長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

八重瀬按司、タブチの略歴(1360-1416)

1360年 与座按司の長男に生まれる。1歳

1362年 弟シタルーが生まれる。3歳

1369年 父が八重瀬按司を倒して八重瀬按司となる。10歳
    与座グスクから八重瀬グスクに移る。

1371年 姉ウシが浦添の若按司、武寧に嫁ぐ。12歳

1372年 浦添按司の察度が明国に進貢を始め、琉球中山王となる。13歳

1376年 玻那グスク按司の娘カヤを妻に迎える。17歳

1377年 父が新グスクを築く。弟のシタルーが新グスクを守る。18歳

1378年 弟のシタルーが察度の娘トゥイを妻に迎える。19歳

1379年 弟のヤフスが具志頭グスクに婿に入る。20歳
    長女マアサが生まれる。母は正妻カヤ。

1380年 3月 島添大里グスクを攻め取り、父が島添大里按司になる。21歳
    八重瀬グスクを任されて八重瀬按司になる。
    弟のシタルーは父と共に島添大里グスクに移る。
    4月 苗代大親が佐敷にグスクを築き、佐敷按司になる。
    長男エータルー、生まれる。母は正妻カヤ。
    10月 従兄の島尻大里按司承察度)が明国に進貢して山南王になる。

1381年 次女マチルー、生まれる。母は正妻カヤ。22歳

1383年 7月 妹のウミカナが大グスク按司の側室になる。24歳

1384年 大グスク按司の娘ナミーを側室に迎える。25歳
    次男ウシャ、生まれる。母は正妻カヤ。

1385年 2月 父と共に大グスクを攻め取る。弟のシタルーが大グスク按司になる。26歳
    助け出された妹ウミカナが叔母の島添大里ヌルのもとでヌルの修行を始める。
    三女マカミー、生まれる。母は側室ナミー。

1386年 四女、生まれる。母は正妻カヤ。27歳

1387年 1月 妹のウミカナが大グスクヌルになる。28歳
    10月 父が山南王の使者として明国に行く。

1388年 5月 父が無事に明国から帰る。29歳
    明国から帰った父は考えを変える。
    三男エーグルー、生まれる。母は側室ナミー。
    家臣の娘トゥムを側室に迎える。

1389年 4月 シタルーが豊見グスクを築いて豊見グスク按司になる。30歳
    大グスクには弟のヤフスが入る。
    五女ミキ、生まれる。母は側室トゥム。

1391年 4月 今帰仁合戦で活躍する。32歳
    父は水軍の大将として山北王に奪われた鳥島を取り戻す。
    7月 父が山南王の船を借りて、山南王叔として明国に進貢する。

1392年 1月 佐敷按司が隠居し、若按司のサハチが按司になる。33歳
    10月 シタルーが従弟のサングルミーと一緒に明国に留学する。
    六女ミカ、生まれる。母は側室トゥム。

1393年 3月 父が山南王の船を借りて、山南王叔として明国に進貢する。34歳
    9月 島尻大里按司、死す。

1394年 5月 父が島尻大里グスクを攻め取り、山南王になる。35歳
    長女マアサが与座按司に嫁ぐ。
    糸満のウミンチュの親方、ブラゲー大主から贈られた娘マイを側室に迎える。
    ブラゲー大主は古くから貝殻を扱っている親方。
    10月 父が山南王叔として明国に進貢する。親方に頼まれた貝殻を積んでいく。
    貝殻は明国の商人たちに喜ばれ、親方も喜ぶ。

1395年 1月 佐敷按司と玉グスク按司が二重の婚姻で同盟する。36歳
    5月 シタルーとサングルミーが明国から帰国する。
    四男チヌムイ、生まれる。母は側室マイ。
    10月 察度(75)、死す。義兄の武寧が中山王になる。

1396年 2月 父が山南王叔として明国に進貢する。37歳
    4月 次女マチルーが米須若按司に嫁ぐ。
    5月 シタルーが国場川で「ハーリー」を催す。
    11月 父が山南王叔として明国に進貢する。

1397年 1月 佐敷按司と知念按司が同盟する。38歳
    3月 武寧の三男イシムイと玉グスクの娘ウミタルの婚礼。
    浦添グスクに琉球中の按司が集まり、シタルーの人気に嫉妬する。
    跡継ぎになるために画策を始める。
    5月 シタルーがハーリーを催す。中山王と親しいシタルーに嫉妬する。
    このままでは山南王の地位をシタルーに奪われてしまうと焦る。
    中山王と親しいシタルーに対抗するには味方を増やさなければならない。
    まずは敵である糸数と結び、玉グスク、知念、佐敷とも手を結ぼうと考える。

1398年 2月 長男エータルーに糸数按司の娘ウトゥミが嫁ぐ。39歳
    5月 シタルーがハーリーを催す。

1399年 明国から密貿易船が来るようになる。40歳

1400年 1月 三女マカミーが佐敷按司の弟マタルーに嫁ぐ。41歳

1401年 1月 父が倒れる。42歳
    4月 次男ウシャに垣花按司の娘が嫁ぐ。
    5月 四女が玉グスク按司の三男に嫁ぐ。
    11月 父(64)、死す。シタルーを跡継ぎにと遺言する。
    島尻大里グスクを武力で奪う。遺言状を重臣から受け取る。
    弟と家督争い。
    要請を受けて東方の按司たちが島添大里グスクを攻める。

1402年 1月 中山王の介入で弟のシタルーが山南王になる。43歳
    チヌムイの母親マイがシタルーに殺される。
    娘マイが殺され、ブラゲー大主はシタルーを恨む。山南王との取り引きをやめ
    て、中山王武寧と取り引きをする。ブラゲー大主は敵を討つためにシタルーを
    見張る。
     佐敷按司(サハチ)が島添大里グスクと大グスクを攻め落とし、島添大里按司
    になる。
    馬天ヌルに助けられたウミカナが島尻大里グスクに行き、島尻大里ヌルにな
    る。
    焼け落ちた八重瀬城下の再建に励む。
    4月 シタルーが島添大里按司のサハチと同盟を結ぶ。
    12月 シタルーが山南王世子汪応祖として進貢する。

1403年 5月 シタルーが武寧と相談しながら、首里にグスクを造り始める。44歳
    8月 武寧の配下の上間按司が糸数グスクを攻め落とし糸数按司になる。

1404年 4月 冊封使が初めて琉球に来る。45歳
    五女ミキが糸数の上間按司の長男に嫁ぐ。糸数と新たに同盟。
    糸数から武寧に接近しようと考える。シタルーと武寧の離間策。
    6月 首里の宮殿で冊封の儀式を行ない、シタルーが正式に山南王となる。
    三男エーグルーに知念按司の娘が嫁ぐ。

1405年 9月 八重瀬と中山王の婚約が決まる。46歳

1406年 1月 中山王と同盟し、六女ミカが武寧の四男シナムイに嫁ぐ。47歳
    首里グスクが完成する。
    2月 島尻大里を攻める。中山王も東方の按司も味方に付ける。
    島添大里按司(サハチ)が武寧を倒して首里グスクを奪い、浦添グスクを焼き
    払う。
    中山王の若按司が戦線離脱して首里に向かうが戦死する。
    サハチに邪魔されて、怒り狂い、兵を撤収させる。
    隠居していたサハチの父が中山王になる。
    六女ミカと中山王妃だった姉が浦添から逃げてくる。

1407年 1月 首里グスクに行き、中山王思紹に新年の挨拶をする。48歳
    中山王に頭を下げる気はなかったが、豪華な首里グスクを見て気が変わり、
    中山王に従う事に決める。
    中山王の進貢船に乗って、従者として明国に行く。
    サハチ、ウニタキ、ファイチも一緒に行く。
    2月 泉州に着いて来遠駅に入る。
    4月 サングルミーと一緒に応天府に行く。
    6月 杭州でサハチたちと会う。
    7月 帰国。
    10月 奥間から側室ミミを贈られる。
    母が亡くなる。

1408年 1月 中山王の進貢船に乗って、従者として明国に行く。49歳
    娘婿のマタルーも一緒に行く。
    6月 帰国。
    9月 五男、生まれる。母は奥間の側室ミミ。

1409年 1月 中山王の進貢船に乗って、従者として明国に行く。順天府まで行く。50歳
    8月 帰国。

1410年 1月 中山王の進貢船に乗って、従者として明国に行く。51歳
    6月 帰国。
    次男エーグルーに喜屋武岬の近くにグスクを築かせる。
    9月 七女、生まれる。母は奥間の側室。
    10月 中山王の副使として明国に行く。
    米須按司、玻名グスク按司。次男のウシャが一緒に行く。
    山北王の娘マサキが山南王の三男グルムイに嫁ぐ。
    新グスクに逃げて来たンマムイが母親を訪ねて八重瀬グスクに来る。

1411年 3月 帰国。獅子舞を持って来る。52歳
    4月 若按司エータルーが中山王の進貢船に乗って明国に行く。
    5月 三王同盟。
    6月 シタルーから側室ミユーが贈られる。シタルーに側室を贈る。
    11月 中山王の正使として明国に行く。三男エーグルーも一緒に行く。
    米須按司、玻名グスク按司、前真壁按司、前伊敷按司を連れて行く。
    明国の文人たちと付き合い漢詩を始める。

1212年 3月 帰国。53歳
    張三豊から横笛を習う。
    4月 姉のウシが亡くなる。
    喜屋武グスクが完成する。次男ウシャが喜屋武大親を名乗る。
    11月 中山王の正使として明国に行く。
    米須按司、玻名グスク按司、前真壁按司、前伊敷按司を連れて行く。

1413年 4月 帰国。54歳
    10月 四男チヌムイが姉のミカと一緒に山南王シタルーを殺して母の敵を討つ。
    チルムイからシタルーを殺した事を聞いて驚き、隠居して長男に八重瀬按司
    譲る。
    死を覚悟してシタルーの遺体を島尻大里グスクに運ぶ。
    シタルーの重臣たちと会い、照屋大親から山南王になれと言われて驚く。
    父が察度から贈られた御神刀を身に付けて、山南王になる決意を固める。
    東方の按司たちに長嶺グスクを攻めてくれと依頼する。
    山南王妃が王印を持ち出した事を知って慌てる。
    11月 照屋大親糸満大親の裏切りで進貢船をタルムイに奪われて物凄い剣幕で
    腹を立てる。
    豊見グスク攻めに失敗し、山南王になる事を諦める。
    八重瀬ヌルと島尻大里ヌルを連れて島尻大里グスクから出て喜屋武グスクに行
    く。
    サハチとウニタキに見送られ、チヌムイを連れて琉球を去り久米島に逃げる。
    久米島の堂村に落ち着き、子供たちに読み書きを教える。
    ミカは久米島のヌル、クイシヌに気に入られる。

1414年 6月 サハチたちが久米島に来て、再会を喜ぶ。55歳

琉球山南王、汪応祖の略歴(1406-1413)

1406年 1月 進貢船が船出する。 45歳
    中山王武寧と八重瀬按司(タブチ)が同盟する。
    首里グスクが完成する。
    2月 武寧と兄のタブチの兵に島尻大里グスクを包囲される。
    首里グスクを奪うつもりだったが、島添大里按司のサハチに奪われる。
    島添大里按司のサハチが武寧を倒して,父思紹を中山王とする。
    4月 サハチと改めて同盟を結ぶ。
    サハチから思紹が密かに兵を育てていた事を聞いて驚く。
    6月 中山王に側室チタを贈る。
    中山王思紹から側室マクムが贈られる。

1407年 1月 進貢船が船出する。46歳
    タブチが中山王の進貢船に乗って、サハチと一緒に明国に行く。
    サハチを倒すために粟国島で兵力を養う。
    兼グスク按司(ンマムイ)と瀬長按司と改めて同盟を結ぶ。
    李仲が伊敷の南にグスクを築き、李仲按司を名乗る。
    思紹が首里グスクに土塁で囲んだ北曲輪を造る。
    タブチの留守に米須按司、具志頭按司、真壁按司、伊敷按司を寝返らせ
    る。
    6月 進貢船が帰国。
    7月 サハチたちが帰国する。
    パレンバンの船(三姉妹)が浮島に来る。
    8月 琉球に来て旅をしていた張三豊を歓迎する。
    10月 四女マジニが承察度の六男クルクに嫁ぐ。
    母が八重瀬で亡くなる。葬儀に参加せず。

1408年 1月 進貢船が船出する。米須按司、具志頭按司を進貢の従者に加える。
    武寧の三男イシムイを密かに援助する。
    十女マアミ生まれる。母は側室マクム。
    アミーの妹ユーナが島添大里の女子サムレーになる。
    3月 イシムイが久高島に行く思紹を襲撃するが失敗する。
    5月 ハーリーにサハチが来る。中山王の龍舟を頼む。
    張三豊と会ったンマムイがサハチと一緒に島添大里に行く。
    サハチの妻マチルギがヌルたちを連れてヤマトゥに行く。
    サハチが首里グスクに楼閣を建て始める。
    6月 進貢船が帰国。
    長嶺グスクを築き始める。
    中山王の使者だった大グスク大親を迎える。
    7月 大きな台風が来る。

1409年 2月 進貢船が船出する。48歳
    閏3月 五女マアサが具志頭按司の若按司に嫁ぐ。
    サハチの長男サグルーが婚礼に来る。
    長嶺グスクが完成し、娘婿のクルクを長嶺按司にする。
    4月 サハチがヤマトゥに行く。ンマムイも一緒に行く。
    5月 ハーリーに思紹が来る。中山王の龍舟が参加する。
    9月 進貢船帰国。台風が来て進貢船が座礁する。
    10月 具志頭按司が亡くなり、娘婿の若按司按司になる。
    サハチの弟マタルーが与那原グスクを完成させる。
    11月 具志頭按司がタブチに殺され、ヤフスの息子が具志頭按司になる。
    亡くなった具志頭按司の妻、マアサが戻って来る。
    首里グスクの高楼が完成する。
    12月 サハチがパレンバンの船を連れて帰国する。

1410年 2月 サハチが百浦添御殿の改築を始める。49歳
    サハチの義弟サムが勝連按司になる。
    3月 宇座按司の娘がサハチの甥に嫁ぐ。
    中山王思紹が張三豊と明国に行く。
    4月 佐敷のお祭りのお芝居「瓜太郎」が評判になる。
    中山王がヤマトゥと朝鮮に使者を送る。
    5月 ハーリーにサハチが来る。中山王の龍舟が参加する。
    6月 山北王と同盟を結ぶためにンマムイを使者として今帰仁に送る。
    7月 ンマムイの家族を暗殺して中山王の仕業にしようと企むが失敗する。
    8月 山北王との同盟が決まる。
    山北王の若按司と婚約した八女ママチーと母親が今帰仁に行く。
    首里グスクの唐破風が完成する。
    9月 サハチが首里でお寺の普請を始める。
    台風が来て、粟国島の船が座礁する。
    10月 米須按司、玻名グスク按司が寝返り、中山王の進貢船に乗って明国
    に行く。
    中山王が官生を送る。
    三男グルムイが攀安知の長女マサキを嫁に迎える。
    新郎新婦は保栄茂グスクに入り、グルムイは保栄茂按司を名乗る。
    婚礼の夜、阿波根グスクを襲撃するがンマムイに逃げられる。
    ンマムイは寝返って新グスクに入る。
    中山王思紹が張三豊と帰国する。
    11月 座波ヌルが亡くなり、若ヌルが座波ヌルになる。
    山北王が伊平屋島を攻める。

1411年 4月 具志頭按司の娘チミーがサハチの三男イハチに嫁ぐ。50歳
    ンマムイの兼グスクが南風原に完成する。
    父の夢を見て、父から島添大里の石垣を治せと言われる。
    5月 ハーリーに山北王の龍舟が参加、中山王は参加しない。
    山北王が伊是名を攻めるが中止して、中山王と同盟を結ぶ。
    サハチと会って山南王と中山王の同盟を決め、三王同盟となる。
    6月 サハチとタブチに側室を贈る。
    タブチから側室カニーが贈られる。
    サハチから側室マフニが贈られる。
    サハチに石屋のクムンを送る。
    9月 サハチがタブチを中山王の正使に任命する。
    10月 サハチが首里のお寺を完成させ、「大聖寺」と名付ける。
    11月 タブチが正使を務める中山王の進貢船に隠居した真壁按司と伊敷按司が乗
    っていく。
    12月 ヤマトゥに行った中山王の交易船がジャワの船を連れて来る。
    閏12月 進貢船が船出する。

1412年 2月 首里グスクでサハチの四男チューマチと攀安知の次女マナビーの婚礼が盛
    大に行なわれる。
    3月 玉グスク按司が亡くなる。
    4月 姉のウシが八重瀬で亡くなる。葬儀には行かない。
    5月 ハーリーに三王の船が揃う。
    進貢船帰国。海船を賜る。
    6月 六女マカマドゥが真壁の若按司に嫁ぐ。
    娘の豊見グスクヌルが馬天ヌルと一緒に南部を旅する。
    9月 父の亡霊が夢に現れるようになる。
    11月 タブチが正使を務める中山王の進貢船に米須按司、玻名グスク按司、山グ
    スク大主、ナーグスク大主が乗っていく。
    刺客を使ってサハチの暗殺を実行するが失敗する。
    アミーとユーナの姉妹もサハチに殺されたと思い、2人の父親に詫びる。

1413年 1月 進貢船が船出する。52歳
    首里に報恩寺が完成する。
    4月 進貢船が船出する。正使は李仲按司
    7月 馬天ヌルの安須森参詣に南部のヌルたちも参加する。
    中グスク按司の娘が米須の若按司に嫁ぐ。
    9月 進貢船帰国。
    10月 長嶺按司の双子の娘に会いに行く途中、饒波橋でタブチの息子チヌムイに
    斬られて死ぬ。

慈恩禅師の略歴(1350-1416)

1350年 奥州相馬(福島県南相馬市)に生まれる。1歳

1354年 両親が殺され、乳母に助けられて武州今宿に隠棲する。5歳

1356年 相州藤沢の遊行上人に弟子入りし、念阿弥と名付けられる。7歳

1365年 鞍馬山で修行中、張三豊の弟子フェイマーに出会って妙術を授かる。16歳

1367年 鎌倉で寿福寺の神僧、栄祐から秘伝を授かる。18歳

1368年 太宰府安楽寺天満宮での修行において剣の奥義を感得する。19歳
    還俗して相馬四郎義元と名乗り、奥州に帰郷して父の仇を討つ。
    再び禅門に入り、名を慈恩と改める。

1372年 諸国を巡って剣術を教える。23歳
    鞍馬山に登り、お礼を言う。

1373年 三好日向(19)と出会い、共に旅をしながら剣術指導をする。24歳

1374年 三好日向を連れて鞍馬山に登る。25歳

1375年 三好日向が阿波に帰る。26歳

1377年 京都で中条兵庫助(19)と出会い、弟子にして一緒に旅をする。28歳
    中条兵庫助を連れて鞍馬山に登る。

1379年 阿蘇山中で阿蘇弥太郎(21)と出会い、弟子にする。30歳

1380年 弥太郎を連れて鞍馬山に登る。31歳

1381年 弥太郎が阿蘇に帰る。32歳

1383年 九州豊後で賀来内蔵助(20)と出会い、弟子にする。34歳

1386年 三好日向が琉球に行く。37歳

1387年 九州の平戸で松浦党に武芸の指導をする。ワカサ(24)に指導する。38歳

1392年 阿蘇弥太郎、琉球に行く。43歳
    10月 南北朝の争いが終結する。

1395年 閏7月 今川了俊九州探題を解任される。46歳

1400年 中条兵庫助(42)が将軍義持(15)の武術指南役になる。51歳

1401年 上関で村上山城守に歓迎され、子供たちに武術の指導をする。52歳

1404年 上関を離れて信濃に旅立つ。鞍馬山に寄る。55歳

1408年 信州波合村に長福寺を建立、念大和尚と称す。59歳

1409年 8月 飯篠修理亮が長福寺に訪ねてくる。60歳

1410年 9月 飯篠修理亮と一緒に信濃を去り、琉球に行くため京都に向かう。61歳
    弟子の赤松三首座に長福寺の留守を頼む。
    三河の国で出会った二階堂右馬助(21)を弟子にする。
    鞍馬山でササたちと出会い、一緒に高橋殿の屋敷に行く。
    弟子の中条兵庫助と再会する。
    お忍びで高橋殿の屋敷に来た将軍義持と御台所様と会う。
    10月 ササたちと一緒に村上あやの船に乗って博多に向かう。
    博多でササたちを豊玉姫のお墓に連れて行く。
    ササたちと一緒に対馬に行く。
    12月 交易船に乗って、修理亮と一緒に琉球に向かう。
    伊平屋島に着き、サハチと会って歓迎される。
    浮島に着いて首里に行き、会同館の宴でヒューガと阿蘇弥太郎と再会する。
    フェイマーの師匠の張三豊と会い、大師匠と呼んで指導を頼む。

    張三豊と一緒に、修理亮と右馬助を連れてヒューガの船で慶良間の島に行く。

1411年 1月 修理亮と右馬助を連れて、琉球を知るために旅に出る。62歳
    越来グスクで越来ヌルと出会う。
    2月 ヤンバルで出会った聾唖の少女を連れて旅から帰る。
    3月 思紹の久高島参詣に一緒に行く。
    与那原グスクに行き、張三豊のもとで一か月の修行をする。
    4月 越来に行き、越来ヌルと再会して一緒に暮らす。
    右馬助は張三豊のもとで修行を続ける。
    8月 与那原グスクのお祭りに越来ヌルと一緒に行く。
    10月 首里大聖寺が完成。ソウゲン禅師とナンセン禅師と開眼供養を行なう。
    11月 島添大里城下で、越来ヌルと一緒に子供たちに読み書きを教える。

1412年 2月 首里グスクでサハチの四男と山北王の次女の婚礼が盛大に行なわれる。
    8月 島添大里グスクで十五夜の宴が行なわれる。
    12月 交易船がパレンバンの船を連れてきて、ワカサと再会する。

1413年 1月 首里に報恩寺が完成する。64歳
    ササがヤマトゥから連れて来た辰阿弥と会う。
    2月 パレンバンの船が進貢船と一緒に帰国する。
    7月 首里大聖寺で「盂蘭盆会」が行なわれ、念仏踊りを盛大にやる。
    8月 島添大里グスクで十五夜の宴が行なわれる。
    11月 ササがヤマトゥから連れてきた無精庵と再会する。

1414年 4月 張三豊が運玉森ヌルを連れて山グスクに移る。65歳
    5月 首里に武術道場として慈恩寺が完成し、住職を務める。
    6月 選ばれた200人が試合をして50人が慈恩寺の修行者に決まる。
    8月 首里グスクで十五夜の宴が行なわれる。
    9月 平田グスクのお祭りでお芝居「ジオン」が上演される。
    山グスクに行き、張三豊にすべてを教えてくれと頼む。
    張三豊が山グスクヌルを連れて慈恩寺に移り、すべての指導を受ける。
    10月 馬天浜のお祭りに張三豊の弟子たちが集まり、張三豊との別れを惜しむ。
    張三豊が三姉妹の船に乗ってムラカに向かう。

1415年 3月 孫弟子の真喜屋之子が慈恩寺に来て、師範を務める。66歳
    6月 ヤタルー師匠がササたちと一緒にヤマトゥに行く。
    サハチがクマラパを慈恩寺に連れて来る。
    マチルギが慈恩寺の隣りに「南島庵」という女子サムレーの武術道場を造る。
    7月 サハチが張三豊の弟子のチウヨンフォンを慈恩寺に連れて来る。

1416年 1月 ササたちと一緒にヤマトゥに行ったヤタルー師匠が帰る。67歳
    4月 サハチが総大将として今帰仁に出陣して山北王を討ち取る。

飯篠修理亮の略歴(1387-1416)

1387年 下総の国、香取郡飯篠村に生まれる。1歳

    幼い頃より香取神宮に伝わる神道流の武術を修める。

1407年 諸国修行の旅に出て、慈恩禅師の噂を聞いて、慈恩禅師を探し回る。21歳
    慈恩禅師が鞍馬山で修行を積んだと聞いて、鞍馬山に籠もって修行に励む。

1408年 6月 博多で琉球から来た慈恩禅師の弟子のヒューガと出会う。22歳
    ヒューガに弟子にしてくれと頼むが断られ、ヒューガと一緒に張三豊の指導を
    受けるため、一緒に対馬に行く。
    7月 対馬の南部の山で張三豊の指導のもと一ヶ月の修行を積む。
    8月 対馬の船越の山でヒューガと一緒に張三豊の指導のもと修行に励む。
    10月 マチルギが操縦する船に乗って、張三豊、ヒューガと一緒に朝鮮に行く。

1409年 1月 張三豊、ヒューガと一緒に琉球に行き、サハチと会う。23歳
    運玉森ヌルが連れて来た浦添若ヌルのカナと出会い、一目惚れする。
    阿波根のガマでンマムイたちと一緒に張三豊の指導のもと修行を積む。
    2月 張三豊と一緒に島添大里の屋敷に戻る。
    ンマムイも一緒に来て、サハチと試合をして負け、サハチを師兄と呼ぶ。
    サハチから慈恩禅師を探して琉球に連れて来てくれと頼まれる。
    島添大里グスクのお祭りを張三豊、ンマムイと一緒に楽しむ。
    閏3月 張三豊、サハチと一緒にウニタキのビンダキの拠点に行き酒を飲む。
    4月 カナが浦添ヌルになり、浦添グスクに戻る。
    佐敷グスクのお祭りを張三豊、ンマムイと一緒に楽しむ。
    サハチたちと一緒に交易船に乗ってヤマトゥに行く。
    6月 上関で村上兄妹から慈恩禅師が上関に来て、信濃に行ったと聞いて喜ぶ。
    高橋殿の屋敷で慈恩禅師の弟子の中条兵庫助と会い、慈恩禅師が信濃の浪合に
    いると聞く。
    7月 サハチたちと別れ、慈恩禅師に会うために信濃に向かう。
    信濃浪合の長福寺で慈恩禅師と会い、ヒューガと阿蘇弥太郎が琉球にいる事を
    話す。
    慈恩禅師の弟子になり、長福寺で修行を積む。
    慈恩禅師は琉球に行くために一年間、準備をする。

1410年 9月 慈恩禅師を連れて琉球に行くため京都に向かう。24歳
    京都に着き、琉球の使者たちが帰ったと聞いて対馬まで行こうとするが、鞍馬
    山に寄るとササたちと出会う。
    ササたちと一緒に高橋殿の屋敷に行き、中条兵庫助と再会する。
    お忍びで高橋殿の屋敷に来た将軍義持と御台所様と会う。
    10月 ササたちと一緒に村上あやの船に乗って博多に向かう。
    ササたちと一緒に対馬に行く。
    12月 交易船に乗って、慈恩禅師と一緒に琉球に向かう。
    伊平屋島でサハチと会い、慈恩禅師を連れて来たお礼を言われる。
    浮島に着いて首里に行き、慈恩禅師がヒューガと阿蘇弥太郎と再会する。
    張三豊、慈恩禅師と一緒にヒューガの船に乗って慶良間の島に行く。

1411年 1月 慈恩禅師と右馬助と一緒に琉球を知るために旅に出る。25歳
    2月 ヤンバルで出会った聾唖の少女を連れて旅から帰る。
    浦添ヌルのカナに呼ばれて浦添グスクに行き、浦添のサムレーたちを鍛える。
    カナと結ばれる。
    12月 交易船がジャワの船を連れてきて、首里の歓迎の宴にカナと一緒に行く。

1412年 4月 浦添グスクのお祭り。26歳
    6月 カナが馬天ヌルと一緒に南部のウタキ巡りの旅をする。

1413年 4月 浦添グスクのお祭り。27歳
    5月 カナがササたちと一緒に交易船に乗ってヤマトゥに行く。
    与那原に行き、改めて張三豊のもとで修行を積む。
    7月 ヌルたちの安須森参詣に張三豊と一緒に従う。
    10月 山南王が殺されて、南部で戦が始まる。
    11月 交易船が帰り、カナが帰国する。

1414年 4月 浦添グスクのお祭り。28歳
    5月 首里慈恩寺が完成し、慈恩禅師が住職になる。
    慈恩禅師と「念流」の模範試合を披露する。
    6月 浦添のサムレーたちを率いて進貢船に乗って明国に行く。
    12月 無事に帰国し、張三豊が琉球を去ったと聞いて驚く。

1415年 4月 浦添グスクのお祭り。29歳
    6月 カナを連れて、ササたちと一緒にヤマトゥに行く。
    7月 八代に着き、阿蘇山に登る。
    8月 熊野の山奥にある天川の弁才天社に行く。
    愛洲次郎の故郷、五ヶ所浦に行き、富士山に行く。
    京都に行き、高橋殿と御台所様に再会する。
    御台所様と高橋殿と一緒に箕面の大滝、広田神社、神呪寺に行く。
    9月 四国に渡って、八倉比売神社、大粟神社に行く。
    船で住吉大社に行き、大神神社、生駒神社と行き、京都に帰る。
    10月 京都を去り、大三島に行く。
    11月 対馬に行く。
    12月 愛洲次郎が対馬に来る。

1416年 1月 愛洲次郎の船に乗って琉球に戻る。30歳
    4月 浦添按司とカナが今帰仁に出陣して、浦添グスクの留守を守る。

張三豊の略歴(1247-1416)

1247年 モンゴル支配下の遼東(遼寧省)に生まれる。字は君宝、幼名は全一。1歳

1251年 目の病気に罹り、なかなか治らず失明寸前になる。5歳
    碧落宮の張雲庵(白山上人)に目の治療してもらう。

1252年 張雲庵の弟子になり、碧落宮で道教の経典と武術を修行する。6歳

1259年 張雲庵と別れ、河南省嵩山少林寺で修行する。13歳
    宋攻撃中にモンケが崩御
    モンゴル軍は引き上げてクビライとアリクブケの継承争いとなる。

1264年 クビライが正式に皇位を継ぐ。18歳

1266年 両親が亡くなり、修道の道を求める旅に出る。20歳
    各地の名山を遍歴する。

1271年 クビライが元を建国。25歳

1274年 クビライが倭国を攻める(元寇)。28歳

1275年 全真道士汪真常が弟子を連れて武当山に入り武当派開山として宗旨を伝える。
    紫霄宮と五龍宮が再建される。

1276年 首都臨安(杭州)が無血開城し、南宋が滅びる。30歳
    陝西省の宝鶏山中に隠居。その山の三つの峰がつながっていたので、「三峰居
    士」という号を名乗るが、後に「三豊」に変える。
    クビライが正一道の第36代天師張宗演を江南道場の首領にする。

1279年 クビライが南宋の残党を崖山の戦いで滅ぼし、中国統一を果たす。33歳
    この頃、汪真常によって武当山南岩の天乙真慶宮が建てられる。

1281年 クビライが再び、倭国を攻める(元寇)。35歳

1284年 張守清が武当山にて修行を積む。38歳

1285年 張守清の師、魯洞雲 (汪真常の弟子)が亡くなる。39歳

1294年 クビライ、死す。孫のテムルが跡を継ぐ。48歳

1300年 海賊の船に乗ってヤマトゥの博多に行く。54歳

1304年 元朝倭寇を警戒して海禁令を発布する。58歳

1307年 テムル、死す。61歳

1310年 この頃、張守清によって武当山の南岩宮が造営される。64歳

1311年 海賊の船に乗って元に帰る。65歳

1313年 陝西省の終南山で火竜真人と出会い、金丹大道の修煉法(不老長寿の術)を教
    えてもらう。67歳

1314年 張守清が皇帝より「体玄妙位太和真人」の名を授かる。

1317年 火竜真人から「辰砂点化法」の秘訣を伝授されて山から降り、俗世間に戻って
    修煉する。71歳
    各地を遍歴し、名山の古刹を行き来して、様々な人物と交遊し、拳法や煉丹法
    を伝授する。

1323年 武当山の麓の玉虚宮で武当剣、武当拳の研究に没頭する。77歳
    この頃、武当山に紫霄宮、南岩宮、天乙真慶宮、五龍宮、玉虚宮があった。
    9年間密かに修煉し、成就して仙人の道を得ることが出来る。
    胡旭(フーシュ)を弟子にする。

1325年 正一道の第39代天師張嗣成が全国の道教事務を総括する権限を与えられる。

1332年 胡旭を残して武当山を下りる。86歳

1338年 白蓮教が反乱を起こすが鎮圧される。92歳

1348年 方国珍が浙江、福建で海賊を行ない、元の輸送船を襲い始める。102歳

1351年 白蓮教の教祖韓山童が北宋徽宗の末裔を名乗り、河南で黄河の土木工事に従事
    していた人夫たちを扇動して反乱を企てるが、発覚して処刑される。105歳
    湖北で僧侶彭榮玉に祭り上げられた徐寿輝が皇帝を名乗り、国号を天完、年号
    を治平とする。

1353年 張士誠が挙兵し、泰州を落として参政の趙璉を殺害し、更に興化、高郵など江
    北の要地を占領する。
    孤児となった徐鳴軍(シュミンジュン)を拾って武当山に行く。107歳

1354年 張士誠が誠王と称し、国号を大周、元号を天祐と定める。108歳

1355年 韓山童の息子韓林児が小明王を名乗り、国号を宋、年号を龍鳳とする。109歳

1356年 張士誠が江南の経済と文化の中心地である平江路(現在の江蘇省蘇州)を占領
    し、隆平府と改めて国都に定める。
    朱元璋が集慶路(現在の南京)を占領して応天府と改める。

1357年 張士誠は水軍を用いて朱元璋、楊完者を攻撃したが、成果を得られず。111歳

1359年 徐寿輝は部下の陳友諒に殺害され、陳友諒が皇帝を名乗る。
    大漢皇帝を称した陳友諒は湖北から江西にかけての一帯を勢力に収める。
    この頃、武当山が破壊される。
    武当山に戻り、弟子たちに逃げるように説得する。
    弟子の飛馬(フェイマー)がヤマトゥに行く。

1360年 陳友諒が朱元璋側の拠点である太平を攻め落とし応天府に迫る。敵将康茂才の
    偽りの降伏を信じて応天府の攻撃を急ぎ、朱元璋軍の反撃を受けて敗北する。

1363年 陳友諒は大船団を率いて鄱陽湖朱元璋軍と決戦したが(鄱陽湖の戦い)、火攻
    めをうけて水軍は壊滅し、陳友諒も矢を受けて、弟の陳友仁と共に敗死する。

1366年 朱元璋の軍勢が張士誠の本拠地である隆平府を包囲する。120歳

1367年 張士誠が朱元璋に敗れる。121歳

1368年 朱元璋が明を建国する。122歳
    元朝が滅び明朝になってから、蜀(四川)の太和山の玉虚庵に移って、山麓の藁
    小屋で修行を続ける。
    洪武帝が龍虎山(正一道)の第42代天師張正常に全国の道教を管理させる。

1370年 武当山に戻り、山麓に庵を建てて住む。124歳
    この時、武当山は破壊されて無残な姿をさらしている。
    ヤマトゥから帰って来た飛馬(フェイマー)から鞍馬山の小僧(慈恩)の事を聞く。

1371年 全真道の丘元清(雲谷)が武当山に来て張三豊の弟子になり五龍宮に住持する。
    孫碧雲が張三豊の弟子になる。

1376年 一度息を引き取るが、埋葬される段階でまた生き返る。130歳

1378年 胡旭が武当山に帰ってくる。132歳

1380年 胡旭、武当山で亡くなる。134歳

1383年 明の洪武帝朱元璋)から招聘されるが辞退する。137歳
    武当山を去り、旅に出る。旅の途中で孤児の梁威を拾う。

1386年 応天府に行き、懐機(12)と出会い、師となる。140歳

1390年 孫碧雲が朝天宮を再建する。144歳

1391年 懐機(17)を連れて武当山と龍虎山に行く。145歳

1393年 弟子の丘元清が亡くなる。盧秋雲が跡を継いで五龍宮を守る。147歳

1394年 弟子の孫碧雲が洪武帝と会う。孫碧雲は朝天宮の住持となる。148歳

1395年 洪武帝は全国の僧侶、道士に試験を行い、不合格者は資格を剥奪する。149歳
    懐機の妹懐虹が弟子の梁威に嫁ぐ。

1398年 6月 洪武帝が亡くなる。152歳
    物騒な世になってきたので懐虹夫婦を連れて武当山に戻る。

1399年 孤児のシンシン(10)を助けて、懐虹夫婦に預ける。153歳

1402年 シンシンを弟子にする。156歳
    8月 永楽帝が即位する。

1407年 2月 永楽帝の配下が張三豊を探しに来たので、皆に内緒で山を下りる。161歳
    4月 南陽で懐機と再会し、サハチとウニタキと出会う。
    武当山に行き、サハチたちに一か月の修行をさせる。
    7月 三姉妹の船に乗って琉球に行く。
    8月 シンシン、ジクー禅師、サグルー、ササを連れて琉球一周の旅に出る。

1408年 3月 思紹のお輿に乗って久高島参詣に行く。襲撃を受け、敵を倒す。162歳
    5月 サハチと一緒にハーリーを見に行き、ンマムイと出会う。
    マチルギたちと一緒にヤマトゥ旅に出る。
    8月 対馬の山の中で一か月の修行。
    ヒューガ、修理亮、馬天ヌル、ササ、シンシン、シズ、イスケが参加。

1409年 1月 ヤマトゥ旅から帰る。163歳
    阿波根のガマで一か月の修行。
    ンマムイ、修理亮、阿波根の武芸者たちが参加。
    3月 久高島参詣に行く。
    閏3月 サグルーとヤールーが一か月の修行。
    4月 サハチたちと一緒に京都と朝鮮の旅に出る。
    6月 鞍馬山で高橋殿の3日間の修行。
    11月 博多で弟子のシュミンジュンと再会。
    12月 ヤマトゥ朝鮮旅から帰る。
    与那原グスク内の運玉森ヌルの屋敷で暮らす。

1410年 2月 久米村からヤンジン(楊進)が訪ねて来て弟子になる。164歳
    3月 久高島参詣に行く。
    進貢船に乗って思紹と一緒に明国に行く。
    4月 杭州西湖に着き、メイファンとメイリンと会う。
    5月 西湖を離れて、海賊の島に行く。
    6月 武当山に登り、思紹に一か月の修行。
    7月 武当山に登ると弟子たちが大勢集まっていて、弟子たちに挨拶をする。
    8月 華山に登る。
    10月 明国から帰国する。
    11月 新グスクのガマで一か月の修行。
    テーラー、ンマムイ、サスカサ、シビー、チヌムイ、八重瀬若ヌル、糸数按司
    の三女カヤー、玉グスクのウミタル、マウミ、武芸者たちが参加。
    12月 旅芸人たちが一か月の修行。
    飯篠修理亮が慈恩禅師と二階堂右馬助を琉球に連れて来る。

1411年 3月 久高島参詣に行く。165歳
    与那原で一か月の修行。慈恩禅師、右馬助が参加。
    4月 与那原で一か月の修行。佐敷ヌル、ユリ、シビー、右馬助が参加。
    6月 ナーサとマユミ、小渡ヌルが一か月の修行。
    7月 三姉妹が来る。リュウジャジンとジォンダオウェンを指導する。
    8月 メイユー、リェンリー、ユンロン、スーヨン、一か月の修行。
    12月 交易船がジャワの船を連れて来る。「会同館」で歓迎の宴。

1412年 1月 スヒター、シャーニ、ラーマ、ナナ、一か月の修行。166歳
    3月 久高島参詣に行く。
    4月 イハチ、チミー、チューマチ、マナビーと侍女たち、マグルー、一か月の
    修行。
    5月 馬天ヌルと一緒にヤンバルの旅に出る。
    湧川大主と勢理客ヌルが10日間の修行。
    6月 ヤンバルの旅から帰る。
    奥間ヌル、麦屋ヌル、浦添ヌル、東松田の若ヌル、カミー、一か月の修行。
    7月 三姉妹がソンウェイを連れて来る。ソンウェイが弟子になる。
    台風で与那原が被害に遭う。
    8月 島添大里グスクで十五夜の宴。
    ソンウェイが一か月の修行。
    12月 交易船がパレンバンの船を連れて帰国。会同館で歓迎の宴。
    永楽帝はこれより12年間、毎日30万人を動員して武当山の道観を大修復する。

1413年 2月 「宇久真」でパレンバンの使者たちの送別の宴。167歳
    サタルーとシングルーが一か月の修行。
    7月 ヌルたちの安須森参詣に従う。右馬助も行く。
    三姉妹の船とパレンバンの船が来る。
    シーハイイェン、ツァイシーヤオ、シュミンジュンが一か月の修行。
    8月 ジャワの船が来る。那覇館で歓迎の宴。
    首里グスクで十五夜の宴。
    10月 山南王シタルーがチヌムイに殺される。
    11月 マタルーが八重瀬按司になり、八重瀬グスクに引っ越しする。
    サグルーが与那原大親になり、与那原グスクに入る。
    12月 サハチが玻名グスクを攻める。

1414年 2月 ササたちと一緒にヤンバルの旅に出る。右馬助も行く。168歳
    3月 ヤンバルの旅から帰る。
    愛洲次郎たち、ルクルジルーたちが与那原で修行する。
    島尻大里グスクが落城。他魯毎が山南王になる。
    シングルー、ファイリン、マチルー、ミヨン、ウニタルが一か月の修行。
    山グスクが落城。
    4月 久高島参詣。
    ササの四人の弟子とマユが一か月の修行を終える。
    運玉森ヌルを連れて山グスクに移る。
    運玉森ヌルは、ササに運玉森ヌルを譲り、山グスクヌルを名のる。
    5月 慈恩寺が完成。
    7月 ヌルたちの安須森参詣に従う。
    玻名グスクヌルが一か月の修行を始める。
    三姉妹の船が旧港とジャワの船を連れて来る。
    山グスクに来たリューインと会う。
    8月 与那原グスクのお祭りで「武当山の仙人」が上演される。
    首里グスクで十五夜の宴。
    右馬助は島添大里の十五夜の宴に行き、大里ヌルと出会う。
    右馬助は大里ヌルと久高島に行く。
    9月 ササたち、南の島を探しに旅立つ。
    平田のお祭りに行き、サハチに琉球を去る事を告げる。
    山グスクに来た慈恩禅師から、すべてを教えてくれと頼まれる。
    山グスクヌルを連れて、慈恩寺に移る。
    10月 馬天浜のお祭りに弟子たちが集まり、師匠との別れを惜しむ。
    三姉妹の船に乗って明国に帰り、ムラカ(マラッカ)に行く。