長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

2-57.漢城府(改訂決定稿)

 早田(そうだ)五郎左衛門が言っていたように、都へと続く道はひどいものだった。道幅が狭くて、でこぼこで、ほとんどが山道同然と言ってよかった。こんな道では荷車は通れなかった。サハチ(琉球中山王世子)たちは馬に乗っていたが、十日以上もこんな道を行くのかと思うと疲れがどっと出て来た。
 琉球の使者たちが都に向かうと、途中の村々の警備も厳重になるので、先に行った方がいいと五郎左衛門が言った。サハチたちは五郎左衛門の娘婿、浦野小次郎と一緒に『津島屋』の荷物を守る警護兵に扮して都へと向かった。朝鮮(チョソン)の着物に袴をはいて、朝鮮風の髷(まげ)を結って鉢巻きをして、弓矢を背負って、腰に刀を差した。サハチは刀と一緒に一節切(ひとよぎり)を腰に差して、ンマムイ(兼グスク按司)は横笛を差して、ウニタキ(三星大親)は三弦(サンシェン)を背負っていた。
 サハチと一緒に行ったのはウニタキ、ファイチ(懐機)、ヂャンサンフォン(張三豊)、ンマムイの四人で、あとの者たちは対馬(つしま)に戻る事になった。ササたち女は無事に都に行けたとしても、城壁に囲まれた都の中には入れないだろうという。商団の中に女がいれば怪しまれて質問を受ける。言葉がわかれば何とか言い逃れもできるが、言葉がわからないと異国の女とばれてしまう。琉球から来た女が使者たちより先に都に来た事がわかると、あらぬ疑いを掛けられて交易もうまくいかないだろう。それとジクー(慈空)禅師もやめた方がいいという。
 日本の僧侶が使者として都に行く事はあるが、使者ではない僧侶が商団と一緒に行けば怪しまれる。今、朝鮮では仏教が禁止されて、僧侶の地位は落ち、都に入る事もできなくなっている。各地で古い寺院は破壊されて、修行していた僧たちは都に連れて行かれ、都造りの人足(にんそく)にされている。宮廷が僧に対してそんな扱いをするので、僧たちは馬鹿にされ、村人たちに石を投げ付けられているという。都に行くまでの道中も危険だった。
 ジクー禅師もササたちも五郎左衛門の忠告を守って、サハチたちを見送った。ササが駄々をこねないかと心配したが、「対馬に帰って、ミナミと遊んでいるわ」と言ったので安心した。
 富山浦(プサンポ)(釜山)を見下ろす山の上に古い城壁がずっと続いていた。高麗(こうらい)の前の時代、新羅(しらぎ)の頃に造られたものだという。五百年以上も前に、よくこんな物を築いたものだと感心しながら、サハチたちは半ば壊れた石門をくぐって向こう側に出た。山々がずっと連なっているのが見えた。朝鮮(チョソン)の都、漢城府(ハンソンブ)(ソウル)は遠くに見える高い山々を越えた向こうだという。景色を眺めながら、都は遠いと改めて思った。
 狭い山道を進んで行くと洛東江(ナクトンガン)と呼ばれる広い川に出た。川は渡らず、川に沿って北上した。最初の夜は川岸で野宿だった。何度も富山浦と漢城府を往復している小次郎たちは旅慣れていて、目的地に着くとさっさと食事の仕度をして、交替で見張りに立っていた。
 食事のあと、川の流れを眺めながらサハチは小次郎から父親が戦死した戦(いくさ)の話を聞いていた、
「もう二十年も前の事です。まだ、この国が高麗と呼ばれていた頃、高麗の兵たちは明国(みんこく)と戦うために北へと進撃して行きました。相手は大国の明国です。各地を守っていた兵たちも皆、討伐軍(とうばつぐん)に加わって北へと出陣したのです。当時、高麗の都の開京(ケギョン)(開城市)にいた父は、その情報をつかむと、すぐに対馬に知らせました。先代のお屋形様(早田三郎左衛門)は、ここぞとばかりに出撃命令を出します。この川の河口から上陸した騎馬隊はお屋形様に従って、この川を北上しました。船は騎馬隊を追うように、この川をさかのぼります。この川は慶尚道(キョンサンド)で採れた穀物を都に運ぶために使われているので、各地に穀物蔵があります。穀物蔵には穀物だけでなく、貧しい民から搾り取った布や紙などもあります。そういう物をすべて奪って、船に積み込んで、先に進んで行ったのです。どこも守備兵がろくにおらず、戦う事もなく逃げて行ったようです。この川をどんどんさかのぼって尚州(サンジュ)まで行った時、突然、敵の反撃に出会ってしまいます。北で明国の兵と戦うはずだった大軍が、王命に逆らって引き上げて来たのです。大軍を率いて都を攻めたのは、初代朝鮮王の李成桂(イソンゲ)です。李成桂は都を制圧すると、すぐに兵を南に送ったのです。敵の大軍と戦って、父は戦死してしまいました。その時、かなりの者が戦死しました。今のお屋形様(早田左衛門太郎)の弟、左衛門次郎殿が戦死したのもその時でした」
 その話はサイムンタルー(左衛門太郎)から聞いていた。サイムンタルーがサハチを送って琉球に行っている時に起こっていた。琉球から帰ったサイムンタルーはその事を聞いて怒り、翌年の正月、弔(とむら)い合戦だと高麗を攻めた。その留守を狙われて、高麗の軍船は土寄浦(つちよりうら)一帯を攻め、焼け野原にしてしまったのだった。
「父親の弔い合戦には参加したのですか」とサハチは小次郎に聞いた。
 小次郎は首を振った。
「参加したかったのですが、お屋形様は許してくれませんでした。当時、俺はまだ十四歳だったのです。十八の時に初陣(ういじん)を飾りましたが、逃げて行く役人を後ろから斬るといった情けないものでした。その頃は高麗の末期で、役人たちは戦う意志もなく、貧しい村の人たちは自ら進んで捕虜になるという有様でした。穀物蔵を襲撃すれば、村人たちも一緒になって略奪していたのです。その後も何度か、村々を襲撃しましたが、戦らしい戦はありませんでした。そして、お屋形様が朝鮮に投降してからは、戦をする事もなく、商売に励んでおります」
「都まで行く途中、山賊が出ると聞いたが、本当に出るのか」
「父を殺して、土寄浦を焼き討ちにした朴葳(パクウィ)という武将がいました。その武将が倭寇(わこう)を退治すると同時に名だたる山賊どもも退治しました。山賊どもも倭寇として殺されて、奴の手柄になったようです。その武将も十年前に、今の王様によって殺されました。しばらくは山賊どももいなかったのですが、最近になって、北の方からやって来た山賊が出るようです。日本からの使者が多くなったので、それを狙ってやって来たのでしょう」
「やはり、出るのか」
「大丈夫ですよ」と小次郎は笑った。
「山賊といっても、今はもう規模の大きな山賊はいません。十人前後といった所でしょうか。俺たちを襲撃する力は持っていません。それに山賊が出る場所もある程度は決まっておりますので、そういう場所は避けて行きます」
 ウニタキがやって来て、小次郎の隣りに座り込むと、
「お前の母親は高麗人なのか」と小次郎に聞いた。
「いえ、違います」と小次郎は首を振った。
「そうか。俺の母親は高麗人なんだよ」
 ウニタキがそう言うと、小次郎は驚いた顔をしてウニタキを見た。
琉球にも倭寇が連れ去った高麗人がいると噂では聞いていたけど、本当だったのですね」
「俺の父親は勝連(かちりん)という所の領主で、倭寇によってさらわれて来た母親を側室に迎えて俺が生まれたんだ。母親は俺が十一歳の時に亡くなってしまった。子供の頃は高麗の言葉で母親と話をしていたんだが、今はほとんど忘れてしまった。それでも朝鮮に来て、こっちの言葉を聞くと懐かしい響きに聞こえるよ」
「そうでしたか。漢城府にいる丈太郎(じょうたろう)殿の母親は高麗人です」
「五郎左衛門殿から聞いたよ。やはり、倭寇に連れ去られて対馬に来た娘だったそうだな。その娘と一緒になって富山浦に来て、娘の両親を探したけど見つからなかったと言っていた。倭寇にさらわれたのか、あるいは殺されてしまったのかもしれないと言っていた。俺の母親は高麗の都で生まれたらしい。父親は役人だったようだが、宮廷内の争いに巻き込まれて殺されそうになって、都から逃げて倭寇の船に乗り込んだそうだ。その後、両親とは別れ別れになって琉球まで連れて来られたようだ。亡くなる時も両親に会いたいと言っていた」
「宮廷内の権力争いに敗れて殺された者は大勢います。高麗から朝鮮に変わった時も大勢の人が殺されました。高麗王の一族は皆殺しにされて、高麗王に仕えていた役人も、李成桂に従わない者たちは家族もろとも殺されました」
「そうだったのか。琉球に来なければ殺されていたかもしれないんだな。そうなったら俺は生まれていなかった」
 ウニタキは母親を思い出しているのか黙り込んで、川の流れを見つめていた。
 貧しい村がいくつもあった。宿泊する施設も食事を提供する店もなく、毎晩、野宿が続いて、似たような雑炊(ぞうすい)ばかり食べていた。対馬で食べていた新鮮な魚介類が懐かしかった。曲がりくねった細い山道が延々と続き、都は遠かった。
 富山浦を出て十二日目、漢江(ハンガン)を渡し舟で渡って、ようやく漢城府に到着した。雨降りで丸一日つぶれたが、幸いに山賊が出て来る事もなかった。
 都は明国と同じように高い城壁で囲まれていた。ただ城壁は石垣ではなく土塁のようだった。崇礼門(スンネムン)(南大門)は石垣の上に瓦屋根の大きな屋敷が乗っている大きな門だった。小次郎が書類を門番に渡し、簡単な荷物の検査があって、中に入る事ができた。
 城壁の中は別世界だった。広い大通りがずっと続いていた。門の近くにはあまり家々は建っていないが、通りの先の方には家々が建ち並んでいるのが見えた。しばらく行くと川が流れていて、橋もちゃんと架かっていた。
 通りを歩いている人たちの顔付きも、村々にいた疲れ切ったような顔付きとは違って活気があるように思えた。ただ、人々の着物はなぜか地味で、白っぽい着物を着ている者が多かった。京都のような華やかさはないが、建物はどれも皆新しく、ここが新しくできた都だと感じさせた。
 『津島屋』は大通りに面して建っていた。店というよりは屋敷だった。富山浦の津島屋と似たような造りで、土塀に囲まれて、広い敷地内にいくつも建物が建っていた。
 ここの主人の丈太郎とは二十二年振りの再会だった。わずか八日間だったが、一緒に剣術の稽古に励んだ仲だった。サハチは去年、クグルーとシタルーがお世話になったお礼を言って、今年もお世話になりますと言った。
「サハチ殿の活躍はシンゴ(早田新五郎)からよく聞いております。『津島屋』が漢城府に店を出せたのもサハチ殿の活躍のお陰です。お礼を言うのはこちらですよ」
 丈太郎はサハチたちを歓迎してくれた。
 一休みしたあと、サハチたちは丈太郎の娘、ハナの案内で都見物に出掛けた。ハナは十五歳の可愛い娘だった。母親は対馬の娘だが、四分の一は朝鮮の血が入っているからかもしれない。チマチョゴリと呼ばれる朝鮮の着物がよく似合っていた。
「あたしがここに来たのは四年前だけど、四年間で随分と賑やかになりました」とハナは言った。
「四年前に来た時は宮殿の周りに建物があるばかりで、この通りにもこんなにもおうちはなかったのですよ。四年間ですっかり変わりました」
「ここが都になったのは十年以上も前の事じゃないのか」とサハチはハナに聞いた。
「そうなんですけど、都が完成する前に、大きな戦(第一次王子の乱)が起こって、宮殿も新しく建てた家々も、みんな破壊されたり焼かれたりしたそうです。辺り一面、戦死した兵の死体だらけで、こんな所に住むわけにはいかないと言って、二代目の王様は以前の都の開京(ケギョン)に戻ったのです。そして、また大きな戦(第二次王子の乱)が起こって王様が代わって、今度は開京が死体だらけになって、また、ここに戻って来て、都造りを再開したのです」
 そう言えば、ンマムイが朝鮮に来た時は開京に行ったというのをサハチは思い出した。
「開京からここに戻って来た時、ここにあった死体はどうしたんだ?」とウニタキが聞いた。
「さあ?」とハナは首を傾げた。
「もう白骨になっていたんじゃろう」とヂャンサンフォンが言った。
「お前はここに来たのは初めてなのか」とサハチがンマムイに聞くと、
「ええ、初めてですよ」とうなづいた。
「漢江を渡って、ここの城壁を横に見ながら進んで行ったんです。朝鮮には二度来たけど、二度とも開京に行きました。開京はここよりも北の方にあって、ここから二日掛かります」
「開京は俺の母親が生まれた場所だ」とウニタキが言った。
「あとで開京に連れて行ってくれ」
「はい。是非、行きましょう」とンマムイは嬉しそうな顔をしてうなづいた。
「開京はどんな所なんだ?」とウニタキはンマムイに聞いた。
「明国の古い都に似ていますよ。ここと同じように城壁に囲まれていて、城内には宮殿があって、古いお寺もいくつもありました。妓楼(ぎろう)(遊女屋)もあったけど、戦で焼けちまったかな」
 サハチもウニタキもファイチもヂャンサンフォンも明国の都、応天府(おうてんふ)を思い出しながら、成程というようにうなづいた。
 サハチは辺りを見回しながら、ここには高楼がない事に気づいた。二階建ての建物も見当たらなかった。ハナに聞くと、王様のいる宮殿よりも高い建物は建てられないという。随分と心の狭い王様だなとサハチは思った。
「お寺もないのか」と聞くと、ハナは後ろを振り返って大通りの反対側を指さした。
「あそこに大きな古いお寺がありましたけど、今は破壊されて惨めな姿になっています。でも、王様に保護されているお寺もいくつかあるんですよ。禅宗の本山と言われている興天寺(フンチョンサ)というお寺は破壊されていません」
「この通りは、この都の主要道ではないのか」とヂャンサンフォンがハナに聞いた。
「そうです」とハナは笑った。
「都でも一番いい場所なんです。東に行くと興仁之門(フンインジムン)(東大門)に出て、西に行くと敦義門(トニムン)(西大門)に出ます。都を横切っている大通りなんです」
「こんないい場所によく店を構えられたな。五郎左衛門殿は宮廷の偉い人と親しいのか」
 ヂャンサンフォンがハナに聞いたが、ハナは首を傾げた。
「祖父の事はよくわかりませんけど、時々、偉そうな人がお屋敷にやって来て、父とお話をして帰ります」
 ヂャンサンフォンはハナに笑ってうなづいた。
 大通りを西に進みながら、ハナが右側にある建物を指さして、「あそこは恐ろしいお役所です」と言った。
「義禁府(ウィグムブ)といって、反逆罪とかの重罪人を取り調べる所なんです。二年前に王妃様の弟が二人、反逆罪で捕まって死罪になっています」
「王妃様の弟が二人も反逆したのか」とウニタキが驚いた顔をしてハナに聞いた。
「父は無実に違いないと言っていました。王妃様の兄弟が権力を持ち過ぎたので、王権を守るために殺されたのだろうと」
「無実の罪で殺されたのか。朝鮮とは恐ろしい所だな」
「王様の悪口は言わない方がいいですよ。たとえ、日本の言葉でも誰が聞いているかわかりません。見つかったら不敬罪で捕まります」
 ウニタキは当たりを見回して、ニヤッと笑った。
 しばらく行って右に曲がると、その通りには役所が並んでいて、官服(かんぷく)を来た役人たちが行き来していた。正面に宮殿(景福宮)が見えてきた。宮殿も高い城壁に囲まれていて、『光化門(クァンファムン)』と書かれた立派な門には武器を持った門番が立っていた。門は閉ざされていて、中の様子はわからなかった。
 宮殿から大通りに戻って、大通りの一本向こう側の道に出ると小さな店が並んでいた。日用雑貨を売る店だった。特に珍しい物は売っていないが、何か土産物を買って帰らなくてはならないなとサハチは思った。
 大通りに戻り、津島屋の屋敷の前を通り越して東の方に向かった。左側に土塀で囲まれたお寺があった。まさしく、あったと言うべきで、土塀はあちこちが崩れ、門も壊れて、あちこちに瓦のかけらが落ちていた。広い敷地内にある建物も皆、無残に破壊されていた。サハチは武当山(ウーダンシャン)の破壊された寺院を思い出した。
「ここに興福寺(フンボッサ)という古い大きなお寺があったんです。立派な五重の塔もあったんですよ。去年の五月に初代の王様がお亡くなりになると、大勢の兵がやって来て、あっという間に破壊してしまったのです」
「ひどいもんだな」とウニタキが首を振った。
「王様はどうして仏教を禁止したんだ?」とサハチはハナに聞いた。
「あたしにはよくわかりませんけど、高麗の国は仏教を保護していました。高麗は五百年も続いたので、仏教と政治が結びついて、お坊さんたちが力を持つようになったようです。お寺も各地にいっぱいあって、お坊さんたちも大勢います。放って置くと、騒ぎを起こす危険性があるので、禁止したのではないでしょうか」
「これだけ大きなお寺なら、修行していた僧たちも大勢いたじゃろう。僧たちは皆、捕まったのか」とヂャンサンフォンがハナに聞いた。
「お坊さんたちはみんな、城外に追い出されました。反抗して捕まったお坊さんもいたようです。身分も賤民(せんみん)に落とされて、城内に戻る事は禁止されてしまいました」
「ここに来るまでの道中、小さな村々に乞食坊主がうろうろしておったが、みんな、お寺を追い出された僧だったんじゃな」
「このお寺が破壊されてから、各地のお寺も破壊されるようになったようです」
「ここが都になったために、古くからあったこのお寺が、見せしめにされてしまったんじゃな」
「その通りです」とハナはうなづいた。
「この先に新しい宮殿(昌徳宮)があるんですけど行きますか」とハナは皆に聞いた。
「どうせ入れないのだから門と城壁を見てもしょうがない。そろそろ日も暮れるし帰ろう」とサハチは言った。
「俺は腹が減ったよ」とウニタキが言って、「久し振りに酒が飲みたいな」とンマムイが言った。
「お母さんがお酒も用意しているはずよ」とハナは笑った。
 サハチたちは津島屋に向かった。
 広い大通りだが、ここにも荷車は通っていなかった。大きな荷物を背負った人や馬の背に荷物を積んで運んでいた。両班(ヤンバン)と呼ばれる男たちも歩いていて、皆、奇妙な形をした黒い笠をかぶっていた。着物を頭からかぶっている両班の女たちもいた。大通りの北側には両班たちの屋敷が多くあって、南側には庶民たちの家が多いという。
 津島屋に帰ると、食事の用意が調っていて、丈太郎は朝鮮の料理と酒でもてなしてくれた。酒は日本の酒だった。朝鮮の酒はないのかと聞くと、「朝鮮には禁酒令があるのです」と丈太郎は言った。
「えっ?」とサハチたちは顔を見合わせて驚いた。
「隠れて皆、飲んでいますがね。薬酒(やくしゅ)だと言って飲んでいるのです」
「王様はどうして、禁酒令なんか出したのです?」
「朝鮮を建国した当初、干魃(かんばつ)が続いて人々が食うのに困っていた時、寺院では大量の米を使って酒を造っていたのです。初代王の李成桂は怒って、禁酒令を出して、仏教も禁止したのです」
「どうして、寺院で酒を造っていたのですか」
「高麗の時代、仏教は国の法として保護されていました。仏教の儀式も盛大に行なわれて、儀式に必要な酒を寺院で造るようになったのです。大寺院になると広い領地を持って、大勢の奴婢(ノビ)も持っていました。領地で採れる米を使って、奴婢たちに造らせたのです」
「ノビとは何ですか」
「ノビとは賤民(せんみん)の事です。日本にはいませんが、朝鮮や明国にいる最下層の人々で、売り買いされる事もあります」
「明国で舟を漕いでいた奴らだ」とウニタキが言った。
 丈太郎はうなづいた。
「舟を漕いだり、両班のお輿(こし)を担いだり、この店の荷物を担いで来た者たちも、この店で雑用をしている女たちもノビです」
「王様は大寺院をつぶして、土地を取り上げ、大勢のノビたちも手に入れたという事ですね」
「そういう事になりますね。酒を造っていた寺院がなくなったので、酒も出回らなくなりました。今では酒も密貿易されている有様です」
「成程、朝鮮では酒が売れるという事ですね?」
「ただし、裏に隠れてこっそりとです」と丈太郎は笑った。
「津島屋がこの一等地に店を出せたのも、実は裏取り引きがあるのです。津島屋は表向きは明国の陶器を扱う店なのです。朝鮮は明国に朝貢(ちょうこう)しています。一年に三回、明国に使者を送っています。その使者たちの一行には商人たちも加わって、明国で取り引きをして来ますが、朝鮮の使者たちは陸路で行くのです。漢城府から北の義州(ウィジュ)までの道は明国の使者たちも通るので、富山浦からここまでの道とは違って、ちゃんと整備されています。しかし、人力で運ぶのには限りがあって、大量の陶器を持って来る事はできません。朝鮮では明国の陶器は貴重品として高く取り引きされています。それで、琉球から運ばれて来る明国の陶器を扱っている津島屋が漢城府に呼ばれたのです。裏の取り引きは日本刀です。朝鮮は明国を恐れて、日本から来る使者たちに日本刀を求めてはいませんが、一番欲しい物は日本刀なのです。朝鮮の刀を見ればわかりますが、日本刀とは比べ物にならないほどお粗末な物です。名だたる武将たちは皆、日本刀を欲しがります。王様に信頼されている将軍に李従茂(イジョンム)という人がいます。その人が父を訪ねて来て、日本刀を大量に手に入れたいと言ったのです。父は引き受けて、漢城府に店を出したのです」
「王様公認の裏取り引きなのだな?」
「そういう事です」と丈太郎は笑ったが、「この国は何が起こるかわかりません」と厳しい顔付きで首を振った。
「油断は禁物です。常に宮廷の動きを探らなければなりません。御存じだと思いますが、お屋形様の兄上(早田次郎左衛門)の奥さんの実家は宮廷との取り引きによって殺されてしまったのです。当時、宮廷で王様よりも力を持っていると言われた鄭道伝(チョンドジョン)に近づきすぎて、財産は没収され、家族は皆、殺されました。鄭道伝のような有能な者でさえ殺されるのが朝鮮という国なのです。気を付けなければなりません」
 その後、丈太郎は琉球の事を聞いてきた。サハチたちは琉球の事を話した。ンマムイがサハチが倒した先代中山王(ちゅうざんおう)(武寧)の倅だと聞くと、驚いた顔をして、サハチとンマムイを見た。
「師兄(シージォン)は俺に取って親の敵(かたき)になるんですが、なぜか、こうして一緒にいる。不思議な縁というものでしょう」とンマムイはわけのわからない事を言って、皆を笑わせた。
 ヂャンサンフォンとファイチが明国の人だと知ると、丈太郎は目を輝かせて明国の話も聞いてきた。
 サハチたちは夜遅くまで、朝鮮、明国、琉球、日本の事を語り合っていた。

 

 

 

図説 ソウルの歴史-----漢城・京城・ソウル 都市と建築の六〇〇年 (ふくろうの本/世界の歴史)   ソウル都市物語―歴史・文学・風景 (平凡社新書)

2-56.渋川道鎮と宗讃岐守(改訂決定稿)

 サハチ(琉球中山王世子)たちは『倭館(わかん)』に向かっていた。
 早田(そうだ)五郎左衛門、早田六郎次郎、ジクー(慈空)禅師と一緒だった。遊女屋に泊まった者たちはまだ帰って来ていなかった。
 五郎左衛門は朝鮮(チョソン)の官服(かんぷく)を着ていた。その官服は明国(みんこく)の官服によく似ていた。その姿を見て、サイムンタルー(早田左衛門太郎)も官服を着て、倭寇(わこう)の取り締まりをしているのだろうと思った。
 『倭館』は山の裾野の森だった所を切り開いて造ったようだ。五年前、北山殿(きたやまどの)(足利義満)が朝鮮に使者を送り、日本と朝鮮の交易が始まった。日本からの使者が度々来るようになって、宿泊施設を作る事に決まり、四年前に富山浦(プサンポ)(釜山)の倭館は完成したという。石垣で囲まれた倭館は明国泉州(せんしゅう)の『来遠駅(らいえんえき)』に似た造りだった。
 倭館の守備兵たちは五郎左衛門を見ると敬礼して出迎え、門番も何も言わずに中に入れてくれた。五郎左衛門の地位はかなり高いようだった。
 広い敷地内にはいくつも建物が建っていて、右側にある建物の前の庭では武術の稽古をしている琉球の兵たちの姿があった。又吉親方(またゆしうやかた)も外間親方(ふかまうやかた)も元気そうなので、サハチは安心した。五郎左衛門は琉球の兵たちの方へは向かわず、反対側に建つ屋敷に向かった。
 瓦葺(かわらぶ)きの二階建ての屋敷だった。屋根を見上げながら、瓦を焼く職人を連れて帰らなくてはならないなとサハチは思った。
 屋敷の入り口にヤマトゥ(日本)のサムレーが二人立っていて、一人のサムレーが、「皆様、お待ちになっております」と五郎左衛門に言って案内に立った。なぜか、もう一人のサムレーもついて来た。
 サムレーに従って正面にある階段を登って二階に行くと、何部屋もある中の一部屋の前に二人のサムレーが立っていた。案内して来たサムレーはその部屋の前で立ち止まって、部屋の中に声を掛けた。部屋の中から返事が聞こえて、頭を丸めた僧が現れた。
「津島屋殿、ようこそ」と僧は言って、「おや、船越の若殿も御一緒か」と六郎次郎を見て笑った。
 サハチとジクー禅師もちらっと見たが、僧は何も言わなかった。
 部屋の中には四人の男がいて、僧以外の三人は長卓の向こう側に座っていた。
 五郎左衛門はサハチたちに、男たちを紹介した。九州探題の渋川道鎮(どうちん)(満頼)、対馬守護(つしましゅご)の宗讃岐守(そうさぬきのかみ)(貞茂)、宗讃岐守の家臣の平道全(たいらどうぜん)、博多の妙楽寺の僧、宗金(そうきん)だった。
 渋川道鎮はサハチと同年配に見え、宗讃岐守は四十代の半ば、平道全はサハチより二つ三つ年下、宗金は三十前後に見えた。平道全は五郎左衛門と同じように朝鮮の官服を着ていて、朝鮮の都、漢城府(ハンソンブ)(ソウル)に住んでいるという。
 五郎左衛門がサハチとジクー禅師を四人に紹介すると、
「噂は父上から聞いている」と渋川道鎮が言った。
「『七重の塔』で将軍様足利義持)とお会いになったそうじゃな。高橋殿を味方に付けて、将軍様にお会いになるとは大したもんじゃよ」
 渋川道鎮はそう言って笑った。嫌みな笑いではなく、本当に楽しそうな笑いだった。
「わしらは恐ろしくて、高橋殿に近づく事もできんわ。その高橋殿のお屋敷に滞在しておったとはのう。父上から話を聞いた時は腰を抜かすほどに驚いたわ」
 渋川道鎮の妻が勘解由小路(かでのこうじ)殿の娘だとサハチは思い出した。父上とは勘解由小路殿(斯波道将)の事だった。
「高橋殿が琉球の事に興味を示して、わたしどもが呼ばれたのです」とサハチは答えた。
「そうじゃろうの」と道鎮はうなづいて、「まあ、座ってくれ」と言った。
 サハチたちは道鎮たちに向かい合って腰を下ろした。
「そなたは一番いい時期に来られたんじゃ」と道鎮は言った。
「北山殿(足利義満)が突然にお亡くなりになられて、明国との交易が危うくなってきたんじゃ。将軍様が明国の皇帝から日本国王冊封(さくほう)されるわけにはいかんのじゃよ。将軍様が跡継ぎ殿に将軍職を譲って出家なされば、北山殿のように日本国王になられても構わんとわしは思うのじゃが、跡継ぎ殿はまだ三歳なんじゃよ。三歳の将軍様では国をまとめる事もできん。どうしたらいいものかと父上が悩んでいた時、そなたがやって来たというわけじゃ。わしからもよろしくお願いする。毎年、博多にやって来てくれ。博多から京都までは、わしが責任を持って送り届ける」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします」とサハチは道鎮に言った。
「富山浦(プサンポ)には早田(そうだ)殿の船で来られたのか」と宗讃岐守が聞いた。
「はい。船越から参りました」
「早田殿とは古い付き合いのようじゃのう」
「祖父の時代から交易を続けております。その頃、わたしの父は按司(あじ)でもありませんでした。やがて、佐敷に小さな城を築いて按司となり、近くにあった島添大里(しましいうふざとぅ)の城を奪い取って、島添大里按司になり、先代の中山王(ちゅうさんおう)を倒して、中山王となったのです」
「ほう。早田殿は先見の明があったんじゃのう」
「わしが琉球に行った時、丁度、戦(いくさ)が終わった頃で、佐敷按司が島添大里グスクを奪い取ったと噂が流れておりました。佐敷按司の事を知っている者も少なく、皆が驚いておりました」
 平道全がそう言って、サハチを見て笑った。何となく不気味な笑いだった。
「朝鮮に使者を送って来た目的は、やはりあれですか」と宗金がニヤニヤしながらサハチに聞いた。
 あれと言われてもサハチにはわからなかったが、すぐにひらめいて、「あれです」と言って笑った。
「なに?」と平道全が言って宗金を見てから、「琉球には寺院と呼べるのは護国寺しかなかったが、やはり、あれが欲しいのか」とサハチに聞いた。
 サハチは平道全の言葉で、あれとは『大蔵経(だいぞうきょう)』の事だなと気づいた。人参(にんじん)の事かと思っていたのだった。
「道全殿が琉球に行かれた時、中山王の都は浦添(うらしい)でしたが、今の都は首里(すい)です。首里の都はまだ建設中で、これから首里十刹(じっさつ)を建てるつもりでおります。大蔵経は勿論の事、仏像も賜わりたいと思っております」
首里とはどこなんじゃ?」
「浮島(那覇)を望む高台にあります。ご存じないとは思いますが、昔、首里天閣(すいてぃんかく)という楼閣が建っておりました」
「おう、あそこか」と平道全は思い出したようにうなづいた。
「そう言えば、中山王(武寧)が新しいグスクを築くとアランポー(亜蘭匏)殿が言っておったのう。アランポー殿はお元気ですか」
 サハチは首を振った。
「先代の中山王が滅ぼされた時に、逃げたようです」
 サハチがそう言うと、平道全は急に大笑いした。
「あくどい事をしておったようじゃからのう。稼いだ財宝を持って明国に逃げおったか」
「ところで、大蔵経と仏像は手に入るでしょうか」とサハチは誰にともなく聞いた。
「仏像は手に入るじゃろうが、大蔵経は難しいな」と宗讃岐守が言った。
大蔵経を手に入れるために、誰もが、倭寇に連れ去られた者たちを朝鮮に返しているんじゃが、未だに、すべてを手に入れた者はおらんのじゃ。朝鮮も小出しに出しているようじゃな。わしらは大蔵経に踊らされているようじゃ」
 宗讃岐守は笑った。気味の悪い笑いだった。
「そなたの父上だが、朝鮮でうまくやっているようじゃのう」と平道全が六郎次郎に言った。
「すっかり朝鮮に落ち着いてしまったようじゃ。そなたも知っていると思うが、そなたの父上は朝鮮では林温(イムオン)と呼ばれておる。林温将軍(チャングン)の評判はいい。地元の者たちにも尊敬されて、王様(李芳遠)も頼りにしておる。もう対馬に帰る事もあるまい。朝鮮の将軍として終わる事じゃろう。そなたは知らんじゃろうが、朝鮮に家族もおるんじゃよ」
 六郎次郎は平道全を見つめたまま何も言わなかった。
「さて、わしらはそろそろ引き上げよう」と渋川道鎮が言った。
「あとの事は『津島屋』に任せる。よろしくお願いいたす」
 サハチたちは四人と別れ、琉球の者たちがいる宿舎に向かった。
「平道全の言った事は気にするな」と歩きながら五郎左衛門が六郎次郎に言った。
「大丈夫です」と六郎次郎は答えたが、悔しそうな顔をしていた。
「宗讃岐守はわしらが邪魔なんじゃよ」と五郎左衛門はサハチに言った。
「左衛門太郎が対馬に帰って来なければいいと願っておるんじゃ。宗讃岐守はわしらが中山王とつながっているのを知って、山北王(さんほくおう)とつながろうとしている。山北王のもとには妙楽寺の僧で、宗安というのがいるらしいが御存じかな?」
「いいえ、知りません」
「そうか。そいつの手引きで、讃岐守は宗金と組んで、琉球に船を送ったんじゃ」
「宗金という僧は商人なのですか」
「商人の真似事を始めたようじゃな。奴は朝鮮の言葉がしゃべれるんじゃよ。詳しい事は知らんが、母親は高麗人(こうらいじん)だったのかもしれんな。朝鮮の言葉がしゃべれるんで、九州探題の通事(つうじ)(通訳)となり、使者を務めたりもしている。朝鮮との交易で稼げる事を知って、商売に手を出したというわけじゃ」
「讃岐守は早田氏を倒そうとしているのですか」
「やがてはそうなるじゃろうな。今はまだ時期が早い。奴が対馬に本腰を入れたのはつい最近の事なんじゃよ。讃岐守は筑前(ちくぜん)(福岡県)の守護代として、筑前守護の少弐(しょうに)氏に仕えておるんじゃ。九州にいて、先代の九州探題今川了俊(りょうしゅん)と戦っておったんじゃよ。今川了俊対馬の守護でもあって、仁位(にい)にいる宗氏の分家が守護代を務めていた。今川了俊九州探題を解任されて九州からいなくなると、仁位の分家は対馬の守護になった。しかし、讃岐守が仁位の分家を攻めて、自ら対馬守護となり、志多賀(したか)に守護の館(やかた)を建てて、父親の霊鑑(れいかん)を守護代として守らせたんじゃ。それが十年ほど前の事じゃ。それから三年後、仁位の分家が志多賀を攻めて霊鑑を追い出した。讃岐守は再び仁位の分家を攻めて、守護の座を取り戻し、今度は佐賀(さか)に守護の館を建てたんじゃ。その時、分家の者たちと話し合って、讃岐守の家系が守護、仁位の分家が守護代に就くと決めたらしい。話が付くと讃岐守は九州に戻って、少弐氏のために九州探題の渋川道鎮と戦った。さっきは仲よく一緒に座っておったが、あの二人は五年前まで敵同士だったんじゃよ」
「敵同士が同盟を結んだのですか」
「いや、同盟は結んではおらん。休戦中と言った所かのう。少弐氏というのは太宰府(だざいふ)の役人で、一時は北九州一帯を支配していた事もあったという。蒙古(もうこ)が攻めて来た時(元寇)も先頭に立って戦い、討ち死にしている。南北朝の時代には南朝懐良親王(かねよししんのう)に太宰府を奪われ、その後、九州探題今川了俊太宰府を奪い取った。少弐氏は太宰府を奪い返すために、渋川道鎮とも戦っていたんじゃ。道鎮と組んでいた大内氏(義弘)が泉州堺の戦(応永の乱)で戦死したので、勢力を盛り返していたんじゃが、少弐氏の当主が突然、病死してしまったんじゃよ。跡継ぎはまだ十歳だったという。讃岐守は途方に暮れたじゃろうのう。そんな時、北山殿が朝鮮と交易するために使者を送る事になった。朝鮮に使者を送るには対馬の協力が必要じゃ。讃岐守は北山殿から正式に対馬守護に任じられて、九州探題の渋川道鎮と協力して、朝鮮に使者を送るように命じられたんじゃ。讃岐守としても今の状況では、道鎮と戦う事もできん。しばらくは休戦して、軍資金を稼ごうと考えたわけじゃな。北山殿が亡くなってしまったので、この先どうなるかわからんが、今の所は道鎮と組んで、朝鮮との交易を重視しているようじゃ。まだ、わしらと張り合うほどの力は持っていない」
 武術の稽古をしている琉球の兵たちの近くに行くと、外間親方が駆け寄って来て、
按司様(あじぬめー)、御無事でしたか。心配しておりましたよ」と言って、よかったというようにうなづいた。
「京都では、予想以上にうまくいったよ」とサハチは笑った。
 外間親方の案内で、サハチたちは使者たちがいる部屋に向かった。途中でクグルーと出会った。クグルーは驚いた顔してサハチを見つめて、「按司様」と言った。
「よかった。無事だったのですね」と言ったあと、「みんなも来ているのですか」とクグルーはサハチに聞いた。
「ああ、『津島屋』さんのお世話になっている」
「そうでしたか。みんなに会いたいですよ」
「ここから出る事はできるのか」と聞くと、
「出入りは自由じゃよ」と五郎左衛門が答えた。
「それじゃあ、あとで会いにくればいい」とサハチはクグルーに言った。
 使者たちの部屋には新川大親(あらかーうふや)と本部大親(むとぅぶうふや)、早田藤五郎とクルシ(黒瀬大親)もいて、朝鮮の絵地図を見ていた。サハチの顔を見ると、皆が無事を喜んだ。
 サハチは京都での出来事を話して、来年からヤマトゥに使者を送る事を告げた。そして、朝鮮への使者も来年も送り、朝鮮からは経典と仏像を賜わるように頼んだ。
「宗金という僧から朝鮮の都の事を色々と聞いた」とクルシが言った。
「宗金は九州探題の使者として何度も都に行っているらしい。使者がどういう風にして、朝鮮の王様に会うのか詳しく教えてもらって、みんなにも話した。宗金が言うには、前例があるから大丈夫じゃろうと言っていた。朝鮮という国は何でも前例に従って、物事を行なっているそうじゃ。初めての出来事に出会うと戸惑って、なかなか事が運ばないが、前例があれば、すんなりと行くだろうと言っておった」
「うまく行く事を祈っています」
按司様は都には行かないのか」
「行きます。どんな所だか見て来ますが、別行動を取るつもりです」
「そうか」とクルシは笑った。
「都に行く許可が下りたら都に向かいますが、都に行くのは警固兵を入れて四十人ほどになります。それとは別に五郎左衛門殿が兵二十と荷物運びの人足たち二十人を付けてくれるとの事です」と新川大親が言った。
「五郎左衛門殿も一緒に行かれるのですか」とサハチは五郎左衛門に聞いた。
「それがわしの仕事なんじゃよ」と五郎左衛門は笑った。
「察度(さとぅ)の時は、この辺りを守っていた朝鮮の兵が都まで護衛をして行ったが、武寧(ぶねい)の時は、わしが富山浦を任される事となって、わしが護衛して都まで連れて行ったんじゃよ。琉球の使者だけではない。将軍様の使者や大内氏の使者、志佐壱岐守(しさいきのかみ)殿の使者たちも、わしが護衛して都まで連れて行く。最近はやたらと忙しいわい」
「そうだったのですか。それは大変ですね」
「なに、倭寇働きをしていると思えば、何でもない事じゃよ」
「わしらが都に行っている間、倭館では朝鮮の商人たちとの交易があるそうです」と新川大親が言った。
「ほう、明国と同じだな」とサハチが言うと、
「明国と違うのは朝鮮には銭がない事じゃな」と五郎左衛門が言った。
「それと、都までの道のりじゃが、道はかなりひどいぞ。川には橋もないし、渡し舟があっても、今にも沈みそうな筏船(いかだぶね)じゃ。それに朝鮮には荷車がないので、荷物は馬の背に載せるか、人足たちがかついで運ぶ事になる。寝泊まりする場所と食事は朝鮮で用意をするが、楽な旅ではない。辛い旅になると思うが覚悟しておいてくれ」
「どうして荷車がないのです」とサハチは不思議に思って聞いた。
「木を曲げて車を作る技術がないようじゃな。それに、荷車があったとしても道がひどくて通る事はできんじゃろう。雨が降れば、道はぐちゃぐちゃになってしまうし、水たまりだらけになる。雨が降ったらやむまで待つしかないんじゃよ」
「そんなにもひどいのですか」
「高麗から朝鮮に変わっても中身は何も変わっておらん。結局、この国は都に住んでいる両班(ヤンバン)のためだけにある国なんじゃ」
「ヤンバンとは何です?」
両班とは文官と武官の事じゃ。日本では武士は文武両道を建前としているので、文官と武官に分かれてはおらん。朝鮮は古く唐(とう)の時代から唐の制度を見習い、文官と武官は分かれていた。政治をするのが文官で、戦をするのが武官じゃ。本来は文官も武官も官職に過ぎなかったのじゃが、長い歴史において、過去に文官や武官を出した家柄は特別な身分と見られるようになって行き、庶民たちの上に立って、庶民たちから当然のように搾取(さくしゅ)するようになっていったんじゃ。この国には奴婢(ノビ)という奴隷(どれい)がいる。両班は奴婢を所有して、労働は奴婢にやらせ、自分たちは何もせずに暮らしている。両班の者たちは今の状況に満足しているんじゃ。世の中を良くしようなどとは決して思わんのじゃよ。道なんか通れればそれでいいと思っているし、荷車なんかなくても奴婢がかついで行けばいいと思っているんじゃ」
 そう言って、五郎左衛門は苦々しい顔をして首を振った。
 サハチたちは藤五郎、クルシ、クグルー、マウシを連れて津島屋に帰った。
 クグルーとマウシは共に苗代大親(なーしるうふや)の娘を嫁にもらった義兄弟だった。クグルーは島添大里(しましいうふざとぅ)のサムレーで、マウシは首里(すい)のサムレーだったので、義兄弟とはいえ会う機会は少なかった。今回、共に旅をして仲よくなったようだった。
「お前、抜け出して大丈夫なのか」とサハチがマウシに聞くと、
「普段、真面目に務めているので、隊長が許可してくれました」とマウシは笑った。
「そうか。頑張っているようだな」とサハチも笑ってうなづき、「お前は漢城府まで行くのか」と聞いた。
「はい、行く事になりました」
「そうか。使者たちをしっかりと守ってくれ」
 真面目な顔をしてうなづいたマウシは、以前に比べて頼もしくなったように思えた。
 遊女屋に泊まった者たちは部屋でごろごろしていて、クルシとクグルー、マウシとの再会を喜んだ。ササたちはどこに行ったのか、姿が見えなかった。
 夕方に帰って来たササたちは朝鮮の着物を着ていた。
「ねえ、似合うでしょ」とササは嬉しそうに言った。
 不思議とよく似合っていた。
「似合うよ。朝鮮の美人(ちゅらー)だな。美人が揃ってどこに行っていたんだ」
「ソラとウミに案内してもらって、隣りの島に行って来たのよ」
 ソラとウミというのは五郎左衛門の娘婿、浦瀬小次郎の双子の娘だった。十七歳の娘たちで、どっちがどっちだかわからないほどよく似ていた。
スサノオの神様がここにも来ていたのよ」とササは言った。
「まさか?」とサハチが言うと、
「本当なのよ」とササは真剣な顔付きで言った。
「どうして、スサノオの神様が朝鮮に来るんだ?」
「その頃は朝鮮じゃなかったわ。カヤという国だったのよ。カヤでは鉄を作っていたの。スサノオの神様はカヤから鉄を作る技術者をヤマトゥに連れて行ったのよ」
「鉄か‥‥‥」
「鉄というのはそんなに古くからあったのか」
琉球に鉄が来るのは遅かったけど、スサノオの神様は鉄の力でヤマトゥの国を統一したのよ」
「そうか、鉄だったのか‥‥‥」
 琉球に鉄を持って来たのは奥間(うくま)の鍛冶屋(かんじゃー)だったのだろうか、とサハチは思った。奥間鍛冶屋が琉球に来たのは今帰仁(なきじん)グスクができる前だとクマヌ(中グスク按司)は言っていた。
スサノオの神様は鉄でヤマトゥの国を統一したけど、今は何があれば琉球を統一できるの?」とササが聞いた。
 サハチは少し考えて、「火薬だな」と言った。
「火薬って?」
鉄炮(てっぽう)(大砲)っていう凄い武器があるんだけど、火薬の力で鉄の玉を飛ばすんだ」
鉄炮の事はサワさんから聞いたわ。土寄浦(つちよりうら)が鉄炮にやられて全滅したって」
「そうだ。その武器があれば琉球を統一できるだろう」
「朝鮮からもらえば?」
「朝鮮にしろ、明国にしろ、鉄炮と火薬は国外に出してはならない物なんだよ」
「そうなんだ‥‥‥もしかしたら、鉄も昔はそうだったんでしょうね。スサノオの神様はどうやって持ち出したのかしら?」
「今度、スサノオの神様に詳しく聞いてくれよ」とサハチが言うと、ササは首を振った。
「ここにはスサノオの神様はいないわ。いたという形跡があるだけ。対馬と同じよ。京都に行かなければスサノオの神様には会えないわ」
スサノオの神様はどうして京都にいるんだ?」
「奥さんが京都にいるからじゃないの」
豊玉姫(とよたまひめ)か」
豊玉姫様は京都にいないわ。豊玉姫様よりも先に奥さんになった稲田姫(いなだひめ)様よ」
スサノオの神様には奥さんが二人いたのか」
「もっといたんじゃないの。王様だったんだから」
「いい身分だな」
按司様だって、そのうち、いい身分になれるじゃない」
「いい身分になっても、マチルギは怖いよ」
 ササはサハチを見て、ケラケラ笑った。
「もしかしたら、スサノオの神様も稲田姫様が怖くて、京都にいるのかもね」
 サハチたちは次の日、朝鮮の都、漢城府に向かった。

 

 

 

大蔵経全解説大事典   世界を変えた火薬の歴史

2-55.富山浦の遊女屋(改訂決定稿)

 すぐにでも朝鮮(チョソン)に行きたかったが、海が荒れてきて行けなくなった。ササ(馬天若ヌル)に聞くと台風が近づいているという。
「でも、対馬(つしま)は直撃しないから大丈夫。三日か四日待てば行けるわ」
琉球は大丈夫だったのか」とサハチ(琉球中山王世子)が聞くと、
「ちょっと待って」とササは目を閉じた。
「大丈夫よ。首里(すい)も佐敷も被害はないわ。北の方に被害が出たみたい」
「ヤンバル(琉球北部)か」
 ササはうなづいた。
「今頃はもう、三姉妹は来ているな」とサハチは独り言のように呟いた。
「あたしにもそこまではわからないわよ」とササは言ってから、「メイユー(美玉)さんとの事は奥方様(うなじゃら)(マチルギ)にばれたの?」と聞いた。
「何を言っているんだ?」
「シンシン(杏杏)から何もかも聞いているわよ」
「参ったなあ」
「高橋殿の事も内緒にしておくわね」
「高橋殿とは何もない」
「あら、そうかしら? あたしは言わないけど、三人の女子(いなぐ)サムレーたちは奥方様にちゃんと報告するでしょうね」
「本当に何もなかったんだよ」とサハチは言ったが、ササは笑っていた。
 外洋は荒れているようだが、入り江の奥深くにある船越の海はそれほど荒れる事もなく、時折、強い風が吹いて、雨が降る程度だった。
 サハチたちは『琉球館』でのんびりと過ごしていた。船乗りの女たちは船に乗っていない時は、海に潜ってアワビを捕っているが、海に入れないので琉球館に遊びに来ていた。
 ヂャンサンフォン(張三豊)とジクー(慈空)禅師は碁を打ち、ファイチ(懐機)はアサからヤマトゥ(日本)言葉を教わっている。アサはサワの娘のスズと仲よしで、夫は戦死していた。一緒になってすぐに戦死してしまったので子供はいない。夫が明国(みんこく)で戦死したので、ファイチから明国の話を聞きながら、ヤマトゥ言葉を教えていた。
 ウニタキ(三星大親)は六郎次郎に呼ばれて、六郎次郎の屋敷に行っている。六郎次郎はマチルギから『三星党(みちぶしとー)』の事を聞いていて、裏の組織を作るためにウニタキから色々と話を聞いているようだった。早田(そうだ)家は今まで、浅海湾(あそうわん)内にいる倭寇(わこう)の頭目たちを配下に引き入れてきた。これからは北部と南部に勢力を広げなければならない。各地の情報を集めるには、どうしても裏の組織は必要だった。
 ンマムイ(兼グスク按司)はイハチ(サハチの三男)とクサンルー(浦添按司)を連れて、どこかに行っていた。京都にいた時、サハチ、ウニタキ、ファイチの三人が高橋殿の屋敷に移ってしまい、ンマムイはイハチとクサンルーの相手をするしかなかったため仕方がないが、敵だか味方だかわからないンマムイと仲よくなるのは考え物だった。
 塩飽(しわく)水軍の与之助は相変わらず、船の修理に励んでいた。
 サハチが高橋殿からもらった『源氏の物語』を呼んでいるとニヤニヤしながらササがやって来た。
「何を見ているの」と書物を覗き込んで、「難しそう」と笑った。
光源氏(ひかるげんじ)の物語だよ」
「ああ、あれ。あたしたちも聞いたわ」
「聞いた?」
将軍様足利義持)の奥方様と一緒に聞いたのよ。偉そうなお公家さんが真面目な顔して読んで聞かせたわ」
「そうだったのか」
「ねえ、イハチが何をしていると思う?」
「女たちの部屋にいるのか」
「いる事はいるんだけど、娘たちと一緒なのよ」
「娘っていうのはここの娘たちの事か」
「そうよ。あたしたちの教え子よ」
 ササ、シズ、シンシン、女子サムレーたちは、去年と同じように娘たちに剣術を教えていた。
「それがどうかしたのか」
「イハチとミツって娘がいい感じなのよ。二人で仲よくお話しているわ」
「ミツ?」
「お母さんは按司様(あじぬめー)も知っているマユっていう人よ」
「なに、イハチがマユの娘と?」
「それとね、ンマムイはクムを口説いていて、クサンルーはアミーを口説いているわ」
「何をやっているんだ、まったく」
「仕方ないわよ。按司様みたいに京都でいい思いができなかったもの」
「うるさい。お前はどうなんだ? 修理亮(しゅりのすけ)とはうまくいっているのか」
「修理亮の事はもう忘れたわ」
「何だ、諦めたのか」
「修理亮はカナが好きなのよ」
「カナ? クサンルーの妹のカナか」
「そうよ。あの娘(こ)に負けたくないんだけど仕方ないわ。あたしのマレビト神は別の人なのよ。将軍様琉球に来ればマレビト神になるんだけどな」
将軍様だって!」とサハチはササを見つめた。
「いい男なんだけど無理ね」とササは真面目な顔をして言った。
 確かに将軍様はいい男だった。ササが惚れるのも無理はない。
「いや、そうとも限らない。お前に会いに琉球に行くかもしれない」
「そうかしら?」とササは嬉しそうに笑った。
将軍様の御所に行った時、将軍様にも会ったのか」
「勿論、会ったわよ。将軍様と奥方様はすごく仲がいいもの。一緒に豪華なお料理も御馳走になったのよ。将軍様はお酒が好きでね、お酒を飲むと面白いお話を聞かせてくれたわ」
「どんな話をしてくれたんだ?」とサハチは聞いたが、ササはそれには答えず、「按司様、笙(しょう)っていう笛、知ってる?」と聞いてきた。
「知らん」
「いくつもの細い竹を合わせて作った笛でね、不思議な音がするのよ。将軍様が吹いてくれたんだけど神秘的な曲だったわ」
将軍様が笛を吹くのか」
「お上手だったわ。でも、将軍様の弟さんに笙の名人がいて、負けられないって言っていたの」
「その弟というのは武将なのか」
「さあ?」とササは首を振った。
「弟さんの事はあまり話したがらなかったわ」
「笙か。今度、博多に行ったら見つけてみるか」
 ササから住吉神社の事を聞いていたら、ユキが迎えに来た。
「家族水入らずで楽しんでいらっしゃい」とササに見送られて、ユキと一緒にイトの屋敷に向かった。風は吹いていたが雨はやんでいた。
 屋敷に行くとミナミが飛びついてきた。ミナミはサハチの四女のマカトゥダルより一つ年上で、こんな大きな孫娘がいたなんて信じられなかったが、すっかりお爺ちゃんになっていた。そういえば、奥間(うくま)ヌルが産んだ娘がミナミと同い年のはずだった。もうこんなにも大きくなっているのかと思うと一度、奥間に行かなければならないなと思った。
 サハチは遊んでいるミナミを眺めながら一節切(ひとよぎり)を吹いた。調子のいい可愛い曲が流れた。それを聞いて、イトもユキも目を丸くして驚いていた。
「凄いわ。あなた、笛も吹けるのね」
「去年、マチルギがお土産に買って来てくれたんだよ。それまでは横笛を吹いていたんだけど、この一節切は横笛よりも俺に合っているんだ」
「あなたが笛を吹くなんて、ほんとに驚いたわ」
「マチルギから聞いたと思うけど、親父が無人島で若い者たちを鍛えていた時、俺はずっと留守番をしていたんだ。暇つぶしに横笛を吹いていたんだよ」
「マチルギさんと毎年、恒例の旅に出ていたって聞いたわ。羨ましいって思ったのよ」
「そうだ。朝鮮から帰って来たら、家族揃って旅に出よう」
「それ、いいわね。去年、お父さんが馬天(ばてぃん)ヌルさんたちを連れて対馬を一周して来たんだけど、楽しかったって言っていたわ。一周は無理だけど、仁位(にい)のワタツミ神社と木坂(きさか)の八幡様にお参りしたいわ」
「いいね。俺も八幡様には行ってみたいと思っていたんだ」
「楽しみだわ」とイトもユキも喜んだ
 その頃、琉球館では集まって来た女たちに、ウニタキが三弦(サンシェン)を弾きながら琉球の歌を聞かせて、拍手を浴びていた。
 波も治まった八月四日、サハチたちはイトの船に乗って朝鮮に向かった。六郎次郎も今後の参考のためにと言って付いて来た。その日は土寄浦(つちよりうら)まで行き、次の日に富山浦(プサンポ)(釜山)に着いた。
 イトが言っていたように、富山浦はすっかり変わっていた。港には大小様々な船が泊まり、二十年前に森だった所まで家々が建ち並んでいて、土寄浦よりも大きな港町に成長していた。
 琉球の交易船も泊まっていた。船の上に数人の人影が見えた。与之助は目の色を変えて交易船を見ていた。
 明国の船は何度も博多から兵庫に向かっているので見た事はある。初めて見た時はその大きさに驚き、どんな構造になっているのか知りたかった。兵庫に行って近くで見たが、船の中に入る事はできなかった。ようやく、念願がかなって船の中に入れるのだった。与之助は憧れの女でも見るような目つきで、じっと交易船を見つめていた。
「みんな、『倭館(わかん)』に滞在しているわ」とイトが言った。
倭館?」
「取り引きに来る者たちの宿泊所よ。琉球人は日本人じゃないけど、ほかに宿泊所がないので、そこに入っているの」
「そうか。上陸はできたんだな、よかった。兵庫では明国の使者たちは上陸もできずに、船の中で何日も待たされていたよ」
「そうだったの。遠くから来ているのに大変だわね」
 サハチたちは上陸して、早田五郎左衛門の『津島屋』に向かった。
 『津島屋』も以前よりも立派な屋敷になっていた。土塀に囲まれ、立派な門には槍を持った門番がいた。六郎次郎に従って門内に入ると、広い敷地内に屋敷がいくつもあり、奥の方には蔵が並んでいた。
 二十二年振りに会った五郎左衛門は思っていたよりも老けて見えた。もう六十歳に近いのかもしれなかった。サハチを見ると、「久し振りじゃのう」と笑った。
 その笑顔には昔の面影があって、サハチは急に二十二年前の事を思い出していた。あの頃はまだ高麗(こうらい)という国だった。高麗についての知識がまったくなかったサハチは、五郎左衛門から高麗の事を色々と教えてもらったのだった。
「去年は妻たちが大変お世話になりました。ありがとうございます」とサハチはまずお礼を言ってから屋敷に上がり、昔の思い出を語り合った。
 壱岐島(いきのしま)の藤五郎は通事(つうじ)(通訳)として、倭館にいる琉球の使者たちと一緒にいて、漢城府(ハンソンブ)(ソウル)に向かう準備をしていると五郎左衛門は言った。サハチはお礼を言って、かつての中山王(ちゅうざんおう)、察度(さとぅ)と武寧(ぶねい)が朝鮮に送った使者の事を聞いた。
「あれは確か、そなたが来られてから何年か経った頃じゃったのう」と言いながら五郎左衛門は目を閉じて、昔を思い出しているようだった。
「そうじゃ。あれは対馬が高麗に襲撃された年じゃった。村の再建に大わらわだった夏に、琉球からの使者がやって来たんじゃ。とにかく大変だったのは覚えておる。何しろ、琉球から使者が来たのは初めてじゃったからのう。九州探題今川了俊(りょうしゅん)が連れて来たんじゃよ。琉球の使者たちは富山浦から上陸して、高麗の都だった開京(ケギョン)に行って、王様と会った。王様と行っても当時の王様は傀儡(かいらい)で、実力を持っていたのは李成桂(イソンゲ)だったんじゃ。李成桂琉球に使者を送る事に決めて、その年の冬、琉球に帰る船と一緒に、使者は琉球に向かった。翌年の夏、高麗の使者は琉球の使者と一緒に帰って来た。そのあとは一年おきに来ていたはずじゃ。中山王の察度が送った使者は四回で、四回目の時は高麗から朝鮮に変わり、李成桂が王様になっていたのう」
「察度は朝鮮に何を求めて、使者を送ったのでしょうか」
「人参(にんじん)(高麗人参)が欲しかったんじゃないのか。長生きするためにな」
「人参ですか‥‥‥」とサハチは唖然とした顔で五郎左衛門を見ていた。
 確かに察度は長生きをしていた。人参を食べて長生きしたのだろうか。
「人参を手に入れるには、朝鮮に使者を送るしかないからのう」
「人参を手に入れるために、わざわざ進貢船を使って朝鮮に来ていたのですか」
「進貢船で来たのは博多で取り引きをするためじゃろう。朝鮮の人参はついでで、博多の取り引きが本当の目的だったんじゃないのか。今川了俊琉球との取り引きで莫大な利益を上げている。九州探題を解任されたのも、琉球との取り引きが原因かもしれんな」
 ファイチはアランポー(亜蘭匏)の一族が朝鮮の使者となって、交易の儲けを奪い取っていたに違いないと言っていた。その時はよく意味がわからなかったが、ようやくわかった。アランポーは朝鮮に使者を送ると言いながら、博多で交易した儲けをそっくり奪い取っていたに違いなかった。
「察度の跡を継いだ武寧は三回、使者を送ってきた。そして、今回は武寧の跡を継いだサグルー(思紹)が使者を送ってよこすとはのう。サグルーが武寧を倒して、中山王になったと聞いた時は驚いたぞ。左衛門太郎からサグルーが無人島で若い者たちを鍛えていると聞いてはいたが、本当に中山王を倒すとは思ってもいなかった。大したもんじゃのう」
 父がヤマトゥ旅に出て、対馬に来た時、父が五郎左衛門と仲がよかったという事をサハチは思い出した。一緒に済州島(チェジュとう)に行って、アワビを捕ったり、可愛い現地の娘たちと遊んだと父から何度か聞いていた。
 サハチが五郎左衛門と話し込んでいる時、与之助はウニタキとファイチに連れられて交易船に行き、船内の様子をじっくりと調べていた。
 その夜、五郎左衛門はサハチたちを遊女屋に連れて行った。富山浦に遊女屋があるなんて驚いたが、その建物の立派さにさらに驚いた。遊女屋は八幡神社の近くにあった。八幡神社は二十二年前にもあったが、その周りの景色はすっかり変わっていた。八幡神社の隣りに空き地があって、そこで剣術の稽古をしたのだが、そんな空き地はどこにもなく、家々が建ち並んでいた。
 独特な朝鮮の着物を着た綺麗どころの遊女たちに迎えられ、サハチたちは大広間に案内された。
「早田家と琉球の付き合いは長い。わしの親父(早田次郎左衛門)が『一文字屋』に頼まれて鮫皮(さめがわ)を手に入れるために琉球に行ったのは、もう七十年近く前になる」と五郎左衛門は挨拶を始めた。
「親父は伊平屋島(いへやじま)に鮫皮を作る職人を置いて帰って来た。五年後、親父は再び伊平屋島に行き、鮫皮を手に入れた。そして、伊平屋島から一人の若者を対馬に連れて来た。サハチの祖父(じい)さんのイハチじゃ。イハチは博多の賑わいを見て驚き、琉球に帰ると伊平屋島の隣りの伊是名島(いぜなじま)で鮫皮作りを始めた。しかし、親父がいつになっても来ないので、イハチは伊是名島を追い出されて佐敷へと行った。その頃、親父は倭寇働きに忙しく、琉球に行ったのは五年後じゃった。今思えば、イハチが佐敷に行ったからこそ、今のサハチがいると言える」
 確かに五郎左衛門の言う通りだった。祖父が伊是名島にずっといたらサハチは生まれていなかった。祖父が大(うふ)グスク按司の娘を嫁にもらって父が生まれ、父が美里之子(んざとぅぬしぃ)の娘を嫁にもらってサハチが生まれたのだった。
「イハチは佐敷に移って鮫皮作りを続け、サミガー大主(うふぬし)と呼ばれるようになった。サミガー大主の息子、サグルーは佐敷按司となり、今では中山王になっている。早田家が今の様に繁栄したのも、イハチ、サグルー、サハチと三代のお陰と言えるんじゃ。そして、サハチの娘のユキが左衛門太郎の嫡男の六郎次郎と結ばれた。お互いに親戚となったわけじゃ。これからもお互いに協力し合って発展して行こうではないか。今晩はささやかながらお礼の印じゃ。充分に富山浦の夜を楽しんでくだされ」
 サハチは皆に促されて、挨拶を返した。
「二十二年前、わたしが富山浦に来たのは十六の時でした。倅(せがれ)のイハチと同い年でした。あの時、イトと仲よくなって、それが気に入らないという男に決闘を申し込まれて悩んでいた時、左衛門太郎殿に連れて来られたのです。左衛門太郎殿は密かにわたしの事を見守ってくれていたようです。言葉も通じない高麗の国にヒューガ(日向大親)殿と置いて行かれて心細かったのですが、五郎左衛門殿には大変お世話になりました。あの時、二十二年後にこうやって再会するなんて思ってもいませんでした。今回も五郎左衛門殿には色々とお世話になると思いますが、よろしくお願いいたします」
 サハチが頭を下げると、
「なに、恩返しだと思ってくれ」と五郎左衛門は笑った。
 遊女たちがぞろぞろと現れて、男たちの前に座った。
「格好は朝鮮の娘じゃが、みんな、日本の娘たちじゃ」と五郎左衛門は言った。
「富山浦に来る船乗りたちは朝鮮の格好をしていた方が喜ぶんで、こういう格好をさせているそうじゃ」
 サハチの前に座った女は、ヨンニョと名乗った綺麗な女だった。派手な色の朝鮮の着物を優雅にまとって、髪には綺麗な髪飾りを付けていた。ただ、他の女たちと比べるとかなりの年増だった。最年長のヂャンサンフォンの前にいる女でさえ二十代に見えるのに、この女だけは三十代だった。
「わたしじゃご不満?」とヨンニョは笑いながら聞いた。
「とんでもございません。充分に満足しております」とサハチも笑った。
 ヨンニョはニヤニヤ笑いながら、「わたしはこの遊女屋の女将(おかみ)でございます。イトさんの弟子なのですよ」
「えっ?」とサハチは驚いた。
「イトさんに剣術を教わりました。イトさんが御一緒に来ていらっしゃるのに、若い娘を勧めるわけには参りません。ごめんなさいね」
「すると、土寄浦の出身なのですか」
 ヨンニョはうなづいた。
「どうして、富山浦で遊女屋をしているのです?」
「成り行きというか、運命というか、そんな感じですよ。わたしの父は何度か琉球に行っていました。サハチ殿の事も父から聞いていたのですよ」
「そうでしたか。イトの父親も琉球に行っていました」
「いい所だそうですね。わたしも行ってみたいわ。父が琉球から帰って来たら、わたしが生まれていたので、わたしはリュウと名付けられました。琉球リュウなのですよ」
リュウさんですか」と言いながら、サハチは高橋殿と同じ名前だと思い、高橋殿を思い出していた。
 今頃は京都に帰って来ただろうか‥‥‥
 来年もまた会いたいと思っていた。
 ヨンニョはサハチに琉球の事を色々と聞いてきた。サハチは朝鮮の料理をつまみながら、日本の酒を飲み、琉球の事を話していた。ヨンニョも一緒に飲んでいて、少し酔ったのか身の上話を始めた。
「わたしの夫は戦死しました。嫁いで二年も経たないうちに戦死してしまったのです。子供にも恵まれず、わたしは実家に帰されました。実家に帰ったわたしはイトさんと一緒に娘たちに剣術を教えておりました。それから何年か経って、お屋形様が家臣たちを引き連れて朝鮮に行ってしまいます。わたしはイトさんと一緒にお船に乗りました。イトさんが船越に移ってからは、お屋形様の妹のサキ様と一緒にお船に乗っていました。ある日、小さな浦に行った時、女の子が遊女屋に売られて行くのを見てしまったのです。土寄浦や船越は琉球との交易のお陰で、それほど貧しい人はおりません。でも、小さな浦々では、子供を売らなければ食べていけない人たちもいたのです。わたしは貧しい子供たちの面倒を見なければならないと思いました。わたしが貧しい子供たちを買い取って、遊女屋をやろうと思ったのです」
「どうして、急に遊女屋をやろうなんて思ったのです? 遊女屋なんて行った事もなかったのではありませんか」
 ヨンニョはうなづいて軽く笑うと、
「どうして、そんな事を思ったのか、わたしにもよくわからないのです」と言った。
「多分、母の影響だと思います。母は博多の遊女でした。一流の遊女で、歌を詠み、お琴を弾いて、見事な舞を舞い、様々な事を知っていました。母のような遊女を育てたいと思ったのかもしれません。わたしは母に相談しました。母は反対しましたが、わたしの決心は堅く、何とか母を説得して、遊女屋の事を色々と教わりました。博多の遊女屋で一年間、仲居として働き、五郎左衛門様の援助を受けて富山浦に店を持つ事ができたのです」
「そうだったのですか‥‥‥」
 ウニタキもファイチもヂャンサンフォンもジクー禅師も楽しそうに遊女たちと話をしていた。ンマムイとクサンルーも楽しそうだが、イハチは緊張しているようだった。無理もない。遊女屋に入ったのも初めてだろう。イハチの相手は初々しい可愛い娘だった。与之助も楽しそうに笑っていた。遊女屋には来ないだろうと思ったが、意外にも付いて来た。何よりも船が好きだが、女も嫌いではないようだ。
 みんなの事をヨンニョに頼んで、サハチは五郎左衛門と一緒に遊女屋をあとにした。
「あの女将は尾崎左兵衛(おさきさひょうえ)の娘なんじゃよ」と五郎左衛門は歩きながら言った。
「何度か琉球に行っているから、そなたも知っているじゃろう。琉球ではウサキと呼ばれていると言っておったな」
「えっ、ウサキの娘さんなのですか」
 サハチが子供の頃、ウサキはサンルーザ(早田三郎左衛門)、クルシ(黒瀬大親)と一緒に琉球に来ていた。サイムンタルー(早田左衛門太郎)が琉球に来るようになってからは来なくなった。クルシからウサキはサンルーザと一緒に倭寇働きをしていると聞いていた。イトの父親と同じような水夫(かこ)かと思っていたら、早田家の重臣であるウサキの娘だったとは驚きだった。
「わしの遊び仲間でな。若い頃はいつも一緒に遊んでいたんじゃ。奴の最初のかみさんは、奴が琉球に行っている時に出産に失敗して亡くなってしまったんじゃ。毎日、ふさぎ込んでいた奴を博多の遊女屋に連れて行ったのはわしなんじゃよ。そこで、女将の母親と出会って、奴は惚れちまった。遊女屋通いを続けて、身請けして妻に迎え、女将が生まれたんじゃよ」
「そうだったのですか‥‥‥」
 ヨンニョは母親は一流の遊女だと言っていた。考えてみれば、水夫がそんな高級な遊女屋に行けるはずはなかった。
「ウサキさんは今、どこにいるんですか」とサハチは聞いた。
「もう二十年も前に戦死してしまった」
「えっ!」と言って、サハチは五郎左衛門を見つめた。ウサキが戦死していたなんて、まったく知らなかった。
「親父さんが戦死して、旦那も戦死した。船乗りになって頑張っていたんじゃが、運命というものなんじゃろうのう。遊女屋をやると言い出すなんて思ってもいなかった。大した女じゃよ。左兵衛の奴も、娘が遊女屋をやっていると知ったら腰を抜かす事じゃろう」
 子供の頃、ウサキの刀を借りて、初めて刀を鞘(さや)から抜いた時の事が鮮明に思い出された。刀は思っていたよりもずっと重くて、刀の刃は鋭く光っていた。ちょっと触れただけでも切れそうで、恐ろしくなって、サハチはすぐに鞘に納めてウサキに返した。
「初めて刀を手にした時は、誰でも恐ろしいと思うもんだよ」と言って笑ったウサキの顔がはっきりと思い出された。
「おーい、わしを置いて行くな」とジクー禅師が追いかけてきた。

 

 

 

李成桂―天翔る海東の龍 (世界史リブレット人)   ビジュアル版 朝鮮王朝の歴史 (イルカの本)

2-54.無人島とアワビ(改訂決定稿)

 家族水入らずで過ごした次の日、サハチ(琉球中山王世子)はイトに連れられて、近くの無人島に行った。二つの島が並んでいて、一つの島に砂浜があった。サハチたちは砂浜に上陸した。すぐ目の前に島があるので、船越の方は見えなかった。
「ここは船越の若者たちが集まる島なのよ」とイトは言った。
「船越にも年頃の若者たちが多くなって、土寄浦(つちよりうら)を真似して、八の付く日に集まる事に決めたの」
「すると、六郎次郎もこの島に来ていたのか」
「あの頃はまだ、若者たちは多くなかったわ。ユキがお嫁に来て、船乗りの女たちが子供を連れて船越に移って来てから子供たちが多くなってきたの。でも、十二年前にお屋形様(早田左衛門太郎)が大勢の男たちを連れて朝鮮(チョソン)に行ってしまってから、子供たちが少なくなってきているの。今、十二歳の子供たちは、お屋形様が朝鮮に行った翌年に生まれた子供で、結構多いんだけど、そのあと、急激に少なくなってしまうのよ」
「そうか。それは大変だな」と言ったあと、サハチはイトを見つめて、「もう一人、産むか」と聞いた。
「えっ?」とイトはサハチを見て顔を赤らめ、「何を言っているのよ」と笑った。
 サハチはイトを抱き寄せた。
「会いたかったわ」とイトは小声でつぶやいた。
「俺もさ」と言って、サハチはイトの唇をふさいだ。
 砂浜で抱き合ったあと、二人は海に潜ってアワビ捕りに熱中した。
 新鮮なアワビを食べながら、サハチはイトから朝鮮(チョソン)の事を聞いた。
「富山浦(プサンポ)(釜山)は随分と変わったわよ。対馬(つしま)だけでなく、各地から集まって来た人たちが住んでいて、土寄浦よりもずっと賑やかだわ」
「五郎左衛門殿が仕切っているのか」
「そうよ。五郎左衛門様は富山浦のお屋形様と言えるんじゃないかしら。九州探題の渋川様も一目置いているわ」
「そうか。それで、琉球の船は今、富山浦にいるんだな?」
「そうよ。富山浦にいる朝鮮の役人が今、漢城府(ハンソンブ)(ソウル)に向かっているわ。王様の許可が下りないと都に行けないのよ」
「やはり、時間が掛かりそうだな。イトは漢城府に行った事はあるのか」
「ないわ。五郎左衛門様に頼んだんだけど、女は危険だって言われたわ。富山浦から漢城府まで十日近く掛かるらしいの。途中の山に山賊が出るらしいわ」
「朝鮮も物騒なんだな」
「貧しい人たちが多すぎるって、五郎左衛門様は言っていたわ。朝鮮ができてからまだ十五、六年しか経っていないし、その間には何度も政変が起こっているわ。お屋形様のお兄さんの家族たちも政変で殺されてしまったのよ。今の王様になって、宮廷は落ち着いてきたようだけど、地方はちっとも変わっていないわ。新しい都造りのために搾り取られて、返って苦しくなっているんじゃないの」
「新しい都か‥‥‥どんな都だか見てみたいな」
「どうせ、明国(みんこく)の真似よ。初代の王様が高麗(こうらい)の都だった開京(ケギョン)(開城市)から漢城府に都を移して、二代目の王様はまた開京に移して、三代目の王様は漢城府に戻ったのよ。都が変わる度に大騒ぎして引っ越ししていたらしいわ。漢城府には初代の王様が造った立派な宮殿があるのに、三代目の王様は別の場所に新しい宮殿を建てているのよ。まったく考えられないわ」
 サハチはイトを見ながら笑っていた。
「朝鮮に怒っているのか」
「怒りたくなるわよ。庶民の事なんて何も考えていないんだから。それに、明国の皇帝から美女を差し出せって言われたらしくて、役人たちが村々を回って、村一番の綺麗な娘を集めているのよ。まったく信じられないわ」
永楽帝(えいらくてい)がそんな事を朝鮮に命じたのか。信じられんな」
「命じる方もどうかしてるけど、それに応じる方もどうかしてるわ」
「今の王様っていうのはどんな男なんだ?」
「頭がよくて、非情な男らしいわ。王様になるために兄弟を殺して、政権を守るために重臣たちを何人も殺しているわ」
 サハチは首を振った。サハチは中山王(ちゅうざんおう)の武寧(ぶねい)を倒した時、その一族の者たちは殺した。しかし、自分の身内の者たちを殺すなんて考えられなかった。
「ひどい王様だな。五郎左衛門殿はその王様に会った事があるのか」
「あるわよ。お屋形様が朝鮮に投降して、宣略(せんりゃく)将軍という地位を与えられた時、五郎左衛門様も司直(しちょく)という地位を与えられたの。主立った人たちは皆、地位を与えられて、その時に初代の王様に会っているのよ。今の王様にも御褒美を頂いた時に会っているわ」
「宣略将軍というのはどんな地位なんだ?」
「よく知らないけど、将軍が付くんだから偉いんじゃないの。王様に会えるんだから偉いのよ、きっと」
「そうだな。サイムンタルー(左衛門太郎)殿はうまくやっているようだな」
「お屋形様は朝鮮では、『林温(イムオン)』ていう名前なのよ」
「ほう、朝鮮の名前まであるのか」
「その名前も王様から賜わったみたい」
「五郎左衛門殿もあるのか」
「五郎左衛門様は『朴生(パクセン)』だったと思うわ」
「イムオンにパクセンか。朝鮮の名前も変わっているな。ところで、朝鮮の交易品が何だか知っているか」
「えっ、そんな事も知らないで、朝鮮と交易するつもりなの?」
 イトは驚いた顔をしてサハチを見た。
「今の琉球には朝鮮に詳しい人がいないんだよ。前の王様が朝鮮と交易していたんで、やって来たんだけど、当時の記録がほとんど残っていないんだ。琉球が持って行った物は記録に残っていたんで、硫黄(いおう)に蘇木(そぼく)と胡椒(こしょう)、それに海亀の甲羅にヤコウガイタカラガイの貝殻も持って来た。明国の場合は硫黄を降ろしたあとに陶器を積めばいいけど、朝鮮の場合は何を積んだらいいんだ。ある程度、重い物を積まないと琉球に帰れなくなる」
「そうねえ。朝鮮との交易品といえば、木綿(もめん)と人参(にんじん)くらいかしら」
「モメンとは何だ」
「丈夫な布の事よ。日本にはまだないわ。京都に持って行けばかなり高く売れるらしいわ」
「布ばかり積むわけにもいかんな」
 人参というのはヂャンサンフォンから聞いていた。万病に効く漢方薬で、高値で取り引きされるが大量に手に入れるのは難しいと言っていた。
「経典を積んで行ったら?」とイトが言った。
「朝鮮は仏教を禁止して、高麗の頃にあちこちにあったお寺はみんな破壊されているらしいわ。そのお寺にあった経典やら仏像やらが安く手に入るって聞いた事があるわよ」
「経典に仏像か‥‥‥」と言って、サハチはニヤッと笑った。
「これから琉球にお寺を何軒も建てるつもりなんだ。経典と仏像が手に入るのなら都合がいい。その事を使者に告げなくてはならんな」
「経典の中に『大蔵経(だいぞうきょう)』っていうのがあるんだけど、それは将軍様も欲しがっているわ。将軍様に献上しようと九州探題大内氏が、倭寇(わこう)に連れ去られた朝鮮人を朝鮮に送り返して、大蔵経を手に入れようとしているのよ」
大蔵経というのはそんなにも貴重なお経なのか」
「お経のすべてが揃っているらしいわ」
「お経のすべてがか。相当な量になるんじゃないのか」
「そうでしょうね。よくわからないけど」
大蔵経か‥‥‥琉球にも欲しいな」
倭寇に連れ去られた人たちで思い出したんだけど、朝鮮に『李芸(イイエ)』っていう人がいるの。八歳の時にお母さんが倭寇に連れ去られてしまって、お母さんを探しているのよ。その人、捕まって対馬に来たのよ。お屋形様が、骨のある奴だって気に入って、和田浦で預かっていたの。その頃、和田浦にはシンゴ(早田新五郎)がいて、仲よくなったみたい。あたしたちより一つ年下なのよ。その人、その後、三度も対馬に来ているわ。来る度に倭寇に連れ去られた人たちを朝鮮に連れ帰っているんだけど、未だにお母さんは見つからないみたい。去年も来たんだけど暴風にあって、散々な目に遭ったって言っていたわ」
「お前もその李芸という奴に会ったのか」
「去年は会ってないけど、三年前かな、船越に来た時に会ったわ。何度も日本に来ているので、日本の言葉も話せるわ」
「そいつは漢城府にいるのか」
「役人だからそうじゃないかしら」
「ヤマトゥ(日本)の言葉がわかるのなら会ってみたいな」
「五郎左衛門様に聞けば、詳しい事がわかるわよ。ねえ、マチルギさんはお船に乗っているの?」
「いや。ここで毎日、船に乗っていたから気が済んだようだ。琉球の海はサンゴに囲まれているから船を操るのは難しいんだよ」
「サンゴって何?」
「サンゴっていうのは生き物なんだけど、死ぬと堅い岩のようになるんだ。琉球はそんなサンゴに囲まれているから、海をよく知らないと大きな船はサンゴに乗り上げて座礁してしまうんだよ」
「へえ、そうなんだ」
「でも、サンゴのお陰で琉球の砂浜は白くて綺麗なんだよ。琉球の砂浜はどこも白いので、初めてヤマトゥの砂浜を見た時は驚いたよ」
 イトは砂浜の砂を手でつかんで眺め、「白い砂浜なんて想像もできないわ」と言った。
「お屋形様が朝鮮から戻って来たら、ユキを連れて琉球に来いよ。マチルギも歓迎してくれるだろう」
「そうね。行きたいわ」
 アワビを食べた二人は砂浜の隣りにある山に登った。小さな山なので、すぐに山頂に出た。山の半分近くは木が切られてあり、山頂の近くに炭焼小屋があった。
「こんな小さな島でも炭焼きをしているのか」とサハチはイトに聞いた。
「夏の間は漁をやって、冬は炭焼きをしているのよ」
「こんな小さな島なら、すぐに木がなくなってしまうだろう」
「木がなくなったら畑にして、数年間、作物を育てるわ。そのあと、木を植えて成長するまで待つのよ」
「気の長い話だな」
「昔からそうやって暮らしてきたの。でも、それだけでは生きてはいけないのよ」
 イトは笑って、西の方を眺めた。
「そろそろ朝鮮に行ったお船が戻って来るはずなんだけど」
「お前が先に帰って来て、大丈夫なのか」
「大丈夫よ。あの頃、一緒に遊んだツタ、シノ、トミ、マユを覚えている?」
「覚えているよ。シンゴ、マツ(中島松太郎)、トラ(大石寅次郎)、ヤス(西山安次郎)と仲がよかった四人だろう」
「そうよ。あのあと、一緒になったのはマツとシノだけだったわ。ヤスは戦死しちゃったし‥‥‥」
「シンゴから聞いたよ」
「あれはお屋形様のお兄さんが戦死して、その弔(とむら)い合戦だったの。でも、お屋形様の叔父さんの備前守(びぜんのかみ)様が戦死して、ヤスも戦死しちゃったの。ツタの旦那さんも戦死したわ。他にも大勢、戦死してしまって、その衝撃で、先代のお屋形様は隠居なさったのよ。その時の戦じゃないけど、トミの旦那さんは片足を失ってしまったわ。今は二人で仲よく、土寄浦で漁師をしている。マツとトラはお屋形様と一緒に朝鮮にいるわ。マユの旦那さんも朝鮮よ。旦那さんが朝鮮にいるマユとシノ、旦那さんを亡くしたツタはあたしと一緒にお船に乗っているのよ」
「マユとシノとツタは船越にいるのか」
「そうよ、子供を連れて移って来たのよ。それと、あたしの妹のヒサを覚えている?」
「覚えているよ」
「ヒサも旦那さんが朝鮮にいるので、一緒にお船に乗っているわ」
「イトには三人の妹がいたんじゃないのか」
「すぐ下のタケは漁師に嫁いで、土寄浦にいるわ。その下がヒサで、一番下のマホはお屋形様の家臣に嫁いだの。旦那さんはシンゴと一緒に琉球に行っているはずよ、護衛兵として」
「カンスケ(イトの弟)と一緒にいるのを見た事がある。あれがマホちゃんの旦那だったのか」
「それとサワさんの娘のスズちゃんを覚えている?」
「勿論、覚えているよ。和田浦でもずっと一緒だったからな」
「スズちゃんもお船に乗っているわ」
「船が帰って来ると懐かしい顔に会えるんだな」
「みんな、あなたに会うのを楽しみにしているわ。今晩はまた歓迎の宴(うたげ)だわね」
「本当に懐かしいよ」
 しばらく山の上から海を見ていたが、みんなを乗せた船は見えなかった。サハチとイトは船越に戻った。
 『琉球館』に行くと誰もいなかった。どこに行ったのだろうと思いながらイトの屋敷の方に向かうと、ウニタキ(三星大親)と出会った。
「みんな、どこに行ったんだ?」とウニタキに聞いた。
「朝の稽古が終わって、ササたちはイスケ(イトの父)さんの船に乗って住吉神社に行った。師匠とジクー禅師とファイチは梅林寺の和尚に会いに行くと言っていた」
住吉神社というのは近いのか」
「半時(はんとき)(一時間)も掛からないと言っていた。ササが神様の事で調べたい事があるとか言っていたよ。また、スサノオの神様の事じゃないのか」
「そうか。与之助は何しているんだ?」
「あいつは船を直しているよ。放っておいたら船が可哀想だと言ってな」
「イトの船をか」
「ああ。変わり者だが、腕はかなりいいようだ。あんな船大工が琉球にも欲しいな」
「そうだな」とサハチはうなづいた。
 イトと別れて、サハチはウニタキと一緒に『梅林寺』に向かった。集落の外れの山裾に梅林寺はあった。思っていたよりも小さなお寺だった。鉄潅(てっかん)和尚が言うには、日本で一番古いお寺だという。
 三人は和尚と一緒にお茶を飲みながら話し込んでいた。ヂャンサンフォン(張三豊)は琉球の着物を着ていて、ファイチ(懐機)は高橋殿にもらった直垂(ひたたれ)が気に入ったとみえて、ずっとそれを着ている。ジクー(慈空)禅師は禅僧の格好だったが、鉄潅和尚は野良着姿だった。奇妙な連中の集まりに見えた。
 サハチたちも上がり込んで話に加わった。禅の話をしていて、サハチとウニタキにはよくわからなかった。ヂャンサンフォンは禅にも詳しいようで、明国にある禅寺や偉い禅僧の話をしていて、ジクー禅師と鉄潅和尚は真剣に話を聞いていた。ファイチはまだヤマトゥ言葉がよくわからないのに、わかったような顔をして聞いていた。
 急に集落の方が騒がしくなった。ユキがミナミと一緒にやって来て、船が帰って来たと知らせてくれた。サハチたちは和尚と別れて、西側の港へと向かった。
 大きな船は奥まで入って来られないので途中に船着き場があって、そこから女たちがぞろぞろと降りて来た。
「サハチさん、お久し振りです」と駆け寄ってきた女がいた。三十前後に見える美人だった。サハチには誰だかわからなかった。
「スズですよ。サワの娘のスズです」
「えっ、スズちゃんか。驚いたなあ」
 サハチの頭の中にいるスズは九歳のままだった。
「サハチさんも変わったわ。イトさんの着物を着ていなかったらわからなかった」
「そうか。着物でわかったのか」
 サハチは女たちに囲まれた。
「さあ、誰だか当ててみて」と一人の女が笑いながら言った。
 ツタ、シノ、トミ、マユの四人はかつての面影があったのでわかったが、あとの三人はわからなかった。四人よりは年下だった。サハチはイトの話を思い出して、「タケちゃんとヒサちゃんとマホちゃんか」と聞いた。
「当たりです。よくわかりましたね」と言って、イトの妹三人は笑った。
「昔の面影があると言いたいが、三人ともまったく当時の面影はない。みんな、いい女になっているよ」
「あの頃、あたしはまだ十歳でした。もうこんなにも大きくなりました」
 ヒサがおどけて言うと皆が笑った。
 サハチたちは荷物を運ぶのを手伝って、琉球館に帰った。
 その夜は琉球館で、歓迎の宴が行なわれた。サハチたち一行に朝鮮から帰って来た女たちが二十人余りも加わった。部屋に入りきれず、縁側や庭に溢れた者もいた。
 女たちは皆、夫が朝鮮にいるか、戦死した者たちで、女手一つで子供たちを育てていた。イトとユキのように、娘と一緒に船に乗っている女もいる。皆、勇ましい女たちで、サハチたちは圧倒されていた。
 土寄浦に住んでいるトミとイトの妹のタケとマホもわざわざサハチに会うために来てくれた。タケは当時十三歳、マホはまだ四歳だった。末っ子のマホはどことなく、イトに似ていた。
 去年も来ていたササ、シズ、シンシン、ヂャンサンフォン、ジクー禅師は女たちとの再会を喜んで、楽しそうに話をしていた。
「去年、博多にいたシンゴから、あなたの奥さんが来るって聞いた時は驚いたわ」とシノが言って、イトを見た。
「あなたが来ないで、奥さんが来るってどういう事って思ったわ。マユなんて、殴り込みだわって騒いだのよ」
「マチルギが殴り込みか」とサハチは笑った。
「でも、いい人だったわ。ずっと一緒にお船に乗っていたからわかるの。みんな、マチルギさんを好きになったわ。好きになったというより、みんな、尊敬しているわ。あなたは幸せ者よ」
「マツは元気なのか」とサハチはシノに聞いた。
「元気らしいわ。時々、五郎左衛門様を通して手紙が届くんだけど、もう十二年も向こうにいるのよ。きっと、向こうに奥さんも子供もいるに違いないわ。それを思うと悔しくって」
「そんな事はないだろう」とサハチが言うと、女たちは皆、自分の夫が朝鮮の女と仲よくやっているに違いないと言っていた。
 サハチは話題を変えて、「船に乗ろうって言い出したのは、やはり、イトなのか」と誰にともなく聞いた。
「そうよ。あの時もびっくりしたわ」とツタが答えた。
「お屋形様が大勢の家臣と一緒に、大きなお船も朝鮮に持って行っちゃったので、琉球に行くためのお船が残っただけで、あとはおんぼろのお船しかなかったわ。あたしたちはおんぼろのお船を何とか修理して、それに乗り込んで、操縦法を習ったのよ。男たちが帰って来るまで、あたしたちが頑張るしかないって必死だったわ」
「あの頃、みんな、幼い子供を抱えていて、旦那さんが朝鮮に行ってしまって、途方に暮れていたのよ」とマユが言った。
「イトがお船に乗るって言い出した時、そんなの無理だわって誰もが思っていた。それでもイトはサワさんと一緒に女たちを説得して回ったわ。お屋形様の妹にサキ様っていう人がいるんだけど、その人の旦那さんも戦死してしまって、一人で子供を育てていたわ。その人がイトの考えに賛成して、一緒にお船に乗ったのよ」
「あれも驚いたわね」とイトが言った。
「でも、サキ様はお嫁に行く前、土寄浦が全滅した時、あたしたちと一緒に村の再建を手伝ってくれたわ。お嬢様だけど芯の強い人なのよ。お嫁に行ったあと、旦那さんが戦死して、男の子を産めなかったからって、娘さんを連れて土寄浦に戻って来たわ。それからはお屋敷に籠もったまま、外には出て来なかった。それが、突然、あたしもお船に乗せてって出て来たんだもの、びっくりしたわ。サキ様のお陰で女たちの心も一つになって、みんな、頑張って来たのよ」
「サイムンタルー殿にそんな妹がいたのか」とサハチは驚いていた。
「シンゴのすぐ下の妹さんで、あたしたちより三つ年下なの。今は土寄浦で船頭(船長)としてお船に乗っているわ」
 二十二年前、サンルーザ(早田三郎左衛門)から子供たちを紹介された時、サキもいたと思うがサハチには思い出せなかった。
「十六歳になる娘さんも一緒にお船に乗っているのよ。その娘さんが母親に似て、美人でね、狙っている男たちが大勢いるみたいだけど、ウメさんに鍛えられて、結構、強いらしいわ」
「ほう、ユキのような娘が土寄浦にもいるのか。女たちがみんな強くなって、男たちが帰って来ても、男の出番はなさそうだな」
「そうね。ただ威張っているだけだと追い出されるわね」
 イトがそう言うと女たちは一斉に笑った。

 

 

 

 

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2-53.対馬の娘(改訂決定稿)

 瀬戸内海を無事に通過して、サハチ(琉球中山王世子)たちが博多に着いたのは七月二十五日だった。
 児島(こじま)の下(しも)の津で塩飽(しわく)三郎入道が待っていて、前回の約束通り、進貢船(しんくんしん)を見せるために船大工の与之助(よのすけ)を同行させた。与之助は口数が少なく、船の事以外はまったく興味を示さない男だった。船の事が何よりも好きらしく、水夫(かこ)たちが間違った操作をすると、そんな事をしたら船が可哀想だと言って、的確な操作法を教えていた。
 因島(いんのしま)では村上又太郎の妹のあやが、サハチたちが来るのを首を長くして待っていた。あやの船に先導されて、サハチたちは順調に博多港に到着した。あやは上関(かみのせき)で別れる事なく、博多まで一緒に来てくれた。
 琉球の交易船は博多港にはいなかった。一文字屋孫次郎に聞くと、五日前に博多を発って対馬(つしま)に向かったという。
 七月十六日、九州探題の渋川道鎮(どうちん)が京都から博多に帰って来た。そして、四日後の二十日、道鎮の家臣、吉見肥前守(ひぜんのかみ)が琉球の交易船を先導して対馬に向かって行った。今、妙楽寺には京都から帰って来た朝鮮(チョソン)の使者たちがいて、道鎮は接待している。今年は朝鮮、明国(みんこく)、琉球と三つの国から使者が来て、休む間もないほど忙しいと言いながらも機嫌はいいようだ。朝鮮の使者たちを送り出したら、琉球の使者たちを追って朝鮮に行くだろうと孫次郎は言った。
 次の日、サハチたちは一文字屋の小型の船に乗り換えて対馬に向かった。お世話になった一文字屋孫三郎とみお、村上水軍のあやにお礼を言って別れを告げた。
「お世話になったのはこちらの方ですよ」と孫三郎は笑った。
「サハチ殿のお陰で、一文字屋も益々繁盛して行くでしょう。朝鮮での成功をお祈りしています」
 サハチたちのお陰で、京都の一文字屋は高橋殿の御用商人になっていた。将軍様とつながりのある高橋殿の御用商人になれば、一文字屋は儲かるし、琉球にとっても都合のいい事だった。
「また来年、会えるわね?」とあやはササに言った。
 ササはサハチの顔を見てからうなづいて、「また来年、会いましょうね」と言って手を振った。
 京都から連れて来た一徹平郎(いってつへいろう)、新助、栄泉坊(えいせんぼう)の三人は一文字屋に預けた。栄泉坊には博多の寺院や神社の絵を詳細に描くように頼み、一徹平郎と新助には琉球の寺院造りのために博多の寺院も参考にしてくれと言った。
 一徹平郎は酒さえ飲めれば、どこにいようと文句はないと笑った。長い船旅で髪も髭も伸びて、会った頃の顔に戻っていた。琉球に帰る年末までは、まだ五か月もある。一徹平郎がフラフラとどこかに行ったりしないかと心配だったが、信じるしかなかった。
 その日は壱岐島(いきのしま)に泊まった。早田(そうだ)藤五郎はすでに朝鮮に行っていた。九州探題が博多に戻って来たと聞いて、そろそろ琉球の船が朝鮮に向かうなと悟って出掛けたらしい。
 志佐壱岐守(しさいきのかみ)に京都で将軍様に会ったと言ったら、腰を抜かすほどに驚いていた。
「そなたはまったく運の強い男じゃのう。将軍様に会うなんて信じられん事じゃ。明国に行ったら永楽帝(えいらくてい)と会い、京都に行って将軍様と会った。今度は朝鮮の王様の番じゃな」
「朝鮮の王様と会うのは難しいでしょう。会ったとしても言葉がわかりません」
「富山浦(プサンポ)(釜山)を仕切っている早田五郎左衛門殿に頼めば会えるじゃろう」
「五郎左衛門殿は朝鮮の王様に会っておられるのですか」
「会っている。わしも会っているんじゃよ」
「えっ、壱岐守殿も会っておられるのですか」
「会っていると言っても、高い所に座っておられる王様に頭を下げただけで、直接、話をしたわけではないがのう」
「そうでしたか。琉球の使者たちもそんな風に王様と会うのですね」
「多分、そうじゃろうな」
「王様に会えるかどうかは、成り行きに任せるしかありませんね」
 壱岐守はサハチの顔を見て笑った。
「すると、来年は正式な使者を京都に送るという事じゃな」
「毎年、来てくれと言われました」
「そうか。京都に行ったり、朝鮮に行ったりして商品の方は大丈夫なのか。わざわざ琉球まで行って、商品がないとなると松浦党(まつらとう)の者たちは騒ぎを起こすぞ」
「何とかするつもりです。明国の皇帝に進貢船を下賜(かし)するように二年前に頼んであります。そろそろ、その船が来ると思います。船さえあれば、一年に二度、三度と明国に行くつもりでおります」
「そうか。琉球は益々栄えて行くようじゃのう」
 次の日、サハチたちは対馬の船越(小船越)に着いた。船越は東海岸の深い入り江の奥にあった。イトとユキが乗っていると思われる船も泊まっていた。シンゴ(早田新五郎)の船より一回り小さいが、あんな大きな船を乗り回しているなんて大したものだった。まして、マチルギがあんな船を操ったなんて、とても信じられなかった。ここも土寄浦(つちよりうら)と同じように、海と山に挟まれた狭い土地に家々が建ち並んでいた。
 サハチはイトからもらった着物を着て、ユキからもらった守り刀を腰に差して颯爽(さっそう)と上陸した。初めて見るユキの姿と二十二年振りのイトの姿を想像しながら胸を躍らせたが、二人はいなかった。
 迎えに出て来たサワは懐かしそうにサハチを迎えた。
「サワさんですか」とサハチが聞くと、
「立派になられて‥‥‥」と言ったまま、サハチを見つめて涙ぐんでいた。
 サワと一緒に現れた大勢の子供たちは、ササたちの所に行って再会を喜んでいた。
「やっと、対馬に来る事ができました」とサハチはサワに言った。
「イトとユキは今、朝鮮に行っているんだよ。あんたに会いたがっていたよ。それにしても、ほんとに立派になったねえ」
 ササが可愛い女の子を連れて来た。
「ミナミのお祖父(じい)ちゃんだよ」とササは言った。
「えっ!」とサハチは女の子を見た。
 大きな目を丸くしてサハチを見つめていた。
「ユキの子か」とサハチはササに聞いた。
 ササはうなづいた。
「ミナミちゃんか」とサハチは女の子に言った。
 女の子はうなづいた。じっとサハチを見つめている目に、イトの面影があるように思えた。
 サハチが笑いかけると恥ずかしそうに笑って、ササの後ろに隠れた。その笑顔が何ともいえずに可愛かった。
「六歳なのよ」とササが言った。
 二十二年振りに来た対馬で、真っ先に孫娘に出会うなんて思ってもいない事だった。
 若いサムレーが三人、現れた。中央にいる若者が、若い頃のサイムンタルー(早田左衛門太郎)に似ていた。サイムンタルーよりも体格がよく、日に焼けて顔は真っ黒だった。
琉球から来られたサハチ殿ですね。お待ちしておりました。早田六郎次郎でございます」と中央の若者が挨拶をした。
「サハチです。去年は妻たちが大変お世話になりました」
「賑やかで楽しかったですよ。皆様方がお帰りになったあと、急に静かになってしまって、顔を合わせれば、みんなでマチルギ殿の噂をしておりました。来年はサハチ殿が来られると申しておりましたが、本当に来てくれたのですね。ユキや母上が喜ぶ事でしょう」
 六郎次郎はヂャンサンフォン(張三豊)を「師匠」と呼んで挨拶をして、「あとで上達振りを見てください」と言っていた。
 サハチたちは『琉球館』と呼ばれる屋敷に案内された。
 案内してくれたのは六郎次郎の義弟の小三郎だった。小三郎は和田浦の兵衛左衛門(ひょうえさえもん)の三男で、六郎次郎の妹と一緒になって船越に移って来たという。
 琉球館は二棟あった。マチルギたちが帰ったあと、隣りに屋敷を新築したという。新しい屋敷にササたち女が入り、以前の琉球館にサハチたち男が入った。
 ササの案内で『アマテル神社』を参拝して、浅海湾(あそうわん)に面した西側に出た。川のような深い入り江が続いていて、浅海湾は見えなかった。入り江に沿って細い道を進み、途中から山道に入って登って行くと眺めのいい草原に出た。去年、ヒューガ(日向大親)たちがヂャンサンフォンの指導を受けた場所だという。
 入り江が入り組んだ複雑な地形の浅海湾が見渡せた。懐かしい眺めだった。浅海湾を初めて見たウニタキ(三星大親)やファイチ(懐機)たちはその光景に驚いていた。
 その夜、六郎次郎の屋敷で歓迎の宴(うたげ)が開かれた。サハチたち一行十五人と六郎次郎、小三郎、左衛門次郎、四郎三郎、山伏の円明坊(えんみょうぼう)、鉄潅和尚(てっかんおしょう)の六人とサワとイトの父親、イスケも加わった。
 イスケが琉球に来なくなってから十年以上が経っていた。マチルギから元気よと聞いていたので安心していたが、実際に会ってみると髪は真っ白になっていて、年老いていた。それでも、ヂャンサンフォンから教わった呼吸法のお陰で体調もよくなったので、百歳までは頑張るぞと笑った。
 左衛門次郎は和田浦にいたサイムンタルーの弟、左衛門次郎の遺児だった。父親が戦死した時、まだ二歳で、母親と一緒に船越に移り、六郎次郎と共に育っていた。六郎次郎と同い年で、共に読み書きを習い、武術修行も共にして、何をするのも一緒だった。
 四郎三郎は六郎次郎の弟で、イハチと同じ十六歳だった。
 円明坊は六郎次郎たちの武術の師匠で、熊野水軍の武将として、六郎次郎の祖父、サンルーザ(三郎左衛門)と共に南朝方として活躍していたという。
 円明坊が太宰府(だざいふ)に来た時、九州は南朝の天下と言ってよかった。松浦党も早田水軍も瀬戸内から来ている村上水軍も、勿論、熊野水軍懐良親王(かねよししんのう)のために働いていた。南朝のために兵糧(ひょうろう)や軍資金を集めるために、高麗(こうらい)や元(げん)の国を荒らし回っていた。しかし、長くは続かなかった。今川了俊(りょうしゅん)が九州探題として博多にやって来ると情勢は変わった。南朝軍は北朝軍に負け続け、懐良親王も亡くなってしまった。団結していた水軍もバラバラになっていき、熊野水軍も九州から撤収する事になった。
 円明坊は船を降りて、しばらく旅に出た。九州各地を巡って庶民たちとふれあう事で戦の空しさを知った。熊野に帰ろうと決心した円明坊は、三郎左衛門に別れを告げるために対馬に渡った。
 三郎左衛門はすでに隠居していた。お互いに自分たちの時代は終わったと語り合っていたら、事件が起きた。三郎左衛門の跡を継いでいた左衛門太郎が朝鮮の水軍に囲まれて、長男の藤次郎を人質に差し出し、投降の意を示したというのだ。
 左衛門太郎は父親を説得して、配下の者たちを引き連れて朝鮮に投降した。三郎左衛門はお屋形様に復帰して、円明坊は左衛門太郎の十一歳の次男、六郎次郎の指導を頼まれたのだった。あれから十年余りが経ち、円明坊は六郎次郎の成長を見てきた。三郎左衛門は亡くなってしまったが、充分に約束は果たせたと思っていた。
 鉄潅和尚は戦死した早田備前守(びぜんのかみ)の息子で、博多の禅寺で修行を積み、左衛門太郎に呼ばれて船越の『梅林寺』の住職になっていた。六郎次郎たちの読み書きの師匠だった。
 サハチはお膳に載っていた新鮮なアワビを食べながら、二十二年前の事を思い出していた。イトと初めて会ったのが無人島でのアワビ捕りだった。海に潜って魚のように泳いでいたイトの姿がはっきりと思い出された。
「京都に行かれたと聞きましたが、どうでしたか」と六郎次郎が聞いた。
「もう驚く事ばかりでしたよ」とサハチは笑った。
「明国の都まで行って来たと聞きましたが、それでも京都には驚きましたか」
「驚きました。『七重の塔』の高さは明国でも見られないほど高いものでした」
「七重の塔は完成したのですね。俺が行った時は北山第(きたやまてい)の中に造っている最中でした」
「京都に行かれた事があるのですか」
「五年前に行って来ました。まだ、祖父が生きている時で、祖父と左衛門次郎と円明坊と一緒に行って来ました。一文字屋の頼みで、瀬戸内の水軍たちと話をつけるために行ったのです」
「そうでしたか。一文字屋から聞きました。サンルーザ殿のお陰で、わたしたちも安全な旅ができました。お礼を申し上げます」
「失礼ですが、父上殿とお呼びしてもよろしいでしょうか」と六郎次郎は言った。
 突然、父上と呼ばれて、サハチは戸惑った。会ったばかりだが、六郎次郎は娘の婿だった。娘のユキから父上と呼ばれるのを楽しみにしていたサハチだったが、婿から先に呼ばれるとは思ってもいなかった。
 サハチはただうなづいた。
「父上殿と母上殿の出会いは土寄浦では伝説になっております。琉球から来た若殿が海女(あま)と出会い、結ばれて娘が生まれ、海女はいつの日か、琉球の若殿が迎えに来るのを待ちながら娘を立派に育てたという伝説です。五歳の時に土寄浦を離れて船越に来た俺は、その伝説を知りませんでした。俺が十歳の時、父は琉球に行きました。どうして琉球に行くのか、母に聞いて、その時、伝説の事も聞きました。伝説の海女が産んだ娘が、俺より一つ年下だと聞いて、会ってみたいとその時は思いましたが、翌年、父と兄が朝鮮に行く事になってしまい、その娘の事もいつしか忘れてしまいました。父が大勢の家臣たちを連れて朝鮮に行ってしまい、土寄浦もこの船越も男手が足らずに大変でした。子供ながらも早く一人前になって、皆を助けなければならないと思ったものでした。兄は朝鮮で病死してしまいました。悲しみに沈んでいた頃、伝説の海女が女船頭(せんどう)(船長)になって活躍していると噂を耳にしました。俺も頑張らなくてはならないと励まされました。十六になった夏、叔父のシンゴ殿が琉球から帰って来ました。博多で手に入れた食糧を取りに左衛門次郎と一緒に土寄浦に出掛けました。その時、ユキを見てしまったのです。俺も左衛門次郎もユキに一目惚れしてしまいました」
 六郎次郎は話を止めて左衛門次郎を見ると、酒を一口飲んで話を続けた。
「ユキの事を聞いたら、誰もが知っている伝説の海女が産んだ娘で、若い者たちの憧れの的だと言いました。しかし、母親から剣術を習っていて滅法強い。自分よりも弱い男には目もくれない。八の付く日に無人島で若者たちの集まりがあって、あの娘に惚れた男たちが試合を挑むが、今まで勝った者は一人もいないと言いました。俺たちは船越に帰ると剣術の修行に励みました。三か月後、俺たちは無人島に行って、ユキと試合をしました。その時、ユキと試合をしたのは七人でした。毎回、その位いると聞いて驚きました。俺と左衛門次郎も含めて、七人全員がユキに負けました。ユキは思っていた以上に強かったのです。悔しい思いをした俺たちは今度こそ、死に物狂いになって修行に励みました。師匠も呆れるほど、あの頃の俺たちは剣術に夢中になっていました。そして、八ヶ月後、俺たちは無人島に行って、ユキと試合をしました。その時は五人いました。三人は負け、俺と左衛門次郎は勝つ事ができました。俺たちが勝った事に、ユキも含めて、島に来ていた全員が驚きました。勿論、島に来るのはユキが目当ての男ばかりではありません。他の娘が目当ての男たちもいます。普通なら、島に来て目当ての娘と話し合いをして、付き合うかどうかを決めるのですが、ユキの場合はまず試合に勝たなければ、話し合いの機会も得られないのです。俺と左衛門次郎はユキと話し合いをしました。お互いの事を話したのですが、左衛門次郎と前もって決めて、二人とも漁師の倅という事にしました。お屋形様の息子だとわかれば、お前が勝つに決まっていると左衛門次郎が言ったのです。俺としても、そんな事で勝ちたくはありません。船越というのも伏せました。お屋形様の息子と言っても、ここでの暮らしは漁師のような暮らしでした。人の上に立つ者は庶民の暮らしを知らなければならないと師匠に言われて、読み書きや剣術の修行以外の時間は夏は海に出て漁をして、冬は山に入って炭焼きをしていました。そんな日常の事をユキに話していたのです。次の八の付く日に無人島に行くと、ユキに試合を申し込む者はいませんでした。ユキの方が俺たちに試合を望みましたが、また、俺たちが勝ちました。次の八が付く日、無人島に行く時、左衛門次郎が、お前の勝ちだと言いました。ユキはお前が好きなようだと言います。お前を見る時のユキの目は輝いている。俺は負けを認めると言いました。そして、今日、俺はチヨと話をすると言ったのです。チヨというのはユキと仲良しの娘で、いつも一緒にいました。チヨも人気の娘で、いつも何人もの男たちがチヨを目当てに来ていましたが、なぜか皆、断っていました。その日、俺はユキと会い、左衛門次郎はチヨと会い、二人ともうまくいきました。船越には帰らず、土寄浦に行って、俺はユキの母親と会いました。あの伝説の海女です。女船頭になったと聞いていたので、大柄で逞しい女だろうと思っていましたが、まったく違いました。綺麗な人で伝説になるのもわかる気がしました。俺はユキをお嫁に下さいと頭を下げました。突然の事なので母親は驚いて、ユキからわけを聞きました。ユキは浅海湾の奥の方の漁師なんだけど、あたしよりも強いし、お嫁に行きたいのと言いました。俺はユキと母親に本当の事を話しました。二人とも驚いていましたが、母親は大喜びしてくれました。お屋形様とユキの父親は琉球で一緒に旅をした仲なのよ。きっと許してくださるわと言っていました。そして、朝鮮にいる父上のもとへ婚礼の事を知らせて、父上の許しがあって俺たちは結ばれたのです。琉球から来た若殿が海女と出会い、結ばれて娘が生まれ、海女はいつの日か、琉球の若殿が迎えに来るのを待ちながら娘を立派に育てました。娘は美しい娘に成長して、お屋形様の息子と結ばれ、海女は女船頭になって活躍しました。今では、俺の事も伝説の中に入っています。父上と初めて会って、伝説通りの人だと思いました。この伝説に負けないように生きようと思っています」
琉球の若殿は琉球を統一して王様になりました、という伝説にしなければならんな」とサハチは言った。
「お屋形様の息子は対馬を統一しました、としなければなりません」と六郎次郎は言った。
 サハチと六郎次郎はお互いを見ながら笑い合った。
「その伝説にはミナミちゃんも加わるわよ」とササが言った。
「えっ、ミナミが何かをするのか」と六郎次郎が聞いた。
「何か大きな事をするような気がするわ」
「ミナミが大きな事か‥‥‥」と六郎次郎は嬉しそうな顔をしてうなづき、「去年に来られた時、『アマテル神社』はスサノオの神様を祀っていると言っていたが、京都の『祇園社(ぎおんしゃ)』には行って来られましたたか」とササに聞いた。
「華やかな祇園社のお祭りを見てきました」
「おお、そうですか。いい時期に行かれましたね。噂は聞いています。俺が行ったのは八月だったので、お祭りはもう終わっていました」
スサノオの神様ともお会いできて、色々とお話を聞く事ができました。アマテル神社はスサノオが造った砦の跡地に祀られたようです。ここは古くから交通の要衝だったので、砦を造って見張っていたようです」
「そうでしたか。ここはそんなに古くから重要な地点だったのですね。やはり、親父がここに拠点を置いたのは正しかったんだな」
 六郎次郎は興味深そうに、対馬の各地にあるスサノオの足跡をササから聞いていた。
 翌日、山の上の修行場に登って、六郎次郎たちはヂャンサンフォンに一年間の修行の成果を披露した。ヂャンサンフォンは満足そうにうなづいて、鞍馬山(くらまやま)で思い付いた呼吸法を取り入れた套路(タオルー)(形の稽古)を六郎次郎たちに教えた。勿論、サハチたちも稽古に励んだ。
 その日の夕方、間もなく日が暮れる頃、イトとユキが帰って来た。サハチはササたちと一緒にサワの家で、孫娘のミナミと遊んでいた。ミナミもサハチの事を『祖父(じい)ちゃま』と呼んでくれ、可愛くてしょうがなかった。
 ミナミが突然、「たたちゃま(母様)」と言って飛び出した。振り返ると二人の女子(いなぐ)サムレーがサハチを見ていた。二人とも鉢巻きをして袴をはき、刀を背負っている。親子というより姉妹に見えた。イトはサハチが思っていたよりもずっと若く、昔の面影が充分に残っていた。
 ユキは妹のマチルーより二歳年下で、娘のミチより五歳年上だった。二人を足して二で割った感じかなと想像していたが、全然違った。ユキには琉球とヤマトゥ(日本)の血が流れている。異国の血が混ざると美人が生まれると聞いていたが、まさしく、ユキはそれだった。若い頃のイトの面影はあるが、あの頃のイトよりもずっと美人だった。昨夜、六郎次郎が言っていたように、男たちの憧れの的と騒がれるのも無理なかった。
 イトとユキはミナミを連れてサハチのそばにやって来た。お互いに相手を見つめたまま声も出なかった。
「お父さん?」とユキが小声で言った。
「ユキか」とサハチは言った。
「お帰りなさい」とイトが言った。
 サハチは笑って、「ただいま」と答えた。
 サハチを見つめているユキの目から涙があふれ出た。そんなユキを見ながら、「なに、泣いているのよ。やっと会えたのに」とイトは言ったが、イトの目にも涙が溜まっていた。
「会いたかった」と言って、サハチは二人を抱きしめた。
 ミナミがサハチの着物を引っ張って、「あたしも」と言った。
 ミナミの言葉に三人は笑い、サハチはミナミを抱き上げた。ミナミはサハチの真似をして両手を広げ、イトとユキを抱き寄せた。
 その夜、サハチは六郎次郎の屋敷の裏にあるイトの屋敷で、ユキとミナミを呼んで家族水入らずで過ごした。屋敷と言っても小さい家だった。イトは屋敷なんかいらない。両親が暮らしている家があるからいいと言ったが、船頭として活躍しているイトが屋敷もないのでは皆に示しがつかないと言って、六郎次郎が建てたのだった。自分の屋敷は小さくても構わない。その代わり、『琉球館』を建ててほしいと頼み、六郎次郎はイトの頼みを聞いたのだった。
「二十二年振りね」とイトはしみじみと言った。
「随分と長い時間が掛かってしまった。もう少し早くに来るべきだった」とサハチは言った。
 イトは首を振って、「今が丁度よかったのよ」と言った。
「あなたに再会する前に、マチルギさんに出会えたわ。マチルギさんから色々な事を聞いたわ。あなたの奥さんがマチルギさんでよかったって、心の底から思っているのよ」
「マチルギも、イトは凄い人だと尊敬していた」
「あたしこそ、マチルギさんを尊敬しているわ。あんなにも強いなんて思ってもいなかった。二十二年前、和田浦であなたが熱心に修行を積んでいた意味もわかったわ」
「懐かしいな。和田浦は今、どうなっているんだ?」
「お屋形様(サイムンタルー)の叔父さんの兵衛左衛門様が守っているわ。でも、兵衛左衛門様はシンゴが琉球に行っている間は土寄浦にいるから、実際は長男の小太郎様が守っているわね。あなたが琉球に帰ったあと、和田浦にいた左衛門次郎様が戦死してしまったの。シンゴのお兄さんよ。それで、シンゴも一時、和田浦にいた事があるの。シンゴの奥さんは和田浦の娘なのよ。あなたも知っている娘よ。あの頃、あたしたちと一緒にヒューガさんから剣術を習っていたわ。今は土寄浦の娘たちに剣術を教えているわ」
「佐敷ヌルから聞いたよ」
「あんなに綺麗な人がシンゴといい仲になるなんて未だに信じられないわ」
「俺だって信じられなかったさ。でも、シンゴには感謝しているよ。毎年、必ず来てくれるからな」
「佐敷ヌルさんに会うために、毎年、琉球に行っているのかしら?」
「そんな事もあるまい。ところで、ここ船越は古くから重要な拠点だったようだけど、六郎次郎が来る前には誰がいたんだ?」
「先代のお屋形様(サンルーザ)の妹のお婿さんがいたらしいわ。古くからこの地を守っていた武将で、お屋形様と同盟を結んでお婿さんになったの。でも、左衛門次郎様と一緒に戦死してしまったの。一族が乗っていた船が沈んで、全滅してしまったのよ。それで、お屋形様がここを守るために家族を連れてやって来たのよ」
「サイムンタルー殿もここに来たのか」
「そうよ。でも、五年後、先代のお屋形様が隠居なさって、お屋形様は単身、土寄浦に戻ったの」
「そうだったのか。サイムンタルー殿もここにいたのか」
 そう言って、サハチはイトとユキの顔を見て、「サイムンタルー殿は元気なのか」と聞いた。
「元気らしいわ」とイトが言った。
「先代のお屋形様がお亡くなりになった四年前、お屋形様は朝鮮の王様の許しを得て、帰っていらっしゃったの。その時は元気だったわ。富山浦(プサンポ)にいる五郎左衛門様はその後も何度か会っているようだけど、あたしたちは会えないのよ。北の方の海で倭寇(わこう)退治をしているらしいわ」
「やはり、倭寇を退治しているのか」
「今、お屋形様と同盟している者たちはお屋形様の命令を聞いて、倭寇働きは控えているわ。少なくとも朝鮮には行っていない。対馬にはお屋形様に敵対している者たちもまだいるの。そういう者たちが朝鮮にやって来たら退治するのよ。お屋形様は朝鮮にいながら、敵対勢力を倒しているわけ。降参して来た者たちは味方に引き入れて逃がしてやっているみたいね」
「朝鮮に行っても対馬の事を考えているんだな」
「当然よ。お屋形様なんだから」
「それで、お屋形様はいつ帰って来るんだ?」
 イトは首を振った。
「十年経ったら帰って来るに違いないって、みんなで待っていたんだけど、十年が過ぎてもまだ帰って来ないわ。帰って来る事を祈って、頑張るしかないわ」
「そうだな。それにしてもよく頑張って来たよ。ユキを一人で育てて、船頭までやっている。マチルギから船頭をしていると聞いた時は驚いた。でも、イトならやるに違いないと思ったよ」
「あなたが琉球に帰ってから色々な事があったわ。ユキが二歳の時、高麗の水軍に攻められて土寄浦は全滅してしまった。焼け野原を呆然と眺めながら、これからどうしたらいいのって思ったわ。でも、ユキのためにも頑張らなくちゃならないって思って、みんなで力を合わせて村を再建したわ。ユキが十歳になった時、お屋形様に頼んで、琉球に行こうかなと思ったのよ。でも、その年の暮れ、お屋形様が朝鮮に捕まってしまったわ。その後は留守を守るのに必死で、琉球に行く事はできなかった。シンゴは毎年、琉球に行っている。あの船に乗れば琉球に行ける。ユキを連れて琉球に行こうと何度も思ったわ。でも、対馬を捨てて琉球には行けなかった。去年、マチルギさんに一緒に行こうって誘われたけど、今の状況では半年間も離れられなかったの。あなたの事は毎年、シンゴが教えてくれたわ。あなたの活躍があたしたちの生きる励みになったのよ」
 その夜は遅くまで語り合って、家族四人が川の字になって眠った。

 

 

 

海女(あま)のいる風景   人魚たちのいた時代―失われゆく海女文化