長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

2-171.ドゥナン島(改訂決定稿)

 ササ(運玉森ヌル)たちは十日間、『クン(古見按司』と対抗するために、『ユーツン(高那)』の若者たちと娘たちを鍛えていた。
 若ツカサの『リン』と『ユマ』は思っていたよりも強く、若者たちもその強さに驚いていた。二人は『ミッチェ』のもとで修行を積んで、ユーツンに帰って来てからも稽古は続けていたが、その実力を披露する事はなかったので、誰もその強さを知らなかった。二人の強さを知った若者たちは、女に負けてはいられないと真剣に剣術の稽古に励んだ。
 あとの事は『リン』と『ユマ』、そして、『ユーツン姫』に任せておけば大丈夫だろうと、五十本のヤマトゥ(日本)の刀を贈って、十月の末、ササたちは『ドゥナン島(与那国島)』に向かった。
 『ドゥナン島』は思っていたよりも遠かった。天気がよくて波も穏やかだったが、風に恵まれなかった。ササは焦る事はないわと言ったが、愛洲(あいす)ジルーは船乗りたちに艪(ろ)を漕がせた。
 太鼓の音に合わせて掛け声が響き渡って、船は気持ちよく進んで行った。一時(いっとき)(二時間)ほど漕ぐと風が出て来た。漕ぐのをやめて、帆を上げて、あとは風の力で進んで行った。
 正午(ひる)前に丁度中間地点に来たのか、前方に『ドゥナン島』が見え、後方に『クン島(西表島)』が見えた。
「このまま順調に行けば、日が暮れる前に『ナンタ浜』に着くでしょう」とムカラーが言った。
「ただ、『ドゥナン島』の手前に難所があって、船がかなり揺れますので覚悟していてください」
 ササはうなづいて、クマラパから『ドゥナン島』の事を聞いた。
 クマラパは楽しそうに笑って、
「『ドゥナン島』は、男にとって夢の島じゃよ」と言った。
「どういう意味ですか」と安須森(あしむい)ヌル(先代佐敷ヌル)が聞いた。
「あの島には夫婦という決まりがないんじゃ。男は女のもとに通って、女が承諾すれば結ばれるんじゃよ。生まれた子供は女が育てる。夫婦という決まりがないから、男は別の女の所にも通うし、女は別の男でも気に入れば迎えるんじゃ。それは島人(しまんちゅ)だけでなく、よそ者にも言える事なんじゃよ。島の女が受け入れてくれれば、いい思いができるというわけじゃ」
「クマラパ様もいい思いをしたのですね?」と安須森ヌルが横目で睨んだ。
「『ドゥナン島』にわしの子供が二人おるんじゃよ。まだ、マズマラーに出会う前の事じゃ。息子はすでに四十を過ぎ、娘も三十の後半じゃ。前回、行ったのは五年前じゃった。タマミガと多良間島(たらま)のトンドを『ターカウ(台湾の高雄)』に連れて行った時じゃよ。五年振りの再会じゃな」
「『ターカウ』に行く船は必ず、『ドゥナン島』に寄るのでしょう?」とササが聞いた。
「ああ、そうじゃ。『ターカウ』に行くには『黒潮(くるす)』を越えなくてはならんからな、いい風を待たなくてはならん」
「すると、『与那覇勢頭(ゆなぱしず)様』や『アコーダティ勢頭様』の子供もいるのではありませんか」
「ハハハハ」とクマラパは楽しそうに笑って、「その通りじゃ」と言った。
「『アコーダティ勢頭』が小舟(さぶに)に乗って、『ドゥナン島』に行ったのは十八の時じゃった。島の娘たちにもてて、『ミャーク(宮古島)』に帰るのはやめようかと悩んだそうじゃ。『アコーダティ勢頭』の娘もいるし、『野崎按司(ぬざきあず)』の娘も、『与那覇勢頭』の娘もいるよ。そういえば、『平久保按司(ぺーくばーず)』の娘もいたな」
「娘ばかりで、息子はいないのですか」
「息子もおるよ。『与那覇勢頭』の息子と『ウプラタス按司』の息子もおったのう」
「まったく、男っていやねえ」と安須森ヌルが冷たい目をしてクマラパを見た。
琉球沖縄本島)に行った『ドゥナン島の女按司(みどぅんあず)』が、帰って来てから子供を産みませんでしたか」とササは聞いた。
「『サンアイのユミ』じゃろう。ユミは琉球から帰って来てから娘を産んでいる。『ナーシル』という可愛い娘じゃ」
「ナーシル?」と安須森ヌルとササが同時に言って、顔を見合わせて溜め息をついた。
「『サジルー叔父さん』だわ」とササが言った。
 武芸ばかりに熱中していて、女なんて眼中にないといった叔父の『苗代大親(なーしるうふや)』が、『ドゥナン島の女按司』と結ばれて、娘が生まれたなんて信じられなかった。叔父はきっと知らないのに違いない。苗代大親の娘の『マカマドゥ』には絶対に内緒にしなければならないとササは思った。
「なに、ナーシルの父親は、そなたたちの叔父なのか」とクマラパが驚いた。
「タキドゥン様が『ドゥナン島』に行ったら驚く事があると言って笑っていたのです。叔父は『苗代大親』といって中山王(ちゅうさんおう)の弟で、サムレーたちの総大将を務めています」とササが説明した。
「『ユミ』もいい相手を見つけたようじゃのう。わしがウプラタス按司と一緒に、初めて『ドゥナン島』に行った時、『ユミ』は九歳じゃった。『サンアイのツカサ』の娘で、父親は『倭寇(わこう)』だったという。倭寇といっても、ドゥナン島を襲ったわけではなく、船を修理するために、しばらく滞在していたらしい。その時、ツカサと仲よくなって、『ユミ』が生まれたんじゃよ」
「その倭寇は『ターカウ』の倭寇ですか」
「いや。その時はまだ、『キクチ殿』は来ておらん。『ムラカミ』とかいう倭寇らしい。その倭寇からツカサは『弓』をもらったんじゃ。その『弓』は家宝として大事に飾ってある。そして、生まれてきた娘に『ユミ』という名をつけたんじゃよ」
「『村上』という倭寇だったのですか」とササが聞いた。
「『ムラカミ』という倭寇を知っているのかね」
「ヤマトゥの瀬戸内海に『村上水軍』という海賊がいます。村上水軍南北朝(なんぼくちょう)の戦(いくさ)の時、九州で南朝のために活躍したと聞いています」
 もしかしたら、『あや』のお祖父(じい)さんが『ドゥナン島』に行ったのかしらとササは思った。
「ほう。子孫は海賊をやっているのか」と言ってクマラパは笑った。
「『ユミ』はわしの弟子なんじゃよ。『ムラカミ』という父親も武芸が達者だったようじゃ。『ユミ』も武芸の才能があった。『スタタンのボウ』より一つ年下で、わしが『ボウ』を『ドゥナン島』に連れて行った時には、お互いに負けるものかと稽古に励んでおった。二人は仲よくなって、その時、『ユミ』も一緒に『ターカウ』まで行ったんじゃよ。ドゥナン島しか知らなかった『ユミ』は、ターカウの賑わいに驚いておったわ。大勢のヤマトゥンチュ(日本人)を見て、父親の面影を探しているようじゃった。『キクチ殿』も『ムラカミ』という倭寇を知っていた。『ムラカミナガト(村上義弘)』という凄い大将がいたと言っていた。『将軍宮(しょうぐんのみや)様(懐良親王(かねよししんのう))』を九州にお連れしたのも、『ムラカミナガト』だったと言っておったのう。丁度、『キクチ殿』が九州から『ターカウ』に行った頃、『ムラカミナガト』は行方知れずになってしまったらしい。嵐に遭って遭難したのか、明国(みんこく)(中国)の官軍にやられたのかわからんと言っていた。年齢からいって、『ムラカミナガトの息子』が『ユミ』の父親かもしれんと『キクチ殿』は言っていた。『ユミ』は美人(ちゅらー)なんだが、男運に恵まれなかったんじゃ。ツカサの娘である『ユミ』に言い寄る度胸のある男がいなかったんじゃよ。『平久保按司』は言い寄ったようだが、『ユミ』に嫌われたようじゃ。『ユミ』は三十歳になってしまい、『琉球』への旅に出た。心の中で、いい相手に巡り会える事を祈っていたんじゃろう。そして、『苗代大親』に出会えたんじゃ。たった一度の出会いだったが、『琉球』から帰って来た『ユミ』は幸せそうじゃった。念願の跡継ぎの娘、『ナーシル』も生まれた。『ナーシル』は母親から武芸を習って強くなった。五年前、わしがタマミガを連れて『ターカウ』に行った時、『ナーシル』も一緒に行ったんじゃよ。トンドも一緒じゃった。ナーシルが一番年下なんじゃが、一番、体格がよかったのう」
「ユミさんの娘の『ナーシル』は、あたしたちの従妹(いとこ)になるわけね」と安須森ヌルが言った。
「もしかしたら、ササと同い年じゃないかしら」
「えっ、本当なの?」
「だって、『ドゥナンの女按司』が来たのはササが生まれる前の年だったのよ」
 ササは突然、旅立つ前に母が言った事を思い出した。
「昔、ササが生まれる前、『馬天浜(ばてぃんはま)』に南の島(ふぇーぬしま)からやって来た人たちが来たのよ。『ミャーク』じゃなくて、別の島の人だったわ。何という島だったのか忘れたけど、『ユミ』という名のヌルと親しくなったの。縁が会ったら会えるわね。もし、会ったらよろしく伝えてね」と母は言った。
 どこの島の人かもわからないヌルに会えるなんて思わなかったので、ササは聞き流していたが、もしかしたら、『ユミ』と『苗代大親』を会わせたのは母ではないのかと疑った。
「サジルー叔父さんの娘って、どんな人かしら? 会うのが楽しみだわね」とササは言った。
 自分と同い年なら、『マカマドゥ』のお姉さんになる。もし、マカマドゥよりも弱かったら、従妹として認めないとササは密かに思った。
「まさか、南の島に従妹がいるなんて‥‥‥」と言って安須森ヌルは首を振った。
「もう一つ、驚く事があるぞ」とクマラパは言った。
「えっ、何です?」とササは聞いたが、クマラパは笑っているだけで教えてくれなかった。
「行ってからのお楽しみじゃ」
 ササと安須森ヌルは顔を見合わせて、何だろうと考えた。二人はもしかして、『サハチの娘』がいるのかもしれないと疑った。ドゥナンの女按司琉球に行ったのは、サハチの長男のサグルーが生まれた年だった。ドゥナンの女按司は娘を産んだので、その後は行けなかっただろうが、代わりに誰かが行ったはずだ。その女とサハチが結ばれたのかもしれないと二人は疑って、舌を鳴らした。
 船は東風(くち)を受けて順調に進んでいるのに、前方に見える『ドゥナン島』はなかなか近づいて来なかった。
 若ヌルたちが笛の稽古を始めた。玻名(はな)グスクヌルも笛を吹いていたので、不思議に思って安須森ヌルが聞くと、クマラパから作り方を教わって自分で作ったと言った。
「安須森ヌル様とササ様の笛に感動して、わたしもやってみたくなったのです」
「そう、頑張ってね。あなたならできるわよ」
「頑張ります」と玻名グスクヌルは嬉しそうに笑った。
 クマラパに、笛も作れるのかと聞いたら、
「わしは見よう見真似で、船を造ったんじゃよ。笛などわけない事じゃ」と笑った。
「実はわしも笛が吹きたくなってな」と言って、懐(ふところ)から笛を出して吹き始めた。
 音程が少し狂っているような気がしたが、明国風な曲をクマラパは吹いた。
「まだまだ稽古中じゃよ」と途中でやめて、照れ臭そうに笑った。
 クマラパの吹く曲を聴いて、安須森ヌルもササも『ヂャンサンフォン(張三豊)』が吹いていた曲を思い出した。琉球に帰っても、あの曲はもう聴けないと思うと、急に悲しくなってきた。
 タマミガも女子(いなぐ)サムレーのミーカナとアヤーも、自分で作った笛を出して吹き始めた。みんながそれぞれ勝手に吹いているので、ピーピーとやかましいが、安須森ヌルもササも笑いながら眺めていた。
 『ドゥナン島』が近くに見えて来た時、突然、船が揺れだした。若ヌルたちは慌てて船室に逃げ込んだ。
 大きな揺れは半時(はんとき)(一時間)ほど続いて、穏やかな波になったが、風は強かった。
 目の前に見える『ドゥナン島』は険しい崖に囲まれていた。東側に飛び出た東崎(あんあいさてぃ)の北側を進んだ。崖の下に小さな砂浜も所々にあるが、上陸するのは難しそうだった。崖の上に見張り台のような物があって人影が見えた。
 延々と崖が続いていて、崖が途切れたと思ったら岩場が続いた。小さな島があって、その先が少し窪んでいて、白い砂浜が見えた。
「あそこが『ナンタ浜』じゃよ」とクマラパが言った。
 先程の崖の上にいた見張りの者が知らせたのか、『ナンタ浜』に数人の人影が見えた。ムカラーの指示で、珊瑚礁に気をつけながら、小島の裏側に回って、そこに船を泊め、いつものようにササたちが小舟に乗って『ナンタ浜』を目指した。
 『ナンタ浜』の右側には川があるようだった。『ナンタ浜』の向こうは鬱蒼(うっそう)とした森があり、その後ろに大きな崖があった。この島は崖に囲まれた大きなグスクのようだとササは感じていた。
 小舟が砂浜に近づくと、「お師匠!」と叫びながら女が近づいて来た。ヌルでもなく、女子サムレーでもなく、普通の着物を着た女だが、なぜか、五尺(約一五〇センチ)ほどの『槍(やり)』を持っていた。
「イヤ(お父様)」と叫びながら近づいて来る女もいた。
「クンダギのツカサさんが、お師匠が『琉球のお姫様』を連れて、この島に来ると知らせてくれました」と女が琉球の言葉で言った。
 身なりは質素だが、女按司という貫禄があった。そして、クマラパが言ったように美人だった。
「『スサノオの神様』からも、あなたたちの事は聞いています。ようこそ、『ドゥナン島(ちま)』へ」
「『スサノオの神様』はこの島にもいらっしゃったのですね?」とササは聞いた。
「はい。驚きました。『ユウナ姫様』も驚いて、島のツカサたちを集めて、『ウラブダギ(宇良部岳)』の山頂で『歓迎の宴(うたげ)』を開いたのです。『スサノオの神様』はとても感激してくれました」
 『ユウナ姫』は『イリウムトゥ姫』の娘で、クン島(西表島)からこの島に来たのだった。『ユウナ(オオハマボウ)の花』が一面に咲いていたこの島は、当時、『ユウナ島』と呼ばれていたという。
 小舟から下りて上陸すると、ユミの隣りにいる娘を見て、「『ナーシル』じゃよ」とクマラパがササたちに教えた。
「お久し振りです」とナーシルはクマラパに頭を下げた。
 母親と同じように『槍』を持っている『ナーシル』は、背が高くて体格もよくて、顔付きは何となく、『苗代大親』の面影があるような気がした。
「この二人は『苗代大親』の姪なんじゃよ」とクマラパがユミに言ったら、ユミは驚いた顔をして、ササと安須森ヌルを見た。
「ササは馬天ヌルの娘で、安須森ヌルはサグルーの娘なんじゃ。今は苗代大親の兄のサグルーが琉球の中山王になっている」
「何ですって!」
 ユミは驚きのあまり、ポカンとしてササと安須森ヌルを見ていた。
「ちょっと待って下さい」と言って、ユミは頭の中を整理していた。
「『馬天ヌル様』にはとてもお世話になりました。あなたが馬天ヌル様の娘さんなのですね。すると、お父様は『ヒューガ様』ですね」
「えっ、父を知っているのですか」
「馬天ヌル様に連れられて会った事があります」
「そうだったのですか」
 ユミは安須森ヌルを見て、
「あなたは『佐敷按司様』の娘さんなのですね」と聞いた。
 安須森ヌルはうなづいて、「当時は『佐敷ヌル』でした」と言った。
 ユミは納得したようにうなづいて、
「そして、今は佐敷按司様が『中山王』になったのですね?」と聞いた。
 ササと安須森ヌルはうなづいた。
「『スサノオの神様』は、琉球から『凄いヌル』がやって来るとおっしゃいました。わしがこの島に来られたのも、そのヌルのお陰じゃと言いました。わたしはそんな偉いヌル様をどうお迎えしたらいいのだろうと悩みました。そして、クンダギのツカサから『琉球のお姫様』が行くと知らされて、わたしは混乱しました。お姫様とその凄いヌル様は別行動を取っているのかもしれないと思いましたが、お姫様と凄いヌル様というのは同じ人だったのですね」
 ユミは改めて、ササと安須森ヌルを見つめ、
「『スサノオの神様』を連れて来ていただき、ありがとうございました」とお礼を言った。
 そばで話を聞いていた『ナーシル』は、
「わたしの従姉なのですか」とササと安須森ヌルに聞いた。
 二人がうなづくと、ナーシルは嬉しそうに笑った。その笑顔を見た時、ササも安須森ヌルも従妹に間違いないと思った。滅多に笑わない叔父の『苗代大親』が笑った時の笑顔にそっくりだった。
 クマラパは娘と息子との再会を喜んでいた。娘は『ラッパ』といい、『ドゥナンバラ村』の若ツカサで、その兄の『クマン』は『ドゥナンバラ村』のサムレー大将だった。
 『ダティグ村』の若ツカサの『アック』も来ていて、アックは『アコーダティ勢頭』の娘だった。崖の上の見張り台でササたちの船を見ていたのは、『ダティグ村』のサムレーで、『アック』はすぐに『ユミ』に知らせたのだった。
 ササは不思議に思って、どうして、みんな、『槍』を持っているのかナーシルに聞いた。
「敵が来たら、これを投げて敵を倒します」とナーシルは言った。
「えっ、『槍』を投げるの?」
「敵は一発で死にます」
「そうなの」と言って、ササは『槍』の穂先を見た。
 鋭い鉄の刃が付いていた。
 ナーシルが海と反対側の森を見て、大きな木を指差した。そして、『槍』を構えて素早く投げると、『槍』は真っ直ぐに飛んで行って、ナーシルが示した木に刺さった。あれが人だったら間違いなく死ぬだろうとササたちは思った。
「この島の者たちは皆、身に付けています」とナーシルは言った。
「ナーシル、『武当拳(ウーダンけん)』は身に付けたかね?」とクマラパが聞いた。
 ナーシルはうなづいて、
「祖父からみっちり仕込まれました」と言った。
 ササたちは驚いた。どうして、この島に『武当拳』があるのか、さっぱりわからなかった。
「驚く事とは、この事じゃよ」とクマラパは笑った。
「ユミの母親は倭寇の『ムラカミ』と結ばれて『ユミ』を産んだあと、ウプラタス按司が連れて来た『武当山(ウーダンシャン)』の道士、『ウーニン(呉寧)』と結ばれたんじゃ。『ウーニン』はこの島に住み着いて、島の者たちに『武当拳』を教えたんじゃよ。さっきの『槍投げ』の指導をしたのも、『ウーニン』なんじゃ」
「その道士は『ヂャンサンフォン(張三豊)様』の弟子だったのですか」
「直接の弟子ではないようじゃ。その道士の師匠はヂャンサンフォン殿の弟子の『フーシュ(胡旭)』という道士だったそうじゃ」
 『フーシュ』という名前は、ササも安須森ヌルもヂャンサンフォンから聞いていた。
 ササはナーシルを見ると、
「行くわよ」と言って、『武当拳』で掛かって行った。驚いたナーシルは『武当拳』でササの技を受け止めた。
 突然、武当拳の試合が始まったので、皆が二人を囲んだ。ササの実力がわかったのか、ナーシルは本気になって戦った。打っては受け、受けては打ち、蹴りが飛んで、それをよけるように飛び跳ねた。見事な技の掛け合いが続いて、皆が固唾(かたず)を呑んで見守っていた。ナーシルがササの右拳を払って、右足で蹴りを入れようとした時、ササの左掌がナーシルの胸を突いた。しかし、その掌は胸に当たる一寸前で止まった。
「参りました」とナーシルが言って、ササに頭を下げた。
「素晴らしいわ」とユミが言った。
「この娘(こ)、今まで誰にも負けた事がなかったの。このまま行ったら進歩しなくなるって心配していたのよ。まさか、この娘より強い人がいたなんて、信じられないわ」
 ササは笑って、
「わたしよりも、シンシン(杏杏)はもっと強いわ」と言った。
「わたしはササ、よろしくね」とササはナーシルに手を差し出した。
「ナーシルです」と言ってナーシルはササの手を握りしめた。
琉球の人がどうして、『武当拳』を身に付けているのですか」とユミが聞いた。
「『ヂャンサンフォン様』は今、琉球にいるのです。琉球にはヂャンサンフォン様の弟子が大勢います。中山王もヂャンサンフォン様の弟子なのです。ところで、あなたのお祖父(じい)様は健在なの?」
 ナーシルは首を振って、「六年前に亡くなりました」と言った。
「祖父からもっと教わりたい事があったのですが、残念です。祖父が亡くなってから、疑問を正してくれる人がいなくなってしまいました。わたしに御指導お願いします」
「それはシンシンに頼んで。シンシンは幼い頃からヂャンサンフォン様の弟子だったから、あなたの疑問に答えられると思うわ」
「日が暮れないうちに帰りましょう」とユミが言った。
 ササたちが話をしているうちに、ユミが出してくれた小舟に乗って、愛洲ジルーたち、玻名グスクヌルと若ヌルたち、ミッチェとサユイも上陸していた。
 ナンタ浜の西側にあるタバル川に沿って上流に向かった。この辺りは湿地帯だった。川が狭くなった所に丸太の橋が架かっていて、それを渡って対岸に行き、密林の中の細い坂道を登って行った。途中から崖に沿った細い道を登った。
 大きな岩が庇(ひさし)のようにせり出した窪みに出て、突然、視界が開けた。『ナンタ浜』が見下ろせて、島の近くに浮かぶジルーの船も見えた。
「いい眺めね」とナナが言って笑った。
 若ヌルたちが来てキャーキャー騒いだ。
 青い海があって、真っ白なナンタ浜があって、その奥は緑の密林が広がっていた。密林の中に沼があった。密林の向こうには船の上から見た東崎が見えた。
「ここは『ティンダハナタ』というの。ここに見張りをおいて、あなたたちが来るのを待っていたのよ」とナーシルが言った。
「そうだったの。見張りの人に迷惑をかけたわね」とササが言うとナーシルは笑った。
「見張りをしていたのは子供たちよ。ここで遊びながら見張りをしていたの。気にする事はないわ」
 『ティンダハナタ』にはおいしい水が湧き出ている岩場があった。こんな高い所にどうして水が湧き出しているのか不思議だった。その水は日照りの時も枯れた事がないという。
 来た道を戻って、途中から山道を登って行くと『サンアイ村』に着いた。
 大きなガジュマルの木がある広場から形のいい山が見えた。
「あれが『ウラブダギ』よ」とナーシルが言った。
「『ユウナ姫様』はあの山にいらっしゃるわ。あの山の東の方(あがりかた)に『ドゥナンバラ』があるの。この島で一番古い村(しま)なのよ。そして、この『サンアイ』は一番新しい村なの。『ガジュマル』の事をこの島では『サンアイ』って呼ぶの。この辺りにはサンアイの木がいっぱいあったらしいわ」
 広場を囲んで、奇妙な形をした家がいくつも建っていた。その家の古さからいって、新しい村と言っても、それは最近の事ではないようだった。
「いつ、この村はできたの?」とササは聞いた。
「五十年近く前よ。母が八歳の時、西の方(いりかた)にあった『ダンア』からここに移って来て、村造りをしたの。この村の隣りに『ブシキ』という古い村があって、祖母の父親は『ブシキのツカサ』の息子だったらしいわ。『ブシキのツカサ』は跡継ぎに恵まれなくて、『ブシキ』と『ダンア』は一つになって、『サンアイ』が生まれたの。祖母が『サンアイの初代のツカサ』になったのよ」
 広場の南側に新しい家が何軒も建っていた。
「あなたたちのために建てたのよ」とナーシルは言った。
 ササたちは新しい家に入って一休みした。屋根の後方が地面につきそうなくらい長くて、壁と床は竹でできていた。
 新しい家は四軒あったので、ササ、安須森ヌル、シンシン、ナナが一軒に入って、玻名グスクヌルと五人の若ヌルたちが一緒に入り、タマミガ、ミッチェ、サユイと女子サムレーのミーカナとアヤーが一緒に入り、クマラパとガンジュー(願成坊)、愛洲ジルーたちが一軒に入った。
「今晩、広場で『歓迎の宴』があるわ。用意ができたら呼びに来るから、それまで待っていてね」と言って、ナーシルは広場の方に帰って行った。
「楽しそうな島ね」とナナが背負ってきた荷物を下ろしながら言った。
「明日、『ウラブダギ』に登って、『ユウナ姫様』に御挨拶して、そのあと、島を巡ってみましょう」
 ササが言うとみんながうなづいて、
「ナーシルはいい娘だったわね」と安須森ヌルが笑った。
「ナーシルの事は『マカマドゥ』には内緒にしようと思ったけど、教えた方がいいかしら?」とササがみんなの顔を見た。
「教えたら会いたくなるわよ」と安須森ヌルが言った。
「マウシ(山田之子)と一緒に来ればいいわ」とササは言ったが、
「マカマドゥは二人も子供がいるのよ。無理だわ」とシンシンが言った。
「そうか。幼い子供を連れては来られないわね。やっぱり、内緒にしておいた方がいいわね」
「ねえ、『サジルー叔父さん』には教えるの?」と安須森ヌルがササに聞いた。
「どうしよう?」
「『サジルー叔父さん』の唯一の弱みだから、何か叔父さんに頼みがある時に使いましょうよ」
「それがいいわね」とササは笑った。
「お兄さんにも言っちゃだめよ」
「そうね。若ヌルたちにも口止めしなくちゃね」
 ナーシルが呼びに来て、広場に行くと、村の人たちが大勢、集まっていた。ツカサたちが琉球の言葉をしゃべったので、この島は言葉が通じると思っていたが、村人(しまんちゅ)たちがしゃべっている言葉は、まったくわからなかった。
 ササたちは拍手で迎えられて、上座にいる長老たちに紹介された。挨拶が済むと、指定された所に座って酒盛りが始まった。出されたお酒はヤマトゥのお酒だった。『ターカウ』から仕入れたようだ。料理も贅沢なものだった。新鮮な魚介類は勿論の事、猪(やましし)の肉や海亀(みずがーみ)の肉、ザン(ジュゴン)の肉もあった。
 篝火(かがりび)が焚かれて明るい広場の中央では、娘たちの歌と踊りが披露された。若者たちの『武当拳套路(タオルー)(形の稽古)』も披露された。ササたちが武当拳の名人だという事はすでに村人たちの間に広まっていて、武当拳を披露してくれと頼まれた。シンシンとナナが模範試合をして、皆から喝采を浴びた。安須森ヌルの笛に合わせて、ミーカナとアヤーが琉球の踊りを披露して、皆に喜ばれた。まるで、お祭りのようで楽しかった。
 宴は一時ほどでお開きになって、村人たちは散って行った。ササたちも引き上げようとしたら、『ユミ』に引き留められた。
 安須森ヌルとササはユミの家に呼ばれた。ツカサの家もみんなと同じ小さな家だった。
「この島は変わったわ」とユミは言った。
「外の事なんて何も知らなかった島人が、『スーファン(蘇歓)』が来てから、色々な事を知るようになったの」
「『スーファン』て明国の人ですか」とササは聞いた。
「そうよ、唐人(とーんちゅ)よ。『ミャーク』と交易をしていて、ミャークの行き帰りに、この島に寄ったのよ。初めて来たのは、わたしが生まれる前だったわ。わたしが六歳の時、その人はミャークに住み着いて、按司になったのよ」
「もしかして、その人、『ウプラタス按司』の事ですか」
「そうよ。ミャークに住み着いてからは一度、クマラパ様と一緒に来たけど、そのあとは来なくなってしまったわ。『スーファン』は『ダンヌのツカサ』と仲よくなって、今の『ダンヌのツカサ』の父親は『スーファン』なのよ。『ダンヌ』は『スーファン』から色々な物を贈られて豊かになったわ。『スーファン』は一年おきにやって来たけど、みんなが『スーファン』が来るのを首を長くして待っていたのよ。『スーファン』が来なくなって、島は昔のように静かになったわ。そして、わたしが十三歳の時、『ナック』が来たのよ。今は『アコーダティ勢頭』って呼ばれているわね。当時は若かったわ。『ナック』は丸木舟(くいふに)で『ミャーク』からやって来たのよ。それは衝撃だったわ。『スーファン』のような大きなお船でなければ、『ミャーク』に行けないと思っていたのに、『ナック』は丸木舟でやって来た。島のウミンチュ(漁師)たちが『ナック』を真似して、『クン島』や『イシャナギ島(石垣島)』に行くようになったのよ。そして、三年後、『ナック』はクマラパ様と一緒に大きなお船でやって来て、『ターカウ』に行ったわ。『ミャーク』と『ターカウ』の交易が始まって、『ミャーク』のお船が立ち寄るようになって、今の状況になったのよ。今まで食べる分だけを捕っていたウミンチュたちは、欲しい物と交換できる『ザン』や『海亀』を捕るのに夢中になったわ。牛の肉は食べないけど、牛の肉が取り引きに使える事がわかると牛を殺して、肉を塩漬けにする人も現れたのよ。『鉄の斧(おの)』や『鉄の鍋』も手に入って、ヤマトゥのおいしい『お酒』も手に入って、生活は豊かになったけど、島の人たちに落ち着きがなくなってきたような気がするわ。男だけじゃなくて、女たちもそうなのよ。『ミャーク』から来た船乗りたちと仲よくなれば、欲しい物が手に入るって、みんな、着飾って、よそ者の男たちを待っているのよ。それはツカサたちにも言えるわ。この島のツカサたちの娘はみんな、船頭(しんどぅー)(船長)たちの娘なのよ」
「ユミさんはこの島の按司なのですよね?」と安須森ヌルは聞いた。
 ユミは笑って、「この島には『按司』はいないわ」と言った。
琉球に行った時、この島の代表として『按司』を名乗ったけど、『按司』を名乗ったのはその時だけよ。この島には六つの村があるけど、どの村のツカサが一番偉いという事はないの。島全体に関わる事は六人のツカサが集まって決めるのよ。わたしが最初に琉球に行ったのは、切羽詰まった理由があったからなの。その念願はかなって、二度目の時は『ドゥナンバルのツカサ』、三度目は『ダティグのツカサ』、四度目は『ダンヌのツカサ』が行って、次は『クブラのツカサ』の番だったんだけど、琉球行きは中止になってしまって、クブラと『ナウンニのツカサ』は琉球に行けなかったのよ」
「切羽詰まった理由というのは跡継ぎの事ですね?」とササは聞いた。
 ユミはうなづいた。
「跡継ぎを産まなければ、ツカサを継げないわ。妹の『ムー』に譲らなくてはならなくなるの。わたしは最後の頼みを琉球旅に託したのよ」
「叔父とはどこで出会ったのですか」と安須森ヌルが聞いた。
「『佐敷の武術道場』よ。馬天ヌル様と一緒にヒューガ様のおうちを訪ねる途中、武術道場を覗いたら、物凄く強い人がいて、馬天ヌル様に、あの人を紹介してって頼んだら、あれはわたしの弟で、妻も子供もいるからだめよって言われたの。でも、わたしは諦めなかったわ。あの人しかいないって心に決めて、わたしの事情を説明したの。馬天ヌル様もわたしの気持ちはよくわかるって言ったわ。馬天ヌル様も三十を過ぎても『マレビト神』に出会えない事に悩んでいたって言ったわ。そして、わたしを『苗代大親様』と会わせてくれたのよ」
 あの頃、叔父が『美里之子(んざとぅぬしぃ)』の武術道場で師範を務めていたのを安須森ヌルは思い出していた。『美里之子』が大(うふ)グスクの戦(いくさ)で戦死してしまって、まだ若かった跡継ぎの長男を助けて、若い者たちを鍛えていたのだった。
「やっぱり、母だったんですね」とササが言った。
「叔父とは武術道場で会ったのですか」と安須森ヌルは聞いた。
 ユミは首を振った。
「その日はヒューガ様のおうちに泊めてもらって、次の朝、山の中のお稽古場で会ったのよ」
「ヒューガさんのおうちの隣りが叔父のおうちだって知っていました?」
「えっ、そうだったの。それは知らなかったわ」
「山の中のお稽古場で出会って、どうなったのですか」
「あの時の事は今でも夢のようだわ」とユミはうっとりとした顔をした。
「『苗代大親様』はわたしをじっと見つめたわ。わたしも『苗代大親様』をじっと見つめたの。何も話さなくても目を見ただけで、すべてがわかったような気がしたわ。わたしたちはお稽古場にあった小屋の中で結ばれて、その後、『苗代大親様』は色々な所へ連れて行ってくれたのよ」
「色々な所ってどこですか」
「景色の綺麗な所だったわ。素敵な人に巡り会えたかと思うと、一緒にいるだけで、もうとても幸せだったわ」
「わかります」と安須森ヌルが言った。
「今回、娘も一緒に来ているんですけど、わたしも運命の人に出会った時は夢のような気分で、とても幸せでした」
「そう。あなたもそうだったのね」とユミは嬉しそうな顔をして笑った。
「わたしは馬天ヌル様の妹のマチルー様のおうちにお世話になっていたの。三人のお子さんがいたわ。みんな、大きくなったでしょうね」
 マチルー叔母さんまで関わっていたなんて、安須森ヌルもササも驚いていた。
「わたしたちは毎朝、山の中のお稽古場で会って、わたしは剣術を教わって、あの人に『武当拳』を教えたのよ」
「えっ、叔父さんは『ヂャンサンフォン様』に会う前から『武当拳』を知っていたのですか?」
素手で戦う武芸があるなんて知らなかったって言って、真剣にお稽古をしていたわ」
「サジルー叔父さんはずっと隠していたのよ。『武当拳』の事を話すと『ユミ』さんの事も言わなければならなくなるので、知らない振りをしていたんだわ」とササが言った。
「サジルー叔父さんも役者だわねえ」と安須森ヌルは笑った。
「でも、わたしはサジルー叔父さんがユミさんと出会えてよかったと思っているわ。こんな遠く離れた島に従妹がいるなんて、本当に夢でも見ているような気分だわ。あたしたち、もしかしたら、『ナーシル』に会うために今回の旅を計画したのかもしれないわ。『ナーシル』を立派に育ててくれてありがとうございます」
 安須森ヌルは本心からユミにお礼を言った。

 

 

 

崎元 与那国クバ 60度 1.8L  [沖縄県]