長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

2-221.シネリキヨ(改訂決定稿)

 中山王(ちゅうざんおう)(思紹)と山南王(さんなんおう)(他魯毎)の進貢船(しんくんしん)が船出した日、ササ(運玉森ヌル)たちは沢岻(たくし)に向かっていた。
 母の馬天(ばてぃん)ヌルは沢岻ヌルを知らなかった。浦添(うらしい)ヌルのカナも知らなかったし、アキシノ様に聞いても、真玉添(まだんすい)(首里にあったヌルたちの都)で会って、一緒に与論島(ゆんぬじま)に逃げたけど、その後の事は知らないと言った。沢岻ヌルのウタキ(御嶽)を見つけて、マサキ(兼グスク若ヌル)が持っているガーラダマ(勾玉)の持ち主を探さなければならなかった。
 須久名森(すくなむい)の山頂で笛を吹いた翌日、安須森(あしむい)ヌル(先代佐敷ヌル)とササたちは『須久名森ヌル』になったタミーと別れた。タミーは平田ヌルのサチと一緒に須久名森の古いウタキを復活させなければならなかった。
 島添大里(しましいうふざとぅ)グスクに行ったササはシジマと会って話を聞いた。シジマはヌルになる決心を固めて、安須森ヌルのもとでヌルになるための修行をしていた。すでにアキシノ様と会っていて、アキシノ様が屋嘉比(やはび)のお婆にシジマの事を頼み、屋嘉比のお婆はサミガー大主(うふぬし)にシジマを託した事を知っていた。
「志慶真(しじま)ヌルが病気だって聞きました?」とササが聞くとシジマはうなづいた。
「ガーラダマの事も聞きました」
「志慶真ヌルが亡くなるのを待つのはいやな気分だけど仕方がないわね。亡くなったら、一緒に志慶真村まで行きましょう」
 シジマはうなづいて、お礼を言った。一人で志慶真村に帰るのは不安だったが、ササたちが一緒なら怖い物なしだった。
 安須森ヌルの屋敷で、フカマヌルが待っていた。ウニチルを見たフカマヌルは娘の成長振りに驚いていた。ヤマトゥ(日本)旅に出る前の半年前とは、まるで別人のようだった。
「お母さん、迎えに来てくれたのね」と言って笑ったウニチルは以前と同じだったので、フカマヌルも笑って娘を迎えた。
「ササ、ありがとう」とフカマヌルはお礼を言った。
「ウニチルはもう一人前よ」とササは笑った。
 チチーの母親のマカミーとマサキの母のマハニも待っていて、チチー(八重瀬若ヌル)とマサキと再会した。マサキは父親のンマムイ(兼グスク按司)とは那覇館(なーふぁかん)で会ったが、やはり、母親に会いたかった。二人ともしっかりしていても、まだ母親に甘えたい年頃だった。ウミ(運玉森若ヌル)とミミ(手登根若ヌル)は平田グスクで母親と会っていた。
 玻名(はな)グスクヌルを待っていた鍛冶屋(かんじゃー)のサキチもいて、玻名グスクヌルはサキチとの再会を喜んだ。
 女子(いなぐ)サムレーたちに旅の話をしていたら、首里(すい)の『まるずや』で戦評定(いくさひょうじょう)だと言われて、サハチ(中山王世子、島添大里按司)、安須森ヌル、サスカサ(島添大里ヌル)と一緒にササは首里に向かった。翌日、安須森ヌルとサスカサ、サタルーも一緒に、ササは若ヌルたちが待っている島添大里グスクに帰った。サタルーはナナとの再会を喜んだ。
 サハチは首里に残って、ファイチ(懐機)と一緒に庭園を造る場所の下見をしていた。
 マユ(安須森若ヌル)とウニチルと別れて、ササたちは与那原(ゆなばる)グスク内の我が家に帰った。当然のように、サタルーも付いて行った。
 越来(ぐいく)ヌルのハマは越来に帰ったが、玻名グスクヌルは一緒にいた。ずっと一緒に旅をしてきた玻名グスクヌルは、若ヌルたちの母親代わりになっていた。ササの凄さを何度も目の当たりに見ていて、ヌルとしてのササを尊敬していた。ササと一緒にいれば自分も成長できるので、安須森ヌルの許しを得てササに従っていた。
 与那原大親(ゆなばるうふや)(マウー)は帰国祝いの宴(うたげ)を開いてくれた。山グスクからマウシ(山田之子)とシラー(久良波之子)が来て、シンシン(杏杏)はシラーとの再会を喜んだ。
 昨日はのんびりと過ごし、お土産を持って我謝(がーじゃ)の孤児院に行って、子供たちと遊んだりした。そして、今日、沢岻に向かったのだった。
 沢岻の集落は沢岻川沿いにある高台の上に、十数件の家があるだけの小さな村だった。
 畑にいたお婆に、沢岻ヌル様はいますかとササが聞いたら、
「昔はおったが、今はおらん」と言った。
「昔というのはいつですか」
「三十年くらい前かのう、根人(にっちゅ)(一族の本家)の娘が跡を継いだんじゃが、若くして亡くなってしまって、ヌルは絶えてしまったんじゃよ。今、根人には十二歳になった娘がいて、浦添のヌル様に頼んで、ヌルにしてもらおうと思っていたようじゃが、浦添ヌル様はヤマトゥ旅からまだ帰って来ないとの事じゃ」
「もう帰っていますよ」とササは言って、根人の家の場所を聞いた。
「一番奥にある家じゃよ」
 ササたちは根人の家に行って、沢岻大主(たくしうふぬし)と会った。五十歳前後で小太りの沢岻大主は、ぞろぞろとやって来た娘たちを見て驚いた。
 ササが自己紹介をすると沢岻大主はまた驚いて、
「運玉森(うんたまむい)ヌル様がわざわざお越しいただくなんて恐縮です」と言って改まって座り直した。
 沢岻大主はササの噂を知っていた。中山王の妹の馬天ヌルの娘で、シジ(霊力)がとても高いヌルで、何度もヤマトゥに行っていて、ヤマトゥの将軍様とも親しいという。四人の若ヌルを育てているとも聞いていた。沢岻大主は一緒にいる若い娘たちを見た。皆、サムレーのような格好をしているが、目が輝いていて生き生きとしていて、神々しさも感じられた。
「沢岻ヌル様の事をお聞きしたいのですが」とササは沢岻大主に聞いた。
「わたしの妻が沢岻ヌルを継いだのですが、二十二の若さで亡くなってしまって、以後、絶えたままなのです。先代のヌル様は跡継ぎに恵まれませんでした。それで、根人の一人娘を若ヌルとして育てました。わたしは若ヌルの婿(むこ)なのです。若ヌルが子供を産まずに亡くなってしまったので、実際は根人も絶えてしまったのです。わたしは婿として、根人家とヌル家を立て直さなければならないのです」
「沢岻ヌル様は古くからいらっしゃるヌルのはずですけど、この村(しま)はあまりにも小さすぎます。何かが起こったのですか」
「わたしは詳しい事は存じませんが、昔はグスクもあって、沢岻按司もいたようです。戦(いくさ)があって滅ぼされてしまったのです」
「それはいつの事なのですか」
 沢岻大主は首を振った。
「先代のヌル様でしたら色々と知っていたでしょうが、当時のわたしは根人を継ぐ事に必死で、昔の事を聞く事もできず、先代のヌル様は亡くなってしまいました。その二年後、ヌルを継いだ妻も亡くなってしまったのです」
「ウタキの場所はわかりますか」
「わたしは知りませんが、娘のキラは知っています。五人目にしてやっと生まれた娘なのです。できれば、沢岻ヌルを継がせたいと思っています」
 ササたちはキラの案内でウタキに向かった。キラは可愛い娘で、若ヌルたちとすぐに仲良くなった。
 キラは森の中に入って行った。
「どうして、ウタキがわかったの?」とササはキラに聞いた。
「夢の中にヌル様が出て来て、目が覚めてから、ヌル様の言う通りに行ったら古いウタキがありました。わたしには神様の声は聞こえませんが、毎日、拝みに行っています」
「あなたがいて助かったわ」とササはキラを見て笑った。
 キラが毎日歩いているので細い道ができていた。樹木(きぎ)が生い茂っているのでよくわからないが、ウタキは高台の頂上付近にあった。大きなクバの木の下に大きな岩があって、岩が窪んだ所に石が積んであった。ウタキの前には祭壇らしい平たい大きな石があって、その周辺は綺麗に草が刈ってあった。
「あなたが綺麗にしたのね」とササが聞くとキラはうなづいた。
 ササたちは祭壇の前に跪(ひざまづ)いて、お祈りを捧げた。愛洲(あいす)ジルーたちはいつものように、ウタキから離れて見守った。
「待っていたわよ」という神様の声が聞こえた。
「『沢岻ヌル様』ですか」とササは聞いた。
「そうよ。マサキが持っているガーラダマを『役行者(えんのぎょうじゃ)様』からいただいたのは、わたしだったのよ」
「すると、アキシノ様と一緒に真玉添から与論島に逃げた沢岻ヌル様ですね?」
「そうじゃないわ。アキシノと一緒に逃げた沢岻ヌルは、わたしより五百年もあとの子孫よ。真玉添が滅ぼされた時の沢岻ヌルよ」
 ササは勘違いしていた事に気づいた。役行者は奈良に都があった頃の人で、平家の時代よりもずっと昔の人だった。そうなると、真玉添の都は五百年以上も続いていた事になる。
「真玉添で役行者様と会ったのですか」
「そうなのよ。役行者様は凄い神人(かみんちゅ)だったわ。父親とも言ってもいい年齢(とし)だったけど、わたしは役行者様に惹かれて、娘を授かったのよ」
「えっ!」とササたちは驚いた。
役行者様の子孫が琉球にいるのですか」
「わたしの娘の子孫は役行者様の子孫という事になるわね」
役行者様はビンダキ(弁ヶ岳)に弁才天(びんざいてぃん)様を祀ったのですね?」 
「あなた、何でも知っているのね」
「いいえ。沢岻ヌル様の事は何も知りません。真玉添のヌルだったのですか」
「毎年お正月にヌルたちが真玉添に集まっていたの。そこに役行者様が現れたのよ。大騒ぎになったけど、役行者様が神人だという事がわかって歓迎されたわ。わたしはこの村の首長だったヌルなのよ。わたしの御先祖様はアマミキヨ琉球に来る、ずっと前から琉球で暮らしていたのよ」
アマミキヨ様よりも古いのですか」とササが驚くと、
「あなたなら理解できそうね」と言って沢岻ヌルは説明してくれた。
 大昔、大陸からやって来た『シネリキヨ』と呼ばれる人たちが琉球の各地に住み着いて暮らしていた。やがて、南から『アマミキヨ』と呼ばれる人たちがやって来た。アマミキヨの女首長はシネリキヨの男と結ばれて子孫を増やして、『垣花(かきぬはな)の都』を造った。
 アマミキヨの一族は舟を操るのが得意で、北へと進出して行き、奄美の島々やヤマトゥへも行って、子孫たちは各地に増えていった。シネリキヨの一族はアマミキヨの一族に吸収されてしまうが、沢岻は代々続いていたシネリキヨの子孫たちだった。ヌルの座もアマミキヨに奪われる事なく、沢岻村を守ってきた。
 按司が出現して各地にグスクができると沢岻にもグスクができて、沢岻ヌルの弟が沢岻按司になった。その頃、浦添には『舜天(しゅんてぃん)』がいた。島添大里按司とつながっている舜天の勢力は強く、沢岻按司は舜天の傘下(さんか)に入って、浦添按司重臣となった。三代目の沢岻按司の時、浦添按司も三代目の『義本(ぎふん)』だった。義本は政(まつりごと)は重臣たちに任せて、日夜、美女たちに囲まれて遊んでいた。重臣の一人に『伊祖按司(いーじゅあじ)(英祖)』がいた。
 伊祖按司は舜天の曽孫(ひまご)で、この有様を見たら曽祖父が悲しむだろうと義本を倒す決心を固めた。義本の姉の浦添ヌルを味方に付けて、浦添グスクを乗っ取って、義本を追い出した。義本は女たちを連れて沢岻按司を頼った。伊祖按司は沢岻按司に義本を引き渡せと言ったが、沢岻按司は断った。沢岻で大戦(うふいくさ)が起こって、城下は焼かれ、グスクも焼け落ちた。沢岻按司は戦死したが、義本は逃げたとみえて見つからなかった。その後、義本の行方はわからない。
 沢岻ヌルは殺される事なく、浦添に行って浦添ヌルに仕えた。その時、沢岻ヌルには若ヌルがいた。若ヌルは浦添按司になった伊祖按司の次男と仲良くなって、一緒にヤンバル(琉球北部)に行った。次男は『湧川按司(わくが-あじ)』を名乗り、今帰仁按司(なきじんあじ)を倒して、今帰仁按司になった。
 若ヌルは湧川按司との間に二人の娘を産んで、長女を今帰仁ヌルに育てると次女を連れて沢岻に帰って来た。焼け野原となってから四十年近くが経っていた。城下の跡地には、一族の三家族がひっそりと暮らしていて、沢岻ヌルが帰って来た事を喜んでくれた。
 沢岻ヌルは村の再建を始め、次女が一族の若者と結ばれて四人の子供が生まれた。長女はヌルを継いで、長男は根人となり、次男は浦添のサムレーになり、次女は一族の若者と結ばれて子孫を増やした。次男はサムレー大将になって、村の若者たちもサムレーに憧れて浦添に行った。ところが、『察度(さとぅ)』によって浦添按司(西威)は滅ぼされ、サムレーになった若者たちは皆、戦死した。浦添城下で暮らしていた若者たちの家族も亡くなって、沢岻村は寂しくなった。
 その後も若者たちはサムレーに憧れて村を出て行き、浦添グスクが焼け落ちた時に戦死した者もいるし、南風原(ふぇーばる)で捕虜になったあと、首里のサムレーになった者もいる。若い者たちは都に憧れて村を出て行き、年寄りだけの村になってしまった。
「初代の沢岻按司はアキシノと一緒に逃げた沢岻ヌルの弟なのよ」と沢岻ヌルは言った。
 という事は、今帰仁按司が出現したのと同じ頃、ここにも按司が生まれて、三代で滅んだという事になる。沢岻按司の事よりも、『シネリキヨ』の事がササには気になった。
「シネリキヨというのは個人の名前ではなかったのですね?」とササは聞いた。
「シネリの人という意味よ。アマミキヨもアマミの人でしょ。今ではアマミキヨアマミキヨの一族の首長だった女で、シネリキヨはその夫になった男と伝えられているけど、どちらも一族の名前なのよ」
「南から来たアマミキヨの首長はシネリキヨと結ばれてミントングスクで暮らしたと聞いていますが、アマミキヨの首長と一緒になったのは、シネリキヨの首長だったのですか」
「違うと思うわ。当時の首長は女だったはずよ。たまたま、ミントングスクの近くで暮らしていたシネリキヨの男と結ばれたんじゃないかしら」
「たまたまですか‥‥‥」
「たまたまと言っても、人と人の出会いにはそれなりの理由があるはずだから、アマミキヨの首長だった女とシネリキヨの男は結ばれるべくして結ばれたのよ。そして、琉球の始祖として祀られるようになったのよ。以後、アマミキヨは栄えて、シネリキヨは忘れ去られてしまったのよ」
 ササはターカウ(台湾の高雄)のマカタオ族のパランから聞いた話を思い出していた。遙か昔、大陸からターカウにやって来た人たちが、航海術を覚えて各地に散って行ったと言っていた。シネリキヨの一族はターカウから来た人たちかもしれなかった。
今帰仁に行った沢岻ヌルの子孫がマサキなのですか」とササは聞いた。
今帰仁ヌルになった若ヌルの娘の孫娘が、『千代松(ちゅーまち)』の側室になっているの。その側室が娘を産んで、その娘は名護按司(なぐあじ)に嫁いだわ。名護按司の娘が山北王(さんほくおう)の珉(みん)に嫁いで、マハニが生まれて、マハニが兼(かに)グスク按司に嫁いで生まれたのがマサキよ」
「すると、マサキはシネリキヨ一族の子孫なのですね」
「そういう事ね」
「ほかにもシネリキヨ一族の子孫はいるのですか」
「それはいっぱいいるわよ。でも、ヌルを継いだ娘以外の娘の事はわからないわ。普通の娘はわたしの声が聞こえないから調べる事もできないのよ。ヌルを継いでいる娘なら二人いるわ」
「誰なのですか」
「美浜島(んばまじま)(浜比嘉島)の『美浜ヌル』と『東松田(あがりまちだ)の若ヌル』よ」
「東松田って読谷山(ゆんたんじゃ)の東松田ですか」
「そうよ。でも、東松田ヌルは違うわよ。若ヌルはサーダカンマリ(生まれつき霊力が高い)で、東松田ヌルの跡継ぎになったみたい。若ヌルがここに来て、わたしに声を掛けてきたのよ。わたしが『屋良(やら)ヌル』に贈ったガーラダマを身に付けていたので驚いたわ。若ヌルは屋良(やら)ヌルの子孫で、古い神様から沢岻に同族がいると聞いて、わたしに会いに来たって言っていたわ。屋良ヌルも昔はシネリキヨだったんだけど、途中からアマミキヨに代わってしまったのよ」
 ササは会った事はないが、東松田の若ヌルは母と一緒に旅をしていた。母が言うには、ササによく似ているという。会いに行こうかとササは思った。
「美浜島というのはどこですか」
「勝連(かちりん)半島の東方(あがりかた)にある島よ。美浜ヌルは大昔からずっと続いているのよ」
「その島はシネリキヨ一族の子孫の島なのですか」
「昔はそうだったけど、その島にもアマミキヨはやって来たのよ。アマミキヨの女がヤマトゥに行く途中、その島に寄って、シネリキヨの男と結ばれて、島に住み着いたの。アマミキヨの娘の子孫は『比嘉(ひじゃ)ヌル』と呼ばれていて、今も続いているわ」
「その島にはシネリキヨのヌルとアマミキヨのヌルがいるのですか」
「そうなのよ。お互いに助け合いながら暮らしてきたのよ」
「シネリキヨの首長だった人のウタキもその島にあるのですか」
「シネリキヨはアマミキヨと違って、一人の首長に率いられて来たわけではないの。各地に首長だった女はいたと思うわ。ウタキも各地にあるけど、美浜島に来たシネリキヨの一族が一番大きかったかもしれないわね。美浜島から周辺の島々に広がって、勝連半島から中部一帯に広まって行ったのよ。あなたなら神様の声は聞こえると思うけど、シネリキヨの言葉だから意味はわからないわよ。アマミキヨが来る前、シネリキヨが住んでいたというガマ(洞窟)があって、そこに首長だった女が住んでいたんだと思うわ」
 勝連の近くの島なら勝連ヌルが何かを知っているかもしれない。美浜島には行かなければならないような気がした。
「マサキは沢岻ヌルを継ぐべきですか」とササは聞いた。
「マサキは兼グスクヌルになるんでしょ。キラに継がせればいいわ。キラはまだわたしの声は聞こえないけど、わたしの子孫だと思うわ。あなたが仕込めば沢岻ヌルになれるわよ」
「えっ、わたしの弟子にするのですか」
「もう一人増えたからって大丈夫でしょ」
「わかりました」とササは承諾してから、
「義本はヤンバル(琉球北部)に逃げて、アフリヌルと一緒に静かに暮らしていたようです」と教えた。
「本当に何でも知っているのね」と沢岻ヌルは笑った。
 ウタキから帰ると沢岻大主が宴の用意をして待っていた。村の人たちも集まっていた。沢岻ヌルが言っていたように年寄りばかりだった。
 昼間っからお酒なんてと遠慮しながらも、ササたちは喜んでいただいた。沢岻大主に頭を下げられて、ササはキラを沢岻ヌルに育てる事を約束した。
 ほろ酔い気分のササたちはキラを連れて、中グスクに向かった。ミミとマサキは妹弟子ができたと喜んで、キラに色々な事を教えていた。
 ササはカミー(アフリ若ヌル)に東松田の若ヌルの事を聞いた。カミーも馬天ヌルと一緒に旅をしていた。
タマ姉さんは先に起こる事が見えるのです。お師匠のように凄いヌルになると思います」
タマ姉さんは今、いくつなの?」
「わたしより四つ年上でしたから、今年、十九です」
タマ姉さんもカミーと一緒にヂャン師匠(張三豊)の一か月の修行を受けたのね?」
「はい。あの時は麦屋(いんじゃ)ヌル(先代与論ヌル)様と奥間(うくま)ヌル様と浦添ヌル様も一緒でした」
「カナも一緒だったんだ」
「ヂャン師匠の修行を受けたあと、みんな、身が軽くなって、シジ(霊力)も高くなりました」
「そうね。タマ姉さんに会いたい?」
 カミーはうなづいた。
「近くに宇座(うーじゃ)の牧場があるんでしょう。仔馬に会いたいわ」
「よし。美浜島に言ったあと、読谷山に行きましょう」
 カミーも若ヌルたちも喜んだ。
 中グスクに着いて、中グスクヌルに歓迎されて一休みした。シネリキヨの話をしたら興味を持って、中グスクヌルも付いて来た。
 越来グスクに行くと、ハマが驚いた顔をしてササたちを迎えた。一昨日(おととい)、別れたばかりで、ササたちがやって来るなんて思ってもいなかった。
 ササたちは越来按司に歓迎されて、その夜は越来グスクに泊まった。越来グスクにも女子サムレーがいて、皆、ハマの弟子だと聞いて、ササは驚いた。佐敷グスクでハマと一緒に剣術の修行をしていた頃の事を思い出して、美里之子(んざとぅぬしぃ)の娘のハマなら、それも当然の事だなとササは思った。
 ササたちと一緒に旅をしてお酒好きになったハマと一緒にお酒を飲み、按司たちに旅の話をして楽しい時を過ごした。
 翌日、ハマも一緒に来て、勝連グスクに向かった。いい天気だったが、海を見るとちょっと波が高かった。今日は美浜島に渡るのは難しいかもしれなかった。
 勝連ヌルは大勢でやって来たので驚いたが、よく来てくれたとササたちを歓迎してくれた。ウニタキ(三星大親)から勝連ヌルの母親が奥間出身だと聞いていたので、奥間の人たちは全員無事だと知らせて安心させた。
「山北王もひどい事をするわよ。わたしも配下の者を奥間に送って、向こうの様子を調べたわ」
「配下の者?」
「わたしも弟(ウニタキ)を見倣って、各地の情報を集めているのよ。あなたが来るのは知っていたけど、こんな大勢で来るなんて知らなかったわ」と勝連ヌルは笑った。
 四の曲輪(くるわ)内にある勝連ヌルの屋敷に行って、ササたちは一休みした。
「ササ姉(ねえ)、お久し振りです」と若ヌルから言われたが、ササには誰だかわからなかった。
「ユミの妹のマカトゥダルです」と言ったので、ササは改めて若ヌルを見た。
 島添大里にいた頃のマカトゥダルはまだ幼かった。目の前にいるのは十七、八の娘だったが、当時の面影が残っていて、
「マカちゃんが若ヌルになったなんて‥‥‥」とササは驚いた。
 長姉のユミも次姉のマカミーもお嫁に行ったので、自分もお嫁に行くものと思っていた。ところが、若按司が病死して、父が勝連按司を継ぐ事に決まり、当時、十二歳だったマカトゥダルがヌルになる事になって、修行を始めたのだった。
「頑張るのよ」とササはマカトゥダルに言ってから、勝連ヌルに美浜島の事を聞いた。
「美浜島には古いウタキがいっぱいあるわ。あの島には美浜ヌルと比嘉ヌルという古くから続いているヌルがいて、島内のウタキを管理しているの。美浜ヌルは『シルミチュ様』を祀っていて、比嘉ヌルは『アマミチュ様』を祀っているわ」
「シルミチュ様とアマミチュ様?」
アマミキヨ様とシネリキヨ様の事だと思うわ。若ヌルだった頃、先代に連れられて、いくつかのウタキを回ったけど、シルミチュ様のウタキでは神様の声は聞こえないって先代は言っていたわ」
「アマミチュ様のウタキでは聞こえたのですか」
「古い神様は聞こえないけど、数代前の比嘉ヌルの声は聞こえるわ」
「沢岻ヌルを調べていたら、シネリキヨの事を知ったのです。シネリキヨは個人の名前ではなくて、一族らしいわ。マサキとキラはシネリキヨの子孫なのです。それで、美浜島に行こうと思ったんだけど、勝連ヌル様は美浜ヌルと比嘉ヌルを知っているのですね」
「知っているわよ。二人は従姉妹(いとこ)で同い年なの。昔はあの島にも按司がいたんだけど、わたしの兄が勝連按司だった時に滅ぼされてしまったのよ」
「えっ、美浜島に按司がいたのですか」
 勝連ヌルはうなづいた。
「わたしの大叔父が美浜ヌルと結ばれて、美浜島にグスクを築いて、『美浜按司(んばまあじ)』になったの。大叔父は何度もヤマトゥに行ったのよ。あの島の若者たちを船乗りとして連れて行ったわ。中山王の察度が明国と進貢(しんくん)を始めた頃で、明国の商品を積んで行って、ヤマトゥの商品を積んで帰って来たの。美浜按司のお陰で、美浜島は豊かになったのよ。美浜按司には二人の男の子と一人の女の子がいて、長男は美浜按司を継いで、次男は比嘉ヌルと結ばれて、島の東方(あがりかた)にグスクを築いて『比嘉按司(ひじゃあじ)』になったわ。娘は美浜ヌルを継いだわ。美浜ヌルも比嘉ヌルもすでに亡くなって、今のヌルはそれぞれの娘たちなのよ。大叔父の二人の息子たちもヤマトゥに行ったわ。ヤマトゥとの交易は二人が任されていたようなものだったの。それが気に入らないって、勝連按司に滅ぼされてしまったのよ。当時のわたしは望月党(もちづきとう)の事は知らなかったけど、きっと、望月党に殺されたんだと思うわ。大叔父が美浜按司になってから五十年で、美浜島の按司はいなくなってしまったのよ」
「それはいつ頃の事なのですか」
「もう十五年くらい前かな。確か、密貿易船がやたらとやって来た年だったわ。比嘉按司が密貿易船から手に入れた商品を持って、久し振りにヤマトゥに行ったのよ。その留守に美浜按司が殺されて、翌年、比嘉按司も殺されたのよ。比嘉按司は自分が殺される事を悟って、グスクを強化して、なるべくグスクから出ようとしなかったようだけど、殺されてしまったわ」
「そんな事があったなんて知らなかったわ」
「兄は気に入らない人たちは皆、殺してきたのよ。きっと、バチが当たったのでしょう。自分も望月党に殺されているわ」
 勝連ヌルの配下の炭売りが戻って来て、美浜島に渡る舟が出せると知らせてくれた。
 ササたちは勝連ヌルと一緒に北原(にしばる)の浜辺に行き、ウミンチュ(漁師)の小舟(さぶに)に乗って美浜島に渡った。若ヌルのマカトゥダルも一緒に来た。
 不思議と海は穏やかで、半時(はんとき)(一時間)足らずで、美浜島の白い砂浜に着いた。砂浜から見える山の上にグスクがあったという。屋敷は焼け落ちたのか、樹木(きぎ)が生い茂っている、ただの山にしか見えなかった。
 按司は滅ぼされても古くからの村らしく、家々が建ち並んでいた。按司が滅ぼされた時、この村も焼かれたのか、古い家はなかった。広場では子供たちが遊んでいて、ササたちを珍しそうに眺めていた。一番奥にあるヌルの屋敷に行くと、庭で二人の若者と二人の娘が剣術の稽古に励んでいた。
 見知らぬ人がぞろぞろと来たので、四人は稽古をやめてササたちを見た。
 勝連ヌルが挨拶をして、母親を呼んでもらった。四人は美浜ヌルと比嘉ヌルの子供たちで、比嘉ヌルは比嘉村に住んでいたが、今は美浜ヌルの屋敷で一緒に暮らしているという。
 若ヌルたちに子供たちの剣術の指導を頼んで、ササたちは屋敷に上がって、美浜ヌルと比嘉ヌルに会った。二人とも三十の半ばで、二人の夫は船乗りとして毎年、朝鮮(チョソン)まで行っているという。
 ササがシネリキヨの事を話して、マサキとキラがシネリキヨの子孫だというと美浜ヌルは驚いた。
「シルミチュ様の子孫のヌルが、この島以外にもいたなんて知らなかったわ」
「シルミチュの一族はアマミチュの一族に吸収されてしまったと聞きましたが、どうしてなんでしょう?」
「シルミチュの一族は稲を持って来た人たちなのです。稲が作れそうな土地を探して、琉球の各地に住んでいました。それぞれの村には首長としてヌルがいて、祭祀をつかさどっていました。そこに南の島からアマミチュの一族が来たのです。航海術が巧みなアマミチュはヤマトゥまで行って交易をします。貴重な黒石(くるいし)(黒曜石)や翡翠(ひすい)のガーラダマを持って来てくれるアマミチュは神様としてあがめられて、ヌルの座はアマミチュに奪われてしまうのです。シルミチュのヌルがいたなんて信じられない事です」
「シルミチュの人たちは琉球から出ていないのですか」
 美浜ヌルは首を振った。
「アマミチュのお舟に乗って、北へと行った人たちも大勢いるようです。この島の人たちも新天地を求めてヤマトゥまで行っています」
「この島にアマミチュが来たのは、いつの頃なのですか」
「垣花にアマミチュの都ができて、ヤマトゥとの交易が盛んになった頃のようです」と比嘉ヌルが答えた。
「アマミチュは島の東方に貝殻の工房を作って、そこに新しい村を造りました。貝殻の交易が終わったあと、比嘉村は寂れてしまいましたが、ヌルはずっと続いています。六十年ほど前に、勝連按司の息子がこの島にやって来て、わたしたちの祖母と結ばれて、グスクを築いて美浜按司になります。美浜按司の次男がわたしの母と結ばれて、グスクを築いて比嘉按司になりました。比嘉按司のお陰で、比嘉村も活気を取り戻したのですが、二十五年後に滅ぼされてしまって、また寂れてしまいました」
 愛洲ジルーたちには残ってもらい、ササたちは美浜ヌルの案内でウタキに行った。砂浜まで戻って、砂浜の奥の方の丘の上にウタキはあった。お祈りをしたが、ササたちには神様の声は聞こえなかった。マサキにも聞こえなかった。同じシネリキヨでも、沢岻のシネリキヨとこの島のシネリキヨはつながりがないのかもしれなかった。
 美浜ヌルの話だと、ガマ(洞窟)で暮らしていたシルミチュがガマから出て最初に暮らしたのが、この浜辺で、その時の首長だったヌルが祀られているという。一番古い神様は言葉が通じないが、この島にアマミチュが来た頃のヌルは言葉が通じるので、そのヌルから島の歴史を聞いたという。
 一旦、ヌルの屋敷に戻って、ジルーたちを連れて美浜グスク跡に登った。二つの曲輪があって石垣も残っていたが、建物は何も残っていなかった。
按司だった叔父を初めとして多くの人がここで殺されました」と美浜ヌルは言った。
「叔父は勝連のために何度もヤマトゥに行っていたのです。勝連按司を恨みましたよ。でも、その勝連按司も殺されて、勝連も一新されました。勝連ヌル様は何度もこの島に来て、わたしたちに謝りました。わたしたちもなかなか許す事はできませんでしたが、島の若者たちが朝鮮旅の船乗りになれたのは勝連ヌル様のお陰です。村の再建にも援助してくれて、今ではとても感謝しています」
 ササは勝連ヌルを見た。ササたちの知らない所で、勝連ヌルも苦労して来たんだなと思った。
 美浜グスクを下りて、比嘉村に向かった。美浜村よりも小さな村で、裏山の上に比嘉グスクがあったという。浜辺に小さな島があって、そこがアマミチュのウタキだと比嘉ヌルが言った。
 丁度、干潮だったので島まで行く事ができた。岩だらけの島で、ウタキは岩山の中腹あたりにあった。小さなガマの中に石が積んであり、貝殻も置いてあった。ウタキの手前は狭かったので、若ヌルたちは少し離れた所でお祈りを捧げた。
「祖母がとても喜んでいたわ。ありがとう」と神様の声が聞こえた。
 神様の声は聞こえないだろうと思っていたササたちは驚いた。
「祖母とは誰の事ですか」とササは聞いた。
瀬織津姫(せおりつひめ)様の妹の知念姫(ちにんひめ)よ」
「えっ、すると神様は知念姫様のお孫さんですか」
「そうよ、『美浜姫』よ。ヤマトゥに行く途中、この島でマレビト神と出会って、一緒にヤマトゥに行って、帰って来てから、この島に住み始めたの。わたしは知念ヌルを継ぐはずだったんだけど、知念ヌルは妹に譲って、この島のヌルになったのよ」
「初代の比嘉ヌル様なのですね」
「そうよ。わたしは瀬織津姫様に会った事はなかったんだけど、初めてお会いしたわ。いつも怖い顔をしていた祖母が、姉の瀬織津姫様と再会して涙を流して喜んでいたのよ。あんな祖母を見たのは初めてだわ。ササのお陰だって祖母はとても感謝していたわ」
「スクニヤ姫様は美浜姫様の叔母様ですか」
「そうなのよ。ここに貝殻の工房を作る時、叔母様から色々と教わったのよ。あの頃はこの村も賑やかだったんだけど、すっかり寂れてしまったわね」
「比嘉按司がいた時は活気を取り戻したのでしょう」
「ほんの少しの間だけだったわ。比嘉ヌルの息子が比嘉按司になってくれればいいと期待しているのよ」
 ササは島の人たちを守って下さいと言ってお祈りを終えた。比嘉ヌルも勝連ヌルも美浜姫の声を初めて聞いたと驚いていた。
 比嘉ヌルの案内で、比嘉グスクの跡地に登った。ここにも建物は残っていなかったが、眺めはよかった。
 比嘉グスクから下りて、南に向かい、シルミチュが暮らしていたというガマの中にあるウタキでお祈りをしたが、神様の声は聞こえなかった。

 

 

浜比嘉塩 100g×2袋

2-220.被慮人探し(改訂決定稿)

 ササ(運玉森ヌル)と安須森(あしむい)ヌル(先代佐敷ヌル)が須久名森(すくなむい)の山頂で『鎮魂の曲』を吹いた翌日の夕方、首里(すい)の『まるずや』で四度目の戦評定(いくさひょうじょう)が開かれた。安須森ヌルと一緒にササも加わっていた。奥間(うくま)から帰って来たウニタキ(三星大親)はサタルーを連れていた。
「奥間の状況を知らせてくれ」と思紹(ししょう)(中山王)が言った。
 ウニタキはうなづいて説明した。
「家々はすべて焼け落ちました。残っているのは諸喜田大主(しくーじゃうふぬし)がいる長老の屋敷とヌルの屋敷と八幡(はちまん)神社だけです。サタルーが村人の半数余りが殺されたという噂を流したので、ヤンバル(琉球北部)の按司たちは心配して、配下の者に様子を見に来させました。焼け跡となった村を呆然として眺めて、粗末な避難小屋で暮らしている村人たちを慰めて、長老と奥間ヌルに会って、村人が全員無事だと知ると安心して帰って行きました。たとえ、村人たちが無事だったとしても、ヤンバルの按司たちは山北王(さんほくおう)(攀安知)の仕打ちに怒っています。真喜屋之子(まぎゃーぬしぃ)が今、国頭(くんじゃん)にいます。まずは国頭按司を寝返らせて、羽地(はにじ)、名護(なぐ)と寝返らせます」
「羽地按司も寝返りそうか」
 ウニタキはうなづいた。
「羽地按司の母親は奥間から贈られた側室でした。先代の羽地按司の妻は若くして亡くなって、奥間から贈られた側室を後妻に迎えたのです。羽地按司だけでなく、弟の饒平名大主(ゆぴなうふぬし)も、名護按司に嫁いだ妹も、羽地ヌルも皆、後妻の子供たちです。後妻は今も健在で、リーポー姫(永楽帝の娘)様たちが羽地に行った時は、女たちを指図して昼食の用意をしていました」
「そうか。羽地按司の母親が奥間出身じゃったか」と思紹は満足そうな顔をして皆を見回した。
「後妻は大層怒っているようです。そして、羽地は米作りが盛んですから、農民たちは農具を作る鍛冶屋(かんじゃー)のお世話になっていて、農民たちもひどい事をすると憤(いきどお)っています」
 思紹はうなづいて、「名護はどうじゃ?」とウニタキに聞いた。
「松堂(まちどー)殿はカンカンに怒って、名護按司に山北王とは手を切れと言ったようです。寂れていた名護が盛り返してきたのは、中山王(ちゅうざんおう)がピトゥ(イルカ)の肉を買ってくれたお陰じゃ。何もしてくれない山北王には用はないと言ったそうです」
「そうか」と思紹はニヤッと笑った。
「サタルーは恩納(うんな)、金武(きん)、山田、伊波(いーふぁ)、安慶名(あぎなー)、勝連(かちりん)、北谷(ちゃたん)にも噂を流しています。恩納と金武にも奥間の側室はいて、噂を聞いて悲しみ、すぐに奥間に使者を送っています。恩納も金武も『まるずや』の世話になっているので、寝返るでしょう。山田、伊波、安慶名、勝連、北谷にも奥間の側室はいて、皆、悲しんでいます。ヤンバルの按司たちが寝返れば、山北王を倒せと言うでしょう」
「今日は正月の二十四日じゃな。奥間の者たちの避難を長引かせたくはないからのう。一か月で準備をして、三月の初め頃に攻めるか」と思紹が言った。
「キラマ(慶良間)の若者たちは今、何人いるのですか」とサハチ(中山王世子、島添大里按司)がヒューガ(日向大親)に聞いた。
「男が八百、娘が百といった所じゃな」
「二年足らずの修行者は無理じゃから六百か」と思紹が言うと、
「五百じゃよ」とヒューガが言った。
「今は男を百五十、娘を三十、毎年入れているんじゃ」
「なに、増やしたのか」
「昔と違って、素質のありそうな子供に首里のサムレーにならないかと誘えば皆、喜んで島に行くんじゃよ。娘もそうじゃ。女子(いなぐ)サムレーにならないかと言えば目を輝かせて喜ぶ。それに領地が広がって、浦添(うらしい)、八重瀬(えーじ)、具志頭(ぐしちゃん)、山グスク、手登根(てぃりくん)、ミーグスクと毎年のように補充していたからのう。百人では間に合わなかったじゃろう」
「そうじゃったのう。マニウシが続けてくれたので助かったな。まあ、五百いれば充分じゃろう」
「その五百の兵をどこに隠しておくのですか」とサハチが聞いた。
「前回は運玉森(うんたまむい)の整地をしておったのう」と苗代大親(なーしるうふや)が言った。
「どこかにグスクでも築くか」
「グスクもいいのですが、首里に庭園を造ったらどうでしょうか」とファイチ(懐機)が言った。
冊封使(さっぷーし)たちが、首里にのんびりと散歩ができる庭園があればいいと言っていました。都には必ず、庭園があります。大きな池があって、日陰になる木があって、所々に休憩する四阿(あずまや)があって、誰もが自由に散歩を楽しめる庭園です」
「それだ!」とサハチが手を打った。
「お寺をいくつも建てたけど、何かが足りないと思っていたんだ。庭園は是非とも造らなければならない。会同館の横辺りに大きな池を造ろう」
 思紹はヂャンサンフォン(張三豊)と一緒に明国(みんこく)を旅した時の事を思い出していた。都には必ず、一休みする場所があった。しかし、首里にはそれがない。遠くからやって来た旅人が休める場所は造らなければならなかった。
「よし、それでいこう」と思紹が言った。
「島から来た若者たちは、そこの人足(にんそく)として働いてもらおう。大規模な庭園を造り始めたと思わせておけば、山北王も油断するじゃろう」
「三月の初めに今帰仁(なきじん)を攻めるのですか」と安須森ヌルが思紹に聞いた。
「奥間の者たちのためにも、それがいいのではないのか」
「できれば、今帰仁のお祭り(うまちー)をさせてあげたいのです。油屋のユラは今、張り切ってお芝居のお稽古をしているでしょう」
今帰仁のお祭りはいつなんじゃ?」
「三月二十四日です」
「三月下旬か。奥間の者たちがそれまで待ち切れんじゃろう」
「ユラのために出陣を延期したと言えば、油屋も寝返り易くなりますよ」とファイチが言った。
「確かに『油屋』は味方に付けなくてはならんが‥‥‥」
「三月の初めだと、船はまだ出せないかもしれんのう」とヒューガが言った。
「兵糧(ひょうろう)は船で運ばなければならんから、三月じゃ無理か」と思紹は坊主頭をたたいた。
「三月三日の久高島参詣(くだかじまさんけい)はどうしますか」と馬天(ばてぃん)ヌルが聞いた。
「中止にすれば、女たちが騒ぐな」と思紹は顔をしかめた。
「三月十九日の中グスクのお祭りはどうしますか」と安須森ヌルが聞いた。
「クマヌ(先代中グスク按司)の命日か」
「去年までは身内だけで集まっていたけど、今年は城下の人たちにも先代を偲んでもらいたいといって、お祭りにしたのです。久場(くば)ヌルも中グスクヌルも女子サムレーたちも成功させたいと頑張っています。中止させるのは可哀想です」
「仕方ないのう。奥間の人たちには悪いが、やはり、出陣は四月一日じゃな。サタルー、先は長いがヤザイム殿にそう伝えてくれ」
「大丈夫です。中山王が動いてくれれば、奥間の者たちも我慢しますよ」
 思紹はうなづいて、「ところで、旅に出たファイテ(懐徳)とジルークは今、どこにいるんじゃ?」とウニタキに聞いた。
「二日前には今帰仁にいました。今頃は奥間の避難民たちの所にいるかもしれません」
「ほう。もう、今帰仁まで行ったのか」
「ウニタルとマチルーが一緒なので、名護では松堂殿の世話になったそうです。二人が『国子監(こくしかん)』に留学していた事を知ると松堂殿は驚いて、明国の事を色々と聞いたようです。二人は松堂殿に歓迎されて二晩、お世話になっています」
「あの二人も松堂殿の世話になったか。名護は完全に寝返るな」
「山北王の様子はどうなの?」とササがウニタキに聞いた。
「奥間を攻めたら自分が不利になるってわからなかったの?」
「山北王が何を考えているのかはわからんが、奥間を攻めた並里大主(なんじゃとぅうふぬし)と仲宗根大主(なかずにうふぬし)は城下の者たちから白い目で見られている。誰も殺してはいない。行った時はもう村には誰もいなかったと言い張っているが信じてもらえないようだ。山北王の側室のウクとミサはお芝居小屋で、奥間炎上の噂を聞いて、山北王に会いに行ったが会ってくれなかったようだ。それでも、奥間から知らせが入ったらしく、村人たちが全員無事だと知って、お芝居小屋に戻った。その後、お芝居小屋でユラたちと一緒に寝泊まりしていて、御内原(うーちばる)には行かないそうだ。もしかしたら、山北王は密かに抜け出して、沖の郡島(うーちぬくーいじま)(古宇利島)に行ったのかもしれんな」
「密かに抜け出して?」と思紹が言った。
今帰仁グスクには抜け穴があるのか」
「それはわかりませんが、幼い頃にグスクを追い出された千代松(ちゅーまち)が造ったグスクですから、どこかに抜け穴があるのかもしれません」
「抜け穴があったら逃げられてしまうではないか」
今帰仁グスクから出た山北王を狙うのはわけない事です」とウニタキは言った。
「沖の郡島にいる山北王を殺しても、山北王は消えません。弟の湧川大主(わくがーうふぬし)が新しい山北王になるでしょう。山北王を消すには今帰仁グスクを攻め落とすしかないのです」
「そうじゃな。あのグスクにいるから山北王なんじゃな」
「湧川大主は何をしているんだ? 今帰仁に行ったのか」とサハチは聞いた。
「それが不思議なんだよ。謹慎中だからって、世間が奥間の事で騒いでいるのに何の興味も示さず、羽地にいる息子に武当拳(ウーダンけん)を教えているんだ。鬼界島(ききゃじま)(喜界島)の負け戦で、湧川大主は魂(まぶい)を落としてきたのかもしれんな」
リュウイン(劉瑛)がいなくなって、湧川大主もいなくなれば、山北王は終わりじゃな」と思紹が笑った。
「いえ、湧川大主を甘く見てはいけません。馬鹿を装って、裏で何かをたくらんでいるのかもしれません」とサハチは思紹に言ってからウニタキを見た。
「わかっている。奴の配下の動きはちゃんと見張っている」
 サハチはうなづいた。
「山北王が何で奥間を攻めたのか理解できないわ」とササが言った。
「クーイの若ヌルにそそのかされたのかもしれん」とウニタキが言った。
「奥間攻めを諸喜田大主に命じたのは、山北王が沖の郡島から帰って来て、すぐだったらしい。サハチには話したんだが、クーイの若ヌルの母親はマチルギの従姉(いとこ)なんだよ」
「ええっ?」とマチルギが驚いた。
「どうして、わたしの従姉が沖の郡島にいるの?」
「クーイの若ヌルの祖母は今帰仁若ヌルだったんだ。帕尼芝(はにじ)に滅ぼされた時、沖の郡島に流されて、クーイヌルを継いだようだ」
「父の姉が今帰仁若ヌルだったって聞いた事があるわ。姉は殺されてしまったんだろうって父は言っていたけど、沖の郡島で生きていたのね」
今帰仁若ヌルだった祖母は娘に何も告げずに亡くなったので、クーイヌルも若ヌルも山北王が敵(かたき)だという事は知らないんだ。でも、山北王とクーイの若ヌルが結ばれたのは、何かわけがあるような気がする」
「奥方様(うなぢゃら)の従姉のクーイヌルは正式にクーイヌルの跡を継いだの?」とササが言ったので、ウニタキは驚いた。
「シズが沖の郡島に行って調べたんだが、先代の『天底(あみすく)ヌル』だったというお婆と出会って、そのお婆はクーイヌルは偽者だと言ったそうだ。今帰仁若ヌルが島に流される十年程前にクーイヌルは絶えてしまったらしい。お婆はいつか必ず、クーイヌルを継ぐ者が現れると言ったようだ」
「それはナナよ」とササが言った。
「なに?」とサハチはササを見た。
「ナナが首から下げているガーラダマはクーイヌルのガーラダマなのよ。真玉添(まだんすい)(首里にあったヌルたちの都)が滅びる時、真玉添にいて、アキシノ様と一緒に与論島(ゆんぬじま)まで逃げたのよ」
「それじゃあ、ナナがクーイヌルを継ぐのか」とサハチは驚いた顔をしてササに聞いた。
 ナナはルクルジルー(早田六郎次郎)の従妹だった。富山浦(プサンポ)(釜山)で生まれたが、母親は対馬の女だと聞いている。対馬の娘のナナがクーイヌルを継げるのか、サハチにはよくわからなかった。
「それはクーイヌルの御先祖様に会ってみなければわからないわ」
「沖の郡島は危険だ。行くなよ」とウニタキがササに釘を刺した。
「急ぐ事でもないから、山北王を倒してから行くわ」とササは言った。
 そのあと、ササのお土産の奈良の銘酒『菩提泉(ぼだいせん)』をみんなで飲んで、ササのお土産の琵琶(びわ)をウニタキが弾いた。弦が四本もあるのでよくわからんと言いながらも、やがて弾けるようになって、琵琶を弾きながら歌を披露した。ウニタキは琵琶が気に入って、ササは買ってきてよかったと喜んだ。


 対馬大親(つしまうふや)に任命されたカンスケと一緒に、李芸(イイエ)は倭寇(わこう)に連れ去られた被慮人(ひりょにん)を探していた。
 会同館での歓迎の宴(うたげ)の翌日、浮島(那覇)に戻った李芸は若狭町(わかさまち)に行って、マチルギの紹介状を見せて、遊女屋(じゅりぬやー)『松風楼(まつかぜろう)』の女将(おかみ)と会っていた。ヤマトゥ(日本)のサムレー相手の商売なので、女将はヤマトゥ言葉がしゃべれた。
 マチルギの話からサハチの話になって、李芸が朝鮮(チョソン)に来たサハチと会った事を話すと、女将は笑いながら、
「随分と昔にわたしも会いました」と言った。
「まだ、マチルギさんと出会う前です。去年、亡くなってしまいましたが、宿屋をやっていたハリマさんに頼まれて、サハチさんと会ったのです。こいつは将来、ど偉い事をするだろうとハリマさんは言っていました。わたしも見守っていましたが、まさか、中山王を倒すなんて思ってもいませんでしたよ」
 そう言ってから女将は、マチルギさんには内緒にしておいて下さいねと言った。李芸は笑ってうなづき、本題に入った。女将は昔の事を話してくれた。
「わたしがここに来た頃、もう三十年余りも前の事だけど、その頃は高麗(こうらい)の娘たちがいっぱいいました。倭寇たちによって市場も開かれて、高麗人の売り買いもされていたのです。わたしが二十歳の頃だったと思うけど、当時の中山王(察度)が高麗に使者を送りました。その時、倭寇に連れ去られてきた高麗人を集めて、高麗に送り返したのです」
 李芸が十七歳の時だった。琉球から富山浦に船が来て、倭寇にさらわれた人たちが帰って来たと噂が流れた。母がいるかもしれないと思い、李芸は富山浦に飛んで行った。その後も琉球からの船は何度も来ていて、その度に母を探しに富山浦まで行っていた。
「先代の中山王(武寧)の時代になると取り締まりも厳しくなりました。先代の中山王の母親は高麗人だったらしくて、高麗人を売り買いする事は禁止されて、市場も壊されました。その頃になると、ヤマトゥでも倭寇にさらわれた人たちを高麗に返して、『大蔵経(だいぞうきょう)』を手に入れようと考える人が多くなって、琉球に来る高麗人は減ってきました。その頃はもう朝鮮(チョソン)という国になっていたわね。先代の中山王は四回、朝鮮に使者を送りました。遊女(じゅり)をしていた人たちも年齢(とし)をとって遊女はできなくなって、みんな、そのお船に乗って帰って行ったのです」
「若い朝鮮の娘がいましたが、倭寇にさらわれて来た娘ですか」
「違います。昔と違って、倭寇働きする人はかなり減って来ています。自ら商人になるか、あるいは商人たちの護衛役を務めています。危険を冒して倭寇働きをするよりも、商売をした方が得だとわかってきたのです。あの娘たちは貧しい島の娘たちで、親に売られて琉球に来たのです。決められた仕事をしたあとは、自分で稼いだ銭を持って島に帰ります。器量のいい貧しい娘を探して琉球に来る専門の商人がいるのです」
「あの娘たちが島に帰りたいと言ったら手放しますか」
 女将は笑った。
「帰りたいとは言わないでしょう。島に帰れば食べるのにも困ります。ここにいれば、おいしい物が食べられますからね」
 李芸は女将の許可を得て、朝鮮の娘たちと会った。娘たちは楽しそうに遊女たちと一緒に暮らしていた。その笑顔を見て、李芸には何も言えなかった。朝鮮には両班(ヤンバン)の食い物にされている貧しい人たちが大勢いる事を李芸は知っていた。この娘たちは強制的に連れて来られたのではないと思い、連れて帰るのは諦めた。
 翌日、島添大里(しましいうふざとぅ)に行った李芸たちはサハチと会い、城下の屋敷を借りて、そこを拠点にして東方(あがりかた)を探す事にした。その日は島添大里と佐敷を探したが、朝鮮人(こーれーんちゅ)を探す事はできなかった。


 正月二十七日、冊封使のお礼のために送る山南王(さんなんおう)(他魯毎)の進貢船(しんくんしん)と一緒に、中山王の進貢船も船出して行った。サハチの六男のウリーとマタルー(八重瀬按司)の長男のハチグルーがクレー(シビーの兄)と一緒に乗っていた。
 ヤマトゥから帰って来たばかりのクレーだったが、明国に行ってくれと頼むと驚いた顔をして、俺が明国に行けるのですかと喜んで承諾してくれた。
「どうして、嫁をもらわないんだ?」とサハチが聞くと、
「好きだった娘が嫁に行ってしまって、それから立ち直れないんです」とクレーは言った。
「いつの話だ?」
 クレーは首を傾げてから、「もう十年になりますね」と言って苦笑した。
「十年も立ち直れないなんて、余程の美人(ちゅらー)だったんだな」
「今はもう面影がありませんよ。子供が四人もいますからね」
 サハチは笑って、「ウリーたちを頼むぞ」とクレーの肩をたたいた。
 ウリーが明国でリーポー姫と再会するかどうかはわからないが、様々な経験をして、一回り成長して帰って来るだろうとサハチは進貢船を見送った。
 その日、糸満(いちまん)の港で山南王の進貢船を見送っていた李芸は朝鮮人らしい夫婦を目撃した。見た目は琉球人だが、しゃべっている言葉が朝鮮の言葉だったような気がした。声を掛けようとしたが、人混みに紛れて見失ってしまった。山南王の許可を得ているので、李芸は照屋(てぃら)グスクに行って照屋大親(てぃらうふや)と会った。
 長い間、交易担当をしているので、照屋大親はヤマトゥ言葉がしゃべれた。李芸は城下に朝鮮人はいないかと聞いた。
 先代の中山王の側室になった高麗人の家族が、浦添グスクが焼け落ちた時に逃げて来たので匿(かくま)ったと照屋大親は言った。
「中山王が毎年、朝鮮に船を送っているので、頼めば故郷に帰れるぞと言っているんじゃが、政権が変わったので、帰っても殺されるじゃろうと言っているんじゃよ。詳しくはわからんが高麗だった頃の重臣の倅のようじゃ。先代の中山王が朝鮮に使者を送った時、その船に乗って、一族を連れて逃げて来たようじゃ。美人だった娘は先代の中山王の側室になって、一族の者たちは屋敷を与えられて浦添で暮らしていた。浦添グスクが炎上して、側室になった娘は亡くなり、敵が攻めて来ると聞いて逃げて来たようじゃ。そなたが今の朝鮮の様子を話したら帰る気になるかもしれん。会ってやってくれ」
 李芸は照屋大親の息子の東原之子(あがりばるぬしぃ)に案内されて、朝鮮人たちが住む屋敷に行った。そこは思っていたよりも立派な屋敷だった。後原之子(くしばるぬしぃ)と名乗って祐筆(ゆうひつ)を務めていたが、二年前に隠居したという。
「なかなかの達筆ですよ」と東原之子は言った。
 後原之子は李芸が朝鮮から来た使者だと知ると驚いた。自分を捕まえに来たのかと怯えたので、そうではない事を説明した。後原之子は安心して身の上を話してくれた。
 後原之子の父親は高麗最後の王、恭譲(コンヤン)に仕えていた重臣だったが李成桂(イソンゲ)に殺された。一族が皆殺しにされると恐れ、弟の家族と一緒に琉球に逃げて来た。娘のサントゥクを中山王の側室に差し出して、後原之子は浦添城下に屋敷を与えられて保護された。後原之子は字がうまかったので祐筆として中山王に仕え、弟は弓矢の名手だったので、武術師範になって中山王の兵たちに弓矢を教えた。浦添で暮らし始めて七年が経った頃、一緒に連れて来た使用人たちを朝鮮に行く中山王の船に乗せて故郷に帰した。それからまた七年が経って、浦添グスクが焼け落ちて、糸満に逃げて来た。浦添のサムレーに嫁いだ娘がいて、浦添に残してきたが、娘の夫は今の中山王に仕える事になって、首里で暮らしている。子供たちを連れて時々、遊びに来るという。
「もう故郷に帰る気はないのですね?」と李芸は聞いた。
「先代の中山王の側室になった娘は亡くなってしまったが、あとは皆、琉球で幸せに暮らしている。今更、帰った所で住む場所もないじゃろう」
「ちょっと待って下さい。側室になった娘さんの名前は何と言いました?」
「サントゥクじゃが‥‥‥」
「先代の中山王の名前は武寧(ぶねい)ではありませんか」
「そうじゃが‥‥‥」
「武寧の側室だったサントゥクは、今の中山王が朝鮮に送った最初の船に乗って朝鮮に帰っています」
「なに?」
「武寧の側室のサントゥク、チータイ、ウカの三人とウカの子供もいました」
 チータイとウカの名はサントゥクから聞いて後原之子も覚えていた。
「それは本当かね?」
「本当です。その時、島添大里按司も一緒に朝鮮に行っています。島添大里按司に確認すればわかりますよ」
「今も無事にいるのかね?」
漢城府(ハンソンブ)(ソウル)に屋敷を与えられて、三人で暮らしていると思います」
「そうか。サントゥクが無事に生きているのか」
 後原之子は目頭を拭いた。
「わたしは五月頃に帰ります。家族と相談して、帰郷したいのでしたら一緒にお連れします。よく考えてみて下さい」
 後原之子と別れて李芸は対馬大親たちと一緒に島尻大里(しまじりうふざとぅ)の城下の宿屋に帰った。
 南部を一回りしたが、見つかった朝鮮人は後原之子の家族だけだった。島尻大里にも遊女屋はあったが、朝鮮人はいなかった。すでに武寧によって、琉球にいた被慮人たちは皆、朝鮮に送り返されたのかもしれなかった。

 

 

 

倭寇―海の歴史 (講談社学術文庫)

2-219.須久名森(改訂決定稿)

 首里(すい)から呼んだサムレー大将の田名親方(だなうやかた)と楽隊に先導されて、李芸(イイエ)と早田(そうだ)五郎左衛門は連れて来た役人や護衛兵と一緒に首里へと行進した。マチルギが連れて来た女子(いなぐ)サムレーたちが、沿道の家々に朝鮮(チョソン)から使者が来たと触れ回ったので、小旗を振った人たちが李芸たちを歓迎した。
 朝鮮の使者たちの後ろに愛洲(あいす)ジルーの船に乗っていたササ(運玉森ヌル)たちが続いて、最後尾にサハチ(中山王世子、島添大里按司)とマチルギ(中山王世子妃)と安須森(あしむい)ヌル(先代佐敷ヌル)が従った。サハチとマチルギが並んで馬に乗っているのを見た沿道の人たちはキャーキャー騒いでいた。
「お兄さんとお姉さんが一緒にいるのが珍しいので、みんなが喜んでいるわ」と安須森ヌルが笑った。
「まったく恥ずかしいわ」とマチルギが苦笑しながらも、騒いでいる人たちに手を振った。
「ファイチの奴め!」と言いながらサハチも笑って手を振った。
 派手な行列にするには、サハチとマチルギも一緒に行った方がいいとファイチ(懐機)が言って、二人はしぶしぶ承諾したのだった。朝鮮の使者を見るより、サハチとマチルギを見るために人々がどんどん集まってきた。首里に着くと、大通りは人々で埋まっていて、サムレーたちが見物人たちを抑えていた。
 首里グスクに入って、サハチとマチルギは顔を見合わせて、ホッと溜め息をついた。
「凄かったわね」と安須森ヌルが言った。
 馬から下りたら、ササたちがやって来て、
按司様(あじぬめー)と奥方様(うなぢゃら)は凄い人気者だったのね」と囃し立てた。
「あたしたちだけじゃないでしょ」とマチルギは言った。
「ササやシンシン(杏杏)、ナナも安須森ヌルもキャーキャー言われていたじゃない」
「お二人には負けるわ」とササが笑いながら言った。
 サハチは李芸と五郎左衛門を連れて龍天閣(りゅうてぃんかく)に行き、思紹(ししょう)(中山王)と会わせた。
 去年、彫っていた『弁才天(べんざいてん)像』は完成して、今は『役行者(えんのぎょうじゃ)像』を彫っていた。役行者像も弁才天像と一緒にビンダキ(弁ヶ岳)に祀るらしい。彫り物に熱中している思紹を見て、李芸も五郎左衛門も驚いていた。
 サハチが声を掛けると思紹は顔を上げて、五郎左衛門をじっと見つめた。
「もしかして、五郎左衛門殿ではありませんか」と思紹は聞いた。
 五郎左衛門は笑って、「サグルーよ。会いたかったぞ」と言った。
 思紹は立ち上がって木屑を払うと、「よく来て下さった」と嬉しそうに迎えた。
 三階に行って、お茶を飲みながら、サハチは李芸が琉球に来た目的を思紹に説明した。
倭寇(わこう)に連れ去られた朝鮮人(こーれーんちゅ)か。昔は親父(サミガー大主)の所にも高麗(こーれー)から来た人たちが働いておったが、今は見かけんな。あの時の人たちはどうしたんじゃろう」
「帰りたいと言った者たちは、朝鮮に行っていた中山王(ちゅうざんおう)(察度)の船に乗せて返したようですよ」とサハチは言った。
「そういえば、親父は宇座の御隠居(うーじゃぬぐいんちゅ)様(泰期)と仲がよかったようじゃから頼んだのかもしれんのう」
 思紹は李芸に朝鮮人を探して連れ帰る事を許可して、サハチの義弟のカンスケを『朝鮮担当奉行』に任命した。カンスケは『対馬大親(つしまうふや)』を名乗って、首里に屋敷も与えられ、李芸の朝鮮人捜しを手伝う事になった。
 李芸たちはカンスケに連れられて首里見物を楽しんだ。今晩は『会同館』で再び歓迎の宴(うたげ)が催される事になった。五郎左衛門は龍天閣に残って、思紹と積もる話を語り合った。
 李芸たちを思紹に預けると、サハチは御内原(うーちばる)に行って安須森ヌルを探した。一緒に馬天浜(ばてぃんはま)に行こうと思ったのに、ササたちと一緒に平田グスクに行ったという。タミー(慶良間の島ヌル)の事を調べに行ったようだ。
「ヤタルー師匠(阿蘇弥太郎)と喜屋武(きゃん)ヌル(先代島尻大里ヌル)は慈恩寺(じおんじ)に帰ったわ」とマチルギは言った。
「修理亮(しゅりのすけ)とカナ(浦添ヌル)も浦添(うらしい)に帰って、愛洲ジルーたちはササと一緒に行ったわよ」
「ンマムイ(兼グスク按司)も一緒に行ったのか」
「帰ったわ。娘の事は師匠に任せるって。マサキの成長振りを見て驚いていたわよ。ササは凄いヌルだって感心していたわ」
「確かに凄いよ。あんなにも弟子を連れてヤマトゥ(日本)まで行って来て、弟子たちは皆、立派に育っている。ミワ(奥間若ヌル)に会えなかったのは残念だったけどな」
「ウニチル(フカマ若ヌル)からミワの事を聞いたわ。あの二人は南の島(ふぇーぬしま)に行かなかったから、ほかの若ヌルたちと違って、神様の声が聞こえなかったらしいの。二人は悔しがって、必死に修行を積んだみたいね。瀬戸内海にある大三島(おおみしま)という島で、二人もようやく神様の声が聞こえるようになって、神様の姿も見えるようになったって喜んでいたわ」
「そうか、ミワとウニチルも苦労したんだな。しかし、あの若ヌルたちがヌルになったら凄い事になりそうだな」
「凄いヌルたちに守られて、中山王は安泰よ」
 サハチはマチルギにうなづくと、シンゴ(早田新五郎)たちに会いに馬天浜に向かった。


 その頃、平田グスクに着いたササたちは一休みすると、須久名森(すくなむい)に登った。タミーの指示に従って、愛洲ジルーたちが平田大親(ひらたうふや)から借りた山刀(やまなじ)で、道を切り開きながら登って行った。
 タミーは須久名森ヌルだった伯母の声に従っているようだが、ササたちには聞こえなかった。
 鬱蒼(うっそう)とした木々の中を抜けて山頂に着いた。山頂も木が生い茂っていて眺めはよくなかった。東側が崖になっていて、この下にウタキ(御嶽)があるとタミーは言った。
 足下(あしもと)に気を付けながらタミーの指示通りに進んで行くと崖の下に出た。そこは少し広くなっていた。
「ここに来た事あるの?」とササがタミーに聞いた。
 タミーは首を振った。
「このお山に入ったのも初めてです」
 ササはうなづいて、「まずは邪魔な草を刈り取りましょう」と言った。
 山刀を持っている者たちが伸び放題の草を刈った。
 崖に小さなガマ(洞窟)が現れて、ガマの中に石が積んであった。ガマの前に祭壇らしい大きな岩も現れた。かなり古いウタキのようだった。
 愛洲ジルーたちはその場から離れて見守り、ヌルたちは祭壇の前に座り込んでお祈りを始めた。
「よく来てくれたわね」と神様の声が聞こえた。
「母からあなたの事は聞いたわ。そのガーラダマ(勾玉)を身に付けられる娘が現れたってね。母はとても驚いていたわ」
「神様は『知念姫(ちにんひめ)様』の娘さんなのですか」とササは聞いた。
「三女の『スクニヤ姫』よ。このお山は今、須久名森って呼ばれているけど、昔はスクニヤムイだったの。お山の東方(あがりかた)の浜はスクニヤ浜と呼ばれていて、ヤマトゥに行くお舟が出ていた所なのよ」
「えっ、馬天浜(ばてぃんはま)ではなくて、こっちに港があったのですか」
「当時は今よりも海が奥の方まで入り込んでいて、馬天浜の辺りは湿地帯だったの。スサノオが来る頃には砂浜になっていて、以後は馬天浜の方が栄えるようになったのよ。今は寂れてしまったけど、スクニヤ浜には貝殻の集積場があって、とても栄えていたのよ。筑紫(つくし)の島(九州)に行った伯母(瀬織津姫)から貝殻の工房を作れって言われて、各地に工房を造ったの。工房で加工された貝殻がスクニヤ浜に集められて、ヤマトゥに運ばれて行ったのよ。わたしが生まれた時、母は集積場の責任者だったわ。わたしが七歳の時に伯母は筑紫の島から帰って来たの。伯母は垣花(かきぬはな)の都のヌルトゥチカサ(祝詞司、首長)の跡継ぎだったけど、母に跡を継ぎなさいって言ったわ。母は驚いたけど、伯母の決心を聞いて、跡を継ぐ事に決めたの。伯母が筑紫の島に帰ったあと、祖母が引退して、母がヌルトゥチカサになったのよ。その時、わたしたちは新しい村を造るために知念にいたんだけど、垣花の都に移って立派な御殿(うどぅん)で暮らす事になったわ。伯母は十一歳の時にも帰って来たけど、その後、帰っては来なかった。わたしは垣花の都でヌルになるための修行を積んで、二十歳の時、スクニヤ浜に戻って来て、スクニヤ姫って呼ばれるようになったのよ」
「スクニヤ姫様は初代の須久名森ヌルなのですね?」
「そうよ。わたしからずっと続いていたんだけど、二十六年前に絶えてしまったわ。でも、タミーが跡を継いでくれる事になって、本当によかったわ」
「わたしは二十六年前に亡くなった伯母の案内でここまで来ました」とタミーが言った。
「伯母はわたしが二歳の時に亡くなって、十歳の時に母も亡くなったので、わたしは伯母の事をまったく知りません。わたしが首里のヌルになった時、大叔父から伯母がヌルだった事を初めて聞きました。伯母はどうして亡くなってしまったのですか」
「それは伯母さんに直接、聞いたらいいわ」とスクニヤ姫が言って、タミーの伯母の声が聞こえた。さっきまでは聞こえなかったのに、なぜか、ササたちにも聞こえた。
「大きな台風が来たのよ。海辺の近くにあった家はみんな流されてしまったわ。わたしは子供を助けようとして、一緒に流されてしまって、それで亡くなったの。まだ二十四歳で、跡継ぎを残す事もできなかったわ。あの時、二歳だったタミーに跡を継いでもらいたくて、ずっと見守ってきたのよ。あなたが佐敷ヌル(安須森ヌル)に憧れて、女子サムレーになってから首里のヌルになったので嬉しかったわ。必ず、須久名森に戻って来ると思っていたわ。戻って来てくれてありがとう」
 ササが生まれる前、大きな台風があって、サミガー大主(うふぬし)の作業場の屋根が吹き飛んで、馬天ヌルの屋敷も潰れたと、いつか聞いたのをササは思い出していた。母が久高島(くだかじま)のフボーヌムイ(フボー御嶽)に籠もっていた時だった。
「伯母様は『スクナヒコ様』を御存じですか」とタミーが聞いた。
「古い神様でしょう。知っているわ。スサノオ様の時代にヤマトゥに行って、ヤマトゥの国造りに貢献した人だって聞いているわ」
スサノオ様の息子さんに『サルヒコ様』という方がいらして、その人を助けて各地を平定したようです。伯母様が身に付けていたこのガーラダマは、スクナヒコ様が琉球に帰る時、サルヒコ様が贈った物だそうです。サルヒコ様からスクナヒコ様の活躍を聞きました。サルヒコ様はスクナヒコ様が琉球で忘れ去られてしまった事を悲しんでおられました。どうして、忘れ去られてしまったのですか」
「それはスクナヒコがヤマトゥの事をあまり話さなかったからなのよ」とスクニヤ姫は答えた。
「子孫たちにもヤマトゥには行くなと言って、武器を持つ事も禁止して、ウミンチュ(漁師)として育てたの。だから、須久名森には按司が生まれる事もなく、だんだんと忘れ去られてしまったの。ただ、須久名森ヌルだけがスクナヒコをお祀りして来たのよ。この先をしばらく行くと、とんがったお山があるわ。そこにスクナヒコは祀られているのよ」
 ササたちは再び草を刈りながらタミーの伯母の案内で、スクナヒコのウタキに行った。とんがった岩山そのものがウタキのようだった。岩山の近くに祭壇があって、ササたちはお祈りを捧げた。
 神様の声は聞こえなかった。留守なのかしらと思っていたら、
「まだ、わしの事を覚えている者がおったか」とスクナヒコの声が聞こえた。
「スクナヒコ様は決して忘れてはならない英雄だとサルヒコ様はおっしゃいました。どうして、ヤマトゥでの活躍をみんなに話さなかったのですか」とササが聞いた。
「わしは英雄なんかではない。大勢の人たちを殺してきた罪深い男なんじゃよ」
「ヤマトゥの国を平定するには敵対する者たちを倒さなければなりません。戦(いくさ)に犠牲者は付き物のはずです」
「武力を持って強引に平定しても、長続きはせんのじゃよ。わしは戦にうんざりして琉球に帰って来たんじゃ。戦の話などしたくはなかったんじゃよ」
「それでも、サルヒコ様がヤマトゥの国をまとめるにはスクナヒコ様の力が必要だったのでしょう?」
「あの頃は、わしもいい気になっていたんじゃ。わしはヤマトゥと琉球を行き来していた船乗りじゃった。スサノオ様が馬天浜に来たのはわしが二歳の時じゃ。毎年、冬になると豊玉彦(とよたまひこ)様に率いられて何艘もの船が、ヤマトゥの品々を積んで馬天浜にやって来た。馬天浜はお祭りのように賑やかじゃった。あの頃のわしら子供にとって、ヤマトゥに行く船乗りになるのが夢だったんじゃよ。わしの母親は須久名森ヌルじゃった。ヤマトゥに行く船の航海の無事を須久名森で祈っていた。わしが生まれたのはお山の東方だったが、馬天浜が新しい港になったので、お山の西方(いりかた)に屋敷を移して、わしはそこで育った。多分、母が豊玉彦様に頼んでくれたのじゃろう。わしは十六歳の夏、船乗りとして初めてヤマトゥに行ったんじゃ。琉球とヤマトゥとの間にいくつもの島があったのには驚いた。そして、ヤマトゥは思っていたよりもずっと遠かったんじゃ。わしらは『豊(とよ)の国(福岡県東部と大分県)』の宇原(うばる)の港に着いて、冬まで豊の国の都で過ごした。都には立派な御殿があって、スサノオ様と豊玉姫様が暮らしておった。わしらが都に滞在していた時、豊玉姫様がアマン姫様をお産みになって、お祭りのように賑やかじゃった。それから毎年、わしは琉球と豊の国を行ったり来たりしていたんじゃよ。十九歳の時、わしは嫁をもらったが、その年も、わしはヤマトゥに行った。そして、冬に帰って来る時、豊玉姫様と子供たちを琉球に連れて来たんじゃ。十五歳になった玉依姫(たまよりひめ)様は美しいお姫様じゃった。玉依姫様はセーファウタキ(斎場御嶽)で儀式をして一人前のヌルになった。玉グスクヌル様、知念ヌル様、垣花ヌル様、そして、わしの母も立ち会ったようじゃ。豊玉姫様は次女のアマン姫様が十五歳になった時も琉球に来て、セーファウタキで儀式をした。アマン姫様は玉グスクヌルを継ぐ事になって、そのまま琉球に残ったんじゃ。その時、わしはもう船乗りではなく、サルヒコ様の軍師として働いていた。わしがサルヒコ様と出会ったのは筑紫の島の南にある『アイラ(鹿屋市)の都』じゃった。スサノオ様はサルヒコ様と一緒に九州を平定して、アイラに都を造ったんじゃ。わしらは豊の国の都まで行かずに、アイラの港まで行けばよくなったので、随分と楽になったんじゃよ。わしらが初めてアイラの港に着いて、御殿に挨拶に行ったらスサノオ様と一緒にサルヒコ様がおられたんじゃ。サルヒコ様はわしより一つ年上で、立派な大将という貫禄があった。一緒に酒を飲んで、九州を平定した時の話を聞いていたんじゃが、わしも酔っ払って余計な事を言ったらしい。次の日、御殿に呼ばれて行ったら、サルヒコ様の軍師を務めろとスサノオ様から言われたんじゃよ」
「余計な事って、戦の事を話したのですか」とササが聞いた。
「戦の事などわしが知っているはずがなかろう。十年以上、船乗りをしていて、色々と工夫した事を自慢げにしゃべったようじゃ。わしの工夫が戦にも使えるとスサノオ様は思ったらしい。わしもヤマトゥの国造りの役に立てるのならと引き受けたんじゃよ。突然の事で、子供たちに会えなくなるのは辛かったが、四、五年の我慢だと自分に言い聞かせて、サルヒコ様と一緒に四国に渡ったんじゃよ。わしの作戦がうまくいって、戦死者もそれほど出す事もなく、四国の平定は三年で終わったんじゃ」
「どんな作戦を立てたのですか」
「それは時によって違うが、肝心な事は相手の事をよく調べる事なんじゃ。突然、攻めて行ったら敵も味方も多大な戦死者が出る。相手の事をよく調べて、相手が納得するような形で、ヤマトゥの国に組み込んでいったんじゃよ。女の首長がいる国もいくつかあった。そんな国を攻める時には玉依姫様に頼んだ事もある。わしには神様の事はわからんが、玉依姫様が出て行くと大抵の国は抵抗する事なく、従ってくれたんじゃよ」
 その頃の四国は阿波津姫(あわつひめ)様の子孫がいたに違いない。瀬織津姫(せおりつひめ)様の子孫のスサノオ様と知念姫様の子孫の豊玉姫様が結ばれて生まれた玉依姫様が現れれば、阿波津姫様の子孫たちは従うに違いないとササは思った。
「サルヒコ様とわしが四国を平定した頃、スサノオ様は木の国(和歌山県)を平定して、わしらは三輪山(みわやま)の近くに都を造ったんじゃ。豪華で立派な御殿を建てて、スサノオ様はヤマトゥの国の大物主(おおものぬし)になられたんじゃ。わしは琉球に帰ろうとしたんじゃが、帰れなかった。まだ、越(こし)の国(福井県から新潟県)が残っていると言うんじゃ。この越の国との戦が悲惨だったんじゃよ」
「越の国には『ヌナカワ姫様』がいらっしゃったのではありませんか」
「ああ、ヌナカワ姫様の国とは古くから交易をしていたから問題はなかったんじゃが、そこに行くまでの間に小さな国がいくつもあって、四国で使った作戦はうまくいかなかった。中には言葉がまったく通じない国もあったんじゃよ。あんな悲惨な戦は思い出したくもない」
 戦の話はしたくないようなので、ササは話題を変えた。
「京都の『天使の宮(五條天神宮)』に行きました。スクナヒコ様は航海の神様と医術の神様として祀られていました。航海の神様はわかりますが、医術も得意だったのですか」
「わしは半年近くを豊の国の都で過ごしていた。都には各地から色々な人たちが集まって来ていたんじゃ。中には医術が得意な人もいて、わしは指導を受けたんじゃよ。琉球からの長旅は必ず具合の悪くなる者や怪我をする者が出るからのう。四国を平定していた時、サルヒコ様が重い病に罹った事があったんじゃ。わしの力だけではないが、サルヒコ様の病は治った。その事が大げさに伝えられて、医術の神様になってしまったんじゃろう」
「天使の宮は奈良から京都に都が移る時に、『空海(くうかい)様』が奈良にあった天使の宮を京都に移したと伝わっていますが、スクナヒコ様は天使と呼ばれていたのですか」
 スクナヒコは笑った。
「生きているうちに呼ばれた事はない。わしが亡くなってから、誰かが付けたのじゃろう。わしは知らんよ」
「ヤマトゥの国を平定する時に軍師として働いたのに、平定が終わると権力の座に座る事もなく琉球に帰ってしまったスクナヒコは、サルヒコにとって天から降りて来て、助けてくれた神様のように思えたのでしょう。きっと、サルヒコがスクナヒコを天使として祀ったのだと思うわ」とスクニヤ姫が言った。
 いつの間にか、日が暮れてきていたので、ササたちはスクナヒコとスクニヤ姫と別れて、須久名森を下りて平田グスクに帰った。
 翌日、ササたちはセーファウタキに行って、『豊玉姫』に帰国の挨拶をした。
「ササ、ありがとう。瀬織津姫様と会えたのね。スサノオが連れて来てくれたのよ」
「えっ、瀬織津姫様は今、琉球にいらっしゃるのですか」とササたちは驚いた。
スサノオがあっちこっちに連れて行っているわ。サラスワティ様も一緒だったわよ」
「そうでしたか。瀬織津姫様がいらっしゃいましたか。琉球の古い神様たちが喜んで迎えていたのですね」
「わたしが知らない古い神様たちが大勢、集まっていらして、ここは神様だらけになったのよ」
「凄かったでしょうね。見てみたかったわ」とササは笑って、ヤマトゥでスクナヒコの事を知って、須久名森のウタキでスクナヒコとスクニヤ姫に会った事を話した。
「あら、スクナヒコに気づいたのね」と豊玉姫は笑った。
「スクナヒコはスサノオのヤマトゥの国の建国に欠かせない人だったのよ。スクナヒコがいなかったらヤマトゥの国はできなかったかもしれないと言ってもいいわね」
「京都では広い敷地をもった『天使の宮』に祀られているのに、琉球ではずっと忘れられていたなんて、あまりにも哀れすぎます」
「時の流れによって忘れられるのは仕方のない事なのよ。わたしだって、あなたがヤマトゥに行って、色々と調べなかったら、忘れ去られていたかもしれないのよ」
「スクナヒコ様は越の国を平定する時に悲惨な戦が起こったと言っていましたが、何があったのか、豊玉姫様は御存じではありませんか」
「その頃、わたしは九州にいたから噂しか聞いていないけど、大勢の人が戦死したらしいわね。スクナヒコは自分の責任だと苦しんでいたわ。何があったのか、わたしにも話してはくれなかったわ。スクナヒコはわたしと一緒に琉球に帰って来たの。子供たちにもヤマトゥでの活躍は話さなかったようだわ。ウミンチュになって、子供たちと一緒に海に出ていたわ。琉球に帰って来てから三年後、スサノオが亡くなって、あちこちで戦が始まったの。わたしはヤマトゥに戻る決心をしたわ。スクナヒコに話してはいなかったんだけど、噂を聞いたのね。スクナヒコはわたしと一緒にヤマトゥに行ってくれたわ。そして、わたしの軍師として九州平定を助けてくれたのよ。わたしが亡くなるまでスクナヒコは仕えてくれたわ。わたしが亡くなったあと、わたしの遺品を持って琉球に帰って、何事もなかったかのようにウミンチュに戻って、そして、亡くなったの。アマン姫がスクナヒコを須久名森の山頂に祀ったのよ」
 タミーはイリヌムイ(寄満(ゆいんち))で儀式を行なって、豊玉姫によって『須久名森ヌル』に就任した。
 セーファウタキから知念の城下に行き、知念ヌルと波田真(はたま)ヌルに旅の話をして、知念グスク内のウタキで知念姫にお礼を言った。
「お礼を言うのはわれの方じゃ。姉に会って来いとは言ったが、広いヤマトゥの国で、姉に会えるとは思ってもいなかったんじゃ。姉がスサノオと一緒にやって来て、わしは腰を抜かさんばかりに驚いたぞ。姉に会えたなんて、夢でも見ているような気分じゃった。ありがとう。ササの事は決して忘れんぞ」
 お祈りを終えたササは、借りていたガーラダマを知念ヌルに返した。
 一仕事を終えたので、神人(かみんちゅ)になった女子サムレーのシジマに会いに島添大里(しましいうふざとぅ)グスクに行こうとしたら、
「玉グスクに来て」という声が聞こえた。
 ササは驚いて安須森ヌルを見た。
 安須森ヌルはうなづいて、「瀬織津姫様の声じゃないの?」と言った。
瀬織津姫様よ」とシンシンとナナも言った。
 ササたちは玉グスクに向かった。城下で玉グスクヌルと会って、一緒に玉グスクのウタキに登った。
 『アマツヅウタキ』でお祈りをすると、
「あなたのお陰で、久し振りに琉球に帰って来たわ」と言う瀬織津姫様の声が聞こえた。
「懐かしい人たちに会って、とても楽しい日々を過ごせたわ。お礼として、あなたにわたしが身に付けていた勾玉(まがたま)を贈るわ」
 地響きのような音がして、ウタキが盛り上がって岩盤の蓋(ふた)が開いたかと思ったら、大きな勾玉が飛び出して来て、ササの首にぶら下がり、ウタキは一瞬のうちに元に戻った。
 ササの首にぶらさがった勾玉は三寸(約九センチ)近くもある大きな翡翠(ひすい)の勾玉だった。
 安須森ヌルもシンシンもナナも、タミーとハマ(越来ヌル)も、玻名(はな)グスクヌルと若ヌルたちも、その見事な勾玉に驚いて、口をポカンと開けていた。
瀬織津姫様、こんな凄いガーラダマ(勾玉)をいただいて嬉しいのですが、アマツヅウタキのガーラダマがなくなってしまったら大変な事になるのではありませんか」
「大丈夫よ。ちゃんと代わりの勾玉を入れておいたわ。それには劣るけど、ヌナカワ姫様からいただいた勾玉よ」
 ササは瀬織津姫様にお礼を言って、首から下がっているガーラダマを見た。虹のような不思議な色をしたガーラダマだった。瀬織津姫様から、こんな立派なガーラダマをいただいてしまって、これからどうしたらいいのか、ササにはわからなくなっていた。
「ササに頼みがあるのよ。須久名森でササの笛を聞かせて」と瀬織津姫様は言った。
「スクナヒコ様は傷ついたままだわ」と安須森ヌルが言った。
 ササは安須森ヌルにうなづいて、
須久名森に戻って、笛を吹きます」と瀬織津姫様に答えた。
 玉グスクから平田に戻ったササたちは、再び須久名森に登った。スクナヒコのウタキの前で、ササと安須森ヌルが『鎮魂の曲』を吹いた。途中からサラスワティのヴィーナが加わって、スクナヒコの深い心の傷を癒やしていた。

 

 

 

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2-218.李芸と再会(改訂決定稿)

 浮島(那覇)にヤマトゥ(日本)から帰って来た交易船、『李芸(イイエ)』を乗せた朝鮮船(チョソンぶに)、ササ(運玉森ヌル)たちを乗せた愛洲(あいす)ジルーの船が着いて、馬天浜(ばてぃんはま)にシンゴ(早田新五郎)、マグサ(孫三郎)、ルクルジルー(早田六郎次郎)の船が着いた。
 いつもなら、交易船の事は思紹(ししょう)(中山王)とマチルギに任せて、馬天浜に行くサハチ(中山王世子、島添大里按司)も、李芸が来たので浮島に行き、馬天浜の事はサミガー大主(うふぬし)と佐敷大親(さしきうふや)に任せた。『那覇館(なーふぁかん)』が忙しそうだから一緒に行くと言って、安須森(あしむい)ヌル(先代佐敷ヌル)が付いて来た。
 浮島に行く途中、首里(すい)に向かう交易船の行列と出会って、サハチと安須森ヌルは馬から下りて見送った。大勢の見物人が小旗を振って出迎えていたので、サハチたちは気づかれなかった。女子(いなぐ)サムレーたちに守られたトゥイ様(先代山南王妃)とナーサ(宇久真の女将)は馬に乗っていて、二人とも満足そうな顔をしていた。そして、二人とも若返ったように見えた。
 安里(あさとぅ)で馬を預けて、渡し船に乗って浮島に渡った。ファイテ(懐徳)とジルーク(浦添按司の三男)がここに石の橋を造ってくれれば、かなり便利になるだろうと、サハチは二人に期待した。
 ヤマトゥンチュ(日本人)たちで賑わっている若狭町(わかさまち)を横目で見て、『那覇館』に行くと、すでに首里のサムレーたちに警護されていた。御門(うじょう)にいたサムレーはサハチたちを知らず、上官を呼んで、サハチたちは中に入る事ができた。庭には朝鮮のサムレーたちがうろうろしていた。庭の外れにある井戸(かー)の所にササたちの姿が見えたので、サハチと安須森ヌルは驚いて井戸の所に行った。
「お前たち、こんな所で何をしているんだ?」とサハチは聞いた。
「歓迎の宴(うたげ)の準備を手伝っているのよ」とササは言った。
 シンシン(杏杏)、ナナ、カナ(浦添ヌル)、ハマ(越来ヌル)、タミー(慶良間の島ヌル)が一緒にいて食器を洗っていた。
「そんな事はいいから、お前たちも早く『会同館』に行け」
「奥方様(うなぢゃら)が来て手伝っているのに、あたしたちが会同館に行けるわけないでしょ」
「なに、マチルギが来ているのか」
「あとで、話を聞かせてね」と安須森ヌルがササに言った。
 台所を覗くとファイチ(懐機)が唐人(とーんちゅ)たちを指図して料理を作っていて、マチルギが女たちを指図して、お膳の用意をしていた。首里の女子サムレーたちの姿もあった。喜屋武(きゃん)ヌル(先代島尻大里ヌル)、玻名(はな)グスクヌル、若ヌルたちも手伝っていた。安須森ヌルも加わった。
 サハチに気づいて、「大丈夫よ。何とか間に合いそうだわ」とマチルギが言った。
「ヤタルー師匠(阿蘇弥太郎)と修理亮(しゅりのすけ)が李芸様の相手をしているわ。行ってあげて。それと、別館の方に愛洲ジルーたちと奥間(うくま)の避難民たちもいるわ」
「そうか。奥間の人たちも来たか。別館にはあとで顔を出す」
 サハチはファイチと一緒に李芸がいる部屋に向かった。李芸は二階の一番いい部屋にいるという。一番いい部屋にいるという事は李芸が正使という事になる。ヤマトゥ言葉がわかる李芸が正使でよかったとサハチはホッとした。
伊平屋島(いひゃじま)から知らせが来て、準備を始めたのですが間に合いませんでした。それに、奥間の避難民たちが五十人近くも乗っていました」とファイチが言った。
「具合の悪い者もいるのか」
「何人かいます。福寿坊(ふくじゅぼう)と辰阿弥(しんあみ)、ササがヤマトゥから連れて来た覚林坊(かくりんぼう)という山伏が看ています。首里に使いをやって無精庵(ぶしょうあん)も呼びました。まもなく来るでしょう」
「ササがまた山伏を連れて来たのか」とサハチは笑った。
「福寿坊より修行を積んでいる山伏です」
「そうか。山伏たちのお寺(うてぃら)も建てなくてはならんな」
 部屋の中から笑い声が聞こえてきた。声を掛けて戸を開けると、円卓を囲んで、李芸、ヤタルー師匠と修理亮、そして、驚いた事に早田(そうだ)五郎左衛門がいた。
「おう、サハチ、久し振りじゃのう」と五郎左衛門が笑いながら手を上げた。
「お久し振りです。五郎左衛門殿が琉球に来てくれたなんて‥‥‥大歓迎です。李芸殿もよくいらしてくれました。歓迎いたします」
「お世話になります」と言って李芸は笑った。
 李芸も五郎左衛門も朝鮮に行った時以来なので、七年振りの再会だった。李芸はあまり変わらないが、五郎左衛門はかなり老け込んでいた。親父より五歳年上だと聞いているので、もう七十歳に近かった。
「わしはすでに隠居したんじゃが、今回は李芸に頼まれて、李芸の副官としてやって来たんじゃよ」と五郎左衛門が言った。
 サハチとファイチも円卓を囲んで再会を喜んだ。
 今回の琉球行きは急に決まった話で、準備に追われて大変だったと李芸は言った。
 琉球に行かせてくれと何度も頼んでいたが許可は下りなかった。両班(ヤンバン)たちにとって、琉球は遙か遠くの国で、何日も船に揺られて行くなんて考えただけでもおぞましい事だった。自分が使者に選ばれたら大変だと皆が反対していた。
 去年の暮れ、明国(みんこく)に行っていた使者が帰国して、永楽帝(えいらくてい)の戦(いくさ)の事や順天府(じゅんてんふ)(北京)の様子を朝鮮王(李芳遠)に報告した。琉球に行った冊封使(さっぷーし)と一緒に永楽帝の娘のリーポー姫が帰って来て、順天府ではリーポー姫が琉球に行って来たという噂で持ちきりだったという。それを聞いた朝鮮王は驚いて、李芸を呼び出すと、琉球に行けと命じたのだった。
「自分の娘を琉球に送るほど、永楽帝琉球を信頼している。琉球は毎年、朝鮮に来てくれているのに、朝鮮からは一度もお礼の使者を送ってはいない。これはうまくないと王様も思ったようです。それで、わたしを『琉球通信官』に任命して、琉球に行けと命じたのです」と李芸は言った。
琉球から来た船は帰ってしまいましたが、対馬(つしま)の早田氏が毎年、正月に琉球に行く船を出している事は五郎左衛門殿から聞いていました。急いで準備をして、富山浦(プサンポ)(釜山)に行って、荷物を積み込んで対馬に向かったのです。五郎左衛門殿も一緒に行くと言ってくれたので助かりました」
「母親はまだ見つからないのですね?」とサハチは聞いた。
 李芸は首を振った。
「もう諦めていますが、わずかな望みを持って琉球に来ました」
倭寇(わこう)にさらわれた朝鮮人を探すのですね?」
「そのつもりです。わたしの配下の者たちは長年、あちこちで探し回っていますので、琉球でも何人かは探し出せるかと思います」
「中山王(ちゅうざんおう)の領内にはもういないとは思いますが、山南王(さんなんおう)(他魯毎)と山北王(さんほくおう)(攀安知)の領内にはまだいるかもしれません。山南王はわたしの義弟なので手伝ってくれるでしょう。山北王とは今、同盟中なので話せば協力してくれるでしょう」
「よろしくお願いします」と李芸は頭を下げた。
「サハチが来る前、若かった頃のサグルー(思紹)の話をしていたんじゃよ。王様になったサグルーに会うのが楽しみじゃ」と五郎左衛門が言った。
「親父は今、首里でヤマトゥから帰って来た者たちの帰国祝いの宴に出ています。五郎左衛門殿が来ている事を知ったら、大喜びして迎えるでしょう」
 ンマムイ(兼グスク按司)が顔を出した。会同館に行ったら、ササたちがこっちにいると聞いて、馬を走らせて来たという。
「李芸殿に五郎左衛門殿、お久し振りです」とンマムイは言って円卓に加わった。
 ンマムイが来たら急に賑やかになった。
 宴の準備ができたと知らせが来て、サハチたちは一階の大広間に移った。李芸が連れて来た朝鮮の人たちは五十人ほどで、十人は船に残っているとの事だった。通事(つうじ)として朝鮮に行っていたチョルとカンスケたちがいたので助かった。
 サハチが挨拶をして、カンスケが通訳をして、歓迎の宴は始まった。言葉は通じないし、男ばかりで殺風景だった。遊女(じゅり)を呼べばよかったと思ったが、朝鮮の言葉をしゃべれる遊女はいなかった。
 笛の調べが聞こえてきたと思ったら、琉球の着物を着た女子サムレーたちが歌と踊りを披露した。笛を吹いているのはササだった。やがて、遊女たちが現れた。若狭町の遊女たちで、ヤマトゥの着物を着ていた。言葉が通じなくても何とかなるだろうと思ったが、朝鮮の言葉をしゃべる遊女がいたので、サハチは驚いた。
「朝鮮の娘ですか」と李芸が聞いた。
「そのようですね」とサハチはうなづいた。
「隠していたようです。あんな若い娘がいるなんて知りませんでした」
 李芸は立ち上がると朝鮮の遊女の所に行って話を聞いた。
 五郎左衛門の話を聞いているヤタルー師匠と修理亮とンマムイにあとの事を任せて、サハチとファイチは宴席から離れた。
「ファイチが遊女を呼んでくれたのか」とサハチが聞くと、
「マチルギさんですよ」とファイチは言った。
「そうだったのか」
「李芸さんは琉球中を探し回るようですね」
今帰仁(なきじん)にも行きそうだな。こんな時期に来るなんて厄介(やっかい)な事だな」
「逆に李芸さんを隠れ蓑(みの)にするのです。中山王が李芸さんに振り回されていると思えば、山北王も安心するでしょう。奥間の焼き討ちがあって、山北王は中山王が攻めて来るかもしれないと思っているかもしれません。中山王は奥間の事では動かないと安心させて、裏で準備を進めます」
「成程、李芸殿を隠れ蓑にか‥‥‥」
「明日、李芸さんは首里に行くと思いますが、派手な行列をして、朝鮮から使者が来たという事を世間に知らせた方がいいでしょう」
「そうだな」とサハチはうなづいて、「さすが、軍師だ」とファイチを見て笑った。
 別館に行くと、愛洲ジルーたちが宴をしていて、マチルギと麦屋(いんじゃ)ヌル(先代与論ヌル)が喜屋武ヌルから旅の話を聞いていた。
「遊女たちを呼んでくれて、ありがとう」とサハチはマチルギにお礼を言った。
「お礼なら『松風楼(まつかぜろう)』の女将(おかみ)に言って。忙しい時期に遊女たちを集めてくれたわ」
「お前、遊女屋の女将を知っているのか」
「前に、トゥイ様を見倣って、職人たちの面倒を見なさいって言われたでしょ。遊女たちも職人なのかなと思って、面倒を見る事にしたのよ」
「なに、お前、若狭町の遊女屋の面倒まで見ているのか」
「時々、様子を見に行くだけなんだけど、『松風楼』の女将とは、なぜか気が合ってね。お茶を飲みながら世間話をするのも楽しいのよ」
「遊女たちの面倒まで見ていたなんて大したもんだ」とサハチは感心した。
「まだまだ、トゥイ様には及ばないわよ」とマチルギは謙遜した。
 サハチとファイチは二階に行って、奥間の人たちを見舞った。無精庵が来ていて、具合の悪い年寄りの面倒を見ていた。福寿坊が覚林坊を紹介したので、琉球に来てくれてありがとうとお礼を言った。キンタ(奥間大親)がいたので、空いている部屋に行って奥間の様子を聞いた。
「まったく悲惨でしたよ。家々はみんな焼け落ちていました。昔の面影なんて、どこにもありません。あれを見たら、奥間の者じゃなくても、山北王を憎みますよ」
「サタルーたちも無事なんだな?」とサハチは聞いた。
「全員、無事です。サタルーさんは今、半数以上が殺されたという噂を流しているようです。騒ぎを大きくして、奥間を助けろという声を各地に上げさせるためだそうです」
 キンタは奥間ヌルが持っていた奥間から贈られた側室たちの記録の事をサハチとファイチに話した。
「羽地按司(はにじあじ)と国頭按司(くんじゃんあじ)、そして、名護按司(なぐあじ)も山北王から離反するかもしれませんね」とファイチが言った。
「その三人の按司が山北王を倒してくれと中山王に言って来たら、それは大義名分(たいぎめいぶん)になるのか」とサハチはファイチに聞いた。
「その三人と、伊波按司(いーふぁあじ)と山田按司の一族も山北王を倒せと言うでしょう。そうなると中山王も動かざるを得ない状況になります。ただ、民衆がどう思うかです」
「民衆は奥間を助けるための戦では納得しないか」
「難しいですね」
 サハチはキンタに奥間の人たちを玻名グスクに連れて行ってくれと頼んで、階下に降りた。
 サハチは愛洲ジルーにお礼を言ってくると言って大広間に入り、ファイチは李芸たちの所に戻った。
 女子サムレーのミーカナとアヤーと話をしていた愛洲ジルーに、
「今年も来てくれてありがとう」とサハチは言った。
「お屋形様に大層、喜ばれまして、今年も行って来いって言われたのです。八月の半ば過ぎに京都に行くササたちと別れて、十月にまた行って来いと命じられたのです。積み荷の準備をして、十一月に対馬に向かって、ササたちと再会しました。ササたちも驚いていましたよ」
 ジルーたちから富士山まで行って来たという話を聞いていたら、ササたちがぞろぞろと入って来た。安須森ヌルとンマムイも一緒にいた。
「向こうは大丈夫か」と安須森ヌルに聞いたら、
「盛り上がっているわ」と笑った。
瀬織津姫(せおりつひめ)様の話を聞かせてもらおうか」とサハチはササに言った。
「その前にお土産があるのよ」とササが振り返った。
 仲居(なかい)が瓶子(へいし)を持って来た。
「奈良の銘酒『菩提泉(ぼだいせん)』よ」
「ほう、銘酒か」とサハチは嬉しそうな顔をして、ササが注いでくれた酒を飲んだ。
 サハチの満足そうな顔を見て、ササは楽しそうに笑った。
「こいつはうまい。確かに銘酒だな」
 ジルーたちも飲んで、うまいと言って幸せそうな顔をした。
「久し振りに飲みました。ヤマトゥにいても、この酒はなかなか手に入りませんよ」とジルーが言った。
将軍様にお願いしたから毎年持って来られるわ」
「ササが御台所(みだいどころ)様(将軍義持の妻、日野栄子)と一緒に旅をしたと聞いて驚きましたよ。噂では聞いていましたが、そんなにも仲がいいとは知りませんでした。俺たちも一緒に京都に行って、御台所様と一緒に旅をしたかったですよ。御台所様なんて、一生かかってもお目にかかれない雲の上のお人ですからね」
「御台所様はとても素敵な人ですよ」と言って、ササもうまそうに酒を飲んだ。
 阿蘇山(あそさん)に登ったけど阿蘇津姫(あそつひめ)様とは会えず、那智の滝に行ったけど瀬織津姫様に会えなかった。那智の滝で出会った覚林坊の案内で、山奥にある天川(てんかわ)の弁才天社(べんざいてんしゃ)まで苦労して行ったけど、瀬織津姫様には会えなかった。ても、『役行者(えんのぎょうじゃ)様』と出会って、マサキのガーラダマ(勾玉)が、役行者様が真玉添(まだんすい)(首里にあったヌルたちの都)の沢岻(たくし)ヌルに贈った物だとわかったとササは言った。
「マサキのガーラダマが役行者様が贈った物だったのか」とサハチはンマムイと話をしているマサキを見た。
 ンマムイの次女のマサキはまだ十三歳だが、旅に出る前と比べて、随分と大人になったように見えた。
「真玉添の沢岻ヌルとマサキはつながっているのか」とサハチはササに聞いた。
「わからないけど、そのガーラダマを身に着けているって事はつながりがあるんだと思うわ。沢岻ヌルが今もいるのか調べなくちゃならないわ」
 天川の弁才天社から舟に乗って新宮(しんぐう)まで行って、新宮から愛洲氏の本拠地の五ヶ所浦に行った。五ヶ所浦から伊勢の神宮まで行ったけど、瀬織津姫様の声は聞こえなかった。五ヶ所浦に戻って、富士山に向かい、富士山の裾野にある樹海の中で、ようやく、『瀬織津姫様』に巡り会えた。
瀬織津姫様は月の神様だったのよ」とササは言った。
 瀬織津姫は垣花(かきぬはな)の都で、首長だった垣花ヌルの長女に生まれて垣花姫と呼ばれた。二十歳の頃、百人の人たちを率いて、貝殻を満載にした舟に乗って、翡翠(ひすい)と矢の根石(黒曜石)を求めてヤマトゥに向かった。九州に着いた垣花姫は阿蘇山を拠点に、貝殻の交易を始めて『阿蘇津姫』と呼ばれた。阿蘇津姫を長女に譲った垣花姫は、交易を広げるために武庫山(むこやま)(六甲山)に行って『武庫津姫』と呼ばれた。武庫津姫を三女に譲った垣花姫は、那智の滝に行って『瀬織津姫』と呼ばれた。瀬織津姫を五女に譲った垣花姫は、富士山に行って『浅間大神(あさまのおおかみ)』と呼ばれた。瀬織津姫は富士山の裾野に都を造ったが、その都は五百年余り前に起こった富士山の大噴火で全滅してしまう。都の人たちを助けられなかった事を悔やんで、瀬織津姫は以後、沈黙してしまったという。
「でも、ササの笛を聞いて、瀬織津姫様は蘇(よみがえ)ったのよ」とシンシンが言った。
「今は娘さんたちと会ったり、スサノオ様と一緒に南蛮(なんばん)(東南アジア)の国にも行って来たのよ」とナナが言った。
「ここまでが、旅の第一部ね」とササは言った。
「なに? 第二部もあるのか」とサハチは聞いた。
 ササはうなづいて、御台所様と高橋殿と一緒に兵庫の広田神社に行って『武庫津姫』と会い、神呪寺(かんのうじ)で『真名井御前(まないごぜん)』に会った事を話し、阿波(あわ)の国(徳島県)に行って、八倉比売(やくらひめ)神社で『アイラ姫』と会い、大粟(だいあわ)神社で『阿波津姫』と会い、祖母にも会った事を話した。奈良に行って『サルヒコ』と『豊姫』と会い、生駒山で『伊古麻津姫(いこまつひめ)』と会い、大三島(おおみしま)で瀬織津姫の孫の『伊予津姫(いよつひめ)』に会った事も話した。いつの間にか、マチルギも来ていてササの話を聞いていた。
大三島では大発見があったのよ」とササは言った。
「伊予津姫様はお酒が大好きで、一緒にお酒を飲んだわ。伊予津姫様は酔ひ姫(えいひめ)様って呼ばれているのよ」
「それが大発見なのか」と言いながらサハチはうまい酒を飲んだ。
「そうじゃないわよ。伊予津姫様の娘に『吉備津姫(きびつひめ)様』がいるんだけど、その人もお酒好きで、大切なガーラダマ(勾玉)をなくしてしまうの。そのガーラダマを見つけたのが『アキシノ様』で、アキシノ様はそのガーラダマを身に着けて琉球に来たけど、真玉添がやられて、読谷山(ゆんたんじゃ)の山に埋められてしまうわ。それを見つけて、身に付けたのがシンシンなの。アキシノ様もシンシンも吉備津姫様の子孫だろうって伊予津姫様は言ったのよ」
「シンシンが吉備津姫様の子孫? シンシンは唐人(とーんちゅ)だぞ。そんな事があるのか」
「吉備津姫様は琉球に向かったまま行方知れずになってしまったの。嵐に遭って亡くなってしまったと伊予津姫様は思っていたんだけど、もしかしたら、吉備津姫様は大陸に流されて、大陸で娘を産んで、その子孫がシンシンに違いないって言ったのよ」
「シンシンが瀬織津姫様の子孫だったのか‥‥‥確かに驚くべき事だな」
 サハチはシンシンを見つめながら、初めて出会った時の事を思い出していた。あの時、こんな展開になるなんて思ってもいなかった。
「今年はそれを調べるために明国に行って来るわ」とササは当然の事のように言った。
「何だって?」とサハチは驚いてササを見た。
 だめだと言っても無駄な事はわかっていた。
「今年はメイユー(美玉)が来るだろう。メイユーの船に乗って行け」とサハチは言った。
「そう言うと思ったわ」とササは嬉しそうに笑った。
「俺たちも一緒に行くか」とジルーがゲンザ(寺田源三郎)とマグジ(河合孫次郎)に聞いた。
「明国まで行って来たと言ったら、お屋形様は腰を抜かすぞ」とゲンザが笑った。
「たっぷりお土産を持って行けば、喜ぶに違いない」とマグジも笑った。
 安須森ヌルがササにシジマの事を話したら、ササは驚いた顔をして話を聞いていた。
「シジマが志慶真(しじま)ヌルだったなんて‥‥‥」とササは言って、何かを思い出しているようだった。
「シジマがキラマ(慶良間)の島から島添大里(しましいうふざとぅ)に来た時、あたし、シジマに会って、『あなた、ヌルなの?』って聞いたの。シジマは笑って、『違うわよ。あたしは女子サムレーよ』って言ったわ。やっぱり、ヌルだったのね」
「ササはやっぱり凄いわ。わたしはずっと一緒にいたのに、全然、気づかなかったわ」
「アキシノ様は今帰仁に帰ったのか」とサハチはササに聞いた。
「ここにいるわよ」とアキシノの声が聞こえた。
 サハチは天井を見上げた。マチルギも天井を見上げていた。
「お前にも聞こえたのか」とサハチはマチルギに聞いた。
 マチルギはうなづいた。
「アキシノ様、島添大里の女子サムレーのシジマを御存じですか」とササが聞いた。
「ここではまずいわ。庭に出て」とアキシノは言った。
 サハチとマチルギ、ササと安須森ヌル、シンシンとナナが庭に出て、空を見上げた。降るような星空だった。
「シジマはわたしの子孫です」とアキシノの声が聞こえた。
「シジマが神人(かみんちゅ)になったのなら志慶真ヌルを継ぐべきだけど、まだ時期が少し早いのです。今の志慶真ヌルは病(やまい)を患っていて、あと少しの寿命なのです。時々、血を吐いているので、本人も自覚しています。今の志慶真ヌルが亡くなってから志慶真村に帰った方がいいでしょう」
「ウトゥタル様はシジマに志慶真村に近づいてはだめと言ったようだけど、何か意味があるのですか」と安須森ヌルが聞いた。
「それは、今の志慶真ヌルが身に付けているガーラダマが蘇ってしまうからです。あのガーラダマは、わたしが『クボーヌムイヌル』を継いだ時に、先代のクボーヌムイヌル様からいただいたガーラダマなのです。そのガーラダマは初代のクボーヌムイヌル様から代々受け継がれて来た大切なガーラダマです。初代のクボーヌムイヌル様は豊玉姫様の従妹(いとこ)で、豊玉姫様からいただいたようです。先代の志慶真ヌルは今の志慶真ヌルにそのガーラダマを渡す時、ガーラダマを眠りに就かせたのです。そうしなければ、今の志慶真ヌルは身に付ける事はできません。ところが、シジマが志慶真村に近づくとガーラダマが蘇って、本来の主人であるシジマのもとに行きたがり、今の志慶真ヌルは寿命が尽きる前に亡くなってしまうのです」
「志慶真ヌルが亡くなったとしても、若ヌルがいるのに、シジマは志慶真ヌルを継げるのですか」と安須森ヌルは聞いた。
「それは大丈夫です。若ヌルには好きな人がいます。親に言われて若ヌルになったけど、できればお嫁に行きたいと思っています。シジマがヌルを継いでくれれば、若ヌルは喜んでヌルをやめるでしょう」
 サハチはアキシノに聞くべきか悩んでいたが、思い切って聞く事にした。
「アキシノ様、中山王が山北王を滅ぼしても大丈夫でしょうか」
「いよいよ、その日が来たのね」とアキシノは言った。
「あれだけ栄えていた平家でさえ滅んだのだから、今帰仁按司が滅びるのも、それは仕方のない事です。わたしは琉球に来て、三人の息子と二人の娘を産みました。長男は今帰仁按司を継いだけど、四代目の時に『湧川按司(わくが-あじ)』に滅ぼされてしまいました。次男はヤマトゥから来る追っ手を見張るために永良部島(いらぶじま)(沖永良部島)に行って永良部按司になりました。でも、三代目の時に英祖(えいそ)の弟に滅ぼされてしまいます。三男は羽地按司になって、今の山北王まで続いているけど、先代の山北王(珉)の母親は元(げん)の国の娘だし、わたしの子孫とは言えません。長女は今帰仁ヌルを継いで、志慶真ヌルと永良部ヌルの二人の娘を産みました。志慶真ヌルの子孫がシジマです。永良部ヌルは娘が英祖の弟と結ばれて跡継ぎを産み、五代目の永良部ヌルが『千代松(ちゅーまち)』の次男と結ばれて跡継ぎを産み、今は七代目が『瀬利覚(じっきょ)ヌル』を名乗って続いています」
「えっ、永良部島にアキシノ様の子孫がいるのですか」とササが驚いた。
「永良部島は琉球とヤマトゥを結ぶ重要な拠点なのです。今帰仁按司が変わる度に永良部按司も変わったけど、永良部ヌルは島を守るために、新しく来た按司を手なづけて生き延びて来たのです。話を戻しますけど、次女は勢理客(じっちゃく)ヌルになって、三人の娘を産みました。長女は勢理客ヌルを継いで、次女は羽地ヌルになって、三女は名護ヌルになりました。勢理客ヌルは途中で絶えてしまって、今の勢理客ヌルは先々代の山北王(帕尼芝)の娘だから、わたしとはつながっていません。羽地ヌルは二代目の羽地按司と結ばれて、三代目羽地按司、二代目羽地ヌル、初代国頭ヌルを産みました。羽地ヌルは途中で絶えてしまいましたが、国頭ヌルは『屋嘉比(やはび)ヌル』の流れが今も続いています。名護ヌルなんですが、四代目までは娘から娘へと続いていたんだけど、五代目は按司の娘になってしまいます。一族全体を守るにはわたしの子孫でなければならないんだけど、按司按司を守るために、娘をヌルにしたがるのです。それで、わたしの子孫は絶えてしまうのです。四代目の名護ヌルは按司の娘を育てて五代目にしたあと、自分の娘もヌルに育てます。その娘は伊波大主(いーふぁうふぬし)と結ばれて伊波に行き、伊波ヌルになります。伊波ヌルが産んだ娘のマチルーは、今帰仁から逃げて来た今帰仁按司の次男のジルムイと結ばれます。ジルムイは伊波にグスクを築いて伊波按司になります。ジルムイとマチルーの間に生まれたのがマチルギです」
「えっ?」と言ってサハチはマチルギを見た。
 マチルギも驚いた顔をしてサハチを見ていた。
「奥方様がアキシノ様の子孫だったなんて‥‥‥」とササが言って、マチルギを見ていた。
「お姉さんがアキシノ様の‥‥‥」と安須森ヌルも驚いていた。
 確信はないが、安須森ヌルもササも、マチルギは天孫氏(てぃんすんし)だと思っていた。
「だから、マチルギの息子が今帰仁按司を継げば何の問題もないのです。そして、わたしは瀬織津姫様の子孫なので、アマミキヨ様の子孫になります。アマミキヨ様の子孫を天孫氏と呼ぶのなら、わたしもマチルギも天孫氏です」
 あまりの驚きで、誰もが声が出なかった。しばらくして、
「奥方様が子孫だという事をアキシノ様は前から知っていたのですか」とササが聞いた。
「知っていましたよ。マチルギが祖父の敵討(かたきう)ちにこだわっていたので心配だったのです。でも、サハチと出会って結ばれたので安心しました。一度、久高島(くだかじま)に行った時は少し危険な事が起こりました。久高島の神様たちがマチルギの正体がわからなくて、始末しようと考えたのです。わたしはその時、クボーヌムイヌルとしてマチルギはわたしの子孫だと言って助けました。久高島の神様たちもクボーヌムイヌルを知っていて、マチルギは助かったのです」
 マチルギは初めて久高島に行って、フカマヌルに連れられてフボーヌムイ(フボー御嶽)に行った時の事を思い出した。ヌルでもないのに、どうしてウタキ(御嶽)に入ったのかもわからず、フカマヌルに言われるままに、馬天(ばてぃん)ヌルと一緒にお祈りを捧げていた。勿論、神様の声なんて聞こえなかった。でも、しばらくして懐かしいような神様の声が聞こえるようになった。その神様の言われる通りに、着物を脱ぎ捨てて踊ったような気がする。あの時、アキシノ様に助けられたのだろうか。
「わたしの次女の『勢理客ヌル』はマチルギにそっくりなのよ。剣術が好きでね、ヌルなのに太刀(たち)を佩(は)いて、女子サムレーたちを引き連れて運天泊(うんてぃんどぅまい)を守っていたのよ」
「そんな昔に女子サムレーがいたのですか」とマチルギは驚いた。
「必ず、息子を今帰仁按司に任命します。ありがとうございました」とサハチがアキシノにお礼を言った。
「お前が神人(かみんちゅ)になったわけがようやくわかった」とサハチはマチルギに言った。
「わたしがアキシノ様の子孫だったなんて‥‥‥」と言ってマチルギは安須森ヌルとササを見た。
「お姉さんのお陰で、アキシノ様の許しが出たのよ。素晴らしい事だわ」と安須森ヌルは言った。
「アキシノ様の許しが得られなかったら、神様たちが争う事になって、大変に事になっていたかもしれないわ」
「お前と出会って、お前と一緒になったのは、息子に今帰仁按司を継がせるためだったのだな」とサハチがマチルギに言った。
「えっ?」と言って、マチルギはサハチを見た。
 サハチに出会う前、祖父の敵を討つために、剣術に夢中になっていた時、『あなたの息子が今帰仁按司を継ぐのよ』と言う神様の声を聞いたのをマチルギは思い出した。剣術の稽古に夢中になって気を失った時だった。気のせいだと思っていたが、あれはアキシノ様の声だったのかもしれない。サハチと出会ってからは一度も聞いていないので、すっかり忘れていた。
 マチルギは空を見上げて、感謝を込めて両手を合わせた。

 

 

 

玄界灘を越えた朝鮮外交官 李芸―室町時代の朝鮮通信使―

2-217.奥間炎上(改訂決定稿)

 仲宗根泊(なかずにどぅまい)から三隻の船に乗って奥間(うくま)沖に来た諸喜田大主(しくーじゃうふぬし)が率いる兵たちは、小舟(さぶに)に乗って砂浜に上陸した。
 諸喜田大主は配下の仲尾之子(なこーぬしぃ)に奥間村を偵察するように命じて、全員が上陸するのを待った。
「何も知らせずに、突然、攻めるのか」と並里大主(なんじゃとぅうふぬし)が諸喜田大主に聞いた。
「いや。全員に逃げろと命じる」
「逃がすのか」と仲宗根大主(なかずにうふぬし)が驚いた顔をして諸喜田大主を見た。
「奥間の人たちを殺したら、わしらが恨まれる。村を焼き払って、皆殺しにしたという事にするんじゃ」
「王様(うしゅがなしめー)(攀安知)にばれたらどうするんじゃ。わしらの首が飛ぶぞ」
「山の中に逃げて行った者たちを見つけるのは難しかったと言えばいい」
 並里大主と仲宗根大主は諸喜田大主を見つめて、わかったと言うようにうなづいた。
 兵たち全員が上陸して整列をした。田んぼの向こうに見える奥間村を見ながら、奥間村を攻めるのかと兵たちは動揺していた。
 仲尾之子が戻って来て、
「村はもぬけの殻です。誰もいません」と諸喜田大主に報告した。
「なに、誰もいない?」
「わしらの動きを察知して、先手を取ったようじゃな」と並里大主が苦笑した。
「奥間ヌルは凄いヌルだと聞いている。神様のお告げがあったのかもしれんな」と仲宗根大主は言った。
「逃げたのなら手間が省ける。総攻撃をかけるぞ」と諸喜田大主は言って、兵たちに戦の準備を命じた。
 松明(たいまつ)を持った兵たちは誰もいない家々に火を付けて回った。百軒余りあった家は皆、煙を上げて燃え上がった。村の一番奥にある長老の屋敷だけを残して、すべての家が勢いよく燃えていた。
 火を付け終わった兵たちは村を見下ろす山の上に避難して、燃えている村を眺めた。兵たちの中に涙を流している者が何人かいた。
 仲宗根大主の目も潤んでいた。十二歳の時、祖母に連れられて奥間に来た時の事を思い出していた。三人の姉に囲まれて育ったため、仲宗根大主は気の弱い子供だった。それを心配した祖母が奥間ヌルに見てもらうために奥間に来たのだった。
 十歳の時にサムレー大将だった父が戦死して、仲宗根大主は父の跡を継がなければならなかったのに、姉たちと遊んでいて、武芸に興味を示さなかった。
 奥間ヌルは怖い顔付きをした老婆だった。見つめられただけで、恐ろしくて泣きそうになった。奥間ヌルに連れられて、八幡神社(はちまんじんじゃ)に行って一緒にお祈りをした。奥間ヌルは仲宗根大主の背中をたたいたりして、祖母に大丈夫と言ったが、仲宗根大主は早くおうちに帰りたいと思っただけだった。
 奥間ヌルと一緒にいた若ヌルは綺麗な人で、優しかった。
「自分に自信を持ちなさい。あなたなら、きっとやれるわよ」と若ヌルは言って笑った。
 若ヌルの笑顔を見つめているうちに、本当に自分がやれるような気持ちになった。今帰仁(なきじん)に帰った仲宗根大主は、若ヌルの言葉を励みに武芸の修行に打ち込んだ。父親譲りの才能が目覚めて、仲宗根大主は見る見る強くなっていった。今の自分があるのは当時、若ヌルだった奥間ヌルのお陰だった。それなのに、奥間村を燃やしている自分が情けなかった。
 山の中に逃げた奥間の人たちは、燃えている村を見下ろしながら悔し涙を流していた。長老、奥間ヌル、サタルーたちは半数の者たちを連れて、辺土名(ふぃんとぅな)村に逃げていた。
 燃えている村を見ながら、
「どうして、こんな目に遭わなければならないんだ?」と奥間の人たちは泣きながら言っていた。
「大丈夫よ。必ず、戻れるから、少しの間、我慢してちょうだい」と奥間ヌルは目に涙を溜めて、かすれた声で言った。
 三百年近くも守ってきた村が燃えてしまうなんて考えてもいない事だった。こんな事になる前に、止める事はできなかったのだろうか。山北王(さんほくおう)(攀安知)のそばにウクとミサがいるけど、止める事はできなかったのか。山北王が夢中になっているクーイの若ヌルと親しくなって、奥間を守るように頼む事もできたが、それもしなかった。しかし、起きてしまった事を今になって悔やんでも仕方がなかった。
 奥間ヌルは、若者たちを指図して避難民たちの仮小屋を造っているサタルーを呼んだ。
「ひでえ事をしやがる」とサタルーは怒った顔をしてやって来た。
「あなたに重要な仕事を頼むわ」
「あいつらをやっつけるのですか」
「今頃、やっつけても村は戻らないわ」
 奥間ヌルはサタルーを連れて、燃えている奥間村を呆然と見ている人たちから離れて海辺まで行った。皆が奥間の惨事を見ているので、浜辺には人影はなかった。
「重要な仕事って何です?」
「あなたのお父さんは山北王を倒す時期を待っているのよ」
「えっ!」とサタルーは驚いた顔をして奥間ヌルを見た。
 父はいつか、山北王を倒すだろうが、まだ、時期が早すぎるような気がした。
「奥間が燃えたのをきっかけにして、中山王(ちゅうざんおう)が山北王を攻めて来るように仕向けなければならないの。あなたはこれから『赤丸党(あかまるとー)』の者たちを連れて、噂を流してちょうだい。『山北王の兵によって、奥間は焼かれて、半数以上の者たちが殺された』という噂よ」
「半数以上が殺された? 嘘の噂を流すのですか」
「そうよ。奥間は燃えたけど、みんな、逃げて助かったなんて噂が流れたら、もう、それで終わりよ。中山王はやって来ないわ。まず、国頭(くんじゃん)、羽地(はにじ)、名護(なぐ)の城下に噂を流すのよ。三人の按司たちを山北王から引き離して、中山王に寝返らせるのよ」
「その噂でそんな事ができるのですか」
「できるわ。三人の按司たちは鬼界島(ききゃじま)(喜界島)攻めに不満を持っているけど、じっと我慢しているわ。奥間攻めはその我慢の限界を超える事になるのよ。国頭、羽地、名護の城下に噂を流したら、今帰仁の城下、志慶真(しじま)村、恩納(うんな)の城下、金武(きん)の城下で流して、山田、伊波(いーふぁ)、安慶名(あぎなー)、勝連(かちりん)、越来(ぐいく)、北谷(ちゃたん)、中グスク、浦添(うらしい)、首里(すい)、島添大里(しましいうふざとぅ)まで行って、南部は島尻大里(しまじりうふざとぅ)と玉グスクくらいでいいわ。按司たちが奥間を助けろと叫べば、中山王は山北王を攻めるために兵を挙げる事になるのよ」
「そんなにうまく行きますかね?」とサタルーは首を傾げた。
「あなたは奥間の力をみくびっているわ。各地にいる奥間人(うくまんちゅ)が立ち上がれば、中山王は必ず動くのよ。奥間が燃えた事を決して無駄にしてはならないわ。奥間を燃やした山北王は滅びなくてはならないのよ」
 サタルーは奥間ヌルを見つめて、力強くうなづいた。
「わかりました。奥間の底力を山北王に思い知らせてやりましょう」


 ヤマトゥ(日本)から帰って来て、奄美大島(あまみうふしま)沖を南下していた愛洲(あいす)ジルーの船に乗っていたササ(運玉森ヌル)は、奥間が燃えている情景を目にして、大変な事が起こったと騒いでいた。奥間の若ヌルのミワはそれを聞いて悲しんだ。
「お母さんは無事なの?」とササに聞いたが、ササにもそれはわからなかった。ササはタミーに聞いたが、タミー(慶良間の島ヌル)にもわからなかった。


 島添大里にいたウニタキ(三星大親)が奥間炎上を知ったのは翌日の夜だった。ウニタキはすぐに島添大里グスクに行って、サハチ(中山王世子、島添大里按司)に知らせた。
 サハチは安須森(あしむい)ヌル(先代佐敷ヌル)とサスカサ(島添大里ヌル)と一緒に、楽しそうに酒を飲んでいた。
「酒の匂いを嗅いでやって来たな」とサハチはウニタキを見て笑った。
「のんきに酒盛りなんかしている場合じゃないぞ」とウニタキは言って仲間に加わった。
 酒を一杯飲んでから、「奥間が焼け落ちたそうだ」とウニタキは言った。
「何を寝ぼけているんだ?」
「諸喜田大主が率いる兵百五十が奥間を攻めて、村を焼き払った。村人たちの安否はまだわからん」
 サハチ、安須森ヌル、サスカサは唖然(あぜん)とした顔でウニタキを見つめていた。
「奥間ヌルは大丈夫なの?」と安須森ヌルが聞いた。
「サタルー兄さんは大丈夫よね?」とサスカサが聞いた。
「明日になれば、詳しい事がわかるだろう」とウニタキは言った。
「どうして、山北王は奥間を攻めたの?」
「それもわからん」
「俺の噂が山北王まで届いたようだな」とサハチは苦笑した。
「奥間ヌルとサタルーがきっと村人たちを逃がしたに違いない。大丈夫だよ」とサハチは言ったが、サタルーが『赤丸党』と一緒に山北王の兵と戦って、戦死してはいないかと心配した。
「明日、キンタ(奥間大親)を連れて奥間に行って来る」とウニタキは言った。
「いや、その前に、三回目の戦評定(いくさひょうじょう)だ」とサハチは言った。
 翌日、サハチ、安須森ヌル、サスカサ、ウニタキは首里に向かった。
 首里の『まるずや』の裏にある屋敷に、いつもの十一人が顔を合わせた。ウニタキのもとへ新しい情報が入ってきて、ウニタキはまず、それを皆に話した。
「奥間ヌルの指示で、全員が避難したあと、諸喜田大主の兵の攻撃があって、家々はすべて焼け落ちたけど、亡くなった者はいないそうです」
 それを聞いて、皆がホッとした。
「山北王はどうして、奥間を攻めたんじゃ?」と思紹(ししょう)(中山王)がウニタキに聞いた。
「その理由はまだわかりません。ただ、諸喜田大主の奥間攻めは秘密裏に進められたようです。兵たちはバラバラに今帰仁を出て、仲宗根泊から船に乗って奥間に向かっています。兵たちにも行き先を知らせてなかったようです」
「どうして、秘密にしたんじゃ?」
「奥間攻めに反対する者が多いと思ったからでしょう。側室のウクとミサは反対するでしょうし、与論按司(ゆんぬあじ)だった屋我大主(やがうふぬし)も反対するでしょう。城下にいる鍛冶屋(かんじゃー)たちも反対するでしょうし、研ぎ師のミヌキチも反対するでしょう」
「それらの反対を押し切ってでも、山北王は奥間を攻めたかったのか」
 ウニタキは首を傾げてから、
「実際に亡くなった者はいなかったのですが、半数以上の者たちが殺されたという噂が今帰仁に流れていて、大騒ぎになっているようです」と言った。
「村が全焼したと聞けば、そんな噂も流れるじゃろう。しかし、奥間が本当に攻められたとは驚いたのう。最初の集まりの時、奥間攻めは大義名分(たいぎめいぶん)にはならんと言ったが、何としてでも、奥間は取り戻さなくてはならん。何かいい方法はないものかのう」
「避難が長期化すれば病人が出て来る。年寄りや幼い子供は玻名(はな)グスクに移した方がいいのう」とヒューガ(日向大親)が言った。
「この時期、船で奥間まで行くのは無理じゃろう」と思紹がヒューガに言った。
「無理でも行かなくてはなるまい」
「いや。まもなく、ヤマトゥに行った交易船が帰って来るはずです」とサハチが言った。
伊平屋島(いひゃじま)で待っていて、交易船に乗せてくればいい」
「宜名真(ぎなま)から伊平屋島に渡るのだな」とウニタキがサハチを見て、「配下の者を行かせよう」と言った。
「今の時期、奥間に兵を送るのも難しいのう」と苗代大親(なーしるうふや)が言った。
今帰仁を攻めれば、奥間の兵は撤収するでしょう」とファイチ(懐機)が言った。
「それはそうじゃが、今帰仁を攻める大義名分がないから困っておるんじゃ」
「奥間と言えば鍛冶屋です。鍛冶屋を動かしたらどうでしょうか。按司たちは皆、鍛冶屋のお世話になっています。どこの按司も奥間を助けろと言ってくれば、奥間を助けるための出陣は大義名分になると思います」
「うーむ」と思紹は唸ったが、按司たちが鍛冶屋のために、奥間を助けろと言い出すとは思えなかった。
「親父に頼んで、鍛冶屋たちを動かします」とキンタが言った。
「ヌルたちも動かせないかしら」と安須森ヌルが馬天(ばてぃん)ヌルに言った。
「奥間とつながっているヌルはいないわよ」と馬天ヌルは言ったが、思い出したらしく、「『屋嘉比(やはび)のお婆』なら動きそうね。先代の奥間ヌルと仲がよかったようだわ」と言った。
「屋嘉比のお婆が、奥間を助けろって国頭按司に言えば、国頭按司は山北王から離反するわ」
「それは言える」とウニタキが言った。
「国頭按司は奥間の者たちの世話になっています。今頃は、奥間を燃やした山北王を怒っているはずです。国頭にはクミがいる。真喜屋之子(まぎゃーぬしぃ)を行かせて、国頭按司を寝返らせましょう」
「国頭按司を皮切りに名護と羽地も寝返らせるんじゃ」と思紹は言った。
「国頭若按司の妻は名護按司の姉です。それに、名護の長老の『松堂(まちどー)』の母親は奥間の側室です。他にも奥間とつながっている者がいるはずです。何としてでも名護と羽地も寝返らせます」
「その三人の按司たちが寝返って、山北王を倒すといえば、中部の按司たちも同意するじゃろう。頼むぞ」
 ウニタキはキンタを連れて、奥間に向かった。
 ウニタキを見送ったサハチはマチルギを見た。視線に気づいたマチルギは、
「奥間を助けるために山北王を倒すって、マナビー(チューマチの妻、攀安知の次女)に言うの?」と聞いた。
「そうじゃない。山北王を倒すのは、『琉球を統一』するためだ」
「わかっているわ。わかっているけど、マナビーが可哀想よ」


 翌日の夕方、奥間に着いたウニタキとキンタは焼け跡になっている奥間村を見て愕然(がくぜん)となった。昨日の夜、雨が降ったので、くすぶっていた火も消えたようだった。呆然としているキンタを促して、二人は隠れながら様子を探った。
 村の奥にある長老の屋敷と奥間ヌルの屋敷と八幡神社は無事だった。長老の屋敷に数人の兵の姿があり、その裏山で何かをしている兵の姿が見えた。
「グスクを造っているみたいですね」とキンタが言った。
「兵たちは奥間に居座るつもりなのか」
 国頭の『まるずや』で聞いた情報によると、奥間の人たちは辺土名村に避難しているという。ウニタキたちは辺土名村に向かった。
 村はずれに避難小屋がいくつも並んでいた。炊き出しをしている広場に奥間ヌルがいた。
「ウニタキさん、来てくれたのですね」と奥間ヌルは嬉しそうに笑った。
「みんな、無事なんだな?」とウニタキは確認した。
「無事です。ここだけでなく、山の中の炭焼き小屋に避難している人たちもいます。国頭の『まるずや』さんが必要な物を運んでくれたので助かっています」
「そうか。辛いだろうが頑張ってくれ。奥間は必ず取り戻す。サタルーはどこにいるんだ?」
「サタルーは今、重要な任務に就いています」と言って奥間ヌルはその場から離れた。
 ウニタキは連れて来た配下のアーカナとサティに炊き出しを手伝うように命じて、キンタと一緒に奥間ヌルのあとを追った。
 人影のない大きなガジュマルの木の下で立ち止まった奥間ヌルは、焼け跡になった奥間村を見ながら、
「あの悲劇を決して無駄にしてはなりません」と強い口調で言った。
「サタルーは今、奥間が焼かれて半数以上の人が亡くなったという噂を流しています」
「なに、今帰仁や羽地、国頭でも流れている噂はサタルーが流していたのか」
 奥間ヌルはうなづいて、
「半数の者たちを山の中に隠しているのはそのためです」と言った。
「各地の按司たちを動かさなければなりません。按司たちが動けば、中山王も動きます」
「ほう、凄いな。まるで、軍師のようだ」
 奥間ヌルは笑った。
「神様の思し召しに従っただけです」
「国頭按司は動きそうだが、羽地、名護は動くだろうか」とウニタキが言うと、
「動きます」と奥間ヌルははっきりと言った。
「一昨年(おととし)に亡くなった先代の羽地按司は、名護按司の娘を妻に迎えましたが、若くして亡くなってしまいました。その妻は二人の娘を産みましたが、二人とも体が弱く、すでに亡くなっています。娘の一人は湧川大主(わくがーうふぬし)の妻になったミキです。羽地按司の妻が亡くなったあと、奥間から側室を贈りました。先代の羽地按司はその側室をとても気に入って、後妻に迎えました。そして生まれたのが、今の羽地按司です」
「なに、羽地按司の母親は奥間の娘だったのか」とウニタキは驚いた顔をして奥間ヌルを見ていた。
「羽地按司だけではありません。弟の饒平名大主(ゆぴなうふぬし)、名護按司の妻になった三女、山北王の若按司と一緒に南部に行った三男の古我知大主(ふがちうふぬし)、四女の羽地ヌルも、後妻になったシマの子供たちです。シマは今も健在です」
 ウニタキには羽地按司たちが奥間を焼かれて怒っている姿が想像できた。
「ついでに言うと、シマの父親は勝連の平安名大親(へんなうふや)です」
「何だって? 平安名大親が奥間に来ていたのか」
「わたしは知らないけど記録に残っています。平安名大親の母親は今帰仁按司だった千代松(ちゅーまち)の娘らしいわ。それで、今帰仁に来て、奥間まで来たんだと思うわ。この事はシマは知らないわ。ただ、勝連のサムレーと言ってあるだけです」
 平安名大親はウニタキの叔父だった。叔父が若い頃、奥間に来ていたなんて驚きだった。羽地按司の母親はウニタキの従姉(いとこ)という事になる。羽地按司が親戚だったなんて思いもよらない事だった。
「名護按司は羽地按司の義弟です。恩納按司(うんなあじ)の妻になった妹とその下の妹(クチャ)も母親は奥間の側室です。長老の松堂(まちどー)様の母親も奥間の側室です。そして、サムレーの総大将を務めている宇茂佐大主(うんさうふぬし)の母親も奥間の側室なのです」
 国頭と羽地が寝返れば、名護も寝返りそうだった。
「志慶真(しじま)村にもいるのか」とウニタキは聞いた。
「志慶真大主の叔父で、具足師(ぐすくし)のシルーの母親は奥間の側室です。シルーは奥間で修行していて、奥間の娘を妻に迎えています。奄美按司(あまみあじ)になった志慶真大主の弟と若ヌルの母親が奥間の側室です」
「若ヌルの母親が奥間出身か‥‥‥島添大里にシジマという女子(いなぐ)サムレーがいるんだけど‥‥‥」
「知っているわ。島添大里に行った時に会いました」
 ウニタキはうなづいた。
「そのシジマが去年の暮れ、ハルたちと一緒にヤンバル(琉球北部)まで旅をしたんだ。その時、『屋嘉比のお婆』と会って、昔の事を思い出して、神人(かみんちゅ)になったんだよ」
「えっ、シジマが神人に? 二十歳を過ぎている娘が突然、神人になるなんて、そんな事があるの?」
「『志慶真のウトゥタル様』って知っているか」
「知っているわ。志慶真ヌルで、伝説になっている美人(ちゅらー)でしょう」
「シジマは親泊(うやどぅまい)(今泊)のウトゥタル様のお墓で、ウトゥタル様の声を聞いたんだ。シジマは初代の今帰仁ヌルの『アキシノ様』の直系の子孫だそうだ。勿論、ウトゥタル様の子孫でもある。今の志慶真ヌルは偽者だから志慶真ヌルを継げと言われたんだよ。ただ、まだその時期ではないから、絶対に志慶真村に近づいてはならないと言われたようだ」
「屋嘉比のお婆はシジマの事を知っていたのですか」
「幼い頃のシジマに会っていたようだ」
 志慶真村の娘を旅のお坊さんに託したという話を屋嘉比のお婆から聞いたのを奥間ヌルは思い出した。その娘がシジマだったに違いなかった。
「シジマが志慶真ヌルになれば、志慶真村は寝返るわ。難なく志慶真曲輪(しじまくるわ)は手に入るわね」
 ウニタキはうなづいて、「側室に関する古い記録は今、持っているのか」と聞いた。
「勿論、持って来たわ」
 奥間ヌルの仮小屋に行って、ウニタキとキンタは記録を見せてもらった。
 古い記録はヤマトゥの年号を使っていて、いつの頃なのか、よくわからなかった。どこの按司に誰を送って、その娘が産んだ子供の名前が書いてあった。
 洪武(こうぶ)六年(一三七三年)に中グスク按司に側室を贈って、その側室は中グスクヌルになったアヤを産んでいた。洪武六年はウニタキが生まれた翌年だった。中グスクヌルのアヤは久場(くば)ヌルの事だろう。
 その翌年には勝連按司に側室を贈っている。祖父が亡くなって、親父が勝連按司になった年だろう。その側室が産んだのはマミー、勝連ヌルと書いてあった。ウニタキの姉だった。幼い頃、一緒に遊んだ事を思い出した。そして、マミーの母親が笑顔の美しい人だった事も思い出した。マミーの母親が奥間から贈られた側室だったなんて、今まで知らなかった。
 同じ年に国頭按司にも贈られていて、その側室は見里大主(んざとぅうふぬし)を産んでいた。国頭按司の弟だろう。
 越来按司(ぐいくあじ)、中グスク按司にも贈られているが、とちらも滅んでしまっているので調べる必要はなかった。
 伊波按司(いーふぁあじ)と山田按司にも贈られているが、側室が産んだ子共はまだ若かった。伊波按司と山田按司は奥間との関係がなくても、今帰仁攻撃に賛成するだろう。安慶名按司(あぎなーあじ)も勝連按司のサムも同じだった。皆、祖父の敵討ちがしたいのに違いない。
 北谷按司(ちゃたんあじ)に贈られた側室は息子を産んでいるが、その息子は戦死していた。その次の北谷按司にも贈られているが、子供はまだ幼かった。
「北谷に贈った二人の側室はまだ北谷にいるのか」とウニタキは奥間ヌルに聞いた。
「二人ともいます。そういえば、今の北谷按司に贈るのを忘れていたわ。先代が戦死した時、まだ十七だったのです。側室を贈るのは早いかなと思って、やめたのよ」
「先代も先々代の按司も亡くなっているのに、二人の側室は残っているのか」
南風原(ふぇーばる)で按司と一緒に多くの兵が戦死して、北谷は大変だったらしいわ。新しい按司はまだ十七だし、二人とも、そんな按司を放ったまま奥間に帰る事はできなかったのよ」
「そうか‥‥‥」
 その二人の側室をうまく利用すれば、北谷按司今帰仁攻めに賛成するような気がした。
 ウニタキとキンタも炊き出しを食べて仮小屋に泊まった。夜は思っていたよりも寒くて、何とかしないと病人が出ると思った。
 翌朝、アーカナとサティは伊平屋島(いひゃじま)に行くために宜名真(ぎなま)に向かった。ウニタキとキンタはもう一度、奥間村にいる敵の様子を探った。
 長老の屋敷に数人の兵と諸喜田大主がいて、他の兵たちは裏山で、整地作業をしていた。グスクを築いて、長居するようだった。配下の報告通り、残っているのは諸喜田大主の兵五十人だけだった。
 五十人だけなら、ウニタキの配下と『赤丸党』だけで倒せるかもしれない。諸喜田大主をここで戦死させれば、山北王の兵力は弱まるだろう。
 ウニタキとキンタが辺土名に戻ると、みんなが騒いでいた。何事だと海を見ると、沖に進貢船(しんくんしん)とヤマトゥ船と見慣れない船がいた。ヤマトゥから帰って来た交易船に違いなかった。
 小舟(さぶに)が浜辺に着いて、ササたちが降りて来た。ミワが母親の姿を見つけて駆け寄った。
「お母さん、無事だったのね、よかった‥‥‥」
「お母さんは大丈夫よ」と言って、抱き付いているミワを離して、奥間ヌルはミワの顔を見た。
 旅に出る前とミワの顔付きはすっかり変わっていた。
「あなた、一体、どうしたの?」
「えっ?」とミワは驚いた顔をしている母を見た。
「まるで、神様みたいよ」と母は言った。
「もう一人前のヌルですよ」とササが奥間ヌルに言った。
 奥間ヌルはササを見て、お礼を言った。
「ミワが一生懸命に努力したお陰ですよ」
「よく来てくれた」とウニタキがササに言った。
 ササはうなづいて、「具合の悪い人たちは首里に連れて行くわ」と言った。
「また来ましたよ」と愛洲ジルーが言った。
「大歓迎だよ」とウニタキは笑って、「もう一隻は誰の船だ?」と聞いた。
「あれは朝鮮(チョソン)の船です。『李芸(イイエ)』という人が倭寇(わこう)に連れ去られた朝鮮人を探しに来たのです」
「なに、李芸が来た?」
「李芸殿を御存じなのですか」
「ああ、朝鮮で会った事があるんだ。倭寇にさらわれた母親を探していると言っていたが、とうとう琉球まで来たか」
 ウニタキは朝鮮の船を眺めながら、「シンゴ(早田新五郎)たちも一緒に来たんだな?」と聞いた。
伊平屋島まで一緒で馬天浜(ばてぃんはま)に向かいました。朝鮮に行った船も一緒で勝連に向かいました」
「そうか。交易船にシンゴたち、李芸の船も来たんじゃ忙しくなるな」
 具合の悪そうな年寄りと幼い子供たちを小舟に乗せて、交易船とジルーの船に運び、食糧や食器、衣類や布団など必要な物を船から降ろした。荷物を降ろしている時、ナナがウニタキにこっそりと聞いた。
「サタルーさんは無事なのですか」
 ウニタキは笑って、「サタルーは奥間のために、とても重要な仕事をしてるよ」と言った。
 ナナは真剣な顔をしてうなづいた。
「中山王に今の状況を知らせてくれ」とウニタキはキンタに言って愛洲ジルーの船に乗せ、近づいて来る交易船に気づいて、途中から戻って来たアーカナとサティと一緒に奥間に残った。


 運天泊(うんてぃんどぅまい)にいる湧川大主(わくがーうふぬし)は割目之子(わるみぬしぃ)から奥間の炎上を聞いて、
「兄貴がとうとう、やっちまったか」と頭を抱えて嘆いた。
今帰仁も羽地も名護も、噂を聞いて大騒ぎをしております」
「何とかして静めなければ大変な事になる。とにかく、奥間に行って、どんな状況なのか見て来てくれ」
 割目之子はうなづいて、飛び出して行った。

 

 

 

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