長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

2-32.落雷(改訂決定稿)

 マチルギたちが博多に着いた頃、サハチ(島添大里按司)は島添大里(しましいうふざとぅ)グスクで、ウニタキ(三星大親)と一緒に明国(みんこく)のお茶を飲んでいた。
 サハチがお土産に持って来たお茶は、初めの頃は誰もが変な味と言っていたが、今ではみんなが一休みする時に飲んでいた。首里(すい)や島添大里、佐敷に平田、中グスクに越来(ぐいく)、勝連(かちりん)と重臣たちは勿論の事、サムレーたちから城女(ぐすくんちゅ)に至るまで飲んでいるので、かなりの量が消費された。明国に行ったマサンルー(佐敷大親)に買ってくるように頼んであるが、三姉妹の船が来たら、大量に仕入れられるように頼もうと思った。
 今、島添大里グスクにはサハチの子供八人とウニタキの子供四人と佐敷ヌルの娘がいた。女の子の中の年長はウニタキの娘のミヨンで、母親に似て、しっかり者だった。ミヨンが幼い子供たちの面倒をよく見てくれるので、ナツや侍女たちも助かっていた。
 普段は滅多に帰って来ないのに、ちょくちょく顔を出すウニタキはミヨンにうるさがられていた。
「ここは大丈夫だから、ちゃんとお仕事をして」とミヨンに言われ、ウニタキは少し傷ついていた。
「ミヨンはいいお嫁さんになるぞ」とサハチが言うと、
「馬鹿を言うな。まだ、お嫁に行くには早すぎる」とウニタキは怒った。
「それでも、あと二年もしたら、お嫁に出さなくてはなるまい」
 ウニタキは首を振った。
「急いでお嫁にやる事もない」
 サハチはウニタキの顔を見て笑った。
「手放したくないのだな」
「ミヨンは女子(いなぐ)サムレーになりたいと言っているんだ。それもいいと思っている」
「女子サムレーか‥‥‥お爺が美里之子(んざとぅぬしぃ)だからな、素質はあるかもしれんな」
「二年前からチルーが基本を教えているんだ。来年は娘たちの稽古に通うと言っている」
「それもいいが、ミヨンは母親に似て美人(ちゅらー)だからな。男どもが黙っているまい」
「それが問題なんだ。変な虫が付かないように気をつけなければならん」
 ウニタキの真剣な顔を見て、サハチはまた笑った。
「配下の者にミヨンを見張らせればいい」
「馬鹿を言うな」とウニタキはサハチを睨んだ。
 サハチは話題を変えて、「マチルギたちはヤマトゥ(日本)に着いたかな」と言った。
 ウニタキは指折り数えて、「もう着いたんじゃないのか」と言ったあとサハチの顔を見て、「お前が馬鹿な事をしなければ、今頃、俺たちがヤマトゥに行っていたんだ」と恨みがましく言った。
「すまんな。その事は俺も考えたんだ。もし、ナツの事がなかったとしても、マチルギは行ったと思う。メイユー(美玉)の事を持ち出してな。今回、マチルギはメイユーの事は持ち出さなかった。それが不気味なんだよ。第二の御褒美(ごほうび)を狙っているようだ。それが何だかわからんがな」
「そろそろ来るんじゃないのか。今回はマチルギもいない。お前もメイユーといい思いができるさ」
 サハチはニヤッと笑ったが、「何となく、あとが怖いような気がするんだ」と心配そうな顔をした。
「マチルギは留守でも、お前を見張っているというのか」
「ああ。マチルギはメイユーの事を知っている。ちゃんと準備をして出掛けたに違いない。ナツにも言ったのかもしれない。そして、首里の女子サムレーたちに俺の動きを探らせるかもしれない」
 ウニタキは笑って、「ナツならメイファン(美帆)の屋敷に忍び込んで、お前の動きを探る事もできるな」と言った。
「本当か」
「屋敷の忍び込み方は俺が教えた。あの屋敷は門番がいるだけだからな、忍び込むのはわけないさ」
「参ったな」
「心配するな。ナツもそこまではやるまい。シタルー(山南王)だが、長嶺(ながんみ)の山の上にグスクを築き始めたぞ」
「なに、長嶺の山といえば、ハーリーの時、苗代大親(なーしるうふや)の兵が待機した山だな」
「そうだ。シタルーもあの山を見逃さなかったようだ。あそこにグスクを築かれると山南王を攻めづらくなる」
「そうか。シタルーが動き出したか。北(にし)はどうだ。何か動きはあったか」
「先月、女たちがヤマトゥに行ったあと、山北王(さんほくおう)は進貢船(しんくんしん)に乗って徳之島(とぅくぬしま)に行ったらしい」
「徳之島? 木でも伐りに行ったのか」
「木を伐るのに、山北王が直々に行くまい。進貢船には百人以上の兵が武装して乗って行ったという」
「徳之島を攻めたのか」
「多分、今頃、攻めているんだろう。山北王は与論島(ゆんぬじま)と永良部島(いらぶじま)を支配下に置いている。徳之島も支配下に置くつもりだろう」
「山北王は北に勢力を伸ばすつもりか」
「奴の目が北に向いているうちは、首里も安全だろう」
「しかし、奴の勢力が大きくなるのを放っておいてもいいのか」
「山北王を倒せば、奴の領地はすべて手に入る。奴が北の島々を治めてくれれば、その分、手間が省けるというものだ」
「成程な。北の島々は奴に任せよう」
「それと、中山王(ちゅうざんおう)が送り込んだ側室だが、弟の湧川大主(わくがーうふぬし)の側室になったようだ」
「何だって!」
「どういういきさつがあったのかは知らんが、今は運天泊(うんてぃんどぅまい)にある湧川大主の屋敷にいる。返って、よかったかもしれん。湧川大主は曲者(くせもの)だからな。奴の動きがわかるのは都合がいい」
「つなぎはいるのか」
「大丈夫だ。今帰仁(なきじん)の『よろずや』が時々、顔を出している」
「そうか。うまくやってくれ。ところで、兼(かに)グスク按司は何をしている?」
「相変わらず、武芸に熱中しているようだ。ここを真似して、娘たちに剣術を教え始めている」
「兼グスク按司が教えているのか」
「いや、女の師範がいた」
「そんな女があの辺りにもいるのか」
「俺も不思議に思って調べたら、マチルギの教え子だったよ」
「何だと?」
「佐敷から阿波根(あーぐん)に嫁いで行ったらしい」
「そうか。マチルギが娘たちに教え始めてから、もう二十年が経つからな。教え子たちも相当の数になるはずだ。遠くにお嫁に行った娘もいるだろう。もしかしたら、そんな娘があちこちにいるかもしれんな」
「ああ、そう考えると、マチルギは凄い女だよ。教え子の数は一千人近くいるんじゃないのか」
「一千か‥‥‥凄いな」とサハチも改めて感心していた。
 女子サムレーのカナビー(加鍋)が娘たちの稽古が始まるとサハチを迎えに来た。
「お前が佐敷ヌルの代わりに教えているのか」とウニタキは驚いた顔をしてサハチに聞いた。
「剣術じゃない。武当拳(ウーダンけん)だ。シンシン(杏杏)が佐敷で娘たちに教えたんだ。そしたら、ここの娘たちも習いたいと言い出して、俺が教える事になったんだよ」
「忙しい事だな」とウニタキは笑った。
 サハチは東曲輪(あがりくるわ)に向かい、ウニタキは帰って行った。
 次の日の午後、サハチは首里グスクに向かった。
 首里グスクの西曲輪(いりくるわ)の楼閣は太い柱が四本立ち、骨組みがほぼできあがっていた。思紹(ししょう)(中山王)は彫刻に熱中している。楼閣の周囲を飾る彫刻なので、かなりの数が必要だった。龍(りゅう)を彫り上げた思紹は虎(とぅら)を彫っていた。午前中は北の御殿(にしぬうどぅん)で政務を執って、午後になると百浦添御殿(むむうらしいうどぅん)の二階で彫刻を彫っていた。
「龍は東(あがり)を守る神様らしい。虎は西(いり)を守る神様じゃ。北(にし)が玄武(げんぶ)という亀(かーみー)で、南(ふぇー)は朱雀(すざく)という鳥(とぅい)らしい。その四つを彫って楼閣の四方に飾るつもりじゃ」
 父は御機嫌な顔をして、そう言った。
「観音(くゎんぬん)様は彫らないのですか」とサハチが聞くと顔を上げて、
「観音様か‥‥‥」とつぶやいて、「最近、東行庵(とうぎょうあん)に行っていないが、どうなっているじゃろうのう」と言った。
「ちゃんとマサンルーが守っていますよ」とサハチは答えた。
「マサンルーは明国に行っていて、今はいないけど、村(しま)の人たちが大切に守っています。あそこを通る人は皆、観音様を拝んでから通るそうです」
「そうか、それはよかった。今回は観音様は彫らんよ。観音様を置いたらお寺(うてぃら)になってしまう」
「お寺で思い出しましたけど、楼閣が完成したら、今度はお寺を建てましょう。ヤマトゥにあるような大きなお寺です」
「お寺か。博多にあるような大きな奴じゃな」
「大きな観音様が必要ですよ」
「任せておけ」と思紹は楽しそうに笑った。
 百浦添御殿の二階から下りると女子サムレーのトゥラ(寅)と出会った。思紹が彫っていた虎の顔を思い出し、何となく似ているような気がして、笑いたくなるのをサハチは必死に堪(こら)えた。
 トゥラはマチルギの代わりに女子サムレーの指揮を執っていた。マチルギの古くからの弟子で、女子サムレーができた十五年前から女子サムレーを務めている。馬天浜(ばてぃんはま)のウミンチュ(漁師)の娘で、お嫁にも行かずにマチルギの右腕として頑張っていた。きっと、マチルギからサハチを見張れと命じられているのだろう。
 トゥラはサハチに頭を下げた。
 サハチは御苦労と言って手を振り、御殿(うどぅん)を出た。
 島添大里から連れて来た二人の従者を連れて、サハチは浦添(うらしい)に向かった。本来なら従者など連れずに一人で行くのだが、決して一人で出掛けるなとマチルギからきつく言われていた。マチルギが無事に帰ってくれるように、サハチはマチルギとの約束を守っていた。
 草茫々(ぼうぼう)だった浦添は草が刈られて綺麗になり、グスクの石垣内の残骸も見事に片付けられてあった。運玉森(うんたまむい)ヌル(先代サスカサ)によってお祓(はら)いとお清めも無事に済んだという。何もなくなった石垣内はやけに広く感じられた。石垣は三重になっていて、二百年の歴史の中で徐々に拡張していったようだ。
 サハチはナーサが作った浦添グスクの見取り図を思い出した。一の曲輪に中山王が暮らしている屋敷と御内原(うーちばる)があり、ウタキ(御嶽)もあった。二の曲輪には婚礼の時に使った大広間のある屋敷やお客用の宿泊施設、重臣たちが政務を執る屋敷がいくつもあり、料理を作る台所や侍女たちの屋敷もあった。三の曲輪にはサムレーたちの屋敷とヌルの屋敷、厩(うまや)と物見櫓(ものみやぐら)があった。
 サハチは浦添按司になった當山親方(とうやまうやかた)と一緒にグスク内を歩いて、一の曲輪に按司の屋敷を建て、二の曲輪に政務を執る屋敷と侍女たちの屋敷を建て、三の曲輪に厩とサムレー屋敷、ヌルの屋敷と物見櫓を建てるように命じた。そして、城下にも家臣たちの屋敷を建てなければならなかった。今は城下に何もないが、グスクの再建が進めば、自然と商人たちが集まって来るだろう。山北王とつながっている材木屋と油屋が来るだろうし、奥間(うくま)の鍛冶屋(かんじゃー)や木地屋(きじやー)も来るだろう。ウニタキも『まるずや』を建てるだろう。二年もすれば新しい浦添城下ができるに違いなかった。
 六月十二日の午(ひる)過ぎ、突然、大雨が降ってきた。島添大里グスクにいたサハチが首里に行こうと仕度をしている時だった。
「きっと、すぐにやみますよ」とナツが空を見上げながら言った。
 黒い雲が凄い速さで動いていた。
 突然、光ったと思ったら、物凄い雷鳴が響き渡った。ナツが悲鳴を上げて、サハチにしがみついた。
 子供たちの泣き声が聞こえてきた。ナツはサハチから離れると子供たちの部屋に行った。
「どこかに落ちたに違いない」とサハチは独りつぶやいた。
 女子サムレーのアミー(網)がやって来て、外を眺めた。
 また光ったと思ったら、すぐに雷鳴が響き渡った。さすがに、アミーは悲鳴を上げなかったが、真っ青な顔をしてサハチを見ていた。
「子供たちを頼む」とサハチはアミーに言った。
 アミーはうなづくと子供たちの所に行った。
 雨は勢いよく降っていた。
 サハチはふと、マジムン(悪霊)退治を思い出した。馬天ヌルがいないので、マジムンたちが騒ぎ出したのではないかと不安になった。
 サスカサ(島添大里ヌル)がびっしょりになって現れた。
「お前、この土砂降りの中をやって来たのか」とサハチは娘に聞いた。
 サスカサは侍女が用意してくれた手ぬぐいで顔を拭きながら、「何かが起こるような、いやな予感がしたの」と言った。
「まさか、マチルギたちに‥‥‥」とサハチは言って、サスカサを見た。
 サスカサは首を振った。
「お母さんたちじゃないわ。この近くで何か異変が起こるのよ」
「この近く?」
「よくわからないんだけど、何か大きな物が消えてしまうような気がするわ」
「大きな物が消えるとはどういう意味だ?」
 サスカサは首を振った。
 この大雨で山が崩れるのだろうかとサハチは心配した。
 雷鳴はだんだんと遠ざかっていき、四半時(しはんとき)(三十分)ほどで雨もやんで、日が差してきた。
 サハチはサムレーたちにグスクの周囲を点検させ、異常がない事を確認すると首里へと向かった。
 途中でウニタキと出会った。
 ウニタキは慌てていた。サハチの顔を見ると、「大変だ!」と叫んで馬を止めた。
「どうした? 山が崩れたのか」とサハチが聞くと、首を振って、
「山ではない。マジムン屋敷が崩れたんだ」とウニタキは言った。
「マジムン屋敷が‥‥‥」
 サスカサが言った大きな物とはマジムン屋敷だったのか‥‥‥
「崩れただけではない。消えちまったんだ」
「消えちまった? 何を言っているんだ。夢でも見ているんじゃないのか」
「俺にも何が何だかわからない。ただ、あの屋敷がなくなった事は確かだ」
 サハチにはウニタキの言っている事が信じられなかった。とにかく、現場に行こうと馬を走らせて運玉森(うんたまむい)に向かった。
 マジムン屋敷は跡形もなかった。太い柱が立っていた礎石だけが草に埋もれて残っている。屋敷が建っていた所も草が茫々と生えていて、中央辺りにウタキ(御嶽)らしいものがある。ウタキに二人の人影があった。お祈りをしているらしい。ウタキの近くで男の子が大きな蝶を追いかけていて、母親と祖母らしい女が男の子を見て笑っていた。
「誰だ?」とサハチはウニタキに聞いた。
「トゥミ(富)とカマ(釜)だよ。あの子はトゥミの子で、ルク(六)という」
「どうしてこんな所にいるんだ?」
「今日は命日なんだよ。トゥミとカマは与那原(ゆなばる)に住んでいた五年間、毎月十二日の命日にここに来て、お祈りを捧げていた。トゥミがヤフス(屋富祖)の側室になってからも、十二日には来ていたんだ。島添大里グスクから出て、佐敷に移ってからも、長い間やっていた習慣はやめられなくなったらしい。子供を連れて、毎月、ここに来ていたんだ。二年前にトゥミは復帰して、首里の『まるずや』の主人になって、カマと息子を連れて首里に移った。もう、ここに来るのはやめにしようと思ったそうだが、やはり、ここに来ないと落ち着かないらしい。首里に移ってからも、毎月、来ていたんだよ」
「そうだったのか‥‥‥ヤフスの子があんなにも大きくなったのか‥‥‥」
「あの子の父親はウミンチュで、海で亡くなった事になっている」
「そうか。あのあとも、ずっと三人で暮らしてきたのか」
「トゥミとカマは本当の親子になったようだ。ルクはカマの事を本当のお婆だと信じている。ウタキにいるのは運玉森ヌルと修行中の浦添の若ヌルだ」
「運玉森ヌルがどうして、ここにいるんだ?」
 運玉森ヌルが運玉森にいるのは当然の事なのだが、先代のサスカサがどうして運玉森ヌルを名乗ったのか、サハチはその理由を知らなかった。
「運玉森ヌルが初めてここに来たのは、一年前の今日だった。当時はまだサスカサで、お前の娘(ミチ)と一緒に来た。何かに導かれるように、ここに来たと言っていた。その時、あの三人と出会ったんだ。その後、サスカサも毎月十二日にやって来るようになって、五人でマジムン屋敷で、お祈りをしていた。サスカサが運玉森ヌルになったのも、マジムン屋敷と関係があったのかもしれない。サスカサの名をお前の娘に譲ったあとは一人で来ていた。先月の十二日から浦添の若ヌルと一緒に来るようになったんだ。俺が今日、ここに来た時、五人はすでにいて、いつものように花を飾ってお祈りをしていた。それからしばらくして大雨になって、雷が落ちたんだ。最初の雷の音を聞いて、どこかに落ちたに違いないと俺は屋敷から出て、周りを眺めた」
「あの大雨の中、外に出たのか」
「ああ、なぜだかわからんが、俺は外に出たんだ。きっと、首里に落ちたと思ったのかもしれん。俺が雨に濡れながら空を見上げているとルクが飛び出して来た。ルクを追うようにトゥミとカマも出て来た。その時、ピカッと光ったと思ったら、大きな雷鳴が轟いて、マジムン屋敷に雷が落ちたんだ」
「マジムン屋敷に落ちたのか‥‥‥」
「マジムン屋敷が光って、一瞬にして崩れ落ちたんだ。俺は危ないって叫んで、トゥミたちを庇った。逃げる暇はなかった。マジムン屋敷の下敷きになってしまうと恐れたが、下敷きにはならなかった。屋敷が崩れる物凄い音は耳にしたんだが、顔を上げてマジムン屋敷を見ると跡形もなく消えていたんだ。そして、あのウタキで運玉森ヌルと若ヌルがお祈りを捧げていた」
「なぜ、消えたんだ?」とサハチは聞いた。
 ウニタキは首を振った。
 サハチはトゥミとカマにも聞いてみた。二人もウニタキと同じ事を言った。
「どうして消えたんだろう」とサハチがウタキにいる二人を見ながらつぶやくと、
「きっと、お役目を終えたんだわ」とトゥミが言った。
「今日は六十回目の命日なんです」とカマが言った。
 サハチにはよくわからなかったが、マジムン屋敷の使命は終わったのかもしれないと思った。
 振り返ってみれば、ヒューガがここを拠点にして以来、ウニタキの拠点となり、首里グスク攻めでは本陣になっていた。随分とお世話になっていたのだった。サハチは両手を合わせて、消えてしまったマジムン屋敷に感謝した。
 ウタキから運玉森ヌルと若ヌルのカナ(加那)が出て来て、サハチを見た。
 サハチは運玉森ヌルに頭を下げた。
「マジムンは消えたわ」と運玉森ヌルは言った。
「屋敷が消えたのは、どうしてなのですか」とサハチは尋ねた。
「あれはまさしくマジムン屋敷だったの。これが本来の姿なのよ」
 サハチには運玉森ヌルが言っている事がよくわからなかった。
「一年前にわたしはここに来ました。ここの神様に呼ばれたのよ。そして、わたしは見ました。今、見えているこの景色を。あの屋敷はマジムンによって作り出された幻(まぼろし)だったのよ」
「あの屋敷が幻だった‥‥‥」とウニタキは呆然とした顔で言った。
 サハチにも信じられなかった。あの屋敷は確かにあった。あの屋敷が幻だったのなら、ウニタキはずっと、この草の中で寝泊まりしていた事になる。首里攻めの時、この草原の中で作戦を練っていたのだろうか。
「ここは昔、ヌルたちの祭祀場(さいしば)だったのよ。ウンタマムイのウンタマ(御玉)はガーラダマ(勾玉(まがたま))の事なの。ヤマトゥの武将の血を引く舜天(しゅんてぃん)という浦添按司によって、ここのヌルたちは滅ぼされてしまったのよ」
首里も昔、ヌルたちの祭祀場があって、舜天に滅ぼされたと馬天ヌルから聞きましたが、ここもそうだったのですか」とサハチは運玉森ヌルに聞いた。
首里の真玉添(まだんすい)ね。多分、ここの方が首里よりも古いでしょう。滅ぼされたヌルたちはマジムンになって恨みを晴らそうとしたの。でも、舜天の一族を滅ぼした英祖(えいそ)によって、マジムンは封じ込まれてしまうのです。それから百年近く経って、島添大里按司がここに側室のために屋敷を建てます。屋敷を建てたために封じ込められていたマジムンは復活したのよ。復活したマジムンがどんな悪さをしたのかわからないけど、六年が経って、英祖の一族を滅ぼした察度(さとぅ)(先々代中山王)が島添大里に攻めて来て、ここの屋敷を本陣にします。その時、側室と子供は殺されます。島添大里按司も殺した察度は、ここにあった屋敷に火を付けて引き上げていきます。屋敷はその時に焼け落ちて、六十年の歳月で、焼け落ちた残骸も朽ち果てて、今、目の前にある状態になったのです。しかし、殺された側室と子供の霊と合体したマジムンは屋敷に姿を変えて、ずっとここに留まっていたのです」
「マジムンは何のために屋敷になったのです?」とサハチは聞いた。
「ここを以前のごとく、祭祀場にする事と側室の敵(かたき)を討つためよ。察度の一族はあなたたちによって滅ぼされた。側室の恨みは消えたわ。あとはここを祭祀場に戻す事ね。わたしはその事を引き受けて、運玉森ヌルになって、ウタキを守ると誓ったの。マジムンを説得するのに一年掛かったけど、納得してくれて消えたのよ」
「マジムン屋敷か‥‥‥」とウニタキがつぶやいた。そして、ウタキに向かって両手を合わせた。
 サハチもウタキに両手を合わせた。


 

 

 

本場に学ぶ中国茶―茶葉や茶器の選び方・おいしい淹れ方・味わい方…すべてがわかる一冊

2-31.女たちの船出(改訂決定稿)

 マチルギたちを乗せたマグサ(孫三郎)の船とシンゴ(早田新五郎)の船は順風を受けて北上し、勝連(かちりん)半島と津堅島(ちきんじま)の間を抜け、美浜島(んばまじま)(浜比嘉島)、平安座島(へんざじま)、宮城島(たかはなり)、伊計島(いちはなり)を左に見ながら進み、ヤンバル(琉球北部)の沖に泊まって夜を明かして、次の日、辺戸岬(ふぃるみさき)から北西に向かって伊平屋島(いひゃじま)に着いた。
 思紹(ししょう)が中山王(ちゅうさんおう)になる前は、佐敷だけでは積み荷が足りず、佐敷から浮島(那覇)に行って中山王と取り引きをして、さらに、今帰仁(なきじん)でも取り引きをして帰って行ったが、今は、佐敷で積み荷を整える事ができるので、そのまま北上して帰ればよかった。さらに北上して与論島(ゆんぬじま)に寄れれば便利なのだが、与論島は山北王(さんほくおう)の支配下にあるので、伊平屋島に寄って水の補給をするのだった。
 伊平屋島伊是名島(いぢぃなじま)でサハチ(島添大里按司)の親戚たちが作っている鮫皮(さみがー)は、思紹が中山王になって以来、島の人たちによって浮島に運ばれ、そこで取り引きされていた。以前のようにヤマトゥ(日本)の船がやって来るのを待つ事もなく、必要な物は浮島に行けば手に入るので、島の人たちも以前よりは豊かな暮らしができるようになっていた。
 マチルギたちは島人(しまんちゅ)たちに大歓迎されて、島人たちと一緒に騒いで、楽しい夜を過ごした。
 サハチがヤマトゥに行く時にお世話になった我喜屋(がんじゃ)ヌルはすでに亡くなっていて、娘が我喜屋ヌルを継いでいた。田名大主(だなうふぬし)も代が代わって、息子が継いでいる。我喜屋ヌルも田名大主も馬天(ばてぃん)ヌルの従姉兄(いとこ)だった。田名大主の次男は首里(すい)のサムレー大将を務めている田名親方だった。田名親方の兄は首里グスクのお祭りの時、島の子供たちを連れて首里に来ていた。あの時は楽しかったとマチルギたちにお礼を言った。
 馬天ヌルは八年前の旅の時、伊平屋島にも来ていた。我喜屋ヌルの案内で島内のウタキ(御嶽)巡りをして、我喜屋ヌルと仲よくなっていた。再会を喜んで、娘のササ、姪のフカマヌルと佐敷ヌルを紹介した。
 女子(いなぐ)サムレーのイヒャカミー(伊平屋亀)は伊平屋島生まれで、久し振りの帰郷を喜んだ。両親と会って、ヤマトゥに行くと告げると両親は腰を抜かすほどに驚いた。イヒャカミーの両親はマチルギや馬天ヌルたちを回っては、娘をお願いしますと頭を下げていた。
 次の日も風に恵まれて、永良部島(いらぶじま)(沖永良部島)に着いた。永良部島では港に入る事なく、沖で一晩を過ごした。
 永良部島は古くから山北王が支配していて、攀安知(はんあんち)(山北王)の叔父が永良部按司だった。ヤマトゥから琉球に向かう時に港に入れば歓迎してくれるのだが、武器を売ってくれとうるさいし、帰りに寄れば港の使用料を徴収された。悪天候でない限り、シンゴは永良部島には寄らなかった。ましてや今回は島添大里按司(しましいうふざとぅあじ)の奥方を乗せている。永良部島に寄れば、何が起こるかわからなかった。
 三日目は徳之島(とぅくぬしま)に着いた。ここまでは順調だったのに、四日目の朝に急に風が止まってしまった。正午(ひる)近くまで待ってみたが、風が吹かないので、その日の航海は中止となった。ヤマトゥに帰る船が三隻、港に泊まっていて、やはり、航海は諦めたようだった。
 マチルギたちは徳之島に上陸して、のんびりと過ごした。女子サムレーのチニンチルー(知念鶴)とチャウサ(北宇佐)が船酔いで具合が悪かったので丁度よかった。
 徳之島にも按司がいたが山北王とのつながりはなく、浮島に来ては中山王と交易をしていた。ここの按司も古かった。八十年ほど前に、浦添按司(うらしいあじ)(英慈)の息子が初代の按司になり、今は四代目だった。英慈の子孫の浦添按司は察度(さとぅ)(先々代中山王)に滅ぼされたが、遠く離れた徳之島まで察度が攻めて来る事はなかった。徳之島按司は島人(しまんちゅ)のために、察度に従う事に決め、以後、中山王に従っていた。四十歳前後に見える徳之島按司はマチルギや馬天ヌルの噂も聞いていて、一行は大歓迎を受けた。
 馬天ヌルはフカマヌルと佐敷ヌル、ササを連れて、徳之島按司の妹の徳之島ヌルの案内で島内のウタキ巡りをした。かつて、陶器作りが盛んだった徳之島には古い窯跡(かまあと)がいくつも残っていた。今でも陶器を焼いている職人は、遙か昔、ここの焼き物が琉球にも大量に渡っていたと自慢げに話した。
 翌日は風が吹き、奄美大島(あまみうふしま)の南端の島に着いた。次の日は大島の西側に沿って進み、大島の北にある湾内に停泊して夜を過ごした。
 次の朝、小雨が降っていて霧も出ていた。ここから先はトカラ列島の宝島まで、途中に島はない。一気に宝島まで行かなければならなかった。途中で日が暮れて、方向を誤ってしまえば遭難してしまう。シンゴとマグサは行くべきか中止すべきか迷っていたが、ヌルたちの言葉を信じて出帆した。四人のヌルたち全員が、雨はやんで霧は晴れ、風も吹くと言い、ヂャンサンフォン(張三豊)も大丈夫だと言ったのだった。ヌルたちの言った通り、霧は流れていい天気となり、風にも恵まれて、その日の夕方には宝島に到着した。
 マチルギたちは船旅を楽しみながらも、ヤマトゥの国は遠いと実感していた。宝島の長老に歓迎されて、マチルギたちは船旅の疲れを取った。
 ヒューガ(日向大親)は嬉しそうだった。馬天ヌルとササ、親子三人で旅ができるなんて思ってもいない事だった。娘のササはシンシン(杏杏)とシズと一緒にいて、父親に甘える事もないが、そんなササを見ているのも楽しかった。
 シズの父親はヤマトゥンチュ(日本人)で、ヤマトゥンチュ相手の宿屋をやっていた。自然とヤマトゥ言葉を覚え、父親やヤマトゥの商人たちから琉球の北にある島々の事は聞いていた。話を聞く度に行ってみたいと思っていたが、女の身では無理だと諦めていた。それが突然、奥方様(うなじゃら)のヤマトゥ旅に同行しろとお頭(ウニタキ)に命じられた。まるで、夢のようだとシズは船旅を楽しんでいた。ササよりも二つ年上で、お互いに父親がヤマトゥンチュなので、仲よくなっていた。
 マチルギは義妹のフカマヌルと佐敷ヌル、叔母のチルーと一緒にいる事が多く、ジクー(慈空)禅師はイーカチと、シタルーはクグルーと仲がよかった。十人の女子サムレーたちも仲よく旅を楽しんでいる。
 マチルギ配下の女子サムレーは全員で百八人いた。首里に六十人、島添大里に二十四人、佐敷と平田に十二人づついる。誰もがヤマトゥに行きたがり、十人を選ぶのは大変だった。首里から六人、島添大里から二人、佐敷と平田から一人づつと決めたが、公平に選ぶにはどうしたらいいのか悩んだ末に、マチルギは馬天ヌルに相談した。馬天ヌルは籤(くじ)を作って、女子サムレーたちに引かせた。神意によって選ばれた者が、ヤマトゥに行く事になったのだった。
 選ばれたのは首里からウラマチー(浦松)、イヒャカミー、チニンチルー、チタ(蔦)、タカ(鷹)、グイクナビー(越来鍋)、島添大里からニシンジニー(北ぬ銭)とチャウサ、佐敷からナグカマ(名護釜)、平田からナカウシ(中牛)だった。チタとタカの二人が佐敷出身で、あとの八人は皆、キラマ(慶良間)の修行者だった。十人は選ばれた事を神様に感謝しながら、充分に旅を楽しんでいた。
 ヂャンサンフォンはヒューガと一緒にいたり、マチルギたちの所に行ったり、女子サムレーと楽しそうに笑っていたりと、どこに行っても人気者だった。
 次の朝、宝島を出帆しようとした時、「嵐が来るわ」とササが言った。
 空を見ると青空が広がっていて、そんな気配はまったくなかった。
 馬天ヌルはササをじっと見つめ、空を見上げて、「もう少し様子を見た方がいいわね」と言った。
 ヂャンサンフォンもササと空を見て、「様子を見よう」と言った。
 シンゴは佐敷ヌルの意見を聞いた。
「ササが言うのならやめた方がいいわ」と佐敷ヌルは言った。
 島の者たちは大丈夫だと言うが、シンゴとマグサはササの意見を尊重した。
 一時(いっとき)(二時間)ほどが過ぎると空は真っ暗になり、雨が勢いよく降ってきて、風も強くなってきた。ササの言った通り、嵐がやって来た。最小限の船乗りたちを残して、他の者たちは上陸して、船は沖に停泊した。上陸した者たちは分散して、島人の家に避難した。
 暴風雨は丸一日続いた。夜になっても治まらなかった。家が吹っ飛んでしまうのではないかと思われる強風の中、一睡もできずに夜が明けた。朝には雨も風もやんで、静かになっていた。
 外に出ると樹木(きぎ)が倒れ、折れた枝葉があちこちに落ちている。海を見ると二隻の船は無事に浮かんでいた。
 嵐に耐えた船を見て、皆、胸を撫で下ろした。ヌルたちは神様に感謝した。
 嵐を予言したササは、島人たちに神様扱いされた。綺麗な花が飾られた祭壇に座らせられ、島人たちはササにお祈りを捧げた。ササはうんざりしていたが、馬天ヌルから、お世話になった島人の頼みなんだから聞いてあげなさいと言われ、シンシンとシズを道連れにして、じっと我慢をした。
 船は無事だったが、船内は水浸しだった。総出で水を汲み出し、船内の掃除をして、その日は暮れた。
 翌日、お世話になった島人たちと別れて、船は北へと向かった。トカラ列島に沿って北上し、二日目に口之島に到着した。口之島から黒潮を乗り越えて、ヤマトゥ側にある永良部島に着き、次の日にようやく薩摩の坊津(ぼうのつ)に到着した。
 馬天浜を出てから十四日目の事だった。無事にヤマトゥに着いたのもササのお陰だった。あの時、海に乗り出していたら遭難していたかもしれない。シンゴとマグサは改めて、ササにお礼を言った。ササは照れて、ヒューガの後ろに隠れた。
 坊津は小さな港だが、家々がぎっしりと建ち並んで栄えていた。サハチと一緒に来た二十年前を思い出しながら、ヒューガは驚いていた。あの頃は閑散としていた。二十年という月日は、琉球を変えたが、坊津もすっかり変えていた。
 『一文字屋(いちもんじや)』も大きくなっていた。以前よりも立派な屋敷が建ち、蔵がいくつも並んでいる。琉球との交易でかなり稼いだようだ。一行は一文字屋の客用の離れに滞在して、取り引きが終わるのを待った。こちらではまだ梅雨は明けていなくて、毎日、雨降りが続いた。
 二十年前、サハチとヒューガがお世話になった一文字屋の主人は亡くなり、次男の孫三郎が坊津の店を任されていた。博多にいた兄の孫次郎が三代目の一文字屋次郎左衛門を継いで、今は京都にいるという。
 長い船旅で体が鈍(なま)っていると言って、ヂャンサンフォンに連れられて、一行は港の見える高台で武術の稽古を始めた。ジクー禅師以外は皆、武術の心得があった。マチルギ、馬天ヌル、佐敷ヌル、チルーは女子サムレーたちの師匠だし、フカマヌルは幼い頃より母から剣術を習っている。ササもそうだった。ヒューガはサハチの師匠、イーカチとシズはウニタキの弟子、シタルーとクグルーは苗代大親(なーしるうふや)の弟子だった。
 キラマで修行した八人の女子サムレーたちは、マチルギと馬天ヌルと佐敷ヌルが強いのは知っているが、フカマヌルとチルーの強さは知らず、負けるものかと必死になって稽古に励んだ。女たちに負けられんとシタルーとクグルーも真剣だった。
 琉球から来た女たちが剣術をやっていると噂になって、わざわざ見物に来る人たちが大勢集まって来た。
 マチルギたちは坊津に滞在中、北山殿(きたやまどの)(足利義満)の死を一文字屋から聞いた。北山殿は将軍様足利義持)の父親で、明国(みんこく)の皇帝から日本国王に任命されて、明国との交易に力を入れてきた人だという。ヤマトゥで一番力を持っていた人が、突然、亡くなってしまったと一文字屋は嘆いて、京都で一波乱が起きるかもしれないと心配していた。
 マチルギはサハチから聞いた明国の内乱の話を思い出した。ヤマトゥでも王様が亡くなったら、内乱が始まるのかしらと心配した。
 六日間滞在した坊津をあとにした一行は、甑島(こしきじま)を経由して五島(ごとう)に到着した。
 二十年前、五島にいた早田備前守(そうだびぜんのかみ)は十四年前に戦死してしまい、シンゴの兄の左衛門三郎が守っていた。左衛門三郎はシンゴが女たちを連れて来たので驚いた。皆、美人揃いで、その中でも最も美しい佐敷ヌルが、シンゴの琉球での妻だと知らされると、ポカンと口を開けたまま、信じられんと首を振った。
 坊津で手に入れた日本刀や扇子、漆(うるし)の工芸品や屏風(びょうぶ)など、来年、琉球に運ぶ品々を蔵に保管するため、五島には二泊した。
 一文字屋は初めの頃は鮫皮だけを扱っていたが、やがて、明国の商品も扱うようになり、莫大な利益を上げて京都にも進出して、今では豪商と呼ばれていた。シンゴたちは坊津の一文字屋で琉球との取り引きに使う品々を手に入れて、博多の一文字屋で必要な食糧を手に入れて対馬に帰るのだった。山ばかりで田畑の少ない対馬では、穀物が最も必要な商品だった。
 五島でも、女たちの武術の稽古は珍しがられて大勢の見物人が集まってきた。
 五島をあとにした二隻の船は、二日後に壱岐島(いきのしま)に着いた。壱岐島にはシンゴの義兄、早田藤五郎がいた。ヒューガと二十年振りの再会を喜び、一緒に来た女たちを見て驚いた。ヒューガがマチルギを紹介すると、サハチの奥方かと言って目を細くして歓迎した。
 ヤマトゥ旅に出たサハチの弟や息子たちは皆、藤五郎のお世話になっていた。奥方までやって来るとは琉球の女は勇ましいのうと藤五郎は笑った。
 志佐壱岐守(しさいきのかみ)もやって来て、マチルギたちとの再会を喜んだ。琉球でお世話になったお礼じゃと屋敷に招待してくれた。壱岐守は息子に家督を譲って隠居したので、気楽に暮らしているという。対馬にいるのなら是非また遊びに来てくれと言った。
 壱岐島に二泊した一行は、いよいよ博多に到着した。博多港の賑わいは二十年前とはまったく違っていて、ヒューガは目を丸くして驚いた。初めて来たマチルギたちは多くの船を見ながら、まるで浮島みたいと言って騒いでいた。百年振りに博多に来たヂャンサンフォンも昔の面影はまったくないと驚いていた。
 サハチとヒューガが博多に来た二年後、中山王の察度は、倭寇(わこう)によって琉球に連れて来られた高麗人(こーれーんちゅ)を故郷に帰すために高麗に使者を送った。その船は高麗に行く前に博多に寄った。初めて博多に来た琉球船は九州探題(たんだい)の今川了俊(りょうしゅん)に歓迎された。今川了俊の協力もあって、使者は高麗の王と会い、帰りには高麗の使者を琉球に連れて行き、琉球と高麗の交易が始まった。高麗から朝鮮(チョソン)に代わっても両国の交易は続いて、察度は四回、武寧(ぶねい)も四回、朝鮮に使者を送っている。武寧の四度目は五年前の事で、嵐のために遭難して、黒潮に流されて武蔵(むさし)の国まで行ってしまい、朝鮮には行かずに引き返した。
 朝鮮に行く琉球船は行きと帰りに博多に寄って、博多の商人と交易をした。琉球船が持って来た明国や南蛮(なんばん)(東南アジア)の品々は大いに喜ばれ、一年置きくらいにやって来る琉球船は大歓迎された。
 今川了俊琉球との交易と朝鮮との交易でかなりの富を蓄え、その富を利用して九州統一を推し進めていたが、勢力拡大を恐れた足利義満によって、九州探題を罷免されてしまう。今川了俊に代わって、九州探題に任命されたのは、幕府の実力者である斯波義将(しばよしまさ)の娘婿の渋川満頼(みつより)で、勿論、渋川満頼も琉球船を大歓迎した。
 琉球船が最後に来たのは八年前で、それ以後、来なくなってしまった。しかし、琉球船に代わるように六年前、永楽帝(えいらくてい)の使者を乗せた明国の船が博多にやって来た。以後、明国の船は毎年のようにやって来ていた。琉球船と明国船のお陰で博多は栄え、元寇(げんこう)以前の繁栄を取り戻していたのだった。
 船の多さには驚かなかったマチルギたちも、上陸して街の賑わいを見ると目を丸くして驚いた。様々な着物を着た人々が大勢行き交い、あちこちに大きな寺院が建っている。賑わう市場では見た事もないような珍しい物が色々と並んでいる。
 女たちははぐれないように固まって、目をキョロキョロさせながら、ヤマトゥの都に来た事を実感していた。


 

 

 

中世日本最大の貿易都市・博多遺跡群 (シリーズ「遺跡を学ぶ」)   博多商人―鴻臚館から現代まで   東アジアの国際都市 博多 (よみがえる中世)

2-30.浜辺の酒盛り(改訂決定稿)

 五月十日、マチルギ、馬天(ばてぃん)ヌル、馬天若ヌルのササ、佐敷ヌル、久高島(くだかじま)のフカマヌル、ウニタキ(三星大親)の妻のチルー、そして、ヒューガ(日向大親)、ジクー(慈空)禅師、ヂャンサンフォン(張三豊)とシンシン(杏杏)、三星党(みちぶしとー)のイーカチとシズ、十人の女子(いなぐ)サムレーを乗せたマグサ(孫三郎)の船は馬天浜を出帆した。それとは別に、サミガー大主(うふぬし)(ウミンター)の次男のシタルー(四太郎)と宇座の御隠居(うーじゃぬぐいんちゅ)の息子のクグルー(小五郎)がシンゴ(早田新五郎)の船に乗ってヤマトゥ(日本)に向かった。
 宇座の牧場に行っていたシタルーは帰って来ると明国(みんこく)の使者になりたいと言い出した。宇座按司から色々な話を聞いて、自分がやるべき事を見つけたという。父親のサミガー大主は驚いたが、兄が中山王(ちゅうさんおう)なので、それも不可能ではないと思い、思紹(ししょう)(中山王)に相談した。思紹は迷わず、明国に行って来いと言った。しかし、今年はすでに進貢船(しんくんしん)を出してしまった。明国に行く前にヤマトゥに行って来いと送り出したのだった。一緒に行くのは苗代大親(なーしるうふや)の娘婿のクグルーだった。十三歳まで宇座の牧場で育ったクグルーは馬術の名手なので、馬好きのシタルーと気が合うだろう。
 風にも天気にも恵まれた最高の船出だった。
 マチルギたちのヤマトゥ旅は公表していなかったので、見送りの者も家族たちと佐敷の者たちに限られたが、それでも結構集まっていた。サハチ(島添大里按司)は子供たちと一緒に、無事の帰国を祈りながらマチルギたちを見送った。
 サハチの子供たちは勿論の事、佐敷ヌルの娘とウニタキの四人の子供はサハチが預かる事になっていた。半年も留守にするので、ヌルの仕事も代わりの者がいなければならない。馬天ヌルの代わりは運玉森(うんたまむい)ヌル(先代サスカサ)が務め、佐敷ヌルの代わりはサスカサ(ミチ)が務め、フカマヌルの代わりは平田城下に住んでいるフカマヌルの母親が久高島に帰って、孫娘の面倒とヌルの仕事を務める事になっている。
 運玉森ヌルは浦添按司(うらしいあじ)になった當山親方(とうやまうやかた)の娘、カナ(加那)の指導も馬天ヌルから受け継いだ。按司になったからにはヌルが必要だった。カナは十八歳で、ヌルの修行を始めるには遅すぎるが、本人はどうしてもヌルになりたいと希望した。ササと同い年で、ササと一緒に剣術の修行に励み、剣術の師匠だった佐敷ヌルに憧れていた。運玉森ヌルは馬天ヌルの代わりを務めるためとカナを指導するため、島添大里(しましいうふざとぅ)から首里(すい)へと移った。
 水軍大将のヒューガの代わりはクルシ(黒瀬大親)が引き受けてくれた。ヒューガが一緒なので、サハチは安心してマチルギたちを送り出せた。ヂャンサンフォンが一緒なのも頼もしかった。馬天ヌル、佐敷ヌル、フカマヌル、ササが危険を察知して、危険な場所には行かないだろう。無理をしないで、充分に旅を楽しんで来てほしいと思いながら、サハチは小さくなっていく二隻の船を見送った。
 船出の二日前の夕方、サハチは船頭(しんどぅー)(船長)のマグサと会っていた。正月の歓迎の宴(うたげ)で一緒に酒を飲んだが、あまり話はしていなかった。マグサはサンダーとクルーの旅の話を笑いながら聞いているだけだった。サハチやシンゴと同い年だが、何となく遠慮しているような様子だった。
 サハチが島添大里按司になったあと、空き家となった新里(しんざとぅ)のファイチ(懐機)の屋敷を船頭屋敷にして、シンゴとクルシに提供した。シンゴは佐敷ヌルの屋敷にいる事が多いので、マグサが一人でいるだろうと行ってみたが、屋敷には誰もいなかった。新里にはもう一軒、サハチの義弟とも言えるイトの弟のカンスケ(勘助)の屋敷もあった。カンスケは仲のいい仲間と一緒に暮らしていた。そこにも行ってみたが、やはり誰もいなかった。天気がいいので、海に出ているのかと馬天浜に行ってみた。
 馬天浜のサミガー大主の離れで、数人の者たちが酒盛りを始めていたが、マグサの姿もカンスケの姿もない。水夫(かこ)たちに聞いてみると、カンスケはカマンタ(エイ)捕りに行き、マグサは女の家だろうという。
 場所を聞いて行ってみると、海辺の近くの粗末な家の前で、マグサは魚をさばいていた。日に焼けて真っ黒で、島人(しまんちゅ)と見間違うほど、その場に馴染んでいた。
 マグサはサハチに気づくと、白い歯を見せて笑い、「オヤカタ様」と言った。ヤマトゥでは領主の事を『オヤカタ様』と呼ぶとは聞いていたが、そう呼ばれるのは初めてだったので、サハチは少し戸惑った。
「こんな所で何をなさっているんですか」とマグサは聞いた。
「お前に会いに来たんだ」とサハチは笑った。
「わしに何か御用で?」
「ちょっと話がしたくてな」
 小屋の中から女が顔を出して、サハチがいるのを見て驚いた。
「まあ、按司様(あじぬめー)ではございませんか」と言って女は恐縮した。
「わしのかみさんのイチでさあ」とマグサは言った。
 海辺で遊んでいた女の子が近寄ってきて、不思議そうな顔でサハチを見て、「お父さん、誰?」とマグサに聞いた。
 サハチは女の子とマグサを見比べて驚いていた。
 マグサは山の上にある島添大里グスクを指さして、「あそこのオヤカタ様じゃ」と娘に言った。
 娘は目を丸くしてサハチを見つめ、急に恥ずかしそうな顔をして母親の後ろに隠れた。
「お前にかみさんと子供がいたとは驚いた」とサハチは言った。
「わしが初めて琉球に来たのは十五の時でした。下っ端だったので雑用をやらされて、くたくたでしたが、この美しい琉球を見たら疲れなんか一遍に吹っ飛んでしまいました。こんな綺麗な所があったなんて、夢でも見ているような心地でした。それからわしは琉球に行く船には必ず乗って来たのです。初めて琉球に来て、ヤマトゥに帰る時、オヤカタ様はサンルーザ(早田三郎左衛門)殿の船に乗ってヤマトゥに行かれました」
「なに、あの船に乗っていたのか」
「へい、あの船はいい船でした。今は対馬(つしま)のオヤカタ様(早田左衛門太郎)と一緒に朝鮮(チョソン)に行っています。わしはウミンチュ(漁師)の倅で、イトとも幼なじみなんです。イトはわしらの憧れでした。みんな、イトが好きでしたよ。誰が口説いても見向きもしなかったイトが、オヤカタ様に惚れちまった。わしらはオヤカタ様を恨みましたよ」
 そう言ってマグサは笑った。
「もう二十年前の事ですが、いつか、オヤカタ様に恨み言を言ってやろうと思っていたんです。これで、ようやく気が晴れました」
 サハチはマグサに誘われて、採れたての魚をつまみながら浜辺に座り込んで酒の御馳走になった。
 ハマという娘はイチの連れ子らしい。イチの夫は十年前に海で遭難して帰って来なかった。それから二年後、マグサとイチは出会い、共に惹かれて一緒に暮らし始めたのだという。クルシのお陰で船頭になったが、船頭でいるのは船に乗っている時だけで、琉球に滞在中は、イチのために漁に出て働き、対馬に帰ってからは、対馬にいる家族のために漁に出ているという。
 五年前、クルシが一文字屋の船を借りて琉球に来た時、連れて来た五十人はクルシと共にサハチの家臣となった。船方(ふなかた)と呼ばれる船乗りたちが二十八人、護衛の兵が二十二人だった。
 船方たちは、船頭(船長)一人、舵取(かじとり)二人、帆役(ほやく)二人、竈役(かまどやく)二人、船大工一人と水夫二十人がいる。琉球に滞在中、船頭と舵取と帆役の五人は商品の取り引きを担当して、竈役はみんなの食事を担当して、船大工は船の修理を担当する。水夫たちはサミガー大主の仕事を手伝う事になっていた。護衛の兵たちは補充要員として佐敷、平田、島添大里のグスクの警固に当たった。
 シンゴの船の乗組員は早田(そうだ)家の家臣なので、シンゴの命令で動いていた。護衛の兵も含めて、サミガー大主のもとで働いている者が多かった。
 船頭のマグサは取り引きの仕事を終えてしまえば、あとは自由で、漁師をやる事もできたのだった。
「何度、琉球対馬を往復したのか数えきれません。半年は対馬、半年は琉球の生活をずっと続けています。わしには対馬琉球、両方にかみさんと子供がいるんでさあ」
 マグサは楽しそうに笑った。
 飾り気のない面白い男だとサハチは感じていた。シンゴやクルシと違ってサムレーではなく、生粋のウミンチュだった。グスクの中で行なわれた歓迎の宴は場違いな気がして、居心地が悪かったに違いない。波の音を聞きながら夕日に染まる海を見て、新鮮な魚をつまんで酒を飲むのが好きなのだろう。
 歓迎の宴は父が佐敷按司になったあと、グスクにサンルーザやクルシたちを招待して始まった。それ以前は祖父のサミガー大主が主催して、離れでみんなと一緒に騒いでいたらしい。サハチも父の真似をして、グスクにサイムンタルーやシンゴを呼んでいたが、そんな格式張った事はやめて、離れでみんなと一緒に騒いだ方がいいのではないかと思っていた。
「女たちを船に乗せても大丈夫か」とサハチはマグサに聞いた。それが一番気になっていた事だった。海が大荒れして、女が乗っていたからだと騒ぎになってはまずかった。
「大丈夫です」とマグサは何でもない事のように言った。
「女を乗せたら海が荒れると言い出したのはサムレーたちなんですよ。わしらウミンチュはそんな事は考えません。対馬ではみんな、かみさんと一緒に漁に出ています。女を乗せるな、なんて言ったら食ってはいけませんよ」
 確かにマグサの言う通りだった。後家のサワもイトも船を乗り回していた。
「サムレーたちは軍船(いくさぶに)に女を乗せたら気が散るんで、海の神様が怒るとか言い出したんです。海の神様はそんな小さな事で怒ったりはしませんよ。大きな心を持った神様です。たとえ、海が荒れたとしても、それは女が乗っていたからではありません。乗っていなくても荒れる時は荒れるのです」
「そうか」と言いながら、サハチは海を眺めた。
 目の前の海は遙か遠くのヤマトゥや明国、まだ知らぬ遠い国々までもずっと続いている。果てしなく大きな海、そこにいる神様も大きな心を持っているに違いなかった。
 サハチは改めて、マチルギたちの事を頼んで、マグサと乾杯した。
 イチが鍋を持って来た。おいしそうな煮物が入っていた。
 二人が昔の事を懐かしそうに話していると、「あら、サハチ、珍しいわね」と誰かが言った。
 振り返ると叔母のマチルー(真鶴)だった。馬天ヌルの妹のマチルーはウミンチュと一緒になって馬天浜で暮らしていた。
「偉くなったあんたがこんな所でお酒を飲んでいるなんて驚いたわ。やっぱり、お兄さんと似てるのね」
「お兄さんて親父の事ですか」
「そうよ。王様(うしゅがなしめー)になってからは来なくなったけど、毎年、正月にふらっとやって来て、こうして海辺で騒いでいたのよ」
 中山王になる前の父はキラマ(慶良間)の島にいて、年末年始だけ帰って来た。その時、ここに来ていたのだろう。叔父のサミガー大主に会いに来ていたのは知っていたが、海辺でみんなと騒いでいたとは知らなかった。
「みんなも呼んでもいいかしら?」と叔母は言った。
「みんな、一緒に飲みたいんだけど遠慮しているのよ」
 サハチが叔母の後ろを見ると大勢のウミンチュたちが酒や御馳走を持って待っていた。
 サハチは手招きしてみんなを呼んだ。ウミンチュたちはサハチたちを囲むようにして座り込んで酒盛りを始めた。
「サハチ兄さんどうぞ」と言って酒を注いでくれたのは従妹(いとこ)のミフー(御帆)だった。サミガー大主の長女のミフーはカマンタ捕りのウミンチュに嫁いでいた。
「ナツの事、よろしくお願いします」と言ったのはナツの伯父のチキンジラー(津堅次郎)だった。久し振りに見るチキンジラーは随分と年齢(とし)を取ったが、相変わらず元気そうだった。
 サミガー大主と離れにいる水夫たちも呼んで、送別の宴も一緒にした。
 その夜の星空の下での酒盛りは楽しい一時となった。そして、昨日の夜は島添大里グスクで、ヤマトゥに行く女たちとシタルーとクグルーの送別の宴を開いた。
 マチルギも佐敷ヌルもフカマヌルも浮き浮きしていた。馬天ヌルはこの年齢(とし)になってヤマトゥに行けるなんて思ってもいなかったと嬉しそうに言った。いつまでも若いと思っていた馬天ヌルもすでに五十歳を過ぎていた。冥土(めいど)のお土産になるわねと冗談を言った。チルーもみんなと一緒に旅ができるなんて楽しみだわと嬉しそうだった。ササはきっと素敵なマレビト神に出会えるわと張り切っていた。女たちはヤマトゥに行って来たサハチの弟たちから話を聞いて、期待に胸を膨らませた。
 二隻の船が見えなくなるとサハチは子供たちを連れて島添大里に帰った。
 島添大里グスクの大御門(うふうじょー)の前で、兼(かに)グスク按司が一人、乗って来た馬の横で、ぼうっとした顔で立っていた。
「師匠(ヂャンサンフォン)はヤマトゥに行ったのか」と兼グスク按司はサハチに聞いた。
 サハチはうなづいた。
「そうか」と言うと、兼グスク按司は馬にまたがり帰って行った。
「誰?」とサスカサが聞いた。
「兼グスク按司。先代の中山王(武寧)の次男だ」
「敵なのに、たった一人でやって来るなんて、お父さんを馬鹿にしているの?」
 サハチはサスカサを見た。そう言われれば、そうかもしれないが、そんな事は考えてもみなかった。
「敵意はないようだけど、殺気はあるわね」とサスカサは言った。
 サハチはサスカサにうなづいて、グスクの中に入った。
 ウニタキが調べた所によると、兼グスク按司はグスク内の屋敷に武芸者たちを集めているという。その中にはヤマトゥンチュ(日本人)や明人(とーんちゅ)、朝鮮人(こーれーんちゅ)もいる。総勢五十人はいるらしい。そいつらがハーリーの行なわれた日、饒波(ぬふぁ)川の東にある森の中に隠れていた。ウニタキはその事を苗代大親に知らせて、苗代大親は百人の兵を率いて、その森を襲撃するための準備を進めた。ハーリーからの帰りを襲うと思われたが、なぜか中止となって、武芸者たちは兼グスク按司の阿波根(あーぐん)グスクに引き上げて行った。そして、サハチたちの一行の中に兼グスク按司がいるのを見て、何が何だかわからなくなったという。
 サハチはヂャンサンフォンのお陰で助かったようだとウニタキに説明した。
「奴の武芸好きは親父の敵討ちより勝(まさ)ったというわけか」
「変わった奴だよ。好きな物には徹底してこだわって、何よりもそれを優先してしまう。たった一人で島添大里まで付いて来るなんて、ここが敵地だとは思っていないようだ。その夜は俺も付き合わされて、ヂャンサンフォン殿の屋敷で飲んだんだ。奴も泊まったんだが、まったく警戒はしていなかった。そして、次の日は首里の武術道場に行って、奴も一緒に稽古に参加した。勿論、兼グスク按司とは名乗らず、アスヌシィと名乗っていた」
「アスヌシィか‥‥‥奴の武芸の師匠がヤマトゥの武芸者、アスヤタルー(阿蘇弥太郎)という奴だ。十五年近く前に琉球に来て、ずっと奴の側にいる。奴が明国や朝鮮に行った時も一緒に行ったはずだ。その師匠の影響で武芸好きになったのだろう。ところで、奴の腕はどんなもんだ?」
「かなりのものだろう。俺たちも負ける事はないが、勝てないかもしれない」
「成程、手ごわい奴だな」
「手ごわい奴だが、娘たちの剣術の稽古を見て驚いていたよ。ハーリーから帰って来た時、丁度、娘たちの稽古が始まる時だったんだ。奴に見せてやったら、目を点にして驚いていた。首里に女子サムレーがいるというのは噂で知っていたらしいが、城下の娘たちまで剣術をやっているのは知らなかったらしい。真剣な顔をして見ていた」
「今度は女の武芸者も集めるかもしれんぞ」とウニタキは笑った。
「奴の奥さんだが、えらい美人だったぞ」とサハチは言った。
「おう、俺も見た。山北王(さんほくおう)の妹があんな美人だったとは驚いたよ。噂では明国の血が入っているらしい。お祖母(ばあ)さんが明国の女だそうだ。兼グスク按司のお祖母さんは高麗人(こーれーんちゅ)だ。二人の娘は明国と高麗の血が入って、さらに美しくなるに違いないと言っている。まだ、十歳だが、確かに可愛い顔をしている」
 サハチはウニタキがいう娘の顔はよく見なかった。母親の美しさに目を奪われていたのかもしれない。十歳と言えば、サハチの娘のマチルーと同い年だった。
「嫁に迎えようと狙っている者がいそうだな」
「山北王とのつながりができるからな、狙っている者は多いだろう」
 サハチは笑って、「今回、奴は襲撃を中止したが、先の事はわからない。これからもよく見張っていてくれ」とウニタキに頼んだ。
 島添大里グスクは子供たちで賑やかだった。ナツもマカトゥダルも、侍女も女子サムレーも子供たちに振り回されていた。
 首里グスクの西曲輪(いりくるわ)の楼閣造りは梅雨が上がったのと同時に始まっていた。西曲輪は資材置き場となって使えなくなり、娘たちの剣術の稽古は北曲輪(にしくるわ)に移っていた。
 思紹は楼閣を飾る彫刻に熱中していた。いい話し相手だったジクー禅師はヤマトゥに行ってしまったが、首里に楼閣を建てる事を知ったファイチが、参考になりそうな明国の書物を持って来てくれた。アランポー(亜蘭匏)の書物を整理していたら出て来たという。漢字ばかりで読めないが、絵も載っていて、楼閣の図や龍(りゅう)や麒麟(きりん)の図もあった。それを見た思紹は龍の彫刻を楼閣に飾ろうと張り切って彫り始めたのだった。百浦添御殿(むむうらしいうどぅん)の二階は工作場となって、木屑だらけとなり、それを片付ける城女(ぐすくんちゅ)たちは陰でブツブツ文句を言っていた。
 マチルギと馬天ヌルがいなくなった首里グスクは、まるで、主人がいなくなったかのように静かだった。今まで、いるのが当たり前だった二人がいない。グスクにいる女たちは顔を合わせれば、奥方様(うなじゃら)と馬天ヌル様は今頃、どこかしら、無事にヤマトゥに着いたかしらと言い合っていた。
 サハチにはマチルギの代わりは務まらないが、なるべく首里グスクにいて、時々、子供たちの様子を見に島添大里グスクに通っていた。ウニタキも妻のチルーに言われたのか、一日おきくらいに島添大里グスクに顔を出して子供たちと会っていた。

 

 

 

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2-29.丸太引きとハーリー(改訂決定稿)

 思紹(ししょう)(中山王)は久高島参詣(くだかじまさんけい)で、十五人もの戦死者が出た事で落ち込んでいた。亡くなった十五人はキラマ(慶良間)の島で鍛えた教え子たちだった。久高島に行った女たちは喜んでくれたが、余りにも犠牲が多すぎた。
 ウニタキ(三星大親)も落ち込んでいた。百人もの残党たちの動きを見逃してしまった事を悔いていた。ウニタキは武寧(ぶねい)(先代中山王)の残党は二、三十人に過ぎないと思っていた。少数で襲う場合、弓矢、あるいは石つぶてを使うだろう。敵が隠れていた森は弓矢が届かない距離にあった。あそこではないと決めつけて、その先の川の中を調べていたのだった。二度とこんな事が起きないように、ウニタキは自分を戒め、配下の者たちにも活を入れた。
 一月が経っても誰もが暗い表情だった。サハチ(島添大里按司)は何とかしなければと思い、盛大なお祭りをやろうと考えた。サハチが考えたお祭りは、浮島(那覇)にある丸太を首里(すい)グスクに運び込む事だった。
 サハチは父の思紹と相談しながら楼閣造りを始めていた。高い所が好きな父は、そいつはいい考えだと賛成して、サハチ以上に熱中した。サハチの留守中に北曲輪(にしくるわ)を造った事を思い出し、父は何かを造るのが好きなようだと気づいた。そう言えば、東行法師(とうぎょうほうし)の頃は観音様を彫っていた。楼閣造りに熱中していれば、外に出たいとは言わないだろう。楼閣が完成したら、次に寺院造りも父にやらせようと思った。
 『首里天閣(すいてぃんかく)』を建てた大工は見つからず、『会同館』や『天使館』を建てた大工に任せる事になった。『天使館』は三月に完成したので、丁度よかった。
 楼閣を建てるには屋台骨となる太い柱が必要だった。ヤンバル(琉球北部)から取り寄せるとなると冬まで待たなくてはならない。この辺りで手に入らないかと悩んでいたら、うまい具合に浮島にあった。百浦添御殿(むむうらしいうどぅん)(正殿)を建てた時に余った丸太だという。長さ五丈(じょう)(約十五メートル)近くある太い丸太が五本もあった。五本の丸太を競争させて首里まで運ぼうと考えたのだった。
 首里(すい)、佐敷、島添大里(しましいうふざとぅ)、久米村(くみむら)、そして、今、浮島に来ているヤマトゥンチュ(日本人)にも参加してもらった。太さが三尺(約一メートル)以上もあるので担ぐ事はできない。首里グスクを造る時に、石垣の巨石を運んだ台車があったので、それを利用する事にした。各地区が百人づつ代表を出して、台車に乗せた丸太を綱で引いて浮島から運んだ。それぞれ守護神としてヌルが先導役になった。首里は馬天若ヌルのササ、島添大里はサスカサになったミチ、佐敷は佐敷ヌル、久米村はヌルがいないので、長史(ちょうし)の王茂(ワンマオ)の娘のワンルイリー(王瑞麗)が務め、ヤマトゥンチュは波之上権現(なみのえごんげん)の巫女(みこ)が務めた。守護神たちは白い着物に扇子を持って掛け声を掛け、守護神の補佐役の男が色分けした旗を振って先導した。
 勇ましいそのお祭りは大盛況だった。山南王(さんなんおう)が毎年やっている『ハーリー』に負けないほどの見物人があふれ、浮島から首里へと続く街道は声援が飛び交い、指笛が響き渡った。優勝したのは佐敷だった。途中までは首里が一位だったが、台車が壊れて佐敷に抜かれてしまった。
 浮島から運ばれた丸太は北曲輪に置かれた。北曲輪から西曲輪(いりくるわ)に上げるのは一苦労だが、人出があれば何とかなる。お祭りのあと、皆の顔は明るさを取り戻していた。
 お祭りの翌日、島添大里に帰ると佐敷ヌルがナツと話をしながら、サハチの帰りを待っていた。
「昨日はご苦労だったな」とサハチは佐敷ヌルにお礼を言った。
 お祭り好きな佐敷ヌルは先導役を見事に務め、首里の大通りに来てからは、丸太の上に飛び乗って掛け声を掛けていたのだった。揺れ動く丸太の上を飛び跳ねている佐敷ヌルの姿は、まるで天女が舞っているように見え、大喝采を浴びた。佐敷ヌルが丸太に上がるのを見ると、ササもサスカサも負けるものかと真似をした。ササの丸太は台車が壊れてこぼれ落ち、ササは大怪我をするところだったが、宙返りをして無事だった。佐敷ヌルのお陰でお祭りは盛り上がって、成功に終わったと言えた。
「凄かったわあ」とナツが言った。
 ナツも赤ん坊をおぶって、サハチの娘たちや佐敷ヌルの娘を連れて、侍女たちと一緒に首里まで見物に来ていた。
「お兄さんにお話があるの」と佐敷ヌルは真面目な顔をして言った。
「どうした、改まって」
「ヤマトゥ(日本)に行くって事は対馬(つしま)にも行くんでしょ」
「当然だ。シンゴ(早田新五郎)は対馬から来ているんだからな」
「シンゴの奥さんもいるのよね」
 サハチは佐敷ヌルの顔を見た。珍しく、気弱そうな顔付きだった。
「シンゴの奥さんに会うのが心配なのか」
「あたしの事を恨んでいるかもしれないわ」
 サハチは笑って、「一騒動、起きそうだな」と言った。
「笑い事じゃないわ」と佐敷ヌルは怒った。
「ナツさんから聞いたんだけど、ナツさんはお姉さんに土下座したらしいわ。あたしも土下座した方がいいのかしら」
「それは状況次第じゃないのか。シンゴはお前の事を奥さんに言っているのか」
 佐敷ヌルは首を振った。
「言っていないらしいわ」
「そうか。それじゃあ、そのまま知らせなくてもいいんじゃないのか」
「でも、気づくんじゃない。女の勘は鋭いから」
「そうだな。気づくかもしれんな」
「お兄さんはシンゴの奥さんを知っているの?」
 サハチは首を振った。
「俺が対馬に行った頃、仲のいい娘がいたけど、別の娘と一緒になったようだ」
「そうなの‥‥‥」
「成り行きに任せるしかないんじゃないのか」とサハチは言った。
 佐敷ヌルはうなづいて、笑った。
「お姉さん、イトっていう人に会うのを楽しみにしているわ」
「えっ、マチルギはイトに会うつもりなのか」
「イトさんと娘のユキにも会うって張り切っているわよ」
「参ったなあ」とサハチは困った顔をした。
 イトとユキは土寄浦(つちよりうら)から離れて、和田浦のさらに奥にある船越という所に住んでいる。去年、対馬に行ったジルムイやマウシたちは船越まで行って、ユキと会ったと言っていた。マチルギの事だから、わざわざ会いに行くに違いない。そこでも一騒動が起こりそうだった。
「お前、マチルギとイトを会わせないでくれ」とサハチは佐敷ヌルに頼んだ。
「あたしにお姉さんは止められないわ」と佐敷ヌルは首を振った。
 確かに、佐敷ヌルの言う通りだった。
「イトさんて誰なんですか」とナツが聞いた。
 サハチは答えなかった。二人に手を振ると自分の部屋に引き上げた。佐敷ヌルが説明しているに違いない。きっと、奥間(うくま)のサタルーの事も話すのだろう。ナツが自分を見る目が変わりそうだと思ったが、一々、言い訳するのも面倒だった。
 うっとうしい梅雨も上がった五月四日、毎年恒例の『ハーリー』が行なわれた。今年で、すでに十三回目になるという。山南王と同盟を結んでいるサハチのもとにも招待状が来た。招待状は毎年来ていたが、一昨年は戦後処理が忙しいと言って断り、去年は明国(みんこく)に行っていて留守だった。今年は断る理由はなかった。豊見(とぅゆみ)グスクに行くのは危険が伴うが、行かなければならない。サハチはウニタキと苗代大親(なーしるうふや)と奥間大親(うくまうふや)に警護を頼み、周到な準備をして、豊見グスクに向かった。
 ヂャンサンフォン(張三豊)とシンシン(杏杏)、ササとクルー夫婦を連れて、護衛の兵は十人にとどめた。クルーの妻のウミトゥク(思徳)はシタルー(山南王)の娘で、お嫁に来てから初めての里帰りだった。
 豊見グスクの周辺は凄い人出だった。十年ほど前、初めてハーリーを見に来た時の事をサハチは思い出した。毎年の恒例の旅で、あの時は佐敷ヌルも一緒だった。佐敷から出た事がなかった佐敷ヌルは、人の多さに驚いて呆然としていた。
 サハチが豊見グスクに来たのは今回で三度目になる。勿論、グスクの中に入った事はない。初めて来たのは二十年近くも前で、まだグスクは完成していなかった。サハチは気楽な気持ちでシタルー(当時は豊見グスク按司)に会うつもりだったが、マチルギとヒューガに止められて、訪ねるのをやめた。
 山南王の使者として明国に渡ったシタルーの父、汪英紫(おーえーじ)は考えを改めて、東方(あがりかた)を攻めるのをやめ、明国との交易に力を入れる事にした。そのために、浮島に近いこの地に新たなグスクを築いて豊見グスクと名付け、大(うふ)グスク按司だったシタルーを豊見グスク按司にした。豊見グスク按司となったシタルーは官生(かんしょう)として明国に留学して、帰国するとハーリーを始めた。毎年恒例となったハーリーのお陰で豊見グスクは栄え、城下も発展していった。山南王となったシタルーは島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスクに移って、長男のタルムイ(太郎思)が豊見グスク按司になった。タルムイの妻はサハチの妹、マチルー(真鶴)だった。
 マチルーがタルムイに嫁ぎ、シタルーの娘のウミトゥクがクルーに嫁いで、サハチとシタルーは同盟を結んだ。サハチが武寧を倒したあと、同盟は壊れるかと思ったが、シタルーが島添大里にやって来て、そのまま同盟を続ける事となった。同盟を結んでいるとはいえ油断はできない。お祭りの最中に騒ぎは起こさないと思うが、敵地に素手で乗り込むような心境だった。
 豊見グスクの南風原御門(ふぇーばるうじょう)は開け放されていた。警固の兵は御門の上の櫓(やぐら)の中と石垣の上に並んでいるが、グスクを開放しているようだ。グスクの中を見ると、大勢の子供たちが楽しそうに走り回っている。屋台も出ていて、酒や食べ物を配っていた。
 サハチたちは連れて来た護衛の兵たちに馬を預けて、グスクの中に入って行った。御門番も何も咎めなかった。ササを見ると大丈夫と言うようにうなづいた。
 高い石垣で囲まれたグスクの中は思っていたよりも広いようだ。御門の正面にも高い石垣があり、その先にも石垣があるようだった。
 二年前の戦(いくさ)の時、弟の佐敷大親(さしきうふや)は東方の按司たちと一緒に、このグスクを攻めていた。島添大里グスクを攻めた時のように高い櫓を作って、グスクの中を見たら、石垣は三重になっていたと言っていた。一番奥の一の曲輪(くるわ)に按司の屋敷があって、二の曲輪にも大きな屋敷があった。そして、今いる三の曲輪には城下の者たちが避難していたという。
 右の方を見ると厩(うまや)とサムレーの屋敷があり、高い物見櫓があって、その先は行き止まりになっていた。サハチたちはウミトゥクの案内で三の曲輪の左奥へと進んで行った。人混みの中をしばらく行くと、右側に二の曲輪へと続く御門があり、閉まっていた。御門から先はかなり広くなっていて、ハーリーを見るための階段状の物見台が作られてあり、そこは縄で囲まれていた。
「よく来たな」と声を掛けられて振り返るとシタルーがいた。王様の格好をしているのだろうと思っていたが、そんな事はなく、普段と変わらない格好だった。
「ウミトゥク、久し振りだな」とシタルーは娘との再会を喜んだ。
「ヂャンサンフォン殿もいらしてくれましたか。本場には負けますが、楽しんでいって下さい」
 シタルーはサハチたちを物見台の隣りにある仮小屋に連れて行った。招待された按司たちがいた。長卓(ながたく)を囲んで機嫌よさそうに酒を飲んでいる。
「おや、島添大里殿のお出ましか」と小禄按司(うるくあじ)が言った。
八重洲(えーじ)グスクの婚礼以来じゃのう。あのあと、どえらい事をやってくれたもんじゃ。まったく驚いたわ」
 嫌な雰囲気だった。小禄按司は武寧の従兄(いとこ)で、サハチを恨んでいるようだ。武寧の弟の米須按司(くみしあじ)と瀬長按司(しながあじ)、武寧の次男の兼(かに)グスク按司もいて、サハチの方を見ていた。特に睨んでいるというわけではないが、居心地はよくなかった。やはり、来るべきではなかったとサハチは後悔した。
「今日はお祭りです。過ぎた事は忘れて楽しくやりましょう」とシタルーが言った。
「そうじゃ。昔の事をとやかく言ってもしょうがない」と言ったのは具志頭按司(ぐしちゃんあじ)だった。
 具志頭按司はこの中では一番年長のようだ。口ではああ言っているが、島添大里按司だったヤフス(屋富祖)の義父だった。やはり、サハチを恨んでいるのかもしれない。
「そなた、八重瀬按司(えーじあじ)(タブチ)をすっかり手なずけたようじゃな。見事としか言いようがないのう」
 そう言ったのは米須按司だった。手なずけてなどいませんよと言おうとしたら、子供たちが大勢やってきた。子供たちを見ると皆、穏やかな顔付きになって子供たちを迎えた。皆、孫や子供を連れて来ているようだった。
 シタルーはいつの間にかいなくなっていた。サハチたちも長卓の周りにある腰掛けに腰を下ろして休んだ。ウミトゥクが気を利かせて酒とお菓子を持ってきた。サハチとクルーとヂャンサンフォンが一杯やっていると、妹のマチルーがやって来た。お嫁に行って以来の再会だった。
 マチルーはお腹が大きかった。お嫁に来て六年が経ち、奥方様(うなじゃら)としての貫禄も備わっていた。幸せそうな顔をしていたので、サハチは安心した。
「やっと来てくれたのね」とマチルーは言った。
 サハチは笑いながらうなづいた。
「来年はお父さんも連れて来てね」
「えっ、親父をか」
「もう三年も中山王(ちゅうさんおう)の龍舟(りゅうぶに)はないのよ。今、小禄按司が龍舟を出しているけど、やっぱり、中山王の龍舟がないと面白くないってみんな言っているわ」
「そうか。中山王の龍舟か‥‥‥」
「山南王もそれを望んでいるわ」
「シタルーもか」
 その事を親父に言えば、是非とも行こうと言うだろう。また、女たちを連れて行こうと言うに違いない。しかし、危険はないのだろうか。
「親父に相談してみるよ」とサハチは言った。
「お母さんにも会いたいわ。お母さんも一緒に来ればいいわ」
 王と王妃が一緒に来るとなると大事(おおごと)だった。
 マチルーはクルー夫婦と話をすると、またあとでと言って去って行った。マチルーと入れ替わるように李仲按司(りーぢょんあじ)が娘を連れて顔を出した。顔なじみのササとシンシンが李仲按司の娘と話し始めた。
 李仲按司がヂャンサンフォンの名を言って歓迎すると、「ヂャンサンフォン!」と誰かが大声で叫んだ。兼グスク按司だった。兼グスク按司は目の色を変えてやって来た。
「あのヂャンサンフォン殿なのですか」と兼グスク按司が誰にともなく聞いた。
武当山(ウーダンシャン)のヂャンサンフォン殿です」とサハチが答えた。
武当山‥‥‥懐かしい」
武当山に行ったのですか」とサハチが聞くと、
「ヂャンサンフォン殿を捜しに行ったのです。でも、会えなかった。まさか、琉球にいたなんて‥‥‥」と兼グスク按司は感動の面持ちでヂャンサンフォンを見ていた。
 フラフラしていて明国や朝鮮(チョソン)にも行った事があるとは聞いていたが、武芸に興味を持っていたとはまったく意外な事だった。
 兼グスク按司は島言葉とヤマトゥ言葉と明国の言葉まで混ぜて、ヂャンサンフォンを質問責めにしていた。
 突然、法螺貝(ほらがい)が鳴り響いた。
「始まるわ」とウミトゥクが言って、ササとシンシンを連れて物見台の方に向かった。按司たちも皆、子供たちに引っ張られて物見台に移動した。ヂャンサンフォンと真剣な顔して話し込んでいる兼グスク按司はハーリーどころではないようだが、話はまたあとにしようと言って、サハチたちも物見台に移った。
 物見台から国場(くくば)川に並んでいる四艘の龍舟がよく見えた。サハチは振り返って物見台の上の方を見た。ほとんどが子供たちだった。上段の中央にタルムイとマチルー夫婦の姿はあったが、シタルーはいなかった。武寧が生きていた頃は、上段に武寧とシタルーが並んで座っていたのだろうか。
 法螺貝がまた鳴り響いた。川を見下ろすと龍舟が一斉に走り始めた。鉦(かね)や太鼓の音が鳴り響いて、人々の声援も響き渡った。小禄按司は身を乗り出して、ひときわ大声で応援していた。いつも渋い顔をしている小禄按司のそんな姿は滑稽(こっけい)でもあったが、何となく、宇座の御隠居(うーじゃぬぐいんちゅ)(泰期)の息子らしいとも思えた。
 四艘の龍舟は抜きつ抜かれつしながら浮島の方へと向かって行った。龍舟の姿が見えなくなると、終わっちゃったと言いながら、子供たちは物見台から下りて、二の曲輪の石垣の近くにできている舞台の方に向かって行った。何か催し物が始まるのだろう。サハチたちは仮小屋に戻った。
 兼グスク按司の質問は続いて、ヂャンサンフォンは迷惑そうな顔もせずに答えていた。サハチとクルーは酒を飲みながら二人の話を聞いていた。ササとシンシンとウミトゥクは子供たちと一緒に舞台を見ていた。いつの間にか、シタルーも来ていて、按司たちと一緒に酒を飲んでいた。シタルーが李仲按司と一緒にサハチたちの所に来た。李仲按司も興味深そうにヂャンサンフォンの話に耳を傾けた。
 サハチはシタルーに誘われて仮小屋を出て、誰もいない物見台に行き、上段に座った。
 いい眺めだった。首里グスクがよく見えた。シタルーを見ると国場川を見下ろしていた。
「兄貴(タブチ)はまた明国に行ったらしいな」とシタルーは言って、サハチを見た。
 サハチはうなづいた。
「去年、中山が泉州の来遠駅(らいえんえき)に着いた時、すでに山南の者たちがいたのです。八重瀬按司が中山の船で来たので、山南の者たちと不穏な空気が流れたそうです。それで、サングルミー(与座大親)は八重瀬按司を来遠駅に残していったら騒ぎが起こると思って、応天府(おうてんふ)(南京)まで連れて行ったのです。明国の都を実際に見て、八重瀬按司も変わったのかもしれません」
「そうか。応天府まで行ったのか‥‥‥すると、今回も行く事になるな」
「山南の者たちが先に行っているので、八重瀬按司を応天府まで連れて行くように使者に頼みました」
「兄貴が考えを変えたか‥‥‥」
 そう言って、シタルーは苦笑した。
「親父に似てきたな」とつぶやいてサハチを見ると、「お前は武当山に行ったようだが、サングルミーとは別行動だったのか」と聞いた。
「去年の唐旅(とうたび)は、ファイチ(懐機)の里帰りだったのです。ファイチの両親は明国の内乱の時、殺されました。両親のお墓参りと親しかった友人に会うのが目的だったのです。友人にも会う事ができ、ファイチの師匠だったヂャンサンフォン殿にも会う事ができました。ファイチの両親のお墓は龍虎山(ロンフーシャン)にあって、道教の本山である龍虎山にも行って来ました」
「龍虎山か。行った事はないが、噂は聞いた事がある。応天府にも行ったのだろう」
「行きました。国子監(こくしかん)も見て来ましたよ。近くにある富楽院(フーレユェン)にも行きました」
 シタルーは笑って、「富楽院か。懐かしいな。サングルミーとよく一緒に行ったよ」
「やはり、そうでしたか」
「内乱の時も富楽院は無事だったんだな」
「内乱の時は皆、避難したそうですが、焼かれる事もなかったそうです」
「そうか。よかった」
「馴染みの妓女(ジーニュ)がいたのですね」
 シタルーはうなづいた。
「あの時、俺には五人の子供がいて、妻に任せっきりだったんだが、異国の地に来て、十歳も若いサングルミーと一緒になって遊んでいたんだ。妻には内緒にしてくれよ」
 シタルーはそう言ったが、サハチはシタルーの妻に会った事はなかった。シタルーの妻は武寧の妹だった。サハチを恨んでいるのに違いない。
「俺がハーリーを初めて見たのが、富楽院の隣りを流れている秦淮河(シンファイフェ)だったんだ。大勢の人が集まっていた。俺は国場川を思い出して、あそこでこれをやろうと決めたんだよ。来年のハーリーだが」と言ってシタルーはサハチの顔を見た。
「是非とも中山王に参加して欲しいんだ。ただ、ここに来るだけでなく、中山王として龍舟を出して欲しいんだ。色々と準備もあるので、誰か担当者を決めて、一月程前から準備に参加して欲しい。十三年前の一回目からずっと、中山王と山南王は参加していた。それが、三年前から中山王は参加していない。首里から見物に来る者も多くて、どうして中山王の龍舟がないんだと言っている‥‥‥二年前、お前に首里グスクを奪われて、俺はハーリーどころではなかった。ハーリーなんかもうやめてしまえと思ったんだ。しかし、庶民たちは毎年恒例のハーリーを楽しみにしているのでやめないでくれとあちこちから言われた。それでも、俺はやる気がなくて、タルムイに任せたんだ。タルムイの奴は豊見グスクの三の曲輪を庶民たちに開放した。マチルーから島添大里のお祭りの話を聞いて、そうしたと言った。今まで、豊見グスクはお祭りを主催していたが、庶民たちとは縁のない場所だった。王や按司たちの家族しか入れなかった。俺は様子を見に来て驚いた。グスクの中で子供たちが楽しそうに遊んでいた。すでに、ハーリーは庶民たちのものとなっていた事に気づかされたよ。そして、どんな事があっても、このお祭りは続けなければならないと思ったんだ。もう格式張った事はしない。中山王も孫たちを連れて、気楽にやって来てほしいんだ」
 サハチはシタルーを見つめた。何だか急に年齢(とし)を取ってしまったかのように思えた。
「わかりました」とサハチは言った。
「中山王に言えば、喜んで出て来るでしょう。じっとしているのが苦手な性分ですからね」
「頼む」とシタルーは頭を下げた。
 シタルーは立ち上がって海の方を眺めた。サハチも立ち上がって海を見た。キラマ(慶良間)の島々がよく見えた。
「丸太引きのお祭りも大盛況だったようだな。あれも毎年、やるつもりなのか」
「いえ」とサハチは首を振った。
 そんな事は考えてもみなかったが、毎年やるのも面白いかもしれないと思った。
 シタルーと別れて、仮小屋に戻ると兼グスク按司とヂャンサンフォンはまだ話し込んでいた。クルーの姿はなく、真壁按司(まかびあじ)が加わっていて李仲按司と話をしていた。
 しばらくして、子供たちがガヤガヤと戻って来た。舞台の催し物も終わったらしい。三人の子供を連れた美人が近づいて来て、兼グスク按司に声を掛けた。兼グスク按司の妻らしい。兼グスク按司の妻は山北王(さんほくおう)の妹だった。こんなにも美人だったなんて知らなかった。
 兼グスク按司は妻に先に帰るように言って、妻はうなづき、子供たちを連れて帰って行った。
 按司たちも腰を上げ、子供たちを連れて引き上げて行った。ササとシンシンとウミトゥクとクルーも戻って来たので、サハチたちも引き上げる事にした。
 兼グスク按司はグスクの外で待っていた兵たちを帰すと、たった一人でサハチたちに付いて来た。ヂャンサンフォンにもう少し聞きたい事があるという。まったく変わった男だった。
 帰り道に敵の襲撃があるかと思ったが、何事もなく、無事に島添大里に帰り着いた。ウニタキや奥間大親、苗代大親にも頼んで、周到な準備をしていたが、取り越し苦労に終わったようだった。

 

 

 

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2-28.久高島参詣(改訂決定稿)

 ヤマトゥ(日本)旅が決まって以来、マチルギは忙しい身ながら、ジクー(慈空)禅師からヤマトゥ言葉を習っていた。クマヌ(中グスク按司)やヒューガ(日向大親)と付き合ってきたので、しゃべる事は何とかでき、ひらがなも読めるが、漢字はまったく駄目だった。中山王(ちゅうさんおう)の世子妃(せいしひ)として、読み書きができなければみっともないと言って、真剣に習っていた。
 マチルギと一緒に行く事になったのは馬天(ばてぃん)ヌル、佐敷ヌル、フカマヌル、馬天若ヌルのササ、ウニタキ(三星大親)の妻のチルー、そして、女子(いなぐ)サムレーが十人だった。彼女たちを守るためにヒューガ、ジクー禅師、三星党(みちぶしとー)のイーカチ(絵描き)とヤマトゥ言葉がわかるシズ(志津)が行き、ヂャンサンフォン(張三豊)とシンシン(杏杏)も行く事になった。
 マチルギはファイチ(懐機)の妻のヂャンウェイ(張唯)も誘ったのだが、ヂャンウェイはヤマトゥに行くより、一度、明国(みんこく)に帰りたいと言った。マチルギは任せておいてとファイチと掛け合って、ヂャンウェイと子供たちの明国行きの許しを得た。勿論、メイファン(美帆)の事で脅したのだった。ヂャンウェイたちは三姉妹の船が来たら、それに乗って里帰りする事に決まった。
 龍虎山(ロンフーシャン)にいるヂャンウェイの父親も娘と孫が帰って来たら大喜びするだろう。サハチ(島添大里按司)はヂャンウェイの父親に代わってマチルギにお礼を言った。そして、マチルギにやり込められているファイチを想像するとおかしかった。
 ヒューガは突然、ヤマトゥに行く事になって驚いたが、二十年振りのヤマトゥを見て来るのも今後のためになるかもしれないと引き受けてくれた。ヂャンサンフォンを誘ったのはヒューガで、旅の間、ヂャンサンフォンから武芸を習おうと張り切っていた。ヒューガはすでに五十歳を過ぎている。武芸の腕も一流なのに、さらに学ぼうとしている姿勢には、サハチも頭が下がる思いがした。
 シンシンを誘ったのはササだった。一緒に琉球を旅して以来、二人はいつも一緒にいた。ササのお陰で、シンシンの島言葉は琉球に来てから半年余りとは思えないほどに上達していた。佐敷グスクの東曲輪(あがりくるわ)で、シンシンは娘たちに『武当拳(ウーダンけん)』を教えていて、島添大里(しましいうふざとぅ)の娘たちも、武当拳が習いたくて、佐敷まで通っていたらしい。その話を佐敷ヌルから聞いて、サハチは島添大里グスクで娘たちに武当拳を教える事になってしまった。佐敷ヌルも娘たちと一緒に真剣に習っていた。
 フカマヌルを誘ったのはマチルギだった。首里(すい)グスクと勝連(かちりん)グスクのマジムン(悪霊)退治で共に戦ったし、義理の妹でもあるので声を掛けたのだった。フカマヌルは大喜びして一緒に行くと言った。
 フカマヌルのヤマトゥ行きを知って驚いたのはウニタキだった。フカマヌルが妻のチルーと一緒に旅をするなんて考えてもいない事だった。ウニタキは久高島(くだかじま)に行き、フカマヌルに妻の事を話して、絶対に秘密にしてくれと頼んだ。フカマヌルは心配しないで、内緒にしておくわと言った。二人の関係を知っているのはサハチと馬天ヌルだけなので、大丈夫だと思うが心配だった。半年間の長い旅で、二人が仲よくなって、チルーが感づいてしまう事も考えられる。ウニタキは何事も起こらないようにと久高島の神様に祈った。
 浦添按司(うらしいあじ)は當山親方(とうやまうやかた)に決まった。話を聞いて、當山親方は信じられないといった顔をしていた。自分が按司になるなんて思ってもいなかったという。
 大(うふ)グスク按司の武術師範だった美里之子(んざとぅぬしぃ)の次男に生まれた當山親方は、大グスク合戦で絶えてしまった母親の実家、當山家を継いで當山之子を名乗った。祖父の當山大親は大グスク按司を支えていた有能な武将だった。大グスク按司は當山大親の死を隠していたが、島添大里按司汪英紫)に知られ、大グスク合戦となり、大グスク按司は滅ぼされてしまった。中山王の重臣の一人となった當山親方は、祖父に顔向けができると満足していた。それなのに、按司になるなんて、まるで夢を見ているようだと喜んで引き受けてくれた。
「叔父上、あのグスクを片付けるのは容易の事ではありません。きっと、いやな夢を見ていると思うでしょうが、よろしくお願いします」
「なに、按司になれると思えば、そんな事は何でもない。部下の兵たちと力を合わせて、立派なグスクに再建してみせる」
 浦添按司になった當山親方は、二番組のサムレーたちを引き連れて浦添に向かった。空席となった二番組は三番組の兼久親方(かにくうやかた)を任命し、それぞれ、番号を繰り上げて、九番組に島添大里の一番組大将の外間之子(ふかまぬしぃ)(マニウシの次男)を入れ、島添大里の三番組には苗代大親(なーしるうふや)の次男、サンダー(三郎)を入れた。サンダーは祖父のキラマにちなんで、慶良間之子(きらまぬしぃ)を名乗った。外間之子は配下の百人を率いて首里(すい)に移り、慶良間之子が率いる島添大里の三番組は、キラマの島から新たに呼んだ若者たちで編成した。
 二月の末、サハチは苗代大親とウニタキと一緒に、三月三日に予定されている久高島参詣の道筋の下見をした。中山王の命を狙う者が隠れそうな場所を見つけて、警戒しなければならなかった。サハチも警固をするつもりでいたのに、父の思紹(ししょう)から留守番を頼まれた。もし、何かがあった場合、思紹とサハチが一緒に行動するのはうまくないと言う。確かに、父の言う通りだった。当日、動く事ができないので、それ以前に、できるだけの事はしておきたかった。
 首里から与那原泊(ゆなばるどぅまい)までは、ゆっくり歩いても半時(はんとき)(一時間)余りで行ける距離だった。与那原からはヒューガ率いる水軍に警固された船に乗って久高島に渡る。海上の事はヒューガに任せれば大丈夫だろう。久高島は前日に兵を送って調べれば何とかなる。狭い島なので、よそ者が来ればすぐにわかるはずだ。問題は首里から与那原泊までの間だった。
 サハチ、ウニタキ、苗代大親の三人は十人の兵を連れて、馬に乗って出掛けた。
 いい天気で、『うりじん』と呼ぶにふさわしい陽気だった。去年の今頃は明国にいたと思うと、一年が過ぎるのは速かった。
「もし、中山王を襲う者がいるとしたら、そいつは何者なんじゃ?」と苗代大親が誰にともなく聞いた。
「山南王(さんなんおう)、山北王(さんほくおう)、それと、武寧(ぶねい)(先代中山王)の残党でしょう」とウニタキが答えた。
「山南王と山北王が兄貴の命を狙うかのう」と苗代大親は首を傾げた。
「兄貴がいなくなってもサハチがいる。城下の者たちの噂を聞いたんじゃが、皆、兄貴がキラマで一千の兵を育てていた事は知らん。隠居して気ままに旅をしていたと思っている。中山王は飾りに過ぎん。実際の実力者はサハチだと言っていた。山南王も山北王も同じように考えているんじゃないかのう。飾り物を殺した所でどうにもならん。お前の命を狙っているかもしれんぞ」
 苗代大親はサハチを見た。
「俺が狙われているのですか‥‥‥」
 そう言われてみれば、その可能性は高かった。今まで気がつかなかったが、敵の立場に立ってみれば、親父よりも俺の命を狙うはずだった。そうなれば、今も危険が迫っていると言える。
 サハチは辺りを見回した。
 そんなサハチを見て、ウニタキが面白そうに笑った。
「お前が一番、自分の事をわかっていない。師範の言う通り、お前が一番、狙われているんだよ」
「そんな事を言われたら気楽に外に出られなくなる」
 ウニタキはまた笑った。
「お前の周りには常に、三星党と奥間(うくま)の者たちが守っている。安心しろ」
「すると今も付いて来ているのか」
「当たり前だ」
「すまんな。自由に動けるように、親父に中山王になってもらったんだが、俺が動くとみんなに迷惑がかかるのか」
「何を言っているんだ? 誰も迷惑などと思ってはおらん。返って、じっとしていたら、奴らは退屈してしまう」
 笑いながら話を聞いていた苗代大親は話を戻すと、「結局、中山王を狙う奴らはおらんのじゃないのか」とウニタキに聞いた。
「武寧の残党どもが敵討(かたきう)ちのために中山王を狙う可能性はあります」
「敵討ちか‥‥‥しかし、残党どももそれほどいるまい」
「武寧の三男がまだ生きています。どこに逃げたのかわかりませんが、奴が生きている限り、安心はできません」
「武寧の三男というのは、浦添グスクにいなかった奴だな」
「そうです。留守を弟たちに任せて、女に会いに行っていたそうです」
「くだらん男だな。敵討ちをする度胸なんてあるまい」
「本人になくても、残党どもに旗頭(はたがしら)にされます」
「そうじゃな」
「三男で思い出したんだが、望月党の三男もまだ生きているはずだな」とサハチはウニタキに言った。
「ああ、望月ヌルの話だと当時、十四歳だったというから、今は十七だ。そろそろ、出て来るかもしれん。母親は勝連按司(かちりんあじ)の娘で、一応、俺の姉に当たる。勝連グスクを取り戻そうとするかもしれん」
「望月党とは何の事だ?」と苗代大親が聞いた。
 ウニタキが説明した。
「勝連にそんな組織があったのか。知らなかった。それで、ウニタキが三星党を作ったんじゃな」
「そういう事です」
 首里の高台を下りると左側に新川森(あらかーむい)の山がある。
「まず、第一に危険なのは新川森だな」と苗代大親が言った。
「この山には首里の兵を百人、待機させましょう」とサハチは言った。
 苗代大親はうなづいた。
 新川森の山裾を左に見ながら進み、しばらく行くと左側に小高い丘があった。樹木か鬱蒼(うっそう)と茂り、ここも危険だった。
「ここにも兵を置くか」と苗代大親が聞いた。
 サハチは振り返って、新川森を見た。大して離れていなかった。
「新川森の兵に調べさせれば大丈夫でしょう」
「そうじゃな」と苗代大親も納得した。
 点在している田畑を見ながら進むと川に出た。川には丸木橋が架かっていた。川を覗くと、水量はあまりなく、橋を渡らなくても通れそうだった。ただ、所々に草むらがあり、敵が隠れる場所はあった。
「ここを通る前に先発隊に調べさせた方がいいな」とウニタキが言った。
 サハチと苗代大親はうなづいた。
 橋を渡ると運玉森(うんたまむい)が近くに見えてくる。
「やはり、ここが一番、危険だろう」とウニタキが言った。
 運玉森は重要な拠点として、マジムン屋敷のある山頂一帯は立ち入り禁止にしてあるが、山裾は広く、隠れる場所はいくらでもあった。
「ここには島添大里の兵百人を入れよう」とサハチは言った。
「それがいいのう。本隊の百と新川森の百、運玉森の百で、総勢三百いれば、何とかなるじゃろう」
 ここまで来れば与那原泊はすぐそこだった。与那原泊にはヤマトゥの商品を入れる倉庫があって、その商品は山南王のシタルーとの取り引きに使われた。その倉庫を守るために、島添大里の兵が守っていた。
「久し振りに登ってみんか」と苗代大親が運玉森を見ながら言った。
 サハチとウニタキはうなづいて、運玉森へと向かった。ウニタキはマジムン屋敷を拠点にしているので、何度も来ているだろうが、サハチと苗代大親首里を攻めた時以来で、二年振りの事だった。
 二年前に通った道も草が茫々(ぼうぼう)と生えていた。マジムン屋敷の隣りにある広場も草茫々だった。キラマから来た若者たちが木を切り倒して整地した広場が哀れな姿になっていた。マジムン屋敷だけが、二年前と同じように建っている。
「初めてこの屋敷を見た時、驚いたぞ」と苗代大親が言った。
「こんな山の中にこんな立派な屋敷があるとは思わなかった。あの時、この屋敷のいわれを聞きたかったんじゃが、そんな余裕はなかった。どんないわれがあるんじゃ?」
「ここを見つけたのはヒューガ殿です」とサハチが言って、説明した。
「ほう、察度(さとぅ)(先々代中山王)がここから島添大里グスクを攻めたのか。そうなると、もう五十年以上も前の事じゃな」
「そうです。何度も焼かれそうになりましたが、それに耐えて、こうして今も建っています」
「マジムン屋敷か‥‥‥マジムンが住んでいるのじゃなくて、この屋敷がマジムンなんじゃな」
「そうとも言えません。ここに住んでいるのはウニタキですから、マジムンかもしれません」
「おい、俺をマジムンにするな」とウニタキが言って笑った。
 連れて来た兵たちを休ませ、サハチたちもマジムン屋敷に入って一休みした。
 三月三日、思紹は女たちを連れて、首里グスクを出発した。その行列を見ようと朝早くから見物人たちが首里グスクの大御門(うふうじょー)前に集まっていた。
 武装した苗代大親とマチルギが馬に乗って先頭を行き、そのあとに五十人の兵が続く。兵の後ろに馬天ヌルが率いる首里のヌルたち十人が続く。ヌルたちも勇ましく武装していた。そして、思紹のお輿(こし)、王妃のお輿、八人の側室たちのお輿と続いて、きらびやかなお輿の脇には侍女と女子サムレーが左右に一人づつ従っている。お輿が過ぎると赤、青、緑の涼傘(りゃんさん)を持った男たちが従い、その後ろに五十人の兵が続いて、最後尾に貫禄のある武将が馬に乗っていた。鎧(よろい)に身を包んで、兜(かぶと)をかぶり、頬当(ほおあ)てをしているので顔はわからないが、実は思紹だった。思紹の代わりにお輿に乗っているのはヂャンサンフォンだった。
 久高島参詣の行列は城下の人たちに見送られて、ゆっくりと与那原泊へと向かって行った。
 サハチは北曲輪(にしくるわ)で一行を見送ると、百浦添御殿(むむうらしいうどぅん)の二階に戻った。ジクー禅師と囲碁をしながら、ヤマトゥの寺院にある楼閣の事を聞いていた。
「楼閣と言えば、博多の妙楽寺の『呑碧楼(どんぺきろう)』でしょうな」とジクー禅師は言った。
 博多の『呑碧楼』の事はヤマトゥに行った弟や息子たちから聞いていた。博多に行って、まず驚いたのが『呑碧楼』だと誰もが言った。サハチが行った頃には、妙楽寺はあったが『呑碧楼』はなかった。
「呑碧楼は戦で焼け落ちたのを九州探題(たんだい)だった今川了俊(りょうしゅん)が再建しました。五十年ほど前に、当時の九州探題だった一色(いっしき)氏が妙楽寺を建てた時、明国の楼閣を真似して建てたようです。いや、その頃は明国ではなくて、元(げん)の国でしたな。元の国から来た禅僧が博多にいたようです」
 サハチは各地で見た明国の楼閣を思い出して、あんな大きな建物が博多にできたのかと驚いていた。
「京都のお寺にも五重の塔や七重の塔があると聞きましたが」とサハチが言うと、
「あれは仏様の遺骨を祀る仏舎利塔(ぶっしゃりとう)です」とジクー禅師は言った。
「外見は五階建てに見えますが、実際には上に登る事はできないのです」
「そうなのですか」
相国寺(しょうこくじ)に七重の塔があって、上まで登れたようだが、雷が落ちて焼けてしまった。北山(きたやま)に再建するとか噂に聞いたがどうなった事やら」
「北山という所に高さが三十丈(じょう)(約九十メートル)余りもある七重の塔があったとヤマトゥ旅から帰った弟のクルーが驚いていました」
「そうか。やはり建てたのか」とジクー禅師は苦笑した。
「最近、北山殿(きたやまどの)(足利義満)が建てた金閣も楼閣と言えるかもしれませんな」
金閣?」
「金色に輝く三層の楼閣のようです」
「金色の楼閣か‥‥‥」
 サハチは首里グスクの西曲輪(いりくるわ)に金色に輝く楼閣が建つ姿を想像してみた。豪華で目立つが、このグスクには似合わないような気がした。やはり、赤と黒首里天閣(すいてぃんかく)の方が似合いそうだと思った。
 囲碁に熱中しているうちに、一時(いっとき)(二時間)近くが過ぎて、今頃、久高島に向かう船の中だなと思っていた時、三星党のイーカチがやって来た。
「無事に船に乗ったか」とサハチが聞くと、イーカチはうなづいたが顔付きは暗かった。
「どうした? 何かあったのか」
「敵が現れました」
「なに? 襲われたのか」
「王様(うしゅがなしめー)も女たちも無事です。しかし、十五人の兵が亡くなって、十数人が負傷しました」
「十五人が亡くなった‥‥‥」と言って、サハチはジクー禅師と顔を見合わせて驚いた。
「詳しく聞かせてくれ」
 新川森の裾野を過ぎて、しばらく行った時、左側の森の中から敵が襲撃して来たという。
 新川森で待機していた伊是名親方(いぢぃなうやかた)(マウー)はその森を偵察するために十人の兵を送った。いつまで経っても連絡がないので、おかしいと思い、さらに五人の兵を送ったが、その兵もなかなか戻って来なかった。伊是名親方はあの森は危険だと苗代大親に伝えた。苗代大親はマチルギと相談して、敵を警戒しながら先に進んだ。伊是名親方の兵は、思紹の後ろに付いて来た。
 攻めて来た敵の数はおよそ百人、馬に乗っている武将も十人ばかりいた。敵の襲撃を知るとお輿から下りたヂャンサンフォンの指示で、お輿を円形に並べ、その中に女たちは避難した。ヂャンサンフォンとマチルギ、女子サムレーはお輿の外に出て近づいて来る敵と戦った。イーカチも女たちを守るために戦った。
 運玉森から苗代之子(なーしるぬしぃ)(マガーチ)の兵も加わったので、敵の半数以上は討ち取ったが、大将らしき奴には逃げられた。今、ウニタキが追っているという。
 敵が逃げ散ったあと、その森に行ってみると偵察に入った兵は皆、殺されていた。
「そうか、十五人も戦死したか‥‥‥」
 サハチはあの森にも百人の兵を入れるべきだったと後悔した。
「あとは皆、無事だったのだな」
「負傷した者たちも重傷といえる者はいません。女子サムレーも何人か負傷しましたが、かすり傷だと言って、久高島に行きました」
「マチルギも無事か」
「奥方様(うなじゃら)は凄かったです。あんなに強いとは知りませんでした。近寄る敵は皆、倒れていました」
 サハチは苦笑して、「親父も無事だったんだな?」と聞いた。
「王様は苗代大親殿と一緒に大暴れでしたよ。敵の中に突入して、片っ端から倒していました」
 サハチはまた苦笑して、「ジルムイとマウシは大丈夫だったか」と聞いた。
「無事です。見事に初陣(ういじん)を飾りました。二人とも落ち着いていましたよ。ヤマトゥ旅で初陣は済ませたと言っていましたが、ヤマトゥで戦にでも出たのですか」
「海賊退治をしたらしい」
「海賊ですか」と言って、イーカチは目を細めた
「敵は何者だったんだ?」とサハチは聞いた。
「武寧の残党のようです。捕まえた者が白状しました」
「そうか‥‥‥武寧の残党が百人もいたとは驚きだな」
「ええ、驚きました。山南王の兵が攻めて来たと思いましたよ」
「シタルーはそんな無茶はするまい」
 イーカチはサハチにうなづいたあと、「ヂャンサンフォン殿ですが、凄い人ですね」と言った。
「あの人は武器を持ってはいませんでした。しかし、近づいて来る者たちは皆、倒れました。敵に斬られそうになった女子サムレーがいたのですが、ヂャンサンフォン殿が気合いを掛けると吹き飛ばされたように飛んで行って、あとは動かなくなりました。あんな凄い術を見たのは初めてです」
 サハチは笑った。
「あの人は明国では武術の神様なんだ。皇帝でさえ会いたがっているんだけど、あの人は面倒くさがって、琉球に逃げて来たんだよ」
「武術の神様‥‥‥まさしく、神様ですね」
 次の日、思紹たちは久高島参詣を終えて帰って来た。楽しい旅になるはずだったが、敵の襲撃に遭ったため、皆、暗い表情だった。それでも、マチルギの話によると、女たちは皆、久高島に行って喜んでいたという。馬天ヌルに連れられてフボーヌムイ(フボー御嶽)でお祈りをして、海に出て遊び、捕れ立ての魚貝を食べて、皆、充分に満足していると言った。
 戦死した兵たちの葬儀が終わった頃、ウニタキが戻って来た。
「俺の失敗だ。敵に逃げられちまった」とウニタキは言った。
「捕まえた奴を白状させて、大将の名がようやくわかった。イシムイ(石思)という名で、やはり、武寧の三男だった」
「やはり、奴だったのか」
「奴の母親はタブチ(八重瀬按司)とシタルーの姉だ。浦添グスクが焼け落ちたあと八重瀬(えーじ)に逃げている。シタルーとは気が合わないのか、タブチを頼っている。妻は玉グスク按司の娘で、玉グスクに帰っている。タブチと玉グスク按司が、イシムイに関わっているとは思えない。兄の兼(かに)グスク按司、叔父の瀬長按司(しながあじ)、そして、叔父のシタルーが陰ながら援助していたかもしれんな」
「シタルーか‥‥‥シタルーなら利用するだろうな。しかし、武寧の残党が百人もいたとは驚いた」
「浮島を守っていた奴らが合流したようだ」
「浮島の兵だったのか‥‥‥」
 サハチたちが首里グスクを奪い、浦添グスクを焼き討ちにした時、武寧の兵は浮島にも百人いた。ファイチからその事は聞いていたが、浮島で戦をするわけにもいかず、ファイチに任せたのだった、ファイチは浮島を守っている大将を知っていた。アランポー(亜蘭匏)とつるんで、あくどい事をしている悪い奴だと言った。ファイチはアランポーが呼んでいるとその大将を呼び出して退治した。兵たちは浦添にいる家族のもとへ返したという。残党狩りの時、浮島にいた兵たちを何人か捕まえて、首里の人足に送ったが、半数以上の者たちが家族を連れて逃げて行ったのだった。
「浮島の奴らも今回の戦で半数以上は戦死した。イシムイと一緒に逃げたのは十数人に過ぎん。奴らはヤンバル(琉球北部)まで逃げて行った。もしかしたら、今帰仁(なきじん)にいる姉の山北王妃と妹の浦添ヌルを頼って行ったのかもしれんな」
「山北王か‥‥‥」
 亡くなった兵たちの敵(かたき)を討ちたいが、ヤンバルまで逃げてしまったのならお預けだった。まだ、山北王攻めの準備はできていない。今はじっと我慢するしかなかった。
 ヂャンサンフォンの活躍は噂になって広まった。久高島から帰って来ると、ヂャンサンフォンは首里のサムレーたちに武当拳を教える事になった。ヂャンサンフォンは喜んで引き受け、島添大里から毎日、首里まで通っていた。首里に屋敷を用意すると言ったら、運玉森ヌル(先代サスカサ)がいる島添大里がいいと言う。サハチはヂャンサンフォンのために馬を用意した。


  

 

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