長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

2-37.初孫誕生(改訂決定稿)

 台風で潰れた馬天浜(ばてぃんはま)のウミンチュ(漁師)たちの家々も何とか再建された。佐敷グスクの仮小屋で暮らしていた避難民たちもいなくなった十月の八日、ジルムイの妻、ユミが元気な男の子を産んだ。
 御内原(うーちばる)の女たちに囲まれて、祝福された男の子はジタルーと名付けられた。誰もが、サハチの初孫なのだから、祖父の名をもらってサハチと名付けろと言ったが、ジルムイは遠慮した。
「わたしは次男です。父の跡を継ぐ、兄の長男がサハチを名乗るべきなのです」とジルムイは主張し、「ジルムイ(次郎思)の長男なので、ジタルー(次太郎)でいいのです」と言った。
 成程、ジルムイの言う通りだと皆も納得して、ジタルーに決まった。
 サハチ(島添大里按司)は三十七歳の若さで、お爺ちゃんになってしまった。マチルギが帰って来たら、さぞや驚くだろうと思いながら、可愛い顔をして笑うジタルーをあやしていた。
 初孫誕生の五日後、三姉妹の船が帰って行った。前日は久米村(くみむら)のメイファン(美帆)の屋敷で、その前日は島添大里(しましいうふざとぅ)グスクで、送別の宴(うたげ)を催した。
 島添大里での宴には伊是名親方(いぢぃなうやかた)と慶良間之子(きらまぬしぃ)も呼ばれて、リェンリー(怜麗)とユンロン(芸蓉)との別れを惜しんだ。二人とも妻には内緒で、密かに会っていたらしい。今回は何事もなく済んだが、いつかはばれて大騒ぎになるような気がした。
 サハチとメイユー(美玉)の事は噂になっていた。馬天浜の復興作業で二人が一緒にいる事が多く、三人目の奥方様(うなじゃら)だと誰もが言っていた。サハチは明国(みんこく)の大事なお客様だと否定をするが、メイユーが嬉しそうな顔をしてうなづくので、メイユーの事をナツと同じように小奥方様(うなじゃらぐゎー)と呼んでいた。マチルギが帰って来て、この噂を聞けば大きな雷が落ちそうだ。帰って来るまでに噂が下火になる事を願うばかりだった。
 三姉妹の船にはファイチ(懐機)の妻、ヂャンウェイ(張唯)と息子のファイテ(懐徳)、娘のファイリン(懐玲)が一緒に乗って行った。三人は八年前にファイチと一緒に琉球に来た。ファイテは六歳で、ファイリンは四歳だった。両親から明国の言葉は習っていても、二人とも自信がなかった。不安な面持ちで小舟(さぶに)に乗って行ったが、大きな船に上がると楽しそうにはしゃぎ回っていた。龍虎山(ロンフーシャン)の祖父の屋敷で、嬉しそうに遊んでいる姿が想像できた。ふと、サハチがファイチを見ると寂しそうな顔をして子供たちを見ていた。きっと、一緒に行きたいに違いなかった。
「わたしたちが龍虎山までちゃんと送り届けるから心配しないで」とメイリン(美玲)が言った。
 ファイチは笑って、明国の言葉でメイリンに何かを言った。メイリンも笑ってうなづき、ウニタキ(三星大親)に手を振ると小舟に乗り込んだ。
「来年は会えないわね」とメイユーがサハチに言った。
「再来年は会えるさ。無理をするなよ」
「大丈夫よ。琉球で充分に休養したわ」
「また、旧港(ジゥガン)(パレンバン)まで行くのか」
 メイユーは笑って、「綺麗な鳥(とぅい)を連れて来るわ」と言った。
「マチルギが喜ぶだろう」
 メイユーはうなづいて、サハチを見つめていたが、手を振ると小舟に乗り込んだ。
 三姉妹の二隻の船を見送って島添大里グスクに帰ると、ユリとナツの妹のアキが子供たちを連れて遊びに来ていた。
 アキはサミガー大主(うふぬし)(サハチの叔父)の長男、ハチルー(八郎)の妻で、佐敷グスクの炊き出しでユリと仲よくなって、今回、一緒に来たのだった。
 アキが十七歳になった春、姉のナツは『三星党(みちぶしとー)』に入った。佐敷按司を守る秘密の組織で、家族とは会う事はできないと言われ、アキは泣きながらナツと別れた。その年の九月、アキはハチルーのもとに嫁いだ。ハチルーはサミガー大主の跡取りで、アキは鮫皮(さみがー)作りに携わるウミンチュや職人たちの世話に追われる忙しい日々を過ごした。
 嫁いで三年目の春、佐敷按司は島添大里グスクを攻め落として島添大里按司になった。ナツが島添大里グスクの侍女になったと聞いたアキは、ナツに会いに行った。三年振りに見た姉は変わっていなくて安心した。アキは子供を連れて、時々、姉を訪ねた。
 ナツが侍女をやめて、『まるずや』に移った時も、時折会っていた。それが去年の九月、『まるずや』から消えてしまい、また危険な仕事に戻ったのかと心配した。そして、十一月の末、ナツが島添大里按司の側室に迎えられたと聞いて、信じられないほどに驚いた。アキは島添大里グスクに行った。お腹の大きくなっている姉を見て、さらに驚いた。ナツは無事に男の子を産んだ。アキは子供を連れて、度々遊びに来ていて、今回はユリを誘ったのだった。
 ユリはサハチとの約束を守って、子供たちに笛を聞かせた。子供たちは喜んで、ウニタキの娘のミヨンが教えてくれとせがんだ。ミヨンはウニタキから三弦(サンシェン)を習っているはずだが、ここで三弦を聞いた事はなかった。ユリはミヨンに吹き方を教えた。アキの三人の子供とユリの娘はサハチとウニタキの子供たち、佐敷ヌルの娘と一緒になって遊び、島添大里グスクは子供たちに占領されたようだった。


 その頃、対馬(つしま)にいるマチルギたちは今まで習った成果を見せるため、イトとユキの見守る中、帆船を操って朝鮮(チョソン)に向かっていた。その船には旅から帰って来たササとシンシン(杏杏)とシズも加わっていた。
 ヒューガと修理亮(しゅりのすけ)はヂャンサンフォン(張三豊)と一緒に船越の近くの山に籠もって、厳しい修行を続けていた。ヒューガは計り知れないヂャンサンフォンの強さに心服し、旅の間に、なるべく多くの技を吸収しようと必死になっていた。
 修理亮はわけがわからないまま、言われた通りの修行を続けていた。断食やら、呼吸法やら、真っ暗な洞窟の中を歩いたりと、こんな事をやっていて強くなれるのかと疑問だらけだったが、一月が経ってみると、体が軽くなり、刀が以前よりも自由に操れるようになっていた。そして、武当拳(ウーダンけん)という素手で行なう武術は興味深かった。シンシンは武当拳の名手で、とてもかなわなかった。まず、武当拳でシンシンに勝つまでは、修行はやめられないと必死になって頑張っていた。
 ヂャンサンフォンは対馬島が気に入っていた。対馬の山や海には神気が漂い、偉大なる自然の力が強く感じられた。その『気』を体内に取り込めば、眠っている能力を呼び覚ます事ができる。南部の山中での一か月の修行で、それを見事に体得したのはササだった。
 人は誕生した時、様々な能力を持って生まれるが成長の過程で、それらの能力を忘れてしまう。その能力を呼び覚ますために修行を積むのが道教だった。ササは生まれた時の能力をほとんど失わずに成長した希(まれ)な存在といえる。ただ、自分ではまだその事に気づいていない。危険が迫った時や、何かを必死に思う時、その能力が発揮されて、遠い過去の記憶が蘇(よみがえ)ったり、未来に起こる事が見えたり、遠くの情景が見えたりする。一か月の修行で、ササは暗闇の中を歩く事も難なく身に付けて、呼吸法によって、体内の『気』を自由に操る術も身に付けた。修行のあと、体が軽くなって、まるで空を飛んでるみたいと喜んでいたが、本人も驚く程の能力が身に付いているはずだった。
 そんな能力よりもササが気になっているのは修理亮の事だった。修理亮がマレビト神に違いないと修行中も修理亮の気を引こうと頑張っていた。修理亮は修行に熱中していて、ササだけでなく、シンシンやシズにも目をくれなかった。鈍感な男の目を覚ませてあげましょうと毎朝、水汲みに行く川で、修理亮を待ち伏せして、裸になって水浴びをして見せたが、「三人の天女の行水か。いい眺めだ」と言ったきり、その後の展開もなかった。三人は諦めて、修行中は休戦状態にして修行に熱中した。
 一か月の修行が終わって、再び旅が始まった。ササとシンシンとシズは修理亮の心を奪い取ろうと火花を散らして戦った。対馬の南側を巡る旅が終わって、土寄浦(つちよりうら)で一休みした。佐敷ヌルとフカマヌルに再会して、旅の話をすると羨ましそうな顔をした。イスケに聞くと、あと二人なら乗れるというので、二人も一緒に行く事になった。
 浅海湾(あそうわん)内にある仁位(にい)のワタツミ神社でお祈りした時、ササは何かを感じた。馬天ヌル、佐敷ヌル、フカマヌルも、ササが感じた何かを感じていた。森の中に海の女神様(豊玉姫)のお墓があって、それは琉球のウタキ(御嶽)にそっくりだった。
「御先祖様が琉球からここにいらしたのね」と馬天ヌルがお祈りのあとに言った。
 佐敷ヌルはうなづいて、「こっちからも琉球に行っているわ」と言った。
「古くから対馬琉球は交易していたのね」とフカマヌルは言った。
「この人、ヌルよ」とササがウタキをじっと見つめながら言った。
「山の神様がここから船出して、南の島(ふぇーぬしま)に行って、この人と出会ったの。山の神様は、この人にとってマレビト神だったのね。山の神様が南の島から去って、この人はお腹に赤ちゃんがいる事に気づいたの。この人は山の神様のそばで赤ちゃんを産みたいと思って、対馬にやって来て、赤ちゃんを産んだわ。でも、産んだのはここではないみたい。赤ちゃんは女の子で、のちにヌルになるわ。ヒミコという名前で、神名(かみなー)はアマテラスよ」
「アマテラス? アマテルじゃないの?」と馬天ヌルが聞いた。
「船越にあるアマテル神社は、アマテラスのお父さんのアマテルを祀っているのよ。アマテルの名前はスサノオで、神名がアマテルなの」
「という事は、ここの山の神様もスサノオなのね。スサノオの神様はあちこちの神社に祀ってあったわ。山の神様でもあるし、海の神様でもあるし、太陽の神様でもあるのね」
 ササはうなづいた。
スサノオは凄い神様だわ」
「南の島って琉球なの?」と佐敷ヌルがササに聞いた。
 ササは首を振った。
「どこだかわからないわ」
 ササはそう言って、「あっ!」と叫んだ。
「どうしたの?」と馬天ヌルが聞いた。
 ササは笑って、「何でもないわ」と答えたが、突然、ある事に気づいたのだった。
 修理亮はマレビト神ではなかった。修理亮が琉球に来ればマレビト神になるが、今、ヤマトゥ(日本)にいるササの方がマレビトであって、修理亮はヤマトゥ国内にいるヤマトゥンチュ(日本人)に過ぎなかった。
 ササは修理亮を眺めながら、いい男なんだけど諦めるしかないわねときっぱりと修理亮を諦めた。
 ササの母親、馬天ヌルは神様との対話を続けてきただけあって、特殊な能力を持ち、その能力にさらに磨きを掛けていた。
 馬天ヌルは一か月の修行中、ある重大な事に気づいていた。首里(すい)で行なわれた三組の婚礼のあと、マカトゥダルとユミとマカマドゥを連れてキーヌウチ(首里グスク内のウタキ)に入った時、『ツキシルの石』が光った事がずっと気に掛かっていた。なぜ光ったのか、その理由がわからなかった。修行も終わりに近づいたある日、朝日を浴びて座り込んでいる時、突然、その謎が解けたのだった。謎の答えはわかってみれば、至極当然な事だった。しかも、自分の神名である『ティーダシル』の事だった。
 かつて首里が真玉添(まだんすい)と呼ばれていた昔、森の中にあった真玉の御宮(まだんぬうみや)には、『ツキシル(月代)の石』だけでなく、『ティーダシル(日代)の石』もあったはずだった。その石を探し出して、キーヌウチに戻してほしいと願い、『ツキシルの石』は光ったのに違いない。
 でも、どうして、あの三人に光ったのだろうか‥‥‥
 あの三人が『ティーダシルの石』のありかを知っているのだろうか‥‥‥
 マカトゥダルは山田で生まれて、十六歳まで山田で育った。ユミは佐敷で生まれて、十五歳の時に勝連(かちりん)に移り、二年近くを勝連で過ごした。マカマドゥは『ツキシルの石』があった苗代(なーしる)の屋敷で生まれて、島添大里に移り、首里に移った。
 『ティーダシルの石』は山田にあるのだろうか。それとも、勝連にあるのだろうか。それとも、『ツキシルの石』があった苗代の近くに埋もれたままあるのだろうか。
 琉球に帰ったら、三人から話を聞いて、『ティーダシルの石』を捜す旅に出ようと馬天ヌルは決心した。
 ヤマトゥ旅に出ないで首里にいたなら、毎日が何かと忙しく、その事に気づかなかったかもしれない。馬天ヌルは対馬一周の旅で出会った様々な神様に感謝して、船越に戻ってからは、『アマテル神社』に祈りを捧げながら、村の娘たちに剣術を教える日々を送っていた。
 マチルギたちより先に朝鮮に行ったシタルーとクグルーの二人は、富山浦(プサンポ)(釜山)の『津島屋』の早田(そうだ)五郎左衛門のお世話になって、五郎左衛門の娘婿の浦瀬小次郎と一緒に、馬に乗って朝鮮の都、漢城府(ハンソンブ)(ソウル)に行った。
 漢城府では五郎左衛門の長男、丈太郎(じょうたろう)が『津島屋』の店を出していた。『津島屋』は琉球との交易で手に入れた明国の陶器や南蛮の胡椒(こしょう)や蘇木(そぼく)を扱っているので繁盛していた。漢城府は明国の都と同じように城壁に囲まれた城塞都市で、独特な着物を着た朝鮮人が大勢、住んでいた。シタルーとクグルーは目をキョロキョロさせながら、ヤマトゥとはまったく違う朝鮮の都の様子に驚いていた。
 シタルーとクグルーが朝鮮から対馬に帰ったのが九月の半ばで、その一月後、マチルギたちが行ったのだった。マチルギたちは漢城府までは行かず、富山浦に何日か滞在して対馬に戻った。
 帰って来たら、浅海湾の山々は見事に紅葉していて美しかった。赤や黄色に染まる山々を眺め、歓声を挙げながらマチルギたちはその光景を目に焼き付けていた。
 ジクー(慈空)禅師が対馬に来たのは十一月の半ばだった。京都まで行って来たと聞いて、マチルギたちは驚いた。
「京都まで無事に行けるのですね?」とマチルギが聞くと、ジクー禅師は首を振った。
「博多の商人たちは危険だと船を出してくれなかった。仕方なく、長門(ながと)の国(山口県)に渡って、山口の商人の船に乗って京都まで行ったんじゃ。行きは無事じゃったが、帰りに海賊に襲われた。もう少しで殺される所を何とか逃げて来たんじゃよ。まったく、ひどい目に遭った」
「そうでしたか‥‥‥それで、知り合いの方には会えたのですか」
 ジクー禅師は笑ってうなづいた。
「わたしの師匠なのですが、会う事ができました」
 ジクー禅師は自分の身を守る術(すべ)を知らなくては、この先、生きてはいけないと言って、ヂャンサンフォンから武当拳を習い始めた。
 イーカチはジクー禅師から京都の様子を聞いた。できる事ならジクー禅師と一緒に京都まで行きたかった。京都の様子を絵に描いて、思紹(ししょう)(中山王)やサハチに見せたかった。しかし、イーカチの任務はマチルギを守る事なので、船越から離れる事はできない。マチルギたちが船の操縦を習っている時は、小舟に乗って見守り、朝鮮まで行った時は、ヂャンサンフォン、ヒューガ、修理亮と一緒に女たちの中に乗り込んで、朝鮮まで行った。シタルーとクグルーが漢城府まで行ったと聞いて、行ってみたかったが諦めて、富山浦の様子を絵に描くだけで我慢していたのだった。
 十一月も末になると急に寒くなり、十二月の初めには雪が降って来た。初めて見る雪にマチルギたちは感激してキャーキャー騒いだ。
 マチルギたちが雪に感激していた頃、琉球の馬天浜では、対馬から来る船乗りたちが利用する『対馬館』が完成していた。二階建ての立派な宿泊施設だった。急いで建てたので、首里の『会同館』と比べたら見栄えはあまりよくないが、頑丈に作ったので、大きな台風にも耐えられるだろう。サハチは大工たちをねぎらい、手伝ってくれた馬天浜の人たちと一緒に完成祝いのささやかな宴を開いた。
 ほろ酔い気分で島添大里グスクに帰ると、笛の音が響き渡っていた。ウニタキが各地の『よろずや』を回って集めた笛を子供たちに与えてから、島添大里グスクは毎日がお祭りのように、笛の音がピーヒャラ、ピーヒャラ鳴っていた。

 

 

 

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2-36.笛の調べ(改訂決定稿)

 台風の復興対策に付きっきりだったサハチ(島添大里按司)が、久し振りに首里(すい)に顔を出すと、ジルムイの嫁のユミのお腹が大きくなっていた。
 島添大里(しましいうふざとぅ)グスクにいるサグルーの嫁のマカトゥダルは、女子(いなぐ)サムレーたちと一緒に馬天浜(ばてぃんはま)の再建を手伝っていて、そんな兆候はまったくない。マウシの嫁のマカマドゥも首里の女子サムレーと一緒に馬天浜に来ていて、そんな兆候はなかった。一緒に婚礼を挙げた三組のうちで、最初に子供に恵まれたのがジルムイたちだったとは、まったく以外な事だった。
 サハチは慌てて、ジルムイ夫婦を首里のサハチの屋敷に移し、侍女を二人付けて、ユミの世話を命じた。マチルギの留守中に出産に失敗するような事があってはならなかった。
 ユミの懐妊を知ったサハチの母の王妃は、侍女二人だけでは心もとないと御内原(うーちばる)に連れてくるように命じ、ユミは首里グスク内の御内原に移った。
 大変に事になってしまったとユミは戸惑ったが、王妃の命令に逆らうわけにはいかない。御内原には王様の側室が何人もいると聞いている。そんな所に入ったら、心細くて泣きたくなるに違いない。おうちに帰りたいと思いながら侍女に連れられて入った御内原は、想像していた場所とはまったく違っていた。
 きらびやかに着飾った側室たちが、侍女たちに囲まれて、綺麗な花を眺めたり、お琴を弾いたりして、優雅に暮らしていると思っていたのに、そんな優雅さはどこにもなかった。皆、質素な着物を着ていて、側室たちは王妃と一緒に機(はた)織りをしていた。侍女たちも混ざっているようで、ユミには誰が側室なのかわからなかった。皆、楽しそうに笑っていて、和気藹々(わきあいあい)とした雰囲気が漂っている。子供もいるだろうと思っていたのに、子供の姿はなく、女たちばかりだった。ユミは王妃によって皆に紹介され、機織りに加わった。
 夕方になると機織りをやめて、皆、稽古着に着替えると剣術の稽古が始まった。側室たちも稽古に加わっているのには驚いた。ユミも体調を気にしながら稽古に加わった。
 ユミが御内原に入ったので、サハチは安心して島添大里に帰り、復興現場の馬天浜に向かった。
 馬天浜には浮島(那覇)から運ばれた材木が山に積まれてあった。浮島から国場(くくば)川をさかのぼって船で運ばれた材木は南風原(ふぇーばる)で降ろされて、陸路で運ばれた。佐敷按司だった頃は、材木を集めるのに苦労したが、今ではすぐに集める事ができた。材木さえあれば、ウミンチュ(漁師)たちの家が再建されるのも一月もあれば充分だろう。
 問題はヤマトゥンチュ(日本人)の船乗りたちが半年間、寝泊まりする屋敷だった。今までは広い部屋に雑魚寝(ざこね)をしていたが、毎年、来てもらっているのだから、もっとくつろげる屋敷にしたいと思った。父の思紹(ししょう)(中山王)と叔父のサミガー大主(うふぬし)に相談して、二階建ての屋敷を建てる事に決まった。一階は以前のように、開放的な広い部屋にして、二階には小さな部屋をいくつも作る事にした。年が明ければ、シンゴ(早田新五郎)たちの船が来るので、それまでに完成させなくてはならない。サハチは首里の楼閣作りを一時中断させて、大工たちに『対馬館(つしまかん)』と名付けるその屋敷を半年間で完成させるように頼んだ。
 佐敷や島添大里、首里からも手の空いている者たちが応援に来ていて、再建が順調に進んでいるのを見てサハチは安心した。メイユー(美玉)、リェンリー(怜麗)、ユンロン(芸蓉)も手伝いに来てくれた。
 サハチは夕方までウミンチュたちの家作りを手伝って、メイユーと一緒に佐敷グスクに向かった。リェンリーとユンロンはどこに行ったのか、いつの間にかいなくなっていた。
「リェンリーは伊是名親方(いぢぃなうやかた)(マウー)の所に行ったわ。ユンロンは慶良間之子(きらまぬしぃ)(サンダー)の所よ」とメイユーは言った。
「リェンリーが伊是名親方が好きなのは知っているが、ユンロンは慶良間之子が好きなのか」
 メイユーはうなづいた。
「あの娘(こ)が初めて島添大里グスクに行った時、慶良間之子が兵たちを鍛えていたの。その姿を見て、好きになったみたい。まだ言葉がよくわからないので、声も掛けられなかったけど、ここに来て、一緒に片付けをして、少し話をしたみたい」
「ユンロンと慶良間之子か‥‥‥」とサハチはつぶやいて、何となくいやな予感がした。
 苗代大親(なーしるうふや)の次男のサンダーの妻は、島添大里で大役(うふやく)を務めている屋比久大親(やびくうふや)の娘だった。二人の仲が噂にでもなれば、苗代大親は怒るだろうし、屋比久大親も怒るだろう。何とかしなければと思うが、こうして、メイユーと一緒にいるサハチが人の事をとやかく言える立場ではなかった。
 佐敷グスクには大勢の避難民がいて、炊き出しをやっていた。炊き出しを手伝っている者たちの中に、ヒューガ(日向大親)の娘のユリがいた。初めて見たヒューガの娘は噂通りの美人で、可愛い女の子を連れていた。女の子の名はマキク、父親は南風原(ふぇーばる)決戦で戦死した武寧(ぶねい)(中山王)の長男のカニムイ(金思)だった。
 サハチが十六歳の春、サハチと一緒に奥間(うくま)に行ったヒューガはシホという娘と仲よくなって、ユリが生まれた。幼い頃から美人だったユリは側室になるために育てられ、十六歳の時にカニムイの側室として浦添(うらしい)グスクに入った。四年後、浦添グスクはウニタキ(三星大親)によって焼き討ちに遭った。
 浦添グスクから救出されたあと、ユリは新里(しんざとぅ)にある馬天ヌルの屋敷で、娘と一緒に暮らしていた。母親違いの妹、ササも時々、顔を出していたらしい。一人っ子だったササは、お姉さんができたと喜び、知らない土地に来て寂しかったユリも、突然の妹の出現に喜んでいた。
 ササのお陰で佐敷の人たちとも馴染み、隣りに住んでいる馬天ヌルの妹のマウシには大変お世話になっていた。お世話になったお返しにと、ユリは村の娘たちに読み書きを教えた。そのうち、村の娘たちと一緒に佐敷グスクの剣術の稽古にも通うようになった。剣術は奥間にいる時、側室になるための修行で、読み書き、笛や琴と一緒に習っていた。実戦での経験は勿論ないが、娘たちの上級程度の腕は持っていた。ヒューガの娘なので素質はあり、上達も早かった。佐敷に来て二年が過ぎた今では師範代を務め、ヤマトゥ(日本)に行っている女子サムレー、ナグカマの代わりに臨時の女子サムレーも務めていた。
 サハチがメイユーと一緒に佐敷グスクへと続く坂道に来た時、笛の調べが聞こえてきた。
「誰かが笛を吹いているわ」とメイユーが言った。
 サハチはうなづいて耳を澄ました。
 グスクに近づくにつれて、笛の調べははっきりと聞こえてきた。
 三の曲輪内に避難民たちの仮小屋があり、その前で横笛を吹いていたのはユリだった。心が落ち着く綺麗な調べだった。サハチとメイユーは木陰にあった切り株に腰を下ろして、笛の調べに耳を傾けた。
 このグスクで笛の調べを聞くのは久し振りだった。弟のヤグルーの妻、ウミチルがここにいた頃は、笛の音(ね)が毎日のように聞こえていたが、ヤグルー夫婦が平田グスクに移ってからは聞く事もなくなった。サハチ自信も明国から帰って来てから、すっかり、笛の事は忘れてしまっていた。台風で何もかも失ってしまった避難民たちを勇気づける優しい笛の調べだった。
 曲が終わると、サハチは拍手をしながらユリのそばに行ってお礼を言った。
按司様(あじぬめー)、聞いていらしたのですか」とユリは驚いた顔をしてサハチを見て、後ろにいるメイユーを見た。
 サハチはメイユーをユリに紹介して、「いい曲だったよ。今度、島添大里に来て、子供たちに聞かせてやってくれ」と言った。
按司様も笛をなさるとササから聞いております。是非、お聴かせ下さい」
 サハチは手を振った。
「ササの方が俺よりずっとうまいよ」
「ササはヤマトゥ旅に笛を持って行くと言っていました。きっと、今頃、ヤマトゥで吹いているかもしれません」
 サハチは笑って、「長い船旅は退屈する。笛を持って行けば、みんなも楽しめるだろう」とうなづいた。
 サハチがササに横笛を教えたのは五年くらい前の事だった。島添大里グスクの物見櫓(ものみやぐら)の上で笛を吹いていたら、突然、ササが現れて、教えてくれと言ったのだった。吹き方を教えたら、ササはすぐに上達した。独特の感性を持っていて、自然の音を感じたままに表現するのがとてもうまく、心に響く曲を吹いていた。最近は笛を吹いていないようだが、サハチは明国のお土産として横笛をササに贈った。ササは喜んで、久し振りに吹いてくれた。多分、その笛を持って行ったのだろう。
「わしは昔、按司様の笛を聞いた事がある」と避難民の一人が言った。日に焼けたウミンチュだった。
「もう十年以上も前じゃが、按司様の吹く笛は実によかった。グスクから聞こえてくる笛の音を聞きながら、わしはかみさんを口説いたんじゃ」
 避難民たちがどっと笑って、みんなから聞かせてくれとせがまれた。ユリもメイユーも言うので、サハチはユリから笛を借りて吹き始めた。意識したわけではないが、明国で耳にした異国の調べが混ざって独創的な曲になっていた。サハチは無心になって笛を吹いた。曲が終わると喝采がわき起こった。
「素晴らしい」とユリが笑った。
「お上手ですね」とメイユーも笑った。
 サハチはユリに笛を返し、避難民たちを励まして、預けてあった馬に乗って島添大里に向かった。メイユーは島添大里から歩いて来たというので、メイユーの馬も貸してもらった。
 島添大里グスクに帰ると、リェンリーとユンロンは先に帰っていたので安心した。三人は東曲輪(あがりくるわ)の佐敷ヌルの屋敷に泊まって、翌日、浮島に帰って行った。
 八月の初め、キラマ(慶良間)の島から若者たちが百人やって来た。百人の若者たちは与那原大親(ゆなばるうふや)になったマタルーの家臣となり、与那原グスクを築く事になる。


 その頃、対馬ではマチルギとチルーが女子サムレーたちと一緒に、浅海湾(あそうわん)で船の操縦に熱中していた。
 馬天浜を襲った台風は北上して九州各地に大雨を降らせたが、対馬は大した影響もなく、被害が出る事もなかった。
 潮風に吹かれ、毎日、船の上にいるマチルギたちは真っ黒に日焼けしていた。時には、裸になって海に潜ってアワビを捕って御馳走になった。
 琉球にいた時、久高島の海で遊んだが、着物を着たままだった。琉球では女が裸になって海に入る習慣はない。対馬の女たちは裸になって海に潜っていた。初めは恥ずかしくて抵抗もあったが、船に乗っているのは女だけだし、周りを見ても人影はない。マチルギたちも勇気を出して、裸になって海に飛び込んだ。
 気持ちよかった。邪魔な着物がないので、自由に泳ぐ事ができ、まるで、魚になったような気分だった。女子サムレーの中には泳げない娘もいたが、イトとユキに教わって泳げるようになると、キャーキャー言って、アワビ捕りに熱中した。チルーも泳げなかったが、マチルギに教わって泳げるようになった。
「気持ちいいわ。琉球の海でも泳ぎたいわね」とチルーは言った。
「裸になって?」とマチルギが聞くと、
「やだー」と恥ずかしそうに笑った。
「でも、琉球の海で、裸になって泳いだら気持ちいいでしょうね。どこかの無人島に行って泳ぎましょうよ」
「そうね。みんなでお船を出して、無人島に行きましょう」
 マチルギとチルーは顔を見合わせて笑うと、海の中に潜って行った。
 マチルギたちも船の上で、笛の調べを聞いていた。吹いているのは女子サムレーのチタだった。佐敷生まれのチタは父親が平田のサムレーになった時、平田に移り、平田大親の妻、ウミチルから笛と剣術を教わっていた。ヤマトゥに向かう船の上では、ササと競演して、みんなの心を和ませていた。
 イスケの船に乗って、対馬島一周の旅に出たヂャンサンフォン(張三豊)たちは対馬島南部の山の中で修行に励んでいた。
 小さな漁村に着いた時、馬天ヌルが奇妙な形をした山を指さして、「あの山には古いウタキ(御嶽)があるわ」と言った。
「行ってみよう」とみんなで細い山道を登って行くと、山の中腹の広い草原の片隅に小さな石の祠(ほこら)があった。かなり古いようで、風化が激しかった。馬天ヌルはササと一緒にお祈りを捧げた。
 お祈りのあと、「山の神様だわ」とササは言った。
「それだけではないわ。太陽(てぃーだ)の神様でもあるわ」と馬天ヌルは言った。
「船越にも太陽を祀るアマテル神社があった。対馬にも太陽信仰があるみたいね」
 馬天ヌルとササがお祈りしている時、修理亮(しゅりのすけ)とシンシン(杏杏)が岩壁に掘られた洞穴を見つけた。自然の洞窟ではなく、古い鉱山跡のようだった。イスケに聞いてみると、遙か昔に、この辺りで銀が採れたというのを聞いた事があるという。
 ヂャンサンフォンが洞穴の中に入って行った。洞穴の中は真っ暗だった。皆が心配したが、シンシンが大丈夫よと言った。修理亮があとを追って行ったが、何も見えないと言って、すぐに戻って来た。
 しばらくして戻って来たヂャンサンフォンは、「丁度いい。ここで一か月、修行をする」と言って笑った。
 ヒューガと修理亮は勿論の事、ササとシズも喜んだ。
「あたしはみんなについて行けないわ」と馬天ヌルは首を振ったが、ヂャンサンフォンは、「大丈夫です」と馬天ヌルに言い、「あなたもやりなさい」とイスケに言った。
 イスケは驚いた。村を守るために竹槍の稽古はした事があっても、刀なんて持った事もなかった。
「わたしが教えるのは基本の体作りです。きっと、役に立ちます」
 イスケはヂャンサンフォンを見て、うなづいた。
 一旦、山を下りて食糧を集め、次の日の早朝から修行が始まった。サハチたちが武当山(ウーダンシャン)でやったのと同じ修行で、断食(だんじき)と呼吸法と暗闇の洞窟巡りと武当拳(ウーダンけん)の套路(タオルー)(形の稽古)だった。
 朝日を浴びながら、ヒューガ、修理亮、馬天ヌル、ササ、シンシン、シズ、イスケが座り込んで、呼吸に専念している頃、土寄浦(つちよりうら)では、サイムンタルー(早田左衛門太郎)の嫡男、早田六郎次郎が朝鮮(チョソン)に向かう船の準備をしていた。琉球で手に入れた南蛮(なんばん)(東南アジア)の商品とヤマトゥの商品を積み、朝鮮で交易をするのだった。
 シタルーとクグルーも一緒に朝鮮に行く事になった。去年、ヤマトゥ旅に出たサンダーとクルー、一昨年のヤグルー、ジルムイ、マウシ、シラーは対馬に来る前に、一文字屋の船に乗って博多から京都まで行った。今年は北山殿(きたやまどの)(足利義満)が急死したため、瀬戸内海の海賊どもが暴れ出す危険があり、一文字屋としても、しばらく様子を見ると言って船を出していなかった。対馬にずっといても飽きるだろうから朝鮮の都を見てくればいいとシンゴに言われたのだった。
 ヤマトゥ旅に出るためにヤマトゥ言葉を学んできた二人だったが、朝鮮の言葉はまったく知らない。不安もあるが、知らない異国を見てみたいという興味は強く、期待に胸を膨らませて船に乗り込んだ。
 佐敷ヌルは、シンゴの妻、ウメと会っていた。船越まで来て、佐敷ヌルとフカマヌルを土寄浦まで連れて行ってくれたのがウメだった。艪(ろ)を漕ぎながら、「琉球で皆様のお世話になっているシンゴの妻のウメです」と名乗った時、佐敷ヌルは息が止まるかと思うくらいに驚いた。お屋形様のサイムンタルーがいない今、シンゴはお屋形様の代理だった。その妻がわざわざ船を漕いで迎えに来るなんて思ってもいない事だった。
 ウメは和田浦の生まれで、サハチがイトと一緒に和田浦にいた時、十四歳だった。イトとサワがヒューガから剣術を習っていた時、村の娘たちも何人か加わっていたが、その中の一人がウメだった。サハチたちが和田浦を去ったあともウメは一人で稽古を続け、シンゴの妻になって土寄浦に移ってからは、イトと一緒に娘たちに剣術を教えていたのだった。
 イトを尊敬していて、男たちがいなくなった土寄浦を女たちで守らなければならないと、イトが船越に移ってからも娘たちに剣術を教えていた。マチルギに娘たちの指導を頼んだのもウメで、マチルギは佐敷ヌルとフカマヌルを土寄浦に送ったのだった。
 佐敷ヌルとフカマヌルはウメと一緒に、娘たちに剣術を教えた。娘たちの中にシンゴの娘もいた。十七歳になるフミという娘で、ウメによく似ていた。そろそろお嫁に行かなくてはならないんだけど、なかなかいい相手がみつからないとウメはぼやいていた。
 ウメはいい人だった。ウメに隠し事をしているのは辛かった。本当の事を言ってしまおうかと何度も思ったが、口にする事はできなかった。佐敷ヌルは重苦しい胸のつかえに耐えながら、娘たちの指導をして、シタルーとクグルーが朝鮮に行ったあとは、若者たちの指導にも当たっていた。

 

 

 

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2-35.龍の爪(改訂決定稿)

 ナツとメイユー(美玉)の試合のあと、二人は仲良しになって、メイユーは度々、島添大里(しましいうふざとぅ)グスクにやって来た。リェンリー(怜麗)は来なくなって、メイユーはユンロン(芸蓉)と一緒に来て、子供たちと遊んでいた。子供たちから琉球の言葉を習い、子供たちに明国(みんこく)の言葉を教えていた。物覚えの速い子供たちの方が、サハチ(島添大里按司)よりも明国の言葉がうまくなるのではないかと恐れもし、期待もした。
 首里(すい)に行ったり島添大里に行ったりの生活をサハチは繰り返していた。首里にいる時、ファイチ(懐機)の使いが来て、久米村(くみむら)に向かった。
 メイファン(美帆)の屋敷に行くと、ウニタキ(三星大親)も来ていて、ファイチ、メイリン(美玲)、メイユー、ユンロンが顔を揃えて待っていた。
「サハチさん、朝鮮(チョソン)に送った船の事を調べました」とファイチが言った。
 サハチはお礼を言って、みんながいる円卓の椅子に腰を下ろした。
「当時の使者は久米村にいるのか」とサハチが聞くと、ファイチは首を振った。
「使者の記録が残っていないのです。明国に送った進貢船(しんくんしん)の記録はちゃんとしているのですが、朝鮮の記録はいい加減で、使者の名も通事(つうじ)(通訳)の名も書いてないのです。察度(さとぅ)(先々代中山王)は洪武(こうぶ)二十二年(一三八九年)、洪武二十三年、洪武二十五年、洪武二十七年と四回、朝鮮に使者を送っています。武寧(ぶねい)(先代中山王)は洪武三十年、洪武三十二年、洪武三十三年、永楽元年(一四〇三年)とやはり四回、送っています。察度が送った最初の三回は記録にありませんが、それ以降は明国から賜わった進貢船で行っています」
「なに、進貢船で朝鮮まで行ったのか」とサハチは驚いた。
「ヤマトゥ(日本)船よりも荷物が積めるからでしょう。朝鮮だけでなく、ヤマトゥとも交易して来たに違いありません」
「成程な、博多に寄ったのだな」
「多分、そうでしょう」とファイチはうなづいて、話を続けた。
「察度の一回目の記録はありませんが、二回目の時は三十七人の高麗人(こーれーんちゅ)を送り返しています。三回目は八人、四回目は十二人、武寧の一回目は九人で、その後の記録はありません。朝鮮に献じた物は硫黄(いおう)、蘇木(そぼく)、胡椒(こしょう)、亀の甲羅(鼈甲)などで、朝鮮から賜わった物の記録はありません。察度の四度目の時は大量の高麗瓦(こーれーかーら)を持ち帰っています。高麗から朝鮮に変わった時期で、高麗の名の入った瓦を処分したようです。記録の残っているのはこれだけでした」
「どうして、使者の記録がないんだ?」とウニタキが聞いた。
「多分、アランポー(亜蘭匏)の身内の者が使者になったのだと思います。琉球王の名を借りて、アランポーの一族が交易の儲けを奪い取っていたのでしょう」
「きたねえ奴だな」とウニタキは舌を鳴らした。
「アランポーは久米村の王様でしたからね。やりたい放題でしたよ」
「朝鮮の言葉ができる通事はいるのか」とサハチは聞いた。
 ファイチは首を振った。
「久米村にも以前は、倭寇(わこう)が連れて来た高麗人が奴隷(どれい)として働いていたのですが、今はいません。冊封使(さっぷーし)が来る前に、永楽帝(えいらくてい)の使者が来ましたが、その時、罪人と一緒に、倭寇に連れ去られた者たちも明国に連れていかれました。最近は辻(ちーじ)の人買い市場にも誰もいません」
「それは確かだ」とウニタキが言った。
「捕まっている朝鮮人(こーれーんちゅ)がいたら助けて、朝鮮に帰してやろうと俺も行ってみたんだが、以前、朝鮮人が囚われていた小屋は空き家になっていて、かなり荒れ果てていた。勿論、見張りの者も誰もいない。どうしたのだろうと思って、俺はハリマ(若狭町の宿屋の主人)に聞いてみたんだ。そしたら、みんな、ヤマトゥに連れて行かれたと言った。ヤマトゥの武将たちは朝鮮のお経(大蔵経)とやらが欲しくて、朝鮮の気を引くために、倭寇によって連れ去られた者たちを朝鮮に送り返しているらしい。ここから連れて行かれた者たちは、そういう武将に売られて、本国に返されるようだ。ハリマが言うには、博多を仕切っていた今川了俊(りょうしゅん)という武将は一千人余りもの朝鮮人を送り返したそうだ」
「一千人とは凄いな」とサハチは驚いた顔で皆の顔を見回した。
今川了俊には及ばないが、志佐壱岐守(しさいきのかみ)殿も朝鮮人を送り返していると言っていた。壱岐島(いきのしま)にはかなりの朝鮮人がいるらしい。でも、農作業をして働いているので、全員を返してしまったら、島の者たちが食えなくなってしまう。年老いた者たちを送り返していると言っていた。それに、連れ去られて来た者だけでなく、自ら進んでやって来た者も多いと言っていた。朝鮮にいても食うに困ってる者たちが壱岐島に来て働いているようだ」
「そうなると、通事はいないという事になるな」とウニタキが言った。
 通事がいなければ話にならなかった。
「久米村にはいませんが、朝鮮人を買って、使用人として使っている者はいるはずです」とファイチは言った。
「遊女屋(じゅりぬやー)か」とウニタキが笑った。
「遊女(じゅり)に通事は勤まるまい」とサハチが言うと、
「女では通事として認めてもらえないでしょう」とファイチは首を振った。
「武寧の側室は従者を連れていなかったのか」とウニタキがファイチに聞いた。
「二人は松浦党(まつらとう)から送られた女で従者はいませんが、一人は国が変わって逃げて来た高麗(こーれー)の姫様で従者を連れていました。武寧は従者たちに屋敷を与えて保護していましたが、浦添(うらしい)グスクが焼け落ちた時に逃げてしまったようです」
「逃げたって、朝鮮にか」とサハチは聞いた。
「多分、ヤマトゥの船に乗って逃げたのでしょう。ヤマトゥに着いたら、ウニタキさんが言っていた武将に売られたのかもしれませんが、琉球にはいません」
「参ったなあ」とウニタキは頭を抱えた。
琉球言葉と朝鮮言葉の通事はいないが、ヤマトゥ言葉と朝鮮言葉の通事ならいる」とサハチは言った。
「ヤマトゥ言葉と朝鮮言葉? そんな奴がどこにいるんだ」
「ヤマトゥにもいるし、朝鮮にもいる。シンゴ(早田新五郎)の兄貴と叔父さんだ」
「朝鮮の言葉がしゃべれるのか」
 サハチはうなづいた。
「シンゴの兄貴はもともと高麗人だ。高麗からさらわれて来たんだが、頭がよくて度胸もあるので、シンゴの姉さんの婿になった男だ。今も壱岐島にいるはずだ。叔父さんの方は朝鮮の富山浦(ブサンポ)で店を開いていて、朝鮮の言葉はペラペラだ。頼めば通事をやってくれると思う。本人がだめでも誰かを紹介してくれるだろう」
「ヤマトゥ言葉じゃファイチにはわからないな」とウニタキは言って、ファイチを見た。
「二人が通訳してくれれば大丈夫です」とファイチは笑った。
「通事はそれでいいとして、使者をどうするかですね」
「ヤマトゥ言葉がわかる使者はいないか」とサハチは聞いた。
 ファイチは首を振った。
「うまくいかんな」とウニタキは首を振ったあと、サハチの顔を見つめると、「おい、お前んとこにいるじゃないか」と言った。
 サハチにはウニタキが何を言っているのかわからなかったが、突然、ひらめいた。
「鮫皮(さみがー)の職人だ」とサハチは言った。
「そうだよ。あそこに高麗人が何人かいたぞ」
「確かにいる」とサハチはうなづいた。
「叔父さんに頼んでみよう」
琉球言葉がわかる高麗人と朝鮮言葉がわかるヤマトゥンチュと二人の通事がいれば、使者は誰でもいいだろう。それなりの手続きができる者ならばな」
「朝鮮に行くにしろ、ヤマトゥに行くにしろ、商品を確保しておかなければなりません」とファイチが言った。
「あっ、そうだな」とサハチはうなづいた。
「明国の商品と旧港(ジゥガン)の商品を選んで確保しておこう」
 話がまとまって、前回、メイユーが寝込んでいたので、改めて歓迎の宴(うたげ)を始めた。
「リェンリーはどうしたんだ?」とファイチが聞いた。
「きっと、首里グスクよ」とメイユーが言った。
「リェンリーはちょっと変わっていて、古い陶器とか、古い絵や書とか、古いお寺(うてぃら)とかに興味を持っていて、今、首里グスクに建てている楼閣に興味があるみたいなの」
「俺がここに来る時、親父と一緒に彫刻に熱中していたよ」とサハチが言った。
「リェンリーが彫刻? そう言えば、かなり前だけど、偶人(オウレン)(人形)を彫っていた事もあったわ」
「オウレン?」とサハチは聞いた。
 メイユーは首を傾げてファイチを見た。
「子供のおもちゃです」とファイチが説明した。
 彫刻を始めたのはいいが、一人ではとても間に合わないと思った思紹(ししょう)は、手先が器用な者に手伝わせていた。キラマ(慶良間)の島にいた時は小屋から食器にいたるまで、自分たちで作っていたので、誰が器用だか知っているのだろう。伊是名親方(いぢぃなうやかた)や外間親方(ふかまうやかた)を初めとした、かつての弟子たちが非番の時に手伝っていた。その中にリェンリーも加わっていたのだった。
「まったく」とメイリンは文句を言った。
「リェンリーは首里、メイユーとユンロンは島添大里、あたしはいつも留守番よ」
「まあまあ」とウニタキがなだめた。
「今度、どこかに連れて行くよ」
「ほんと?」
 ウニタキはうなづいた。
 二人の様子を見ながら、「メイファンに会いたいよ」とファイチが言って、皆を笑わせた。
 今、メイファンが赤ん坊と暮らしている西湖(せいこ)のほとりの屋敷の話をしていたら、リェンリーが帰って来た。一人ではなかった。伊是名親方(マウー)が一緒だった。
「みんな、いたんだ」とリェンリーは喜び、伊是名親方はサハチたちがいたので恐縮した。
「話がうまく通じないのよ」とリェンリーは両手を広げた。
「まあ、座れよ」とサハチはリェンリーと伊是名親方に言った。
按司様(あじぬめー)」と言って、堅くなって立っている伊是名親方に、「ここに俺がいる事は親父には内緒だ。勿論、島添大里にもだ。ここは久米村。異国にいると思って、楽にしていい」とサハチは笑った。
 伊是名親方はうなづいて、メイユーが用意した椅子に腰を下ろした。
 伊是名親方は伊是名島のナビーお婆の息子だった。思紹の従弟(いとこ)で、思紹が東行法師(とうぎょうほうし)になって旅をした時に、久高島に連れて行って修行をさせた。キラマの島に移ってからは師範代として若い者を鍛え、首里グスク攻めで活躍して、首里のサムレー大将になっていた。サハチより二つ年下だった。
「前から聞きたいと思っていたんだが、二十年前に俺が伊平屋島(いひゃじま)に行った時、お前も伊是名から来ていたのか」
 伊是名親方は首を振った。
「あの時、俺は留守番でした。俺は末っ子でしたから、兄貴たちが子供たちを連れて伊平屋島に行くのを見送ったんです」
「やはり、いなかったか」とサハチはうなづいた。
「何しろ、大勢の子供たちがいたからな、お前もその中にいたんだろうと思っていたんだが、いなかったのか。ようやく、二十年前の疑問が解けたよ」
「リェンリー、伊是名親方に何が聞きたかったんだ?」とファイチがリェンリーに聞いた。
「聞きたい。違う。説明したいの」とリェンリーは言った。
「何を?」
「龍(りゅう)の爪」
「何?」とファイチが言うと、リェンリーは明国の言葉で話し始めた。
 話を聞きながらファイチはうなづいて、サハチたちに説明した。
「リェンリーが言いたいのは、五本指の龍は明国の皇帝しか使えないという事です。ここは琉球ですが、冊封使(さっぷーし)がその龍を見たら大騒ぎになります。琉球の王が皇帝になろうとしていると誤解を受けかねません。四本指に直すべきだと言っています」
「五本指だとまずいのか」とサハチは自分の手を見ながら、ファイチに聞いた。
「まずいです。壊されてしまうかもしれませんし、その事が永楽帝に知られたら、進貢もできなくなるかもしれません」
「龍の爪が、そんな大げさな事になるのか」
「明国では龍は皇帝を象徴するものなのです。皇帝を象徴する黄色が使えないように、五本指の龍も使えないのです」
「そうか。親父に言って直させよう」
 ファイチが明国の言葉で言うと、リェンリーは嬉しそうに笑った。さらにファイチが何かを言うと、リェンリーは恥ずかしそうに顔を赤らめた。そんなリェンリーを見ながらファイチは笑った。
「確かに重要な事だが、わざわざ、伊是名親方を連れて来る事もあるまいと言ったら、顔を赤くしました。どうやら、伊是名親方が気に入ったご様子です」
「えっ?」と伊是名親方は驚いた顔をしてリェンリーを見た。
「リェンリーは二年前に夫を亡くして、子供もいませんよ」とメイユーが言った。
「お前はかみさんがいるのか」とサハチは伊是名親方に聞いた。
「はい。おります」
「そうだろうな‥‥‥しかし、キラマの島でずっと修行していたんだろう。いつ、嫁さんをもらったんだ?」
「キラマの島で知り合って、こっちに移ってから嫁に迎えました」
「そうだったのか」
 伊是名親方は窓から外を眺め、「そろそろ失礼します。明日は仕事なので」と言って立ち上がった。
 伊是名親方が部屋から出て行くとリェンリーはあとを追って行った。しばらくして戻って来たリェンリーは嬉しそうな顔をして笑って、「あの人、いい人」と言った。
 伊是名親方とリェンリーの事を肴(さかな)にして酒を飲んでいるとリェンリーの父親のラオファン(老黄)が帰って来た。久米村の長老、チォンフー(程復)と親しくなって、よく碁を打ちに行っているという。ラオファンも加わって、リェンリーの子供の頃の話を聞いた。
 その夜はサハチもウニタキもメイファンの屋敷に泊まった。ようやく二人きりになれたサハチとメイユーは、話したい事がいっぱいあったはずなのに、何も言わずに見つめ合い、抱き合っていた。
 次の日、サハチは馬天浜(ばてぃんはま)に行って、叔父のサミガー大主(うふぬし)と相談した。朝鮮に行くのなら連れて行ってほしい夫婦者がいると叔父は言った。
「二十年以上も琉球にいるので、どちらの言葉もできる。きっと、奴なら通事も勤まるじゃろう。こっちで生まれた息子も一人前の職人になって、浜の娘を嫁にもらった。年老いてきたので、故郷に帰りたいと言っているんじゃよ。長年、真面目に働いてくれたからのう。わしとしても帰してやりたいと思っているんじゃ」
 サハチはその夫婦と会った。五十年配の夫婦で、普通に琉球言葉を話していた。二十年も離れていて、朝鮮の言葉を覚えているのかと聞くと、仕事仲間に朝鮮人はいるし、夫婦で話す時も朝鮮の言葉を使っているから大丈夫だと言った。サハチは一緒に連れて行く事に決めた。
 その翌日、大きな台風が来た。首里グスクの西曲輪(いりくるわ)で普請(ふしん)中の楼閣を見上げていた時、サハチは気の流れの異変を感じて、台風が来ることを察知した。運玉森(うんたまむい)ヌル(先代サスカサ)に確認すると、確かに大きな台風が来るという。サハチは思紹に告げ、首里の事は思紹に任せて、島添大里グスクに向かった。
 島添大里グスクではサスカサ(島添大里ヌル)によって台風が来る事を知らされ、対策を始めていた。
「佐敷と平田に知らせたか」とサスカサに聞くと、「大丈夫よ」とうなづいた。
 サハチは娘のサスカサを見ながら、いつの間にか立派なヌルになっていたと改めて思っていた。
 屋敷に入ると、ナツが屋敷内を見回って、侍女たちに指図していた。メイユーとの試合のあと、ナツは変わった。ナツが変わったというよりは、周りの者たちがナツを見る目が変わったのだろう。留守の間の子守役として、マチルギが側室にしたに違いないと陰口をたたいていた者たちが、尊敬の眼差しでナツを見るようになり、進んでナツに従うようになっていた。
 サハチとしても嬉しい事だったが、ナツとメイユーが仲よくなって、ナツから色々と話を聞いたのか、メイユーが第三夫人にしてくれと言ったのには参っていた。第三夫人と言っても、グスクに入るわけじゃないのよ。琉球にいる時だけ、あなたの奥さんになるのとメイユーは笑った。サハチは答えず、来年、マチルギと相談してくれと逃げた。
 正午(ひる)過ぎから降って来た雨は、夕方になると激しくなり、風も強くなってきた。そんな中、ウニタキがびっしょりになってやって来た。
メイリンを連れて勝連(かちりん)まで行って来たんだ。朝はいい天気だったのにひどい目に遭った」とウニタキは侍女から渡された手ぬぐいで顔を拭きながら言った。
「勝連? 何で勝連に行ったんだ?」
「俺が生まれ育った所を見たいってメイリンが言ったのさ。向こうに着いて、港から佐敷の方を眺めていたら、急に台風が来るって感じたんだ。メイリンに聞いたら、まさかと笑った。俺は何だかいやな予感がして、姉の勝連ヌルを訪ねて聞いてみた。勝連ヌルは空を見上げてから、しばらく目を閉じていた。目を開くとうなづいて、大きな台風が来るわと言った。俺たちは慌てて帰って来たんだが、途中で雨に降られてびっしょりになっちまった。メイリンを浮島に届けてから、ここに来たんだよ」
「みんな、ちゃんと帰っていたか」とサハチは聞いた。
「メイユーはいた。リェンリーとユンロンはいなかった」
「リェンリーは首里にいた。ユンロンはどこに行ったのだろう」
「大丈夫さ。今頃は帰っている」
 サハチはうなづき、侍女に着替えを用意させた。
 打ち付ける雨の音と不気味な風の音を聞きながら、一睡もできずに夜は明けた。明国から仕入れた蝋燭(ラージュ)(ろうそく)が大いに役立った。窓から吹き込む雨も蝋燭で照らして対処する事ができた。
 怖がっていた子供たちも女子サムレーのシジマ(志慶真)の昔話を聞きながら眠ってしまい、騒ぐ事もなかったので助かった。
 朝になっても激しい雨は降っていた。風は少し弱まったようだ。正午頃にようやく小降りになってきた。
 サハチはウニタキと一緒に外に出た。どこから飛んで来たのか、グスク内には折れた枝葉があちこちに落ちていた。一通り見回ってみて、壊れた建物もなさそうだったので一安心した。東曲輪(あがりくるわ)の佐敷ヌルの屋敷にユンロンがいた。帰れなくなって泊めてもらったらしい。メイユーたちが心配しているだろうと思ったが、無理をして帰っても渡し場の舟が止まって、浮島には帰れなかったに違いない。ここにいてよかったんだと考え直した。
「この台風は北上してヤマトゥに行くんじゃないのか」とウニタキが言った。
「今頃は対馬(つしま)にいるだろう。心配ない」とサハチは言った。
 そうは言ったものの船に乗って京都に向かっているかもしれないし、あるいは朝鮮に向かっているかもしれない。どうか無事であってくれと祈った。
 サハチはサムレーたちに命じて、佐敷や平田の様子を調べさせた。ウニタキも各地の様子を見てくると言って出掛けて行った。
 佐敷から帰って来たサムレーから、馬天浜が大変だと聞いたサハチはすぐに馬天浜に向かった。
 ひどい有様だった。海辺にあった家々は皆、潰れていた。ヤマトゥから来る船乗りたちが使う離れも潰れていた。サミガー大主の屋敷は無事だったが、ほとんどの家が破壊されていた。住んでいた人々は佐敷グスクに避難していたので無事だが、もとの生活に戻るには二ヶ月近くはかかるだろう。
 サハチは弟の佐敷大親と相談して、直ちに復興対策を練り、島添大里からも手の空いている者たちを呼んで、壊れた家々の片付けを命じた。
 ウニタキが調べた所によると、大きな被害が出たのは知念(ちにん)、馬天浜、中グスク、勝連だという。知念も何軒かの家が倒れて、中グスクも海辺の家々がやられ、勝連もウミンチュ(漁師)たちの家が何軒も倒れたという。
首里は大丈夫だったんだな?」とウニタキに聞くと、「普請中の楼閣も無事だった」と言ったので、よかったと安心した。
浦添も無事か」
「普請中の屋敷は無事だ」
「進貢船も無事か」
「大丈夫だ。メイファンの屋敷も無事だ。海で嵐に遭った時よりも怖かったとメイリンは言っていた。屋敷が壊れて下敷きになってしまうと恐れていたようだ」
「そうか」とうなづきながら、みんなを島添大里グスクに呼んだ方がよかったかなとサハチは思っていた。
 首里からも伊是名親方がサムレーたちを率いて馬天浜にやって来た。首里から食糧も届いて、佐敷グスクで炊き出しも始まった。大勢の者たちで協力し合えば、予定よりも早く復興できそうだった。

 

 

 

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2-34.対馬の海(改訂決定稿)

 博多に着いたマチルギたちは『一文字屋』のお世話になって、二十日間、博多に滞在した。梅雨も上がって、琉球ほどではないが、暑い夏になっていた。
 博多に滞在中、白い袴をはいて腰に刀を差して、街中をうろうろしているマチルギたちは目立ち、街の者たちの噂に上っていた。さらに、一文字屋の近くの空き地で剣術の稽古をしていたので、大勢の見物人たちに囲まれた。中には試合を申し込んでくるサムレー(侍)もいたが、ジクー(慈空)禅師がうまく追い払って、それでも言う事を聞かない者はヒューガ(日向大親)によって追い払われた。
 もし、九州探題(きゅうしゅうたんだい)の渋川満頼(しぶかわみつより)が博多にいたなら、マチルギたちの噂を聞いて屋敷に招待して、その後の成り行き次第では京都に行く事になったかもしれない。しかし、渋川満頼は足利義満が急死したため、京都に行っていて留守だった。
 博多でも足利義満の死は噂になっていて、戦(いくさ)にならなければいいがと心配している人が多かった。九州には将軍に反発している者たちがまだいて、九州探題の留守を狙って博多を攻めるかもしれないと恐れている人もいた。そんな噂を耳にしていたマチルギも京都まで行こうとは言い出さず、博多の賑わいを見ただけで充分に満足していた。
 マチルギたちが博多を去る時、ジクー禅師は知り合いに会いに行くと言って、マチルギたちと別れた。マチルギは驚いたが、必ず対馬(つしま)に行くと約束してくれたので、ジクー禅師を見送った。
 ジクー禅師の代わりに若い武芸者が一緒について来た。マチルギたちの稽古を毎日のように見に来ていた背の高い若者だった。
 若者の名は飯篠修理亮(いいざさしゅりのすけ)といい、下総(しもうさ)の国(千葉県)、香取の生まれで、幼い頃より香取神宮に伝わる『神道流(しんとうりゅう)』の武術を修め、さらに強くなるために諸国修行の旅に出た。旅の途中、『念流(ねんりゅう)』という武術を編み出した禅僧の慈恩(じおん)の名を聞いて、是非とも教えを請おうと捜しているがなかなか見つからない。噂では博多にいると聞いてやって来たが、見つける事はできず、マチルギたちの稽古に遭遇したのだった。女の遊びに過ぎんと見物人たちは半ば馬鹿にしているが、修理亮の目には、恐るべき女たちだと映っていた。そして、一緒にいる二人の武士はかなりの使い手だと見破っていた。
 ヒューガと名乗っている武士は日本人だった。話を聞くと阿波(あわ)(徳島県)の生まれで、二十年以上も琉球にいるという。慈恩禅師の話をしたらヒューガは驚いた顔をした。慈恩はヒューガの師匠だという。琉球に渡る前の若い頃、二年余り一緒に旅をして指導を受けたという。もし、出会う事ができたら、『三好日向(みよしひゅうが)は琉球にいる』と伝えてくれと頼まれた。
 修理亮は迷った。今まで通り慈恩を捜すか、それとも、慈恩の弟子のヒューガに指導を頼むか‥‥‥修理亮はヒューガを選んで、弟子にしてくれと頼んだ。ヒューガは断った。わしは今回の旅で、ヂャンサンフォン(張三豊)殿から武術を学ぶつもりでいる。そなたも一緒に学ぼうと言って、ヂャンサンフォンを紹介した。修理亮はヂャンサンフォンを知らなかったが、ヒューガから明国(みんこく)の武術の神様じゃと言われた。修理亮はヂャンサンフォンの指導を受ける事になり、一緒について行ったのだった。
 博多を発ったのは六月の末で、壱岐島(いきのしま)に行き、荷物の積み替えのために一泊して、翌日、対馬の土寄浦(つちよりうら)に着いた。船の上から見た土寄浦は二十年前と変わっていないとヒューガは懐かしく思っていた。しかし、上陸してみると、何もかもが変わっていた。サハチとヒューガが琉球に帰った翌年、土寄浦は高麗(こうらい)軍の攻撃に遭って全焼してしまい、すべての建物は新たに再建されたものだった。
 二十年前に暮らしていた家はなく、後家のサワの家もイトの家もなかった。サワはイトと一緒に船越(ふなこし)に移ったという。
 一行は『琉球館』という立派な屋敷に案内された。毎年、琉球からサハチの弟や息子が来るので、シンゴ(早田新五郎)が建てたのだった。立派な屋敷だったが、今回は人数が多すぎて、その屋敷だけでは納まりきれなかった。空き家の手配がしてあるので、もう少し待ってくれとシンゴは言った。
「女たちに屋敷を使ってもらい、わしら男は庭で野宿をすればいい」とヒューガは笑った。
 一休みしていると刀を背負った二人の女がやって来た。頭に革の鉢巻きをして、袴姿の勇ましい女は屋敷の中を見回して、「マチルギ様はどなたですか」と聞いた。
 マチルギは屋敷の中から縁側に出た。
「わたしがマチルギです」と言って、二人の女を見たマチルギは、「もしかしたら、イトさんとユキさんですか」と聞いた。
 女はうなづいて、「娘のユキです」と娘を紹介した。
「ほう」とヒューガが言って立ち上がった。
 イトはヒューガを見ると、「お久し振りです」と笑って頭を下げた。
 イトは二十年前の面影を残していたが、女武将という貫禄があった。あのあとも剣術の修行に励み、この島を守るために戦って来たのかもしれない。娘のユキは可愛い顔をしていて、目つきがサハチによく似ていた。母親に鍛えられたとみえて、かなりの腕がありそうだった。
「まるで、二十年前のそなたを見ているようじゃ。あの時のそなたは美しかったが、いや、今でも勿論、美しいがのう。そなた以上にユキ殿は美しい。サハチに見せてやりたいものじゃ」
「サハチ殿のご活躍はシンゴ殿からよく伺っております」と笑って、マチルギを見たイトは、「マチルギ様のお話もシンゴ殿や対馬にいらした息子さんたちからよく聞いております。今回、マチルギ様がいらしたと聞いて、お会いするのを楽しみにしておりました。是非とも船越にお越し下さい。迎えに参ったのでございます」
 マチルギはあまりにも突然のイトとユキの出現に戸惑っていた。まさか、対馬に着いた途端に現れるなんて思ってもいなかった。心の準備もなく現れた二人を見て、何と言ったらいいのか言葉も出て来なかった。
 荷物を積み終わったら改めて迎えに来ると言って二人は帰って行った。
「ここにも女子(いなぐ)サムレーがいるのね」と佐敷ヌルが言った。
 確かに二人は女子サムレーだった。
「かなり強そうだわ」とナグカマが言った。
「大師匠(うふししょう)(マチルギ)にはかなわないわよ」とイヒャカミーが言った。
 女子サムレーたちの話を聞きながら、マチルギは可愛い顔をしたユキを思い出して、二十年前のイトはあんな感じだったのだろうかと思っていた。
 マチルギたち一行は次の日、シンゴが持って来た食糧を積んだイトの船に乗って船越に向かった。その船はマチルギたちが琉球から乗って来た船と同じ位の大きさで、驚いた事にイトが船長だった。船乗りたちも全員が女だった。女たちを指図して船を操っているイトの姿を、マチルギは目を丸くして驚き、凄いわと言って、一瞬にしてイトを尊敬した。
 イトはマチルギの想像を遙かに超えた素晴らしい女性だった。息子のサグルーやジルムイからイトの噂は聞いていた。綺麗な人で、船を操ってどこにでも行く。剣術もできるし、何となく、お母さんに似ていると言っていた。話を聞いた時は小舟に乗っているのだろうと思っていた。こんな大きな船を操っていたなんて考えも及ばない事だった。生意気な女だったら、痛い目に遭わせてやろうと密かに思っていたマチルギは、イトの姿を見て、完全に自分の負けだと心の中で頭を下げていた。
 浅海湾(あそうわん)は凄い所だった。島だか岬だかわからないが、海の中にいくつも岩山がせり出していて、まるで、迷路の中にいるようだ。琉球では絶対に見られない不思議な風景が次々に現れた。皆、驚いた顔をして、周りの景色を眺めていた。
 半日掛かって着いた船越(小船越)は深い入り江の奥にあった。ここは古くから小舟を担いで、東海岸に運んだ場所だという。南北に細長い対馬島は浅海湾から東海岸に出るには、北に行っても南に行っても、かなりの時間が掛かった。船越は二丁(約二百メートル)足らずで東海岸に出る事ができるので、舟を担いで小高い丘を超えたのだった。勿論、今も利用されている。山ばかりで、隣り村に行くのにも舟を利用するしかない対馬の人に取って、舟は馬のようなものだった。船越は交通の要衝として重要な地点で、早田左衛門太郎(そうださえもんたろう)(サイムンタルー)はここを第二の拠点として、次男の六郎次郎を置いたのだった。
 サイムンタルーの長男の藤次郎はサイムンタルーが朝鮮(チョソン)に投降した時、人質となって朝鮮の都、漢城府(ハンソンブ)(ソウル)で暮らしていたが、異国の地で病に罹って亡くなってしまった。六郎次郎はサイムンタルーの跡継ぎとなり、船越の地を守っていた。
 船から降りた一行は荷物を降ろすのを手伝って、荷車を押しながら坂道を上り下りして東海岸に出た。坂道の頂上辺りの左側に鳥居があり、山の上に神社があるようだった。集落は東海岸にあって、土寄浦と同じように山と海に挟まれた狭い土地に家々が建ち並んでいた。ここにも『琉球館』があった。しかし、全員を収容する事はできず、マチルギたちは六郎次郎の屋敷に、女子サムレーたちは琉球館に、男たちはサワの家とイトの父親、イスケの家に分散した。
 サワと二十年振りの再会をしたヒューガは複雑な心境だった。今回、妻の馬天ヌルと娘のササを連れていた。その事を話すと、よかったわねと笑ってくれた。当時十歳だった娘のスズは三十歳になり、十二歳の息子がいた。夫の姿が見えないので、サワと同じように後家になったのかと聞くと、「そうじゃないわよ」とサワは笑った。お屋形様と一緒に朝鮮にいるという。
「でも、十年過ぎても帰って来ないから、後家と同じだわね」と言った。
 お屋形様の家臣になった息子の三太郎も朝鮮にいるという。
 ユキの夫の六郎次郎はいなかった。シンゴが琉球に行っている間は土寄浦にいて、シンゴに引き継ぎをしたら帰って来るという。
 マチルギはイトから、どうして船長になったのか理由を聞いた。
「男手が足らないのよ」とイトは言った。
 十一年前の四月、お屋形様のサイムンタルーは朝鮮に投降した。その時、軍船二十四隻と八十人の家臣も連れて行った。サイムンタルーは宣略(せんりゃく)将軍という地位を与えられ、屋敷も与えられて、朝鮮にて倭寇(わこう)討伐の任務に携わっているという。投降した倭寇を丁寧にもてなして、倭寇の勢力を弱めようという、長年に渡って倭寇に苦しめられてきた朝鮮王朝が考え出した苦肉の策だった。サイムンタルーだけでなく、各地の有力な倭寇の頭領たちの多くが投降して、朝鮮で暮らしていた。
 主立った者たちがお屋形様と一緒に朝鮮に行ってしまい、土寄浦には最低限の男しかいなくなった。残された者たちで、留守を守っていくより他はなく、イトはサワと一緒に船に乗り込んで朝鮮や博多まで行くようになったという。
 おんぼろの船しか残っていなかったが、琉球との交易によって豊かになり、新しい船を手に入れる事もできた。今、船越には大型帆船が東海岸と西海岸に二隻あり、東海岸の船は博多に行く時に使い、西海岸の船は朝鮮に行く時に使うという。
 五年前にユキが嫁いで来た頃の船越は家も少なく、寂しい所だったが、今は六郎次郎の家臣も増え、船乗りたちも家族を呼んで住み着くようになって、賑やかになってきたとイトは笑った。
 イトはサハチとの出会いの事も話してくれた。
 イトの父親のイスケはイトが生まれる前から琉球に行っていた。サハチが生まれた時も琉球にいて、サハチの誕生を祝福した。イトが四歳の時、父は琉球から帰って来ると、イトと同い年のサハチの事を話した。イトが八歳の時も、十二歳の時も、琉球から帰って来ると父はサハチの事を楽しそうに話した。イトの心の中で、いつか、サハチに会いたいと思うようになり、その思いが強くなると、いつか必ず、サハチに会えると信じるようになった。
 男たちから騒がれても目もくれず、サハチとの出会いを夢見ていた。そして、十六歳の夏、とうとうサハチが対馬にやって来た。サハチは父が話していた通りの人だった。運命の人に出会ったとイトは思った。サハチと過ごした半年間は今のイトにとって、永遠の宝物だった。そして、ユキが生まれた。ユキは女の子だったが、サハチの面影があった。イトはユキを育てる事に生きがいを感じて生きて来た。勿論、ユキにも剣術を教えた。
 そのイトもいつしか年頃になって、無人島で若い男たちと語らうようになった。イトを目当ての男の子は多かったが、イトが好きになった男の子はいなかった。自分よりも弱い男には興味ないと言っていた。お嫁に行かなくてもいい。お母さんのように船長になるわと言っていた。ところがある日、無人島から帰って来ると、あたしより強い人がいたと言った。そして、顔を赤らめた。
 それから何日か経ったある日、若者が訪ねて来た。見た事もない若者だった。若者はユキをお嫁に欲しいと言った。突然の事で、イトは驚いた。ユキに訪ねると、ユキもお嫁に行きたいと言う。若者の話を聞いて、イトはまた驚いた。相手はお屋形様の息子の六郎次郎だった。
 土寄浦が高麗軍に襲撃された翌年、六郎次郎は母親と一緒に船越に移った。当時、四歳だった。その後、船越で育ったため、イトは六郎次郎に会った事はなかった。遠くにいた六郎次郎とユキが出会うなんて、何という運命だろう。お屋形様のお嫁さんになるなんてこれ以上の幸せはない。父親のサハチも満足してくれるに違いないと思った。
 二人の事をシンゴに話し、シンゴは朝鮮まで行って、サイムンタルーから許しを得て、二人の祝言(しゅうげん)は決まった。ユキが船越に嫁ぐと同時に、イトは両親とサワを連れて船越に移った。
 マチルギもサハチとの出会いをイトに話した。
「わたしと出会う前にあなたと会っていたのね」とイトは笑った。
「わたしに待っていてと言いながら、あなたと仲よくなったのよ」とマチルギは言った。
「ひどい男ね」とイトは顔をしかめた。
 マチルギは首を振った。
「でも、あの頃のわたしはまだ、サハチのお嫁さんになるなんて本気で考えていたわけではないの。あの頃のわたしは敵討ちの事しか考えていなかったわ。ところが、わたしをお嫁に迎えたいという男が現れたの」
「サハチさんの留守中に?」
 マチルギはうなづいた。
「わたしに勝てたらお嫁に行くって答えたの。わたしはサハチとも互角だったし、絶対に勝てるという自信があったの。でも、わたしは負けてしまった。わたしはもう一度、試合をしてくれって頼んだの。相手はうなづいてくれたわ。わたしはサハチの故郷の佐敷まで行って剣術のお稽古をしたわ。今までと同じお稽古をしても、その人には勝てない。佐敷には武術道場があって強い人がいるって聞いていたので行ったの。わたしはサハチの叔父さんの指導を受けて、約束の日にその人と試合をしたわ。勝つ事はできなかったけど、引き分けだった。今度はその人がもう一度、試合をしたいと言ってきたの。そして、わたしはうなづいたけど三度目はなかった。その人の父親が急に亡くなって、中山王(ちゅうざんおう)(察度)の孫娘をお嫁に迎える事に決まったらしいわ」
「その人の事が好きじゃなかったのね?」
「好きとか嫌いとかじゃなくて、負けた事が悔しくて、わたしは必死になってお稽古をしたの。でも、その人のお陰で、わたしは知らないうちにサハチの事が好きになっていたんだって気づいたの。それに、佐敷の人たちもいい人ばかりだったわ」
「サハチさん、対馬にいた時、山に籠もって剣術の修行を積んでいたわ。どうしても勝たなければならない人がいるって言っていたけど、もしかしたら、それってあなたの事じゃないの?」
 マチルギは笑ってうなづいた。
「それで、どっちが勝ったの?」とイトは興味深そうに聞いた。
「サハチは引き分けだと言ったけど、真剣でやっていたら、わたしの負けだったの。サハチはヤマトゥ(日本)から帰って来て、心が大きくなっていたわ。勝ち負けにこだわらなくなっていた。きっと、あなたとの出会いがサハチを成長させたのね」
「そんな事はないわよ」とイトは首を振って、マチルギを見ると、「あなたでよかったわ」と言って笑った。
 マチルギもイトを見ながら笑っていた。サハチがイトに出会わなければ、こうして、イトと会う事もなかっただろう。イトに会うためにヤマトゥに来たのかもしれないとマチルギは思っていた。
 マチルギはイトに船の操縦法を教えてほしいと頼んだ。イトは驚いたが、マチルギならできると思い、すぐに承諾した。その代わりにマチルギは剣術の指導を頼まれた。マチルギは喜んで引き受けた。
 マチルギはチルー、女子サムレーたちと一緒に船に乗って、イトから船の操縦法を習った。
「わたしをお嫁にもらうために試合をした、その人の奥さんよ」とマチルギはチルーを紹介した。
「えっ、どういう事なの?」とイトは驚いた。
「その人、一緒になった奥さんと娘を殺されて、佐敷に逃げて来たの。そして、チルーさんと出会って一緒になったのよ。その人、今ではサハチの右腕として活躍しているわ」
「そうなの。不思議な縁ね」と言ってイトはマチルギとチルーを見比べた。
 ヂャンサンフォンとヒューガ、飯篠修理亮、馬天ヌルとササ、シンシン(杏杏)とシズはイスケの船に乗って対馬一周の旅に出て行った。ヒューガと修理亮は旅をしながら、ヂャンサンフォンから武術の指導を受けると張り切っていた。馬天ヌルは対馬の神様との出会いに期待し、ササとシンシンとシズの三人は修理亮の気を引こうと火花を散らしていた。
 佐敷ヌルとフカマヌルは船越の娘たちに剣術を教えていたが、土寄浦から娘たちに剣術を教えている女が来て、土寄浦の娘たちにも教えてくれと請われ、土寄浦に移って行った。二人の代わりに女子サムレーが交替で教える事になった。
 シタルーとクグルーも船越の若い者たちに剣術を教えていたが、土寄浦の若者を鍛えてくれとシンゴに頼まれて土寄浦に移った。
 イーカチは船越の若者たちを鍛え、その合間に小舟に乗って、あちこちに行っては絵を描いていた。

 

 

 

対馬と海峡の中世史 (日本史リブレット)   中世の対馬  ヒト・モノ・文化の描き出す日朝交流史 (アジア遊学)

2-33.女の闘い(改訂決定稿)

 消えたマジムン屋敷の跡地に、サハチ(島添大里按司)は与那原(ゆなばる)グスクを築く事に決めた。運玉森(うんたまむい)ヌル(先代サスカサ)が守ると誓ったウタキ(御嶽)をグスクの中に取り込んで、グスク内に運玉森ヌルの屋敷も建てるつもりだった。それと、ウニタキ(三星大親)のために拠点となる屋敷も建てなければならなかった。
 マジムン屋敷が消えた四日後、進貢船(しんくんしん)が無事に帰って来た。明国(みんこく)から帰って来た弟のマサンルー(佐敷大親)とマタルーは一回り大きくなったように感じられた。
 その夜、無事の帰国を祝って首里(すい)の『会同館(かいどうかん)』で祝宴が開かれた。
「明国は思っていた以上に凄い国でした」とマサンルーもマタルーも目を輝かせて言った。
「何と言っても広い。山々が果てしなく続いていました。泉州から応天府(おうてんふ)(南京)まで、あんなにも遠いとは思ってもいませんでした」
 サハチは二人の話を笑いながら聞いていた。サハチが驚いたように、二人もあらゆる物に驚いていた。
 泉州の来遠駅(らいえんえき)に着いたあと、二人は使者たちと一緒に応天府に行って、会同館に滞在した。会同館にヂュヤンジン(朱洋敬)が訪ねて来て、タブチ(八重瀬按司)と一緒に『富楽院(フーレユェン)』に行ったという。ヂュヤンジンはリィェンファ(蓮華)と一緒になって幸せに暮らしているらしい。あの二人には、またいつか会いたいと思った。
 応天府に滞在中、二人はタブチと行動を共にしていたという。タブチに連れられて色々な所を見物したと楽しそうに話した。妻には内緒だけど、城外にある遊女屋(じゅりぬやー)(妓楼)にも行ったとニヤニヤしながらマタルーは言った。二人の話によるとタブチは明国の言葉もしゃべれるという。去年、琉球に帰ってから、久米村(くみむら)の通事(つうじ)(通訳)を八重瀬(えーじ)グスクに呼んで、真剣に学んだのだという。真面目な顔をして明国の言葉を学んでいるタブチの姿など想像もできないが、そんなにも変わっていたなんて、サハチも驚いていた。意外にもタブチは努力家のようだった。
 その宴(うたげ)にはタブチも参加していたので、サハチはタブチの所に行って、弟たちがお世話になったお礼を言った。
「なに、わしこそ、そなたのお陰で明国に行く事ができた。そのお返しじゃよ。気にせんでくれ」とタブチは豪快に笑った。
「それに、マタルーはマカミーの婿じゃ。なかなかいい若者じゃのう。マカミーもマタルーと一緒になって本当によかったと思っておるんじゃよ」
「二人は仲よくやっています。もうすぐ、四番目の子が生まれます」
「なに、四番目か‥‥‥」とタブチは嬉しそうな顔をして笑った。
 急に老け込んでしまったようなシタルー(山南王)に比べると、タブチは明国に行って若返ったように思えた。
 タブチから応天府の様子を聞いて、弟たちの所に戻ると、伊波按司(いーふぁあじ)の次男のミヌキチ(簔吉)が来ていた。ミヌキチはマタルーと同い年で、一緒に旅をして仲よくなったようだ。
 サハチはマサンルーに運玉森にグスクを築く事を話して、お前が守らないかと聞いた。
「運玉森か‥‥‥」とマサンルーは少し考えていた。
「あそこは首里と島添大里(しましいうふざとぅ)を結ぶ重要な拠点になる。前からグスクを築こうと思っていたんだが、ようやく、築く決心をした」
 マサンルーはうなづいたが、「マタルーに任せればいいんじゃないのか」と言った。
「俺は佐敷を守るよ。ヤグルーは平田を守っているし、マタルーにやらせるのが一番いい。いつまでも、佐敷グスクの東曲輪(あがりくるわ)に置いておくのは勿体ない」
「そうか。マタルーに守らせるか」とサハチはミヌキチと話し込んでいるマタルーを見ながらうなづいた。
 サハチもマタルーに任せるつもりだった。一応、マサンルーの意見を聞いてみたのだった。
 遊女(じゅり)たちも加わって、宴もたけなわになった頃、大喧嘩が始まった。
「あら、大(うふ)グスク大親(うふや)じゃない」とサハチの相手をしているマユミが言った。
 宴席に遊女を呼んだ時、サハチの相手をするのはいつも決まってマユミだった。女将のナーサが決めたのか、マユミが決めたのかは知らないが、マユミは面白いし、機転も利くし、可愛いので、サハチは満足していた。
 サハチが見ると大グスク大親と殴り合いの喧嘩をしているのはタブチだった。さっきのにこやかな顔とは別人のように、昔の武将面に戻っていた。サハチがやめさせようと立ち上がった時、又吉親方(またゆしうやかた)が仲裁に入って、大グスク大親は捨て台詞(ぜりふ)を吐いて宴席から飛び出して行った。
 サハチは大グスク大親の後ろ姿を見送ると、また座り込んで、「大グスク大親を知っているのか」とマユミに聞いた。
「何度か、お店に来た事があるわ。ルリがお目当てなのよ。お酒癖はあまりよくないわね。お酒が入ると人の悪口ばかり言っているわ。いつか、こんな事になるんじゃないかと思っていたのよ。あたしたちの前で悪口を言ってもいいけど、こんな所で言ったら、今みたいになっちゃうわ」
「そうか。酒が入っていない時は物わかりのいい男なのにな」
「そうね。急に人が変わっちゃうのよ」
「喧嘩の相手は知っているか」
 マユミは首を振った。
「でも、渋い男じゃない。もしかしたら、サムレー大将なの?」
「いや、八重瀬按司(えーじあじ)だよ」
「えっ、按司がどうして、ここにいるの?」
「明国に行くのが好きで、今回も行って来たんだ」
「ちょっと待って‥‥‥八重瀬按司って聞いた事があるわ。もしかして、山南王(さんなんおう)のお兄さんじゃないの?」
「そうだ。よく知ってるな」
「前に女将さんから聞いた事があるわ。兄弟の仲が悪くて、兄弟が争っている隙に、按司様(あじぬめー)は首里グスクを奪い取ったって聞いたわ」
「まあ、そんな所だな」
「その八重瀬按司が中山王(ちゅうさんおう)の御船(うふに)に乗って明国に行ったんだ」
 へえと言った顔をして、マユミはタブチを見ていた。
 タブチは喧嘩をした事など忘れた顔で、又吉親方と楽しそうに酒を飲んでいた。
 酒の上での喧嘩だったので、サハチは気にも止めていなかったが、大グスク大親は家族を連れて首里から消えてしまった。
 サハチは大役(うふやく)の安謝大親(あじゃうふや)から、その事を聞いて驚いた。どうするつもりなんだと聞くと、放って置くという。
「あいつはみんなと馴染めなかった。いなくなってくれて、皆、清々しています」
「そうだったのか」
「皆、八重瀬按司に感謝していますよ。皆が言いたくても言えなかった事をずばり言ってくれたと」
「八重瀬按司は何と言ったんだ?」
「この大馬鹿者め、威張っているのが正使ではない。みんなの面倒をちゃんと見るのが正使だ、と言ったようです」
「そんなに威張っていたのか」
「正使になれたのが、よほど嬉しかったのでしょう」
「そうか」とサハチは言って、あとの事は安謝大親に任せた。
 中山王の進貢船が帰国したのと同じ頃、山南王の進貢船も帰国した。中山王の船が帰って来ると浮島(那覇)は忙しくなるが、山南王の船が帰って来ると与那原が忙しくなった。明国の商品を積んだ荷車が続々と与那原にやって来て、ヤマトゥ(日本)の商品と交換していくのだった。ヤマトゥからの船がいる時はヤマトゥの船から仕入れるが、今年はすでに帰ってしまっていた。サハチも与那原に行って、島添大里の大役の屋比久大親(やびくうふや)を手伝った。
 六月の末、三姉妹の船が浮島にやって来た。今年は二隻だった。明国の商品を乗せた船と旧港(ジゥガン)(パレンバン)の商品を乗せた船だった。
 小舟(さぶに)から降りたメイユー(美玉)はサハチの姿を見つけると嬉しそうな顔をして近づいて来た。元気そうな笑顔を見て、サハチは安心したが、メイユーはサハチのそばまで来て何かを言おうとして、急にサハチの腕の中に倒れ込んだ。声を掛けてもぐったりしたままで、サハチはメイユーを抱き上げて、メイファン(美帆)の屋敷へと向かった。
 久米村の医者に診てもらうと、疲れが溜まっているのだろう。ゆっくり休めば治るから心配ないと言った。メイリン(美玲)から話を聞くと、メイユーは琉球から明国に帰り、休む間もなく旧港に向かい、向こうで取り引きをして帰って来ると、すぐにまた、琉球に来たのだという。長旅が続いて疲れが溜まっていたのを気力で頑張って、無事に琉球に着いてサハチの顔を見たら、急に気が緩んでしまって倒れたのに違いないと言った。
 サハチは一安心して歓迎の宴に加わった。
 ファイチ(懐機)とウニタキ、メイリン、リェンリー(怜麗)、ラオファン(老黄)、ジォンダオウェン(鄭道文)とリュウジャジン(劉嘉景)、ジォンダオウェンの娘のユンロン(芸蓉)が顔を揃えていた。
 メイファンはやはり来なかった。正月に無事に男の子を産んだという。メイファンの代わりに来たユンロンは、夫をリンジェンフォン(林剣峰)に殺されて、子供もいなかったので敵(かたき)を討つと言って仲間に加わっていた。父親のジォンダオウェンは反対したが、ユンロンの決心は固く、メイファンにも頼まれて、仕方なく連れて来たのだった。
「チョンチ(誠機)という名前だそうだ」とウニタキが言った。
「チョンチか‥‥‥会いたいだろうな」とサハチがファイチに言うと、
「チョンチにもメイファンにも、とても会いたいです」とファイチは両手を広げた。
「メイファンもチョンチを連れて琉球に行くって言っていたのよ」とメイリンが笑った。
「だめです」とファイチは首を振った。そのあとは明国の言葉でメイリンに何かを話していた。
 メイリンとメイユーは琉球の言葉が大分うまくなってきているが、まだわからない事も多く、詳しい事を聞くには明国の言葉でなくてはだめだった。
杭州(ハンジョウ)では順調に取り引きができたそうです」とファイチが言った。
「去年の夏に鄭和(ジェンフォ)の大船団が長旅を終えて帰って来たそうです。商人たちが持ち帰った異国の商品が大量に出回って、今、明国では異国品の人気が非常に上がっています。そして、鄭和は去年の暮れに二度目の航海に出ました。鄭和と一緒に行く商人たちは南蛮(なんばん)(東南アジア)で喜ばれるヤマトゥの刀を大量に仕入れたそうです。琉球から持って行った刀はいつも以上の高値で取り引きされて、かなりの儲けを上げたようです。去年、琉球に来た船はそのまま旧港まで行き、旧港での取り引きもうまくいったそうです」
「そいつはよかった」とサハチはウニタキと顔を見合わせて喜んだ。
 ファイチはリュウジャジンに旧港の事を聞いた。リュウジャジンは今回、初めて琉球に来ていた。
「旧港の首領となったシージンチン(施進卿)はヤマトゥの刀を手に入れるために、直接、ヤマトゥに船を出したようです」とファイチが言った。
「旧港がヤマトゥに船を出したのか」とサハチは驚いた。
「南蛮も戦が絶えないから武器が欲しいのです」
「来年の今頃は俺たちはヤマトゥにいる。来年は会えないな」とウニタキがメイリンに言った。
「そういえば、マチルギ姉さんはヤマトゥに行ったの?」
「行ったよ。女たちを連れて五月に船出した」
「やっぱり行ったのね。来年はマチルギ姉さんからヤマトゥの話を聞くわ」
「なあ、ヤマトゥに行くついでに朝鮮(チョソン)に行かないか」とウニタキがサハチに言った。
「朝鮮に行くのか」
対馬(つしま)と朝鮮は近いって聞いたぞ」
「ああ、確かに近い。一日で行ける距離だ」
「それならついでに行って来ようぜ。母親が育った国を見てみたいんだ。ファイチ、武寧(ぶねい)(先代中山王)の側室はまだ、この村にいるんだろう」
 リュウジャジンと話をしていたファイチはウニタキを見ると、もう一度聞き返した。
朝鮮人(コーレーンチュ)の側室三人はここで暮らしています。故郷に帰りたがっていますよ」
「なあ、故郷に連れて行ってやろうぜ」
「そうだな」とサハチはうなづいて考えてみた。
 察度(さとぅ)(先々代中山王)と武寧は朝鮮に使者を送っていた。思紹(ししょう)(中山王)も送った方がいいのかもしれないと思った。
「ファイチ、以前、朝鮮に送った使者の事を調べてくれないか。親父と相談してみるよ」
「朝鮮に行くのですか」
対馬まで行くんだから、ついでに行った方がいいような気がするんだ」
「わかりました。調べてみます」
 宴がお開きになるとファイチとジォンダオウェンとリュウジャジンは帰って行った。サハチは新しくできた『天使館』を使うようにジォンダオウェンとリュウジャジンに言った。
 『天使館』は完成したが、冊封使(さっぷーし)が来るのは思紹が亡くなったあとだった。少なくともあと十年は来そうもない。使用しないで放って置いたら痛んでしまう。毎年、来てくれる三姉妹の船乗りたちに使ってもらおうと思っていた。
 メイユーは翌日の正午(ひる)過ぎまで眠っていた。ウニタキは朝になって帰ったが、サハチは心配して、ずっとそばに付いていた。
 ようやく目を覚ましたメイユーはサハチを見て、微かに笑った。部屋の中を見回して、「あたし、どうしたのかしら」と明国の言葉で言った。
「船から降りたらすぐに倒れたんだ」とサハチは言った。
「倒れた‥‥‥」とメイユーは言って、「もう大丈夫」と笑った。
 お腹が減ったというので、食事の用意を使用人に頼んで、メイユーと話をしていると、お客が来たとリェンリーが知らせてくれた。
 誰がここまで訪ねて来たのだろうと一階に降りるとサグルーの妻のマカトゥダルがいた。女子(いなぐ)サムレーの格好をして、二人の女子サムレーを連れていた。
按司様(あじぬめー)」と言って、マカトゥダルはホッと安心したように溜め息をついた。
「何かあったのか」とサハチは聞いた。
「子供たちの具合が悪くなって‥‥‥」
「なに、子供たちが‥‥‥誰の具合が悪いんだ?」
「ウリー(サハチの六男)とマシュー(サハチの三女)とマチ(ウニタキの次女)です。昨日の夜に熱が出て、今も熱が下がりません」
「わかった。すぐ行く」
 サハチは二階に戻って、メイユーに帰る事を告げるとマカトゥダルと一緒に久米村を出て、渡し場に向かった。
「よく、ここがわかったな」とサハチが聞くと、
首里に行って、女子サムレーのトゥラさんに聞きました。あのお屋敷はファイチ様のお屋敷ですか」
「そうだ」と言おうとしたが、嘘をついてもすぐにばれると思って、本当の事を話した。
「去年も来たんだが、メイファンという明国の商人の屋敷だよ」
「そうだったのですか」と言ったあと、マカトゥダルはサハチに謝った。
「昨日、お天気がよかったので、子供たちを連れて馬天浜(ばてぃんはま)に行ったのです。海で遊んだのですが、きっと、それがよくなかったのかもしれません」
「海で遊んだくらいで、具合が悪くはなるまい」とサハチは言ったが、マカトゥダルは首を振って、
「あたしが悪かったんです」と自分を責めた。
「小奥方様(うなじゃらぐゎー)(ナツ)から泳ぎを教わって、あたし、夢中になってしまって‥‥‥もっと早くに切り上げて帰ればよかったんです」
「ナツは泳げるのか」とサハチは聞いた。
「とてもお上手です。子供たちにも教えていました」
「そうか‥‥‥」
 ナツの父親はサムレーになる前は津堅島(ちきんじま)のウミンチュだった。子供の頃のナツは毎日、海で遊んでいたのだろう。
 渡し舟に乗って安里(あさとぅ)に行き、預けておいた馬に乗って島添大里へ急いだ。
 ウリーとマシューとマチの三人が、額(ひたい)に濡れた手ぬぐいを乗せて寝込んでいた。
 サハチの顔を見るとナツは、「申しわけございません」と頭を下げた。
 サハチは子供たちの枕元に座ると、「熱は下がらないのか」とナツに聞いた。
 ナツはうなづいた。青ざめた顔がやつれていた。ろくに眠っていないようだ。
 サハチは手ぬぐいをどけて、子供たちの額に手を当ててみた。ウリーとマチは熱かったが、マシューの熱は下がってきているようだった。
 ナツが手ぬぐいをゆすいで、子供たちの額に乗せた。
「ウニタキには知らせたか」
「はい。マーミに頼みました」
 サハチはナツにうなづいて、「他の子は大丈夫なのだな」と聞いた。
「大丈夫です。隣りのお部屋で三人の心配をしていたのですが、侍女たちと一緒に東曲輪(あがりくるわ)の佐敷ヌルのお屋敷に行きました」
「女子サムレーと遊んでいるのか」
「シジマから昔話を聞いているのです」
「そうか‥‥‥」
 シジマの昔話はマチルギも褒めていた。今帰仁(なきじん)の志慶真(しじま)村の生まれで、今帰仁合戦の時に父親は戦死して、その後、母親も亡くなり、祖母に育てられた。祖母が亡くなったあと、先代のサミガー大主(うふぬし)に引き取られて、キラマの島で修行を積んだ。首里グスクを奪い取ったあと、キラマ(慶良間)の島から来て、島添大里の女子サムレーになっていた。祖母から聞いた昔話をいくつも覚えていて、マチルギも佐敷ヌルと一緒に聞いたと言っていた。
「俺が看ているから、お前は少し休め」とサハチはナツに言った。
「そんな事はできません」とナツは首を振った。
「マチルギが帰って来るまで、まだ先は長い。お前が倒れたら俺も困るし、子供たちも困る」
 マカトゥダルからも言われて、ナツはようやく休んだ。
 浮島でメイユーが倒れ、島添大里では子供たちが倒れた。もしかしたら、マチルギたちの身に何かあったのだろうかとサハチは心配した。
 マカトゥダルの視線を感じて、サハチはマカトゥダルを見た。
按司様、按司様もお疲れのご様子です。お休みになった方がよろしいかと思います」
 サハチは笑った。
「ここでの暮らしは、もう慣れたか」
「はい」とマカトゥダルはうなづき、「毎日がとても楽しいです」と言った。
 マカトゥダルはお嫁に来てから、ずっと、城下の娘たちと一緒に剣術の稽古に励んでいた。サグルーとマカトゥダルの新居は東曲輪にあり、稽古のあと、二人の新居は娘たちの溜まり場になっていると佐敷ヌルから聞いていた。
 山田グスクで育ったマカトゥダルは村の娘たちと遊んだ事はなかった。按司の娘として特別扱いされて、一緒に遊ぶ事もできなかった。しかし、ここでは城下の娘たちと一緒に剣術の稽古ができ、稽古の時は皆、平等だった。ウミンチュの娘もサムレーの娘も、みんな、仲よく稽古に励んでいる。同じ年頃の娘たちと一緒に色々な話をするのが、とても楽しかった。
 サスカサ(島添大里ヌル)がミヨンと一緒に顔を出した。サスカサの屋敷も東曲輪に完成していた。サスカサはその屋敷で、子供たちの病気治癒の祈祷(きとう)をしていたようだ。
「大丈夫よ」とサスカサは言った。
「明日には元気になるわ。旅に出たお母さんの事を心配して、寂しいのに無理に元気を装って、それでちょっと疲れたのよ」
「そうだったのか」とサハチは眠っている三人を見た。
 ウリーは八歳、マシューとマチは六歳だった。母親に会えない寂しさをじっと我慢していたのに違いなかった。
「ミヨンも一緒にお祈りしたのか」とサハチはミヨンに聞いた。
 ミヨンはうなづいた。
「そうか。立派なお姉ちゃんだな」
 ミヨンは微かに笑った。
 ウニタキがやって来たのは日が暮れる頃だった。慌てた顔でやって来るとマチの枕元に座り込んだ。
「もう大丈夫だ」とサハチは言った。
 ウニタキがマチの額に手を当てると、マチが目を明けて微かに笑った。熱は下がっていた。
 ウニタキはホッと溜め息をついて、ミヨンを見た。
 ミヨンの目から涙がこぼれ落ちた。
「お父さん」と言うとウニタキに抱き付いて泣き出した。
「ミヨン、よくやった。よく頑張ったな」
 ウニタキはミヨンの背中を優しく撫でていた。
 次の日、三人は元気になった。子供たちはまた海に行きたいと言い出して、ナツに連れられて馬天浜に行った。サハチとウニタキは無理をするなよと送り出した。
「昨日はビンダキ(弁ヶ岳)の山の中を歩き回っていたんだ。『まるずや』に顔を出したら、マチが寝込んでいると聞いて、慌ててやって来たんだよ。無事でよかった」
「ビンダキっていうのは首里グスクの東方(あがりかた)にある山か」
「そうだ。首里で一番高い所だ」
「そんな所で何をしていたんだ?」
「マジムン屋敷が消えちまったから、あそこに新しい拠点を作ろうと思ったんだ」
「そいつはいい考えだ。あそこは重要な拠点だ。敵に奪われたら首里が危ない。出城を造ろうと思っていたんだ。お前があそこにいてくれたら助かる」
「山の中に古いウタキがいくつもあった。運玉森ヌルに見てもらってから、屋敷を建てる場所を決めようと思っているんだ」
「そうか。うまくやってくれよ」
「来年、ヤマトゥに行く前には完成するだろう」
 ウニタキは張り切って帰って行った。しっかり者のミヨンがウニタキに甘えてくれたのが、よほど嬉しかったようだ。
 次の日、メイユーとリェンリーが島添大里グスクにやって来た。メイユーはすっかり元気になっていた。佐敷ヌルに会いに来たらしい。マチルギと一緒にヤマトゥに行ったと告げたら、がっかりしていた。去年、佐敷ヌルと試合をして引き分けたので、今年こそは勝つつもりで来たという。
 サハチは二人を屋敷の二階に案内した。大勢の子供たちがいるので、二人は目を丸くして驚いていた。
 ナツに二人を紹介したのはいいが、ナツを何と紹介したらいいのか戸惑った。嘘を言ってもいつかはばれると覚悟を決めて、二番目の妻だと紹介した。
 メイユーは驚いた顔で、サハチとナツを見比べていた。
「奥さん、何人いますか」とメイユーは聞いた。
「二人だけです」とサハチは言った。
 メイユーはうなづいて、ナツを見た。
 ナツも何かを感じたのか、メイユーを見ていた。
 何だか、妙な雰囲気になってきた。それを察したのか、ナツは無理に笑顔を作って、「ゆっくりしていって下さい」と言って座をはずした。
 お茶を飲みながら、旧港の話などを聞いたあと、メイユーとリェンリーは東曲輪の佐敷ヌルの屋敷に行った。去年、知り合いになった女子サムレーに挨拶をして帰るという。
 二人が消えるとナツがやって来て、「奥方様(うなじゃら)からメイユーさんの事は聞きました」と言った。
「マチルギは何て言ったんだ?」
按司様(あじぬめー)が明国で大変お世話になったお方だから、ここにいらした時は丁寧にお持てなしをしなさいと」
「それだけか」
 ナツはうなづいた。
「でも、メイユーさんに会って、それだけじゃないというのがわかりました。メイユーさんは按司様を慕っております。そして、按司様も‥‥‥」
「女の勘は鋭いな。一目会っただけでわかるのか」
「それにあのお方はただの商人ではありません」
 サハチは苦笑して、うなづいた。
「メイユーはメイリン、メイファンと三姉妹で、海賊の大将の娘なんだ。父親は敵対する海賊に殺された。琉球と交易をして勢力を広げ、いつか、必ず、敵(かたき)を討つと言っている。明国は海禁政策を取っていて、皇帝の使者以外は異国と取り引きをする事を禁止している。メイユーたちは国の法を破って、命懸けで琉球に来ているんだ。明国の官軍に見つかれば、捕まって殺されるんだよ」
「海賊だったのですか」
琉球が海賊と取り引きしている事は、勿論、明国には内緒だ。倭寇(わこう)と取り引きしている事も実は内緒の事なんだ」
琉球にとって、メイユーさんたちは必要な人たちなんですね」
「そういう事だ」
 女子サムレーのカナビーがやって来て、東曲輪まで来てくれと言った。成り行きから、メイユーと試合をする事になってしまい、立会人になって欲しいという。
 サハチはナツと一緒に東曲輪に向かった。
 女子サムレーたちが輪になって座り、細い竹の棒を持ったメイユーが中央に立っていた。リェンリーの隣りにマカトゥダルとサスカサの姿もあった。
 サハチは女子サムレーの中に入って行き、「佐敷ヌルの代わりにカナビーと試合をするのか」とメイユーに聞いた。
 メイユーはうなづいたが、ナツを見ると首を振った。そして、ナツを指さして、「ナツと試合をする」と言った。
「ええっ!」と女子サムレーたちが驚いた。
 カナビーだけは驚かず、ナツに近づくと、「どうする?」と聞いた。
 ナツはメイユーを見つめ、サハチを見てから、「やります」と言った。
 サハチは驚いて、ナツを見た。
 『三星党(みちぶしとー)』にいたのだから多少はできるだろうが、ナツがメイユーに勝てるとは思えなかった。
 カナビーはうなづいて、ナツの姿を見て、着替えてくるように言った。
 細い竹の棒が武器なら、怪我もしないだろうとサハチは成り行きを見守る事にした。
 ナツは屋敷に戻って行った。ナツがいなくなると、どうせ負けるんだから着替えなくてもいいのにと女子サムレーたちは言っていた。
 サハチは知らなかったが、カナビーはナツの先輩だった。ナツが佐敷グスクに通っていた時、カナビーは先輩として、一緒に稽古に励んでいた。カナビーが女子サムレーになったあともナツは稽古に励んだ。四年間、マチルギのもとで修行を積んでから、ウニタキの配下になったのだった。ナツと一緒に稽古をした者は島添大里にはカナビーしかいない。侍女として、ここにいた時も、側室として戻って来てからも、ナツは剣術の事など口にも出さないし、腕前を披露する事もなかった。サハチでさえ、ナツの強さをまったく知らなかった。
 ナツが稽古着を着て戻って来た。稽古着姿のナツを見るのは妹のマカマドゥと仲よく稽古に励んでいる時以来だった。あの時の稽古着をずっと大事に持っていたのだろうか。
 カナビーが竹の棒をナツに渡した。
 サハチの合図で試合は始まった。
 一瞬のうちに勝負は決まってしまうだろうと思ったが、意外な展開となった。
 ナツは思っていた以上に身が軽く、メイユーが打つ竹はすべてかわされた。同じように、ナツが打つ竹もメイユーに当たる事はなかった。メイユーが回転しながら打つ竹や足払いもナツは見事によけていた。時には宙返りや相手の頭上を飛び越す技を見て、女子サムレーたちは呆気に取られた顔で、二人の素早い動きを見守っていた。
「それまで!」とサハチが叫んだ。
 ナツとメイユーの動きが止まった。
 ナツの持つ竹の棒がメイユーの目のわずか手前で止まり、メイユーの棒の先がナツの首のわずか手前で止まっていた。続けていれば、メイユーの目は潰れ、ナツは首の急所を刺されていただろう
 二人は竹の棒を下げるとお互いを見つめて頭を下げた。
 女子サムレーたちが二人に喝采を送った。
「わたしの思った通り、あなたは強かった」とメイユーは言って笑った。
「あなたも思っていた通りに強かったわ」とナツが言って、二人は両手を握り合って笑っていた。
 女子サムレーたちも二人を囲んで、「二人とも凄いわ」と讃えていた。
 サハチもナツの強さに呆れていた。あれだけ強かったら、ウニタキも手放したくなかったに違いない。それなのに、ナツの思いを優先して、危険な仕事はさせなかった。サハチはウニタキに感謝をした。

 

 

 

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