁額(へんがく)が掲げられ、境内は大聖寺よりも広く、本堂、法堂、庫裏(くり)は大聖寺と似たような造りで、さらに書庫と僧坊があった。書庫は書物を読む場所で、僧坊は勉学に励む者たちの宿舎だった。書庫には、ヤマトゥや明国、朝鮮の書物が置かれて、焼け落ちる前に浦添グスクから運び出した書物やサミガー大主(うふぬし)が集めたヤマトゥの書物なども置かれたが、まだまだ少なく、これから様々な書物を集めなければならなかった。
 広い境内を見回しながら、十年後にはここから使者や重臣になる者たちが現れる事を願った。サハチはふと、朝鮮の『成均館(ソンギュングァン)』を思い出した。今はお寺の周りに人家はないが、成均館のように人々が集まって来て、賑やかな村ができればいいと思った。
 本堂に鎮座している御本尊のお釈迦(しゃか)様は、新助が彫ったものだった。龍しか彫らなかった新助が、思紹(ししょう)が彫ったお釈迦様に刺激されて、仏像を彫る事に興味を覚えたようだった。龍のように鋭い顔付きのお釈迦様だが、しばらく見ていると、慈悲深い顔に変わっていくような気がした。誰かに似ているようだと思って、よく考えてみたら、一徹平郎(いってつへいろう)の顔に似ていた。
 ナンセン禅師、ソウゲン(宗玄)禅師、慈恩禅師、ジクー禅師の四人によって、開眼供養(かいげんくよう)が行なわれた。ソウゲン禅師の弟子になったシビーの弟のエイスク(裔則)も来ていて、しばらく見ないうちに、僧侶らしい顔付きになっていた。ナンセン禅師も二人の教え子を弟子にしていた。
 お経が響き渡って、厳かな儀式が始まった。ありがたいお経を聴きながら、首里が都らしくなって行くのをサハチは実感していた。
 儀式が終わると、あとは賑やかにお祭り騒ぎとなった。
 次にジクー禅師のお寺を建てるとサハチが言ったら、
「わしは使者としてヤマトゥに行っているので、半年は琉球にはいない。わしのお寺は、使者を引退してからでいい。慈恩禅師殿のお寺を先に建ててくれ」とジクー禅師は言った。
 サハチとしても、ジクー禅師が使者をやめたら困るので、次には慈恩禅師のお寺を建てる事に決めた。修理亮(しゅりのすけ)から、ヤマトゥにある慈恩禅師のお寺の話を聞いているので、慈恩禅師のお寺は、武術道場にしようと決めていた。今ある武術道場の隣りにお寺を建てて、キラマの修行者の中から才能のある若者を選んで、そこで鍛えようと思った。
 その夜、遊女屋『宇久真』で慰労の宴が開かれて、サハチと思紹は一徹平郎たちをねぎらった。
 話の成り行きから、一徹平郎の名前の事が話題になって、サハチは『平郎』のいわれを知った。
 本当の名前は平太郎だった。子供の頃、大工の修行に入った棟梁(とうりょう)の名も平太郎だった。名前が同じだと具合が悪い。お前はタヌキに似ているから、『太』の字を抜いて、『平郎』にしろと言われて、以来、『平郎』と呼ばれているという。サハチも思紹もタヌキという動物を知らなかったが、平郎の話は面白かった。『一徹』は、平郎が頑固(がんこ)すぎるので、知らないうちに皆が呼び始めて、いつしか通り名になっていたという。
 佐敷ヌルとササたちが帰って来たのは正月の晦日(みそか)になっていた。知らせを聞いて、サハチはすぐに馬天浜(ばてぃんはま)に向かった。今年も三隻の船で来ていた。
 佐敷ヌル、ササたち、サタルーたち、シーハイイェンたちはすでに上陸していて、みんなの顔を見て、サハチは安心した。
奄美大島(あまみうふしま)に寄って来ると聞いて、心配したぞ。大丈夫だったのか」とサハチは佐敷ヌルに聞いた。
「大丈夫よ。あたしたちには神様が付いているもの。安全を確認してから上陸したのよ」と佐敷ヌルは言って、「いい旅だったわ」と満足そうに笑った。
「お土産を二人連れて来たわ」とササが言った。
「お土産?」
 ササは小舟(さぶに)を指さした。サハチが見ると山伏と僧侶が乗っていた。
「熊野の山伏と、慈恩禅師様を探していたお坊さんよ」
「ほう」と言いながら、サハチが二人を見ていたら、
「親父、最高の旅だったよ」とサタルーが嬉しそうな顔をして言った。
「またお世話になります」とシーハイイェンとツァイシーヤオが笑って、シュミンジュンが、よろしくというように手を上げた。
「大歓迎ですよ」とサハチは言った。
「サハチ!」と誰かが呼んだ。
 振り返ると、シンゴと一緒に同年配の二人の男がサハチを見ながら笑っていた。その笑顔を見て、サハチは一瞬にして十六歳の頃に戻った。
「マツとトラか」とサハチは言った。
「久し振りじゃのう」とトラ(大石寅次郎)が言って、
琉球まで、お前に会いにやって来たぜ」とマツ(中島松太郎)が言った。
「おう、よく来たな」とサハチは言って、二人を見ながら、なぜか、目が潤んできていた。

 

 

 

松浦党研究とその軌跡

2-113.親父の悪夢(改訂決定稿)

 山南王(さんなんおう)のシタルーは夢を見ていた。
 子供の頃、八重瀬(えーじ)グスクの庭で、兄弟が揃って遊んでいる夢だった。その年、上の姉のウシが中山王(ちゅうさんおう)の若按司(武寧)に嫁いで行った。下の姉のマチはヌルになるための修行を始めた。あの頃、親父(汪英紫)は八重瀬グスクの石垣の改築をしていた。まだ三十代の若さで、大きな野望に燃えていた。今、思えば、八重瀬グスクも親父が造ったグスクだった。
 八重瀬グスクが完成すると、親父は玉グスクを攻めるために新(あら)グスクを築き始めた。シタルーは毎日、新グスクの普請場(ふしんば)に行って、グスク造りの基本を学んだ。島添大里(しましいうふざとぅ)グスクを奪い取ると、親父は大改築をした。石垣を高くして守りを固め、一の曲輪(くるわ)の屋敷は建て直している。二階建ての瓦葺(かわらぶ)きの立派な屋敷が完成した時、親父は嬉しそうに笑っていた。満足そうに屋敷を見上げていた親父が、急に鬼のように怖い顔をしてシタルーを見た。
「わしが造った島添大里グスクはいつ取り戻すんじゃ?」
 シタルーは真っ青な顔をして、「必ず、取り戻します」と言って、目が覚めた。
「大丈夫でございますか」と側室のマクムが心配そうな顔でシタルーを見ていた。
「ああ、大丈夫じゃ」とシタルーは言ったが、目の下にはクマができて、急に年を取ったかのようにやつれていた。
「最近、眠れないのではありませんか」
 シタルーは力なく笑って、「お前の所なら眠れると思ったんだがな」と言った。
 シタルーか親父の夢を見たのは、去年の春の事だった。二度ばかり夢に現れた親父は、島添大里グスクの石垣を修繕しろと言った。修繕しろと言われても、サハチ(中山王世子、島添大里按司)のものとなったグスクの石垣を直せるわけがなかった。ところが、その年の夏、三王が同盟を結ぶ事になり、親父の夢が気になっていたシタルーは、サハチのもとに石屋を送って、島添大里グスクの石垣を修繕させた。
 その後、親父が夢に出て来る事はなく、シタルーも安心した。
 七月に大きな台風が来て、糸満(いちまん)がやられた。復興も一段落した九月の末、親父がまた夢に現れるようになった。今度は島添大里グスクを奪い返せと言った。シタルーは島添大里グスクよりも首里(すい)グスクを奪い取らなければならないと言ったが、親父は島添大里グスクの方が先だ。島添大里グスクを奪い取って、東方(あがりかた)の按司たちを従えてから首里グスクを奪い取れという。
 初めの頃は五日おきくらいに現れていたのが、三日おきになって、最近は毎晩のように夢に現れて寝不足が続いていた。
 座波(ざーわ)ヌルに相談して、妹の島尻大里(しまじりうふざとぅ)ヌルに八重瀬にある親父と母親のお墓にお祈りをしてもらったが、効き目はなかった。
 以前、マクムの所で休んだ時、夢に親父は現れず、久し振りにゆっくり休む事ができた。今回も期待したのだったが、親父は鬼のような顔をして現れた。
 前回の夢の時、親父の願いを聞いたら夢に出て来なくなった。今回も親父の言う通りにしたら、出て来なくなるのかもしれないとシタルーは思って、島添大里グスクを奪い取る事を本気で考えてみようと思った。
 まだ夜中だが、シタルーは御内原(うーちばる)から出て、自分の執務室に向かった。
 親父は八重瀬グスクに抜け穴を造った。もしもの時に逃げるためと、グスクを敵に奪われたあとに奪い返すためだった。親父が亡くなって、兄のタブチ(八重瀬按司)と家督争いを始めた時、八重瀬グスクは中山王(武寧)の兵に囲まれた。抜け穴を使えば簡単に落とせると思っていたのに、すでに抜け穴は塞がれていた。いつ塞いだのかわからないが、タブチも親父に似て、油断のならない奴だとシタルーはその時に思った。
 シタルーは大(うふ)グスク按司になった時、親父を真似して大グスクに抜け穴を造った。今帰仁合戦(なきじんがっせん)の時、留守を守っていた弟のヤフスが糸数按司(いちかじあじ)に大グスクを奪われた。その時、抜け穴を使って、簡単に奪い返す事ができた。
 完成した後(のち)に武寧(ぶねい)から奪い取るため、首里グスクにも抜け穴を造ったが、それはサハチに見つかって、サハチに利用されてしまった。
 首里グスクをサハチに奪われたあと、サハチがどうして抜け穴の事に気づいたのか腑に落ちなかったシタルーは、久し振りに大グスクに行って抜け穴を調べた。抜け穴は完全に塞がれていた。今の大グスク按司が抜け穴の事を知っているはずがない。サハチが塞いだに違いなかった。サハチが大グスクの抜け穴を知っていた事に驚き、サハチが首里グスクのウタキを調べて、抜け穴を見つけたに違いないと納得した。サハチの凄さを思い知らされ、サハチの動きをもっとよく調べるべきだったと後悔した。
 親父は島添大里グスクに抜け穴は造らなかった。シタルーがどうしてかと聞くと、ただ笑うだけで答えなかったが、あの時から島尻大里グスクを奪い取って、山南王になる事を考えていたのかもしれない。
 島添大里グスクに抜け穴があったら、奪い取るのは簡単だが、抜け穴がないとなると奪い取るのは難しい。親父が八重瀬グスクを奪い取った時のように、一瞬のうちに攻め落とさないと、首里からの援軍に挟み撃ちされて、全滅してしまうだろう。
 親父が八重瀬グスクを落としたのは、シタルーが八歳の時だった。絶世の美女を送り込んで、按司と若按司を対立させて、若按司の手引きでグスク内に潜入し、按司も若按司も殺して奪い取ったという。その手はサハチには使えない。別の方法を考えなければならなかった。
 もし、島添大里グスクを奪い取れたとしても、その後の事も考えておかなくてはならなかった。まず、中山王(ちゅうさんおう)が攻めて来る。サハチの妹婿の玉グスク按司、知念(ちにん)の若按司も攻めて来るだろう。サハチの弟の佐敷大親(さしきうふや)、平田大親、与那原大親(ゆなばるうふや)、手登根大親(てぃりくんうふや)も攻めて来るだろう。大グスク按司、兼(かに)グスク按司(ンマムイ)、八重瀬按司、米須按司(くみしあじ)、玻名(はな)グスク按司、具志頭按司(ぐしちゃんあじ)も攻めて来るかもしれない。南部で大戦(うふいくさ)か始まる事になる。山北王(さんほくおう)(攀安知)を味方に付けなければ負けてしまうかもしれない。サハチの倅に嫁いだ山北王の娘は救い出さなければならなかった。
 山北王の娘は保栄茂(ぶいむ)グスクにもいた。その娘を中山王に殺させて、山北王を呼び寄せるか‥‥‥
 山北王が出て来れば勝ち目はある。中山王の兵を挟み撃ちにして、首里グスクの下にあるガマに潜入できれば、首里グスクも奪い取れる。
 首里グスクを奪い取るための第一段階として島添大里グスクを奪い取ればいいんだとシタルーは結論を出して、綿密な作戦を立てる事に熱中した。


 その頃、サハチは進貢船(しんくんしん)の準備で忙しかった。三人の官生(かんしょう)(留学生)を送る事になって、ようやく、その三人が決まったのだった。前回のファイテ(懐徳)とジルークは島添大里のソウゲン(宗玄)禅師の推薦だったので、今回は首里のナンセン(南泉)禅師の推薦する三人に決まった。
 北谷(ちゃたん)ジルー、城間(ぐすくま)ジルムイ、前田(めーだ)チナシーの三人で、ジルーは北谷大親の息子、ジルムイは城間大親の孫、チナシーは前田大親の息子だった。勿論、三人とも秀才だが、ただそれだけではなかった。北谷ジルーは船が好きで、自分で小舟(さぶに)も造って、帆の形などを研究しているという。サハチは塩飽(しわく)の船大工の与之助を思い出して、あんな風になってくれればいいと願った。城間ジルムイは書物を読むのが好きで、ヤマトゥ(日本)の書物も明国(みんこく)の書物も読んでしまうという。前田チナシーは手先が器用で、笛や三弦(サンシェン)、農具や漁網も作った事があり、前田家伝来の棒術も得意だという。北谷ジルーは十五歳、城間ジルムイと前田チナシーは十六歳だった。
 北谷大親の父親は北谷の出身で、察度(さとぅ)(先々代中山王)の側室になった北谷按司の娘の護衛として浦添(うらしい)に来た。北谷大親浦添で生まれてサムレーになり、進貢船のサムレーとして何度も明国に行った。明国から帰って来たら、中山王が入れ替わっていて、そのまま思紹(ししょう)に仕えた。今は船から降りて、交易担当の安謝大親(あじゃうふや)の下で働いていた。城間大親と前田大親は先代の中山王(武寧)に仕えていたが、ナーサによって思紹に仕えた重臣だった。
 十一月十八日、今年三度目の進貢船が出帆して行った。正使は八重瀬按司のタブチで、副使は南風原大親(ふぇーばるうふや)、サムレー大将は五番組の外間親方(ふかまうやかた)、従者として米須按司、玻名グスク按司、ナーグスク大主(うふぬし)(先代伊敷按司)、山グスク大主(先代真壁按司)が去年と同じように同行した。
 それから四日後の事だった。ウニタキ(三星大親)が島添大里グスクにやって来た。
「ハルがいるぞ」とサハチは言ったが、ウニタキは厳しい顔をして、サハチの前に座り込んだ。
「シタルーが動いたぞ」とウニタキは言った。
「長嶺(ながんみ)グスクに武装した四百の兵が集結している」
「なに!」とサハチは驚いて、
「シタルーは本気で、ここを攻めるつもりなのか」とウニタキに聞いた。
「親父の悪夢に負けたのだろう。毎晩、悪夢にうなされて眠れず、ひどい顔付きになっていたそうだ。このグスクを攻める事に決めて、作戦を練り始めたら、親父も夢に現れなくなったようだ」
「長嶺グスクからここまで、一時(いっとき)(二時間)もあれば着くぞ。しかし、四百の兵では、このグスクは落とせんだろう。首里から攻めて来れば挟み撃ちに遭って全滅だ」
「そのくらいの事はシタルーだって承知だろう。何か秘策があるに違いない」
「ハルと二人の侍女に御門(うじょう)を開けさせるというのか」
「その手しかないだろう。しばらく、どこかに閉じ込めておいた方がいいぞ」
「ハルを信じないわけではないが仕方がないな。とにかく、守りを固めなくてはならん。城下の人たちも避難させなくてはならんぞ」
「いつ攻めて来るかだ」とウニタキは腕を組んで、
「ンマムイの兼グスクで待ち伏せする事もできるぞ」と言った。
「今、島添大里には二百の兵しかいない。外に出す余裕はない」
 二隻の進貢船とヤマトゥに行った交易船に三百人のサムレーが乗って行ったため、島添大里の百人のサムレーが補充人員として首里に行っていた。以前、島添大里のサムレーはグスクと与那原の港を守っていたが、与那原にグスクができたため、与那原の港は与那原大親に任せる事になり、首里に行くようになったのだった。
「どんな秘策があるのかわからないが、二百の兵で、このグスクを守った方がいいだろう」とサハチは言って、佐敷ヌルの屋敷にいるハルと二人の侍女を呼んだ。
 女子(いなぐ)サムレーと一緒に来たハルはサハチとウニタキを見て、一体、何だろうという顔付きで、二人の前に座った。
「山南王から何か知らせがあったか」とサハチはハルに聞いた。
 ハルは首を振って、「こちらに来てから、山南王から知らせをもらった事は一度もありません」と言った。
 侍女たちに聞いても、同じ答えだった。
「山南王が今、長嶺グスクに四百の兵を集めている。ここに攻めて来るかもしれん」
「えっ!」とハルは驚き、「山南王は本当にこのグスクを奪い返そうとしているのですか」と聞いた。
「そうらしい。アミーから何か言って来たか」
 ハルは首を振った。
 突然、「按司様(あじぬめー)」と言って、女子サムレーがサハチの前に座って、頭を下げた。
「どうしたのだ?」とサハチは女子サムレーに聞いた。
 女子サムレーは顔を上げると、「わたしなんです」と言った。目から涙が流れていた。
 部屋の外にいた女子サムレーのシジマが、「ユーナ、どうしたの?」と近づいて来た。
「わたしが間者(かんじゃ)なのです。山南王の命令で、ここの女子サムレーになりました」
「ええっ!」とシジマは信じられないといった顔で、ユーナを見ていた。
「お前は刺客(しかく)なのか」とサハチはユーナに聞いた。
「違います。グスク内の様子を山南王に知らせていただけです」
「どうやって?」
「おうちに祖母がいます。祖母のもとに時々、行商人(ぎょうしょうにん)が来るのです。いつもはわたしの留守中に来るのですが、今朝早くに来て、わたしに山南王の命令を伝えました」
「その命令とは?」とウニタキが身を乗り出して聞いた。
「皆が寝静まった深夜に、東曲輪(あがりくるわ)の御門を開けろというものです」
「シタルーは夜襲を掛けるつもりか」とウニタキは言って、サハチを見た。
「総攻撃の前に、刺客の攻撃があります」とユーナは言った。
「まず、刺客を潜入させて、按司様を殺します。その後、総攻撃を掛けて、このグスクを奪い取るつもりです」
「刺客を使うとは、首里の時と同じ作戦だな」とサハチは言った。
「夜襲となると敵は火矢を使うぞ」とウニタキが言った。
 サハチはうなづいて、火矢で攻撃された佐敷グスクを思い出していた。
「わたしはアミーの妹です」とユーナは言った。
「えっ!」とハルが驚いた。
「姉は今回、この作戦には加わらないと思います。姉は按司様の事を命の恩人だと思っています」
「お前はどうして、間者になったのだ?」とサハチは聞いた。
「わたしの父は、若い頃の山南王の護衛を務めておりました。わたしも姉も幼い頃から父に剣術を学んで、山南王を守るのが務めだと信じて生きてきたのでございます。わたしたちの母は病弱で、わたしが十五の時に亡くなってしまいましたが、母の遺言も、『山南王を守れ』だったのです。姉は山南王のために、中山王(武寧)の側室になって、見事にお役目を果たしました。今度はわたしの番だと、祖母と一緒にここに来たのです。浦添から逃げて来たという事にしました。城下の娘たちと一緒に東曲輪に通って、剣術の稽古に励み、二年後、女子サムレーになれました。山南王のために、ここに来たのですけど、ここにいる間に、わたしの気持ちは変わってしまったのです。女子サムレーの人たちと付き合って、佐敷ヌル様やユリ様と一緒にお芝居のお稽古をしているうちに、わたしは間者である事に後ろめたさを感じるようになりました。でも、本当の事を打ち明ける勇気はありませんでした。本当の事を言ったら、もうここにはいられなくなってしまう。それが恐ろしかったのです。でも、今回の事はわたしにはできません。隊長に本当の事を言おうと思いましたが、なかなか言い出せませんでした。そんな時、ハル様が呼ばれました。もしかしたら、山南王の事ではないかと思って、一緒に付いて来たのです」
 ユーナはそう言うと泣き崩れた。
「人は誰でもやり直しはできる」とウニタキが言った。


 何事もなかったかのように、その日の日が暮れた。島添大里グスクはいつものように、娘たちの剣術の稽古も終わって、静かになっていた。娘たちが帰ると、いつものように東曲輪の御門も閉められて、御門の内側にある小さな小屋の中で、二人の御門番(うじょうばん)が待機していた。
 深夜になり、辺りは静まり返って、下弦の月が東の空に登り始めた。佐敷ヌルの屋敷から出て来た人影が、御門番小屋に近づいてから、かんぬきをはずして御門を開けた。しばらくして、人影がぞろぞろと入って来た。全員が東曲輪に入ると御門は閉められた。
 御門が閉まったのと同時に、鋭い音が次々にして、悲鳴が起こり、何人かの人影が倒れた。
「しまった。罠(わな)だ!」と誰かが叫んだ。
 弓矢の攻撃が終わると隠れていた人影が出て来て、刀の刃がきらめいた。
 あっと言う間に、侵入者は全滅した。倒れている敵の数を数えると二十人もいた。
 あちこちに篝火(かがりび)が焚かれて、急に明るくなった。敵の死体を一カ所に集めて筵(むしろ)をかぶせると、二百人の守備兵たちは、敵の攻撃に備えて配置についた。
 二十人の刺客は、チミーとマナビーの弓矢で十人がやられた。サグルー(島添大里若按司)が二人を斬って、サムレー大将の慶良間之子(きらまぬしぃ)が二人を斬って、イハチが一人を斬った。サスカサが一人を倒して、女子サムレーのカナビー、ニシンジニー、アミー、ミイが一人づつ倒して全滅した。逃げて来た敵を倒そうと待ち構えていたチューマチとヤールーは出る幕がなかった。ウニタキの配下の者たちも見守っていたが出る幕はなかった。
 チミーとマナビーは三月に、ヂャンサンフォン(張三豊)のもとで修行を積んでいた。運玉森(うんたまむい)のガマ(洞窟)の中を歩かされて、暗闇でも目が見えるようになり、月明かりのもとでは百発百中の腕になっていた。
 サグルーがユーナを連れて一の曲輪の屋敷に行って、サハチに結果を報告した。サハチの部屋にはウニタキと奥間大親(うくまうふや)もいた。
「そうか、全滅したか」とサハチは満足そうにうなづいて、
「怪我人は出なかったか」とサグルーに聞いた。
「大丈夫です」
「みんな、よくやってくれた」とサハチは言ってから、ユーナを見た。
「お前のお陰で助かった。お礼を言う。しかし、刺客が全滅したのに、お前が無事だとわかると、お前が裏切った事がばれてしまう。お前をここに置いておくわけにはいかないな」
「わたしは山南王に殺されるでしょう。いっその事、わたしも殺してください」
「馬鹿な事を言うな。お前は俺の命の恩人ではないか。お前が黙っていたら、俺は殺されていたかもしれんし、何人もの犠牲者が出ただろう」
 突然、窓から誰かが飛び込んで来た。廊下にいた女子サムレーが刀を抜いて、侵入者に向けた。
 侵入者は廊下にひざまづくと、サハチに頭を下げた。
「お姉さん」とユーナが言った。
「アミーか。久し振りだな」とサハチはアミーを見た。
 六年前、首里グスクで会った時は美しい着物を着た側室だったが、今回は黒づくめの格好で、背中に刀を背負っていた。
「妹を助けていただき、ありがとうございます」とアミーは言った。
 ハルが出て来て、アミーに近寄って、「お師匠」と呼んだ。
「ハル、元気そうね」とアミーはハルを見て軽く笑った。
「ハル、アミーを連れて来てくれ」とサハチはハルに言った。
 ハルはうなづいて、アミーを連れて部屋の中に入った。女子サムレーたちは刀を鞘(さや)に納めて、成り行きを見守った。
「お前は今回の作戦には参加しなかったのだな?」とサハチがアミーに聞いた。
「山南王から頼まれましたが、わたしは断りました。でも、妹の事が心配で様子を見に来たのです」
「どうやって、このグスクに潜入したのだ。今、このグスクは警戒態勢に入っていて、どこからも潜入できないはずだ」
「刺客が来る前に、すでに入っていたのです」
「なに、刺客よりも先に潜入していたのか」
 アミーはうなづいて、上を見上げた。
「屋根の上から刺客たちが倒されるのを見ていました。そして、妹がこの屋敷に連れられて来るのを見て、姿を現す事にしたのです」
「そうか。刺客が全滅してしまって、お前も帰ったら、山南王に殺されるかもしれんな」
「お婆が危ないわ」とアミーが言った。
「大丈夫よ。グスク内にいるわ」とユーナが言った。
「二人を、いや、お婆も入れて、三人をキラマ(慶良間)の島に送ったらどうだ?」とウニタキがサハチに言った。
「向こうで、娘たちを鍛えてもらえばいい」
「そうだな。それがいいかもしれん」とサハチがうなづいた。
「わたしたちを助けてくれるのですか」とアミーは信じられないという顔をしてサハチに聞いた。
「お前は断ったんだろう。ユーナは命の恩人だし、助けるのは当然だ。ほとぼりが覚めるまで、キラマの島に隠れているか」
「ありがとうございます。わたしたちは死んだ事にしておいてください」
「ユーナが捕まって、それを助けようとして現れたアミーも、ユーナと一緒に殺された、という事にしておこう」とウニタキが言った。
「お師匠、よかったですね」とハルが嬉しそうに言った。
「今回の作戦を豊見(とぅゆみ)グスク按司は知っているのか」とサハチはアミーに聞いた。
 アミーは首を振った。
「豊見グスク按司に話せば反対されるので、内緒です。今回、山南王が率いているのは娘婿の長嶺按司、次男の兼グスク按司、妹婿の瀬長(しなが)の若按司です」
「山南王自らが指揮を執っているのか」
「一瞬のうちに勝負を決めなくてはならないので、他人には任せられないのでしょう」
「もし、刺客が俺を殺すのに成功したとしても、このグスクから出る事はできないだろう。皆、殺されるはずだ。俺がいなくても、サグルーがこのグスクを守り抜くに違いない。山南王はどうやって、このグスクを攻め落とすつもりだったのだ?」
「刺客の目的は按司様だけではありません。若按司様もイハチ様も標的になっていました。按司様たちを殺したあと、刺客たちは皆、殺されるかもしれません。殺される前に、成功したという矢文(やぶみ)を放ちます。グスクの外に足の速い者が待機していて山南王に知らせます。知らせを受けた山南王は兵を率いてやって来て、まず、城下に火を放ちます。城下の人たちはグスクに逃げ込む事でしょう。その中に間者が紛れ込んで、御門を内側から開けて、兵たちを誘い込むのです。通常でしたら、その間者も目的を果たす事なく殺されるでしょうが、按司様や若按司様が殺されて混乱状態になっていれば成功するでしょう」
「成程。しかし、すでに城下の人たちがグスク内に避難していたらどうするんだ?」
「山南王はここの城下にも間者を置いています。多分、今晩は親戚の者たちが何人も泊まり込んでいる事でしょう」
 サハチは笑った。
「山南王の刺客はまだいるのか」とウニタキが聞いた。
「今回の作戦にほとんどの者が参加しています。残っているのは粟島(あわじま)(粟国島)で修行中の者たちだけです」
「当分の間は、シタルーもおとなしくしているだろう」とウニタキはサハチを見て笑った。


 南風原(ふぇーばる)の黄金森(くがにむい)で下弦の月を眺めながら、山南王のシタルーは、まだかまだかと島添大里からのいい知らせを待っていた。
 夜もかなり更けた頃、ようやく、知らせを持った男がやって来たが、その顔色は悪かった。
「刺客は失敗に終わったものと思われます」と男は言った。
「なに?」とシタルーは信じられないと言った顔で男を見た。
「失敗に終わったじゃと?」
「成功したという矢文はありませんでした。誰一人としてグスクの外には現れません」
「どういう事じゃ?」
「グスク内が静まり返った頃に東曲輪の御門が開きました。刺客たちがグスク内に入ると御門は閉じられ、中で争っているような物音が聞こえましたが、すぐに治まって、また、静まり返りました。うまく行ったかと思っていたら、突然、篝火が焚かれて、グスク内が明るくなって、守備兵が配置に付きました。物見櫓の上にも見張りの兵が現れました。これは失敗に終わったに違いないと思いましたが、四半時(しはんとき)(三十分)ほど待ってみました。誰も戻っては来ないし、約束の矢文も来ませんでした」
「くそっ、どうして失敗に終わったんじゃ?」
「もしかしたら、ユーナが裏切ったのではないかと‥‥‥」
「ユーナに限って、そんな事はない。アミーとユーナの姉妹はわしの子供たちと一緒に育ったんじゃ。わしの娘みたいなものじゃ。わしを裏切るような事はしない。刺客の中に裏切り者がいたに違いない」
 首里から敵兵がこちらに向かって来るとの知らせが入った。
 シタルーは月を見上げると、悔しそうな顔をして、「撤収じゃ」と叫んだ。

 

 

 

夢判断 上 (新潮文庫 フ 7-1)   悪夢障害 (幻冬舎新書)

2-112.十五夜(改訂決定稿)

 与那原(ゆなばる)が台風にやられてから半月後、与那原グスクのお祭り(うまちー)が行なわれた。
 家や舟を失った人たちも多いので、今年のお祭りは中止しようと与那原大親(ゆなばるうふや)(マタルー)の妻、マカミーは考えたが、グスクに避難している人たちは、こんな時だからこそ、お祭りはやるべきだと言い、各地から救援に駆けつけてくれた人たちにもお祭りを見せて、感謝を伝えなければならないと言った。運玉森(うんたまむい)ヌルもヂャンサンフォン(張三豊)もやった方がいいと言ったので、マカミーはユリたちと相談して、やる事に決めた。
 準備をしていたユリ、シビー、ハル、それに女子(いなぐ)サムレーたちは忙しかった。ユリたちと女子サムレーたちも台風の後片付けを手伝って、炊き出しなどもやっていた。それと同時にお芝居の稽古にも励んで、何とか、準備を間に合わせたのだった。
 お芝居の演目は『運玉森のマジムン屋敷』だった。一昨年(おととし)に演じて、今回が二度目だったので、女子サムレーたちも難なくやりこなした。旅のサムレーがマジムン(魔物)を退治する話で、前回よりも面白い場面が多く、子供たちが大喜びしていた。
 旅芸人たちもやって来て、『舜天(しゅんてぃん)』を演じて喜ばれた。ウタキ(御嶽)巡りをしていた馬天(ばてぃん)ヌルの話だと、中グスクの北に舜天の子孫たちが住んでいて、旅芸人たちに『舜天』のお芝居を観せてくれと頼んだらしい。四月にヤンバル(北部)から帰って来た旅芸人たちは、首里(すい)の本拠地で『舜天』の稽古に励み、今回が初演だった。まだちょっとぎこちない場面が目立ったが、回数をこなせば、素晴らしい出し物になるだろう。
 お祭りの頃には台風の後片付けも終わって、あとはつぶれた家の再建だった。あとの事はマカミーに任せて、助っ人に来ていた人たちは皆、引き上げて行った。ユリたちも島添大里(しましいうふざとぅ)に帰って来たが、その翌日には、平田グスクのお祭りの準備のために平田に向かった。
 その頃、島添大里グスクでは、サスカサ(島添大里ヌル)が中心になって、十五夜(じゅうぐや)の宴(うたげ)の準備が進められていた。去年、サスカサはヤマトゥ(日本)の将軍様の御所で行なわれた十五夜の宴に参加して、その華やかな催し物を『月の神様』を祀る島添大里グスクでも行なおうと決めたという。サスカサは毎月、満月の時にはお祈りをしているが、八月の満月は『中秋の名月』と呼ばれて特別なので、大々的にやりたいと言った。
 先代のサスカサだった運玉森ヌルもマチとサチを連れてやって来て、馬天ヌルも麦屋(いんじゃ)ヌル(先代与論ヌル)とカミーを連れてやって来た。サスカサは馬天ヌル、運玉森ヌルと相談して儀式の事などを決めていた。ナツとメイユー(美玉)も手伝って、佐敷ヌルの屋敷に滞在しているリェンリー(怜麗)、ユンロン(芸蓉)、スーヨン(思永)も手伝った。メイファン(美帆)はチョンチ(誠機)を残して浮島(那覇)に帰り、時々、チョンチに会いに来ていた。サハチ(中山王世子、島添大里按司)も儀式の時に一節切(ひとよぎり)を吹いてくれとサスカサに頼まれて、曲を儀式に合わせるための稽古に励んだ。
 八月十五日、中山王(ちゅうざんおう)の思紹(ししょう)は東行法師(とうぎょうほうし)の格好でヂャンサンフォンを連れて来た。サングルミー(与座大親)とソンウェイ(松尾)が一緒にいた。
 思紹は二胡(アフー)の調べが気に入って、時々、サングルミーを龍天閣(りゅうてぃんかく)に呼んでは二胡を聞いているらしい。今回も、月見の宴に二胡の調べはぴったりだと言って連れて来たようだ。
 ソンウェイはンマムイ(兼グスク按司)に連れられてヂャンサンフォンと会い、一か月の修行を積むつもりでいたが、台風が来たため、ヂャンサンフォンと一緒に復旧作業に従事していた。避難民のために働いていたせいか、ヂャンサンフォンと一緒にいるせいか、ソンウェイの顔付きが変わっていた。いつも苦虫をかみ殺したような顔をしていたのに、眉間(みけん)のしわが消えていた。リンジェンフォン(林剣峰)の配下として数々の悪事をやって来た毒気が、少しづつ取れて行くような気がした。
 マチルギも準備の様子を見に来ていて、楽しみにしていたが、思紹が来てしまったので、留守番をしなければならなくなったようだ。龍天閣から満月を見上げて、悔しがるに違いない。
 二の曲輪(くるわ)を囲む石垣に赤い幕を張って、石垣の上に明国(みんこく)の灯籠(ドンロン)(提灯(ちょうちん))をいくつも並べた。庭にはコの字形に茣蓙(ござ)を敷いて、月がよく見える西側を上座にして、思紹やヂャンサンフォン、慈恩禅師(じおんぜんじ)、サハチの側室たちと子供たち、サグルー夫婦、イハチ夫婦、チューマチ夫婦たちが座って、左右に家臣たちが座った。平田に行っていたユリたちも戻って来て、女子サムレーたちと一緒に参加した。ウニタキ(三星大親)夫婦もファイチ(懐機)夫婦も子供たちを連れて来た。
 日が暮れると、サハチが吹く一節切が静かに流れ出した。
 満月が東の空から昇り始めた。雲に隠れる事もなく、見事な満月だった。
 サスカサを中心にヌルたちが、一の曲輪内にある『月の神様』を祀るウタキで祈りを捧げた。二の曲輪にいる者たちも両手を合わせて、お月様に祈った。
 やがて、ヌルたちが二の曲輪に現れて、神歌(かみうた)を歌い始めた。サハチの吹く一節切に合わせて、カミーが舞い始めると、マチとサチも続いて、麦屋ヌルが優雅に舞い、運玉森ヌルも華麗に舞った。ヌルたちはヒレ(領巾)と呼ばれる細長くて綺麗な薄絹を肩から提げていて、そのヒレがヌルたちの舞をさらに美しく彩っていた。
 笛の調べが変わった。サハチが横笛を吹き始め、軽快な調べとなって、それに合わせてサスカサが舞い始めた。カミー、マチ、サチ、麦屋ヌル、運玉森ヌルは輪になってしゃがみ、その中でサスカサは蝶のように舞っていた。カミーがサスカサに合わせて舞い始めると、マチ、サチ、麦屋ヌル、運玉森ヌルが続いて、両手を合わせて月を見上げ、神歌を歌っていた馬天ヌルも静かに舞い始めた。
 月明かりの下で、幻想的な天女の舞が繰り広げられ、サハチの吹く笛は少しづつ高音になっていき、「ピー」という高音のまま消えた。
 突然、辺りが暗くなった。
 空を見上げると、月が雲に隠れていた。
 石垣の上に並べられた灯籠が灯されて明るくなった。すでに、ヌルたちの姿は消えていた。
 夢でも見ていたのかと空を見上げると、雲間から月が顔を出した。
「儀式は終わりです。皆様、宴(うたげ)を楽しんでください」とサスカサが現れて言った。
 指笛が飛んで、喝采が起こった。
 侍女たちによって酒と料理が配られ、宴が始まった。
 サハチが席に戻ると、「凄いわ」とナツもメイユーもハルも言った。
「お月様がうまい具合に隠れてくれたので、成功したんだよ。感謝しなければな」とサハチはお月様に両手を合わせた。
 思紹に言われて、サングルミーが二胡を持って庭の中央に出た。皆が拍手をして迎えた。サングルミーは照れながら頭を下げて、二胡を弾き始めた。
 美しく切ない調べは月夜にぴったりだった。
 サハチはかつて、ここで行なわれた戦(いくさ)を思い出していた。サハチは参戦していなかったが、汪英紫(おーえーじ)(先代の山南王)がここを攻めた時、大勢の者たちが亡くなった。多分、それ以前にも、大きな戦があったのだろう。ここで戦死していった名もなき兵士たちの霊が、サングルミーの二胡によって、慰められているような気がした。
 サングルミーの演奏が終わると、
「朝鮮(チョソン)で手に入れたヘグム(奚琴)が泣いています」とファイチが言った。
「何かと忙しくて、ヘグムの稽古を忘れていました。わたしも頑張らなければなりません」
「サングルミーに負けるなよ」とウニタキがファイチの肩をたたいた。
「今の曲を聴いていたら、また明国に行きたくなってきたな」
「ああ」とサハチはうなづいて、「楽しかったな」と言った。
 サングルミーのあとに、ヂャンサンフォンがテグム(朝鮮の横笛)を披露した。竹でできている長い笛なので、一節切と音色が似ていた。与那原グスクでは毎晩、ヂャンサンフォンが吹くテグムの調べが流れて、今日も一日が無事に終わったと皆が感謝しながら聴いていた。台風の避難民たちもヂャンサンフォンのテグムに励まされているという。
 月を見上げると、満月が笑っているように見えた。
 ウニタキが娘のミヨンと三弦(サンシェン)と歌を披露して、サハチの子供たちが横笛を披露して、メイユーたちも横笛を披露した。ユリの横笛に合わせて、女子サムレーたちが軽やかに舞い、ハルも『かぐや姫』の一場面を演じて拍手を浴びた。
 十五夜の宴は大成功に終わった。
「来年は首里でもやりましょう」と馬天ヌルが思紹に言って、
「そうじゃな」と思紹も笑ってうなづいた。
 九月十日、平田のお祭りも無事に終わった。シビーもハルも佐敷ヌルの代わりを必死になって務めていた。その日、島添大里グスクでは、ナツがサハチの五女を産んだ。母親も娘も無事だった。可愛い娘はサミガー大主の母親、我喜屋(がんじゃ)ヌルの名前をもらって、『マカマドゥ(真竈)』と名付けられた。
「お母さんに似た美人になって、立派な女子サムレーになれよ」とサハチはマカマドゥに言った。
「あら、この子は王様(うしゅがなしめー)のために、どこかの按司に嫁がせるんじゃなかったのですか」とナツが聞くと、
「こんな可愛い子をよその男にやれるか」とサハチは言った。
 真面目な顔をして言うので、ナツはメイユーと顔を見合わせて、クスクスと笑った。
 九月の半ばには与那原の復興も終わって、避難民たちも我が家に落ち着いた。
 九月の下旬には首里グスクの北曲輪(にしくるわ)の石垣が完成した。土塁から石垣に変わって、見栄えは断然よくなり、今帰仁(なきじん)グスクに負けない立派なグスクになった。サハチは石屋のクムンたちを遊女屋(じゅりぬやー)『宇久真(うくま)』に招待して、みんなの苦労をねぎらった。
 十月の半ば、馬天浜のお祭りはいつもよりも盛大に行なった。速いもので、サミガー大主(うふぬし)が亡くなってから十年の月日が経っていた。各地のウミンチュ(漁師)たちを招待したので、サミガー大主が亡くなった時のように馬天浜は小舟(さぶに)で埋まり、夜遅くまで、お祭り騒ぎが続いた。サハチも浜辺に座り込んで、ウミンチュたちとの酒盛りを楽しんだ。
 舞台では、『サミガー大主その一』と『その二』が続けて演じられ、中部を旅していた旅芸人たちも帰って来て、『瓜太郎(ういたるー)』を演じた。
 ハルとシビーがヤマトゥの着物を着て、舞台の進行役をやっていて、二人の掛け合いが面白く、皆を笑わせていた。佐敷ヌルがいなくて、お祭りは大丈夫だろうかと心配していたサハチも、二人を見ながらすっかり安心していた。ハルは佐敷ヌルの代わりを務めるために、島添大里にやって来たのではないかとさえ思えた。女子サムレーになりたいと言って、メイユーの弟子になったシビーも、お祭りの魅力に取り憑かれて、佐敷ヌルの跡を立派に継いでくれそうだった。
 馬天浜のお祭りの翌日、メイユーたちが帰って行った。メイファンの屋敷の留守番をしていたリェンリーの父親のラオファン(老黄)も帰った。ラオファンはすでに七十五歳になり、故郷が恋しくなったらしい。ソンウェイはずっとヂャンサンフォンのもとで修行を積んでいたようだ。
「ヂャンサンフォン殿のお陰で、わしは生まれ変わりました。三姉妹と共に新しい生き方を始めるつもりです。来年もまた来ます。約束は果たしますので、楽しみに待っていてください」
 ソンウェイはサハチにそう言った。確かに生まれ変わったようだった。今のソンウェイならサハチも信じられると思った。
「無理はするなよ。鉄炮を積んだ軍船は欲しいが、師弟(シーデイ)を失いたくはない」
 ソンウェイは笑って、「わかりました。師兄(シージォン)」と言って、小舟に乗り込んだ。
「いい仲間ができたわ」とメイユーがソンウェイを見ながらサハチに言った。
「ヂャンサンフォン殿のお陰だな」
「そうね。みんな、お師匠の弟子だから裏切れないわ」
「そうだな。今年も旧港(ジゥガン)(パレンバン)まで行くのか」
「勿論よ」
「俺も一緒に行きたいよ」
「一緒に行けるといいわね」
「ああ、また、旅に出たくなってきた」
「王様が健在なうちに、旅に出た方がいいんじゃないの?」
「そうだな。三人の王様が同盟を結んでいる今なら行けるかもしれないな。親父と相談してみるよ。いや、親父に相談したら、わしの方が先じゃと言い出すだろう。マチルギも京都に行ってみたいと言っているしな。琉球を統一するまでは無理かもしれんな」
「ナツも京都に行きたいって言っていたわ」
「ナツはマカマドゥが大きくなるまでは無理だな」
「あたしもあんな可愛い娘が欲しいわ」
「娘に跡を継がせるのか」
「そうね。あたしたちの代で終わらせるわけにはいかないものね」
 メイユーは手を振って小舟に乗り込んだ。
 三姉妹の船を見送ると、
「一緒に行きたかったな」とウニタキが言った。
「チョンチの奴、すっかり琉球の言葉を覚えてしまいました」とファイチが言った。
「俺の子供たちもチョンチのお陰で、明国の言葉を覚えたようだ。子供は物覚えが速いよ」
「ミヨンもファイチの奥さんから教わって、かなりしゃべれるようだ」とウニタキは言った。
「これからはヤマトゥ言葉だけでなく、明国の言葉も子供たちに教えた方がいいかもしれんな」とサハチは言った。
「お寺(うてぃら)で教えるのか」とウニタキが聞いた。
「ああ、ミヨンに教えてもらおうか」
「まだ、人に教えるほどじゃない」とウニタキは笑った。
「話は変わるが、シタルー(山南王)の様子がおかしいぞ」とウニタキは言った。
 小さくなった三姉妹の船を見ていたサハチはウニタキを見て、
「シタルーが何かをたくらんでいるのか」と聞いた。
「そうじゃなくて、毎晩、うなされているようだ。シタルーのもとには、俺の配下の女が二人、側室として入っている。一人はシタルーが中山王に送った側室のお返しとして、六年前に側室になったマクムだ。マクムは娘を一人産んで、今、その娘は五歳になる。もう一人は、ハルのお返しとして去年に贈ったマフニだ。二人ともシタルーがうなされているのを見ているんだ」
「悪い病(やまい)にでも罹ったのか」とサハチは聞いた。
「病じゃない。親父の亡霊にうなされているようだ」
「親父の亡霊?」
 ウニタキは真面目な顔でうなづいた。
「最初は二人とも、悪い夢を見たのだろうと気にも止めなかったようだが、度々起こって、ある時、寝言を言ったそうだ。『親父が造った島添大里グスクは必ず取り戻す』そう言ったそうだ」
「なに、島添大里グスクを取り戻す?」
首里グスクではなくて、島添大里グスクですか」とファイチが聞いた。
 ウニタキはうなづいた。
「シタルーの親父は首里グスクの事は知らないのだろう」
「その寝言だが、シタルーに教えたのか」とサハチは聞いた。
「いや、寝言を聞いたのはマクムで、シタルーには言っていない。また、うなされていたと言っただけだ」
「そうか。それで、シタルーの反応はどうなんだ? 島添大里グスクを奪い返すつもりなのか」
「今の所はそんな気配はないようだ。だが、毎晩、親父が夢に出て来て、シタルーを責めれば、本気になるかもしれない。首里グスクより先に島添大里グスクを攻め取ろうと考えるかもしれんな」
「攻め取ると言っても、あのグスクはそう簡単には落とせないぞ」
「シタルーは石屋を送って来ただろう。その石屋が石垣に細工をしたとは考えられないか」
「まさか‥‥‥あいつはそんな事はしないだろう」
「気を付けた方がいいぞ」
 サハチはうなづいた。
 島添大里グスクに帰ると、石垣を点検してみたが、怪しい所は見つからなかった。石垣ではないとすると、グスク内にいるハルか二人の侍女を使って、門を開けさせるつもりかと考えた。門を開けさせたとしても、グスク内には守備兵が常に百人はいる。それらを倒すには、グスクを百人以上の兵で包囲しなければならなかった。武装した百人以上の兵が動けば、すぐにウニタキの配下から知らせが入り、待ち構えて倒す事ができる。
 シタルーはどうやって、このグスクを落とすつもりなのだろうか。
 サスカサに頼んで、ウタキも調べてもらった。女子サムレーたちを連れて、くまなく調べたが、抜け穴らしいのは見つからなかった。
 サハチはひとまず安心したが、一応、ハルにも聞いてみた。
「山南王(さんなんおう)がこのグスクを攻め取ろうとしているらしいが知っているか」とサハチが聞くと、
「ええっ!」と言って、ハルは目を丸くした。
「どうして、山南王がここに攻めて来るんですか」
「このグスクは山南王の親父さんが造ったグスクなんだよ。この二階建ての屋敷もそうだし、あちこちに飾ってある絵や壺も山南王の親父さんが明国から持って来た物なんだ。それで、山南王は取り戻そうと考えているようだ」
「そうだったのですか」とハルは屋敷内を見回して、「按司様(あじぬめー)が奪い取ったのですね」と言った。
「そういう事だな。山南王が攻めて来るとしたら、どんな手を使うと思う?」
「あたしたちに門を開けさせるのかしら?」
「誰かがお前にそんな指令を持って来た事があるのか」
 ハルは首を振った。
「でも、アミーさんなら忍び込んで、あたしに命令するかもしれません」
「アミーがどこから忍び込むというのだ?」
「東曲輪(あがりくるわ)です。佐敷ヌル様の屋敷の裏から忍び込めます」
「何を言っているんだ。あそこは崖だぞ。登れるわけがない」
「佐敷ヌル様の屋敷のそばに物見櫓(ものみやぐら)がありますが、あそこは非常時以外、見張りの兵はいません。外から石垣に登って、石垣に取り付いたまま、佐敷ヌル様の屋敷の裏まで移動して、忍び込むのです」
「どうして、お前がそんな方法を知っているんだ?」
「このグスクを守るために、あたしなりに調べました。アミーさんだったら、どうやって忍び込むだろうって考えたのです」
 サハチはハルと一緒に東曲輪の外に出てみた。石垣の高さは二丈(約六メートル)近くもあった。物見櫓が見える所まで来て、さらに進むと険しい崖になっていた。
 ハルは懐(ふところ)から鉤(かぎ)の付いた縄を取り出して、石垣を目掛けて投げ付けた。鉤が石垣の上部に引っ掛かった。
「お前、いつも、そんな物を持ち歩いているのか」とサハチは驚いてハルに聞いた。
「いつ何が起こるかわかりません。お守り代わりに持っています」とハルは笑った。
 まるで、ウニタキのようだと思い、サハチはハルを見て笑った。
 ハルは縄に取り付くと素早く石垣を登って、一番上に手を掛けると、そのまま右側に移動して、サハチに登るように言った。
 サハチは縄を頼りに石垣に登って、一番上に手を掛けた。
「行きますよ」と言って、ハルは石垣にぶら下がったまま右の方に移動した。サハチもハルのあとを追った。下を見ると険しい崖で、落ちたら死ぬだろう。
 佐敷ヌルの屋敷の裏まで行くと、ハルは石垣の上に登って、サハチが来るのを待った。
 サハチも石垣の上に登って、鉤付き縄をハルに返した。
 ハルは笑って鉤付き縄を受け取ると、その縄を使ってグスク内に潜入した。サハチもあとを追った。
「まいったな」とサハチは言った。
「簡単に潜入できるな」
「物見櫓の上に常備、兵を置けば防げます」とハルは言った。
「夜は防げんだろう」
「篝火(かがりび)でも焚いて明るくするしかないですね」
 佐敷ヌルの屋敷の裏から出ると、娘たちの剣術の稽古が始まる所だった。
「あたしも教えなくちゃ」と言って、ハルは佐敷ヌルの屋敷に入って、木剣を持って娘たちの所に行った。
 サハチは物見櫓に登って、石垣の外を眺めた。ここに見張りの兵がいれば、アミーも石垣には近づけないだろう。しばらくの間、交替で見張りをここに立たせようと決めた。
 サハチは西曲輪(いりくるわ)の方を見た。同じやり方で、西曲輪のサムレー屋敷の裏から潜入する事ができると思った。サハチは一の曲輪を見た。石垣をずっと伝わって行けば、一の曲輪の屋敷の裏にも潜入できた。西曲輪にも物見櫓を造って、石垣の外を見張らせなければならないと思い、すぐに実行に移した。
 三日後、今年二度目の進貢船(しんくんしん)が船出して行った。
 正使は宇座按司(うーじゃあじ)の長男のタキだった。タキは山南王の正使として三度、明国に行っていた。大グスク大親の讒言(ざんげん)によって、山南王のもとを離れる事になり、中山王に仕える事になった。タキの妻は中山王の重臣の中北大親(なかにしうふや)の娘で、中北大親は娘婿のタキが戻ってくれた事を喜んでいた。タキは名前を改め、島尻大親(しまじりうふや)を名乗って中山王の正使となった。副使は去年、サングルミーの副使を務めた末吉大親(しーしうふや)、サムレー大将は伊是名親方(いぢぃなうやかた)、従者として行ったのは中山王の重臣の倅たちだった。

 

 

 

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