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長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部はその後の尚巴志の活躍です。お楽しみください。

63.サミガー大主の死(最終決定稿)

尚巴志伝 第一部

 ウニタキか久し振りに現れた。フカマヌルと一緒に、どこかに消えてから四か月が過ぎていた。
 城下の『まるずや』に行くと、裏の屋敷で、ウニタキは陽気に三弦(サンシェン)を鳴らしていた。
「また勝連(かちりん)に行っていたのか」とサハチは隣りに座ると聞いた。
「勝連じゃない。久高島だ」
「ええっ!」とサハチはウニタキを見た。
 その答えは意外だった。フカマヌルとの関係は隠し通すに違いないと思っていた。ウニタキは、あっさりと白状した。
「俺はすっかり、フカマヌルに骨抜きにされちまった」
 ウニタキは照れ臭そうに笑って、三弦を鳴らした。
「馬天ヌルから聞いていると思うが、俺は佐敷グスクの東曲輪(あがりくるわ)でフカマヌルと会った。出会った途端に、俺は一目惚れしてしまった。まるで、初めて女に惚れたような感じだった。フカマヌルは俺をじっと見つめていた。言葉なんか何もいらなかった。俺はフカマヌルを連れて、あちこちに行った。フカマヌルは何を見ても驚いていた。そんなフカマヌルを見ているのが、とても幸せだったよ。ずっと、一緒にいたいと思った。でも、こんな事を続けてはいられないと思って、フカマヌルを島添大里(しましいうふざとぅ)グスクに連れて行って別れた。お互いに、もう二度とは会うまいと言って別れたんだ。ところが、そう簡単に別れる事はできなかった。フカマヌルの顔が頭の中にちらついて、何をやっても集中できないんだ。俺はフカマヌルの不思議な力に引っ張られるように、久高島に渡った」
「ずっと、久高島にいたのか」
 ウニタキはうなづいた。
「ずっと、フカマヌルと一緒に暮らしていたんだ。家族も捨てて、何もかも捨てて、ずっと一緒にいようと思っていた」
 ウニタキがそんなにもフカマヌルに夢中になるなんて意外な事だった。何事も冷静に対処する男だと思っていたが、ウニタキもやはり、惚れた女には弱いようだ。
「よく帰って来られたな」
「フカマヌルもこんな事を続けていては駄目だと思ったのだろう。フボーヌムイというウタキに籠もってしまった。俺も島から出ようと思ったが、フカマヌルと別れる事はできなかった。ウタキに男が入ってはならない事は知っていたが、俺はそれを犯してまでも、フカマヌルに会いたかった。俺がウタキに入ろうとした時、突然、雷が鳴った。多分、俺は雷に打たれたのだろう。しばらく、気を失っていたらしい。気がつくと土砂降りの雨の中で俺は寝ていた。俺は起き上がった。頭の中が、もやっとしていて、どうしてこんな所にいるのかもわからなかった。とにかく、フカマヌルの家まで帰って来て、また、眠ってしまったらしい。目が覚めると朝になっていて、少しづつ、昨日の出来事が思い出された。雷に打たれて、気絶した時に聞いた神の声も思い出したんだ」
「なに、神の声を聞いたのか」
 ウニタキはうなづいた。
「俺には何の事だか、意味がわからなかった。俺は海を眺めながら、ずっと考えた。そして、ついに答えがわかって戻って来たんだ。不思議とフカマヌルの事を吹っ切る事ができた。もしかしたら、神の声を聞かせるために、フカマヌルが俺を久高島に呼んだのかもしれないと思えるようになったんだ」
「神は何と言ったんだ」
「それは言えない。誰にも言ってはならんと言われた」
「そうか‥‥‥とにかく、無事に帰って来て、よかった。ところで、フカマヌルが俺の妹だって知っているのか」
「フカマヌルから聞いて驚いたよ」
「そうか」
 ウニタキは三弦を鳴らして、サハチを見ると、「お前にも驚く事を教えてやる」と言った。
「何だ」
浦添の『よろずや』のムトゥがグスクに出入りする事が認められて、侍女たちのお頭のような女と会う事ができたんだ。浦添グスクの中に、御内原(うーちばる)と呼ばれる奥方や側室たちが住む一画があって、そこを取り仕切っている女なんだ」
「グスクの中にそんな所があるのか」
「男は王とその息子以外は入れないらしい。その女なんだが、八重瀬(えーじ)から来た侍女だった」
「例の絶世の美女だった女か」
「そうらしい。すでに五十になっているようだが、相変わらず美しい女だそうだ。ナーサという名で、なぜだか知らんが、ムトゥが気に入られた。部屋まで呼ばれて、ジーファー(簪(かんざし))やら白粉(おしろい)やらを買ってくれたらしい。近いうちにナーサに頼んで、配下の娘を侍女として入れようと思っている」
「グスク内に仲間を入れる事ができれば、グスク内の様子がわかるな。五年前の婚礼の時、浦添グスクの中に入ったが、中はかなり広い。ただ、内通者に門を開けさせて、攻め込めば落とせるというグスクではない。中の様子を知らなければ、迷っているうちにやられてしまう。グスク内の絵図を作らなければ、あのグスクを落とす事はできないだろう」
「任せておけ」
「頼むぞ」
 サハチはウニタキの顔を見て笑った。
「お前のような男が、女によって骨抜きにされるなんて思わなかったぞ」
「女は魔物だよ。だから、どうしようもなく可愛いのだろう」
 ウニタキは三弦を鳴らしながら、歌を歌い始めた。意外にも、張りのある声で歌もうまかった。久高島で、毎日、フカマヌルを相手に恋の歌を歌っていたのかもしれない。その姿を想像したら、吹き出してしまう程におかしかった。
 十月九日、祖父が倒れたとの知らせが届いた。突然の事なので、サハチは驚いた。祖父はすでに七十を過ぎているが、相変わらず元気だった。倒れるなんて考えてもいなかった。
 サハチはすぐに佐敷に向かった。祖父の隠居屋敷がある辺りは、家々がかなり建ち並び、『新里(しんざとぅ)』と呼ばれるようになっていた。
 ササが縁側で泣いていた。サハチが近づくと顔を上げて、「お爺様が逝っちゃうわ」と言った。
 サハチは慌てて屋敷に上がった。馬天ヌルに教えられて、祖父が寝ている部屋に入った。祖母が枕元に座っていた。サハチが祖母の隣りに座ると祖父は目を開けた。
「サハチか‥‥‥」と祖父は弱々しい声で言った。
「お爺」とサハチは言った。
 言いたい事がいっぱいあったはずなのに、言葉にならなかった。
「大丈夫じゃ」と祖父は言って、微かに笑うと目を閉じた。
 馬天ヌルに言われて、サハチはウニタキと会い、父を呼ぶように頼んだ。馬天ヌルは目を潤ませて、寿命だから仕方がないと言って首を振った。せめて、父がキラマの島から来るまで、逝かないでくれと祈った。
 その夜、親戚の者たちが集まって来た。サハチも島添大里に帰らずに祖父の屋敷に泊まった。
 祖父は時々、苦しそうに咳き込みながらも、父が来るまで、必死になって生き延びようとしているようだった。クマヌが薬草で作った薬を飲むだけで、何かを食べる事もできなかった。
 隣りの部屋で祖父を見守りながら、叔父のウミンターが、「サミガー大主(うふぬし)の名は重すぎる」と言った。
 サハチはウミンターを見た。目が真っ赤だった。
「親父が隠居して、わしが跡を継いだ時、親父は『サミガー大主』の名も継げと言ったんじゃが、わしは断ったんじゃよ。まだ、わしはその名を継げんと言ってな。親父は、そうかと言っただけじゃったが、今になって思えば、わしに継いでもらいたかったのかもしれん」
 サハチはウミンターの顔を見ているだけで、何も言わなかった。しみじみと叔父の顔を見ていると若かった頃のお爺とよく似ている事に気づいた。
「ウミンチュたちにとって『サミガー大主』というのは、尊敬すべき海の男の名前なんじゃ。わしは二代目になって、その名を汚(けが)す事が怖かった。とても、親父を超える事なんてできないと自分で決めていた。親父は、わしが親父を超えて行く事を願っていたのかもしれん。しかし、わしは失敗するのを恐れて、逃げていたんじゃよ」
 ウミンターは静かに泣いていた。海が好きだった叔父は、当然のように祖父の跡を継いだ。何の問題もなかったと思っていたが、祖父の跡を継ぐというのは簡単な事ではないという事をサハチは初めて知った。若い頃に勝連に行った時、ウミンチュに『サミガー大主』の名を言ったら、サハチは大歓迎された。勝連だけでなく、『サミガー大主』を慕っているウミンチュは各地にいるのかもしれなかった。
 佐敷ヌルは祖父にお腹の赤ん坊の事を話していた。祖父は嬉しそうに笑ったという。
 『よろずや』の主人のキラマも、島尻大里(しまじりうふざとぅ)から馬を飛ばしてやって来ていた。キラマにとって祖父はカマンタ捕りの師匠だった。詳しい事まで知らないが、キラマは祖父に命を助けられた事があると以前、言っていた。いつか、恩を返さなくてはならないと言っていた。三十年以上も祖父と一緒に海に潜っていれば、色々な事があったのだろう。キラマは祖父の寝顔を見つめながら、昔の事を思い出しているようだった。
 サハチも昔の事を色々と思い出していた。子供の頃、妹のマシューと一緒に祖父の小舟(さぶに)に乗って沖に出た事があった。祖父の逞(たくま)しい背中を見て、サハチも祖父のようなウミンチュになりたいと思っていた。もし、戦がなかったら、今頃はウミンチュとして暮らしていたかもしれない。九歳の時に戦が起こって、父は佐敷按司となり、サハチは若按司となった。父が按司になれたのも、祖父のお陰だった。鮫皮で稼いだ銭や武器があったから、父は按司になれたという事をサハチはあとになって知った。
 二十一歳の時に馬天浜に来てから隠居するまでの四十年間、祖父は鮫皮を作り続けてきた。四十年といえば長い歳月だった。祖父が馬天浜に来た時、母方の祖父、美里之子(んざとぅぬしぃ)も馬天浜にいたと祖父は言っていた。そこで、大(うふ)グスク按司の娘だった祖母と出会い、二人して祖母に惚れて、祖父が祖母を勝ち取ったと誇らしげに言っていた。
 隠居してからも、のんびりする事なく、八年間も旅を続けて、若い者たちを集めてくれた。それでも、旅をしていた時の祖父は楽しそうだった。思う存分、旅ができて思い残す事はないと言っていた。対馬島に連れて行くと約束したのに‥‥‥
 ウニタキに頼んだ日から五日後、父がようやく現れた。
 父が枕元に座ると、祖父は嬉しそうに笑った。
「お前たちのお陰で、楽しい一生じゃった。ありがとう」
「親父、何を言っておる。まだ、途中じゃ。最後まで見届けてくれ」
 父の言葉に祖父は微かにうなづいた。
「戦のない世の中を作ってくれよ」
 それが祖父の最期の言葉だった。祖父は目を閉じると再び、目覚める事はなかった。
 父は祖父のごつい手を握りしめて泣いていた。
 サハチも涙を止める事はできなかった。
 ウミンターは声を上げて泣いていた。
 次の日の正午頃、葬儀の準備をしていると、馬天浜からウミンチュが駈け込んで来て、浜が大変だという。
 何事かと行ってみると、数え切れない程の小舟が帆を上げて、浜に向かって来ていた。その数は何百という程、物凄い数だった。祖父の死を知って集まって来たウミンチュたちだった。
「こいつは大変だ!」とウミンターが叫んで、自分の屋敷に走って行った。
「凄いのう」と父が小舟に埋まった海を眺めながら言った。
「噂を聞いただけで、これだけのウミンチュが集まって来る。もし、親父が一声掛けたら、きっと、琉球中のウミンチュが集まったかもしれんぞ」
 サハチは祖父の偉大さを改めて思い知った。亡くなった祖父の事が噂になって、こんなにもウミンチュが集まって来るなんて、とても信じられなかった。
 ウミンターは女たちを集め、集まって来たウミンチュたちのために炊き出しを始めた。酒も用意された。馬天浜から祖父の屋敷までの道順もわかりやすいように、道々に矢印を書いた立て札も設置した。
 新里の屋敷の方でも大忙しだった。途切れる事なく続く弔問(ちょうもん)客の応対で、休む間もない程に忙しかった。
 禅僧のソウゲンが声を嗄らしてお経をあげていた。元(げん)の国に留学していたソウゲンは、戦が始まったため、ヤマトゥに帰れなくなってしまった。何とか、琉球までやって来たら、琉球が気に入って、長い間、サミガー大主の離れに滞在していた。サハチの父が佐敷按司になるとその家臣となり、サハチや弟たちの教育を担当していた。
 その夜、馬天浜はサミガー大主を偲ぶウミンチュたちで溢れていた。ウミンターの離れに入りきらない者たちは、浜辺で焚火を囲んで、サミガー大主の事を語り合っていた。
 弔問客もいなくなった祖父の屋敷では、みんながぐったりと疲れ切っていた。
「懐かしい人たちがみんな、いらしてくれましたわ」と祖母は目を潤ませて言った。
「あの人もきっと喜んでいる事でしょう。わたし、あの人に内緒にしていたのですけど、馬天浜にお嫁に来たのは、わたしの意思だったのですよ。わたし、十六歳の時の浜下(はまう)りで、あの人に一目惚れしてしまったのです。でも、相手はウミンチュ、かなわないものと諦めていました。だけど、あの人はただのウミンチュではなかったのです。鮫皮を作って、ヤマトゥと取り引きをして、大量の鉄を手に入れました。あの人はその鉄で鍋や農具を作って、村人たちに配りました。その事は父の耳にも入って、あの人はグスクに呼ばれて来たのです。父はあの人を褒めて、御褒美(ごほうび)を上げると言いました。あの人はわたしをお嫁に欲しいと言いました。わたしは嬉しくて、飛び上がらんばかりの気持ちでした。父は鮫皮を作っている所に、お嫁に行ったら苦労するからやめなさいと言いました。でも、わたしはあの人のお嫁さんになりたいと言ったのです。わたしはあの人と一緒になって、苦労した事なんて一度もありません。ずっと、幸せでした。ありがとうございました」
 祖母はそう言うと両手を合わせた。
 祖母の話を聞いて、皆が涙を流していた。
「お母さん、ありがとう」と馬天ヌルが涙を拭きながら言った。
「お婆、ありがとう」とサハチも感謝した。
 お爺がお婆に一目惚れして、お婆もお爺に一目惚れした。ここに集まっている子供たち、孫たち、ひ孫たちは、その時から始まったのだった。大グスクのお姫様だったお婆が、ウミンチュのお爺のもとに嫁いで来なかったら、今はなかった。サハチは祖父と祖母に心から感謝していた。
 しんみりとした場を和ませようと馬天ヌルが、「それにしても、凄かったわねえ。お父さんたら、亡くなっても、あたしたちをこき使ったわ」と言って、皆を笑わせた。
「お爺様って凄い人だったのですねえ」とササが感心しながら言った。
 ササが生まれた時、祖父は隠居して、ずっと旅に出ていた。ササにとって、祖父は旅をしているお坊さんだった。
 次の日、馬天ヌルと佐敷ヌルの昇天の儀式のあと、木棺(もっかん)に入った祖父は大勢のウミンチュたちに見送られて、近くにあるガマ(洞穴)の中に運ばれて安置された。葬儀に集まった人たちは一千人を超えているようだった。
 葬儀が済むとウミンチュたちも引き上げて行った。
 父は後片付けを手伝い、次の日、キラマの島に戻って行った。
 佐敷ヌルの妊娠を知らせると、「何じゃと!」と父は怖い顔をして怒鳴った。
 馬天ヌルの時の反応と違うので、サハチは驚いた。
「相手は誰じゃ」と父は怒ったような顔をして聞いた。
「サイムンタルー殿の弟のシンゴです」
「あいつか‥‥‥」と言ったあと、父は黙り込んでしまった。
 サハチは佐敷ヌルから聞いたシンゴとの出会いの事を話した。
「お前は知らなかったんじゃな」
「ええ、馬天ヌルの叔母さんと一緒にマシューを問い詰めて、初めて知ったのです」
「そうか‥‥‥マシューは今、いくつになったんじゃ」
「俺より二つ下ですから二十九です」
「マシューが、もう二十九にもなったのか‥‥‥もう大人じゃ。祝福してやれ」
「マシューに直接言ってやって下さい。親父の事を気にしているようですから」
 父はわかったというようにうなづいた。
 父が帰るとサハチとマチルギも子供たちを連れて島添大里グスクに帰った。
 葬儀が終わったあと、ウミンターは、『サミガー大主』の名を継ぐと言っていた。偉大な親父に負けないように、必死になって頑張ると言っていた。
 祖父の死から一ヶ月後、佐敷ヌルは女の子を産んだ。シンゴの母親の名前をもらって、マユと名付けられた。
 先代のフカマヌルも馬天ヌルも佐敷ヌルも、マレビト神と結ばれて、跡継ぎになるべき女の子を産んでいるのが不思議だった。