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長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部はその後の尚巴志の活躍です。お楽しみください。

2-62.具志頭按司(第二稿)

 九月十日、平田グスクでお祭りが行なわれた。
 お祭り奉行の佐敷ヌルは、ヒューガの娘のユリと一緒に張り切って準備に明け暮れた。メイユー、リェンリー、ユンロンの三人も手伝ってくれた。初めての大々的なお祭りなので、平田大親(ひらたうふや)(ヤグルー)の妻、ウミチルも張り切って、娘たちに笛や踊りの指導をしていた。
 お祭りの当日、太鼓や法螺貝(ほらがい)の音に誘われて、人々が続々と開放されたグスクに集まって来た。
 フカマヌルも娘のウニチルを連れて、母親のフカマヌルと一緒にやって来た。まぎらわしいが、母も娘もフカマヌルだった。母は平田のフカマヌルで、娘は久高島のフカマヌルだった。
 佐敷からクルー夫婦と佐敷大親(マサンルー)の妻のキクが子供たちを連れてやって来た。女子(いなぐ)サムレーも一緒だった。
 首里(すい)から伊是名親方(いぢぃなうやかた)(マウー)が配下のシラーとウハを連れて、馬に乗ってやって来た。三人とも平田大親と一緒に明国に行っていた。伊是名親方は今まで平田大親とは交流がなかったが、共に辛い旅を経験して仲よくなっていた。もっとも、伊是名親方が平田に来たのは平田大親に会うためだけではなく、リェンリーに会うためだった。妻の手前、首里では会えないので平田までやって来たのだった。
 島添大里(しましいうふざとぅ)からはナツとマカトゥダルが、サハチの子供たちを連れてやって来た。ウニタキの妻のチルーも子供たちを連れて一緒にいた。子供たちを守るために慶良間之子(きらまぬしぃ)(サンダー)と女子サムレーも付いて来た。
 慶良間之子の目当てはユンロンだった。慶良間之子は非番の度にユンロンと会っていた。妻も薄々気づいているようで、はっきりとは言わないが、最近はずっと機嫌が悪かった。そんな妻の顔を見ていると、余計にユンロンに会いたくなるのだった。
 知念(ちにん)の若按司夫婦も子供たちを連れて来てくれた。
 馬天浜(ばてぃんはま)のシタルーは宇座按司(うーじゃあじ)の娘のマジニを連れて、仲よくやって来た。明国から帰って来たシタルーはお土産を持って宇座に行き、マジニに自分の気持ちを打ち明けた。マジニは喜び、宇座按司も許してくれた。
 シタルーは昨日、馬に乗って宇座に行き、マジニを馬天浜に連れて来て、両親(サミガー大主夫婦)に紹介した。両親は突然の事に目を丸くして驚いたが、大喜びしてくれた。嫁をもらう事にまったく興味を示さなかったシタルーが、こんなにもいい娘さんを連れて来るなんて夢にも思っていなかった。しかも、宇座按司の娘だという。両親は良縁を授けてくれた神様に感謝をした。
 平田グスクは十年前に、佐敷大親が築いたグスクだった。
 長男のサハチがマチルギを嫁にもらう時、佐敷グスクを拡張して東曲輪(あがりくるわ)を造った。次男のマサンルーは奥間大親(うくまうふや)(ヤキチ)の娘を嫁にもらって、ヒューガが住んでいた屋敷に入った。その頃、ヒューガは山賊となって運玉森(うんたまむい)に住んでいた。三男のヤグルーの嫁は玉グスク按司の娘だったので、グスク内に住まわせた方がいいだろうと東曲輪に屋敷を新築した。三男夫婦をグスク内に住ませ、次男夫婦をグスクの外に住ませるのもおかしなものだと、ヒューガの屋敷に住んでいたマサンルー夫婦を東曲輪の本屋敷に入れた。当時、サハチ夫婦は一の曲輪の屋敷に住んでいて、隠居した父は久高島にいたし、二人の妹たちも嫁ぎ、マサンルー夫婦が本屋敷に入る事ができたのだった。
 それから四年後、四男のマタルーが八重瀬按司(えーじあじ)(タブチ)の娘を嫁にもらう事になった。さて、マタルー夫婦の屋敷をどうしようかと考えていた時、マサンルーが平田にグスクを築いて移ると言い出した。サハチたちも賛成してグスクを築き、マサンルーが平田グスクに移り、ヤグルーが東曲輪の本屋敷に移り、マタルー夫婦は新屋敷に入った。
 それから三年後、サハチは島添大里グスクを奪い取って島添大里グスクに移り、マサンルーは佐敷大親になって佐敷グスクに戻り、一の曲輪の屋敷に入った。東曲輪の本屋敷にいたヤグルーが平田大親になって平田グスクに移り、マタルーが東曲輪の本屋敷に入った。その翌年、末っ子のクルーが山南王(さんなんおう)(シタルー)の娘を嫁に迎え、東曲輪の新屋敷に入った。マタルーが与那原大親(ゆなばるうふや)になって出て行くと、クルー夫婦は本屋敷に移り、今、新屋敷は空いていた。あと四、五年もすれば佐敷大親の長男が嫁を迎えて入る事だろう。
 マサンルーが平田グスクにいた時、家臣は五十名だったが、ヤグルーが入った時、家臣は倍の百人になった。ヤグルーはグスクを拡張した。以前は一つの曲輪だけだったが、裏山を切り崩して新しい曲輪を造り、土塁で囲み、そこを一の曲輪にして、以前の曲輪を二の曲輪にした。一の曲輪に屋敷を新築して、以前の屋敷はサムレーたちの屋敷にした。お祭りで開放したのは二の曲輪だった。
 二の曲輪内に舞台を作り、酒や食べ物を振る舞う屋台がいくつも並び、揃いの着物に着飾った女子サムレーたちが配っている。
 舞台では娘たちが歌や踊りを競い合っていた。平田の娘、佐敷の娘、島添大里の娘、知念の娘、久高島の娘と津堅島(ちきんじま)の娘も来ていた。娘たちを応援するために各地から集まって来た人々は、楽しそうな顔をして拍手を送ったり、指笛を鳴らしていた。進行役の佐敷ヌルとユリはメイユーが贈った明国の着物を着ていた。身分の高い女の人が着る高級な着物だという。二人は何を着ても似合っていた。
 娘たちの競演が終わると、女子サムレーたちの剣術の模範試合が行なわれ、メイユー、リェンリー、ユンロンの三人も明国の剣術を披露した。シラーとウハは明国で身に付けた少林拳(シャオリンけん)を披露した。
 シラーとウハは共に伊是名親方の配下のサムレーで、下っ端なので順天府(じゅんてんふ)(北京)までは行けず、ずっと泉州の来遠駅(らいえんえき)にいた。来遠駅の守備兵に少林拳の名人がいて、二人は滞在中、少林拳の修行に励んでいたのだった。ウハはヤンバル生まれで、ヒューガの配下の者に連れられてキラマ(慶良間)の島に行き、武術の修行を積んでいた。
 武器を持たずに素手で戦う少林拳は見物人たちの興味を引き、皆、真剣な顔付きで、二人の素早い動きを追っていた。
 武術の演武が終わると飛び入りの芸能大会が行なわれ、各自、自慢の芸を披露した。笑われる者がいたり、冷やかされる者がいたり、喝采(かっさい)を送られる者がいたりと、皆、楽しそうに舞台を見ていた。
 舞台から少し離れた所にある縁台では、平田大親が弟のクルーと酒を飲みながら明国での思い出を語り合っていた。
「八重瀬按司(タブチ)があんなにも達者に明国の言葉をしゃべるなんて驚いたな」と平田大親が言うと、
「八重瀬按司は三度も明国に行ってますからね。去年はマサンルー兄貴とマタルー兄貴も八重瀬按司のお世話になっています」とクルーが言った。
「そうらしいな。あれだけしゃべれれば使者も務まりそうだ」
「ええ。それよりも米須按司(くみしあじ)が順天府まで来たのには驚きましたね」
「米須按司は八重瀬按司と仲がよかったようだから、八重瀬按司から話を聞いて、明国に行きたくなったんだろう」
「順天府の会同館で再会を喜んでいましたね」
「順天府まで行って、知人と会う事など滅多にない。たとえ、知人でなくても同じ琉球人(りゅうきゅうんちゅ)なら懐かしく思うもんだ」
「確かにそうですね。順天府まで行ったら、中山(ちゅうざん)だの山南だのなんてどうでもいい事です。同じ言葉をしゃべるだけで仲よくなれますよ」
 平田大親はうなづき、「明国というのはとてつもなく大きな国だ。あの大きさというのは実際に行ってみなくてはわからん。明国に行って来て本当によかったと思っている」としみじみと言った。
 舞台では『浦島之子(うらしまぬしぃ)』というお芝居が始まっていた。
 佐敷ヌルが対馬にいた時、船越のアマテル神社のお祭りがあった。土寄浦(つちよりうら)にいた佐敷ヌルはフカマヌルと一緒に船越に戻ってお祭りを楽しんだ。その時、旅芸人の一座が来ていて、『浦島之子』のお芝居を演じた。佐敷ヌルは初めて見るお芝居に感激して、琉球のお祭りで演じたいと思った。旅芸人たちから詳しい話を聞いて、琉球に帰って来てから準備を進めた。首里のお祭り、島添大里のお祭り、佐敷のお祭りでは準備が整わなかったが、平田のお祭りには間に合ったのだった。
 佐敷ヌルが琉球を舞台にした話を作り、その話に合わせてユリが曲を作り、ウミチルが踊りを考え、平田の女子サムレーによって演じられた。舞台の背景の絵はイーカチが描いていた。
 馬天浜で子供たちにいじめられている亀(かーみー)を助けた浦島之子は、亀の背中に乗って海の彼方にある龍宮(りゅうぐう)に行く。龍宮では美しい乙姫様(おとひめさま)に歓迎される。浦島之子は乙姫様と結ばれて、夢のような日々を送る。あっという間に三年が過ぎ、浦島之子は故郷に帰りたくなる。
 乙姫様から、「決して開けてはなりません」と言われ、玉手箱をもらって故郷に向かう。故郷に帰ると七百年の月日が経っていた。知っている人は誰もいない。呆然として海を眺めていた浦島之子は玉手箱を開けてしまう。
 玉手箱から煙が立ち上り、浦島之子は急に白髪のお爺さんになって亡くなってしまう。やがて、鶴に変身した浦島之子は龍宮へと飛び立つ。龍宮では亀に変身した乙姫様が待っていた。再会を喜んだ鶴と亀は共に長生きをして幸せに暮らした。
 女子サムレーのナカウシが浦島之子を演じ、ミニーが亀を演じ、チリが乙姫様を演じた。亀をいじめていた子供たちは、そのあと着替えて、龍宮の舞姫たちを演じた。物語は笛と太鼓の音に合わせて進み、ゆっくりとした会話と歌で物語を説明していた。
 浦島之子が亀の背中に乗って移動する場面は、木で作った甲羅を背負ったミニーが四つん這いになって、ナカウシを乗せたが、ナカウシの足もミニーと一緒に歩いていたので、見ている者たちを笑わせた。
 龍宮は首里グスクの百浦添御殿(むむうらしいうどぅん)にそっくりだった。背景に描かれた龍宮の前で、浦島之子と乙姫様が仲よくお酒を飲みながら、舞姫たちの踊りを見ている。舞姫たちは明国の妓女(ジーニュ)のような華やかな着物を着て華麗に舞っていた。亀がのそのそと出て来て、三年が過ぎた事を教えた。
 玉手箱を持って馬天浜に戻って来た浦島之子が玉手箱を開けて、変身する場面が最大の見せ場だった。岩の上に座って玉手箱を開けると紙吹雪が飛び出し、紙吹雪が舞っている間に、ナカウシは白髪頭の老人に変身した。そして、苦しみながら亡くなり、岩陰に隠れて鶴に変身して出て来た。大きな羽根を羽ばたかせながら飛んで行き、龍宮で乙姫様と再会する。乙姫様は乙姫様の格好のまま甲羅を背負って、亀になった事を表現していた。舞姫たちが二人を祝福するように踊って、お芝居は終わった。
 観客たちは拍手を送り、指笛が飛び交った。琉球で最初に演じられたお芝居は大成功に終わった。
 その後、子供たちの笛の合奏、ミヨンの歌と三弦(サンシェン)が披露され、ユリ、チタ、佐敷ヌル、ウミチルの笛の競演が行なわれ、最後は調子のいい曲に会わせて、みんなが踊って終わりとなった。
 平田のお祭りから一月余り経った十月十四日、馬天浜でお祭りが行なわれた。七年前、先代のサミガー大主(うふぬし)が亡くなった日だった。今までは身内だけで集まって、サミガー大主を偲んでいたが、サミガー大主を慕っていたウミンチュたちが自然と集まって来るようになっていた。島添大里のお祭りを復活させ、佐敷と平田のお祭りを始めたように、馬天浜のお祭りも恒例行事として始めたのだった。
 馬天ヌル、佐敷ヌル、サスカサがサミガー大主夫婦のお墓の前でお祈りを捧げ、馬天浜に移ってお祭りは始まった。ウミンチュたちが各地から集まって来て、馬天浜は小舟(さぶに)で埋まり、対馬館の大広間から砂浜に至るまで、ウミンチュたちの酒盛りが始まった。
 対馬館の庭に作った舞台では『サミガー大主』と題したお芝居が演じられた。演じたのは島添大里と佐敷の女子サムレーたちだった。平田のお祭りで演じた『浦島之子』の評判がよかったので、佐敷ヌルが祖父の話をお芝居にしたのだった。一月余りしかなかったので、お芝居の中で流れる曲や踊りは『浦島之子』とほとんど同じで、歌詞だけを変えた。
 伊是名島(いぢぃなじま)で鮫皮を作っていたサミガー大主はヤマトゥからの船が来ないので島を追い出される。今帰仁(なきじん)の近くの海で夜を明かした時、夢の中に鎧武者(よろいむしゃ)が現れて、「馬天浜に行け」と言われる。
 サミガー大主は夢のお告げを信じて、馬天浜に行く。馬天浜で鮫皮作りに励んでいるとヤマトゥの船がやって来る。サミガー大主は鮫皮と大量の鉄を交換して、浜の人たちに喜ばれる。その事は大(うふ)グスク按司の耳にも入り、御褒美として大グスク按司の娘、マシューをお嫁にもらう。お姫様姿のマシューが馬天浜に嫁いで来て、浜の人たちに祝福されてお芝居は終わる。
 サミガー大主を演じるリンが、穴の空いた船から足を出して移動する場面では皆が大笑いした。岩陰で眠っているサミガー大主の枕元に、突然現れた鎧武者は見ている者たちを驚かせた。幕の後ろに隠れていた鎧武者を、幕を一瞬のうちに下ろして見せただけなのだが、見ている者たちは鎧武者が突然、出現したと思い、驚いていた。
 サミガー大主が水中で人喰いフカ(鮫)と戦って見事に勝つ場面もあった。フカを擬人化して、フカの顔を描いた烏帽子(えぼし)をかぶったマイがフカを演じ、飛んだり跳ねたりしながら、サミガー大主を演じるリンと見事な棒術の演武を披露した。
 ヤマトゥの船が来た時は浜の娘たちが華麗に踊り、大グスクのお姫様が嫁いで来た時は全員で祝福の踊りを踊って幕は下りた。お芝居を観ていたウミンチュたちは笑いながらも、サミガー大主を思い出して泣いている者も多かった。
 馬天浜のお祭りの次の日、三姉妹の船は明国に帰って行った。メイユーはマチルギの許しを得て、サハチの側室になっていた。
 それから三日後、与那原グスクが完成し、運玉森ヌルによって儀式が行なわれ、マタルーは正式に与那原大親に就任した。
 メイユーたちがいなくなって、何だか急に静かになったように感じられた。
 マチルギはイーカチから各地の様子を知らされた。
 山北王(さんほくおう)は弟の湧川大主(わくがーうふぬし)に奄美大島を攻めさせた以外は目立った動きはないようだった。明国の海賊、リンジェンフォンの船は今年も三隻でやって来て、進貢船を出すよりもかなり多くの商品を持って来ていた。リンジェンフォンも南蛮(東南アジア)との交易をやっているらしく、南蛮の品々も数多く持って来ていた。交易を担当していた湧川大主がいないので、山北王は忙しく、弟を奄美に行かせたのは失敗だったとぼやいているという。
 山南王は完成した長嶺(ながんみ)グスクに、娘婿を長嶺按司に任命して守らせたという。そして、ヒューガが調べた所によると、山南王は粟島(あわじま)(粟国島)で密かに兵を育てているらしい。
「あたしたちの真似をしているのね」とマチルギが言うと、イーカチはうなづいた。
「今の兵力では中山王にはかないませんからね。兵力を育てるのは当然の事です。ただ、どこで育てているのかわからなかったのです」
「その粟島ってどこにあるの?」
「キラマよりかなり北(にし)の方です。あそこから糸満(いちまん)に来るには、風に恵まれなければ一日では来られないでしょう」
「そう」と言いながら、マチルギは久し振りに船に乗りたくなっていた。しかし、今は船には乗れなかった。お腹に赤ちゃんがいるのだった。この年齢でお腹が大きくなるなんて恥ずかしかったが、今後の事を思えば子供は一人でも多い方がいい。でも、子作りは今回で最後にしようと思っていた。
「何となく、具志頭(ぐしちゃん)で何かが起こりそうです」とイーカチは言った。
「どういう事?」とマチルギは聞いた。
「タブチの留守中に具志頭の若按司に山南王の娘が嫁ぎました。具志頭グスクは八重瀬グスクの東(あがり)にあります。八重瀬グスクは島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスクと具志頭グスクに挟まれた格好です。タブチにしてみれば目障りな存在でしょう。明国から帰って来たタブチが動くかと思われましたが、その素振りは見せませんでした。ところが今月の初め、隠居していた先代の具志頭按司が亡くなりました。それから何日かして、島添大里按司として戦死したヤフスの妻だった具志頭按司の姉が、八重瀬按司を訪ねているのです。奥間(うくま)からタブチに贈られた側室によると、具志頭按司の姉は自分の倅が按司になれるようにタブチに頼んだようです。タブチははっきりと返事をしなかったようですが、もしかしたら動くかもしれません」
 八重瀬城下にはウニタキの配下の研ぎ師のハンルクがいた。十年以上、城下に住んでいるのでタブチにも信頼されている。奥間から側室が贈られたのは二年前で、その側室から得た情報はハンルクを通してイーカチに知らされた。タブチの動きは筒抜けになっていた。
具志頭按司の姉が弟を滅ぼして、自分の息子を按司にしようとたくらんでいるの?」とマチルギは聞いた。
「そうです。本来ならヤフスが具志頭按司になり、その息子が若按司になるはずだったのです。ところが、ヤフスが島添大里で戦死してしまったため、ヤフスの倅は按司になれなくなってしまいました」
「それにしたって、実の弟を倒すなんて考えられないわ」
「女は怖いですよ」とイーカチは笑った。
 一月が経ち、イーカチの心配は現実のものとなった。
 タブチは具志頭グスクを攻め、たったの一日で攻め落とした。具志頭按司と若按司を殺し、ヤフスの倅を具志頭按司にした。若按司の妻のマアサは助けた。シタルーの娘であり、タブチにとっては姪だった。まだ十四歳のマアサは、お嫁に来たけど、あの人は好きになれないと言って、タブチにお礼を言った。タブチはマアサに手紙を持たせて島尻大里に送り届けた。その手紙には、今は亡き弟の倅が具志頭按司になったのだから文句はあるまいと書いてあったという。
 タブチは明国に行くようになってから、八重瀬の城下に明国の商品を売る店を出し、行商人を使って山南王の様子を探っていた。シタルーに隙があれば、シタルーを倒して山南王になるという夢をまだ捨ててはいなかった。その行商人を使って具志頭按司の姉と密かに連絡を取り、お互いに準備を進めて、奇襲を掛けたのだった。ヤフスの倅の手引きでグスク内に潜入した八重瀬の兵は敵対する者を次々に倒して行った。突然の襲撃に、具志頭按司は守りを固める事もできずに討ち死にした。
 イーカチはタブチの動きを知っていた。知っていたが、中山王に関わる事ではないので放っておいた。
 新しい具志頭按司の妻は米須按司の娘だった。今回、米須按司は動いていないが、米須按司がタブチ側に寝返る可能性が出て来た。米須按司が中山王側に付けば、山南王の勢力は削減し、都合のいい事だった。

 

 

 

浦島太郎の日本史 (歴史文化ライブラリー)