長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

2-210.大義名分(改訂決定稿)

 シタルー(先代山南王)の命日に豊見(とぅゆみ)グスクのシタルーのお寺(うてぃら)で、護国寺(ぐくくじ)の僧たちと山南王(さんなんおう)(他魯毎)のヌルたちによって法要が行なわれた。トゥイ様(先代山南王妃)とマアサはいないが、子供たちや孫たちは皆集まって、シタルーの冥福(めいふく)を祈った。身内だけの法要にして、按司たちや冊封使(さっぷーし)たちは呼んでいなかった。
 大きなお腹をした島尻大里(しまじりうふざとぅ)ヌル(前豊見グスクヌル)がヌルたちを率いてやってきたので、豊見グスクの城下の人たちは目を丸くして驚いていた。
「ようやく、わたしにもマレビト神様が現れたのよ」と島尻大里ヌルが嬉しそうに言ったので、城下の人たちは、それはおめでたいと心から祝福してくれた。
 大きなお腹で人前に出るのは恥ずかしかったけど、馬天(ばてぃん)ヌルを見倣わなければならないと勇気を出してやって来た。長年お世話になってきた豊見グスク城下の人たちに祝福されて、やっぱり来てよかったと島尻大里ヌルは感激していた。
 その二日後の夕方、島添大里(しましいうふざとぅ)グスクの東曲輪(あがりくるわ)で娘たちによる武当拳(ウーダンけん)の勝ち抜き試合が行なわれた。
 リーポー姫(永楽帝の娘、漢麗宝)、リーポー姫の護衛のリーシュン(李迅)とヂュディ(朱笛)、サスカサ(島添大里ヌル)、マナビー(チューマチの妻)、マチルー(ウニタルの妻)、マウミ(マグルーの妻)、ハルとシビー、ミヨン(ファイテの妻)とファイリン(シングルーの妻)、非番の女子(いなぐ)サムレーのアミー、シジマ、チャウサ、イユ、クトゥが参加した。いつも剣術の稽古をしている娘たちのほかにも、噂を聞いて集まって来た人たちの見守る中、試合は行なわれた。サハチ(中山王世子、島添大里按司)もナツと子供たちを連れて見ていた。
 くじ引きで対戦相手が決まり、勝ち抜き表に名前が書かれて張り出された。組み合わせにもよるが、最後まで残るのはリーポー姫と女子サムレーのアミーだろうとサハチは思った。リーポー姫は一番若いが、幼い頃からチウヨンフォン(丘永鋒)の指導を受けている。アミーは島添大里の女子サムレーの中で一番強かった。
「ハルも出ているけど大丈夫かしら?」とナツが心配した。
「ハルも一応、キラマ(慶良間)の島にいるアミーに鍛えられているからな。それに、シビーと一緒に武当拳の稽古にも励んでいるよ」
「あの娘(こ)、今でもあなたの側室なのですか」
「さあ?」とサハチは首を傾げた。
「でも、あの娘が来てくれてよかったですね。お祭り(うまちー)の事はユリとハルとシビーの三人に任せれば安心です」
「安須森(あしむい)ヌル(先代佐敷ヌル)もいるだろう」
「安須森ヌル様は特別ですよ」
 第一試合が始まった。リーポー姫はチャウサに勝ち、アミーはヂュディに勝ち、ミヨンはマウミに勝った。サスカサはイユに勝ち、ハルはリーシュンに負け、シビーはシジマに負けた。マチルーはクトゥに負け、ファイリンとマナビーはいい試合をして、ファイリンが勝った。サスカサが女子サムレーのイユに勝ったのは意外だった。ナツはミヨンがマウミに勝ったのが意外だと言った。
「ミヨンは幼い頃からウニタキが仕込んだのだろう。母親のチルーも強かったしな」とサハチはナツに言った。
 残った八人が第二試合を行なって、リーポー姫はシジマに勝ち、アミーはリーシュンに勝ち、サスカサはファイリンに勝ち、ミヨンはクトゥに勝った。ミヨンが女子サムレーのクトゥに勝ったのにはサハチも驚いた。夫のファイテ(懐徳)が明国(みんこく)に留学したあと、義妹のファイリン(懐玲)と一緒に娘たちの稽古に参加していたが、これほど強いとは思ってもいなかった。
 準決勝はリーポー姫対アミー、サスカサ対ミヨンだった。どちらの試合も凄かった。皆、固唾(かたず)を飲んで見守った。ほんのわずかの差で、リーポー姫がアミーに勝ち、サスカサがミヨンに勝った。
「サスカサ、強いわね」とナツが感心した。
 サハチも驚いていた。サスカサが新(あら)グスクでヂャンサンフォン(張三豊)の一か月の修行に参加したのは五年前だった。あれから武当拳の修行を怠りなく続けてきたのだろう。ササを目標に頑張ってきたに違いない。
 決勝はリーポー姫とサスカサで、身の軽い二人は飛び跳ねながら戦っていて、まるで、曲芸を見ているようだった。勝負はなかなかつかず、これ以上やると危険なので、見証役(けんじょやく)(審判)のチウヨンフォンが止めに入って、引き分けとなった。
 リーポー姫とサスカサは手を握り合って、お互いを認め合った。見ていた者たちが二人に喝采を送った。リーポー姫が手を振って、琉球の言葉で、みんなにお礼を言った。
 試合を見ていたクチャとスミは感激して、武当拳を身に付けるまでは名護(なぐ)に帰らないと誓い合っていた。
 娘たちの剣術の稽古が終わったあと、安須森ヌルの屋敷で、リーポー姫の送別の宴(うたげ)が開かれた。わずか三か月足らずの滞在なのに、リーポー姫の琉球言葉は驚くほど上達していた。時々、ファイリンに通訳してもらいながら、みんなに囲まれて楽しそうに笑っていた。
 サハチはウニタキ(三星大親)とンマムイ(兼グスク按司)と一緒に、ツイイー(崔毅)の通訳でチウヨンフォン、チャイシャン(柴山)と酒を飲んでいた。チウヨンフォンもチャイシャンも琉球に来てよかった。是非、もう一度、来たいと言った。
「リーポー姫様は南蛮(なんばん)(東南アジア)の王女様たちと仲良くなった。今度は南蛮に行くと言い出すだろう。旧港(ジゥガン)(パレンバン)もジャワ(インドネシア)もトンド(マニラ)も進貢船(しんくんしん)を明国に送っている。永楽帝(えいらくてい)が命じれば、それらの船に乗る事ができるだろう。ムラカ(マラッカ)からも進貢船は来ている。ヂャン師匠(張三豊)に会うためにムラカに行くかもしれない」とチウヨンフォンは言った。
「俺たちも行きたいですね」とンマムイが言って、サハチとウニタキを見た。
「そうだな。親父が健在なうちに行ってみたいな」とサハチは言った。
「もう少し待った方がいいかもしれません」とチャイシャンが言った。
「今、スンシェン(孫弦)という宦官(かんがん)が永楽帝に命じられて海賊退治をしています。それが終わってからの方が安全でしょう。海南島(ハイナンダオ)の付近にはスンシェンにやられた残党どもが集まって悪さをしているようです」
海南島ってどこですか」とサハチは聞いた。
「広州(グゥァンジョウ)の南にある島です。南蛮に行くにはその島の近くを通らなくてはなりません」
「シーハイイェン(施海燕)たちは大丈夫だろうか」とサハチは心配した。
「旧港とジャワの船、二隻が一緒に行けば大丈夫でしょう。二隻を襲うほどの力はありません。ただ、一隻だけだと襲われるかもしれません。それに、浮島(那覇)で見ましたが、琉球の進貢船には鉄炮(てっぽう)(大砲)がない。鉄炮がないと襲われる可能性は高くなります」
「成程、やはり、鉄炮がないと危険か‥‥‥」
鉄炮と火薬は国家機密ですから、永楽帝琉球鉄炮を持つ事を許さないでしょう。海賊退治が終わってから行った方がいいですよ」
 翌日、リーポー姫たちは浮島から冊封使の船に乗って帰って行った。リーポー姫を見送ったウリーは明国の言葉を学んで、必ず明国に行くと言った。来年の正月に出す進貢船に乗って明国に行って来いとサハチはウリーに言った。
「来年の正月ですか」とウリーは驚いた。
「お前は来年、十六だろう。十六になったらヤマトゥ(日本)旅に出るのが慣わしだが、唐旅(とーたび)が先になってもかまわんよ。明国に行って、いっぱい驚いてこい」
 ウリーは父親を見ながら強くうなづいた。嬉しくて涙が知らずにこぼれ落ちた。
 リュウイン(劉瑛)の妻のチルーと子供たちも冊封使の船に乗っていた。ウニタキによって、チルーは弟の真喜屋之子(まぎゃーぬしぃ)と会っていた。チルーは突然現れた弟に驚いたが、弟がヤマトゥで無事に生きていると信じていたという。二人は語り合って、真喜屋之子は親父にはまだ内緒にしてくれと言った。俺が琉球にいる事がわかると親父が危険な目に遭うと言うと姉も納得して、いつの日か親子の対面ができる日が来る事を祈っていると言った。
 冊封使の船と一緒に、サングルミー(与座大親)を正使とした進貢船も船出して行った。従者として重臣たちの息子たちが唐旅に出た。その中から使者を志す者が出てくれればいいとサハチは願った。
 冊封使の船を見送りながら、「やっと、終わりました」とファイチ(懐機)がほっとしたように言った。
「サングルミーさんの話だと、今回の冊封使たちはおとなしかったそうです。一行の中にはわがままを押し通して困らせる者が何人かいるのですが、今回はそんな奴もいなかったと言っていました。リーポー姫様のお陰かもしれません。リーポー姫様がサハチさんを頼っていたので、皆、サハチさんを恐れて、おとなしくしていたようです」
「俺を恐れていただと?」
 ファイチは笑った。
永楽帝が明国で恐れられている証(あかし)ですよ。リーポー姫様の口は誰にも封じられませんからね。リーポー姫様が冊封使たちの悪口を永楽帝に言えば、冊封使たちの首が飛ぶ事もあり得るのです。なるべく、騒ぎを起こさないように自重していたのでしょう」
「わがまま娘に助けられたという事だな」
 ファイチはうなづいた。
「リーポー姫様は琉球の進貢船に乗って、また遊びに来ると言っていましたよ」
「リーポー姫様ならそれも可能だな」とサハチは笑った。
「しかし、刺客(しかく)まで一緒に連れて来られたらかなわんな」
 冊封使たちが帰って、慌ただしい日々も終わった。冊封使たちとは関係なく、普請(ふしん)を続けていたジクー寺が首里(すい)の城下の入り口に完成した。
 落慶供養(らっけいくよう)はジクー(慈空)禅師がヤマトゥから帰って来てからという事になったが、身内だけによる完成祝いの宴が、本堂で密やかに行なわれていた。集まったのは、東行法師(とうぎょうほうし)に扮した思紹(ししょう)(中山王)、サムレーの総大将の苗代大親(なーしるうふや)、水軍大将のヒューガ(日向大親)、軍師のファイチ、馬天ヌル、安須森ヌル、サスカサ、サハチ、マチルギ、ウニタキ、奥間大親(うくまうふや)(キンタ)の十一人だった。
 いつもなら首里グスクの龍天閣(りゅうてぃんかく)でやるのだが、これだけの顔触れが集まると何事かと噂になってしまう。戦の最中ならともかく、何事もないのに集まるとあらぬ噂が流れるので、できたばかりのジクー寺で完成祝いの宴として集まる事にしたのだった。
 新助が彫った御本尊のお釈迦(しゃか)様は、何となく思紹に似た顔付きだった。お釈迦様の見守る中、イーカチ(辺土名大親)が描いた琉球の絵図を囲んで、十一人は顔を見合わせた。
「速いものね。あれからもう十年が経つのね」と馬天ヌルが言った。
 思紹が皆の顔を見回して、「みんな、あれから十年の年を取ったという事じゃな」と言って笑った。
「あの時、十年後に今帰仁(なきじん)を攻めると決めたが、来年、それが実行できると思うか」
 思紹の質問に即答できる者はいなかった。
「あの時とは状況が大分変わりました」とマチルギが言った。
「チューマチ(ミーグスク大親)の妻のマナビーは山北王(さんほくおう)(攀安知)の娘だし、マグルーの妻のマウミは山北王の妹のマハニさんの娘なんですよ。今帰仁を攻めたらマナビーもマハニさんもマウミも悲しみます」
「祖父の敵討(かたきう)ちはもういいのか」とサハチはマチルギに聞いた。
「祖父の敵は先々代の山北王(帕尼芝)よ。山田の叔父さん(先代山田按司)が敵を討ってくれたわ。それでいいのよ」
今帰仁攻めはマチルギの敵討ちでもあるが、『琉球の統一』という若き日のサハチの宿願でもある。戦のない世の中にするには、琉球の統一は必要な事なんじゃよ」
「山南王は思紹殿の娘婿がなったので問題はないのう」とヒューガが言った。
 思紹がうなづいた。
「山北王を攻めるのにシタルー(先代山南王)は邪魔だった。今帰仁を攻めている時、シタルーは必ず、首里を攻めたじゃろう。タブチ(先々代八重瀬按司)の倅が敵討ちとしてシタルーを倒したのは、わしらに取っては幸運じゃった。だが、山北王も何もしていなかったわけではない。常識では考えられん手を使って、若按司を山南王の世子(せいし)(跡継ぎ)にしている。そして、南部に兵も送っている。まごまごしていると、山北王に南部を乗っ取られる事になるかもしれん。山北王はまだ、わしらと戦(いくさ)をする気はないじゃろう。時期としては来年に攻めるのが丁度いいと、わしは思っているんじゃ」
「今の状況で今帰仁を攻めるのは難しいですよ」とサハチは言った。
「三王同盟を結んでいるので、誰もが当分は戦がないと安心しています。急に戦をすると言ったら、民衆たちの反感を買いますよ」
「戦をするには大義名分(たいぎめいぶん)が必要です」とファイチが言った。
大義名分?」と思紹がファイチを見た。
 意味がわからず、皆がファイチを見ていた。
儒教(じゅきょう)の教えの中にある言葉です。戦をするには、正当な理由が必要だという意味です。誰もが納得する理由がない限り、戦をしても兵たちの心が一つにまとまらずに士気が低下して、敗れる事になります」
「正当な理由か‥‥‥うむ。もっともな事じゃな」
「今までの戦にどんな大義名分があったのか、考えてみるのがいいのではありませんか」と苗代大親が言った。
「そうじゃな。過去の戦を参考にしてみよう。シタルーの死から始まった南部の戦の大義名分は何だったんじゃ?」
他魯毎(たるむい)(山南王)の大義名分は、親の敵(かたき)を討って、山南王の座を取り戻す事じゃろう」と苗代大親が言った。
「それなら、タブチの大義名分は何じゃ?」とヒューガが聞いた。
「そうか。敵にも大義名分があるのか」とサハチはヒューガを見てから、
「タブチの大義名分は、汪英紫(おーえーじ)(先々代山南王)の長男の自分が山南王になるのが当然だという事じゃないですか」と言った。
「しかし、タブチは途中で抜けて、摩文仁(まぶい)(前米須按司)が山南王になった。摩文仁他魯毎と戦った時の大義名分は何じゃ?」とヒューガがサハチに聞いた。
摩文仁はトゥイ様の兄で、シタルーの義兄だった。山南王の義兄が跡を継ぐと主張したのでしょう」
「しかし、摩文仁は破れた。中山王も山北王も他魯毎を支持したのは、他魯毎大義名分が正当だと判断したからじゃろう」
「敵討ちというのは立派な大義名分じゃな。わしが山北王に殺されれば、お前は敵討ちという大義名分で山北王を攻められる」と思紹がサハチに言って笑った。
「何を言っているんですか」
「山北王が刺客を送ってわしを殺そうとたくらんではおらんか」と思紹はウニタキに聞いた。
「それはありません。シタルーと違って山北王は刺客を育ててはいません。もし刺客がいるとしたら、湧川大主(わくがーうふぬし)が抱えているかもしれません」
「湧川大主は裏の組織を持っているのか」
「裏の組織というほどではありませんが、配下の者が『油屋』にいて各地の情報を集めています」
「油屋が情報集めをしていたのではなくて、湧川大主だったのか」
「『油屋』が先々代の山北王に頼まれて始めたのですが、首里の城下ができて、『油屋』の主人のウクヌドー(奥堂)が首里に移った時、情報集めをしていた者たちを湧川大主が配下に組み入れたのです。配下の者たちは『油屋』の仕事に従事しながら、情報は湧川大主のもとに届けているのです」
「『油屋』は奥間(うくま)ヌルの娘が俺の娘だと知っているな」とサハチは言った。
首里のサムレーたちも噂していたぞ」と苗代大親が笑った。
「今、湧川大主がいないので、山北王はまだ知らないのかもしれませんが、その事を知ったら奥間を攻めるかもしれません。察度(さとぅ)(先々代中山王)が今帰仁を攻めたのは、山北王が奥間を攻めようとしていたからだそうです」
 安須森ヌルが驚いた顔をして、
「どうして、山北王は奥間を攻めようとしたの?」とサハチに聞いた。
「当時、奥間は察度と強いつながりがあったんだ。山北王はそれが気に入らなかったのだろう。奥間の人たちを追い出して、奥間の山を奪おうと考えたのに違いない」
「山北王が亡くなって、奥間攻めは中止になったのね」
「戦のあと、城下の再建で忙しかったからな。きっと、再建には奥間の力も借りたのだろう。だが、先代の奥間大親(ヤキチ)が玻名(はな)グスク按司になって、中山王と奥間のつながりは山北王に知られた。さらに、奥間ヌルの娘が俺の娘だと知れば、山北王は奥間を攻めるかもしれない」
 サハチはそう言ってから思紹を見て、「もし、山北王が奥間を攻めたら、奥間を助けるために今帰仁を攻めるというのは大義名分になりませんか」と聞いた。
「察度の今帰仁攻めには、鳥島(とぅいしま)(硫黄鳥島)を取り戻すという大義名分があった。その頃の中山王は山北王の使者を中山王の船に乗せてやっていた。それなのに山北王は裏切って鳥島を奪い取った。裏切り者を倒せ。鳥島を取り戻せ。立派な大義名分じゃ。奥間の事は二の次じゃろう。もし、山北王が奥間を攻めたとしても、中山王が今帰仁を攻める大義名分にはならんな。玻名グスク按司が仲間の敵討ちだと今帰仁を攻めるのなら大義名分になるが、それを助けるために中山王が動くというのは無理がある」
「奥間を攻められても、奥間を助けられないと言う事ですか」
「中山王としては動けんという事じゃ。実際にそんな事が起こったら助けなければならんが、ほかの大義名分を探さなければならん」
「うーむ」とサハチは唸った。
「話を戻して、中山王が南部の戦に参加した大義名分は何じゃろう?」とヒューガが聞いた。
「あの時の戦は東方(あがりかた)の問題として、反乱を起こしたタブチ、摩文仁大主(先々代米須按司)、中座大主(先々代玻名グスク按司)、山グスク大主(先々代真壁按司)、ナーグスク大主(先々代伊敷按司)の五人を退治するというのが名目でした。中山王が介入したのは、親父がトゥイ様と直接に会って決めた事でしょう」
「そうじゃ。トゥイ様から正式に援軍依頼があったんじゃよ」
「援軍依頼があった場合、それは大義名分になるのか」とサハチはファイチに聞いた。
「それは場合によりますよ。先ほどの話で、玻名グスク按司から援軍依頼があって、今帰仁を攻めたとして、それは大義名分にはならないでしょう。南部の戦の時、中山王がトゥイ様の依頼で援軍を出したのは、山北王が攻めて来るという知らせが来て、これ以上、南部を混乱させないために介入する事に決めたのです。その事に皆が納得したのなら大義名分になると思います」
「皆が納得すればいいのだな?」
重臣たちだけでなく、兵たちは勿論、戦に参加しない民衆もです」
「民衆もか」
「家族が納得しないで、そんな戦に行くなと言ったら、兵たちはやる気をなくします。家族たちがしっかり働いてこいと送り出すような戦をしなければなりません」
「それは難しいな」とウニタキは言ったが、ファイチは話を続けた。
今帰仁攻めは大きな戦です。琉球中を巻き込む事になります。多数の戦死者も出るでしょう。戦死した者の家族が悲しむのは当然の事ですが、よくやったと言いながら悲しむのと、何であんな戦で死ななければならないんだと悲しむのでは大きな差があります。あんな戦と思われては、たとえ戦に勝ったとしても、民衆は付いて来ないでしょう。琉球を統一するには、戦が終わったあと、みんなが喜ぶような戦にしなければなりません」
「そうじゃな」と思紹がうなづいた。
「ファイチの言う通りじゃ。戦をするのが目的ではない。山北王を倒して、琉球を一つにまとめて、戦のない平和な世の中にするのが目的じゃ。戦はその手段に過ぎん。山北王は退治されて当然だと思わせなければならん」
「山北王がよほど悪い事をしない限り、それは難しいのではありませんか」とウニタキが言った。
「今のままでは、だめなのですか」とマチルギが思紹に聞いた。
「今の状況がずっと続くのならいいが、そうは行くまい。島尻大里グスクにいる山北王の若按司のミンは来年、十五になる。速ければ来年、遅くとも再来年には婚礼を挙げるじゃろう。婚礼に参加すると言って山北王は兵を送り、島尻大里グスクを制圧して、他魯毎を無理やり隠居させ、ミンを山南王にするかもしれん。ミンが山南王になれば、山北王は堂々と南部に兵を送って、わしらは挟み撃ちにされるんじゃよ。まだ、山北王はその準備はしていない。準備を始めてからでは遅いんじゃ。山北王が準備を始める前に倒さなくてはならないんじゃよ」
「そのための準備とは言えませんが、伊敷(いしき)グスクにいるミンの護衛兵の大将の古我知大主(ふがちうふぬし)が長嶺按司(ながんみあじ)に近づいています」とウニタキが言った。
 絵図を見ながら、「伊敷グスクから長嶺グスクまで出向いたのか」と思紹が聞いた。
「古我知大主はしばらくテーラーグスク(平良グスク)に滞在して、保栄茂(ぶいむ)グスクに出入りしていたのです。そこで長嶺按司と出会って意気投合したようです。奴は長嶺グスクにも行っています」
「そうか。首里を攻めるのに長嶺グスクが邪魔なので、味方に引き入れようとたくらんでいるのだな」
「そのようです」
「伊敷グスクにいる山北王の兵は居座ってしまったのか」
「若按司のミンの重臣として南部に来た伊差川大主(いじゃしきゃうふぬし)は、山北王の使者として明国に行っているのです。伊敷グスクを管理しているのは李仲按司(りーぢょんあじ)で、李仲按司今帰仁にいた頃、一緒に明国に行ったようです。二人は再会を喜んで、伊敷グスクを山北王の兵に使わせたのです。夏になったら帰る予定だったのですが、何の知らせのないまま、山北王の船は今帰仁に帰ってしまったようです。その船は兵を乗せて鬼界島(ききゃじま)(喜界島)に行っています」
「残された兵たちは何をしているんだ?」とサハチは聞いた。
「毎日、武芸の稽古に励んでいるよ。農繁期には農作業の手伝いもしているようだ。テーラーグスクの兵たちは家族を呼んだからいいが、伊敷グスクの兵たちは早く帰りたいと愚痴をこぼしている」
「山北王の兵は南部に何人いるんじゃ?」と思紹がウニタキに聞いた。
「伊敷グスクに百、テーラーグスクに百、保栄茂グスクに五十、それに島添大里のミーグスクに五十です」
「三百か。他魯毎の兵は今、何人じゃ?」
「島尻大里の兵は四百ですが、来年、進貢船を出すと百人は明国に行きます」
「すると三百か」
他魯毎の兵は三百ですが、八人の重臣たちがそれぞれのグスクに五十の兵を持っています。半数が駆けつけたとして二百は増えます。それに、従っている按司たちの兵が加われば七百は増えるでしょう」
「会わせて千二百か。東方の戦力は?」
「それぞれのグスクを守る兵を除いて、動員できる兵力は千三百です」
「東方の兵たちを残して置けば、南部の事は何とかなりそうじゃな。それで、今帰仁の兵力は?」
今帰仁の兵力は四百です。そのうち百五十が鬼界島に出陣しています。水軍も二百いますが、ほとんどの船は兵を乗せて鬼界島に行っています」
「鬼界島には四百の兵を送ったと聞いているが、残りの二百五十は按司たちから徴収したのか」
「湧川大主の兵が百人と、国頭(くんじゃん)、羽地(はにじ)、名護が五十人づつです。湧川大主は運天泊(うんてぃんどぅまい)を守るために百五十の兵を持っています。志慶真大主(しじまうふぬし)は今帰仁グスクの搦(から)め手(裏門)を守るために百の兵を持っています」
「志慶真大主が搦め手を守っているのか」
「二代目の今帰仁按司の息子が搦め手を守るために、志慶真村を造って、志慶真大主を名乗ったのが始まりのようです。按司が変わっても、ずっと搦め手の志慶真御門(しじまうじょう)を守ってきたようです。戦の度に村は焼かれたようですが、すぐに再建して今に至っています。村の者たちは皆、志慶真御門を守る事に誇りを持っています。ほかにも五人の重臣がそれぞれの本拠地に五十人の兵を持っていて、それらが半数加わったとして、総数は七百から八百といった所でしょう。ただ、冬だと与論島(ゆんぬじま)、永良部島(いらぶじま)、徳之島(とぅくぬしま)、奄美大島(あまみうふしま)からも援軍が来ます」
「そうか。北風(にしかじ)が吹いているうちはまずいな。すると今帰仁攻めは四月以降という事じゃな」
「四月だとまだヤマトゥンチュ(日本人)がいますよ」とサハチが言った。
「察度の今帰仁攻めも四月じゃったな。あの時、ヤマトゥンチュたちはどこにいたんじゃ?」
伊江島(いーじま)に避難していたようです」
伊江島か‥‥‥四月半ばには梅雨に入る。梅雨が明ければ暑くなる。四月の初め頃が無難かのう」
「四月となると、あと半年ですね」
「先の事はわからんが、四月を目安として準備だけはしておこう」
 思紹がそう言うと、皆がうなづいたが、
「名護、羽地、国頭、恩納(うんな)、金武(きん)の兵力が抜けている」と苗代大親が言った。
「名護、羽地、国頭は二百の兵力を持っています。恩納と金武は百です。それぞれが半数を今帰仁に送ったとして、総数は四百といった所です」とウニタキが答えて、思紹を見ると、
「もし、国頭按司が山北王を倒してくれと言ってきたら、大義名分になりませんか」と聞いた。
 思紹は驚いた顔をしてウニタキを見た。
「湧川大主が今回も鬼界島攻めに失敗したら、その可能性はあります。国頭按司は鬼界島攻めで多くの戦死者を出していますから、山北王を憎んでいます」
 思紹はファイチを見た。
「難しいと思いますよ」とファイチは言った。
「国頭按司のために、どうしてヤンバル(琉球北部)まで戦をしに行かなければならないんだと思う者が多いはずです」
「だめか」とウニタキは言ってキンタを見ると、
「お前、ずっと黙っているけど、何かいい考えはないのか」と聞いた。
「えっ?」とキンタは驚いた。
「いえ、こういう席はまだ慣れていないので‥‥‥」
「堅くなる事はない。気楽に話せばいいんじゃ」と思紹が言った。
「それじゃあ、あたしも気楽に言うけど、テーラーをどうする気なの?」とサスカサが言った。
テーラー?」と思紹がサスカサを見た。
テーラーはヂャン師匠の弟子でしょ。同門同士で戦ってはいけないんでしょ」
「奴にはテーラーグスクにいてもらえばいいんじゃないのですか」とウニタキが言った。
「そうじゃな。それがいい」と思紹はうなづいた。
「湧川大主は? 湧川大主もヂャン師匠から指導を受けたんでしょ」
「指導を受けたといっても十日間だけだよ」とサハチはサスカサに言った。
「十日間なら弟子じゃないの?」
「弟子かもしれんが、湧川大主と戦わなかったら戦にならんぞ」とサハチは言って、皆の顔を見た。
「同門の者たちが周りの状況によって、敵味方に分かれて戦う事は明国でも起こっています。戦は集団の戦いです。直接、一対一で戦わなければいいのです」とファイチが言った。
 ファイチの言う事に皆が納得した。
「さて、今回はここまでにしておくか」と言って、思紹は絵図を片付けた。
「久し振りに、この顔触れで酒を飲もう。酒を飲んだら何かいい考えが浮かぶかもしれん」
 女たちが持って来た重箱を広げて、酒の用意をした。冊封使たちの無事の帰国と半年後の戦勝を願って、皆で祝杯を挙げて酒盛りは始まった。
「わしは今帰仁攻めが終わったら、中山王を隠居しようと思っている」と思紹が言った。
 皆が驚いた顔をして思紹を見た。
「長かった十年間、わしはじっと我慢してきた。今度はお前の番じゃ。わしは旅に出るぞ」と思紹はサハチを見た。
「何を言っているんですか。中山王は死ぬまで辞められないんですよ」
「なに、本当なのか」と思紹はファイチを見た。
「本当です。首里按司は隠居して、サハチさんに譲る事はできますが、中山王は辞められません」
「そうなのか。しかし、琉球が統一されれば、わしが旅に出てもかまわんじゃろう」
「親父、それはまずい。中山王が長い間、留守にするなんて、それは無理ですよ」
「わしは戦死した事にすればいい。お前が中山王になれ」
「中山王が亡くなったら、また冊封使を呼ばなければなりませんよ」とファイチが言った。
 サハチは首を振って、「冊封使は当分の間、来なくてもいい」と言った。
「なに、あれ? 二人とも王様になりたくないみたい」とサスカサがマチルギに言った。
「二人とも欲がないのよ。だから、王様が務まるのよ」とマチルギは笑った。

 

 

 

泡盛 首里天(すいてん) 25度 1800ml 紙パック×6本セット(1ケース)

2-209.南蛮船の帰国(改訂決定稿)

 十月二日、リーポー姫(永楽帝の娘)たちは『油屋』の船に乗って無事に浮島(那覇)に帰って来た。今帰仁(なきじん)に帰ったテーラー(瀬底大主)がリュウイン(劉瑛)の家族を連れて一緒に乗っていた。
 テーラーは明国(みんこく)に連れて行った二十人の兵を率いていた。テーラーの兵とマガーチ(苗代之子)の兵に守られて、王女たちの一行は浮島から首里(すい)まで行進して首里グスクに入った。冊封使(さっぷーし)の船と一緒に送る進貢船(しんくんしん)の準備のために首里にいたサハチ(中山王世子、島添大里按司)は、一行を北曲輪(にしくるわ)で迎えて無事の帰還を喜んだ。
 ンマムイ(兼グスク按司)に御苦労だったとお礼を言うと、ンマムイは名護(なぐ)の長老、『松堂(まちどー)』夫婦を紹介した。
「山北王(さんほくおう)(帕尼芝)の正使として何度も明国に行った人です。今はもう隠居していて、首里の都が見たいと言うので連れて来ました。島尻大里(しまじりうふざとぅ)にいる仲尾大主(なこーうふぬし)殿の叔父さんで、久し振りに会いたいと言っています」
「なに、仲尾大主殿の叔父さんですか」
 松堂は笑って、「叔父と言っても、仲尾大主とは七つ違いの兄弟みたいなものじゃ」と言った。
「初めて明国に使者を送った時、何もわからずに、二人で一緒に苦労したんじゃよ」
「仲尾大主殿も進貢に関わっていたのですか」
「わしは正使として明国に行って、仲尾大主は様々な準備をしていたんじゃよ」
「仲尾大主殿も明国に行ったのですか」
「いや。奴は船が苦手なんじゃよ。そんなの慣れるから一度は行って来いと言ったんじゃが、ついに行かなかった。代わりに倅が行ったがのう」
 サハチはテーラーが連れて来たリュウインの妻のチルーにも挨拶をした。
「突然の事で大変だったでしょう」とサハチが言うと、
「驚きました」とチルーは笑って、「父と妹がお世話になりました」とサハチにお礼を言った。
「悩んだのですが、子供たちに父親の故郷を見せた方がいいと思いまして決心しました」
 十二、三歳の男の子と十歳くらいの女の子がサハチを見ていた。男の子は目つきがリュウインに似ていて、女の子は目が大きな可愛い娘だった。
「毎年、進貢船が明国に行っています。帰りたくなったら、いつでも帰って来られますよ」とサハチはチルーに言いながら、明国に行く前に、弟の真喜屋之子(まぎゃーぬしぃ)に会わせてやりたいと思った。
冊封使の船が出るまで、お前のグスクに滞在するのか」とサハチはテーラーに聞いた。
「そう思ったんだけど、テーラーグスクに行っても知人はいないし、寂しいだろうと思うのです。チルー様はリュウイン殿の侍女になる前、御内原(うーちばる)の侍女だったのです。マナビー様が生まれた頃です。リュウイン殿の妻になってからも、マナビー様は武芸を習うためにリュウイン殿の屋敷に出入りしていたので、よく知っています。できれば、マナビー様のグスクに預かってもらえれば、チルー様も安心すると思います」
「わかった。マナビーも喜んで迎えるだろう。預からせてくれ」
 サハチは長老からもっと話を聞きたいと思い、会同館に宴(うたげ)の準備をするように命じて、ヤンバル(琉球北部)に行って来た者たちを皆、会同館に移動させた。テーラーは兵を率いてテーラーグスク(平良グスク)に帰って行った。
 テーラーを見送ったンマムイは、
リュウイン殿を明国に置いて来た事を山北王(攀安知)に怒られていましたよ」とサハチに言った。
「山北王は怒ったか」とサハチは笑った。
「進貢船は返すからリュウイン殿を取り戻して来いと言ったそうです。テーラーはすぐに明国に行く用意をして、リュウイン殿を取り戻して来ると言ったようです」
「ほう。テーラーはまた明国に行くのか」
リュウイン殿を取り戻しても、進貢船を返してしまったら、どうやって帰って来るのですかと言ったら、山北王は真っ赤な顔をして、手元にあった茶碗を投げつけたそうです」
 サハチは笑い続けて、「しばらくはテーラー今帰仁には近づかないだろう」と言った。
 会同館に移って、サハチはンマムイから旅の様子を聞いた。王女様たちはどこでも歓迎されたと聞いて、サハチは安心した。
 ウリー(サハチの六男)とリーポー姫が仲がいいので、二人を放っておいてもいいのですかとンマムイは心配した。
「成り行きに任せるさ」とサハチは笑った。
「奥間(うくま)に行って、サタルーに会って来ましたよ」とンマムイはサハチを見て笑った。
「なに、王女様たちは奥間まで行ったのか」
「国頭(くんじゃん)に奥間の杣人(やまんちゅ)のトゥクジというのがいて、比地の大滝(ふぃぢぬうふたき)に案内してくれたのです。トゥクジが奥間の話をしたら、近くなら行こうという事になって、奥間に行って長老たちに歓迎されましたよ。王女様たちはサタルーの焼き物(やちむん)に興味を持って、一緒になって器を焼いていました。以前、奥間に行った時、ナーサ(宇久真の女将)はとぼけていましたけど、あのあとナーサから、すべてを聞きましたよ。サタルーが師兄(シージォン)の息子だってね」
「そうか。知ってしまったか」
「国頭の長老から聞いた話ですけど、先々代の山北王(帕尼芝)は奥間を攻めようとしていたようです」
「何だと?」
「奥間が俺の祖父(じい)さん(察度)と親しくしていたのが気に入らなかったようです。それを知った祖父さんは今帰仁攻めをしたのです」
「察度(さとぅ)殿は奥間を守るために、今帰仁を攻めたのか」
 今帰仁合戦の裏にそんな事が隠されていたなんて、驚くべき事だった。
「奥間に行った時、長老に聞いたら、今帰仁合戦の前に山北王が奥間を攻めようとしていたのは本当だと言いましたよ。長老たちは山道に罠(わな)を仕掛けて、今帰仁の兵を追い返そうとしたそうです。しかし、先代の長老がやめさせたようです。わしらは職人だ。戦をしてはならん。攻めて来たら逃げればいいと言ったそうです。長老たちは納得しませんでしたが、先代の長老には逆らえず、毎日、愚痴をこぼしていたようです。そしたら、中山王の大軍がやって来て、今帰仁グスクを攻めて、山北王は戦死して、奥間攻めもなくなったというわけです」
「先代の長老はどうして、戦うなと言ったんだろう?」
「先代の奥間ヌルが、中山王が助けてくれると予言したようですよ」
「先代の奥間ヌルか‥‥‥」
「そういえば、今の奥間ヌルの娘もササと一緒にヤマトゥ(日本)に行ったそうですね」
「そうなんだよ。八人も若ヌルを連れて行ったんだ。ササも大した師匠だよ」
「その娘も師兄の娘だそうじゃないですか。師兄もやりますね」
「その事がばれた時、俺はマチルギに殺されそうになったんだよ」
「兼(かに)グスクまで、その噂は流れて来ましたよ」
「嘘をつくな」
「本当です。師兄は自分の事を知らなすぎますよ。島添大里按司(しましいうふざとぅあじ)とその奥方(うなじゃら)は誰でも知っている有名人なんですよ。何かがあればすぐに噂になって、琉球中に広まるんです」
「大げさな事を言うな」
「大げさではありませんよ」
「山北王に知られたら奥間が危険になる」
「山北王の耳にも入っているかもしれませんよ。今、南部には山北王の兵が大勢いますからね」
「まいったな。サタルーに知らせておかなくてはならんな」
 サハチは松堂の所に行って、山北王が初めて明国に進貢した時の苦労話を聞いた。
「運天泊(うんてぃんどぅまい)で海賊たちの通事(つうじ)をしていたら、今帰仁に呼ばれて、按司様(あじぬめー)(帕尼芝)から中山王(察度)の進貢船に乗って明国に行って来いと言われたんじゃ。突然の事で驚いたが、明国に行ってみたいと思っていたんで引き受けたんじゃよ。当時、記録係をしていた仲尾大主も『進貢奉行(しんくんぶぎょう)』に選ばれて、二人して山道を通って浮島まで行ったんじゃよ。久米村(くみむら)に行って、唐人(とーんちゅ)から色々な事を聞いたんじゃが、よく理解できなかったんじゃ。ずっと正使を務めていた宇座按司(うーじゃあじ)殿(泰期)が読谷山(ゆんたんじゃ)にいると聞いて、わしらは宇座に行ったんじゃ。そこは広い牧場で、宇座按司殿は馬を育てていたんじゃよ。わしらは驚いた。中山王の義弟で、何度も正使を務めてきた偉い人が汗にまみれて働いていたんじゃ。わしらが話をすると快く引き受けてくれた。わしらは牧場の仕事を手伝いながら、半月余り滞在して、色々な事を教わったんじゃ。仲尾大主は一言も漏らさずに記録していた。その時の記録は、その後も大いに役に立ったんじゃよ」
「宇座の御隠居(うーじゃぬぐいんちゅ)様が助けてくれたのでしたか」
「いい人じゃった。わしは後継者を育てろと命じられて、自分の経験を若い者たちに教えていたんじゃが、人に教えるとなるとわからない事が色々と出て来て、何回か教えを請うために宇座まで行ったんじゃよ。御隠居様は歓迎してくれて、一緒に酒を飲むのが楽しかったのう」
「御隠居様にはわたしもお世話になりました。御隠居様の末っ子のクグルーを預かる事になりまして、クグルーは使者になると言って、毎年、明国に行っています」
「クグルーか。覚えておるよ。元気のいい子じゃった。そうか。クグルーはそなたが預かったのか」
「瀬底大主(しーくうふぬし)(テーラー)が明国から帰って来た時、ここで帰国祝いの宴をやったのですが、その時、仲尾大主殿の倅の真喜屋之子(まぎゃーぬしぃ)が事件を起こして、家族の者たちは左遷(させん)されたと瀬底大主から聞きましたが、父親の仲尾大主殿は大丈夫だったのですか」
「瀬底大主が話したのかね。その事は今帰仁では禁句になっているんじゃよ。今更、悔やんでも仕方がないが、あれはわしの失敗じゃった。サンルータが進貢奉行に入って来たのは、サンルータが明国から帰って来て、一月くらいしてからじゃった。山北王(攀安知)からわがままな弟だがよろしく頼むと言われて預かったんじゃよ。進貢のための雑用が色々とあるんだが、サンルータは何をやらせてもまったくやる気がなかった。山北王の弟が何でこんな事をしなければならないんだという不満顔だったんじゃよ。翌年の正月、無事に使者たちを浮島に送ったあとじゃった。一仕事が終わったと、わしらはささやかな宴を開いたんじゃよ。その時、明国に行ったサムレーの奥さんが駈け込んで来て、助けてくれって言ったんじゃ。昔の事なので、何を助けろと言ったのかは忘れてしまったが、サンルータが一緒に行って解決したんじゃ。留守を守っている家族が困った事を相談に来る事はよくあったので、サンルータを相談係にしたんじゃよ。何をやらせても中途半端だったから、留守宅の面倒だけ見ていればいいと言ったんじゃ。まさか、あんな事件を起こすなんて思ってもいなかった。事件のあと、仲尾大主は親泊(うやどぅまい)の蔵番(くらばん)に格下げされたんじゃよ」
「蔵番ですか」
「しかし、仲尾大主はめげなかった。蔵の中に何があるのか、すべて調べて書き留めたんだ。いくつもある蔵の中をすべて調べたんじゃよ。それを山北王に見せたら褒められて、『蔵奉行(くらぶぎょう)』という新しい役職ができて、仲尾大主はすべての蔵を管理する事になったんじゃ」
「蔵奉行ですか」
 浮島に多くある蔵にも蔵番はいた。交易担当奉行の管轄だった。首里グスク内にも米蔵や武器庫があるし、与那原(ゆなばる)と馬天浜(ばてぃんはま)の港にも蔵があった。あちこちにある蔵を一括に管理する『蔵奉行』という役職を作るのもいいかもしれないとサハチは思った。
「そんな重要な職務に就いていた仲尾大主が山北王の娘が嫁いだ時、その護衛役として南部に行ったのには驚いた。あいつもとうとう左遷させられたかと思ったよ。しかし、その後、あいつは山南王(さんなんおう)(他魯毎)の重臣となって、山北王の若按司(ミン)が山南王の世子(せいし)(跡継ぎ)として南部に行くなんて、考えも及ばない事が起こった。今、思えば、あいつは重要な任務を帯びて南部に行ったんじゃなと思っておるよ」
「真喜屋之子はどんな奴だったのですか」とサハチは聞いた。
「奴は瀬底大主の配下のサムレーだったんじゃよ。明国の言葉を覚えて、色々な事を知っていた。暇さえあれば、あちこちを散策していて、応天府(おうてんふ)(南京)の隅から隅まで知っていた。仲尾大主に応天府の絵図を書かせたんだが、真喜屋之子の助けを借りたんじゃよ。わしは真喜屋之子に使者にならないかと誘ったんだが断られた。奴には夢があって、志慶真川(しじまがー)に石の橋を架けると言っていた。それに立派な高楼を建てるとも言っていたのう。サンルータに別の仕事をさせていたら、あんな事にはならなかったじゃろう。真喜屋之子を失ったのは残念な事じゃった」
「サンルータの女遊びは有名だったと瀬底大主は言っていました。それに、真喜屋之子の妻は美人(ちゅらー)だったと聞いています。別の仕事をしていたとしても、サンルータは問題を起こしていたと思いますよ」
 松堂は苦笑した。
「そうかもしれんが、あの事件のあと、山北王は進貢船を送るのをやめてしまった。進貢奉行も解散になって、わしが育てた者たちは使者にはなれなかったんじゃよ。それでも今回、リュウイン殿と一緒に明国に行けてよかったと思っている。新しい進貢船も来たし、あいつらも活躍できるだろう」
 次の日、サハチは王女たち、クチャとスミ、リュウインの家族たちを連れて島添大里(しましいうふざとぅ)に向かった。松堂夫婦はマガーチに頼んで、仲尾大主がいる島尻大里に向かわせた。島尻大里ヌル(前豊見グスクヌル)のお腹が大きくなっていて、旅の間もずっと心配していたマガーチは喜んで引き受けた。王女たちは島添大里には行かず、ユリたちがいる佐敷の新里(しんざとぅ)に向かった。ウリーも当然のように一緒に行った。
 安須森(あしむい)ヌルの屋敷に行くと、娘のチルギガニを連れたマナビーがいて、クチャとリュウインの妻と子供たちを見て驚いた。
「マナビー、会いたかったわ」とクチャが言って、マナビーのそばに行った。
 マナビーの侍女たちがクチャに話しかけた。スミは憧れていたマナビーとその侍女たちに会えて感激していた。そして、ここには大勢の女子(いなぐ)サムレーがいる事に驚いていた。
 サハチは安須森ヌル(先代佐敷ヌル)にわけを話した。
「王女様たちは無事に帰って来たのね?」
「馬天浜のお祭り(うまちー)の準備に行ったよ」
「今年の馬天浜のお祭りはヂャン師匠(張三豊)を偲ぶ集(つど)いよ」
「そうか。あれからもう一年が経つのか」
「お芝居は去年と同じ『武当山の仙人(ウーダンシャンぬしんにん)』よ。ハルとシビーも行き詰まったみたい。新作が書けないって悩んでいるわ。ヤマトゥ旅に行ってらっしゃいって言ったのよ。来年、あの二人を交易船に乗せてあげて」
「それは構わんが、あの二人がいないとお祭りが大変だろう」
「大丈夫よ。あの二人の代わりはわたしが何とかするわ」
 サハチは笑った。
「お前の新作か」と安須森ヌルが書いていた紙を見た。
「南の島を旅して、色々な事がわかったから、『アマミキヨ様』の事を書いてみようと思っているのよ」
「そうか。楽しみだな」
 サハチはあとの事を安須森ヌルに頼んで、一の曲輪(くるわ)の屋敷に帰った。
 その夜、ウニタキ(三星大親)が顔を出した。
「何事もなくてよかった」とサハチが言うと、
「リーポー姫様を襲う一味はまだいたんだよ」とウニタキは言った。
「襲撃があったのか」
「三人だけだったがな。チャイシャン(柴山)の配下の者たちが片付けた。俺たちの出る幕はなかったよ」
今帰仁でか」
「いや。比地の大滝に行く途中で待ち伏せしていたんだ。王女様たちの一行は気づいていない」
「そうか。リーポー姫様を護衛するだけあって、チャイシャンも一流の配下を持っているようだな」
「そのようだ。それより、リーポー姫様のお陰で、名護(なぐ)、羽地(はにじ)、国頭(くんじゃん)の事がよくわかったぞ。名護に山北王の正使を務めた『松堂』がいた事も、国頭に水軍の大将だった『喜如嘉(きざは)の長老』がいる事もわかった。ンマムイが色々と話を聞いたんだが、ウニタル(ウニタキの長男)もそばで話を聞いていた。察度の今帰仁攻めが奥間を守るためだったなんて驚いた」
「ンマムイから聞いて俺も驚いたよ。ンマムイが言っていたが、奥間ヌルの娘の父親が俺だという事を山北王は知っているのか」
「何だって? ンマムイが知っていると言ったのか」
「噂を聞いて知っているかもしれないと言っていた」
「そうか。それはあり得るな。山北王がその事を知ったら奥間を攻めるかもしれんな」
「サタルーに気を付けるようにと伝えてくれ」
「わかった。話は変わるが、真喜屋之子とサンルータの妻を会わせたよ」
「なに?」と言ってサハチはウニタキを見た。
「真喜屋之子が生きている事がわかるとまずいんじゃないのか」
「サンルータの妻はクミというんだが、真喜屋之子の従妹(いとこ)だったんだ。クミがどう出るかだな。湧川大主(わくがーうふぬし)が鬼界島(ききゃじま)(喜界島)攻めから帰って来て、真喜屋之子の事を知って、刺客(しかく)を送り込んで来るかもしれない。あるいは中山王に引き渡せと言ってくるかもしれない。どうなるかはわからんが、戦のきっかけになるかもしれない」
「戦のきっかけ?」
「そうだ。来年は今帰仁攻めの予定だろう。しかし、今の状況では戦(いくさ)はできない。何かが起きなければ、戦を始めるのは難しい」
「来年か‥‥‥離間策(りかんさく)はうまくいっているのか」
「それは湧川大主の鬼界島攻めの結果待ちだよ。もし、今回も失敗して大勢の兵を失ったら、国頭は勿論の事、名護も羽地も離反するだろう。六月に援軍を送った時、これが最後だと言って、みんな渋々と兵と兵糧(ひょうろう)を出したんだ」
「もし、成功したら今帰仁攻めは中止か」
「真喜屋之子を使って、離間させるしかない」
リュウインの事は聞いたか」
「ああ、聞いた。明国に送るために、テーラーが家族を連れて来たんだろう」
リュウインの奥さんに真喜屋之子を会わせてやりたいと思っているんだが、どう思う?」
リュウインの奥さんは今、どこにいるんだ?」
「ミーグスクにいる」
「なに、ここにいるのか」
テーラーに頼まれたんだ」
「そうか。ここにいるのなら会わせても大丈夫じゃないのか」
「奴はどこにいるんだ?」
慈恩寺(じおんじ)に戻ったよ」
 サハチはウニタキに真喜屋之子を姉に会わせる事を頼んだ。
「クーイヌルについて新しい事がわかったぞ」とウニタキは話題を変えた。
「クーイヌルというのは、クーイの若ヌルの母親か」
「そうだ。シズをヌルに化けさせて沖の郡島(うーちぬくーいじま)(古宇利島)に送ったんだ。ずっと、ササと一緒に旅をしていたからヌルの事には詳しい」
「何がわかったんだ?」
「驚くべき事だ」
「もったいぶらずに早く言え」
「クーイヌルは母親の事を何も知らなかったんだ。クーイヌルを継ぐために今帰仁から来たらしいという事しか知らないんだよ。クーイヌルの母親が島に来たのは五十年も前の事だから近所の人に聞いても、母親の素性を知っている者はいなかった。シズは諦めて帰ろうとしたが、せっかく来たのだから古いウタキ(御嶽)でも探そうと山に入ったようだ。ササのお陰で、シズもシジ(霊力)が高くなったのかもしれん。山の中に古いウタキを見つけて、祈りを捧げたそうだ。勿論、ササと違って神様の声は聞こえない。しかし、先代の『天底(あみすく)ヌル』だったというお婆に会ったんだ。今のクーイヌルは偽物だとお婆は言ったようだ。クーイヌルの母親が島に来る十年ほど前に、クーイヌルは跡継ぎに恵まれずに絶えてしまったらしい。クーイヌルは古くから、あの島にいるヌルで、安須森とつながりがあるようだ。お婆の娘の天底ヌルも安須森ヌルと一緒に安須森参詣に行ったらしい。いつか必ず、クーイヌルを継ぐ者が現れると神様は言ったらしくて、お前がそうかとシズに聞いたようだ。お婆はシズをじっと見つめて、お前ではないなとがっかりしたようだが、クーイヌルの母親の事を教えてくれたんだよ。クーイヌルの母親があの島に行ったのは、羽地按司(帕尼芝)が今帰仁グスクを攻め取って、今帰仁按司になった時だったんだ。滅ぼされた今帰仁按司の娘で、今帰仁若ヌルだったんだよ」
「ちょっと待て、滅ぼされた今帰仁按司の娘?」
「そうだよ。マチルギの父親、伊波按司(いーふぁあじ)の姉だよ。クーイヌルはマチルギの従姉(いとこ)なんだよ」
「若ヌルは従妹の娘か‥‥‥」
 サハチは驚いた顔で、ウニタキを見ていた。
 従弟の娘と言えば、マガーチの娘のタマと同じ関係だった。
「助けなければならんな」とサハチは言った。
「その事をクーイヌルに知らせたのか」
 ウニタキは首を振った。
「時期を見て知らせようと思う」
「時期?」
「そうだ。クーイヌルにとって山北王は、祖父の敵(かたき)の孫だからな。真実を知ったら、クーイヌルも若ヌルも苦しむ事になるだろう」
「若ヌルは敵と知らずに山北王と結ばれたのか‥‥‥それを知ったら、どうなるだろう?」
「わからんな。若ヌルが生まれる前に祖母は亡くなっているからな。実感は湧かないだろう」
 二日後、島尻大里グスクで、冊封使たちを招待して『餞別(せんべつ)の宴』が行なわれた。女子サムレーたちによるお芝居『察度』が演じられて、他魯毎(たるむい)(山南王)の祖父の察度が天女の子供だった事に冊封使たちは驚いていた。中山王察度の名は明国の記録に書かれているので、冊封使たちも知っていた。琉球で最初に進貢した王であり、三十回以上も進貢していて、琉球で一番勢力のあった王だと心得ていた。
 サハチと安須森ヌルも冊封使たちの要望があって、笛の合奏を披露した。
 『冊封の宴』の時、その演奏を聴いて、琉球にも優れた芸人がいると感心したが、その後、縦笛を吹いていたのが島添大里按司だと聞いて冊封使たちは驚いた。島添大里按司永楽帝(えいらくてい)がリーポー姫を預けた男だった。永楽帝がどうして琉球按司を知っているのか不思議だったが、ファイチ(懐機)から話を聞いて、八年前に富楽院(フーレユェン)の妓楼(ぎろう)で一緒に酒を飲んだ仲だと知った。さらに、島添大里按司は中山王の世子で、武芸の腕も一流で、ヤマトゥの将軍様とも親しいと聞き、お近づきになった方がいいと冊封使たちは思ったのだった。
 演奏のあと、サハチは冊封使たちに呼ばれて酒盃(さかずき)を交わし、色々な事を聞かれた。困っているサハチを見て、李仲按司(りーぢょんあじ)が来て話題を変えてくれたので助かった。
 九日後、他魯毎が『天使館』に行って、『餞別の宴』が行なわれた。これで、すべての行事は終わって、冊封使たちは帰国の準備を始める事になる。
 その日、馬天浜ではヂャンサンフォン(張三豊)を偲ぶお祭りが行なわれていた。そのお祭りは旧港(ジゥガン)(パレンバン)、ジャワ(インドネシア)、トンド(マニラ)から来た人たちの送別の宴も兼ねていて、大勢の人たちが浜辺に集まって酒盛りを楽しんでいた。
 各地のサムレーや女子サムレーも来られる者は来ていた。久高島(くだかじま)からも大里(うふざとぅ)ヌルが赤ん坊を連れて、久高ヌル(前小渡ヌル)が娘を連れてやって来た。山グスクからサグルー(山グスク大親)夫婦、ジルムイ(島添大里之子)夫婦、マウシ(山田之子)夫婦も子供を連れてやって来た。八重瀬按司(えーじあじ)(マタルー)夫婦、具志頭按司(ぐしちゃんあじ)(イハチ)夫婦、兼グスク按司(ンマムイ)夫婦もやって来た。ミーグスク大親(チューマチ)夫婦はリュウインの家族とクチャとスミを連れて来た。マグルー夫婦が留守番だと聞いて、ンマムイはがっかりしていた。
 お芝居は去年と同じで、旅芸人たちの『武当山の仙人』と女子サムレーと南蛮(なんばん)(東南アジア)の王女たちの『武当山の仙人その二』だった。リェンリー(怜麗)がいないので、主役のヂャンサンフォンは島添大里の女子サムレーのカリーが演じて、リーポー姫も自分の役で出ていた。明国に行ったヂャンサンフォンと思紹(ししょう)はリーポー姫と出会って一緒に武当山に行くという話に変わっていた。ウリーがリーポー姫の家来(けらい)役で出ていたのにはサハチも驚いた。このまま、リーポー姫と一緒に明国に行ってしまうのではないかと心配した。
 その日は首里グスクでも南蛮の使者たちを招待して、思紹(中山王)とマチルギ、馬天ヌルたちによって送別の宴が行なわれていた。
 翌日、旧港、ジャワ、トンドの船は出帆した。トンドのアンアン(安安)は来年も必ず来ると言った。シーハイイェン(施海燕)たちもスヒターたちもアンアンたちも、ササによろしくと言って帰って行った。
 那覇館(なーふぁかん)には誰もいなくなって、浮島は急に静かになった。

 

 

 

MON SIAM(モンシャム) [ 焼酎 30度 700ml ]

2-208.国頭御殿(改訂決定稿)

 山北王(さんほくおう)(攀安知)と会って、今帰仁(なきじん)の城下を見物したあと、リーポー姫(永楽帝の娘)たちは山北王が用意した船に乗って国頭(くんじゃん)グスクに行った。案内してくれたのは山北王の側室のクンだった。
 クンは二人の子供を産んだが、長女のマサキも長男のミンも南部に行ってしまって、山北王はクーイの若ヌルに夢中になっているので、最近は故郷に帰る事も多くなっていた。叔父の鬼界按司(ききゃあじ)が亡くなって、父より若かった叔父の名護按司(なぐあじ)も亡くなってから、父は急に老け込んでしまい、クンは心配していた。
 娘のクンから異国の王女たちを連れて帰ると知らせを受けた国頭按司は驚いた。今帰仁では『天使館』に滞在していたというが、ここにはそんな施設はない。クンの指示通りに、しばらく使っていない『国頭御殿(くんじゃんうどぅん)』を急いで掃除させ、ウミンチュ(漁師)たちにザン(ジュゴン)を捕らせ、奥間(うくま)のヤマンチュ(猟師)たちに猪(やましし)を頼んで、何とか準備が間に合って、一行が来るのを待っていたのだった。
 屋嘉比川(やはびがー)(田嘉里川)の河口にある港から上陸した王女たち一行は、山の上にある国頭グスク(根謝銘グスク)に行って按司に挨拶をした。按司と国頭ヌルが待っていて、一行を歓迎してくれた。王女たちはそれぞれの国の事を話したあと、国頭ヌルの案内で、港を見下ろす高台の上にある『国頭御殿』に向かった。体格のいい老人と若按司に迎えられて、一行は国頭御殿に入った。大広間にはすでに料理の載ったお膳が並んでいた。
 皆がお膳の前に座ると『喜如嘉(きざは)の長老』と呼ばれる老人が挨拶をした。名護の長老と違って明国(みんこく)の言葉ではなかった。ファイリン(懐玲)が通訳をした。
 こんな田舎に各国の王女様を迎えるなんて、まるで、夢を見ているようじゃと長老は言って、王女たちを笑わせた。
 挨拶が終わったあと、ンマムイ(兼グスク按司)は長老の所に行ってお礼を言った。前回、ここに来た時、ンマムイは長老に会っていなかった。
「マハニ様の婿(むこ)の兼(かに)グスク按司殿ですな」と長老はンマムイを知っていた。
「婚礼の時、マハニ様を牧港(まちなとぅ)まで連れて行ったのは、わしだったんじゃよ。同盟のためとはいえ、あんな可愛い娘をお前のような男に嫁がせるのは可愛そうじゃと思っておった。しかし、武寧(ぶねい)(先代中山王)が滅ぼされたのに、そなたが無事に生きている所を見ると、マハニ様は幸せだったのかもしれんのう」
「もしかして、水軍の大将だったのですか」
 長老はうなづいた。
「ところで、この御殿は国頭按司が築いたのですか」
「この御殿は隠居屋敷として、今帰仁按司が建てたんじゃよ。もう六十年も前の事じゃ。そなたは知らんじゃろうが、昔、英祖(えいそ)という浦添按司(うらしいあじ)がいた。英祖の次男に『湧川按司(わくがーあじ)』というのがいて、今帰仁按司を滅ぼしたんじゃよ。湧川按司の息子の『千代松(ちゅーまち)殿』が今帰仁按司になって、晩年に建てたのがこの御殿じゃ。当時、千代松殿の娘が、わしの兄貴の若按司に嫁いだばかりでな、千代松殿はその娘を大層可愛がっていたんじゃよ。それで、ここに隠居屋敷を建てたんじゃ。千代松殿は今や伝説となっている今帰仁按司なんじゃよ。六歳の時に湧川按司が亡くなってしまい、娘婿だった『本部大主(むとぅぶうふぬし)』が反乱を起こして今帰仁グスクを奪い取って、今帰仁按司になったんじゃ。千代松殿は家臣に連れられて無事に逃げたんじゃが、どこに行ったのか消息不明になったんじゃ。そして、二十二年後、大軍を率いてやって来て、今帰仁グスクを取り戻して按司になったんじゃよ。当時の今帰仁グスクは、石垣はあったが一の曲輪(くるわ)と二の曲輪だけじゃった。千代松殿が今のようにグスクを拡張して、高い石垣も作ったんじゃ。外曲輪(ふかくるわ)は今帰仁合戦のあとに先代の山北王(珉)が作ったんじゃが、それ以前の今帰仁グスクは千代松殿が造ったんじゃよ。娘も何人もいたから各地に嫁がせて、勢力を広げたんじゃ。北部は勿論の事、南部に嫁いだ娘もいる。この御殿が完成した時、各地の按司たちを招待したんじゃよ。あの時は凄かった。今はもうないが、この御殿の周りにいくつも宿舎があったんじゃ。按司たちを迎えた千代松殿はまるで、琉球の王様(うしゅがなしめー)のようじゃった」
「俺の祖父(じい)さんの察度(さとぅ)(先々代中山王)も来たのですか」
「来たとも。察度が浦添按司(うらしいあじ)になった時、千代松殿も協力したんじゃよ。察度の妻は勝連按司(かちりんあじ)の妹でな、勝連按司は千代松殿の娘婿なんじゃ。勝連按司から助けてくれと頼まれたようじゃ。それに、察度の親父は奥間の出身で、奥間からも助けてやってくれと言われていたようじゃな」
「祖父さんがここに来ていたなんて知らなかった」
「察度も若かった。あの時は三十の半ばくらいじゃったろう。若いが貫禄のある男じゃった」
「南部からは他に誰が来たのですか」
「娘婿の勝連按司と北谷按司(ちゃたんあじ)は来ていた。ほかにも来ていたが覚えておらんよ。当時、わしは十五だったからのう、南部の事はよく知らなかったんじゃ。わしが水軍のサムレーになった時、千代松殿を牧港まで連れて行った事があった。千代松殿は察度に歓迎されて、浦添で過ごしたんじゃ。察度と一緒にあちこちに行ったと思うがわしは知らん。わしは毎日、船に乗って航海の稽古に励んでいたんじゃよ。そして、夏になって千代松殿を連れて帰って来たんじゃ。それから一年もしないうちに千代松殿は亡くなってしまった。千代松殿が亡くなったあとは、新年の儀式のあと、皆が集まる時に使うくらいじゃったが、この御殿があったお陰で、王女様たちを招待する事ができたんじゃよ」
「入り口に達筆で『国頭御殿』とかいてありましたが、あの字は千代松殿が書いたのですか」
「あれは浮島(那覇)にある護国寺(ぐくくじ)のヤマトゥ(日本)の和尚さんが書いたんじゃよ。千代松殿が浦添に行った時、護国寺に行って頼んだようじゃ。昔は『国の上』と書いていたようじゃが、その和尚さんが『国の頭』と書いたんで、以後、『国の頭』と書くようになったんじゃよ」
「当時は今帰仁浦添は仲がよかったんですね」とンマムイが言うと、長老は笑って、
「仲が悪くなったのは、千代松殿が亡くなったあと、羽地按司(はにじあじ)(帕尼芝)が今帰仁按司になってからじゃよ」と言った。
「三王同盟のあとは、ここと中山王(ちゅうざんおう)(思紹)もうまく行っているのではありませんか」
「そうじゃな。中山王は材木だけでなく、赤木や黒木(くるき)も買ってくれるから助かっておるよ」
「赤木や黒木?」
「赤木は巻物の軸に使われて、黒木は仏壇や仏具に使われるんじゃ。ヤマトゥに持って行くと喜ばれたんじゃよ」
「長老はヤマトゥに行った事があるのですか」
「何回か博多まで行った事がある。将軍宮(しょうぐんのみや)様(懐良親王)が太宰府(だざいふ)におられた頃じゃ。博多は賑やかじゃった」
「今はもう行かないのですか」
「先々代の山北王(帕尼芝)が明国との進貢(しんくん)を始めてから、親泊(うやどぅまい)にも倭寇(わこう)たちがやって来るようになって、わざわざ、ヤマトゥまで行く必要もなくなったんじゃ。わしらも従者を明国に送って、ヤマトゥの商品と明国の商品を交換して稼いでいたんじゃよ。しかし、今の山北王(攀安知)が進貢船(しんくんしん)を送るのをやめてしまってからは、わしらは材木を売るしかなくなってしまった。首里(すい)グスクの普請(ふしん)が始まってからは、材木屋になってしまったようなものじゃ」
「当時、浦添に『材木屋』がありましたけど、あれは国頭按司の店だったのですか」
「違う。あれは山北王が家臣を材木奉行に任命して材木の取り引きを任せたんじゃよ。山北王が進貢を始めても、当時は進貢船を持っていなくて、毎年、使者たちを浮島まで運ばなくてはならなかったんじゃ。その時、ついでに材木も運んでいたんじゃよ。行くのはいいが、夏になるまで帰っては来られない。わしは山北王の義弟だったので断る事もできずに、三年間、半年を南部で過ごしたんじゃ。お陰で、南部の事も色々とわかったがな」
「それはいつの事なんですか」
「山北王が進貢を始めてから三回目までじゃよ。三回目の冬に大(うふ)グスクで戦(いくさ)があって、島添大里按司(しましいうふざとぅあじ)(汪英紫)が大グスクを奪い取っていたのう」
 大グスクの戦はンマムイが八歳の時で、浦添グスクの御内原(うーちばる)で遊んでいた頃だった。
「三回目の時、山北王は材木の取り引きを本気で考えて、材木奉行を浦添に置いたんじゃ。当時、南部の按司たちは材木が欲しい時はヤンバル(琉球北部)に行って木を伐っていた。夏に行って冬に帰って来る仕事じゃ。大勢の人足も必要だし、手間が掛かった。材木屋に頼めば、冬には持って来てくれるというので、按司たちが頼んできて、材木屋は成功したんじゃよ。材木奉行に頼まれて、わしらは木を伐り出していたんじゃ。運ぶのは材木屋がやってくれたから、わしらも助かった。材木のお陰で国頭は潤ったんじゃよ。グスク内の屋敷も改築できたし、何艘もの船を手に入れる事もできたんじゃ。そういえば、『まるずや』ができたのは本当に助かっている。村(しま)の者たちの生活がすっかり変わった。今まで、今帰仁まで行かなければ手に入らなかった物がすぐに手に入る。頼めば、何でも持って来てくれるんじゃ。『まるずや』は材木も買ってくれて、『まるずや』のお陰で、材木の値も上がったんじゃよ。ただ、『まるずや』との取り引きでは、材木を浮島まで運ばなくてはならんがのう。それは奥間の者たちがやってくれるので助かっている」
「奥間の者たちとの付き合いは古いのですか」
「奥間は今帰仁よりも古いんじゃよ。美女の産地で、按司が代替わりする度に側室を贈ってくれる。側室を受け取るという事は、奥間には干渉しないという暗黙の了解なんじゃよ。そのため、代々の今帰仁按司も奥間を侵略したりはしなかった。先々代の山北王(帕尼芝)は、奥間が中山王(察度)と強いつながりがある事を知って、奥間を攻めようとした。その事を知った中山王は今帰仁を攻めたんじゃよ。先々代の山北王は戦死して、奥間攻めはなくなったんじゃ」
「祖父さんが今帰仁を攻めたのは、鳥島(とぅいしま)(硫黄鳥島)を奪われたからだと聞いていますが」
「それもあるが、鳥島を奪い返すのに今帰仁を攻める必要はあるまい。水軍を送って、攻め取ればいい」
 確かにそうだった。南部の按司たちを動員してまで今帰仁を攻めたのは、奥間を助けるためだったのか。奥間には察度の娘も、泰期(たち)(宇座の御隠居)の娘もいたとナーサから聞いていた。祖父は奥間の人たちを大切にしていたが、父(武寧)は奥間の事なんて興味も示さなかった。父が若い頃、奥間に行っていれば滅ぼされなかったのかもしれないとンマムイはふと思った。
 王女たちを見ると楽しそうに笑っていた。ヤンバルはジャワ(インドネシア)に似ているとスヒター(ジャワの王女)は言っていた。スヒターやシーハイイェン(パレンバンの王女)の話を聞いて、ンマムイの旅心がうずいていた。南蛮(なんばん)(東南アジア)に行ってみたいと思った。なぜか、ウリー(サハチの六男)がリーポー姫の隣りで、一緒に笑っているのが不思議だった。


 その頃、国頭の『まるずや』の裏にある屋敷で、真喜屋之子(まぎゃーぬしぃ)はサンルータの妻だったクミと会っていた。
 今日の昼、王女たちを迎える準備のために『まるずや』にやって来たクミに、『まるずや』の主人のダキが声を掛けて、真喜屋之子に会う気はないかと聞いた。クミは驚いた。夫を殺した真喜屋之子がヤマトゥに逃げて行ったと聞いてから、その後、何の音沙汰もなかった。あれから九年が経っている。もし、生きているとしても琉球に帰って来る事はないと思っていた。今頃、現れるなんて信じられなかった。
 クミはダキを見つめたまま、返事をしなかった。ダキは会う勇気が出たなら、今晩、店にいらっしゃい。あなたが来なければ、真喜屋之子は諦めて帰るでしょうと言った。クミは悩んだ末、娘を近所に預けて、『まるずや』にやって来た。九年の長い月日が経ったが、あの時の心の傷はまだ癒えてはいなかった。
 ダキが出してくれたお茶にも手を付けず、真喜屋之子とクミは俯いたまま黙っていた。
 風の音に驚いて、二人が同時に外を見たあと、
「ジルーお兄さん、生きていたのですね?」とクミが言った。
 真喜屋之子はクミを見て、うなづいた。
「サンルータがマナビーを見る目が普通ではない事に気づいていたんだ。一緒になってから毎年、明国に出掛けて行って、半年は留守にしていた。四回目は行くべきではなかった。七月に帰って来たばかりで、また十月に行くべきではなかったんだ」
「あの時の進貢船が最後で、山北王は進貢船を送るのをやめてしまいました」とクミは言った。
「えっ?」と真喜屋之子は驚いた。
「どうしてやめてしまったんだ?」
「明国の海賊が毎年、来るようになったからだと思います」
「海賊か‥‥‥」
「お兄さんがサンルータを殺して逃げた時、お兄さんと一緒に唐旅(とーたび)に行ったサムレーたちが、お兄さんを許すようにと訴え出たんですよ。サンルータはマナビーさんだけでなく、何人もの奥さんと関係を持っていたのです。交易担当だったサンルータは明国に行った人たちの名簿を持っていて、目を付けた奥さんを訪ねて、困った事があったら相談に乗ると優しく言って、口説いていたようです。サンルータは山北王の弟ですから、皆、泣き寝入りをしていたのです」
「クミはサンルータがしていた事を知っていたのか」
 クミは首を振った。
「そんな事をする人には見えませんでした。わたしはすっかり騙されていたのです。お兄さんが四度目の唐旅に出た正月の事でした。知らない女の人が来て、マナビーさんが会いたがっているのでお屋敷まで来てくれと言われました。そして、わたしは見てしまったのです。サンルータとマナビーさんが‥‥‥」
「クミに教えた女は何者なんだ?」
 クミは首を振った。
「知らない人です」
「あの日、俺は帰国祝いの宴(うたげ)で、仲居(なかい)から書き付けをもらったんだ。知らない人から頼まれたと言っていた。その書き付けに、サンルータとマナビーの事が書いてあったんだ。俺は急いで帰宅して、あんな事になってしまった」
「同じ人だったのでしょうか」
 真喜屋之子は答えず、外に目をやった。あの時の光景は未だに忘れられない。サンルータを一刀のもとに斬ったあと、許してと言うような目で自分を見つめていたマナビーを、言い訳も聞かずに斬ってしまったのだった。
 真喜屋之子はクミを見ると、「俺を許そうとした訴えはどうなったんだ?」と聞いた。
「湧川大主(わくがーうふぬし)様がもみ消したようです」
 真喜屋之子は苦笑した。
「サンルータを殺してくれてよかったと皆、言っていました。あの時の船には、今帰仁だけでなく、羽地、名護、国頭のサムレーも乗っていました。羽地、名護、国頭のサムレーの奥さんも被害に遭っていたようです」
「なに、奴はわざわざ、そんな所まで出向いて行ったのか」
「他人の奥さんを口説くのが、自分の仕事だと思っていたようです」
「何という奴だ‥‥‥ところで、クミは俺の事をずっと恨んでいたのだな?」
 クミは真喜屋之子を見つめて、首を振った。
「あの人の本当の姿を知ってからは、わたしはあの人に裏切られたと思っています。サンルータが斬られるのは当然の事です。でも、マナビーさんの事を思うと‥‥‥マナビーさんもサンルータに騙された犠牲者なんです。あの人の仕事はわたしが嫁ぐ前から始まっていたようです。唐旅に出た人たちと城下で出会った時、わたしを見る目が変だったのです。でも、その頃のわたしは何も気づきませんでした。もし、あの時、サンルータが亡くならなかったら、わたしはサンルータを殺していたかもしれません」
 クミを見ていた真喜屋之子は視線をそらして、目に入ったお茶をつかむと口に運んだ。
「ずっと、ヤマトゥにいたのですか」とクミが聞いた。
「七年前に帰って来たんだよ。状況が変わっていればいいと願っていたけど、だめだった。ヤマトゥンチュ(日本人)に扮して南部に隠れていたんだよ」
「お兄さんのお父様が南部に行きましたけど御存じでしたか」
「驚いたよ。未だに、俺のせいで、親父が左遷(させん)されたと思った」
「左遷ではありませんよ。そのあと、山北王の若按司も南部に行っています。若按司を南部に送る準備のために行ったのだと思います。今は山南王(さんなんおう)(他魯毎)の重臣になっています」
 真喜屋之子はうなづいて、「俺の事はまだ内緒にしておいてくれ」と言った。
「生きている事がわかれば、湧川大主が追って来るからな」
「ここで会ったという事は、お兄さんは中山王と関係があるのですか」
「そうじゃないよ。俺は今、首里の『慈恩寺(じおんじ)』というお寺で、武芸の師範を務めているんだ。そこで、昔、お世話になった人と偶然に出会ってしまって、俺の正体がばれてしまったんだよ。その人は『まるずや』の主人と知り合いで、ヤンバルに行くけど、一緒に行くかと言われたんだ。クミの事はずっと気になっていたんで、勇気を出して会ってみる事にしたんだ。会えてよかったよ」
「また首里に帰るのですか」
「今の俺には武芸しかないからな」
「お兄さんが今帰仁に行くのは危険だけど、以前、お兄さんたちが住んでいた屋敷の跡地に『マナビー塚』と呼ばれているウタキ(御嶽)のようなものがあります。近所の人たちがマナビーさんの突然の死を悲しんで造ったようです。いつも綺麗な花が飾られています」
「そうか‥‥‥マナビーは近所の子供たちに読み書きを教えて、竹細工やクバ細工も教えていたからな。近所の人たちは俺に斬られた事を知らないのか」
「お兄さんが明国で病死してしまって、その悲しみで亡くなってしまったという事になっています」
「サンルータも病死か」
「そうです。サンルータの悪行(あくぎょう)を隠すために、皆、病死で済ませたのです」
 クミは会えてよかったと言って帰って行った。
 クミが帰るとウニタキ(三星大親)とダキが現れた。
「話はすべて聞いた」とウニタキが言った。
「えっ?」と真喜屋之子は驚いた。
「隠し部屋があるんだよ」とウニタキは笑った。
「クミはお前の事をお兄さんと呼んでいたが、親しかったのか」
「従妹(いとこ)なんですよ」と真喜屋之子が言ったので、ウニタキとダキは驚いた。
「俺の母は国頭按司の妹なんです。子供の頃、母に連れられて、ここに来て、クミと会っていたのです。クミがサンルータの妻として嫁いで来た時には驚きましたよ。でも、クミなら、わがままなサンルータともうまくやっていけるだろうと思いました」
「従兄妹同士だったのなら、クミももう少し早くにお前に知らせてやればよかったのにな」
 ウニタキがそう言うと、
「クミの言う事は腑に落ちないわ」とダキが言った。
「夫の留守中にサンルータと寝たとしても、その女は夫には絶対内緒にするはずですよ。気づけば泣き寝入りするだろうけど、きっと気づいていないと思うわ」
「クミが嘘をついたと言うのですか」と真喜屋之子がダキに聞いた。
 ダキはそれには答えず、ウニタキを見た。
「お前が見た所、クミはどんな女だ?」とウニタキはダキに聞いた。
「サンルータに嫁ぐ前は、上の兄と一緒に山の中を走り回っていたようです」
「上の兄は今、何をしているんだ?」
「与論按司(ゆんぬあじ)ですよ。弓矢の腕を見込まれて、湧川大主の配下になって、今は与論按司に出世しました」
「クミの兄貴が与論按司だったのか」
 ウニタキは与論島(ゆんぬじま)で見た新しい按司の顔を思い出した。按司としては若いが、湧川大主に鍛えられたとみえて、しっかりした男のようだった。奴なら湧川大主の命令に背く事はないだろうと安心したのを覚えていた。
「すると、クミも弓矢が得意なのか」
「十一歳の娘がいるんですが、娘に弓矢を教えています」
「そうか。弓矢を持って獲物を追っていたとなると、それなりの勘は持っているな。サンルータの女遊びにも気づいたのかもしれん」
「知らない女に言われて、真喜屋之子の屋敷に行ったと言ったけど、こっそりあとを付けて行ったのかもしれません」
 ウニタキはうなづいて、「ありえるな」と言った。
「すると、俺に二人の事を知らせたのは、クミだったのですか」
「きっと、そうですよ」とダキは言った。
「自分を差し置いて、よその奥さんたちと楽しんでいるサンルータが許せなかったのよ。でも、クミはあなたに罪を負わせてしまった事をずっと悔やんでいたんだと思うわ」
「クミは四回目の唐旅の時、羽地、名護、国頭のサムレーも行ったと言っていたが本当なのか」とウニタキが聞いた。
「あの時は年に二回、進貢船を出したのです。二月に船出して七月に帰って来て、十月にまた船出したのです。永楽帝(えいらくてい)がタージー(アラビア)という遠い国に使者を送るので、その宴に参加しろと言われたようで、山北王だけでなく、中山王も山南王も使者を送っています。泉州に新しく『来遠駅(らいえんえき)』という宿所もできていました」
鄭和(ジェンフォ)の船団が船出したのだな」とウニタキが言った。
「そうです。鄭和です。大きな船を見て驚きましたよ。七月に帰って来たばかりで、十月にまた行くのは無理です。護衛のサムレーたちにも家族がいますからね。それで、羽地、名護、国頭のサムレーたちを募ったのです。いつも、今帰仁のサムレーばかりが明国に行っていたので、みんな喜んで唐旅に出ました。俺も無理をするなとサムレー大将の瀬底之子(しーくぬしぃ)殿(本部のテーラー)に言われたのですが、調べたい事があったので、俺は行ったのです。あれが失敗でした。マナビーの事を思って残るべきでした」
「今頃、悔やんでも始まらない。これからどう生きるかだ」とウニタキは真喜屋之子に言ってから、
「真喜屋之子が生きている事を知ったクミがどう出るかだな」とダキに言った。
「父親に言うか、今帰仁まで行って山北王に言うか‥‥‥姉のクンに言うかもしれないですね」
「イブキが調べた所によると、サンルータは山北王の側室に手を出して、御内原(うーちばる)から追い出されたようだ。城下の屋敷に移ったんだが、母親も一緒だったようだ」
「母親は側室だったのですか」
「いや、正妻だよ。名護按司の娘で、山北王も湧川大主もマハニも産んでいる。サンルータは末っ子だったので心配だったのだろう。サンルータの下にも妹と弟がいるが、母親は奥間の側室だ。その頃、密貿易船が盛んに来ていて、サンルータは湧川大主を手伝って、海賊たちの相手をしていたらしい。唐人(とーんちゅ)町にある『天使館』も遊女屋(じゅりぬやー)も、その頃にできたようだ。兄の仕事を手伝いながら、遊女(じゅり)たちと遊んでいたのだろう。そして、十七の時に明国に行った。サンルータの護衛役に選ばれたのがお前だったな?」
 真喜屋之子はうなづいた。
「一緒に明国を旅して、奴は女の事を話さなかったか」
「話す事は女の事ばかりでしたよ。若いし、それに育ったのが御内原ですからね、美人(ちゅらー)たちに囲まれて育ったのだから仕方がないと思いました」
「城下の娘の話はしなかったか」
「奴はわざわざ重臣たちの屋敷に挨拶に行って、娘たちの品定めをしていたようです」
「特に仲良くなった娘はいなかったのか」
「俺があまり話に乗ってこないので、奴は一緒に行った羽地之子(はにじぬしぃ)と親しくしていました。羽地之子に色々と話していたようですよ」
「羽地之子とは誰の事だ?」
「羽地按司の次男です。今は羽地に帰ってサムレー大将を務めていて、饒平名大主(ゆぴなうふぬし)を名乗っていますが、あの頃は今帰仁のサムレーでした」
「奴か。奴なら口が軽そうだな」とウニタキはニヤッと笑った。
「サンルータの女を調べるつもりなのですか」とダキがウニタキに聞いた。
「クミに知らせた女がいたとしたら、その女はサンルータと関係を持った女たちを知っているかもしれない。その夫は当時は若くても、今はそれなりの地位に就いているだろう。そいつらの弱みを握る事ができるんだよ」
「わかりました。クミの様子を見ながら、クミからも聞いてみます」
「焦る必要はないからな」
「わかっています」とダキはうなづいた。


 首里の会同館では帰国祝いの宴が賑やかに行なわれていた。一月に送った中山王と山北王の使者を乗せた進貢船が無事に帰って来ていた。
 山北王は海船を賜わる事に成功した。明国の商品をたっぷりと積んだ海船は、この時期に浮島に入ると帰るのに大変なので、久米島(くみじま)から一気に親泊(うやどぅまい)(今泊)に向かった。ただ、海船を賜わった代わりに、『リュウイン(劉瑛)』が明国に残っているという。
 中山王にお礼を言うために、久米島で中山王の船に移って、中山王の使者たちと一緒に会同館に来たテーラー(瀬底大主)に詳しい事情を聞くと、永楽帝リュウインの事を覚えていて、リュウインは直接、永楽帝と会ったらしい。
 永楽帝リュウインに戻って来てくれと頼み、リュウインは山北王の海船を頼んだ。海船をすぐに用意する代わりに、リュウインは永楽帝に仕える事になってしまった。リュウインが琉球に残した家族の事を心配すると、今、琉球冊封使(さっぷーし)が行っているから、その船に乗ってくればいいと言って、永楽帝冊封使宛ての書状まで書いたという。
リュウイン殿を永楽帝に取られたか‥‥‥」
 サハチ(中山王世子、島添大里按司)は残念そうな顔をしたが、心の中では喜んでいた。軍師としてのリュウインが今帰仁にいなければ、確実に攻め易くなったと言えた。
リュウイン殿は永楽帝の弟の軍師だったそうです。弟が戦死した時、リュウイン殿も戦死したと永楽帝は思っていたようです。生きていたのかと大層喜んだそうです」
「そうか‥‥‥」
「それにしても、順天府(じゅんてんふ)(北京)は遠かったですよ」とテーラーはしみじみと言った。
「前回行った時は応天府(おうてんふ)(南京)でしたからね、まさか、あんな遠くまで行くとは思ってもいなかった。今、宮殿を造っているのですが、その桁外れな大きさには驚きました。琉球とは規模がまったく違います。まさに、雲の上の人である皇帝の住む宮殿だと思いましたよ」
 サハチは旅の話を聞いたあと、湧川大主が鬼界島(ききゃじま)攻めに行った事をテーラーに教えた。
「援軍を頼むなんて、湧川大主は苦戦をしているのかな」とテーラーは言った。
「苦戦していたとしても、二百の援軍が加われば、今年こそは落とすだろう」とサハチは言って、
「もし、鬼界島を攻め落としたとして、次の狙いはどこなんだ?」と聞いた。
「さあ?」とテーラーは首を傾げた。
「鬼界島攻めは備瀬大主(びしうふぬし)の敵討(かたきう)ちだからな、その後の事は聞いていない。トカラの島々を攻めるのかな」
「備瀬大主というのは誰だ?」
「俺たちの幼馴染みですよ。最初の鬼界島攻めの時、サムレー大将として前与論按司と一緒に行って戦死してしまったんです。幼い頃、山北王は溺れ死ぬ所を備瀬大主に助けられているんです。恩返しをする前に亡くなってしまったと悔しがっていましたよ」
「鬼界島攻めは弔(とむら)い合戦だったのか」
「弔い合戦が終われば、山北王もしばらくは戦はやめるんじゃないですか。海船も手に入ったし、進貢を再会するでしょう」
「それはどうかな。新しい海賊が来たようだからな」
「えっ?」とテーラーは驚いた。
冊封使が来る事を知っていて、四月に来て六月には帰って行ったようだ。湧川大主はいないし、沖の郡島(うーちぬくーいじま)(古宇利島)にいた山北王が慌てて帰って来たようだ」
「新しい海賊が来たのか‥‥‥海船が必要ないのなら、リュウイン殿が明国に残る必要もなかったのに」
 テーラーは溜め息をついた。
リュウイン殿から聞いたんですけど、永楽帝の娘が今、琉球に来ているのですか。永楽帝はサハチに預けたと言っていたそうですが、サハチというのは師兄(シージォン)の事ですよね?」
「突然、現れたので驚いたよ。今、旧港(ジゥガン)(パレンバン)やジャワの王女様たちと一緒に今帰仁に行っている」
「えっ、今帰仁に行ったのですか」
「山北王に会いたいと言い出したんだ。わがままな王女様で、止める事は誰にもできない。まだ十五歳の可愛い娘だよ。ンマムイが一緒に行っている」
「師兄は永楽帝と知り合いだったのですか」
「一度、会っただけだよ」
 テーラーは参ったと言った顔で、サハチを見ながら首を振っていた。
「それより、仲尾大主(なこーうふぬし)の倅が『材木屋』の主人だと聞いたが本当なのか」
 テーラーは軽く笑ってうなづいた。
重臣の倅がどうして、材木屋になったんだ?」
「奴は今帰仁のサムレーだったんですよ。サムレー大将になるのも確実だったんだ。しかし、弟のお陰で材木屋に回されて、それでも、奴は賢いから材木屋を任される事になったんですよ」
「弟のお陰でって、弟が何かしたのか」
 テーラーは酒を一口飲むとサハチを見て、
「師兄にはかないませんよ」と言った。
「もう昔の事だから、話しても大丈夫でしょう。材木屋の親方は『ナコータルー』と言うんですが、奴の弟が、山北王の弟を殺して逃げたんですよ」
「山北王の弟?」
「湧川大主の下にサンルータというどうしようもない弟がいたんですよ」
「初耳だな」
「あの事件以来、サンルータの事は隠されました。酔っ払ってサンルータの事をあれこれと言った重臣の倅が見せしめとして、材木屋に回されたんです」
「なに、そいつも材木屋か」
「当時、中山王が首里の城下造りをしていて、材木はいくらでも必要だったんですよ」
「そいつは今も材木屋にいるのか」
「事故に遭って亡くなったようです。公表されていませんが、材木を伐る現場では事故に遭って亡くなった者がかなりいるようです」
「そうか。浮島に来た材木にはそんな犠牲者がいたのか」
「山北王は木を伐って運ぶだけだと簡単に言いますが、大木を伐って運ぶにはそれなりの技術が必要なんです。ナコータルーは奥間の腕のいい杣人(やまんちゅ)を雇って現場を任せて成功したのです」
「そうか。奥間の杣人を使っているのか。それで、ナコータルーの弟は捕まったのか」
倭寇の船に乗ってヤマトゥに逃げたようです。真喜屋之子といって、武芸の腕を認められてサムレーになって、俺の配下になったのです。奴と一緒に何度も明国まで行きましたよ。いい奴だった。明国の言葉もすぐに覚えて、暇さえあれば、現地の人たちと何やら話していましたよ。ヤマトゥに行っても言葉をすぐに覚えて、きっと、活躍しているだろう」
「真喜屋之子とサンルータが決闘でもして、サンルータが敗れたのか」
 テーラーは笑った。
「そんな立派なものじゃないですよ。サンルータが真喜屋之子の妻に手を出して、その現場を見て、かっとなった真喜屋之子がサンルータと妻を斬って逃げたのです。真喜屋之子の妻は美人で有名でした。永良部按司(いらぶあじ)の娘なんです。母親は察度の娘で、やはり美人だった。母親は今、今帰仁にいますが、娘が殺された事は知りません。病死したと思っています」
「そんな事があったのか」
「サンルータが殺されてから、俺の配下の者たちが、自分の妻もサンルータと関係を持ったようだと悩みを打ち明けましたよ。相手がサンルータではどうする事もできなかったと言っていた。サンルータの女遊びは有名でした。妻を迎える前は、城下の娘たちは喜んでサンルータを迎えていたようです。サンルータの心をつかめば、玉の輿(こし)に乗れますからね。奴が国頭按司の娘を妻に迎えた時は、城下の娘たちが皆、泣いたそうです」
「城下の娘でサンルータの子を孕(はら)んだ娘はいなかったのか」
「そんな娘もいただろうが、湧川大主が口封じしたようです。娘の親を出世させたり、銭で解決したのだろう。どうしようもない弟だが、湧川大主は可愛がっていましたよ」
「山北王はどう思っていたんだ?」
「恥さらしめと言っていました。どこかの島に流してしまえと本気で考えていたようですが、湧川大主が庇ったようです」
「すると、山北王はサンルータの死をそれほど怒ってはいなかったのか」
「サンルータより真喜屋之子が逃げて行った事を怒っていましたよ。山北王は進貢船を送るのをやめて、海賊との取り引きを本格的にやろうと考えていて、明国の言葉に堪能な真喜屋之子を使おうと思っていたのです。永良部按司から娘の縁談を頼まれて、真喜屋之子を選んだのも将来を買っていたからなんですよ。もし、奴が逃げなかったら、妻の不貞を罰するのは当然の事として許したかもしれません。ただ、湧川大主は許さないだろうから、どうなっていたかはわかりませんがね」
「そうか。そんな奴がいたのか」
「材木屋がどうかしたのですか」
「いや、首里の城下を造っている時、会った事はあるんだが、その後は会ってはいないんだ。材木屋の親方が変わって、仲尾大主の倅だって聞いたものだから、ちょっと気になって聞いてみたんだよ。これからも材木屋のお世話になるからな」
「まだ、お寺を建てるんですか」
「明国に行っているなら知っているだろう。向こうの都にはお寺がいくつもある。少なくとも十は建てるつもりだ」
「そんなに建てたら、僧も育てなければならないじゃないですか」
「そうなんだ。ヤマトゥから偉い僧侶を連れて来なければならん。まだまだやる事がいっぱいあるんだよ」
 テーラーはサハチの顔を見ながら、永楽帝が可愛い娘をサハチに託したわけが何となくわかるような気がしていた。

 

 

 

【泡盛】 まるた 古酒 30度/1800ml

2-207.大三島の伊予津姫(改訂決定稿)

 奄美大島(あまみうふしま)を直撃して北上した台風は、九州に上陸して九州を縦断すると、周防(すおう)の国(山口県)、出雲(いづも)の国(島根県)を通って日本海に出て勢力を弱めた。ササ(運玉森ヌル)たちがいる京都にも大雨は降ったが、被害が出るほどではなかった。
 奈良から京都に戻って、ようやく京都に到着した交易船に乗って来た使者たちと一緒に、京都の町を行列したササたちは、御台所(みだいどころ)様(日野栄子)に呼ばれて、将軍様の御所に滞在していた。御所に移ったのはササ、シンシン(杏杏)、ナナ、ハマ(越来ヌル)、タミー(慶良間の島ヌル)の五人で、玻名(はな)グスクヌルと若ヌルたち、ミーカナとアヤー、ヤタルー師匠(阿蘇弥太郎)と喜屋武(きゃん)ヌル(先代島尻大里ヌル)、飯篠修理亮(いいざさしゅりのすけ)とカナ(浦添ヌル)、辰阿弥(しんあみ)、覚林坊(かくりんぼう)、天久之子(あみくぬしぃ)は高橋殿の屋敷に滞在していた。
 一文字屋の屋敷にはトゥイ(先代山南王妃)、ナーサ(宇久真の女将)、マアサと四人の女子(いなぐ)サムレーたち、シビーの兄のクレー、マガーチ(苗代之子)の長男のサジルー、ウニタキ(三星大親)の次男のマサンルーが滞在していた。
 トゥイたちは七月の末に一文字屋の船に乗って京都に着き、都見物を堪能していた。トゥイたちを案内したのはクレーだった。三度目のヤマトゥ(日本)旅のクレーは京都の隅から隅まで知っていた。一度目の時も二度目の時も福寿坊(ふくじゅぼう)が一緒だったので、名所旧蹟は勿論の事、遊び場にも詳しかった。それに去年は、一文字屋の近くにある団子屋(だんごや)の娘と仲良くなって、ヤマトゥ言葉も真剣に習っていた。今回も福寿坊は一緒に来たのだが、「トゥイ様を頼むぞ」と言って熊野に行ってしまい、戻って来たのは九月の半ばだった。
 トゥイとナーサはヤマトゥの着物を着て、飽きもせずに、毎日、都見物を楽しんだ。京都にはトゥイを知っている者は誰もいない。生まれた時から按司の娘として育ち、按司の妻になって山南王妃(さんなんおうひ)になったトゥイは、琉球では自由に出歩く事はできなかった。ここでは周りの視線を気にする事なく、どこにでも行けた。トゥイは毎日が楽しく、充実した日々を送っていた。
 マアサと女子サムレーたちは刀を差していると目立つので、ヤマトゥの娘の格好をしてトゥイに従っていた。サジルーとマサンルーはマアサの子分になったように荷物持ちをやっていた。実際、二人はマアサにはかなわず、女に負けられるかと、朝晩は剣術の稽古に励んだ。九月になって、ササたちが京都にやって来ると、高橋殿の屋敷に通って、ヤタルー師匠と修理亮の指導を受けていた。
 半月余り、御台所様と一緒に過ごしたササたちは十月一日に京都を去り、兵庫から一文字屋の船に乗って博多に向かった。トゥイたちも一緒なので人数が多く、二隻の船に乗って行った。
 十日めに因島(いんのしま)に着いて、村上あやと再会して、次の日、あやの案内で『大三島(おおみしま)』に着いた。因島から大三島まで、周辺は島だらけで潮の流れも複雑だった。あやがいなかったら簡単には大三島に着けなかっただろう。因島であやに出会えた事をササは神様に感謝した。
 大三島の西側にある宮浦の港に船を泊めて、あやが小舟に乗って上陸した。しばらくして、いくつもの小舟がやって来て、ササたちはそれに乗って川を溯って行った。広い河口の先に船着き場があって、そこから上陸した。目の前に大きな鳥居があって、鳥居の向こうに神様のいる山が見えた。
 あやが刀を背負った娘を連れて来て、
「あたしの弟子のサヨよ」と娘を紹介した。
「大祝(おおほおり)の娘のサヨです。ササさんの噂はあやさんからよく聞いています。まさか、この島に来てくれるなんて思ってもいませんでした。歓迎いたします」
 『大山積神社(おおやまつみじんじゃ)』では宮司(ぐうじ)の事を『大祝』と呼ぶという。サヨはあやより二つくらい年下で、敏捷そうな日に焼けた娘だった。
 ササたちはサヨの案内で参道を進んだ。参道の両側には、お寺がいくつもあって、山伏の姿もあった。覚林坊が言うには、『役行者(えんのぎょうじゃ)』もこの島に来ているという。
 二つ目の鳥居をくぐると御手洗川(みたらしがわ)が流れていて、口をすすいで手足を清めた。橋を渡って、まだ新しい門をくぐって境内(けいだい)に入った。
 サヨの話だと、この島も南北朝の戦(いくさ)の被害に遭って、焼け落ちた僧坊や民家も多く、ここには総門と呼ばれる大きな門があったが、焼け落ちてしまい、やがて再建される予定だが、今は間に合わせとして、この門が造られたという。
 広い境内の中央に大きな木があった。『樹齢二千年の楠(くすのき)』だと聞いて、ササたちは驚いた。二千年前と言えば、まだ神社もない頃だった。この辺りは鬱蒼(うっそう)とした森で、この楠は神様の依代(よりしろ)だったのだろう。
 二千年もここに立って、この島の歴史を見てきた楠は力強く、その生命力の強さに圧倒された。ササは楠に両手を合わせた。ササが両手を合わせたので、皆が見倣って両手を合わせた。トゥイとナーサも両手を合わせていた。
 石段を登って、また門をくぐると拝殿があった。伊予(いよ)の国(愛媛県)の一の宮と呼ばれるだけあって立派な拝殿だった。ササたちはサヨに従ってお参りをした。神様の声は聞こえなかった。
 大山積神社の祭神は『大山積』の神様で、『コノハナサクヤ姫』の父親だという。
 コノハナサクヤ姫は玉依姫(たまよりひめ)様の事だから、大山積の神様ってスサノオ様の事かしらとササは思った。
「本来は山の神様なんだけど、海の神様でもあって、瀬戸内海の水軍は勿論、海で暮らす人たちから信仰されています。戦(いくさ)の神様でもあって、武将たちは刀や鎧(よろい)を奉納して勝利を祈りました。鎌倉の将軍様の頼朝(よりとも)や源義経(みなもとのよしつね)が奉納した刀と鎧もあります」とサヨが説明した。
「この神社は源氏方だったのね?」とササが聞くと、サヨはうなづいて、
「水軍を率いて壇ノ浦の合戦でも活躍したのです」と誇らしそうに言った。
「この神社は水軍を持っているの?」
「島を守るために水軍は必要です。南北朝の戦の時も大三島の水軍は活躍したのですよ」
「サヨは水軍の大将を目指しているのよ」とあやが言った。
「あやと一緒ね」とササは二人を見て笑った。
 本殿の裏には『上津姫(かみつひめ)』を祀る上津社と『下津姫(しもつひめ)』を祀る下津社があって、さらに奥には神宮寺(じんぐうじ)があるというが、日も暮れてきたので、サヨの案内で東円坊の宿坊(しゅくぼう)に向かった。その宿坊は村上水軍も利用しているという。
 帰る途中、ササは楠が生い茂った森の中に見えた小さな神社に何かを感じた。サヨに聞くと弁才天堂(べんざいてんどう)だという。
 ササは行ってみた。池があって、その中に島があり、島の中に弁才天堂があった。
「雨乞いの神様です」とサヨが言った。
「この神社の御神体である安神山(あんじんやま)の山頂に祀られている『龍神様』を弁才天様として祀っているそうです」
「安神山?」とササが言うと、サヨは振り返って指を差した。
「ここからだと見えないけど、向こうにある山です。『安神山』と『鷲ヶ頭山(わしがとうやま)』、神宮寺のある『小見山(おみやま)』の三つの山が、この神社の御神体の山なのです」
「女神山は?」とササが聞くと、サヨは首を傾げた。
「女神山なんて聞いた事がありません」
 おかしいとササは思ったが、明日、伊予津姫(いよつひめ)様に聞こうと思い、橋を渡って弁才天堂の前に行ってお祈りを捧げた。神様の声は聞こえなかった。
 東円坊は参道の北側にあって、その宿坊は思っていたよりも立派だった。宿坊に案内してくれた老僧は、自慢そうにこの宿坊に泊まった人たちの事を教えてくれたが、ササの知らない人たちだった。将軍様は来られたのですかと聞くと来ていないと言った。今度、御台所様を連れて来ましょうとササが言ったら老僧は驚いていた。
 サヨの父親の大祝(おおほおり)(宮司)と大祝の弟の鳥生備中守(とりうびっちゅうのかみ)、サヨの姉のウキが挨拶に来た。鳥生備中守は水軍の大将で、ウキは巫女(みこ)だった。三人は琉球のお姫様がこの島に来てくれたのはありがたいと言って歓迎してくれた。
 料理が次々に運ばれてきて、ササたちはお酒を飲みながら、巫女のウキから島の神様の事を聞いた。
「昔、大山積神社は島の東側の瀬戸の浜にあったようです。わたしたちの御先祖の『オチノマスミ様』が大山積の神様を祀ったのです。大山積の神様は山の神様ですが、渡しの神様とも呼ばれていて航海の神様でもあるのです。それで、流れの速い鼻刳瀬戸(はなぐりせと)に航海の無事を祈って祀ったのです。それから百年余りが経って、今の地に移って、立派な本殿と拝殿が造られました。今から七百年ほど前の事です。何もなかったこの島に、あまりにも立派な神社ができたので、急に人々が集まって来ました。京都の偉いお公家さんや武将たちが供を引き連れてやって来たのです。この島は瀬戸内海の島々の中心となって、『大山積』の神様はあちこちの島に祀られています。壇ノ浦の合戦で、この島の水軍が活躍してからは水軍の神様にもなっています」
「すると、大山積神社の神様は『伊予津姫様』ではないのですか」とササは聞いた。
「えっ?」とウキは驚いた顔をして、「伊予津姫様を御存じなのですか」と聞いた。
「阿波(あわ)の国(徳島県)の大粟神社(おおあわじんじゃ)の『阿波津姫(あわつひめ)様』から聞いてきたのです。お酒好きの神様で、『酔ひ姫(えいひめ)様』って呼ばれていたと聞きました」
 ウキはまた驚いた顔をして、「あなたは神様の声が聞こえるのですか」と聞いた。
「わたしは琉球の巫女です。琉球ではヌルと呼ばれています」
「そうだったのですか」とウキは周りを見回した。
 大祝の姿はなく、鳥生備中守はヤタルー師匠と笑いながら話をしていた。ウキは安心したような顔をしてササを見ると、
「でも、琉球から来たあなたが、わたしたちの御先祖様の神様の声が聞こえるなんて理解できません」と言った。
「わたしの祖母は大粟神社の宮司の娘だったのです」
「あなたのお祖母(ばあ)様は阿波津姫様の子孫だったのですか」
「そうです。大粟神社は古くから巫女が宮司を務めていました。母親の血筋がずっと続いていたのです」
「ここもそうです」とウキは言った。
「えっ?」と今度はササが驚いた顔をして、ウキを見た。
大山積神社には大勢の巫女がいますが、その上に立つ三人の『大巫女(おおみこ)』がいます。その三人の大巫女は『伊予津姫様』の子孫です。母親の血筋がずっと続いています。大山積神社がこの地に移って、越智安元(おちやすもと)様が初代の大祝になりますが、古くからこの島の神様に仕えていた女性が、安元様と結ばれて、大山積神社の巫女になったのです。それからずっと母親の血筋を継いだ娘が巫女を継いで、時には大祝と結ばれました。わたしの母がそうです。大祝は父親の血筋をつなぎ、巫女は母親の血筋をつないできたのです」
「三人の大巫女は妹さんたちなのですか」
「母は三人の娘を産んだので、三人が巫女になればいいんだけど、そううまくはいかないわ。二人は従妹(いとこ)なの。従妹といっても、叔父の娘は資格がないわ。叔母たちの娘なのです」
 ササはあやと話をしているサヨを見た。サヨは大巫女の資格があるのに、巫女にはならなかった。もう一人の姉も普通の生き方を選んだようだ。
「もしかして、あなたはもう跡継ぎがいるのですか」とナナが聞いた。
 ウキは笑ってうなづいた。
「神様のお陰で、三人の娘に恵まれました」
「そうでしたか。おめでとうございます。安心ですね」とササはウキに言ってから、話を戻して伊予津姫の事を聞いた。
「伊予津姫様がこの島に来て、安神山に祀られたのは、大山積神社が今の場所にできる一千年も前の事です。安神山は当時は『女神山』と呼ばれていました。鷲ヶ頭山は『神野山(こうのやま)』です」
「女神山がどうして、安神山になったのですか」
「わたしたちは女神山の事は隠していたのですが、大山積神社が完成した時、都から役人が来たのです。その役人に知られてしまって、大山積の神様を見下ろしている山が女神山とはけしからんと言ったのです。その時、役人が、『女は家の中でおとなしくしていればいい』と言って、『女』にウ冠を付けて『安』にしてしまったのです。神野山の神様が『瀬織津姫(せおりつひめ)様』だという事も知られてしまって、鷲ヶ頭山に変えられてしまいます。そして、今後は瀬織津姫様と伊予津姫様ではなく、大山積の神様に奉仕しなさいと言われます。それだけでなく、都から来た役人たちは女神山と神野山にある古い岩座(いわくら)を破壊しようとまでしたのです。わたしたちの御先祖様は勿論の事、周辺の島々の人たちも大勢集まって来て、役人たちの粗暴を阻止します。島々の人たちは完成した神社をすべて破壊すると役人たちを脅したようです。初代の大祝になった安元様の父親、越智玉澄(たますみ)様が島民たちと役人たちの間に入って、話をうまくまとめました。神野山の山頂に大山積神社の『奥宮(おくのみや)』を造って、大山積の神様を敬う代償として、女神山の山頂に『龍神様』を祀って、境内に池を造って、『弁才天様』を祀るという条件をつけたのです。役人の一存では決められず、遷宮(せんぐう)の儀式は延期となりました。伊予津姫様から聞いた事ですが、当時、伊勢に神宮を造っていて、『アマテラス』の神様を女神として祀って、アマテラスを天皇の皇祖にしようとしていたようです。そのために『日本書紀』という歴史書まで作っていたそうです。その中には、瀬織津姫様は出てきません。当時、水の神様、航海の神様、戦の神様でもある万能の神様の瀬織津姫様は誰もが知っている神様でした。『日本書紀』を正当化するには、瀬織津姫様を抹殺しなければならなかったのです。それで、各地に祀られている瀬織津姫様は、神社が建てられるのと同時に、名前を変えられてしまったようです。武庫山(むこやま)(六甲山)の『広田神社』も熊野の『那智の滝』も駿河の『富士山』も皆、そうです。一年近く経って、ようやく、都から返事が来ました。女神山に龍神様を祀る許可が下りて、山頂に石の祠(ほこら)を祀って、境内に池を作って弁才天様を祀り、ようやく、遷宮の儀式が盛大に行なわれました。立派な神社を見るために大勢の人たちが集まってきました。皆、神様にお祈りしましたが、心の中では瀬織津姫様を思っていたのです。大山積神社とは呼ばず、『大三島明神(おおみしまみょうじん)様』と呼んでいるのは瀬織津姫様の事なのです」
「今でも島の人たちは瀬織津姫様の事を忘れてはいないのですね?」とササは聞いた。
 ウキは悲しそうな顔をして首を振った。
「時の流れには逆らえません。大山積神社ができてから七百年も経っています。この島の本当の神様が瀬織津姫様だという事を知っている人も減ってきています。今から三百年ほど前に、天変地異が起こりました。干魃(かんばつ)が続いたかと思うと、今度は大雨が何日も続いて、疫病(えきびょう)が流行って大勢の人が亡くなりました。それを救ったのが大三島明神様でした。都から勅使(ちょくし)が来て、神社が再建される事になりました。すべてが新しくなりましたが、その時、神宮寺もできたのです。『役行者(えんのぎょうじゃ)様』がこの島に来てから、山伏たちが大勢やって来て、女神山や神野山に行場(ぎょうば)を作って修行していたのです。瀬織津姫様が復活する危険を感じたのでしょう。女神山と神野山は神様の領域であるとして入山を禁止してしまいました。未だに、祭祀(さいし)の時だけ限られた人しか山には入れません。神宮寺ができてからは仏教の色が濃くなって、それぞれの神様に本地仏(ほんぢぶつ)という仏様が加わって、何が何だかわからなくなって、瀬織津姫様の事もだんだんと忘れられてしまったのです」
役行者様はこの島に来たのですね?」
大山積神社ができる前に来たようです。女神山で伊予津姫様と会っています。そして、『薬師山(やくしやま)』に登って、『スサノオ様』が祀ってある事を知って、薬師如来を祀ったのです。それで、今、薬師山って呼ばれているのですよ」
「薬師山にスサノオ様を祀ったのは熊野の山伏ですか」
「もっと、ずっと古いわよ。阿波に行ったのなら知っていると思うけど、『八倉姫(やくらひめ)様』の娘さんがこの島に来たのですよ」
「アイラ姫様の娘さんが‥‥‥」
 アイラ姫はユンヌ姫と一緒に、祖母を連れて琉球に行ったけど、もう帰って来ているはずだった。アイラ姫の娘は鉄の鏃(やじり)の付いた矢をこの島に持って来たのだろうか。
「『ミシマ姫様』って呼ばれて、『鏡山(かがみやま)』に祀られています。伊予津姫様の子孫とミシマ姫様の子孫が一緒になって、この島を守ってきたのです」
 次の日、ササたちはウキの案内で、『入り日の滝』に向かった。滝は安神山の裏側にあって、川に沿った山道を進んで行った。半時(はんとき)(一時間)余りで滝本坊(たきもとぼう)というお寺に着いて、その先に滝があった。
 ササたちは川で手足を清めて、鳥居をくぐって滝に近づいた。古いウタキ(御嶽)のように霊気がみなぎっていた。岩と樹木に囲まれている中、およそ五丈(約十五メートル)の高さから滝は落ちていた。この光景はイシャナギ島(石垣島)の『ナルンガーラの滝』に似ていると思った。きっと、夕日が当たると虹が出るのだろう。
 滝壺の近くに祭壇のような岩があったので、ササたちはそこに行って、お祈りをした。ササに従ったのはヌルたちで、トゥイたち、ヤタルー師匠と修理亮、覚林坊たち、あやとサヨは様子を見守っていた。
「母(阿波津姫)から聞いたわよ。お酒が好きなんですってね」と神様の声が聞こえた。
「一緒にお酒を飲みたいと思ってやって参りました」とササが言った。
 ウキは信じられないと言った顔をしてササを見ていた。ササの話は聞いたが、実際に伊予津姫様と話ができるなんて思ってもいなかった。
「大歓迎よ。今晩、お月様を眺めながら一緒に飲みましょう。楽しみだわ。それにしても随分と大勢連れて来たわね」
「ここにいる人は皆、富士山の裾野の樹海で瀬織津姫様と一緒にお酒を飲んでいます。あの時は丁度、満月でした」
「それも母から聞いたわ。富士山に籠もっていたお祖母様を出してくれてありがとう。お祖母様ったら、あたしの所に来ないで、どこかに行っちゃったのよ。薄情だわ。でも、本当によかったわ。お祖母様が籠もってから五百年以上も経つのよ。その間に色々とあったわ。お祖母様を頼りにしている人たちがいっぱいいたのに、お祖母様は動かない。お祖母様の娘たちや孫たちが頑張って、何とかやって来たのよ。お祖母様に会ったら、愚痴をたっぷりと言ってやるわ」
「伊予津姫様はこの島に来て、大山積神社がある所で暮らしていたのですか」とササは聞いた。
「わたしがこの島に来た時、あそこは湿地帯で、とても暮らせる場所じゃなかったのよ。わたしたちが最初に暮らしたのはここなの。ここから女神山に登って、女神山から神野山に登って、神野山の山頂にお祖母様を祀ったのよ。でもね、仲間が増えて来て、ここでは狭くなって、南に移動したわ。薬師山の北の辺りね」
「何もなかった所に、大山積神社はできたのですね?」
「何もなかったわけじゃないわ。神社が建てられた頃は湿地帯もなくなっていたから、耕して田んぼや畑もあったと思うわ」
「あそこに大山積神社ができる事を許したのですか」
「許すも許さないもないわ。嘘はいつかばれるものよ。立派な神社を建てて、偽の神様を祀っても、本当の神様を隠す事はできないのよ。現に、琉球で生まれたあなたが真実を知ったでしょ」
 そう言ってから伊予津姫は急に黙ってしまった。
「どうしてなの? どうして、あなたがその勾玉(まがたま)を身に付けているの?」と伊予津姫は興奮した声で言った。
 ササには何の事だかわからなかった。
「あなたは一体、誰なの?」
「誰の事ですか」とササは聞いた。
「海の色の勾玉よ」
 青い勾玉を身に付けているのはシンシンだった。シンシンは驚いた顔をして、青い勾玉を見ていた。
「明国(みんこく)から来たファンシンシン(范杏杏)です」とササは言った。
「明国の娘がどうして、その勾玉を持っているの。信じられないわ」
 二百年余り前、厳島(いつくしま)神社の内侍(ないし)(巫女)のアキシノが厳島の浜辺で見つけて身に付け、琉球に行って、読谷山(ゆんたんじゃ)の山の中に埋めた。六年前の地震で穴の中から出て来たのをササたちが見つけて、シンシンが青い勾玉を身に付けた事をササは説明した。
「あの勾玉は伊予津姫様のものだったのですか」
「わたしが母からいただいて、娘にあげたものなの。『吉備津姫(きびつひめ)』はわたしに似てお酒好きな娘で、その勾玉をなくしてしまったのよ。母が『ヌナカワ姫様』からいただいた貴重な勾玉だったのよ。笛が上手で、瀬戸内海の潮の流れをすべて知っている賢い娘だったんだけど、お酒好きが玉に瑕だったわ。あの時、厳島も探したんだけど見つからなかったのよ。まさか、再会できるなんて思ってもいなかったわ」
「アキシノと申します」とアキシノの声がした。
 ウキが驚いて空を見上げた。ササの話に出て来たアキシノがここにいるのが理解できなかった。
「わたしがその勾玉を見つけた時、わたしは神様の声を聞きました。神様から言われた通りに行ったら、その勾玉を見つけたのです。その神様は伊予津姫様ではなかったのですか」
「わたしではないわ。勾玉が厳島にある事を知らなかったもの」
「その勾玉を見つけたわたしは、伊予津姫様の子孫なのでしょうか」
「きっと、そうでしょう。吉備津姫の妹に『安芸津姫(あきつひめ)』がいるわ。安芸津姫は厳島に祀られているので、安芸津姫の子孫かもしれないわね。アキシノが身に付けられたのはわかるけど、明国で生まれたシンシンが身に付けられるなんて‥‥‥」
 伊予津姫はまた黙り込んだ。しばらくして、
「あの娘(こ)、『楚(チュ)の国』に行ったのかもしれないわ」と言った。
「楚の国ってどこですか」とササは聞いた。
「明の国よりずっと昔にあった国よ。その頃、従姉(いとこ)の阿蘇津姫(あそつひめ)が対馬(つしま)に拠点を作って、楚の国とタカラガイの交易をしていたの。その頃の船は小さかったから、一気に大陸まで渡れなかったわ。朝鮮(チョソン)半島に渡って、沿岸を通って楚の国まで行ったのよ。楚の国ではタカラガイを銭として使っていたの。吉備津姫は楚の国には行っていないけど、琉球に行った時に遭難してしまって帰って来なかったの。亡くなってしまったと思っていたけど、もしかしたら、楚の国に流れ着いて、そこで生きていたのかもしれないわ。あの娘が行方不明になって十年もしないうちに、楚の国は秦(チン)の国に滅ぼされてしまったの。戦に巻き込まれて亡くなってしまったのかもしれないけど、娘を産んで子孫を残したのかもしれないわ」
「楚の国と交易していたのなら、そのお船に乗って帰って来られたのではないですか」
「楚の国に行くのは命懸けの長い船旅よ。毎年行っていたわけではないの。それに、楚が滅ぼされて秦になってからは銅銭ができて、タカラガイは必要とされなくなってしまったのよ。秦と交易ができなくなって、大陸には行かなくなってしまったわ。もし、あの娘が楚の国に行ったとしても、帰っては来られなかったのでしょう」
「わたしは海からずっと離れた武当山(ウーダンシャン)の近くの村で生まれました。本当に吉備津姫様の子孫なのでしょうか」とシンシンが伊予津姫に聞いた。
 ウキが驚いた顔でシンシンを見た。
 伊予津姫は笑った。
「あなたがその勾玉を身に付けている事と、わたしの声が聞こえるという事は、あなたはわたしの子孫だわ。そして、吉備津姫の子孫に違いないわ。あの娘が行方知れずになったのは千五百年も前の事よ。きっと、明の国にあの娘の子孫が大勢いるのかもしれないわ。そして、あなたは吉備津姫の娘から娘へとずっと続いている血筋なのよ。あなたがどういう経路でここに来たのかは知らないけど、それは生まれた時からの運命(さだめ)だったのよ」
 シンシンは青い勾玉を見つめながら、伊予津姫が言った事を考えていた。突然の事で頭の中は混乱していたが、琉球に行ったのも、ササと一緒に神様の事を調べたのも、すべて、神様に導かれた運命だったのだと思った。
「ササには驚かされるわね。まさか、娘の消息がわかるなんて思ってもいなかったわ。今晩、ゆっくりと話しましょうね」
 ササたちはお祈りを終えて、伊予津姫と別れた。
「シンシン」とササが言って、シンシンの肩をたたいて笑った。
「あなたも瀬織津姫様の子孫だったのよ」
「驚いたわね」とナナが言った。
「青いガーラダマ(勾玉)なんて滅多にないから貴重なものだって知ってはいたけど、阿波津姫様がヌナカワ姫様からいただいたガーラダマだったなんて凄いわ」
瀬織津姫様は気づかなかったけど知らなかったのかしら?」とカナが言った。
瀬織津姫様はヌナカワ姫様が武庫山で亡くなってから那智に行ったわ。きっと、娘さんのヌナカワ姫様だと思うわ。娘さんが武庫山に来た時、阿波津姫様がシンシンのガーラダマをいただいたのよ」
「阿波津姫様も気づかなかったわよ」
「阿波津姫様は気づいたんだと思うわ。それで、大三島に行きなさいって言ったのよ」
「そうね」とカナはササの言った事に納得した。
「あなたたち、みんな、神様の声が聞こえるの?」とウキが聞いた。
「若ヌルたちはまだ聞こえない子もいるわ」
 ウニチルとミワが恥ずかしそうにうつむいた。
「大丈夫よ。あなたたちももうすぐ聞こえるようになるわ」とササは二人に言った。
 滝から滝本坊に行って、巫女が出してくれたお茶を飲みながら一休みした。
「伊予津姫様が一緒にお酒を飲みましょうっておっしゃったけど、どういう意味ですか」とウキがササに聞いた。
「言葉の通りです。申し訳ありませんが、お酒と料理の準備をお願いします」
「それは構わないけど、神様が現れて、お酒を飲むのですか」
 ササはうなづいた。
 ウキは信じられないといった顔をしていた。
 一旦、東円坊に帰って、夕方になると、ササたちはお酒と料理を持って滝本坊に戻った。ヌルたち全員と護衛のためにヤタルー師匠と修理亮と覚林坊が従い、ウキは大巫女のトクとハツを連れて来た。
 滝本坊の裏に滝が見えるいい場所があるというので、そこに行って酒盛りの準備をした。思っていたよりも広い場所だったが、木に隠れて滝はよく見えなかった。
 ササ、シンシン、ナナ、カナ、ハマ、タミー、喜屋武ヌル、玻名グスクヌル、八人の若ヌルたち、三人の大巫女たちが焚き火を囲んで酒盛りを始めた。ヤタルー師匠と修理亮と覚林坊は滝本坊で待っていてもらった。
 日が暮れて、東の空から十二日の月がササたちを照らした。
「本当に神様が現れるの?」とウキがササに聞いた。
「約束したんだから現れると思うけど」と言って、ササは星空を見上げた。
「笛よ」とシンシンが言った。
 ササはうなづくと笛を出して吹き始めた。
 瀬戸内海の船旅を思い出しながらササは笛を吹いていた。博多から兵庫へ向かう途中、いつも、この島の近くを通っていた。あやから大山積神社の事は聞いていても興味はなかった。南の島で瀬織津姫様を知って、富士山で瀬織津姫様と出会い、四国に行って阿波津姫様と出会って、ようやく、この島にやって来た。以前、セーファウタキ(斎場御嶽)に行きたいと母に行ったら、行くべき時が必ず来るから、それまで待ちなさいと言われた。この島の近くを通っても、この島に来なかったのは、まだ来るべき時ではなかったに違いない。そして、今、来るべき時に来たのだった。瀬織津姫様を隠すためにあれほど立派な大山積神社を造ったという事は、この島は伊勢と同じように重要な島に違いなかった。
 ウキたちはササの吹く笛の調べに感動していた。ササが知っているはずはないのに、古い神楽(かぐら)の調べによく似ていた。似ているというより、ササの笛の方が神々しく、まるで、神様が吹いているように聞こえた。この調べを聴いたら、神様が現れるというのもうなづけるような気がした。
 突然、まぶしい光に包まれた。皆が目を閉じて、目を開けると神様がいた。『ユンヌ姫』、『アカナ姫』、『アキシノ』、『トヨウケ姫』と初めて見る神様が二人いた。
琉球に行って来たわよ」と笑ったのはアイラ姫の声だった。
 『アイラ姫』は弓矢の名人で、山の中を走り回っていたと聞いているが、そんな風には見えない美しい神様だった。もう一人はユンヌ姫の娘の『キキャ姫』で、母親に似て、いたずら好きそうな可愛い娘だった。
 ササはウキたちに神様たちを紹介した。神様を見るのが初めてのウキたちは急にかしこまって挨拶をした。
 ササが若ヌルたちを見ると眠ってはいなかった。皆、目を丸くして神様たちを見ていた。その中にウニチルとミワもいた。
「あなたたちも許されたのね」とササは若ヌルたちに言った。
「えっ?」とマユが言って、「これは夢ではないのですね」と聞いた。
 若ヌルたちは顔を見合わせて喜んだ。そして、ウニチルとミワを見て、
「あなたたちも神様の声が聞こえるようになったの?」とカミーが二人に聞いた。
「えっ?」と言って、二人は神様たちを見た。
「よかったわね」とユンヌ姫が言った。
「聞こえたわ」と言って、ウニチルとミワは手を取り合って喜んだ。
 再び、まぶしい光に包まれて、目を開けると、四人の女神様たちがいた。
「飲み仲間を連れて来たわ」と言ったのは伊予津姫の声だった。
 『伊予津姫』は弓矢を背負って、腰に石斧(いしおの)を差し、毛皮を着込んで猟師のような格好をしていた。生きていた頃はその格好で丸木舟に乗って、瀬戸内海を走り回っていたのだろう。ササの視線に気づくと恥ずかしそうに笑って、「着飾って来ようと思ったんだけど、あなたたちの格好に合わせたのよ」と言った。祖母の瀬織津姫に似ている美人だった。
 伊予津姫の飲み仲間は娘の『安芸津姫』とアイラ姫の娘の『ミシマ姫』と『ムナカタ姫』だった。ミシマ姫とムナカタ姫は母親がいるのに驚いて、
「どうして、お母様がここにいるの?」と聞いた。
「あなたたちが調子に乗って飲み過ぎないように見に来たのよ。いつも飲み過ぎて『酔ひ姫(えいひめ)様』に迷惑を掛けているでしょ」
「始めるわよ」と伊予津姫が言って、それぞれが酒杯(さかづき)にお酒をついで、酒盛りが始まった。
 ウキは御先祖様の伊予津姫の姿を見て感激していた。男のような勇ましい格好は想像もしていなかったが、美しい顔立ちはウキが思っていた通りだった。
「わたしがこの島に来たのは、この島に大きな楠がいっぱいあったからなのよ。楠を切って、丸木舟をいくつも造ったわ。その舟に乗って、琉球にも行ったのよ。貝殻をいっぱい積んで帰って来たわ」
 伊予津姫の昔話を聞いていた時、ヴィーナの調べが聞こえてきた。
「サラスワティ様よ」とナナが言って、星空を見上げた。
「わしらも仲間に入れろ」と言ったのはスサノオの声だった。
 まぶしい光のあと、『スサノオ』と『瀬織津姫』、『サラスワティ』が現れた。クメールの国(カンボジア)の衣装なのか、三人とも異国の着物を着ていた。よく似合ってはいるが、ちょっと寒そうに見えた。
「お前がこの島に来たとは驚いたのう」とスサノオがササに言った。
「この島はわしが瀬戸内海を平定する時、拠点にした島なんじゃよ。島の神様に仕えていた『ウテナ姫』という美しい娘がいてのう、わしはウテナ姫といい仲になって、娘の『イクラ姫』が生まれたんじゃよ。この事は未だに、豊玉姫(とよたまひめ)にも稲田姫(いなだひめ)にも内緒なんじゃ」
 スサノオは伊予津姫を見て、「ウテナ姫はそなたの子孫ですか」と聞いた。
 瀬織津姫と話をしていた伊予津姫はスサノオを見て、うなづいた。スサノオはウキたちを見ると、「そなたたちがイクラ姫の子孫かのう」と聞いた。
「はい。さようでございます」とウキはやっとの思いで答えた。
 伊予津姫の姿を見ただけでも驚いたのに、瀬織津姫スサノオが現れるなんて、ウキの頭の中はあまりの驚きで真っ白になっていた。そして、神宮寺が建てられた時の事を思い出した。
 あの時、鳥羽上皇の勅命で、上津社と下津社も建てられた。上津社は『雷神』を祀り、下津社は『高龗(たかおかみ)』を祀った。鳥羽上皇の内密の命令で、上津社の本当の神様は『スサノオ』だと言われ、下津社には島の神様を祀ってもいいと言われたという。鳥羽上皇は何度も熊野参詣をしているスサノオの信奉者だった。この島とあまり関係のないスサノオを祀ってもいいものか、その時の大巫女は伊予津姫に相談した。伊予津姫は笑って、スサノオはあなたたちの御先祖様だから何の問題もないと言って、わたしを祀る事を許されたのだから、その通りにしなさいと言った。その話を聞いた時、スサノオは有名な神様だから、伊予津姫と関係があるのかもしれないと思っただけだったが、実際にスサノオの娘が御先祖様にいたなんて初めて知った事だった。
 本殿の裏に上津社と下津社はあるが、上津社は出雲の方を向いて北向きに、下津社は安神山の方を向いて南向きに、お互いに向き合って建てられていた。
「わたし、イクラ姫様に会いましたよ」とミシマ姫が言った。
「そなたは誰じゃ」とスサノオは聞いた。
「アイラ姫の娘のミシマ姫です」
「おう、そうか。お前がこの島を守ってくれたのか」
イクラ姫様の孫娘の『イキナ姫』がわたしと同い年で、二人で協力して、この島を守ったのです」
 ササがサラスワティを見ると、サラスワティは笑って、「また会ったわね」と言った。
 この前、サラスワティと会ったのはトンドにいた正月だった。あれから色々な事があったので、随分と昔のように感じられた。
 月空の下、神様たちとの酒盛りは賑やかに続いていった。

 

 

 

梅錦山川 清酒 梅錦 純米吟醸 原酒「酒一筋」 1800ml [ 日本酒 ]

2-206.天罰(改訂決定稿)

 ミャーク(宮古島)の船が無事にミャークに着いたあと、ミャークの沖を台風が通過して北上して行った。
 ユンヌ姫は琉球に帰ると、サハチ(中山王世子、島添大里按司)にミャークの船の無事の帰島と台風が近づいている事を知らせた。サハチは山南王(さんなんおう)の他魯毎(たるむい)にも知らせて台風に備えさせた。直撃する事はなく、久米島(くみじま)沖を通って行ったので、大した被害は出なかった。それでも、雨と風は強く、浮島(那覇)の『天使館』に滞在している冊封使(さっぷーし)たちは真っ青な顔をして、明国の神様に無事を祈っていたという。
 ユンヌ姫は鬼界島(ききゃじま)(喜界島)に行って、娘のキキャ姫に台風の事を教えた。
奄美大島(あまみうふしま)を直撃するかもしれないわよ」とユンヌ姫が言うと、
「面白くなってきたわ」とキキャ姫は楽しそうに笑った。
 メイヤ姫はドゥナン島(与那国島)の人たちが無事にドゥナン島に帰るのを見守ると言ってミャークに残ったが、アカナ姫はユンヌ姫と一緒に戻って来ていた。
「今、湧川大主(わくがーうふぬし)の船は赤木名(はっきな)にいるのよ。きっと、台風が湧川大主の船を座礁させてくれるわ」とキキャ姫は言った。
「そううまく行けばいいけどね」とユンヌ姫が笑うと、
「いい方法があるわ」とアカナ姫が言った。
「佐田大人(さーたうふんど)に使った手よ」
「台風の風を船に集中させるの?」とユンヌ姫が聞いた。
 アカナ姫は笑って、「あの時は、あなたに会ったばかりだったから、ちょっと自慢げに言ったの。あたしにそんな力はないわよ。本当はね」と言って、佐田大人の船を破壊した方法を教えた。
「それはいい考えよ。さっそく、ミキに教えて準備させるわ」
 キキャ姫は島ヌルのミキの所に飛んで行った。


 四月の敗戦の時、四十人もの戦死者を出してしまった湧川大主は悔しがって、マジニ(前浦添ヌル)が止めるのも聞かずに、やけ酒を食らった。こんな惨めな敗戦は初めてだった。このままでは兄の山北王(さんほくおう)に顔向けができなかった。
 湧川大主が打ちのめされている間にも敵の攻撃は続いていて、密かに奄美大島に渡って来た敵は山北王の船に穴を開けた。小さな穴なのですぐに修繕できるが、昼も夜も見張りを付けなければならなかった。敵にやられっぱなしでは味方の士気が落ちてしまう。湧川大主は梅雨が明けるまで赤木名に移動して、作戦を立て直そうと考えた。
 赤木名に移った湧川大主は近在の若者たちを鍛えて兵の補充をして、山北王にも援軍を依頼した。城下の屋敷でマジニと一緒に暮らして、敗戦時の心の傷も癒えていった。マジニが若ヌルに何と説明したのか知らないが、若ヌルも湧川大主に対して親しみを持って接するようになっていた。若ヌルの可愛い笑顔を見ると、琉球にいる娘たちを思い出した。
 湧川大主には六人の娘がいた。長女のランは勢理客(じっちゃく)の若ヌル、次女のユリは志慶真大主(しじまうふぬし)の次男に嫁ぎ、三女のチルーは十五歳、四女のカミーは十四歳、五女のユイは十二歳、六女のトゥミは九歳で、それぞれ、母親と一緒に暮らしていた。
 妻のミキが亡くなってからは、名護(なぐ)にいた側室のマチが今帰仁(なきじん)の屋敷に来て、三女のチルーと一緒に暮らしている。六女の下に、やっと生まれた長男が羽地にいた。長男のミンジはまだ六歳で、十年後に一緒に戦(いくさ)に出るのが楽しみだった。
 五月の八日、梅雨は明けたが、その頃より琉球に来ていたヤマトゥ(日本)の船が続々と帰って行った。戦の邪魔になるので、ヤマトゥの船が引き上げるのを待った。
 二度目の総攻撃を仕掛けるかと思ったが、どう考えても兵力が足りなかった。このまま攻めても前回の二の舞を踏みそうだ。湧川大主は焦らず、援軍が来るのを待った。
 戦が終わったら一緒に今帰仁に帰ろうと湧川大主はマジニに言った。喜んでうなづくだろうと思っていたのに、マジニは快くうなづいてはくれなかった。
「どうして、鬼界島を攻めるのですか。鬼界島はわたしの御先祖様の島なのですよ。徳之島(とぅくぬしま)と奄美大島を攻めたのは、ヤマトゥに行く航路上にあったからでしょう。でも、鬼界島は違うわ。鬼界島を攻め取る必要があるのですか」
 マジニにそう言われて、確かにそうだと湧川大主も思った。どうして、鬼界島を攻める事になったのか、湧川大主は思い出してみた。
 山北王は初めから奄美大島の次は鬼界島だと言っていた。志慶真の長老から鬼界島には平家の落ち武者が逃げて行ったと聞いていて、同族がいるのなら山北王の領地にして、倭寇(わこう)から守らなければならないと言った。その時の山北王は力尽くで攻めるのではなく、話し合いをしてから、その後の対策を考えようとしていたのかもしれない。
 本部(むとぅぶ)のテーラー(瀬底大主)が奄美大島を平定して帰って来た時のお祝いの宴(うたげ)で、叔父の前与論按司(ゆんぬあじ)が鬼界島攻めはわしに任せてくれと言った。成功した暁(あかつき)には鬼界按司に任命するようにと約束をして、翌年、以前の配下と山北王が付けた兵を率いて出陣して行った。その時、誰もが年末には鬼界島の者たちを連れて凱旋(がいせん)して来るだろうと思っていた。ところが、前与論按司は半数の兵を失って、進貢船(しんくんしん)まで破損して帰って来た。
 戦死した者の中に今帰仁のサムレー大将の備瀬大主(びしうふぬし)がいた。山北王と湧川大主の幼馴染みだった。テーラーと同じように山北王が最も信頼していた男だった。山北王は備瀬大主の戦死を悲しみ、絶対に敵(かたき)を討ってやると誓った。その後の鬼界島攻めは備瀬大主の弔(とむら)い合戦に変わってしまった。
 前与論按司が攻める前に、御所殿(ぐすどぅん)(阿多源八)と話し合いをしたのかも確認してはいない。きっと、敵が簡単に降伏してしまったら、以前の領主がそのまま按司になってしまい、自分が按司になれないと思って、話し合いなどせずに攻め込んだのだろう。備瀬大主は反対したのかもしれないが、総大将の前与論按司に逆らう事はできずに戦死してしまったに違いない。
「前与論按司に任せたのが失敗だった」と湧川大主は言った。
「俺が行くべきだった。そうすればお互いに、こんなにも戦死者は出さずに済んだだろう」
「やめる事はできないのですか」
「今となっては無理だ。兄貴は皆殺しにしてでも鬼界島を奪い取れと言っているからな」
「皆殺しだなんて‥‥‥」
 マジニは信じられないと言った顔で首を振った。湧川大主の横顔を見つめながら、『ハッキナ姫』が言った言葉を思い出していた。
「あなたが湧川大主を殺せば、何もかもうまくいくわ。殺したあと、鬼界島まで逃がしてあげるわよ。鬼界島の人たちは喜んで、あなたを迎え入れるでしょう。御所殿もミキもあなたが帰って来るのを待っているわよ」
 そんな事はできないと言うように、マジニはまた首を振った。
「わたしが鬼界島に行って、御所殿と会ってきます」とマジニは言った。
「何だって?」
「御所殿と会って、うまい解決策を見つけてきます」
「だめだ。捕まりに行くようなものだ。お前を人質に取って、引き上げろと言うに決まっている」
「大丈夫ですよ。ミキさんはわたしが鬼界島の一族だって知っているわ。わたしを捕まえたりはしないと思うわ」
「考えが甘いよ。ミキは俺とお前の関係を知っている。お前を利用するに決まっている。お前を殺すと脅すに違いない。殺されたくなかったら攻撃をやめろと言うに違いない。お前を鬼界島に行かせはしない」
 湧川大主に猛反対されて、マジニは諦めた。
 六月十日、鬼界島の船がヤマトゥに向かったと知らせが入った。追いかけて行って、途中で沈没させたいが、冬になるまで戻って来られなくなるのでできなかった。敵の兵力が五十人は減っただろう。鬼界島を占領したあと、ヤマトゥから戻って来る船を待ち構えればいい。援軍を引き連れて来たとしても、二百の兵で守っていれば大丈夫だろう。前回のように、島の若者百人を鍛えれば万全だ。
 六月二十四日、待っていた援軍が万屋(まにや)に到着した。今帰仁のサムレー大将、具志堅大主(ぐしきんうふぬし)と謝花大主(じゃふぁなうふぬし)、羽地(はにじ)のサムレー大将の我部祖河之子(がぶしかぬしぃ)、名護のサムレー大将の伊差川之子(いじゃしきゃぬしぃ)がそれぞれ五十人の兵を連れて、四隻の船でやって来た。
 湧川大主、諸喜田大主(しくーじゃうふぬし)、根謝銘大主(いんじゃみうふぬし)は陸路で万屋に向かい、四人を出迎えた。
 鬼界島のウミンチュ(漁師)が船に穴を開けに来るから気を付けろと注意をして、七人で作戦を練った。
 七隻の船と四百の兵で攻めれば、今度こそは必ず勝てると士気も上がって、前祝いの酒まで飲んで勝利に酔った。
 偵察を送って敵の状況を調べ、赤木名から船を移動して、五日後の早朝、二度目の総攻撃を開始した。敵も恐れたのか、船に穴を開けには来なかった。
 根謝銘大主が前回と同じく小野津(うぬつ)を攻め、前回、諸喜田大主が攻めた瀬玉泊(したまどぅまい)(早町)を謝花大主が攻める。前回は攻めなかった沖名泊(うきなーどぅまい)(志戸桶)を我部祖河之子と伊差川之子の二隻で攻め、敵の船が隠れているという浦原(うらばる)を諸喜田大主と具志堅大主の二隻で攻める。浦原は岩場に囲まれた入り江で、奥の方に砂浜があり、小舟(さぶに)に乗って上陸できれば、そこから御所殿の屋敷は近かった。湧川大主は前回と同じく湾泊(わんどぅまい)を攻め、鉄炮(てっぽう)(大砲)の合図で総攻撃を開始する手筈になっていた。
 浦原には船はなかった。前回もそうだった。瀬玉泊に敵の船があると聞いて行ったが、すでになかった。まるで、敵はこちらの動きを知っているかのようだった。しかし、敵兵の姿は見当たらなかった。
 鉄炮の合図が鳴り響いた。諸喜田大主と具志堅大主は攻撃開始を命じて、下ろされた小舟に乗って楯(たて)を構えた兵たちが奥の砂浜を目指した。小舟が次々に行くが、岩場の上から弓矢が飛んで来る事もなかった。
 最後に諸喜田大主と具志堅大主も上陸して、砂浜の先にある草むらを眺めた。ウミンチュの家が数軒あるだけで敵兵の姿は見えなかった。右側に見える丘の上に御所殿の屋敷がある。高さは四十丈(じょう)(約百二十メートル)はありそうだ。急斜面に木が生い茂っていて、所々に岩場の崖もあった。その丘が浦原の所でへこんでいて左側にも丘が続いている。丘の上に出るには正面に見える細い坂道を登るしかなかった。
「罠(わな)があるから気をつけろ!」と叫んで、諸喜田大主は兵たちを進軍させた。
「敵はわしらがここから上陸するとは思ってもいないじゃろう」と具志堅大主が笑った。
「いや、充分に気を付けた方がいい」と諸喜田大主は警戒した。
 先頭を行く仲尾之子(なこーぬしぃ)が、「落とし穴があります」と叫んだ。
 棒を突きながら進んでいた仲尾之子が大きな落とし穴を見つけた。細い竹をいくつも渡して、その上に草を撒いて偽装していた。坂道を駆け上っていたら数人が落ちて、穴の中にある竹槍に串刺しにされていただろう。
 落とし穴をよけて進むと、また大きな落とし穴があった。その先は左右を崖に挟まれた狭い所で、仲尾之子は崖の上を見上げて危険を感じた。その時、何かが飛んで来る音が聞こえた。仲尾之子は咄嗟(とっさ)に持っていた楯を頭上に掲げた。
 誰かが悲鳴を上げて倒れた。倒れた所が落とし穴の中で、絶叫が響き渡った。
 崖の上から落ちてきたのは石だった。拳大(こぶしだい)の石が次々に打ち込まれ、先頭にいた兵たちは混乱状態に陥って後退した。後退するといっても細い道を一列になって進んでいるので、簡単には引き返せない。押し合って落とし穴に落ちる者が続出した。
 何とか細い坂道から退却すると、安心する間もなく、崖の上から弓矢が飛んで来た。弓矢の届かない所まで退却して陣を整えて、戦死者を数えた。諸喜田大主の配下が三人、具志堅大主の配下が四人戦死していた。
「あの道を行くのは危険じゃ」と諸喜田大主は言った。
「敵を甘く見たようじゃ」と具志堅大主が厳しい顔で言った。
「敵はあちこちに分散して守りを固めている。ここにいる兵は二、三十といった所じゃろう。二手に分かれて敵兵をさらに分散させれば、突破できる」と諸喜田大主は言って、左右を見た。
 どちらも丘の下の低地が続いていた。どこかに丘の上に登る道があるはずだった。
「わしがこっちに行こう」と具志堅大主が右側を示した。
 諸喜田大主はうなづいた。
「御所殿の屋敷で会おう」と言って、二人は兵を率いて左右に分かれた。
 右も左も草茫々(ぼうぼう)の荒れ地が続き、草の中に敵が隠れている可能性があった。鉄炮の音が鳴り響く中、敵の罠に気を付けながら進んで行った両隊は、ほぼ同じ頃、敵の攻撃を受けた。
 草むらの中から弓矢が飛んで来て数人が倒れた。楯を構えて弓矢を防いでいると左右から石が飛んで来た。石が頭に当たって何人かが倒れた。
「敵は少数だ。恐れずに進め!」と具志堅大主が叫んだ。
 その場を強引に突破すると弓矢も石も飛んで来なくなった。左側に丘の上へと続く細い道が見えた。落とし穴があり、左右から弓矢と石が飛んで来て先には進めなかった。
 諸喜田大主の方も同じだった。途中の弓矢と石の攻撃を突破して、丘の上に出る道を見つけても、左右からの攻撃を受けて、先には進めなかった。強引に進めば半数以上の戦死者を出してしまう。諸喜田大主も具志堅大主も諦めて、上陸した地点に戻った。
「敵は思っていたより多いぞ」と具志堅大主が言った。
「確かにな」と諸喜田大主はうなづいた。
 諸喜田大主は七人の戦死者を出し、具志堅大主は十一人の戦死者を出していた。落とし穴におちて亡くなった者たちを回収する事はできなかった。
 すでに、鉄炮の音は聞こえなかった。湧川大主も湾泊に上陸したのに違いない。
「ここから丘の上に登るのは無理じゃ」と具志堅大主が言った。
 諸喜田大主はうなづいて、撤収を命じた。兵たちは小舟に乗って船に戻った。船は無事だった。前回のように穴を開けられる事もなく、瀬玉泊を目指した。
 海上から丘の上を見ると見張り小屋のような物があちこちにあるのが見えた。敵はあそこから、こちらの動きを見ていたに違いなかった。
 瀬玉泊には謝花大主の船はなかった。謝花大主もここからの上陸は諦めて、別の所に行ったらしい。
 沖名泊に行くと三隻の船が泊まっていた。謝花大主もここに加わったようだ。ここには丘へと登る段差はなかった。ここから上陸できれば、御所殿の屋敷までの距離はあるが、一気に攻め込む事ができる。諸喜田大主と具志堅大主は小舟を下ろして兵たちを上陸させた。
 浜辺には大勢の戦死者がいた。ざっと見た所、三十人はいそうだ。重傷を負ってうめいている者もいる。何があったのかと諸喜田大主は我部祖河之子に聞いた。
「敵の落とし穴にやられました」と我部祖河之子は悔しそうに言った。
「落とし穴には気を付けろと言っただろう」
「それが単純な落とし穴ではないのです」
 そう言って我部祖河之子は右の方に見えるこんもりとした森を示して、今度は左にある森を示して、「右の森から左の森までの間、ずっと堀のような落とし穴があるのです」
「何だと?」と驚きながら諸喜田大主は前方を見た。距離にして三丁(約三百メートル)余りありそうだった。
「わしらが上陸した時、敵は待ち構えていて、弓矢の応酬で戦が始まりました。やがて、敵の矢が尽きて、敵は逃げました。それ、追撃だと敵を追って行ったら、皆、落とし穴に落ちたのです。敵は左右に散ってバラバラに逃げて行ったので、まさか、落とし穴があるなんて思いませんでした。敵は落とし穴に板を渡していて、渡ったあとにそれを外したのです。幅は三間(けん)(約六メートル)近くあって飛び越える事はできません。勿論、落とし穴の中には竹槍が埋めてあります。あまりの戦死者が出て、わしらは戦意を失いました。そんな時、謝花大主殿がやって来て、山に入って木を伐って、丸太を担いで行って落とし穴を渡ったのです。ところが、落とし穴の中に敵が隠れていて、丸太を渡る兵がやられました。弓矢を撃って穴の中の敵は倒しましたが、落とし穴の先には逆茂木(さかもぎ)がずっと続いていて、敵が待ち構えていたのです。逆茂木に近づいた兵は弓矢と石つぶてにやられました。森の中なら大丈夫だろうと入って行った者たちは、あちこちに仕掛けられた罠にはまって亡くなりました」
「何人、亡くなったんだ?」
「羽地の兵が十六、名護の兵が十八です。わしらは助っ人に来ただけですからね、こんなにも戦死者を出してしまって、申し訳なくて、故郷(しま)に帰れませんよ」
 そう言って我部祖河之子は溜め息をついた。
 謝花大主にも聞いたら、十四人の戦死者を出していた。瀬玉泊で六人が亡くなり、ここで八人が亡くなっていた。
「ここを攻めるのは無理じゃ。戦死者が増えるばかりじゃ」と謝花大主は首を振った。
 諸喜田大主は具志堅大主と相談して、ここから攻めるのをやめて、兵を引き上げさせた。
 小野津に行ったら、小野津の浜にも戦死者が大勢いた。根謝銘大主は戦意をなくして、戦死者たちの前でうなだれていた。
 諸喜田大主が根謝銘大主に話を聞くと沖名泊と同じだった。根謝銘大主は前回、落とし穴にやられたので充分に注意していた。前回の落とし穴がそのまま偽装されていて、同じ手を食らうかと落とし穴をよけて進むと敵が待ち構えていた。弓矢の撃ち合いのあと、敵を追撃して行って、落とし穴に落ち、丸太を渡して落とし穴を渡ると逆茂木があって、敵が待ち構えていた。森の中に入ると罠にはまって戦死者が続出した。
 根謝銘大主は弟の敵討ちだと国頭(くんじゃん)の兵たちを叱咤激励(しったげきれい)したため、十九人もの戦死者を出していた。四月の戦で十六人を亡くし、奄美の若者を補充したが、今回、十九人が戦死した。その内、国頭の兵は十一人いて、連れて来た兵の半数以上を失っていた。弟の敵を討つどころではなく、戦死させてしまった兵たちの親に顔向けができなかった。
 諸喜田大主と具志堅大主は湧川大主に合流しようと湾泊に向かった。湾泊の浜にも大勢の戦死者がいた。湧川大主は浜辺の近くにある屋敷で指揮を執っていた。諸喜田大主と具志堅大主が姿を見せたので驚いた。
「どうして、ここに来た?」と湧川大主は不機嫌そうな顔をして聞いた。
 諸喜田大主は各地の状況を説明した。
「馬鹿者め!」と湧川大主は怒鳴った。
「お前らが持ち場を離れれば、分散していた敵の兵がここに集中してくる。作戦は台無しじゃ」
 湧川大主は悪態をつくと、撤退を命じた。伝令が前線に向かった。苦虫をかみ殺したような顔をして湧川大主も外に出て行った。諸喜田大主は湧川大主の側近の許田之子(きゅーだぬしぃ)から戦況を聞いた。
 前回と同じように、鉄炮の玉を百発撃ち込んだ。湾泊にいる兵たちを狙ってもさほどの効果はないので、御所殿の屋敷とその周辺にある民家を狙って撃った。自分の家がやられると思えば兵たちも動揺するに違いない。何か所か火の手が上がったが、延焼する事はなく、すぐに消されてしまった。
 鉄炮を撃ち終わると小舟に乗って上陸した。敵の攻撃もなく上陸できたが、集落に入ると家の屋根に敵が潜んでいて弓矢を撃ってきた。敵を倒して集落を抜けると、敵が待ち構えていて弓矢の応戦が始まった。弓矢が尽きて敵が逃げて行ったので、あとを追うと落とし穴に落とされた。山に入って木を伐って、落とし穴を渡ると、その先に逆茂木があって敵が待ち構えていた。逆茂木を避けて森の中に入ると様々な罠が仕掛けてあった。丸太を使って逆茂木を壊そうと攻めているが多数の犠牲者が出ているという。
 湧川大主の兵は二十一人が戦死して、負傷者も多数出ていた。
 謝花大主、根謝銘大主、我部祖河之子、伊差川之子の船も湾泊に集まって来たので、皆、万屋に撤収させた。
 万屋に戻った湧川大主は大将たちを集めて今後の対策を練る事もなく、屋敷に籠もってしまった。
 翌朝、追い打ちを掛けるように、船に穴をいくつも開けられた。湧川大主は赤木名に避難するように命じたが、湧川大主だけはただ一人、万屋に残っていた。
 マジニが心配してやって来た。湧川大主は酔い潰れていた。マジニがいる事に気づいて目を開けたが、起き上がる気力もないようだった。
「こんな惨めな姿をお前に見せたくなかった」
「わたしはこの島に来た時、惨めでした」とマジニは言った。
今帰仁ヌルに追い出されて、わたしには行く場所がなかったのです。中山王(ちゅうざんおう)(武寧)の娘だったわたしがこんな辺鄙(へんぴ)な島に来るなんて、そう思うと、とても惨めでした。でも、それを救ってくれたのはあなたなのです。あなたが一緒にいてくれたので、わたしは立ち直れました。今度はわたしの番です。あなたが立ち直るまで、お側にいます」
 湧川大主はマジニを見たが何も言わずに目を閉じた。
 こんな屈辱感を味わうのは初めてだった。二回の攻撃で百五十人もの戦死者を出してしまった。たとえ、百五十人が戦死しても、御所殿の首を取れば許されるだろうが、御所殿の姿を見る事もできずに大敗している。兄に何と言ったらいいのだろう。きっと、激怒するに違いない。援軍まで送ってもらったのに負けるなんて、申し開きもできなかった。
 マジニの世話によって、湧川大主が立ち直ったのは一月後だった。過ぎた事をいつまでも思い悩んでいても始まらない。自らの失敗を認めて、兄に怒られる覚悟もした。そして、マジニから言われたように、鬼界島を攻める事は諦めていた。しばらく間を置いてから、マジニを連れて鬼界島に行き、御所殿と話し合いをしようと思った。御所殿を鬼界按司に任命して、鬼界島の事は御所殿に任せて、山北王と交易するように頼もうと思っていた。
 次の総攻撃はいつだろうと恐れていた兵たちは、湧川大主が鬼界島攻めを中止したと聞いて喜んだ。北風が吹いて帰る時まで、戦死した兵の補充をして帰ろうと、奄美の若者たちを集めて鍛え始めた。
 湧川大主は万屋の屋敷で、マジニと仲良く暮らしていた。毎朝、ヂャンサンフォン(張三豊)から教わった呼吸法をやって、武当拳(ウーダンけん)の套路(タオルー)(形の稽古)をやっていた。マジニが教えてくれと言って、マジニと若ヌルに武当拳の指導をした。やがて、近在の若者たちも教えてくれと集まって来た。湧川大主は若者たちにも教えてやった。湧川大主はみんなから師匠と呼ばれ、いつしか、万屋グスクは若者たちの集会所となった。娘たちも集まって来て、湧川大主を囲んで、一緒に歌を歌ったり、お酒を飲んだりして楽しい時を過ごした。
「あなた、変わったわ」と海を眺めながらマジニは湧川大主に言った。
「お前のお陰だよ」と湧川大主は笑った。
「お前は中山王の娘という身分を捨てて、自分を取り戻した。俺は今までずっと、山北王の弟として生きて来た。兄貴が主役で、俺はいつも脇役だった。俺も山北王の弟という身分を捨ててみようと思ったんだ」
「えっ、もう今帰仁に帰らないの?」
「そういう意味じゃないよ。俺は山北王の弟じゃなくて、俺の兄貴が山北王なんだ。わかるか。俺は俺として主役を生きようと思ったんだよ。そう思ったら、急に楽になってきたんだ。山北王の弟が、島の若者たちと騒いだりしたりできないが、俺という個人なら、若者たちと一緒に騒いだって、何の問題もないと思ったんだよ。鬼界島攻めをやめたのも、山北王の弟としてではなく、俺が決めた事なんだ。山北王には怒られるが、これからは俺の道を生きようと思っている」
 マジニは湧川大主を見て微笑んだ。
 アマンディー(奄美岳)に行って、マジニは『カサンヌ姫』に、湧川大主が鬼界島攻めを中止した事を伝えた。カサンヌ姫は喜んで、母親の『キキャ姫』に伝えた。キキャ姫も喜んだが、湧川大主との戦いで多くの民家が破壊され、数十人の島民が戦死した事は許せなかった。湧川大主が帰る前に、もう一泡吹かせたいと思っていた。ユンヌ姫が台風の知らせを持って来て、キキャ姫は最後の仕上げにかかったのだった。
 九月十七日、台風が近づいて来て、早朝から海は大荒れとなり、大雨も降ってきた。万屋グスクには近在の人たちが大勢、避難してきていた。湧川大主の屋敷もサムレー屋敷も避難民たちで溢れ、湧川大主はマジニと一緒にヌルの屋敷に移っていた。
 一日中、大荒れで一歩も外には出られなかった。万屋グスクは小高い丘の上にあるので、海から叩きつける風が物凄かった。それでも、屋根が吹き飛ばされる事もなく無事に済んだ。
 夕方になって雨も小雨になり風も治まってきた。島の人たちは自分の家を心配して見に行ったが、ほとんどの家が吹き飛ばされていて悲惨な有様となっていた。
 湧川大主は馬を飛ばして、赤木名に行った。見るも悲惨な状況が目の前にあった。湧川大主の武装船は無事だったが、四隻の船が座礁していて、一隻は完全に横倒しになっていた。
「何という事だ」と湧川大主は呆然と座礁した船を眺めていた。
 あとを追ってやって来たマジニが、
「天罰が下ったんだわ」とぽつりと言った。


 上空から座礁した船を見ていたユンヌ姫は、
「あなたの作戦がうまくいったみたいね」とアカナ姫に言った。
「あの時と同じよ。でも、今回は碇(いかり)の綱を半分しか切らなかったから大丈夫かなって心配したけど、成功してよかったわね」
「ミャークの時はすでに座礁していたから、碇の綱を切っても大丈夫だったけど、今回、切ってしまったら台風が来る前に気づかれてしまうわ」
「湧川大主の武装船は無事だわ。気づいたのかしら」とキキャ姫が言った。
武装船が座礁しなかったのは残念だけど、四隻も座礁すれば上出来よ。兵たちの半分は琉球に帰れないわ」とユンヌ姫は言った。
「あたしたち、このままヤマトゥに行くけど、あなたも一緒に来ない?」
「戦も一段落したし、久し振りにヤマトゥに行ってみようかしら」
「ササを紹介するわ」
 ユンヌ姫とアカナ姫はキキャ姫を連れてヤマトゥに向かった。

 

 

 

喜界島酒造 黒糖焼酎 25度 瓶 1800ml [ 焼酎 鹿児島県 ]