長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

2-133.裏の裏(改訂決定稿)

 島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスクが他魯毎(たるむい)(豊見グスクの山南王)の兵に包囲された日の翌朝、信じられない事が起きていた。
 グスク内に閉じ込められているはずの按司たちが兵を率いて、昨日の早朝と同じように攻めて来たのだった。他魯毎の兵たちは見張りの者を除いて、皆、安心して眠っていた。見張りの者たちもグスクの方を見ているので、近づいて来る敵には気づかなかった。
 法螺貝(ほらがい)が鳴り響いて、何事だと驚いた時には、すでに敵の先鋒が攻めて来ていた。武装もしていない他魯毎の兵たちは戦うどころではなく、混乱に陥って、我先にと逃げ散って行った。討ち取られた兵は二百人近くにも及び、あちこちに無残な姿をさらしていた。


 その頃、八重瀬(えーじ)グスクを攻めた東方(あがりかた)の按司たちの兵が具志頭(ぐしちゃん)グスクを包囲していた。
 サハチ(中山王世子、島添大里按司)が指揮を執って、マチルギと馬天(ばてぃん)ヌル、イハチ(サハチの三男)とチミーの夫婦も加わっていた。具志頭グスクは崖の上にあって、おまけにグスクを囲むように川が流れていて、容易に落とせるグスクではなかった。
 豊見(とぅゆみ)グスク攻めで、抜け穴に入って行った具志頭按司と五十人の兵が戦死して、以後、喪(も)に服していて戦(いくさ)には参加していない。百人前後の兵でグスクの守りを固めているはずだった。
 馬天ヌルとマチルギとチミーが馬に乗って大御門(うふうじょー)(正門)の前に進み出た。
 大御門の上の櫓(やぐら)から守備兵が見ていたが、弓は構えていなかった。
「奥方様(うなじゃら)(ナカー)にお話があるの。出て来てくれないかしら」とマチルギが言った。
 しばらくして大御門が開いて、馬に乗ったナカーと具志頭ヌルが現れた。
 五人は馬上で四半時(しはんとき)(三十分)近く話し合っていた。
 ようやく戻って来たマチルギは、
「長老と相談してから答えを出すって言ったけど、長老はチミーを可愛がっていたので、大丈夫だろうって言っていたわ」とサハチに言った。
「イハチを具志頭按司にするって言ったら驚いていたわ。そう言ったら二人の顔色も和らいで、話はうまく行きそうよ。それと、按司の母親が亡くなったらしいわ」と馬天ヌルは言った。
按司の母親というのはヤフスの奥さんだった女だな?」
「そうよ。タブチ(先代八重瀬按司)に頼み込んで、先代の按司を倒して、息子を按司にした母親よ。息子の戦死を聞いて、頭がおかしくなってしまったみたい。グスクの石垣から飛び降りて亡くなったらしいわ」
「そんな事があったのか。ところで、長老というのは誰なんだ?」
「チミーのお父さんの叔父さんよ。もう八十を過ぎているらしいわ」とマチルギが答えた。
「その長老次第というわけか。その長老にも息子はいるんだろう」
「息子は戦死して、孫がサムレー大将を務めているらしいわ」
「その孫が邪魔しなければいいんだがな」と言って、サハチは空を見上げた。
 サシバが鳴きながら飛んでいた
 長老の許しが出て、具志頭グスクは開城した。まず、グスク内に避難していた城下の人たちが解放された。城下の人たちはチミーを見ると、「お嬢様(とーとーぐゎー)が帰っていらした」と皆が嬉しそうな顔をした。
 城下の人たちが出たあと、守りを固めていた兵たちが武器を手放して、二の曲輪(くるわ)に整列した。百人余りの兵の見守る中、サハチはイハチとチミー、馬天ヌルとマチルギだけを連れて、具志頭ヌルの案内で、一の曲輪の屋敷に入った。
 屋敷の中で長老が待っていた。
「寄立大主(ゆったちうふぬし)でござる」と長老は低い声で言って頭を下げた。
 八十歳を過ぎているとはいえ、武将としての貫禄があった。
「わしの親父と兄貴は中山王(ちゅうざんおう)の察度(さとぅ)に殺された」と長老は言った。
「わしの妻の親父は八重瀬按司だった。与座按司(ゆざあじ)だった汪英紫(おーえーじ)に、義父も甥の若按司も殺された。わしの倅も汪英紫に殺されたんじゃよ」
 長老はそう言って、昔を思い出しているのか宙をぼんやりと見ていた。
「辛い事や悲しい事があると、わしは馬天浜に行ったんじゃよ」
「えっ!」とサハチは驚いて、馬天ヌルと顔を見合わせた。
 マチルギも驚いた顔して長老を見ていた。
「サミガー大主(うふぬし)に会いに行ったんじゃ。海を見ながら一緒に酒を飲むと、なぜか、心が落ち着いたんじゃよ」
「父を御存じだったのですか」と馬天ヌルが聞いた。
「そなたが五、六歳の頃に会っているはずじゃ。可愛い女の子じゃった。今でも美人(ちゅらー)じゃのう。わしは三男だったので、フラフラとあちこちに行って、馬天浜でサミガー大主と出会ったんじゃよ。その頃、美里之子(んざとぅぬしぃ)も馬天浜にいて、三人で将来の夢など語り合ったものじゃった。風の噂で、サミガー大主の倅が佐敷按司になったと聞いた時も、驚いて会いに行った。サミガー大主の孫のそなたが島添大里按司(しましいうふざとぅあじ)になったと聞いた時には本当に驚いた。その時の島添大里按司はヤフスじゃった。ヤフスが婿養子として具志頭に入って来てから、ここはおかしくなってしまったんじゃ。そなたがヤフスを討ってくれたと聞いて、わしは大喜びしたんじゃよ。しかし、ヤフスの子供がグスク内にいて、災いを呼び込んでしまった。その子供も戦死して、具志頭もやっと元に戻れるじゃろう。サミガー大主の曽孫(ひまご)であるチミーの婿殿を歓迎する。具志頭を以前のように繁栄させてくれ」
 馬天ヌルは両手を合わせてお礼を言った。父のサミガー大主がこんな所で活躍するなんて思ってもいなかった。サハチも祖父に感謝していた。
 長老が家臣たちにイハチを按司として迎えると言ったので、反対する重臣たちはいなかった。うまく行ってよかったとサハチたちは一安心した。
 驚いたのはチミーの人気だった。チミーが家臣たちの前で挨拶をすると皆が大喜びして、お嬢様と叫んでいた。チミーが戻ってくれた事をみんなが喜んでいた。そんなチミーを見ながら、イハチも按司になる決心を固めているようだった。
 具志頭の家臣たちはそのままで、重臣として首里(すい)のサムレー大将だった兼久親方(かにくうやかた)をイハチの補佐役に付ける事と、女子(いなぐ)サムレー十八人を入れる事を条件に出して受け入れてもらった。まだ二十歳のイハチには按司という地位は重荷かもしれないが、立派にやり遂げてほしいとサハチとマチルギは願った。
 その夜、懇親(こんしん)の宴(うたげ)が開かれて、具志頭の重臣たちと東方の按司たちは仲よく酒を酌み交わした。
 ナカーの話だと、ナカーの夫だった具志頭按司の二人の妹が、山グスク大主(先代真壁按司)と中座大主(先代玻名グスク按司)の妻になっているという。島添大里按司の息子が具志頭按司になったと聞いたら、攻めて来るかもしれないと心配した。
「このグスクはそう簡単には落とせないから大丈夫だろうが、敵に内通する者が現れるかもしれない。米須(くみし)や玻名(はな)グスク、真壁(まかび)とつながりのある者たちは注意した方がいい」とサハチは助言した。
 ナカーはうなづいて、「一人一人調べて、危険な者は出て行ってもらうようにします」と言った。
「あたしも手伝うわ」とマチルギはナカーを見て、うなづいた。


 島尻大里グスクでも戦勝祝いの宴が開かれていた。山南王(さんなんおう)就任の儀式の時は皆、偽者だったので、本物の按司たちが揃って祝い酒を楽しんでいた。
「今回の勝ち戦(いくさ)はすべて、慶留(ぎる)ヌルのお陰じゃのう」と摩文仁(まぶい)(島尻大里の山南王)が機嫌よく笑って慶留ヌルを見た。
 慶留ヌルは島尻大里ヌル(先代米須ヌル)と真壁ヌルと一緒にいた。
「十年以上もこのグスクにいるが、抜け穴があったなんて、まったく知らなかったのう」と新垣按司(あらかきあじ)が言った。
「わたしもすっかり忘れていたのです」と慶留ヌルは言った。
「きっと、先代の山南王(シタルー)が塞いでしまったものと思っておりました。二の曲輪の隅にあるウタキ(御嶽)にお祈りした時、ふと思い出して、ウタキの裏に行ってみたのです。まったく当時のままでした。伯父(汪英紫)が亡くなってから誰も触っていないように思えました。もしかしたら抜け穴はまだ生きているのかもしれないと思って、真壁殿に知らせたのです」
「しかし、あのウタキが偽物だったとは驚いたのう」と真栄里按司(めーざとぅあじ)が言った。
「先代のヌルが、このグスクの守り神だと言って、毎朝、拝んでいたからのう」
「わたしがそのように教えたのです」と慶留ヌルは言った。
「伯父はあそこに物見櫓(ものみやぐら)を建てるつもりだったのです。柱を立てるために穴を掘ったら大きなガマ(洞窟)にぶつかって、そのガマを調べたら抜け穴として使える事がわかったのです。石垣の向こう側、東曲輪(あがりくるわ)にウタキがあるので、そこのウタキとつながっているように装って、大きな石を置いてウタキにしたのです」
「その細工をした者は殺されたのか」
「いえ、伯父が信頼していた大工です。幸い、普請(ふしん)が始まる前に発見したので、その大工しか知りません。伯父はその大工と二人だけでガマを調べて抜け穴にしたのです。その大工は伯父が亡くなる以前に亡くなりました。抜け穴の事を知っているのは伯父とわたしの二人だけになりましたが、伯父が亡くなる時、当然、息子たちに伝えたと思っておりました。先代の山南王は警戒心が強いので、危険な抜け穴は塞いでしまったものと思っておりました」
「抜け穴がある限り、わしらをここに閉じ込める事はできん」と摩文仁は楽しそうに笑った。
「真壁殿、よいヌルを側室に迎えたのう」と新垣按司が真壁按司を見た。
「わしもつい最近まで知らなかったんじゃ」と山グスク大主(うふぬし)が言った。
「わしが隠居した時に、初めて教えてくれたんじゃよ。倅は義弟の与座按司に会いに与座によく行っていた。余程、馬が合うのだろうと思っていたら、与座ではなく、慶留に行っていたとはのう。しかも、二人も子供がいると聞いて本当に驚いた。わしの姉の名嘉真(なかま)ヌルに慶留ヌルの事を聞いたら、姉は倅と慶留ヌルの関係を知っていて、子供たちがよく遊びに来ていたと言った。まったく、わしだけのけ者にされておったんじゃよ。倅が慶留ヌルといい仲になったお陰で、今回の戦に勝った。わしは倅の奴を見直したぞ」
「慶留ヌルは先代の王様(うしゅがなしめー)の従妹(いとこ)でしたから、知られたら一大事になると思って隠していたのです」と真壁按司は言った。
「慶留ヌルも慶留から離れたくないと言うし、俺が通って行けばいいと思って、通い続けて、早いもので十年余りが過ぎました。王様が突然、亡くなって、摩文仁殿が王様になって、慶留ヌルがそれを助けてくれるなんて、夢にも思っていませんでした」
「新垣殿も真栄平(めーでーら)ヌルを側室に迎えておるのう。先代の王様は座波(ざーわ)ヌルを側室にしておったし、賀数大親(かかじうふや)は大村渠(うふんだかり)ヌルを側室にしておる。そう言えば、大村渠ヌルはどうしたんじゃ。顔が見えんようじゃが」と真栄里按司が誰にともなく聞いた。
「前回の宴の時、按司たちが皆、偽者じゃと気づいてしまったんで、蔵に閉じ込めてある」と摩文仁が言った。
「いくら敵になったとはいえ、大村渠ヌルはそなたの姪じゃろう。あの時、閉じ込めたのなら、抜け穴の事は知るまい。返してやったらどうじゃ。ヌルを干し殺しにしたら祟(たた)られるぞ」
「そうじゃのう。賀数大親に返してやるか。それより、テハの配下の者たちはまだ見つからんのか」
「テハとの連絡をしていた侍女は見当たりません。すでに出て行ったと思われます」と波平按司(はんじゃあじ)が答えた。
「それと、御内原(うーちばる)にいた侍女と城女(ぐすくんちゅ)がいると思われますが、誰だかわかりません。側室たちがほとんど出て行ったので、テハの配下も一緒に出て行ったのかもしれません」
「テハは王様の側室たちを見張っていたのか」と摩文仁は聞いた。
「中山王から贈られた側室、八重瀬按司から贈られた側室、ヤンバル(琉球北部)の材木屋から贈られた側室がおりました。一緒に来た侍女たちが怪しい動きをしないか見張っていたのです」
「成程な。もし、テハの配下が残っていて、抜け穴の事を知らせたら大変な事になる。抜け穴の入り口は厳重に見張っておけよ」
「かしこまりました」と波平按司はうなづいた。
「戦が終わったら、そなたも若い側室たちに囲まれて暮らす事になるのう」と中座大主が羨ましそうな顔をして摩文仁に言った。
「贈られて来るものを送り返すわけにも行くまい」と摩文仁はニヤニヤと笑った。
 一旦、城下に戻って、着替えて来た『若夏楼(わかなちるー)』の遊女(じゅり)たちが賑やかに登場して、宴は華やかになっていった。
 摩文仁の次男の摩文仁按司が来て、八重瀬グスクが炎上して、タブチが戦死した事を伝えた。
「何じゃと?」と摩文仁は驚いた顔して息子を見つめた。
「どうして、タブチが八重瀬グスクにいるんじゃ。どこかの島に逃げたのではないのか」
「俺もわけがわからなかったので、城下の者たちに聞いてみたのです。タブチが山南王を辞めた事を知った東方の按司たちは、長嶺(ながんみ)グスクの包囲をやめて撤収しました。すると、なぜか、八重瀬グスクを攻めていた兼(かに)グスク按司(ジャナムイ)と瀬長按司(しながあじ)も撤収したようです」
「なぜ、撤収したんじゃ?」
 摩文仁按司は首を傾げて、「わかりません」と言った。
「グスクを包囲していた敵がいなくなったので、タブチは八重瀬グスクに戻ったようです。八重瀬グスクにいたチヌムイを連れに戻ったのか、何か忘れ物でも取りに行ったのかわかりませんが、グスクから出る前に、東方の按司たちが八重瀬グスクに攻めて来たようです。タブチの長男の八重瀬按司はグスクを開城すると言って、城下の人たちや家臣や侍女たちを解放して、その後、東方の按司たちと戦って破れ、屋敷に火を放って戦死したようです」
「東方の按司たちはどうして八重瀬グスクを攻めたんじゃ。仲間ではないのか」
「騒ぎを起こした者たちを東方の按司たちが退治すると言っています。八重瀬、具志頭、玻名グスク、米須、真壁と攻めて行くようです」
「何じゃと? 米須も攻めるじゃと?」
「どうも、その事で、他魯毎と手を打って、八重瀬攻めから手を引かせたようです。タブチが戦死したのは、丁度、山南王の就任の儀式があった日で、すでに新しい按司も決まっていました」
「誰が八重瀬按司になるんじゃ?」
「島添大里按司の弟の与那原大親(ゆなばるうふや)です。与那原大親の妻はタブチの娘で、新(あら)グスク按司の姉なので、すんなり決まったようです」
「中山王の倅が八重瀬按司になったのか。くそっ、タブチがいなくなって、八重瀬グスクが中山王の物となるとはのう。具志頭グスクは何としても守らなくてはならん。とりあえずは、お前と中座按司が明日の朝、具志頭に向かって守りを固め、東方の按司たちから守れ。すぐに救援を送って、奴らを追い返してやる」
「わかりました」と摩文仁按司はうなづいて、父が注いでくれた祝い酒を一息に飲んで、嬉しそうに笑った。


 翌日、摩文仁按司と中座按司が兵を率いて具志頭グスクに行った時、グスクには中山王の家紋『三つ巴』の旗がいくつもなびいていて、守っているのは東方の兵たちだった。百人の兵ではとても戦えないと摩文仁按司と中座按司は玻名グスクまで退却した。
 具志頭グスクの戦後処理を終えたサハチは報告のために首里に戻って、島尻大里グスクの包囲陣が壊滅した事を知って驚いた。
「信じられん。一体、何が起こったのです?」とサハチは思紹(ししょう)(中山王)とファイチ(懐機)に聞いた。
「どうも、抜け穴があったようじゃ」と思紹が言った。
「シタルーがまた抜け穴を造ったのですか」
「シタルーではなく、親父の汪英紫かもしれません。でも、摩文仁がどうして抜け穴の事を知ったのか。それが不思議です」とファイチが首を傾げた。
「誰が造ったにしろ、抜け穴があるという事は、奴らを閉じ込める事はできんという事じゃ。玻名グスク攻めは厳しい戦になりそうじゃ」と思紹は言った。
 具志頭グスクを奪われた事を知った摩文仁は今頃、玻名グスクの守りを固めているに違いなかった。
 具志頭グスクは、サミガー大主のお陰でうまくいったとサハチが話していると、ヤマトゥ(日本)から交易船が帰って来たと麦屋(いんじゃ)ヌル(先代与論ヌル)が知らせに来た。
 皆、驚いた顔で麦屋ヌルを見た。いつもより一か月近くも早い帰国だった。
伊平屋島(いひゃじま)の我喜屋大主(がんじゃうふぬし)からの知らせです。まもなく、浮島(那覇)に着くようです」
 サハチはファイチと一緒に浮島に向かった。
 すでに多くの人たちが集まっていて、サハチたちが浮島に着いた頃、小舟(さぷに)による上陸が始まっていた。
 ササたちが小舟から降りて来て、サハチの所に駆け寄って来た。
「戦(いくさ)が始まったのね?」とササはサハチに聞いた。
「早耳だな。南部で戦をやっている」
「山南王が亡くなったのは本当だったのですね」とカナ(浦添ヌル)が聞いた。
伊平屋島でも噂になっているのか」とサハチが聞くと、
「あたし、山南王がチヌムイに斬られる場面を対馬(つしま)で見たの。それで、早く帰って来たのよ」とササが言った。
「そうだったのか。それで早く帰って来たのか。お前、チヌムイを知っていたのか」
首里や佐敷のお祭りに、八重瀬の若ヌルと一緒によく来ていたわ。ンマムイの兼グスクに行った時にも会ったわ。それで、チヌムイは無事なの?」
「無事だよ。若ヌルもな」
「もしかして、山南王はチヌムイの敵(かたき)だったの?」
 サハチはうなづいて、「話が長くなるから今晩、詳しく話すよ」と言った。
「今年もお土産があるわよ」と言って、ササは福寿坊(ふくじゅぼう)と一緒にいる僧侶を指差した。
「呑兵衛(のんべえ)のお医者さんよ。無精庵(ぶしょうあん)ていうの。腕は確かだわ」
「なに、医者を連れて来たのか。ありがとう」
 サハチはササにお礼を言って無精庵を見た。名前の通りに見た目を気にするような人ではなさそうだが、何となく親しみのある顔付きで、腕のある医者のような気がした。
「今回の旅はまったくついていなかったわ。ついていたのはカナだけよ」とササはカナを見て苦笑した。
 総責任者の手登根大親(てぃりくんうふや)(クルー)、正使のジクー(慈空)禅師、副使のクルシ(黒瀬大親)、サムレー大将の宜野湾親方(ぎぬわんうやかた)と小谷之子(うくくぬしぃ)、女子サムレーの隊長のカナビー、福寿坊、皆、元気に帰って来た。
「御苦労だった」とサハチはクルーをねぎらった。
「見事な七重の塔を見てきました。前回行った時はまだ普請中だったので、完成した姿を見たかったのです。凄かったです」
「登ったか」とサハチが聞くと、嬉しそうな顔をしてうなづいて、「高橋殿が連れて行ってくれました」と言った。
 ジクー禅師とクルシにお礼を言っているとマグルーが現れた。シンゴ(早田新五郎)の船で帰って来るはずのマグルーとサングルーとクレーも一緒に帰って来た。
「いい旅でした」とマグルーが嬉しそうに言った。
「そうか。お前の留守中、色々とあってな。お前のお嫁さんが決まったんだ」
「えっ!」とマグルーは驚いた。
「今晩、詳しく教える」
 マグルーは何か言いたそうだったが、何も言わなかった。
 会同館での帰国祝いの宴で、サハチはササから高橋殿の父親、道阿弥(どうあみ)が亡くなった事を知らされた。ササは道阿弥の猿楽(さるがく)を観たようだが、サハチは観ていなかった。高橋殿が得意とする『天女の舞』は道阿弥が作ったという。亡くなる前に一度観てみたかったと思った。
「御台所様(みだいどころさま)のお腹が大きかったので、今年は遠出はしなかったの。でも、京都の街中を歩き回ったのよ。古い都だけあって、色々な神様に会って来たわ。それに、京都に行く前、備前(びぜん)の児島(こじま)で、英祖(えいそ)様のお父様も見つけられたのよ。ユンヌ姫様と一緒に琉球に来て、伊祖(いーじゅ)ヌル様と会っているはずだわ」
「そうか。カナの頼まれ事も解決したのか」
 そう言ってサハチはササを見た。来年はもうヤマトゥに行かないかもしれないと思った。
「また大きな台風が来てね、京都は大変だったのよ。梅雨に雨が降らなくて、あちこちで雨乞いの祈祷(きとう)をしていたわ。台風が来て大雨を降らせたのはいいんだけど、あちこちで川が氾濫して、多くの人が流されてしまったのよ。避難民たちの炊き出しで大忙しだったわ」
「炊き出しを手伝っていたのか」
「当然よ。高橋殿と一緒に避難民たちのお世話をしていたの。スサノオの神様も出雲(いづも)の方に行っていて留守だったんだけど、台風のあとに帰って来てね、助けてくれたわ」
スサノオの神様が何を助けたんだ?」
「京都中の神様に命令したみたい。困っている人たちを助けなさいって。神様のお告げがあったと言って、どこの神社も進んで食糧を出すようになったのよ。お告げがなかったら、きっと隠していたに違いないわ。慈恩禅師(じおんぜんじ)様が言っていたけど、仏教も神道(しんとう)も組織ができると、その組織を守ろうとして、仏様や神様の事は二の次になってしまって、だんだんとその組織は腐ってしまうんですって。京都のお寺や神社は古いから、その組織はみんな腐っているのよ。組織の上の者たちが手に入れた富を手放そうとしないんだわ」
「組織は腐るか‥‥‥慈恩禅師殿がそんな事を言っていたのか」
「無精庵様なんだけどね、慈恩禅師様の知り合いなのよ」
「なに、弟子なのか」
「お弟子じゃないみたい。昔、一緒に旅をしたらしいわ。慈恩禅師様のお話をしたら懐かしがって琉球まで来たのよ」
「そうだったのか」
「台風の避難民たちを助けている時に出会ってね、昔は将軍様にも仕えていた名医だったらしいわ。高橋殿も知っていて、その変わり様に驚いていたわ。奥さんが悪い病に罹ってね、それを治す事ができなかったからって、お医者を辞めてしまって、お酒浸りの日々を過ごしていたらしいわ。そんな時、慈恩禅師様と出会って、一緒に旅をして立ち直ったみたい。また、お医者に戻ったけど、偉い人たちには近づかないで、庶民たちの病や怪我を治しているのよ」
「そうか」と言って、サハチはジクー禅師とクルシと一緒に楽しそうに酒を飲んでいる無精庵を見た。本当にうまそうに酒を飲んでいた。
「いい人を連れて来てくれた。ありがとう」
 留守中に旧港(ジゥガン)(パレンバン)のシーハイイェン(施海燕)たち、ジャワ(インドネシア)のスヒターたちが来た事を教えると、ササたちは会いたかったわねと悔しがった。
 サハチはササたちに今の状況を説明した。
「えっ、サグルーが与那原大親になるの?」とササは驚いた。
「サムレー大将はジルムイ、マウシ、シラーの三人だ」
「えっ、あの三人がサムレー大将? 大丈夫かしら」と心配したあと、「ねえ、あたしたちも与那原に行こうかしら」とササはシンシンとナナの顔を見た。
「面白そうね」とナナが言った。
「行きましょうよ」とシンシンが笑った。
「お前たちが与那原に行ったら、佐敷はどうする?」
「マチ(佐敷若ヌル)がいるから大丈夫よ。ファイリン(懐玲)もいるし、それに、あたしのガーラダマ(勾玉)は運玉森(うんたまむい)ヌルのガーラダマよ。運玉森にいるのが当たり前なのよ。あれ、あたし、チチーを運玉森ヌルに育てなければならないんだけど、チチーは八重瀬ヌルになっちゃうの? サグルーにはまだ娘はいないし、誰が運玉森ヌルになるの?」
「ヌルの事は運玉森ヌル(先代サスカサ)様と相談しろよ」とササに言って、サハチはマグルーの所に行った。
 マグルーはマチルギと馬天ヌルに旅の話をしていた。マチルギと馬天ヌルも具志頭の家臣たちの身元調べが終わって、首里に戻っていた。
「半数近くの者が具志頭グスクから出て行く事になりそうだわ」とマチルギは言った。
「そうか、仕方がないよ」とサハチは言ってから、「お嫁さんの事は話したのか」と聞くと、「まだよ」とマチルギは首を振った。
「お嫁さんの事なんですけど」とマグルーは言って、少し口ごもり、「実は好きな人がいるんです」と言った。
「相手の気持ちはまだわからないんですけど」
「あら、そんな人がいたの?」とマチルギはとぼけた。
「ヤマトゥ旅に出る前に、待っていてくれって言ったんですけど、半年も待っていたかどうかはわかりません」
「何だ、自信がないのか」とサハチは聞いた。
「だって、相手は有名な美人(ちゅらー)だし‥‥‥」
「大丈夫よ」とマチルギは笑った。
「ちゃんと、あなたの無事を祈りながら待っていたわ」
「えっ!」とマグルーは驚いた顔して母親を見た。
「誰だか知っているんですか」
 サハチが手を上げた。ンマムイ(兼グスク按司)がマウミを連れて入って来た。
「花嫁の御入来だ」とサハチが言って、マウミの方に手を差し出した。
 サハチの手の先の方を見たマグルーは目を丸くして、マウミを見つめた。
「本当にマウミが俺の花嫁に‥‥‥」
 サハチとマチルギは笑ってうなづいた。
 指笛が鳴り響いた。拍手が沸き起こった。会場にいる皆がマグルーとマウミを見て祝福してくれた。
「お帰りなさい」とマウミが言った。
「ただいま」とマグルーが言った。
 二人はじっと見つめ合っていた。二人の目はあまりの嬉しさで涙に濡れていた。
「話したい事がいっぱいあるだろう。二人で庭でも散歩してこい」とサハチが言った。
 マグルーとマウミはみんなに頭を下げて、仲よく出て行った。
「あなたがヤマトゥから帰って来た時の事を思い出したわ」とマチルギが言った。
「あの時、お前がいたので驚いた。でも、馬天ヌルと佐敷ヌルと一緒にいる姿が、当たり前のように目に映ったんだ。二人で馬天浜を歩きながら話をしたっけな」
「あなたは大きくなってヤマトゥから帰って来たわ。マグルーもきっと大きくなっているはずだわ」
「マグルーは大きくなって帰って来ましたよ」とンマムイが言った。
「一寸(約三センチ)は伸びたんじゃないですか」
 サハチとマチルギはンマムイを見て笑った。

 

 

 

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