長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部はその後の尚巴志の活躍です。お楽しみください。

2-80.ササと御台所様(第二稿)

 ヤマトゥに行った佐敷大親(さしきうふや)(マサンルー)たちが京都に着いたのは六月の十八日だった。
 四月二十五日に浮島を出帆して、五月十日に薩摩の坊津(ぼうのつ)に着いた。坊津でシンゴたちと別れて、交易船は先に博多に向かい、五月十八日に博多に着いた。
 九州探題(きゅうしゅうたんだい)の渋川道鎮(どうちん)はいなかった。五月七日に勘解由小路殿(かでのこうじどの)(斯波道将)が亡くなったので、京都に行ったままだという。五月六日には北山殿(きたやまどの)(足利義満)の三回忌の法要が京都で盛大に行なわれた。体調が優れず出席できなかった勘解由小路殿は、無事に終わった事を聞くと、その翌日、安心したように息を引き取ったという。
 勘解由小路殿が亡くなったと聞いてジクー禅師は驚いた。去年、あんなにも元気だった勘解由小路殿が亡くなるなんて信じられなかった。将軍様の補佐役ともいえる勘解由小路殿が亡くなってしまい、交易はうまく行くのだろうかと不安になった。
 妙楽寺に十日間滞在して、京都へと向かった。赤間関(あかまがせき)(下関)までは九州探題の船に護衛され、赤間関からは大内氏の護衛船も加わって瀬戸内海に入った。九州探題の船は兵庫までずっと先頭を行き、大内氏の護衛船は安芸(あき)の国(広島県)に入ると山名氏の護衛船と交替し、山名氏の護衛船は備前(びぜん)の国(岡山県)に入ると赤松氏の護衛船と交替した。
 大きな港に入る度に、その地を支配している守護大名に歓迎されて宴が開かれ、京都からの帰りに交易をするようにと約束された。長門(ながと)と周防(すおう)の守護の大内氏、安芸と備後(びんご)の守護の山名氏、備前と播磨(はりま)の守護の赤松氏、摂津(せっつ)の守護の細川氏が琉球との交易を望んで、使者たちを丁重にもてなしてくれた。
 兵庫の港に着いたのは六月の十五日だった。細川氏の兵に守られて京都に入ったのは十八日で、九条通りから烏丸(からすま)通りを北上して、三条通りの近くにある等持寺(とうじじ)まで行列を行なった。今年は明国の使者も朝鮮(チョソン)の使者も来ていないので、琉球の使者たちを見ようと沿道は人で埋まった。しかし、行列の評判は今ひとつだった。
 行列の中に、クバ扇を持ったヌルと白柄白鞘(しろつかしろさや)の刀を差した女子(いなぐ)サムレーがいたのは話題になったが、テピョンソ(チャルメラ)と横笛と太鼓の音楽は明国に似ていて、使者やサムレーたちの格好はヤマトゥに似ていて、琉球らしさがあまり感じられなかったようだ。それに、中山王の家紋の『巴紋(ともえもん)』の旗も、ヤマトゥの神社でよく見かけるので、新鮮さが感じられないようだった。
 等持寺で歓迎の宴が開かれ、九州探題の渋川道鎮(満頼)と勘解由小路殿の跡を継いだ斯波左兵衛督(しばさひょうえのかみ)(義教)が挨拶に訪れた。
 斯波左兵衛督は渋川道鎮の義兄で、父親に似て立派な武将だった。勘解由小路殿が亡くなったので、どうなる事かと心配していたジクー禅師も斯波左兵衛督と会って安心した。
将軍様琉球からの船が着くのを首を長くして待っておられました」と斯波左兵衛督はジクー禅師に伝えた。
 ササは博多に着いてからずっと窮屈な思いをしていて、もううんざりしていた。将軍様に守ってもらうのはいいのだが、まったく自由な行動ができなかった。船を降りて決められた宿所に入るとそこから出る事は許されず、楽しみにしていた村上水軍のあやと会う事もできなかった。佐敷大親から、使者が将軍様に会うまでは決して騒ぎは起こすなよと釘を刺され、じっと我慢してきたのだった。こんな事になるのなら去年と同じように、『一文字屋』の船に乗って京都に来ればよかったと後悔していた。
 京都では門限さえ守れば外出もできるという。翌日の朝、ササたちは早速、『一文字屋』のまりに会いに行こうと張り切っていたら、高橋殿がやって来た。高橋殿が直々にやって来たので、僧侶たちは大騒ぎしてかしこまった。ササたちは高橋殿に呼ばれ、再会を喜び、ササ、シンシン、シズ、そして、ナナは将軍様の御所に移る事になった。御台所(みだいどころ)様(将軍の奥方)がササたちに会いたがっているという。
 高橋殿と一緒にいたのは中条兵庫助(ちゅうじょうひょうごのすけ)の娘の奈美で、博多の妙楽寺で会っていた。ササたちより先に京都に帰って来て、ササたちが今年も来た事を知らせたのだった。
 三条坊門の御所に入って、御台所様と再会した。驚いた事に、御台所様は庭で侍女たちを相手に、武当拳(ウーダンけん)の稽古をしていた。ササの顔を見ると嬉しそうな顔をして駆け寄ってきた。
「去年、あなたたちが帰ってから、あなたたちの噂話をしてね、武当拳の話をしたら習いたいとおっしゃって、わたしが教えたのよ」と高橋殿が言った。
「あなたが来るのをずっと待っていたのよ」と御台所様は嬉しそうに笑った。
 将軍様の正妻である日野栄子(えいこ)はササより一つ年上だった。将軍様とは仲睦まじく、男の子一人と女の子二人の子供がいた。公家社会で育ち、十五歳で将軍家に嫁いだ栄子は、ササのような自由奔放な娘に会った事はなかった。一緒にいるシンシンは明国生まれで、シズは琉球人と日本人の混血、今回連れて来たナナは朝鮮に住んでいる対馬の人だという。栄子には信じられない国際色豊かな人たちだった。知らない国の話を聞いているだけでも楽しく、栄子は再会を楽しみにしていた。
 北山殿が生きていた頃、夫の義持(よしもち)はいつも暗い表情をしていた。将軍とは名ばかりで、実権はすべて父親の北山殿が握っていて、何事も自分の思い通りにはならなかった。北山殿が亡くなってから義持は変わった。生き生きとして政務に取り組み、去年は伊勢の神宮参詣にも連れていってくれた。今年も祇園会(ぎおんえ)のあとに伊勢に行く予定だったが、琉球からの使者が来たと奈美から連絡が入り、延期となった。
 栄子が高橋殿に会ったのは、嫁いで来たその年に、義持と一緒に北野天満宮に参詣した時だった。参詣のあと高橋殿の屋敷に寄って、義持の義母である高橋殿と会った。天下に怖い物なしと言われている北山殿の側室だけあって、高橋殿は美しい人だった。そして、優しい人でもあった。当時の義持は北野天満宮に参詣して、高橋殿と会うのを唯一の息抜きにしていた。栄子も高橋殿から歌や踊りを教わるのが楽しみだった。
 高橋殿にそれとなく義持を見守っていてくれと頼んだのは北山殿だった。母親が亡くなって孤独になった義持を母親の立場で見守るように頼んだのだった。数多くいる側室の中で、そんな事を頼めるのは高橋殿より他にいなかった。北山殿はこれから実行に移そうとしている重大事のためにも、義持にはしっかりしていてもらわなくてはならないと思っていた。
 北山殿が秘していた重大事とは義持の弟の義嗣(よしつぐ)を天皇にする事だった。北山殿は出家していた義嗣を還俗(げんぞく)させて北山第(きたやまてい)に入れ、短い期間で官位を昇格させていった。世間では、義持を廃して義嗣を将軍にするのではないかと噂された。重臣たちも義持を見捨てて、義嗣に近付く者も現れて来た。世間の噂など気にしないようにと高橋殿に見守らせたのだった。
 北山殿の重大事は北山殿の急死によって幕を下ろした。重大事を知っていたのは高橋殿だけで、高橋殿は北山殿の死と共に、その事は忘れ去り、今は義持のために働いている。
「ササ、船岡山に行きましょう」と栄子は言った。
「えっ!」とササは驚いた。
スサノオの神様が降りていらっしゃる岩が見たいんですって」と高橋殿が笑いながら説明した。
「ササが神様とお話しする所も見たいのよ」と栄子は真面目な顔をして言った。
 栄子は侍女を二人だけ連れて、高橋殿と奈美、ササたちと一緒に御所を抜け出して、船岡山へと向かった。
「抜け出して大丈夫なのですか」とササが心配すると、「今日のために、わたしの身代わりが用意してあります」と栄子は楽しそうに笑って、「お忍びで出掛けるのは久し振り」と言った。
「久し振りという事は前にも、お忍びで出られたのですか」とナナが聞いた。
 ナナは予想外の展開に腰を抜かしてしまいそうなほどに驚いていた。京都に着いた途端に、将軍様の御所に入るなんて、まるで夢でも見ているようだった。将軍様なんて、対馬や朝鮮にいた頃、話には聞いても、天上の人で自分にはまったく縁のない人だと思っていた。その将軍様の奥方様に会うなんて信じられない事だった。そして、将軍様の奥方とまるで友達のように接しているササを見て、改めてササの凄さを思い知っていた。
将軍様と一緒に何度か出掛けた事があるのです。供も連れずに二人だけで歩いたの。楽しかったわ。秘密の出入り口も将軍様に教わったのです」
 話をしながら歩いていたら、わりと早く、船岡山に着いた。
「ここなのね」と船岡山を見ながら栄子が言った。
「三年前の飢饉(ききん)の時、疫病(えきびょう)が流行って、かなりの人が亡くなったけど、この山に葬られたのよ」と高橋殿が言った。
「えっ!」と侍女たちが不安そうな顔付きで栄子を見た。
「大丈夫よ」と高橋殿は笑った。
「時衆(じしゅう)のお坊さんたちが皆、成仏(じょうぶつ)させてあげたわ」
 去年、登った道は夏草が生い茂っていて、山に入った者もいないようだった。ササを先頭に草をかき分けながら登って行った。
 山頂に出ると怖がっていた侍女たちも歓声を上げて、素晴らしい景色を楽しんだ。
「これなのね」と栄子は大きな岩を見つめた。
 ササは岩の前に座り込んでお祈りを始めた。シンシンとシズとナナもササの後ろに座ってお祈りをした。栄子もみんなの真似をした。御台所様がお祈りを始めたので、景色を眺めていた侍女たちも慌てて栄子に従った。高橋殿と奈美も一番後ろで両手を合わせた。
 一瞬、強い風が吹いた。侍女の一人が小さな悲鳴を上げた。
 姿は見えないし、声も聞こえないが、誰もが神様の存在を感じていた。ササはスサノオの神様の声を聞いていた。
 挨拶のあと、ササはスサノオの妻、豊玉姫(とよたまひめ)がどこから来たのかスサノオに聞いた。
「お前が生まれた島じゃ」とスサノオははっきりと言った。
 去年も同じ質問をしたのに答えてくれなかった。豊玉姫対馬に来て、玉依姫(たまよりひめ)を産んで、スサノオと一緒に九州を平定し、玉依姫がヒミコと呼ばれる女王になった事を延々と話してくれた。豊玉姫と出会う前に稲田姫(いなだひめ)と出会って、出雲(いづも)の国を造った事も延々と話してくれたが、ついに、豊玉姫がどこから来たのかは話してくれなかった。今年も別の話をして、教えてくれないかもしれないと思っていたら、スサノオはあっさりと答えてくれた。ササの方がまごついて、次に聞くべき事を忘れてしまいそうになった。
「どこに行けば、豊玉姫に会えますか」とササはスサノオに質問した。
「お前の島に帰っているはずじゃ」とスサノオは言った。
「探したけど、どこにもいませんでした」
「おかしいのう。豊玉姫は玉グスクと呼ばれる都の姫じゃった。どことなく、お前に似ている可愛い娘じゃった。海の近くの高台にある聖地が好きでよく行っていた。男は入れんと言って、わしは中に入った事はないが、二つの大きな岩があって神様が降りて来られると言っていた。多分、そこにいると思うがのう」
 スサノオの話を聞いて、セーファウタキ(斎場御嶽)だとササは気づいた。セーファウタキが凄いウタキだと母親の馬天ヌルから聞いてはいても、ササはまだ行った事はなかった。
「セーファウタキには軽い気持ちで行ってはいけません。行くべき時が来たら行きなさい」と母は言った。
「行くべき時っていつなの?」とササが聞くと、「神様が教えてくれます」と母は言った。
 行ってみたかったが母の言葉を信じて、ササはセーファウタキには近づいていなかった。ようやく、行くべき時が来たんだわとササは思った。
「戦(いくさ)もなくなり、世の中が平和になって、豊玉姫も安心して南の島に帰って行ったんじゃ。わしは豊玉姫にお礼を込めて、十種(とくさ)の神器(じんぎ)を贈った。鏡が二つと剣が一つ、勾玉(まがたま)が四つと領巾(ひれ)が三つじゃ。お前が首に掛けている赤い勾玉は、わしが贈った四つのうちの一つじゃよ。領巾はもうないとは思うが、二つの鏡と一つの剣とあと三つの勾玉はどこかにあるんじゃないかのう」
 ササは着物の上から勾玉を右手で押さえた。古い物だと思ってはいたが、スサノオ豊玉姫に贈った勾玉だとは知らなかった。この勾玉を持っていたからスサノオの神様が現れたのかもしれなかった。
「領巾とは何ですか」
「昔、女が肩に掛けていた細長い綺麗な布じゃよ。今は見かけなくなったが、優雅な物じゃった」
 その後、スサノオ稲田姫が産んだサルヒコの活躍を話して去って行った。
 ササはお礼を言って、スサノオを見送った。ササがお祈りを終えて立ち上がると皆はまだ両手を合わせて、お祈りを続けていた。
「神様はお帰りになりました」とササは言った。
 皆が顔を上げてササを見た。皆、夢でも見ていたかのような顔付きだった。
「不思議な気分だわ」と栄子が言った。
「心地よい音楽が聞こえて、まるで、極楽にでもいるような気分だったわ」
「あたしも音楽を聴きました」とナナが言うと、「あたしもよ」とシズが言った。
「わたしには音楽は聞こえなかったけど、何か凄い力に守られているような感じがしたわ」と高橋殿は言った。
「あたし、神様の声を聞いたわ」とシンシンは言った。
スサノオの神様?」とササが聞くとシンシンはうなづいた。
「昔の戦の事を話してくれて、男どもは戦が好きじゃが、泣きを見るのは女子供じゃ。戦はしてはならんぞと言いました」
 ササは笑って、「シンシンも一人前のヌルになったわね」と言った。シンシンが言った事は去年、ササも聞いていた。
 船岡山を下り、北山第に行って、七重の塔に登った。京都の街が一望の下に見渡せ、まるで、鳥になったような気分だった。ササは横笛を吹いた。空を自由に飛び回っている鳥を思わせる軽やかな調べが京の空に流れていった。
 翌日、ジクー禅師は将軍様と謁見(えっけん)して、献上品を捧げた。お返しとして将軍様から賜わる品々を書いた目録をもらったが、そこには高級品が並んでいた。決して、琉球に来る倭寇相手では手に入らない高級な品々ばかりだった。
 ササたちはずっと御所に滞在して、御台所様と行動を共にしていた。武当拳の稽古をしたり、和歌の稽古をしたり、偉い公家の先生を呼んで、ヤマトゥの歴史や、神様の話なども聞いた。そして、二十三日の早朝、まだ夜の明けぬうちに、将軍様たちと一緒に伊勢参詣の旅に出た。
 物凄い人数にササたちは驚いた。将軍様に従って、伊勢に行くのは一千人余りもいた。あちこちに篝火(かがりび)が焚かれ、松明(たいまつ)を持った人々が走り回り、鎧兜(よろいかぶと)は身に着けていないが、まるで、戦にでも行くような騒々しさだった。将軍様の側近衆が将軍様を守り、京都に住んでいる各地の守護大名が兵を引き連れて従った。
 女たちは御台所様に従う者たち三十人余りに過ぎなかった。その中にササ、シンシン、シズ、ナナが加わり、高橋殿、対御方(たいのおんかた)、坊門局(ぼうもんのつぼね)、平方蓉(ひらかたよう)、奈美がいて、あとは御台所様の侍女、高橋殿の侍女、対御方の侍女、坊門局の侍女たちが従った。
 坊門局は初めて会うが、やはり北山殿の側室だった人で高橋殿と仲がよかった。御台所様、高橋殿、対御方、坊門局はお輿(こし)に乗って出掛けるのだが、御台所様と高橋殿は身代わりをお輿に乗せて、ササたちと一緒に歩いた。
 伊勢神宮には豊玉姫の娘のアマテラス(玉依姫)がいる。アマテラスからお母さんの話を聞こうとササは張り切っていた。
 京都からひと山越えると琵琶湖に出た。ササたちは海だと思ったら、湖だという。琵琶湖の近くのお寺でお昼を食べて、その日は甲賀(こうか)の水口(みなくち)のお寺に泊まった。次の日も朝まだ暗いうちに出発し、鈴鹿山を越えて伊勢の国に入り、その日は安濃津(あのうつ)(津市)のお寺に泊まった。翌日は大きな川をいくつも渡り、最後の宮川で、口をすすぎ手足を清めて、渡し舟に乗って、門前町の山田に着いた。山田には御師(おんし)という神宮に仕える人が何人もいて、その中でも一番偉い人の屋敷に入った。
 神宮は外宮(げくう)と内宮(ないくう)の二つあって、外宮からお参りした。どうして二つあるのとササは素朴な疑問を高橋殿に聞いたが、高橋殿にもよくわからないようだった。御師に聞いてみたら、外宮は内宮よりもあとにできたようだった。内宮のアマテラスが、丹波(たんば)の国からトヨウケヒメをお呼びになって外宮にお祀りしたという。
 外宮は広い神社だった。ササたちは将軍様と一緒にお参りした。御師に従って、決められた通りにお参りして、神様の声を聞いた。
 神様はトヨウケヒメではなく、ホアカリだった。ホアカリはアマテラスの息子で、ヤマトの国の王様だったという。本来は内宮に祀られていたのだが、内宮に母親のアマテラスを祀る事になって、こちらに移されたらしい。以前、この地に祀られていた姉のトヨウケヒメは小俣(おまた)神社に移されたという。
 ササたちは若い御師に案内させて小俣神社まで足を伸ばした。面白そうだわと言って、御台所様も付いて来た。ササたちと御台所様と侍女二人、高橋殿、平方蓉、奈美が、内宮に向かうみんなと別行動を取って小俣神社に向かった。
 宮川を渡った川向こうに小俣神社はあった。小さな神社だった。トヨウケヒメはササを歓迎してくれた。ここではウカノミタマという名で祀られているという。
 トヨウケヒメはここに祀られる事になった事情を話してくれた。
「今の京都ではなく、奈良に都があった時、伊勢の地は日が昇って来る地として霊地とされました。内宮の東にある朝熊山(あさくまやま)にはわたしたちの祖父のスサノオが祀られ、内宮の地にわたしの弟のホアカリが祀られ、わたしが外宮の地に祀られました。弟は太陽の神アマテラスとして祀られ、わたしは穀物の神ウカノミタマとして祀られました。ところがある日、内宮の地にわたしたちの母のヒミコ(玉依姫)がアマテラスとして祀られる事になりました。立派な社殿も建てられ、内宮に祀られていた弟は外宮の地に移って、外宮にも立派な社殿が建ちました。わたしはここに追いやられてしまったのです」
「どうして、お母さんが内宮の地に祀られるようになったのですか」とササは聞いた。
「わかりません。実際、母も驚いております。あんなに立派なお屋敷を建てなくてもいいのにと言っておりました」
「お母さんは今、内宮にいるのですか」
「今はいないようです。母は人気者ですから、あちこちに祀られております。海の女神様になったり、山の女神様になったり、名前もいっぱいあります。生きている時もそうでしたけど、一カ所に落ち着けない人で、あちこちに行っておりました。今頃は九州の方にいるのではないでしょうか」
「やはり、九州ですか」
 博多に帰ったら探してみようとササは思い、「九州のどこにいると思いますか」と聞いた。
「九州には母が住んでいた所があちこちにあります。母が若い頃を過ごした豊(とよ)の国か、それとも、わたしたちが生まれて育った日向(ひむか)の国か、晩年を過ごした筑紫(つくし)の国か、祖母のお墓があるイトの国かもしれません」
「えっ、豊玉姫のお墓が九州にあるの?」とササは驚いた。
豊玉姫は南の島に帰ったって、あなたのお祖父(じい)さんから聞いたわよ」
「一度、帰ったのですけど、祖父が亡くなって、九州でまた戦が始まったのです。祖母は心配して戻って来たのです。母は凄い人でしたけれど、祖母も凄い人でした。祖母の一言で戦も治まったのです。当時、各地にいた王たちは祖母のお世話になっていたので頭が上がらないようでした」
「そうだったの」
「戦が治まると祖母はイトの国で暮らして、四年後に亡くなりました。母は祖母のために大きなお墓を造りました」
「そのお墓はどこにあるのですか」
「イトの国です」
「博多で聞けばわかるかしら?」
 トヨウケヒメは答えなかった。ササは対馬のワタツミ神社にあったお墓は何だろうと考えていた。
「祖父は今、京都にいるのですか」とトヨウケヒメがササに聞いた。
「はい。会って参りました」とササは答えた。
「わたしも京都に行きたいわ」とトヨウケヒメは寂しそうな声で言った。
 数十年後、トヨウケヒメの願いはかなって、京都の伏見稲荷神社の主神として祀られる事になる。
 ササはトヨウケヒメから聞いた話を皆に話した。
「するとアマテラスは本当は男の神様だったのね」と高橋殿が聞いた。
「そうです。スサノオの孫のホアカリがアマテラスだったのです」
「どうして、ヒミコをアマテラスに変えてしまったの」
「それはわかりません。ヒミコに変えて立派な社殿を建てたと言っていましたから、時の権力者がヒミコをアマテラスにしたかったからでしょう」
「女の天皇だわ」と御台所様の栄子が言った。
「昔は女の天皇がいらしたって聞いたわ。その女の天皇が女王だったヒミコに憧れていて、ヒミコをアマテラスにしたのよ」
「そうかもしれないわね」と高橋殿が栄子にうなづいた。
「アマテラスは天皇の御先祖様になっているわ。御先祖様を女に変えてしまったのは、女の天皇しか考えられないわね。誰だか知らないけど、北山殿みたいに凄い権力を持っていた女の天皇がいたんだわ」
「でも、太陽の神様は女神様でいいんじゃないの」と奈美が言った。
「恵みを与えてくれる太陽は女神様の方がふさわしいわよ」
「それも言えるわね」と高橋殿が言って、ササを見た。
「太陽はずっと昔から神様としてあがめられてきました」とササは言った。
「ヤマトゥでも、琉球でも、きっと明国や朝鮮でもそうに違いないわ。本当は神様には男も女もないのかもしれません。人間が勝手に男だの女だのって決めたんだわ。そう言えば、太陽の神様がいて、月の神様はいないの?」
 黙って話を聞いていた若い御師が、「月の神様はツキヨミです」と言った。
「外宮の近くに月読神社があります」
 御師の案内でササたちは宮川を渡って外宮に戻り、月読神社に向かった。月読神社は外宮の北御門から一直線の道で結ばれ、その道は神様が通る道だという。
 人々で賑わっている外宮の近くだが、ここに参拝する人はあまりいないようで静かだった。
 古い神様がいた。スサノオよりもずっと古い神様だった。神様の話によると、内宮の地に太陽の神様が祀られ、この地に月の神様が祀られたという。
「外宮ができる前からこの地におられた神様です」と御師は説明した。
 内宮に向かう前に、もう一つ、ツキヨミを祀っている神社があるというので寄ってみた。『月読宮(つきよみのみや)』と呼ばれ、境内には二つの神社があって、一つにはツキヨミが祀られ、もう一つには、アマテラスの両親のイザナギイザナミが祀られていた。
「どうして、こんなに近くにツキヨミを祀る神社が二つもあるのですか」とササは御師に聞いた。
「こちらの方が新しいのです。内宮ができてから、アマテラスの両親と弟のツキヨミを祀る神社をこの地に建てました」
「えっ、ツキヨミって男の神様だったの」とササは驚いた。月の神様は女神様だと思い込んでいた。
「本当は女神だったはずなのです。古い神話ではイザナギイザナミは二人の子供を生んで、アマテラスは男で、ツキヨミは女だったそうです」
イザナギイザナミって、スサノオ豊玉姫の事?」
 御師は首を振った。
「古い神話の話です。古い神話の中にヒミコをアマテラスとしてはめ込んだようです」
 お祈りをして内宮に向かった。
 内宮に着いた時は、すでに将軍様たちは帰ったあとだった。
「歩きながらずっと考えていたんだけど、足利氏は天皇家から別れた清和源氏(せいわげんじ)よ。アマテラスのお母さんの豊玉姫琉球人だったら、足利氏にも琉球人の血が流れているの?」と栄子がササに聞いた。
「それなのよ」とササが言った。
天皇家の先祖に琉球人がいたら具合が悪いので、誰かが、お母さんの豊玉姫もお父さんのスサノオを消してしまったのよ」
将軍様の御先祖様はアマテラスで、ササの御先祖様はそのお母さんの豊玉姫。遙かに遠いけど親戚になるのね」
 親戚と言われて、ササは首を傾げた。
「何となく、ササとは縁があるような気がしたの」と栄子は嬉しそうに笑った。
 内宮は聖地だった。古い神様がいっぱいいた。
 スサノオの子孫たちがこの地に来て、スサノオやホアカリ、トヨウケヒメを祀る前、太陽の神様や川の神様が祀られていた。中でも龍神(りゅうじん)様と呼ばれる神様は恐ろしい神様だったらしい。この地に神宮を建てる時、龍神様は封じ込まれてしまったようだった。
 山田の御師の屋敷に帰ると、将軍様はお神楽(かぐら)を見ながら、お神酒(みき)を飲んでいた。ササたちもお神酒をいただき、お神楽を楽しんだ。

 

 

 

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