長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部はその後の尚巴志の活躍です。お楽しみください。

2-163.スタタンのボウ(第二稿)

 十日間、滞在したミャーク(宮古島)をあとにして、ササたちを乗せた愛洲次郎(あいすじるー)の船はイシャナギ島(石垣島)を目指していた。
 クマラパと娘のタマミガが一緒に来てくれた。さらに、何度もターカウ(台湾の高雄)に行っているムカラーいう船乗りが野崎(ぬざき)(久松)から来て、乗ってくれたので心強かった。ムカラーはヤマトゥの言葉がしゃべれて、二代目のキクチ殿とも親しいという。狩俣(かずまた)生まれで、クマラパの武芸の弟子だった。
 与那覇勢頭(ゆなぱしず)から二十年前に琉球に行った八重山(やいま)の首長たちの事も聞いていた。多良間島(たらまじま)からはスタタンのボウという女按司(みどぅんあず)が行き、イシャナギ島(石垣島)からは平久保按司(ぺーくばーず)、仲間按司(なかまーず)、名蔵(のーら)の女按司、石城按司(いしすかーず)、富崎按司(ふさぎゃーず)、登野城(とぅぬすく)の女按司、新城(あらすく)の女按司、七人も行ったという。タキドゥン島(竹富島)からはタキドゥン按司、クン島(西表島)からは古見按司(くんあず)が行った。ドゥナン島(与那国島)からは女按司のサンアイ按司が行き、パティローマ島(波照間島)からはマシュク按司が行った。イシャナギ島の新城の女按司はすでに亡くなってしまったが、ほかの按司たちは琉球との交易が終わったあとも、ターカウやトンド(マニラ)にも行っているらしい。
 ササたちは多良間島に寄ってスタタンのボウと会い、イシャナギ島に行ってマッサビとウムトゥ姫に会い、タキドゥン島に行って琉球から来たというのタキドゥン按司と会い、クン島に寄って、ドゥナン島に行き、そこから黒潮を越えてターカウに行くという計画を立てた。できれば、トンドにも行ってみたいが、それはターカウまで行ってから決めるつもりだった。
 八重山では九月から二月まで北東の風が吹いているので焦る必要はなかった。帰りは南西の風が吹く四月まで、ターカウで待たなくてはならない。あまり早く行っても仕方がないので、気に入った場所で長期滞在するつもりだった。ミャークの人たちと仲よくなったので、もう少し滞在してもよかったのだが、早く知らない島を見てみたいと気がはやって、ミャークを船出したのだった。
 白浜(すすぅばま)から珊瑚礁(さんごしょう)に気をつけながら、船は南下して行った。白浜を過ぎると高く険しい崖がずっと続いていて、高台の上に建つ高腰(たかうす)グスクと野城(ぬすく)が見えた。少し飛び出た崖の上にあるアラウスのウタキとアマミキヨ様が上陸した砂浜も見えた。海から見るとその砂浜は神々しく感じられた。
 細長く飛び出した百名崎(ぴゃんなざき)(東平安名崎)とパナリ干瀬(びし)の間を抜けて、百名崎を越えて西に向かった。島の南側も高い崖が続いていて、その崖を乗り越えた大津波の凄まじさを改めて感じた。
 その日は赤崎ウタキと対岸にある来間島(くりまじま)の間に船を泊めた。
 来間島を眺めながら、「来間島のウプンマの娘、インミガに会いたいわ」とタマミガが言ったら、
「インミガはわたしの子孫です」と赤名姫の声が聞こえた。
「もしかして、赤名姫様の娘さんがあの島に行ったのですか」とササは赤名姫に聞いた。
「そうです。ミャークが見える高台の上に、娘の来間姫のウタキがあります」
 挨拶に行かなければならないとササ、シンシン、ナナ、安須森(あしむい)ヌル、クマラパの五人がタマミガと一緒に小舟(さぶに)に乗って来間島に上陸した。
 来間島のミャーク側は崖が続いていて岩場が多く、小さな砂浜から上陸した。細い道を登って崖の上に出ると集落が見えた。この辺りだけが高くなっていて、あとは平らな島だった。きっと、この島も大津波で全滅したに違いないとササたちは思った。
 坂道を下りて集落に入ってウプンマの家に行った。ウプンマは野崎に行っていて、娘のインミガが留守番をしていた。インミガはタマミガと同い年で、八年前に一緒に池間島(いきゃまじま)に行き、その時、仲よくなったという。インミガはタマミガの突然の来訪に驚いて喜び、ササたちが琉球から来たと聞いてさらに驚いた。
 琉球から王様の娘がミャークに来ているという噂はインミガも聞いていたが、まさか、来間島に来るとは思ってもいなかった。インミガは島人(しまんちゅ)たちを集めて、ササたちを大歓迎した。島人たちが小舟を出して、愛洲次郎たちや若ヌルたちも呼ばれて歓迎を受けた。
 インミガの案内で坂道を登って森の中にあるウタキに行き、ササたちは来間姫と会った。
 母親の赤名姫が一緒なので、来間姫は喜んで昔の事を話してくれた。
 一千年前の大津波の時、来間島は全滅して、兄と妹の二人だけがこの高台に逃げて助かったという。来間姫がこの島に来たのは、大津波から百五十年ほど経った頃で、兄妹の子孫たちが暮らしていた。来間姫は島の男と結ばれて子孫を増やしていった。
 三百年前の大津波の時も来間島は全滅したが、その時は高台に登って助かった者たちが十数人いた。来間姫の子孫のウプンマも助かった。来間島から野崎に養子に行っていた三兄弟が戻って来て、ウプンマを助けて島の再建をした。野崎も津波で全滅したが、三兄弟は大嶽(うぷたき)で木を伐っていたので助かった。野崎に帰ると家々は倒れ、住んでいた人たちは誰もいなかった。打ち上げられた小舟を見つけ、それに乗って故郷の来間島に帰って来たのだった。ウプンマは三兄弟の長兄と結ばれて、その子孫がインミガだった。
 来間姫は母親と一緒にスサノオの神様がいたので大声を上げて驚いていた。噂に聞いていた御先祖様が来間島に来るなんて信じられないと言っていた。来間姫がスサノオの神様に色々と聞き始めたので、ササたちはお祈りを終えてウタキを出た。
 ササたちは船から持って来たヤマトゥの酒を島人たちに振る舞い、島人たちは捕り立てのザン(ジュゴン)の肉の入った汁で持て成してくれた。干し肉とは全然違って、捕り立てのザンの肉はとてもおいしかった。焼いたサシバの肉も出てきたのでササたちは驚いた。恐る恐る食べてみるとわりとおいしかった。でも、サシバを捕まえて食べようとまでは思わなかった。
 翌日、来間島の島人たちと別れて、多良間島へと向かった。風に恵まれて船は気持ちよく走ったが、思っていたよりも波が高く、船は大揺れした。キャーキャー騒いでいた若ヌルたちは船室に籠もって、青白い顔でお祈りをしていた。
 島が近づくと波も穏やかになって、若ヌルたちも甲板に出て来て騒ぎ始めた。多良間島もミャークと同じように平らな島だった。
「あの島の女按司(みどぅんあず)、スタタンのボウはわしの弟子なんじゃよ」とクマラパが言った。
多良間島はミャークと八重山の中間にあるので、ミャークから八重山に行く船、八重山からミャークに行く船が必ず立ち寄る島なんじゃ。わしが初めてあの島に行ったのは、ウプラタス按司と一緒に明国の様子を見に行く時じゃった。ボウはまだ十歳の目の大きな可愛い娘じゃった。その時、天気が悪くて、十日ほど島に滞在したんじゃが、わしが若い者たちに棒術を教えるのを見ていて、習いたいと言い出した。わしは基本を教えてやったんじゃ。それから七年後、アコーダティ勢頭(しず)と一緒に、あの島に寄った。ボウは十七歳になっていて綺麗な娘になっていた。わしの事を覚えていて、一人で稽古を続けていたと言って棒術を見せてくれた。わしは驚いたよ。この娘は武芸の才能があると思った。トンドの国から帰って多良間島に寄ったら、ボウは弟子にしてくれと言って、ミャークまでついて来たんじゃ。両親も娘を頼むと言って許してくれた。わしは野崎に帰って、ボウを鍛えたんじゃよ。負けず嫌いな娘で厳しい修行にも耐えた。翌年の十月、わしはアコーダティ勢頭と一緒にターカウに行った。ボウも一緒に行ったんじゃ。ボウは武芸だけでなく、言葉を覚える才能もあった。ターカウに滞在中にヤマトゥ言葉を覚え、トンドに行って明国の言葉も覚えた。ボウは与那覇勢頭(ゆなぱしず)と一緒に琉球にも行ったが、琉球の言葉もすぐに覚えてしまったんじゃよ。娘も母親に似て、武芸もやるし、言葉も堪能じゃ」
「スタタンて何ですか」と安須森ヌルが聞いた。
「古い言葉で『治める』という意味らしい。按司という言葉が琉球から伝わる前は、島の首長はスタタン(認(したた)む)と呼ばれていたようじゃ」
「スタタンですか‥‥‥、今度、兄の事をスタタンて呼ぼうかしら」と安須森ヌルが言うと、
「スタタンのサハチね」とササが笑った。
「サハチ殿とはどんな男かね?」とクマラパが聞いた。
「選ばれた人かしら」とササが言った。
「サハチ兄(にい)は神様に守られているわ」
「ほう。神様に守られた男か。会ってみたいものじゃな」
「あたしたちが琉球に帰る時、一緒に来てください」と安須森ヌルが誘った。
「それがいいわ」とササも手を打った。
津堅島(ちきんじま)に里帰りしましょ」
津堅島か‥‥‥妹も連れて里帰りするか」とクマラパも乗り気になっていた。
 島の北側に船を泊めて、小舟に乗って多良間島に向かった。砂浜に弓矢を構えた兵が数人、待ち構えていた。ササたちは驚いて身構えたが、
「大丈夫じゃ」とクマラパが言って、立ち上がって手を振ると、中央にいた女が合図をして、皆、構えていた弓矢を下ろした。
「お師匠!」と叫んで、合図をした女が小舟に近づいて来た。
「スタタンのボウじゃよ」とクマラパがササたちに言った。
「お師匠、突然、どうしたのです?」と言いながらボウはササたちを見た。
 クマラパの説明を聞いたボウは驚き、ササたちを歓迎してくれた。見慣れぬヤマトゥ船が来たので、倭寇(わこう)かと警戒していたという。
 森の中から武装した男と女が出て来て、クマラパに挨拶をした。
「ボウの夫のハリマと娘のトンドじゃ」とクマラパが言った。
 トンドとタマミガは再会を喜んでいた。二人は五年前に一緒にトンドに行き、翌年にはターカウに行っていた。トンドという名は父と母がトンドで結ばれて、生まれたからだった。自分の名前にちなむトンドの国に行ったトンドは、何を見ても驚き、感激していた。今はウプンマとして母親を助け、トンドで出会った若者を連れて来て一緒になり、二人の子供にも恵まれていた。
 ハリマはターカウのキクチ殿の配下だったサムレーで、ターカウに来たボウに一目惚れして多良間島に来たのだった。ナナがヤマトゥンチュだと知ると目を丸くしてナナを見た。
「ヤマトゥの女子(おなご)がこんな南の島まで来るとは信じられん」とハリマはヤマトゥ言葉で言った。
「刀を差している所を見ると、かなりの腕のようじゃな。どこの生まれだね?」
「生まれたのは朝鮮(チョソン)の富山浦(プサンポ)ですが、父は対馬の早田(そうだ)氏です」
対馬の早田水軍の娘か。わしらと共に戦った仲間じゃな。わしの親父は播磨(はりま)の赤松じゃ。援軍として九州に行き、征西府(せいせいふ)の将軍宮(しょうぐんのみや)様(懐良親王(かねよししんのう))に従っていたんじゃよ」
 播磨の赤松というのはササも知っていた。ヤマトゥに行った交易船が瀬戸内海に入って、播磨の国を通った時、護衛してくれたのが赤松氏で、将軍様の側近にも赤松越後守(えちごのかみ)というサムレーがいた。
 ハリマは懐かしそうにナナとヤマトゥの事を話していた。
 小高い丘の上に按司の屋敷があって、その南側に集落があった。タマミガはトンドと一緒にウプンマの屋敷に行った。ササたちは按司の屋敷に行って、お茶を御馳走になった。久し振りに飲んだお茶はおいしかった。
 ボウが子供の頃、まだミャークに移住していなかったウプラタス按司が福州からミャークへの行き帰りに多良間島に寄っていた。ウプラタス按司はいつも珍しいお土産を持って来た。お茶もその中の一つで、お茶を飲む習慣ができたという。
 ボウの父親はウプラタス按司の船に乗って何度も元(げん)の国に行ったミャークの若者だった。先代の女按司と結ばれてボウが生まれ、元の国の文化を多良間島に伝えた父は、島人から尊敬されて嶺間按司(ンニマーズ)と呼ばれるようになった。クマラパと同じように按司というのは尊称で、実際の按司はボウの母親だった。この島は古くから女が首長として島を守っていた。
 クマラパの弟子になって武芸を身に付けたボウは十八歳の時に野崎按司の船に乗ってターカウに行き、翌年にはアコーダティ勢頭の船に乗ってトンドに行った。その後も、ターカウとトンドに何度も行き、ターカウでハリマに見初められた。
「ボウは手ごわい相手じゃった」とハリマは笑った。
「三度口説いて、三度振られたんじゃ。わしは覚悟を決めて、この島に来た。そして、一緒にトンドに行って、ついにボウを落としたんじゃよ」
「どうやって落としたのですか」とナナが興味深そうに聞いた。
「トンドで見つけた笛を吹いたんじゃよ」
「笛ですか」とナナは驚いた顔をして、ササと安須森ヌルを見た。
「わしはヤマトゥにいた頃、母から教わった笛を吹いていたんじゃが、ターカウに行く途中、なくしてしまったんじゃ。多分、海がしけた時に落としてしまったんじゃろう。ターカウでは笛は手に入らなかったので、すっかり忘れていたんだが、トンドで竹の笛を見つけて、久し振りに吹いてみたんじゃ。そしたら、ボウがわしの笛を聞いて感激したんじゃ。武芸では勝てなかったが、笛で落とせたというわけじゃよ」
「あの時の笛の調べは本当に素晴らしかったわ。涙が出るほど感動したのよ」とボウは言った。
「でも、この島に帰ってきたら、あの時の調べが吹けないのよ」
「あの時はきっと、笛の神様が降りて来たんじゃろう」とハリマは楽しそうに笑った。
「あたしの兄も笛の名手です」と安須森ヌルが言った。
「あたしもサハチ兄に笛を教わったわ」とササが言った。
「兄も笛で女の人を口説いているのかしら?」
「まさか?」とササは笑ったが、急に真顔になって、「高橋殿を口説いたかもしれないわね」と言った。
 安須森ヌルは納得したようにうなづいた。
 ボウの案内で、ササたちは森の中にある古いウタキに行って、神様に挨拶をした。
 神様はササたちにお礼を言った。ユンヌ姫がスサノオの神様を連れて来てくれたという。
スサノオの神様はユンヌ姫様と一緒に曾祖母様(ひいあばあさま)(ウムトゥ姫)に会いにイシャナギ島にいらっしゃいました」
 多良間姫は二代目のウパルズ様の娘で、一千年前の大津波から百年余り経った頃、多良間島に来ていた。大津波多良間島に住んでいた人は全員が亡くなってしまい、以前、どんな人たちが住んでいたのかはまったくわからない。多良間姫が来た時、あちこちから来た五十人くらいの人たちがバラバラに暮らしていた。多良間姫はみんなを集めて、水納島(みんなじま)でタカラガイを採って池間島に送り、琉球の品々と交換して来た。タカラガイの交易が終わるとイシャナギ島からミャークへ送る丸太の中継地として多良間島は栄えた。野崎按司がトンドやターカウと交易を始めると、その中継地となって、今もそれなりに栄えているという。
「三百年前の大津波の時は大丈夫だったのですか」と安須森ヌルが聞いた。
「ほとんどの人たちが亡くなってしまったのよ。でも、ウプンマはアカギにしがみついていて助かったわ。ウプンマと同じように助かった人たちが三十人くらいいたの。その人たちによって、何とか再建する事ができたのよ」
 ウタキから帰ると愛洲次郎たちと若ヌルたちも来ていて、村の広場に島人たちが集まって来て、ササたちを囲んで歓迎の宴が開かれた。大きな鍋で出されたのは海亀の煮込み料理で、思っていたよりもおいしかった。酒はターカウから仕入れたヤマトゥ酒だった。ササたちは琉球から持って来たピトゥ(イルカ)の塩漬け(すーちかー)を贈って、島人たちに喜ばれた。
「この島に佐田大人(さーたうふんど)も来たのでしょう?」とササがボウに聞いたら、
「この島は佐田大人の船に囲まれてしまったのよ。恐ろしかったわ」と言って、顔をしかめて首を振った。
「あの時は危機一髪じゃったのう」とハリマが言った。
「奴らがターカウに来たのは、わしがこの島に来る前の年の暮れじゃった。一千人も引き連れて来たので、キクチ殿も驚いていた。佐田大人は宇都宮(うつのみや)氏の一族で、南朝の水軍として活躍していたんじゃ。勿論、キクチ殿とも面識があって、お互いに再会を喜んでいた。キクチ殿の父親は将軍宮様の総大将として活躍した武将(菊池武光)だったから、佐田大人から見れば主筋に当たるわけじゃ。キクチ殿は父親の跡を継いだ兄貴(菊池武政)が亡くなって、十二歳だった兄貴の長男(菊池武朝)が跡を継いだ時に、自分の出番はもうないと諦めて、九州を離れてターカウに行ったんじゃ。佐田大人は将軍宮様がお亡くなりになって、もう南朝も終わりだと見切りをつけて九州を離れたんじゃよ。将軍宮様がお亡くなりになったと聞いてキクチ殿も悲しんでおられた。将軍宮様が太宰府(だざいふ)に征西府を開いてから十年間、九州は南朝の国じゃったと二人は懐かしそうに話していた。ターカウにいた時は佐田大人もおとなしくしていたんじゃよ。まさか、あんな凶暴な奴だとは知らなかった。あの時の話し振りではターカウに落ち着くものと思っていたのに、結局、出て来たようじゃ。やはり、キクチ殿と一緒にいては自分の思い通りにはならないと思ったんじゃろう。あの時、ボウたちもターカウに来ていて、わしは翌年の五月、ボウと一緒にこの島に来たんじゃ。奴らは七月にやってきた。この島は奴らの船で囲まれた。佐田大人の配下のサムレーが五人、小舟に乗ってやって来た。抵抗しても無駄だと悟ったボウの母親の女按司は武器を隠して、嶺間按司と一緒に手ぶらで迎えたんじゃ。二人はヤマトゥの言葉がわからない振りをした。言葉が通じないと思って、奴らは好き勝手な事を言っていたようじゃ。この島では一千人の者たちを食わす事ができないとか、若い娘をさらって行こうとか、皆殺しにしてから行こうという奴もいたらしい。女按司が空を見上げて、身振り手振りで嵐が来ると言った途端、真っ黒な雲が流れて来て雨が降って来たんじゃ。雷も鳴り出して、サムレーたちは慌てて小舟で船に戻って行った。島を囲んでいた船も東の方に去って行ってしまったんじゃよ」
「きっと、神様が助けてくれたのよ」とボウが言った。
「あとで聞いたんじゃが、この島に来る前にパティローマ島(波照間島)に寄って、島人たちを殺して、若い娘をさらっていたようじゃ。本当に神様のお陰で助かったんじゃよ」
 ササがハリマにジルーを紹介すると、驚いた顔をしてジルーを見て、「もしかして、愛洲隼人(あいすはやと)殿の倅か」と聞いた。
 ジルーがうなづくと、
「何という事じゃ。愛洲隼人殿の倅がこの島に来たとは驚いた。神様のお導きかもしれんのう」と言って、両手を合わせた。
「父を知っているのですか」とジルーは聞いた。
「わしの親父は水軍の大将で、愛洲隼人殿と一緒に明国まで出陣して行ったんじゃよ」
「ちょっと待って下さい。その隼人は父ではなくて、祖父だと思います。祖父は九州に行って南朝の水軍として働いていました」
「そうか。そなたの祖父か」とハリマはうなづいてジルーを見た。
「そうじゃろうのう。わしより十五も年上じゃった。そなたの祖父が九州に来て、将軍宮様にお仕えした時、親父は隼人殿を屋敷に呼んで歓迎の宴を開いたんじゃよ。わしは当時、まだ十歳じゃった。年が明けて正月に親父は明国を攻めるために出陣した。その時、隼人殿とキクチ殿も一緒に行ったんじゃよ。隼人殿とキクチ殿は同い年で、手柄を競い合って活躍した。そして、仲もよかった。そなたがターカウに行ったら大喜びして迎えたじゃろうが、残念ながら五年前に亡くなってしまった。そなたの祖父は健在なのか」
 ジルーは首を振った。
「九年前に亡くなりました。祖父は九州での活躍はあまり話してくれませんでした」
「そうじゃったか」とハリマはうなづいて、祖父の活躍をジルーに話してくれた。
 祖父は愛洲水軍を率いて、三度、明国に出陣していた。冬に北風に乗って南下して、夏に成果を上げて帰って来た。沿岸の村々を襲うだけでなく、時には馬に乗って内陸まで攻め込んだという。祖父たち水軍の者たちは活躍したが、将軍宮様は九州探題今川了俊(りょうしゅん)に敗れて、太宰府を追われて高良山(こうらさん)に移ってしまう。その年にハリマの父親は明国の水軍と戦って戦死した。翌年には将軍宮様の総大将だった菊池武光が病死して、その半年後には武光の跡を継いだ武政が戦(いくさ)の傷が悪化して亡くなった。武政の弟の三郎(キクチ殿)は配下の者たちを引き連れて九州から去ってしまう。祖父も熊野水軍の者たちと相談して、九州から撤収したのだった。
 ジルーは目を輝かせて、南朝のために働いていた勇敢な祖父の話を聞いていた。
「祖父と一緒に佐田大人も一緒にいたのですか」とジルーは聞いた。
「いや、奴は高麗(こうらい)を攻めていた。対馬の早田水軍と一緒にな。奴の親父は高麗で戦死したんじゃよ。立派な水軍大将じゃった。奴は親父の敵討ちだと言って、高麗で暴れていたんじゃ。高麗で何をしていたのか知らんが、ミャークでの戦を見ると、残虐な事をして来たんじゃろう」
 次の日はのんびりと過ごした。ササたちが知らないうちに、ゲンザ(寺田源三郎)とミーカナ、マグジ(河合孫次郎)とアヤーが仲よくなっていて、楽しそうに浜辺を散歩していた。
「ササも行った方がいいわ」とシンシンが言った。
「どこに?」と海を眺めていたササが聞いた。
「あそこよ」とシンシンが指差す先に、浜辺に一人で座り込んでいるジルーがいた。
「どうして、あたしがあそこに行くのよ」とササはジルーを見ながら言った。
「寂しそうだわ」とナナが言って、ササの背中を押した。
「わかったわよ」とササは二人を見て苦笑するとジルーの方に向かった。
 ササがジルーに声を掛けて、隣りに座るのを見るとシンシンとナナは顔を見合わせて笑った。
「何を考えていたの?」とササはジルーに聞いた。
「祖父の事だよ。祖父を知っている人がこんな所にいたなんて、まるで、夢を見ているみたいだった」
 ササは笑った。
「あたしだって、ミャークで最初に会ったクマラパ様が、祖父を知っていたなんて腰を抜かしてしまうくらいに驚いたわ」
「ハリマ殿が言っていたけど、神様のお導きなのかな」
「きっと、そうよ」
「京都で、ササの噂を聞いて琉球に行ったのも、この島に来るためだったのかもしれない。ハリマ殿から祖父の活躍を聞いて、昨夜(ゆうべ)は感激したけど、祖父の気持ちが少しわかったような気がするんだ。南朝の軍資金や兵糧(ひょうろう)を手に入れるために、祖父たちは明国の村々を荒らし回って略奪を繰り返していたんだ。南朝の水軍と言えば立派に聞こえるけど、やっている事は倭寇と同じだ。いや、倭寇そのものだ。佐田大人がミャークでやったのと同じ事を明国でやっていたのかもしれない。当時はそれが当然の事だと思っていた祖父も、のちになって、罪もない人たちを殺した事を後悔していたのかもしれないって、俺はやっと気づいたんだ。この島に来なければ、祖父の本当の気持ちはずっとわからないままだったに違いない」
 ササは海を見つめているジルーの横顔を眺めながら、なぜか、胸の中が熱くなっているのを感じていた。

 

 

 

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