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長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部はその後の尚巴志の活躍です。お楽しみください。

2-51.鞍馬山(第二稿)

尚巴志伝 第二部

 七重の塔で将軍様に会った、その夜、ヂャンサンフォン(張三豊)が高橋殿の屋敷に呼ばれた。中条兵庫助(ちゅうじょうひょうごのすけ)の娘の奈美も加わって宴が開かれた。
 また夜明けまで飲むつもりかと、サハチはウニタキとファイチと顔を見合わせた。二人とも参ったなあという顔をした。酒も料理もうまいが、こんな事が毎晩続いたら体が参ってしまう。早々と退散した方がよさそうだと思うものの、サハチは高橋殿の魅力には勝てず、もうどうにでもなれと半ば開き直っていた。
 奈美は幼い頃より父親から武術を習い、一度は嫁に行ったものの相手は戦死してしまい、高橋殿のもとで働いていた。去年、博多にいて、マチルギたちを見たのは奈美で、高橋殿に知らせると対馬まで行って、マチルギたちの様子を探っていたという。
「博多に何か用があったのですか」とサハチが聞くと、
「博多の情報をいち早く北山殿(足利義満)に知らせるために、奈美を送ったのですよ」と高橋殿は言った。
「博多だけでなく、各地に高橋殿の配下の者がいるようですね」とウニタキが言うと高橋殿は笑った。
「わたしの推測なんですけど、あなたはサハチ殿のために情報を集めていらっしゃるのではありませんか」と高橋殿が言うとウニタキはニヤッと笑った。
「今夜はヂャンサンフォン殿から武芸のお話をお聞きしようと思いました。幸い、奈美も帰って来ているので、呼んだのです」
 ヂャンサンフォンは高橋殿から質問攻めにされて、様々な事を話していた。平方蓉(ひらかたよう)は高橋殿の質問とヂャンサンフォンの答えを一々、明の言葉に訳してファイチに教えていた。お酒をつぎ合いながら、ファイチに説明している蓉と、それにうなづいているファイチは仲のいい夫婦に見えた。
 ヂャンサンフォンが武当山(ウーダンシャン)の話をしていると、
「京都にも武芸の盛んな山がありますよ」と高橋殿が言った。
鞍馬山(くらまやま)という修験(しゅげん)の山です。古くから武芸が盛んで、源義経(みなもとのよしつね)が鞍馬山の天狗から武芸を習ったと伝えられております」
 鞍馬山というのは修理亮(しゅりのすけ)から聞いていた。慈恩禅師(じおんぜんじ)が鞍馬山で修行を積んだと聞いて、修理亮も鞍馬山に籠もって修行に励んだと言っていた。そんな山が近くにあるのなら行ってみたいとサハチは思った。
鞍馬山‥‥‥聞いた事あるのう」とヂャンサンフォンが言った。
「山伏たちが大勢いて、武芸の修行に励んでおります。義経の師匠と言われる鬼一法眼(おにいちほうげん)が弟子たちに伝えた武芸は京流と呼ばれて、今に伝わっております。お蓉の中条家にも代々伝わっていて、お蓉の父上は京流と慈恩禅師殿の念流(ねんりゅう)を合わせて中条流平法(ちゅうじょうりゅうへいほう)を編み出しました」
「慈恩禅師殿の武芸は念流と呼ばれているのですか」とサハチは高橋殿に聞いた。
「慈恩禅師殿は念大和尚(ねんだいおしょう)様とも呼ばれていて、念流と名付けたようです」
義経というの武芸者なのですか」とウニタキが聞いた。
「源氏の大将だった人で、鎌倉の源頼朝(みなもとのよりとも)の弟だよ」とサハチはウニタキに教えた。
 祖父から聞いたのかソウゲンから聞いたのか忘れたが、サハチは義経の話は知っていた。
「昔の人なのか」
「平家を壇ノ浦で滅ぼしたのだから昔の人だ」
「思い出したぞ」とヂャンサンフォンが言った。
「わしの弟子が鞍馬山で、若い者に武当剣(ウーダンけん)を教えたと言っておったんじゃ。面白い小僧だったと言っておった。武当山が白蓮教(びゃくれんきょう)の奴らに破壊されたあと、奴は海賊船に乗って日本に行った。博多から京都まで行き、武芸の盛んな鞍馬山にしばらく滞在していたと言っておった」
「それはいつ頃の事ですか」と高橋殿が聞いた。
「明国が建国される前じゃから四十年くらい前かのう」
「慈恩禅師殿は鞍馬山で、言葉の通じない異人から剣の極意を教わったと父上が言っていたわ。もしかしたら、その人はヂャンサンフォン殿のお弟子さんじゃないかしら」
 奈美はそう言ったが、「まさか」とサハチたちには信じられなかった。
「そのお弟子さんのお名前を覚えておりますか」と高橋殿がヂャンサンフォンに聞いた。
「名前は忘れたが、足が速い奴で、飛馬(フェイマー)と呼ばれておったのう」
「フェイマーですね。鞍馬山に伝説として残っているかもしれません。明日、行ってみましょう」
 高橋殿がそう言うと、対御方(たいのおんかた)が嬉しそうな顔をして、「久し振りだわね。鞍馬山に行くのは」と言った。
「北山殿と一緒に行ったのはもう四、五年も前になるわ。北山殿は若紫(わかむらさき)を探すって張り切っていたわね。帰りには貴船神社にも寄りましょ。あそこは涼しくていいわ」
「若紫って何だ」とウニタキが対御方に聞いた。
鞍馬山は『源氏の物語』の舞台になっていて、光源氏がまだ幼い紫の上と出会うのですよ」
 対御方はそう説明したが、ウニタキにもサハチにも何の事やらさっぱりわからなかった。
 高橋殿の一言で、明日、鞍馬山に行く事に決まり、その夜は深酒はせずに、お開きとなった。
 サハチたちは客殿に帰って休んだ。
 次の日、朝早くから馬に乗って鞍馬山へと向かった。高橋殿たちは皆、男装をして馬に跨がり、太刀まで佩(は)いていた。従者はいなかった。高橋殿ほどの身分の高いお方が従者も連れずに出掛けるのはおかしいと思ったが、陰ながら高橋殿を守っている配下の者がいるに違いないと思った。
 一時(いっとき)(約二時間)ばかりで鞍馬山に着き、門前にある宿坊(しゅくぼう)に馬を預けて山に登った。
 大きな山門をくぐって中に入ると僧坊がいくつも並んでいて、大勢の山伏がいた。クマヌと同じ格好をした山伏がこんなにもいるなんて信じられない事だった。そう言えば、マウシの師匠でもあり、山田按司の師匠でもある山伏はクラマという名前だった。この山の山伏に違いない。
 光源氏が都に帰る時に別れの宴を張ったという小さな滝があり、その先に火の神様を祀る靫明神(ゆきみょうじん)という古い神社があった。高橋殿に従って靫明神にお祈りした。神社の裏には御神木(ごしんぼく)と言われる大きな杉の木が天に向かって伸びていた。その太い木を見て、サハチは七重の塔の柱を思い出した。こんな木を使って、あの塔を建てたに違いない。しかし、どうやって、こんなにも太い木を運んだのだろう。
 靫明神を離れて、曲がりくねった山道を登った。所々に僧坊があって、山伏たちが出入りしていた。やがて、僧坊もなくなり細い山道が続いた。樹木が生い茂っているので日陰になり、涼しくて気持ちがよかった。そして、神々(こうごう)しい霊気のようなものも感じられた。
 また僧坊が建ち並ぶ一画に出て、その先に鞍馬寺の本堂があった。下の山門の辺りよりもこちらの方がずっと賑やかで、山伏の数も多く、参拝に来ている女たちの姿もあった。鞍馬寺の本尊は毘沙門天(びしゃもんてん)だという。毘沙門天は山田按司が祀っていた。ここの山伏だったクラマが山田グスクに祀ったに違いなかった。
 本堂を参拝して、高橋殿の知っている宿坊に入って昼食を御馳走になった。宿坊の老僧に四十年前の事を聞くと、唐人(とうじん)の道士がこの山で修行していたのを覚えていた。
「とにかく足の速いお人で、お山の中を走り回っておりました。いつしか、『韋駄天(いだてん)』と呼ばれるようになりました」
「まさしく、そいつはフェイマーに違いない」とヂャンサンフォンが楽しそうに笑った。
「『韋駄天』殿のお弟子になった若い僧がおりませんでしたか」と奈美が聞いた。
 老僧は笑って、「慈恩禅師殿の事でございましょう」と言った。
「慈恩禅師殿を御存じなのでございますか」
「よく存じております。旅を続けておられる禅師殿で、京にいらした時は必ず寄って下さいます。最近はお見えになりません。五年ほど前にいらした時に、関東に行くと申しておりました。北の方を旅しているのかもしれません」
 老僧の話では、慈恩禅師は若い頃は時宗(じしゅう)の僧で念阿弥(ねんあみ)と名乗っていたらしい。
 幼い頃に父親が殺され、七歳の時に時宗の僧になり、師の上人(しょうにん)と共に旅の暮らしを続けた。旅をしながらも、常に父親の敵(かたき)を討つという気持ちがあって、自己流で剣術の修行を積んでいた。十六歳の時、師の上人が旅の途中で亡くなり、一人になった念阿弥は武術が盛んな鞍馬山にやって来た。そこで出会ったのが『韋駄天』だった。
 念阿弥は韋駄天に武術を教えてくれと頼んだが断られる。断られても諦めずに、韋駄天のあとを追い続けた。やがて、韋駄天も根負けして、念阿弥に武当剣を教える。一年近く、念阿弥は韋駄天と一緒に鞍馬山で修行していた。ある日、韋駄天は突然、いなくなってしまい、念阿弥も山を下りて行った。
 その後、鎌倉に行った念阿弥は寿福寺(じゅふくじ)の禅僧から剣術の指導を受け、さらに九州に行き、太宰府(だざいふ)の安楽寺で剣の極意を悟ったという。還俗(げんぞく)した念阿弥は故郷に戻って、見事に父親の敵を討った。
 念願を果たした念阿弥は鎌倉に行き、再び出家して、禅僧となり慈恩と号した。禅僧として数年間、修行を積んだのち、旅に出て各地を歩き、見込みのある若者に出会えば、剣術の指導に当たっていた。
「不思議な縁ですね」とサハチはヂャンサンフォンに言った。
「慈恩禅師殿が、師匠のお弟子から武当剣を教わり、慈恩禅師殿の弟子のヒューガ殿が師匠から武当拳を教わっている」
「フェイマーを追いかけ回したという慈恩禅師に会ってみたいものじゃな」
 サハチも会ってみたかった。
 宿坊を出て、さらに奥の方に向かった。細い山道を行くと山頂と思える辺りに小さな祠(ほこら)があって、そこから道は下りとなった。この辺りまで来ると道行く山伏たちの姿もなくなり、静かな山奥という感じがして来た。
 突然、目の前に奇妙な物が見えてきた。太い木の根が道の上を蛇のようにいくつも伸びて、絡み合っていた。
「何だ、これは」と木の根を跨がりながらウニタキが聞いた。
「木の根道と呼ばれております」と対御方が答えた。
「土が硬くて、木の根が土の中に潜れないのでございます。昔、源義経がここで修行を積んだと伝えられております」
「確かにいい修行になるな」とウニタキは言って、木の根をよけるように飛び跳ねながら先に進んで行った。
 ウニタキの滑稽な仕草を見ながら、皆が笑った。
 木の根道はしばらく続いた。奇妙な場所があるものだとサハチはくねくねした根を見ながら歩いていた。
 少し広い場所に出た。不動堂があり、ここが慈恩禅師が修行した僧正ヶ谷(そうじょうがたに)だった。
「絶好の修行場じゃな」とヂャンサンフォンが空を見上げながら言った。
 生い茂った木の葉の間から日の光が差していた。
「気が充満しておる」
 ヂャンサンフォンの言葉を聞いて、サハチは深呼吸した。それを見てヂャンサンフォンは笑った。
「ヂャンサンフォン殿、あなたのお弟子さんが慈恩禅師殿に教えたという武当剣とはどのようなものなのでしょうか」と高橋殿が聞いた。
「多分、体を自由に動かす基本を習ったのじゃろう。それさえ身に付ければ、あとは努力次第で極意(ごくい)は見つかる。剣術だけでなく、すべての事に言える事じゃが、極意というものは教える事はできんのじゃよ。自分で見つけるしかないんじゃ」
 高橋殿は黙ってヂャンサンフォンが言った事を噛みしめているようだった。
 突然、賑やかな話し声が聞こえてきた。声の方を見ると娘たちの一団のようだが、格好が奇妙だった。
按司様(あじぬめー)!」と誰かが叫んで駆け寄ってきた。
 ササだった。一緒にいるのはシンシン、シズ、女子(いなぐ)サムレー三人に、まりとみおもいた。皆、女子サムレーの格好をしていて、見慣れているはずなのだが、まさか、こんな所で出会うとは思ってもいなかったので奇妙な格好に見えたようだった。
「どうして、ここに来たんだ」とサハチはササに聞いた。
按司様こそ、どうして、ここにいるのよ。びっくりするじゃない」
「ここは慈恩禅師殿が修行をした場所なんだ」とサハチが言うと、「あら、そうだったの。あたしたちはスサノオの神様に会いに来たのよ」と言った。
スサノオがここにいるのか」
「このお山もスサノオを祀ったお山なのよ。お隣にある貴船神社スサノオだわ」
「誰なの」と高橋殿がサハチに聞いた。
 サハチは高橋殿に皆を紹介した。
「ササさん、シズさん、シンシンさん、三人は去年も博多にいらしたわね」と高橋殿は言って笑った。
 ヂャンサンフォンはシンシンを相手に武当拳の模範試合をした。シンシンの身軽な動きを見た高橋殿は驚いた。手の指先から足の先まで、無駄な動きがまったくなかった。まるで華麗な舞を見ているようだった。この動きは自分の舞に取り入れられると思った高橋殿は迷わず、ヂャンサンフォンに指導をお願いした。
 ヂャンサンフォンは真剣な高橋殿の顔付きをじっと見つめてから、笑ってうなづいた。
「あたしたちも一緒にいていいかしら」とササが高橋殿に聞くと、「勿論ですよ。一緒にお稽古に励みましょう」と高橋殿は嬉しそうな顔をしてうなづいた。
「何日間、やりますか」とヂャンサンフォンが高橋殿に聞いた。
 高橋殿はちょっと考えてから、「今日と明日一日と明後日の午(ひる)過ぎまでお願いします。明後日の夜には帰らなくてはなりません」
「わかりました。三日間で基本をたたき込みましょう。高橋殿でしたら大丈夫でしょう」
 早速、修行が始まった。呼吸を整える静座からだった。勿論、サハチたちも付き合った。静座は毎日の日課なのだが、昨日は飲み過ぎてさぼり、今朝も早くに出掛けて来たのでやっていなかった。
 半時(はんとき)(一時間)余り静座をしたあと、ヂャンサンフォンは皆を木の根が張っている場所に連れて行った。ここは道ではないので通行人の邪魔にならないが、こんな所で何をするのだろうとサハチたちは思った。まさか、ここで套路(タオルー)(形の稽古)をやるのかと思ったら、ヂャンサンフォンは懐から手拭いを出して自分の目を隠した。目隠しをして木の根が張っている所に足を踏み出し、そのまま普通に歩き出した。距離にして七十尺(約二十メートル)はあるだろう。木の根につまづく事もなく、目隠しして普通に歩けるなんて信じられなかった。
 ウニタキが真似をしてやってみたが、木の根につまづいて三歩で終わった。次にファイチがやった。ファイチはゆっくりとだが、つまづく事なく歩き通した。
「凄いわ」と女子サムレーたちが拍手を送った。
 次はサハチだった。ゆっくり行けばできるだろうと思っていたが七、八歩でつまづいた。
 次はシンシンで、何とか歩き通した。ササはあともう少しという所でつまづいて悔しがった。他の者たちは皆、五歩も行く事なくつまづいた。高橋殿もそうだった。高橋殿は、「難しいわね」と言って笑ったが、内心はかなり悔しそうだった。
 目隠しの木の根歩きの次は、武当拳套路だった。ただ、今までサハチたちがやっていた套路とは違っていた。呼吸に合わせて、ゆっくりと套路を行なった。高橋殿のために、わずか三日間で基本が身につくようにヂャンサンフォンが工夫したようだった。息を吸ったり吐いたりしながら形の稽古をするのは思っていたよりも難しかった。呼吸に気を取られると手足の動きがおろそかになる。形に気を取られると呼吸がおろそかになった。
 初めて套路をやる高橋殿たちは呼吸に合わせて形を覚えていった。
 日が暮れるまて稽古に励み、本堂の近くにある宿坊のお世話になった。高橋殿の配慮で、宿坊の老僧に一文字屋に使いを頼んで、ササたちが鞍馬山に滞在する事を伝えた。
 高橋殿はササが気になるのか、夕食の時にしきりに質問をしていた。
「あなたは馬天ヌル殿の娘さんですね」と高橋殿が言うと、ササは驚いた顔をしてサハチを見た。
 サハチは手を振った。
「俺が言ったんじゃない。高橋殿は配下の者を琉球に送って、琉球の事を色々と調べたんだよ」
 ササは納得したようにうなづくと、「馬天の若ヌルです」と高橋殿に答えた。
「馬天ヌル殿は首里(すい)の人たちに尊敬されている素晴らしい人だと聞いております。ヌルというのは祭祀(さいし)を司(つかさど)っていると聞きましたが、神社にいる巫女(みこ)のような存在なのですか」
「神様にお仕えしている所は同じですが、巫女とは違います。琉球では女は皆、霊力を持っていて、その霊力で兄弟を守ると信じられております。『ウナイ神』です。女は生まれつき霊力を持っていますが、その霊力を最大限に呼び覚まして、兄弟だけではなく、地域一帯を守るのがヌルです。昔、ヤマトゥにおられたアマテラスはヌルです」
「アマテラスって、お伊勢さんに祀られている天照大神(あまてらすおおみかみ)の事?」
「そうです。アマテラスは神名(かみなー)で、ヒミコと呼ばれていました。」
「えっ、天照大神卑弥呼(ひみこ)なの?」
 高橋殿は古代の歴史にそれほど詳しくはないが、卑弥呼邪馬台国(やまたいこく)の女王だった事は知っていた。でも、その卑弥呼天照大神だったなんて初耳だった。琉球から来た娘がそんな事を知っているはずがない。誰かにだまされたに違いないと思った。
「誰から聞いたのですか」と高橋殿はササに聞いた。
スサノオの神様です」とササは答えた。
スサノオって、祇園社(ぎおんしゃ)の神様のスサノオ?」
 ササはうなづいた。
「そう言えば、さっき、このお山もスサノオを祀っているって言っていたわね」
対馬にもスサノオを祀っている神社がいっぱいありましたけど、京都にもいっぱいあります。きっと、天皇の御先祖様だからなんでしょうね」
「そういう事を皆、スサノオの神様から聞いたの」
「はい。わたしはヤマトゥの歴史は何も知りません。スサノオの神様が色々と教えてくれました。スサノオは太陽の神様で、アマテラスはスサノオの娘です。でも、わからない事があります。アマテラスのお母さんの事です。アマテラスのお母さんは豊玉姫(とよたまひめ)と呼ばれていますが、それは豊の国の女王になってからの名前です。元々は南の島から来たヌルなのです。どこの島から来たのかわかりません」
「あなたは豊玉姫琉球から来たと思いたいのね」
「はい」とササは素直にうなづいた。
スサノオの神様は教えてくれないの?」
「色々なお話をして下さるのですけど、その事はまだ聞いておりません」
「あなたのお話だとスサノオ豊玉姫の娘がアマテラスで、アマテラスは卑弥呼とも呼ばれていたのね」
「そうです」
 高橋殿はササを見つめながら何かを考えているようだった。しばらくして、ササに笑いかけると、「スサノオは歌の神様でもあるのよ」と言って皆の顔を見回し、「明日も早いから、今日はもう休みましょう」と言った。
 サハチたちはうなづき、男と女に分かれて宿坊の一室に納まった。
「高橋殿というお方は大した女子(おなご)じゃのう」とヂャンサンフォンがしみじみと言った。