長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部はその後の尚巴志の活躍です。お楽しみください。

2-81.玉依姫(第二稿)

 伊勢の神宮参詣から京都に帰ったササたちは、御台所(みだいどころ)様(将軍の奥方)と一緒にスサノオの神様の家族について整理をした。公家(くげ)の先生にも話を聞いたが、どうしても、神様の話とは食い違っていた。
 神様の話では、スサノオの妻は豊玉姫(とよたまひめ)で、二人の間に生まれた娘が玉依姫(たまよりひめ)で、玉依姫は九州の女王になってヒミコと呼ばれ、伊勢の神宮に祀られてアマテラスとなった。玉依姫は外宮(げくう)におられたホアカリと小俣(おまた)神社におられたトヨウケヒメを産んだ。二人の父親が誰なのか、今の所はわからない。
 公家の先生によると、スサノオの両親はイザナミイザナギで、アマテラスはスサノオの姉だという。豊玉姫は海の神様、オオワタツミの娘で、山の神様の山幸彦(やまさちひこ)と結ばれて、ウガヤフキアエズという神様をお産みになる。玉依姫豊玉姫の妹で、ウガヤフキアエズと結ばれて、初代の天皇である神武天皇(じんむてんのう)をお産みになる。ホアカリはアマテラスの息子ではなく、孫で、トヨウケヒメイザナミの孫だという。難しい名前の神様がいっぱい出て来て、頭が混乱するばかりだった。
 京都に着いてから一か月があっという間に過ぎて、ササたちは御台所様と共に楽しい時を過ごした。
 スサノオを祀っている神社を巡り、一緒に祀られている神様を調べたりもした。将軍様と一緒に北野天満宮をお参りして、高橋殿の屋敷に行って、高橋殿の父親の道阿弥(どうあみ)の猿楽(さるがく)を観て感動もした。平方蓉(ひらかたよう)の父親の陳外郎(ちんういろう)に招待されて、明国の料理も御馳走になった。侍女たちを引き連れて、女たちだけで貴船神社に避暑に行った時も楽しかった。
 八月一日、大きな台風がやって来た。前日に気づいたササは兵庫港に早馬を送って、交易船を避難させた。
 琉球に毎年のように来る台風に慣れているササたちにとっても、京都の台風は恐ろしく感じられた。御所のようなしっかりとした建物の中にいても、戸の隙間から雨が吹き込んで廊下はびしょ濡れになり、戸が壊れ、瓦が吹き飛んでしまうのではないかと思えるほどの強風が吹き荒れた。
 台風が過ぎ去った翌日はいい天気になったが、都はひどい有様になっていた。通りには折れた木の枝があちこちに落ちていて、壊れた塀が倒れていたり、屋根が吹き飛ばされた家もあった。お寺の境内(けいだい)には避難民たちが溢れて、炊き出しも始まっていた。
 ササたちは御台所様に別れを告げて、等持寺(とうじじ)に帰った。等持寺の境内にも折れた木の枝は散乱していたが、建物の被害はないようだった。ササたちは女子(いなぐ)サムレーたちと一緒に街に出て、被害にあった家々を回って、困っている人たちを助けた。
 台風が来た日の五日後、使者たちは九州探題の渋川道鎮(どうちん)と一緒に京都をあとにした。通りも綺麗に片付けられ、都も大分落ち着いて来てはいたが、家を失って、あちこちのお寺や神社に避難している人たちは多かった。
 ササ、シンシン、シズ、ナナ、ユミー、クルーは女子サムレー十六人と一緒に京都に残った。どうせ、朝鮮(チョソン)には行けないし、使者たちの帰りを対馬で待っているより、京都の人たちを助けたいとササが言い、女子サムレーの隊長のトゥラもその方がいいと賛成した。
 ササたちは等持寺から『一文字屋』に移り、北野天満宮に避難している人たちを助けていた。
 北山第(きたやまてい)の七重の塔は無事だった。あれが倒れたら大変な被害が出るが、一流の大工によって建てられた塔は頑丈にできていた。
 北野天満宮の境内にある避難小屋で、病人の面倒を看ていたら、高橋殿が来て、ササたちを見て驚いた。
「あなたたち、帰らなかったの?」
 ササは笑って、「もう少し、いる事にしたのです」と言った。
 高橋殿は一緒にいる女子サムレーたちを見て、「『一文字屋』さんのお世話になっているのね」と聞いた。
 ササがうなづくと、
「『一文字屋』さんも大変でしょう。何人、残ったの?」と高橋殿は聞いた。
「女ばかり二十二人です」
「いいわ。みんな、わたしの屋敷にいらっしゃい」
 ササは喜んで、高橋殿の好意に甘えた。ただ、御台所様には内緒にしてくれと頼んだ。
「台風のあと、あなたたちが急に帰ってしまって、御台所様はとても寂しがっているわ。でも、御台所様に避難民たちのお世話をさせるわけにはいかないから黙っているわね」
 ササたちは高橋殿の屋敷に移り、復興の手伝いを続けた。一か月が過ぎると避難民も少なくなって、都も以前の活気を取り戻していった。そんな頃、村上水軍のあやがササを訪ねてきた。一文字屋の娘のまりに連れられて、あやは平野神社の避難小屋に来た。具合の悪いお婆さんにお粥(かゆ)を食べさせていたササは、あやを見ると驚いた。
「会えてよかった」とあやは安心したように笑った。
 お婆さんの食事を終えて、ササはあやとの再会を喜んだ。
「あなたに会いたくて、琉球の使者たちの宿舎に押しかけたのよ。そしたら、あなたは京都にいるって言われて、それで、やって来たのよ」
「そうだったの。わざわざ、ごめんなさいね」
「あの台風のあと、ずっと、避難民たちの面倒を見ていたの?」
「そうよ。台風には慣れているからお手伝いをしていたのよ」
 ササはあやを連れて帰り、高橋殿に紹介した。高橋殿はあやの噂を聞いていて、会いたいと思っていたと言った。
「でも、噂とは違って、可愛い娘なのね」と笑った。
「どんな噂なんですか」とササが聞いたら、「村上水軍には恐ろしい女海賊がいて、男どもを顎(あご)で使っているっていう噂よ」と高橋殿は言った。
「確かに男どもを顎で使っているわ」とササは笑った。
「高橋殿も恐ろしい人だと噂で聞いておりました」とあやは言った。
「でも、噂とは全然違って、綺麗な人でした。そして、ササが高橋殿のお屋敷にいるなんて驚きました」
「噂なんて、あてにはならないわ。ササたちの事も噂になっているのよ。琉球の女子(おなご)は刀を差して勇ましいけど、実は心の優しい女子ばかりだってね」
 あやも高橋殿の屋敷に滞在して、ササたちと一緒に各地にある避難小屋を巡って、身寄りのない年寄りたちの世話をした。
 避難民たちもいなくなった九月の二十日、ササたちはぞろぞろと鞍馬山(くらまやま)へと向かった。女子サムレーたちに木の根歩きの事を話したら、是非、挑戦したいと言ったのだった。
 道ばたに咲く花も琉球とは違い、樹木(きぎ)も違った。初めてヤマトゥに来た女子サムレーたちは景色を楽しみながら歩いていた。鞍馬山に着くと山の中にいくつも建っている僧坊に驚き、大勢の山伏に驚いていた。
 木の根道を過ぎて僧正(そうじょう)ヶ谷に着くと、去年と同じように静かだった。木の根歩きをした場所に行き、シンシンが目隠しをして手本を見せた。シンシンは軽々と歩き通した。女子サムレーたちが、「凄い!」と歓声を上げた。
 負けるものかとササが挑戦した。うまい具合に中程まで行った時、シンシンが、「シュリヌスケー!」と叫んだ。集中が途切れて、ササは木の根につまづいて倒れた。
「まったく、もう」とササは目隠しをはずして周りを見ると誰もいなかった。
 背の高い男を囲んで、みんなが騒いでいた。ササもみんなの所に駆け寄った。
 飯篠修理亮(いいざさしゅりのすけ)が貫禄のある僧侶と若い男を連れて、みんなに囲まれていた。
「慈恩禅師(じおんぜんじ)殿を連れて来ましたよ」と修理亮はササに言った。
鞍馬山でみんなと会えるとは思ってもいなかった。琉球の使者たちは帰ったと聞いていたので、対馬まで行くつもりだったのです」
「あなたが来ると思って待っていたのよ」とササは言った。
「そうだったの?」とみんながササを見た。
 ササはうなづいた。何かが起こりそうな予感はあったが、それが修理亮の事だとはササも思っていなかった。あやが現れたので、あやの事だったんだわと思っていたのだった。
 あやは慈恩禅師との再会を喜んでいた。
対馬に行く途中で、上関(かみのせき)に寄ろうと思っていたんじゃよ。こんな所で会うとは奇遇じゃのう」と慈恩禅師は言っていた。
 一緒に連れて来た若者は二階堂右馬助(にかいどううまのすけ)といい、ここに来る途中に出会って、慈恩禅師の弟子になったという。
 ナナに女子サムレーたちの木の根歩きを頼んで、ササは修理亮から話を聞いた。
 去年の七月、修理亮はササたちと別れて、慈恩禅師を探すために信濃の国(長野県)に向かった。中条兵庫助(ちゅうじょうひょうごのすけ)が言っていた通り、浪合(なみあい)という山に囲まれた村にある長福寺に慈恩禅師はいた。長福寺は禅寺であったが、武術道場があって、大勢の修行者たちが、慈恩が編み出した『念流(ねんりゅう)』の修行に励んでいた。修行者は僧侶だけでなく、遠くから来ている武士も多かった。
 慈恩禅師に三好日向(ヒューガ)と阿蘇弥太郎が琉球にいる事を告げると、「二人とも生きておったか」と喜んだ。そして、若き日の慈恩禅師の師匠だった『韋駄天(いだてん)』の師匠のヂャンサンフォン(張三豊)も琉球にいると言ったら驚いた。ヂャンサンフォンの名は韋駄天から聞いていて、今でも覚えていた。琉球にいるのなら、是非とも会わなければならんと慈恩禅師は言った。
 長年、旅を続けて来たので、一カ所に長く留まるのは苦手で、そろそろ旅に出たいと思っていたという。それでも、お寺の住持になった今、気軽に旅には出られない。一年間、準備をして、お寺の事は弟子に任せて、修理亮と一緒に対馬を目指して旅に出たのだった。修理亮は一年間、慈恩禅師の弟子となって、武術道場で修行に励んでいた。
 二階堂右馬助は鎌倉御所(足利満兼)に仕える役人の子として鎌倉に生まれた。祖父は南北朝の戦で活躍した武将だった。右馬助は祖父のように活躍したいと武芸に熱中し、諸国修行の旅に出て、三河の国(愛知県)で、慈恩禅師と出会ったのだった。
 ササたちは慈恩禅師たちを高橋殿の屋敷に連れて帰った。高橋殿は大歓迎して慈恩禅師を迎え、さっそく、慈恩禅師の弟子の中条兵庫助に使いの者を送った。
 その夜は慈恩禅師の歓迎の宴が高橋殿の屋敷で催され、将軍様夫婦もお忍びでやって来た。御台所様はササを睨み、「わたしに内緒で京都にいたのね」と言ったが、「会いたかったわ」と嬉しそうな顔をしてササの手を取った。
 慈恩禅師が高橋殿の屋敷に滞在している事が噂になって、様々な人たちが慈恩禅師に会いに来た。皆、かつて慈恩禅師にお世話になった人たちだった。旅の途中で慈恩禅師と出会い、何らかの教えを受けて、今は京都に住んでいる人たちで、僧侶もいれば武士もいて、商人や職人、様々な人たちがいた。高橋殿としても慈恩禅師のお客様を断るわけにもいかず、侍女たちに命じて、丁重にもてなしていた。勿論、ササたちも手伝い、慌ただしい日々が続いた。
 十月一日、ササたちは京都を発ち、あやの船に乗って博多を目指した。
 博多に着いたのは十月の半ばで、使者たちを乗せた交易船は九月の初めに朝鮮に向かったという。
 ササたちは『一文字屋』のお世話になり、博多に着いた翌日、豊玉姫のお墓に向かった。各地を旅して回った慈恩禅師は、昔にあったというイトの国の事を知っていて、イトの国に豊玉姫のお墓と伝わっている古墳がある事も知っていた。
 イトの国は博多の近くだった。博多の辺りはナの国と呼ばれて、その西にイトの国があり、さらに西にマツラの国があったという。のんびり歩いても二時(にとき)(約四時間)余りで、イトの国に着いた。
 慈恩禅師の案内で、ササ、シンシン、シズ、ナナの四人が来ていた。女子サムレーたちは前回に来た時、妙楽寺に閉じ込められて外出できなかったので、修理亮、右馬助と一緒に博多見物を楽しんでいた。あやは、また来年会いましょうと言って上関に帰って行った。
 豊玉姫のお墓は草茫々の荒れ地の中にあった。こんもりとした小さな山があるが、お墓だと言われなければ誰も気づかないだろう。慈恩禅師が知っていて、本当によかったとササは感謝した。
 お墓の前に座って、お祈りを捧げると神様の声が聞こえて来た。
「南の島からやって来たのね」と神様は言った。
「わたしも若い頃に母と一緒に南の島に行ったのよ。綺麗な島だったわ。大きな岩のあるウタキ(御嶽)で儀式を行なって、一人前のヌルになったのよ」
「あなたは玉依姫様ですね?」とササは聞いた。
「そうよ。その名前で呼ばれるのは久し振りだわ」
 玉依姫がセーファウタキ(斎場御嶽)まで行ったなんて驚きだった。
「あなたのお母さんは南の島の玉グスクという所のヌルだったのですね?」
「そうよ。鳴響(とよ)む玉グスクと呼ばれていたわ。それで、父が母の事を豊玉姫って名付けたのよ」
「やはり、そうだったのですね」とササは納得して、豊玉姫の事を玉依姫から聞いた。
「父はタカラガイを求めて、南の島に行ったわ。そして、母と出会ったのよ。その頃の父はカヤの国(朝鮮)と交易をするために対馬にいたの。南の島で手に入れたタカラガイとカヤの国の鉄との交易がうまくいって、二度目に南の島に行った時、母と弟の豊玉彦を連れて帰って来たの。父は叔父の豊玉彦に交易の事を任せたわ。そして、対馬を離れて宇原(うばる)(福岡県東部)の地に拠点を移したの。そこに新しい国を造って、豊(とよ)の国と名付けたのよ」
「豊の国の事は聞いていましたけど、豊玉姫の名前から取ったのですか」
「そうよ、お母さんは豊の国の女王様になったのよ。わたしは対馬で生まれて、豊の国で娘時代を過ごしたの。弟のミケヒコと妹のアマン姫はそこで生まれたわ。豊の国は瀬戸内海に面していて、父が拠点をそこに置いたのは瀬戸内海沿岸の国々を平定するためだったの。父はわたしたちを豊の国に置いて、お船に乗って出掛けて行ったわ。わたしは十二歳になった時から母についてヌルになるための修行を始めたのよ。十五歳の冬に南の島に行って、一人前のヌルになって帰って来たの。わたしたちが南の島から帰って来た翌年、父がスサの国から、母親違いの兄たちを連れて、豊の国に帰って来たの」
「スサの国ってどこなんですか」
「スサの国は父が最初に造った国よ。のちに出雲(いづも)の国って呼ばれるようになるけど、父はスサの国の王様だからスサの王って呼ばれたのよ。スサの国には稲田姫という奥さんがいて、二人の息子と二人の娘がいたわ。瀬戸内海の国々を平定した父は、その二人の息子を連れて豊の国に帰って来たの。父の次の仕事はツクシの島の平定だったのよ」
「ツクシの島ってどこなんですか」
「あら、ごめんなさい。今は九州って呼んでいるんだったわね。ここ九州の地を平定するために、わたしたちは旅に出たのよ。あの頃、九州には小さな国がいくつもあって争っていたの。父は鉄と木の力で、それらの国々を平定して、ヤマトという大きな国を造っていったのよ」
「鉄の力はわかりますけど、木の力って何ですか」
「父はカヤの国や漢の国から果物のなる木を手に入れて、その苗を各地の国に配ったのよ。桃や梨や杏(あんず)の木よ。今はどこにでもある木だけど、あの時の木が育って、増えていったのよ。みんな、おいしい果物を食べて、喜んでくれたわ。父は鉄でできた武器を持った兵を引き連れて行ったけど、なるべく戦は避けて、話し合いで解決しようとしたのよ。旅の途中で、わたしは二人の子供を産んだの。トヨウケヒメとホアカリよ」
「二人のお父さんは誰なんですか」
 玉依姫は笑って、「マレビト神よ」と言った。
 ササも笑って、それで納得した。
「わたしは赤ん坊を抱きながら、母と一緒に各国の巫女(みこ)たちを説得して回ったのよ。ヤマトの国に入れば、平和に暮らせるって言ってね。九州を平定するのに七年も掛かったのよ。父は最南端の桜島が見える所に、今、鹿児島神社(鹿児島神宮)がある所よ。そこに新しい拠点を築いて、立派なお屋敷を建てたの。母はその後、そのお屋敷で暮らす事になったわ。そこが南の島との交易の拠点にもなったのよ。翌年、父は鹿児島のお屋敷は遠くて不便だと言って、豊の国の宇佐の地に新しい都を造ったの。そこがヤマトの国の都になったわ。弟のミケヒコが九州の連合国の王になって、わたしが巫女(みこ)となって、ヒミコと呼ばれるようになったのよ。わたしと弟が豊の国に移った翌年、南の島の祖父と叔母が亡くなってしまったの。母は妹を連れて南の島に帰ったわ。亡くなった叔母は玉グスクヌルだったので、妹が玉グスクヌルを継いで、南の島に残る事になったのよ。あの時、妹はまだ十五歳だった。わたしと十二も歳が離れていたの。それ以来、妹には会っていないわ。妹は玉グスクヌルを継いで、従兄(いとこ)の玉グスク按司と一緒になって、子孫を増やしたわ。あなたの先祖よ」
「えっ!」とササは驚いた。
「あなたの妹があたしの御先祖様なのですか」
「そうよ。噂では妹は神様として祀られたと聞いているわ」
「妹さんの名前はアマン姫と言いましたね?」
「あの頃、南の島は皆、アマン(奄美)と呼ばれていたの。それで母はアマン姫と名付けたの。ヤマトから来たので、ヤマト風にアマンのミコと呼ばれていたらしいわよ」
「アマンノミコ‥‥‥アマンヌミク‥‥‥アマミク」
 琉球の神話の中の神様、アマミキヨはアマミクとも呼ばれていた。玉依姫の妹に違いなかった。そして、その妹があたしの御先祖様という事は、その父親スサノオが御先祖様という事になる。佐敷ヌルから聞いた天孫氏(てぃんすんし)というのはスサノオの子孫の事だったのだろうか‥‥‥
スサノオ豊玉姫はあなたたちの御先祖様なのよ」と玉依姫ははっきりと言って、話を続けた。
「父は休む間もなく、兄たちを連れて、四国を平定して、木(きい)の国(和歌山県)も平定して、さらに東の国々も平定して、ヤマトの国をどんどん大きくしていったの。国々が統一されて戦がなくなって、世の中が平和になると、母は安心して南の島に帰って行ったわ。母が帰ってから四年後、父が亡くなってしまったの。ヤマトの国の大王様だった父がいなくなると、一つにまとまっていた国々が分裂して争いを始めるようになったわ。わたしは弟と一緒に九州の国々を回って話し合いをしたけど、なかなかうまくいかなかった。そんな時、母が帰って来たの。母の出現は思っていた以上の効果があったわ。何とか、わたしたちは九州を平定して、出雲の兄たちは東の国々をまとめたの。それから四年後、母はこの地で亡くなったわ。わたしは母のために立派なお墓を建てたの。今は見る影もないほどに荒れ果ててしまったけどね」
豊玉姫はどうして、ここで亡くなったのですか。薩摩(さつま)の国の方にずっと住んでいたのでしょう?」
「ここは父の故郷なのよ。母はここにいて、ナの国に睨みを利かせていたの。ナの国の王様は弟を倒して、ヤマトの国の大王様になろうとたくらんでいたのよ」
スサノオ様はイトの国の王様だったのですか」
「それは違うわ。祖父はイトの国の王様だったけど、父はイトの国を出て、東に行ってスサの国の王様になるのよ。そして、各国を平定して、ヤマトの国の大王様になったの。父は各国の王様の上に立つ、偉大なる大王様だったのよ。イトの国もナの国もヤマトの国に含まれているのよ。」
「偉大なる大王様のあとを継いだのは誰なのですか」
「出雲の兄のサルヒコよ。大国主(おおくにぬし)とも呼ばれているわ。その兄が亡くなったあと、ヤマトの国も分裂してしまって、また長い戦の時代が続いてしまうのよ」
 玉依姫は急に黙り込んだ。
豊玉姫様は今、南の島にいると思いますか」とササは玉依姫に聞いた。
「多分、いると思うわ。わたしも母と妹に会いに行こうかしら」
「行けるのですか」
「あなたが付けている勾玉(まがたま)はわたしが母に贈った物なのよ。それを依り代(しろ)にすれば、一緒に南の島まで行けるわ」
「えっ!」とササは驚いた。
 この赤い勾玉が、玉依姫の物だったなんて信じられない事だった。しかし、それですべてがわかったような気がした。
 ササがスサノオという神様を知ったのは二年前に初めて対馬に行った時だった。旅から帰って来て、母の馬天ヌルと一緒に読谷山(ゆんたんじゃ)に行って、この勾玉と出会った。あの時は勾玉とスサノオは結びつかなかったが、去年、京都でスサノオの声を聞いたのは、この勾玉を身に付けていたからだった。伊勢の神宮で、玉依姫の息子のホアカリと娘のトヨウケヒメと会えたのも、この勾玉のお陰だった。そして、玉依姫と会って、スサノオが御先祖様だと知らされた。豊玉姫琉球の人かもしれないと思って、色々と調べていたが、スサノオが御先祖様だったなんて考えてもいなかった。
 今、思えば、曾祖父のヤグルー大主(うふぬし)が対馬の早田(そうだ)氏と鮫皮(さみがー)の取り引きを始めたのも、祖父のサミガー大主が馬天浜に移って来て鮫皮作りを始めたのも、父のヒューガが琉球に来たのも、サハチがスサノオの神紋である三つ巴を家紋に決めたのも、すべて、スサノオのお導きだったのかもしれない。もしかしたら、玉依姫に母親の豊玉姫と妹のアマン姫を会わせるのが、あたしの役目なのかもしれないとササは思った。
 ササは玉依姫にお礼を言って別れた。
 翌日、ササは女子サムレーたちを連れて、またやって来て、豊玉姫のお墓の周りを綺麗にした。
「ありがとう」とお礼を言った玉依姫の声はササだけでなく、シンシン、シズ、ナナもはっきりと聞いていた。

 

 

 

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