長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部はその後の尚巴志の活躍です。お楽しみください。

2-164.平久保按司(第一稿)

 雨降りの天気が続いて、三日間、多良間島(たらまじま)に滞在したササたちは島人(しまんちゅ)たちに見送られて、イシャナギ島(石垣島)を目指した。ウムトゥダギ(於茂登岳)のあるイシャナギ島は多良間島から見る事ができ、ミャーク(宮古島)よりも近いような気がした。
 今日はいい天気で、海も荒れる事はなく、快適な船旅だった。正午(ひる)頃にはイシャナギ島の北に細長く飛び出した半島に着いた。半島の先端近くに平久保按司(ぺーくばーず)の屋敷があるというが、半島の周りは珊瑚礁に被われていて近づく事はできなかった。
 マカラーの指示で半島の北にあるフージパナリという小島の近くに船を泊めて、小舟(さぶに)に乗って上陸する事にした。小舟を下ろしている時、若ヌルたちがキャーキャー騒いでいるので何事かと見ると、小島に見た事もない大きな鳥がたくさんいた。
「毎年、秋になるとこの島にやって来て、子育てをしているらしい」とクマラパは言ったが、鳥の名前は知らなかった。
 いつものように、ササ、安須森(あしむい)ヌル、シンシン、ナナ、クマラパ、タマミガが小舟に乗って平久保(ぺーくぶ)に向かった。小島の正面に見える山の上に見張り台があるらしく、こちらを見ている人影が見えた。
「平久保按司はターカウ(台湾の高雄)のキクチ殿の家臣だったサムレーじゃ」とクマラパが言った。
「ターカウに来る明国の商人、商人と言っても海賊のような奴らじゃが、奴らから牛革が高く売れる事を知ったキクチ殿が、ヤマトゥから革作りの職人を連れて来て、平久保按司と一緒にここに送り込んだんじゃよ」
「という事は平久保按司は牛を飼っているのですね」と安須森ヌルが言って、半島を見たが牛の姿は見えなかった。
「ここからは見えんが、百頭余りの牛がいる。与那覇勢頭(ゆなぱしず)と一緒に琉球に行って、帰って来ると琉球を真似して、按司を名乗ったんじゃよ。先代のキクチ殿が生きていた頃は、牛革や牛肉はすべて、ターカウに持って行ったが、キクチ殿が亡くなると独立して、ターカウだけでなく、トンド(マニラ)に行く野崎按司(ぬざきあず)やイシャナギ島の按司たちとも取り引きをしている。気をつけなくてはならないのは、イシャナギ島の按司たちはミャークのように統一されていないという事じゃ。それぞれが勝手に動いている。琉球の王様の娘が来たと言っても、ミャークほどは歓迎されないじゃろう。逆に船に積んであるお宝を狙って来る奴がいるかもしれん。油断は禁物じゃ」
「平久保按司があたしたちを襲うかもしれないというのですか」とササが驚いた顔をして聞いた。
「平久保按司琉球に行ったが、ミャークの者たちのように驚いたりはしない。ヤマトゥンチュだからヤマトゥの都を知っているのじゃろう。琉球で手に入るのはヤマトゥの商品と明国の商品で、それらはターカウでも手に入るので、わざわざ、琉球まで行く必要はないと言って、一度だけでやめてしまったんじゃよ。平久保按司も佐田大人と同じ倭寇(わこう)だったという事を忘れずに気をつける事じゃ」
 ササかうなづき、安須森ヌル、シンシン、ナナ、タマミガも顔を引き締めてうなづいた。
 砂浜に弓矢を持ったサムレーが十一人、小舟が近づくのを見ていた。弓は構えていなかった。
 ササたちは警戒しながら小舟から降りた。
「クマラパーズ様、お久し振りです」と女の声がヤマトゥ言葉で言った。
 中央にいたサムレーは女だった。ここにも女子(いなぐ)サムレーがいたのかとササたちは驚いた。
按司の娘のサクラじゃ。サクラはスタタンのボウの弟子なんじゃよ」とクマラパは言った。
「えっ!」とササたちは驚いた。
「平久保按司琉球に行って、按司の娘はヌルになって神様にお仕えする事を知って、サクラをボウに預けて修行させたんじゃ。多良間島でヌルの修行と武芸の修行を積んで来たというわけじゃ」
 クマラパがササたちを紹介するとサクラは驚いて、「琉球から来たのですか」と小島のそばに泊まっているヤマトゥ船を見た。
 サクラの案内で按司の屋敷に行った。高台の上にある屋敷から牛がいっぱいいる牧場が見えた。
 それほど高くない石垣に囲まれたヤマトゥ風の屋敷の縁側で、平久保按司は刀の手入れをしていた。娘と一緒にいるクマラパを見ると驚いた顔をして、刀を鞘(さや)に納めた。
 白髪頭でぎょろっとした目をした体格のいい老人だった。
「クマラパーズ殿、お久し振りですのう。ターカウにでも行かれるのですかな」
 平久保按司はヤマトゥ言葉でそう言って、腰に刀を差しているササたちを怪訝な顔をして見ていた。
琉球から来たお客様をターカウに連れて行く途中なんじゃよ」
 クマラパがササたちを紹介すると平久保按司は大笑いした。
琉球にも多良間島のボウのような女子(おなご)がいるとは驚いた。琉球も随分と変わったようじゃのう」
 ササたちは歓迎されて、屋敷に上がって、明国のお茶を御馳走になった。
 平久保按司に聞かれて、ササたちは今の琉球の様子を話した。高い石垣で囲まれた浦添(うらしい)グスクが炎上して、王様が変わったと聞いて平久保按司は驚いていた。
「フニムイ(武寧)とかいう跡継ぎがいたが、そいつが滅ぼされたのか」
「そうです。今の王様はわたしの父の思紹(ししょう)です」と安須森ヌルは答えた。
「王様の娘が直々にやって来るとはのう。勇ましい事じゃな」
 ササはイシャナギ島で流行っているというヤキー(マラリア)の事を聞いた。
 平久保按司は顔をしかめて、「まったく困ったもんじゃよ」と言った。
「もう三十年近くも前の事なんじゃが、南部の大城(ふーすく)(大浜)でヤキーが流行って、大城按司(ふーすかーず)の娘が亡くなったんじゃよ。ヤキーの退治をするために、大城に行ったウムトゥダギのフーツカサというヌルも亡くなったらしい。大城按司も亡くなってしまい、大城の村は全滅してしまったんじゃ」
「村人たち全員がヤキーで亡くなったのですか」と安須森ヌルが驚いた顔をして聞いた。
「大城按司が亡くなったあと、村から逃げた者も多いはずじゃ。それだけでは治まらず、今度は新城(あらすく)でヤキーが流行って、新城按司(あらすかーず)も亡くなってしまったんじゃよ。ヤキーを怖がって誰も南部には行かなくなってしまった。今、どんな状況なのか、まったくわからんのじゃよ」
「蚊に刺されるとヤキーになると聞きましたが本当なのですか」とササが聞いた。
 平久保按司は大笑いをした。
「誰から聞いたのか知らんが、蚊に刺されてヤキーになるわけがなかろう。蚊ならここにもいるが、蚊に刺されてヤキーになった者などおらん。呪いじゃよ」
「呪い?」
「そうじゃ」と言って平久保按司はうなづいた。
「ヤキーが流行る前、大城の近くで座礁した南蛮(なんばん)(東南アジア)の船があったそうじゃ。お宝が満載してあって、そのお宝を大城按司が頂いたんじゃよ。浜に流れ着いた物を頂くのは当然の事なんじゃが、そのお宝の中に呪われた何かがあったらしいとの事じゃ。それに関係した者たちが皆、ヤキーに罹って亡くなってしまったんじゃよ」
「その何かというのは何なのですか」
「未だにわからんのじゃろう。大城だけでなく、新城までもやられたんじゃから、その何かは新城にも関係あるはずじゃ。大城の女按司(みどぅんあず)と新城の女按司は仲がよかったそうじゃから、その何かを新城の女按司に贈ったのかもしれんのう」
 座礁した南蛮の船の呪いがあったなんて知らなかった。蚊に刺されてヤキーになるという事にササも疑問を持っていたので、そうかもしれないと思った。
池間島(いきゃまじま)の按司の娘のマッサビが、この島に来ているはずですが御存じですか」とササは聞いた。
池間島按司の娘? さあ、知らんのう」と平久保按司は首を傾げた。
「ヤマトゥ船で来たようじゃが、倭寇の船で来たのかね。わしが琉球に行った時、松浦党(まつらとう)の者たちが琉球に来ていると聞いたぞ。今も来ているのかね」
松浦党対馬の早田(そうだ)水軍も薩摩(さつま)の商人も来ています。今回、一緒に来たのは愛洲水軍の者たちです」
「なに、愛洲水軍‥‥‥」と按司は驚いた顔をしてササを見た。
「愛洲隼人(はやと)殿が来ているのかね?」
「九州で活躍していた愛洲隼人様の孫のジルーです」
「なに、愛洲隼人殿の孫が来ているのか。わしは愛洲隼人殿に命を救われた事があるんじゃ。恩返しができぬまま別れた事を未だに悔やんでおる。こんな所で、隼人殿の孫に出会えるなんて、何という巡り合わせじゃろう」
 平久保按司はすぐに小舟を出して、ジルーを呼びに行かせた。
 やって来たジルーを見た平久保按司は、愛洲隼人の面影があると言って感激していた。ジルーのお陰で、急遽、歓迎の宴が開かれ、ササたちはおいしい牛肉を御馳走になった。
 平久保按司がジルーの祖父、愛洲隼人に助けられたのは十八歳の時だった。十六歳の時、初めて明国に行って初陣(ういじん)を飾り、三度目の出陣だった。正月の半ばに明国に向かい、杭州(こうしゅう)の入り口にある舟山島で明国の海賊と合流して南下し、温州(うんしゅう)を攻めた。
 まだ明国が建国したばかりの時で、洪武帝(こうぶてい)に滅ぼされた張士誠(ヂャンシーチォン)、陳友諒(チェンヨウリャン)、方国珍(ファングォジェン)の残党たちが海賊になって洪武帝に反抗していた。平久保按司は知らなかったが、三姉妹の父親、張汝謙(ジャンルーチェン)も舟山にいて、その時の戦に加わっていた。
 大小会わせて二百艘(そう)の船が温州沿岸を荒らし回って戦果を上げた。洪武帝の主力軍は北部に追いやった元(げん)の兵と戦をしていたので、向かう所、敵なしという状況だった。米蔵を守っていた役人たちは戦う事なく逃げてしまい、現地の者たちも一緒になって略奪をしていた。
 それぞれの船が奪い取った収穫を満載にして、舟島群島の島影に隠れて、風待ちをしている五月の初め、突然、明国の水軍が攻めて来た。
 敵の船は大きく、鉄炮(てっぽう)(大砲)も乗せていた。平久保按司が乗っていた船は小さな船だったので、逃げるしかなかった。敵の船は思っていたよりも多く、しつこく追い掛けて来た。平久保按司は総大将の赤松播磨(はりま)の船を必死に追い掛けていた。
 かなり沖に出た時、赤松播磨は船隊を整えて反撃に出た。平久保按司も海戦に加わりたかったが、邪魔になると思って見ている事にした。愛洲隼人とキクチ殿が鉄炮を恐れずに、敵の船を挟み撃ちにして、火矢を放ち、敵船に突撃した船もあって、敵の船は傾いて沈んでいった。
 平久保按司は喜んだが、別の敵船がやって来て、赤松播磨の船を攻撃してきた。播磨も火矢で応戦したが、鉄炮にはかなわず、播磨の船は焼けながら沈んでしまった。船が沈む前に船から飛び降りた兵たちが何人も海に浮かんでいた。平久保按司は泳いでいる者たちを助けようとしたが、敵の鉄炮が飛んできた。助けを求める者たちを見捨てて、平久保按司は逃げた。敵船は追ってきて、鉄炮を撃ち続けた。
 必死になって艪(ろ)を漕いで逃げたが敵の鉄炮にやられた。船の側面に穴が開いて海水が流れ込んできて、船は沈んでしまった。平久保按司は海に飛び込んだ。
 敵の船も去って行ったので安心したが、陸まで泳いで行ける場所ではなかった。平久保按司は海に顔を出している仲間たちと励まし合いながら海に浮かんでいた。船の破片の板きれが流れて来て、それにすがって浮かんでいたが、顔を出していた仲間の数は見る見る減って行った。
 俺も死ぬのかと思いながら、故郷にいる許婚(いいなずけ)の娘の事を思っていた。帰国したら祝言(しゅうげん)を挙げる予定だったのに、もう会う事もできなかった。
 死を覚悟して夕日を眺めていた時、船が近づいて来るのが見えた。敵か味方かわからなかった。たとえ、敵であったとしても、どうせ死ぬのだから同じ事だと思い、腰の刀を抜いて振り上げた。夕日が刀に反射して、船からわかるに違いないと思った。
 近づいて来た船は愛洲隼人の船だった。行方知れずになった仲間の船を探しに来て、平久保按司を助けたのだった。
「わしが今、ここにいるのは愛洲隼人殿のお陰なんじゃよ。それから二年後の十一月、わしはキクチ殿と一緒にターカウに向かった。その時、愛洲隼人殿は済州島(チェジュとう)に出陣していて、別れを告げる事もできなかったんじゃ。命の恩人に別れを告げる事もできなかった事が、今でも悔やまれていたんじゃよ。まさか、隼人殿の孫がこの島にやって来るなんて、夢でも見ているようじゃ。改めて、そなたにお礼を言うぞ」
「今、思い出しました」とジルーは言った。
「祖父は九州にいた頃の事はあまり話しませんでしたが、その時の海戦の話は聞いた事があります。菊池三郎殿と敵の船を挟み撃ちにして沈めたと言っていましたが、その菊池三郎殿というのが、ターカウにいたキクチ殿だったのですね。菊池三郎殿の事は懐かしそうに話していたのを思い出しました。そして、その海戦の時、若い奴を助けたと言っていましたが、それが平久保按司殿だったのですね」
「そうじゃ。わしじゃよ」と言いながら、平久保按司は泣いていた。
 ジルーが平久保按司と話をしている時、ササたちはサクラと話をしていた。サクラには九歳になる娘がいた。父親は川平(かびぃら)の仲間按司(なかまーず)の息子のムイトゥクで、一緒に暮らしているという。
「どこで出会ったのですか」とナナが聞いた。
多良間島よ。わたしがお師匠のもとでヌルになるための修行をしていた時、琉球に行くためにミャークに向かうムイトゥクと会ったのよ。その時は別に何も感じなかったわ。わたしは修行に夢中で、男なんて眼中になかったの。わたしがお師匠に初めて会ったのは五歳の時だったわ。その時は素敵なお姉さんだと思っていたけど、何度も会ううちに憧れに変わっていったわ。わたしもお師匠みたいになりたいと思ったの。父から習ってお馬のお稽古をしたり、弓矢のお稽古をしたわ。クマラパーズ様が来た時は拳術も習ったのよ。そして、父が琉球に行って、帰って来ると、ヌルになりなさいと言って、お師匠のもとで修行を始めたの。嬉しかったわ。多良間島にいた時は毎日が楽しくて、ムイトゥクの事なんか考えている暇なんてなかったの。琉球から帰ってきたムイトゥクはお土産だと言ってヤマトゥの刀をくれたわ。今まで刀なんて持っていなかったから、とても嬉しかったの。二年半、多良間島で修行を積んだわたしは平久保に帰って、ヌルになったの。それから二年後、わたしは弟と一緒にターカウに行く事になって、仲間に寄ったら、ムイトゥクも一緒に行くと言い出して、一緒にターカウまで行って来たわ。ターカウからの帰り、ムイトゥクは仲間に帰らずに平久保まで来て、一緒に暮らす事になったのよ。ムイトゥクは四男だから、平久保にいたら何かと便利だろうと仲間按司も許してくれたみたい」
「よかったわね」とササたちが言っていると、ムイトゥクが現れた。
 背の高い真面目そうな男だった。
 今までヤマトゥ言葉でしゃべっていたサクラはムイトゥクと琉球言葉でしゃべっていた。
「ムイトゥク様はヤマトゥ言葉はわからないのですか」とササが琉球言葉で聞いた。
「ムイトゥクの御先祖様はヤマトゥンチュなんだけど、この島に来たのが二百年も前の事だから、今は島の言葉しかしゃべれないのよ。初めて、多良間島で出会った時は言葉がまったく通じなかったの。その頃のわたしはヤマトゥ言葉しか話せなかったけど、お師匠から琉球の言葉を習ったのよ。神様とお話をするには琉球の言葉を知らなければならないって言われてね。琉球から帰ってきたムイトゥクも琉球の言葉をしゃべるようになって、お互いにお話ができるようになったのよ」
「ムイトゥク様の御先祖様って、もしかしたら平家ですか」と安須森ヌルが聞いた。
 ムイトゥクはうなづいた。
「二百年以上も前の事なので、詳しい事はわかりませんが、御先祖様は門脇(かどわき)の中納言(ちゅうなごん)様という人に仕えていた武将のようです。壇ノ浦の合戦のあと、南に逃げて、この島にたどりついたようです」
「門脇の中納言様って知っている?」とササが安須森ヌルに聞いた。
「京都の六波羅(ろくはら)の入り口の門の脇にお屋敷があったので、そう呼ばれたのよ。小松の中将様(平維盛)のお祖父(じい)様(平清盛)の弟(平教盛)だと思うわ」
「その人も壇ノ浦で戦死したの?」
 安須森ヌルはうなづいた。
「ヤマトゥの歴史に詳しいのですね」とムイトゥクが尊敬の眼差しで安須森ヌルを見た。
 安須森ヌルは謙遜して、「琉球にも平家の子孫がいるので、それで調べたのです。まだまだわからない事がいっぱいあります」
 ムイトゥクとサクラは琉球の平家の子孫に興味を持って、安須森ヌルから話を聞いた。
 ササはいつものように酒を飲んで、牛肉をたらふく食べていたが、シンシンとナナは平久保按司を警戒して酔う事はできなかった。ジルーに会えてよかったと感激していても、本心はわからなかった。平久保按司が用意してくれた屋敷に移り、ササと安須森ヌルは安心して眠ったが、二人は寝ずの番をした。何事もなく夜が明けて、シンシンとナナはホッと胸を撫で下ろした。
 平久保按司はお土産だと言って、たっぷりの牛肉の塩漬けをくれた。ササたちはお礼にヤマトゥの名刀を贈った。娘のサクラにも名刀を贈った。
 平久保按司と別れて、船はフージパナリの北側を抜けて、細長い半島の西側を南下して行った。寝不足のシンシンとナナは船に乗るとすぐに眠りにつき、ササはジルーにお礼を言った。
「ここにもお祖父さんを知っている人がいたなんて驚いたわね」とササが言うと、
「まったく信じられないよ。祖父が助けた人がこの島にいたなんて‥‥‥」とジルーは遠くの海を見つめていた。
「ジルーがいなかったら平久保按司に襲われたかもしれないわね」
 ジルーはうなづいて、「一癖ありそうな男だったな。でも、本心から祖父に感謝している事はわかったよ」と笑った。
 雨が降りそうな曇り空の下、船は半島に沿って南下して行った。その半島は思っていたよりもずっと細長く、ようやく半島の付け根辺りに着いたのは二時(にとき)(四時間)近く経った頃だった。船は島に沿って進路を西に変えた。島の北側に高い山並みが続いていた。
「あれがウムトゥダギ(於茂登岳)じゃよ」とクマラパが来て指差した。
八重山(やいま)で一番高い山じゃ。わしがあそこに登ったのはもう四十年も前の事じゃよ」
「えっ、登ったのですか」とササは驚いた。
「わしは道士(どうし)なんじゃよ。元の国にいた頃も険しい修行の山に登っていたんじゃ。あの山を初めて見たのはウプラタス按司と一緒にターカウに行った時じゃった。神々しい姿を見て登ってみたくなったんじゃ。翌年、ウプラタス按司は木を伐るために、この島に船を送った。わしはその船の乗って、この島に来て、五月に帰るまでの間、この島を散策したんじゃよ」
「どこから登るのですか」
「こっちからも登れん事はないが、見た通り、人が入った事がないような密林がずっと続いている。反対側から登った方がいいじゃろう。山の裾野の名蔵(のーら)という所に女按司がいて、古いウタキを守っている。そして、山の中腹のナルンガーラという所にも古いウタキがあって、ウムトゥダギの神様に仕えるフーツカサ(大司)がいるんじゃ。先代のフーツカサはヤキーで亡くなり、池間島のマッサビがフーツカサを継いだようじゃ。わしがウムトゥダギに登った時は、先々代のフーツカサに案内してもらったんじゃよ」
「今日の内に名蔵まで行けるかしら?」
 ササがそう聞いた時、「フィフィフィーフィー」と鳥が鳴いた。空を見上げると大きな鳥が気持ちよさそうに飛んでいた。
カンムリワシ(わしぬとぅい)が大丈夫じゃと言ったようじゃ」とクマラパは笑った。
「クマラパ様はこの島の按司の事も詳しいのですね?」
「詳しいと言っても四十年も前の話じゃからな。今はもう、按司たちも子や孫の代になっているじゃろう。ターカウやトンドに行く時に寄っていく平久保按司、仲間按司は何度も会っているが、ほかの按司たちは琉球に行っていた頃、ミャークで何度か会ったくらいじゃ。それも二十年の前の話じゃよ」
「仲間按司はこの先にいるんですよね?」とササは進行方向を指差した。
「ああ、川平という所の按司じゃ」
「平家の落ち武者なんでしょ?」
「そうじゃ。今の按司が九代目とか言っておったのう。会ってみるかね?」
 ササは首を振った。
「まず、マッサビ様に会ってウムトゥダギに登るのが先です。スサノオの神様がいらっしゃるうちに登らなくてはならないわ」
「山の上で、酒盛りをするのかね?」
「勿論ですよ。イシャナギ島の神様たちを集めて楽しい酒盛りをやります」とササはウムトゥダギを眺めながら笑った。
 ウムトゥダギの山並みを左手に眺めながら船は進んだ。正面に半島が現れた。その半島の中に仲間按司のグスクがあるという。
 半島の先にあるヒラパナリという小島を越えて、石崎(しゅざき)という岬を超えて南下した。また半島が飛び出していた。イシャナギ島は複雑な形をした島のようだ。
 クマラパがシンシンとナナと一緒にやって来て、
「あの山にも登ったぞ」と半島の中程にある山を指差した。
 ジルーはいなくなって、ササは安須森ヌルと一緒に景色を眺めていた。
「何という山ですか」と安須森ヌルが聞いた。
「ヤラブダギ(屋良部岳)じゃ。山頂に大きな平らな岩があって、神様が降りて来るような気がしたよ」
「古いウタキなのかしら?」とササが興味深そうに言ってヤラブダギを見つめた。
「フーツカサの話だとヤラブダギの裾野に南の島から来た人たちが住んでいたそうじゃ。その人たちがあの山を神様の山として拝んでいたらしい。あそこに飛び出た岬が見えるじゃろう。あそこは御神崎(うがんざき)といって、古いウタキだそうじゃ。航海の安全を祈っていたらしい」
「航海の安全という事は、あそこに住んでいた人たちは、どこかの国と交易をしていたのですか」
「福州辺りまで行っていたのかもしれんな」
 御神崎の周りは険しい崖が続いていて、奇妙な形をした岩がいくつもあった。
「神々しさが感じられるわね」と安須森ヌルが言った。
 ササはうなづきながら景色を眺め、アマミキヨ様はイシャナギ島にも来たのかしらと考えていた。
 御神崎を越えたら急に波が高くなって船が揺れだした。大きなカマンタ(エイ)がいると騒いでいた若ヌルたちは慌てて船室に入って行った。
 船の揺れはしばらく続き、半島の南端の大崎を越えると海は穏やかになった。そこは広々とした名蔵湾だった。珊瑚礁に気をつけながら湾内に入って行った。
 屋良部半島の付け根あたりに少し飛び出した所があって、クマラパがそこを指差して、「あそこは何だか知っているかね?」と聞いた。
「あそこも古いウタキですか」とササが聞いた。
「ウタキかどうかは知らんが、あそこは『赤崎』というんじゃよ」
「えっ!」とササは安須森ヌルと顔を見合わせた。
「ミャークの赤崎に行った時、ここの赤崎を思い出したんじゃよ。フーツカサからは何も聞いておらんが、もしかしたら、アマミキヨ様と関係あるのかもしれんぞ」
 ササは目を輝かせて、「絶対に行きましょう」と安須森ヌルに言った。
 安須森ヌルはうなづいて、「ヤラブダギと御神崎も行かなくちゃね」と笑った。
 赤崎から海岸に沿って南下して、名蔵川(のーらがーら)の河口近くに船を泊めて、小舟に乗って上陸しようと小舟を下ろしていたら、多くの小舟が近づいて来るのが見えた。
「名蔵の女按司のお迎えよ」とユンヌ姫の声が聞こえた。

 

 

 

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