長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

2-124.察度の御神刀(改訂決定稿)

 夜が明ける前の早朝、華麗なお輿(こし)が島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスクに向かっていた。四人の男が担いでいるお輿に従っているのは、頭を丸めた貫禄のあるサムレーとヌルだけで、二人とも馬に乗っていた。
「姉のために作ったお輿が、弟のために役に立つなんて思ってもいなかったのう」とサムレーは苦笑した。
 頭を丸めたサムレーはタブチ(先代八重瀬按司)だった。昨夜、隠居を宣言して、侍女たちに手伝ってもらって髪を綺麗に剃っていた。
「お姉さんは一度もこれに乗らなかったわ」と八重瀬(えーじ)ヌルは言った。
「野良着(のらぎ)を着て、馬に乗っておったのう。姉に聞いたら、宇座(うーじゃ)の牧場で馬術を習ったと言っていた」
「お姉さん、十三の時に与座(ゆざ)から八重瀬に来て、十五の時に浦添(うらしい)に嫁いで行ったけど、本当はもっと八重瀬にいたかったのかもしれない。二年しかいなかったけど、お姉さんにとって八重瀬は生まれ故郷(うまりじま)だったのよ。八重瀬に戻って来てから、お姉さん、本当に幸せそうだったわ」
「そうじゃな。ただ、わしとシタルーの事は心配していた。親父が山南王(さんなんおう)にならなかったら、わしらも仲直りできたかもしれんのう。山南王になるために、わしとシタルーは敵同士(かたきどうし)になってしまった。母親の敵討ちとはいえ、わしの倅がシタルーを討ち取るなんて思ってもいなかった」
「チヌムイの母親を殺した時のシタルーは正気じゃなかったわ。山南王の座を手に入れるために、狂ってしまっていたのよ。きっと、シタルーも罪のないチヌムイの母親を殺してしまった事を、あとになって後悔したに違いないわ。シタルーはたった一つの過ちで、自分の命を縮めてしまったのよ」
「確かに、あの時のシタルーは狂っていた。魔が差したとでもいうのかのう」
「そうじゃないわ」と八重瀬ヌルは首を振った。
「山南王の座が、人を狂わせるのよ。このあと、シタルーの子供たちが家督争いを始めるかもしれないわ」
「まさか、そんな事はあるまい。タルムイが継ぐだろう」
 八重瀬ヌルは首を振った。
「長男が継ぐとは限らないわ。シタルー自身が、弟でも山南王になれるっていう前例を作ってしまったのよ。山南王の座を巡って、子供たちが家督争いを始めるわ。長男のタルムイ(豊見(とぅゆみ)グスク按司)の後ろには中山王(ちゅうさんおう)(思紹)がいる。三男のグルムイ(保栄茂按司(ぶいむあじ))の後ろには山北王(さんほくおう)(攀安知)がいる。次男のジャナムイ(兼(かに)グスク按司)には後ろ盾はいないけど、四男のシルムイには重臣の国吉大親(くにしうふや)が付いているわ。それに娘婿の長嶺按司(ながんみあじ)は、元々、山南王の息子だったから、山南王の座を取り戻そうと考えるかもしれないわ」
「なに、また家督争いが始まると言うのか」とタブチは驚いた顔をして八重瀬ヌルを見た。
「シタルーは突然亡くなったので、遺書はないでしょう。タルムイが一番、有力だけど、山北王が家督争いに加わって来たら大戦(うふいくさ)になるでしょう」
 少し明るくなってきた空を見上げながら、タブチは家督争いは何としてでも防がなければならないと思った。
 島尻大里グスクに着くと、大御門(うふうじょー)(正門)を通り過ぎて西御門(いりうじょー)に向かった。王様とはいえ、遺体を大御門から入れるのははばかられた。
 西御門の御門番(うじょうばん)に、李白法師(りーばいほうし)という者だが、急用なので新垣大親(あらかきうふや)を呼んでくれとタブチは頼んだ。ここに来る途中、新垣グスクに寄って来たので、新垣大親が島尻大里グスク内にいる事はわかっていた。御門番は立派なお輿と貫禄のあるタブチを見て、詰問する事なく、新垣大親を呼びに行った。
 しばらくして新垣大親は現れて、タブチの顔を見て驚いた。
李白法師とはそなたの事だったのか」と言って、新垣大親はタブチの頭を見て笑った。
「隠居したんじゃよ」とタブチは言った。
「似合っておる。とうとう、そなたも隠居したか。それにしても、こんな早朝に、ここまで訪ねて来るなんて何かあったのか。ゆっくり話を聞きたい所じゃが、今はちょっと忙しいんじゃよ」
「わかっている」とタブチはうなづいて、お輿を示した。
「豪勢なお輿じゃのう。花嫁でも乗っているのか」
 タブチは答えず、お輿のそばに行った。新垣大親は首を傾げながらタブチに従ってお輿に近づいた。
 タブチがお輿のすだれを上げた。
 白装束のシタルーが膝を曲げて、首をうなだれたまま座っていた。
「王様(うしゅがなしめー)‥‥‥」と言って新垣大親は驚愕した顔でタブチを見た。
「これは‥‥‥これは、一体、どうした事じゃ」
「ここでは目立ち過ぎる。中に入れてくれんか」
「そうじゃな」と新垣大親はうなづいて、御門番に命じて御門を開けさせ、タブチたちを中に入れた。
 石垣で囲まれた西曲輪(いりくるわ)内には人影はなかった。広い庭の向こうに来客用の客殿があって、その横に物見櫓(ものみやぐら)が立っている。左側にサムレーたちの屋敷があって、御門の右側に厩(うまや)があった。以前と変わりない景色にタブチは懐かしさを覚えた。乗って来た二頭の馬を厩に入れ、厩の脇にお輿を置いて、お輿を担いで来た男たちは帰した。
 タブチは新垣大親に事の成り行きを説明した。
「なに、そなたの倅が敵討ちをしたじゃと?」
「十二年前、山南王だった親父(汪英紫)が亡くなると、わしはここを占領した。そして、このグスクをシタルーに明け渡す時、わしの側室が一人殺された。その側室の倅が、母親の敵(かたき)を討ったんじゃ」
「おう、そんな事があったのう。一番若い側室が首を刎(は)ねられた。首を刎ねたのはわしの部下じゃった。奴はその後、頭がおかしくなって死んでしまった」
「なに、首を刎ねた奴が亡くなったのか」
「詳しい事は知らんが、首里(すい)グスクの普請(ふしん)現場に忍び込んで、石垣から飛び下りたらしい。殺された女の祟(たた)りだと騒がれたんじゃ」
「そんな事があったのか‥‥‥」
「それで、そなたも倅の事は知っていたんじゃな」
「敵を討つために武芸の稽古に励んでいたのは知っていた。だが、シタルーが倅に討たれる事はあるまいと思っていた」
「確かにのう。今回は陰の護衛も付けずに出掛けて行った。わしも心配したんじゃが、凄腕の二人が付いて行けば大丈夫だろうと思っていたんじゃ。あの二人を弓矢で倒したなんて信じられん事じゃ。それで、これからどうするつもりなんじゃ?」
「わしがここに来たのは倅を助けるためじゃ。敵討ちとはいえ山南王を殺したんじゃから、ただでは済むまい。わしが倅の代わりに捕まるために、ここに来たんじゃ」
「なんと‥‥‥自ら捕まりに来たのか」
「すでに隠居もした。倅さえ助かれば、この世に未練はない」
 新垣大親はタブチを見つめて、「わかった」とうなづいた。
 タブチと新垣大親は同い年で、幼い頃に一緒に遊んで、共に武芸の稽古に励んだ仲だった。タブチが八重瀬按司になった時は、タブチを守るサムレーだったが、シタルーが大(うふ)グスク按司になると大グスクのサムレー大将として迎えられた。以後、シタルーのサムレー大将を務めてきた。シタルーが山南王になった時、先代の重臣だった父親は、シタルーを裏切ってタブチ側に付いた重臣たちの責任をすべてかぶって首を斬られた。新垣大親は父親の跡を継いで、シタルーの重臣となった。
 シタルーは島尻大里グスクを守るために、重臣たちの本拠地に出城を築かせた。新垣大親も新垣にグスクを築いて、非番の時はそこにいた。三王同盟のあと、タブチの配下の行商人(ぎょうしょうにん)が新垣大親を度々訪ねるようになって、明国(みんこく)の陶器や水墨画などを贈っていた。最近では新垣大親の側室、真栄平(めーでーら)ヌルの屋敷でタブチと会って、昔話を肴(さかな)に酒を飲んでいた。
 タブチと八重瀬ヌルは客殿の中の一室に案内されて、そこで待たされた。
「弟の葬儀のあとに、お兄さんの葬儀をしたくはないわ」と八重瀬ヌルは言った。
「仕方あるまい。チヌムイを助けるには、わしが死ぬしかない」
「ここに来る前に、馬天(ばてぃん)ヌル様に相談すればよかったわ。何かいい方法を見つけてくれたかもしれない」
「山南王の問題に中山王を関わらせてはならん。中山王が出て来れば、山北王も出て来る」
重臣たちは、お兄さんがシタルーを殺した事にして、お兄さんを処刑するのかしら」
「それが一番無難かもしれんな。チヌムイの敵討ちを公表しようと思っていたが、そんな事をしたら、チヌムイはこの先、生きていけんかもしれんのう」
「息子たちや山南王に忠実だった家臣たちに命を狙われるわね」
「一生、逃げ回らなくてはならなくなってしまう。わしが殺した事にした方がいいのかもしれんのう」
 一時(いっとき)(二時間)ほど経って、タブチと八重瀬ヌルは、一の曲輪内にある北の御殿(にしぬうどぅん)と呼ばれる役人たちが政務を執っている屋敷の一画にある重臣たちの執務室に呼ばれた。八人の重臣たちが顔を揃えていた。中央に長卓(ながたく)があって、その周りに椅子が並んでいて、明国風な執務室だった。
 タブチと八重瀬ヌルは椅子に座らされて、新垣大親に説明した事をもう一度、重臣たちに話した。
「八重瀬殿は息子さんが王様(うしゅがなしめー)を殺(あや)めた事をまったく知らなかったのですな」と長老格の照屋大親(てぃらうふや)が聞いた。
「わしは昨日は久米村(くみむら)にいた。久米村の役人に聞いてもらえばわかる。帰って来たのは日が暮れる頃じゃ。しばらくして、倅のチヌムイが帰って来たんじゃ」
 照屋大親はうなづいて、波平大親(はんじゃうふや)に目配せした。波平大親はうなづいて部屋から出て行った。
「一応、確認させていただきます」
「チヌムイを助けてくれ」とタブチは言った。
「後先も考えず、ただ、母親の敵を討っただけなんじゃ。チヌムイの敵討ちは隠して、わしが殺した事にして、わしを罰してくれ」
 照屋大親は首を振った。
「それはできません。チヌムイの敵討ちは公表しなければなりません。王様がチヌムイの母親を殺した事も公表します。そして、チヌムイの母親が殺される前の正常な状態に戻すのです」
「何じゃと?」とタブチは照屋大親が言った言葉に驚いた。まったく、予想外な事だった。
「親の跡を継ぐのは長男でなければならないと世間の者たちにはっきりと知らせるのです。弟が跡を継いでもいいと思わせてはなりません。亡くなられた王様のなされた事を先例として残してはならないのです。それが残ると、今後も家督争いが起こります」
「わしに山南王になれと言っているのか」とタブチは照屋大親に聞いた。
 照屋大親はうなづいて、ほかの重臣たちもタブチを見てうなづいた。
 タブチは信じられないといった顔で重臣たちの顔を見ていた。奇跡が起こったと八重瀬ヌルは思い、驚いた顔をしたまま神様に感謝をしていた。
「長男が跡を継ぐという理屈はわかるが、今更、元へは戻れまい」とタブチは言った。
「そんな事が公表されたらシタルーの息子たちが黙ってはおるまい。ところで、息子たちはグスク内にはおらんのか」
「朝早くから王様を捜しにお出掛けになられました」
「捜しても見つかるまい」とタブチは苦笑してから、
「タルムイに跡を継がせて、以後、長男が継ぐ事に決めればいいではないか」と言った。
「豊見グスク按司殿が山南王になれば、必ず、中山王が介入してくる事でしょう。それ以前に、父親を殺したチヌムイは勿論の事、八重瀬殿を初め、一族の者たちを皆、殺してしまうかもしれません」
「一族まではわからんが、わしとチヌムイは殺されるじゃろうな」
「チヌムイを助けるには、八重瀬殿が山南王になるしかないのです」
 タブチは重臣たちを眺めながら、自分たちの保身のためではないかと思っていた。重臣たちは皆、自分の領地にグスクを持っていた。いわば、小さな按司のようなものだ。タルムイが山南王になって、中山王の介入で重臣たちが入れ替わり、領地を失う事を恐れているようだった。
 波平大親が戻って来て、照屋大親に何かを告げた。
 照屋大親は顔をしかめて、「困った事になった」と言った。
「王妃様(うふぃー)が出て行かれたようじゃ」
 そう言って照屋大親重臣たちを見回した。
「誰かが裏切って、王妃様に真相を知らせたらしい」
「王妃様はどこに行ったんじゃ?」とタブチは聞いた。
「豊見グスクじゃろう」
「タルムイの母親なんじゃな?」
「豊見グスク按司殿だけではありません。次男の兼グスク按司殿も、三男の保栄茂按司殿も、長嶺按司殿の奥方様(うなじゃら)も、皆、王妃様の子供なのです。ついでに言うと、中山王の倅に嫁いだ娘もいます。子供たちは皆、外に出て、王妃様だけが残っていたのですが、逃げられてしまったようです。真相を聞いた息子たちがまもなく、やって来るでしょう。息子たちはそなたを渡せと言うじゃろう。チヌムイを渡せと八重瀬グスクも攻めるに違いありません」
 チヌムイを守るためには山南王になって、タルムイたちと戦うよりほかに、いい方法は見つからなかった。しかし、山南王の座を手に入れるために、甥たちと戦をしたくはなかった。
「少し考えさせてくれ」とタブチは言った。
 照屋大親はうなづいて、タブチと八重瀬ヌルをシタルーが使っていた山南王の執務室に案内した。
 島尻御殿(しまじりうどぅん)(正殿)と呼ばれている二階建ての建物は外見は以前と変わらないが、内部は随分と変わっていた。首里の百浦添御殿(むむうらしいうどぅん)にそっくりだった。首里グスクをサハチに奪われたシタルーが、悔しがって百浦添御殿のように変えたようだ。執務室は二階にあって、シタルーは山水画が好きなのか、明国の深い山々を描いた絵がいくつも飾ってあった。首を傾げたくなるような下手(へた)の絵もあり、もしかしたら、シタルーが描いたのかもしれない。
 ふと懐かしい刀が目に入った。父の愛刀だった。タブチがここを出て行く時、シタルーのために残しておいたのだった。シタルーも大切に扱っていたようだ。
「お父さんの自慢の刀ね」と八重瀬ヌルが言った。
「察度(さとぅ)(先々代中山王)からもらった御神刀(ぐしんとう)なのよ」
「えっ、そうだったのか」とタブチは妹に聞いた。
 父親からそんな話は聞いた事もなかった。
「先代の八重瀬ヌルの叔母さんは、その刀は凄い刀だって言っていたわ。察度は若い頃、ヤマトゥ(日本)に行って、倭寇(わこう)として暴れていたらしいの。その頃、手に入れた刀で、神様に奉納されていた刀に違いないって言ったのよ」
「察度が盗んで来たのか」
「盗んだというよりも、その刀が察度に付いて行く事を選んだんだわ。その刀のお陰で、察度は浦添グスクを攻め落として、浦添按司になったのよ。そして、中山王になったわ」
「そんな大切な刀を察度は親父に贈ったのか」
「お父さんが八重瀬グスクを攻め落とした時、『見事じゃ』と褒められて、その刀を贈られたらしいわ。その時、お姉さんと察度の長男の武寧(ぶねい)の婚約が決まったのよ。そして、お父さんはその刀のお陰で、島添大里按司(しましいうふざとぅあじ)になって、山南王になったんだわ」
「ほう、そんな凄い刀だったのか」
 タブチは改めて御神刀を見た。拵(こしら)えは父親が持っていた当時のままで、かなり痛んでいた。
「御神刀を持っていながら、どうして、シタルーはチヌムイに討たれたんじゃ?」
「飾っていただけで、身に付けなかったからでしょう」
 タブチは八重瀬ヌルを見て、そして、御神刀を見ると、腰から自分の刀をはずして、御神刀と交換した。
 八重瀬ヌルは笑ってうなづいた。
「これで、山南王になっても大丈夫よ。その刀がお兄さんを守ってくれるわ」
「わしが山南王になってもいいのじゃろうか」
 タブチはまだ迷っていた。
「チヌムイのためにも、なるべきだわ。山南王にならなければ、お兄さんもチヌムイも殺されるし、それだけでは怒りが治まらない息子たちは、八重瀬の一族たちを皆殺しにするでしょう」
 タブチは御神刀を抜いてみた。手入れはよく行き届いていて、吸い込まれそうな刃文(はもん)の美しさは、まさしく、御神刀と呼ばれるにふさわしい名刀だった。刀の刃を切っ先まで見つめていたら、何だか力が湧いてくるような気がした。諦めかけていた山南王の座が目の前にあり、今、山南王になるべき時が来たのだとはっきりと感じた。
 刀を鞘(さや)に戻すとタブチは覚悟を決めて、八重瀬ヌルと一緒に重臣たちの待つ北の御殿へと向かった。


 朝早くウニタキ(三星大親)がやって来て、配下のアカーからの報告をサハチ(中山王世子、島添大里按司)は聞いていた。今朝早く、立派なお輿と一緒にタブチと八重瀬ヌルが島尻大里グスクに入ったという。
「タブチがどうして、朝っぱらから島尻大里グスクに行ったんだ?」
 サハチにはタブチの行動が理解できなかった。
「わからん」とウニタキも首を傾げた。
「シタルーが山南王になってから、タブチは一度も島尻大里に近づいてはいない。タブチが朝早く、誰を連れて島尻大里グスクに行ったのかさっぱりわからんのだ」
 サハチは唸って、「お輿に乗っているのは女か」と聞いた。
 ウニタキはまた首を傾げた。
「かなり豪華なお輿らしい。タブチがそんなお輿を持っていたなんて信じられん。まさか、明国から持って来たのだろうか」
「昨日のシタルーの行方知れずと今朝のタブチの行動は関係あるのだろうか」
「それもわからんが、タブチは頭を丸めていたそうだ」
「なに? 隠居でもしたのか」
 ウニタキは首を傾げて、「俺もちょっと調べてくる」と言って出て行った。
 サハチがお茶を飲みながら考えていると、豊見グスク按司が来たと侍女が知らせた。通すように言って、サハチは一階の会所(かいしょ)で、義弟のタルムイと会った。
 山南王の行方不明は知らないといった顔で、「朝っぱらからどうしたんだ?」とサハチはタルムイに聞いた。
 タルムイは父親の行方不明には触れずに、去年の刺客(しかく)の襲撃の事を聞いた。昨日、弟からその話を聞いて驚き、確認をするために来たという。
 サハチはいち早く、その計画を知る事ができて、未然に防ぐ事ができたと答えた。その事を恨んで、父に刺客を送りましたかとタルムイが聞いたので、サハチは首を振って、「ウミトゥクを悲しませたくないからな」と言った。
 タルムイはうなづいて、「妹は元気ですか」と聞いた。
「手登根(てぃりくん)グスクで、娘たちに剣術を教えているよ。クルーはヤマトゥに行っていて留守だが、三人の子供と一緒に、しっかりと留守を守っている」
 タルムイは笑って、忙しいからと言って帰って行った。後ろ姿を見送りながら、タルムイはどうして、シタルーの行方不明を隠したのだろう。もしかしたら、見つかったのかなとサハチは思った。
 正午(ひる)を少し過ぎた頃、ウニタキが戻って来て、島尻大里の城下で、妙な噂が流れていて大騒ぎになっていると言った。
『山南王は敵討ちに遭って亡くなった。八重瀬按司の息子のチヌムイが母親の敵(かたき)を討った。その母親は八重瀬按司の側室で、山南王に殺された。山南王は八重瀬按司の側室を殺して、八重瀬按司から山南王の座を奪い取った。チヌムイが敵を討ったので、八重瀬按司が山南王に戻るだろう。神様は不正は許さない。正統な後継者が跡を継ぐように、チヌムイを助けたに違いない』
「シタルーが殺されただと‥‥‥」とサハチは驚いて、「その噂は本当なのか」とウニタキに聞いた。
「噂を流しているのは糸満(いちまん)のウミンチュ(漁師)たちだ。ブラゲー大主(うふぬし)を知っているか」
「ああ、貝殻を扱っているウミンチュの親方だろう」
「どうやら殺された側室の父親がブラゲー大主のようだ。ブラゲー大主は娘の敵を討つために、ずっと、チヌムイを助けていたらしい」
「なに、チヌムイはブラゲー大主の孫だったのか。しかし、あの時に殺された側室の息子がチヌムイだったなんて知らなかった」
「俺も気が付かなかった。迂闊(うかつ)だったよ」とウニタキが悔しそうな顔をして言った。
「タブチの側室が殺された時、幼い子供がいて、心に深い傷を負うだろうと思ったが、その事はすっかり忘れていた。チヌムイがンマムイ(兼グスク按司)のグスクに通って、武芸を習っているのは知っていたが、ただ、父親に似て武芸が好きなのだろうと思っただけで、詳しい事は調べなかった。まさか、敵討ちのために武芸を習っていたなんて、まったく知らなかった」
「チヌムイは姉の若ヌルと一緒に、ヂャンサンフォン(張三豊)殿の一か月の修行もやっているぞ」
「なに、チヌムイもヂャン師匠の弟子なのか」
 サハチはうなづいて、「ンマムイが新(あら)グスクにいた頃だ。その時、サスカサ(島添大里ヌル)とシビーも一緒に修行をしている」と言った。
「チヌムイは師弟(シーデイ)か。守らなくてはならんな」
「今、八重瀬グスクにいるのか」
「わからん。この噂を聞いたら、タルムイたちが八重瀬グスクを攻めるんじゃないのか」
「シタルーが殺されたなんて信じられんが、本当だったら戦が始まるな。タブチは八重瀬に帰ったのか」
「いや、まだ島尻大里グスクから出て来ないようだ」
「まさか、噂通りに山南王になるつもりなのか」
「それは何とも言えんが、今朝、タブチに従ってグスクに入ったお輿には、シタルーの遺体が入っていたのではないのか。昨日のシタルーの行動を調べたら、島尻大里から座波(ざーわ)に行って、阿波根(あーぐん)グスク、保栄茂(ぶいむ)グスクまで行った事はわかっている。保栄茂グスクから長嶺(ながんみ)グスクに行く途中でいなくなったようだ。ジャナムイとグルムイが兵を引き連れて、その辺り一帯を調べていたが、何も見つからないようだ。昨夜(ゆうべ)の雨で、血の跡も流れてしまったのだろう」
「チヌムイはシタルーを待ち伏せしていたのか」
「ブラゲー大主のウミンチュたちがシタルーの居場所を常に調べていたのだろう」
「タブチはチヌムイの事を知っていたのだろうか」
「タブチに聞いてみない事にはわからんな。それより、戦が始まるぞ」
「そうだな。万一に備えて、東方(あがりかた)の按司たちに守りを固めさせた方がいいな。俺は首里に行って親父に知らせる。ここの事はサグルーに任せて、俺は首里で様子を見る事にする」
 ウニタキはうなづくと出て行った。
「シタルーが死んだか‥‥‥」とサハチはつぶやき、昨夜の胸騒ぎはシタルーの事だったのかと思い当たった。
 妹のマチルーがシタルーの長男のタルムイに嫁ぐ時、不安になったマチルーは馬天ヌルに相談した。馬天ヌルはシタルーの事をサハチのお友達だとマチルーに説明していた。年齢は十歳も年上だが、サハチにとってシタルーは永遠の友達だったのかもしれない。敵として戦い、命を狙われた事もあったが、シタルーの存在はサハチにとっては大きかった。
 この先、シタルーとは戦わなければならないと思っていたのに、あっけなく亡くなってしまった。サハチは胸にぽっかりと穴が空いたような虚(むな)しい気持ちに襲われていた。

 

 

 

居合刀/平氏家宝 -小烏丸-

2-123.タブチの決意(改訂決定稿)

 日が暮れてからブラゲー大主(うふぬし)を連れて、八重瀬(えーじ)グスクに来たミカ(美加)とチヌムイ(角思)を見て、タブチ(八重瀬按司)は首を傾げた。
 ブラゲー大主が訪ねて来るのは久し振りだった。ブラゲー大主は中山王(ちゅうさんおう)のために貝殻を扱っているので、浮島(那覇)で何度か会って、声を掛けたりはしていたが、わざわざ、八重瀬まで来るなんて、何か重要な用件でもあるのだろうかとタブチは思った。とにかく屋敷に上げて話を聞いた。
「チヌムイが、とうとうやりましたぞ」とブラゲー大主は嬉しさを抑えたような顔で言った。
「チヌムイが?」と言ってタブチはチヌムイを見た。
 チヌムイはうなだれていた。ミカを見るとミカも俯いていた。
「長年、稽古を積んできた『抜刀術(ばっとうじゅつ)』の極意でもつかんだのか」とタブチはチヌムイに聞いた。
 タブチはチヌムイが抜刀術という不思議な剣術の稽古に励んでいるのを知っていた。八重瀬岳(えーじだき)の山の中で立木をじっと睨んでは、気合いと共に木剣で立木を打っていた。ンマムイ(兼グスク按司)の配下の武芸者から学んで、さらに自分で工夫して、一撃必殺の技にすると言っていた。
「見事なものでございました」とブラゲー大主は言って、軽く笑った。
「さて、驚かないで聞いてくだされ」
 そう言ってブラゲー大主は、チヌムイとミカを見てからタブチを見て、
「山南王(さんなんおう)はあの世へと旅立ちました」と言った。
「なに?」とタブチはブラゲー大主を見てから笑った。
「馬鹿を申すな。シタルー(山南王)が病(やまい)に罹っていたなど聞いた事もない」
 そう言ってから、「まさか?」と言ってチヌムイを見た。
「その、まさかでございます。チヌムイが見事に母親の敵(かたき)を討ったのでございます」
「なに、チヌムイがシタルーを討ったのか」
「一刀のもとに山南王は倒れました」
「何という事を‥‥‥」
「父上‥‥‥」とチヌムイは初めて顔を上げてタブチを見た。
 目を見開いてチヌムイを見つめているタブチは、怒っているのか喜んでいるのかわからなかった。しかし、怒鳴られるような気がして、チヌムイは目を伏せた。
「詳しく話せ」とタブチは静かな声で言った。
 兼(かに)グスクの武術道場にシカーが現れた時から今までの出来事をチヌムイは順を追って話した。
「去年、お前を明国(みんこく)に連れて行くべきじゃった」と話を聞いたあとにタブチは言った。
「船出してから気づいたんじゃ。明国に行ったら、お前は敵討ちから解放されたかもしれなかった。お前の辛さや恨みは、わしも充分にわかっているつもりじゃ。母親が殺されてから一年近く、お前は口も利かず、ただ、ぼうっとしていた。わしは気が狂ってしまったのではないかと心配した。そんなお前を見て、わしはお前の母親の敵(かたき)は必ず討つと誓ったものじゃ。多分、ミカのお陰じゃろう。だんだんとお前は元に戻っていった。母の敵を討つと言って武芸の稽古を始めたお前を見て、わしは嬉しかった。今の中山王(思紹)が先代の中山王(武寧)を倒した時の戦(いくさ)で、わしは本気で弟のシタルーを殺して、山南王になろうとした。しかし、島添大里按司(しましいうふざとぅあじ)(サハチ)に邪魔をされて失敗に終わった。島添大里按司は絶対に許せんと思っていたが、親父もシタルーも行った明国が見たくなって、中山王の進貢船(しんくんしん)に乗って明国に行った。明国に行って、わしは初めて親父の気持ちがわかったんじゃ。親父は東方(あがりかた)をすべて攻め取るつもりだったのに、明国から帰って来たら、それをやめてしまって、交易に力を入れた。あの頃のわしには親父の考えが理解できなかった。わしもこの目で明国を見て、初めて親父の気持ちがわかったんじゃ。お前も明国に行ったら、きっと、考えが変わっていたじゃろう。しかし、手遅れになってしまった」
 城下にあるチヌムイたちの屋敷の物置に隠してあるシタルーの遺体を確認すると、「独りにしてくれ」とタブチは言って、弟の遺体と一緒に物置に残った。
 ブラゲー大主は帰り、チヌムイとミカは屋敷に上がった。帰りが遅いので、ミカの母親が心配顔で二人を迎えた。
 チヌムイたちがグスクから城下に移ったのは七年も前だった。浦添(うらしい)グスクが炎上して、中山王(武寧)の息子に嫁いだミカが帰って来た。ミカと一緒に、中山王の王妃だったタブチの姉も帰って来た。王妃のための部屋を開けるために、ミカの母親はミカとチヌムイを連れて城下に移った。
 タブチは姉のためにグスク内に屋敷を新築して、チヌムイたちの部屋は空いたが、グスクには戻らなかった。ミカはヌルの修行をしているし、チヌムイも城下でのびのびと暮らしている。二人のためにも城下にいた方がいいとミカの母親は考えて、そのまま、ずっと城下で暮らしていた。タブチも時々、気晴らしにやって来て、明るくなったチヌムイを見て喜んでいた。
 物置で弟の無残な遺体を眺めながら、これからどうしたらいいものか、タブチは悩んでいた。
 シタルーを倒して山南王になるという夢は決して忘れたわけではなかった。中山王の正使となって活躍していても、心の片隅で、これでいいのかともう一人の自分が言っていた。シタルーに何かが起こって、自分が山南王になる日がいつか来るに違いないと心の片隅で思っていた。しかし、最近はそれも半ば諦めかけていた。
 チヌムイが母の敵を討つために武芸の稽古に励んでいる事は知っていた。敵討ちなんかやめろと言っても、聞かない事はわかっている。うるさく言えば、返って反発するので放って置いた。何事にも怠りないシタルーが、チヌムイにやられるはずはないと思っていた。
 ブラゲー大主の話だと、チヌムイはシタルーには弓矢を使わず、正々堂々と剣術の勝負をして、ほんの一瞬の差で勝ったと言っていた。チヌムイは命懸けで戦ったのだろう。死を覚悟して戦ったに違いない。息子が死を覚悟して戦ったのなら、自分も死を覚悟してチヌムイを守らなければならなかった。
 タブチは決意を固めて物置から出ると、ミカの母親に声を掛けて、三人を連れてグスクに戻った。
 若按司のエータルー(八重太郎)、八重瀬ヌル、正妻のカヤを呼んで、タブチはチヌムイが見事に敵討ちを果たした事を告げた。
 皆が驚いた顔でチヌムイを見つめた。
「チヌムイがとうとうやったのね」とミカの母親は涙を流した。
「チヌムイが山南王を殺(や)ったのか‥‥‥」とエータルーは信じられないと言った顔で首を振った。
「チヌムイとミカなら、きっとやると思ったわ」と八重瀬ヌルは二人を見てうなづいた。
「でも、相手が大物すぎるわね。山南王の息子たちが敵討ちだと言って攻めて来ないかしら」
「戦(いくさ)になるかもしれん」とタブチは厳しい顔付きで言った。
「大変な事になってしまったわね」とカヤがチヌムイとミカを見てから、
「これからどうなさるおつもりなのですか」とタブチに聞いた。
「まずは、チヌムイを守らなくてはならない。何としてでも、敵討ちだった事を認めさせなくてはならない」
「それは難しいんじゃないでしょうか」とエータルーが言った。
「世間の者たちは、親父がチヌムイをそそのかして山南王を殺したと思いますよ。いっその事、島尻大里(しまじりうふざとぅ)を攻めて、グスクを奪い取ったらどうですか」
「あのグスクはそう簡単に落とせるグスクではない。落とすためには周到な準備が必要なんじゃよ。シタルーはもういない。跡を継ぐタルムイ(豊見グスク按司)はシタルーほどの器ではない。様子を見て、タルムイに反発する重臣を取り込めば、攻め取る事もできるじゃろう。今回はチヌムイの敵討ちをシタルーの息子たちに認めさせて、チヌムイを守る事が先決じゃ。わしは明日、シタルーの遺体を運んで、島尻大里に行くつもりじゃ」
「それは危険です」とエータルーが言った。
「親父は捕まってしまいます。殺されるかもしれません」
「わしにもしもの事があったら、お前が八重瀬を守れよ。そうじゃ、これを機にわしは隠居しよう。お前が今から八重瀬按司じゃ。いいな」
「急にそんな事を言われても‥‥‥」とエータルーは困った顔をして手を振った。
「何を言っておる。わしが八重瀬按司になったのは二十一の時じゃった。三十を過ぎても若按司でいる方が恥ずかしいぞ」
「わかりました」とエータルーは覚悟を決めてうなづいた。
「八重瀬按司の名を汚(けが)さないように努力いたします」
 タブチは満足そうにうなづいた。
「さて、隠居してから何と名乗ろうかのう。伊敷按司(いしきあじ)も真壁按司(まかびあじ)も米須按司(くみしあじ)も玻名(はな)グスク按司も皆、大主(うふぬし)を名乗った。大主では面白くないのう。中山王は隠居した時、東行法師(とうぎょうほうし)を名乗っていた。ヤマトゥ(日本)の有名な歌人西行法師にあやかったという。わしは明国の詩人で詩仙と呼ばれた李白(リーバイ)にあやかって、『李白法師(りーばいほうし)』を名乗る事にする」
「何だか、前もって決めていたようですね」とカヤが言った。
 タブチは笑って、「米須按司が隠居した時に決めたんじゃよ」と言った。
「来月の唐旅(とーたび)から帰って来たら、隠居しようと思っていたんじゃが、どうやら、正使を務めるのは難しくなりそうじゃ」
「俺のせいで、すみません」とチヌムイは謝った。
「自分の事しか考えていませんでした。みんなに迷惑が掛かってしまうなんて‥‥‥山南王のお腹からどくどくと血が流れて来て、それを見たら恐ろしくなりました。人を殺すという事がこんなにも恐ろしいとは思ってもいませんでした」
「初陣(ういじん)だったと思うんじゃ。わしも初めて人を斬った時は恐ろしくて体が震えた。サムレーなら誰もが経験する事なんじゃ。お前も今日から立派なサムレーじゃ。兄貴を助けて、活躍するんじゃぞ」
 チヌムイは父親を見ながらうなづいたが、涙で父親の顔がよく見えなかった。


 その頃、島尻大里グスクでは山南王がいなくなったと大騒ぎになっていた。
 日暮れ間近なのに山南王が来ないので、長嶺按司(ながんみあじ)(クルク)が保栄茂按司(ぶいむあじ)(グルムイ)に使者を送った。保栄茂按司は驚いて、自ら長嶺グスクにやって来た。気が変わって豊見(とぅゆみ)グスクに行ったのだろうかと長嶺按司と保栄茂按司は豊見グスクに向かった。豊見グスク按司(タルムイ)は驚いて、三人で阿波根(あーぐん)グスクに向かった。兼(かに)グスク按司(ジャナムイ)も驚いて、座波(ざーわ)ヌルを訪ねてから島尻大里グスクに行った。息子たちから話を聞いた重臣たちも驚いて、各地に兵を派遣して山南王の行方を捜した。
 一体、親父はどこに行ったんだと息子たちは顔を付き合わせて考えていた。
「まさか、刺客(しかく)にやられたのではないのか」と次男の兼グスク按司が言った。
「どこの刺客だ?」と娘婿の長嶺按司が聞いた。
「島添大里按司に決まっているだろう」と兼グスク按司は言ってから、しまったと言った顔で、兄の豊見グスク按司を見た。
「島添大里按司が刺客を送るわけがないだろう。親父を殺す理由がない」と豊見グスク按司が言った。
「それがあるんだ」と兼グスク按司は言って、去年、山南王が島添大里按司を殺すために刺客を送った事を兄に教えた。
「何だって! 親父はどうして、島添大里按司を殺そうとしたんだ?」と豊見グスク按司は強い口調で弟たちに聞いた。
「島添大里按司が邪魔なんだろう」と長嶺按司が言った。
「でも、あの失敗は痛かった。父上が率いていた刺客たちが全滅してしまったんだ」
 長嶺按司は先々代の山南王の弟だった。兄が高麗(こーれー)の美女を中山王(武寧)から奪って、高麗に逃げて行ってしまったため、島尻大里グスクを今の山南王の父親(汪英紫)に奪われた。当時、六歳だった長嶺按司と九歳だった大里大親(うふざとぅうふや)は、母親と一緒に助けられた。母親は汪英紫(おーえーじ)が山南王に贈った側室だった。大里大親は李仲按司(りーぢょんあじ)の娘を妻に迎えて、今、副使となって明国に行っている。長嶺按司は山南王の娘を妻に迎えて、長嶺グスクを任されて按司となった。娘婿として山南王から信頼されていて、去年の島添大里攻めにも山南王に従っていた。
「親父が島添大里按司に刺客を送ったとしても、島添大里按司は親父に刺客は送らないだろう。島添大里按司が親父を殺したとして、何の得があるんだ?」と豊見グスク按司が弟たちに聞いた。
「八重瀬按司を山南王にしようとたくらんでいるのかもしれない」と兼グスク按司が言った。
「伯父が山南王になったら、俺はどうなる? 俺は島添大里按司の義弟だぞ。娘婿が山南王になった方が中山王にとっては都合がいいんじゃないのか」
「それもそうだな」と長嶺按司はうなづいた。
「すると、兄上を山南王にするために父上を殺したのかな」
「馬鹿な事を言うな。そんな事をしたら島添大里按司は親父の敵(かたき)になる。俺が山南王になったとしても、中山王と戦わなくてはならなくなる。わざわざ、俺を敵に回すような事はするまい。久し振りのお忍びだったから、急に思い出して、誰かに会いたくなったのではないのか」
「そういえば、来年の正月に進貢船を送るつもりだが、お前、順天府(じゅんてんふ)(北京)まで行って来ないかと言われたぞ」と兼グスク按司が言った。
「なに、お前に行けと言ったのか」と豊見グスク按司が驚いて聞いた。
「ああ。急に言われたので驚いたけど、俺が前に行ったのはもう六年も前だ。もう一度、行ってみるのも悪くないなと思ったんだ。進貢船の事で何か思い出して、久米村(くみむら)に行ったんじゃないのかな」
「久米村といえば、新しく遊女屋(じゅりぬやー)ができたらしいぞ」と長嶺按司がニヤニヤしながら言った。
「池のほとりにあって、遊女(じゅり)たちは明国の着物を着ているそうだ。薄絹の着物で、何とも色っぽいとの噂だ。もしかしたら、親父もその噂を聞いて、そこに行ったのかもしれんぞ」
「馬鹿らしい。親父がわざわざ遊女屋なんかに行くか」と豊見グスク按司は言ったが、
「遊女屋はついでさ。久米村の役人と進貢船の事で何か相談したあとに誘われて行ったのかもしれない」と長嶺按司は言った。
「それはあり得るな」と兼グスク按司がうなづいた。
「親父も誘われて、久し振りに羽目をはずしたくなったのかもしれんな」
「その遊女は明国の女なのですか」と保栄茂按司が聞いた。
「おっ、生真面目なグルムイも遊女屋に興味があるのか」と兼グスク按司が笑った。
「あんな美人の嫁さんがいるのに、遊女に興味を持つなんて、山北王(さんほくおう)に怒られるぞ」と長嶺按司も笑った。
「俺はただ、明国の娘がどうやって琉球に来たのかが気になっただけです」
 真面目な顔で言い訳をする保栄茂按司を見ながら兼グスク按司と長嶺按司が笑った。豊見グスク按司も笑っていた。
「残念ながら、遊女は島の娘らしい。数年前までは、朝鮮(チョソン)や明国の娘たちが倭寇(わこう)にさらわれて琉球に来ていたが、最近はあまり来なくなったようだ。それでも、唐人(とーんちゅ)の相手をするので、唐言葉は達者らしい。唐の歌や唐の踊りも披露するので、珍しがって首里(すい)のサムレーたちも通っているとの評判だ」
 山南王は保栄茂グスクから長嶺グスクには向かわず、浮島に行ったに違いないと結論を出した息子たちは、久し振りに集まったのだから、酒でも飲もうと言って酒盛りを始めた。


 島添大里グスクでも、ヤンバル(琉球北部)から帰って来たウニタキ(三星大親)を相手にサハチ(中山王世子、島添大里按司)が酒を飲んでいた。二人はなぜか、山南王との思い出を語り合っていた。
「俺がシタルーに初めて会ったのは、奴がサングルミー(与座大親)と一緒に明国から帰って来た時だった」とウニタキは言った。
「そうだったのか。お前が佐敷に来た時、シタルーは留学中だったのか」
「あの頃、俺は配下の者たちを連れて、あちこちのグスクに潜入していたんだ。按司たちの顔を覚えるためにな。豊見グスクにも潜入した。シタルーの奥さんが五人の子供の面倒を見ていたよ。その奥さんだが、俺の前の妻だったウニョンに似ていて驚いたよ。ウニョンは二十歳で亡くなってしまったが、十年後はこんな感じだろうと思うと目が潤んできたんだ」
「そうか。シタルーの奥さんはお前の叔母だったんだな」
「その時、初めて見たけど叔母には違いない。長男のタルムイはまだ十歳くらいだった。姉のマナビーは島尻大里でヌルになるための修行をしていて、当時の山南王は、武寧の側室だった美女を盗んで高麗に逃げた情けない奴だった」
「親父が山南王になったという噂を明国で聞いたシタルーは、予定よりも早く帰国したんだ。サングルミーの親父は戦死して、弟が与座按司(ゆざあじ)になっていた。サングルミーは自分の居場所を失って、また、国子監(こくしかん)に戻ったんだ」
「あの頃、お前が笛を始めたんだっけな」
「そうだな。玉グスクからヤグルー(平田大親)に嫁いで来たウミチルの笛を聞いて、俺も吹いてみたくなったんだよ。お前が三弦(サンシェン)を始めたのもその頃だろう」
「いや、もっとあとだ。ファイチ(懐機)が佐敷に来た頃だ。お前の笛はへたくそだったが、なぜか感動するものがあったんだ。俺も何か楽器をやってみたいと思ってな、それで三弦を手に入れたんだよ」
 サハチはウニタキを見て笑った。お互いに身に付けた笛と三弦は、その後、大いに役に立っていた。
「雨が降ってきたわ」と言いながら、佐敷ヌルとサスカサ(島添大里ヌル)、サグルーが顔を出した。
「お酒が飲みたくなったの」とサスカサが笑った。
「なぜか、台本作りに集中できなくて、サスカサからお兄さんがウニタキさんとお酒を飲んでいるって聞いたので、一緒に飲もうと思ってやって来たのよ」と佐敷ヌルも笑った。
「まったく、お前たちのお酒好きにも困ったものだ」
「お前もお酒が飲みたくなったのか」とサハチはサグルーに聞いた。
 サグルーはうなづいた。
「あたしたちがお屋敷から出たら、サグルーが空を見上げていたのよ。曇っていて、星も出ていない空をね」と佐敷ヌルが言った。
「なんか胸騒ぎがするんです」とサグルーが言った。
「あたしたちも何かよくない事が起こるような気がするの」とサスカサが言って佐敷ヌルを見た。
「もしかして、ヤマトゥに行ったササたちに何かが起こったのかな」とサハチは心配した。
「ササ姉(ねえ)たちじゃないわ」とサスカサは言った。
「まさか、永楽帝(えいらくてい)がヤマトゥを攻めたのではあるまいな」
 佐敷ヌルが首を振って、「琉球の国内の事だと思うわ。何となく、戦(いくさ)の臭(にお)いがするの」と言った。
「戦? シタルーがまた、ここを攻めて来るのか」
「いや、そんな事はあるまい。シタルーの兵は動いていない」とウニタキは言った。
「それじゃあ、山北王が動くのか」
「湧川大主(わくがーうふぬし)は鬼界島(ききゃじま)(喜界島)から帰って来ていない。湧川大主が留守なのに、山北王が独断で動くはずはない」
「俺まで何だか、胸騒ぎがして来たぞ」とサハチはサグルーを見てから、ナツを呼んで酒の用意を頼んだ。
 雨が本降りになったようで、侍女たちが雨戸を閉めていた。
 ウニタキにお客だと侍女が知らせた。ウニタキは侍女と一緒に部屋から出て行った。びしょ濡れになったウニタキの配下のアカーが来ていて、ウニタキに島尻大里の異変を伝えた。
 部屋に戻ったウニタキは、サハチたちに山南王が行方不明になった事を伝えた。サムレーたちが探し回ったが見つからず、明日、また探すらしいという。
「あのシタルーが行き先を誰にも告げずに、どこかに行くなんて考えられんぞ」とサハチは言った。
「シタルーはお前の刺客にやられると思って、一年近く、お忍びで出歩くのをやめていたんだ。久し振りのお忍びなので、ちょっと気まぐれに動いただけだろう。明日、何事もなく戻って来るさ」とウニタキは言った。
「胸騒ぎは山南王だったのかもしれない」とサグルーが言った。
「シタルーに何かがあったというのか」とサハチはサグルーに聞いた。
「山南王がいなくなって得するのは誰です?」とサグルーが聞いた。
「兄の八重瀬按司かしら?」と佐敷ヌルが言った。
「シタルーがいなくなれば、跡を継ぐのはタルムイだろう。タブチが山南王になれるはずがない。弟を殺した事がわかればなおさらだ。タブチは今、進貢船の正使に満足している。そんな馬鹿な真似はするまい」とサハチが言うと、
「確かにな」とウニタキが言った。
「ここに来る前、ファイチ(懐機)の所に寄って来たんだが、タブチがいて、ファイチからヘグム(奚琴)を習っていたよ。来月、明国に行ったら二胡(アフー)を手に入れるんだと楽しそうな顔をして言った。正使を務めるのが楽しくてしょうがないようだったぞ」
「八重瀬按司ではないですね」とサグルーが言った。
「山北王が瀬底之子(しーくぬしぃ)(本部のテーラー)に命じて殺させたのではないですか」
「山北王が山南王を殺して、何の得があるんだ?」とサハチがサグルーに聞いた。
「中山王の仕業に見せかければ、山南王になった豊見グスク按司と中山王は戦を始めます。どっちが勝っても、かなりの損害が出るでしょう。いつかは中山王を倒そうと考えている山北王にとって、都合のいいようになります」
「確かにそうだが、刺客が山北王の手の者だった事がわかれば、逆効果だぞ。中山王と山南王が手を結んで山北王を倒す事になる」
「ここであれこれ言っていても始まらないわ」と佐敷ヌルがうまそうに酒を飲んだ。
「明日になれば、ひょっこりと現れるだろう」とウニタキは笑った。


 対馬(つしま)の船越にいたササは、山南王がチヌムイに斬られる場面を見ていた。
「大変な事が起こったわ」とササは驚いて、「早く、琉球に帰らなくちゃ」と言って、血相を変えて、総責任者の手登根大親(てぃりくんうふや)(クルー)がいる屋敷へと走って行った。

 

 

 

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2-122.チヌムイ(改訂決定稿)

 馬天浜(ばてぃんはま)のお祭り(うまちー)も終わって、三姉妹たちも、旧港(ジゥガン)(パレンバン)のシーハイイェン(施海燕)たちも、ジャワ(インドネシア)のスヒターたちも帰って行った。浮島(那覇)は閑散としていて、ヤマトゥ(日本)の商人たちが来るまでは、一休みといった所だった。
 ササはいなかったが、シーハイイェンたちもスヒターたちも結構楽しくやっていたようだ。シーハイイェンたちがヂャンサンフォン(張三豊)のもとで一か月の修行をしていたら、スヒターたちも加わって一緒に修行をした。修行が終わると、平田グスクに行ってお祭りの準備を手伝って、シーハイイェンたちは武当剣(ウーダンけん)を、スヒターたちはプンチャック(ジャワの武芸)をお祭りの舞台で披露した。その後、旅芸人たちと一緒にキラマ(慶良間)の島に行って、島の娘たちに武芸の指導をした。キラマの島から帰って来ると、馬天浜のお祭りの準備を手伝って、リェンリーたちも加わり、異国の娘たちによるお芝居『瓜太郎(ういたるー)』を演じた。簡単な台詞(せりふ)以外は皆、明国(みんこく)の言葉だったが、異国のお芝居を観ているようで、返って新鮮だった。
 台本を明国の言葉に直したのはミヨンとヂャンウェイ(ファイチの妻)で、ファイリン(懐玲)がお嫁に行ってしまったため、二人は何となく気が抜けてしまったような気分だった。そんな時、佐敷ヌルに頼まれて、二人は喜んで引き受けたのだった。
 武当剣やプンチャック、見た事もない珍しい武器も出て来て、楽しいお芝居だった。観客たちから、来年も頼むぞと言われて、シーハイイェンたちは大喜びしていた。
 三姉妹の船、旧港の船、ジャワの船を見送ると、サハチ(中山王世子、島添大里按司)は首里(すい)に帰って、来月に送る進貢船(しんくんしん)の準備を始めた。正使は去年と同じく、八重瀬按司(えーじあじ)のタブチに頼んであった。正使を務めるようになってからタブチは、明国の文人たちと付き合っているようで、漢詩を始めたり、ヂャンサンフォンから笛を習ったりしていた。明国の妓楼(ぎろう)では、何か芸を身に付けていないと妓女(ジーニュ)たちに相手にされない。タブチも色々と頑張っているようだった。


 ンマムイ(兼グスク按司)の兼(かに)グスクの城下にある武術道場で、マウミはヤマトゥに行ったマグルーの事を思いながら弓矢の稽古に励んでいた。武術道場ができるまではグスク内の的場で稽古をしていたが、武術道場ができるとマウミもそこに通って、サムレーたちと一緒に、弓矢だけでなく剣術や武当拳(ウーダンけん)の稽古をしていた。八重瀬(えーじ)グスクから若ヌルのミカ(美加)と弟のチヌムイ(角思)が通って来ているし、夕方になると城下の娘たちも剣術の稽古にやって来た。
 ミカとチヌムイは阿波根(あーぐん)グスクにも通っていた。でも、マウミが母と一緒に今帰仁(なきじん)にいる時だったので知らなかった。マウミが今帰仁に行く前から、山南王(さんなんおう)(シタルー)の娘のマアサが阿波根グスクに通って剣術を習っていた。マアサは具志頭(ぐしちゃん)の若按司に嫁いだが、若按司が戦死したため島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスクに戻っていた。具志頭で出会ったチミーに憧れて武芸を始め、島尻大里にも女子(いなぐ)サムレーを作ると言って張り切っていた。
 マアサが具志頭にいた頃、ミカも具志頭に通って弓矢を習っていた。ミカは先代の中山王(ちゅうさんおう)(武寧)の四男、シナムイに嫁いだが、シナムイが戦死したので実家に戻って、ヌルになろうと修行を始めた。八重瀬グスクに来た佐敷ヌルを見て憧れて武芸を習い始めた。一年間、具志頭に通って弓矢を身に付けたミカは、今度は剣術を身に付けようとチヌムイと一緒に阿波根グスクに通い始めた。
 マウミたちが阿波根グスクから新(あら)グスクに移ったあとも、ミカとチヌムイは通って来て、兼グスクに移ってからも通っていた。新グスクに移ってからは、マアサは通って来なくなった。ンマムイが中山王に寝返ってしまったので来られなくなってしまったのだろう。それでも、中山王と山南王が同盟を結んだあと、マアサは三人の女子サムレーを連れて馬に乗って兼グスクにやって来た。その後、マアサは一月に一度はやって来て、稽古に励んで帰って行った。
「そろそろ、マアサさんが来る頃だと思っているんでしょう」とマウミは的場の脇にある縁台(えんだい)に腰掛けて、汗を拭きながらチヌムイに聞いた。
「そうじゃない」とチヌムイは強い口調で言った。
「あら、そうかしら?」とミカが弟を見て笑った。
「親父から明国に行かないかって誘われたんだ」とチヌムイは言った。
「えっ、来月、お父様と一緒に行くの?」とミカが驚いた顔をして聞いた。
 長兄の若按司、次兄の喜屋武大親(きゃんうふや)、三兄の新グスク大親、兄たちは皆、明国に行っていた。次は自分の番だと思っていたのに、まだ若いと思っているのか、父から誘いの声は掛からなかった。昨日の夜、来月に行こうと誘われたのだった。
「迷っているんだ」とチヌムイは言った。
「行って来たら」とマウミが気楽に言った。
「でも、行く前にちゃんとマアサさんに言わなくちゃね」
「そんなの無理だよ」とチヌムイは弱々しい顔付きで首を振った。
「まったく、あんたも、よりによってお父様と敵対している山南王の娘を好きになるなんて」とミカは苦笑した。
「マアサさんはそんな事を気にしていないみたいよ」とマウミは言った。
「それだから余計に、チヌムイが悩むのよ」とミカは言って、うなだれているチヌムイを見た。
「お父様から聞いたんだけど、明国はとてつもなく広い国で、こんな小さな島国で、あれこれ悩んでいるのが馬鹿らしく思えて来るって言っていたわ。チヌムイさんも明国に行ったら、敵討(かたきう)ちの事を忘れられるかもしれないわよ。敵討ちなんか忘れて、マアサさんと幸せになった方がいいわ」
「絶対に忘れない」とチヌムイは厳しい顔をしてマウミに言った。
「今でもはっきりと覚えている。何も悪い事をしていないのに、お母さんは殺されたんだ。絶対に敵を討たなくてはならないんだ」
 チヌムイは立ち上がってガジュマルの木の前まで行くと、左手で鯉口(こいぐち)を切って、刀の柄(つか)を右手で握り、呼吸を整えて無心になった。鋭い気合いと共に刀を抜いて横に振り払い、振り上げると左手を柄に添えて、真っ直ぐ振り下ろした。
 馬の足音が近づいて来るのが聞こえた。チヌムイは刀を鞘(さや)に納めて振り返った。マアサではなかった。糸満(いちまん)のウミンチュ(漁師)のシカーだった。
 シカーは馬から下りるとチヌムイの所に来て、
「的(まとぅ)が動きました」と小声で言った。
「どこに?」とチヌムイも小声で聞いた。
「多分、長嶺(ながんみ)グスクではないかと」
「長嶺グスクなら、今頃、もう着いているだろう」
 シカーは首を振った。
「久し振りのお忍びです。馬にも乗らず、供のサムレーも二人だけです。陰の護衛も見当たりません」
「なに、陰の護衛がいない?」
「噂では、山南王は島添大里按司(しましいうふざとぅあじ)を殺すために刺客(しかく)を送ったようですが、失敗に終わったようです。その時、陰の護衛をしていた者たちも戦死したものと思われます」
「確か、去年の今頃だったな」
「山南王も島添大里按司の刺客を恐れて、お忍びで出掛けるのはやめていましたが、そろそろ大丈夫だと思ったのでしょう」
「座波(ざーわ)に行くだけではないのか」とチヌムイは言った。
 島尻大里から座波までは四半時(しはんとき)(三十分)で行ける。近いので馬にも乗らず、二人だけを連れて行ったのだろう。
「そうかもしれませんが、長嶺の双子の孫娘に会いに行くんじゃないかと思います。一か八か、それに賭けて、饒波(ぬふぁ)橋の辺りで待ち伏せした方がいいと思いますが」
「饒波橋か‥‥‥」
 島尻大里グスクから長嶺グスクに兵の移動がしやすいように、饒波川に立派な橋を架けたのは山南王だった。その橋のお陰で、近所の住民たちも大いに助かっていた。
 急用ができたとマウミに言って、チヌムイはミカと一緒に馬に乗って饒波橋に向かった。シカーはその後の様子を知らせると言って帰って行った。
 馬を走らせながら、「二人だけで大丈夫かしら?」とミカが心配した。
「敵は三人だけだ。供の二人を弓矢で倒して、敵(かたき)は俺が片付ける」
「マアサの事は諦めるのね」
「最初から無理な話だったのさ」
 饒波橋に着いたのは正午(ひる)近くになっていた。すでに、敵がここを通って長嶺グスクに行ってしまったのかわからなかった。チヌムイとミカは馬から下りて、橋の脇にある草が生い茂った野原(もー)の中に隠れた。
 北にある山の上を見上げて、「もう長嶺グスクの中にいるんじゃないの」とミカが言った。
「久し振りのお忍びだ。座波ヌルと会って、阿波根グスクで孫たちと会って、保栄茂(ぶいむ)グスクで孫たちと会って、それから長嶺グスクに行くのだろう。気楽に待っていよう」
 チヌムイは草の上に横になって空を見上げた。雨が降りそうな黒い雲が流れていた。
 十二年前の十一月、チヌムイが七歳の時、山南王だった祖父(汪英紫)が亡くなった。父と叔父のシタルーが家督争いを始めて戦(いくさ)になった。八重瀬グスクは大勢の敵兵に囲まれて、グスクから出られなくなった。一か月余りの籠城(ろうじょう)の末、グスクは落城して、チヌムイたちは敵兵に捕まった。島尻大里グスクを包囲している敵陣に連れて行かれ、母は首を斬られて亡くなった。あまりの衝撃で涙も出なかった。
「必ず、母の敵を討つんだぞ」と父は悔しそうな顔をして言った。
 チヌムイは母の敵を討つ事だけを生きがいにして生きて来た。そんな気持ちがぐらついたのは、マアサに出会ったからだった。
 四年前の今頃、父は具志頭グスクを攻めて、按司と若按司を倒した。若按司の妻だったマアサは助けられて、八重瀬グスクに来た。マアサはまだ十四歳で、若按司は嫌いだったから別れられてよかったと笑った。その時はろくに話もしなかったが、マアサの笑顔はチヌムイの心に焼き付いた。敵の娘を好きになってどうすると思いながらも、マアサを忘れる事はできなかった。
 翌年の夏、マアサが阿波根グスクで剣術を習っているという噂を聞いた。山南王の娘が木剣を振っていると言って、見物人も押しかけたらしい。
 阿波根グスクのンマムイはマアサにとっても、チヌムイにとっても従兄(いとこ)だった。チヌムイは居ても立ってもいられなくて、阿波根グスクに会いに行った。マアサはチヌムイを覚えていて、再会を喜び、従兄として接してくれた。姉のミカに話すと、ミカもマアサに会いたいと言って、二人で阿波根グスクに通う事になった。
 チヌムイはマアサの父親を敵だと思っているが、マアサはチヌムイの父親を敵だとは思っていなかった。マアサにとってチヌムイの父親は、幼い頃に会った微かな記憶しかなく、マアサの父親と対立して、今は中山王に仕えているというだけで、特に憎む理由もなかった。阿波根グスクに通っていた三か月近く、チヌムイは敵討ちを忘れて、マアサと一緒に楽しい時を過ごした。
 その年の十月、山南王の三男、グルムイに山北王(さんほくおう)(攀安知)の長女、マサキが嫁いで来た。婚礼の翌日、チヌムイが阿波根グスクに行くとンマムイはいなかった。家臣たち全員を引き連れて、どこかに消えたという。がっかりして八重瀬グスクに帰ると、ンマムイが訪ねて来て、今、新グスクにいるという。
 チヌムイはミカと一緒に新グスクに通うが、マアサが現れる事はなかった。新グスクのガマ(洞窟)に入って、ヂャンサンフォンの一か月の修行も受けた。その修行の成果はすぐに現れて、チヌムイの弓矢と剣術は格段の進歩を遂げた。
 ンマムイの兼グスクが南風原(ふぇーばる)に完成して、ンマムイたちが新グスクから兼グスクに移ると、チヌムイとミカは兼グスクに通った。その年に三王同盟が決まって、マウミも兼グスクに来るようになった。月に一度しか会えないが、会えた日は一日中、幸せな気分だった。それも今日で終わるとチヌムイは覚悟を決めた。
「シカーが来たわ」とミカが言った。
 チヌムイは起き上がって様子を見た。シカーは橋の上でキョロキョロしていた。チヌムイは顔を出して手を振った。シカーが気づいて近寄って来た。
「的は今、保栄茂グスクにいます。あと一時(いっとき)(二時間)もしたら現れるでしょう」
 シカーはそう言って、チヌムイに籠(そーき)に入った握り飯を渡した。
 チヌムイはお礼を言って、
「シカーの思っていた通りになったな」と笑った。
「長かったです」とシカーはしみじみと言った。
 シカーはチヌムイの母の父親であるブラゲー大主(うふぬし)の配下のウミンチュだった。
 ブラゲー大主は古くから貝殻を扱っているウミンチュの親方で、祖父が山南王になった時、娘を側室として父に贈ったのだった。ブラゲー大主は貝殻が明国との交易に使われるようになって、かつての繁栄を取り戻したかのように大きな稼ぎを得るようになった。
 娘が殺されたあと、ブラゲー大主は怒って、山南王との取り引きをやめて、先代の中山王(武寧)と手を結んだ。今でもブラゲー大主の貝殻は、中山王によって明国に送られて喜ばれていた。シカーはブラゲー大主からチヌムイの敵討ちを助けるように命じられて、十二年間、ずっと、山南王の様子を探っていたのだった。
 山南王はお忍びでよく出掛けていたが、いつも陰の護衛が十人前後付いていた。皆、凄腕の連中で手を出す事はできなかった。天の助けか、ようやく今回、絶好の機会が訪れた。この機会を逃せば、また十年はじっと我慢しなければならないだろう。
「親方も動きます」とシカーは言った。
「敵は必ず、俺が討ちます」とチヌムイは言った。
「わかっております。もし、敵が逃げ出した時に捕まえるために待機していると言っておりました」
「そうですか」
「二人のサムレーはかなりの使い手です。気を付けてください」
 チヌムイはミカを見ながらうなづいた。
「絶対にはずさないわ」とミカは力強く言った。
 一時(いっとき)近くが過ぎた頃、魚を入れた籠を頭の上に乗せたウミンチュの女が饒波橋を渡って来た。シカーが女に近づいて、何かを話すとすぐに戻って来た。女は饒波の集落の中に消えた。
「まもなく、的がやって来ます。邪魔者が現れないように、饒波橋を封鎖するので、念願を叶えてくれとの事です」
「そうか。お爺も近くにいるのだな」
 シカーはうなづいた。
 チヌムイとミカは前もって決めておいた場所に隠れて、弓矢を構えた。
 三人の人影が近づいて来るのが見えた。どこでも見かける下級サムレーたちだった。誰が見ても山南王には見えない。楽しそうに話をしながら橋を渡って来る。以前にもこんな場面があったのをチヌムイは思い出した。あの時は危険だと言って止められた。あの時と今では武芸の腕に格段の違いがあった。
 三人が橋を渡りきった。それが合図だった。
 チヌムイは弓矢を放った。ミカも放った。
 予想した通り、二本の弓矢は二人のサムレーの刀に払われた。二人のサムレーがシタルーを守るようにして、刀を構えて弓矢が飛んで来た方を見た。
 第二の矢、第三の矢と弓矢は続けざまに飛んできた。第四の矢まではじかれたが、第五の矢が当たった。第六の矢、第七の矢、第八の矢も当たり、第九の矢でサムレーは倒れた。ミカが狙ったサムレーもほぼ同時に倒れた。
 チヌムイもミカもこの日のために、弓矢の連射の稽古を長年積んで来たのだった。
「何者じゃ?」と刀を構えたシタルーが叫んだ。
 チヌムイとミカはシタルーの前に姿を現した。
「わしが山南王と知っての襲撃か」
 チヌムイは数本の矢が残った箙(えびら)をはずして、弓と一緒にミカに渡した。
「俺を覚えているか」とチヌムイは言った。
 シタルーはチヌムイを見つめたがわからないようだった。
「サハチが送った刺客か」とシタルーは言った。
「サハチとは誰だ?」
「島添大里按司だよ」
「島添大里按司なんて関係ない。十二年前にお前に殺された女の息子だ」
「十二年前? わしは女など殺さない」
「嘘をつくな。俺の母親はお前の命令で首を刎ねられたんだ」
「あっ!」とシタルーは言った。
「お前はあの時の‥‥‥兄貴の倅か‥‥‥」
「やっと思い出したようだな。あれからずっと、母の敵を討つために生きて来たんだ」
「何という事じゃ。わしが母親の敵か‥‥‥恨むなら親父を恨め。お前の親父がさっさとグスクを明け渡さなかったから、お前の母親は犠牲になってしまったんじゃ」
「うるさい。正々堂々と勝負をしないで、人質を利用するなんて最低だ。何の罪もない母親を殺すなんて絶対に許さない。お前と正々堂々と勝負をして、俺は勝つ」
 シタルーはふてぶてしい顔で笑った。
「わしはまだ死ぬわけにはいかんのじゃよ。勝負はしてやる。だが、死んでもわしを恨むなよ」
 シタルーは右手に持っていた刀を構えた。身なりは貧しいサムレーだが、その刀は名刀のようだった。
 チヌムイは刀の柄に右手を添えたまま、刀は抜かずにシタルーの動きをじっと見つめた。その刀は十二歳の時、父からもらった刀だった。父が祖父からもらった刀で備前(びぜん)の名刀だという。
 父はその時、シタルーを倒すために出陣して行った。シタルーを倒して山南王になるつもりだが、もし失敗に終わったら、お前がその刀でシタルーを必ず討てと父は言った。島添大里按司が中山王を殺して首里グスクを奪い取ってしまったため、父はシタルーを討ち取る事はできなかった。
「刀を抜け」とシタルーが言った。
「これが俺の構えだ。気にせずに掛かって来い」とチヌムイは言った。
 ヂャンサンフォンから教わった呼吸法を毎日やっているお陰か、心が乱れる事はなく平常心を保つ事ができた。
 シタルーは刀を振り上げて上段に構えた。刀を抜かないチヌムイを見て、抜き打ちをするつもりかと思った。先程の弓矢の連射といい、チヌムイの腕は相当なものに違いない。だが、チヌムイは戦の経験はない。真剣の勝負は初めてだろう。タブチには悪いが死んでもらわなければならなかった。
 シタルーは刀を上段に構えたまま、チヌムイに近づいて行った。チヌムイを見ながらもミカにも目を配っていた。チヌムイを倒したあと、ミカの弓矢に気をつけなければならなかった。
 踏み出した右足と同時に、シタルーはチヌムイの頭上目掛けて刀を振り下ろした。鋭い一撃だった。
 チヌムイは右足を踏み出して、ぎりぎりの所でシタルーの一撃をよけた。
 シタルーは振り下ろした刀を素早く返して、斜め左上に振り上げた。チヌムイは血しぶきを上げて倒れるはずだった。ところが、シタルーの刀よりもチヌムイの鞘から払われた刀の方が一瞬速かった。
 血しぶきを上げたのはシタルーだった。シタルーの腹から血が勢いよく吹き出した。
 信じられないといった顔で、シタルーはチヌムイを見つめたまま後ろへと倒れ込んだ。
 シタルーの腹からどくどくと血が流れ出して、乾いていた地面が血で染まった。
 シタルーは空を見上げながら何かを言ったが言葉にはならなかった。口から大量の血を吐き出すと、そのまま息を引き取った。
 チヌムイはシタルーの死体を見下ろしながら、ついにやったと思ったが、うれしさは込み上げて来なかった。うれしさよりも、不安な気持ちでいっぱいになっていた。
 敵は討った。しかし、相手は山南王だった。山南王を殺して、無事に済むはずがなかった。ミカを見ると、弓矢を持ったまま呆然とした顔で立ち尽くしていた。
 永楽(えいらく)十一年(一四一三年)十月十七日、山南王の汪応祖(おーおーそ)は突然、亡くなった。明国の名前、『汪応祖(ワンインズー)』はシタルーが自分で考えた名前だった。どういう理由でそう名乗ったのかはわからない。
 シタルーの祖父はシタルーが生まれた時、すでに亡くなっていたが島尻大里按司だった。伯父が祖父の跡を継ぎ、従兄が伯父の跡を継いで、初めて山南王となり、『承察度(うふざとぅ)』と名乗った。二代目の山南王は一度も進貢船を送る事なく高麗(こーれー)に逃げ、三代目の山南王は父で、『汪英紫(おーえーじ)』と名乗った。シタルーは四代目の山南王だった。しかし、二代目と三代目は明国からの冊封(さっぷー)を受けていないので、正式にはシタルーは二代目の山南王だった。
 与座按司(ゆざあじ)の次男として生まれたシタルーは、本来なら与座按司のサムレー大将で終わっていたかもしれない。偉大なる父親はその才覚によって、八重瀬按司を倒して、島添大里按司を倒して、山南王も倒した。シタルーは兄のタブチと争ったのち、山南王の座を勝ち取った。次にやるべき事は琉球統一だったが、その夢は実現する事なく終わった。もし、汪英紫汪応祖の父子がいなかったら、『尚巴志(しょうはし)』という英雄は生まれなかっただろう。
 ぞろぞろと武器を持った人たちが現れた。祖父の配下のウミンチュたちだった。
「よくやった」と祖父のブラゲー大主がシタルーの死体を見下ろしながら言った。
「すげえなあ」と誰かが言った。
「あれが若様(うめーぐゎー)の抜刀術(ばっとうじゅつ)というものか」と別の誰かが言った。
「これからどうしたらいいのでしょう」とチヌムイは祖父に聞いた。
 敵を討ってからの事を考えた事は一度もなかった。
「敵といってもお前の叔父さんじゃからのう。遺体を捨てて置くわけにもいくまい。遺体を持って帰って、親父にちゃんと話した方がいいじゃろう」と祖父は言った。
 明国に行ってから父は変わってしまった。もう敵討ちなんかやめろと言った。明国に行く前、必ず、シタルーを倒して山南王になると言っていた父が、明国から帰って来たら、敵討ちなんかで大事な人生を無駄にするなと言い、毎年、明国に行くようになって、山南王になる事もすっかり忘れたようだった。
 チヌムイも敵討ちの事は父に言わなくなって、姉のミカと二人だけで、敵討ちの機会を待っていた。姉といっても母親は違う。ミカの母親も側室で、チヌムイの母親が殺されたあと、チヌムイはミカと一緒に、ミカの母親に育てられた。ミカが浦添(うらしい)に嫁いで行った時は、たった独り取り残されたようで寂しかったが、一月もしないうちにミカは戻って来た。チヌムイが武芸の修行を続けられたのも、ミカがそばにいてくれたからだった。
 チヌムイは叔父と二人のサムレーの遺体を荷車に乗せ、馬に引かせて八重瀬グスクに向かった。
 東の空に少し欠けた満月が半ば雲に隠れて昇っていた。

 

 

 

居合刀 -桜花- Z刀身仕様

2-121.盂蘭盆会(改訂決定稿)

 湧川大主(わくがーうふぬし)が武装船に乗って鬼界島(ききゃじま)(喜界島)に向かっていた七月十五日、首里(すい)の大聖寺(だいしょうじ)で『盂蘭盆会(うらぼんえ)』という法会(ほうえ)が行なわれた。
 『盂蘭盆会』というのは、七月十五日に御先祖様の精霊(しょうりょう)が帰って来るので、それをお迎えして供養(くよう)する法会だという。帰って来るのは御先祖様だけでなく、子孫が絶えてしまって無縁仏(むえんぼとけ)となった精霊もいるので、『施餓鬼会(せがきえ)』という法会も一緒にやって、無縁仏も供養するという。
 大聖寺ではソウゲン(宗玄)禅師だけでなく、ナンセン(南泉)禅師、慈恩禅師(じおんぜんじ)、辰阿弥(しんあみ)も集まって、お経を唱えて、法会のあとには境内(けいだい)で、『念仏踊り』が盛大に行なわれた。集まって来た人たちに餅(むーちー)や雑炊(じゅーしー)が振る舞われて、子供から年寄りまで、『ナンマイダー(南無阿弥陀仏)』と唱えながら念仏踊りを楽しんだ。
 その二日後、中グスク按司(マチルギの弟、ムタ)の娘、マナミーが米須(くみし)の若按司の長男、マルクに嫁いで行った。米須按司はこれを機に隠居して、若按司按司の座を譲り、マルクは若按司となった。隠居した米須按司は『摩文仁大主(まぶいうふぬし)』を名乗って、摩文仁(まぶい)グスクに移った。摩文仁グスクはまだ完成していないが、屋敷だけは、この日に合わせて完成させていた。
 サハチ(中山王世子、島添大里按司)とマチルギは中グスクに行って、花嫁を見送った。亡くなったクマヌ(先代中グスク按司)も喜んでくれるだろうとサハチは思っていたのに、マナミーの母親は、あまりにも遠すぎると言って悲しんでいた。しかも、周りには知っている人は誰もいない。マナミーが可哀想だと言った。サハチは垣花(かきぬはな)の方がよかったかなと後悔した。
 マナミーの母親は越来(ぐいく)ヌルの妹で、越来ヌルも慈恩禅師と一緒に来ていた。
「ねえ、カーミ、あなた、越来の若ヌルだったマチルーを覚えている?」と越来ヌルがマナミーの母親、カーミに聞いた。
「えっ?」と言って、カーミは思い出したらしく、「勿論、覚えているわよ」と言った。
「マチルーは今、米須の隣りの小渡(うる)(大度)という所にいるのよ」
「えっ、どうして、マチルーがそんな所にいるの? 今帰仁(なきじん)に帰ったんじゃなかったの?」
 カーミは驚いた顔をして姉を見つめた。
 マチルーの父親は中山王(ちゅうざんおう)だった察度(さとぅ)の三男で、母親は今帰仁按司だった帕尼芝(はにじ)の娘だった。明国(みんこく)との進貢を始めた察度が、鳥島(とぅいしま)(硫黄鳥島)の硫黄(いおう)を手に入れるために帕尼芝と同盟を結び、帕尼芝の娘(マアミ)が察度の三男の越来按司に嫁いで、察度の娘(マティルマ)が帕尼芝の三男の永良部按司(いらぶあじ)に嫁いだ。同盟のあと、帕尼芝は使者を明国に送って山北王(さんほくおう)になったのだった。
「わたしもそう思っていたんだけど違ったのよ」と越来ヌルはカーミに言った。
「今の中山王(思紹)が越来グスクを攻めた時、反乱を起こした弟の仲宗根大親(なかずにうふや)は殺されて、わたしも死のうと思ったけど、新しく越来按司になった美里之子(んざとぅぬしぃ)様に説得されて、若ヌルを育てる事に決めたの。その時、マチルーはお母さんを連れて、今帰仁に帰ると言って出て行ったのよ。それなのに、あれからずっと米須にいたらしいわ。米須按司はマチルーの伯父さんだったから頼って行ったみたい」
「そうだったの。マチルーが米須にいるんだ‥‥‥」
 マチルーはカーミより四つ年下で、カーミが伊波(いーふぁ)に嫁ぐまで、仲よく遊んでいた。
 カーミは越来按司(ぐいくあじ)の娘として越来グスクで生まれた。四歳の時に父親が亡くなってしまい、浦添(うらしい)から察度の三男のフシムイが妻を連れてやって来て、越来按司になった。若按司だった兄は当時十五歳だったが、按司になる事はできず、仲宗根大親を名乗って家臣に格下げとなった。
 カーミの父親は察度の武将で、戦で活躍して越来按司に任命された。十五歳の若按司では心もとないと思われて、察度の息子が送り込まれたのだった。察度は、新しい按司を兄妹だと思って付き合ってくれと言って、カーミたちはグスクから追い出される事はなかった。翌年、マチルーが生まれ、カーミは妹のように可愛がった。その二年後、兄がお嫁さんをもらってグスクから出て、城下の重臣屋敷に移った。その二年後には、姉が越来按司の娘として勝連(かちりん)に嫁いで行った。
 今帰仁合戦の翌年、カーミは越来按司の娘として伊波按司の五男、ムタに嫁いだ。その時、マチルーはヌルになるための修行を始めていた。別れる時、伊波に遊びに行くわとマチルーは言ったが、その後、会ってはいない。米須にいるのなら、いつか会いに行こうとカーミは思った。
「馬天(ばてぃん)ヌル様が教えてくれたのよ」と越来ヌルは言った。
「わたしはすぐに会いに行ったわ。五歳くらいの可愛い娘さんと一緒に海で遊んでいたわ。マチルーは日に焼けて真っ黒な顔をしていてね、たくましく生きていたわ。毎日、海に潜ってお魚を捕っているって言っていた。わたしも小舟(さぶに)に乗せてもらって海に出たけど、あの頃のお姫様だったマチルーとは思えないほど、たくましくなっていたのよ。きっと、マチルーがマナミーを助けてくれるわ」
「マチルーが海に潜ってお魚を捕っているなんて‥‥‥」
 そう言いながらカーミは涙ぐんでいた。当時のマチルーからは想像もできなかった。
「でも、どうして今帰仁に行かなかったの?」
「マチルーは方向音痴だったみたい。北に向かって歩いているつもりが、南に向かって行っちゃったのよ。気がついた時には八重瀬(えーじ)グスクの近くまで来ていて、とりあえずは米須按司を頼ったみたい。米須按司はマチルー母子を大切にしてくれたようだわ。マチルーの母親は山北王(攀安知)の叔母さんだから、何かに使えると考えたのでしょうね。居心地がいいので、今帰仁に行くのはやめて、米須の隣りの小渡に住み着いたみたいね」
 カーミは笑いながら、「マチルーらしいわ」と言った。
 マチルーは子供の頃から鷹揚(おうよう)で、細かい事は気に掛けなかった。米須に来たのも神様のお導きだと思って、その地で楽しく生きているのだろう。マチルーにとっては、グスクから出てよかったのかもしれないとカーミは思っていた。
「もうヌルじゃないのね?」とカーミが聞くと、越来ヌルは首を振った。
「今でもヌルよ。小渡ヌルって呼ばれて、村(しま)の人たちからも頼りにされているわ」
「そう」と言ってカーミは笑った。
 越来ヌルはマチルーの事をマナミーに話して、何かがあったら頼りなさいと言った。
 マナミーの花嫁行列はサムレーたちに護衛されて首里へと向かい、首里で一泊して、翌日、苗代大親(なーしるうふや)の先導で米須に向かった。
 米須グスクでは八重瀬按司(えーじあじ)、玻名(はな)グスク按司、具志頭按司(ぐしちゃんあじ)、山グスク大主(うふぬし)(先代真壁按司)、ナーグスク大主(先代伊敷按司)、玉グスク按司、知念若按司(ちにんわかあじ)、垣花若按司(かきぬはなわあじ)、糸数若按司(いちかじわかあじ)、大(うふ)グスク按司が集まって、花嫁を迎えた。
 次の日、台風が来た。島添大里(しましいうふざとぅ)も首里も馬天浜も大した被害は出なかったので助かった。
 台風が過ぎて、海のうねりも治まった四日後、三姉妹の船が旧港(ジゥガン)(パレンバン)の船と一緒にやって来た。
 ファイチ(懐機)からの知らせを聞いて、サハチは浮島(那覇)のメイファン(美帆)の屋敷に向かった。
 メイユー(美玉)はいなかった。何か事故でもあったのかとサハチは心配したが、「メイユーは先月に女の子を産んだのよ」とメイファンが言った。
「なに、メイユーが女の子を産んだのか」
 サハチは驚いて、聞き直した。
「可愛い女の子よ。名前はロンジェン(龍剣)よ。メイユーはとても喜んでいたわ。もう子供はできないって諦めていたみたい。でも、按司様(あじぬめー)の子供を産む事ができたって、泣きながら喜んでいたのよ」
「そうか。メイユーが娘を産んだのか‥‥‥名前はロンジェンか‥‥‥それで、メイユーは旧港に行ったのか」
「行ったわ。大きなお腹をして帰って来て、一月後に、無事に産んだのよ」
「そうか。無事でよかった」とサハチは喜んで、メイユーが女の子を抱いて笑っている姿を想像した。
 ソンウェイ(松尾)は武装船を奪う事ができなかった。来年こそは持って来ると言って、サハチに謝った。
「無理をしなくてもいい」とサハチは言った。
「ムラカ(マラッカ)まで行って来たのだろう。武装船を奪う暇などあるまい。そのうち、武装船の方からやって来るだろう。そしたら、奪い取ってくれ」
 ソンウェイはうなづいて、「ヂャンサンフォン(張三豊)殿はお元気ですか」と聞いた。
「相変わらず、お元気だよ。俺がヂャンサンフォン殿に会ったのはもう七年前になる。ヂャンサンフォン殿は七年前と少しも変わっていない。周りの者が年を取っても、ヂャンサンフォン殿は五十代のままだ。まさしく仙人だよ」
「また、お世話になります」とワカサが言った。
「よく来てくれました。お礼を申します」
「ヤマトゥ(日本)に毎年行くのは難しいが、琉球なら毎年行けると言って、王様を説得しました。旧港に来たメイユーの船と一緒に来たのです」
「ヤマトゥに行けば、手続きのために、あちこちで待たされますしね。琉球ならそんな事はありません。ただ、今の時期だと息子さんには会えませんね」
「いえ、それは大丈夫です」とワカサは笑った。
「ササたちはヤマトゥに行っているのですか」とシーハイイェン(施海燕)が聞いた。
「すれ違いになってしまったな」とサハチは言った。
「いいわ。ヂャンサンフォン様の所で修行に励むわ」とシーハイイェンはツァイシーヤオ(蔡希瑶)とうなづき合った。
 メイファンの屋敷で歓迎の宴(うたげ)を開いて、サハチはソンウェイからムラカの様子を聞いた。
「噂は色々と聞いていましたが、思っていた以上に栄えていました。わしらがムラカに着いた時には、西の方から来ていた商人たちは帰ったあとでしたが、年々、ムラカに来る商人は増えていると地元の者たちは言っていました。わしらは冬に行って夏に帰って来ますが、西から来た者たちは夏に来て冬に帰って行くようです」
「成程。西から来た商人はムラカで、南蛮(なんばん)(東南アジア)や明国の商品を手に入れて帰って行くのだな」
「そうです。そして、西から来た商人が持って来た珍しい品々を、わしらが手に入れて琉球に持って来るというわけです。ムラカまで行かなければ手に入らない物もありますので、それをヤマトゥに持って行けば大層喜ばれる事でしょう」
 現地まで行かなければ手に入らない物があるという言葉が気になった。今はまだ無理でも、十年後には琉球からムラカやジャワ(インドネシア)に船を出そうとサハチは思った。
「リンジョンシェン(林正賢)は琉球に来ているの?」とメイファンがウニタキ(三星大親)に聞いた。
「先月の半ばに来ているよ」とウニタキは答えた。
「湧川大主はリンジョンシェンを迎えてから鬼界島攻めに行ったんだ」
琉球に逃げて来たようね」とメイファンは言った。
「リンジョンシェン、かなりやばそうだわ。永楽帝(えいらくてい)は宦官(かんがん)をよく使うんだけど、リンジョンシェンを捕まえて処刑しろって命じたらしいわ。その宦官が特別に武装した船を作って、リンジョンシェンを追っているみたいなの。それで、リンジョンシェンはしばらく、身を隠すために琉球に来たのよ。帰ったら捕まるかもね」
「お前たちも危険じゃないのか」とウニタキは心配した。
「そうなのよ。リンジョンシェンが捕まるのはいいんだけど、次はあたしたちがやられるかもしれないわ」
永楽帝を敵に回すのは危険だ。危険を感じたら琉球に逃げて来いよ」とサハチは言った。
「それもいいけど、ムラカに拠点を移そうかと考えているのよ。ムラカに行ったメイユーもそれがいいって言うし、今年はあたしがムラカまで行って様子を見て来ようと思っているの」
「そうか。ムラカか。ムラカに移れば永楽帝も追っては来ないな」
「わしもそれがいいと思います」とソンウェイも言った。
 翌日、シーハイイェン、ツァイシーヤオ、シュミンジュン(徐鳴軍)はヂャンサンフォンに会いに与那原(ゆなばる)グスクに行った。リェンリー(怜麗)、ユンロン(芸蓉)、スーヨン(思永)はチョンチ(誠機)を連れて、佐敷ヌルに会いに島添大里グスクに行った。ワカサも慈恩禅師に会うために一緒に行った。ソンウェイ、ジォンダオウェン(鄭道文)、リュウジャジン(劉嘉景)は荷物の積み卸しの指図をしなければならないと言って、船まで出掛けた。
 ウニタキはメイリン(美玲)を連れてどこかに行き、ファイチもメイファンとどこかに行った。一人取り残されたサハチは『那覇館(なーふぁかん)』を見に行った。
 今帰仁から嫁いで来たマナビーのために建てた宿泊施設だが、ジャワから来る者たちのために拡張していた。普請(ふしん)も終わって、今、調度類を入れていた。そろそろ、ジャワの船も来るだろうが、何とか間に合いそうなのでサハチは安心した。
 冬から夏に掛けて、ヤマトゥの者たちが来て賑わう浮島もヤマトゥの者たちが帰ると閑散としてしまう。これからは、夏から冬に掛けて、南蛮の者たちが来るので、浮島は一年中、賑わう事になる。サハチは対岸の安里(あさとぅ)を眺めながら、明国で見た石の橋が欲しいと思った。浮島と安里が橋でつながれば、馬に乗ったまま浮島に来られる。いつの日か、橋が架かる事を願いながら、サハチは渡し舟に乗った。
 八月八日、与那原グスクのお祭りがあって、その翌日、ジャワの船が来た。
 思っていたよりも早く着いたとスヒターたちは喜んでいたが、ササがいない事を知らせるとがっかりしていた。『那覇館』で歓迎の宴を開いて、メイファンとメイリンを呼んで、与那原にいるシーハイイェンたちも呼んだ。
 サハチは島添大里にいるリェンリーたちを連れて浮島に向かった。サハチたちより先にヂャンサンフォンと一緒にシーハイイェンたちが来ていて、スヒターたちとシーハイイェンたちが睨み合いになったらしい。ヂャンサンフォンが、「お前たちは皆、わしの弟子じゃ。弟子同士の争いは禁止じゃ」と言ったので、お互いに自己紹介して仲よくなったようだった。
 シーハイイェンたちは三度目の琉球だが滞在時間は少なかった。スヒターたちは二度目だが、前回に来た時、二か月近く滞在して、ヂャンサンフォンのもとで一か月の修行を受けていた。
 今回、シーハイイェンたちは一か月の修行の最中だった。ジャワから来た者たちの歓迎の宴に呼ばれたが、修行を途中でやめていいものか迷った。ヂャンサンフォンは修行はいつでもできるが、ジャワの者たちの歓迎の宴は今日だけじゃと言った。シーハイイェンたちは修行を中断してやって来たのだった。ソンウェイも一緒だった。
 シーハイイェンたちとスヒターたちは、共通の友達であるササの事を話し合って盛り上がっていた。
「久米村(くみむら)は大忙しです」とファイチがサハチに言った。
 三姉妹たちも旧港の者たちもジャワの者たちも自分たちの食糧は持って来ているが、歓迎の宴と送別の宴の料理はこちらから出さなければならなかった。それらの料理は久米村に任せていた。
「豚(うゎー)を飼育しなければなりません」とファイチは言った。
「南蛮には仏教や印度教(インドゥきょう)(ヒンドゥー教)、回々教(フイフイきょう)(イスラム教)を信じている者も多くいます。それらの宗教の信者たちは肉は食べません。でも、船乗りたちは明国からの流れ者が多いようです。奴らは豚の肉が好物なのです。琉球に行っても、豚の肉が食べられないと言われたら、誰も琉球に来なくなってしまいます。大量に豚を飼育しなければなりません。久米村だけの力では無理です。中山王にやってもらわなければなりません」
「今回は大丈夫なのか」とサハチは聞いた。
「ピトゥ(イルカ)の塩漬けで何とか代用ができそうです。それと、ザン(ジュゴン)の塩漬けもあるので、今回は何とかなりそうです」
「ピトゥの塩漬けが、こんな所で役に立つとは思わなかったな。来年はもっと買い取ろう。そして、豚の飼育の件は親父と相談して、担当の役人を決めて飼育させるよ」
「お願いします」とファイチは満足そうに笑った。
 ウニタキが来て、「何をお願いしたんだ?」とファイチに聞いた。
「ピトゥの塩漬けが大いに役立ったって言っていたんだよ」とサハチが言った。
「そうか。そいつはよかった。名護按司(なぐあじ)が喜ぶだろう」
 舞台では旅芸人たちが『浦島之子(うらしまぬしぃ)』を演じていた。言葉はわからないだろうが、ジャワの者たちは笑いながら楽しんでいた。
今帰仁で『小松の中将様(くまちぬちゅうじょうさま)』をやったのか」とサハチはウニタキに聞いた。
「ああ、思っていた以上に喜んでくれたよ。明日もやってくれって頼まれて、十日間も今帰仁で毎日、演じていたんだ。グスクにも呼ばれてな、外曲輪(ふかくるわ)という所で演じたよ。山北王は来なかったけど、王妃や側室、子供たちは見ていたようだ。重臣たちの奥方も子供を連れて来ていたよ」
「そうか。大成功だな」
 ウニタキは嬉しそうな顔をしてうなづいて、「今、『かぐや姫』の稽古をしているんだ」と言った。
「『浦島之子』『瓜太郎(ういたるー)』『舜天(しゅんてぃん)』『小松の中将様』、四つもあれば充分だと思ったんだが、『かぐや姫』が見たいという声も多いんだよ。女子(いなぐ)が主役のお芝居も必要だなと思ってな、今、稽古をしているんだ」
「そうか。そういえば、女子が主役のお芝居は『かぐや姫』だけだな。佐敷ヌルに言って、娘たちが憧れるような女子を主役にしたお芝居を作らせよう」
「『小松の中将様』に出てくる『巴御前(とぅむいぬうめー)』や『アキシノ』を主役にしたっていいんじゃないのか」
「それも面白そうだな」とサハチはうなづいた。
「マチルギさんを主役にすればいいのです」とファイチが言った。
「そいつはいい」とウニタキは手を打った。
「マチルギがお芝居になったら、マチルギはまたグスクから出られなくなるぞ」とサハチは言って、首を振った。
「マチルギさんの機嫌が悪くなったらうまくないですね」とファイチは笑った。
 八月十五日、首里と島添大里で十五夜(じゅうぐや)の宴が催された。去年、島添大里グスクで行なわれた宴を手本にして、首里では馬天ヌルと麦屋(いんじゃ)ヌル(先代与論ヌル)が中心になって準備を進めて、百浦添御殿(むむうらしいうどぅん)の前の御庭(うなー)で行なわれた。
 音楽を担当したのは『雅楽所(ががくしょ)』の者たちだった。朝鮮(チョソン)の『雅楽署(アアッソ)』を真似して作った役所だった。馬天ヌルは正月の儀式の時に演奏する者たちを抱えていたが、その者たちを雅楽所に入れて、音楽に専念させたのだった。ヤマトゥでの行列で三弦(サンシェン)と太鼓を担当している者も雅楽所に入れた。笛を担当している女子(いなぐ)サムレーたちは、それぞれのお祭りの時、お芝居の音楽も担当するので、雅楽所に入らなかった。馬天ヌルは笛を得意とする者を探して雅楽所に入れた。今はまだいないが、舞姫たちも揃えて、中山王の大事なお客様たちの前で披露しようと馬天ヌルは考えていた。
 雅楽所の者たちが演奏する幻想的な曲に合わせて、ヌルたちが華麗に舞って、首里で最初の十五夜の儀式は大成功に終わった。
 サングルミー(与座大親)が明国に行っていて、二胡(アフー)の演奏が聴けないのは残念だと思紹(ししょう)が満月を見上げながら思っていた時、ファイチがヘグム(奚琴)持って現れた。
 去年の十五夜の宴で、サングルミーの二胡を聴いたファイチは刺激されて、あれから一年、暇さえあればヘグムの稽古に励んでいた。
 思紹はファイチのヘグムに感動した。哀愁を帯びたその調べは、若き日に済州島(チェジュとう)に行った時の事を思い出させてくれた。早田五郎左衛門(そうだごろうざえもん)と一緒に海に潜ってアワビを捕った。島の娘と仲よくなって、その娘がヘグムを弾いていた。悲しい調べで、その調べは済州島の悲しい歴史を物語っていると娘は言った。かつては『耽羅(タムナ)』という王国だったが、高麗(こーれー)に占領されて、その後、元(げん)に占領されて、元が滅びると倭寇(わこう)が入って来た。よそ者が入って来る度に、島の人たちが大勢殺されたという。あの時の娘は今も元気に生きているだろうか‥‥‥
 ファイチのヘグムのあと、ヂャンサンフォンがテグム(竹の横笛)を披露して、辰阿弥が念仏踊りを演じた。お祭りの時の賑やかな念仏踊りではなく、ゆっくりと念仏を唱えて、鉦(かね)や太鼓もゆっくりで、それに合わせて、白い衣装のヌルたちがゆっくりと踊った。幻想的で、十五夜にぴったりの踊りだった。こんな念仏踊りもあるのかと、皆、感心しながら見入っていた。
 島添大里ではサスカサ(島添大里ヌル)と佐敷ヌルが中心になって準備を進めて、去年以上のものを目指した。
 マチルギは首里の宴に参加しているので、サハチはナツとハルと一緒に一番いい席に座って、宴を楽しんだ。佐敷大親(さしきうふや)夫婦、佐敷の若夫婦、平田大親夫婦、手登根大親(てぃりくんうふや)の妻も呼んだ。ウニタキ夫婦もファイチの妻のヂャンウェイ(張唯)とファイテ(懐徳)の妻になったミヨンを連れてやって来た。慈恩禅師もワカサと一緒に来た。兼(かに)グスク按司(ンマムイ)夫婦も子供たちを連れてやって来た。
 今年もいい満月が出ていた。佐敷ヌルとユリが吹く幻想的な調べに合わせて、サスカサ、佐敷の若ヌル、平田の若ヌル、ギリムイヌルがしなやかに舞い、マカトゥダル(サグルーの妻)、チミー(イハチの妻)、マナビー(チューマチの妻)、マチルー(サハチの次女)が天女のような着物を着て華麗な舞を披露した。
 『ギリムイヌル』は越来ヌルの新しい名前だった。越来ヌルを越来按司の娘、ハマに譲ったのに、いつまでも越来ヌルのままではおかしいとサスカサと相談して、城下のはずれのギリムイグスク内にある古いウタキを守る事に決まったのだった。
 儀式が終わるとリェンリーの笛に合わせて、ユンロンとスーヨンが明国の舞を披露した。スヒター、シャニー、ラーマの三人娘もジャワの踊りを披露した。聞いた事もない独特な笛の調べに合わせて、独特な踊りを踊っていた。笛を吹いていたのは佐敷ヌルで、スヒターたちから教わったのだろうが、見事なものだった。
 シーハイイェンとツァイシーヤオも負けるものかとミヨンの三弦に合わせて歌を歌った。歌詞の意味はわからないが月夜にぴったりな美しい歌だった。
 サハチもウニタキも今回は演奏はしないで、みんなの芸を楽しんで観ていた。
 十五夜の宴のあと、サハチとファイチは九月に送る進貢船(しんくんしん)の準備で忙しくなった。ウニタキはヤンバル(琉球北部)に行く事もなく、メイリンと楽しくやっているようだった。メイユーが娘を産んだのは嬉しいが、会えないのは寂しかった。
 首里に帰って来て『かぐや姫』の稽古をしていた旅芸人たちは、平田グスクのお祭りで『かぐや姫』を演じて、その二日後、キラマ(慶良間)の島に行って、修行者たちにお芝居を観せて喜ばれた。キラマの島にはウニタキ、メイリン、メイファン、シーハイイェンたち、スヒターたちも一緒に行って、楽しく過ごしたようだ。
 ウニタキたちがキラマの島に行った翌日、二月に行った進貢船が無事に帰って来た。永楽帝がまた順天府(じゅんてんふ)(北京)に行ったので、順天府まで行って来たと正使のサングルミーは言った。イハチもクグルー、シタルーと一緒に順天府まで行って来たという。順天府は遠かったとイハチは言って、明国というのは、琉球にいたら想像もできないほど大きな国だったとしみじみと言った。
 その二日後、今年二度目の進貢船が出帆して行った。その船にはチューマチ(ミーグスク大親)が乗っていて、チューマチもイハチと同じように驚いて帰って来るだろう。

 

 

 

古月琴坊 黒檀二胡 ER-800

2-120.鬼界島(改訂決定稿)

 明国(みんこく)の海賊、リンジョンシェン(林正賢)から手に入れた鉄炮(大砲)を積んだ武装船に乗った湧川大主(わくがーうふぬし)は、意気揚々と鬼界島(ききゃじま)(喜界島)に向かっていた。
 去年、前与論按司(ゆんぬあじ)の父子を鬼界按司(ききゃあじ)として、鬼界島を攻めさせたが、失敗して帰って来た。若按司は戦死して、百人の兵を失い、おまけに進貢船(しんくんしん)まで壊された。何とか修理をしたが、外洋に出るのは無理だという。リンジョンシェンが毎年、来てくれるので、進貢船で明国まで行く必要はないが、大損害だった。
 前与論按司は過去に与論島(ゆんぬじま)を攻め落としたという自信を持っていた。あの時もかなりの抵抗があったが、見事に攻め落とした。鬼界島も必ず落としてみせると意気込んで出掛けて行ったのだが、倅まで失う負け戦になってしまった。今年こそは鬼界島を奪い取って、島の者たちに去年の損害の穴埋めをしてもらわなければならなかった。
 湧川大主は加計呂麻島(かきるま)の諸鈍(しゅどぅん)に寄って、小松殿(くまちどぅん)から鬼界島の事を詳しく聞いた。
「あの島は独特な島じゃよ」と小松殿は言った。
「古くからヤマトゥ(日本)の勢力が入って来ている。明の国が唐の国と呼ばれていた五、六百年前、ヤマトゥの国で、海外との交易を担当していた『太宰府(だざいふ)』という役所が博多の近くにあった。そこの役人が鬼界島にやって来て、交易の拠点にしたらしい。当時、ヤコウガイがヤマトゥに大量に運ばれていて、ヤコウガイの交易をその役人たちが仕切っていたようじゃ」
ヤコウガイというのはヤクゲーの事でしょう。ヤクゲーの交易とはどういう事です?」
 湧川大主にはヤコウガイがヤマトゥに大量に運ばれていたという意味がわからなかった。
ヤコウガイの貝殻が『螺鈿(らでん)細工』という飾り物に使われたんじゃよ。これがそうじゃ」
 そう言って、小松殿は硯箱(すずりばこ)を見せてくれた。綺麗な花の絵が描いてあり、花びらがキラキラと輝いていた。その輝いているのがヤコウガイの貝殻だった。
「当時、ヤマトゥの偉い人たちが、こういう物を欲しがって、そのためにヤコウガイがヤマトゥに大量に運ばれたんじゃ。硯箱だけではない。首飾りや腕輪、琴や琵琶(びわ)などの装飾にも使われて、刀の鞘(さや)にも使われた。神社やお寺の祭壇にも飾られたんじゃよ」
「今は使われていないのですか」
螺鈿の技術が進歩して、今ではアワビを使っているようじゃ。アワビはヤマトゥでも採れるからのう。わざわざ、南の島から運ぶ必要もなくなってしまったんじゃよ」
琉球ヤコウガイの交易をしていたのですか」
「勿論じゃ。山北王(さんほくおう)の御先祖様の小松の中将(平維盛)様が琉球に来られたのも、ヤコウガイの交易で琉球に来ていた熊野水軍の船に乗って来たんじゃよ」
「成程、そうだったのか」と湧川大主は納得して、「ヤコウガイと交換していたのは何だったのですか」と聞いた。
熊野水軍は様々な物を持って来たじゃろうが、太宰府の役人たちが鬼界島にやって来た頃は、甕(かーみ)や鉢(はち)などの陶器じゃよ。役人たちは徳之島(とぅくぬしま)に窯(かま)を造って、そこで焼いた陶器をヤコウガイと交換していたんじゃ。時は下って二百年余り前になると、宋(そう)の国との交易が盛んになって、平家がその拠点を鬼界島に置いたんじゃ。すでに太宰府の力は弱くなっていて、島の役人たちも平家に従わなければならなくなっていた。やがて、平清盛(たいらのきよもり)が太宰大弐(だざいたいに)という太宰府を仕切る役人になると、清盛の配下の者たちが島に入って来て、島を支配するようになる。その頃、薩摩(さつま)に勢力を持っていた阿多平四郎(あたへいしろう)という男がいた。この男は、九州にやって来た源為朝(みなもとのためとも)と手を組んで、さらに勢力を広げたんじゃ」
源為朝というのは何者です?」
「為朝は鎌倉に幕府を開いた頼朝(よりとも)の叔父さんじゃ。背丈が七尺(約二メートル)もあった大男で、弓矢の名人じゃった。かなりの乱暴者だったらしくて、若い頃、九州に流されたようじゃ。九州に行っても大暴れをして、九州を平定してしまったんじゃよ。阿多平四郎はそんな為朝と手を結んで、自分の娘を為朝の嫁にやったんじゃよ」
「そんな凄い男がいたのですか」
 湧川大主は背丈が七尺もある大男が弓を構えている姿を想像して、そんな武将がいたら今帰仁(なきじん)にも欲しいものだと思った。
「阿多平四郎は宋の国との交易もやっていてな、為朝と組んだお陰でかなり稼いだようじゃ。しかし、京都で起こった『保元(ほうげん)の乱』に敗れた為朝は、伊豆の大島に流されてしまうんじゃよ。平四郎も追われる身となって、薩摩を離れて鬼界島に行くんじゃ。平四郎は清盛の家来たちを倒して、島を支配したようじゃ。鬼界島を拠点にヤマトゥと宋との交易をしていたんじゃ。何年かして、清盛は鬼界島を攻めた。平四郎は降参して清盛の配下になったようじゃ。それからまた何年か経って、『壇ノ浦の合戦』があって平家は滅び、安徳天皇の偽者が鬼界島にやって来るんじゃよ。平四郎は偽者とは知らずに、安徳天皇を迎えたようじゃ。壇ノ浦の合戦から二年後、源氏の兵が残党狩りにやって来た。その頃、平四郎は亡くなっていて、孫が跡を継いでいた。その孫というのは、為朝の妻になった平四郎の娘が産んだんじゃよ。為朝の息子なら鎌倉の将軍、頼朝とは従兄弟(いとこ)同士じゃ。為朝の武勇は頼朝も知っていて、為朝の息子を島の領主として認めたようじゃ。そこまでは、わしの御先祖様が書き残した記録に残っているが、その後の事はわからん。今、『御所殿(ぐすどぅん)』と呼ばれている島の領主は、為朝の息子の子孫なのじゃろう。名前は『阿多源八』というらしい」
「偽者の安徳天皇はどうなったのですか」と湧川大主は聞いた。
「若くして亡くなったようじゃ。誰を妻に迎えたのかはわからんが、娘が産まれたようじゃな。多分、その娘は為朝の孫と一緒になったのかもしれんな。宋の国との交易も終わって、ヤコウガイの交易も終わると、鬼界島も寂れたようじゃ。かつての繁栄を取り戻すために、倭寇(わこう)になって高麗(こーれー)を攻めていた時期もあったようじゃ。今は倭寇はやめて、琉球に行って明国の物を仕入れて、薩摩に行って、それを売り、刀を手に入れては琉球に行っているようじゃ」
「中山王(ちゅうさんおう)と取り引きしているのですか」
「そのようじゃな。鬼界島の『キ』じゃが、昔は貴いという字だったようじゃ。そして、薩摩の近くにあって煙を上げている硫黄島(いおうじま)が鬼が棲んでいる島として、鬼という字を使った鬼界島だったんじゃよ。京都に住んでいる者たちには硫黄島も貴界島も区別がつかん。やがて、貴界島も鬼が棲んでいる島だと思われて、鬼という字が使われるようになったようじゃ。鬼が棲んでいる島だと思われていたお陰で、倭寇たちの拠点にもならず、為朝の子孫たちが支配を続ける事ができたのじゃろう。昔は鬼が出るとの噂は確かにあったようじゃ。島の者たちがよそ者を追い返すために、鬼に扮していたのかもしれんな。為朝は大男だったから、子孫たちにも大男がいたのじゃろう。今も赤鬼(あかうに)、青鬼(あおうに)と呼ばれる大男のサムレーがいるようじゃ」
 前与論按司も大男の武将がいたと言っていた。大薙刀(おおなぎなた)を振り回して、そいつのために大勢の兵が殺されたと言っていた。どんなに強い大男だろうが、湧川大主には倒す自信はあった。でも、できれば降参させて、配下に加えたいとも思った。
 中山王と取り引きをしている鬼界島は、何としてでも倒さなければならないと湧川大主は決心を新たにして、奄美大島(あまみうふしま)を北上して戸口(とぅぐち)に向かった。
 戸口の左馬頭(さまのかみ)に、去年、前与論按司がお世話になったお礼を言って、ウミンチュ(漁師)に扮した配下の者を鬼界島に送って敵の様子を探らせた。
 翌日、湧川大主は北上して笠利崎(かさんざき)を回って赤木名(はっきな)に向かった。奄美按司の娘にヌルの修行をさせるために、先代の浦添(うらしい)ヌルが一緒に乗っていたのだった。
 浦添ヌルだったマジニが今帰仁に来て、すでに七年が過ぎていた。義兄の山北王(攀安知)は、中山王(思紹)と同盟を結んでしまい、父親(武寧)の敵(かたき)を討ってくれそうもなかった。兄のンマムイ(兼グスク按司)も島添大里按司(しましいうふざとぅあじ)(サハチ)と仲よくしていて、敵討ちなんかすっかり忘れている。
 山北王が中山王と同盟を結んだあと、首里(すい)から『まるずや』という商人がやって来て、色々な物が安く手に入ると評判になった。侍女たちは『まるずや』に通って、姉のマアサ(山北王妃)や側室たちは女商人を御内原(うーちばる)に呼んで小間物類を買っていた。今帰仁ヌルも欲しかった鷲(わし)の羽根が手に入ったと喜んでいた。マジニも欲しかったけど、敵から手に入れた物を髪に飾るわけにはいかないと諦めた。
 首里から旅芸人もやって来て、城下の人たちは皆、お芝居に夢中になった。お芝居の中で舞姫たちが歌った歌が流行って、三弦(サンシェン)を欲しがる者も現れた。山北王は明国の海賊に三弦を持って来るように頼んだという。子供たちは『瓜太郎(ういたるー)』の真似をして遊んでいる。敵の芸人なんか見られないと意地を張っていたマジニは、何だか、自分だけが取り残されてしまったような気分だった。それでも、敵討ちを諦めずに、クボーヌムイ(クボー御嶽)でお祈りを捧げていた。
 今月の初め、志慶真(しじま)ヌルが馬天(ばてぃん)ヌルたちと一緒に安須森(あしむい)に行ったらしいと今帰仁ヌルがマジニに言った。マジニは十五歳の時に、ウタキ(御嶽)巡りをしていた馬天ヌルと会っていた。若ヌルだったマジニは、伯母の浦添ヌルと一緒に馬天ヌルを案内してウタキを巡った。馬天ヌルは伯母が知らない事まで知っていて、凄いヌルだと感心した。その時は知らなかったが、今帰仁に来て、馬天ヌルが中山王の妹だと知って、馬天ヌルも父の敵(かたき)の一味だと憎んだ。
 去年、馬天ヌルがまたウタキ巡りの旅をして、今帰仁に来た。マジニは父の敵の馬天ヌルを捕まえてくれと山北王に頼んだが、山北王は笑っているだけで、馬天ヌルを捕まえようとはしなかった。
 山北王と中山王が同盟してからというもの、今帰仁ヌルの態度も変わっていった。今帰仁に来た当初は可哀想だと同情してくれた今帰仁ヌルも、世の中が変わって行くにつれて、昔の事はもう忘れなさいと言うようになった。
 山北王にとって、マジニの父、武寧(ぶねい)は義父であるが、今帰仁ヌルにとって武寧は祖父と伯父を殺した敵であった。その敵を討ってくれた中山王を恨む理由はなかった。
 去年、馬天ヌルが訪ねて来なかったのは、マジニがいるせいだと今帰仁ヌルは思って、口に出しては言わないが、もうそろそろ出て行ってくれという態度を示すようになった。マジニも居心地の悪い雰囲気は察していたが、なかなか出て行く事はできなかった。そして、今回、馬天ヌルは大勢のヌルたちを連れて安須森に行き、そこに志慶真ヌルも加わっているという。
 今帰仁ヌルが調べたら、勢理客(じっちゃく)ヌルも羽地(はにじ)ヌルも名護(なぐ)ヌルも一緒に行った事がわかった。今帰仁ヌルは悔しがった。わたしが仲間はずれにされたのは、マジニのせいだと怒った。マジニは今帰仁ヌルと喧嘩をして、今帰仁ヌルの屋敷を飛び出した。
 姉のマアサを頼ろうかと思ったが、ふと奄美大島の若ヌルの指導のために、奄美大島に行かないかと山北王から声を掛けられた事を思い出した。その時は断ったが、しばらく今帰仁を離れて、様子を見るのもいいだろうと考え直した。マジニは運天泊(うんてぃんどぅまい)に行き、鬼界島攻めの準備をしている湧川大主に頼んで、奄美大島に行く事に決まった。すでに、奄美大島に行くヌルは決まっていたが、マジニが代わると言うと喜んで今帰仁に帰って行った。
 今帰仁ヌルと喧嘩した勢いで、奄美大島行きを決めてしまったが、行ったら、そう簡単には帰って来られない事に気づいて、マジニは悲嘆に暮れた。そんなマジニを慰めているうちに、湧川大主はマジニを哀れに思い、つい抱きしめてしまった。湧川大主に抱かれたマジニは覚悟を決めて、奄美大島に向かったのだった。
 マジニと別れて、戸口に戻ろうとした時、台風がやって来た。笠利湾内にいてよかったと湧川大主は神様に感謝した。もし戸口で台風に遭ったら、船が座礁したかもしれなかった。もしかしたら、マジニのお陰かもしれないと思うと余計に愛しくなって、台風が通り過ぎるまでの時を湧川大主はマジニと二人きりで過ごしていた。
 台風も去り、うねりもなくなって、湧川大主は戸口に戻った。マジニも一緒だった。マジニにしても、湧川大主にしても、もう別れる事は不可能だった。ヌルに惚れた男はそう簡単には別れる事はできなかった。
 鬼界島を偵察していた配下の者たちは戸口に帰っていた。
「あの島は噂通り、簡単には上陸できません。海岸は岩場だらけで、あの島がまるで、一つのグスクのようです。上陸できる地点は四カ所しかありません。湾泊(わんどぅまい)、小野津(うぬつ)、沖名泊(うきなーどぅまい)(志戸桶)、瀬玉泊(したまどぅまい)(早町)です。湾泊とその反対側にある瀬玉泊に敵の船が泊まっています。まずは鉄炮で敵の船を沈めたらよろしいかと思います」
「いや」と湧川大主は首を振った。
「沈めるのは勿体ない。奪い取った方がいい」
 湧川大主は前与論按司が作った絵地図を眺めながら、どこから攻めるか考えた。鬼界島はわりと平坦な島で、高い山はなかった。西側は崖がずっと続いているので、御所殿の屋敷に近い東側の湾泊から攻めるのが無難だろう。
「御所殿の屋敷は小高い丘の上にあって、特に高い石垣に囲まれているわけではないと聞いているが、本当なのか」と湧川大主は偵察してきた者たちに聞いた。
「民家にある石垣と大して変わりません。攻め取るのは簡単です」
 湧川大主はうなづいて、前与論按司の攻撃を思い出していた。
 前与論按司は最初に湾泊を攻めた。船の上から弓矢を放ちながら敵の反応を見て、小舟(さぶに)で上陸を試みたが、敵の反撃に遭って上陸する事はできず、十人の戦死者を出している。一旦、戸口に引き上げ、負傷者の手当てをして、二度目は小野津を攻めている。
 湾泊で懲りたので、充分に注意を払いながら上陸して、敵兵を何人か倒している。小高い丘の上に陣地を築いて、翌日の総攻撃に備えたが、その夜、敵の夜襲を受け、五十人近くが戦死した。三度目は沖名泊から上陸して、小野津と同じように陣地を築くが、夜は船に撤収した。翌日の早朝、御所殿の屋敷を目掛けて総攻撃を掛ける。距離にして二里(約八キロ)余りなのに、あちこちに罠(わな)が仕掛けてあって、その罠にはまって五十人余りも戦死した。若按司が戦死したのも、進貢船が丸太を積んだ敵の船に体当たりされたのも、その時だった。若按司と半数以上の兵を失った前与論按司は戦意を失い、壊れた進貢船を何とか戸口まで運び、修理をして、冬に帰って来たのだった。
 奄美按司の話によると敵の兵力は百人くらいで、今の時期はヤマトゥに行っている者もいるので、奴らが帰ってくれば、百五十人になるだろうという。
 湧川大主はマジニと相談して、吉日を選んで鬼界島を攻めた。
 天気がよく、波も穏やかな七月二十六日の早朝、鬼界島攻めが、鉄炮の爆音の響きで始まった。初めて聞く、雷のような轟音と次々に落ちて来る鉄の玉に、敵兵は腰を抜かすほどに驚き、戦意を失って逃げ散って行った。湾泊を守っていた敵兵が逃げると、湧川大主は御所殿の屋敷を鉄炮で狙わせた。郡島(くーいじま)(屋我地島)で稽古を積んだお陰で、命中率も確実に上がっていた。小高い丘の上にある御所殿の屋敷の周りには家々が密集していて、鉄炮の玉はそれらの家の上に落ちていた。驚いて逃げ惑う人たちの姿が小さく見えた。竈(かまど)の上に玉が落ちたのか、煙を上げている家もあった。
 百二十発の玉を撃ったあと、湧川大主は上陸を命じた。兵たちか小舟に乗って上陸した。敵の反撃はなかった。途中、敵の罠に気をつけながら御所殿の屋敷を目指した。いくつかの落とし穴があったが回避して、隠れている伏兵(ふくへい)も倒した。屋敷の近くで激戦となったが、諸喜田大主(しくーじゃうふぬし)が率いる今帰仁の兵たちは、鉄炮にひるんだ敵兵を次々に倒して行った。
 湧川大主がマジニと一緒に御所殿の屋敷に着いた時には、すでに味方の兵によって占領されていた。
「残念ながら、御所殿の姿は見当たりません。逃げられたようです」と諸喜田大主が報告した。
「赤鬼と青鬼は倒したのか」
「大男が一人いたのは確かです。かなりの使い手で、何人もの兵が奴にやられています。大男のわりには素早い奴で、逃がしてしまいました」
「もう一人の大男はヤマトゥに行っているようだな。御所殿とそいつは必ず探し出して殺せ。できれば生け捕りにしたいが、無理はしなくてもいい」と湧川大主は命じた。
 諸喜田大主はうなづいて、兵を率いて出て行った。
 屋敷の中に入るとヤマトゥの刀や明国の壺や水墨画などが飾ってあり、贅沢な暮らし振りが窺われた。
「凄い」とマジニは思わず言った。
 こんな田舎の小さな島の領主が持っている物とはとても思えなかった。
「源氏の末裔(まつえい)らしいからな、気高いのだろう」
 御所殿の屋敷を按司の屋敷と決めて、新たに任命された鬼界按司(ききゃあじ)を入れた。新たな鬼界按司は国頭按司(くんじゃんあじ)の弟の一名代大主(てぃんなすうふぬし)だった。一名代大主は先代の山北王(珉)からのサムレー大将で、口数が少なく、命令には忠実な男だった。今の山北王にとっては不気味な存在で、鬼界按司に昇進させて、今帰仁から遠ざけたのだった。
 御所殿の屋敷の隣りに、小さいが立派な屋敷があった。文机のそばに難しい書物が積んであって、調度類も立派だった。もしかしたら、隠居した先代の御所殿の屋敷かもしれなかった。湧川大主はマジニと一緒にその屋敷で暮らす事に決めた。
 小さな島なのに、御所殿も大男の武将も見つからなかった。島の者たちの噂では、船に乗って逃げて行ったという。倒した敵の数は五十人に上るので、逃げて行った者は五十人足らずの兵と家族たちだろう。ヤマトゥに行っている兵と合わせれば百人近くの兵が生き残っているという事になる。ヤマトゥに行った船が帰って来るのと合流して、この島を取り戻すつもりなのかもしれなかった。ヤマトゥの船と合流するとなれば、奄美大島の笠利崎の辺りに隠れているのかもしれない。トカラの島々まで逃げて行ったとすれば、探すのは不可能だった。あんな所まで行ったら冬になるまで帰って来られなくなる。奄美按司に命じて、笠利崎周辺を探させた。
 湧川大主は今帰仁の事も運天泊の事もすっかり忘れて、マジニと一緒に暮らしていた。誰にも邪魔されずに、二人だけの楽しい日々を満喫していた。
 ある日、湧川大主とマジニが仲よく馬に乗って島内を散策していた時、島のヌルと出会った。丁度、マジニと同じくらいの年頃のヌルで、出会った時、マジニは何かを感じた。
「古いウタキがあるのならお祈りさせてください」とマジニは島のヌルにお願いした。
 島のヌルはうなづいて、マジニを連れて山の中に入って行った。ウタキに男は入れない。湧川大主は近くの集落に行って待っている事にした。花良治(ひらじ)という集落で、ギン爺と呼ばれる年寄りの家で待っていてくれと島のヌルは言った。大きなガジュマルの木があるので、すぐにわかるという。ギン爺の家はすぐにわかった。湧川大主はギン爺にわけを話して休ませてもらった。
 ギン爺は体格のいい、腰の曲がった年寄りだった。ギン爺に出会った時、湧川大主は殺気を感じた。落ち武者が隠れているのかと辺りを見回したが人の気配はなかった。殺気も消えて、気のせいだったかと湧川大主は思い、ギン爺が出してくれたお茶を飲んだ。驚いた事に、明国のお茶だった。
「どうして、こんなお茶を持っているんだ?」と湧川大主は不思議に思って聞いた。
「わしは代々、ヌル様にお仕えしております。御所殿はヌル様をとても信頼なさっております。ヌル様が御所殿からいただいたお茶でございます」
「ほう、そなたはヌル様に仕えておったのか。あのヌル様は偉いヌルなのか」
「偉いかどうかは存じませんが、ヌルとしては凄いお人だと思っております」
「ほう。山の中にウタキがあるそうだが古いウタキなのか」
「この島の守り神、『キキャ姫』様を祀っております」
「キキャ姫様?」
「遙か昔、南の方からやって来て、この島に住み着いた御先祖様でございます」
「成程。あのヌル様はキキャ姫様の子孫というわけじゃな」
「さようでございます」
「南の方からやって来たと言ったが、琉球から来たのか」
与論島(ゆんぬじま)のようでございます」
「なに、与論島から来たのか」
 そう言えば、この島と与論島は似ているような気がした。どちらも高い山はなかった。与論島に住んでいた者たちが、似ているこの島を選んで住み始めたのかもしれなかった。
「ところで、御所殿だが、どこに逃げたと思う? 今の時期、与論島までは逃げられまい」
「御所殿の御先祖様はヤマトゥンチュ(日本人)です。与論島には行きません。薩摩まで逃げたのかもしれません」
 確かにそれもありえた。薩摩まで行って、仲間と合流して攻めて来るのかもしれない。もしかしたら、薩摩に同族がいて、援軍を率いて来るかもしれなかった。そうなると今いる二百の兵で守るのは難しくなる。今のうちに、守りを固めて、あちこちに罠を仕掛けておいた方がいいかもしれなかった。
 湧川大主が待ちくたびれた日暮れ近くになって、島のヌルが一人で帰って来て、マジニはウタキに籠もっていると言った。
「お籠もりは明日に終わるか、さらに続くかわかりません、すべて、神様のお導きです。山を下りて参りましたら、お送りいたします」
 湧川大主はマジニを心配したが、ウタキの中に行くわけにも行かず、あとの事を島のヌルに頼んで、屋敷に引き上げた。
 マジニが帰って来たのは三日後だった。無事の姿を見て、湧川大主はほっとした。マジニは疲れ切った顔をしていたが、目がキラキラと輝いていて、何かを見つけたような感じがした。
「わたし、生まれ変わったみたい」とマジニは嬉しそうな顔をして言った。
「ようやく一人前のヌルになったような気がするわ。古いウタキで、ずっと神様のお話を聞いていたの。まるで、夢でも見ているような心境だったわ。わたし、この島に来て本当によかった」
「神様というのはキキャ姫様の事か」と湧川大主は聞いた。
「そうなの。この島の御先祖様で、わたしの御先祖様でもあるみたい」
「何だって! 浦添で生まれたお前の御先祖様が、どうしてこの島にいるんだ?」
「それを延々と聞いていたの。遙か昔にキキャ姫様がこの島に来てから、島の人たちがどんな暮らしをして、今に至ったのかを聞いていたの。簡単に言うと、神様の世界では父親よりも母親の方が重要で、わたしのお母さんの先祖をたどって行くと、この島の女子(いなぐ)につながるみたい。ヤコウガイの交易が終わって、この島から琉球に移って行ったウミンチュの家族がいるの。その家族の娘が琉球の男と結ばれて娘が生まれ、その娘の何代かあとの娘が前田大親(めーだうふや)と一緒になって、わたしのお母さんが生まれたみたい。そして、お母さんが先代の中山王の側室になって、わたしが生まれたの」
「ほう。御先祖様の故郷に、お前は知らないうちに来ていたという事だな」
「きっと、神様に呼ばれたんだわ。わたし、生まれ変わったつもりで、奄美大島で自分を見つめてみるわ。たった一人で知らない土地で暮らすのは寂しかったけど、もう大丈夫よ。わたしには神様が付いているわ」
 湧川大主はマジニにうなづいて、マジニを送ってくれた島のヌルにお礼を言った。
 島のヌルは頭を下げると帰って行った。
「ミキさん、ありがとう」とマジニが島のヌルに言って手を振った。
 島のヌルも手を振り返した。ミキと呼ばれたヌルを見送りながら、湧川大主は妻を思い出していた。妻の名前もミキだった。妻は今帰仁で暮らしているが体が弱く、今回、旅立つ時も具合が悪そうだった。マジニの笑顔を見ながら、湧川大主は妻に対して後ろめたさを感じていた。

 

 

 

 

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