長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

2-80.ササと御台所様(改訂決定稿)

 ヤマトゥ(日本)に行った佐敷大親(さしきうふや)(マサンルー)たちが京都に着いたのは六月の十八日だった。
 四月二十五日に浮島(那覇)を出帆して、五月十日に薩摩の坊津(ぼうのつ)に着いた。坊津でシンゴ(早田新五郎)たちと別れて、交易船は先に博多に向かい、五月十八日に博多に着いた。
 九州探題(きゅうしゅうたんだい)の渋川道鎮(どうちん)はいなかった。五月七日に勘解由小路殿(かでのこうじどの)(斯波道将)が亡くなったので、京都に行ったままだという。五月六日には北山殿(きたやまどの)(足利義満)の三回忌の法要が京都で盛大に行なわれた。体調が優れず出席できなかった勘解由小路殿は、無事に終わった事を聞くと、その翌日、安心したように息を引き取ったという。
 勘解由小路殿が亡くなったと聞いてジクー(慈空)禅師は驚いた。去年、あんなにも元気だった勘解由小路殿が亡くなるなんて信じられなかった。将軍様足利義持)の補佐役ともいえる勘解由小路殿が亡くなってしまって、交易はうまく行くのだろうかと不安になった。
 博多の妙楽寺に十日間滞在して、京都へと向かった。赤間関(あかまがせき)(下関)までは九州探題の船に護衛され、赤間関からは大内氏の護衛船も加わって瀬戸内海に入った。九州探題の船は兵庫までずっと先頭を行き、大内氏の護衛船は安芸(あき)の国(広島県)に入ると山名氏の護衛船と交替して、山名氏の護衛船は備前(びぜん)の国(岡山県)に入ると赤松氏の護衛船と交替した。
 大きな港に入る度に、その地を支配している守護大名に歓迎されて宴(うたげ)が開かれ、京都からの帰りに交易をするようにと約束された。長門(ながと)と周防(すおう)の守護の大内氏、安芸と備後(びんご)の守護の山名氏、備前と播磨(はりま)の守護の赤松氏、摂津(せっつ)の守護の細川氏琉球との交易を望んで、使者たちを丁重にもてなしてくれた。
 兵庫の港に着いたのは六月の十五日だった。細川氏の兵に守られて京都に入ったのは十八日で、九条通りから烏丸(からすま)通りを北上して、三条通りの近くにある等持寺(とうじじ)まで行列を行なった。今年は明国(みんこく)の使者も朝鮮(チョソン)の使者も来ていないので、琉球の使者たちを見ようと沿道は人で埋まった。しかし、行列の評判は今ひとつだった。
 行列の中に、クバ扇を持ったヌルたちと白柄白鞘(しろつかしろさや)の刀を差した女子(いなぐ)サムレーたちがいたのは話題になったが、テピョンソ(チャルメラ)と横笛と太鼓の音楽は明国に似ていて、使者やサムレーたちの格好はヤマトゥに似ていて、琉球らしさがあまり感じられなかったようだ。それに、中山王の家紋の『三つ巴』の旗も、ヤマトゥの神社でよく見かけるので、新鮮さが感じられないようだった。
 等持寺で歓迎の宴が開かれて、九州探題の渋川道鎮(満頼)と勘解由小路殿の跡を継いだ斯波左兵衛督(しばさひょうえのかみ)(義教)が挨拶に訪れた。
 斯波左兵衛督は渋川道鎮の義兄で、父親に似て立派な武将だった。勘解由小路殿が亡くなったので、どうなる事かと心配していたジクー禅師も斯波左兵衛督と会って安心した。
将軍様琉球からの船が着くのを首を長くして待っておられました」と斯波左兵衛督はジクー禅師に伝えた。
 ササは博多に着いてからずっと窮屈な思いをしていて、もううんざりしていた。将軍様に守ってもらうのはいいのだが、まったく自由な行動ができなかった。船を降りて決められた宿所に入るとそこから出る事は許されず、楽しみにしていた村上水軍のあやと会う事もできなかった。佐敷大親から、使者が将軍様に会うまでは決して騒ぎは起こすなよと釘を刺されて、じっと我慢してきたのだった。こんな事になるのなら去年と同じように、『一文字屋』の船に乗って京都に来ればよかったと後悔していた。
 京都では門限さえ守れば外出もできるという。翌日の朝、ササたちは早速、『一文字屋』のまりに会いに行こうと張り切っていたら、高橋殿がやって来た。高橋殿が直々にやって来たので、僧侶たちは大騒ぎしてかしこまった。ササたちは高橋殿に呼ばれて再会を喜び、ササ、シンシン(杏杏)、シズ、そして、ナナは将軍様の御所に移る事になった。御台所(みだいどころ)様(将軍の奥方)がササたちに会いたがっているという。
 高橋殿と一緒にいたのは中条兵庫助(ちゅうじょうひょうごのすけ)の娘の奈美で、博多の妙楽寺で会っていた。ササたちより先に京都に帰って来て、ササたちが今年も来た事を知らせたのだった。
 三条坊門の御所に入って、ササたちは御台所様と再会した。驚いた事に、御台所様は庭で侍女たちを相手に、武当拳(ウーダンけん)の稽古をしていた。ササの顔を見ると嬉しそうな顔をして駆け寄ってきた。
「去年、あなたたちが帰ってから、あなたたちの噂話をしてね、武当拳のお話をしたら習いたいとおっしゃって、わたしが教えたのよ」と高橋殿が言った。
「あなたが来るのをずっと待っていたのよ」と御台所様は嬉しそうに笑った。
 将軍様の正妻である日野栄子(えいこ)はササより一つ年上だった。将軍様とは仲睦まじく、男の子一人と女の子二人の子供がいた。公家(くげ)社会で育って、十五歳で将軍家に嫁いだ栄子は、ササのような自由奔放な娘に会った事はなかった。一緒にいるシンシンは明国生まれで、シズは琉球人と日本人の混血、今回連れて来たナナは朝鮮に住んでいる対馬(つしま)の人だという。栄子には信じられない国際色豊かな人たちだった。知らない国の話を聞いているだけでも楽しく、栄子は再会を楽しみにしていた。
 北山殿が生きていた頃、夫の義持(よしもち)はいつも暗い表情をしていた。将軍とは名ばかりで、実権はすべて父親の北山殿が握っていて、何事も自分の思い通りにはならなかった。北山殿が亡くなってから義持は変わった。生き生きとして政務に取り組み、去年は伊勢の神宮参詣にも連れて行ってくれた。今年も祇園会(ぎおんえ)のあとに伊勢に行く予定だったが、琉球からの使者が来たと奈美から連絡が入って延期となった。
 栄子が高橋殿に会ったのは、嫁いで来たその年に、義持と一緒に北野天満宮に参詣した時だった。参詣のあと高橋殿の屋敷に寄って、義持の義母である高橋殿と会った。天下に怖い物なしと言われている北山殿の側室だけあって、高橋殿は美しい人だった。そして、優しい人でもあった。当時の義持は北野天満宮に参詣して、高橋殿と会うのを唯一の息抜きにしていた。栄子も高橋殿から歌や踊りを教わるのが楽しみだった。
 高橋殿にそれとなく義持を見守っていてくれと頼んだのは北山殿だった。母親が亡くなって孤独になった義持を母親の立場で見守るように頼んだのだった。数多くいる側室の中で、そんな事を頼めるのは高橋殿より他にいなかった。北山殿はこれから実行に移そうとしている重大事のためにも、義持にはしっかりしていてもらわなくてはならないと思っていた。
 北山殿が秘していた重大事とは義持の弟の義嗣(よしつぐ)を天皇にする事だった。北山殿は出家していた義嗣を還俗(げんぞく)させて北山第(きたやまてい)に入れ、短い期間で官位を昇格させていった。世間では、義持を廃して義嗣を将軍にするのではないかと噂された。重臣たちも義持を見捨てて、義嗣に近付く者も現れて来た。世間の噂など気にしないようにと高橋殿に見守らせたのだった。
 北山殿の重大事は北山殿の急死によって幕を下ろした。重大事を知っていたのは高橋殿だけで、高橋殿は北山殿の死と共に、その事は忘れ去って、今は義持のために働いている。
「ササ、船岡山に行きましょう」と御台所様は言った。
「えっ!」とササは驚いた。
スサノオの神様が降りていらっしゃる岩が見たいんですって」と高橋殿が笑いながら説明した。
「ササが神様とお話しする所も見たいのよ」と御台所様は真面目な顔をして言った。
 御台所様は侍女を二人だけ連れて、高橋殿と奈美、ササたちと一緒に御所を抜け出して、船岡山へと向かった。
「抜け出して大丈夫なのですか」とササが心配すると、
「今日のために、わたしの身代わりが用意してあります」と御台所様は楽しそうに笑って、「お忍びで出掛けるのは久し振り」と言った。
「久し振りという事は前にも、お忍びで出られたのですか」とナナが聞いた。
 ナナは予想外の展開に腰を抜かしてしまいそうなほどに驚いていた。京都に着いた途端に、将軍様の御所に入るなんて、まるで夢でも見ているようだった。将軍様なんて、対馬や朝鮮にいた頃、話には聞いても、天上の人で自分にはまったく縁のない人だと思っていた。その将軍様の奥方様に会うなんて信じられない事だった。そして、将軍様の奥方とまるで友達のように接しているササを見て、改めてササの凄さを思い知っていた。
将軍様と一緒に何度か出掛けた事があるのです。お供も連れずに二人だけで歩いたの。楽しかったわ。秘密の出入り口も将軍様に教わったのです」
 話をしながら歩いていたら、わりと早く船岡山に着いた。
「ここなのね」と船岡山を見ながら御台所様が言った。
「三年前の飢饉(ききん)の時、疫病(えきびょう)が流行って、かなりの人が亡くなったけど、この山に葬られたのよ」と高橋殿が言った。
「えっ!」と侍女たちが不安そうな顔付きで御台所様を見た。
「大丈夫よ」と高橋殿は笑った。
「時衆(じしゅう)のお坊さんたちが皆、成仏(じょうぶつ)させてあげたわ」
 去年、登った道は夏草が生い茂っていて、山に入った者もいないようだった。ササを先頭に草をかき分けながら登って行った。
 山頂に出ると怖がっていた侍女たちも歓声を上げて、素晴らしい景色を楽しんだ。
「これなのね」と御台所様は大きな岩を見つめた。
 ササは岩の前に座り込んでお祈りを始めた。シンシンとシズとナナもササの後ろに座ってお祈りをした。御台所様もみんなの真似をした。御台所様がお祈りを始めたので、景色を眺めていた侍女たちも慌てて御台所様に従った。高橋殿と奈美も一番後ろで両手を合わせた。
 一瞬、強い風が吹いた。侍女の一人が小さな悲鳴を上げた。
 姿は見えないし、声も聞こえないが、誰もが神様の存在を感じていた。ササは『スサノオ』の神様の声を聞いていた。
 挨拶のあと、ササはスサノオの妻、『豊玉姫(とよたまひめ)』がどこから来たのかスサノオに聞いた。
「お前が生まれた島じゃ」とスサノオははっきりと言った。
 去年も同じ質問をしたのに答えてくれなかった。豊玉姫対馬に来て、玉依姫(たまよりひめ)を産んで、スサノオと一緒に九州を平定して、玉依姫がヒミコと呼ばれる女王になった事を延々と話してくれた。豊玉姫と出会う前に稲田姫(いなだひめ)と出会って、出雲(いづも)の国を造った事も延々と話してくれたが、ついに、豊玉姫がどこから来たのかは話してくれなかった。今年も別の話をして、教えてくれないかもしれないと思っていたら、スサノオはあっさりと答えてくれた。ササの方がまごついて、次に聞くべき事を忘れてしまいそうになった。
「どこに行けば、豊玉姫様に会えますか」とササはスサノオに質問した。
「お前の島に帰っているはずじゃ」とスサノオは言った。
「探したけど、どこにもいませんでした」
「おかしいのう。豊玉姫は玉グスクと呼ばれる都の姫様じゃった。どことなく、お前に似ている可愛い娘じゃった。海の近くの高台にある聖地が好きでよく行っていた。男は入れんと言って、わしは中に入った事はないが、二つの大きな岩があって神様が降りて来られると言っていた。多分、そこにいると思うがのう」
 スサノオの話を聞いて、セーファウタキ(斎場御嶽)だとササは気づいた。セーファウタキが凄いウタキだと母親の馬天ヌルから聞いてはいても、ササはまだ行った事はなかった。
「セーファウタキには軽い気持ちで行ってはいけないわ。行くべき時が来たら行きなさい」と母は言った。
「行くべき時っていつなの?」とササが聞くと、「神様が教えてくれるわ」と母は言った。
 行ってみたかったが母の言葉を信じて、ササはセーファウタキには近づいていなかった。ようやく、行くべき時が来たんだわとササは思った。
「戦(いくさ)もなくなり、世の中が平和になって、豊玉姫も安心して南の島に帰って行ったんじゃ。わしは豊玉姫にお礼を込めて、十種(とくさ)の神器(じんぎ)を贈った。鏡が二つと剣が一つ、勾玉(まがたま)が四つと領巾(ひれ)が三つじゃ。お前が首に掛けている赤い勾玉は、わしが贈った四つのうちの一つじゃよ。領巾はもうないとは思うが、二つの鏡と一つの剣とあと三つの勾玉はどこかにあるんじゃないかのう」
 ササは着物の上から勾玉を右手で押さえた。古い物だと思ってはいたが、スサノオ豊玉姫に贈った勾玉だとは知らなかった。この勾玉を持っていたからスサノオの神様が現れたのかもしれなかった。
「領巾とは何ですか」
「昔、女が肩に掛けていた細長い綺麗な布じゃよ。今は見かけなくなったが、優雅な物じゃった」
 その後、スサノオ稲田姫が産んだサルヒコの活躍を話して去って行った。
 ササはお礼を言って、スサノオを見送った。ササがお祈りを終えて立ち上がると皆はまだ両手を合わせて、お祈りを続けていた。
「神様はお帰りになりました」とササは言った。
 皆が顔を上げてササを見た。皆、夢でも見ていたかのような顔付きだった。
「不思議な気分だわ」と御台所様が言った。
「心地よい音楽が聞こえて、まるで、極楽にでもいるような気分だったわ」
「あたしも音楽を聴きました」とナナが言うと、「あたしもよ」とシズが言った。
「わたしには音楽は聞こえなかったけど、何か凄い力に守られているような感じがしたわ」と高橋殿は言った。
「あたし、神様の声を聞いたわ」とシンシンは言った。
スサノオの神様?」とササが聞くとシンシンはうなづいた。
「昔の戦の事を話してくれて、男どもは戦が好きじゃが、泣きを見るのは女子供じゃ。戦はしてはならんぞと言いました」
 ササは笑って、「シンシンも一人前のヌルになったわね」と言った。シンシンが言った事は去年、ササも聞いていた。
 船岡山を下り、北山第に行って、七重の塔に登った。京都の街が一望の下に見渡せ、まるで、鳥になったような気分だった。ササは横笛を吹いた。空を自由に飛び回っている鳥を思わせる軽やかな調べが京の空に流れていった。
 翌日、ジクー禅師は将軍様と謁見(えっけん)して、献上品を捧げた。お返しとして将軍様から賜わる品々を書いた目録をもらったが、そこには高級品が並んでいた。決して、琉球に来る倭寇(わこう)相手では手に入らない高級な品々ばかりだった。
 ササたちはずっと御所に滞在して、御台所様と行動を共にしていた。武当拳の稽古をしたり、和歌の稽古をしたり、偉い公家の先生を呼んで、ヤマトゥの歴史や、神様の話なども聞いた。そして、二十三日の早朝、まだ夜の明けぬうちに、将軍様たちと一緒に伊勢参詣の旅に出た。
 物凄い人数にササたちは驚いた。将軍様に従って、伊勢に行くのは一千人余りもいた。あちこちに篝火(かがりび)が焚かれて、松明(たいまつ)を持った人々が走り回り、鎧兜(よろいかぶと)は身に着けていないが、まるで、戦にでも行くような騒々しさだった。将軍様の側近衆が将軍様を守り、京都に住んでいる各地の守護大名が兵を引き連れて従った。
 女たちは御台所様に従う者たち三十人余りに過ぎなかった。その中にササ、シンシン、シズ、ナナが加わり、高橋殿、対御方(たいのおんかた)、坊門局(ぼうもんのつぼね)、平方蓉(ひらかたよう)、奈美がいて、あとは御台所様の侍女、高橋殿の侍女、対御方の侍女、坊門局の侍女たちが従った。
 坊門局は初めて会うが、やはり北山殿の側室だった人で高橋殿と仲がよかった。御台所様、高橋殿、対御方、坊門局はお輿(こし)に乗って出掛けるのだが、御台所様と高橋殿は身代わりをお輿に乗せて、ササたちと一緒に歩いた。
 伊勢神宮には豊玉姫の娘のアマテラス(玉依姫)がいる。アマテラスからお母さんの話を聞こうとササは張り切っていた。
 京都からひと山越えると琵琶湖に出た。ササたちは海だと思ったら、湖だという。琵琶湖の近くのお寺でお昼を食べて、その日は甲賀(こうか)の水口(みなくち)のお寺に泊まった。次の日も朝まだ暗いうちに出発して、鈴鹿山を越えて伊勢の国に入り、その日は安濃津(あのうつ)(津市)のお寺に泊まった。翌日は大きな川をいくつも渡り、最後の宮川で、口をすすぎ手足を清めて、渡し舟に乗って、門前町の山田に着いた。山田には御師(おんし)という神宮に仕える人が何人もいて、その中でも一番偉い人の屋敷に入った。
 神宮は外宮(げくう)と内宮(ないくう)の二つあって、外宮からお参りした。どうして二つあるのですかとササは素朴な疑問を高橋殿に聞いたが、高橋殿にもよくわからないようだった。御師に聞いてみたら、外宮は内宮よりもあとにできたようだった。内宮のアマテラスが、丹波(たんば)の国からトヨウケ姫をお呼びになって外宮にお祀りしたという。
 外宮は広い神社だった。ササたちは将軍様と一緒にお参りした。御師に従って、決められた通りにお参りして、神様の声を聞いた。
 神様はトヨウケ姫ではなく、『ホアカリ』だった。ホアカリはアマテラスの息子で、ヤマトの国の王様だったという。本来は内宮に祀られていたのだが、内宮に母親のアマテラスを祀る事になって、こちらに移されたらしい。以前、この地に祀られていた姉のトヨウケ姫は小俣(おまた)神社に移されたという。
 ササたちは若い御師に案内させて小俣神社まで足を伸ばした。面白そうだわと言って、御台所様も付いて来た。ササたちと御台所様と侍女二人、高橋殿、平方蓉、奈美が、内宮に向かうみんなと別行動を取って小俣神社に向かった。
 宮川を渡った川向こうに小俣神社はあった。小さな神社だった。『トヨウケ姫』はササを歓迎してくれた。ここでは『ウカノミタマ』という名で祀られているという。
 トヨウケ姫はここに祀られる事になった事情を話してくれた。
「今の京都ではなく、奈良に都があった時、伊勢の地は日が昇って来る地として霊地とされました。内宮の東にある朝熊山(あさくまやま)にはわたしたちの祖父のスサノオが祀られて、内宮の地にわたしの弟のホアカリが祀られて、わたしが外宮の地に祀られました。弟は太陽の神アマテラスとして祀られて、わたしは穀物の神ウカノミタマとして祀られました。ところがある日、内宮の地にわたしたちの母のヒミコ(玉依姫)がアマテラスとして祀られる事になりました。立派な社殿も建てられて、内宮に祀られていた弟は外宮の地に移って、外宮にも立派な社殿が建ちました。わたしはここに追いやられてしまったのです」
「どうして、お母さんが内宮の地に祀られるようになったのですか」とササは聞いた。
「わかりません。実際、母も驚いております。あんなに立派なお屋敷を建てなくてもいいのにと言っておりました」
「お母さんは今、内宮にいるのですか」
「今はいないようです。母は人気者ですから、あちこちに祀られております。海の女神様になったり、山の女神様になったり、名前もいっぱいあります。生きている時もそうでしたけど、一カ所に落ち着けない人で、あちこちに行っておりました。今頃は九州の方にいるのではないでしょうか」
「やはり、九州ですか」
 博多に帰ったら探してみようとササは思い、「九州のどこにいると思いますか」と聞いた。
「九州には母が住んでいた所があちこちにあります。母が若い頃を過ごした豊(とよ)の国か、それとも、わたしたちが生まれて育った日向(ひむか)の国か、晩年を過ごした筑紫(つくし)の国か、祖母のお墓があるイトの国かもしれません」
「えっ、豊玉姫様のお墓が九州にあるのですか」とササは驚いた。
豊玉姫様は南の島に帰ったって、あなたのお祖父(じい)様から聞きましたよ」
「一度、帰ったのですけど、祖父が亡くなって、九州でまた戦が始まったのです。祖母は心配して戻って来たのです。母は凄い人でしたけれど、祖母も凄い人でした。祖母の一言で戦も治まったのです。当時、各地にいた王たちは祖母のお世話になっていたので頭が上がらないようでした」
「そうだったのですか」
「戦が治まると祖母はイトの国で暮らして、四年後に亡くなりました。母は祖母のために大きなお墓を造りました」
「そのお墓はどこにあるのですか」
「イトの国です」
「博多で聞けばわかるかしら?」
 トヨウケ姫は答えなかった。ササは対馬のワタツミ神社にあったお墓は何だろうと考えていた。
「祖父は今、京都にいるのですか」とトヨウケ姫がササに聞いた。
「はい。会って参りました」とササは答えた。
「わたしも京都に行きたいわ」とトヨウケ姫は寂しそうな声で言った。
 数十年後、トヨウケ姫の願いはかなって、京都の伏見稲荷神社の主神として祀られる事になる。
 ササはトヨウケ姫から聞いた話を皆に話した。
「するとアマテラスは本当は男の神様だったのね」と高橋殿が聞いた。
「そうです。スサノオ様の孫のホアカリ様がアマテラスだったのです」
「どうして、ヒミコをアマテラスに変えてしまったの?」
「それはわかりません。ヒミコに変えて立派な社殿を建てたと言っていましたから、時の権力者がヒミコをアマテラスにしたかったからでしょう」
「女の天皇だわ」と御台所様が言った。
「昔は女の天皇がいらしたって聞いたわ。その女の天皇が女王だったヒミコに憧れていて、ヒミコをアマテラスにしたのよ」
「そうかもしれないわね」と高橋殿が御台所様にうなづいた。
「アマテラスは天皇の御先祖様になっているわ。御先祖様を女に変えてしまったのは、女の天皇しか考えられないわね。誰だか知らないけど、北山殿みたいに凄い権力を持っていた女の天皇がいたんだわ」
「でも、太陽の神様は女神様でいいんじゃないの」と奈美が言った。
「恵みを与えてくれる太陽は女神様の方がふさわしいわよ」
「それも言えるわね」と高橋殿が言って、ササを見た。
「太陽はずっと昔から神様としてあがめられてきました」とササは言った。
「ヤマトゥでも、琉球でも、きっと明国や朝鮮でもそうに違いないわ。本当は神様には男も女もないのかもしれません。人間が勝手に男だの女だのって決めたんだわ。そう言えば、太陽の神様がいて、月の神様はいないの?」
 黙って話を聞いていた若い御師が、「月の神様はツキヨミ様です」と言った。
「外宮の近くに月読神社があります」
 御師の案内でササたちは宮川を渡って外宮に戻り、月読神社に向かった。月読神社は外宮の北御門から一直線の道で結ばれ、その道は神様が通る道だという。
 人々で賑わっている外宮の近くだが、ここに参拝する人はあまりいないようで静かだった。
 古い神様がいた。スサノオよりもずっと古い神様だった。神様の話によると、内宮の地に太陽の神様が祀られ、この地に月の神様が祀られたという。
「外宮ができる前からこの地におられた神様です」と御師は説明した。
 内宮に向かう前に、もう一つ、ツキヨミを祀っている神社があるというので寄ってみた。『月読宮(つきよみのみや)』と呼ばれ、境内には二つの神社があって、一つにはツキヨミが祀られ、もう一つには、アマテラスの両親のイザナギイザナミが祀られていた。
「どうして、こんなに近くにツキヨミ様を祀る神社が二つもあるのですか」とササは御師に聞いた。
「こちらの方が新しいのです。内宮ができてから、アマテラス様の御両親と弟のツキヨミ様を祀る神社をこの地に建てました」
「えっ、ツキヨミ様って男の神様だったの?」とササは驚いた。月の神様は女神様だと思い込んでいた。
「本当は女神だったはずなのです。古い神話ではイザナギイザナミは二人の子供を生んで、アマテラスは男で、ツキヨミは女だったそうです」
イザナギイザナミって、スサノオ様と豊玉姫様の事?」
 御師は首を振った。
「古い神話の話です。古い神話の中にヒミコをアマテラスとしてはめ込んだようです」
 お祈りをして内宮に向かった。
 内宮に着いた時は、すでに将軍様たちは帰ったあとだった。
「歩きながらずっと考えていたんだけど、足利氏は天皇家から別れた清和源氏(せいわげんじ)よ。アマテラスのお母さんの豊玉姫様が琉球人だったら、足利氏にも琉球人の血が流れているの?」と御台所様がササに聞いた。
「それなのよ」とササが言った。
天皇家の先祖に琉球人がいたら具合が悪いので、誰かが、お母さんの豊玉姫様もお父さんのスサノオ様も消してしまったのよ」
将軍様の御先祖様はアマテラスで、ササの御先祖様はそのお母さんの豊玉姫様。遙かに遠いけど親戚になるのね」
 親戚と言われて、ササは首を傾げた。
「何となく、ササとは縁があるような気がしたの」と御台所様は嬉しそうに笑った。
 内宮は聖地だった。古い神様がいっぱいいた。
 スサノオの子孫たちがこの地に来て、スサノオやホアカリ、トヨウケ姫を祀る前、太陽の神様や川の神様が祀られていた。中でも龍神(りゅうじん)様と呼ばれる神様は恐ろしい神様だったらしい。この地に神宮を建てる時、龍神様は封じ込まれてしまったようだった。
 山田の御師の屋敷に帰ると、将軍様はお神楽(かぐら)を見ながら、お神酒(みき)を飲んでいた。ササたちもお神酒をいただいて、お神楽を楽しんだ。

 

 

 

いま行く!伊勢神宮お参りパーフェクトブック(みらい出版) (聖地のひみつ 1)   伊勢神宮と天皇の謎 (文春新書)

2-79.山南王と山北王の同盟(改訂決定稿)

 十月二十日、糸満(いちまん)の港に今帰仁(なきじん)から『油屋』の船と『材木屋』の船がやって来た。『油屋』の船には、花嫁の山北王(さんほくおう)(攀安知)の長女、マサキとンマムイ(兼グスク按司)の妻子が乗っていて、『材木屋』の船には大量の丸太が積んであった。
 迎えに来ていたサムレーたちに守られて、花嫁の一行は島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスクまで花嫁行列を行なった。沿道にはヤンバル(琉球北部)から来た花嫁を一目見ようと見物人が溢れていた。
 ンマムイは妻子を迎えると、ヤタルー師匠(阿蘇弥太郎)に護衛させて阿波根(あーぐん)グスクに向かわせ、ンマムイ自身は馬に跨がり、花嫁行列を追って島尻大里グスクに向かった。
 花嫁の護衛役として今帰仁から来たのは本部(むとぅぶ)のテーラー(瀬底之子)だった。最後尾で馬に乗っていたテーラーの横に馬を並べるとンマムイは声を掛けた。
「奥方と子供たちを無事にお連れしましたよ」とテーラーはンマムイを見て笑った。
 ンマムイはお礼を言ったあと、「謹慎は解けたようですね」と聞いた。
「マハニのお陰ですよ。マハニが頼んでくれたのです。南部に来たのは、先々代の中山王(ちゅうさんおう)(察度)の葬儀以来です。もう十五年も前の事になります。あの時は、浮島(那覇)から上陸して浦添(うらしい)に行ったのですが、随分と変わった事でしょうな」
浦添は寂れましたよ」とンマムイは首を振った。
「中山王の都は浦添から首里(すい)に変わりました。まだ、今帰仁の城下には及びませんが、あと十年もしたら立派な都になるでしょう」
「そうですか。是非、首里に行ってみたいものですな」
「あとで御案内しますよ」
「頼むぞ。夏になるまで帰れんからな。あちこちに連れて行ってくれ」
「えっ、テーラー殿は夏までいるのですか」とンマムイは驚いた。
「陸路では帰れんだろう」とテーラーは苦笑した。
 確かにテーラーの言う通りだった。陸路で帰るには中山王の領内を通らなくてはならない。兵を引き連れて、長い道のりを無事に抜けられるはずはなかった。
 島尻大里グスクに着くと、花嫁の一行と護衛のテーラーたちは客殿に入って一休みした。婚礼の儀式が始まるのは申(さる)の刻(午後四時頃)からだった。ンマムイは一旦、阿波根グスクに帰った。
 山南王(さんなんおう)(汪応祖)と山北王の婚礼にふさわしく、華やかな婚礼の儀式だった。招待されたのは山南王の長男の豊見(とぅゆみ)グスク按司、次男のジャナムイ、娘婿の長嶺按司(ながんみあじ)、小禄按司(うるくあじ)、瀬長按司(しながあじ)、与座按司(ゆざあじ)、李仲按司(りーぢょんあじ)、伊敷按司(いしきあじ)、真壁按司(まかびあじ)、そして、山北王の代理の本部のテーラーと兼(かに)グスク按司のンマムイだった。参加者は皆、用意されていた明国(みんこく)の官服(かんぷく)を身に付けて婚礼の儀式に参加した。
 花嫁と花婿は明国風の豪華な衣装を身にまとって、島尻大里ヌル、豊見グスクヌル、慶留(ぎる)ヌル(前島尻大里ヌル)、真栄平(めーでーら)ヌル、与座ヌル、真壁ヌルの六人のヌルたちは、まるで天女のような薄絹をまとって厳粛に儀式を執り行なった。
 儀式が終わると大広間に移動して、祝宴が開かれ、明国の料理と酒が振る舞われた。皆、御機嫌な顔をして、山南王と山北王が同盟したら、勢いに乗っている中山王の時代も、まもなく終わりになるだろうと豪語していた。城下の遊女屋(じゅりぬやー)の遊女(じゅり)も加わって、祝宴は夜遅くまで続いたが、ンマムイは早めに切り上げて阿波根グスクに帰った。
 山南王のシタルーはテーラーと一緒に酒を飲み、山北王の事などを聞いていた。
 テーラーは山南王とは初対面だと思っていたのに、山南王から、久し振りですなと言われて戸惑った。先々代の中山王の葬儀の時、山北王と一緒にお会いしたと言われ、当時、豊見グスク按司だった山南王の事を思い出した。
 あの時、豊見グスク按司は明国の留学から帰って来たばかりで、明国の話を色々と聞いたのだった。豊見グスク按司の話を聞いてテーラーも明国に行きたくなって、その翌年、山北王に頼んで、使者の護衛として明国に行き、その後も何度も明国に行った。明国の話で盛り上がって、二人は機嫌よく語り合っていた。
 途中から李仲按司も話に加わって来て、李仲按司は昔、今帰仁にいた事があると言ったが、テーラーは知らなかった。李仲按司が山北王の使者として明国に行ったのはテーラーが十五歳の時で、その頃のテーラー今帰仁とは縁がなく、本部で暮らしていた。中山王の進貢船(しんくんしん)に便乗して使者を送っていた山北王は、今帰仁合戦のあと、使者を送れなくなってしまい、李仲按司今帰仁を去ったのだった。李仲按司琉球に来る前に旧港(ジゥガン)(パレンバン)に行った事もあり、テーラーは興味深く異国の話を聞いていた。
 他の按司たちと一緒にグスク内の客殿に泊まったテーラーは、翌日、城下にある屋敷に案内された。重臣が住むような立派な屋敷で、配下の十人のサムレーたちはすでに来ていて、お世話をするための侍女たちもいた。
「立派な屋敷を与えられましたが、俺たちはここで暮らして、来年の夏まで何をしていればいいのです?」と備瀬(びし)のサンルーがテーラーに聞いた。
「俺たちの仕事は山南の様子と、できれば中山の様子を調べる事だ。あちこち歩き回って色々と調べる事だよ」
「勝手に出歩いてもいいのですか」
「まあ、とにかく好きにやってみよう。何か文句を言われたら、その時、考えればいい」
「よその土地に行ったら、まず、遊女屋へ行けでしたね」とサンルーは笑った。
「そうじゃ。遊女屋に行けば様々な噂が耳に入る。今晩、行ってみるがいい」
「大将は行かないので?」
「わしは兼グスク按司に会って来るよ。昨夜(ゆうべ)、ろくに話もしないうちに、奴は引き上げてしまったからな。わしと酒を飲むより、かみさんに会いたかったようだ」
 サンルーは笑うと仲間たちの所へ行った。
 テーラーが荷物の整理をしていると島尻大里グスクから使いの者が来た。山南王がすぐに会いたいという。何事かと思いながら、テーラーは島尻大里グスクに向かった。
 山南王のシタルーはグスクの奥にある立派な屋敷の二階で待っていた。グスク内は思っていた以上に広くて迷子になりそうだった。このグスクを攻める事はないとは思うが、滞在中にグスク内の様子も頭に入れておこうとテーラーは思った。
 シタルーは顔を曇らせて、テーラーを迎えた。何かよくない事が起こったようだと思ったが、自分が呼ばれた理由はわからなかった。シタルーは人払いをしたあと、「兼グスク按司に会ったか」と聞いた。
 テーラーは首を振った。
「今晩、会いに行こうと思っております」
「兼グスク按司の居場所は知っているのか」
「奴のかみさんから聞いています。島尻大里の北(にし)に一里(約四キロ)ばかり行った所にある阿波根グスクだと聞いております」
「そうだ。阿波根グスクが兼グスク按司のグスクだ。今朝、侍女に命じて、奴の忘れ物を届けさせた。そしたら、阿波根グスクには誰もいなかったと言ったんだ。信じられなかったので、サムレーたちを送って調べさせたが、やはり、もぬけの殻になっていた」
「何ですって!」とテーラーは驚いた顔をしてシタルーの顔を見つめてから、「兼グスク按司はどこに行ったのです?」と聞いた。
「わからん」とシタルーは苦虫を噛み潰したような顔をして首を振った。
「誰もいないという事は家臣たちもいないという事ですか」
「そうだ。一夜にして、家臣もろとも消えたんだ」
「信じられない。一体、何が起こったのです?」
「多分、寝返ったのだろう」
「寝返る? ンマムイが中山王に寝返ったというのですか」
「多分な」
「そんな事は信じられません。奴のかみさんは山北王の妹なんですよ。どうして、敵である中山王に寝返るのです。ンマムイの奴め、マハニを無理やり連れて行ったに違いない。一体、奴は何を考えているんだ。こんな事になるのなら、マハニを連れて帰るんじゃなかった」
 テーラーが帰ったあと、シタルーは拳(こぶし)を強く握りしめて、必死に怒りを抑えていた。
「サハチ(中山王世子、島添大里按司)の仕業に違いない」とシタルーは一人つぶやいた。
 ヤンバルでの襲撃に失敗したのは、ンマムイとヤタルー師匠の腕を甘く見たためだと思っていた。しかし、昨夜の襲撃の失敗はンマムイだけの力ではない。サハチが絡んでいるのに違いなかった。
 昨夜、シタルーは刺客(しかく)を送ってンマムイたちを襲撃した。ンマムイが集めた武芸者とサムレーたちはシタルーが贈った祝い酒を飲んで、酔い潰れているはずだった。十人の刺客たちはンマムイとマハニ、子供たちを殺せばよかった。簡単に終わるはずだった。ンマムイたちを殺したのは中山王の刺客だとテーラーに報告して、至急、今帰仁に戻ってもらう予定だった。
 ところが、刺客たちは待ち伏せに遭って、七人が殺され、三人がかろうじて逃げて来た。三人の報告によるとすでに、もぬけの殻になっていたという。百人余りもの家臣やその家族を一晩で移動させるなんて芸当は、ンマムイ一人でできる事ではなかった。必ず、サハチが絡んでいるに違いない。
 しかし、なぜ、昨夜の襲撃がばれたのか、シタルーには理解できなかった。もしや、テーラーもこの事に絡んでいるのかもしれないと疑って、呼んでみたがテーラーは何も知らないようだった。
 今回の作戦がうまくいけば、粟島(あわじま)(粟国島)から兵を呼び寄せて、山北王の動きを見守っていればよかった。妹を殺された山北王がどう出るかわからないが、中山王の挟み撃ちが早まる事は確かだろう。山北王が動けば情勢は変わってくる。山北王の勢いを恐れて、寝返る者たちが続出するに違いない。
 タブチ、米須按司(くみしあじ)、玻名(はな)グスク按司が明国に行っていて、いないのも都合がいい。タブチの若按司に山南王にさせるからと言えば寝返るに違いない。タブチの若按司が寝返れば、その妹婿の米須の若按司も寝返るだろう。米須の若按司の妹婿の具志頭按司(ぐしちゃんあじ)も寝返る。義弟の糸数按司(いちかじあじ)も寝返らせて、東方(あがりかた)の按司たちを説得させる。
 山北王が陸路で南下すれば、山田按司、伊波按司(いーふぁあじ)、安慶名按司(あぎなーあじ)は籠城して動けなくなる。山北王が勝連(かちりん)グスクを攻めている時、山南王の兵は首里を攻め、タブチの若按司たちに島添大里(しましいうふざとぅ)を攻めさせる。首里グスクは簡単には落ちないだろうが、首里グスクの下には大きなガマ(洞窟)がある。ガマへの入り口はふさがれてしまったが、探せば他にもガマへ入る穴が見つかるかもしれない。ガマに入る事ができれば、首里グスクの落城は確実だった。
 また、山北王が海路で来た場合は、浮島は山北王に占領される。明国から帰って来た進貢船(しんくんしん)は山北王に奪われるだろう。山北王は浮島から首里に向かって首里グスクに攻撃を掛ける。それに加わって、ガマの入り口探しをすればいい。
 シタルーの計算では、首里グスクを包囲してから、一か月以内にはガマに侵入できると考えていた。中山王になれるのもまもなくだと夢を描いていたのに、すべてが台無しになってしまったのだった。
「くそったれ!」とシタルーは悪態をついて、卓上にあった書物を投げ付けた。
 その頃、新(あら)グスク内の屋敷ではンマムイたちが引っ越し祝いの宴(うたげ)を開いていた。
「まさか、婚礼の夜に襲って来るとは思わなかった」とンマムイは言って、ウニタキに酒を注いだ。
「あの夜が一番効果があるんだ」とウニタキは言った。
「お祝いの夜に、そんな馬鹿な真似はしないだろうと皆が安心している。現にシタルーは祝い酒を大量に贈って来た。いい気になって、あれを飲んでいたら、みんな、殺されていただろう。それに、婚礼が済んで何日か経ってしまうと、同盟が決まったのに、なんで今更、裏切り者を殺すんだと疑問を持つ者も現れてくる。婚礼の夜に殺せば、見せしめとして殺されたんだと誰もが思うだろう」
 花嫁行列を送り届けて、阿波根グスクに戻って来たンマムイは、「すぐに引っ越しだ」とウニタキから言われたのだった。婚礼のあとに引っ越しする事になっていたので、すでに準備は万全だったが、あまりにも急すぎた。怪しまれないように最低の人数だけを残して、他の者たちは皆、グスクの近くにあるガマを利用して東側に抜け、そこから新グスクへと向かって行った。
 島尻大里で婚礼が始まると、残っていた者たちも少しづつガマの中に入って行き、ンマムイが宴席を抜け出して戻って来た時には、数人のサムレーが残っているだけだった。ンマムイは八年間暮らした阿波根グスクに別れを告げて新天地を目指した。誰もいなくなった阿波根グスクで、刺客を待ち伏せしていたのはウニタキと配下の者たちだった。刺客全員を殺す事はできなかったが、ウニタキは深追いはさせずに引き上げてきた。
 八重瀬(えーじ)グスクの出城に過ぎない新グスクには城下の村というものはないが、それでもグスクの近くなら何かが起こった時に安全だろうと、八重瀬の城下に住んでいる者たちの次男、三男がやって来て住み着き、荒れ地を開墾して畑仕事に精を出していた。その小さな村に、ンマムイの家臣たちが暮らす仮小屋がいくつも建てられ、時の流れで忘れ去られていた新グスクが活気に満ちていた。
 村人たちは高貴なお方がやって来ると大騒ぎだった。村人たちから見れば、先代の中山王(武寧)の息子は雲の上の人だった。しかも、その奥方は山北王の妹だという。村人たちはそんな高貴なお方とどう接したらいいのか悩み、恐れと喜びが混ざった複雑な気持ちで、ンマムイたちを迎えていた。
 新グスクが築かれたのは三十年余りも前だった。築いたのはシタルーの父親の汪英紫(おーえーじ)で、当時、八重瀬按司だった汪英紫は東方を攻め取ろうと考え、新グスクを築いてシタルーに守らせた。その三年後、汪英紫は島添大里グスクを奪い取って、島添大里按司となり、五年後には大(うふ)グスクも奪い取って、シタルーを大グスク按司にした。その頃の汪英紫はまだ東方を攻め取ろうという考えを捨てず、新グスクはまだ機能していた。汪英紫が考えを変えたのは明国から帰って来てからだった。東方を攻める事はやめて、交易に力を入れるようになり、シタルーに豊見グスクを築かせた。新グスクの存在価値は失われ、八重瀬按司のタブチに任されて、今に至っていた。
 汪英紫が造ったグスクだけあって、しっかりした造りのグスクだった。若き日のシタルー夫婦が暮らしていた屋敷も、大きくはないが阿波根グスクの屋敷と似たようなものだった。グスクからの眺めもいいし、このまま、ここで暮らすのも悪くはないとンマムイは思っていた。マハニもこれで安心して眠れるわと喜んでいた。
「でも、あたしの立場はどうなるの?」とマハニはンマムイとウニタキを見た。
 刺客から逃れるために中山王の庇護下に入ってしまったのだった。この先、兄の山北王が中山王を攻めたら、兄たちと敵味方に別れてしまう。敵になってしまったら、もう今帰仁へは帰れない。それが一番悲しかった。
「もともと、お前は中山王の倅だった俺に嫁いで来たんだから、もとに戻ったと思えばいいよ」とンマムイはわけのわからない事を言った。
「そうか、そうよね。山南王と同盟したとはいえ、兄は今のところ、中山王は攻めないわ。子供たちと平和に暮らせればそれでいいわ」
 わけのわからない事を言ったンマムイと、それで納得したマハニを見て、面白い夫婦だとウニタキは思っていた。この先、どうなるかわからないが、この二人なら何とか乗り越えて行けそうだった。
 荷物の片付けも終わった二日後、ンマムイは家族を連れて八重瀬グスクを訪ねた。新グスクから八重瀬グスクは半里(約二キロ)ほどの距離で、散歩に丁度よかった。孫たちを見て、ンマムイの母親は喜んで、一緒に新グスクまで来た。
 剣術を習うために阿波根グスクに通っていたタブチの末っ子のチヌムイは、婚礼の翌日、阿波根グスクに行ったら知らないサムレーがいっぱいいて、恐ろしくなって帰って来た。兼グスク按司がどこかに消えたという噂も耳にして心配していたという。チヌムイも一緒に付いてきた。
 ウニタキからもらったお茶を飲みながら、
「どうして、阿波根からここに移って来たんだい?」と母はンマムイに聞いた。
 シタルーに襲われたとは言えなかった。シタルーは母の弟だった。
「シタルーのために今帰仁まで行って来たというのに、どうして、阿波根から逃げなくてはならなくなったんだい?」
「俺がフラフラしているせいで、身に危険が迫ってきたのです」
「シタルーがお前を殺そうとしたのかい?」
 ンマムイは笑ってごまかした。
 母親も軽く笑って、お茶を飲んだ。
 昔話をしているとナーサの事が話題になって、首里にいると言ったら、母は驚いた顔をした。
「あの時、亡くなってしまったと思っていたよ。生きているなら、どうしても会いたい」
「ウニョンの事、ナーサから聞きました」とンマムイが言うと母は遠くを見るような目をして、「ウニョン」とつぶやいた。
「そう、知ってしまったのね。誰にも知られずに、あの世まで持って行こうと思っていたのよ」
「ナーサを恨んでいるのですか」
「若かった頃は恨んでいたよ。ウニョンは可愛い娘だった。あの子はずっと、あたしが母親だと思っていたのよ‥‥‥娘のそばにいて、母親だと名乗れないナーサの方がずっと苦しいんだって気づいたのは、あの子が亡くなったあとだった。ナーサはいつも、あたしのそばにいた。十五の時に浦添に嫁いで、浦添グスクが焼け落ちるまで、三十年以上も一緒にいたのよ。もう身内みたいなものだわ。ナーサはあたしのお姉さんなのよ」
 ンマムイは母を首里に連れて行く事にした。母を馬に乗せて、ンマムイが手綱を引いて首里へと向かった。
「どうして、山南王ではなく、八重瀬按司を頼ったのですか」とンマムイは母に聞いた。
「八重瀬に母親がいたからよ。息子たちが争いを始めたので、随分と苦労したようだったわ。三年前に亡くなったけど、安らかな死に顔だったわよ」
「そうだったのですか」
 首里に着いて、グスクの高い石垣を左に見ながら進んだ。ンマムイは六年前、冊封使(さっぷーし)が来て、このグスクで冊封の儀式を行なった日の事を思い出していた。五月の暑い日だった。明国の官服を着て汗びっしょりになっていた。その時、母は綺麗な着物を着て、王妃として父と並んでいたのだった。
「今の中山王を恨んでいますか」とンマムイは母に聞いた。
 母は笑って首を振った。
浦添グスクが焼け落ちて、家臣たちに連れられて八重瀬グスクに行った頃は恨みましたよ。どうして、こんな目に遭わなければならないんだって、今の中山王を恨んだわ。でもね、時が経ってくると夢を見ていたような気になったのよ。あなたのお祖父(じい)さんは最初は与座按司(ゆざあじ)だったわ。八重瀬按司を倒して、八重瀬按司になって、島添大里按司を倒して、島添大里按司になって、山南王を倒して山南王になった。滅ぼされた者たちの事なんて考えた事もなかったけど、自分が同じ目に遭って、滅ぼされた者たちの気持ちもわかるようになったのよ。みんな、父を恨んでいたんだなってね。もう一人のあなたのお祖父さんもそうよ。浦添按司を倒して、浦添按司になったわ。永遠に続くものなんて、この世にはないのよ。今の中山王もきっと誰かに滅ぼされるでしょう」
 首里の大通りに出た。人々が賑やかに行き交っていた。
「これが新しい都なのね」と母が言った。
首里天閣(すいてぃんかく)があった所なんでしょ。あの頃は木が鬱蒼(うっそう)と茂っていたわ」
首里天閣に来た事があったのですか」
「ナーサにつれて来てもらったのよ」
「そうでしたか」
 遊女屋『宇久真(うくま)』に着いた。あまりにも立派な遊女屋なので、母は驚いていた。
「一流の遊女屋です」とンマムイは言った。
 昼間なので店は開いていない。入り口で声を掛けると仲居が出て来て、ンマムイが女将に会いたいと言うとすぐに引っ込んだ。
 ナーサはすぐに現れて、ンマムイを見ながら、「昼間っから遊びに‥‥‥」と言って口をつぐんで、ンマムイの隣りにいる母をじっと見つめた。
「王妃様(うふぃー)‥‥‥」と言ったナーサの目は潤んでいた。
 母も、「ナーサ‥‥‥」と言ったままナーサをじっと見つめ、目からは涙がこぼれ落ちていた。
「無事だったのね」と二人とも涙を拭って笑い合った。
 ンマムイはナーサに母親を預けて、その場から去った。

 

 

 

春雨 11年古酒 43度 720ML

2-78.イハチの縁談(改訂決定稿)

 首里(すい)グスクの北、会同館(かいどうかん)の隣りに宗玄寺(そうげんじ)の普請(ふしん)が始まっていた。サハチ(中山王世子、島添大里按司)はすべてを一徹平郎(いってつへいろう)に任せて、一徹平郎は立派な禅宗寺院を作ってみせると張り切っていた。サハチには仏教の事はよくわからないが、ソウゲン(宗玄)もナンセン(南泉)もジクー(慈空)禅師も皆、禅僧だった。
 九月の半ば、島添大里(しましいうふざとぅ)グスクに帰っていたサハチを八重瀬按司(えーじあじ)のタブチが訪ねて来た。驚いた事に米須按司(くみしあじ)と玻名(はな)グスク按司が一緒だった。貫禄のある三人が並んでいる姿は威圧感があった。サハチは一階の会所(かいしょ)に案内して、話を聞いた。
「十月の進貢船(しんくんしん)に、この二人も乗せたいんじゃが、どうじゃろうか」とタブチはサハチに聞いた。
「お二人が東方(あがりかた)に寝返ると言う事ですね?」
「そういう事じゃ」とタブチは言って、米須按司と玻名グスク按司を見た。二人とも神妙な顔付きでうなづいた。
「乗せるのは構いませんが、山南王(さんなんおう)(シタルー)が知ったら怒ると思いますよ」
「怒ったとしても攻めて来る事はあるまい」とタブチは言った。
「そなたも知っているとは思うが、シタルーは山北王(さんほくおう)(攀安知)と同盟するつもりじゃ。シタルーの三男に山北王の娘が嫁いで来る。その婚礼が十月に決まったようじゃ。婚礼の前に騒ぎは起こすまい」
 サハチは笑った。タブチが山南王と山北王の同盟の事を詳しく知っているとは思ってもいなかった。やはり、タブチもやるべき事はちゃんとやっているようだ。
「出帆(しゅっぱん)はその婚礼の前になると思います」とサハチは言った。
「今までと違って、冬山を通って応天府(おうてんふ)(南京)まで行かなければなりません。厳しい旅になると思いますが、大丈夫ですか」
「噂に聞く雪山じゃな」と米須按司が言った。
「真っ白な雪山というのを一度、見てみたいと思っていたんじゃ、のう」と言って豪快に笑った。
「頼みがあるんじゃが」とタブチがサハチを見て言った。
「婚礼のあと、シタルーの奴がわしらのグスクを攻めた場合なんじゃが、守ってもらえるじゃろうか」
「東方に寝返ったのなら当然です。何としてでも守りますよ」
「それを聞いて安心した。倅たちにはシタルーが攻めて来たら、戦わずに籠城(ろうじょう)しろと言ってある。どうか、シタルーの兵を蹴散らしてくれ」
 サハチは三人の顔を一人づつ見つめてうなづいた。
「それともう一つ頼みがあるんじゃ」とタブチは言った。
「去年亡くなった具志頭按司(ぐしちゃんあじ)の娘で、今年十六になった娘がいるんじゃが、そなたの三男の嫁に迎えてほしいんじゃが、どうじゃろうか」
「イハチの嫁に?」
「今の具志頭按司の叔母に当たる娘なんじゃ。母親は後妻なんじゃが、そなたの奥方様(うなじゃら)の弟子なんじゃよ」
「えっ、マチルギの弟子?」
 タブチはうなづいた。
「具志頭按司に仕えていたサムレーに嫁いだようだ」
「佐敷の娘が具志頭のサムレーに嫁いだのですか」
「娘の父親は具志頭の生まれなんじゃよ。馬天浜(ばてぃんはま)に行ってカマンタ(エイ)捕りをすれば稼げると聞いて出掛けて行って、佐敷の娘と一緒になって生まれたのが、その娘なんじゃ。娘は父親の知り合いのもとへ嫁いだのじゃろう。しかし、わしの親父(先代山南王、汪英紫)が島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスクを攻め取った時の戦(いくさ)で、その娘の夫は戦死してしまった。その娘は夫に代わって、鎧(よろい)を身に付けて戦に出たそうじゃ。その姿が具志頭按司の目に止まって、一年後、後妻に迎えられたというわけじゃ」
「その後妻の娘をイハチの嫁に迎えろというのですか」
「なかなか綺麗な娘じゃよ。母親に似て武芸が好きなようじゃ。亡くなった具志頭按司に教わって、弓矢の腕は相当なものらしい。勿論、母親から剣術も習っている」
「面白そうな娘ですね」
「婚礼はわしが明国(みんこく)から帰って来てからでいいんじゃが、どうじゃろうのう」
「マチルギの弟子の娘というのも何かの縁でしょう。イハチの嫁に迎えましょう」
 タブチは満足そうにうなづいて、「ありがとう」と言った。
 三人が帰って行ったあと、サハチはウニタキ(三星大親)を呼んだ。ウニタキは半時(はんとき)(一時間)ほどでやって来た。
「早いな」とサハチが言うと、「旅芸人の小屋にいたんだ」と答えた。
メイリン(美玲)と一緒じゃなかったのか」
メイリンもそろそろ帰る準備で忙しいそうだ」
「もう帰る準備をしているのか」
「あと一月だからな。積み荷の事やら色々とあるのだろう。娘のスーヨン(思永)は佐敷ヌルに憧れて、ヌルになると言って、ずっと佐敷ヌルと一緒にいるんだ」
「スーヨンがヌルになるのか」と言って、サハチは笑った。
「ヌルが何だか知らないんだよ。女子(いなぐ)サムレーのお頭がヌルだと思っているんだ」
 サハチは腹を抱えて笑った。
「確かにな。佐敷ヌルを見ていたらそう思うだろう。いつも、女子サムレーの格好でいるしな。すると、佐敷グスクにいるのか」
「そうだよ。ササがいなくてよかった。ササがいたらササと一緒になって何をするかわかりゃしない」
 サハチはさらに笑っていたが、真顔に戻ると、「メイユー(美玉)も佐敷グスクにいるんだ」と言った。
「聞いたよ。馬天浜のお祭り(うまちー)の準備を手伝っているんだろう」
「ずっと、お祭りの準備さ。側室になった次の日に佐敷ヌルに連れられて与那原(ゆなばる)に行って、与那原のお祭りが終わったら平田に行って、今度は馬天浜だ。そして、馬天浜のお祭りが終わったら、さよならさ。何のために側室になったのかわかりゃしない」
 今度はウニタキが腹を抱えて笑った。
「お祭りを決めたのはお前だろう」
「そうなんだが、まさか、メイユーを取られるとは思ってもいなかった」
「来年は誰かを正式に佐敷ヌルの助手にした方がいいぞ」
「そうだな」とサハチは真剣な顔をしてうなづいた。
「ところで、何かあったのか。笑わせるために呼んだのではあるまい」
 サハチは米須按司と玻名グスク按司が東方に寝返った事を伝え、イハチと具志頭按司の娘の婚約の事を話した。
「タブチ、米須按司、玻名グスク按司の三人がいなくなれば、シタルーは必ず動くぞ」
「やはり、そう思うか」
「山北王との同盟の条件だからな。本気でタブチを倒そうとするだろう。まずは米須按司だな。米須按司には二人の息子がいて、長男の若按司の妻はタブチの娘だ。次男の妻は小禄按司(うるくあじ)の妹だ。シタルーはその二人を争わせて、次男を米須按司にするかもしれんぞ」
小禄按司の妹か‥‥‥小禄按司は寝返らんかな」
「寝返るかもしれんな。先代が亡くなった時、クグルーが葬儀に出たが、特にいやな思いはしなかったと言っていた。小禄按司はクグルーを叔父として認めてくれたようだ。クグルーの姉は山田按司の妻になっているし、小禄按司の妹は安謝大親(あじゃうふや)の長男に嫁いでいる」
「なに、安謝之子(あじゃぬしぃ)の妻は小禄按司の妹だったのか」
 安謝大親首里の大役(うふやく)を務め、その長男の安謝之子は今、従者となってヤマトゥ(日本)に行っていた。
小禄按司は様子を窺っているのだろう。山南王と山北王が同盟したあと、どうなるのかを見て、先の事を決めるのだろう。それに、宇座按司(うーじゃあじ)がどう出るかだな。いつまでも、中途半端な立場ではいられまい」
「息子たちが山南王の使者になっているから、そう簡単には引き上げる事もできまい」
「宇座按司には三人の息子がいて、長男のタキは山南王の正使を務めているが、妻は首里重臣、中北大親(なかにしうふや)の娘だ。寝返らせて、中山王(ちゅうざんおう)の正使にすればいい。次男のマタルーの妻はシタルーの重臣、新垣大親(あらかきうふや)の娘で、三男のグハチの妻は李仲按司(りーぢょんあじ)の娘だ。この二人は寝返らないだろう」
「そうか。二人の息子が山南に残るか‥‥‥ところで、シタルーは兵を動かすかな」
「前回、タブチの留守に米須按司、玻名グスク按司、具志頭按司、真壁按司(まかびあじ)、伊敷按司(いしきあじ)を寝返らせたのは李仲按司だ。今回も李仲按司を使うのだろう。兵を動かすのはそのあとだな。兵を出して負けたらシタルーは終わりだ。みんな、寝返ってしまうだろう」
 サハチはうなづいて、「李仲按司か‥‥‥」と呟いた。
「李仲按司の倅はまだ国子監(こくしかん)にいるのか」
「一度、帰って来たようだが、また戻ったようだ」
「そうか。向こうでファイテ(懐徳)たちと会うな」
「そうだな」とウニタキはうなづいた。
「李仲按司は敵に回したくない」とサハチは言った。
「敵に回したくはないが、シタルーの軍師のような立場だからな、寝返る事はあるまい。シタルーなんだが、またグスクを築いているようだぞ」
「今度はどこにだ?」
「豊見(とぅゆみ)グスクと阿波根(あーぐん)グスクの中間辺りだ。保栄茂(ぶいむ)という地名らしい。ンマムイ(兼グスク按司)を見張るためだろう」
「いや、そのグスクはシタルーの三男と山北王の娘の新居かもしれんぞ。ンマムイの奥さんは嫁いで来る娘の叔母だからな。近くに新居を築いているのかもしれん」
「すると、シタルーはンマムイの奥さんを殺すのは諦めたのか」とウニタキはサハチに聞いた。
「諦めてはいないだろう。ンマムイの奥さんが中山王の刺客に殺されれば、山北王は怒って攻めて来るだろう。山北王を動かす、一番手っ取り早い方法だ」
「嫁いで来る娘を殺すという手もあるぞ。そうなると、その娘も守らなくてはならなくなる」
「中山王が山北王の娘を殺す理由はない。ンマムイの奥さんは、同盟に奔走したンマムイを殺し、その巻き添えで殺されたという事にするつもりなんだ」
「そうだったな。しかし、同盟が決まってしまえば、ンマムイを殺す理由もなくなるんじゃないのか」
「そうとは限らん。同盟を結んだ山南王と山北王と戦う前に、中山王が裏切り者を始末するという事も考えられる。裏切り者を放っておいたら、中山王としても従っている按司たちに示しがつかんからな」
「そうだな。やはり、ンマムイにははっきりと寝返ってもらった方がいいな」
「ただ、ンマムイの奥さんは微妙な立場になってしまう。今帰仁(なきじん)から帰って来たら、今帰仁の敵になってしまう」
「それはンマムイの奥さんだけじゃないだろう。豊見グスクに嫁いだお前の妹も敵になってしまうし、クルーの嫁さんも、親兄弟と敵になってしまう」
「そうか、シタルーが敵になったら、また、『ハーリー』には中山王の龍舟(りゅうぶに)は出せなくなるな」
「代わりに山北王の龍舟が出るだろう」
 サハチは苦笑した。山南王と山北王の同盟が決まれば、島尻大里グスクに山北王の家臣たちが出入りするようになり、龍舟も出すに違いなかった。
「イハチの婚礼の件だが、相手の娘の母親がマチルギの弟子だったそうだが、知っているか」
「亡くなった具志頭按司の奥さんは米須按司の叔母だったんだが、かなり前に亡くなっている。若い娘を後妻に迎えたというのは聞いていたが、それがマチルギの弟子だったとは知らなかった」
「名前はナカーというらしい。マチルギに聞いたらわかるかもしれんな」
「ナカーか‥‥‥知らんな。それで、その娘をイハチの嫁に迎えるのか」
「そのつもりだ。糸数(いちかじ)か垣花(かきぬはな)か北谷(ちゃたん)から迎えようと思っていたんだが、年の合う娘はいなかったんだ。具志頭按司の娘なら文句はない。それに、母親から剣術を習っているというから、家風に合うしな」
「イハチの奴、まだ、対馬(つしま)のミツの事を思っているんじゃないのか」
「来なかったんだから仕方がない。何とか納得させるよ」
 首里グスクに行ってマチルギに聞いたら、具志頭に嫁いで行ったナカーの事を覚えていた。『三星党(みちぶしとー)』に入ったムトゥと同期で、二年間、稽古に励んでいたという。その頃、馬天ヌルや佐敷ヌル、ウニタキの妻のチルーも一緒だったから、三人も覚えているだろう。首里の女子サムレーの総隊長を務めているトゥラの一年先輩で、お嫁に行かなければ、総隊長になっていたかもしれないと言った。
 そのナカーの娘をイハチの嫁にもらうつもりだと言ったら、それはいい縁だわとマチルギは喜んでくれた。
 馬天ヌルにも聞いたら、ナカーの事をよく覚えていた。ウタキ(御嶽)巡りの旅をした時、具志頭に行って、ナカーが具志頭按司の後妻になっていたのに驚いたという。
「その時、三歳の可愛い女の子がいたけど、きっと、その子がお嫁さんになるのね。ナカーは美人だったから、その子もきっと美人よ。イハチも気に入るに違いないわ」
 馬天ヌルは喜んだあと空を見上げて、「台風が来るわよ」と言った。
 サハチも空を見た。確かに台風が来る気配が感じられた。サハチは重臣たちに台風に備えるように命じると、島添大里グスクに帰った。
 佐敷ヌルとメイユーも帰っていて、サスカサ(島添大里ヌル)と一緒に台風対策をしていた。
「佐敷は大丈夫か」とサハチは佐敷ヌルに聞いた。
「大丈夫よ。サムレーたちを馬天浜に行かせて、対策をさせているわ」
「そうか」とサハチはうなづいて、メイユーと一緒にいるメイリンの娘のスーヨンを見た。女子サムレーの格好をしていて、メイユーの弟子になったシビーと仲よく何かを話していた。
 夕方から雨風が強くなった。大きな被害が出なければいいがと心配したが、夜更けには静かになり、朝になると嘘のようにいい天気になった。
 サムレーたちを各地に飛ばして調べさせたが、幸いに被害はなくて済んだ。ウニタキも調べたが、大きな被害を受けた所はなかったようだった。
 サハチたちは知らなかったが、キラマ(慶良間)の島が被害を受けていた。死傷者は出なかったものの、修行者たちの小屋は皆、吹き飛ばされていた。そして、シタルーが密かに兵を育てている粟島(あわじま)(粟国島)も被害を受け、糸満(いちまん)から来ていた船が座礁して、兵を島尻大里に送る事ができなくなっていた。
 マウシ(山田之子)の妻のマカマドゥのお腹が大きくなってきて、首里グスクの御内原(うーちばる)に入る事になった。サグルー(島添大里若按司)の妻のマカトゥダルはそんな気配はない。二人の仲はいいのに、なかなか子宝に恵まれないようだ。早く二人の子供が見たかった。
 ヤマトゥ旅から帰って来て、イハチは島添大里のサムレーになっていた。苗代之子(なーしるぬしぃ)(マガーチ)が率いる一番組のサムレーとして、島添大里グスクを守っていた。具志頭按司の娘をお嫁に迎える事に決まったと言うと、一瞬、驚いた顔を見せたが、「わかりました」とうなづいた。
「サグルー兄さんは山田按司の娘をお嫁にもらって、ジルムイ兄さんは勝連按司(かちりんあじ)の娘をお嫁にもらいました。俺もどこかの按司の娘をお嫁にもらうに違いないとずっと思っていました。北(にし)の方の按司の娘だと思っていましたが、南部の按司とは意外でした」
「俺も色々と探していたんだが、なかなか見つからなかったんだよ。今回の話は八重瀬按司が持って来たんだ。なかなかいい娘らしいぞ。婚礼は多分、来年の夏頃になるだろう」
 イハチはうなづいて、持ち場に帰って行った。あまり嬉しそうな顔はしていなかった。対馬のミツの事が忘れられないようだ。
 台風の二日後、山南王から婚礼の招待状が届いたと島添大里から知らせが入った。調べてみると招待状が来たのは島添大里、八重瀬、米須、具志頭、玻名グスク、阿波根、糸数で、他の東方の按司たちには来ていなかった。島添大里按司と山南王は同盟している。八重瀬按司は山南王の兄、米須按司は山南王の義兄、具志頭按司と阿波根グスクの兼グスク按司は山南王の甥、糸数按司は山南王の義弟だった。玻名グスク按司とは姻戚関係はないが味方だと思っているのだろう。
 サハチが強要したわけではないのに、兼グスク按司以外は皆、出席を断った。同盟を取り持った兼グスク按司のンマムイは婚礼を見届けてから寝返る事になっていた。
 山南王と山北王が同盟して、中山王を攻めるとの噂が流れてきて、首里の城下に住んでいる人たちが騒ぎ始めた。サハチは城下の人たちを北曲輪(にしくるわ)に集めて、詳しい状況を説明した。婚礼の日時と、同盟したからといって、敵がすぐに攻めて来る事はない。敵の動きは常に探っているので危険が迫った時は、グスクの太鼓を鳴らして、すぐに知らせるので心配しないようにと伝えた。城下の人たちも一応、納得して帰って行った。
 ウニタキが調べた所によると、島尻大里では婚礼の準備で大忙しだという。ンマムイも中心になって手伝っているらしい。
「殺されそうになったというのに、そんな事はなかったような顔をしてシタルーを手伝っている。まったく、面白い男だよ、あいつは」とウニタキは言った。
「シタルーは刺客(しかく)たちが全滅した事に気づいているのか」とサハチはウニタキに聞いた。
「あれから二か月が過ぎている。刺客たちから何の連絡がなければおかしいと思うだろう」
「ンマムイにやられたと思っているのかな」
「ンマムイとヤタルー師匠にやられたと思っているのだろう。敵を甘く見たと後悔しているんじゃないのか。ンマムイが襲撃があった事を一言も言わないので、シタルーとしても、それは中山王の仕業だとは言えないようだ」
「ところで、具志頭按司の娘を見てきたか」
 ウニタキは楽しそうに笑った。
「イハチを鍛えた方がいいぞ。イハチよりも強いかもしれない」
「なに、そんなに強いのか」
 ウニタキはうなづいた。
「まず母親だが、サムレー大将のような立場だ。男どもを顎(あご)で使っている。具志頭グスクはあの母親で持っていると言ってもいいな」
「そうか。マチルギから聞いたが、お嫁に行かなければ女子サムレーの総隊長になっていただろうと言っていた」
「チルーもナカーを知っていたよ。強かったと言っていた。具志頭の城下の者たちに聞いたら、戦の時は必ず、奥方様が鎧を着てグスクを守っていたと言っていた。弓矢の腕は奥方様にかなう者はいない。飛んでいる鳥でさえ落としてしまう神業だと自慢していた。娘はそんな母親から弓矢を教わった。勿論、剣術も教わっている。イハチの嫁になったら、マチルギのように娘たちを鍛えるに違いない」
「そうか。そいつは頼もしい。さて、イハチ夫婦の新居はどうするかな。ジルムイは首里のサムレーになったが、イハチは島添大里に置いて、嫁さんに娘たちを鍛えてもらうか」
「それがいいかもしれんな。島添大里には佐敷ヌルもいるし、佐敷ヌルとは気が合うだろう」
「よし、島添大里の東曲輪(あがりくるわ)にイハチの新居を建てよう。タブチが帰って来るまでには完成するだろう」
 十月十日、進貢船の出帆の儀式が浮島(那覇)で行なわれた。その船は正月に明国に行った船で、今年二度目の船出だった。正使はサングルミー(与座大親)、副使はタブチ(八重瀬按司)、サムレー大将は伊是名親方(いぢぃなうやかた)で、クグルーと馬天浜のシタルーが従者として乗り、ファイチ(懐機)の倅のファイテ(懐徳)と浦添按司の倅のジルークが官生(かんしょう)(留学生)として明国に行く。按司たちの従者は米須按司と玻名グスク按司だけで、あとは首里重臣たちの倅たちを行かせる事にした。クグルーとシタルーは二度目で、伊是名親方と一緒に行くシラーも二度目だった。
 四日後、馬天浜のお祭りがあって、お芝居は『サミガー大主(うふぬし)その二』が演じられた。
 大(うふ)グスク按司の娘を妻に迎えたサミガー大主は鮫皮(さみがー)作りに励んで、子供たちにも恵まれる。長男のサグルーはサムレーになるために剣術の修行を始め、海が好きな次男のウミンターはカマンタ捕りに熱中する。長女のマカマドゥはヌルになるための修行を始める。サグルーは大グスク按司の武術師範の美里之子(んざとぅぬしぃ)の娘をお嫁にもらい、苗代大親(なーしるうふや)を名乗って大グスク按司に仕える。島添大里按司が亡くなって家督争いが始まり、その隙に乗じて八重瀬按司が島添大里グスクを奪い取ってしまう。サグルーは大グスク按司に命じられ、佐敷にグスクを築いて佐敷按司になる。グスクが完成して、村人たちと大喜びしている場面でお芝居は終わった。
 サハチが誕生した場面では『ツキシルの石』が光り、合戦の場面では美里之子とサグルーが大活躍していた。メイユーも弟子のシビーと姪のスーヨンと一緒に八重瀬の兵を演じたという。
 馬天浜のお祭りの次の日、三姉妹の船は明国に帰って行った。側室になったメイユーは、楽しかったわと満足そうな顔をしていたが、サハチは少し不満だった。思紹が留守なので忙しくもあったが、もう少し二人だけの時間が欲しかった。
 メイユーの弟子になったシビーは、師匠と一緒に明国に行くと言って両親を困らせた。サハチが何とか説得して思いとどまらせたが、来年こそは必ず行くと密かに決心を固めているようだった。シビーは仲よくなったメイリンの娘のスーヨンと別れを惜しんでいた。
「来年、また帰って来るわね」とメイユーは笑って、サハチに手を振り、船に乗り込んだ。
 サハチ、ウニタキ、ファイチの三人は三姉妹の船を見送りながら、あの船に乗り込んで、一緒に明国に行けたらどんなに楽しいだろうと思っていた。
 三姉妹たちが帰った、その翌日には、進貢船があとを追うように出帆して行った。
 ファイチ夫婦と浦添按司夫婦は、官生となって三年間、明国で暮らす息子たちを心配しながらも、立派になって帰って来いよと励ましていた。
 ファイテの妻になったミヨンは、「こっちの事は心配しないで、色々な事を身に付けて来て下さい」と妻らしい事を言っていたが、目には涙がいっぱい溜まっていた。

 

 

 

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2-77.武当山の奇跡(改訂決定稿)

 武当山(ウーダンシャン)の山の中で、思紹(ししょう)(中山王)とクルー(思紹の五男)、ユンロン(芸蓉)はヂャンサンフォン(張三豊)の指導のもと、武当拳(ウーダンけん)の修行に励んでいた。
 琉球を船出してから、すでに三か月余りが過ぎていた。
 三月十八日に浮島(那覇)を出帆して、二十九日に温州(ウェンジョウ)に着いた。四月十六日にようやく上陸許可が下りて、思紹とヂャンサンフォンは使者たちと別れて杭州(ハンジョウ)に向かった。温州から杭州まで十日余りも掛かって、明国(みんこく)は果てしもなく広いと思紹は感じていた。クルーは去年、明国に来ていた。正使のサングルミー(与座大親)の従者として順天府(じゅんてんふ)(北京)まで行っている。従者なので勝手な行動はできず、決められた場所しか行けなかったので、今回、使者たちと別れて、気ままな旅ができるのを喜んでいた。
 四月の末に、杭州の西湖(せいこ)のほとりに建つ優雅な屋敷でメイファン(美帆)とメイリン(美玲)に会った。旅の疲れを取って、城壁内の街を散策したりして、のんびり過ごしていたが、ヂャンサンフォンの正体がばれて大騒ぎになった。急遽、そこを離れる事になり、連れて行かれた所は海賊の拠点となっている島だった。
 周りにはいくつもの島が点在していて景色がよく、新鮮な魚介類はうまかった。三姉妹の配下の海賊たちに武芸を教えながら、その島で半月を過ごして武当山に向かったのだった。ユンロンと会ったのはその島で、父親と喧嘩をしたユンロンは一緒に付いてきた。
 武当山は遠かった。それでも寄って行く村々で、ヂャンサンフォンは村人たちに気軽に話しかけ、すぐに仲よくなって、村人たちと一緒に酒を飲んだり騒いだりするのは楽しかった。ヂャンサンフォンは病人や怪我人の治療もして、村人たちに感謝されていた。
 武当山の裾野にあるファイチ(懐機)の妹、ファイホン(懐虹)の家に着いたのは六月の半ばを過ぎていた。突然、現れたヂャンサンフォンを見て、「噂は本当だったのですね」とファイホンは驚いた。
 武当山ではヂャンサンフォンが帰って来るという噂で持ちきりだという。
「それにしても、よくここまで来られましたね」とファイホンは不思議がった。
「道々にはお師匠を迎えるために見張りの者たちが出ていると聞きましたが」
「わしが武当山を下りたのは三十年近くも前の事じゃ。すでにわしの顔を知っている者も少なくなっておるのじゃろう。きっと、仙人のような爺さんを捜しているに違いない」
 ファイホンは楽しそうに笑った。
「きっと、そうですね。お師匠はわたしが出会った時から少しも変わっていません」
 ヂャンサンフォンとファイホンは笑っていたが、言葉がわからない思紹とクルーは何を笑っているのかわからなかった。ユンロンが二人の話を訳してくれたが、ユンロンの琉球言葉もまだ中途半端で、何となくわかったような感じだった。
「お山にはお師匠に一目会おうと大勢の道士が集まっています。それと、『五龍宮(ウーロンゴン)』ですが、よからぬ連中が集まって、何かをたくらんでいるようだとの噂があります」とファイホンはヂャンサンフォンに言った。
「よからぬ者とは何じゃ?」
「噂では、先代の皇帝の名を名乗って、世直しをするとか言って騒いでいます」
「先代の皇帝? 亡くなったのではないのか」
「それが、どうも生きているようなのです。五龍宮にいるのが本物かどうかはわかりませんが、大勢の信者が集まって来ています」
五龍宮にはルーチューユン(廬秋雲)がいたはずじゃが、奴はどうしたんじゃ?」
「ルーチューユン様は『南岩(ナンヤン)』に隠棲なされました。ルーチューユン様がいなくなると、あとを任された道士がよからぬ者たちを呼び集めたのです」
「ルーチューユンはそいつを放っておいたのか」
「ルーチューユン様にも手に負えない状況になってしまったようです。ルーチューユン様のお弟子さんたちも追い出されてしまい、五龍宮はよからぬ者たちに占領されてしまったのです」
「よからぬ者たちというのは何人いるんじゃ?」
「噂では二、三百はいるかと」
「一体、何をたくらんでいるんじゃ?」
「わかりません」とファイホンは首を振った。
 次の日、ヂャンサンフォンに連れられて、思紹、クルー、ユンロンは武当山に登った。
 山中はサハチが登った時と変わらず、あちこちに破壊されたままの建物が放置されていた。中腹にある『紫霄宮(ズーシャオゴン)』の跡地には大勢の修行者が武術の稽古に励んでいたが、ヂャンサンフォンに気づく者はいなかった。ただ、思紹を見て、驚く者が何人かいて、ヂャンサンフォンはニヤニヤしながら、そんな様子を眺めていた。
 紫霄宮から曲がりくねった道を登って行くと『南岩』という所に着いた。あちこちに破壊された建物が無残な姿をさらしている中に小さな庵(いおり)があって、ルーチューユンが修行をしていた。ルーチューユンは髪も髭も真っ白で、まるで仙人のようだった。
 静座していたルーチューユンはヂャンサンフォンの突然の出現に驚き、目を見開いて、「師兄(シージォン)!」と叫んで、かしこまって頭を下げた。しかし、頭を下げたのはヂャンサンフォンにではなく、思紹に対してだった。
 ヂャンサンフォンはニヤニヤしながら眺めていた。
 顔を上げたルーチューユンは、「お師匠」と言って、今度はヂャンサンフォンに頭を下げた。お師匠と呼ばれたヂャンサンフォンの方が、ルーチューユンよりもずっと年下に見えた。
 恐る恐る顔を上げたルーチューユンは思紹を見て、「師兄は生きていらっしゃったのですか」と聞いたが、思紹には何を言っているのかわからない。
 ヂャンサンフォンは笑って、「人違いじゃよ」と言った。「しかし、よく似ておるじゃろう」
 ルーチューユンの兄弟子に、ユングーヂェンレン(雲谷真人)という道士がいて、十七年前に亡くなったんだが、その道士に思紹はそっくりなんじゃとヂャンサンフォンは思紹に説明した。
 ヂャンサンフォンが思紹と初めて会った時、誰かに似ていると思ったが、その時は誰だか思い出せなかった。思紹が髪を剃った姿を見た時、弟子のユングーヂェンレンにそっくりだと思い出した。ユングーヂェンレンは全真道(ぜんしんどう)の道士で髪を剃っていた。思紹を武当山に連れて行ったら、ユングーヂェンレンが帰って来たと大騒ぎになるかもしれないとヂャンサンフォンは密かに楽しみにしていたのだった。
 破壊されて荒れ果てていた『五龍宮』を再興したのがユングーヂェンレンで、ユングーヂェンレンが亡くなった後、跡を継いだのがルーチューユンだった。
「お師匠、申しわけございません。五龍宮をならず者たちに奪われてしまって‥‥‥師兄がわたしを懲らしめるために現れたのかと思って、ぞっといたしました」
 ヂャンサンフォンはルーチューユンから五龍宮の事を詳しく聞いた。
 三年前に『華山(ホワシャン)』から来たリュフェイ(呂飛)という道士が五龍宮で修行を始めた。真面目に修行に励んでいたリュフェイはルーチューユンに認められて後継者となった。去年、ルーチューユンが南岩に隠棲すると、リュフェイは本性を現して仲間を呼び集め、五龍宮を占領して、『世直し』と称して信者を集めた。リュフェイは先代の皇帝、建文帝(けんぶんてい)だと名乗り、仲間には『白蓮教(びゃくれんきょう)』の者たちもいるという。
「本物なのか」とヂャンサンフォンが聞いた。
永楽帝(えいらくてい)に敗れた戦(いくさ)の事を詳しく知っていて、どうやって逃げたのかを話しましたが、多分、偽者でしょう。白蓮教の者というのも怪しい。ただ、信者の数は日を追って増えています。このまま増え続けると、このお山全体が奴らに乗っ取られるかもしれません」
 二人のやり取りをユンロンが訳して、思紹とクルーに話した。五龍宮という所で騒ぎが起こったという事は思紹たちにもわかったが、五龍宮がどこにあるのかユンロンは知らなかった。
 ルーチューユンと別れて、ヂャンサンフォンは先に進んだ。ルーチューユンは別れる時、思紹を見ながら、思紹に何かを言ったが、思紹には意味がわからなかった。
 山道を登りながら思紹は目に映る景色に心を奪われ、山の深さに感激していた。琉球にはこんなにも高い山はないし、奇妙な形をした岩々が雲間に霞んで見える風景は、この世のものとは思えなかった。それに、破壊されているとはいえ、こんな山奥に大きな建物がいくつも建っていた事が信じられなかった。そして、この山は仙人が棲むのにふさわしい霊気のようなものが強く感じられた。
 険しい道を進んで着いた所は『朝天宮(チャオティェンゴン)』という立派な建物で、そこにもヂャンサンフォンの弟子がいた。弟子のスンビーユン(孫碧雲)はヂャンサンフォンとの再会を、夢でも見ているかのように喜んでいた。
「もう会えないものと覚悟しておりました。三年前に来られた時もお姿を見せませんでしたし、今回も、お師匠がお山に来るとの噂は耳にしましたが、現れないだろうと思っておりました」
「すまなかったのう。あの時は永楽帝が送った役人どもがうろうろしていたんで、お山には登らなかったんじゃよ」
永楽帝はまだ諦めてはおりませんよ。未だにお師匠を捜しています。五日前に宦官(かんがん)がここに来ました。お師匠が武当山に来るという噂を杭州で聞いたそうです。しかし、『五龍宮』に先代の皇帝を名乗る者が現れて、慌てて帰って行ったようです」
永楽帝が奴らを始末してくれればいいんじゃがのう」
「お師匠が一声掛ければ、弟子たちが大勢集まって来て、奴らを追い出すのはわけない事ですよ」
 ヂャンサンフォンは苦笑した。
「お師匠、そろそろ、お山の再建を考えた方がいいのではないでしょうか。『紫霄宮』を再建すれば、各地に散ってしまった道士たちを呼び戻せます。みんなが戻って来れば、ならず者どもが入り込む隙もなくなるでしょう」
「再建と言っても、簡単な事ではないぞ」
永楽帝に頼みます」
「皇帝に頼むのか」
「お師匠はどうして、永楽帝と会わないのです。お師匠が会えば、永楽帝は必ず、再建してくれるでしょう」
「一度、宮廷とつながりを持つと、離れたくても離れられなくなるからじゃよ。それに、お山に立派な道観(ダオグァン)(道教寺院)はいらんとわしは考えている。修行を積むには粗末な小屋で充分じゃ」
 ヂャンサンフォンの考えを充分に知っているスンビーユンはそれ以上は何も言わなかった。
 次の日、朝早くから山頂に向かった。どこから現れたのか、あとを付いて来る者がいて、その数がだんだんと増えてきて、山頂に着いた頃には十数人になっていた。その十数人はヂャンサンフォンに挨拶をして、「生きている仙人に出会えて光栄です」と言って喜んでいた。この山で修行をしている道士たちだった。
 山頂には『金堂(ジンタン)』と呼ばれる銅でできたお堂があって、『真武神(ジェンウーシェン)』が祀ってあった。思紹もクルーもユンロンも山頂に立派なお堂があるのに驚いて、真武神の神々しさに思わず両手を合わせていた。
 山頂からの眺めは素晴らしく、まさに天界を思わせた。思紹は美しい景色を眺めながら、明国に来て本当によかったと感激していた。
 山頂から下りる時、数十人の道士たちも付いて来た。ヂャンサンフォンは途中で、「走るぞ」と言って脇道にそれた。道士たちも追って来たが、ヂャンサンフォンは道とは思えない所を走って、道士たちの尾行をうまく撒いた。
 しばらく行くと川に出て、そこから山に登り、険しい道を進んで行くと眺めのいい草原に着いた。切り立った崖の近くに小屋があり、三年前、サハチたちが修行を積んだ場所だった。
 思紹、クルー、ユンロンの三人はサハチたちと同じように真っ暗闇の洞窟を歩かされ、断食をして呼吸法を教わった。呼吸法を取り入れた武当拳套路(タオルー)(形の稽古)も教わった。断食のあと、思紹はまるで生まれ変わったようだと喜んだ。体が軽くなって、以前よりも自由に体が動かせるようになっていた。キラマ(慶良間)の島で走り回っていた頃に戻ったようだった。
 クルーは修行に夢中になりながらも、ユンロンの事が気になって仕方がなかった。出会った時からクルーの事を見下して、あれをして、これをしてと命令口調で言って、生意気な女だと思っていたが、それはただ、琉球の言葉をよく知らないためで、一緒に旅をしているうちに可愛い女だと思うようになっていた。
 ユンロンも何事も真面目に取り組むクルーに少しづつ惹かれて行った。稽古が終わったあと、二人はお互いに言葉を教え合った。クルーは船乗りになって、色々な国に行ってみたいと思っているので、真剣に明国の言葉を教わっていた。
 稽古のあと、ヂャンサンフォンはテグム(竹の横笛)を吹いていた。毎日、稽古をしていたお陰で、ようやく思い通りの音が出せるようになっていた。ヂャンサンフォンの吹く幽玄な調べが山の中に静かに響き渡って行った。思紹は黙々と彫り物を彫っていた。武当山の山頂にいた真武神を彫っていた。
 あっという間に一か月が過ぎた。誰もここに来る事はなく、世間とはまったく切り離されて修行に集中できた。
 ヂャンサンフォンは悩んでいた。道士として修行を積むのに立派な道観など必要ないという考えは変わらないが、この武当山道教の山として維持して行くにはやはり道観は必要だった。せめて、破壊される前の状況に戻さない限り、リュフェイのような輩(やから)に占領されてしまう。会いたくはないが、永楽帝に会わなければならないかと思い始めていた。
 一か月の修行が終わって、山を下りてファイホンの家に行くと、ファイホンは、「お山が大変です」と言った。
「また何か起こったのか」とヂャンサンフォンが聞くと、「お師匠がお山に来た事を知ったお弟子さんたちが大勢やって来たのです。それに、亡くなったはずのユングーヂェンレン様が生き返ってお師匠と一緒にお山に来たという噂もあって、ユングーヂェンレン様のお弟子さんたちもやって来ています」とファイホンは興奮して言った。
「お山に行ってみて下さい。あんなにも大勢の人が集まっているのを初めて見ました。集まって来た人たちはお山の悲惨な状況を見て、何とかしなければならないと思ったのでしょう。みんなで瓦礫(がれき)を片付けています」
「なに、瓦礫を片付けているのか」
「凄いですよ。人が大勢集まると瓦礫の山も嘘のように片付けられるんですね。紫霄宮の周辺の瓦礫はすっかり片付けられました」
「そんなにも大勢が集まっているのか」
「詳しい数はわかりませんが、数万人はいると思います」
「数万もか」とヂャンサンフォンは驚いた。
 ユンロンから話を聞いて、思紹とクルーも驚いた。ヂャンサンフォンに会うために数万人もの人が集まって来るなんて、今更ながらヂャンサンフォンの偉大さを思い知っていた。
「ところで、五龍宮のならず者たちはどうなったんじゃ?」
「恐れをなして逃げ出したようです。改めて、リューグーチェン(劉古泉)様が五龍宮に入りました」
「なに、リューグーチェンが帰って来たのか」
「ヤンシャンチョン(楊善澄)様もジョウジェンテ(周真德)様も帰って来ています」
「そうか。懐かしいのう」
 その夜、ヂャンサンフォンの弟子が五人、ファイホンの家に訪ねて来た。ヂャンサンフォンは弟子たちと酒を酌み交わして、それぞれが何をしていたかを語り合った。五人の弟子たちは皆、思紹を見て、まさしく、師兄のユングーヂェンレン様だと言っていた。
 翌日、思紹たちはヂャンサンフォンに連れられて、参道ではない山の中を通って、紫霄宮の跡地まで行った。ファイホンが言っていた通り、凄い人出だった。人々をかき分けながら、かつて紫霄宮が建っていた石の高台に近づくと、先に帰っていたヂャンサンフォンの弟子たちが待っていた。
 ヂャンサンフォンと思紹たちは、弟子たちと一緒に石段を登って高台に上がった。高台から見下ろすと、辺り一面、人々で埋まっていた。その人々がヂャンサンフォンを見上げて、手を振り上げて歓声を上げた。歓声はいつまで経っても消えなかった。
「凄いわ」とユンロンが目を丸くして言った。
 思紹もクルーも驚き過ぎて声も出なかった。
 ヂャンサンフォンの弟子たちが静かにするように合図をして、ようやく静まった。
 ヂャンサンフォンが人々に対して何かを言った。思紹には何を言っているのかわからなかったが、体が震えるほどに感動していた。今まで、これほど集まった人々を見た事はなかった。ヂャンサンフォンに会うためだけに、これだけの人が集まっていた。凄い事だった。その凄い出来事の中に、自分がいる事が信じられなかった。
 ヂャンサンフォンの演説が終わるとまた凄い歓声が起こった。思紹はヂャンサンフォンに言われて、右手を振り上げた。するとまた歓声が沸き上がった。
 のちに、この日の事は、『武当山の奇跡』と呼ばれ、永楽帝の耳にも入った。ヂャンサンフォンがまだ生きている事を知った永楽帝は、ヂャンサンフォンのために武当山の道観を再建する事を決心する。二年後の永楽十年、三十万人を動員して、十二年掛かりで武当山の道観を大修築した。破壊される以前の姿以上に立派なたたずまいとなった武当山道教の聖地となって、ヂャンサンフォンの伝説と共に栄えて行く事になる。
「引き上げるぞ」とヂャンサンフォンが言った。
 高台の後ろの方に引き下がり、後ろ側にある石段を下りて山の中に入った。
 そのまま一行は武当山から離れて、北へと向かった。
「どこに行くのですか」と思紹が聞くと、
「『華山』じゃ」とヂャンサンフォンは言った。
「そこも道教の山なんじゃよ。武当山よりも高くて険しい山じゃ。リュフェイが華山から来たと聞いて、久し振りに行ってみたくなったんじゃよ」
 ヂャンサンフォンが気楽に言うので、華山は近くにあるのかと思っていたら、十二日も掛かって、ようやく華山に着いた。明国は広い。広すぎると思紹はいやになるほど実感していた。
 華山は凄い山だった。奇妙な形をした岩があちこちにあって、洞窟もあちこちにあった。ヂャンサンフォンに連れられて、思紹たちは十日間も山の中を歩き回っていた。歩くというよりは走っていたという方が正しいかもしれない。武当山での一か月の修行のお陰で、体が軽くなり、呼吸が乱れる事もなく、険しい山の中を、まるで平地を走るかのように飛び回っていた。その姿を見た者がいたとしたら、仙人たちが遊び回っていると勘違いしたかもしれなかった。
 華山の山中にも立派な道観があって、そこにいた老師に、ヂャンサンフォンがリュフェイの事を聞いた。リュフェイは子供の頃から華山で修行していて、真面目な男だったのだが、その真面目さが仇(あだ)となって、悪い奴にだまされてしまった。世直しをしなければならないと言って、華山から出て行ったという。
 老師が心配していたので、武当山にしばらくいたようだが、旅に出て行ったとヂャンサンフォンは知らせた。
 華山を発って、二十日も掛けて応天府(おうてんふ)(南京)に着いた。琉球の使者たちは順天府まで行って永楽帝に謁見(えっけん)し、すでに応天府に戻って来ていた。
 思紹たちはファイチの親友のヂュヤンジン(朱洋敬)の屋敷にお世話になって、富楽院(フーレユェン)に行って妓楼『桃香楼(タオシャンロウ)』で遊んだ。ヂャンサンフォンはテグムを吹いて妓女(ジーニュ)たちから喜ばれ、思紹もサハチから笛を習ってくればよかったと後悔した。
 応天府に三日間滞在して都見物をして、使者たちと一緒に温州へと向かった。途中、杭州でユンロンと別れた。クルーは別れが辛そうだった。
「来年は必ず、琉球に行くわ」とユンロンはクルーに言った。
「俺もまた明国に来る」とクルーはユンロンに言った。
 手を振って別れたあと、「いい娘だな」と思紹が言った。
 クルーが寂しそうな顔をしてうなづくと、
「ウミトゥクを泣かせるんじゃないぞ」と思紹は言った。
 クルーはハッとなって、妻のウミトゥクを思い出した。
「あっ、お土産を買うのを忘れた」とクルーは言った。
「わしもじゃ。温州で何か探そう」と思紹は笑った。

 

 

 

洋河大曲 新天藍 55度 500ml

2-76.百浦添御殿の唐破風(改訂決定稿)

 八重瀬按司(えーじあじ)のタブチが帰ったあと、側室としてのメイユー(美玉)の歓迎の宴(うたげ)が開かれた。主立った重臣たち、サグルー夫婦とサスカサ(島添大里ヌル)、女子(いなぐ)サムレーと侍女たちも呼んで、与那原(ゆなばる)にお祭りの準備に行っている佐敷ヌルとユリも呼び戻した。
 佐敷ヌルとサスカサによって、略式の婚礼の儀式が行なわれて、メイユーは感動して涙を流しながらサハチ(中山王世子、島添大里按司)を見て、「あたし、一番、幸せです」と言った。
 メイユーのために佐敷ヌルとユリが横笛を吹いて、サハチも一節切(ひとよぎり)を吹いた。遅れてやって来たウニタキ(三星大親)も三弦(サンシェン)を弾いて歌い、女子サムレーたちが踊った。子供たちもメイユーのために笛を吹き、メイユーは嬉しくて泣いてばかりいた。みんながメイユーを歓迎してくれるのを見ながらサハチも嬉しくて、つい飲み過ぎてしまった。
 翌朝、目が覚めるとメイユーはいなかった。朝早くから側室としての仕事に励んでいるのかなと思ってナツに聞くと、メイユーは与那原に行ったという。
「与那原?」
「お祭り(うまちー)の準備が間に合わないって、佐敷ヌルさんから言われて、お手伝いに行きました」
「すると、しばらく帰って来ないのか」
「そうかもしれません」
「そうか」と言って、サハチは外を眺めた。
 日差しが強く、今日も暑くなりそうだった。
 与那原グスクのお祭りは八月八日だった。あと二十日余りしかなかった。初めてのお祭りなので、佐敷ヌルも張り切っているのだろう。側室になったと思ったら、お祭りの準備に行ってしまうなんて‥‥‥サハチは溜め息を漏らした。
 七月二十三日、ンマムイ(兼グスク按司)が山南王(さんなんおう)(汪応祖)の書状を持って再び、今帰仁(なきじん)に向かった。前回と同じように、ウニタキとキンタがンマムイを守るためにあとを追った。メイリン(美玲)が娘のスーヨン(思永)と一緒に来ているのに、ヤンバル(琉球北部)まで行かなくてはならないなんて‥‥‥とウニタキはぼやいていた。
 サハチは首里(すい)グスクで、十月に送る進貢船(しんくんしん)の準備に忙しかった。正使はサングルミー(与座大親)とすんなり決まったが、副使がなかなか決まらず、結局、タブチに頼む事になった。サングルミーとも二度、一緒に行っていて、サングルミーもタブチなら充分に副使が務められると言った。
 サハチはタブチを首里グスクに呼んだ。話を聞いたタブチは驚いていた。
「わしが副使?」
「サングルミーの推薦です。お願いします」
「中山王(ちゅうざんおう)の家臣でもないわしが副使を務めても大丈夫なのか」
重臣たちも八重瀬殿が適任だと言いました。文句を言う者は誰もいませんよ」
 タブチは感激して帰って行った。
 ンマムイのために築くグスクは宮平川(なーでーらがー)が国場川(くくばがー)に合流する地点の内側にある小高い山の上に築く事に決まり、棚原大親(たなばるうふや)を普請奉行(ふしんぶぎょう)に任命した。棚原大親はシタルー(山南王)と一緒に首里グスクの普請奉行を務めていたので適任者だった。すでに、現地に行って縄張りを始めていた。
 ンマムイは旅立ってから十日後に戻って来た。妻子は今帰仁に残したままで、刺客(しかく)の襲撃もなかったという。ンマムイだけを殺しても、山北王(さんほくおう)(攀安知)を動かす事はできないので、シタルーも諦めたようだった。
「随分と早いな。お前がせかせたんじゃないのか」と報告に来たウニタキに言うと、
「俺は一度も奴とは会っていない。馬で行ったから早いのだろう」とサハチに言った。
「お前たちも馬で行ったのか」
「俺とキンタは馬で行ったが、配下の者たちは走らせた」
 サハチは笑って、「御苦労だったな。それで、同盟はまとまりそうか」と聞くとウニタキはうなづいた。
「奴の顔付きからして、うまく行ったようだ。今頃、シタルーと会っているだろう。その足で島添大里(しましいうふざとぅ)に行くはずだ」
 サハチはウニタキと一緒に島添大里グスクに向かった。
 サハチとウニタキがお茶を飲みながら、明国(みんこく)に行った思紹(ししょう)(中山王)とヂャンサンフォン(張三豊)の話をしていると、ンマムイがやって来た。
「お役目、無事に終了しました」とンマムイはホッとしたような顔付きで、山南王と山北王の同盟が決まった事を告げた。
 十月の二十日、山南王の三男、グルムイ(五郎思)に山北王の長女、マサキ(真崎)が嫁ぎ、山北王の若按司、ミン(珉)と婚約した山南王の八女、ママチー(真松)が母親と一緒に今帰仁に行くという。
「八女?」とサハチは驚いて、「シタルーは何人の子がいるんだ?」とウニタキに聞いた。
「十四、五人はいるんじゃないのか。シタルーも山南王になったあと、あちこちから側室を贈られているからな。兄貴と喧嘩していて、弟は戦死した。身内が少ないから子作りに励んでいるのだろう」
 サハチは笑って、「その八女というのはいくつなんだ?」と聞いた。
「その娘も山北王の若按司も九歳です」とンマムイが答えた。
「九歳か。婚礼はまだ先の話だな。とりあえずは人質というところか。十月の婚礼という事は花嫁は船で来るんだな」
「油屋の船に乗って来ます。俺の妻と子も一緒に来る事になっています」
「そうか、一緒に来るのか。シタルーの娘は陸路で今帰仁まで行くのか」
「いえ、今月中に船で行きます」
「ほう、娘を先に送るのか。母親も一緒だと言っていたな。勿論、側室なんだろう」
「奥間(うくま)から贈られた側室だから、ヤンバルに返してやると言っていました」
「なに、奥間の側室を今帰仁に送るのか」
「美人なので勿体ないが、仕方がないと言っていました。それとは別に、山北王に側室を贈るようです」
「成程、側室を贈ってグスク内の様子を探らせるつもりだな。しかし、つなぎの者はいるのか」とサハチはウニタキを見た。
「石屋がいる」とウニタキは言った。
今帰仁の石屋もシタルーの石屋とつながっているのか」
「つながっている。よくわからんが、何代か前の今帰仁按司が高麗(こーれー)から石屋を呼んでグスクに石垣を築いて、その石屋が浦添(うらしい)グスクの石垣を築いたんじゃないのかな。そして、あちこちに石垣が広まって行ったんだ。石屋の頭領は今帰仁にいるのかもしれんな」
「石屋か‥‥‥何としてでも味方に付けなければならんな」とサハチは言ってからンマムイを見て、「シタルーは、中山王を挟み撃ちにする前に、南部をまとめろという条件を呑んだのだな」と聞いた。
「呑みました」
「シタルーは東方(あがりかた)を味方に付けない限り、首里を攻める事はできない。しかし、東方の按司たちは皆、タブチとつながっている。南部を統一するのは難しいな」
「今度はタブチが狙われそうだな」とウニタキが言った。
「刺客か‥‥‥タブチがいなくなれば、糸数(いちかじ)が寝返るかもしれんな。しかし、玉グスクと知念(ちにん)は寝返らないだろう。だが、タブチがいなくなると困る。シタルーを抑えておくのにタブチは絶対に必要だ」
「タブチの事はそれとなく見守ってはいるが、人数を増やした方がよさそうだな。そのタブチなんだが、『新(あら)グスク』にいた次男のウシャに喜屋武(きゃん)岬の近くにグスクを築かせているそうだ」
「喜屋武岬? どこだ?」
「最南端と言ってもいい所だ。お前が南風原(ふぇーばる)にグスクを築くと聞いて、タブチも海の近くにグスクを築こうと考えたのだろう」
「タブチは船を持つつもりなのか」
「船を持って、ヤマトゥ(日本)まで行く気かもしれんな。もしかしたら、タブチの隠居グスクかもしれんぞ。海の近くならシタルーに襲われても、海に逃げられるからな」
「タブチも身の危険を感じているのかな」
「さあな。ところで、山南王の婚礼にお前も呼ばれるのか」
「さて、どうなる事やら。シタルーと島添大里按司の同盟はまだ生きているようだし、シタルーは招待状を送ってくるかもしれんな」
「出るのか」
「前回の婚礼の時はサグルーに行かせたが、今回はどうしたものだろうな」
「ンマムイも呼ばれるんじゃないのか」とウニタキがンマムイを見た。
「俺は出なければならないでしょう。婚礼が終わったら、はっきりと寝返りますよ」
「それがいい」とウニタキはンマムイの肩をたたいた。
 八月八日、与那原グスクで初めてのお祭りが行なわれた。与那原グスクは運玉森(うんたまむい)のマジムン屋敷の跡地に建てられ、一の曲輪内に按司の屋敷があり、二の曲輪に古いウタキ(御嶽)と運玉森ヌルの屋敷があり、三の曲輪が一番広く、サムレー屋敷や厩(うまや)があった。三つの曲輪は石垣に囲まれていて、お祭りは三の曲輪を開放して行なわれた。
 サハチは見に行く事はできなかったが、暑い中、山の上にあるグスクに大勢の人が集まって大盛況だったという。舞台では、奇想天外なお芝居『運玉森のマジムン屋敷』が演じられた。
 ミユシという旅のサムレーがマジムン屋敷にやって来て一夜を過ごす。夜中にマジムン(魔物)が次々に現れてミユシに襲い掛かってくる。ミユシはマジムンたちを退治する。マジムンたちがいなくなると立派な屋敷も消えてしまう。夢でも見ていたのかとミユシは首を傾げながら山を下りて行く。出て来るマジムンは角の生えた赤鬼、気味の悪い老婆、牛のお化けに魚のお化け、手が六本もある美女、背丈が一丈(三メートル)もある怪物などで、ミユシとマジムンの戦いを子供たちが大喜びして見ていたという。
 与那原のお祭りが終わって、佐敷ヌルとメイユーが島添大里グスクに帰って来た。
「来月は平田のお祭りがあるから、また手伝ってね」と佐敷ヌルはメイユーに言って、「勿論よ」とメイユーは笑って答えていた。
 また会えなくなるのかと思うと切なくなって、サハチはメイユーを連れて、馬に乗ってグスクから飛び出した。別に行く当てもなかったが、馬天浜(ばてぃんはま)に来ていた。
 馬から下りて二人が海を眺めていると、ウミンチュ(漁師)たちが集まって来た。ウミンチュたちはメイユーが側室になったお祝いをやろうと言って、浜辺で酒盛りが始まった。ウミンチュたちは二年前、台風からの復興を手伝ってくれたメイユーに感謝していた。
 叔父のサミガー大主(うふぬし)も長男のハチルー夫婦と次男のシタルー夫婦を連れて来て、酒盛りに加わった。叔母のマチルーも子供たちを連れて来て加わった。
「この娘(こ)、女子サムレーになりたいんですって。お願いするわね」とマチルーは娘を見ながらサハチに言った。
 娘のシビー(鮪)は十六歳で、佐敷グスクに通って剣術を習っているという。
「お嫁に行かなくてもいいのか」とサハチが聞くと、「クニちゃんみたいになりたいの」とシビーは言った。
 首里の女子サムレーのクニはシビーの従姉(いとこ)で、今、ヤマトゥ旅に出ていた。
「お前もヤマトゥに行きたいのか」
 シビーはうなづいた。
「ササ姉(ねえ)から博多のお話や京都のお話も聞いたのよ。あたしも行ってみたいわ」
「そうか。女子サムレーになるには強くならないと駄目だぞ」
「あたし、強くなります」
 真剣な顔をして言うシビーを見ながら、「頑張ってね」とメイユーが言った。
「メイユーさんも強いんでしょ。あたしに教えて下さい」
「いいわよ」とメイユーは笑った。
 シビーは嬉しそうな顔をして帰って行った。と思ったら二本の木剣を持って戻って来た。
「お願いします」とメイユーに頭を下げて、シビーは木剣を渡した。
 それを見ていたウミンチュたちがはやし立てて、指笛が飛んだ。
 シビーとメイユーはウミンチュたちに囲まれ、サハチが立ち会って試合をした。勿論、メイユーにはかなわないが、その剣さばきはサハチが思っていた以上に素晴らしかった。
 試合のあと、悔しそうな顔をしているシビーを見ながら、「素質はあるわ」とメイユーはサハチに言った。
 サハチはうなづいた。若い頃のマチルギに似ていると思っていた。
「あたしの弟子にしてもいいかしら?」とメイユーは言った。
「えっ!」とシビーは驚いた顔でメイユーを見た。
「あなたを必ず、女子サムレーにしてあげるわ」
 叔母のマチルーの許可を得て、シビーを島添大里で預かる事に決まった。
 八月の半ば、百浦添御殿(むむうらしいうどぅん)の唐破風(からはふ)が完成した。以前よりもずっと豪華で立派に見えた。屋根の中央には口を開けた龍(りゅう)がいて、屋根の下にも龍の彫り物があった。新助が彫った龍は迫力があって、今にも動き出しそうだった。
 馬天ヌル、佐敷ヌル、サスカサによって完成の儀式が執り行なわれた。儀式が終わると普請(ふしん)に携わった職人たちをナーサの遊女屋(じゅりぬやー)『宇久真(うくま)』に呼んで、完成祝いの宴を盛大に行なった。
 一徹平郎(いってつへいろう)も源五郎も新助も栄泉坊(えいせんぼう)も、宇久真の屋敷の立派さに驚き、ぞろぞろと出てくる遊女(じゅり)たちの美しさにも驚いた。
「さすがは琉球の都じゃのう。噂には聞いていたが、こんなにも美女が揃っているとは驚いた」
 一徹平郎が嬉しそうな顔をしながら源五郎に言った。
「向かい側にある『喜羅摩(きらま)』には行った事があるが、やはり格が違うのう。ここにはしかるべき者の紹介がないと入れんと言っていた。まさか、ここに入れるとは思わなかったわ」と源五郎は鼻の下を伸ばして美女たちを眺めていた。
 サハチがみんなをねぎらう挨拶をして、宴は始まった。遊女たちが男たちの前に座り、お酌をして乾杯をした。
「お久し振り」とサハチの前に来たマユミがニコッと笑った。
「それ程、お久し振りでもないだろう」とサハチは言った。
「そうね。二か月前に『会同館』で会ったわね。奥間に帰ったからかしら。随分と長い事、按司様(あじぬめー)に会わなかったような気がするわ」
「あのあと、奥間に行ったのか」
「そう。進貢船(しんくんしん)が早く帰って来てくれたので、次の進貢船が帰って来る前に行って来ようってなったのよ」
「そうか。ンマムイに会ったそうだな」
「何度か、女将(おかみ)さんを訪ねて、ここに来た事があったんだけど、奥間で会うなんて驚いたわ」
「俺も奴が奥間まで行くとは思わなかった。そして、そこでナーサと出会うなんて不思議な縁だと思ったよ」
「ウニタキさんがンマムイの亡くなったお姉さんの旦那さんだったんですってね。ンマムイは驚いていたわ。ンマムイから若様の父親は誰だって聞かれたのよ」
「教えたのか」
 マユミは首を振った。
「でも、気づいたんじゃないかしら。若様の長男はサハチで、長女はマチルギだもの」
「えっ、俺とマチルギの名前を付けたのか」
「若様は奥方様(うなじゃら)を本当のお母さんのように思っているのよ」
「そうか。マチルギが喜ぶだろう」
「ンマムイは無事に帰って来たの?」とマユミは聞いた。
「ンマムイが危険だと思ったのか」
「女将さんが心配していたわ」
「そうか。ンマムイは無事だよ」
「ねえ、聞いたわよ。唐人(とーんちゅ)の女を側室に迎えたそうね。二人目の側室だわ」
「明国に行った時、メイユーにはお世話になったんだよ」
「羨ましいわ。ねえ、今度、あたしを島添大里グスクに呼んでよ。按司様の側室に会いたいわ」
「会ってどうするんだ?」
「どうもしないわ。ただ、お話がしたいだけ」
「そうか。何か祝い事があったら呼ぼう」
「本当よ。約束してね」
 サハチはうなづいて酒を飲んだ。
 一徹平郎も源五郎も新助も栄泉坊も遊女たちと楽しそうにやっていた。坊主頭だった栄泉坊の髪はすっかり伸びて、琉球風にカタカシラを結っていた。今回の仕事が終わったら、栄泉坊はイーカチの配下になる事になっていた。
 イーカチは図画所(ずがしょ)の所長となり、配下の栄泉坊と一緒に王府のために絵を描く事になる。助手として三人の若者と五人の娘が入る事に決まっていた。図画所はグスクの南側の城下に作られ、今、イーカチは龍天閣(りゅうてぃんかく)に飾るサミガー大主の肖像画を描いていた。
 佐敷ヌルはメイユーとユリを連れて平田に泊まり込み、お祭りの準備を進めていた。メイユーは弟子にしたシビーも連れて行った。サハチは進貢船の準備に追われて忙しかった。
 そんな頃、糸満(いちまん)の港から『油屋』の船に乗って、山北王の若按司と婚約した山南王の娘とその母親、山北王に側室として贈る娘が、数人の侍女を連れて今帰仁に向かって行った。
 ウニタキはメイリンと娘のスーヨンを連れて、あちこちに行っていたが、ミヨンとファイテ(懐徳)の事で悩んでいた。
 ミヨンはファイテが明国に行く前に一緒になりたいと言い出し、ウニタキは三年後に帰って来てからでいいと反対した。ミヨンは三年も待てない。ファイテのお嫁さんになって、夫の帰りを待っていると聞かなかった。妻のチルーもミヨンに賛成して、身内だけで婚礼をやりましょうと言っている。ウニタキはどうしようかと迷っていた。
 ンマムイはシタルーに襲撃された事などすっかり忘れたかのように、相変わらずフラフラしていた。島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスクに行ってシタルーを訪ねたかと思えば、八重瀬グスクに行ってタブチと会い、母親とも会っていた。島添大里グスクにも度々顔を出して、サハチが留守の時はナツと会ったり、女子サムレーたちと会ったりしていた。
 ナツから聞いた話だと、タブチの末っ子のチヌムイ(角思)が阿波根(あーぐん)グスクに通って、武芸を習い始めたという。シタルーの娘のマアサも女子サムレーになると言って通っていた。チヌムイとマアサは従兄妹(いとこ)同士で、お互いに敵だとは思っていないのかもしれない。山南王が山北王と同盟したあと、南部で戦が起きない事をサハチは願った。
 平田グスクのお祭りでは、『瓜太郎(ういたるー)』が演じられた。去年、佐敷グスクのお祭りで演じられて大評判だった『瓜太郎』を是非見たいと平田大親の妻、ウミチルが言ったのだった。前回の時、ササが瓜太郎を演じて、シンシン(杏杏)がサシバを演じ、ナナが犬を演じ、リンチーが亀を演じて好評を得た。その四人に負けないように、平田の女子サムレーたちは必死になって稽古を重ねた。主役の座を勝ち取ったのはアヤで、始終飛び跳ねている難しいサシバの役はミユが勝ち取った。犬はナカウシ、亀はシティ、鬼はマチ、リー、ミグ、アイの四人が演じた。
 佐敷の『瓜太郎』に決して負けない出来映えで、見ていた観客は大喝采を送った。平田大親とウミチルは大喜びして、佐敷ヌルとユリは大成功に満足し、手伝っていたメイユーとシビーも感動していた。
 平田グスクのお祭りの二日後、ファイテとミヨンの婚礼が密やかに行なわれた。ファイチ(懐機)の家族とウニタキの家族、それにサハチとマチルギが加わり、佐敷ヌルとサスカサによって婚礼の儀式が行なわれた。
 結局、ウニタキが娘の意志に押されて、旅立ち前の婚礼となった。三年後、ファイテが帰って来たら、帰国祝いと同時に盛大な婚礼をやる事にして、今回は身内だけの婚礼だった。ミヨンはファイテの妻となり、旅立ちまでの一か月余りを隣りのファイチの屋敷で過ごす事になった。

 

 

 

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