長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部はその後の尚巴志の活躍です。お楽しみください。

2-86.久高島の大里ヌル(第二稿)

 ササは馬天(ばてぃん)ヌルと佐敷ヌルとサスカサを連れてセーファウタキ(斎場御嶽)に行き、切り立った岩の上にあるウタキに登って、豊玉姫(とよたまひめ)と娘のアマン姫に会わせた。すでに玉依姫(たまよりひめ)はヤマトゥに帰っていた。年末年始は神様も忙しいようだ。
 馬天ヌルは岩の上に祀られた大きな鏡を見て驚き、突然、ある事に気がついた。
 今までずっとティーダシル(日代)の石を探していたが、ティーダシルは石ではなく、鏡なのではないのだろうか。
 豊玉姫がヤマトゥから持って来たもう一つの小さい鏡が、真玉添(まだんすい)に祀られていたティーダシルの鏡なのではないのだろうか。
 馬天ヌルは豊玉姫から、真玉添の事を詳しく聞いた。
 真玉添はアマン姫の娘が真玉添ヌルになって、浮島を見下ろす高台に、ヌルが治める村(しま)を造ったのが始まりだった。真玉添ヌルは太陽(てぃーだ)の神様として、豊玉姫からもらった鏡をティーダシルの鏡として祀り、月の神様として、島添大里(しましいうふざとぅ)グスク内にあるウタキから石を分けてもらって、ツキシル(月代)の石として祀ったという。
 島添大里グスクの一の曲輪内の一番高い所にある岩が、月の神様を祀っているウタキで、ツキシルの石はその分身だった。首里(すい)グスクを攻め落として、勝連(かちりん)と同盟を結んだ時、サハチたちが勝連グスクからツキシルの石が光っているのを見たが、あの光は本体である島添大里グスクのウタキの岩が光っていた。佐敷にあったツキシルの石は故郷である島添大里に帰ってから、真玉添があった首里遷座(せんざ)したのだった。
 ティーダシルが鏡であるなら、ササが見つけたガーラダマ(勾玉)と同じように読谷山(ゆんたんじゃ)のどこかにあるのかもしれないが、土の中に埋められた鏡を探し出すのは不可能に近かった。
 佐敷ヌルは豊玉姫からヤンバルの北端にある安須森(あしむい)ウタキの事を詳しく聞いて、途絶えてしまった安須森ヌル(アオリヤエ)を継ぐ事を決心していた。
 サスカサは島添大里グスクのウタキの事を詳しく聞いていた。
 島添大里グスクのある山は古くから月の神様が祀られていて、そのウタキを中心に島添大里グスクは造られた。島添大里ヌルのサスカサは月の神様に仕えるヌルだったが、グスクができてからは按司を守るヌルに変わってしまった。以前のごとく、月の神様にお仕えしなさいとサスカサは言われたという。
 正月二十三日、今年最初の進貢船(しんくんしん)が船出して行った。正使は唐人(とーんちゅ)の程復(チェンフ)で副使は具志頭大親(ぐしかみうふや)、サムレー大将は五番組の外間親方(ふかまうやかた)で、五番組にはマウシがいた。マウシはようやく明国に行けると喜んでいた。去年、生まれた可愛い娘と会えなくなるのは辛いが、シラーもジルムイも行って来た明の国には何としてでも行かなければならなかった。
 正使の程復は八十を過ぎた老人で、正使を務めたあと、そのまま帰郷する事になっていた。
 程復が琉球に来たのは五十年以上も前の事だった。浮島にはまだ久米村(くみむら)も若狭町(わかさまち)もなく、ウミンチュの家が数軒と、久米島(くみじま)から送られてくる米を蓄えておく高倉がいくつか建っているだけの寂しい島だった。
 大陸では元(げん)の国が滅びる寸前で、内乱があちこちで始まり、商売もままならない状況になっていた。南蛮(なんばん)(東南アジア)の商品を扱っていた商人だった程復は、思い切って琉球に拠点を移した。琉球から旧港(ジゥガン)(パレンバン)に船を出して南蛮の商品を手に入れ、その商品をヤマトゥの征西府(せいせいふ)に売る事にした。勿論、元の国の商品も扱った。九州を統一して太宰府(だざいふ)に征西府を置いた懐良親王(かねよししんのう)は、村上長門守(ながとのかみ)(義弘)を琉球に送って、程復と交易を始めた。
 征西府が今川了俊(りょうしゅん)に滅ぼされてしまうと、村上長門守も来なくなってしまうが、浦添按司(うらしいあじ)の察度(さとぅ)に頼まれて、ヤマトゥに向かう明国の使者と会い、琉球朝貢(ちょうこう)が許されたのだった。
 征西府との交易で成功した程復は、土塁で囲まれた久米村を造って、大陸から移って来た唐人たちを守り、朝貢のために働いてきた。孫も何人もでき、久米村の長老として皆から尊敬もされていたが、八十を過ぎて望郷の念にかられて、帰郷する事に決めたのだった。
 程復を乗せた進貢船は北風(にしかじ)を横に受けて、西(いり)へと旅立って行った。
 二月になって、浦添極楽寺跡地の整地が行なわれた。極楽寺を建てるのはまだ先の事だが、浦添ヌルのカナがサムレーたちと一緒に、六十年前に察度に焼かれた極楽寺の残骸を片付けた。浦添グスクの焼け跡を片付けたサムレーたちにとって、極楽寺の片付けはお手の物だった。
 その焼け跡から古い鉄の剣(つるぎ)が発見された。錆びてぼろぼろの状態だったが、カナはかなり古い物だと直感した。大切に扱い、木箱に入れて首里に持って来た。馬天ヌルが見て、「豊玉姫の剣だわ」と言った。ナンセン禅師とジクー禅師も見て、一千年以上も前の剣に違いないと判定し、思紹(ししょう)は大切に保管するようにと命じた。
 シンゴとマグサの船が馬天浜(ばてぃんはま)に来たのは、二月に入ってからだった。随分と遅いので、途中で事故でもあったのかと心配していたら、何と、サイムンタルー(早田左衛門太郎)が朝鮮(チョソン)から帰って来たので、遅くなってしまったという。
 サイムンタルーが家臣たちを引き連れて、対馬に帰って来たのは正月の十二日だった。サイムンタルーたちが帰って来る事を富山浦(プサンポ)の五郎左衛門が知らせたのは五日で、琉球に向かう準備をしていたシンゴは急遽、琉球に行くのを延期してサイムンタルーの帰りを待った。
 その日、土寄浦(つちよりうら)はサイムンタルーが率いて来た船で埋まり、太鼓や法螺貝が鳴り響いて、お祭り気分に浮かれた。女たちは着飾って男たちを迎え、子供たちは記憶もおぼろになった父親を迎えた。十四年振りの再会だった。
 船越にいたイトたちも皆、土寄浦に来ていた。上陸したサイムンタルーは息子の六郎次郎と一緒にいるユキとミナミを見て、嬉しそうに笑った。
 ミナミが「お祖父(じい)ちゃん?」と聞くと、目を細めて、「会いたかったぞ」と言ってミナミを抱き上げた。
 マツは妻のシノと三人の子供たちと再会した。マユは夫を迎え、娘のミツはほとんど記憶にない父親と再会した。サワの娘のスズも夫との再会を喜んだ。あちこちで涙の再会が演じられ、男たちが帰って来た土寄浦は以前の活気を取り戻していた。
 一昨年(おととし)の夏、開京(ケギョン)(開城市)でサハチと会ったサイムンタルーは本気で帰郷を考えるようになり、何度も漢城府(ハンソンブ)(ソウル)に出向いて帰郷の要請をして、ようやく許された。
 儒教(じゅきょう)の教えに『五十にして天命を知る』という孔子(こうし)の言葉がある。儒教を国教にしている朝鮮では、孔子の教えを尊んだ。サイムンタルーは去年、五十歳になり、自分の天命は対馬と朝鮮の繁栄のために尽くす事だと言った。サイムンタルーは十四年間、倭寇(わこう)の取り締まりに励み、さらに、裏では『津島屋』を通して日本刀の取り引きを行ない、琉球から使者がやって来たのも、サイムンタルーと琉球との結び付きによるものだった。時勢も十四年前とは違い、倭寇が暴れ回る時代ではなくなってきている。サイムンタルーには対馬に帰ってもらい、朝鮮のために交易に力を入れてもらった方がいいと重臣たちも考え、朝鮮王の李芳遠(イバンウォン)に信頼されている将軍の李従茂(イジョンム)の進言もあって、サイムンタルーの帰国は許されたのだった。
 サハチはシンゴから話を聞いて、本当によかったと喜んだ。
「お屋形様が帰って来て、お前はどうなるんだ?」とサハチはシンゴに聞いた。
「俺は以前と変わらずさ。対馬琉球を行ったり来たりする」
「そうか、よかった。お前が来なくなったら佐敷ヌルと娘のマユが寂しがるからな。サイムンタルー殿は船越を拠点にするのか」
「船越を拠点にして、まずは浅海湾(あそうわん)内を一つにまとめると言っていた」
「そうか。十四年も留守にしていたから、まずは挨拶回りといった所か。やがては宗讃岐守(そうさぬきのかみ)と戦う事になるな」
 シンゴはうなづいた。
対馬を統一すると兄貴は言っていた。守護である宗讃岐守の後ろには将軍様がいるからな。慎重にやらなければならないとも言っていたよ」
「そうか。対馬で戦(いくさ)が始まりそうだな。琉球でも戦が始まる」
伊平屋島(いひゃじま)に寄ったら、大勢の兵がいたんで驚いたよ」とシンゴは言った。
 サハチは伊平屋島で起こった事件をシンゴに話した。
「いよいよ、山北王(さんほくおう)が動き出したか。奄美大島はどうなったんだ?」
「平定には失敗したようだ。今年、また行くつもりだろう」
今帰仁(なきじん)攻めは五年後だったな。五年後には山北王はトカラの島々も支配下に置いてしまうのではないのか。宝島を取られたら、琉球に来られなくなるぞ」
「宝島は絶対に渡さない。山北王が手を出したら、伊平屋島のように兵を送って守るよ」
「頼むぜ」とシンゴは笑った。
 『対馬館』で歓迎の宴が行なわれ、サハチは対馬の女たちと夫との再会の様子を詳しく聞いた。
 それから二日後、旅に出ていた慈恩禅師(じおんぜんじ)、飯篠修理亮(いいざさしゅりのすけ)、二階堂右馬助(にかいどううまのすけ)、イハチ、チューマチが帰って来た。ヤンバルの山の中で拾ったと言って、十歳くらいの娘を連れていた。可愛い顔をしているが、言葉がしゃべれず、耳も聞こえないらしいので、どうして山の中にいたのかわからない。放っても置けず、連れて来たという。とりあえず、娘はマチルギに預けて、サハチと思紹は五人を連れて遊女屋(じゅりぬやー)『宇久真(うくま)』に行って、酒を飲みながら旅の話を聞いた。
 慈恩禅師はほとんどの城下で銅銭が使える事に驚いていた。サハチが旅をした二十年余り前、銅銭が使えたのは浦添と島尻大里(しまじりうふざとぅ)、勝連、今帰仁だけだったが、今では南部の城下のほとんどで銅銭が使えた。サハチが按司たちを従者として明国に連れて行ったお陰だった。
 今帰仁首里よりも栄えていたのにも驚いていた。今帰仁の城下には大勢のヤマトゥンチュがいて、まるで、守護大名がいる城下に来たような雰囲気だったという。そして、夏になったら伊平屋島で戦が始まりそうだと城下の者たちは噂をしていた。
 去年の暮れ、中山王の交易船を奪うために兵を引き連れて伊平屋島に向かった奄美按司(あまみあじ)は無残な姿で帰って来た。船倉に閉じ込められ、汚物にまみれた惨めな姿だった。山北王は激怒して奄美按司に会う事もなく、按司の座を剥奪した。代わりに奄美按司に抜擢されたのは志慶真(しじま)の長老の孫のシルータだった。シルータは按司になれた事を喜びながらも、先代と同じ轍(わだち)を踏まないように身を引き締めたという。
 長い間、旅をしていると地名に興味を持つようになり、慈恩禅師は今帰仁の意味が知りたくなって、土地の者に聞いて回ったら、志慶真の長老を紹介されて教えてもらった。
 古くは『今来(いまき)知る』と言われ、今来は外来者で、知るは治めると言う意味で、外から来た者によって治められた土地を意味している。イマキジルがイマキジンになり、ナキジンに変化していったのだろうと長老は言った。南部にある島尻大里のシリも同じで、島を治める大里という意味らしい。
 サハチたちは感心しながら、慈恩禅師の話を聞いていた。禅僧である慈恩禅師を遊女屋に連れて行ってもいいものだろうかとサハチは不安だったが、慈恩禅師は何も気にする事なく、綺麗どころが揃っておるのうと喜び、遊女(じゅり)たちとも楽しそうに接していた。
 チューマチは初めて遊女屋に来て緊張していた。昔の自分を思い出し、酒を飲み過ぎなければいいがとサハチは心配した。やがて、ヒューガがやって来て加わり、ヂャンサンフォンもやって来た。ンマムイとヤタルー師匠もやって来て、慈恩禅師の旅の話は延々と続いていった。サハチが心配した通り、チューマチは飲み過ぎて嘔吐していた。これも修行だ、頑張れとサハチは心の中で言っていた。
 その二日後は首里グスクのお祭り(うまちー)だった。今年も龍天閣(りゅうてぃんかく)を開放して、城下の者たちを喜ばせた。舞台で演じるお芝居は二つあった。一つは首里の女子(いなぐ)サムレーたちによるお芝居で、もう一つはウニタキが作った旅芸人たちのお芝居だった。女子サムレーたちは『瓜太郎(ういたるー)』を演じ、旅芸人たちは『浦島之子(うらしまぬしぃ)』を演じた。
 旅芸人たちも結成されてから一年近くが経ち、厳しい稽古の甲斐があって、ようやく他人様(ひとさま)に見せられるようになっていた。今日は初めて観客を前にして演じるので、フク、ラシャ、カリー、ユシ、マイの五人の舞姫も、笛と太鼓と三弦(サンシェン)を担当する五人囃子(ばやし)の娘たちも緊張していた。
 佐敷ヌルは新しい演目を考えていたのだが、城下の者たちから『瓜太郎』を観たいという要望が多かったため、新作は次の島添大里のお祭りで披露する事にしたのだった。
 女子サムレーの剣術の模範試合のあと、シラーとウハが明国に行っていていないので、ササとシンシンが武当拳(ウーダンけん)を披露した。旅芸人たちの『浦島之子』が演じられ、失敗する事なく見事に演じ、囃子方もうまくやり遂げた。木陰に隠れて密かに見ていたウニタキも、よくやったぞと喜んでいた。
 女子サムレーの『瓜太郎』も大成功だった。初演の時、ササとシンシンとナナが素晴らしい演技を見せたので、皆、負けるものかと頑張り、上演を重ねる度に見事な出来映えになって行った。
 敵の襲撃もなく、無事にお祭りも終わり、その翌日、お腹が大きくなっていたマカトゥダルが首里の御内原(うーちばる)に入った。ようやく、サグルーの子供が生まれるとサハチもマチルギも喜び、無事に生まれる事を祈った。
 慈恩禅師と右馬助は、上間大親(うぃーまうふや)となって上間グスクに移った嘉数之子(かかじぬしぃ)の屋敷が空いていたので、その屋敷に入り、武術道場に通ってサムレーたちを鍛えていた。修理亮は浦添に行った。浦添のサムレーたちを鍛えてくれと浦添ヌルに頼まれたという。以前、ササから修理亮は浦添ヌルのカナが好きだと聞いた事があった。二人がうまく行って、このまま修理亮が琉球に残ってくれればいいとサハチは思った。
 ウニタキは配下の者三人を連れて、与論島(ゆんぬじま)に向かった。この時期は船では行けないので、最北端の辺戸岬(ふぃるみさき)まで行き、潮の流れと風向きを見計らって渡らなければならなかった。口に出しては言わないが、幼馴染みの与論(ゆんぬ)ヌルとの再会を楽しみにしているようだった。与論ヌルの助けで、与論グスクの弱点が見つかればいいとサハチは願った。
 二月二十八日、島添大里グスクのお祭りが行なわれた。お芝居は『酒呑童子(しゅてんどうじ)』だった。
 ヤンバルの山奥に酒呑童子という鬼が住んでいて、都の女たちが何人もさらわれた。王様は怒って、サムレー大将のライクーに鬼退治を命じる。ライクーは四天王と呼ばれるチナ、キントゥキ、ウシー、ウラビーを連れてヤンバルに向かう。
 途中で山の神様と出会って、飲めば鬼の力が弱まるという神酒を授かる。ライクーたちは神様にお礼を言って先に進む。山の入り口に川が流れていて、娘が洗濯をしている。話を聞くと鬼に捕まって、殺された女たちの着物を洗わされていると言って泣く。娘から山の様子を聞いて、ライクーたちは山の中に入る。
 山の中にガマ(洞窟)があって、松明(たいまつ)を持って入って行く。酒呑童子が五人の鬼と一緒に女を侍らせて酒盛りを始めている。ライクーたちは、一晩泊めてくれと頼み、お礼に神様からもらった酒を差し出す。鬼たちは喜んで酒を飲み、力を失い眠ってしまう。ライクーたちは眠っている酒呑童子の首を斬って殺し、他の鬼たちも倒す。捕まっていた女たちを助けて都に戻り、めでたしめでたしでお芝居は終わった。
 物語はライクーたち五人の会話によって進んで行く。時には馬鹿な事を言って観客たちを笑わせた。見せ場は眠っている酒呑童子の首を斬ったあと、斬られた首がライクー目掛けて飛んでいく場面だった。観ている者たちは本当に首が斬られたと思って悲鳴を上げる者もいた。そのあと、残った鬼たちとの対決では華麗な剣舞を披露した。力を失った鬼たちはフラフラしながらもライクーたちと戦って、仕舞いには斬られて倒れた。
 島添大里のお祭りでも、旅芸人たちの『浦島之子』が演じられ、首里の時よりもうまくなっていた。
 舞台の最後には、ウニタキの代わりに息子のウニタルが姉のミヨンと一緒に三弦を披露した。十五歳になったウニタルは、父親のウニタキによく似ていた。来年はマサンルー(佐敷大親)の長男のシングルーと一緒にヤマトゥ旅に行かせようとサハチは思った。
 島添大里グスクのお祭りの五日後、思紹の久高島参詣(くだかじまさんけい)が行なわれ、いつもと同じようにヂャンサンフォンがお輿(こし)に乗って、思紹は馬に乗って最後尾を行った。いつもと違うのは思紹の側室たちがお輿には乗らず、女子サムレーの格好で侍女たちと一緒に歩き、お輿の中にはそれぞれの荷物が乗っていた。ササ、シンシン、ナナの三人もヌルとして行き、慈恩禅師と右馬助も一緒に行った。
 今年はマチルギも行ったので、サハチは留守番として首里グスクに行き、龍天閣の三階で絵地図を眺めながら過ごしていた。絵地図には、今築いているンマムイの新しいグスク(内嶺グスク)も、八重瀬按司(えーじあじ)のタブチの次男が築いている最南端に近い海辺のグスク(具志川グスク)も真壁按司(まかびあじ)が築いている山の中のグスク(山グスク)も、伊敷按司(いしきあじ)が築いている海辺のグスク(ナーグスク)も、山北王の娘を嫁にもらった三男のために、山南王(さんなんおう)が築いている保栄茂(ぶいむ)グスクも書いてあった。
 南部も賑やかになったものだと思いながら、山南王のシタルーがどう出るかを考えていた。
 久高島に行ったササたちはいつものように、馬天ヌルと一緒にフボーヌムイに籠もった。いつものようにお祈りをしていると、ササは今まで聞いた事がない神様の声を聞いた。
 神様は、「舜天(しゅんてぃん)の誤解を解いて下さい」と言った。
 舜天はヤマトゥの武将と島添大里ヌルとの間に生まれたと佐敷ヌルから聞いていた。どうして、舜天の名が出てくるのかササにはわからなかった。
「舜天が真玉添(まだんすい)や運玉森(うんたまむい)のヌルたちを滅ぼしたというのは誤解です」と神様は言った。
「あなたはどなたですか」とササは聞いた。
「舜天の母の大里(うふざとぅ)ヌルです」
「もしかして、島添大里ヌルですか」
「そうです。当時はただの大里ヌルでした。あの頃から百年くらい経ったあと糸満(いちまん)の近くに大里グスクができて、二つの大里グスクを区別するために、東(あがり)の大里を島添大里と呼び、西(いり)の大里を島尻大里と呼ぶようになったのです」
「あなたはサスカサさんなのですね?」
「そうです。御先祖様はアマン姫です」
 ササは理解した。ササが豊玉姫とアマン姫の母子と会った事を知った舜天の母親の大里ヌルが、ササに声を掛けてきたのだった。
「舜天はそんなひどい事はしません。真玉添ヌルも運玉森ヌルもわたしの一族なのです。母親の一族を滅ぼすような事は決していたしません」
「それでは誰が、真玉添と運玉森を滅ぼしたのですか」
「ヤマトゥから来た陰陽師(おんようじ)の理有法師(りゆうほうし)です」
 聞いた事もない名前だとササは思った。
「あの年はヤマトゥからサムレーが続々とやって来ました。鎧(よろい)を着て、鋭い刀を持った恐ろしい人たちが何人もやって来て、この島は恐怖に陥りました。平和だった島に血の雨が降ったのです。最初は安須森(あしむい)でした。安須森のヌルたちがヤマトゥのサムレーたちに襲われて、逆らった者は殺され、捕まった者はさらわれました。そのサムレーたちは今帰仁にグスクを築いて、そこに落ち着き、南部にはやって来ませんでした。わたしたちはホッと胸をなで下ろしたのですが、別のヤマトゥンチュが馬天浜にやって来たのです。それが理有法師の一行で、巫女(みこ)と呼ばれる女や武器を持ったサムレーたちを従え、総勢五十人余りがやって来ました。島添大里は大騒ぎになって、城下の者たちは皆、グスクの中に隠れました。理有法師も五十人でグスクを攻めるのは不可能と思ったのか、攻める事はなく運玉森に向かいます。そして、運玉森のヌルたちを襲ったのです。抵抗したヌルたちは殺され、捕まったヌルたちはサムレーたちの慰(なぐさ)み者になりました。勿論、男たちは戦いましたが、鋭い刀にはかないません。ほとんどの者は殺され、捕まった者たちは理有法師の妖術に掛かって魂(まぶい)を奪われ、理有法師の意のままに動かされました」
陰陽師とは何ですか」とササは聞いた。
「マジムン(悪霊)を退治したり、先に起こる事を予言したり、雨を降らせたり、重い病に罹っている人を治したりと様々なシジ(霊力)を持っている人です。ヌルと道士(どうし)と山伏を併せ持ったような人で、あの頃のヤマトゥの国では高い地位を得ていたようです。理有法師は滅ぼされた平家に仕えていた陰陽師で、戦(いくさ)に敗れて、この島まで逃げて来たのです。運玉森を滅ぼした理有法師は真玉添に行って、真玉添も滅ぼしてしまいます」
「真玉添ヌルのシジも理有法師のシジにかなわなかったのですか」
「ヌルは人を殺(あや)めたりするシジは持っていません。人々を守るシジはありますが、とてもかないませんでした。理有法師は真玉添を占領して、新しい国を造ります。自ら理有王と名乗って、呪いを掛けた男たちを兵として国を守らせ、美しい女をさらって来ては妻に迎えて、好き勝手な事をしていました」
「まるで、酒呑童子だわ」とササは言ったが、神様には何の事かわからないようだった。
「その頃、わたしの息子の舜天は按司になって浦添にいました。真玉添が理有に襲撃されたと聞いて救援に行きますが、妖術を使う理有にはとてもかないませんでした。島添大里按司と協力して、挟み撃ちにしようともしましたが無駄でした。戦死者が増えるばかりで、理有に近づく事さえできません。ところが、天の助けか、ヤマトゥから朝盛法師(とももりほうし)という陰陽師がやって来たのです。朝盛法師は源氏に仕えていた陰陽師で、理有を追って、この島にやって来ました。朝盛法師は舜天と協力して、理有を倒します。激しい妖術合戦が行なわれて、まるで、台風が来たように天は荒れ狂い、大雨が降って風が吹き、稲光がして雷が落ち、見た事もない雪も降りました。朝盛法師は理有に勝って、理有は海の彼方に飛ばされました。理有法師はいなくなりましたが、真玉添も運玉森も再興される事はありませんでした。どちらも理有に殺されたヌルたちの霊がマジムンとなって現れるようになり、人々は近づくのを恐れました。朝盛法師は真玉添と運玉森のマジムンを封じ込めました。理有の事を知っているヌルたちの霊が封じ込まれてしまったため、理有の存在は消えてしまい、舜天が真玉添と運玉森を滅ぼしたという、ありもしない事実が本当の事のように語り継がれて来てしまったのです。どうか、真実を伝えて下さい」
「わかりました」とササは返事をして、「朝盛法師はその後、どうなったのですか」と聞いた。
「舜天のために仕えてくれました。島の娘と一緒になって子供も生まれ、ヤマトゥに帰る事なく、この島で亡くなりました」
「真玉添ヌルのチフィウフジン(聞得大君)が運玉森で亡くなったと聞きましたが、本当でしょうか」
「本当です。チフィウフジンはみんなを助けるために、理有に投降しましたが、理有は攻撃をやめませんでした。理有はチフィウフジンに妻になるように迫りますが、チフィウフジンはかたくなに拒みます。チフィウフジンは焼け跡になった運玉森で、小屋に閉じ込められたまま亡くなってしまいました」
「運玉森にある古いウタキはチフィウフジンのお墓だったのですね」
「そうです。理有法師が滅んだあと、わたしは亡くなった大勢のヌルたちを弔うために久高島に来て、フボーヌムイに籠もりました。わたしが初代の久高島の大里ヌルで、娘が跡を継いで、代々と続いて今に至っています」
 大里ヌルの事はフカマヌルから聞いていたが、ササはまだ会った事はなかった。
「大里ヌルはフカマヌルよりも古いのですね」
「古いのです。フカマヌルは舜天の孫の義本(ぎふん)を滅ぼした英祖(えいそ)の孫娘から始まります。申し訳ありませんが、もう一つお願いしてもよろしいでしょうか。あなたは玉依姫様を琉球にお連れした偉大なるシジを持ったヌルです。あなたならわたしの願いを叶えてくれるに違いありません」
 偉大なるシジを持ったヌルと言われて、ササは驚き、照れもした。神様からそんな風に言われたら、願いを聞くしかなかった。
「わたしにできる事でしたらお力になります」
「ありがとうございます。舜天の父親がどうなったのか調べて下さい」
「えっ!」とササは驚いた。そんな事を頼まれるなんて思ってもいなかった。
「舜天の父親はヤマトゥの武将だと聞いていますが、わたしは名前まで知りません」
「シングーの十郎と名乗っていました。クマヌ(熊野)から来たのです。その頃、大里按司はヤマトゥと交易をしていました。毎年のようにクマヌから船がやって来て、大量のヤコウガイタカラガイを積んで帰って行きました。それらの貝殻は奥州の平泉という所に運ばれるそうです。平泉という所は京都のように賑やかな都で、黄金色(くがにいる)に輝くお寺(うてぃら)があって、まるで極楽浄土のようだと自慢しておりました。ヤマトゥからは絹や甕(かめ)、ガーラダマ(勾玉)や鷲(わし)の羽根、毛皮など高価な物がもたらされました。その船に乗って十郎様はやって来たのです。わたしは一目見て、わたしのマレビト神に違いないと思いました。わたしは十郎様と結ばれて、舜天と娘のフジが生まれました。わたしたちは幸せに暮らしておりましたが、十四年目の夏、十郎様はクマヌに帰って行かれました。また来ると約束したのですが来る事はありませんでした。ヤマトゥに帰った十郎様がどうなったのか、知りたいのです。十郎様が京都に行った事は、クマヌから来た者から聞きましたが、その後、なぜかクマヌからの船も来なくなってしまいました。あの頃、源氏と平氏は常に戦っていたそうです。十郎様がこの島に来たのも、戦に敗れて逃げて来たと言っていました。十郎様も戦に巻き込まれて亡くなってしまったのではないかと、ずっと気になっているのです」
 ササは『シングーの十郎』の事を調べると神様に約束して、フボーヌムイから出ると、馬天ヌル、シンシン、ナナに神様の話を告げて、大里ヌルに会いに向かった。
 馬天ヌルは十三年前、ウタキ巡りの旅に出た時、大里ヌルに会っていた。馬天ヌルと同じ位の年頃で、フボーヌムイにずっと籠もっていたサスカサ(運玉森ヌル)を、あなたにはやるべき事があると言って、キラマの島に送り出したのが大里ヌルだった。月の神様に仕えていて、昼間は屋敷に籠もったまま誰とも会わず、夜になるとヌルとしてのお勤めをしていた。
「その当時は変わったヌルだと思っていたの。でも、島添大里グスクのウタキが月の神様を祀っていると知った今、ようやくわかったわ。大里ヌルは古くからの教えを守り続けているヌルなのよ」と馬天ヌルは言った。
 すでに日暮れ間近になっていた。フカマヌルの屋敷の東側の少し離れた所に、大里ヌルの屋敷はあった。
「まだ早いわ」と馬天ヌルが言って、暗くなるのを待ってから大里ヌルを訪ねた。
 大里ヌルは透き通るような色白で、二十代半ば頃の妖艶な女だった。先代の母親は二年前に亡くなったという。
「一生、太陽に当たらないせいか、代々、寿命が短いのです」と大里ヌルは言って、微かに笑った。
 ササは神様から言われた事を大里ヌルに話した。
「御先祖様の願いを聞いてあげて下さい。わたしにはできない事ですので、お願いいたします」
 ササはうなづいた。
「舜天のお母さんが初代の久高島大里ヌルだと聞いたけど、それからずっと、代々続いているの?」と馬天ヌルが大里ヌルに聞いた。
 大里ヌルはうなづいた。
「わたしは先代の娘で、母親は先々代の娘です。わたしはまだ出会ってはいませんが、必ずマレビト神が現れて、跡継ぎを授かるそうです」
「男の子は生まれないの?」
「男の子が生まれた時は大里家に養子に入ります。二代目が男の子を産んで、大里家ができました」
「もしかして、ここにも『ツキシルの石』があるのですか」とササは聞いた。
「はい。初代の大里ヌルが島添大里グスクのウタキから分けていただいた石が『ツキシルの石』として祀ってあります。大里ヌルは四年に一度、八月の満月の日、島添大里グスクのウタキにお参りする習わしがありました。でも、島添大里グスクが八重瀬按司に奪われて以来、お参りはできなくなってしまいました。先代が若ヌルの時にお参りをして以来、三十三年間、お参りはしておりません。できれば、お参りをしたいのですがよろしいでしょうか」
 ササは馬天ヌルを見てから、「勿論、お参りをして下さい」と言った。
「今年の八月は是非とも、島添大里グスクにいらして下さい」
 大里ヌルは首を振った。
「寅(とら)、午(うま)、戌(いぬ)の年と決まっております。今度のお参りは三年後の甲午(きのえうま)の年になります」
「わかりました。三年後の十五夜の日、お迎えに参ります」
「ありがとうございます」とお礼を言った大里ヌルの目は涙に潤んでいた。
 大里ヌルを見ながら、ササはツキヨミの事を思い出していた。太陽の神様のアマテラスに比べて、ツキヨミの影が薄いと感じるのは、人の目に触れなかったからに違いないと思った。太陽があって月があり、昼があって夜がある。夜に活動する者たちにとっては、太陽より月が大切に違いない。大里ヌルは夜の世界を仕切っているヌルなのだろうかとササは思っていた。

 

 

 

八咫鏡(やたのかがみ)緑青風(ろくしょうふう)