長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

2-108.舜天(改訂決定稿)

 奥間(うくま)ヌルが首里(すい)に来た。
 サハチ(中山王世子、島添大里按司)は驚いて、焦った。一昨年(おととし)の冬、ウニタキ(三星大親)と一緒に伊平屋島(いひゃじま)に行く途中、奥間に寄って会った時、奥間ヌルは、いつか首里に行きたいと言っていた。しかし、娘のミワがまだ幼いので、五年後くらいだろうと思って安心していた。勘のいいマチルギが奥間ヌルと会って、すべてがばれてしまうのではないかと恐れた。
 サハチは首里グスクの百浦添御殿(むむうらしいうどぅん)(正殿)の二階で、亡くなったクマヌ(先代中グスク按司)から頼まれていた孫娘の嫁ぎ先を探していた。ウニタキの配下や奥間大親(うくまうふや)(ヤキチ)の配下に頼んで、各地の按司の子供たちを調べさせた書類を見ていた。
 知らせを持って来た侍女は、マチルギが迎えに出たと言っていた。サハチも迎えに行きたいが、余計な事を勘ぐられるような気がして、やめた。しかし、出迎えに行かなければ、逆に怪しまれるような気がして、サハチは立ち上がった。
 どやどやと階段を登って来る音がして、マチルギが奥間ヌルを連れて来た。馬天(ばてぃん)ヌル、運玉森(うんたまむい)ヌル(先代サスカサ)、麦屋(いんじゃ)ヌル(先代与論ヌル)、マチとサチとカミー、見た事もない若いヌルもいた。ヂャンサンフォン(張三豊)と奥間大親も一緒だった。
「お久し振り」と奥間ヌルはサハチに手を上げた。
 やけに陽気だった。
「ようこそ」とサハチは笑って、
「サタルーが留守なのに、出て来て大丈夫なのですか」と奥間ヌルに聞いた。
「長老がいるから大丈夫ですよ」
「いい旅だったわ」と馬天ヌルが言った。
「あたしが南部のウタキ(御嶽)を巡ると言ったら、一緒に行くと言って、奥間ヌルも付いて来たのよ」
「その娘は誰です?」とサハチは知らない若ヌルを見た。
「読谷山(ゆんたんじゃ)の東松田(あがりまちだ)の若ヌルよ。一緒に安須森(あしむい)まで行って来たの。南部も一緒に巡るわ」
 東松田の若ヌルは恥ずかしそうな顔をして、サハチに挨拶をした。マチやサチよりも若くて、綺麗な目をした娘だとサハチは思った。
 侍女にお茶を出すように命じて、サハチはみんなから旅の話を聞いた。
 運天泊(うんてぃんどぅまい)の勢理客(じっちゃく)ヌルの屋敷に突然、湧川大主(わくがーうふぬし)が現れて、ヂャンサンフォンは十日間、湧川大主と勢理客ヌルに武当拳(ウーダンけん)を指導したという。湧川大主から明国(みんこく)の海賊の耳に入って、ヂャンサンフォンが琉球にいる事がばれないかとサハチは心配した。
 安須森の麓(ふもと)の辺戸(ふぃる)村で馬天ヌルは、佐敷ヌルと同じように神様扱いをされて参ったと言った。安須森は凄いウタキで、馬天ヌルと運玉森ヌルは神様たちから色々な事を教わってきたらしい。安須森には三日間滞在して、奥間に戻って、ゆっくり休んでから運天泊に行って、ヂャンサンフォンと合流して帰って来たという。勝連(かちりん)に寄った時、山伏姿のテーラー(瀬底之子)と会ったと言った。
テーラーが山伏?」とサハチは不思議そうに聞いた。
「最初、わからなかったのよ。向こうから近づいて来て名乗ったわ。どうして、そんな格好をしているのって聞いたら、若い頃、今帰仁(なきじん)にいるアタグ(愛宕)という山伏と一緒に旅をした事があって、山伏の格好をしていれば気ままに旅ができるので、そうしているって言っていたわ」
「中部のグスクを調べているんですかね?」
「多分、そうでしょうね。山北王(さんほくおう)(攀安知)もやるべき事はちゃんとやっているという事ね。ウニタキの『まるずや』は、どこに行っても喜ばれているわよ。今帰仁と名護(なぐ)には『よろずや』があったけど、恩納(うんな)、羽地(はにじ)、国頭(くんじゃん)、金武(きん)にはなかったから、みんな、助かっているって言っていたわ。ウニタキに負けられないから、あたしもヌルたちと仲よくなってきたわよ」
 暗くならないうちに帰ると言って、ヂャンサンフォンと運玉森ヌルはマチとサチを連れて、与那原(ゆなばる)グスクに帰って行った。
「ちょっとわからない事があるのよ」と馬天ヌルは言った。
「安須森の神様たちは殺された恨みからマジムン(怨霊)になってしまったので、朝盛法師(とももりほうし)に封印されてしまったわ。安須森ヌルを継ぐ者が現れた時に、封印は解けると言ったらしいの。そして、佐敷ヌルが安須森に行って、封印は解けたわ。封印されていた二百年の間に神様の怒りも恨みも治まって、神様は皆、喜んでいるわ。そんな凄いシジ(霊力)を持っていた朝盛法師のウタキが、どこかに必ずあるはずなんだけど、それがどこだかわからないのよ」
「朝盛法師は舜天(しゅんてぃん)(初代浦添按司)に仕えて、浦添(うらしい)で亡くなったんじゃないのですか」とサハチは言った。
「久高島(くだかじま)の大里(うふざとぅ)ヌルの神様の話だと、琉球の娘と一緒になって子供もできたって言っていたわ。子孫もいるはずなのよ」
「二百年も前の話ですからね。朝盛法師の子孫たちも、舜天の一族と一緒に滅ぼされてしまったんじゃないですか」
「そうかもしれないけど、ウタキはあるはずだわ」
「朝盛法師のウタキを探すつもりなのですね」とサハチが聞くと、馬天ヌルは神妙な顔をしてうなづいて、「お礼を言わなければならないわ」と言った。
「あたし、若い頃に、先代の奥間ヌル様と屋嘉比(やはび)のお婆と一緒に、旅をした事があるんです」と奥間ヌルが言った。
「その時、浦添にヤマトゥンチュ(日本人)のウタキがあったのを覚えています。どうしてこんな所にヤマトゥンチュのウタキがあるんだろうと不思議に思って覚えているんです」
「そのウタキが朝盛法師のウタキなの?」と馬天ヌルは目の色を変えて聞いた。
 奥間ヌルは首を傾げた。
「あたしには神様の声は聞こえませんでした。先代に聞いたら、昔の浦添按司の御先祖様だろうと言っていました。奥間の御先祖様もヤマトゥンチュなので、ヤマトゥンチュのウタキにお祈りを捧げたようです」
「その場所、覚えている?」
浦添グスクの西(いり)の方の小高い丘の上にありました。行けばわかると思います」
 馬天ヌルは満足そうにうなづいて、「明日、行ってみましょう」と言った。
 前回のウタキ巡りの旅の時、浦添のウタキも巡ったけど、馬天ヌルにはヤマトゥンチュのウタキの記憶はなかった。
「叔母さん、また、南部のウタキを巡るのですか」とサハチは馬天ヌルに聞いた。
「巡るわ。ヌルたちの世代が代わっているのよ。新しいヌルたちに挨拶に行ってくるわ」
「亡くなったクマヌに頼まれている事があるんです。孫娘のマナミーの嫁ぎ先を考えてくれって言われたんです。候補に挙がったのが二人いて、叔母さんにどっちがいいか見極めてきてほしいのですが」
「いいわよ。誰と誰なの?」
「一人は垣花(かきぬはな)の若按司の長男のマグサンルー。もう一人は米須(くみし)の若按司の長男のマルクです。二人とも十六で、マナミーと同い年なんです。来年、婚礼を挙げたいと思っています」
「垣花と米須ね。わかったわ。会って来るわ」
「お願いします」
 水を浴びて、さっぱりしましょうと言って、ヌルたちは帰って行った。
「マナミーの相手が見つかったのね」とマチルギがサハチに言った。
「ああ、疲れたよ。クマヌの頼みだからな。将来、按司になる者に嫁がせたかったんだ。何とか、二人、見つかった」
「垣花と米須か‥‥‥」とマチルギは少し考えてから、「どちらかと言えば、米須の方がいいかもね」と言った。
「俺もそう思うが、相手の都合もあるからな。すでに相手が決まっているかもしれない」
「そうね。でも、中グスク按司の娘なら誰も文句は言わないわよ」
「神様の思し召しに任せよう」
 マチルギはニヤニヤしながら、
「奥間ヌルに初めて会ったけど、妖艶な人ね。あなた、惑わされなかったの?」と聞いた。
「何となく、雰囲気が変わったような気がしたよ。奥間で見た時は、近寄りがたい雰囲気があったけど、馬天ヌルと旅をしたせいか、以前よりも明るくなったような気がする」
「佐敷ヌルの影響かもね。二人は同い年で、仲良しになったって言っていたわ」
「ほう、二人は同い年だったのか」
「今晩、お屋敷にみんなを呼んで飲みましょう」とマチルギは笑って去って行った。
 ササの影響か、マチルギも最近は酒を飲んでいるようだった。
 その夜、奥間ヌルも一緒に飲んだが、奥間ヌルもわきまえていて、娘の父親はマレビト神だと言っただけで誰とは言わず、うまくごまかしていた。そして、マチルギ、麦屋ヌル、奥間ヌルの三人は同年配で意気投合して、馬天ヌルだけがはじき出された感じで、カミーと東松田の若ヌルが待っていると言って早々と引き上げて行った。
 サハチも三人の話にはついて行けず、その場から去って早めに休んだ。


 翌日、馬天ヌル、麦屋ヌル、奥間ヌル、東松田の若ヌルとカミーは浦添に行き、浦添ヌルのカナと会って、ヤマトゥンチュのウタキに向かった。奥間大親は付いては行かず、配下の者たちに陰ながらの護衛を頼んだ。
 カナはチフィウフジン(聞得大君)の神様からヤマトゥンチュのウタキの話は聞いていて、場所を知っていた。古いウタキなんだけど、詳しい事はチフィウフジンの神様にもわからないらしい。カナも時々、お祈りをしているが、そこで神様の声は聞いた事がないという。
「そのウタキは何て呼ばれているの?」と馬天ヌルが聞くと、
「トゥムイダキです」とカナは答えた。
「えっ!」と馬天ヌルは驚いて、麦屋ヌルと奥間ヌルを見た。
「トゥムムイ(朝盛)がトゥムイになまったに違いないわ」
 カナの案内でトゥムイダキに行った一行は、小高い山に登って、山頂にある岩にお祈りを捧げた。馬天ヌルも初めて来たウタキだった。
「そなたはチフィウフジンか」と言う神様の声を馬天ヌルは聞いた。
「違います。わたしの神名(かみなー)はティーダシル(日代)です」
「どうして、チフィウフジンのガーラダマ(勾玉)を持っているんだ?」
「神様のお導きです」
「そうか。そなたは中山王(ちゅうさんおう)を守っているのだな」
「そうです。神様は朝盛法師殿ですか」
「ほう。わしの名を知っておるのか。すでに忘れ去られたものと思っていた」
「神様のお陰で、安須森の封印が解けました。ありがとうございます」
「なに、封印が解けた? 安須森ヌルを継ぐ者が現れたのか」
「はい。わたしの姪の佐敷ヌルです」
「そうか。封印が解けたか。それはよかった。すでに、マジムンはおらんじゃろう」
「はい。マジムンは消えて。神様たちが復活しました」
「よかったのう」
「このガーラダマは、理有法師(りゆうほうし)から取り戻したのですか」
「そうじゃ。真玉添(まだんすい)ヌルのガーラダマじゃったが、真玉添ヌルは殺されて、ガーラダマは奪われた。理有法師が連れて来た巫女(みこ)が持っていたんじゃが、奪い返して、舜天の妹の浦添ヌルのものとなった。舜天の妹は、真玉添ヌルの神名の『チフィウフジン』を継いで、そのガーラダマも受け継いだんじゃ。舜天の一族が滅ぼされて、英祖(えいそ)の時代になっても、浦添ヌルは代々、チフィウフジンを名乗って、そのガーラダマを身に付けていた。英祖の時代から察度(さとぅ)(先々代中山王)に変わる時に、行方知れずになってしまったようじゃ。見つかってよかった。それはかなり古い貴重なガーラダマじゃよ」
「舜天様とその妹の初代浦添ヌル様にも挨拶をしたいのですが、ウタキはどこにあるのでしょうか」
「舜天の墓は浦添グスクの裏にあったんじゃが、英祖に滅ぼされた時、当時の浦添按司、義本(ぎふん)の弟の仲順大主(ちゅんじゅんうふぬし)によって、遺骨は中グスクの北(にし)にある仲順に移されたんじゃよ。ナシムイという丘の上にある。ただし、女子(いなぐ)は入れんよ」
「どうして、女子が入れないのですか」
「仲順大主はヤマトゥ(日本)に行った事があって、ヤマトゥにある女人禁制(にょにんきんぜい)の山の真似をしたんじゃよ。山の中のウタキに入って来るのはヌルたちじゃからな。ウタキが荒らされないように、女子が入れないようにしたんじゃろう」
「今でも女人禁制なのですか」
「仲順大主の子孫が守っているから、女子は入れんよ」
 馬天ヌルは思い出していた。前回のウタキ巡りの時、中グスクヌルに案内されて、中グスクの北にある集落に行った時、女子が入れないウタキがあった。中グスクヌルの話だと、仲順の御先祖様を祀っている神聖な山だと言った。入れないなら仕方がないと行かなかったが、まさか、あれが舜天の墓だったなんて思いもしなかった。
浦添ヌルのウタキは、男が入れん普通のウタキじゃよ」と神様は言った。
浦添ヌル様のウタキはどこにあるのですか」
「舜天の墓と山続きじゃ。一番高い所が喜舎場森(きさばむい)というウタキで、舜天時代の代々の浦添ヌルを祀っている。これも浦添グスクの裏にあったのを、按司の弟の喜舎場大主(きさばうふぬし)が向こうに移したんじゃよ」
「ありがとうございます。さっそく、挨拶に行って参ります。ところで、このウタキを守る子孫の方はいらっしゃらないのですか」
「残念ながら、滅ぼされてしまったんじゃよ」
「そうでしたか。新しい浦添ヌルに守らせます」
「そうか。すまんのう。それにしても、二百年も続いた浦添の都がこんなにも静かになるなんて思わなかったぞ」
「わたしが以前のように栄えさせます」とカナが言った。
 馬天ヌルは驚いて、カナを見た。
「あなた、聞こえるの?」と馬天ヌルはカナに聞いた。
 カナはうなづいた。
 馬天ヌルは麦屋ヌルと奥間ヌルを見た。麦屋ヌルも奥間ヌルも首を振った。
 ササが言った通り、カナは凄いシジを持っているようだった。
 朝盛法師の神様と別れて、一行は喜舎場森に向かった。カナも一緒に付いて来た。
 歩きながらカナは、
「やっぱり、馬天ヌル様は凄いですね」と言った。
「実はあのウタキにササたちを連れて行ったんです。でも、神様は何もおっしゃいませんでした。今回もそうだろうと思ったのに、神様は現れました」
「あら、ササもあそこに行ったの? そうだったの。神様は留守だったのかしら?」
 カナは楽しそうに笑った。
「馬天ヌル様、英祖様なんですけど、父親が誰だか知っています?」とカナは真顔に戻って聞いた。
浦添グスクの近くにあった伊祖(いーじゅ)グスクの按司が英祖様の父親でしょ」と馬天ヌルは答えた。
「わたしも佐敷ヌル様からそう聞きました。でも、違うようなのです」
「何が違うの?」
「英祖様の母親は伊祖按司の娘の伊祖ヌルなんです。英祖様の母親も『ユードゥリ(浦添ようどれ)』に眠っていて、その母親の話によると、英祖様の父親は玉グスク按司の息子で、『サクライノミヤ』というヤマトゥから来た山伏と一緒にヤマトゥに行ったきり帰って来なかったと言うのです」
「えっ!」と馬天ヌルは驚いて立ち止まった。
「すると、英祖様の父親はマレビト神だったの?」
「そういう事になります。マレビト神がティーダ(太陽)の神様に変わって、英祖様はティーダの子だと言われるようになったようです」
「成程ね‥‥‥父親が玉グスク按司の息子なら天孫氏(てぃんすんし)だわね」
「それは、そうとも限らないようです。肝心なのは母親が天孫氏かどうかなんです。玉グスク按司天孫氏ではない娘を妻に迎えると、生まれてくる子供は天孫氏ではありません」
「母親の血筋を重んじるという事ね」
「そうなんです。神様は母親の血筋を重んじるので、父親がヤマトゥンチュでも、母親が天孫氏なら、その子は天孫氏なんだそうです」
「すると、舜天様も母親が大里ヌルだから天孫氏って事なのね」
「そうです。察度様の母親は英慈(えいじ)様(英祖の孫)の孫娘ですから、多分、察度様も天孫氏です。武寧(ぶねい)(先代中山王)は母親が高麗人(こーれーんちゅ)ですから天孫氏ではありません。中山王(うしゅがなしめー)(思紹)は母親が大(うふ)グスク按司の娘なので、天孫氏だと思います。島添大里按司(しましいうふざとぅあじ)(サハチ)様の母親は越来按司(ぐいくあじ)(美里之子)のお姉さんなので、天孫氏だと思います。奥方様(うなじゃら)(マチルギ)の母親は伊波大主(いーふぁうふぬし)の娘さんで、天孫氏かどうかはわかりません。伊波大主の御先祖様が玉グスクとつながりがあれば、天孫氏になります。男の人が天孫氏だったとしても、天孫氏以外の女の人を妻に迎えると、その子は天孫氏ではなくなってしまいます」
「その逆も言えるわね。男の人が天孫氏でなくても、天孫氏の女を妻に迎えれば、子供は天孫氏になるわ」
「そうなんです。ただ、自分が天孫氏かどうかを調べるのは難しい事です。母親の出自を調べなければなりません。わたしの母は大グスクの武将の娘です。一族は皆、戦死してしまったので、出自はわかりません」
「そうね。母親の出自をたどるのは難しいわね」
 カナはうなづいた。
 馬天ヌルの母親は大グスク按司の娘だが、その母親が天孫氏だったかどうかはわからない。父(サミガー大主)の母親は我喜屋(がんじゃ)ヌルだが、やはり、天孫氏かどうかはわからなかった。でも、豊玉姫(とよたまひめ)様が守ると約束したので、兄もサハチも天孫氏に違いないと思った。
「そうか。父親の血筋でいったら、玉依姫(たまよりひめ)様もアマン姫様もヤマトゥンチュになってしまうものね。豊玉姫様の血を引く娘たちを母親に持った人たちが天孫氏なのね」
「そうなんです。それで、英祖様の父親の事なんですけど、母親の伊祖ヌル様から、ヤマトゥに行ったあと、どうなったのか調べてほしいと言われたのです」
 馬天ヌルはカナを見て笑った。
「神様から願い事を頼まれるなんて、凄いじゃない。ササと一緒に調べるといいわ。ササに、その事を言ったの?」
「その事を神様から頼まれたのは、ササがヤマトゥに行ったあとでした」
「来年、ササと一緒にヤマトゥに行ってらっしゃい」
「でも、どうやって調べるのですか」
「何か手掛かりはないの?」
「名前はグルー(五郎)で、玉グスク按司の息子さんなんだけど、若按司じゃなかったようです。旅をするのが好きで、大雨が降っている晩に雨宿りに来て、一夜を共にして、その後、三度会っただけで、ヤマトゥに行ってしまったそうです。別れる時に、ヤマトゥ歌を一首、残したそうで、伊祖ヌル様はそのヤマトゥ歌をずっと守り神のように大切にしていたようです」
「ヤマトゥ歌?」
「今でも、そのヤマトゥ歌を覚えておりました」
 カナは懐から紙切れを出して、馬天ヌルに見せた。ひらがなでヤマトゥ歌(和歌)が書いてあった。
「うむかぎぬ わすらるまじき わかりかな なぐりをひとぅぬ つきにとぅどぅみてぃ」と馬天ヌルは読んだ。
「面影が忘れられない別れかな。名残を人の月にとどめて‥‥‥恋の歌みたいね」
西行法師(さいぎょうほうし)というヤマトゥのお坊さんのヤマトゥ歌だそうです」
「えっ、西行法師?」
「馬天ヌル様は知っているのですか」
 馬天ヌルは笑った。
「兄が好きな歌人よ。旅をしながら歌を詠んだお坊さんで、兄は西行法師のように旅がしたいと言って隠居したのよ。兄は『東行法師(とうぎょうほうし)』って名乗っていたわ」
「そうだったのですか。でも、西行法師の歌だけでは探しようがないですね」
「一緒に行ったというヤマトゥの山伏を調べればわかるんじゃないの。どこの山伏だかわからないの?」
「熊野(くまぬ)の山伏です。浮島(那覇)の波之上(なみのえ)に熊野権現(くまぬごんげん)を建てたのが、その山伏だったそうです」
「そうだったの。熊野権現を建てたという事は、偉い山伏だったのかもしれないわね。波之上の護国寺(ぐくくじ)には行って来たの?」
「まだなんです」
「行けば何かわかるに違いないわ。喜舎場森に行ったら、次に浮島に行きましょう」
「いいんですか」
「あたしたちは今、旅の途中なの。その時の成り行きで動くのが、旅の楽しいところなのよ」
 馬天ヌルは楽しそうに笑って、「そうか。母親の血筋だったのか」ともう一度、言った。
「ちょっと待って、あなた、察度様の母親が英慈様の孫娘って言っていたわね。天女じゃなかったの?」
「察度様の母親のウタキが謝名(じゃな)にあって、神様からお話を聞いたのです。察度様の母親は二人の子供を残して、察度様が幼い頃に亡くなってしまいました。察度様は母方の祖父の敵(かたき)を討って、浦添按司になったのです」
「そうだったの。という事は、察度様にも英祖様の血が流れているのね」
「そうなんです。舜天様から今の中山王まで、ずっとつながっているのです」
「舜天様と英祖様もつながっているの?」
「英祖様の祖父の伊祖按司様は舜天様の息子さんです。伊祖にグスクを築いて、伊祖按司を名乗りました」
「あら、そうだったの。それで、今の中山王にも英祖様の血が流れているの?」
「サミガー大主様の父親は、島尻大里(しまじりうふざとぅ)按司の次男の与座按司(ゆざあじ)の若按司だったと按司様(あじぬめー)(サハチ)から聞きました。初代の島尻大里按司は、英祖様の息子ですから血がつながっているはずです」
「成程ね。舜天様からずっと続いていたのか‥‥‥あなたも色々と調べているのね」
浦添ヌルとして当然の事です」とカナは言った。
 カナは浦添ヌルである事に誇りを持っているようだと馬天ヌルは頼もしく思った。もしかしたら、馬天ヌルが今持っている豊玉姫のガーラダマは、カナが持つべきものなのではないかと思い、カナのガーラダマを見た。カナも立派なガーラダマを持っていた。
「ねえ、あなたのガーラダマは、運玉森ヌル様からいただいたものなの?」と馬天ヌルはカナに聞いた。
「そうなのです。実はこのガーラダマは英祖様のお母様が持っていたガーラダマだったのです」
「えっ、本当なの?」
「わたしも驚きました。わたしがこのガーラダマを持っていたので、神様もわたしにお願い事をしたのだと思います」
「でも、どうして、運玉森ヌル様が伊祖ヌル様のガーラダマを持っていたの?」
「伊祖ヌル様は、英祖様の娘が島添大里按司に嫁いだ時に、ガーラダマを渡したそうです。英祖様が浦添按司になったあと、伊祖グスクは浦添グスクの出城となって、伊祖按司は廃止されてしまいます。伊祖ヌルも必要なくなったので、孫娘にお守りとして渡したそうです。そのガーラダマが代々のサスカサに伝わって、わたしのもとに来たようです」
「運玉森ヌル様は、あなたと出会って、そのガーラダマをあなたに渡すべきだとわかったのね」
「運玉森ヌル様は何も言いませんでしたが、きっと、そうだと思います」
 話を聞いていた奥間ヌルも麦屋ヌルも、不思議な事があるものなのねと感心していた。
 中グスクに寄って中グスクヌルを連れて、久場(くば)に寄って久場ヌル(先代中グスクヌル)を連れて、喜舎場森に着いたのは正午(ひる)を少し過ぎた頃だった。
 喜舎場の集落の後ろにある山が喜舎場森だった。前回、来た時、久場ヌルはあの山には何もないと言った。久場ヌルにその事を聞くと、「すみませんでした」と謝った。
「あの時、馬天ヌル様は舜天様が真玉添のヌルたちを滅ぼしたと言っていたので、仲順と喜舎場の根人(にっちゅ)(長老)たちが怒って、舜天様に関係のあるウタキに、馬天ヌル様を近づけてはならんと言ったのです。それで、御案内できませんでした」
「そうだったの。そんな事があったなんて知らなかったわ。あたしも迂闊(うかつ)だったわね。悪気があって言ったんじゃないけど、舜天様の子孫たちが聞けば気分を害するわね。今は大丈夫なの?」
「『舜天』のお芝居のお陰で、誤解は解けたようです」
「この辺りの人が、あのお芝居を観たの?」
「お芝居好きはどこにもいますよ。『舜天』のお芝居をすると聞いて、浦添まで観に行った人が何人もいるのです。舜天が悪者を倒したので、大喜びしておりました」
「そうだったの。お芝居の力って、思っていたよりも凄いのね。ここで『舜天』のお芝居をやれば、みんな、大喜びするわね」
「旅芸人の一座がここにも来て、『瓜太郎(ういたるー)』を演じたんですけど、今度は『舜天』をやってくれって頼んでいました」
「そうだったの。旅芸人の人たちも大変だわね」
 細い山道を登って行くと見晴らしのいい頂上に出た。大きな木の下にウタキがあった。
 お祈りをすると神様の声が聞こえてきた。
「よくいらしてくれました。母からあなたの娘さんの事は聞きました。わたしたちの父の事を調べてくれたそうですね。父が平家を倒したと言って、母はとても喜んでいました。ありがとうございます」
「いいえ。わたしこそ、いい加減な事を言いふらしてしまって申しわけございませんでした」
「いいえ、あなたが言いふらしたのではありません。真実が隠されてしまっていたので、誰にもわからなかったのです。この村(しま)の人たちも長い間、肩身の狭い思いをしてきましたが、ようやく解放されたと喜んでおります。ありがとうございました」
 馬天ヌルはカナを見た。
 カナはうなづいて、初代浦添ヌルの神様に挨拶をした。
「わたしたちが造った浦添の都も時の流れで寂れてしまいましたが、あなたのお陰で、賑わいを取り戻せそうです。頑張ってくださいね」
 頑張りますとカナは約束した。
 舜天の妹の浦添ヌルと別れて、山を下りると村の人たちが待っていて、歓迎してくれた。前回の旅の時、会ってくれなかった仲順ヌルと喜舎場ヌルもいた。根人たちの案内で、舜天のウタキもお参りした。柵に囲まれていて、女子は中に入れないが、柵の手前で拝むと、神様の声が聞こえてきた。
「わしは知っておったんじゃよ」と舜天は言った。
「鎌倉殿(源頼朝)が亡くなったとの噂を聞いて、朝盛法師殿がヤマトゥに行ったんじゃ。もう六十を過ぎていたので、無理をするなと言ったんじゃが、やり残した事があるから行かなければならないと言って、法師殿はヤマトゥに行って来た。そして、親父の事を調べてきたんじゃよ。鎌倉殿が平家を倒すために兵を挙げた事を知ると、親父は熊野の兵を引き連れて出陣した。しかし、負け戦が続いて、甥の木曽次郎(義仲)と一緒に京都に攻め込むが、木曽次郎と対立して、結局は鎌倉殿に追われる身となって、討ち死にしたと聞いたんじゃ。平家が滅亡した壇ノ浦の合戦にも親父は参戦していない。あまりに惨めで、わしは母には言えなかった。妹にも言っていない。朝盛法師殿は無理なヤマトゥ旅が祟ったのか翌年、亡くなってしまった。親父の事はわしの胸にずっとしまっておいたんじゃ。しかし、母から真相を聞いて、わしは驚いた。鎌倉殿が蜂起したのも、各地の源氏が蜂起したのも、親父が三条宮様(さんじょうのみやさま)(以仁王(もちひとおう))というお方の平家打倒の命令の書を持って、各地を回ったからだと知った。平家打倒の原因を作ったのは、親父だったんだ。親父がそれをしなかったら、平家を滅ぼす事はできなかっただろう。わしは親父を誇りに思う事ができた。本当にありがとう」
 馬天ヌルは何も言えなかった。
 舜天の声を聞いていた根人たちが泣いていた。
 馬天ヌルたちは村の人たちにお礼を言って帰ろうとしたが、村人たちは帰してくれなかった。根人の屋敷に招待されて、歓迎の宴(うたげ)が開かれた。
「成り行きに任せましょう」と馬天ヌルは楽しそうに笑った。
 楽しい宴がお開きになったあと、
「ありがとうございました」と久場ヌルが馬天ヌルにお礼を言った。
「仲順と喜舎場は昔から閉鎖的な所で、中グスク按司に心を開いてくれなかったのです。何とかしようと、わたしは仲順ヌルと喜舎場ヌルを何度も訪ねていたのですが、心を通わす事はできませんでした。馬天ヌル様のお陰で、何とかなりそうです。本当にありがとうございます」
「神様のお陰ですよ」と馬天ヌルは言った。
 翌日、久場ヌルと中グスクヌルと別れ、馬天ヌルたちは浮島に向かった。
 ヤマトゥの船も帰って、浮島は閑散としていた。波之上の熊野権現をお参りして、護国寺を訪ねた。熊野権現を創建した人の事を訪ねると、少し待たされて、住職の頼善和尚(らいぜんおしょう)が現れた。
護国寺を創建したのは、坊津(ぼうのつ)の一乗院の頼重法印(らいじゅうほういん)殿です。わたしは二代目の住職として、一乗院より参りました。熊野権現様がこの地に勧請(かんじょう)されたのは、護国寺が創建される百年以上も前の事だそうです。どなたが勧請されたのかは、残念ながらわかりません。当時、ヤマトゥの国は宋(そう)の国と盛んに交易をしていたようなので、宋に行く途中、熊野の山伏がここに立ち寄って、勧請されたものと思われます」
熊野権現を建てたお人は、『サクライノミヤ』という名前の山伏だったらしいのですが、心当たりはありませんか」と馬天ヌルは聞いた。
「サクライノミヤ?」と言って、和尚は首を傾げた。
法親王(ほうしんのう)様が何とかの宮を名乗る事はありますが、まさか、法親王様が琉球に来られる事はありますまい」
法親王様とは何ですか」
天皇の息子さんが出家なさると法親王様と呼ばれるんじゃよ」
「そんな偉いお人が琉球には来ませんね。ヤマトゥにサクライノミヤという神社はありませんか。そこの山伏かもしれません」
「さあのう。あるかもしれんが、わからんのう」
「熊野にそんな神社はありませんか」とカナが聞いたが、和尚は首を傾げた。
「やっぱり、ヤマトゥに行かなければわからないわよ」と馬天ヌルはカナに言った。
「あとの手掛かりは玉グスクね。行ってみる?」
 カナはうなづいた。
 浮島の『よろずや』に寄って、父の浦添按司に手紙を渡すようにカナは頼んで、馬天ヌルたちと一緒に南部のウタキ巡りの旅を続けた。

 

 

 

日本陰陽道史話 (平凡社ライブラリー)   図説 日本呪術全書