長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部はその後の尚巴志の活躍です。お楽しみください。

2-137.山南志(第二稿)

 ウニタキが今帰仁(なきじん)から帰って来たのは、年が改まる三日前だった。湧川大主(わくがーうふぬし)が鬼界島(ききゃじま)(喜界島)から帰って来たという。
「今の所、戦(いくさ)の準備はしていないが、来年の正月の半ば頃には南部に兵を送るようだ」とウニタキは言った。
「湧川大主が来るのか」とサハチは聞いた。
「それはまだわからん。油屋からの情報で、摩文仁(まぶい)が不利な事は知っている。他魯毎(たるむい)の味方として兵を出すのなら、単なる援軍に過ぎん。湧川大主が出て行くまでもないだろう。兵を送って、テーラーに任せるんじゃないのか」
「そうか。それで、湧川大主は鬼界島を攻め落としたのか」
「城下の様子ではそのようだな。勝利を祝って城下はお祭り騒ぎだ」
「やはり、鉄炮(てっぽう)(大砲)の威力か。鬼界島の次に、トカラの宝島が狙われたら助けに行かなければならんな」
「ヒューガ殿とササの出番だな」
「ササか。ササが行くと言うかな」
「ササは宝島の神様だろう。島人(しまんちゅ)たちを助けなければなるまい。こっちの様子はどうなんだ?」
 保栄茂按司(ぶいむあじ)が保栄茂グスクに戻り、テーラーが新しいグスクを築いていて、イシムイが賀数按司(かかずあじ)になって、イシムイも新しいグスクを築いている事をサハチはウニタキに教えた。
「イシムイが賀数按司か。玻名(はな)グスクはどうなんだ?」
「進展はない。兵糧(ひょうろう)もまだ余裕があるようだ。避難した城下の者たちが時々、念仏踊りをやっているらしく、『ナンマイダー』の声が聞こえて来るそうだ」
「念仏踊りか。辰阿弥(しんあみ)は今、どこにいるんだ? 奴に弟子を二人付けて護衛をさせているんだが」
「辰阿弥の弟子というのはお前の配下だったのか。玻名グスクには入れてもらえなかったので、米須(くみし)の城下に行ったようだが、今、どこにいるのかは知らん。そろそろ、与那原(ゆなばる)に帰って来るだろう」
「そう言えば、小渡(うる)ヌルだが、油屋の船に乗って帰って行ったぞ」
「知っている。よほど『まるずや』が気に入ったと見えて、帰って来たら首里(すい)の『まるずや』で買い物をしていた。チュージに用があって、『まるずや』に行ったんだが、小渡ヌルと会って、島添大里まで連れて行ったんだよ」
「そうか。面白い女子(いなぐ)だろう」
「ああ、ササと気が合って、今、一緒にウタキ巡りをしているよ」
「ササの仲間がまた一人増えたな」
 サハチはうなづいた。
「年齢はササより十歳も年上なんだが、小渡ヌルは年齢とか身分とかは一切、気にしないようだ。ただ、殺された親父の事は気になっていたようだぞ。俺の事を疑っていて、佐敷ヌルに弟子入りしたらしい」
「そうだったのか。小渡ヌルの親父は望月党に殺されたんだったな」
「お前が敵(かたき)を討ったと教えてやったよ」
「小渡ヌルも敵討ちをしようとしていたのか」
「そのようだが、望月党の事は知らなかった」
 馬天(ばてぃん)ヌルに呼ばれて、百浦添御殿(むむうらしいうどぅん)に行っていた思紹(ししょう)が戻って来た。
「おう、帰って来たか。御苦労じゃった」と思紹はウニタキに言って、二人の前に腰を下ろした。
「山北王(さんほくおう)は動きそうか」と思紹はウニタキに聞いた。
「今は戦勝気分に浮かれていますので、年が明けてからになると思います」
「鬼界島攻めは成功したのか」
「そのようです」
「参ったのう。トカラの島々まで奪われたら、ヤマトゥに行くのも難しくなってしまう」
「少し早いけど、トカラの島で山北王と戦わなくてはならなくなりそうです」
「海戦か‥‥‥わしらも鉄炮を乗せた船が欲しいのう」
「ソンウェイが持って来るとは思いますが、いつになるやらわかりません。奴もムラカ(マラッカ)まで行っているので忙しいですからね」
「その事はまた考えるとして、山北王が糸満(いちまん)に来る前に、わしらは動かなければならん。東方(あがりかた)の按司たちは玻名グスクから動けないので、米須(くみし)、真壁(まかび)、山グスク、伊敷(いしき)、ナーグスクは中山王(ちゅうさんおう)の兵で落とさなければならんぞ」
「米須グスクを守っているのは若按司です。米須按司は世子(せいし)として島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスクにいるし、弟の摩文仁按司(まぶいあじ)は李仲(りーぢょん)グスクを奪い取って、李仲グスクにいます。説得するのは難しいかもしれませんが、包囲して置いて、摩文仁が降伏すれば、若按司も降伏するでしょう」
摩文仁が降伏するかのう」
他魯毎の兵と山北王の兵で攻めれば何とかなると思いますが」
「抜け穴があるからのう。奴らを閉じ込める事はできん。山北王の兵が加わったとしても状況は変わらんじゃろう」
「抜け穴の事は鍛冶屋(かんじゃー)たちが調べています」とウニタキが言った。
「抜け穴の出口がどこにあるにせよ、ぞろぞろと兵たちが出て来れば、必ず、誰かに見られているはずです。見た者を探していますが、今の所、見つかっていません」
「それを見つける事ができれば、一番の手柄じゃな」
「米須グスクと真壁の城下には鍛冶屋と木地屋(きじやー)がいるからいいが、山グスクは潜入できそうか」とサハチはウニタキに聞いた。
「難しい」とウニタキは首を振った。
「玻名グスクが攻められる前は大した守りもしていなかったので、忍び込む事ができて、グスク内の様子は調べたが、今は厳重に警固されていて侵入するのは不可能だろう」
 苗代大親(なーしるうふや)と奥間大親(うくまうふや)を呼んで、絵地図を睨みながら、綿密な作戦を練った。

 


 年が明けて、永楽(えいらく)十二年(一四一四年)になった。首里も島添大里(しましいうふざとぅ)も佐敷も平田も与那原も、例年通りの新年を迎えていたが、八重瀬(えーじ)は忙しかった。八重瀬グスクの焼け落ちた屋敷の残骸は何とか片付け終わって、マタルーの家族は二の曲輪(くるわ)にある若按司の屋敷で暮らしていた。与那原にいた時は運玉森(うんたまむい)ヌルがいたが、八重瀬にはまだヌルがいなかった。娘のチチーは今年から、ササのもとでヌルになるための修行を始める事になっていた。
 マタルーは姉の佐敷ヌルに新年の儀式を頼んだ。島添大里にはサスカサがいるので大丈夫よと引き受けてくれ、年の暮れに娘のマユを連れてやって来た。
 佐敷ヌルは一の曲輪の屋敷が焼け落ちた跡地を、若ヌルのマユと一緒にお清めをした。戦死したエータルーとサムレーたちの冥福(めいふく)を祈ったあと、グスク内とグスクの周辺にあるウタキを巡って、神様にも挨拶をしていた。
 古い神様の話によると八重瀬グスクを築いたのは英祖(えいそ)の孫の英慈(えいじ)だという。英慈が浦添按司(うらしいあじ)になって浦添に移ったあと、次男が二代目の八重瀬按司となった。長男は浦添の若按司となって、父と一緒に浦添に移っている。英慈には六人の息子がいて、長男は浦添の若按司、次男は八重瀬按司、三男は北原按司(にしばるあじ)、四男は玉グスクに婿に入って玉グスクの若按司となり、五男は中グスクに婿に入って中グスクの若按司となり、六男は徳之島按司(とぅくぬしまあじ)になっている。
 英慈が亡くなった時に家督争いが起こった。古くから南部で勢力を持っていた玉グスク按司の後押しで、四男の玉グスク若按司が兄たちを倒して勝利を納め、浦添按司になった。二代目の八重瀬按司は戦死して、まだ九歳だった若按司が三代目を継いだ。三代目は察度(さとぅ)が浦添を攻めた時に極楽寺(ごくらくじ)にいて戦死して、四代目は汪英紫(おーえーじ)の奸計によって滅ぼされた。二代目、三代目、四代目は皆、無念のうちに戦死していた。
 佐敷ヌルと若ヌルは鎮魂の祈りを捧げて、神様たちの怒りを鎮めた。
 新年の儀式は佐敷ヌルと若ヌルによって厳粛に執り行なわれ、八重瀬按司となったマタルーの新しい年は始まった。

 


 玻名グスクを包囲している戦陣でも、ササたちによって新年の儀式が行なわれ、儀式のあとには酒と料理も配られた。与那原の新年の儀式は運玉森ヌルに任せて、酒と料理を積んだ荷車と一緒にササたちは大晦日(おおみそか)にやって来ていた。
 ササは辰阿弥(しんあみ)と福寿坊(ふくじゅぼう)、無精庵(ぶしょうあん)も連れて来て、辰阿弥と福寿坊は念仏踊りを兵たちと一緒に踊って新年を祝い、無精庵は具合が悪そうな兵たちを診て回った。
 祝い酒を飲みながら念仏踊りを見ていた平田大親(ひらたうふや)が、
「明日もこの様に騒いでいたら、敵がグスクから出て来るかもしれんな」と言ったら、
「それは使えるかもしれませんよ」と手登根大親(てぃりくんうふや)が手を打った。
「明日は酒は飲まず水だけで、みんなに酔った振りをしてもらって、敵を誘い出すのです。兵たちが酔っ払っていると思えば、敵は御門(うじょう)を開けて出て来るでしょう。御門が開いたら、待機していた兵がグスク内に攻め込めば、攻め落とせるかもしれません」
「面白そうだな」と平田大親はうなづいて、総大将の佐敷大親と相談し、按司たちを集めて、綿密な作戦を練った。
 翌日、兵たちは水を飲みながら酔っ払った振りをして、前日以上の馬鹿騒ぎを演じたが、敵兵が攻めて来る事はなく、グスク内でも負けずに馬鹿騒ぎをしていた。
「敵は乗って来なかったな」と平田大親は苦笑した。
「キンタから聞いたんだが、座嘉武大親(ざかんうふや)というサムレー大将がいて、なかなかの武将だそうだ。隙を見せたら、付け込まれるから気を付けろと言っていた」と佐敷大親が言った。
「そんな武将がいたのか」
今帰仁合戦の時に活躍したようだ。山南王の進貢船(しんくんしん)の護衛のサムレー大将として明国にも行っているそうだ」
「玻名グスクのサムレー大将が山南王の進貢船に乗って行ったのか」
「玻名グスクには山南王の正使を務めたシラーという男がいたんだ。座嘉武大親はシラーの息子なんだよ。それで進貢船に乗れたのだろう」
「ほう。明国に行ったサムレー大将がいたとは驚いた。兵法(ひょうほう)とやらにも詳しいかもしれんな」
 佐敷大親はうなづいて、「油断は禁物だ」と気を引き締めた。

 


 島尻大里グスクでも盛大に新年を祝っていた。元旦は按司たちもそれぞれのグスクで新年を祝ったが、二日には按司たち全員が島尻大里グスクに集まって、王様の格好をした摩文仁の新年の挨拶を聞いた。
「豊見(とぅゆみ)グスクの他魯毎はヤマトゥの商人たちとの取り引きに励んでいるが、好きにさせておけばいい。やがて、それらの品々はすべて、わしらの物となる。豊見グスクを倒して、今年はいい年にしようぞ」と摩文仁が言うと按司たちは一斉に鬨(とき)の声を上げた。
 その後は遊女(じゅり)たちも加わって、華やかな宴(うたげ)となった。
 保栄茂按司が保栄茂グスクに戻って、テーラーが保栄茂グスクの北に新しいグスクを築いている事を知った摩文仁は、保栄茂按司が寝返るのも近いと見ていた。山北王の兵もまもなくやって来るだろう。次男の摩文仁按司の配下の者が今、今帰仁にいる。山北王が戦の準備を始めたら知らせが来るはずだった。山北王の兵が糸満に着く前に、保栄茂按司を寝返らせなくてはならなかった。
 保栄茂按司の側近の二人のサムレー、前原之子(めーばるぬしぃ)と小禄之子(うるくぬしぃ)はすでに味方と言えた。保栄茂按司、前原之子、小禄之子の三人は真壁大主(まかびうふぬし)のもとで一緒に武芸の修行に励んだ仲のいい仲間だった。前原之子は真壁大主の次男、小禄之子は小禄按司(うるくあじ)の次男で、他魯毎よりも保栄茂按司が山南王になる事を望んでいた。
 保栄茂按司がこちらに付けば、様子を窺っている瀬長按司(しながあじ)と小禄按司も寝返るはずだった。中山王を憎んでいる兼(かに)グスク按司(ジャナムイ)も、未だに新垣ヌルを想っている長嶺按司(ながんみあじ)も寝返るだろう。
 中山王が他魯毎の味方をしたとしても、長嶺川(長堂川)で食い止めればいい。豊見グスクは大軍に包囲され、糸満の港は山北王の船に海から攻撃されて全滅するだろう。
 摩文仁は目の前の勝利を予感して、ニヤニヤしながら祝い酒を飲んでいた。

 


 豊見グスクの城下では例年通りの新年を迎え、グスク内では豊見グスクヌルと座波(ざーわ)ヌルによって新年の儀式が行なわれた。他魯毎は山南王として、李仲按司(りーぢょんあじ)と重臣たちを前に新年の挨拶をしたが、シタルーの死を悼んで、祝宴も控えめだった。
 祝宴が終わったあと、他魯毎は王妃の部屋に呼ばれて、「今後、わたしは身を引いて、あなたにすべてを任せます」と言われた。
 他魯毎は驚いた。王妃のやる事を煩(わずら)わしいと思ってはいても、まだ、王として自立する自信はなかった。
「俺はまだ完全に山南王になっていません。敵を倒して、正式に王になるまでは、今まで通りに後見をお願いします」
「何を言っているのです」と王妃は笑った。
「あなたはすでに正式な山南王です。ここには王様の着物も王冠もありませんが、そんなのはどうでもいい事です。明国の皇帝から賜わった王印を持っている者が王様なのです」
 そう言って王妃は、漆(うるし)塗りの豪華な箱に納められた王印を他魯毎に渡した。金色に輝く王印を見て、他魯毎は父が山南王になったばかりの時に、王印を見せてもらった時の事を思い出した。
「やがてはお前がこれを継ぐ事になろう」と父は言ったが、その時の他魯毎にはまったく実感がわかなかった。今、久し振りに王印を見て、父の跡を継がなければならないと他魯毎は肝に銘じていた。
摩文仁がそれを狙っているわ。グスク内に敵の間者(かんじゃ)がいるので、厳重に隠しておかなければならないわ」
「わかりました。以前と同じ所に隠しておいて下さい」
 王妃はうなづいて、王印をしまうと、豊見グスクヌルを呼んで王印を渡した。
「姉上が持っていたのですか」と他魯毎が言うと、
「神様に預かってもらっているから安心しなさい」と豊見グスクヌルは笑った。
 次の日、他魯毎は山南王として、按司たちの挨拶を受けた。挨拶のあとは祝宴が開かれた。祝宴も終わって按司たちも帰った夕方、王妃を訪ねて来た男がいた。他魯毎は妻のマチルーと一緒に王妃の部屋で、王妃としての心構えを聞いていた。
「今日からあなたが王妃よ」と今朝、王妃から言われたマチルーは驚いた。
 他魯毎が山南王になれば、マチルーが王妃なのは当然なのだが、頼りがいのある義母がいるので、自分が王妃だという自覚はなかった。突然、王妃だと言われても、王妃として何をしたらいいのか、まったくわからない。他魯毎に相談したら、王妃に聞くしかないと言われ、一緒に王妃の部屋に来ていたのだった。
 訪ねて来た男の名を聞いて、王妃は驚いた。
「誰なんです?」と他魯毎は母に聞いた。
「島尻大里グスクの書庫番の人よ。人付き合いは苦手なんだけど、記憶力が物凄くいいの。書庫の中にある書物をすべて覚えていて、何がどこにあるのかみんな知っているのよ。難しい書物も一度、読んだらすべてを覚えてしまうわ。そんな宅間之子(たくまぬしぃ)に、お父様は山南王の歴史をまとめてくれって頼んだの。もしかしたら、それが完成して、届けに来てくれたのかもしれないわね」
「そんな凄い人がいたなんて知らなかった」と豊見グスク按司は言った。
 王妃は笑って、「あの人の才能を知っているのは、お父様とあたしと法林禅師(ふうりんぜんじ)様だけよ」と言った。
「法林禅師様といえば、島尻大里の城下で子供たちに読み書きを教えているヤマトゥンチュでしょう」
「そうよ。お父様の師匠でもあるわ。法林禅師様があの人の才能に気づいて読み書きを教えて、お父様の所に連れて来たのよ。まともに挨拶もできない人だけど、書庫番なら務まるだろうと思って使っていたの」
 部屋に案内されて来た宅間之子は怯えていて、王妃の言った通り、挨拶もろくにできず、部屋の隅にうずくまっていた。間の抜けた顔をしていて、豊見グスク按司は知恵遅れじゃないのかと思った。
「わざわざ来てくれたのね。ありがとう」と王妃が言うと、宅間之子は嬉しそうな顔をして、王妃に一冊の書物を渡した。
 表紙には癖のある字で『山南志(さんなんし)』と書いてあった。
「完成したのね」と王妃が言うと、宅間之子はまた嬉しそうに笑った。
 まるで、子供のようだとマチルーは思った。これだけ王妃を慕っているという事は、王妃が何かと面倒を見ていたのだろう。普通なら、誰も見向きもしないようなこんな人までも面倒を見ていたなんて、やはり、王妃は凄い人だと思った。見習わなければならないけど、自分にできるかどうか、マチルーには自信がなかった。
 王妃が『山南志』を見ると、洪武(こうぶ)十三年(一三八〇年)に島尻大里按司が初代の山南王になってから、シタルーの死までの出来事が詳しく書いてあった。漢字とひらがなが混ざった文体で読みやすかった。シタルーの死は、ただ四代目山南王死すと書いてあるだけで、詳しい理由は書いてなかった。王妃はそれでいいと思った。
 ざっと見ただけだが、シタルーが山南王の官生(かんしょう)として留学した事や、国場川(くくばがー)でハーリーを始めた事も書いてあった。王妃は当時の事を思い出した。
 シタルーが留学中に義父は山南王になった。その時、父の察度(さとぅ)は先見の明があったと確信したのだった。義父が八重瀬按司になった時、父はあの男は凄い事をやるだろうと言って、シタルーの姉を武寧(ぶねい)の嫁に迎え、わたしはシタルーの妻になった。お嫁に来て二年後、義父は島添大里按司になった。そして、山南王にまで上り詰めたのだった。
 明国から冊封使(さっぷーし)が来て、シタルーが正式に山南王になった事も書いてあり、首里グスクの築城の事も書いてあった。関連事項として、中山王の察度や武寧の事も書いてあり、王妃は出来映えに満足した。シタルーが見たら、さぞ喜ぶだろうと思った。
「ありがとう。先代の山南王に代わってお礼を言うわ。よくこれだけまとめられたわね。さすがだわ」と王妃は宅間之子を褒めた。
 宅間之子は幸せそうな顔をして、王妃に折りたたんだ紙を渡した。
「なに?」と聞いても、宅間之子は笑っているだけで答えなかった。
 王妃が紙を開いてみると、絵が描いてあった。始めは何の絵だかわからなかったが、『島尻大里』とか『与座岳』とか書いてあるので絵地図だとわかった。その絵地図を見つめていた王妃は、「あっ!」と驚いて宅間之子を見た。
「抜け穴なのね?」と王妃が聞くと、宅間之子は嬉しそうに笑った。
「ゆっくりでいいから、教えてね」と王妃は言って、「これは書庫にあったの?」と聞いた。
 宅間之子は笑ったまま首を振って、
「抜け穴を通ってここに来た」と言った。
「あなた、抜け穴を通って来たの?」
「出口は三つ」と言って、宅間之子は絵地図を見て、その場所を示した。
 王妃の質問にたどたどしく答える宅間之子の言葉を要約すると、抜け穴の事を王妃に知らせたかったが、抜け穴の入り口にはいつも見張りがいて近づけなかった。今朝早く、見張りの者たちも祝い酒で酔って眠っていたので入る事ができた。シタルーからもらった蝋燭(ラージュ)(ろうそく)を使ってガマ(洞窟)の中を調べて、三つの出口を見つけた。出口から出て、そこがどこなのか調べて絵図を描いたという。
 王妃は宅間之子にお礼を言って、李仲按司を呼ぶと今後の作戦を練った。

 

 

 

蒼ざめた微笑