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長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部はその後の尚巴志の活躍です。お楽しみください。

2-03.恋の季節(第二稿)

尚巴志伝 第二部

 頭がズキンズキンと鳴っていた。昨夜(ゆうべ)、慣れない酒を飲み過ぎたようだ。
 ササに案内された屋敷は思っていたよりも、ずっと立派な屋敷だった。庭の片隅に厩(うまや)があり、マウシとマサルーが乗って来た馬が、荷物を積んだまま二人の帰りを待っていた。荷物を下ろして一休みしていると隣りに住んでいるおかみさんが、グスクで按司様(あじぬめー)が待っていると伝えてきた。
 マウシとマサルーはおかみさんと一緒に島添大里(しましいうふざとぅ)グスクに行って、一の曲輪(くるわ)に建つ豪華な屋敷の二階の一室で叔父(サハチ)と会った。叔父は「よく来たな」と歓迎してくれた。
「十年後に今帰仁(なきじん)グスクを攻め落とす」と叔父は言った。
 十年後? 気の長い話だと思ったが、マウシは黙って聞いていた。
「あのグスクは簡単に落とせるグスクではない。準備に準備を重ねて、十年後に攻め落とす。いいか、お前は厳しい修行を積んで、十年後にはサムレー大将になって、百人の兵を率いて今帰仁グスクに攻め込むんだ。わかったな」と叔父は言った。
 叔父の顔つきは真剣そのものだった。必ず、十年後に今帰仁グスクを攻め落とすという気迫がこもっていた。
 十年は長いが、十六歳の自分は十年経っても二十六だ。二十六歳でサムレー大将になって、今帰仁を攻められるのなら、それもいいだろうと思った。
 マウシは叔父を見つめて力強くうなづいた。
 叔父は嬉しそうに笑って、「お前の面構えは爺様によく似ておる」と言った。
「爺様に負けないように頑張れよ。お前なら、きっと、やるだろう」
「お爺を知っているのですか」とマウシは聞いた。
 祖父はマウシが生まれた年に今帰仁グスクで戦死していた。父や師匠のマサルーから何度も祖父の話は聞いているが、目の前にいる叔父が祖父の事を知っているとは意外だった。
「一度だけだが会った事がある。凄い人だと思ったよ。何か目に見えない不思議な力に包まれているような人だった」
「不思議な力ですか‥‥‥」とマウシが言うと、叔父は遠くを見ているような目をしてうなづいた。
 山田グスクの中に祖父が籠もって祈祷(きとう)していた毘沙門天(びしゃむんてぃん)を祀るお堂がある。祖父の師であった山伏のクラマがヤマトゥから持って来た毘沙門天像があり、その像を見ていると会った事もない祖父の姿と重なった。怒りの形相で槍のような棒を持って、鬼を踏みつけているその姿が、今帰仁グスクで先々代の山北王(さんほくおう)を殺した時の祖父の姿と重なって、祖父の敵(かたき)は絶対に討つという力が湧いてくるのだった。祖父が不思議な力に包まれていたと叔父は言ったが、祖父は毘沙門天に守られていたのかもしれない。しかし、戦死してしまった。毘沙門天の力も及ばなかったのだろうか‥‥‥よくわからないが、祖父の遺志を継いで山北王を倒すのは、自分以外にはいないと改めて思っていた。
 やがて、人々が二階のその部屋に集まってきた。佐敷ヌルがサスカサと呼ばれる島添大里ヌルとその若ヌルを連れてきた。馬天若ヌルのササも一緒で、マウシを見ると馴れ馴れしく手を振った。サグルーとジルムイの兄弟も来た。そして、武術師範の苗代大親(なーしるうふや)は娘のマカマドゥを連れてきた。稽古着姿ではなく、綺麗な着物を着たマカマドゥを見て、マウシは胸がドキドキして、まともに見る事ができなかった。
「今夜はお前の歓迎の宴(うたげ)じゃ」と叔父は笑い、叔父が手をたたくと侍女たちが料理や酒を運んできた。
 腹が減っていたマウシは遠慮せずにおいしい料理を平らげた。酒は大人の真似をして何回か飲んだ事はあるが、それ程うまいとは思わず手を出さなかった。
 食事をしながら叔父は、この場にいる人たちをマウシたちに紹介して、首里(すい)の城下造りの進行状況を皆に話した。
 叔父の話が終わるとササがサグルーを連れて、マウシの所にやって来た。
「佐敷のガキ大将と山田のガキ大将ね」とササが笑いながら二人に言った。
「何だと!」とマウシとサグルーが同時に言って、ササを睨んだ。
 ササは二人の態度などまったく気にせず、酒の入った甁子(へいし)を手に取ると、「さあ、飲みましょ」と言って、マウシの酒盃(さかずき)に酒を注いだ。二人とも酒盃を持って来ていて、二人のにも注いで、一緒に飲んだ。
 サグルーはササが言う通り、確かにガキ大将のようだった。ガキの頃は子分たちを引き連れて、悪さをしていたに違いない。マウシ自身も山田のガキ大将だったのだから文句は言えないが、今更、ガキ大将と呼ばれて腹は立っていた。
「ねえ、マカマドゥを口説きに行かないの」とササがマカマドゥの方を見ながら言った。「ほら、こっちを見てるわよ」
 その事はマウシも知っていた。二人が来る前、マウシはマカマドゥをチラチラ見ていて、何度か目が合って、そのたびに目をそらせていた。じっと見つめていたいのだが胸がドキドキして、それはできなかった。マカマドゥは父親とジルムイの間に座っていて、時々、ジルムイと楽しそうに話をしていた。
「お前、マカマドゥに惚れたのか」とサグルーが笑った。
「惚れてなんていない」とマウシが否定すると、ササが大笑いした。
「何を言っているのよ。お前はずっとマカマドゥばかり見てるじゃない」
「あいつは強いぞ」とサグルーが言った。「あいつより強くならなけりゃ相手にされん」
「引き分けだったの」とササが言った。「マカマドゥの方も満更じゃないみたい」
「なに、試合をしたのか」
「娘たちの見ている前で、大恥をかくんじゃないかとあたしは思ったんだけどね、引き分けだったのよ」
「ほう。お前もなかなか、やるじゃねえか」
「ところで、サグルーとササは従兄妹(いとこ)なのか」とマウシは話題をそらした。
「そうじゃねえ」とサグルーは言った。「俺の親父とササが従兄妹なんだ。ササのお袋の馬天ノロは中山王(ちゅうさんおう)の妹なんだよ」
「よくわからん」とマウシは首を傾げた。
「あたしと佐敷ヌルは従姉妹同士なのよ」とササは言って、佐敷ヌルを見て、「ね」というようにうなづいた。
 マウシと佐敷ヌルの間にいたマサルーはいつの間にか、叔父の所に行って一緒に酒を飲んでいた。戦の話を聞いているようだった。
「いい遊び相手を見つけたようね」と佐敷ヌルはササに言って笑った。
 女子(いなぐ)サムレーではなく、綺麗な着物を着た佐敷ヌルは思わず見とれてしまうほど美しかった。
 その後、マウシが山田の事を話し、サグルーとササが子供時代を過ごした佐敷の事を話したりした。佐敷ヌルと島添大里ヌルとその若ヌルはいつの間にかいなくなり、マウシの所にジルムイとマカマドゥも加わった。叔父と苗代大親とマサルーは戦談義を交わしていた。
 マカマドゥが近くに来て、マウシの話を楽しそうに聞いてくれたのは嬉しかったが、マカマドゥに話しかける事はできなかった。サグルーに勧められるままに酒を飲み、飲み過ぎてしまったようだ。宴がお開きになって、皆と別れて帰ってきたのは覚えているが、その後の事は覚えていない。師匠(マサルー)に迷惑を掛けてしまったようだった。
 目が覚めた部屋には師匠の姿はなかった。広い屋敷で部屋がいくつもあるので、師匠は別の部屋で休んだらしい。師匠を捜したがどこにもいなかった。すでに起きて庭にでもいるのかと外に出てみた。垣根越しに隣りの屋敷の庭で子供と遊んでいる師匠の姿が見えた。板戸が開いていたので、そこを通って隣りの屋敷に行ってみた。
 隣りに住むのは三星大親(みちぶしうふや)という重臣で、各地の絵地図を作るために年中、旅をしていると昨夜、叔父から聞いていた。師匠は三人の子供と遊んでいた。マウシを見ると、「今、若様(うめーぐゎー)を呼びに行こうと思っていたところじゃ」と言った。
 マサルーが食事の支度をしようとしていたら、隣りのおかみさんに声を掛けられて、食事はおかみさんが用意してくれるという。奥方様(うなじゃら)(マチルギ)に頼まれているから遠慮しなくてもいいと言われ、好意に甘える事にした。子供たちと一緒に水汲みをして、それも終わったという。
「チチンガーという立派な井戸(かー)があったわ」とマサルーは感激していた。
 母親を手伝っている十二歳くらいの女の子もいて、母親と四人の子供で父親の留守を守っているようだった。
 朝食をご馳走になって、マウシが武術道場に行こうとすると、おかみさんが道場に行くのはまだ早いわと言った。
「午前中は読み書きのお稽古よ」
「えっ」とマウシは聞き返した。
「佐敷は古くからヤマトゥと交易をしているの。王様(うしゅがなしめー)も按司様(あじぬめー)もヤマトゥ言葉(くとぅば)がしゃべれるし、読む事も書く事もできる。ヤマトゥ言葉がしゃべれなければサムレー大将にはなれないわよ」
「どうしてですか」とマウシは聞いた。意味がわからなかった。
「サムレー大将はこの島で戦(いくさ)をするだけではないのよ。ヤマトゥや明国(みんこく)に行くお船に乗って、海賊たちとも戦わなければならないの。明国の言葉をしゃべるのは無理でもヤマトゥ言葉くらいはしゃべれなくてはいけないわ。それに、あなたが将来、出世してどこかの按司になったとするわね。按司になればヤマトゥと交易しなければならなくなるわ。その時のためにもヤマトゥ言葉はしゃべれた方がいいでしょ」
 俺が按司になる‥‥‥そんな事なんて考えてもいなかった。サムレー大将として活躍すれば、按司にもなれるのか。マウシの夢は大きく広がっていった。
 おかみさんに連れられて行った所は近くにある屋敷だった。ヤマトゥのお坊さん(ちょーろーめー)の屋敷で、『ソウゲン寺(でぃら)』と呼ばれているらしい。十五人の子供たちが読み書きを習っていた。皆、重臣の息子たちで、十一歳から十七歳までだった。サグルーとジルムイもいた。男の中に混じって、なぜか、ササもいた。
 マウシは父から教わって、ひらがなは書けるが漢字は書けなかった。ヤマトゥ言葉は山伏のクラマから教わった。しかし、クラマも長い間、山田で暮らしているので普段は島言葉をしゃべっている。教わっても、会話をする機会がないので、すぐに忘れてしまっていた。お坊さんがしゃべっているヤマトゥ言葉もはっきり言って、よくわからなかった。
 退屈な時がゆっくりと流れて、ようやく終わった。何度もあくびが出て来て、眠たくなるのを必死に堪(こら)えていた。背中をたたかれて振り返るとサグルーだった。
「おい、行くぞ」とサグルーは言った。
 マウシはうなづいて立ち上がった。外に出て体を伸ばしていると、「マカマドゥのおうちよ」とササが言って指さした。
 大通りを挟んで向かい側の屋敷だった。マカマドゥが顔を出さないかと思いながら屋敷を見ていると、ササとサグルーが声を出して笑っていた。
「お前、嘘をつくなよ」とサグルーがササに言った。「その隣りの屋敷だ」
 マウシは隣りの屋敷を見ながら、「どうして、ササが読み書きを習っているんだ」と聞いた。
「お母さんが首里に行っちゃったからよ」とササは言ったが、意味がわからなかった。
「こいつは母親からヤマトゥ言葉を習っていたんだ」とサグルーが説明してくれた。
「ヌルにヤマトゥ言葉は必要なのか」
「当然でしょ」とササは言った。
「こいつの親父はヤマトゥンチュなんだが、ササが小さい時に出て行ってしまって、時々しか会えなかったんだ。親父と話をするために習っているんだよ」
「馬鹿!」とササはサグルーを横目で睨んだ。
「お父さんと話はできるわよ。そうじゃなくて、将来、素敵なヤマトゥンチュのサムレーと出会った時のために習っているのよ」
 マウシにはササが何を考えているのかまったくわからなかった。
「マレビト神(がみ)か」とサグルーが聞くと、ササは嬉しそうにうなづいた。
「何だ、マレビト神って」とマウシは二人に聞いた。
 ササは知らんぷりで、サグルーが答えてくれた。
「ヌルというのは同じシマ(郷里)の男とは一緒になれないんだ。他所(よそ)から来た人をマレビトと言って、その中でも特別な人がマレビト神なんだよ。ササのお母さんのマレビト神はヤマトゥから来たサムレーだった。佐敷ヌルのマレビト神もヤマトゥのサムレーなんだよ」
「他所の国から来た人じゃないと駄目なのか」
「親父が佐敷按司だった頃はシマというのは佐敷の事だった。島添大里按司になったら、島添大里から佐敷に至る一帯になった。今、祖父は中山王だ。中山王の勢力範囲がシマとなっている。親父が琉球を統一すれば、琉球全土がシマになる。そうなると、やはり、他所の国の男じゃないとマレビト神にはなれないだろう」
「成程、ヌルというのも大変なものだな」
「いつか、きっと、素敵なヤマトゥのサムレーと出会えるのよ」
 ササは夢見るような目をして、嬉しそうに笑っていた。
「今、親父が琉球を統一すると言ったけど、叔父さんは琉球を統一するつもりなのか」とマウシはサグルーに聞いた。
「あっ」とサグルーは言って笑った。
「馬鹿」とササがまたサグルーに言った。
「つい言ってしまった。こいつはまだ内緒なんだ。親父の計画では十年後に山北王を倒し、さらに十年後に山南王(さんなんおう)を倒して、琉球を一つの国にまとめるんだよ。この事は絶対に内緒だぞ」
「わかった」とマウシはうなづいた。
 叔父が今帰仁攻撃のさらに先の事まで考えていたとは知らなかった。琉球を統一するなんて、そんな大それた事ができるのだろうか。でも、あの叔父ならやるかもしれない。マウシは叔父の高い志(こころざし)に感銘を受けていた。
「早く、行こうぜ。こんな奴の相手をしていたら遅れちまう」
 ササと別れて、マウシとサグルーは武術道場へ向かった。ジルムイはさっさと行ってしまったようだった。
 マウシの武術の修行が始まった。初日は稽古をしている者たちの実力を見極めるため、言われた通りの事だけをした。最初に感じた通り、マウシよりも強そうな者が数人いた。修行に励んで、そいつらを倒して、最後には師範の苗代大親にも勝ちたいと思った。
 マサルーは苗代大親から頼まれて、師範代を務めていた。首里に人手を取られてしまって師範代も足らないらしい。
 稽古が終わったあと、サグルーがいい所に連れて行ってやると言った。どこだと聞いても教えてくれなかった。
 グスクの前を通ると娘たちの剣術の稽古が終わったらしく、娘たちがぞろぞろと出てきた。サグルーとマウシの姿を見つけると立ち止まって、キャーキャー騒ぎ始めた。
「若按司様(わかあじぬめー)と山田のマウシ様(めー)よ」
 サグルーは騒がれるのに慣れているのか、手を振りながら、「頑張れよ」と言った。
 マウシも真似をして手を振った。
 娘たちが笑いながら手を振り返した。
「お前、なかなか持てるじゃないか」とサグルーは笑った。
 娘たちの中にマカマドゥの姿はなかった。
 サグルーは娘たちとすれ違うように東曲輪(あがりくるわ)の中に入って行った。マウシもあとを追った。
 娘たちがいなくなって東曲輪はひっそりとしていた。
「佐敷ヌルに会うのですか」とマウシは聞いた。
「叔母に用はない」とサグルーは言った。
「佐敷ヌルのマレビト神はヤマトゥのサムレーだと言いましたね。そのサムレーもあの屋敷に住んでいるのですか」
「いるかもしれんな。五月になったらヤマトゥに帰る。そうだ、お前、そのサムレーと一緒にヤマトゥに行ってこい」
「えっ」とマウシは驚いてサグルーを見た。
「俺は去年、ヤマトゥに行ってきたんだ。やはり、ヤマトゥに行ってくると考え方が変わる。是非、お前も行ってみるべきだ。今年はジルムイが行く事になってるんだ。ジルムイと一緒に行ってこい。俺が親父に頼んでやる」
「サグルーはヤマトゥに行ったのか‥‥‥」とマウシは驚いていた。
「京の都も見てきた。本当の都とはああいう所を言うんだ。凄い所だった。実際に見てみないとわからん。ヤマトゥの女子(いなぐ)も綺麗だった。何といっても肌が透き通ったように白くて‥‥‥いい女子だったなあ」
「ヤマトゥ旅‥‥‥」とつぶやいて、マウシは呆然とサグルーを見つめていた。ヤマトゥ旅なんて考えた事もなかった。山田にいて、そんな事を言ったら、気でも狂ったかと思われるだろう。ところが、ここでは目の前にいるサグルーかヤマトゥに行ってきたという。まったく、信じられない事だった。
「おい、この上だ」とサグルーが言った。
 見ると物見櫓(ものみやぐら)が目の前にあった。サグルーはさっさとはしごを登って行った。マウシもあとを追って登った。
 物見櫓からの眺めは最高だった。海の向こうに見えるのは勝連(かちりん)半島だった。勝連グスクには叔父のサムがいるはずだった。サムとは数回しか会った事はないが、戦で活躍をして勝連按司の後見役になっている。自分も活躍すれば、按司になるのも決して夢ではないと思った。
 サグルーは物見櫓の上でヤマトゥ旅で経験した様々な事を話してくれた。マウシはただ驚きながら話を聞いていた。話を聞いているうちに、自分もヤマトゥに行ってみたくなった。
「行ってこいよ。ササが言ったように、お前は俺たちに必要な男になりそうだ。ヤマトゥに行って、もっと大きな男になってこい」
「ササがそんな事を言ったのか」
「ササは不思議な女だ。生まれついてのヌルだろう。お前が来る事を予言したんだ。どんな男だろうと迎えに行ったわけだ。お前はササに気に入られたらしい。あの気まぐれ女が昨日一日、お前につきあっていた。気に入らなければ、お前は放っておかれて、さっきみたいに娘たちに騒がれる事もなかっただろう。ササに気に入られれば本物だ。これからもよろしく頼むぜ」
「こちらこそ」とマウシは答えた。夕暮れの景色を眺めながら、ここに来て本当によかったと思っていた。

 

 マウシのヤマトゥ行きが決定した。五月になったら、ジルムイとジルムイの叔父の平田大親(ひらたうふや)(ヤグルー)と一緒にヤマトゥに行く事になった。
 四月の半ば、マウシはヤマトゥ旅の許しを得るために山田に帰る事になった。サグルーとササが一緒に行った。サグルーは島添大里按司の代理として挨拶をしてこいと言われたらしい。ササは神様のお告げがあって山田に行かなければならないと言ったが、いつもの気まぐれに違いなかった。
 ササは女子サムレーのように馬乗り袴をはいて腰に刀を差し、颯爽(さっそう)と馬にまたがっていた。どう見てもヌルには見えないが、その姿がやけに似合っていた。
 急いで来たわけではないが、正午(ひる)前には山田グスクに着いた。マウシが顔を見せると、すぐに家族が集まってきた。ヤマトゥ旅に出る事を告げると皆、口をポカンと開けて驚いていた。サグルーが経緯を説明した。中山王と島添大里按司は勿論の事、島添大里按司の兄弟は皆、ヤマトゥに行き、去年はサグルーも行ってきたと聞いて、さらに驚き、山田按司は倅の事をよろしくお願いすると許してくれた。
 その部屋にはマウシの妹のマカトゥダルもいた。マカトゥダルを見るサグルーの様子がおかしかった。マカトゥダルの方も様子が変だった。サグルーを見る目が輝いていて、ほんのり顔を赤くしていた。
 話が終わって、マウシの案内で山の中にある武術道場へと向かう山道で、ササがサグルーをからかった。
「お前、マウシの妹に魂(まぶい)を抜かれただろう」
 否定するかと思ったが、サグルーは素直に認めた。
「まるで、天女のようだった」とサグルーはぼんやりとした顔で言った。
 マウシには妹が天女には見えないが、村(しま)の男たちがマカトゥダルに憧れているのは確かだった。按司の娘だから、どこかの按司のもとへお嫁に行くのだろうと皆、諦めていた。妹も十五になり、そろそろ、相手を探さなくてはと親父も言っていた。中山王の孫のサグルーなら文句なしの縁談だとマウシは思った。
「ねえ、あの娘(こ)も剣術をしてるの」とササがマウシに聞いた。
「いや、木剣なんて持った事もないだろう」
「あら、そうなの。サグルーのお嫁には向いてないわ」
「どうしてだ」とサグルーが聞いた。
「お前のお母さんは剣術の名人よ。家風に合わないもの」
「そんな事はない。剣術をしない女子(いなぐ)が一人くらいいたっていい」
 ササがサグルーを指さして笑った。
「さっき会ったばかりなのに、もう、お嫁にもらう気でいるわ」
 山の中の武術道場は樹木(きぎ)が生い茂った中にあり、二十人近くの若者たちが稽古に励んでいた。マウシの顔を見ると一人の若者が駆け寄ってきた。
「おい、帰ってきたのか」
「ああ、ちょっと用があってな」
 マウシがマサルーの倅のシラーだと紹介した。
「ガキの頃からの遊び相手で、一緒に修行を積んだんだ」
 マウシはシラーにサグルーとササを紹介した。
「馬天の若ヌルのササと申します」とササはしおらしく言って頭を下げた。その言葉にサグルーはポカンとしてササを見ていた。マウシもおかしいと首を傾げた。
 いつの間にか、皆が稽古をやめて集まってきていた。
「若様(うめーぐゎー)、首里はどうだった」と誰かが聞くと、みんなが様々な事を聞いてきた。
「よし、みんなに聞かせてやろう。驚くなよ」
 マウシとサグルーとササは近くにあった大きな切り株に腰を下ろし、その前に若者たちが座り込んだ。
 マウシは得意になって、首里グスクの事を話した。女子サムレーの話になると皆がササを注目した。
「あたしは女子サムレーではございません」とササは首を振った。
 マウシは話を続け、女子サムレーに負けた事を話すと、みんなが信じられないと言った。
「俺も信じられなかった。でも、首里では信じられない事や驚く事がいっぱいあったんだ」
 マウシの話を皆、真剣な顔をして聞いていた。
 武術道場を去る時、サグルーがササをからかった。
「お前、シラーに魂を抜かれたな」
「そうかもしれない。シラーはあたしのマレビト神かしら」
「シラーは久良波(くらふぁ)の生まれだ」とマウシが言った。
「久良波ってどこ」
「山田の隣り村(とぅないじま)だ」
「それじゃあ、マレビト神かもしれないわね」
「何を都合のいい事を言っているんだ」とサグルーが笑った。「ここは中山王の勢力範囲だ。シラーは同じシマの者だよ」
「あら、違うわ。あたしは中山王のヌルじゃないもの。馬天の若ヌルよ」
「お前のお母さんは中山王の妹だ。当然、中山王のヌルになる。跡を継ぐお前も同じだ」
「でも、今のあたしはまだ継いでないもの」
「どうしてもシラーをマレビト神にしたいようだな。まあ、頑張れ」
「お前もな」
 サグルーとササが言い争っているのを面白そうに聞いていたマウシが、「二人が揃って、山田で魂を抜かれるとは面白いものだ」と言って笑うと、「お前だって他人の事が笑えるか。マカマドゥの事を忘れたのか」とササが言った。
 マウシは急にマカマドゥの笑顔を思い出した。思い出したら、すぐにでも会いたくなった。
「早く帰ろう」とマウシは二人に言った。
 まだ駄目と言って、二人とも首を振った。
 その晩、父は送別の宴を開いてくれた。妹のマカトゥダルは勿論、マサルーの倅のシラーも参加した。マウシはサグルーとササのために二人を呼んで取り持った。サグルーもササも惚れた相手の前では普段とは違って、おとなしくなるのがおかしかった。サグルーとマカトゥダルもササとシラーもいい雰囲気だった。
 山田按司の許しを得て、シラーも島添大里で修行をする事に決まり、一緒に行く事になった。縁があったのねとササは大喜びをした。

 

 

 

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