長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部はその後の尚巴志の活躍です。お楽しみください。

33.十年の計(最終決定稿)

 風が冷たかった。今にも雨が降りそうな空模様だ。
 今帰仁合戦のあった年の十二月の初め、サハチは祖父のサミガー大主に呼ばれて、仲尾(新里)にある祖父の隠居屋敷に向かっていた。雪が降って来るヤマトゥの寒い冬を経験したあと、琉球の冬は暖かくていいと思っていたが、こちらの陽気に体が合ってしまうと、やはり琉球の冬も寒かった。
 隠居したサミガー大主は、サンルーザからもらったヤマトゥの書物を毎日、読んでいるという。今まで忙しくて、書物など読んでいる暇などなかった。サンルーザが勧めた書物だけあって、面白くて、ためになると熱中しているらしい。それと、隣り屋敷にいる馬天ヌルが、子供を産んでからは祖父の家に入り浸りで、孫娘のササの面倒も見ているようだった。
 面白い書物があったので、それを読めと勧めるために呼んだのだろうと思いながら、サハチは祖父の隠居屋敷に向かった。
 祖父が仲尾の地に屋敷を建ててから一年余りが経っていた。祖父のもとで働いていたウミンチュたちの中にも隠居して、祖父の屋敷の近くに家を建てて移り住む者が現れて、一つの集落が出来つつあった。
 石垣に囲まれたサミガー大主の隠居屋敷に入ると、驚いた事に父の佐敷按司が来ていて、縁側で馬天ヌルの娘を抱いていた。
 サハチを見ると「おう、来たか」と笑って、「たまには一緒に酒でも飲むか」と言った。
 酒を飲むのなら、何もここまで来なくてもいいのにとも思ったが、サハチは父にうなづいて屋敷に上がった。部屋の中では祖父がお膳を前に座っていた。料理の乗ったお膳は三つあり、親子孫の酒盛りのようだった。
「お爺が親父を呼んだの」とサハチは祖父に聞いた。
「いや」と祖父は首を振った。
「サグルーが三人で酒を飲もうと言い出したんじゃよ」
「へえ、珍しい事もあるもんだな。まだ、暮れには間があるのに」
「今まで、三人だけで飲んだ事はないからのう。たまにはいいじゃろう」
「そうですね」と言ってサハチも座った。
 父が入って来た。父が座ると馬天ヌルが酒を持って来た。
「三人が揃うなんて珍しいわね」と馬天ヌルは笑った。
 子供を産んで母親になっても、叔母はいつまでも若々しかった。師匠(ヒューガ)と仲良くなったのは意外だったが、今思えば、思い当たる節がないわけでもない。久高島に旅をした時、マチルギが叔母と師匠を見て、あの二人、お似合いねと言った。確かにいい感じだったが、今まで男なんか見向きもしなかった叔母を知っているサハチは、叔母とヒューガがどうにかなるとは思ってもいなかった。しかし、フカマヌルに娘がいるのを見て、フカマヌルから父親は『マレビト神(がみ)』だと言われた時、叔母の心の中で、師匠がマレビト神になったのに違いなかった。師匠と叔母の関係は普通の夫婦とは言えないが、それも叔母らしいと思っていた。
「こうやって、三人を見るとサハチは随分と大きくなったわね」と馬天ヌルは言った。
「兄さんより背が高くなったんじゃないの」
「この前、並んでみたら、いつの間にか、わしよりも高くなっておったわ」と父が言って笑った。
「六尺(一八〇センチ)近くあるんじゃないのか」
「そう」と馬天ヌルは目を丸くしてサハチを見た。
「子供だって二人もいるのよね。いつの間にか、立派な大人になっていたのねえ。親子孫、水入らずで楽しんでね」
 そう言って馬天ヌルは去って行った。
「あいつの気ままな性格は、誰に似たんじゃろうな」と馬天ヌルの後ろ姿を見送りながら父が言った。
「もしかしたら、わしの母親の我喜屋(がんじゃ)ヌルに似たのかもしれんのう」と祖父が言った。
「伊平屋島(いひゃじま)の祖母ですか」と父が昔を思い出すように言った。
「最近、若い頃の母親に似ていると思う事があるんじゃよ」
「そうでしたか」
 まずは乾杯をした。ヤマトゥの上等な酒だった。
 酒を一口飲んだ祖父が、「おやっ」と言って父を見た。
「何か祝い事でもあるのか」と祖父は聞いた。
 祖父の言う通り、こんな上等の酒は祝い事でもなければ飲めなかった。
「祝い事か‥‥‥」と言って父は祖父とサハチを見て、「見方によっては祝い事でもあるな」と言った。
「何じゃ。勿体ぶらずに早く言え」と祖父が父に言い、酒を飲んで満足そうな顔をして、「うまいのう」と言った。
 本当にうまい酒だった。
「実はのう、今年一杯で隠居しようと思っている」と父は言った。
「ええっ!」とサハチは驚いて、酒盃(さかずき)を落としそうになった。
 聞き違えたかと思って、「今、何と言いました」と聞き返した。
「今年で隠居すると言ったんじゃ」
 突然、祖父が笑った。
「何をふざけた事を言っておる」
「わしは本気じゃ」と父は真剣な顔をして、祖父とサハチを見た。
「親父は西行法師(さいぎょうほうし)を知っておるか」と父は祖父に聞いた。
「名前は聞いた事がある。ヤマトゥの歌詠みじゃろう」
 父はうなづいた。
「元々はサムレーじゃったが、頭を丸めて坊主になって、各地を旅をして、歌を残した風流な歌人じゃ。わしはな、西行のように気ままな旅がしたくなったんじゃ」
「ふざけた事をいうな」と祖父がきつい口調で言った。
「もう決めたんじゃ。わしは東行(とうぎょう)法師と名乗って、来年になったら旅に出る」
「気ままな旅に出るじゃと。気でもふれたのか」
 祖父は鬼のような顔をして父を睨んでいた。
 父はそんな祖父を見て、笑いながら酒を飲んだ。
 サハチも父がおかしくなってしまったのではないかと思っていた。前回の戦で何かあったのだろうか。
「これからが本題じゃ」と父は真面目な顔で言って、祖父とサハチの酒盃に酒を注ぎ、自分のにも注いだ。
「いいか、よく聞いてくれ。わしはサハチが各地を巡った旅から帰って来て言った、『この琉球を統一してみせる』という言葉をずっと考えて来たんじゃ」
「何じゃと。サハチが琉球を統一するじゃと」と祖父が驚いた顔をしてサハチを見た。
「お前、そんな事を言ったのか」
 サハチはうなづいた。
「戦をなくすためです。戦のお陰で、親を亡くして路頭に迷っている子供たちが大勢います。琉球が一つにまとまれば、戦は起こりません」
「確かにそうじゃが、お前がこの琉球を統一すると言うのか」
 祖父はサハチの顔を見て、吹き出すように笑った。
「どいつもこいつも何を考えておるんじゃ。まったく、話にならん」
「サハチからその話を聞いた時」と父は話し続けた。
「旅に出て、今まで知らなかったものを色々と目にして、様々な経験をして、有頂天になって浮かれているだけじゃろうと思った。しかし、サハチならやるかもしれんと思い直したんじゃ」
「お前までが何を言っておるんじゃ。そんな馬鹿げた事を本気で言っておるのか」
「親父、サハチが生まれた時の事を思い出してくれ」
「何じゃと‥‥‥あの時はサンルーザ殿が来ておった。お前は修行に行くと言って出て行ったまま、どこに行ったのかわからなかった。馬天浜の屋敷の離れで、みんなして酒を飲んで騒いでいたら、志喜屋(しちゃ)の大主が赤ん坊のサハチを連れて来て、みんなで大喜びしたんじゃ。確か、お前もその時、帰って来たっけな」
「わしはその時、久高島で剣術の修行をしていた。突然、フカマヌルから子供が生まれるから帰れと言われて帰って来たんじゃ。未だにどうして、フカマヌルにサハチが生まれる事がわかったのか不思議じゃ。あの時、わしはミチが妊娠した事さえ知らなかったんじゃ。それに、志喜屋の大主は、神のお告げを聞いて馬天浜に来たという。馬天浜では何も起こらず、帰ろうとしたら森の中に光る石を見た。その石に導かれるように、苗代(なーしる)の修行小屋に行って、生まれたばかりのサハチを祝福したんじゃ。サハチは何かを持って生まれて来ているとわしは思った。わしはサハチの琉球統一を助ける事に決めたんじゃ」
 黙って父の話を聞いていた祖父はゆっくりと酒を飲むと、「思い出した」と言った。
「志喜屋の大主はサハチの事を、『ただの子ではない。大切に育てなさい』と言った。わしはただのお世辞じゃろうと思っていたが、そんないきさつがあったとは知らなかった」
「それでじゃ」と父は酒を一口飲んだ。
「わしはずっと考えていた。琉球を統一すると言っても順番がある。まずは島添大里(しましいうふざとぅ)按司を倒す事。そして、次に浦添(うらしい)を倒し、島尻大里(しまじりうふざとぅ)を倒し、今帰仁(なきじん)を倒す」
「ほう。凄い事じゃのう」と祖父が他人事(ひとごと)のように言った。
「まず、島添大里按司を倒すには、第一に兵力が足らん。それに、あのグスクを倒すには内通者が必要じゃ。誰かをグスク内に入れるか、誰かを裏切らせるかしなければならん」
「あれを倒すには、少なくとも一千の兵力は必要じゃろうな」と祖父は言った。
 父はうなづいた。
「わしも一千と見た」
「一千の兵をどこから連れて来るんじゃ」
「これから育てる」と父は言った。
「何じゃと」
「わしは十年後に島添大里按司を倒す事に決めたんじゃ。十年間で、一千の兵を育て上げて島添大里グスクを攻め落とす」
「十年後ですか」とサハチは聞いた。
「十年後のお前は三十じゃ。遅くはあるまい。その時、一千の兵力を持っていれば、隙を狙えば浦添グスクも落とせるじゃろう」
「どうやって一千の兵を育てるんじゃ」と祖父が聞いた。
「中山王の察度は浦添を落とす時、キラマの島で兵を育てていたんじゃ。わしは久高島で兵を育てるつもりじゃ」
「久高島ですか」とサハチが言った。
「あそこにはフカマヌルもいるし、弟のマニウシもいる。きっと、助けてくれるじゃろう」
「どうやって一千もの兵を集めるんじゃ」と祖父が聞いた。
「さっきも言った通り、わしは隠居して坊主になる。そして、各地を巡って才能のありそうな若者を見つけて久高島に送るつもりじゃ」
「何と‥‥‥」と言いながら祖父は父の顔をじっと見つめていた。
「そのために隠居するのか」
「この佐敷で兵力を増やすわけにはいかんのじゃ。島添大里按司に怪しまれて潰されてしまう。島添大里按司に対して、敵意などまったくないという素振(そぶ)りでいなければならん。わしは前回の戦で、この世の無常を感じて出家したという風にする。島添大里按司としても、わしがまだ若いのに隠居したと聞けば怪しむじゃろう。島添大里按司の疑いが晴れるまではじっと我慢して、乞食行(こつじきぎょう)(托鉢)を続けるつもりじゃ。まあ、一年間は何もせずに各地を巡ろうと思っている。そして二年目からは若い者を探して、久高島に送って鍛えるつもりじゃ。一年間に百人。九年で九百人。佐敷の兵力百人を足せば一千になる」
「十年か‥‥‥長いのう」と祖父が白い顎髭(あごひげ)を撫でながら言った。
「しかし、十年掛けたら島添大里按司を倒すのも夢ではないかもしれんのう」
 父はうなづいた。
「サハチ、お前はその十年間、佐敷グスクを守ってもらうのは当然の事だが、ある程度、馬鹿になってもらう必要がある」
「馬鹿になる? どういう事です」
「島添大里按司は人を見る目が鋭い。有能な奴は利用して生かしておくが、無能な奴は殺してしまう。有能でもないが、無能でもないと思わせなくてはならん。難しいが十年間、今の状態のままでいてくれ。今までのように、マチルギを連れて旅に出るのもいいじゃろう。マチルギが娘たちに剣術を教えるのもかまわん。十年と言えば、回りの状況も変わるじゃろうが、十年間、何事もなく、ここを守って欲しい」
 サハチは父の顔を見つめて、力強くうなづいた。
「十年の計か‥‥‥面白い事を考えたもんじゃな」と祖父が笑った。
「わしにも何か手伝わせてくれ」
「親父がですか」
「隠居したとはいえ、まだまだ達者じゃ」
「そうですね。考えておきますよ」
「父上と誰が一緒に動くのですか」とサハチは聞いた。
「まだ決めてはおらんが、兵たちを鍛えるのに當山之子(とうやまぬしぃ)(美里之子の弟)に頼もうと思っている」
「お前が鍛えたらよかろう」と祖父が言った。
「わしは若い者を集めなくてはならん」
「それはわしがやろう。長年、ウミンチュを鍛えてきた。誰がものになるかは見極めがつくつもりじゃ」
「親父が旅をするというのですか」
 祖父はうなづいた。
「一年間、お前は旅をして、島添大里按司の疑いが解けたら久高島に行け。わしがお前と入れ替わって、旅をしながら若い者を久高島に送る」
「そうしてもらえれば助かるが、大丈夫ですか」
「大丈夫じゃ。隠居したのはいいが、やることがなくて困っていたところじゃ。これで生き甲斐ができたというもんじゃよ」
「わかりました。それならお願いします」
「久高島の事ですが」とサハチは父に聞いた。
「あの島に一千もの兵がいたら目立ちませんか」
「まだ決めてはおらんが、もう一つ、どこかに拠点を作るつもりじゃ。そして、島の者たちには、倭寇(わこう)が南蛮(なんばん)(東南アジア)に行くために、琉球で兵を集めているという事にするつもりじゃ」
倭寇と南蛮といったら中山王と同じ手ですね」
「わしも色々と考えたんじゃが、他にいい手は浮かばなかったんじゃよ。一昨年(おととし)じゃったか、シャム(タイ)の使者が浮島に来たという。シャムに向かう倭寇という事でいいんじゃないのか」
倭寇となるとヤマトゥンチュが必要ですね。クマヌを使うのですか」
「いや、クマヌは使わん。クマヌがここからいなくなると目立つからな」
「すると、師匠ですか」
「うむ。ヒューガは客人じゃからのう。無理は言えんが、頼んでみるつもりじゃ」
「師匠が倭寇のお頭になるというのも面白いですね」
「兵たちの食糧はどうするつもりじゃ」と祖父が聞いた。
「十年間と言えばかなりの量になるぞ」
「久高島にはクバの木が多い。それでクバ笠やクバ扇でも作って、浮島で売ったらどうかと思ってるんじゃが、難しいかのう」
「サンルーザ殿に頼んだらどうじゃ。ヤマトゥから米を持って来てもらうんじゃ」
「そうですな。そろそろ来る頃じゃから頼んでみますか」
「武器や鎧(よろい)も一千人分、揃えなくてはならんぞ」
「それもサンルーザ殿に頼まなくてはならんのう」
「十年後に島添大里グスクを攻めるとなると、それまでにグスク内に内通者を作らなければなりませんね」とサハチが言った。
「焦らずじっくりとやる事じゃ。敵にばれて、佐敷グスクを攻め落とされたら取り返しがつかんからな。山田按司今帰仁グスクに潜入したように、島添大里グスクにも探せばどこかに必ず弱点がある。一千の兵で包囲すれば、内通者がいなくても落とせない事はない」
「わかりました。危険な事はやめておきましょう」
 三人が改めて乾杯していると馬天ヌルが新しい酒を持って来た。
「雨が降って来たわよ」と馬天ヌルは言って、室内の灯りをつけて回った。
「密談は終わったの」と馬天ヌルは聞いた。
「お前、聞いていたのか」と父が馬天ヌルを睨んだ。
「聞いてないけど、サハチのために何かをやるつもりなんでしょ。あたしに隠し事はできないわ。何でもお見通しなのよ」
「お前、久高島から帰って来てから、本当にシジ(霊力)が増したようじゃな」
「そうなの。サスカサ神に会ってから、前もって見える事があるのよ。三人がこうして会う事も見えていたのよ」
「何だって」と父が驚いた顔をして馬天ヌルを見た。
「会って何をするのかまではわからなかったけど、サハチの事だって事はわかったわ。ねえ、あたしは何をすればいいの」
「お前は今まで通りに、サハチを守っていてくれればいい」
「そうね。ササがいるから、しばらくは動けないし、そうするわ。あたし、本当は旅に出ようと思っていたの。マシューも佐敷ヌルになったし、お師匠(マチルギ)から身を守る術(すべ)も習ったしね」
「旅に出るじゃと」と祖父が呆れた顔して馬天ヌルを見た。
「お前までが何を考えているんじゃ」
「兄さんからサハチの事を聞いてから、あたしも色々と考えたのよ。サハチのために何ができるかってね。そして、旅に出て、各地のヌルたちとつながりをつけようと思ったのよ」
「つながりなんかつけてどうするんじゃ」
「別にどうもしないけど、つながりがあれば、各地の情報だって集められるでしょ」
「まあ、そりゃそうじゃが」
「うーむ」と唸りながら父は馬天ヌルを見て、「それじゃ」と言った。
「何がそれなの」と馬天ヌルは不思議そうな顔をした。
琉球を統一するというのは、按司だけを武力を持って統一するだけでは駄目なんじゃよ。各地のヌルたちも一つにまとめなければならんのじゃ。以前から何かが足らんような気がしていたんじゃよ。それだったんじゃ。その事はお前に頼むしかなさそうじゃな」
 任せてちょうだいと言うように馬天ヌルはうなづいた。
「ササがもう少し大きくなったら、旅に出る事にするわ」
「うむ、頼むぞ」
「どうぞ、ごゆっくり」と笑って馬天ヌルは下がって行った。
按司とヌルか」と祖父がつぶやいた。
「あいつもそれなりに考えておったんじゃのう」
「頼もしい妹ですよ」
 確かに頼もしい叔母さんだった。
 父が自分のために表舞台から身を引いて、裏の仕事に専念すると聞いて、自分も精一杯頑張らなくてはならないとサハチは強い決心を固めていた。十年後に島添大里按司を倒すために、祖父、父、サハチの三代が結束して、一団となって進まなくてはならなかった。
 三人の話し声をかき消すかのように、外では雨が本降りになっていた。