長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

2-176.今帰仁での再会(改訂決定稿)

 五日間、奥間(うくま)でのんびりと過ごしたトゥイ(先代山南王妃)たちはサタルーと一緒に今帰仁(なきじん)に向かっていた。
 奥間まで来たのだから、山北王(さんほくおう)(攀安知)の城下、今帰仁に行ってみたいとトゥイは思った。今帰仁グスクには山北王の妻になった姪のマアサとシタルーの側室だったチヨが娘のママチーと一緒にいた。
 ナーサ(宇久真の女将)に相談すると、ナーサもマアサに会いたいと言った。今は三人の王様が同盟を結んでいるので会えるかもしれないとうなづいた。
「でも、今帰仁に知人はいないわ。突然、グスクに訪ねて行っても会う事はできないでしょう。マアサは山北王妃ですものね」とトゥイは心配顔で首を振った。
「大丈夫ですよ。今帰仁の城下に『ミヌキチ』という奥間の研ぎ師がいるわ。腕がいいので山北王に信頼されているの。今は二代目で、初代のミヌキチは何代か前の今帰仁按司様の娘を妻に迎えているのです。ミヌキチに頼めば、山北王に会えるわ」
 長老のヤザイムに今帰仁行きを話すと、サタルーに案内を命じて、サタルーと『赤丸党』のクジルーが一緒に行く事になった。長老が小舟(さぶに)を出してくれたので、羽地(はにじ)まで小舟に乗って行った。クジルーと一緒に小舟に乗ったマユミはクジルーが独り者だと知ると、目を輝かせて色々と質問した。
「あなたの方が年上でしょ」とナーサが笑うと、
「年の差なんて関係ないわ」と言って、クジルーの年齢を聞いたら、マユミより四歳年下だった。
「四つくらい何でもないわ」とマユミは言うが、クジルーは困ったような顔をしていた。
「こいつは俺の従弟(いとこ)なんです」とサタルーが言った。
「そうなの」とマユミは笑ったが、
「親父の弟の佐敷大親(さしきうふや)がこいつの父親なんですよ」とサタルーが言ったので、
「えっ!」とマユミとナーサは驚いて、クジルーの顔を見つめた。
「そういえば、似てない事もないわね」とナーサが言った。
「それにしても、あの真面目な佐敷大親様の息子が奥間にいたなんて考えられないわ」とマユミが首を振った。
 佐敷大親は会同館(かいどうかん)の宴席で、いつも静かにお酒を飲んでいて、遊女(じゅり)たちと戯れる事もなく早めに引き上げていた。
「どうして、お嫁さんをもらわないの?」とナーサがクジルーに聞いた。
「嫁はもらったのですが、出産に失敗して亡くなってしまいました。今年の春、俺が南部に行っていた時です。帰って来たら、嫁はもういませんでした」
「そうだったの。思い出させてしまったわね」
「いいんです。もう乗り越えました」
 クジルーの悲しみに耐えている横顔を見ながら、マユミはクジルーを好きになっていく自分を感じていた。こんな気持ちは久し振りだった。
 羽地の奥武島(おうじま)の手前の浜辺から上陸して、トゥイたちは今帰仁を目指した。美しい景色を眺めながらのんびりと歩いた。暑くもなく、寒くもなく丁度いい気候だった。
 サタルーが先頭を歩き、クジルーが最後尾にいた。マアサもトゥイを守るために後方にいて、クジルーとマアサが仲よく話をする事はないが、マユミは気になっていた。
 山南王(さんなんおう)(シタルー)だった父が亡くなってから一年が過ぎて、マアサはようやく立ち直っていた。チヌムイ(タブチの四男)が父を殺したのは衝撃だったが、チヌムイも戦死してしまった。いつまでも悲しんでいても仕方がなかった。夫を失ったトゥイは悲しむ間もなく、戦(いくさ)の指揮を執ってきた。トゥイは実の母親ではないが、マアサは母親のように慕って尊敬もした。王妃を引退したトゥイは新しい生き方を始めようとしている。マアサはそんなトゥイを守ろうと心に決めたのだった。
 なお、シタルーの娘のマアサと山北王妃のマアサの名前が同じなのは、共に祖母である汪英紫(おーえーじ)(先々代山南王)の妻の名前をもらったからだった。
 二時(にとき)(四時間)足らずで、今帰仁に着いた。今帰仁の城下はトゥイが思っていた以上に賑やかに栄えていた。ヤマトゥンチュ(日本人)たちが住む一画があって、唐人(とーんちゅ)たちが住む一画もあった。島尻大里(しまじりうふざとぅ)の城下よりも、首里(すい)の城下よりも栄えていた。シタルーは山北王と手を結んで、中山王(ちゅうさんおう)(思紹)を倒そうとしたが、この繁栄を見たら決して不可能な事ではないとトゥイは思った。
 グスクへと続く大通りに面して、ミヌキチの立派な屋敷があった。まるで重臣の屋敷のようなので、トゥイは驚いた。
「先代のミヌキチは先代の山北王(珉(みん))と従兄弟(いとこ)同士なのです。研ぎ師の腕も琉球一だったので、重臣扱いされているのです」とナーサが言った。
 屋敷に入って声を掛けると若い娘が出て来て、屋敷の裏にある作業場に案内してくれた。屋敷の裏にある庭は広く、作業場では大勢の職人が働いていた。
 娘が連れて来た男は、五十代半ばくらいの鋭い目付きをした男だった。職人というより、サムレー大将という貫禄があった。一流の研ぎ師になるには、武芸の心得も必要なのかもしれないとトゥイは思った。
「若様にナーサ様ではありませんか」とミヌキチは驚いていた。
 ナーサがトゥイを紹介すると、さらに驚いて、「山南の王妃様(うふぃー)が、そのような格好で今帰仁に来られるとは‥‥‥」と絶句した。
「今はもう隠居の身です」と言ってトゥイは笑った。
「屋敷の方でお待ちください」とミヌキチは言って、孫娘に案内させた。
 ヤマトゥ(日本)の屏風(びょうぶ)が飾ってある部屋で待っていると、ミヌキチの奥さんがお茶を持って入ってきた。今帰仁でもお茶を飲む習慣があるようだと思いながら、山北王は明国(みんこく)の海賊と密貿易をしているとシタルーが言っていたのをトゥイは思い出した。このお茶も密貿易で手に入れたのだろうか。
 トゥイはお礼を言ってお茶を飲んだ。この屋敷にふさわしい上等なお茶だった。この屋敷にふさわしい格好に着替えて来るべきだったと後悔した。
 ミヌキチが着替えて入って来た。奥さんはミヌキチにお茶を出すと去って行った。
「驚きましたよ」とミヌキチは言って笑った。
「素晴らしいお屋敷ですわね」とトゥイは言った。
「わしらもこんな立派なお屋敷を建ててもらえるとは思ってもいませんでした。親父のお陰ですよ。親父は今の今帰仁按司攀安知(はんあんち))、先代の今帰仁按司(珉(みん))、先々代の今帰仁按司(帕尼芝(はにじ))、その前の今帰仁按司(マチルギの祖父の二代目千代松)に仕えて、そのまた前の今帰仁按司、千代松(ちゅーまち)様に呼ばれてヤマトゥから来たのです。千代松様は立派な屋敷を用意して、親父を迎えたようです。千代松様が亡くなると、羽地按司が反乱を起こして、按司になった若按司を殺して、自ら今帰仁按司になりました。羽地按司は千代松様の娘婿で、義兄を倒して按司になったのです。その時の戦で城下は焼けて、わたしが生まれた屋敷も焼け落ちました。四歳だったわたしはほとんど覚えていませんが、奥間の鍛冶屋(かんじゃー)に助けられて、わしらは奥間に行ったようです。奥間にいた時、ナーサ様と一緒に遊んだ事は覚えております。子供ながらも綺麗なお姉さんだと思いました。奥間には三年くらいいたと思います。今帰仁に帰って来てからは、掘っ立て小屋を建てて暮らしていたのです。親父は刀を研ぐ事はなく、包丁や鎌を研いでいました」
「どうして、刀を研がなかったのですか」とトゥイは聞いた。
「千代松様の長男を殺して今帰仁按司になった羽地按司のサムレーたちの刀を研ぎたくはなかったのだと思います。わしは親父が刀を研いでいた姿も、立派な屋敷も覚えていませんので、掘っ立て小屋でも楽しく暮らしておりました。母親は千代松様の娘だったのですが、不自由な生活に文句も言わずに親父に従っていたようです。わしが十八の時、旅をしていたヤマトゥの山伏がやって来て、当時、目の病(やまい)に罹っていた親父の目を治してくれました。三年後、その山伏はまた来て、親父に何かを話しました。何を言ったのか知りませんが、親父は刀研ぎを始めたのです。親父が亡くなったと思っていた重臣の謝名大主(じゃなうふぬし)様は喜びました。謝名大主様はヤマトゥに行って、親父を連れて来た人なのです。謝名大主様のお陰で、刀研ぎの仕事も入ってきて、わしも修行を積みました。それまでも包丁研ぎはしていましたが、刀研ぎの修行は厳しいものでした。刀を研ぐには刀の使い方を知らなければならんと言って、剣術の修行も積みました。親父があんなにも強かったなんて知りませんでした。わしは寝る間も惜しんで、刀研ぎと剣術に熱中しました。血が騒ぐというか、わしは自分のやるべき事が見つかったと思って無我夢中でした。わしは謝名大主様の孫娘を嫁にもらって、新しい屋敷も建ててもらいました。親父は今帰仁按司から家宝の刀の研ぎを頼まれて、その後は武将たちからも刀研ぎの依頼が殺到しました。毎日が忙しかったけど、充実した日々でした。それから十年くらい経って、今帰仁合戦が起こります。城下はまた焼けてしまい、わしらの屋敷も焼け落ちました」
「また奥間に逃げたのですか」とトゥイは聞いた。
 ミヌキチは首を振った。
「わしらはグスクの中に避難していて、戦が終わったあと、城下の再建をしました。以前の屋敷があった所は、グスクを拡張するために屋敷を建てる事はできず、新しい場所にこの屋敷を建てたのです。今帰仁合戦で今帰仁按司だった羽地按司は戦死して、若按司も亡くなり、本部(むとぅぶ)にいた若按司の弟の本部大主(珉)が今帰仁按司になりました。本部大主は親父が従兄であり、腕のいい研ぎ師だと知ると、大通りに面したこの地に立派な屋敷を建ててくれたのです。先代は按司になって五年で亡くなってしまいましたが、立派な城下を造りました。そして、今の按司攀安知)は徳之島(とぅくぬしま)、奄美大島(あまみうふしま)を領内に加えて、明国の海賊と密貿易を盛んにして、ヤマトゥの商人たちも多くやって来て、今帰仁の城下は最も栄えていると言えるでしょう。ヤマトゥの名刀を持っているサムレーたちも多く、わしらの仕事も忙しくなっております」
「あなたのお父様が刀研ぎを再開した理由はわからないままなのですか」とトゥイは聞いた。
「あとになって知ったのですが、羽地按司に倒された今帰仁按司の遺児が生きている事がわかったのです。伊波按司(いーふぁあじ)と山田按司です。親父は遺児たちの敵討(かたきう)ちを助けようとして刀研ぎを始めたのです。刀研ぎをすれば、今帰仁按司のサムレーたちの動きがわかります。親父は今帰仁の情報を遺児たちに送っていたようです」
「今も情報を送っているのですか」
「今はその必要はありません。伊波按司の娘のマチルギさんは中山王の跡継ぎのサハチさんの妻になりました。中山王は今帰仁の情報を『まるずや』という店を通して把握しているはずです」
 トゥイはサハチの妻のマチルギが伊波按司の娘だったのを思い出した。ただ、伊波から嫁いで来たと聞いているだけで、伊波按司今帰仁按司の一族だったなんて知らなかった。マチルギが武芸好きで女子(いなぐ)サムレーを作った事は知っていたが、マチルギが武芸に励んでいたのは敵討ちのためだったのかと今、初めて知った。
「若い頃、サハチさんはマチルギさんを連れて、今帰仁に来ました。マチルギさんは敵(かたき)がいる今帰仁に来た事がなかったので、サハチさんが連れて来たのです。まだ、二人が一緒になる前の事です。危険を顧みずにやって来た無謀な二人を親父は心配していましたよ」
「サハチとマチルギが、ここに来たのですか」とトゥイは驚いて聞いた。
「ここではありません。今帰仁合戦で焼けた屋敷です」
 トゥイは呆れていた。あの頃のサハチは佐敷の若按司だった。佐敷の若按司が伊波按司の娘を連れて敵地に乗り込むなんて、若いとはいえ、何と無謀な事をするのだろう。それにしても、目の前にいるミヌキチが、サハチを知っている事が不思議だった。今回の旅で、どこに行っても、サハチが顔を出しているような気がした。
 トゥイはミヌキチに、姪のマアサとシタルーの側室だったチヨに会いたいが、何とかならないかと聞いた。
 ミヌキチは少し考えたあと、
「わしの娘婿の『兼次大主(かにしうふぬし)』に頼んでみましょう」と言った。
「兼次大主は徳之島(とぅくぬしま)の戦(いくさ)で活躍して、山北王の側近になっています。兼次大主に頼めば会う事ができるでしょう。今晩はわしの屋敷でゆっくり休んでください」
 トゥイたちはミヌキチの好意に甘えてお世話になる事にした。
 サタルーの案内で、トゥイたちは『まるずや』に向かった。今帰仁グスクに行くからには着替えが必要だった。サタルーが『まるずや』に行けば高貴な衣装もあると言うので行ってみた。
 『まるずや』は大通りからはずれた所にあったが、お客が大勢いて繁盛していた。サタルーの顔を見て、売り子の娘がすぐに主人に知らせた。主人のマイチがにこやかな顔で出て来て、
「おや、サタルー様ではありませんか。お久し振りです。開店の折にはお世話になりました」と言って頭を下げた。
 サタルーは手を振って、ナーサを紹介した。
「おや、噂は聞いております。首里の『宇久真(うくま)』と言ったら琉球一の遊女屋(じゅりぬやー)でしょう。一度でいいから、遊んでみたいものです」
「一度と言わず、首里にいらした時は顔を出してください」とナーサは言ったが、
「とても、とても」とマイチは手を振った。
 サタルーがトゥイを紹介すると、
「えっ!」と言ったままマイチは固まってしまった。
 山南王妃と言えば、永遠にお目にかかれない雲の上の人だった。それが目の前にいるなんて信じられない事だった。
 マイチはトゥイの要求に応えて、着替えの衣装を用意した。トゥイは自分が望んでいた衣装が簡単に揃うので驚いた。こんな便利な店なら流行るわけだった。『まるずや』は三星大親(みちぶしうふや)(ウニタキ)の拠点だけではなく、庶民たちに必要な店なんだとトゥイは知った。
 トゥイたちは必要な衣装を借りて、ミヌキチの屋敷に戻った。
 その夜、トゥイは『山北王の宝刀』の事をミヌキチから聞いた。
「わしは琉球の歴史はあまりよく知りませんが、昔、浦添(うらしい)に英祖(えいそ)という按司がいて、その英祖がヤマトゥの鎌倉の将軍様から贈られたようです。太刀と小太刀(こだち)と短刀の三つを贈られた英祖は『千代金丸(ちゅーがにまる)』と名付けます。『千代金丸』の太刀は、北部を平定して来いと言って、息子の湧川按司(わくがーあじ)に贈ります。湧川按司今帰仁按司を倒して、自ら今帰仁按司を名乗ります。その後、その太刀は今帰仁按司の宝刀として、大切にされて参りました。親父がヤマトゥから来て、最初に研いだのが、その宝刀です。そして、刀研ぎに復帰した時も、その宝刀を研いでいます。以前の時とは拵(こしら)えが違っていたようです。最初の時は、わしはまだ生まれていませんので見ておりませんが、二度目の時は見ております。銘はありませんが、見事な備前物(びぜんもの)でした。馬上で抜きやすいようにしたのか、柄(つか)が短くなっていました。そして、先代が亡くなったあと、今の山北王から、その刀の研ぎを頼まれました。親父はまだ健在でしたが、わしにやってみろと言って、わしが任されました。今でも思い出しますが、あんなに緊張したのは初めてでした。名刀には魂が籠もっていると言われていますが、まさしく、その通りです。わしは親父に腕を認めてもらおうと張り切っていましたが、なぜか、あの刀を研ぐ事ができなかったのです。いくら研ごうと思っても刀はびくとも動きません。親父に言ったら、それを乗り越えなければ、お前は一流にはなれんと言われ、助言もしてくれませんでした。わしと宝刀との格闘が始まりました。わしは心身を清めて、取り組みましたが、宝刀は動いてくれません。悪戦苦闘の末、ようやく、わしにはわかりました。親父に認められたいとか、有名になりたいとか、そんな欲を持っていたら、名刀を研ぐ事なんてできないという事がわかったのです。わしは何もかも忘れて、無心になりました。無心になるのも苦労しましたが、宝刀を研ぐ事ができたのです。研ぎ上がった刀を見て、親父が初めて、わしを褒めてくれましたよ」
 浦添グスクにそんな宝刀があったのか、トゥイには記憶がなかった。覚えているのは父がヤマトゥから持って来た『御神刀(ぐしんとう)』だけだった。
「『千代金丸』の小太刀と短刀はどうなったのですか」とトゥイは聞いた。
「もう亡くなってしまいましたが、志慶真(しじま)の長老という物知りがいました。父がその長老から聞いた話では、湧川按司が残した記録に、小太刀は湧川按司の弟の島尻大里按司(しまじりうふざとぅあじ)に贈って、短刀は玉グスクに嫁いだ娘に贈ったと書いてあったようです。今も島尻大里グスクと玉グスクに、それらがあるかどうかはわからないようです」
 島尻大里グスクに小太刀がない事は確かだった。島尻大里グスクにあるのは、父が義父の汪英紫に贈った『御神刀』だった。
 汪英紫が八重瀬(えーじ)グスクを攻め落とした時、父は汪英紫と同盟を結び、その御神刀を汪英紫に贈った。当時、八歳だったトゥイは、どうして大切な刀を贈るのかと父に聞いた。父は笑って、お前は八重瀬にお嫁に行く。お前を守るために八重瀬に贈ったと言った。八重瀬グスクに飾られた御神刀は、汪英紫が島添大里按司(しましいうふざとぅあじ)になると、島添大里グスクに移り、山南王になると島尻大里グスクに移った。前回の戦の時、タブチ(シタルーの兄、先々代八重瀬按司)や摩文仁(まぶい)(先々代米須按司)に奪われる事もなく、今も島尻大里グスクにあった。
「『千代金丸』の小太刀と短刀が今、どこにあるのかわからんが、いつか、必ず出て来るじゃろう。わしが生きているうちに出会えたら、研いでみたいものじゃ」とミヌキチは笑った。
 次の日、『まるずや』で手に入れた高級な着物を着て着飾ったトゥイは、護衛のサムレーに扮したサタルーとクジルー、侍女に扮したナーサとマユミ、マアサと女子サムレーたちを連れて、ミヌキチの娘婿、兼次大主の屋敷を訪ねた。案内してくれたのはミヌキチの孫娘のウトゥミだった。
 ウトゥミは今朝、マアサたちが剣術の稽古をしているのを見て憧れた。以前、ウトゥミは山北王の娘のマナビーに憧れていた頃があった。弓矢を背負って馬を乗り回しているマナビーを見て、マナビーの家来(けらい)になりたいと思った。でも、マナビーは南部に嫁いで行ってしまい、武芸をする娘はいなくなって、ウトゥミも夢は諦めた。家業を継いで研ぎ師になろうとしたら、女は研ぎ師にはなれないと父に言われた。女はお嫁に行くしかないのかと諦めていた時、マアサたちの剣術を見たウトゥミは、わたしも剣術を習いたいと強く思っていた。
 兼次大主は建てたばかりの新しい屋敷に住んでいた。三十歳前後の背の高い男前で、マユミはうっとりしながら見つめていた。ナーサが気づいて、しっかりしなさいというように、マユミの着物の袖を引いた。
 ミヌキチが事情を説明してくれたとみえて、挨拶を済ますと、兼次大主はすぐにグスクへと案内した。
 昨日、『まるずや』に行く時も見たが、今帰仁グスクは思っていた以上に立派なグスクだった。石垣は高く、島尻大里グスクよりも、首里グスクよりも大きくて堂々としていた。今帰仁合戦の時、総大将だった兄(武寧)は一千の兵で今帰仁グスクを攻めたが、攻め落とす事はできなかった。たとえ、二千人の兵がいたとしても、攻め落とす事はできないだろうとトゥイは思った。
 兼次大主のお陰で、何の問題もなく大御門(うふうじょー)(正門)からグスク内に入れた。そこは外曲輪(ふかくるわ)だった。外曲輪の広さにトゥイたちは驚いた。これだけ広ければ、城下に住む人たちが全員、逃げ込めるだろう。サタルーとクジルーは今帰仁グスクに入れた幸運に感謝して、その景色を瞼(まぶた)に焼き付けようと、「凄いなあ」と言いながら注意深く観察していた。
 右の奥の方に屋敷がいくつか建っていた。サムレーたちの屋敷だろうとサタルーは思ったが、よく見ると庭園が付いている屋敷もあって、お客様を宿泊させる施設かなと思った。
 サタルーの視線に気づいたのか、
「あの屋敷には南部から戻って来られた王様(うしゅがなしめー)の叔母様が暮らしております。ナーサ様が連れて来てくれたのでしたね」と兼次大主は言った。
「マアミ様があそこで暮らしているのですか」とナーサは屋敷を見た。
「越来按司(ぐいくあじ)に嫁いでいたので、越来様と呼ばれております。越来様が嫁いだ時、王様は生まれたばかりだったので覚えておりませんが、姉の勢理客(じっちゃく)ヌル様は越来様との再会を大層、お喜びでした。越来グスクが今の中山王に奪われた時、戦死してしまったと思っていたそうです。二人は泣きながら幼い頃の話をしておられました。南部に戻ってしまった娘と孫の事を心配しています。もし、娘の事を御存じでしたら知らせてあげて下さい」
 ナーサはうなづいて、「トゥイ様の用が済んだら、御挨拶に伺います」と言った。
「わたし、マアミさんの事、覚えているわ」とトゥイが言った。
「フシムイ兄さんはその頃、浦添にいて、わたしがシタルーに嫁いだ翌年、越来按司になって越来に行ったのよ。わたしも会いたいわ。あとで御挨拶に行きましょう」
 今帰仁合戦の時は大御門だった中御門(なかうじょう)を抜けて中曲輪に入ると坂道が続いた。
 しばらく行くと右側に大きな屋敷があって、
「ここは客殿です。ここに滞在していただく事になると思います」と兼次大主が言った。
 トゥイは驚いた。グスク内に滞在するつもりはなかった。しかし、ここは山北王のグスクだった。成り行きに任せるしかないと思った。
 客殿の先で道は二つに分かれ、兼次大主は左に曲がった。森を抜けると庭に出て、高い石垣を背に屋敷が建っていた。その一画は高い石垣に囲まれていて、景色は見えず、空しか見えなかった。何となく息苦しく感じた。
 その屋敷で、山北王の若按司と婚約したママチーは母親のチヨと一緒に暮らしていた。チヨと一緒に奥間から浦添に来た侍女も一緒にいたので、トゥイは安心した。
 チヨはトゥイを見て、目を丸くして驚いた。山南王妃が今帰仁グスクに来るなんて、夢でも見ているのだろうかと思った。
 トゥイは笑って、「元気そうなので安心したわ」とチヨに言った。
 屋敷からママチーが顔を出して、「王妃様(うふぃー)」と言って丁寧に頭を下げた。
 四年振りに見るママチーは可愛い娘になっていた。綺麗な着物を着ていて、髪飾りも可愛かった。ママチーは大切に育てられているようだった。
「あら、ママチー、綺麗な娘さんになったわね。会えて嬉しいわ」とトゥイが言うと、ママチーは恥ずかしそうに笑って、
「王妃様も相変わらずお美しく、お元気そうなので安心いたしました。王様がお亡くなりになられて、南部で戦が起こったと聞いた時は、母と一緒に王妃様の事を心配しておりました」と言った。
「まあ、ママチーったら、すっかり大人になったのね」とトゥイはチヨを見て笑った。
 トゥイとナーサは縁側に座って、チヨの話を聞いた。侍女に扮したマユミとマアサたちはしゃがんで控え、サタルーとクジルーは立ったまま控えた。兼次大主が見ているので、それらしい演技をしなければならなかった。
「あなたはナーサを知らないわね?」とトゥイはチヨに聞いた。
「えっ、ナーサ様!」と言ってチヨはナーサを見て、頭を下げた。
「お噂はよく存じております。わたしは側室になるための修行を積みましたが、縁に恵まれず、十八になってしまいました。それで、侍女になるための修行を始めて、浦添グスクで侍女たちを束ねているナーサ様は侍女の鑑(かがみ)だと教わりました。わたしたちはナーサ様を手本として侍女になるための修行を積んだのです」
「そうだったの。でも、侍女にはならなかったわね」とナーサが言った。
「その年、南部で戦が起こって、豊見(とぅゆみ)グスク按司様(シタルー)が山南王になりました。それで、急遽、わたしが選ばれて島尻大里に行く事になったのです。その時、一緒に行ったのが浦添の若按司の側室になったユリでした。ユリが生きているのか御存じでしょうか。ずっと、気になっているのです」
「ユリは元気ですよ。娘のマキクちゃんと一緒に島添大里にいるわ」とナーサは教えた。
「えっ、本当ですか」とチヨは驚いた。
 浦添グスクが炎上した時、亡くなってしまったのだろうと思っていた。
「よかった」と言ってチヨは嬉しそうに笑った。知らずに涙がこぼれ落ちてきた。
「ユリの父親は中山王の水軍大将の日向大親(ひゅうがうふや)様なのよ。それで助け出されて、娘と一緒に佐敷で暮らしていたの。今はお祭り奉行(うまちーぶぎょう)を務めていて、中山王の領内で行なわれるお祭りを取り仕切っているのよ。この間の馬天浜のお祭りは凄かったわ」
「ユリがお祭り奉行‥‥‥」
 そう言ってチヨは笑った。
「ユリは笛が上手だったから、お祭り奉行はぴったりですね」
「今、あなたたちが暮らす新居を島尻大里グスク内に建てているわ。もう少し、ここで我慢していてね」とトゥイは言った。
「戻れるのは嬉しいのですけど、山北王は無理な事を言ったのでしょう。大丈夫なのですか」
 トゥイは苦笑して、「従うしかないわ」と言った。
 山北王は、若按司のミンを婿として迎え、山南王の世子(せいし)にしろと言ったのだった。自分の跡継ぎである若按司を山南王にしようと考えるなんて、山北王は並の男ではないようだ。姪のマアサと会えば、山北王も出て来るだろう。どんな男なのか、会うのが恐ろしくもあった。
「若按司はここに来るの?」とトゥイはチヨに聞いた。
「毎朝、この下にある三の曲輪で弓矢のお稽古をするのですが、その帰りに寄って、ママチーとお話をして帰ります。お互いに相手が好きなようなので安心しております」
「そう。よかったわ」
 チヨとママチーと別れて、トゥイたちは二の曲輪に入った。広い庭の両側に細長い屋敷があって、正面の石垣の上に、華麗な御殿(うどぅん)が建っていた。
 トゥイもサタルーもクジルーもマアサも女子サムレーたちも呆然として、その眺めを見ていた。首里グスクを知っているサタルーは、首里グスクにそっくりだと思い、トゥイは島尻大里グスクと比べて、ずっと豪華だと思っていた。
 王妃のマアサが出て来て、「お久し振りです」とトゥイに挨拶をして、ナーサを見て笑った。
 去年、小渡(うる)ヌル(久高ヌル)と母親のマアミを連れて来たナーサは、今帰仁グスクの大御門でマアサを呼んでくれと頼んでも呼んではもらえなかった。マアサは山北王妃だった。怪しい奴に会わせるわけには行かんと言われた。姉の勢理客ヌルは城下にはいなかった。弟の前与論按司(ゆんぬあじ)が城下にいる事がわかって、前与論按司によってマアミが姉である事が証明されてグスクに入る事ができ、ナーサはマアサとの再会を喜んだのだった。
 浦添の御内原(うーちばる)で育ったマアサにとって、ナーサは母親のような存在だった。マアサはナーサの顔を見た途端、涙が溢れ出して来て止める事はできなかった。知っている人もいないヤンバル(琉球北部)に嫁いで来て、どんなに苦しくても泣かずに耐えてきた今までの事が思い出されて、母親に甘えるようにマアサは泣いていた。
 二の曲輪内の屋敷でトゥイはマアサとの再会を喜んだ。
「叔母様がここまで来るなんて驚きましたよ」とマアサは笑った。
「もう王妃は引退しましたからね。これからは旅をして暮らそうと思っているのよ」
「叔母様の名前はトゥイ(鳥)ですものね。どこにでも飛んで行けるわ」
「そうなのよ。山南王妃の時は飛び立つ事はできなかったけど、その分、色々な所に行ってみるつもりよ。今回はナーサの里帰りに付いて来たんだけど、ヤンバルまで来たのだから、あなたに会って行こうと思ったのよ。会えてよかったわ。山北王の若按司に嫁いだのだから、山北王妃になるのは当然だけど、会うまでは実感がなかったわ。会ってみて、あなたは王妃なんだってわかったわ。わたしも経験済みだけど、王妃は大変よ。よく頑張って来たわね」
 叔母からそう言われて、マアサはまた目が潤んで来ていた。マアサは涙を拭いて無理に笑うと、「妹のマジニ(浦添ヌル)もいたんだけど、奄美大島(あまみうふしま)に行ってしまいました」と言った。
「えっ、奄美大島? どうして、そんな島に行ったの?」
「あの子は父の敵が討ちたかったのです。でも、王様は中山王と同盟を結んでしまいました。ここにいても敵討ちはできないって悟って出て行ったようです」
「何もそんな島まで行かなくてもいいのに」
「大丈夫ですよ。あの子は強いから、敵討ちの事も乗り越えて帰って来ますよ。それより、マティルマ叔母様が今、今帰仁にいるのですよ」
「えっ、マティルマ姉さんがここにいるの?」
 トゥイのすぐ上の姉、マティルマは永良部島(いらぶじま)(沖永良部島)に嫁いで、以後、何の音沙汰もなかった。まさか、今帰仁で会えるなんて思ってもいない事だった。
「一昨年(おととし)に夫の永良部按司が亡くなって、その年の暮れに息子と一緒に今帰仁に来ました。息子は夏に帰ったんですけど、マティルマ叔母様は残ったのです。今は外曲輪のお屋敷で、マアミ叔母様と一緒に暮らしているわ」
「えっ? マティルマ姉さんが、マアミ姉さんと一緒にいるの?」
「二人は同じ境遇だったから気が会うみたいです」とマアサは笑った。
 ナーサもマティルマとマアミが一緒に暮らしていると聞いて驚いた。そして、当時の事を思い出していた。
 明国と朝貢(ちょうこう)を始めた察度(さとぅ)(先々代中山王)は、硫黄(いおう)が採れる鳥島(とぅいしま)(硫黄鳥島)を確保するために、永良部島を奪い取った今帰仁按司(帕尼芝)と同盟を結んだ。その年の暮れに、今帰仁からマアミが浦添に嫁いで来た。ナーサはヤンバル訛りのあるマアミの言葉の指導を命じられた。翌年の夏、永良部島に嫁ぐ事になるマティルマは同じ境遇のマアミに興味を持って、ナーサに会わせてくれと頼んだ。ナーサは二人を会わせた。二人は同じ年齢だったので、すぐに仲よくなった。マティルマはマアミから今帰仁の事や永良部島の事を色々と聞いた。半年後、二人は別れた。そして、今、一緒に暮らしているなんて、余程、気が合ったのだろうと思った。
 奥間から山北王に贈られた側室、ミサの案内で、トゥイたちは外曲輪の屋敷に向かった。
 垣根に囲まれた庭に入ると、二人の女が縁側で、楽しそうに話をしながら芭蕉(ばしょう)の糸を紡いでいた。
「お姉様」とトゥイが声を掛けると二人はトゥイを見た。
 怪訝(けげん)な顔をしていた二人だが、やがて驚いた顔になって、「トゥイなの?」とマティルマが聞いた。
 トゥイは二人を見ながらうなづいた。マティルマもマアミも四十年前の面影が残っていた。
 マアミが浦添に嫁いで来た時、十三歳だったトゥイは、マティルマと一緒に兄のフシムイの新居を訪ねて、マアミと会った。マアミからヤンバルの話を聞くのが楽しみだった。マアミはトゥイが嫁いだ時も浦添グスクにいて、翌年、越来に移って行った。
 マティルマはトゥイのすぐ上の姉で、トゥイが物心付いた頃、マティルマよりも上の姉たちは嫁いで行ってしまって、御内原にはいなかった。マティルマは察度の正妻だったマナビーの娘で、正妻はマティルマが三歳の時に亡くなってしまった。マティルマは、察度の後妻になったトゥイの母親に引き取られて、トゥイと一緒に育った。何人もいる兄弟の中で、トゥイとマティルマは一番、仲がよく、いつも一緒にいた。
 マティルマは永良部島に嫁ぐ時、
「わたしは遠い島に嫁ぐけど、あなたも大変よ。父は八重瀬按司(えーじあじ)(汪英紫)を気に入っているみたいだけど、八重瀬按司は奸計(かんけい)を巡らす男らしいから、その息子に嫁ぐ、あなたは苦労するわ。決してくじけないで頑張るのよ」とトゥイに言った。
 あの時の事が、昨日の事のように思い出されて、トゥイの目は潤んで、何も見えなくなった。

 

 

 

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2-175.トゥイの旅立ち(改訂決定稿)

 三姉妹の船に乗って、ヂャンサンフォン(張三豊)は山グスクヌル(先代サスカサ)と一緒に琉球を去って行った。二階堂右馬助(にかいどううまのすけ)も一緒だった。
 右馬助は馬天浜(ばてぃんはま)のお祭りに大里(うふざとぅ)ヌルと一緒に久高島(くだかじま)からやって来て、
「けじめは付けました。一緒に連れて行ってください」とヂャンサンフォンに言った。
 大里ヌルも別れる覚悟を決めたらしく、笑顔で右馬助を見送っていた。
 八月の十五夜(じゅうぐや)に出会い、十月の十五日に別れた、二か月の恋だった。
 一緒に来た久高ヌル(前小渡ヌル)が、「本当にこれでよかったの?」と聞くと、大里ヌルは無理に笑ってうなづいた。
「もっと早く出会えたらよかったのにね」と久高ヌルが言うと、大里ヌルは首を振って、
「二か月でも充分ですよ」と微笑んだ。
 右馬助が琉球に来たのは四年前の暮れだった。右馬助が琉球に来て半年くらい経った頃、久高ヌルは運玉森(うんたまむい)で会っていた。
 八重瀬(えーじ)の若ヌルのミカからヂャンサンフォンの事を聞いた久高ヌルは、運玉森に登ってヂャンサンフォンを訪ねた。『宇久真(うくま)』の女将(おかみ)のナーサと遊女(じゅり)のマユミと一緒に修行をしている時、髪も髭も伸び放題で、何かに取り憑かれたかのように、一心不乱に木剣を振っている右馬助を見た。まるで獣(けもの)のようだと思った。女なんか一切興味ないといった男が大里ヌルに惚れるなんて、まったく意外な事だった。
 大里ヌルと一緒に久高島に来た時は、髪も整えて、髭も剃って、あの時とは別人のようだった。大里ヌルから運玉森の右馬助だと紹介されても、あの獣と同一人物とは信じられなかった。久高島にいた時は武芸の事などすっかり忘れたかのように、木剣すら握らなかった。大里ヌルが好きでたまらないというように、いつも一緒にいて、愛想もよく、島人(しまんちゅ)に頼まれると何でもやっていた。変われば変わるものだと感心したが、やはり、女よりも武芸を選んだようだった。
 旧港(ジゥガン)(パレンバン)の船もジャワ(インドネシア)の船も帰ってしまい、浮島は急に閑散となってしまった。サハチ(中山王世子、島添大里按司)は二人を促して島添大里(しましいうふざとぅ)へと帰った。
 それから六日後、首里(すい)の遊女屋(じゅりぬやー)『宇久真』に馬に乗った旅支度の女たちが訪ねていた。先代山南王妃(さんなんおうひ)のトゥイと三人の女子(いなぐ)サムレーを率いたマアサだった。シタルー(先代山南王)の一周忌を済ませたトゥイは、ナーサと約束していた旅に出た。ナーサとマユミと一緒に、馬に乗って奥間(うくま)を目指した。
 トゥイの初めての旅だった。お嫁に行く前、叔父(泰期)が始めた宇座(うーじゃ)の牧場に行った事があるが、お輿(こし)に乗っていて、景色もろくに楽しめず、旅とは言えなかった。トゥイは馬に揺られながら景色を楽しみ、心は娘に戻ったかのようにウキウキしていた。
 途中、勝連(かちりん)の浜川泊(はまかーどぅまい)に寄った。今の時期、ヤマトゥ(日本)の船はいないので、港は閑散としていた。
 ナーサとマユミは野の花を摘んで、波打ち際に置いた。花は波に流されて散って行った。
 ナーサとマユミはしゃがんで両手を合わせた。
「ここで娘が亡くなったのです」とナーサはトゥイに言った。
「えっ?」とトゥイはナーサを見た。
 ナーサに娘がいたなんて知らなかった。浦添(うらしい)グスクに来る前に産んだのだろうか。しかし、どうしてこんな所で亡くなるのだろう。
「先代の中山王(ちゅうざんおう)(武寧)の長女のウニョンを覚えているかしら」とナーサは言った。
 兄の最初の子供、ウニョンが生まれたのは、トゥイが嫁ぐ前なので、よく覚えていた。兄の妻は八重瀬に里帰りして、ウニョンを産んで戻って来た。
「今だから言うけど、ウニョンはわたしが産んだ娘だったのです」
「えっ!」とトゥイは驚いた。
「その事がばれないように、里帰りしたのです。ウニョンは勝連按司の三男に嫁いで、とても幸せそうでした。ミヨンという娘も生まれて、お腹の中には赤ん坊もいたのに殺されてしまったのです」
 勝連に嫁いだウニョンは高麗(こーれー)の山賊に殺されたと聞いている。確か、ウニョンの夫は今帰仁合戦(なきじんかっせん)の時、水軍として活躍して有名になった。浜川大親(はまかーうふや)という名前で、父(察度)が褒めていたのをトゥイは思い出した。
「トゥイの夫は生き延びました」とナーサは言った。
「あなたも知っていると思うけど、島添大里按司様に仕えている三星大親(みちぶしうふや)様ですよ」
「えっ!」とトゥイはまた驚いた。
 三星大親は中山王の裏の組織『三星党(みちぶしとー)』の頭領だった。生前、シタルーが三星大親を殺そうとして、何度も失敗していた。三星大親は各地にある『まるずや』を拠点にして情報を集めていると聞いている。勝連按司の息子がどうして、佐敷と関係あるのか、トゥイにはわからなかった。
「ウニョンの夫だった三星大親が島添大里按司に仕えたので、ナーサも島添大里按司に仕えたの?」とトゥイはナーサに聞いた。
「それもあるけど、それだけではないのです。島添大里按司様は奥間と深いつながりがあるのです」
「奥間と? 奥間は父の祖父の生まれ故郷(うまりじま)だと聞いているけど、島添大里按司の先祖も奥間の出身なの?」
「出身は違います。でも、若い頃、島添大里按司様が奥間に来て、つながりができたのですよ」
 兄の武寧(ぶねい)がナーサと結ばれてウニョンが生まれたなんて信じられなかった。でも、ウニョンは美人だった。ナーサの娘だったとしたら納得できるが、自分が産んだ娘を娘と呼べずに育てていたナーサは、さぞ辛かっただろうとトゥイは思った。そして、兄の妻も辛かったに違いない。そんな事は何も知らなかった。
 その日は恩納岳(うんなだき)の山中にある木地屋(きじやー)の屋敷に泊まった。その木地屋も奥間の出身だと聞いてトゥイは驚いた。奥間は鍛冶屋(かんじゃー)の村だと聞いていた。各地にいる鍛冶屋は皆、奥間出身なので、大切にしなければならないと父が言っていたのをトゥイは覚えていた。叔父の宇座の御隠居(うーじゃぬぐいんちゅ)は、小禄(うるく)で鍛冶屋の神様として祀られていた。
 木地屋の親方、タキチはトゥイが山南王妃だったと聞いて驚いた。
「わたしが浦添グスクに侍女として入った時、トゥイ様は九歳でした。幼い頃から聡明な子で、わたしは兄のフニムイ様(武寧)ではなく、トゥイ様が跡を継いだら、中山王も安泰だろうと思っていましたよ。察度(さとぅ)様もトゥイ様を大変可愛がっておられました」
 タキチは山海の料理でもてなしてくれ、ヤマトゥのお酒も用意してくれた。恩納の城下に『まるずや』ができて、ヤマトゥのお酒も簡単に手に入るようになったとタキチは嬉しそうに言った。
 トゥイも久し振りにお酒を飲んで、ナーサから奥間の事を聞いた。
 四百年ほど前にヤマトゥからやって来た鍛冶屋の集団が奥間に住み着いて村を造ったという。鍛冶屋を率いて来た親方はアカマル様といって、今、アカマルのウタキ(御嶽)に祀られている。やがて、各地に按司が出現して、戦世(いくさゆ)になると、奥間は村を守るために、美しい娘を側室として実力のある按司のもとへ贈るようになる。奥間美人(うくまちゅらー)を側室に迎えた按司は、領内の鍛冶屋を保護してくれた。
「わたしも側室として贈られるはずだったのですよ」とナーサは笑いながら言った。
「でも、色々とあって側室にはなれず、八重瀬按司(えーじあじ)(汪英紫)に仕える事になったのです」
 奥間の長老の息子だった奥間之子(うくまぬしぃ)は浦添按司(英慈)にサムレーとして仕え、若按司を守るサムレーになった。浦添按司が亡くなると家督争いの戦が始まって、若按司は戦死してしまう。奥間之子は若按司の娘を助けて逃げ、その娘と奥間之子の息子が結ばれて察度が生まれた。察度は祖父の敵(かたき)を討って、浦添グスクを奪い取り、浦添按司になった。察度は奥間の長老の息子を重臣に迎えて、奥間村も保護した。察度は村のために鉄屑を送ってくれたので、奥間村は豊かになった。
 トゥイは奥間大親(うくまうふや)という重臣を覚えていた。父とよく内密な事を話していた。きっと、奥間大親は奥間の人たちを使って各地の情報を集めていたのだろう。トゥイが嫁いだシタルーの父(汪英紫)も、奥間大親という重臣を使って情報を集めていた。シタルーは奥間の者は使わず、石屋を使っていた。玻名(はな)グスクを奪い取った今の中山王(思紹)は、奥間大親を玻名グスク按司に任命したと聞いている。今の中山王が奥間の人たちを大切にしているのは確かだった。
「察度様が生きているうちはいいけど、その後が心配だったようです。跡を継ぐフニムイ様は奥間の事など何も知りません。奥間に来た事もありません。奥間を保護してくれるとは思えなかったのです。察度様の死後の実力者を探さなければなりませんでした。そんな時、島添大里按司様が、ヤマトゥの山伏に連れられて奥間に来ました。まだ十六歳の若者で、その時は何も起こらず、島添大里按司様は一月ほど滞在して、佐敷に帰って行きました」
 サハチはシタルーより十歳年下なので、その頃、二十六歳のシタルーは大(うふ)グスク按司だった。トゥイが大グスクにいた時、サハチは奥間に行ったようだ。そういえば、佐敷にクマヌという山伏がいたのをトゥイは思い出した。サハチはクマヌと一緒に奥間に行ったに違いない。
「十月十日が経って、島添大里按司様と仲よくなった娘が息子を産みました。その時、奥間の若ヌルが神様のお告げを聞いたのです。『龍の子が生まれた』というお告げです。奥間ヌルは若ヌルの話を聞いて、島添大里按司こそ、察度様の死後、奥間村を守ってくれる人だと悟ったのです。生まれた息子を母親から離して、長老様のもとで育てました。それが今の若様です。やがては長老を継ぐ事になります」
「何ですって、サハチの息子が奥間の長老になるの?」
 ナーサはうなづいた。
「サハチ様のお陰で、今の奥間は察度様の時以上に栄えています。村自体は昔とあまり変わりませんが、各地にいる者たちの数は、かなり増えました。昔は次男、三男に生まれた者たちは父親の跡を継ぐ事もできず、村にくすぶっていましたが、今では、次男、三男でも活躍する場所がいくらでもあるのです」
 ナーサが言う『龍の子』が生まれたのは、サハチが佐敷の若按司の頃だった。島添大里グスクに義父(汪英紫)がいて、大グスクにシタルーがいて、佐敷グスクなんか、いつでもつぶせる状況だった。そんな状況下にいるサハチに、村の行く末を託すなんて、奥間ヌルは先に起こる事が見えたのだろうか。トゥイには理解できなかった。
 翌日、朝早くに出発して、恩納岳から金武(きん)の城下を通って北上した。
「この辺りもすっかり変わりましたよ」と馬上でナーサがトゥイに言った。
「金武にグスクができてから、金武から名護(なぐ)に行く道ができました。それまでは、川にも橋がなくて、上流までさかのぼって行かなければならなかったのです。奥間に行くのも一苦労だったけど、大分、楽になったのですよ」
 途中、険しい場所もいくつかあったが、馬に乗ったまま、名護岳の山中にある木地屋の屋敷に着いた。
 白髪頭の木地屋の親方のユシチは、
「今年もいらっしゃいましたな」と言って歓迎してくれた。
「わたしが最初に好きになった人なのよ」とナーサはユシチを見て笑った。
 その夜、ナーサはユシチとの事を話してくれた。
 子供の頃から綺麗な顔立ちをしていたナーサは、有力な按司のもとへ贈る側室として育てるために、十歳の時に木地屋の親方の屋敷に移った。ユシチは親方の次男で、ナーサより二つ年上だった。ナーサはユシチたちとは別棟で暮らしていたが、同じ敷地内で暮らしているので、何度も顔を合わせて、言葉も交わし、ユシチはナーサに惹かれていった。十五歳になったナーサは村一番の美女と言われるほどの美しい娘に育った。ナーサを側室に迎える按司は果報者だと村の人たちは噂をした。
 ナーサに手を出したら大変な事になるとわかってはいても、ナーサを思う気持ちを抑える事はできず、ユシチはナーサの屋敷に忍び込んだ。その時、ナーサは泣いていて、ユシチを見て驚いたが、「わたしを連れて、どこかに逃げて」と言った。
 ナーサもユシチを好きになっていた気持ちを抑える事ができず、一人で悲しんでいたのだった。二人は結ばれて、その後も隠れて会っていた。ナーサは一緒に逃げようと言うが、ユシチは逃げ切れる事はできないと思っていた。各地にいる木地屋や鍛冶屋が動けば、どこに逃げても見つかってしまうだろう。逃げるとすれば、小舟(さぶに)に乗って、どこか遠くの島に行くしかない。ユシチには小舟に乗って海に逃げる度胸はなかった。
 やがて、二人の関係はばれて、二人は切り離された。ユシチは名護の親方の婿養子となって名護に行くが、ナーサには知らされなかった。お前を傷物にしたユシチは村から逃げて行ったとユシチの父親から言われ、どうして、一緒に連れて行ってくれなかったのかとナーサはユシチを恨んだ。妊娠していたナーサはユシチの事を思い悩んだ末に流産してしまう。ナーサは叔父に連れられて八重瀬に行き、以後、二人が会う事はなかった。
 八重瀬按司(タブチ)に使えていた叔父が亡くなって、解放されたナーサは三十七年振りに里帰りをした。奥間に帰る途中、名護岳の木地屋の親方を訪ねて、そこでユシチと再会したのだった。お互いに年を取ってしまったが、会った途端に相手がわかった。二人は話し合って誤解を解き、三十七年前に戻ったかのように再会を喜んだ。最近は毎年のように里帰りをしていて、名護でユシチと会うのもナーサの楽しみの一つだった。
「この人はずっと、悪者になっていたのよ」とナーサは言った。
「わたしはユシチに無理やり犯されたという話になっていたの。わたしも逃げて行ったユシチを恨んで、そう思うようにしていたわ。ユシチはわたしが妊娠した事も知らなかったのよ。名護の親方の娘と一緒になって、親方を継いだけど、父親が亡くなるまで、奥間には帰れなかったらしいわ」
「もう昔の話はいい。最近の首里の話でも聞かせてくれ」とユシチは言った。
 トゥイはユシチに寄り添うように座っているナーサを見ながら、長年連れ添ってきた夫婦のようだと思っていた。
 次の日、トゥイたちは庶民の格好に着替えた。女が馬に乗ってうろうろしていれば怪しまれて、捕まってしまうかもしれなかった。ユシチに馬を預けて、徒歩で名護に向かった。
 ずっと続いている名護の白い砂浜を見て、トゥイは思わず喊声(かんせい)を上げた。素晴らしい景色を眺めながら、旅に出てよかったと実感していた。
 名護から羽地(はにじ)へと行く道は広く、荷物を背負った人たちが行き来していた。羽地を過ぎるとまた細い山道に入った。塩屋湾で道はなくなって、ナーサの知り合いのウミンチュ(漁師)の小舟に乗って塩屋湾を渡った。海辺を歩いたり山の中に入ったりして、日暮れ前にようやく、奥間に到着した。どこにでもありそうな山に囲まれた小さな村だった。
「六十を過ぎると急に体が衰えるわ。サハチ様に頼んで、もっと平坦な道を造ってもらわなくちゃね」と言ってナーサは笑った。
 ナーサの案内で長老の屋敷に行くと、長老と奥間ヌルが出迎えた。
「お久し振りです。ヤザイムと申します」と長老が挨拶をした。
 トゥイは驚いて、「以前にお会いした事があったかしら?」と聞いた。
「トゥイ様が四歳の時、わしは妻を連れて浦添に行って、察度様に御挨拶いたしました」
「まあ、そうだったのですか」
 トゥイの記憶にはなかった。
「わしの妻はトゥイ様の姉なのです」
「何ですって!」
 五人の姉がいるが、奥間に嫁いだ姉はいなかった。
「奥間で生まれた娘です」とナーサが言った。
「察度様は浦添按司になられたあと、お礼のために奥間にいらっしゃいました。その時、仲よくなった娘が、察度様の娘を生んだのです。察度様がヤマトゥのサクラの花を懐かしがっておられたので、サクラと名付けられました。サクラ様は生まれた時から長老様の息子さんのヤザイム様と一緒になる事が決められました」
「姉のサクラさんは今でも健在なのですか」
 ナーサが屋敷の方を示した。縁側にかしこまっている女がいて、トゥイが見ると頭を下げた。トゥイは屋敷に近づいて、初めて見る姉に挨拶をした。
「ようこそ、いらしてくれました。あなた様の活躍はサタルーから聞いております。お辛かったでしょう。里帰りしたと思って、ゆっくりなさってください」
 トゥイは小声で、「サタルーって誰?」とナーサに聞いた。
「若様です。南部の戦(いくさ)に参加していたのです」
「奥間の人たちが戦に?」
「戦に勝つには、周りの状況を把握しなければなりません。サタルーたちが情報を集めていたのです。サタルーは先代の中山王(武寧)を倒す時の戦でも活躍しています」
「そうだったの」
「サタルー様の奥様はサクラ様の末の娘です。トゥイ様の姪ですよ」
「えっ、すると若様は義理の甥ということね」
 父、察度の孫娘とサハチの息子が奥間で結ばれていたなんて、何という事だろう。山南王妃として、周りの状況はすべて把握していたつもりでいたが、今回の旅で、知らない事ばかりに出会っていた。
 トゥイとナーサは長老の屋敷に上がって、お茶を御馳走になった。マアサは女子サムレーたちを連れて、マユミの案内で村内を見て回った。
「『龍の子が生まれた』という神様のお告げを聞いたのはあなたですね?」とトゥイは奥間ヌルに聞いた。
「わたしが初めて聞いた神様の言葉がそれでした。わたしは慌てて、先代の奥間ヌルに告げました。先代は驚いていましたが、御先祖様のウタキに行って、お祈りを捧げると、サタルーを母親から奪って、サクラ様に育てるように命じたのです」
「あの時は驚きましたよ」とサクラが言った。
「育てろと言われても、末の娘は五歳になっていて、もう乳も出ないし。ヌル様は乳の事は心配するなと言いました。サタルーはみんなから乳をもらって育ったのです。わたしはサタルーの母親になるのかと思っていたら、そうではなくて、サタルーの嫁を産めとヌル様は言ったのです。当時、わたしは三十七になっていました。これから子供を授かる事なんてできるのかと思いましたが、翌年、リイが生まれたのです。サタルーとリイは一緒に育って、年頃になって一緒になりました」
「サタルーは両親の事を知っているのですか」
「父親が佐敷按司だという事は物心ついた頃に教えました。母親はサタルーを産んですぐに亡くなったと言ってあります」
「母親は今でも生きているのですか」
「わかりません」とサクラは言った。
「先代の奥間ヌル様が、どこかに嫁がせたようです。わたしにも嫁ぎ先は教えてくれませんでした。今、どこにいるのか、誰にもわかりません」
「そうなの」と言って、トゥイは奥間ヌルを見た。
 先代の奥間ヌルは随分と強引な人だったらしい。目の前にいる奥間ヌルは神秘的な目をしていて、シジの高い神人(かみんちゅ)のようだった。『龍の子』だと言ってサタルーを大切に育て、サタルーの父、サハチは中山王を倒している。若ヌルの時に聞いた神様のお告げが、現実となって、この村を守ってきていた。
「先代の奥間ヌル様はあなたのお母さんだったのね」とトゥイが聞いたら、
「先代は祖母です」と奥間ヌルは言った。
「先代は娘を授かれず、息子が嫁をもらってわたしが生まれたのです」
「奥間ヌルの父親は十七の時にヤマトゥ旅に出たのですよ」とナーサが言った。
「クタルーさんは具足師(ぐすくし)(鎧師)になるって言って、ヤマトゥに行ったのです」とサクラが言った。
「南部にヤマトゥ船が来ていると聞いて、そのお船に乗って行ったのです。確か、馬天浜じゃなかったかしら」
「それはいつの事なのですか」とトゥイは聞いた。
「あれはわたしが側室になるための修行をする前だから、九歳の時だと思うわ。五十年以上も前の事ですよ」とナーサが言って、
「わたしがお嫁に行く前だから、その頃ね」とサクラも言った。
 五十年前といえば、トゥイが生まれた頃だった。その頃、すでに、馬天浜でサミガー大主(うふぬし)が鮫皮(さみがー)を作っていたのだろうと思った。
「クタルーさんには好きな娘がいたのですよ」とサクラが言った。
「知っているわ。小禄按司(うるくあじ)様の娘のクダチさんでしょ」とナーサが言った。
小禄按司って、もしかして、宇座の御隠居様の事ですか」とトゥイは聞いた。
「そうですよ」とサクラが言った。
「クダチさんはわたしよりも三つ年上なので、クタルーさんが旅立つ時、十四歳だったわ。クタルーさんが帰って来るのを待っていると約束したみたい。クダチさんは九年も待ち続けたのよ」
「そんな事があったのですか」と奥間ヌルは驚いていた。
 母が父の帰りを九年も待っていたと聞いて、奥間ヌルはサハチが来るのをじっと待っていた自分を思い出した。奥間ヌルがサハチに初めて会ったのは十四歳だった。そして、再会したのは十七年後で、三十歳を過ぎていた。忍耐強いのは母親譲りだとしても、我ながら、よく待っていられたものだと感心した。
「二人は一緒になって、小禄に行ったのよ」とサクラは言った。
「具足師の腕を買われて、小禄の城下で、鎧(よろい)を作っていたの。弟子を育てて、七、八年後に戻って来たわ」
「もしかして、わたしは小禄で生まれたのですか」と奥間ヌルはサクラに聞いた。
「そうですよ。帰って来た時、三歳か四歳だったと思うわ」
 奥間ヌルは馬天ヌルと一緒に小禄に行った時、何となく懐かしい景色だと感じていた。幼い頃に過ごしていた記憶が微かに残っていたのかもしれないと思った。
「ご両親は健在なの?」とトゥイが聞くと、奥間ヌルは首を振った。
「五年前に父は亡くなって、翌年、あとを追うように母も亡くなりました」
「そうだったの」と言って奥間ヌルを見ていたトゥイは急に驚いた顔をした。
「あなたのお母さんが叔父の娘だという事は、わたしとあなたのお母さんは従姉妹(いとこ)という事ね。あなたは従姉の娘さんだったのね」
 初めて来た奥間に、姉と従姉がいたなんて思ってもいない事だった。そして、その子孫たちもいた。
 子供たちの声がして、振り返ると二十代の母親と四人の子供がいた。
「サタルーの妻のリイです」とサクラがトゥイに言って、「あなたの叔母さんですよ」とリイに言った。
 サクラがリイにトゥイの事を説明している時、年長の娘が奥間ヌルの隣りに来て、トゥイの顔をじっと見つめた。
「わたしの娘のミワです」と奥間ヌルはトゥイに娘を紹介した。
 ミワはトゥイに頭を下げると、子供たちの所に戻って、子供たちを連れてどこかに行った。変わった娘だとトゥイは思った。ミワに見つめられた時、心の中をすべて見られたような気がした。
「父親は誰なのか聞いてもいいかしら」とトゥイが聞くと、
「ヌルが結ばれるのはマレビト神だと言われています。出会った時、それはわかります。わたしは十四の時に、マレビト神と出会いましたが、その時は結ばれませんでした。それから十数年後、再会して、ミワを授かりました。今はまだ内緒にしておいた方がいいと思っています」
 トゥイは笑った。十数年後に再会したのなら、ヤマトゥのサムレーかもしれないと思った。そして、娘のマナビー(島尻大里ヌル)の事を思った。マナビーは三十を過ぎたのに、マレビト神に巡り会ってはいなかった。
 奥間ヌルの案内で、トゥイはナーサと一緒にサタルーに会いに行った。ヤマトゥ旅から帰って来たサタルーは焼き物(やちむん)に熱中しているという。
 細い山道を進んで行くと広場に出て、そこに穴窯(あながま)があった。山の斜面に穴を掘って作った窯だった。丁度、焼き上がった所か、穴の中から陶器を持って、若い男が出て来た。マアサたちも手伝っていた。
 若い男はナーサを見て笑うと、トゥイに頭を下げて、「いらっしゃいませ」と言った。
「サタルーです」とナーサがトゥイに言った。
「若様がどうして焼き物を焼いているのですか」とトゥイはサタルーに聞いた。
「明国の陶器やヤマトゥの陶器は高価過ぎて庶民の手に入りません。そこで、庶民のために焼き物を焼いて安く売ろうと考えたのです。思っていたよりも難しくて、失敗ばかりしていますが、いつの日か、みんなが使える焼き物を焼くつもりです」
「そう」とトゥイは笑って、「いつ、ヤマトゥに行ったの?」と聞いた。
「一昨年(おととし)です。博多に行って、京都に行って、熊野にも行って来ました。楽しい旅でした」
「そう、よかったわね」とトゥイは笑って、
「ナーサもヤマトゥに行った事があるの?」と聞いた。
「ありませんよ」とナーサは首を振った。
「一緒に行ってみない?」とトゥイは言った。
「親父に頼めば、きっと、交易船に乗れますよ」とサタルーは言った。
「ヤマトゥ旅‥‥‥」とナーサは言って、「今まで考えた事もなかったけど、トゥイ様と一緒なら楽しそうね」と笑った。
「ササが一緒に行けば、御台所(みだいどころ)様とも会えますよ」とサタルーは言った。
「御台所様?」
将軍様の奥方様です。俺たちは御台所様と一緒に熊野参詣をしたのです」
「ササって馬天ヌルの娘さんでしょ。どうして、将軍様の奥方様と知り合いなの?」
 サタルーは首を傾げて、
「その辺の所はよく知りませんが、ササと御台所様はとても仲よしです。今年はササはヤマトゥに行かなかったので、御台所様も寂しがっていると思いますよ」と言った。
「あなたのお父さんも御台所様に会っているの?」
「会っていると思いますよ。将軍様に会ったと言いましたから。将軍様と会って、ヤマトゥとの交易が決まったのです」
 シタルーが首里グスクを奪い取ろうと策を練っていた頃、サハチはヤマトゥに行って将軍様と会っていた。中山王が毎年、ヤマトゥに船を出していたのは知っていたが、博多に行っているのだろうとシタルーは言った。向こうから来てくれるのに、わざわざ、こっちから船を出す必要はないと言っていたが、サハチが将軍様と会って、将軍様と交易をしていたなんて知らなかった。
 サハチはシタルーよりも一歩も二歩も先を進んでいたようだと気づいて、トゥイは溜め息を漏らした。

 

 

 

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2-174.さらばヂャンサンフォン(改訂決定稿)

 ヂャンサンフォン(張三豊)の送別の宴(うたげ)はやらなくても、三姉妹たち、旧港(ジゥガン)(パレンバン)のシーハイイェン(施海燕)たち、ジャワ(インドネシア)のスヒターたちの送別の宴はやらなければならなかった。
 サハチ(中山王世子、島添大里按司)は打ち合わせのために首里(すい)に行って、打ち合わせが終わったあと、ビンダキ(弁ヶ岳)に登った。ササ(運玉森ヌル)たちが船出してから一月近くが経ち、何となく気になっていた。ビンダキには南の島に行ったウムトゥ姫の母親がいるという。ヌルではないので、ウタキ(御嶽)に入って祈るわけではないが、ビンダキから南の海を見れば、少しは気持ちが落ち着くだろうと思った。
 山の頂上から海を眺めながら、ササたちの無事を祈って両手を合わせた。
「ササたちは大丈夫よ」とユンヌ姫の声が聞こえた。
 サハチは驚いて、目を開けると空を見上げた。
「ユンヌ姫様がどうして、ここにいるんだ?」とサハチは聞いた。
「お祖父(じい)様とお祖母(ばあ)様を送って来たのよ」
「えっ、スサノオの神様と豊玉姫(とよたまひめ)様が南の島(ふぇーぬしま)に行ったのか」
「そうなのよ」と言って、ユンヌ姫は簡単に経緯(いきさつ)を説明した。
「そんな事があったのか‥‥‥」と言ってから、「無事にミャーク(宮古島)に着けて、よかった」とサハチは一安心した。
「ミャークに帰れるのか」と聞いたら、スサノオが道を作ってくれたので大丈夫だと言った。
 サハチはユミの事を思い出して、
「ササたちは、苗代大親(なーしるうふや)と仲よくなったユミというヌルに会ったのか」と聞いた。
「まだ会っていないわ。今、イシャナギ島(石垣島)にいるから、クン島(西表島)に行ってからドゥナン島(与那国島)に行くわ」
「ユミさんはドゥナン島という島にいるのか」
「そうよ。娘のナーシルと一緒にね。ササたちにはまだ内緒にしているから、行ったら驚くでしょうね」
「娘はナーシルと言うのか」
武当拳(ウーダンけん)の名人よ。ササといい勝負じゃないかしら」
「ミャークからここまで、すぐに来られたので、また、ササたちの様子をお知らせに参ります」とアキシノが言った。
「随分と変わってしまったのね」と知らない声が言った。
「誰だ?」と聞くと、
「ウムトゥ姫の曽孫(ひまご)のアカナ姫よ」とユンヌ姫が紹介してくれた。
「あたし、初めて琉球に来たわ。よろしくね」とまた別の声が言った。
 ドゥナン島のメイヤ姫で、ウムトゥ姫の孫の孫だという。南の島にはウムトゥ姫の子孫が随分といるようだった。
 サハチはユンヌ姫とアキシノにお礼を言って、アカナ姫とメイヤ姫にササたちを守ってくださいとお願いした。
「サハチ、任せてちょうだい」とアカナ姫とメイヤ姫は声を揃えて言った。
 二人ともユンヌ姫に似て、調子のいいお姫様のようだった。
 十月十二日、首里の『会同館(かいどうかん)』で、三姉妹たち、シーハイイェンたち、スヒターたちの送別の宴が催された。ヂャンサンフォンも慈恩禅師(じおんぜんじ)と一緒に何食わぬ顔をしてやって来た。思紹(ししょう)(中山王)もサハチも何も知らないといった顔でヂャンサンフォンに接した。
 驚いた事にスヒターたちは、ササたちが無事にミャークに着いた事を知っていた。ラーマがユンヌ姫から聞いたという。ラーマは神様と話す事ができ、ササからユンヌ姫を紹介されたという。
按司様(あじぬめー)も御存じなんでしょう。ユンヌ姫様から按司様にも知らせたと聞きました」
 サハチは笑って、「ササたちは楽しい旅をしているようだ」と言った。
 旧港の使者もジャワの使者も言葉が通じないのでファイチ(懐機)に任せて、サハチはソンウェイ(松尾)とワカサ(若狭)の所に行った。二人は『報恩寺(ほうおんじ)』で、修行者たちに南蛮(なんばん)(東南アジア)の事や明国(みんこく)の海賊の事を講義していた。サハチも少しだけ聴いたが、実体験に基づく二人の話は興味深いものだった。修行者たちも真剣に聴いていて、評判もいいという。サハチが二人にお礼を言うと、
「まさか、わしが若い者たちに何かを教えるなんて、考えてもいなかった」とソンウェイは照れ臭そうに笑った。
「わしもじゃよ。倭寇(わこう)をやって、海賊もやっていたわしが、他人様(ひとさま)に物を教えるなんて思ってもいない事じゃった」
「そんな二人だからこそ、綺麗事だけでなく、実際の状況を教えられるのです。報恩寺の修行者たちは、やがて、使者になって南蛮の海に出掛ける事になります。お二人から聞いた話はきっと、役に立つはずです。修行者たちはお二人の話を聴くのを楽しみにしています。今度、来た時もお願いします」
「人に教えるとなると、わしらも色々な事を知らなければならん。今まで何気なく見ていた物も、しっかりとよく見なければならんという事に気づいたんじゃ。修行者たちの質問にしっかりと答えられるように、わしらも頑張るつもりじゃよ」とワカサが言うと、ソンウェイも、その通りじゃというようにうなづいた。
 二人の顔付きが、何となく、師範ぽくなっているような気がした。
 ソンウェイの妻のリンシァ(林霞)はヂャンサンフォンの指導を受けていたが、ヂャンサンフォンが一緒にムラカまで行く事はまだ知らないようだった。もう少し、ヂャンサンフォンから教わりたかったと悔しがっていた。
 シュミンジュン(徐鳴軍)は『慈恩寺(じおんじ)』で、修行者たちを鍛えていた。まだ師範が足らないので、慈恩禅師も助かっていた。
 リュウジャジン(劉嘉景)とジォンダオウェン(鄭道文)は苗代大親(サジルー)と話をしていた。ジォンダオウェンは何度も運天泊(うんてぃんどぅまい)に行っていたので、出会った時に琉球の言葉がしゃべれたが、リュウジャジンは話せなかった。それでも、琉球に来るようになってから七年が経って、リュウジャジンも今では普通に琉球の言葉をしゃべっていた。
 二人がヂャンサンフォンを連れて、琉球に来た時、二人はヂャンサンフォンの弟子になっていた。翌年もヂャンサンフォンの指導を受けようと楽しみにしていたら、ヂャンサンフォンはマチルギと一緒にヤマトゥ(日本)に行っていて、指導は受けられなかった。その時、二人は首里の武術道場を訪ねて、苗代大親と親しくなったらしい。リュウジャジンは苗代大親より二つ年下で、ジォンダオウェンは四つ年下だった。苗代大親は二人よりも強く、二人は苗代大親を師兄(シージォン)と認めて、琉球に滞在中、修行者たちを鍛えていた。
 翌年もヂャンサンフォンはサハチとヤマトゥ旅に出ていていなかった。二人は明国から持ってきた珍しい武器を披露して、修行者たちに喜ばれた。二人は苗代大親武当拳を身に付けている事を知っていた。若い頃、琉球に来た唐人(とーんちゅ)から習ったが、武当拳だとは知らなかったと苗代大親はごまかしていた。
 翌年もヂャンサンフォンは思紹と一緒に明国に行っていて、なかなか会う事ができなかった。
 三年前に来た時、ようやく、ヂャンサンフォンと出会えて指導を受けた。去年も出会え、今年も出会えて指導を受けたが、慈恩寺ができると、慈恩禅師を手伝ってやってくれとヂャンサンフォンに頼まれて、修行者を選ぶ試合の時から慈恩寺に来て慈恩禅師を手伝い、その後も修行者たちを鍛えていた。
 サハチはリュウジャジンとジォンダオウェンにお礼を言った。
「二人にわしが武当拳を習ったユミの事を話していたところじゃ」と苗代大親は言った。
「あの時は驚きましたよ」とジォンダオウェンが言った。
「修行者たちを連れて与那原(ゆなばる)から帰ってきたら、ヂャン師匠と苗代の兄貴が試合をしていて、わしらは驚いて声も出ませんでした。あんな凄い試合は滅多に見られません。修行者たちは息を殺して、二人の素早い動きを見つめていました。あの試合を見てから、修行者たちの目付きが変わりました。自分も速く、あの境地に到達したいと真剣になって修行に打ち込んでいます。わしも改めて、苗代の兄貴の強さを思い知りました」
「わしとしてはもっと早くに披露したかった。そしたら、わしが修行者たちに武当拳を教えられたんじゃ。今思えば、妻に隠れてユミに会ったのが間違いじゃった。ユミと会った翌年、姉の馬天(ばてぃん)ヌルが子を孕(はら)んだ。お腹が大きくなったのを隠す事はできないが、姉は堂々としていた。大きなお腹をして歩き回り、人から聞かれると、嬉しそうにマレビト神の子よと言っていた。誰もがマレビト神がヒューガ殿である事を知っていたが、それは口には出さず、祝福していたんじゃ。姉の姿を見て、妻に怒られる覚悟で、ユミと会えばよかったと後悔したんじゃよ」
「でも、サジルー叔父さんの娘が、南の島にいる事がわかっていたら、サジルー叔父さんは南の島に行ったかもしれませんね」とサハチは言った。
「そうじゃな。わしの娘はナーシルという名前で、ササと同い年なんじゃ。ササの成長を見る度に、ナーシルの事を想っていたんじゃよ。あの頃、一年おきに南の島から船が来ていたんじゃ。わしはその船に乗って、南の島に行ったかもしれん」
「あの時は親父が隠居してしまって大変な時でした。サジルー叔父さんが二年も留守にしていたら大変な事になっていましたよ。汪英紫(おーえーじ)(先々代山南王)に攻められて、馬天浜を奪われていたかもしれません。汪英紫が最も頼りにしていた内原之子(うちばるぬしぃ)を倒したサジルー叔父さんは汪英紫も恐れていました。叔父さんがいたから、汪英紫も攻めて来なかったのです」
「わしがいたからだけではあるまいが、あの状況では、わしも南の島へは行けなかった。いつか、必ず会いに行くと約束したんじゃ。今帰仁(なきじん)攻めが終わったら隠居して、ヒューガ殿の船に乗って行ってこようかのう」
「叔父さんが行かなくても、ササがナーシルを連れて来るでしょう」
「そうかのう」
「わしらは来年は来られないけど、次に来た時、兄貴の娘に会えるかもしれませんね」とジォンダオウェンが言った。
 サハチは苗代大親と別れて、ウニタキ(三星大親)の所に行った。ウニタキはメイリン(美玲)たちと一緒にいて、ンマムイ(兼グスク按司)も一緒にいた。メイファン(美帆)はチョンチ(誠機)と一緒に島添大里(しましいうふざとぅ)グスクにいた。チョンチを連れて出席するつもりだったが、チョンチがいやだと言って動かず、メイファンも諦めたのだった。
「メイユー(美玉)が来なくて寂しかったでしょう?」とリェンリー(怜麗)がサハチに聞いた。
 サハチは周りを見回した。マチルギは思紹と一緒にファイチの所にいて、使者の話を聞いていた。
「寂しかったよ。みんなと一緒に杭州(ハンジョウ)に行って、娘に会いたいよ」とサハチは言った。
「来年は来られないけど、再来年はロンジェン(龍剣)を連れてメイユーも来るわ」
「再来年か‥‥‥先は長いな」
「可愛い娘よ。楽しみにしていて」
 サハチはうなづいて、「スーヨン(思永)はどこに行ったんだ?」とメイリンに聞いた。
「ユリさんたちと一緒にいるわ。あの娘(こ)もお芝居の魅力にはまったみたい」
 スーヨンが初めて琉球に来たのは四年前で、当時、十四歳だったスーヨンも十八歳になっていた。
「お嫁に行かなくてもいいのか」とサハチは聞いた。
「あの子、シビーを姉のように慕っているわ。シビーがお嫁に行くなんて考えていないから、あの子も興味ないみたい。いつか、好きな人が現れたら、その時、考えるわ」
「スーヨンはメイリンの跡を継ぐんだ。お嫁になんか行かなくていい」とウニタキが言った。
 サハチはウニタキを見て笑った。ミヨンの時と同じ口ぶりだった。
 ンマムイを見たサハチは、
「リェンリーを口説いていたのか」と聞いた。
「師兄、何を言っているんですか。まあ、その通りなんですけど」
「まったく、この人ったら、あんなに綺麗な奥さんがいるのに、わたしに言い寄って来るんですよ。何とかしてください」
「何とかしてやりたいが、俺にはその資格がないだろう」
 リェンリーは笑って、「あんなに素敵な奥さんがいるのに、メイユーに手を出したものね」と言って、笑いながら近づいて来るマチルギを見た。
「あとは頼んだわよ。わたしは帰るわ」とマチルギはサハチに言って、メイリンたちに挨拶をして帰って行った。
 思紹がここにいるので、首里グスクを長い間、留守にするわけにはいかなかった。思紹がいない時に異常事態が発生した場合、首里グスクの重臣たちを動かせるのはマチルギしかいなかった。
 ナーサが遊女(じゅり)たちを連れてきて宴に加わり、急に華やかになった。
 ファイチがサハチたちの所に来た。
「旧港もジャワも、来年も来ると言っています。多分、また一緒に来るでしょう。シーハイイェンもスヒターもお姫様なので、国に帰ると自由に街中にも出られないようです。宮殿の中で退屈な日々を過ごしていて、琉球に来ると生き生きとしていると使者たちは言っていました」
「そうか。あの二人は国に帰ったら、雲の上の人なんだな」
「そうです。庶民たちは滅多に会えない高貴な人なのです。ヤマトゥの御台所様(みだいどころさま)(将軍義持の妻、日野栄子)もそうですが、皆、ササと仲良しになります。あの二人は勿論、交易のために来るのですが、ササに会うために来ると言ってもいいでしょう」
「偉大なるササ様だな」とサハチは笑った。
 シーハイイェンたちとスヒターたちはユリたちと一緒にいて、楽しそうに笑っていた。
 次の夜、遊女屋(じゅりぬやー)『宇久真(うくま)』で、ヂャンサンフォンと山グスクヌルの送別の宴が開かれた。サハチ、思紹、ヒューガ(日向大親)と馬天ヌル、苗代大親、ウニタキ、ファイチ、ンマムイが集まった。
 ヂャンサンフォンの弟子である女将(おかみ)のナーサとマユミは、ヂャンサンフォンが琉球を去ると聞いて驚き、
「昨夜(ゆうべ)、南蛮の人たちの送別の宴をやった時、そんな話はなかったのに、急に帰る事に決まったのですか」と聞いた。
「前から決まっていたんだけど、ヂャン師匠は大げさな送別の宴は嫌いなので内緒にしていたのです。今回がささやかな送別の宴なのですよ」とサハチが説明した。
「まあ、内緒にしていたら、大勢のお弟子さんたちが怒りますよ」と女将が言うと、
「わしはまた、ここに戻って来るつもりじゃよ」とヂャンサンフォンは言った。
「必ずですよ」と馬天ヌルが念を押した。
 馬天ヌルはヂャンサンフォンだけでなく、山グスクヌルにも大変、お世話になっていた。今の自分がいるのも、久高島(くだかじま)で山グスクヌル(当時はサスカサ)に出会ったからだと思っていた。
 あの時、馬天ヌルは佐敷按司になった兄を助けるために、按司が行なう様々な儀式のやり方を教わろうと思って、島添大里ヌルだったサスカサを訪ねた。サスカサは島添大里グスクを奪われてから、ずっと久高島のフボーヌムイ(フボー御嶽)に籠もっていた。馬天ヌルは教えを請うが、サスカサは何も教えてくれなかった。すべて、神様の言う通りにすればいいと言っただけだった。儀式のしきたりなんかは、あとからできた事だから気にしなくてもいいと言った。
 馬天ヌルは先代から、ヌルはこうでなければならないと色々な戒めを学んでいた。それが正しいと信じていた馬天ヌルは、サスカサに会った事で、それらの形にはまったヌルから解放されて、まったくの自由になった。自由になった事で心も解放されて、神様の声も以前よりも聞こえるようになった。ササを授かったのも、サスカサのお陰だと言えた。
 サハチとウニタキはヂャンサンフォンと初めて会った時の事を思い出していた。その時のヂャンサンフォンは薬屋の主人で、どこにでもいそうな普通の親父だった。とても武芸の達人には見えなかった。武当山(ウーダンシャン)に行って、真っ暗闇のガマ(洞窟)の中を歩いた事が、まるで、昨日の事のように鮮明に思い出された。
 思紹はヂャンサンフォンと一緒に旅をした明国の険しい山々を思い出していた。
 ンマムイはヂャンサンフォンと出会ったハーリーの日を思い出していた。その日、ハーリーが終わったら、サハチを襲撃して殺す予定だった。ヂャンサンフォンに出会って感激したンマムイは何もかも忘れて、ヂャンサンフォンのあとを追って島添大里の城下に行った。そこが敵地である事など頭からすっかり消えていた。
 ヂャンサンフォンに出会ってから、ンマムイの生き方は変わっていった。敵だったサハチを師兄と仰いで、一緒に朝鮮(チョソン)やヤマトゥまでも行っていた。
「お師匠、テグム(朝鮮の横笛)を聴かせてください」とンマムイが言った。
 ヂャンサンフォンはうなづいて、腰に差していたテグムを吹き始めた。
 ヂャンサンフォンの吹く曲を聴きながら、それぞれがヂャンサンフォンとの思い出に浸っていた。
 翌日は朝からいい天気だった。ヂャンサンフォンと山グスクヌルは、慈恩禅師とギリムイヌル(先代越来ヌル)と一緒に馬天浜に向かった。
 この日は先代のサミガー大主(うふぬし)の命日なので、思紹と王妃、サハチと兄弟たち、ヒューガと馬天ヌル、苗代大親夫婦、そして、サミガー大主の子供たちや孫たちも『対馬館』に集まっていた。
 舞台ではユリ、ハル、シビーたちが準備をしていて、まだ、浜の人たちは集まっていなかった。ヂャンサンフォンたちもサハチたちの酒盛りに加わった。
「速いもので、親父が亡くなって、もう十二年が経ちました」と東行法師(とうぎょうほうし)の格好をした思紹が言った。
「サミガー大主殿はウミンチュ(漁師)たちにとって、神様のような存在ですな」と慈恩禅師が言った。
 琉球に来て各地を旅した時、一緒に行ったイハチが、馬天浜から来たと言うと、必ず、サミガー大主の名前が出てきて、以前にお世話になったというウミンチュが何人もいたという。
 ヂャンサンフォンも勝連(かちりん)のウミンチュからサミガー大主の話を聞いた事があると言った。サハチも若い頃、勝連に言った時、祖父にお世話になったというウミンチュに歓迎された事を思い出していた。
 鮫皮(さみがー)作りを隠居した祖父は、東行法師に扮して、毎年、旅に出て、若い者たちをキラマ(慶良間)の島に送ってくれた。その頃の若者たちが立派に成長して、今は中山王(ちゅうざんおう)のサムレーとして仕えている。
 祖父の思い出話に弾んでいたら、突然、太鼓の音が鳴り響いた。
 お祭りの始まりを知らせる太鼓だった。遠くからもわかるように、凧(たこ)も上げられた。
「いよいよ、始まるのう」とヒューガが言って、サハチを見た。
 サハチは微かにうなづいた。
「ウミンチュたちがやって来たようじゃな」と思紹が海の方を見た。
 小舟(さぶに)が三艘、近づいて来るのが見えた。
「小舟が次々に来るわ」とギリムイヌルが言った。
「凄いわね」と山グスクヌルもその数に驚いていた。
 二十艘、三十艘と小舟の数が増えていき、海は小舟で埋まっていた。
「親父が亡くなった時を思い出すのう」と思紹が言った。
 あの時も、サミガー大主の死を知ったウミンチュたちが続々とやって来て、海は小舟で埋まっていた。
 ウミンチュたちは浜辺に上がると整列した。
「何をやっているんじゃ?」と不思議そうな顔をしてヂャンサンフォンが誰にともなく聞いた。
 皆が首を傾げた。
「おや、女子(いなぐ)のウミンチュたちもいるようじゃ」とヂャンサンフォンが言った。
 浜辺に整列したウミンチュたちは一千人余りもいた。全員が上陸すると、太鼓が鳴り響いた。すると、掛け声と共に武当拳套路(タオルー)(形の稽古)が始まった。
 一千人の者たちが一糸乱れず、套路をやっている情景は見事というほかなかった。
「ウミンチュたちではないな」と言って、ヂャンサンフォンがサハチを見た。
 サハチはうなづいて、
「皆、お師匠の弟子たちです」と言った。
「送別の宴はやるなと言ったじゃろう」とヂャンサンフォンは言ったが、怒ってはいなかった。目を潤ませて、弟子たちの套路を見ていた。
「ここに来られず、グスクを守っているサムレーたちは、あの凧を見上げながら、ヂャン師匠にお別れを告げているはずです」と苗代大親が言った。
 套路が終わると、弟子たちは声を揃えて、ヂャンサンフォンにお礼を言った。拍手や指笛が響き渡って、浜の人たちが現れた。整列は崩れて、お祭りが始まった。
 ファイチは久米村(くみむら)から唐人の弟子たちを連れて参加していた。ウニタキはシズを連れて参加した。ンマムイは娘のマウミと本部(むとぅぶ)のテーラー(瀬底之子)を連れて来ていた。サスカサ(島添大里ヌル)、浦添(うらしい)ヌル、麦屋(いんじゃ)ヌル(先代与論ヌル)とカミー(アフリ若ヌル)もいた。具志頭(ぐしちゃん)からイハチ(具志頭按司)夫婦も来ていた。チューマチ(ミーグスク大親)夫婦もいた。山グスクからサグルー(山グスク大親)、ジルムイ(島添大里之子)、マウシ(山田之子)たちも来ていた。ナーサとマユミも来ていた。リェンリーたち、シーハイイェンたち、スヒターたちはまだお別れではないが、女子サムレーたちと一緒に加わっていた。
 舞台では、娘たちの歌と踊りが始まった。舞台は対馬館の正面にあるので、サハチたちはそのまま対馬館の中から舞台を見ていた。
 踊っている娘たちの中にサミガー大主の曽孫(ひまご)が何人もいた。長男のサグルーが中山王になっても、次男のウミンターは父の跡を継いでサミガー大主になり、三女のマチルーはウミンチュの妻として馬天浜で暮らし、四女のマウシは鮫皮職人の妻として新里(しんざとぅ)で暮らしていた。
 娘たちの踊りが終わると旅芸人たちによる『武当山の仙人(ウーダンシャンぬしんにん)』が上演された。
 サハチが新里の馬天ヌルの屋敷でユリたちと会った翌日、ハルとシビーは首里に行って旅芸人たちと会い、馬天浜のお祭りで、『武当山の仙人』を演じてくれと頼んだ。ヂャンサンフォンが琉球を去ると聞いた旅芸人たちは驚き、ヂャン師匠のために見事なお芝居を見せると言って、その日から猛特訓を始めたのだった。
 ヂャンサンフォンを演じたのはユシで、チャンオーを演じたのは身の軽いマイだった。月は対馬館の屋根の上にあって、マイは綱を伝わって上り下りしていた。最後のヂャンサンフォンとチャンオーを祝福する場面では、集まっていた女子サムレーたちが弟子に扮していた。
 指笛が鳴り、拍手が沸き起こって旅芸人たちのお芝居は成功に終わった。
 ファイチが舞台に上がってヘグム(奚琴)を弾いた。観客たちはシーンとなって、ヘグムの調べに聞き惚れた。ファイチの曲を聴きながら、それぞれがヂャンサンフォンとの思い出に浸っていた。
 ファイチの次にサハチが一節切(ひとよぎり)を吹く予定だったが、サハチは遠慮した。サハチが吹けば、また皆が思い出にふけるだろう。同じ事を二度もする必要はないと思った。
 観客たちがファイチの曲の余韻に浸っている時、太鼓が鳴り響いて、ハルとシビーの新作『武当山の仙人その二』が始まった。
 琉球に来たヂャンサンフォンとシンシンが、ジクー禅師、ササ、サグルーと一緒に旅をしている場面から始まった。ヂャンサンフォンを演じたのはリェンリーで、何気ない仕草がヂャンサンフォンによく似ていた。ササを演じたのはシーハイイェンで、シンシンを演じたのはスヒターだった。もし、ササとシンシンがいたなら自分で自分の役を演じただろうと思った。ジクー禅師を演じたツァイシーヤオ(蔡希瑶)は何をかぶっているのか、うまく坊主頭になっていた。
 山の中で山賊が出て来て、お決まりの山賊退治をするが、ササもシンシンも強かった。サグルーとジクー禅師は見ているだけで、ヂャンサンフォンは薙刀(なぎなた)を振り回している山賊の頭領を、触れもせずに気合いで吹き飛ばしていた。
 旅から帰ったヂャンサンフォンは運玉森(うんたまむい)ヌルと出会って恋に落ちる。運玉森ヌルを演じたのは佐敷の女子サムレーのアサで、ウタキでお祈りを捧げている姿に神々しさが感じられた。
 ヂャンサンフォンと運玉森ヌルが見つめ合っていると、そこに現れたのはフーイーとチャンオーだった。『武当山の仙人』で二人を演じた旅芸人のカリーとマイがそのまま登場して、フーイーはヂャンサンフォンと決闘をして敗れ、運玉森ヌルとチャンオーも決闘するのかと思っていたら、じっと睨み合ったあと、「あなたには負けたわ」とチャンオーが言って月に帰って行った。観客たちは何もしないで月に帰って行くチャンオーに拍手を送っていた。
 場面は変わって、ヤマトゥ旅に出たヂャンサンフォンは対馬(つしま)島の山の中で、一か月の修行の指導をする。ヒューガ、馬天ヌル、マチルギ、修理亮(しゅりのすけ)、ササ、シンシン、シズが呼吸を整えながら静座をしている。真っ暗なガマの中を歩く場面もあって、手探りで恐る恐る歩く場面で、ササたちが馬鹿な事を言って笑わせた。シズを演じていたのは本人だった。この場面に、本当はマチルギはいないのだが、『ウナヂャラ』でマチルギを演じた島添大里の女子サムレーのアミーが演じていた。この修行の場面は、ヂャンサンフォンの弟子なら誰でも経験していて、皆、当時の事を思い出していた。
 全員で套路をして、ヂャンサンフォンとシンシンの模範試合も演じられた。
 また場面は変わって、ヂャンサンフォンは思紹と一緒に明国を旅している。一緒に旅をしているのはクルーとユンロンだった。思紹を演じたのは佐敷の女子サムレーのアチーで、ジクー禅師と同じように坊主頭になっていた。クルーを演じたのはシャニーで、ユンロンを演じたのは本人だった。
 四人は険しい山を登って景色を眺め、思紹とクルーは、明国は果てしもなく広いと驚く。
 あんな小さな島で争いをしているなんて愚かな事じゃと思紹は言う。
 武当山に登ると、ヂャンサンフォンが帰って来たと言って、弟子たちが集まって来る。
 なぜか、ヂャンサンフォンと思紹が綱を伝わって月に登って行った。観客たちが二人を追って対馬館の屋根の上を見ると、そこに月はなかった。ヂャンサンフォンがそこで演説を始めると浜辺で酒盛りをしていた弟子たちが一斉に立ち上がって喊声(かんせい)を上げた。
 『武当山の奇跡』の再現だった。
 対馬館の中から見ていたサハチたちには何が起こったのかわからなかった。ユリが思紹に何かを囁き、思紹はヂャンサンフォンを連れて舞台に行き、ヂャンサンフォンと一緒に綱を伝わって対馬館の屋根に上がった。
 思紹が右手を上げると弟子たちが一斉に喊声を上げた。一千人余りもいる弟子たちを見下ろして、ヂャンサンフォンの目が潤んでいた。
 弟子たちが静かになって、ヂャンサンフォンを見上げた。
「ありがとう。わしは今日、この日を一生忘れないじゃろう」
 ヂャンサンフォンがそう言うと喊声がどっと沸き起こった。

 

 

 

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2-173.苗代大親の肩の荷(改訂決定稿)

 安須森(あしむい)ヌル(先代佐敷ヌル)とササ(運玉森ヌル)たちが南の島を探しに船出した二日後、平田グスクのお祭り(うまちー)が行なわれた。サハチ(中山王世子、島添大里按司)もそうだが、お祭りに集まった誰もが、ササと安須森ヌルの噂をしていた。無事にミャーク(宮古島)に着いただろうかとみんなが心配していた。
 珍しく、馬天(ばてぃん)ヌルも麦屋(いんじゃ)ヌル(先代与論ヌル)とカミー(アフリ若ヌル)を連れてお祭りにやって来て、ササたちは大丈夫かしらとサハチに聞いた。
 サハチは笑って、「ササにはユンヌ姫様とアキシノ様がついているから大丈夫ですよ」と言った。
「二人の神様がササに危険を知らせて、無事にミャークまで導いてくれるはずです」
「わかっているんだけど、もしもって事があるからね。やっぱり心配なのよ」
 馬乗り袴姿の馬天ヌルは、いつもよりも若く見え、隣りにいる麦屋ヌルと大して変わらない年齢に思えた。
 サハチはナツと一緒に子供たちを連れて来ていた。
 七日前に首里(すい)から五歳になったタチが島添大里(しましいうふざとぅ)グスクに来ていた。やっと乳離れしたというよりは、マチルギが将来の事を考えて、離れる決心をしたのだろう。タチは兄弟が何人もいるのに驚いたが、すぐに慣れて、三つ年上のナナルーと二つ年上のチョンチ(誠機)と仲よく遊んでいた。
 メイファン(美帆)の息子のチョンチは島添大里グスクにいる事が多く、メイファンも用のない時は安須森ヌルの屋敷に滞在していた。今回もチョンチと一緒にお祭りに来ていた。
 首里から来る時はお輿(こし)に乗って来たので、タチは自分の足で歩けるのが楽しいらしく、目をキョロキョロさせながら歩いていた。平田グスクに入ると大勢の人たちを見て驚き、屋台で餅を配っている女子(いなぐ)サムレーを珍しそうに眺めていた。
 タチが島添大里に来た代わりに、山南王(さんなんおう)の他魯毎(たるむい)の長男と婚約している十歳のマカトゥダルが花嫁修業のため、首里の御内原(うーちばる)に入った。
 今回のお芝居はハルとシビーの新作で、若き日の慈恩禅師(じおんぜんじ)を主役にした『ジオン』だった。サハチは二人が取材を始めた頃から観るのを楽しみにしていた。安須森ヌルがいなくても、お祭りの事は、ユリとハルとシビーの三人に任せておけば安心だった。
「ちょっと話があるのよ」と馬天ヌルはサハチに言った。
 舞台では娘たちが踊っていた。お芝居が始まるのは午後なので、サハチはうなづいて、馬天ヌルと一緒に木陰にある縁台まで行って腰を下ろした。
「心配しなくても、ササは無事に帰って来ますよ」とサハチは言ったが、馬天ヌルは笑って、
「その事じゃないのよ」と言った。
「ササたちが帰って来たらわかる事だから、今のうちにあなたに話しておこうと思ったのよ」
「何の話です?」
「あれはササが生まれる前の年だったわ。大きな台風が馬天浜(ばてぃんはま)に来て、わたしのおうちが潰れた時よ。新里(しんざとぅ)の新しいおうちはまだ完成していなくて、わたしはマシュー(安須森ヌル)のおうちに行ったり、父(サミガー大主)のおうちに行ったり」
「ヒューガ(日向大親)殿のおうちに行ったり」と言ってサハチは笑った。
「そうよ。その時なのよ」
「何がですか」
「南の島(ふぇーぬしま)から馬天浜にお客さんが来たのよ」
「そんな昔に、南の島の人が馬天浜に来たのですか」と言って、その頃、ミャークの人たちが察度(さとぅ)(先々代中山王)に会いに来ていたのをサハチは思い出した。それを教えてくれたのは勝連(かちりん)から来たウニタキ(三星大親)だった。
「ミャークの人が馬天浜に来たのですか」とサハチは聞いた。
「ミャークじゃなかったわ。ヤイマ(八重山)とか言っていたわ。あの辺りには島がいくつもあるみたい。島の名前は忘れちゃったんだけど、ユミという名前のヌルが来たのよ。そのユミが苗代大親(なーしるうふや)(サジルー)の娘を産んだのよ」
「えっ?」とサハチは馬天ヌルを見た。
「話がよくわかりませんが」
「ユミは跡継ぎが欲しかったのよ。ユミの気持ちはわたしにもよくわかったわ。ユミは苗代大親を好きになってしまって、わたしが二人を会わせたのよ」
「サジルー叔父さんが南の島のヌルと?」
 サハチは驚いた顔をして、馬天ヌルを見つめた。
「サジルーはユミのマレビト神だったのよ。二人が出会った途端にわかったわ」
「サジルー叔父さんがヌルと‥‥‥」
 そう言って、サハチは呆然としていたが、急に笑い出した。
「サジルー叔父さんがヌルと」ともう一度言って、
「サジルー叔父さんもヌルには弱かったようですね」とサハチは言った。
「サジルー叔父さんは娘が生まれた事を知っているのですか」
「知っているはずよ。ユミが来たのは一度だけだけど、同じ島からヌルがやって来て、サジルーに娘が生まれた事は知らせたはずだわ」
「その事を知っているのは、叔母さんだけなのですか」
 馬天ヌルはうなづいた。
「二人は山の中のお稽古場で会っていたから誰も知らないはずよ」
「その娘はササと同い年なんですね」
「そうよ。きっと、南の島で出会って、仲良しになるでしょう。もしかしたら、ササはその娘を琉球に連れて帰るかもしれないわ。あなたに問い詰められる前に話しておこうと思ったのよ」
「もう昔の事ですから、ササがその娘を連れて来たとしても、笑い話で済ませられるんじゃないですか」
「そうだといいんだけどね」と馬天ヌルは不安そうな顔をした。
「大丈夫ですよ」とサハチは言った。
「しかし、驚きましたよ。あの叔父さんがヌルと仲よくなっていたなんて」
「サジルーは娘たちに持てたんだけど、若い頃は剣術に夢中で、騒いでいる娘たちに目もくれなかったわ。奥さんになったタマは幼馴染みで、タマは子供の頃からサジルーのお嫁さんになるって言っていたの。みんなが二人の仲を認めていて、二人は夫婦になったのよ。サジルーもタマは好きだったけど、子供の頃から一緒にいたから、胸がときめくような事はなかったでしょう。それが三十を過ぎてから、ユミに胸をときめかせたのよ。一夏の恋ね。でも、その事をずっと胸の奥にしまってきたのよ」
「一夏の恋ですか‥‥‥もしかしたら、そのユミという人も琉球に来るんじゃないですか」
「来るかもしれないわね。そしたら、わたしがタマを説得しなければならないわ。タマなら許してくれると思うけど‥‥‥」
 右馬助(うまのすけ)と大里(うふざとぅ)ヌル、フカマヌルと娘のウニチルの姿が見えた。
「あそこにもヌルに魂(まぶい)を奪われた男がいますよ」とサハチは右馬助を見ながら馬天ヌルに言った。
 馬天ヌルは笑った。
「あの人も武芸に夢中だったんでしょ」
「どうした気まぐれか、島添大里グスクの十五夜(じゅうぐや)の宴(うたげ)にやって来て、大里ヌルと出会って、一緒に久高島に行ったままだったんですよ」
 右馬助が挨拶に来たので、
「まだ夢を見ているのか」とサハチが聞いたら、ぼうっとした顔で、「夢ですか‥‥‥」と言った。
「男手が足りないから、色々と助かっているのよ」とフカマヌルが笑った。
「お師匠が揃って来たわよ」と馬天ヌルが言った。
 振り向くとヂャンサンフォン(張三豊)と山グスクヌル(先代サスカサ)、慈恩禅師とギリムイヌル(先代越来ヌル)が一緒にいた。
「お師匠、山グスクからいらしたのですか」とサハチは驚いてヂャンサンフォンに聞いた。
「昨日、首里(すい)に行ったんじゃよ。慈恩寺に泊めてもらって、慈恩殿が平田グスクのお祭りに行くと言うので、一緒に来たんじゃ」
「そうだったのですか」
 サハチは席を譲って、ヂャンサンフォンを見た。その顔付きから決心を固めたようだった。先月の与那原(ゆなばる)グスクのお祭りの時、来年、冊封使(さっぷーし)が来るので琉球にいたら危険だとサハチは告げた。ヂャンサンフォンは考えさせてくれと言った。昨日、首里に言ったのも、その答えを思紹(ししょう)に伝えたに違いなかった。
 サハチの気持ちを察したのか、
「わしは来月、三姉妹の船に乗ってムラカ(マラッカ)に行く事に決めたよ」とヂャンサンフォンは言った。
 サハチが驚く前に右馬助が驚いて、突然、目を覚ましたかのように、
「お師匠、琉球を去るのですか」と聞いた。
 ヂャンサンフォンはうなづいて、
「楽しかったよ」と笑った。
南陽(ナンヤン)でそなたたちと出会って、わしは琉球まで来た。こんなに長くいるとは思ってもいなかった。知らぬ間に七年も経っている。このまま、この島に骨を埋(うづ)めるのもいいと思っていたんじゃが、永楽帝(えいらくてい)が許さんらしい。三姉妹と一緒に、しばらくムラカに隠れる事にするよ。ファイチ(懐機)の息子もいるし、そなたの娘もいる。ムラカでも楽しく暮らせそうじゃ」
「お師匠、俺はどうなるんです。まだまだ学びたい事がいっぱいあります」と右馬助が言った。
「一緒に来てもかまわんよ」
「えっ、ムラカにですか」
「三姉妹の船は毎年、琉球に来るじゃろう。いつでも琉球に帰れる」
 右馬助は大里ヌルを見た。大里ヌルは右馬助をじっと見つめて、小さくうなづいた。
「お前は何事も徹底的にやらないと気が済まない性質(たち)じゃろう。大里ヌルと一緒にいるのも徹底的にやったらいい。自分で納得できたら、三姉妹の船に乗ってムラカにやってくればいい」
 右馬助は気が抜けたような顔をして、ヂャンサンフォンを見ていた。
「お師匠がこの島を離れるとなれば、盛大な送別の宴(うたげ)を開かなくてはなりませんね」
 サハチがそう言うと、ヂャンサンフォンは首を振った。
「そんなのは無用じゃよ。わしは送別の宴というのは苦手でな。わしが去る事はここだけの話にしておいてくれ。ひっそりと去って行くつもりじゃ」
「そんな事をしたら大勢の弟子たちが怒りますよ。特にンマムイ(兼グスク按司)は内緒にしていた俺を責めるでしょう」
「そうか。ンマムイには言ってもいい」
「ウニタキも怒りますよ」
「ウニタキとファイチにも言っていい」
「ヒューガさんにも言っていいですね?」と馬天ヌルは聞いた。
 ヂャンサンフォンはうなづいて、「他の者たちには絶対に内緒じゃ」と言った。
 お芝居の『ジオン』は、念阿弥(ねんあみ)と呼ばれた幼い慈恩が、師の上人(しょうにん)様と旅をする場面から始まった。念阿弥を演じているのは平田大親(ひらたうふや)の次男、九歳のサンタだった。サンタは腰に長い木剣を差していて、旅をしながら剣術の稽古に励んでいた。時は南北朝(なんぼくちょう)の戦世(いくさゆ)で、あちこちに戦死した兵の無残な死体が転がっていた。
 死体を演じたのは村の若者たちのようで、死体のくせに、観客の知人に手を振ったりしていて笑わせた。
 念阿弥は、「今、死体が動いたようです」と言って、木剣で死体をたたき、上人様は、「カラス(がらし)に食われた内臓(わたみーむん)に、ネズミ(うぇんちゅ)でもおったんじゃろう」と言って笑わせた。二人は死体を葬って念仏を唱える。
 旅の途中で上人様が亡くなってしまって、十六歳になった念阿弥は上人様を葬って、京の都に行く。強い武芸者が大勢いるという噂を聞いて、鞍馬山(くらまやま)に登った念阿弥は、韋駄天(いだてィん)と出会って武芸を習う。山の中を走り回って厳しい修行を積んでいたが、韋駄天は突然、異国に帰ってしまう。
 鞍馬山を下りた念阿弥は京の都で、可愛い娘と出会う。腹を空かせて破れ寺にいた念阿弥に、娘は食べ物を持って来てくれた。旅の話を聞かせると娘は目を輝かせて聞いていた。明日もまた来ると娘は言ったが、その夜、戦が起こって、火の手があちこちに上がった。
 一日中、待っていたが娘は現れなかった。戦に巻き込まれてしまったのだろうかと悲しんでいると、残党狩りのサムレーたちがやって来た。乞食坊主と言われて、腹を立てた念阿弥はサムレーたちに掛かっていき、五人のサムレーをあっという間に倒してしまう。自分の強さに驚いたのは念阿弥自身だった。いつの間にか、強くなっていた事を知った念阿弥は、さらに強くなるために修行の旅を続ける。旅の途中で出会った山賊たちを退治して、鎌倉に行って、強い和尚(おしょう)と出会って指導を受ける。九州に行って、太宰府(だざいふ)の天満宮の岩屋に籠もって悟りを開く。その頃、太宰府には、将軍宮(しょうぐんのみや)様がいて、念阿弥の強さを聞いて、わしのために働いてくれと頼むが、念阿弥は断って、故郷の奥州(おうしゅう)に戻って、見事に父親の敵(かたき)を討つ。敵を討った念阿弥は、鎌倉の和尚の弟子になって、慈恩と名乗る。
 数年後、旅に出た慈恩は若き日のヒューガと出会い、一緒に旅をする所でお芝居は終わった。
 念阿弥が悪者たちを倒す場面では、子供たちだけでなく、観客たち皆が大喜びしていた。十六歳からの念阿弥を演じたのは女子サムレーのアイだった。小柄で強そうに見えないアイが、大柄のチリやナカウシが演じた悪者を素早い動きで、やっつけてしまうので、観客たちは指笛を鳴らして喝采を送った。
 破れ寺に現れた娘の事を慈恩禅師に聞いたら、「わしが初めて好きになった娘じゃよ」と言って笑った。
 銅鑼(どら)の音が鳴り響いて、シーハイイェン(施海燕)たちのお芝居『武当山の仙人(ウーダンシャンぬしんにん)』が始まった。与那原グスクのお祭りで初演したお芝居を、ミヨンとヂャンウェイ(張唯)が明国(みんこく)の言葉に直して、安須森ヌルの屋敷で一か月の猛特訓を積んだのだった。ヂャンサンフォンを演じたのはシーハイイェン、月の女神のチャンオーを演じたのはスヒターで、二人ともササとシンシンに負けない凄い演技を見せて、観客たちを驚かせていた。
 お祭りの翌日、サハチは馬天浜に叔父のサミガー大主(うふぬし)(ウミンター)を訪ねた。叔父は忙しそうに働いていたが、サハチの顔を見ると、「按司様(あじぬめー)のお出ましか。珍しいのう」と笑った。
「この間もサジルーが珍しくやって来て、昔話などしていったぞ」
「えっ、サジルー叔父さんが来たのですか」
 サミガー大主はうなづいて、作業場から出ると、『対馬館(つしまかん)』に誘った。シンゴ(早田新五郎)たちのための宿泊施設だが、以前のごとく開放してあって、旅人たちが自由に利用していた。今もジャワ(インドネシア)から来た船乗りたちが異国の言葉をしゃべりながら笑っていた。
「カマンタ(エイ)捕りを手伝ってくれているんじゃよ」とサミガー大主は彼らを見ながら言って、
「サジルーの事を聞きに来たんじゃろう」とサハチを見た。
「ウミンター叔父さんは知っていたのですか」とサハチは聞いた。
「ユミというヌルは、マチルーの家に滞在していたんじゃよ。馬天ヌルに頼まれて、預かっていると言っていた。マチルーからユミとサジルーが怪しいと聞いたんじゃ。わしは信じなかった。サジルーに限って、そんな事はあるまいと思っていたんじゃ。二年後、また南の島からヌルたちがやって来た。若者たちをわしの所に預けて行ったヌルもいた。二年間、ここで修行をした若者たちは今、南の島で鮫皮(さみがー)を作っているじゃろう」
「南の島の人たちが、作業場にいたなんて知りませんでした」とサハチが言うと、サミガー大主は笑った。
「その年は兄貴が突然、隠居して旅に出た年じゃよ。佐敷按司になったお前は忙しくて、ここに来る暇なんてなかったじゃろう」
 確かにそうだった。突然、按司になって、急に忙しくなった。自分の事が精一杯で、南の島の人の事なんて、まったく興味はなかった。
「その時、ユミと同じ島のヌルも来たが、サジルーと会ったかどうかは、わしは知らん。二年後、また南の島からヌルたちがやって来た。たまたま、馬天ヌルがササを連れて遊びに来ていたんじゃ。その時、ユミと同じ島から来たヌルが馬天ヌルと話をしているのを、わしは聞いてしまったんじゃよ。作業場から屋敷に行くと、二人がサジルーの娘の事を話していたんじゃ。わしが聞いていたと知って、馬天ヌルは驚いた。この事は絶対に内緒にしておいてくれって頼まれたんじゃ」
「ずっと、内緒にしていたんですね?」
「いや、わしは聞かなかった事にしたんじゃよ。馬天ヌルは子供の頃のササと同じように、幼い頃からシジ(霊力)が高かった。わしらにはわからんが、サジルーとユミを会わせたのは、きっと何か重要な意味があるんじゃろうと思って、知らない振りをしていたんじゃよ。そして、わしはその事をすっかり忘れてしまった。ササが南の島を探しに行くと聞いた時、わしはユミの事を思い出したんじゃ。そして、馬天ヌルがサジルーとユミを会わせた理由が、ようやくわかったんじゃよ。馬天ヌルはササが南の島に行く事を予見していたんじゃろう。南の島にサジルーの娘がいれば、きっと、ササを歓迎してくれるだろうと思ったのに違いないとな」
「まさか?」とサハチは思ったが、馬天ヌルならやりかねないとも思った。
 馬天ヌルがウタキ(御嶽)巡りの旅に出ると行った時、ヌルとして各地のウタキを巡りたいのだろうと思っただけだが、旅が終わってみると、馬天ヌルは各地で奇跡を起こして、各地のヌルたちから尊敬される存在になっていた。琉球にいるヌルで、馬天ヌルの名を知らないヌルはいないし、たとえ、敵地のヌルであっても、馬天ヌルを慕っていた。馬天ヌルはヌルの世界で、琉球を統一した存在になっていた。
「サジルー叔父さんは、ウミンター叔父さんがユミの事を知っているのか確認に来たのですか」
「わしが知っていて、黙っていた事を知っていたようじゃ。長い間、内緒にしてくれてありがとうとお礼を言ったよ」
「そうだったのですか」
「ユミというヌルだが、色っぽいだけでなく、強い女だったらしい。サジルーはユミから武当拳(ウーダンけん)を習ったと言っていた」
「えっ、武当拳?」
 サミガー大主はうなづいた。
武当拳を作ったヂャンサンフォン殿が琉球にやって来た時、自分が武当拳を身に付けている事を知られるのが、一番恐ろしかったとサジルーは言っていたよ」
「ユミはどうして武当拳を身に付けていたのですか」
「南の島にヂャンサンフォン殿の弟子がやって来たようじゃ。島の者たちは皆、武当拳を身に付けているらしい」
武当拳が南の島に‥‥‥」とサハチは驚いたあと、「ササたちが喜びそうだな」と笑った。
 サミガー大主と別れて、サハチは新里にある馬天ヌルの屋敷に向かった。馬天ヌルがササと一緒に佐敷グスクの東曲輪(あがりくるわ)の佐敷ヌルの屋敷に移ったあと、その屋敷はしばらく空き家だったが、浦添(うらしい)グスクから助け出されたユリが娘と一緒に暮らしていた。ユリが安須森ヌルと一緒にお祭りの準備をやるようになって、島添大里グスクの安須森ヌルの屋敷に移ると、また空き家になった。馬天浜のお祭りの準備の時、その屋敷を使う事になって、今、ユリとハルとシビーがいるはずだった。
 サハチが訪ねるとハルとシビーが天井を睨んで寝そべっていた。サハチを見ると驚いて、二人は飛び起きた。
 サハチは縁側に座って庭を眺めた。ここに来たのは久し振りだった。
按司様、どうしたのです?」とハルが聞いた。
「ユリさんはいるのか」とサハチは二人に聞いた。
「マキクちゃんを迎えに行きました」
「何だ、行き違いになったのか」
「ユリさんに用があるのですか」
「ちょっとな」と言って、マチルーの娘のシビーからユミの事を聞こうと思ったが、ササよりも年下のシビーが知っているわけはないと気づいた。
「馬天浜のお祭りのお芝居の台本を書かなくちゃならないんだけど、いい題材がみつからないの」とハルは言った。
「毎回、面白いお芝居を観せてくれたが、とうとう、種切れになったか‥‥‥頼みがあるんだが、馬天浜のお芝居は『武当山の仙人』にしてくれ」とサハチは言った。
「またあ」と二人は不満そうな顔をした。
「あの話の続きを書いてほしいんだよ。ヂャン師匠が琉球に来てからの話だ」
 そう言ったら、二人の目が急に輝き出した。
「でも、実際に自分がやって来た事なんて、お芝居にしても面白くないからやめろって、ヂャン師匠に言われてやめたんです」とハルが言った。
「ヂャン師匠には内緒で、それを上演して、ヂャン師匠を驚かせるんだ」
「でも、怒らないかしら?」と二人は心配した。
「マチルギのお芝居は、マチルギに内緒で書いたんだろう。お客さんが喜んでくれれば、お芝居は成功だ。ヂャン師匠も笑って許すだろう」
 二人はうなづいて、やる気を出していた。
「ヂャン師匠が琉球に来てからの事は調べてあるから、馬天浜のお祭りには間に合いそうだわ」
「忙しくなるわよ」とハルがシビーに言った。
「寝る間も惜しんで、早く台本を書かなくちゃね」とシビーも張り切っていた。
「ユリさんが帰ってきたわ」とハルが言った。
 ユリは娘を連れていなかった。サハチに気づいて驚き、駆け寄ってきた。
按司様、こんな所にいらっしゃるなんて、どうしたのですか」
「馬天浜のお祭りについて、お願いがあるのです」
 サハチは三人に、ヂャンサンフォンが琉球を去る事を話した。三人は驚いていた。
「この事は内緒だ。ヂャン師匠は大げさな送別の宴はするなと言ったんだ。そこで、馬天浜のお祭りをヂャン師匠の送別の宴にしたいんだよ。ヂャン師匠の弟子たちをみんな呼んで、別れを告げさせたいんだ」
「ヂャン師匠には内緒で、事を運ぶんですね?」とユリが言った。
 サハチはうなづいた。
「わかりました。ヂャン師匠の思い出に残るような、素晴らしいお祭りにしましょう」
 そう言って、ユリはハルとシビーを見て、「お祭りまで、あと一か月よ。忙しくなるわ」と楽しそうに笑った。
 四日後、サハチが首里に行くと、山グスクにいたヂャンサンフォンが山グスクヌルと一緒に『慈恩寺』に移ったと聞いて、サハチは慈恩寺に向かった。慈恩寺に行く前に、隣りにある武術道場に寄って苗代大親と会った。
「隣りに慈恩寺を建ててよかったぞ」と苗代大親はサハチの顔を見ると言った。
慈恩寺の厳しい修行を見て、うちの奴らもやる気を出して修行に励んでいる。来年は試合に勝って慈恩寺に入ると言っている者も多いんじゃよ」
 五月に慈恩寺が完成して、一月後に各地から集まって来た強者(つわもの)たち二百人が試合をして、勝ち残った五十人が慈恩寺に入って一年間、修行を積む事に決まった。今の所、一年だが様子を見て、二年、あるいは三年になるかもしれなかった。
「わしに言いたい事があるという顔付きじゃな」と苗代大親はサハチの顔を見ながら言った。
「えっ?」と言ってサハチは苗代大親の顔を見た。
 苗代大親は照れ臭そうに笑って、
「もう知っているんじゃろう」と言った。
「姉から聞いたよ。お前に話してしまったってな。ササが南の島を探しに船出した時から、覚悟はしていたんだ。そろそろ、本当の事を言うべきじゃってな。妻にも話したよ。妻は驚いて、ポカンとした顔をしていた。わしは、すまなかったと頭を下げたんじゃ。妻は泣くか、怒るだろうと思っていたが、妻は笑ったんじゃ。二十年以上も前の事を今更、怒る気にもなれませんよ。それよりも、そんなに長い間、胸の奥にしまっていたなんて、苦しかったでしょうと言ったんじゃよ。妻の言う通り、内緒にしておくのは辛かった。何度も、本当の事を言って、妻に謝ろうと思ったんじゃ。だが、わしには言えなかったんじゃよ」
 苗代大親は首を振ってから笑って、
「やっと、重い肩の荷を下ろせたような気分じゃ」と言った。
「ユミさんは武当拳を身に付けていたそうですね?」とサハチが聞くと苗代大親はうなづいた。
「その事を隠しておくのも大変じゃった。知らない振りをしていても、ヂャンサンフォン殿にはばれてしまうじゃろうと思ったよ。ユミの師匠はウーニン(呉寧)という武当山の道士なんじゃ。ウーニンの事をヂャンサンフォン殿から聞きたかったが、聞く事はできなかったんじゃ」
「今、聞きに行きましょう」とサハチは言った。
 苗代大親はうなづいて、サハチと一緒に慈恩寺に向かった。
 『慈恩寺』は静かだった。修行者たちの姿は見えず、閑散としていた。
 庫裏(くり)に行くと、ギリムイヌル、山グスクヌル、喜屋武(きゃん)ヌル(先代島尻大里ヌル)の三人が修行者たちの食事の仕度をしていた。まるで、娘のようにわいわいと楽しそうに大人数の料理を作っていた。三人とも按司の娘なので、本来なら料理なんか作らないだろうが、皆、それなりに苦労していて、自分で料理をするようになったらしい。それにしても、山グスクヌルと喜屋武ヌルが仲よくしている姿は不思議に思えた。
 山グスクヌルは汪英紫(おーえーじ)(先々代山南王)によって滅ぼされた島添大里按司の娘で、喜屋武ヌルは汪英紫の娘だった。二人とも苦難を乗り越えて、昔の事は水に流したようだった。
「修行者たちはどこに行ったのです?」とサハチが聞くと、
「ヤタルー師匠(阿蘇弥太郎)とヤンジン(楊進)が与那原の海に連れて行きました」とギリムイヌルが言った。
 ヤタルー師匠は慈恩禅師に頼まれて、慈恩寺の武術師範になっていた。喜屋武ヌルと出会ってからは喜屋武グスクで暮らし、喜屋武グスクのサムレーたちの指導をしながら、のんびり暮らしていたが、慈恩禅師に頼まれて引き受ける事に決めた。喜屋武ヌルに相談したら、大勢の修行者たちがいたら、ギリムイヌルも大変だろうから、わたしも一緒に行くと言ったのだった。
 ヤンジンは久米村(くみむら)の唐人(とーんちゅ)で、ヂャンサンフォンが与那原グスクで暮らし始めた頃に弟子になった男だった。祖父の代から久米村に住んでいるので、明国の言葉よりも琉球の言葉の方が堪能で、ひょうきんな男だった。右馬助が来た時、右馬助よりも一つ年下だったが、先輩面して得意になって武当拳を教えた。ところが、一年も経たないうちに、右馬助の方が強くなってしまい、それからは真剣になって修行に励んで腕を上げた。ヂャンサンフォンの勧めで、慈恩寺の師範になったのだった。
「与那原の海に何しに行ったんじゃ?」と苗代大親が聞いた。
「小舟(さぶに)の上で剣術のお稽古をさせると言っていました」
「成程。基本じゃな」と苗代大親はうなづいた。
「ヂャンサンフォン殿も一緒に行ったのですか」とサハチが聞くと、
リュウジャジン(劉嘉景)様とジォンダオウェン(鄭道文)様は一緒に行きましたが、ヂャンサンフォン様は慈恩禅師様に武当拳のすべてを教えています」とギリムイヌルが言った。
「ヂャンサンフォン様が帰ってしまう前に、すべてを教わらなくてはならないと慈恩禅師様は言っていました」
 二人が法堂にいると言うので行ってみた。ヂャンサンフォンと慈恩禅師は文机(ふづくえ)を間に対面していて、ヂャンサンフォンが言う事を慈恩禅師が書いていた。
 ヂャンサンフォンがサハチと苗代大親に気づいて、
「ちょっと一休みしよう」と言った。
 慈恩禅師が振り向いて、サハチたちを見て笑った。
 サハチと苗代大親は頭を下げて、二人に近寄った。
「順調に行っておるよ」と慈恩禅師はサハチに言った。
「ヂャンサンフォン殿が一月後にはいなくなってしまうというのは大きな誤算じゃったがな」と言って笑った。
 慈恩禅師が書いていた物を見たら、人体の絵が描いてあって、あちこちに点が打ってあって、どうやら急所のようだった。
「ヂャン師匠、実はお聞きしたい事があるのです」と苗代大親が言った。
 苗代大親はユミと出会って、武当拳を教わった事を話し、ユミの師匠だったウーニンを知らないかと聞いた。
「そなたが武当拳を身に付けている事は知っていた」とヂャンサンフォンは言った。
琉球にわしの弟子か孫弟子が来て、教わったのじゃろうと思った。ただ、武当拳という名も、わしの事も知らないのじゃろうと思っていたんじゃが、そんな理由があって隠していたとはのう。ウーニンはよく知っておるよ。わしの弟子のフーシュ(胡旭)の弟子じゃ。家族を元(げん)の兵に殺されて、各地をさまよっていたようじゃ。わしの噂を聞いて武当山に登って、フーシュの弟子になったんじゃよ。その頃、わしは武当山にはいなかったんじゃ。あちこちで反乱が起こって、この先、世の中はどうなって行くんじゃろうと戦見物をしていたんじゃよ。ウーニンが武当山に来て四年後、わしは孤児になったシュミンジュン(徐鳴軍)を連れて武当山に戻った。ウーニンはわしの弟子にしてくれと、うるさいくらいに付きまとっていたんで覚えていたんじゃよ」
「それで弟子にしたのですか」とサハチは聞いた。
 ヂャンサンフォンは笑った。
「わしは弟子が育てた者を奪い取ったりはせんよ。お前はわしの孫弟子じゃと言ったんじゃよ。ウーニンはフーシュに似て強い奴じゃった。親の敵を討つために元軍と戦うと言っていたので、戦に参加して戦死してしまったのじゃろうと思っていたんじゃ。南の島で生きていたとは驚いた。武当拳を南の島に広めてくれたお礼を言わなければならんのう」
「ユミが帰ったあと、わしは武当拳の修行を山の中で続けていましたが、いくつか疑問が出て来たのです。しかし、その疑問を正してくれる師はおりません。お願いします。わしの疑問を正してください」
 苗代大親はヂャンサンフォンに頭を下げて頼んだ。
 ヂャンサンフォンはうなづいて、苗代大親を促して庭に出た。
 苗代大親とヂャンサンフォンは武当拳の試合をした。
 サハチは驚いた。苗代大親武当拳は思っていた以上に凄かった。勿論、ヂャンサンフォンにはかなわないが、サハチが戦ったら、勝てるとは言えなかった。かつて、叔父はサハチの剣術の師匠だった。そして、今でも師匠であるという事を思い知らされた。

 

2-172.ユウナ姫(改訂決定稿)

 ササ(運玉森ヌル)たちはドゥナンバラ村のツカサの案内で『ウラブダギ(宇良部岳)』に登っていた。
 サンアイ村から坂道を下ってタバル川に出て、丸木橋を渡って密林の中に入った。密林の中にある沼を右に見ながら進んで、沼の先をしばらく行くとアラタドゥと呼ばれる分岐点に出た。右に行くとドゥナンバラ村に行き、左に行くとダティグ村に行く。ササたちは右に曲がって、ドゥナンバラ村を目指した。
 『ドゥナンバラ村』はユウナ姫が造った一番古い村だった。ユウナ(オオハマボウ)の木に囲まれた広場の周りに、サンアイ村と同じような造りの家が建ち並んでいた。
 クマラパの娘、ラッパの案内で、ドゥナンバラ村のツカサと会った。クマラパもツカサも再会を喜んでいた。もう六十を過ぎているとクマラパは言ったが、とても、そんな年齢(とし)には見えなかった。狩俣(かずまた)のマズマラーのような力強さはなく、優しそうな人だった。
 ツカサはササたちを歓迎して、ユウナ姫様があなたたちを待っていると言って、さっそく、ウラブダギへと案内した。
「ここは昔、ユウナバルと呼ばれていたらしいわ」とツカサは歩きながらササたちに言った。
「夏になるとユウナの花だらけになるのよ。辺り一面が黄色くなって、とても綺麗なのよ」
「どうして、ユウナがドゥナンになったのですか」とササは素朴な疑問を聞いた。
「いつ頃からドゥナンになったのか、わからないんだけど、風のせいじゃないかしら。この島は年中、海から風が吹いているの。風が強くて、よく聞こえない『ゆ』が『どぅ』に変化したんじゃないかしら。よくわからないけどね」
 『ゆうな』が『どぅうな』になって、『どぅなん』になったのかと、ササたちは一応、納得した。
 ウラブダギはこの島で一番高い山と言っても、大した高さはないので、すぐに山頂に着いた。途中、大きな蝶々が優雅に飛んでいて、ササたちを歓迎してくれた。夜になれば、アヤミハビル(ヨナグニサン)という大きな蛾も見られるとラッパは言った。
 山頂の近くに大きな岩があって、そこがユウナ姫のウタキ(御嶽)だった。男たちには山頂で待っていてもらって、女たちはツカサに従って、お祈りを捧げた。
 『ユウナ姫』はササたちにお礼を言って、母(イリウムトゥ姫)がこの島にスサノオ様を連れて来てくれたと言った。
「母から御先祖様のスサノオ様の事は聞いていたけど、こんな遠くの島にやって来るなんて思ってもいなかったので、腰を抜かすほどに驚いたわ」と言ってユウナ姫は笑った。
 美しい声をしていて、姿を見たら、きっと美人だろうとササは思った。
「ユウナ姫様がこの島にいらした時、やはり、この島にも南の国(ふぇーぬくに)から来た人たちが暮らしていたのですか」とササは聞いた。
「驚いた事に、誰も住んでいなかったのよ」とユウナ姫は言った。
「えっ!」とササたちは驚いた。
「この島に来る前、クン島(西表島)のウミンチュ(漁師)たちから、三十年くらい前に、ユウナ島に火の雨が降って、住んでいた島人(しまんちゅ)たちは全滅したと聞いていたの。でも、火の雨が降るなんて信じられなかったわ。この島に来て、あちこちに黒焦げになった木があって、火の雨が降って、みんな焼けてしまったらしいとわかったの。火の雨と関係があるのかわからなかったけど、軽い石もあちこちに落ちていたわ。わたしたちは島中を巡って、生き残った人たちを探したけど、見つからなかったの。それでも、不思議と虫や蝶々、蛇やネズミは生き残ったらしくて、山の中にいたわ。わたしたちはこの島に十人で来たんだけど、子孫を増やすには、もっと連れて来なければ無理だと思ったわ。それで、クン島から十組の若者たちを連れて来て、ユウナバル村を造ったのよ。馬(んま)や牛、鶏(にわとぅい)も連れて来て増やしたわ。わたしは従兄(いとこ)のインヒコと結ばれて、五人の子供を産んだの。三女は生まれてすぐに亡くなってしまったけど、長女はわたしの跡を継いで、次女はクブラ村のツカサになったわ。二人の息子は村造りに貢献してくれたのよ。わたしたちがこの島に来て、五年目の夏だったわ。タオという男が丸木舟(くいふに)に乗って、この島にやって来たの。言葉が通じなくて困ったけど、身振り手振りで話をして、タオが以前、この島に住んでいた事がわかったのよ。タオが八歳の時、火の雨が降ったらしいわ。島は火の海になって、海に逃げた人たちのほとんどが黒潮(くるす)に流されて、遭難してしまって、西方(いりかた)にある大島(うふしま)にたどり着いたのはタオと父親、あと数人しかいなかったらしいわ」
「西方の大島というのは、ターカウ(台湾)の事ですか」とササは聞いた。
「そうよ。よく晴れた日には西の彼方に大きな島が見えるのよ」
「どうして、西に逃げたのですか。東(あがり)に行けばクン島やイシャナギ島(石垣島)があるのに」と安須森(あしむい)ヌル(先代佐敷ヌル)が聞いた。
「大島はタオたちの故郷だったようだわ。とっさの事で、皆、故郷を目指して逃げたようなの。それに、タオたちが住んでいたのは、この島の西にあるクブラだったのよ。その時は火の雨というのがどんなものなのか、わたしにはわからなかったけど、一千年の間に、何回か火の雨が降っているのよ。海の中にある火山が噴火していたんだわ。この島を全滅したほどの大きな噴火はなかったけど、海の中から火が飛び出して来るのよ。その前後には大きな地震もあるわ。火の雨の正体は真っ赤に燃えた軽石だったのよ。噴火のあと、海に浮いていた軽石はあちこちの島の浜辺に流されて来たわ」
 話を聞いていたササたちは驚いていた。海の中の火山が噴火するなんて思ってもみない事だった。
「タオはもっと早くに戻って来たかったようだけど、父親が許さなかったらしいわ。お前には黒潮は越えられない。死にに行くようなものだと言われたみたい。父親が亡くなって、タオはウミンチュたちから黒潮の事を詳しく聞いて、体も鍛えて、この島までやって来たらしいわ。タオは懐かしそうに島を巡って、昔、呼ばれていた地名を教えてくれたわ。火の雨で亡くなった人たちのためにも、当時の地名を残した方がいいだろうと思って、今、呼ばれている地名のほとんどはタオたちの御先祖様が付けた地名なのよ。このお山もそうだわ。タオは一旦、大島に戻って、家族たちと仲間を連れてやって来たのよ。家族の中には幼い子供たちもいて、よく黒潮を乗り越えてやって来たと感心したわ。タオたちはクブラの村を再興したのよ。あとでわかったんだけど、タオの母親と幼い姉弟(きょうだい)はおうちの中にいて、焼け死んでしまったらしいの。タオは母親と姉弟を弔うためにも、この島に戻って来たかったのよ。わたしの次女はクブラ村に行って、タオの孫息子と結ばれたわ。クブラ姫になってクブラダギ(久部良岳)に祀られているわ。クブラ姫の次女がダンヌ姫になって、ダンヌ村を造ったのよ。四代目のダンヌ姫の次女がサンバル村を造ったわ。サンバル村は六十年ほど前、ダンア村に移動して、五十年近く前、ブシキ村と一つになってサンアイ村ができたのよ。アディク村は従妹のメイヤ姫が造って、ユシキ村はわたしの孫娘が造ったわ。どちらもなまってしまって、アディク村はダティグ村に、ユシキ村はブシキ村と呼ばれるようになったの。ナウンニ村は四代目のユシキ姫の次女が造った村だわ。わたしの子孫たちとタオの子孫たちで、この島を造ってきたのよ」
「三百年前に、大津波は来ませんでしたか」と安須森ヌルが聞いた。
「イシャナギ島は大津波にやられたようだけど、この島は大丈夫だったわ。ナンタ浜に大波が来たけど、あの湿地帯には誰も住んでいないし、ウミンチュたちは異変に気づいて、高い所に避難したから被害はなかったのよ」
「ミャーク(宮古島)を襲った倭寇(わこう)の佐田大人(さーたうふんど)は、この島に来なかったのですか」とナナが聞いた。
「ミャークからターカウ(台湾の高雄)に行くお船はこの島に来るけど、ターカウからミャークに向かうお船はこの島には来ないのよ。ターカウはこの島より、かなり南方(ふぇーかた)にあるらしいわ。ターカウから船出したお船はパティローマ(波照間島)に寄って、そこからフシマ(黒島)に寄って、多良間島(たらま)に寄って、ミャークに帰るはずよ」
「この島からミャークに行くのは難しいという事ですか」とササは聞いた。
「この島では西風(うてぃぶち)は滅多に吹かないの。九月頃、戌亥(いんい)(北西)の風が吹くので、その風に乗ってパティローマまで行って、南風(ぱいかじ)の吹く夏まで待ってから、北上してミャークに行く事になるわ」
 九月まで帰れないなんて大変な事だった。ターカウに行ったら、ここには戻って来られない。この島にいるうちに、この島の事をもっと知らなければならないとササは思った。
 ユウナ姫と別れて、ウラブダギを下りたササたちがダティグ村に行こうとしたら、今晩はこの村に泊まって行ってねとツカサに言われた。
「あなたたちが来るって聞いて、六人のツカサが集まって相談したのよ。各村々で歓迎の宴(うたげ)を開いて一泊してもらって、そのあとはあなたたちが好きな村に滞在してもらおうってね」
 ツカサたちが決めたのなら従わなければならなかった。六つの村を見るのに六日も掛かるけど、この島でのんびりするのもいいだろうとササは思った。
 広場の近くに、ササたちのために新築した家が四軒建っていた。その事もツカサたちで決めたようだった。ササたちが家の中で休んでいると、若ツカサのラッパが娘のフーと一緒に、お握りを持ってやって来た。フーは十七歳で、父親はアコーダティ勢頭(しず)の長男のマフニだという。マフニはアコーダティ勢頭の跡を継いで、今頃はトンド(マニラ)に行っているはずだった。
「お父さんはよく来るの?」と聞いたら、フーは首を振って、「三年前に会いました」と言った。
 クマラパたちの家にお握りを持って行ったナーシルが、「誰もいないわ」と言って戻って来た。
「父はみんなを連れて、母のおうちにいましたよ」とラッパが言った。
「早々と酒盛りを始めているに違いないわ」とナナが言った。
「お酒は今晩、飲めるわ。それより、この村に古いウタキはありませんか」とササはラッパに聞いた。
「この村はユウナ姫様が造った村なので、それよりも古いウタキはありません。でも、何だかよくわからないけど、ウタキのような所はあります」
 お握りで腹拵えをして、ササたちはラッパの案内で、村の南側にある小高い丘に登った。密林を抜けると急に視界が開けて海が見えた。
 キャーキャー騒ぎながら若ヌルたちが駈け出した。
「崖だから気を付けて!」とラッパが叫んだ。
 フーは若ヌルたちと一緒にいた。若ヌルたちのお姉さんという感じだった。
 高い崖から下を見下ろすと奇妙な岩が海の中に立っていた。
「『トゥンガン(立神岩)』と言って、南の国から来た人たちが、神様として崇めていたのかもしれないって祖母が言っていたわ」とラッパが言った。
 そう言われてみれば、どことなく神々しさが感じられた。
 崖から離れて岩場だらけの所を通って、密林を抜けると、また海岸に出た。そこは奇妙な岩場だった。平たい岩が幾重にも重なっているように見えた。岩場の上に上がると眺めがよくて気持ちよかった。
「ここは『サンニヌ台』といいます」とラッパが言った。
「ユウナ姫様がこの島に来て三十年くらい経った頃、ドゥナンバル村で争い事が起こったようです。ユウナ姫様の従妹(いとこ)のメイヤ姫様が何かと威張って、クルマタの女たちが反発したのです。ドゥナンバラ村はユウナ姫様の子供たちと、従妹のメイヤ姫様の子供たちと、クルマタの女たちが産んだ子供たちで成り立っていました。メイヤ姫様はイリウムトゥ姫様のお兄さんの娘です。ユウナ姫様と同じように二代目のウムトゥ姫様の孫なのです。誇りがあったのかもしれません。でも、みんなで力を合わせて作った村に、上下関係は必要ありません。村を統治するツカサ以外は皆、平等だというように、ここで決めたそうです。三人の根人(にっちゅ)が話し合った所なので、三根(さんに)の台と呼ばれるようになったのです。その時は納得したメイヤ姫様でしたが、結局は村から出て行って、ダティグ村を造って、自分がツカサになりました。以後、この島は神人(かみんちゅ)であるツカサ以外は、皆、平等という事を守っています」
「皆、平等ですか‥‥‥」と安須森ヌルが呟いた。
 琉球は皆、平等とは言えなかった。力を持った按司がいて、領地を増やすために戦(いくさ)をして、戦をするために領内の人たちから兵糧(ひょうろう)を集めている。商人たちは銭を稼ぐ事に熱中して、貧しい人たちは益々、貧しくなっていく。兄は琉球を統一して、戦のない平和な国にすると言っているが、それは皆が平等な国ではないだろう。皆が平等に暮らしているこの島は、夢のような島だと安須森ヌルは思った。
 サンニヌ台から下を覗くと、ここにも海の中に奇妙な大きな岩(軍艦岩)があった。
「あれは何?」とササがラッパに聞くと、
「ウプイチ(大きな石)」と言って笑った。
 帰りは密林の中に入らずに草原を通った。馬たちがのどかに草を食べていた。
 村の広場で、歓迎の宴が行なわれた。サンアイ村に負けるものかというように豪華な料理とヤマトゥのお酒が出てきて、村の若者たちの歌や踊りが披露された。クマラパが孫娘のフーと武当拳(ウーダンけん)の模範試合をして、村人たちを喜ばせた。
 ササたちはクマラパが武当拳を身に付けている事に驚いて、その強さにも驚いていた。クマラパは七十歳の半ばなのに身が軽く、その軽快な動きはヂャンサンフォン(張三豊)とよく似ていた。もしかしたら、ヂャンサンフォンのように百歳以上も生きるのかもしれないとササたちは思った。
 若ヌルたちが騒いでいるので、何事かと見ると大きな蛾が飛んでいた。『アヤミハビル』だった。その大きさと羽根の美しさにササたちは呆然として、優雅に飛んでいるアヤミハビルを見ていた。
 宴が終わったあと、ササと安須森ヌルはツカサに呼ばれた。サンアイ村の時と同じで、これもツカサたちが決めた事だろうかと思った。
「ラッパからあなたたちの事を聞いて驚いたわ」とツカサは言った。
「あなたたちはナーシルの従姉(いとこ)で、琉球の王様の娘だっていうじゃない。わたしが琉球に行った時、苗代大親(なーしるうふや)様のお兄さんは、佐敷按司を隠居して旅に出たって聞いたけど、その旅に出た人が王様になったって本当なの?」
「本当です。父は隠居して、近くの島で一千人の兵を育てて、中山王(ちゅうさんおう)を倒して王様になったのです」と安須森ヌルが言った。
「凄いわね」とツカサは目を丸くして驚いていた。
「わたしが琉球に行った時、中山王(察度)は丘の上に建つ首里天閣(すいてぃんかく)という凄い御殿(うどぅん)に住んでいたわ。あんなに高い建物を見た事がないから、わたしたちは驚いて言葉も出なかったわ。わたしたちは中山王に歓迎されて、首里天閣に登ったのよ。いい眺めだったわ。中山王の跡継ぎがいる浦添(うらしい)グスクも凄いグスクだったわ。高い石垣に囲まれていて、絶対に攻め落とす事なんてできないだろうと思ったわ。あなたたちのお父様はあのグスクを攻め落としたの?」
浦添グスクは焼け落ちて、首里天閣のあった所に首里グスクができて、新しい都もできました。是非、琉球にいらしてください。そして、正確に言うと、安須森ヌルは中山王の娘ですけど、わたしは姪です。わたしの母は中山王の妹の馬天(ばてぃん)ヌルです」
「えっ、馬天ヌル‥‥‥」と言ってツカサは昔を思い出していた。
「馬天浜で会ったわ。赤ちゃんを連れていたけど、あの時の赤ちゃんがあなたなのね?」
 ササはうなづいた。赤ん坊の時に会っていたなんて驚きだった。ササはツカサの顔をじっと見つめたが、思い出せなかった。
「わたしはユミに頼まれて、ナーシルが生まれた事を苗代大親様に伝えたのよ。苗代大親様は喜んで、ナーシルの守り刀にしてくれって言って、短刀をくれたのよ。今もナーシルが大切に持っているはずだわ」
「父が隠居して、兄が佐敷按司になりましたが、兄には会わなかったのですか」と安須森ヌルが聞いた。
「残念ながら会っていないわ。佐敷按司様は奥さんと一緒に旅に出ているって馬天ヌル様が言ったわよ」
 夫婦揃っての毎年、恒例の旅だわと安須森ヌルは思った。きっと、首里天閣を見に行ったのだろう。もし、兄がドゥナンバラ村のツカサと会っていたら、ナーシルの事もわかったかもしれない。そしたら、もっと早く、南の島に行く船を出したかもしれなかった。でも、あの頃のあたしは豊玉姫(とよたまひめ)様の事も、琉球の古い歴史の事も知らなかった。この島に来たとしても、神様の事は何もわからなかったに違いない。やはり、今、この島に来た事が重要なんだと安須森ヌルは思っていた。
 ツカサと別れて家に戻ると、愛洲(あいす)ジルーたちの家が賑やかだった。昨夜(ゆうべ)のサンアイ村でもそうだった。村の娘たちが訪ねて来ていて、ジルー、ゲンザ(寺田源三郎)、マグジ(河合孫次郎)、ガンジュー(願成坊)は鼻の下を伸ばして、でれでれとしていた。ササは男たちに文句を言ったが、一番、怒っていたのはミッチェだった。ミッチェの剣幕に驚いて、ガンジューは俯いたまま何も言えなかった。それなのに、懲りずにまた村の娘たちと楽しそうに酒を飲んでいるようだ。
 ササたちが怒鳴り込んでやろうと顔を出したら、一緒にいたのはミッチェ、サユイ、タマミガ、ミーカナ、アヤー、ナーシル、それに玻名(はな)グスクヌルもいた。
「見張っているのよ」とミッチェが言って、
「村の娘たちは、この様子を見て帰って行ったわ」とタマミガが笑った。
 ササたちも加わって、酒盛りの続きをした。
 次の日、ササたちはナーシルの案内でダティグ村に行った。
 『ダティグ村』を造ったのはユウナ姫の従妹のメイヤ姫で、メイヤ姫の夫はユウナ姫の弟のトゥイヒコだった。トゥイヒコは姉とメイヤ姫が対立するのを見かねて、新しい村を造ろうと言い出した。東崎(あんあいさてぃ)の近くに新しい村を造って、アディクの木がいっぱいあったので、アディク村と名付けた。アディクの木は堅くて、島人の誰もが持っている槍(やり)の柄になり、実も食べられた。いつしか、アディク村はダティグ村となまってしまった。ただ、木のアディクはダティグとは言わず、アディガと呼ぶらしい。
 東崎から続くダティグチディと呼ばれる高台の裾野にダティグ村はあった。村の造りはどこも似ていて、広場を中心に家々が建ち並んでいた。ササたちはダティグ村のツカサに歓迎された。
 若ツカサのアックはナンタ浜にササたちの出迎えに来て、一緒にサンアイ村に行ったが、昨日、ササたちがドゥナンバラ村に行く時、分岐点のアラタドゥで別れて、ダティグ村に帰っていた。アックにはユナパという十七歳の娘がいた。名前を聞いて、すぐに与那覇勢頭(ゆなぱしず)の娘だとわかった。ドゥナンバラ村のフーと同い年なので、琉球との交易をやめた与那覇勢頭がターカウに行く時、マフニも一緒に乗って来たようだ。
 アックはアコーダティ勢頭の娘で、ユナパが与那覇勢頭の娘だとすると、アコーダティ勢頭は与那覇勢頭の義父という事になる。アコーダティ勢頭の長男、マフニと結ばれたラッパは、アコーダティ勢頭の義理の娘で、ラッパの父親はクマラパなので、マフニはクマラパの義理の息子でもあるわけだ。何だか複雑な家族関係だった。
 ササたちはユナパの案内でダティグチディに登った。眺めのいい所で、東側の海が見渡せた。ササたちが船の上から見たのは、ここに立っていた見張りのサムレーだった。眺めはいいが、風が強かった。人の声もよく聞き取れず、言葉がなまってしまうのも当然のように思えた。
 ダティグチディにメイヤ姫のウタキがあったのでお祈りを捧げた。
「いらっしゃい」と『メイヤ姫』の陽気な声が聞こえた。
「ユンヌ姫様と一緒にスサノオ様を送って琉球まで行って来たのよ。初めて琉球に行って来たわ。スサノオ様やユンヌ姫様を連れて来てくれて、本当にありがとう」
 威張っていたと聞いていたので、意地悪な神様かもしれないと思っていたが、ユンヌ姫と仲よくなったとすれば、いたずら好きだが、決して威張ったりはしないだろう。
「サンニヌ台の話を聞きました。メイヤ姫様が威張っていたので、三人の根人が相談して、皆、平等だと決めたと聞きましたが」
「あらやだ」と言ってメイヤ姫は笑った。
「それはわたしの事ではないわ。わたしの夫のトゥイヒコの事を相談したのよ。トゥイヒコはユウナ姫の弟だから、それをいい事に、見境もなく娘たちに言い寄っていたのよ。村を造り始めた頃は子孫を増やさなくてはならなかったので、トゥイヒコの女好きは咎められなかったけど、五十歳近くになるというのに、女好きは治まらず、若い娘たちに言い寄っていたの。その中には自分の娘もいたのよ。このまま放っておいたら大変な事になるので、根人たちが集まって、トゥイヒコの処置を相談したのよ。ユウナ姫はイシャナギ島に連れて行ってしまえばいいと言ったけど、それでは可哀想なので、わたしが新しい村を造って、トゥイヒコも連れて行く事で解決したのよ。そして、一緒に連れて行く女たちはトゥイヒコの血を引いていない女たちにしたの。トゥイヒコは年を取っても女たちに持てたわ。わたしが女たちにトゥイヒコには近づくなって言っていたから、威張っていたという事になってしまったのね」
「そんな事があったのですか」
 他人の話を鵜呑みにしてしまうと真実を見失ってしまう。気を付けなければならないとササは肝に銘じていた。
 歓迎の宴のあと、ダティグ村のツカサから琉球に行った時の話を聞いた。
 ツカサが琉球に行った時、南部で戦(いくさ)があったあとで、残党狩りをしているので南部には行くなと言われたという。その時の南部の戦というのは、島添大里按司(しましいうふざとぅあじ)だった汪英紫(おーえーじ)が島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスクを攻め落として、山南王(さんなんおう)になった時の戦だった。佐敷按司は戦には関わらなかったが、山賊になったヒューガと『三星党(みちぶしとー)』のウニタキが裏で活躍したと安須森ヌルは兄のサハチから聞いていた。
「佐敷には行かなかったのですか」と安須森ヌルが聞いたら、
「帰る少し前に行ったわ」とツカサは言った。
登野城(とぅぬすく)の女按司(みどぅんあず)とタキドゥン島(竹富島)の若按司は馬天浜(ばてぃんはま)のサミガー大主(うふぬし)様の所で、鮫皮(さみがー)を作るために島の若者たちを修行させていたの。その若者たちを連れて帰らなければならなかったので、許可を得て行って来たのよ。王様が警護のサムレーを付けてくれたので、自由に動けなくて、うまく苗代大親様に会えるかどうか心配だったけど、サミガー大主様のお屋敷に馬天ヌル様がいたのよ。可愛い娘さんを連れてね。あの娘さんがあなただったのね」
 ササはうなづいて、ツカサの顔を見つめたが、やはり思い出せなかった。
「馬天ヌル様のお陰で、苗代大親様に会えて、ユミとナーシルが元気だと教えてあげたのよ。一緒にドゥナン島(与那国島)まで行きたいって言ったけど、今は無理だって苗代大親様は首を振ったわ」
 ツカサはアコーダティ勢頭との出会いも話してくれた。
 丸木舟でミャークからやって来たアコーダティ勢頭は英雄として迎えられて、ドゥナンバラ村にやって来た。当時はナックと呼ばれていた。
「何かを始める時、一番古いドゥナンバラ村が最初で、次がダティグ村、サンアイ村、ナウンニ村、ダンヌ村、そして、最後が二番目に古いクブラ村なの。今回は例外で、ナーシルが琉球に関係あるので、サンアイ村が最初になったのよ」とツカサは言った。
「ナックが来た時、ドゥナンバラ村の若ツカサのパンにはクマラパ様の息子がいたわ。それにナックよりも六つも年上だったの。次の日、ナックはダティグ村に来たわ。わたしはナックの心をつかもうと着飾ってお持てなしをしたんだけど、何も起こらず、ナックはサンアイ村に行ってしまったの。サンアイ村のユミとナウンニ村のマヤは、まだ幼いので大丈夫だけど、ダンヌ村のレンは十六で、クブラ村のメイは十七で、その二人は強敵だったわ。ナックはレンかメイに取られてしまったかもしれないと悲しんでいたら、ナックがこの村に戻って来て、わたしはナックと結ばれたのよ。ナックが帰るまで、わたしたちは幸せに暮らしたわ。翌年も、その翌年もナックは来たけど、その後は来なくなってしまったの。クマラパ様に聞いたら、ナックはトンドの国に行っていて忙しいって言ったわ。琉球に行く時にミャークに行って再会したけど、昔の面影は消えてしまって、すっかり逞しい船頭(しんどぅー)(船長)になっていたわ」
 次の日、ササたちは『サンアイ村』に戻って、隣り村の『ナウンニ村』に行ったら、ムカラーがいた。ムカラーは子供たちと遊んでいて、その中の二人はムカラーの子供だった。
 母親は若ツカサのリーシャで、ムカラーはリーシャと子供たちに会いたくて、ササたちの案内役を志願したのだった。船頭になったマフニに信頼されて、トンドの国に行っているので、なかなかドゥナン島には来られなかった。ムカラーはミャークに妻はいなくて、リーシャが妻だと言っていた。できれば、リーシャと子供たちをミャークに連れて行きたいけど、リーシャはドゥナン島がいいと言う。ムカラーはリーシャの気持ちを尊重して、自分が通うと言ったが、思うようにはいかなかった。今は無理だが、あと何年かしたら、必ず、この島にやって来て、この島に住むと言っていた。
 ナウンニ村のツカサのマヤはダティグ村のツカサの次に琉球に行くはずだったが、子供が幼かったので最後でいいと遠慮した。
琉球には行けなかったけど、ターカウに行って、珍しい物をいっぱい見て驚いてきたわ」とマヤは楽しそうに笑った。
 リーシャの父親はユミの弟のロンだった。幼い頃から父親に武当拳を仕込まれたロンは、武当拳の名人だった。謙虚な人で、その強さをひけらかす事はなく、ナーシルと試合をしても負けているらしい。本当に強くなれば、試合をしなくても相手の強さがわかるはずだ。ナーシルもいつか、本当の強さを手にするだろうとマヤに言ったという。
 ロンはサンアイ村に住んでいるが、マヤと三人の子供がいるので、ナウンニ村によくやって来て、若者たちに武当拳の指導をしているという。マヤは他所(よそ)からやって来る船頭と結ばれて、贅沢な物を手に入れるよりも、村を守るために武当拳の名人を選んだのだった。
 ナウンニ村の歓迎の宴で見た武当拳の演武は、他の村よりも気合いが入っているように感じられた。
 翌日、ササたちは、昔、ダンア村があったというトグル浜に行った。この浜に『ムラカミ』という倭寇がやって来た。船を修理するためにしばらく滞在して、ムラカミはユミの母親と結ばれて、ユミが生まれた。そのムラカミがあやの祖父だとしたら、この島にあやの親戚がいる事になる。あやに知らせたら、船を出して会いに来るかもしれないとササは思って、一人で笑った。
 昔、サンバル村があった場所は牧場になっていて、馬と牛が放牧されていた。その牧場の先に『ダンヌ村』があった。
 ダンヌ村のツカサのレンはウプラタス按司の娘だった。野崎按司(ぬざきあず)と結ばれて、娘のユッカが生まれ、ユッカは与那覇勢頭の息子のトゥクと結ばれて、娘のジーナを生んでいる。ジーナは十七歳で、ドゥナンバラ村のフーとダティグ村のユナパと同い年だった。
 レンは琉球に行った時の事を話してくれた。
「その年の琉球旅が最後だったのよ。最後だってわかっていたわけじゃないけど、その年はヌルたちが多く乗っていたわ。ウムトゥダギ(於茂登岳)のフーツカサのマッサビもいたのよ。わたしよりも十歳も年下なのにヌルとしての貫禄があって、凄い神人(かみんちゅ)だと思ったわ。マッサビはミャークの上比屋(ういぴやー)のリーミガといつも一緒にいたわ。二人は同い年で、とても仲良しだったの。イシャナギ島では登野城の女按司、新城(あらすく)の女按司、名蔵(のーら)の女按司がいて、クン島からクンダギのツカサ、ミャークからは百名(ぴゃんな)のウプンマがいたわ。パティローマ(波照間島)の若いツカサもいたわね。わたしは同年配の登野城の女按司と百名のウプンマと一緒にいる事が多かったの。琉球に行って驚いたんだけど、中山王(察度)が亡くなって、息子(武寧)が跡を継いでいたのよ。わたしは初めて琉球に行ったので、何を見ても驚いてばかりいたけど、何度も行っていた登野城の女按司は、何となく様子がおかしいって言っていたわ。わたしは登野城の女按司に連れられて、馬天浜に行ったのよ。ユミからの言づてもあったので、馬天ヌル様を探したんだけど、旅に出ていて留守だったの。馬天ヌル様には会えなかったけど、苗代大親様には会えて、ユミとナーシルの事を伝えたわ。苗代大親様はナーシルに会いたいと言ったわ。今は無理だけど、いつの日か必ず会いに行くと約束してくれたのよ」
 ササは南の島に船出する前、叔父の苗代大親と会った時、叔父が何かを言いたそうな顔をしていたのを思い出した。あの時、ナーシルの事を告白しようと思ったのかもしれない。でも、叔父は、気をつけて行ってこいと言って笑っただけだった。本心は、叔父も一緒に行きたかったのかもしれないと思った。
「あの時、馬天浜で一人で遊んでいる女の子がいたわ。マッサビ様が女の子に声を掛けたら、『遠い国から来たのですね』と女の子が言ったので、あたしたちは驚いたわ。女の子は海の方をじっと見つめて、『高いお山が見えるわ。綺麗な滝もあるわ』と言ったのよ。マッサビ様は笑って、この娘(こ)、今に凄いヌルになるわねって言ったわ。もしかしたら、その女の子はあなたではなかったの?」
 そう言ってレンはササを見た。
 ササの脳裏に当時の情景がはっきりと思い出された。当時、六歳だったササは旅に出てしまった母を思いながら浜辺で貝殻を拾っていた。寂しくて泣きたくなった時、見た事もない女の人たちが近づいて来て声を掛けて来た。
 『マッサビ』がいた。『ブナシル』もいた。上比屋の『リーミガ』もいた。『クンダギのツカサ』もいた。そして、目の前にいる『レン』もいた。ササは十八年前に、それらの人たちに会っていたのだった。
 マッサビから南の島の話を聞いた。幼いササは行ってみたいと思った。すっかり忘れていたが、心の奥に残っていた記憶が、ササを南の島へと誘(いざな)ったのかもしれなかった。

 

 

 

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