長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

2-144.無残、島尻大里(改訂決定稿)

 三月十日の早朝、他魯毎(たるむい)(豊見グスクの山南王)の兵と山北王(さんほくおう)(攀安知)の兵によって島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスクの総攻撃が行なわれた。
 本部(むとぅぶ)のテーラー(瀬底之子)率いる山北王の兵二百人が大御門(うふうじょー)(正門)の前に陣を敷いて、他魯毎が率いる豊見(とぅゆみ)グスクの兵二百人が東曲輪(あがりくるわ)の御門(うじょう)の前に陣を敷き、諸喜田大主(しくーじゃうふぬし)が率いる山北王の兵二百人が西曲輪(いりくるわ)の御門の前に陣を敷いた。裏御門のある北側は他魯毎重臣たちの兵三百人が、敵が逃げ出して来ないように見張っていた。
 グスク内に避難民たちがいないので、炊き出しの様子は見られないが、石垣の上を守っている兵たちは疲れ切っているようだった。すでに兵糧(ひょうろう)は尽きたものと判断した他魯毎テーラーは総攻撃に踏み切った。
 テーラーは新兵器を用意していた。頑丈な荷車に太い丸太を乗せて固定して、敵の弓矢を防ぐために鉄板を張った屋根を付け、その荷車の中に八人の兵が入って荷車を動かすのだった。新兵器は二台あって、大御門と西曲輪の御門の前に置かれた。
 それを見た他魯毎の兵たちは驚いた。あれで御門に突っ込めば御門は壊れるに違いないと誰もが思った。他魯毎は山北王があんな新兵器を隠し持っていた事に驚いたが、山北王に負けてなるものかと身を引き締めて、兵たちに活を入れた。
 法螺貝(ほらがい)の響きと同時に総攻撃が始まった。新兵器の丸太車が御門を目掛けて突っ込んで行った。御門の上の櫓(やぐら)から弓矢が雨のように飛んで来たが、鉄の屋根に当たってはじかれた。一度目の突撃では御門は壊れなかった。丸太車を援護するため、楯(たて)を持って兵が進み出て、櫓と石垣の上の兵を弓矢で狙った。丸太車に気を取られている敵兵は次々に倒れていった。
 二度目の突撃でも御門は壊れなかったが、三度目の突撃で西曲輪の御門が壊れて、丸太車はそのままグスク内に入って行った。諸喜田大主率いる兵たちが喊声(かんせい)を上げながら西曲輪に突入して行った。
 大御門も四度目の突撃で壊れた。テーラー率いる兵たちがグスク内になだれ込んで行った。
 他魯毎の兵たちはグスク内に攻め込む山北王の兵たちを横目で見て、敵の弓矢を楯で防ぎながら攻撃を続けていた。突然、敵の攻撃がやんだ。御門の上の櫓の敵も石垣の上の敵も姿を消した。
「突撃!」と他魯毎は叫んだ。
 梯子(はしご)を持った兵が飛び出して石垣に取り付いた。敵の攻撃はなかった。兵たちが梯子を上っていた時、御門が開いた。武器を捨てた敵兵が両手を上げて出て来た。
 他魯毎は出て来た敵兵を捕虜として確保するようにサムレー大将の我那覇大親(がなふぁうふや)に命じて、兵たちと一緒にグスク内に突入した。
 東曲輪内にいた兵たちはサムレー大将の新垣之子(あらかきぬしぃ)が率いていた兵たちで、皆、武器を捨てて投降した。成り行きから他魯毎に敵対する事になってしまったが、皆、他魯毎の父親に従っていた兵たちだった。すでに負け戦と決まった今、他魯毎に敵対する理由もなかった。新垣之子は新垣按司の甥だった。
 他魯毎は投降した者たちを一か所に集めた。百人近くの兵がいた。
 東曲輪には御内原(うーちばる)があり、侍女や城女(ぐすくんちゅ)たちの屋敷があった。他魯毎は女たちを保護した。御内原にいたのは摩文仁(まぶい)(島尻大里の山南王)の妻と山グスク大主(うふぬし)(先代真壁按司)の妻と中座大主(先代玻名グスク按司)の妻、摩文仁の娘の島尻大里ヌル(先代米須ヌル)と慶留(ぎる)ヌルだった。
「ここをどこと心得る。不届き者め、出て行け!」と摩文仁の妻はわめいた。
「ここはわたしの母の住まいだった。勝手に上がり込んで好き勝手な事をしておるのはどっちだ」
 摩文仁の妻たちは母が大事にしていた着物や髪飾りを身に付けていた。他魯毎は怒りが込み上げてくるのを必死に抑えて、「この者たちを捕まえろ」と兵たちに命じた。
 島尻大里ヌルと慶留ヌルは二の曲輪内にあるヌルの屋敷にいた。朝早くから法螺貝が鳴り響いて、御門に何かが当たる物凄い音がして、危険が迫ってきたのを察して御内原に逃げて来ていた。他魯毎は二人も捕まえた。
 東曲輪では戦う事なく制圧できたが、石垣を隔てた隣りの一の曲輪では地獄絵さながらの悲惨な状況に陥っていた。
 一の曲輪を守っていたのはサムレー大将の高良之子(たからぬしぃ)率いる百人の兵と、武術師範の真壁大主(まかびうふぬし)率いる五十人の兵だった。真壁大主が率いている兵は島尻御殿(しまじりうどぅん)や北の御殿(にしぬうどぅん)などの屋敷を警護していた。
 大御門から二の曲輪に突入したテーラー率いる山北王の兵たちは二の曲輪内の敵兵を倒して、一の曲輪の御門を破壊して一の曲輪に突入した。山北王の兵たちは刃向かって来る敵は勿論の事、逃げ回る敵も容赦なく殺し回った。グスクを守っていた高良之子率いる兵たちを倒した山北王の兵たちは、摩文仁がいる島尻御殿に突撃した。そこに立ちはだかったのは真壁大主だった。
 真壁大主の素早い太刀さばきによって、山北王の兵は次々に倒された。テーラーもかなわぬとみて、三人の兵に弓矢で狙わせた。同時に三か所から飛んで来る矢を真壁大主は見事に刀で払った。そして、懐(ふところ)から出した石つぶてを打って、弓を構えた三人の兵を倒した。
 テーラーは十人の兵に弓矢で狙わせた。真壁大主は素早く石つぶてを投げて四人の兵を倒し、三本の矢を払ったが三本の矢は防げなかった。次々に撃たれる弓矢が真壁大主の体に刺さった。頭にも顔にも刺さり、弓矢だらけとなった真壁大主は立ったまま息絶えた。
 真壁大主がやられると、敵兵は戦意をなくして武器を捨てたが、山北王の兵たちは投降を許さず、斬り捨てた。
 島尻御殿の二階に武装した摩文仁と山グスク大主と中座大主がいた。三人の老将はよく戦ったが、次から次へと掛かってくる敵兵には勝てず、皆、討ち死にした。摩文仁を討ったのはテーラーの弟の辺名地之子(ひなじぬしぃ)だった。
 摩文仁は腰に察度(さとぅ)(先々代中山王)の御神刀(ぐしんとう)を差していたが、それは使わずに敵から奪い取った刀を持って死んでいた。不思議な事に摩文仁が御神刀を抜こうとした時、抜く事ができなかったのだった。
 テーラーたちが島尻御殿の中で、摩文仁たちを倒していた時、諸喜田大主が率いる兵たちは西曲輪にいた敵を倒して、客殿の中に侵入していた。客殿の中には『若夏楼(わかなちるー)』の遊女(じゅり)たちが避難していた。遊女たちは悲鳴を上げて大騒ぎした。諸喜田大主は、女子(いなぐ)には手を出すなと命じて、客殿から出て、一の曲輪に攻め込んだ。御庭(うなー)に入って、テーラーが島尻御殿を攻めているのを見た諸喜田大主は北の御殿に突入した。
 北の御殿には新年の行事に参加していた役人たちがいた。グスクに閉じ込められてしまったため、ここで寝泊まりしながら仕事をしていた。役人たちは武装もしてなく、抵抗もしなかったが、すべての者が無残に斬られた。
 一の曲輪の南の御殿(ふぇーぬうどぅん)の大広間には正月半ばの合戦で負傷した兵たちがいたが、諸喜田大主も負傷兵を殺す事はなかった。
 東曲輪から他魯毎が兵を率いて一の曲輪に入った時、すでに戦は終わっていた。他魯毎は島尻御殿の裏側にある書斎の横から一の曲輪に入って行った。あちこちに敵兵の死体が悲惨な姿で転がっていた。島尻御殿の北側を通って御庭に出ると、島尻御殿の前に弓矢だらけの真壁大主が倒れていた。
「お師匠!」と叫んで数人の兵が真壁大主に近寄って、壮絶な死に様に涙した。
 島尻御殿の中は死体だらけだった。他魯毎は呆然として死体を眺めた。敵には違いないが、皆、父に仕えていた兵たちだった。
 テーラーが二階から降りて来た。
「偽者は倒したぞ」とテーラーは言った。
 他魯毎はうなづいて、二階に上がった。
 二階には玉座(ぎょくざ)があって、山南王(さんなんおう)が重臣たちに重要な命令を伝える時に使われた。その玉座の近くに摩文仁は倒れていた。首から斜めに斬られていて、辺りは血だらけだった。摩文仁の周りに十人近くの死体が転がっていた。皆、とどめを刺されたとみえて、うめいている者はいなかった。山グスク大主と中座大主の死体もあった。二人とも何か所も斬られて死んでいた。
 他魯毎はふと摩文仁が腰に差している刀に気づいた。父が大事にしていた祖父の刀だった。どうして、摩文仁が差しているのかわからなかったが、他魯毎摩文仁の腰から刀をはずして、鞘(さや)から抜いてみた。刃は綺麗だった。摩文仁を見ると別の刀を持っていた。どうして、この刀を使わなかったのかわからないが、刃が汚れていなくてよかったと安心した。
 他魯毎は山南王の執務室に行き、刀掛けにある刀をはずして、祖父の刀を元に位置に戻した。執務室には死体はなく、荒らされてもいなかった。
 他魯毎が御庭に戻ると、他魯毎の兵たちが整列していて、他魯毎を迎えて勝ち鬨(どき)を上げた。手を振り上げて叫んでいる兵たちを見ながら、長かった戦がようやく終わったと他魯毎は実感していた。
 テーラーが近づいて来て、書庫の床下に三人の死体があったと伝えた。
米蔵に火を掛けた三人ではないのか」とテーラーは言った。
 他魯毎テーラーと一緒に見に行った。書庫の脇に三人の死体はあった。一人の顔に見覚えがあった。李仲按司(りーぢょんあじ)の配下のサムレーだった。やせ細っていて餓死(がし)したようだった。他魯毎は三人に両手を合わせて冥福(めいふく)を祈った。
 テーラーが御庭に戻ったあと、サムレー大将の東江之子(あがりーぬしぃ)が来て、「北の御殿が大変です」と他魯毎に告げた。
「そう言えば、波平大親(はんじゃうふや)の姿がなかったな」と他魯毎は言った。
「北の御殿にいるかもしれません。ただ、役人たちは皆、殺されています」
「何だと!」
「武器を持っていない役人たちを山北王の奴らは殺したのです」
「何という事だ‥‥‥」
 他魯毎は島尻御殿の裏を通って、北の御殿に行った。見るに堪えないひどい有り様だった。戦とは関係なく働いていた者たちなのに、皆殺しにされていた。重臣たちの執務室を覗くと、ここまで逃げて来て殺されたのか、五人の死体が転がっていた。
「波平大親を探せ!」と他魯毎は東江之子に命じた。
 東江之子が転がっている死体を調べて執務室から出て行こうとしていた時、波平大親が現れた。
「おお、無事だったか」と他魯毎は波平大親に駆け寄った。
 波平大親は力なく笑って、「テハが使っていた隠し部屋に隠れていて助かりました」と言った。
「そうか。無事で本当によかった」
「しかし、ここで働いていた者たちを助けられなかった。山北王はひどい事をする。他魯毎殿が山南王になっても、勢力が弱まるように役人たちを皆殺しにしろと命じたようです」
「何だって?」
「ここに攻め込んだのは今帰仁(なきじん)から来たサムレー大将で、テーラーと言い争いをしていました。テーラーが兵以外の者は殺すなと言ったら、そのサムレー大将は山北王から命じられたと言ったのです」
「ひどい奴だ」と他魯毎は死体を見ながら首を振った。
 他魯毎は顔を上げて、波平大親を見ると、
「長い間、御苦労様でした」とねぎらった。
「蔵を守るのがわたしの仕事ですから」と波平大親は苦笑した。
 波平大親はシタルー(先代山南王)が大(うふ)グスク按司になった時からシタルーに仕えて、シタルーが山南王になった時に財政を管理する重臣になった。山南王の財政を管理していたので、タブチや摩文仁に従ったというよりも、山南王の財産を守るために島尻大里グスクから離れる事はできなかった。山南王妃もその事を理解していて、他魯毎に波平大親は必ず、助け出せと命じていた。


 島尻大里グスクが落城した翌日、山グスクにいたサハチ(中山王世子、島添大里按司)は八重瀬(えーじ)グスクの本陣に呼ばれた。サハチはウニタキ(三星大親)と苗代大親(なーしるうふや)と一緒に八重瀬に向かった。
 サハチたちは奥間大親(うくまうふや)から島尻大里グスクが落城して、摩文仁が戦死した事を聞いた。
テーラーが内緒で作っていた新兵器が活躍したようじゃ」と思紹(ししょう)(中山王)が言った。
「その兵器は話に聞いた事があります。かなり昔に使われた兵器です」とファイチ(懐機)が言った。
「山北王の軍師にリュウイン(劉瑛)という唐人(とーんちゅ)がいる。そいつが考えたのかもしれんな」と言ってウニタキがファイチを見た。
「その新兵器、今帰仁グスク攻めに使えるかもしれん。よく調べておいてくれ」と思紹がウニタキに言った。
「わかりました」とウニタキはうなづいた。
 奥間大親がグスク内にいた遊女から聞いた話だと、北の御殿にいた男たちは皆殺しにされて、隠れていた波平大親だけが助かったという。重臣のくせに役人たちを見殺しにして隠れていたなんて情けない。生き延びても、他魯毎に殺されるだろうと言っていたという。
「先に投降した新垣大親(あらかきうふや)と真栄里大親(めーざとぅうふや)は波平大親に誘われて仕方なく、摩文仁に従ったと言っていますから、波平大親も処罰されるでしょう」
他魯毎が山南王になっても、人材不足になりそうじゃのう」と思紹が心配した。
「山北王が重臣を送り込むかもしれません」とファイチが言った。
「なに、山北王が重臣を島尻大里グスクに入れるというのか」とサハチが驚いた。
「島尻大里グスクが落とせたのは山北王の新兵器のお陰ですから、そのくらいの事はやるでしょう。改めて同盟を結ぶと言って、他魯毎の長男に嫁を送って来るかもしれません」
他魯毎の長男のシタルーと俺の娘のマカトゥダルの婚約はすでに決まっているぞ」とサハチが言った。
「強引な事を言ってくるかもしれません」
「シタルーの娘で、山北王の長男と婚約した娘がいなかったか」と思紹が聞いた。
「奥間の側室が産んだ娘で、今帰仁グスク内に新しい屋敷を建てて、母親と一緒に暮らしています。まだ十三歳ですから婚礼は三、四年後になるでしょう」とウニタキが答えた。
「山北王の世子(せいし)は他魯毎の義弟となるわけじゃな。まあ、どっちにしろ、山北王の命はあと二年余りじゃ。好きな事を言わせておけ」
「そうだった」とサハチが笑った。
「強引な事を言ってきたとしても、山北王がいなくなれば、すべてが解決する」
 絵地図を眺めていた苗代大親が、「あとは波平グスク、真壁グスク、伊敷(いしき)グスク、山グスク、大(うふ)グスク、与座(ゆざ)グスクじゃな」と言った。
「島尻大里グスクが落ちて、摩文仁は戦死した。他のグスクも降伏するじゃろう。抵抗する理由はないからのう」
「石屋のテサンは戦死したのですか」とウニタキが奥間大親に聞いた。
「テサンは北の御殿にいたようですから戦死したはずです」
 ウニタキはうなづいて、「當銘蔵(てぃみぐら)グスクに行ってくる」とサハチに言った。
「頼むぞ。みんなを首里(すい)に連れて行ってくれ」
 ウニタキが出て行くのと入れ替わるように、浦添(うらしい)若按司のクサンルーが波平大親を連れて来た。
 サハチたちは驚いた。捕まっているはずの波平大親が、どうしてここに来られたのかわけがわからなかった。
 波平大親の顔を見て、サハチは思い出した。十年近く前に、島尻大里グスクの婚礼に行った時、何かと世話を焼いてくれた男だった。あの時、かなり、シタルーに信頼されている重臣だと思ったが、波平大親だったとは知らなかった。
 波平大親は頭を下げて名乗ったあと、
「わたしが島尻大里グスクに残ったのは、八重瀬殿(タブチ)のためでも、摩文仁殿のためでもありません。王妃様(うふぃー)のためだったのです。わたしは必ず戻って来るから、それまで蔵を守っていてくれと言われました。わたしは王妃様に言われた通り、蔵を守り通しました」と言った。
「もしかして、王妃様を逃がしたのは、そなただったのか」と思紹が聞いた。
 波平大親はうなづいた。
重臣たちが八重瀬殿を山南王にしようとしている事を知って、王妃様に知らせて、サムレー大将を務めている弟にも知らせて逃がしました。わたしが王妃様に会ったあと、照屋大親(てぃらうふや)殿も会いに行ったようです。王妃様が島尻大里グスクから出て行った時、照屋大親殿が裏切り者がいると言いました。重臣たちはわたしを疑っているようでしたが、兼(かに)グスク大親殿と賀数大親(かかじうふや)殿が出て行ったあと、波平グスクにいる妻や子を守るために残ると言ったら納得してくれました。照屋大親殿が裏切った事で、すべてが照屋大親殿の仕業に違いないと思ったようです」
「最初から残るつもりだったのですか」とサハチは聞いた。
「弟に頼んで王妃様を逃がしたあと、隙を見て、わたしも逃げるつもりでした。でも、王妃様から蔵を守れと言われて、残る覚悟を決めました」
「王妃様に恩でもあるのですか」とファイチが波平大親に聞いた。
 波平大親はファイチを見るとうなづいた。
「わたしの父はサムレー大将でした。東方(あがりかた)の大グスク攻めの戦で戦死しました。その戦のあと、わたしはシタルー殿に仕えるようになりました。父の跡を継いでサムレー大将にならなければならないと思いましたが、わたしは武芸は苦手なのです。どんなに稽古をしても強くはなりません。落ち込んでいたわたしを豊見グスクの普請奉行(ふしんぶぎょう)の補佐役に任じてくれたのは王妃様だったのです。普請のための資材を集めたり、その手配をするのが楽しくて、わたしは新しい生き方を見つける事ができました。わたしが財政の管理を任されるようになれたのも王妃様のお陰なのです」
「王妃様は人の才能を見抜く目も持っていたようじゃな」と思紹は笑って、「他魯毎のために、これからもよろしくお願いする」と波平大親に言った。
「かしこまりました」と波平大親は頭を下げた。
 思紹は浦添按司に波平グスクから撤収して、山グスクに行って、苗代大親と合流するように命じた。
 波平大親浦添按司が苗代大親と一緒に帰ったあと、
「波平大親が王妃のために残っていたとは驚いたのう」と思紹が言った。
「もし、波平大親がいなかったら、グスク内の財宝は皆、摩文仁に奪われていたかもしれませんね」とサハチが言った。
「照屋大親にしろ、波平大親にしろ、お芝居のうまい役者が揃っていますね」とファイチが言って、皆を笑わせた。
「確かにのう」と思紹がうなづいた。
「しかし、一番の主役は山南王妃じゃろうな。今まで、表に出て来なかったのが不思議なくらい立派な女子(いなぐ)じゃよ。王妃の手本と言えるじゃろう」
「次のお芝居は『山南王妃』ですね。糸満(いちまん)の港で演じたら、ウミンチュ(漁師)たちが大喜びしますよ」
「そいつは面白い。シビーとハルに台本を書かせよう」とサハチは笑いながら言った。
「山南王妃もお芝居は好きなようじゃから喜ぶじゃろう」と思紹も楽しそうに笑った。

 

 

 

三山とグスク―グスクの興亡と三山時代

2-143.山グスク(改訂決定稿)

 米須(くみし)グスクは予想外な展開で開城となった。
 敵陣に突っ込んで行った米須按司の行動は不可解だったが、若按司の話から、ああなった経緯はわかった。
 物見櫓(ものみやぐら)の上で若按司と喧嘩をした按司は、重臣たちを集めて戦評定(いくさひょうじょう)を開いた。山南王(さんなんおう)になった父上(摩文仁)に従うか、それとも、八重瀬(えーじ)グスク、具志頭(ぐしちゃん)グスク、玻名(はな)グスクまでも奪い取った中山王(ちゅうさんおう)(思紹)に従うのか、重臣たちと話し合った。摩文仁(まぶい)に従う按司派と中山王に従う若按司派に分かれた。
 米須が生き残るには中山王に従うより道はないと言う者が多かった。お前たちは父上を見捨てる気なのかと按司は怒って、自分に従う者たちを率いて突撃に出たという。敵陣を突破して、島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスクに入って、父上の山南王と最後まで戦うと言って出て行ったが戦死してしまった。
「どうして、あんな無茶な事をしたのか理解できません」と若按司は言った。
 サハチ(中山王世子、島添大里按司)にもわからなかった。たとえ、米須グスクの包囲陣を突破できたとしても、島尻大里グスクは他魯毎(たるむい)(豊見グスクの山南王)の兵と山北王(さんほくおう)(攀安知)の兵に包囲されている。三十人ばかりの兵でその包囲陣に突っ込んでも無駄死にするとしか思えなかった。包囲陣の手薄な真壁(まかび)グスクに行くつもりだったのだろうか。
 その夜、サハチ、兼(かに)グスク按司(ンマムイ)、中グスク按司(ムタ)、越来(ぐいく)若按司(サンルー)は米須の重臣たちと今後の事を話し合った。山南王になった摩文仁は島尻大里グスクにいるが、すでに隠居した身なので、今後、どのような事になろうとも米須の事には口出しはさせないと誓って、若按司按司にする事に決まり、以前のごとく、東方(あがりかた)の按司として中山王に従うと約束してくれた。
 重臣の中に代々サムレー大将を務めている石原大主(いさらうふぬし)という武将がいた。摩文仁と同い年で、七歳の時に浦添(うらしい)から米須に来た摩文仁と一緒に育った。摩文仁は七歳の時から按司で、石原大主は摩文仁を助けるようにと幼い頃から言われていたという。
「カジムイは『山南王』という魔物に取り憑かれてしまったようじゃ」と石原大主は言った。
摩文仁殿の童名(わらびなー)はカジムイというのですか」とサハチは聞いた。
「風(かじ)じゃよ。兄(武寧)は船(ふに)で、弟(越来按司)は星(ふし)じゃ。みんな、航海に関係する名前なんじゃ。察度(さとぅ)(先々代中山王)殿は船旅が好きだったようじゃな。いつも、冷静に周りの状況を見て動いていたカジムイが、山南王になったら周りの状況など見えなくなってしまったようじゃ。八重瀬殿(タブチ)が不可能じゃと言って抜けたのに、カジムイは山南王の座にしがみついてしまった。カジムイの嫁さんは山南王の妹だったので、山南王の座を取り戻したかったのかもしれん。気持ちはわかるが、山南王の座に目がくらんで、周りが見えなくなってしまった。情けない事じゃ。米須を守るには、カジムイを見捨てるしかあるまいのう」
「亡くなった米須殿ですが、ああするよりほかなかったのでしょうか」
「あいつも可哀想な奴なんじゃよ。ジャナという祖父(察度)の名を付けられたため、何をしても祖父と比べられるんじゃ。あいつも一生懸命やっていたんじゃが、祖父にかなうわけがない。それでも、カジムイが隠居して出て行って、按司になってからは張り切っていた。だが、戦が起きてしまった。ジャナはどうも戦の指揮が苦手なようじゃ。豊見(とぅゆみ)グスク攻めの時も判断を誤って多くの兵を死なせてしまったんじゃよ。戦のあと、思い詰めていたようじゃ。自分は按司には向いていないと気づいたのかもしれん。嫁のマナミーを連れて物見櫓に登って、撤収しなければマナミーを殺すと言った時には驚いた。あんな事をする奴ではなかったんじゃ。追い詰められて、とうとう狂ってしまったかとわしは思った。マルクが物見櫓に登ってマナミーを助けて、親子喧嘩となった。今となってはわからんが、わしはジャナがマルクを試したのかもしれんと思っておる。マルクがマナミーを助けに来るかどうかをな。もし、助けに来なかったら、本当にマナミーを殺したかもしれん。しかし、マルクはマナミーを助けに来て、親父を非難した。親父がもっとも傷つく言葉でな。『それでも、察度の孫ですか』とマルクは言ったんじゃ。しかし、息子からそう言われたジャナは嬉しかったのかもしれん。米須の事はマルクに任せて大丈夫だと確信したんじゃろう。ジャナは自ら悪役を買って出たんじゃよ。今後の災いを取り除くために、マルクに反対する者たちを道連れにして敵陣に突入して行ったんじゃよ」
 いつの間にか、若按司が来ていて話を聞いていた。
「そうだったのですか‥‥‥」と若按司は目を潤ませていた。
 翌日、あとの事は中グスク按司に任せて、サハチは報告のために八重瀬グスクに向かった。


 三月三日の久高島(くだかじま)参詣は中止となり、サハチは山グスクにいた。山グスクは苗代大親(なーしるうふや)が率いる首里(すい)の兵百人、外間親方(ふかまうやかた)が率いる首里の兵百人、勝連(かちりん)若按司(ジルー)が率いる勝連の兵百人、小谷之子(うくくぬしぃ)が率いる島添大里の兵百人、米須から移動して来たンマムイが率いる兼グスクの兵百人、計五百人の兵が包囲していた。
 山グスクの兵力は百人前後だが、樹木(きぎ)が生い茂った森の中にあるグスクなので、地の利を利用して、ちょくちょく攻撃に出て来て、手ごわい相手だった。
 山グスク攻めの本陣は山グスクの東側の丘の上にあり、石垣で囲まれていて小さなグスクのようだった。小屋が二つ建っていて、一つが大将たちの小屋で、もう一つは兵糧(ひょうろう)の蔵になっていた。小屋の中に苗代大親と勝連若按司、ンマムイがいた。
「師兄(シージォン)のお出ましですか。師兄が現れると何かが起こるような気がします」とンマムイが言った。
「何かが起こったら、また活躍してくれ」とサハチはンマムイの肩をたたいた。
「任せてください」とンマムイはとぼけた顔をして言った。
「どんな具合ですか」とサハチは苗代大親に聞いた。
「山グスク按司(真壁按司の弟)は油断のならない相手じゃ」と苗代大親は笑って、ウニタキ(三星大親)が描いた山グスクの絵図を見せた。
「ウニタキから聞いたんじゃが、山グスク按司は以前、島尻大里のサムレー大将を務めていて、普請(ふしん)中の首里グスクの警備をしていたらしい。その時、シタルー(先代山南王)からグスク造りを学んだようじゃ。シタルーから何を教わったのかは知らんが、こんな所によくグスクを築いたものじゃ。崖の上にあるグスクは誰でも考えそうなグスクじゃが、崖の下にもグスクを築いておる。しかも、崖の下には大きな岩がゴロゴロとあるんじゃが、それをうまく利用しているんじゃ。攻めるのは容易な事ではない」
 サハチが絵図を見ると、崖の上のグスクには三つの曲輪(くるわ)があって、下のグスクには二つの曲輪があった。下のグスクの大御門(うふうじょー)(正門)は二の曲輪の東側にあるが、大御門の前に大きな岩があって、その上にも敵兵がいるので、大御門に近づく事はできない。崖下の一の曲輪の西側にも御門(うじょう)があるが、ここも御門の前にいくつも岩があって近づけなかった。さらにグスクの北側に巨大な岩があって、その上に見張りがいて、こちらの動きはすべて見られてしまう。
 上のグスクの大御門は東曲輪(あがりくるわ)の南側にある。屋敷は東曲輪と中央の曲輪にもあって、普段は東曲輪の屋敷で暮らしているらしい。東曲輪の東側に下のグスクとをつなぐ坂道がある。その坂道も岩に囲まれていて近づくのは難しい。井戸(かー)は下のグスクにあって、上のグスクにはないので、下のグスクを攻め取れば、上のグスクは干乾しになるが、下のグスクを攻め取るのは難しい。
「最近になってわかったんじゃが、中座按司(なかざあじ)(玻名グスク按司の弟)も山グスクにいるようじゃ」と苗代大親が言った。
「中座按司が?」とサハチは驚いた。
「島尻大里グスクから出たのはいいが、今度はここに閉じ込められてしまったようじゃな」
 中座按司が玻名グスクの包囲陣を攻めて来なかったので、おかしいと思っていたが、山グスクにいたとは知らなかった。
「中座按司も以前は島尻大里のサムレーで、山グスク按司の配下だったようじゃ。山グスク按司の力を借りて玻名グスクを攻めるつもりだったんじゃろう」
「中座グスクには誰もいませんでしたが、妻や子はどうしたんでしょうね」とサハチは聞いた。
「ウニタキから聞いたんじゃが、中座按司の妻は真栄里大親(めーざとぅうふや)の娘らしい。子供を連れて真栄里に帰ったのかもしれんな」
「玻名グスクを奪われた中座按司が一緒にいるとなると、かなり抵抗しそうですね」
「そうじゃな」と苗代大親はうなづいた。
 ここを本陣にしている苗代大親たちは下のグスクを攻めていて、西にある本陣にいる外間親方と小谷之子が上のグスクを攻めているという。
 サハチはンマムイと一緒に西の本陣に向かった。苗代大親が言った通り、大きな岩がゴロゴロしていた。その岩の上に敵兵がいるので側に近づけず、兵たちはかなり遠巻きにグスクを包囲していた。
「師兄、あの上からグスク内が見えます」とンマムイが言って、右側に見える大岩を指差した。
 サハチが見ると岩の上に味方の兵の姿があった。サハチとンマムイは縄梯子(なわばしご)を登って岩の上に行った。
 岩と石垣に囲まれたグスク内がよく見えた。下のグスクには避難民たちがいるようだ。グスクの手前の右側に、この岩よりも大きな岩があって、その上に敵兵が十人近くいるのが見えた。弓矢の届く距離だったが、弓矢を撃っては来なかった。
「ここに見張りを置いた当初は弓矢の撃ち合いがあったようです」とンマムイが言った。
「お互いに楯で防いだので、大した損害もなく、弓矢を交換するだけなので、お互いに攻撃するのをやめたようです」
「成程な」とサハチは並べられた楯を見た。敵の弓矢が刺さった跡がいくつも残っていた。
 その巨大な岩が邪魔をしていて、一の曲輪はよく見えなかった。一の曲輪の先に切り立った崖があって、その上に上のグスクがあるようだ。崖の上に石垣は見えるが、屋敷の屋根とかは見えなかった。
「あそこに大御門があります」とンマムイは巨大な岩と反対側を指差した。
 大御門の前にも大きな岩がいくつもあって、その上に敵兵がいた。
「夜になると奴らはあそこから外に出て、俺たちの兵に夜襲を仕掛けてきます。何とか防ぎたいのですが、大御門の近くまで行けないのでどうしようもありません」
 自然の岩をうまく利用した凄いグスクだった。
「あの大岩の向こう側にも一の曲輪の御門があって、そこも岩に囲まれていて近づけません」
「岩の上にいる敵を何とかしなくてはならんな」とサハチは巨大な岩の上にいる敵兵を見た。
「岩に登ろうとすると別の岩から狙い撃ちされます。すでに十数人がやられています」
「そうか」とサハチはうなづいて、岩があちこちにある風景を眺めながら武当山(ウーダンシャン)を思い出していた。ここは武術の修行の場にふさわしいような気がした。
 見張りの兵たちをねぎらうとサハチはンマムイと一緒に岩から下りた。
 西の本陣は山グスクから三丁(約三百メートル)ほど離れた丘の上にあった。ここも石垣で囲まれていて、小屋が二つあった。小屋の中に外間親方がいた。
 サハチを見ると驚いて立ち上がり、
「わざわざお越しになったのですか」と恐縮した。
「強敵らしいな」とサハチは言った。
 外間親方は厳しい顔付きでうなづいた。
「守りは堅く、長期戦になりそうです」
「山グスク按司は上のグスクにいるのか」とサハチは聞いた。
「います。家族も皆、上にいます。無精庵(ぶしょうあん)殿とクレーも無事です」
「そうか、無事か。あの二人は何としてでも助け出さなくてはならん」
 外間親方はうなづいた。
「上のグスクは下のように大岩はないのですが、高い石垣に守られていて近づけません。敵の兵糧が尽きるのを待つしかないようです」
 サハチはンマムイと一緒に上のグスクの様子を見に行った。西の本陣と尾根続きにあるグスクの西側は高い石垣になっていた。包囲陣の陣地に物見櫓が立っていたので登ってみた。
 西曲輪(いりくるわ)と中央の曲輪内は見えたが、東曲輪は見えなかった。石垣の上はかなり広くなっていて、敵兵が何人もいた。西曲輪にサムレー屋敷があって、中央の曲輪に按司の屋敷らしいのが見えた。石垣は飛び出した所が三か所あって、石垣に近づく敵を横から狙えるように造られてあった。サハチはグスクを造った事はないが、見事なグスクだと思った。これだけのグスクが造れる山グスク按司を、できれば味方に引き入れたいと思った。
 サハチとンマムイは物見櫓を下りて、包囲陣の後ろを通ってグスクの南側に行った。東曲輪にある大御門の前にも物見櫓が立っていて、サハチとンマムイは登ってみた。
 東曲輪内がよく見えた。奥の方に立派な屋敷があって、その脇にも屋敷があり、その横には大きな岩があって、岩の上に数人の兵がいた。その岩の右側にも屋敷があった。中央の曲輪に建っている屋敷も立派な屋敷だった。中央の屋敷が按司の屋敷で、東曲輪の屋敷は家族たちが住む御内原(うーちばる)かもしれない。東曲輪の庭で子供たちと遊んでいるヌルらしい人影が見えた。
「ヌルがいるのか」とサハチはンマムイに聞いた。
「息子が熱を出した時、真壁ヌルと名嘉真(なかま)ヌルを呼んだようです。名嘉真ヌルは山グスク按司の伯母で先代の真壁ヌルです。どういうわけか、慶留(ぎる)ヌルの子供を預かっていて、一緒に連れて来ています」
「慶留ヌルは島尻大里グスクにいるはずだな」
「そう聞いています。熱を出した息子を治すために呼ばれた無精庵殿とクレーはあの屋敷にいるようです」とンマムイは岩の右側にある屋敷を指差した。
「閉じ込められているのか」とサハチは聞いた。
「いえ、お客様として大切にされているようです。負傷兵の治療もしています」
「そうか」とサハチは言って、無精庵と中山王の関係がばれなければいいがと心配した。
 物見櫓から下りて、サハチが東の本陣に戻ろうとしたら、
「ウニタキ師兄はこっちにいます」とンマムイが西の方を示した。
「奥間(うくま)のサタルーたちも一緒です」
 サハチはンマムイの案内でウニタキのいる所に向かった。西の本陣よりさらに西に行った丘の上に小さなグスクがあって、ウニタキはいた。
「こんな離れた所で何をしているんだ?」とサハチはウニタキに聞いた。
「ここから南に行くと海に出る。そこに凄い崖があるんだ。そこで崖をよじ登る稽古をしているんだよ」
「下のグスクにある、あの大岩を登るつもりなのか」
「下のグスクを攻め落とすには、あの大岩を攻め取るしかない」
「ほかの岩から狙い撃ちにされるのだろう」
「いや」とウニタキは首を振って笑って、「順番があるんだ」と言った。
「何の順番だ?」
「攻め取る岩の順番さ。あの大岩を見張っている岩は四か所ある。大岩の西側にある二つの岩は西側から登れば攻撃される事はない。まず、その二つの岩を落とす。それから、大岩を北側から登って攻め取る。大岩を攻め取れば、そこからグスク内に潜入できる」
「いつ、決行するつもりなんだ?」
「十五日だ。十五日は阿弥陀(あみだ)様の縁日だそうだ。辰阿弥(しんあみ)に来てもらって『念仏踊り(にんぶちうどぅい)』をやってもらう」
「どうして総攻撃の日に念仏踊りをやるんだ?」
「敵を油断させるためさ」とウニタキは笑ってから、鉄でできた八寸(約二十四センチ)ほどの杭を見せた。
「これを打ち込んで足場にして大岩を登るんだ。杭を打てば音が出る。その音を消すために念仏踊りの太鼓と鉦(かね)の音が必要なんだよ」
「太鼓と鉦の音に合わせて杭を打つのか」
「そういう事だ。敵もそろそろ戦に飽きている。大岩の上から念仏踊りを眺めているだろう。気がつくまい」
「サタルーも大岩に登るのか」
「登る事は登るが足場ができてからだ。足場を造るのは『赤丸党』の者たちだ。玻名グスクをもらったお礼をしなくてはならんと奴らは張り切っている。奴らに任せる事にしたんだ。下のグスクを攻め落としたあと、上のグスクに潜入するのは俺の配下の者たちだ」
「上のグスクはどうやって潜入するんだ?」
「同じやり方さ。下のグスクからあの崖をよじ登る」
「なに、あの崖を登るのか」
「敵の攻撃はないし、多少、音がしても上まで聞こえまい。下のグスクでお祝いの念仏踊りをしてもいい」
「敵の兵糧は尽きそうもないのか」
「まだ一月半だからな。あと一月は余裕で持ちそうだ」
 サハチはウニタキと一緒に海辺の崖に行った。ンマムイはあまりさぼると苗代大親に怒られそうだと言って帰って行った。
 『赤丸党』の者たちが命綱をつけて、杭を打ちながら険しい崖を登っていた。海からの風が強く、なかなか大変のようだった。


 それから五日後、サハチは八重瀬グスクの本陣に行って、波平(はんじゃ)グスクの様子を思紹(ししょう)(中山王)に話した。波平グスクは山グスクの北、米須グスクの西にあり、李仲(りーぢょん)グスクの近くにあった。丘の上にあるグスクを浦添の若按司(クサンルー)と北谷按司(ちゃたんあじ)が攻めていた。波平按司は島尻大里グスクにいて、若按司が守っていた。
 波平グスクは特に重要なグスクではないので包囲するだけで、攻める必要はないとサハチは浦添按司と北谷按司に命じた。
「波平グスクは島尻大里グスクが落ちれば降伏するじゃろう」と思紹は絵地図を見ながら言った。
「北谷按司浦添の若按司も包囲しているだけで、戦ができないと言って嘆いていましたよ」
「今回は戦の雰囲気を味わえばいい。今帰仁(なきじん)攻めの時に充分に活躍してもらう」
「いよいよ、あと二年になりましたね」
「そうじゃな。まさか、シタルー(先代山南王)とタブチ(先々代八重瀬按司)がいなくなるなんて思ってもみなかったのう」
「シタルーの死が突然でしたからね。シタルーの死によって、南部の状況がすっかり変わってしまいました」
 思紹はうなづいて、「先の事はどうなるかわからん。あともう少しじゃ。気を抜かずに頑張ろう」と言った。
 戦の本陣とはいえ、思紹は首里グスクから出られて、今の状況を楽しんでいた。一の曲輪の普請現場に行って、屋敷造りを眺めたり、時には八重瀬の兵たちを鍛えていた。八重瀬の兵たちはマタルーが与那原大親(ゆなばるうふや)になった時に、キラマ(慶良間)の島から来た者たちで、思紹が鍛えた若者たちだった。当時の思い出を語りながらサムレー屋敷で兵たちと酒盛りをしたりしていた。
 サハチは思紹と別れると城下に向かった。大通りを歩いていたら、ササたちが賑やかにやって来た。愛洲ジルーたちも一緒にいた。
「旅から帰って来たか」とサハチは笑って、ササたちを迎えた。
琉球はいい所です。旅をしてよかった」と愛洲ジルーは言った。
「充分に楽しんでいってください」と愛洲ジルーたちに言ったあと、「ルクルジルー(早田六郎次郎)はどうした?」とサハチはササに聞いた。
「馬天浜(ばてぃんはま)に帰って行ったわ。ジルーたちにも帰れって言ったのに、帰らないでここまでついて来たのよ」
 ササが愛洲ジルーを見る目が変わっていた。以前はジルー様と呼んでいたのに、ジルーと呼び捨てだった。旅の途中で何かがあって、愛洲ジルーはササのマレビト神ではなくなったのだろうか。二人がうまく行けばいいと思っていたのに、今度もササの早とちりだったようだ。
 サハチはササたちを連れて、城下にある屋敷に向かった。
「ここは誰のお屋敷なの?」とササが聞いた。
「ここは以前、チヌムイと若ヌル母子(おやこ)が暮らしていたんだ」
「チヌムイはグスクじゃなくて城下にいたの?」とササは驚いた。
「そうらしいな。若ヌルの母親は二人を追って久米島(くみじま)に行った。今はタブチの側室だったミミが二人の子供と暮らしているんだ。奥間から贈られた側室でな、玻名グスクの城下に移ったらどうかと言おうと思って訪ねたんだよ」
 庭で二人の子供が遊んでいた。突然、大勢の人が訪ねて来たので、驚いて屋敷の中に入って行った。しばらくして、ミミが子供たちと一緒に現れた。
按司様(あじぬめー)」と言ってミミは驚き、ササたちを見た。
 サハチは皆を紹介して、縁側に腰を下ろした。四人の若ヌルたちは子供たちと遊んでいた。ササは愛洲ジルーたちに八重瀬グスクの事を説明していた。サハチは玻名グスクの事をミミに話した。
「あの子たちはもう按司の子供ではありません。今後の事を思うと、ここの城下で暮らした方がいいような気がします」
「城下で暮らすと言っても食うためには何かをしなければなるまい」
「ここで、子供たちに読み書きを教えようと思っております」
「読み書きのお師匠か」とサハチは言ってうなづき、「それはいいかもしれんな」と賛成した。
「玻名グスクは奥間の拠点になる。何か困った事があったら玻名グスクに行けばいい。懐かしい顔に会えるかもしれんぞ」
「わかりました。一度、挨拶に行って参ります」
 ミミが入れてくれたお茶を飲みながらサハチはササの旅の話を聞いた。ヤンバル(琉球北部)の辺戸岬(ふぃるみさき)まで行って来たという。
「古いウタキ(御嶽)は見つかったのか」とサハチはササに聞いた。
「見つかったわ。古いウタキは皆、安須森(あしむい)と関係があったわ。ヤマトゥンチュ(日本人)のウタキもあったのよ。唐の国に行ったヤマトゥンチュが嵐に遭って琉球に流されて、ウミンチュ(漁師)に助けられて、その地で亡くなったみたい。今帰仁(なきじん)のクボーヌムイ(クボー御嶽)でアキシノ様(初代今帰仁ヌル)と再会して、ユンヌ姫様が誘って、一緒に旅をしたのよ。小松の中将(くまちぬちゅうじょう)様(初代今帰仁按司)はまたヤマトゥ(日本)に行ったらしいわ」
 ササは急に思い出したらしく、
按司様、驚かないでね」と言った。
「英祖(えいそ)様が倒した義本(ぎふん)(舜天の孫)のウタキが安須森の麓(ふもと)にあったのよ」
「何だって? どうして、そんな所にあるんだ?」
「英祖様に追われてヤンバルまで逃げて行ったみたい。安須森が滅ぼされてから百年近く経っていて、あそこにはアフリヌルだけが住んでいたの。義本はアフリヌルと出会って幸せに暮らしたみたい。英祖様の事はもう恨んではいないと言ったわ。可愛い娘が生まれて、その娘がカミーの御先祖様なのよ」
「なに、カミーには義本の血が流れているのか」
「そうみたい。義本の血といえば、舜天(しゅんてぃん)様の血よ。そして、舜天様にはサスカサの血が流れているわ」
「そうか。カミーは舜天様の子孫だったのか」
「ねえ、今から玻名グスクに行きましょう」とササが言った。
 ササがミミを誘って、みんなで玻名グスクへ向かった。

 

 

 

踊り念仏 (平凡社選書)

2-142.米須の若按司(改訂決定稿)

 南部での戦(いくさ)は続いていたが、二月二十八日、島添大里(しましいうふざとぅ)グスクで例年通りのお祭り(うまちー)が行なわれた。いつもよりも厳重な警備の中でのお祭りだったが、天候に恵まれて、大勢の人たちが集まって来て、お祭りを楽しんだ。いつもなら、マチルギも来るのだが、思紹(ししょう)(中山王)が八重瀬(えーじ)グスクにいるので、マチルギは首里(すい)グスクを守っていた。
 去年の十月下旬から、長嶺(ながんみ)グスク、八重瀬グスク、具志頭(ぐしちゃん)グスク、玻名(はな)グスクと、ずっとグスク攻めをしていた東方(あがりかた)の按司たちを呼んで、御苦労だったとサハチ(中山王世子、島添大里按司)はみんなを慰労した。
 舞台の進行役はシビーとハルに任せて、安須森(あしむい)ヌル(先代佐敷ヌル)は小渡(うる)ヌルと一緒に舞台の脇で見ていた。小渡ヌルもすっかり安須森ヌルの仲間に入ったようだった。
 お芝居は『ウナヂャラ』と旅芸人の『豊玉姫(とよたまひめ)』だった。
 旅芸人の『豊玉姫』は首里(すい)のお祭りでやる予定だったが、フクが妊娠して辞めてしまったため間に合わなかった。台本は同じでも解釈の違いで、違うお芝居になるかもしれないと安須森ヌルは楽しみにしていたらしい。サハチは前回の『豊玉姫』を観ていないのでわからないが、背景や音楽、衣装も違っているという。
「どちらも甲乙つけがたいけど、旅芸人の方が子供たちが喜ぶ場面が多かったようね」と安須森ヌルは言った。
 スサノオ琉球にやって来て豊玉姫と出会い、二人は大量のタカラガイを積んで対馬島(つしまじま)に行く。スサノオはカヤの国(朝鮮半島にあった国)に行って、タカラガイと鉄を交換して帰って来る。豊玉姫対馬島玉依姫(たまよりひめ)を産む。鉄の力で北九州を平定したスサノオは豊(とよ)の国を造って、豊玉姫は豊の国の女王様になる。その後、スサノオは瀬戸内海周辺の国々を平定して、九州に戻ると南九州も平定して、いくつもの国々を一つにまとめたヤマトゥ(大和)の国を造り、娘の玉依姫がヤマトゥの国の女王様になるという壮大な物語だった。
 玉グスクの場面では、立派な宮殿の玉座(ぎょくざ)に豊玉姫の母の玉グスクヌルが座って、その脇に父親が梓弓(あずさゆみ)を持って控えていて、按司が出現する以前は、真玉添(まだんすい)(首里にあったヌルたちの都)もこんな感じだったのだろうと思わせた。
 スサノオが沖長島(うきなーじま)(琉球)にやって来て、果ての浜(馬天浜)から上陸して、佐世(させ)の木(シャシャンボ)を見つけて髪に挿して踊る。ヤマタノオロチを退治した時も、スサノオは佐世の木を髪に挿して踊っている。こいつは縁起がいいと、その地を佐世木(佐敷)と名付けたと地名の由来も説明していた。
 鉄を手に入れたスサノオが、鉄の剣で石斧(いしおの)を持った敵と戦う場面は笑わせた。当時、鉄の力は物凄いものだったのだろう。今で言えば、火薬かもしれない。火薬が手に入れば、琉球統一も早まるだろう。
 スサノオのもう一人の妻、稲田姫(いなだひめ)との息子、サルヒコとイタケルも出て来て、サルヒコと玉依姫が結ばれたと知って、サハチは驚いた。サルヒコと玉依姫は異母兄妹だった。一千年前はそんな婚姻も許されたのだろうか。玉依姫は戦火の中で、トヨウケ姫(ウカノミタマ)とテルヒコ(ホアカリ)を産んでいた。
 ササもその事は知らなかったらしく、首里のお祭りで上演されたお芝居を観て驚き、安須森ヌルを問い詰めたという。ササは玉依姫の神様に二人の父親は誰かと聞いた時、マレビト神だと言われて納得してしまい、その後、その事を確認するのを忘れていた。
 『ウナヂャラ』はシビーとハルが作ったお芝居で、主役はマチルーという娘だが、マチルギの事だった。シビーとハルは初めてお芝居の台本を書くに当たって、女子(いなぐ)サムレーたちにどんなお芝居が観たいか尋ねた。
「主役は女子(いなぐ)で、美人(ちゅらー)で強くて、優しくて、そして、凄い人」とサキが言った。
「美人で強くて優しくて凄い人と言ったら、奥方様(うなぢゃら)じゃない」とカリーが言った。
 皆がうなづいて、「奥方様を主役にしたお芝居が観たいわ」と言った。
 シビーとハルも観たいと思った。二人は安須森ヌルと相談した。
「あたしもそれは考えたのよ」と安須森ヌルは言った。
「でもね、奥方様に駄目だって言われたの。あたしは諦めたけど、あなたたちなら書いても大丈夫だと思うわ。でも、あたしは助けないわよ。あたしが知らないうちに書いたという事にしてね」
 シビーとハルはマチルギの事をよく知らなかった。噂はよく聞くけど、佐敷にお嫁に来た当時の事は知らない。安須森ヌルから聞こうと思っていたのに、それはできなくなった。二人は若い頃のマチルギを知っている人を訪ねて、聞き歩いた。皆、喜んで話をしてくれた。二人が思っていたよりもずっと、マチルギは凄い人だった。
 初めて佐敷に現れた時、マチルギはすぐに噂になった。若い娘が武術道場で剣術の稽古をしている。「一体、誰だ?」と誰もが噂をした。ヤマトゥ(日本)の山伏、クマヌの屋敷にいるから、若按司のお嫁さんに違いないとも噂された。当時、クマヌは佐敷按司に頼まれて、若按司のお嫁さん探しをしていた。若按司はヤマトゥ旅に行っているが、帰って来るのを待っているのだろう。でも、どうして、剣術の稽古をしているのかは誰にもわからなかった。
 真剣に剣術の稽古に励んでいるマチルギを見て、村の娘たちが変わった。剣術は男たちがやるもので、女子(いなぐ)には縁がないと思っていたのに、女子がやってもいいんだと思うようになって、教えてくれと武術道場に来る娘が現れた。武術師範の美里之子(んざとぅぬしぃ)は按司と相談して、マチルギに娘たちの指導をするように頼んだ。マチルギは娘たちに剣術を教えるようになった。娘たちの中に、馬天(ばてぃん)ヌルと安須森ヌルもいた。
「奥方様は伊波按司(いーふぁあじ)の娘でしょ。どうして、若按司がヤマトゥ旅に行っているのに佐敷に来たの?」とシビーは不思議がった。
「それは若按司のお嫁さんになるためでしょ」
「お嫁さんと剣術が、どう関係しているの? どうして、奥方様は剣術を始めたの?」
 ハルは首を傾げた。
「伊波まで行かなければならないわ」とシビーが言って、二人は伊波へと向かった。
 途中、当時の武術師範だった越来按司(ぐいくあじ)から話を聞いて、マチルギの兄の勝連按司(かちりんあじ)からも話を聞いた。マチルギが山北王(さんほくおう)の祖父(帕尼芝)によって滅ぼされた今帰仁按司(なきじんあじ)の孫だと知って二人は驚いた。マチルギは祖父の敵(かたき)を討つために剣術に夢中になっていた。そして、サハチと仲がいいウニタキ(三星大親)が、かつて恋敵だった事を知って驚いたが、ウニタキが出て来る事で、面白いお芝居が書けそうだと喜んだ。
 『ウナヂャラ』は、旅をして伊波に来たハチルーがマチルーと出会って試合をする場面から始まった。クマヌ(先代中グスク按司)、ヒューガ(日向大親)、サイムンタルー(早田左衛門太郎)も出て来た。ハチルーがヤマトゥ旅に出る時、ハチルーはマチルーに櫛(くし)を贈って、待っていてくれと言う。マチルーはお守りと言って、白い鉢巻きを渡す。どうして、そんな事まで知っているんだとサハチは不思議に思ったが、ミーグスクでマナビーに話した事を思い出した。
 ハチルーがヤマトゥ旅に出たあと、タキーが登場してマチルーに求婚する。見るからに勝連按司の息子といった感じの貴公子で、サハチは笑った。ウニタキが見たら腹を抱えて笑いそうだ。
 マチルーは自分よりも強かったらお嫁に行くと言ってタキーと試合をする。負けるはずがないと思っていたのに負けてしまう。マチルーはもう一度試合をしてくれとタキーに頼む。タキーはうなづいて、マチルーは強くなるために佐敷に行く。
 佐敷で剣術の稽古に励んで二か月後、マチルーはタキーと試合をして引き分ける。今度はタキーがもう一度試合をしようと言う。マチルーはうなづいて、また佐敷に行って稽古に励む。佐敷按司に頼まれて、娘たちに剣術を教え始め、二か月後にタキーと試合をするために伊波に帰るがタキーは現れなかった。
 マチルーが山の中で稽古に励んでいるとハチルーがヤマトゥから帰って来る。ハチルーはマチルーにお嫁に来てくれと言う。マチルーは試合に勝ったらねと言う。
 マチルーとハチルーは試合をする。引き分けに終わったが、マチルーは自分の負けを認めて、ハチルーのお嫁さんになる決心をする。
 伊波から嫁いで来たマチルーは佐敷の人たちから大歓迎で迎えられてお芝居は終わった。
 お芝居が終わったあと、いつもと違ってシーンと静まり帰っていた。観客たちの中には涙ぐんでいる者もいた。当時の事を知っている観客も多く、当時の事を思い出して感動していた。しばらくして拍手が沸き起こって、シビーとハルの初めてのお芝居は大成功に終わった。大成功なのはいいが、マチルギの怒った顔が目に浮かんで、あの二人もこの先大変だろうとサハチは心配した。


 お祭りの翌日、サハチは八重瀬グスクに行って、今の状況を確認した。
 米須(くみし)グスクは中グスク按司(ムタ)、越来若按司(サンルー)、兼(かに)グスク按司(ンマムイ)が包囲していて、波平(はんじゃ)グスクは浦添(うらしい)若按司(クサンルー)、北谷按司(ちゃたんあじ)が包囲していて、山グスクは苗代大親(なーしるうふや)、勝連若按司(ジルー)、島添大里の小谷之子(うくくぬしぃ)が包囲していた。
 他魯毎(たるむい)(豊見グスクの山南王)の方は、島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスクをテーラー(瀬底之子)率いる山北王の兵、他魯毎の兵、他魯毎重臣たちの兵が包囲していて、与座(ゆざ)グスクは兼グスク按司(ジャナムイ)と小禄按司(うるくあじ)、大(うふ)グスクは長嶺按司(ながんみあじ)と瀬長按司(しながあじ)、真壁(まかび)グスクは波平大主(はんじゃうふぬし)、伊敷(いしき)グスクは李仲按司(りーぢょんあじ)が包囲していた。
「真壁グスクと伊敷グスクの兵力が弱いようですね」とサハチは絵地図を見ながら言った。
「伊敷グスクには摩文仁按司(まぶいあじ)もいるようじゃ」と思紹は言った。
摩文仁按司がグスクから出て来て夜襲を仕掛けているようですが、李仲按司の方が上手(うわて)で、待ち伏せを食らってひどい目に遭っているようです」と奥間大親(うくまうふや)が言った。
「真壁グスクも夜襲をしたりしているのか」とサハチは奥間大親に聞いた。
「いいえ。籠城しているだけで攻めてはいないようです。玻名(はな)グスクが落城して、按司も若按司も戦死した事を伝えてありますから動揺しているのかもしれません。若按司の妻は他魯毎の妹ですから、何とか若按司を助けて、一族の全滅だけは避けたいと思っているのかもしれません」
「米須はどうじゃ?」と思紹が聞いた。
「米須按司は山南王(さんなんおう)の世子(せいし)になってしまいましたからね。一度、ああいったきらびやかな世界に入ってしまうと抜け出すのは難しいでしょう。不利な状況でも、奇跡が起こる事を信じて、決して諦めないでしょう」
「攻撃は仕掛けて来るのか」
「いえ、じっと閉じ籠もったままです。中グスクヌルと越来ヌルが米須ヌルと話をして、若按司に米須按司を継がせると言ったのですが、その後、返事もないようです」
「米須按司はどんな奇跡が起こると思っているんでしょうね」とファイチ(懐機)が言った。
ニライカナイ(理想郷)から援軍がやって来ると信じているのだろう」とサハチが笑った。
ニライカナイではなく、北(にし)から陸路で山北王が攻めて来るかもしれんぞ」と思紹が言った。
「山北王が陸路で攻めて来れば状況は変わります。中部の按司たちは本拠地に帰って、米須、山グスクは自由に動けるようになります。そして、テーラーが寝返れば、摩文仁(まぶい)が勝つ事もありえます」
 ファイチが言った事に思紹が唸って、「ありえん事ではないのう」と言った。
「山北王が動けば、ウニタキの配下から知らせが入ります」とサハチは言った。
 思紹はうなづいて、「島尻大里グスクの兵糧(ひょうろう)はどんなもんじゃ?」と奥間大親に聞いた。
「グスクの近くに近づけないので詳しい事はわかりませんが、籠城してから、もうすぐ二か月になります。そろそろ尽きる頃かと思いますが」
「島尻大里が落城すれば、すべてが解決するじゃろう」
 サハチは米須グスクに向かった。
 米須グスクは城下の村(しま)の北側にある丘の上にあった。サハチは本陣となっている城下の屋敷に行って、中グスク按司、越来若按司、ンマムイと会って状況を聞いた。
「米須のヌルはヌルになったばかりの若按司の妹ですよ。まったく話になりません」と中グスク按司は愚痴をこぼした。
「そうか。先代の米須ヌルは島尻大里ヌルになって島尻大里グスクにいるのか」
「そうなんです。先代のヌルだったら多少は話がわかると思うのですが、今のヌルはまだ子供です。何を言ってもうなづくだけで、返事もできません」
「敵が出て来るように誘っているのですが、敵は守りを固めるだけで出て来ません。うちの者たちは戦がしたくてうずうずしています」とンマムイが不満げな顔をして言った。
「そのうち、出番が来るから待っていろ」とサハチはンマムイの肩をたたいた。
 ウニタキが書いた米須グスクの絵図を見ると、グスク内は二つの曲輪(くるわ)に分かれていた。一の曲輪の南東側を囲むように二の曲輪があって、二の曲輪の西側の少し飛び出た所に大御門(うふうじょー)(正門)があった。大御門を抜けて二の曲輪の西側の石垣に沿って北に登ると一の曲輪の御門(うじょう)がある。二の曲輪の東側にも御門があった。
「城下の人たちは二の曲輪に避難しているのか」とサハチは聞いた。
「そうです」と中グスク按司が答えた。
「鍛冶屋(かんじゃー)と木地屋(きじやー)が十人、中にいます」とンマムイが言った。
「『まるずや』の者たちはまだ城下にいるのか」
「店は閉めていますが、城下にいます。越来ヌルと中グスクヌルは『まるずや』に滞在しています。滞在しながら、中グスクヌルは越来ヌルから剣術を習っています。越来ヌルはかなりの腕を持っていますよ」
「ハマ(越来ヌル)は美里之子(んざとぅぬしぃ)(越来按司)の娘だからな。佐敷グスクに通っていた頃はササといい勝負をしていたよ。それで、兵糧はどれだけあるのかわかるか」
 ンマムイは首を傾げたが、中グスク按司が答えた。
「詳しい事はわかりませんが、城下の人たちが避難していて、百人の兵と家臣の家族たちもいれば、あと一月持つかどうかじゃないですか」
「一月か‥‥‥」とサハチが言った時、血相を変えた兵が飛び込んで来た。
「大変です。すぐに来てください」と兵は言った。
 一体、何事だとサハチたちは外に出て、兵のあとに従った。包囲陣を抜けて最前線まで行くと正面に米須グスクの石垣が見えた。二の曲輪内にある物見櫓(ものみやぐら)の上に鎧姿(よろいすがた)の米須按司の姿があった。その隣りに髪に鉢巻きをして、女子サムレーの格好をした娘がいた。よく見ると若按司の妻のマナミーだった。
「中グスク按司は来たか」と米須按司が叫んだ。
「来たぞ!」と中グスク按司が叫んだ。
「マナミーはいい嫁だった。若按司にふさわしい嫁だった。同盟を結んだのに、どうして裏切ったんだ。裏切ったからには、マナミーは人質だ。ここから撤収しなければ、マナミーの命はないぞ。一日、猶予を与える。明日の今頃までに撤収しなければ、マナミーの首を刎ねる。よく考える事だ」
「何という奴だ」と中グスク按司は怒りに満ちた顔で、米須按司を睨んでいた。
 サハチも卑怯な奴だと思いながらも、何としてでもマナミーを助け出さなければならないと考えていた。
 突然、物見櫓の上に若按司のマルクが現れた。よく聞こえないが、父親と言い争いをしているようだった。
「察度(さとぅ)(先々代中山王)の孫として恥ずかしくないのですか」と言っている若按司の声が聞こえた。
 父親が何かをわめいて姿が消えた。
 若按司とマナミーがこちらに向かって頭を下げた。
「マナミーは絶対に殺しませんので、ご安心ください」と若按司は言って、二人の姿も物見櫓から消えた。
 サハチたちは本陣の屋敷に戻った。
「若按司はああ言ったが大丈夫だろうか」と中グスク按司が娘のマナミーを心配した。
 先程見た石垣上から弓矢を構えていた敵兵に疲れは見えなかった。まだ時期は早いが、総攻撃を掛けるしかないかとサハチは思っていた。
「若按司はマナミーを守りますよ」とンマムイが言った。
 サハチも中グスク按司も越来若按司もンマムイを見た。
「あの二人が仲のいい夫婦だって、見ただけでわかります。たとえ、親父と喧嘩をしてでも、若按司はマナミーを守りますよ。だって、あいつは察度の曽孫(ひまご)ですからね」
 ンマムイは自信たっぷりに言うが、説得力はなかった。
 キンタが現れた。サハチの顔を見て、「いらしていたのですか」と笑った。
「今、ちょっとした騒ぎがあった所だ」と言って、サハチはキンタに説明した。
「若按司の評判はどうなんだ?」とサハチはキンタに聞いた。
「評判はいいと思いますよ。去年、迎えたお嫁さんと一緒に、よく『まるずや』に行っているようです。仲のいい若夫婦だと評判になっています。それに、お嫁さんのマナミーは城下の娘さんたちに剣術を教えています。娘たちから慕われていますよ」
 マナミーの父親はクマヌの養子になる前、伊波の武術道場で武術師範を務めていた。伯母のマチルギの影響もあってマナミーは剣術を始めたのだろう。
「俺の言った通りでしたね」とウニタキが自慢そうな顔をした。
 若按司のマルクを信じるか、総攻撃を掛けるか、サハチは迷っていた。
按司様(あじぬめー)に伝えたい事があるのです」とキンタが言った。
 何だというようにサハチはキンタを見た。
「山北王の本陣は島尻大里の城下にある重臣の屋敷なんですが、そこで何かを作っているようなのです。豊見(とぅゆみ)グスクの城下にいる鍛冶屋と木地屋がその屋敷に呼ばれました」
「何を作っているんだ?」
「厳重な警戒で屋敷には近づけません」
「そうか。極秘に何かを作っているとすると、その何かが完成した時、関わっていた者たちは殺されるかもしれんぞ」
「はい。それは心得ています。奴らはうまく逃げるでしょう」
「まさか、鉄炮(てっぽう)(大砲)でも造っているわけでもあるまい。山北王は今の所、味方だ。危険を冒してまでも調べる必要はないぞ」
 キンタはうなづいた。
 その日の夕方、サハチが『まるずや』に行って、若按司の事を聞いて、本陣に帰って来た時だった。突然、陣地がざわめいた。何事かと見ると、敵の急襲だった。馬に乗った敵の武将が兵を引き連れて、包囲陣の中に攻め込んでいた。
 サハチも飛び出したが間に合わなかった。敵が通ったあとに負傷兵が何人も倒れていた。サハチは敵を追い掛けようと辺りを見回したが、馬は見当たらなかった。物見櫓が目に入ったので登ってみた。
 敵兵は三十人ほどで、五人が馬に乗っていた。中グスクの陣地を過ぎて、ンマムイの陣地に向かっていた。馬に乗ったンマムイが敵の武将の行く手を塞いだ。ンマムイの兵たちも敵に突進して行って、乱戦となった。
 ンマムイが敵の武将を倒した。とぼけた奴だが武芸の腕は一流だった。ンマムイの兵たちも見事な働きで、敵は全滅した。
 サハチは物見櫓から下りて、ンマムイの陣地に向かった。
「見事だったぞ」とサハチは言ったが、ンマムイは倒した武将の死体を見ながら首を傾げていた。
「師兄(シージォン)、こいつは米須按司ですよ」とンマムイは言った。
「なに!」と言って、サハチは武将の顔を見た。
 確かに米須按司だった。
「一体、どういう事だ?」とサハチにもわけがわからず、ンマムイを見た。
 物見櫓での父子喧嘩がその後も続いて、若按司が父親を追い出したのだろうか。何がどうなって、こうなったのかはわからないが、米須按司が亡くなれば、若按司はグスクを開城するだろうと思った。
 米須按司の遺体を荷車に積んで、米須グスクの大御門の前まで運んだ。遺体に従って行ったのは越来ヌルと中グスクヌルで、越来ヌルが米須按司の遺体を引き渡しますと言うと、大御門が開いて、若按司と米須ヌルの兄妹が現れた。
 二人は父親を見て泣いていたが、若按司は意を決した顔をして立ち上がると、「米須グスクを開城いたします」と言った。

 

 

2-141.落城(改訂決定稿)

 首里(すい)グスクのお祭り(うまちー)から六日後の昼下がり、玻名(はな)グスクに一節切(ひとよぎり)の調べが流れていた。
 吹いているのは勿論、サハチ(中山王世子、島添大里按司)である。高い櫓(やぐら)の上から海の方を見ながら吹いていた。
 戦(いくさ)を忘れさせる心地よい調べで、グスクを包囲している兵たちもグスク内にいる兵も避難民たちも皆、シーンとして聞き入っていた。
 正午(ひる)前、いつも炊き出しが行なわれる時刻に、サハチは櫓の上に登ってグスク内を見た。皆、疲れ切っていて動いている者はいなかった。炊き出しもなかった。籠城(ろうじょう)から二か月半が経って、兵糧(ひょうろう)も底を突いて来たようだった。
 総攻撃を掛ける時が来たとサハチは判断した。按司たちを本陣の屋敷に集めて作戦を伝えて、各自に準備をさせた。グスク内にいる鍛冶屋(かんじゃー)と木地屋(きじやー)に総攻撃を伝える合図は、サハチの一節切だった。サハチの一節切の調べが終わった時、鍛冶屋と木地屋が御門番(うじょうばん)を倒して、大御門(うふうじょー)を内側から開ける手筈になっていた。
 サハチは二千年前に琉球に来たアマミキヨの神様の事を想いながら一節切を吹いていた。
 遙か遠いアマンの国から何艘もの小舟(さぶに)に乗ってやって来たに違いない。
 途中で嵐に遭って琉球まで来られなかった者もいたに違いない。
 小舟に乗って明国(みんこく)まで行くなんて、とても考えられない事だが、それと同じような危険を冒してやって来たのだろう。
 琉球に来たアマミキヨの一族は垣花(かきぬはな)に都を造って、タカラガイヤコウガイを小舟に積んで、奄美の島々に寄りながらヤマトゥ(日本)まで行って交易をした。
 琉球は二千年も前から交易で栄えてきた島だった。そう思うとアマミキヨの子孫である血が騒いで、サハチは見知らぬ南の島へと行きたくなってきた。同族同士で戦をやるなんて馬鹿げている。早く琉球を統一して、新しい船出に出なければならないと思った。
 そんなサハチの想いは一節切の調べとなって、聴いている者たちを過去へと誘(いざな)い、忘れてしまっていた懐かしい記憶を蘇らせて、人々を感動させていた。
 サハチの一節切の曲が終わった。
 シーンと静まり返っていた。誰もが涙を拭っていた。
 突然、グスク内で悲鳴が聞こえたかと思うと、大御門が大きく開いた。待機していた慶良間之子(きらまぬしぃ)が率いる兵たちがグスク内に突入した。
 三の曲輪(くるわ)内は混乱状態に陥っていた。逃げ惑う避難民たちの中を刀を振りかざした兵が敵を探し回っていた。
 サハチは櫓の上からグスク内を眺めていた。佐敷大親(さしきうふや)が予定通りに避難民たちを誘導して南御門(ふぇーぬうじょう)から外に出していた。避難民たちは疲れ切っていて歩くのもやっとのようだった。
 突然、石垣の上に味方の兵が現れて、敵の守備兵を倒しながら一の曲輪の方に向かって行った。誰だろうとよく見るとマウシ(山田之子)のようだった。先頭を行くマウシは刀を抜かずに、敵兵を倒しては次々に石垣の下に落としていた。
 石垣の上を行けとは指示していなかった。マウシが判断したのだろうがいい考えだった。
 マウシが率いる兵は北側の石垣の上を通って一の曲輪まで行き、次々に消えていった。それを見ていた味方の兵たちが、そのあとに続いて一の曲輪に向かった。
 避難民たちが出て行った三の曲輪内でも戦闘は続いていて、敵の兵は次々に倒されていった。
 二の曲輪と三の曲輪をつないでいる御門(うじょう)が開いた。二の曲輪に避難していた家臣たちの家族が、二の曲輪の南御門から続々と出て来た。
 グスクから出て来た避難民たちは外で待機していた大(うふ)グスク按司と糸数按司(いちかじあじ)の兵に囲まれた中で、用意された炊き出しが配られた。
 一の曲輪内でも戦闘が行なわれているようだが、ここからはよく見えなかった。
「お父様!」と声がしてサハチが下を見るとサスカサ(島添大里ヌル)と安須森(あしむい)ヌル(先代佐敷ヌル)と若ヌルのマユが来ていた。リナーが率いる女子(いなぐ)サムレー十人と辰阿弥(しんあみ)とその弟子二人も一緒だった。
 三の曲輪と二の曲輪の戦が終わったようなので、サハチは櫓から降りた。
「お祭りの準備の最中に呼び出して悪かったな」とサハチは二人に謝った。
「もう、あたしがいなくても大丈夫よ」と安須森ヌルは言った。
「それに、小渡(うる)ヌルが娘と一緒に島添大里(しましいうふざとぅ)にいて、手伝ってくれるので助かっているわ」
「小渡ヌルが来ているのか」
首里グスクのお祭りに来ていてね、そのあと一緒に島添大里まで行って、ずっといるのよ。米須(くみし)でも戦が始まったので、帰ったら危険だって引き留めたの。マナビーも喜んでいるし、ずっといてくれたらいいのにと思っているのよ」
「そうか。海に潜れる陽気になるまで、島添大里にいたらいい」
 サハチはリナーを見ると、「頼むぞ」と言った。
「任せて下さい。無精庵(ぶしょうあん)様から怪我の治療法を習いましたから、皆、張り切っています」
 サハチはうなづきながら女子サムレーたちを見て、「敵の無残な死体を見て倒れるなよ」と言った。
「大丈夫ですよ」と女子サムレーたちは笑った。
「戦死した者たちの供養をお願いします」とサハチは辰阿弥に頼んだ。
 辰阿弥は両手を合わせて念仏を唱え、「皆、阿弥陀如来様のもとへと送り届けます」と言った。
 サハチの護衛にと慶良間之子が付けてくれた五人の兵と一緒に、サハチはヌルたちを連れてグスク内に入った。三の曲輪内には敵兵の死体がいくつも倒れていて、石垣の上には知念若按司(ちにんわかあじ)の兵たちが守備に就いていた。
 辰阿弥は二人の弟子を連れて、死体の側に行って念仏を唱え、『南無阿弥陀仏』と書かれた木の札(ふだ)を死体の上に置いた。
「思っていたよりも広いグスクなのね」と安須森ヌルが周りを見回しながら言った。
「俺も驚いたよ。玻名グスクがこんな立派なグスクだとは知らなかった」
「お清めも大変そうね」とサスカサが言った。
「玻名グスクヌルにも手伝ってもらうわ」と安須森ヌルは言った。
 去年の夏、『安須森参詣』をした時、玻名グスクヌルも参加していた。あまり話はしていないが、何となく気になる存在だった。父親は島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスクにいて、兄は戦死して、生まれ育った玻名グスクは奪われたが、何とか立ち直ってほしいと安須森ヌルは思っていた。
 二の曲輪に入ると敵兵の死体だけでなく、負傷した味方の兵たちが何人もいた。奥の方では捕虜になった敵兵が固まっていて、平田大親(ひらたうふや)と玉グスク按司の兵が見張っていた。
「あたしたちの出番ね。行くわよ」とリナーが言って、女子サムレーたちを連れて負傷兵の所に行った。
 サハチたちは一の曲輪に入った。瓦葺(かわらぶ)きの立派な屋敷が建っていた。あちこちに高価な壺(つぼ)が飾ってある屋敷の中は死体だらけだった。血まみれの死体を間近で見たマユが悲鳴を上げた。
「よく見ておきなさい。これが戦というものなのよ」と安須森ヌルが娘に言った。
 マユは母親を見てうなづいた。
 慶良間之子が来て、「作戦完了です」とサハチに報告した。
按司と若按司は討ったのか」とサハチは聞いた。
按司も若按司もマウシが倒しました」
「やはり、マウシがやったか」とサハチは笑った。
「二人のサムレー大将はシラー(久良波之子)とウハ(久志之子)が倒しました。三人とも随分と腕を上げているので驚きましたよ」
「マウシも頼もしいサムレー大将になったわね」と安須森ヌルがサハチに言って、「玻名グスクヌルはどこにいるかしら?」と慶良間之子に聞いた。
「御内原(うーちばる)にいます」と言って、慶良間之子が安須森ヌルたちを案内して行った。
 サハチは屋敷の中を一回りしてみたが、マウシもシラーもウハもいなかった。
 玻名グスク按司は一刀のもとに斬られていた。鎧(よろい)は付けていない。武装する間もなく、マウシたちが来てしまったのだろう。右手に持っている刀の刃には血の汚れはなかった。
 玻名グスク按司は若按司だった頃、チューマチの婚礼に来てくれた。丁度、二年前の今日だった。まさか、こんな事になるなんて、あの時、思ってもいなかった。サハチは冥福(めいふく)を祈って両手を合わせた。
 按司の死体から少し離れた所に若按司が倒れていた。若按司はまだ十二歳くらいの子供で、按司と同じように一刀のもとに斬られていた。あどけない顔で目を大きく見開いたまま亡くなっていた。
 サハチは目を閉じてやり両手を合わせた。
按司様(あじぬめー)、やりましたよ」とマウシの声がした。
 振り返るとマウシとシラーとウハがいた。
「見事だったぞ」とサハチは三人に言った。
 サハチに褒められて三人は照れていた。
 マウシは若按司の死体を見て、
「俺が按司を斬ったあと、若按司は俺に掛かってきました。他にも敵がいたので斬るしかなかったのです」と言った。
「若按司を名乗っているからには倒さなくてはならない相手だ」とサハチは言った。
 そう言いながらも、サハチには若按司は斬れなかったかもしれないと思った。
「それにしても、石垣の上を行くなんて、よく気が付いたな」
「シラーの考えです。うまく行きました」
「なに、シラーの考えか」とサハチはシラーを見て、よくやったと言うようにうなづいた。
 サハチは三人を連れて屋敷から出ると、兵たちを三の曲輪に集めて、勝ち鬨(どき)を上げて戦勝を祝った。
 敵は戦死者が五十二人で負傷者が二十三人、味方は戦死者が三人で、負傷者は十八人だった。負傷兵は味方も敵も女子サムレーが治療をした。重傷で手に負えない兵もいて、女子サムレーたちは自分たちの未熟さを嘆いていた。無精庵がいたら何とかなりそうだが、無精庵は山グスクの中にいた。
 死体を片付けて、捕虜となった兵たちを三の曲輪に集めて見張り、炊き出しの雑炊(じゅーしー)を配っていたら、八重瀬(えーじ)グスクから祝い酒が届いた。酒を皆に配って、ささやかに戦勝を祝った。
 戦後処理は大変だった。捕虜となった敵兵が百五十人もいた。八年前の戦の時、捕虜たちは首里の城下造りの人足(にんそく)として送ったが、今は人足は必要ない。かといって、すべての兵を玻名グスクの兵として抱えるわけにもいかない。按司の敵討ちだと反乱を起こす危険性が大きかった。サハチは本陣となっている八重瀬グスクに行って思紹(ししょう)(中山王)と相談した。
 サハチが戦(いくさ)の状況を説明したら、
「ほう、マウシが大活躍したか」と思紹は喜んだ。
「サムレー大将にしておいてよかったな」
「シラーはなかなかの軍師です。他の按司たちが避難民たちがいっぱいいる三の曲輪に入って、敵兵を捜し回っている時、マウシたちは石垣の上に登って、石垣の上を通って一の曲輪まで行ったのです。シラーが考えたそうです」
「ほう、あのシラーがな。大したもんじゃ。将来、ファイチのようになってくれたら頼もしいのう。ファイチはわしらの軍師じゃからのう」
「わたしが軍師ですか」とファイチ(懐機)は驚いた顔をして思紹を見た。
「ファイチが中山王(ちゅうざんおう)の軍師だという事は誰もが認めているよ」とサハチはファイチに言った。
 サハチが捕虜の事を聞くと、「寺院造りの人足に使ったらどうじゃ?」と思紹は言った。
「使うとしても二、三十人もいれば充分でしょう」とサハチは答えた。
鳥島(とぅいしま)(硫黄鳥島)に送って硫黄(いおう)を掘らせましょう」とファイチが言った。
永楽帝(えいらくてい)は順天府(じゅんてんふ)(北京)に行って蒙古(もうこ)と戦をしています。硫黄は益々重要な商品となるはずです。永楽帝がヤマトゥと交易をしたかったのも硫黄を手に入れるためです。ヤマトゥとの交易が駄目になったので、琉球が今以上に硫黄を運ばなくてはならなくなるでしょう」
鳥島か」と思紹は言って、「それじゃな」とうなづいた。
「百五十人も送るとなると警備兵も増やさなくてはなりませんね」とサハチは言った。
「あの島に古くからいて、真面目に仕事に励んでいた者は故郷(うまりじま)に帰してやればいい」
「わかりました。ヒューガ(日向大親)殿と相談してみます。そして、誰を玻名グスク按司にするつもりなのですか」
「一番の活躍はマウシたちと言うよりも、鍛冶屋と木地屋だろう。長い籠城に耐えて、約束通りに御門を開けてくれたんじゃからな」
「確かに、そうですね。すると奥間大親(うくまうふや)が玻名グスク按司ですか」
 話を聞いていた奥間大親が驚いた顔をして、
「冗談はやめてくだされ。わしなんぞに按司など務まるわけがない」と慌てて言った。
「ヤキチがサハチに仕えてから、何年になる?」と思紹が奥間大親に聞いた。
「三十二の時に来ましたから、もう二十六年になります」
「二十六年も仕えてきた御褒美じゃよ」と思紹は言った。
「そんな、冗談ではありません」と言って奥間大親は必死になって手を振った。
「そなたのためだけではないんじゃ。奥間の者たちの拠点にしてほしいんじゃよ」と思紹は言った。
「細長い丘の上に具志頭(ぐしちゃん)グスクと玻名グスクがある。はっきり言って玻名グスクは必要ないんじゃ。しかし、あれだけのグスクを潰すのはもったいない。鍛冶屋の拠点として使ってほしいんじゃよ」
「鍛冶屋の拠点ですか」
「そうじゃ。あのグスクの中で鍛冶屋をやるんじゃよ。鍛冶屋に必要な炭も奥間から玻名グスクに運んで、各地にいる鍛冶屋に分けてやればいい」
「成程。炭を奥間からあそこに運べば、南部にいる鍛冶屋たちは助かります」
木地屋が使う木もあそこに運べばいい。あそこを南部の奥間にするんじゃよ。奥間の者たちには今後も活躍してもらわなければならんからのう」
「タタラ吹き(製鉄)もして、農具やトゥジャ(モリ)を作ればいい」とサハチが言った。
「草刈り用の鎌を作ってください」とファイチが言った。
「久米村(くみむら)でまとめて買いますよ」
「ヤマトゥの鎌はよく切れるが高価じゃ。安い鎌を作れば、庶民たちも助かるじゃろう」
「わかりました」と奥間大親はうなづいた。
「グスクを守るために兵もいるだろうから人が足らないようなら言ってくれ」と思紹が言った。
「いえ、奥間の若い衆を連れてくれば何とかなります」
「大変じゃろうが玻名グスクを頼む」
「わかりました。ありがとうございます」
 思紹は満足そうにうなづいた。
 サハチは奥間大親と一緒に玻名グスクに戻った。
 捕虜たちは平田大親と玉グスク按司の兵に見張られて首里へと向かった。
 安須森ヌルとサスカサによるグスクのお清めも終わって、東方(あがりかた)の按司たちも引き上げて行った。
 中山王の重臣、奥間大親が玻名グスク按司になる事を告げると東方の按司たちは驚いた。奥間大親の事をよく知らない按司たちも、今回、一番の手柄はマウシだと心得ているので、マウシと何かつながりがあるのだろうと思って何も言わなかった。今回の報酬として、次回の進貢船(しんくんしん)の従者たちの商品を以前の倍にすると言ったら、皆、喜んで、納得して帰って行った。
 マウシたちも今回の戦に勝てたのは、鍛冶屋たちのお陰だと思っているので、奥間大親が玻名グスク按司になる事に納得していた。サハチはマウシ、シラー、ウハの三人には御褒美にヤマトゥの名刀を贈る事にした。
 捕虜たちもいなくなり、東方の按司たちもいなくなって、グスク内は閑散としていた。残っているのは慶良間之子、佐敷大親、手登根大親(てぃりくんうふや)、マウシたちが率いて来た兵、三百人足らずになっていた。
 御内原にいた按司の奥方は、真壁(まかび)グスクを攻めている波平大主(はんじゃうふぬし)の陣地に送られた。奥方は真壁按司の妹で子供はいなかった。玻名グスクが落城して、按司が戦死して、奥方が人質になったと知れば、真壁按司も降伏するだろう。玻名グスク按司の側室は二人いて、一人は若按司と二人の娘の母親で、もう一人は奥間から贈られた側室だった。
 若按司の母親の父親は、山南王(さんなんおう)の使者を務めたシラーの長男で明国で病死していた。兄は山南王に仕えていて交易担当の役人だった。交易担当の役人なら殺される事もないだろうと思い、娘と一緒に島尻大里グスクを攻めている他魯毎(たるむい)の本陣に送った。奥間の側室は奥間大親に任せた。
 玻名グスクヌルは行く場所がないと言って泣いていた。母親が中座グスクにいるはずだと言うので、マウシたちが兵を率いて行ったが、すでにグスクはもぬけの殻で誰もいなかった。屋敷はあるが石垣は未完成で、守る事はできないと逃げて行ったようだった。
 安須森ヌルは一緒に島添大里グスクに行きましょうと誘ったが、父の敵(かたき)の世話にはなりたくないと言って安須森ヌルを睨んだ。
「あなたの叔母さんが八重瀬にいるわ」と安須森ヌルは言った。
 父と八重瀬按司(タブチ)が仲がよかったので、母と八重瀬の叔母も仲良しだった。八重瀬の叔母も夫と息子を亡くして悲しんでいるに違いない。もしかしたら、母も叔母を頼って八重瀬に行ったのかもしれない。玻名グスクヌルは八重瀬に行こうと決心して、住み慣れた玻名グスクに別れを告げて、安須森ヌルたちと一緒に八重瀬グスクに向かった。
 夕方にサタルーがやって来た。
「ヤキチ(奥間大親)がここの按司になったって本当ですか」と息を切らせながらサハチに聞いた。
「グスクが落ちたのは鍛冶屋のお陰だからな」とサハチは言った。
 サタルーはサハチを見つめて、「信じられない」と首を振った。
「今の中山王は鮫皮(さみがー)作りの職人の息子だ。鍛冶屋が按司になってもおかしくはない」
 サハチがそう言うとサタルーは笑った。
「山グスクはどうだ?」とサハチは聞いた。
「あのグスクは崖の上と下に曲輪があるので、完全に包囲できません。夜になると数人の敵がどこからか出て来て奇襲して来ます。出て来た敵は倒していますが、味方の負傷兵も増えています」
「そうか、苦戦をしているか。兵力を増やした方がいいかもしれんな」
 サハチはサタルーと一緒に物見櫓に登って海を眺めた。
「俺がまだ若按司だった頃、サタルーが奥間で生まれて、ヤキチが佐敷にやって来た」とサハチは言った。
「まだマチルギが嫁いで来る前だった。あの頃はウニタキもまだいなくて、ヤキチからの情報は大いに助かった。親父が隠居して、俺が佐敷按司だった時、毎年、梅雨が明けるとマチルギと一緒に旅に出た。ヤキチは陰ながら付いて来て、俺たちを守ってくれた。長年、仕えてくれた奥間の者たちへの感謝の印だ。ここを拠点にして、これからもよろしく頼むぞ」
「ここが奥間の拠点?」と言ってサタルーは振り返ってグスク内を見た。
「広いですね。ここが奥間の拠点か‥‥‥」
 サタルーは嬉しそうな顔をしてサハチを見て、お礼を言った。
「お前がここに入ってもいいぞ」とサハチが言うと、
「まだ、北(にし)でやる事がありますので、ここはヤキチに任せます」とサタルーは笑った。
 次の日、具志頭グスクを守っていた島添大里の兵百人がやって来た。具志頭グスクにキラマ(慶良間)の島から百人の若い者たちが来たという。
 サハチは平田大親、手登根大親、マウシたちを本拠地に返した。
 それから五日後、奥間から若者たちが百人来た。島添大里の兵は残して、サハチは八重瀬グスクに向かった。

 

 

 

尺八 (しゃくはち) 玉山銘 真竹 都山流 1尺8寸 高級管 Gyokuzan Shakuhachi Tozan-ryu 1shaku8sun(D)

2-140.愛洲のジルー(改訂決定稿)

 シンゴ(早田新五郎)とマグサ(孫三郎)の船が馬天浜(ばてぃんはま)にやって来た。
 知らせを聞いたサハチ(中山王世子、島添大里按司)は玻名(はな)グスクから馬天浜に向かった。
 すでに、『対馬館(つしまかん)』で歓迎の宴(うたげ)が始まっていた。マチルギと安須森(あしむい)ヌルになった佐敷ヌルが来ていて、みんなを出迎えたようだった。四隻の船で来たらしく、対馬館は一杯で、浜辺のあちこちで酒盛りをやっていた。
 サミガー大主(うふぬし)(ウミンター)の長男ハチルーの妻のアキと次男シタルーの妻のマジニが、ウミンチュ(漁師)のおかみさんたちを指図して忙しそうに働いていた。マチルギと安須森ヌルと若ヌル、佐敷の女子(いなぐ)サムレーたちも手伝っていた。
「ルクルジルー(早田六郎次郎)が来たのよ」とマチルギがサハチに言った。
「なに、ルクルジルーが来たのか。無事に明国(みんこく)から帰って来たんだな。よかった」
「かなりの損害があったようだけど、それ以上の収穫があったらしいわ。ササたちと一緒に浜辺の方にいるわよ」
 サハチが浜辺の方に行こうとしたら、マチルギがサハチの手を引いて、「ササなんだけど、おかしいのよ」と言った。
「あたしたちが来るより先にここに来ていて、シンゴさんが連れて来たお客様と会ったんだけど、急に女らしくなって、言葉もいつもと全然違うのよ」
「何だと?」
「以前に、シラーと出会った時も、ササはそんな感じだったんでしょ。もしかしたら、ササのマレビト神なのかしら」
「何者なんだ。お客様というのは?」
「伊勢の国の水軍大将の倅みたい。年の頃はササと同じくらいだと思うわ。『愛洲次郎(あいすじるー)』という名前で、次郎のお祖父(じい)さんはサンルーザ(早田三郎左衛門)様と一緒に南朝(なんちょう)方の水軍として活躍していたらしいわ」
「ほう、水軍の大将の倅か。どんな奴だか見て来よう」
「ササにお似合いよ」とマチルギは笑った。
 ササ、シンシン(杏杏)、ナナ、四人のササの弟子たちと一緒に、ルクルジルー、サイムンジルー(左衛門次郎)、クサンルー(小三郎)の三人がいて、見知らぬ三人の男がいた。
 サハチを見ると、「お久し振りです」とルクルジルーが挨拶をして、サイムンジルーとクサンルーが頭を下げた。三人と会うのは五年振りだった。明国に行って危険を乗り越えてきたせいか、三人とも頼もしくなっていた。
「とうとう琉球にやって参りました」とルクルジルーはさわやかに笑った。
「俺が琉球に行くと言ったら、ミナミが一緒に行くって駄々をこねましたよ。琉球のお爺に会いに行くってね」
 サハチは嬉しそうに笑って、「ミナミも大きくなっただろうな」と言った。
「十一歳になって、ユキから剣術を習い始めました」
「そうか、ミナミが剣術を始めたか‥‥‥弟ができたんだってな。おめでとう」
「まだ三歳ですが、お爺ちゃんによく似ているとみんなから言われています」
「サイムンタルー(早田左衛門太郎)殿が喜んでいるだろう」
「孫の顔を見るために、ちょくちょく船越までやって来ています」
「そうか」とサハチはサイムンタルーが孫の三郎を抱いている姿を想像して笑った。
按司様(あじぬめー)、紹介いたしますわ」とササが言って、愛洲次郎とその家臣の寺田源三郎と河合孫次郎を紹介した。
 三人とも同じ年頃の若者で、日に焼けた顔と潮焼けした髪が、一年中、船の上にいる事を物語っていた。
「お世話になります」と挨拶した愛洲次郎は、若いのに大将という風格が感じられた。水軍の大将になるように育てられて、子供の頃から家臣たちの子供を引き連れて遊んでいたのだろう。
「去年の春、京都に行った時に、琉球の噂を聞きました。琉球の人たちはいつも等持寺(とうじじ)に滞在していますが、お姫様は将軍様の御台所(みだいどころ)様と仲良しで、将軍様の御所に滞在なされる。琉球のお姫様は龍宮(りゅうぐう)の乙姫(おとひめ)様のように美しいお方で、御台所様と一緒に伊勢参詣や熊野参詣もなさっておられる。以前、京都に大きな台風が来た時には、避難した人たちを助けておられた。琉球の女子(おなご)は刀を腰に差して勇ましいけど、心の優しい女子たちばかりだと噂されておりました。俺はお姫様を一目見たくて琉球までやって参りました。そしたら、なんとお姫様が出迎えてくれました。俺は今、夢を見ているような心地です」
「お姫様って、わたしの事なんですのよ」とササは嬉しそうな顔をしてサハチに言って、うっとりするような目をして愛洲次郎を見ていた。
 マチルギが言うように、愛洲次郎はササとお似合いだが、気まぐれなササの事だから、やっぱり違ったわと言い出しかねない。二人の仲がうまくいってくれればいいとサハチは願った。
 ササたちはいつものように女子サムレーの格好だが、ササはいつものようにあぐらをかいていなかった。きちんと正座をしている。シンシンとナナはあぐらをかいていて、弟子たちは師匠を見習って正座をしていた。
 ササは御台所様たちと一緒に伊勢の神宮に行った時の話をしていた。しゃべり方も笑い方も手の仕草もおかしかった。京都の高橋殿の屋敷に仕えている侍女たちのような話し方だ。そんなササをシンシンもナナも四人の弟子たちも怪訝(けげん)な顔して見ているが、ササはお構いなしに女らしさを精一杯表現しているようだった。
 ササたちの隣りでは、シンゴとマグサがユリ、ハル、シビーと一緒にいた。ユリたちは安須森ヌルと一緒に首里(すい)でお祭りの準備をしていて、マチルギと一緒に来たのだった。
 サハチは隣りに移動して、シンゴにルクルジルーと愛洲次郎を連れて来てくれたお礼を言って、倭寇(わこう)として明国に行ったサイムンタルーの事を聞いた。
「無事に帰って来て、よかったんだが、帰らなかった者たちも多いんだよ」とシンゴは苦しそうな顔をして言った。
「わしの親戚の者も帰って来ませんでした」とマグサが言った。
「そうだったのか。明国も警戒が厳重になっているんだな」
「それでも、衛所(えいしょ)という役所を襲撃して大量の穀物や食糧を奪って来たんだ。みんな、喜んでいるけど、また来年も行かなければならないかもしれないと兄貴は心配していたよ」
「サイムンタルー殿も大変だな」と言ってから、「永楽帝(えいらくてい)のヤマトゥ(日本)攻めはどうなったんだ?」とサハチは聞いた。
永楽帝は順天府(じゅんてんふ)(北京)に行っているし、鄭和(ジェンフォ)の大船団も予定通りに旅に出たようだから大丈夫じゃないのか」
「なに、鄭和は旅に出たか」とサハチは安心した。
「ところで、マツ(中島松太郎)とトラ(大石寅次郎)はどうしている?」
「なぜか、琉球から帰ったら、あの二人は以前よりも真面目になって、兄貴と一緒に対馬を統一しようと頑張っているよ」
「あいつらが真面目になったか」とサハチは笑って、「旅芸人の踊り子がトラの息子を産んだよ」と言った。
「なに、フクがトラの息子をか」とシンゴは驚いた。
「名前はグマトゥラ(小寅)だ」
「グマトゥラか‥‥‥トラが知ったら飛んで来るだろう」とシンゴは楽しそうに笑った。
 サハチは振り返ってササを見て、「愛洲次郎というのは何者だ?」とシンゴに聞いた。
「ササ、おかしいわ」とユリが笑った。
「あれが普通で、いつものササ姉(ねえ)がおかしいのよ」とシビーが言った。
 そういう見方もあるなとサハチは思った。
伊勢の神宮の南に五ヶ所浦という港があるんだ。そこを本拠地にしているのが愛洲一族なんだよ。そこは伊勢参詣をした者たちが船に乗って熊野参詣に向かう港で、結構、参詣客で賑わっているようだ。南北朝で争っていた頃は熊野水軍と一緒に、愛洲水軍は南朝方として活躍したんだよ。次郎の祖父は九州まで来て、懐良親王(かねよししんのう)様に仕えていたようだ。次郎は京都に行って琉球の事を知って、明国の商品を手に入れたいと言ってやって来たんだよ」
「そうか。取り引きに来たのなら大歓迎だ」とサハチは笑った。
 安須森ヌルが酒と料理を持ってやって来た。
「ササのマレビト神がやって来たみたいね」と安須森ヌルはササを見て笑った。
「本当にマレビト神なのか」とサハチは安須森ヌルに聞いた。
「ササは見たのよ。誰だかわからないけど、マレビト神が来る場面をね。それで、知らせが来る前にここに来て、お船が着くのを待っていたのよ」
「なに、ササは知らせが来る前に、ここに来ていたのか」とサハチは驚いた。
「ササがやって来たので、ウミンター叔父さんも慌てて、みんなを迎える準備を始めたのよ。いつもより大勢の人が来たから、ササのお陰で間に合ったって喜んでいたわ」
「そうだったのか。それならマレビト神に違いないな。ササにもようやく幸せがやって来たか」
「ササも頑張っているから、幸せになってほしいわ」と安須森ヌルは言ってから、「山南(さんなん)の王妃様(うふぃー)が島添大里(しましいうふざとぅ)グスクに来たわよ」と言った。
「えっ、どうして、山南の王妃様が来たんだ?」
「ウミトゥクと一緒にユーナに会いに来たのよ」
 ユーナはキラマ(慶良間)の島から戻って来ていた。ウニタキ(三星大親)がシタルー(先代山南王)の死を知らせて、もう大丈夫だと連れて来たのだった。ニシンジニーが与那原(ゆなばる)に行ってしまって、一人足らなくなったので丁度よかった。ユーナは皆に歓迎されて、女子サムレーに戻っていた。
 ユーナは山南王妃と一緒に豊見(とぅゆみ)グスクに行って、父親の中程大親(なかふどぅうふや)と六年振りに会った。父親は娘が死んだものと思っていたので、涙を流して再会を喜んだという。
 サハチがササたちの所に戻ると四人の弟子たちの姿はなかった。お酒が飲めない四人をナツの妹のアキが、おいしいお菓子があると言って連れて行ったという。
 日が暮れる前に宴はお開きになって、対馬館に収まりきらない者たちを佐敷の新里(しんざとぅ)の空き家に分散させた。ルクルジルーたちと愛洲次郎たちには島添大里城下のお客用の屋敷を使ってもらうつもりだったが、ササが与那原に連れて行くと言った。ルクルジルーたちもヂャンサンフォン(張三豊)の弟子なので、師匠に会いたいと言った。今、出陣中のサハチは、ルクルジルーたちと愛洲次郎たちはササに任せる事にした。
 今から玻名グスクの陣地に戻っても仕方がないと思い、サハチも与那原に行って宴の続きをして、翌日、本陣となっている八重瀬(えーじ)グスクに向かった。
 八重瀬グスクは厳重に守りを固めていた。焼け落ちた一の曲輪(くるわ)の屋敷は綺麗に片付けられてあった。主役の屋敷がないと、何となく間の抜けたグスクに見えた。思紹(ししょう)たちは二の曲輪にある八重瀬ヌルの屋敷にいた。ウニタキが来ていて、絵地図を見ながら今の状況を説明していた。
「ルクルジルーが来たそうじゃな」とサハチの顔を見ると思紹が言った。
「ササが与那原に連れて行きました」
「なに、与那原に行ったのか」
 サハチはうなづいた。
「お客さんの事はササに任せましょう。何かをさせておかないと、鎧(よろい)を着て戦をしに来ますからね」
 思紹は笑ってから、「イシムイ(武寧の三男)が戦線から離脱したそうじゃ」と言った。
「えっ、賀数(かかじ)グスクを奪い取って、賀数按司になったイシムイが逃げたのですか」
「昨日の早朝、奴は包囲陣を突破して、東(あがり)の方に逃げて行ったんだ」とウニタキが言った。
「東の方というと今、造っているグスクに行ったのか」
「いや、さらに東だ。稲嶺(いなんみ)(東風平(くちんだ))の辺りまで来て森の中に隠れて、農民(はるさー)の格好に着替えて、北(にし)の方に散って行った。多分、本拠地に帰ったのだろう。配下の者に追わせた。今後のために居場所だけは知っておかないとな」
「イシムイは叔父を見捨てて帰ったのか」
「瀬長按司(しながあじ)もンマムイ(兼グスク按司)も動かなかったから、叔父の巻き添えを食らって殺されたらかなわんと思ったのだろう」
 ウニタキはそう言ってから、絵地図を見て、誰がどこを攻めているかを教えてくれた。
 島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスクを包囲しているのは他魯毎(たるむい)(豊見グスクの山南王)の兵、保栄茂按司(ぶいむあじ)の兵、山北王(さんほくおう)の兵で、およそ八百人。保栄茂按司は賀数大親(かかじうふや)と一緒に賀数グスクを攻めていたが、イシムイが逃げたので島尻大里グスク攻めに加わっていた。
 賀数グスクには戦死した次男の妻のマニーがいて、侍女と一緒に捕まって、真栄里(めーざとぅ)グスクを攻めている照屋大親(てぃらうふや)の陣地に連れて行かれた。真栄里グスクは照屋大親、兼(かに)グスク大親糸満大親(いちまんうふや)、国吉大親(くにしうふや)と重臣たちの兵二百人が攻めていた。照屋大親は降伏しないと、娘のマニーを殺すと言って真栄里按司を脅した。
 大(うふ)グスクは長嶺按司(ながんみあじ)と瀬長按司の二百人が攻め、与座(ゆざ)グスクは兼グスク按司(ジャナムイ)と小禄按司(うるくあじ)の二百人が攻め、真壁(まかび)グスクは波平大主(はんじゃうふぬし)の兵百人が攻めている。
 李仲按司(りーぢょんあじ)は李仲グスクを奪い返していた。李仲グスクにも抜け穴があって、その抜け穴を利用して、まだ夜の明けきらぬ早朝に総攻撃を掛けて攻め落とした。摩文仁按司(まぶいあじ)は半数余りの兵を失って、妻や子も残したまま、妹婿の伊敷按司(いしきあじ)を頼って伊敷グスクに逃げて行った。摩文仁按司の妻は小禄按司の妹なので子供たちと一緒に助けられた。李仲按司は李仲グスクを若按司に守らせて、今は伊敷グスクを攻めている。
 ナーグスクは様子を見に行った李仲按司が開城した。ナーグスクにいたのは伊敷ヌルで、三十人の兵が守っていた。李仲按司が声を掛けると伊敷ヌルは二人の子供を連れて出て来て、子供の父親は他魯毎だと言った。李仲按司には信じられなかったが、伊敷ヌルは他魯毎からもらったという短刀を見せた。
 その短刀には見覚えがあった。他魯毎が豊見グスク按司になった時、シタルー(先代山南王)からもらった物だった。他魯毎は常に身に付けていたが、ある時期から見なくなった。どうしたのかと聞いたら、大切にしまってあると言った。
「この子が生まれた時に、守り刀にしろと言っていただきました」と伊敷ヌルは言った。
 李仲按司は子供を見た。六歳くらいの女の子と四歳くらいの男の子だった。娘は母親に似て可愛い顔をして、大きな目で李仲按司を見ていた。男の子は恥ずかしそうに母親の後ろに隠れていたが、その仕草が子供の頃の他魯毎とよく似ていた。
「戦が終わるまで、このグスクを守っていてくれ」と李仲按司は伊敷ヌルに頼んだ。
 新垣(あらかき)グスクは誰も攻めていなかった。グスクを包囲して、新垣按司が動けないようにしたいのだが、兵力が足らなかった。
「新垣グスクですが、中山王(ちゅうさんおう)が攻めると他魯毎に言ったらどうですか」とサハチは思紹に言った。
「それは無理でしょう」とファイチ(懐機)が言った。
「新垣グスクは島尻大里グスクに近すぎます。新垣グスクが中山王のものとなってしまえば、他魯毎は山南王になって島尻大里グスクに入っても、新垣グスクが気になって夜も眠れないでしょう」
 確かにファイチの言う通りだった。新垣グスクは島尻大里グスクを守る出城の一つだった。他魯毎が思紹の娘婿だとしても、出城を渡すわけがなかった。
「新垣按司はタブチ(先々代八重瀬按司)の幼馴染みで、シタルーの重臣でした」とウニタキが言った。
「タブチと他魯毎が争った時、シタルーの息子より幼馴染みのタブチを選んだ。タブチが抜けて、成り行きから摩文仁(まぶい)(島尻大里の山南王)に付いたが、他魯毎を恨んでいるわけではない。島尻大里グスクから出て、頭を冷やしてよく考えてみたら他魯毎に付くべきだと考え直したのかもしれない。奴はグスクに籠もったまま攻撃に出る気配はありません」
「降参したとしても命は助かるまい。摩文仁の大将として戦っていたからのう」と思紹は言った。
「自分は助からなくても若按司を助けようと思っているのかもしれません。若按司の妻は照屋大親の娘です」
「すると、倅のために降伏するかもしれんな」
「真栄里按司の方はどうだ?」とサハチはウニタキに聞いた。
「真栄里按司には三人の倅がいる。長男と次男が妻を迎える時、真栄里按司は豊見グスクにいたシタルーの重臣だった。その頃の重臣の娘を妻に迎えたと思うが誰だかわからない。三男が妻を迎える時は、山南王になったシタルーの重臣になっていたので、糸満按司の娘を迎えている」
「真栄里按司は三男に跡を継がせようと考えるかもしれんな」と思紹が言った。
「イシムイが抜けたので、皆、保身の道を探るかもしれません。そうなると、あまり抵抗はせずに降伏するかもしれません」とファイチが言った。
「周りの者たちが降伏しても、摩文仁は降伏せんじゃろう。島尻大里グスクをどうやって落とすかが問題じゃな」と思紹は腕を組んだ。
「こっちの状況はどうなんだ? 降伏しそうなグスクはあるのか」とサハチはウニタキに聞いた。
「ないな」とウニタキはあっさりと言った。
「米須按司(くみしあじ)は摩文仁の倅だから降伏しないだろう。玻名グスク、山グスクも降伏しそうもない。波平グスクも波平按司が島尻大里グスク内にいるから降伏はしないだろう」
「戦はまだまだ終わりそうもないのう」と思紹が渋い顔をした。
 サハチは玻名グスクの陣地に帰った。ウニタキは山グスクに向かった。米須グスクも波平グスクもグスク内に味方の者を入れるのに成功したが、山グスクだけは入れられなかった。何とか潜入する手立てを考えなくてはならないと言っていた。


 シンゴたちの船が来たのが正月の二十日で、その日の早朝、イシムイが逃げて行った。
 二十二日、娘を人質に取られていた真栄里按司が降伏した。娘を殺してまでも、摩文仁に義理立てする筋はないと判断したようだ。真栄里按司と若按司は捕まって、糸満大親の娘婿の三男が父親の跡を継いで、真栄里大親になった。
 タブチは重臣たちに按司を名乗らせたが、他魯毎は以前のごとく大親を名乗らせた。
「お前の活躍次第では、父親と兄の命を助けられるかもしれない」と照屋大親に言われた三男は兵を率いて、照屋大親たちと一緒に新垣グスク攻めに加わった。
 真栄里按司の次男は父と兄が捕まって、弟が跡を継いだ事など知らずに、島尻大里のサムレーとして島尻大里グスクを守っていた。
 二十三日、新垣グスクは他魯毎重臣たちの兵に囲まれた。照屋大親から真栄里按司が降伏した事を知らされた新垣按司は、照屋大親の娘婿の若按司に跡を継がせてくれたら降伏すると言った。
 その事は王妃から許しを得ていた照屋大親だったが、警戒して、すぐには返事をせずに、グスク内にいる石屋のテハの妻と子を引き取った。テハの妻から新垣按司が戦の準備をしている様子はない事を知ると翌日、条件を呑んだ。新垣按司はグスクを開城した。按司は捕まって豊見グスクに送られ、若按司が跡を継いで新垣大親を名乗り、重臣たちと一緒に真壁グスク攻めに加わった。
 その後は膠着(こうちゃく)状態となって、正月も終わり、二月に入った。
 二月九日、首里グスクでお祭り(うまちー)が行なわれた。お芝居は安須森ヌルの新作『豊玉姫(とよたまひめ)』が演じられて大喝采を浴びたという。旅芸人たちは『察度(さとぅ)』を演じて、こちらも観客たちに喜ばれた。南部で戦をしているので、どさくさに紛れて曲者(くせもの)が紛れ込む可能性があった。いつも以上に厳重な警戒の中でのお祭りだった。
 無事にお祭りも終わって、ササたちはルクルジルーたち、愛洲次郎たちを連れて琉球一周の旅に出た。ササたちはウタキ(御嶽)巡りも兼ねていた。豊玉姫の神様に言われたように、忘れ去られてしまったウタキを探し出して、復活させなければならなかった。ヂャンサンフォンと運玉森(うんたまむい)ヌル(先代サスカサ)が一緒に行って、福寿坊(ふくじゅぼう)と二階堂右馬助(にかいどううまのすけ)も加わった。
 右馬助は前回、ヌルたちと一緒にヤンバル(琉球北部)に行った時、何かを感じたらしく、もう一度、ヤンバルに行ってみたいと言って付いて来た。琉球に来てから修行三昧(ざんまい)の右馬助がどれほど強いのか誰にもわからなかったが、一緒に行ってくれれば心強いとサハチは思った。

 

 

 

陰の流れ 愛洲移香斎 第一部 陰流天狗勝   陰の流れ 愛洲移香斎 第二部 赤松政則   陰の流れ 愛洲移香斎 第三部 本願寺蓮如