長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部はその後の尚巴志の活躍です。お楽しみください。

2-121.盂蘭盆会(第二稿)

 湧川大主(わくがーうふぬし)が武装船に乗って鬼界島(ききゃじま)(喜界島)に向かっていた七月十五日、首里(すい)の大聖寺(だいしょうじ)で『盂蘭盆会(うらぼんえ)』という法会(ほうえ)が行なわれた。
 『盂蘭盆会』というのは、七月十五日に御先祖様の精霊(しょうりょう)が帰って来るので、それをお迎えして供養(くよう)する法会だという。帰って来るのは御先祖様だけでなく、子孫が絶えてしまって無縁仏(むえんぼとけ)となった精霊もいるので、『施餓鬼会(せがきえ)』という法会も一緒にやって、無縁仏も供養するという。
 大聖寺ではソウゲン禅師だけでなく、ナンセン禅師、慈恩禅師(じおんぜんじ)、辰阿弥(しんあみ)、福寿坊(ふくじゅぼう)も集まって、お経を唱え、法会のあとには境内(けいだい)で、念仏踊りが盛大に行なわれた。集まって来た人たちに餅(むーちー)や雑炊(じゅーしー)が振る舞われ、子供から年寄りまで、『ナンマイダー(南無阿弥陀仏)』と唱えながら念仏踊りを楽しんだ。
 その二日後、中グスク按司(マチルギの弟、ムタ)の娘、マナミーが米須(くみし)の若按司の長男、マルクに嫁いで行った。米須按司はこれを機に隠居して、若按司按司の座を譲り、マルクは若按司となった。隠居した米須按司摩文仁大主(まぶいうふぬし)を名乗って、摩文仁(まぶい)グスクに移った。摩文仁グスクはまだ完成していないが、屋敷だけは、この日に合わせて完成させていた。
 サハチとマチルギは中グスクに行って、花嫁を見送った。亡くなったクマヌも喜んでくれるだろうとサハチは思っていたのに、マナミーの母親は、あまりにも遠すぎると言って悲しんでいた。しかも、周りには知っている者は誰もいない。マナミーが可哀想だと言った。サハチは垣花(かきぬはな)の方がよかったかなと後悔した。
 マナミーの母親は越来(ぐいく)ヌルの妹で、越来ヌルも慈恩禅師と一緒に来ていた。
「ねえ、カーミ、あなた、越来の若ヌルだったマチルーを覚えている?」と越来ヌルがマナミーの母親、カーミに聞いた。
「えっ?」と言って、カーミは思い出したらしく、「勿論、覚えているわよ」と言った。
「マチルーは今、米須の隣りの小渡(うる)(大度)という所にいるのよ」
「えっ、どうして、マチルーがそんな所にいるの? 今帰仁(なきじん)に帰ったんじゃなかったの?」
 カーミは驚いた顔をして姉を見つめた。
 マチルーの父親は中山王だった察度(さとぅ)の三男で、母親は今帰仁按司だった帕尼芝(はにじ)の娘だった。明国との進貢を始めた察度が、鳥島硫黄鳥島)の硫黄(いおう)を手に入れるために帕尼芝と同盟を結び、帕尼芝の娘が察度の三男に嫁いで、察度の娘が帕尼芝の三男の永良部按司(いらぶあじ)に嫁いだ。同盟のあと、帕尼芝は使者を明国に送って山北王(さんほくおう)になったのだった。
「わたしもそう思っていたんだけど違ったのよ」と越来ヌルはカーミに言った。
「今の中山王が越来グスクを攻めた時、反乱を起こした弟の仲宗根大親(なかずにうふや)は殺されて、わたしも死のうと思ったけど、新しく越来按司になった美里之子(んざとぅぬしぃ)様に説得されて、若ヌルを育てる事に決めたの。その時、マチルーはお母さんを連れて、今帰仁に帰ると言って出て行ったのよ。それなのに、あれからずっと米須にいたらしいわ。米須按司はマチルーの伯父さんだったから頼って行ったみたい」
「そうだったの。マチルーが米須にいるんだ‥‥‥」
 マチルーはカーミより四つ年下で、カーミが伊波(いーふぁ)に嫁ぐまで、仲よく遊んでいた。
 カーミは越来按司(ぐいくあじ)の娘として越来グスクで生まれた。四歳の時に父親が亡くなってしまい、浦添から察度の三男が妻を連れてやって来て、越来按司になった。若按司だった兄は当時十五歳だったが、按司になる事はできず、仲宗根大親を名乗って家臣に格下げとなった。
 カーミの父親は察度の武将で、戦で活躍して越来按司に任命された。十五歳の若按司では心もとないと思われ、察度の息子が送り込まれたのだった。察度は、新しい按司を兄妹だと思って付き合ってくれと言い、カーミたちはグスクから追い出される事はなかった。翌年、マチルーが生まれ、カーミは妹のように可愛がった。その二年後、兄がお嫁さんをもらってグスクから出て、城下の重臣屋敷に移った。その二年後には、姉が越来按司の娘として勝連(かちりん)に嫁いで行った。
 今帰仁合戦の翌年、カーミは越来按司の娘として伊波按司の五男、ムタに嫁いだ。その時、マチルーはヌルになるための修行を始めていた。別れる時、伊波に遊びに行くわとマチルーは言ったが、その後、会ってはいない。米須にいるのなら、いつか会いに行こうとカーミは思った。
「馬天(ばてぃん)ヌル様が教えてくれたのよ」と越来ヌルは言った。
「わたしはすぐに会いに行ったわ。五歳くらいの可愛い娘さんと一緒に海で遊んでいたわ。マチルーは日に焼けて真っ黒な顔をしていてね、たくましく生きていたわ。毎日、海に潜ってお魚を捕っているって言っていた。わたしも小舟(さぶに)に乗せてもらって海に出たけど、あの頃のお姫様だったマチルーとは思えないほど、たくましくなっていたのよ。きっと、マチルーがマナミーを助けてくれるわ」
「マチルーが海に潜ってお魚を捕っているなんて‥‥‥」
 そう言いながらカーミは涙ぐんでいた。当時のマチルーからは想像もできなかった。
「でも、どうして今帰仁に行かなかったの?」
「マチルーは方向音痴だったみたい。北に向かって歩いているつもりが、南に向かって行っちゃったのよ。気がついた時には八重瀬(えーじ)グスクの近くまで来ていて、とりあえずは米須按司を頼ったみたい。米須按司はマチルー母子を大切にしてくれたようだわ。マチルーの母親は山北王の叔母さんだから、何かに使えると考えたのでしょうね。居心地がいいので、今帰仁に行くのはやめて、米須の隣りの小渡に住み着いたみたいね」
 カーミは笑いながら、「マチルーらしいわ」と言った。
 マチルーは子供の頃から鷹揚(おうよう)で、細かい事は気に掛けなかった。米須に来たのも神様のお導きだと思って、その地で楽しく生きているのだろう。マチルーにとっては、グスクから出てよかったのかもしれないとカーミは思っていた。
「もうヌルじゃないのね?」とカーミが聞くと、越来ヌルは首を振った。
「今でもヌルよ。小渡ヌルって呼ばれて、村(しま)の人たちからも頼りにされているわ」
「そう」と言ってカーミは笑った。
 越来ヌルはマチルーの事をマナミーに話して、何かがあったら頼りなさいと言った。
 マナミーの花嫁行列はサムレーたちに護衛されて首里へと向かい、首里で一泊して、翌日、米須に向かった。
 米須グスクでは八重瀬按司(えーじあじ)、玻名(はな)グスク按司、具志頭按司(ぐしちゃんあじ)、山グスク大主(うふぬし)、ナーグスク大主、玉グスク按司、知念若按司(ちにんわかあじ)、垣花若按司(かきぬはなわかあじ)、糸数若按司(いちかじわかあじ)、大(うふ)グスク按司が集まって、花嫁を迎えた。
 次の日、台風が来た。島添大里(しましいうふざとぅ)も首里も馬天浜(ばてぃんはま)も大した被害は出なかったので助かった。
 台風が過ぎて、海のうねりも治まった四日後、三姉妹の船が旧港(ジゥガン)(パレンバン)の船と一緒にやって来た。
 ファイチからの知らせを聞いて、サハチは浮島のメイファンの屋敷に向かった。
 メイユーはいなかった。何か事故でもあったのかとサハチは心配したが、メイユーは先月に女の子を産んだとメイファンが言った。
「なに、メイユーが女の子を産んだのか」
 サハチは驚いて、聞き直した。
「可愛い女の子よ。名前はロンジェン(龍剣)よ。メイユーはとても喜んでいたわ。もう子供はできないって諦めていたみたい。でも、按司様(あじぬめー)の子供を産む事ができたって、泣きながら喜んでいたのよ」
「そうか。メイユーが娘を産んだのか‥‥‥名前はロンジェンか‥‥‥それで、メイユーは旧港に行ったのか」
「行ったわ。大きなお腹をして帰って来て、一月後に、無事に産んだのよ」
「そうか。無事でよかった」とサハチは喜び、メイユーが女の子を抱いて笑っている姿を想像した。
 ソンウェイ(松尾)は武装船を奪う事ができなかった。来年こそは持って来ると言って、サハチに謝った。
「無理をしなくてもいい」とサハチは言った。
「ムラカ(マラッカ)まで行って来たのだろう。武装船を奪う暇などあるまい。そのうち、武装船の方からやって来るだろう。そしたら、奪い取ってくれ」
 ソンウェイはうなづいて、「ヂャンサンフォン殿はお元気ですか」と聞いた。
「相変わらず、お元気だよ。俺がヂャンサンフォン殿に会ったのはもう七年前になる。ヂャンサンフォン殿は七年前と少しも変わっていない。周りの者が年を取っても、ヂャンサンフォン殿は五十代のままだ。まさしく仙人だよ」
「また、お世話になります」とワカサが言った。
「よく来てくれました。お礼を申します」
「ヤマトゥに毎年行くのは難しいが、琉球なら毎年行けると言って、王様を説得しました。旧港に来たメイユーの船と一緒に来たのです」
「ヤマトゥに行けば、手続きのために、あちこちで待たされますしね。琉球ならそんな事はありません。ただ、今の時期だと息子さんには会えませんね」
「いえ、それは大丈夫です」とワカサは笑った。
「ササたちはヤマトゥに行っているのですか」とシーハイイェンが聞いた。
「すれ違いになってしまったな」とサハチは言った。
「いいわ。ヂャンサンフォン様の所で修行に励むわ」とシーハイイェンはツァイシーヤオとうなづき合った。
 メイユーの屋敷で歓迎の宴を開いて、サハチはソンウェイからムラカの様子を聞いた。
「噂は色々と聞いていましたが、思っていた以上に栄えていました。わしらがムラカに着いた時には、西の方から来ていた商人たちは帰ったあとでしたが、年々、ムラカに来る商人は増えていると地元の者たちは言っていました。わしらは冬に行って夏に帰って来ますが、西から来た者たちは夏に来て冬に帰って行くようです」
「成程。西から来た商人はムラカで、南蛮(なんばん)や明国の商品を手に入れて帰って行くのだな」
「そうです。そして、西から来た商人が持って来た珍しい品々を、わしらが手に入れて琉球に持って来るというわけです。ムラカまで行かなければ手に入らない物もありますので、それをヤマトゥに持って行けば大層喜ばれる事でしょう」
 現地まで行かなければ手に入らない物があるという言葉が気になった。今はまだ無理でも、十年後には琉球からムラカやジャワに船を出そうとサハチは思った。
「リンジョンチェン(林正賢)は琉球に来ているの?」とメイファンがウニタキに聞いた。
「先月の半ばに来ているよ」とウニタキは答えた。
「湧川大主はリンジョンチェンを迎えてから鬼界島攻めに行ったんだ」
琉球に逃げて来たようね」とメイファンは言った。
「リンジョンチェン、かなりやばそうだわ。永楽帝(えいらくてい)は宦官(かんがん)をよく使うんだけど、リンジョンチェンを捕まえて処刑しろって命じたらしいわ。その宦官が特別に武装した船を作って、リンジョンチェンを追っているみたいなの。それで、リンジョンチェンはしばらく、身を隠すために琉球に来たのよ。帰ったら捕まるかもね」
「お前たちも危険じゃないのか」とウニタキは心配した。
「そうなのよ。リンジョンチェンが捕まるのはいいんだけど、次はあたしたちがやられるかもしれないわ」
永楽帝を敵に回すのは危険だ。危険を感じたら琉球に逃げて来いよ」とサハチは言った。
「それもいいけど、ムラカに拠点を移そうかと考えているのよ。ムラカに行ったメイユーもそれがいいって言うし、今年はあたしがムラカまで行って様子を見て来ようと思っているの」
「そうか。ムラカか。ムラカに移れば永楽帝も追っては来ないな」
「わしもそれがいいと思います」とソンウェイも言った。
 翌日、シーハイイェン、ツァイシーヤオ、シュミンジュンはヂャンサンフォンに会いに与那原(ゆなばる)に行った。リェンリー、ユンロン、スーヨンはチョンチを連れて、佐敷ヌルに会いに島添大里に行った。ワカサも慈恩禅師に会うために一緒に行った。ソンウェイ、ジォンダオウェン、リュウジャジンは荷物の積み卸しの指図をしなければならないと言って、船まで出掛けた。
 ウニタキはメイリンを連れてどこかに行き、ファイチもメイファンとどこかに行った。一人取り残されたサハチは『那覇館(なーふぁかん)』を見に行った。
 今帰仁から嫁いで来たマナビーのために建てた宿泊施設だが、ジャワから来る者たちのために拡張していた。普請(ふしん)も終わって、今、調度類を入れていた。そろそろ、ジャワの船も来るだろうが、何とか間に合いそうなのでサハチは安心した。
 冬から夏に掛けて、ヤマトゥの者たちが来て賑わう浮島もヤマトゥの者たちが帰ると閑散としてしまう。これからは、夏から冬に掛けて、南蛮の者たちが来るので、浮島は一年中、賑わう事になる。サハチは対岸の安里(あさとぅ)を眺めながら、明国で見た石の橋が欲しいと思った。浮島と安里が橋でつながれば、馬に乗ったまま浮島に来られる。いつの日か、橋が架かる事を願いながら、サハチは渡し舟に乗った。
 八月八日、与那原のお祭りがあって、その翌日、ジャワの船が来た。
 思っていたよりも早く着いたとスヒターたちは喜んでいたが、ササがいない事を知らせるとがっかりしていた。『那覇館』で歓迎の宴を開いて、メイファンとメイリンも呼び、与那原にいるシーハイイェンたちも呼んだ。
 サハチは島添大里にいるリェンリーたちを連れて浮島に向かった。サハチたちより先にヂャンサンフォンと一緒にシーハイイェンたちが来ていて、スヒターたちとシーハイイェンたちが睨み合いになったらしい。ヂャンサンフォンが、「お前たちは皆、わしの弟子じゃ。弟子同士の争いは禁止じゃ」と言ったので、お互いに自己紹介して仲よくなったようだった。
 シーハイイェンたちは三度目の琉球だが滞在時間は少なかった。スヒターたちは二度目だが、前回に来た時、二か月近く滞在して、ヂャンサンフォンのもとで一か月の修行を受けていた。
 今回、シーハイイェンたちは一か月の修行の最中だった。ジャワから来た者たちの歓迎の宴に呼ばれたが、修行を途中でやめていいものか迷った。ヂャンサンフォンは修行はいつでもできるが、ジャワの者たちの歓迎の宴は今日だけじゃと言った。シーハイイェンたちは修行を中断してやって来たのだった。ソンウェイも一緒だった。
 シーハイイェンたちとスヒターたちは共通の友達であるササの事を話し合って盛り上がっていた。
「久米村(くみむら)は大忙しです」とファイチ(懐機)がサハチに言った。
 三姉妹たちも旧港の者たちもジャワの者たちも自分たちの食糧は持って来ているが、歓迎の宴と送別の宴の料理はこちらから出さなければならなかった。それらの料理は久米村に任せていた。
「豚(うゎー)を飼育しなければなりません」とファイチは言った。
「南蛮(東南アジア)には仏教や印度教(インドゥきょう)(ヒンドゥー教)、回々教(フイフイきょう)(イスラム教)を信じている者も多くいます。それらの宗教の信者たちは肉は食べません。でも、船乗りたちは明国からの流れ者が多いようです。奴らは豚の肉が好物なのです。琉球に行っても、豚の肉が食べられないと言われたら、誰も琉球に来なくなってしまいます。大量に豚を飼育しなければなりません。久米村だけの力では無理です。中山王にやってもらわなければなりません」
「今回は大丈夫なのか」とサハチは聞いた。
「ピトゥ(イルカ)の塩漬けで何とか代用ができそうです。それと、ザン(ジュゴン)の塩漬けもあるので、今回は何とかなりそうです」
「ピトゥの塩漬けが、こんな所で役に立つとは思わなかったな。来年はもっと買い取ろう。そして、豚の飼育の件は親父と相談して、担当の役人を決めて飼育させるよ」
「お願いします」とファイチは満足そうに笑った。
 ウニタキが来て、「何をお願いしたんだ?」とファイチに聞いた。
「ピトゥの塩漬けが大いに役立ったって言っていたんだよ」とサハチが言った。
「そうか。そいつはよかった。名護按司(なぐあじ)が喜ぶだろう」
 舞台では旅芸人たちが『浦島之子(うらしまぬしぃ)』を演じていた。言葉はわからないだろうが、ジャワの者たちは笑いながら楽しんでいた。
今帰仁で『小松の中将様(くまちぬちゅうじょうさま)』をやったのか」とサハチはウニタキに聞いた。
「ああ、思っていた以上に喜んでくれたよ。明日もやってくれって頼まれて、十日間も今帰仁で毎日、演じていたんだ。グスクにも呼ばれてな、外曲輪(ほかくるわ)という所で演じたよ。山北王は来なかったけど、王妃や側室、子供たちは見ていたようだ。重臣たちの奥方も子供を連れて来ていたよ」
「そうか。大成功だな」
 ウニタキは嬉しそうな顔をしてうなづいて、「今、『かぐや姫』の稽古をしているんだ」と言った。
「『浦島之子』『瓜太郎(ういたるー)』『舜天(しゅんてぃん)』『小松の中将様』、四つもあれば充分だと思ったんだが、『かぐや姫』が見たいという声も多いんだよ。女子(いなぐ)が主役のお芝居も必要だなと思ってな、今、稽古をしているんだ」
「そうか。そういえば、女子が主役のお芝居は『かぐや姫』だけだな。佐敷ヌルに言って、娘たちが憧れるような女子を主役にしたお芝居を作らせよう」
「『小松の中将様』に出てくる『巴御前(とぅむいぬうめー)』や『アキシノ』を主役にしたっていいんじゃないのか」
「それも面白そうだな」とサハチはうなづいた。
「マチルギさんを主役にすればいいんです」とファイチが言った。
「そいつはいい」とウニタキは手を打った。
「マチルギがお芝居になったら、マチルギはまたグスクから出られなくなるぞ」とサハチは言って、首を振った。
「マチルギさんの機嫌が悪くなったらうまくないですね」とファイチは笑った。
 八月十五日、首里と島添大里で十五夜の宴が催された。去年、島添大里グスクで行なわれた宴を手本にして、首里では馬天ヌルと麦屋(いんじゃ)ヌルが中心になって準備を進め、百浦添御殿(むむうらしいうどぅん)の前の御庭(うなー)で行なわれた。
 音楽を担当したのは雅楽所(ががくしょ)の者たちだった。朝鮮(チョソン)の雅楽署(アアッソ)を真似して作った役所だった。馬天ヌルは正月の儀式の時に演奏する者たちを抱えていたが、その者たちを雅楽所に入れて、音楽に専念させたのだった。ヤマトゥの行列で三弦(サンシェン)と太鼓を担当している者も雅楽所に入れた。笛を担当している女子(いなぐ)サムレーたちは、それぞれのお祭りの時、お芝居の音楽も担当するので、雅楽所に入らなかった。馬天ヌルは笛を得意とする者を探して雅楽所に入れた。今はまだいないが、舞姫たちも揃えて、中山王の大事なお客様たちの前で披露しようと馬天ヌルは考えていた。
 雅楽所の者たちが演奏する幻想的な曲に合わせて、ヌルたちが華麗に舞い、首里で最初の十五夜の儀式は大成功に終わった。
 サングルミーが明国に行っていて、二胡(アフー)の演奏が聴けないのは残念だと思紹(ししょう)が満月を見上げながら思っていた時、ファイチがヘグム(奚琴)持って現れた。
 去年の十五夜の宴で、サングルミーの二胡を聴いたファイチは刺激されて、あれから一年、暇さえあればヘグムの稽古に励んでいた。
 思紹はファイチのヘグムに感動した。哀愁を帯びたその調べは、若き日に済州島(チェジュとう)に行った時の事を思い出させてくれた。早田五郎左衛門(そうだごろうざえもん)と一緒に海に潜ってアワビを捕った。島の娘と仲よくなって、その娘がヘグムを弾いていた。悲しい調べで、その調べは済州島の悲しい歴史を物語っていると言っていた。かつては耽羅(タムナ)という王国だったが、高麗(こーれー)に占領され、その後、元(げん)に占領され、元が滅びると倭寇(わこう)が入って来た。よそ者が入って来る度に、島の者たちが大勢殺されたという。あの時の娘は今も元気に生きているだろうか‥‥‥
 ファイチのヘグムのあと、ヂャンサンフォンがテグム(竹の横笛)を披露して、辰阿弥と福寿坊が念仏踊りを演じた。お祭りの時の賑やかな念仏踊りではなく、ゆっくりと念仏を唱え、鉦(かね)や太鼓もゆっくりで、それに合わせて、白い衣装のヌルたちがゆっくりと踊った。幻想的で、十五夜にぴったりの踊りだった。こんな念仏踊りもあるのかと、皆、感心しながら見入っていた。
 島添大里ではサスカサと佐敷ヌルが中心になって準備を進めて、去年以上のものを目指した。
 マチルギは首里の宴に参加しているので、サハチはナツとハルと一緒に一番いい席に座って、宴を楽しんだ。佐敷大親(さしきうふや)夫婦、佐敷の若按司夫婦、平田大親夫婦、手登根大親(てぃりくんうふや)の妻も呼んだ。ウニタキ夫婦もファイチの妻とファイテの妻になったミヨンを連れてやって来た。慈恩禅師もワカサと一緒に来た。兼(かに)グスク按司夫婦も子供たちを連れてやって来た。
 今年もいい満月が出ていた。佐敷ヌルとユリが吹く幻想的な調べに合わせて、サスカサ、佐敷の若ヌル、平田の若ヌル、ギリムイヌルがしなやかに舞い、マカマドゥ(サグルーの妻)、チミー(イハチの妻)、マナビー(チューマチの妻)、マチルー(サハチの次女)が天女のような着物を着て華麗な舞を披露した。
 ギリムイヌルは越来ヌルの新しい名前だった。越来ヌルを越来按司の娘、ハマに譲ったのに、いつまでも越来ヌルのままではおかしいとサスカサと相談して、城下のはずれのギリムイグスク内にある古いウタキを守る事に決まったのだった。
 儀式が終わるとリェンリーの笛に合わせて、ユンロンとスーヨンが明国の舞を披露した。スヒター、シャニー、ラーマの三人娘もジャワの踊りを披露した。聞いた事もない独特な笛の調べに合わせて、独特な踊りを踊っていた。笛を吹いていたのは佐敷ヌルで、スヒターたちから教わったのだろうが、見事なものだった。
 シーハイイェンとツァイシーヤオも負けるものかとミヨンの三弦に合わせて歌を歌った。歌詞の意味はわからないが月夜にぴったりな美しい歌だった。
 サハチもウニタキも今回は演奏はしないで、みんなの芸を楽しんで観ていた。
 十五夜の宴のあと、サハチとファイチは九月に送る進貢船(しんくんしん)の準備で忙しくなった。ウニタキはヤンバルに行く事もなく、メイリンと楽しくやっているようだった。メイユーが娘を産んだのは嬉しいが、会えないのは寂しかった。
 首里に帰って来て『かぐや姫』の稽古をしていた旅芸人たちは、平田のお祭りで『かぐや姫』を演じて、その二日後、キラマの島に行って、修行者たちにお芝居を観せて喜ばれた。キラマの島にはウニタキ、メイリン、メイファン、シーハイイェンたち、スヒターたちも一緒に行って、楽しく過ごしたようだ。
 ウニタキたちがキラマの島に行った翌日、二月に行った進貢船が無事に帰って来た。永楽帝がまた順天府(じゅんてんふ)(北京)に行ったので、順天府まで行って来たと正使のサングルミーは言った。イハチもクグルー、シタルーと一緒に順天府まで行って来たという。順天府は遠かったとイハチは言って、明国というのは、琉球にいたら想像もできないほど大きな国だったとしみじみと言った。
 その二日後、今年二度目の進貢船が出帆して行った。その船にはチューマチが乗っていて、チューマチもイハチと同じように驚いて帰って来るだろう。

 

 

 

古月琴坊 黒檀二胡 ER-800