長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

2-133.裏の裏(改訂決定稿)

 島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスクが他魯毎(たるむい)(豊見グスクの山南王)の兵に包囲された日の翌朝、信じられない事が起きていた。
 グスク内に閉じ込められているはずの按司たちが兵を率いて、昨日の早朝と同じように攻めて来たのだった。他魯毎の兵たちは見張りの者を除いて、皆、安心して眠っていた。見張りの者たちもグスクの方を見ているので、近づいて来る敵には気づかなかった。
 法螺貝(ほらがい)が鳴り響いて、何事だと驚いた時には、すでに敵の先鋒が攻めて来ていた。武装もしていない他魯毎の兵たちは戦うどころではなく、混乱に陥って、我先にと逃げ散って行った。討ち取られた兵は二百人近くにも及び、あちこちに無残な姿をさらしていた。


 その頃、八重瀬(えーじ)グスクを攻めた東方(あがりかた)の按司たちの兵が具志頭(ぐしちゃん)グスクを包囲していた。
 サハチ(中山王世子、島添大里按司)が指揮を執って、マチルギと馬天(ばてぃん)ヌル、イハチ(サハチの三男)とチミーの夫婦も加わっていた。具志頭グスクは崖の上にあって、おまけにグスクを囲むように川が流れていて、容易に落とせるグスクではなかった。
 豊見(とぅゆみ)グスク攻めで、抜け穴に入って行った具志頭按司と五十人の兵が戦死して、以後、喪(も)に服していて戦(いくさ)には参加していない。百人前後の兵でグスクの守りを固めているはずだった。
 馬天ヌルとマチルギとチミーが馬に乗って大御門(うふうじょー)(正門)の前に進み出た。
 大御門の上の櫓(やぐら)から守備兵が見ていたが、弓は構えていなかった。
「奥方様(うなじゃら)(ナカー)にお話があるの。出て来てくれないかしら」とマチルギが言った。
 しばらくして大御門が開いて、馬に乗ったナカーと具志頭ヌルが現れた。
 五人は馬上で四半時(しはんとき)(三十分)近く話し合っていた。
 ようやく戻って来たマチルギは、
「長老と相談してから答えを出すって言ったけど、長老はチミーを可愛がっていたので、大丈夫だろうって言っていたわ」とサハチに言った。
「イハチを具志頭按司にするって言ったら驚いていたわ。そう言ったら二人の顔色も和らいで、話はうまく行きそうよ。それと、按司の母親が亡くなったらしいわ」と馬天ヌルは言った。
按司の母親というのはヤフスの奥さんだった女だな?」
「そうよ。タブチ(先代八重瀬按司)に頼み込んで、先代の按司を倒して、息子を按司にした母親よ。息子の戦死を聞いて、頭がおかしくなってしまったみたい。グスクの石垣から飛び降りて亡くなったらしいわ」
「そんな事があったのか。ところで、長老というのは誰なんだ?」
「チミーのお父さんの叔父さんよ。もう八十を過ぎているらしいわ」とマチルギが答えた。
「その長老次第というわけか。その長老にも息子はいるんだろう」
「息子は戦死して、孫がサムレー大将を務めているらしいわ」
「その孫が邪魔しなければいいんだがな」と言って、サハチは空を見上げた。
 サシバが鳴きながら飛んでいた
 長老の許しが出て、具志頭グスクは開城した。まず、グスク内に避難していた城下の人たちが解放された。城下の人たちはチミーを見ると、「お嬢様(とーとーぐゎー)が帰っていらした」と皆が嬉しそうな顔をした。
 城下の人たちが出たあと、守りを固めていた兵たちが武器を手放して、二の曲輪(くるわ)に整列した。百人余りの兵の見守る中、サハチはイハチとチミー、馬天ヌルとマチルギだけを連れて、具志頭ヌルの案内で、一の曲輪の屋敷に入った。
 屋敷の中で長老が待っていた。
「寄立大主(ゆったちうふぬし)でござる」と長老は低い声で言って頭を下げた。
 八十歳を過ぎているとはいえ、武将としての貫禄があった。
「わしの親父と兄貴は中山王(ちゅうざんおう)の察度(さとぅ)に殺された」と長老は言った。
「わしの妻の親父は八重瀬按司だった。与座按司(ゆざあじ)だった汪英紫(おーえーじ)に、義父も甥の若按司も殺された。わしの倅も汪英紫に殺されたんじゃよ」
 長老はそう言って、昔を思い出しているのか宙をぼんやりと見ていた。
「辛い事や悲しい事があると、わしは馬天浜に行ったんじゃよ」
「えっ!」とサハチは驚いて、馬天ヌルと顔を見合わせた。
 マチルギも驚いた顔して長老を見ていた。
「サミガー大主(うふぬし)に会いに行ったんじゃ。海を見ながら一緒に酒を飲むと、なぜか、心が落ち着いたんじゃよ」
「父を御存じだったのですか」と馬天ヌルが聞いた。
「そなたが五、六歳の頃に会っているはずじゃ。可愛い女の子じゃった。今でも美人(ちゅらー)じゃのう。わしは三男だったので、フラフラとあちこちに行って、馬天浜でサミガー大主と出会ったんじゃよ。その頃、美里之子(んざとぅぬしぃ)も馬天浜にいて、三人で将来の夢など語り合ったものじゃった。風の噂で、サミガー大主の倅が佐敷按司になったと聞いた時も、驚いて会いに行った。サミガー大主の孫のそなたが島添大里按司(しましいうふざとぅあじ)になったと聞いた時には本当に驚いた。その時の島添大里按司はヤフスじゃった。ヤフスが婿養子として具志頭に入って来てから、ここはおかしくなってしまったんじゃ。そなたがヤフスを討ってくれたと聞いて、わしは大喜びしたんじゃよ。しかし、ヤフスの子供がグスク内にいて、災いを呼び込んでしまった。その子供も戦死して、具志頭もやっと元に戻れるじゃろう。サミガー大主の曽孫(ひまご)であるチミーの婿殿を歓迎する。具志頭を以前のように繁栄させてくれ」
 馬天ヌルは両手を合わせてお礼を言った。父のサミガー大主がこんな所で活躍するなんて思ってもいなかった。サハチも祖父に感謝していた。
 長老が家臣たちにイハチを按司として迎えると言ったので、反対する重臣たちはいなかった。うまく行ってよかったとサハチたちは一安心した。
 驚いたのはチミーの人気だった。チミーが家臣たちの前で挨拶をすると皆が大喜びして、お嬢様と叫んでいた。チミーが戻ってくれた事をみんなが喜んでいた。そんなチミーを見ながら、イハチも按司になる決心を固めているようだった。
 具志頭の家臣たちはそのままで、重臣として首里(すい)のサムレー大将だった兼久親方(かにくうやかた)をイハチの補佐役に付ける事と、女子(いなぐ)サムレー十八人を入れる事を条件に出して受け入れてもらった。まだ二十歳のイハチには按司という地位は重荷かもしれないが、立派にやり遂げてほしいとサハチとマチルギは願った。
 その夜、懇親(こんしん)の宴(うたげ)が開かれて、具志頭の重臣たちと東方の按司たちは仲よく酒を酌み交わした。
 ナカーの話だと、ナカーの夫だった具志頭按司の二人の妹が、山グスク大主(先代真壁按司)と中座大主(先代玻名グスク按司)の妻になっているという。島添大里按司の息子が具志頭按司になったと聞いたら、攻めて来るかもしれないと心配した。
「このグスクはそう簡単には落とせないから大丈夫だろうが、敵に内通する者が現れるかもしれない。米須(くみし)や玻名(はな)グスク、真壁(まかび)とつながりのある者たちは注意した方がいい」とサハチは助言した。
 ナカーはうなづいて、「一人一人調べて、危険な者は出て行ってもらうようにします」と言った。
「あたしも手伝うわ」とマチルギはナカーを見て、うなづいた。


 島尻大里グスクでも戦勝祝いの宴が開かれていた。山南王(さんなんおう)就任の儀式の時は皆、偽者だったので、本物の按司たちが揃って祝い酒を楽しんでいた。
「今回の勝ち戦(いくさ)はすべて、慶留(ぎる)ヌルのお陰じゃのう」と摩文仁(まぶい)(島尻大里の山南王)が機嫌よく笑って慶留ヌルを見た。
 慶留ヌルは島尻大里ヌル(先代米須ヌル)と真壁ヌルと一緒にいた。
「十年以上もこのグスクにいるが、抜け穴があったなんて、まったく知らなかったのう」と新垣按司(あらかきあじ)が言った。
「わたしもすっかり忘れていたのです」と慶留ヌルは言った。
「きっと、先代の山南王(シタルー)が塞いでしまったものと思っておりました。二の曲輪の隅にあるウタキ(御嶽)にお祈りした時、ふと思い出して、ウタキの裏に行ってみたのです。まったく当時のままでした。伯父(汪英紫)が亡くなってから誰も触っていないように思えました。もしかしたら抜け穴はまだ生きているのかもしれないと思って、真壁殿に知らせたのです」
「しかし、あのウタキが偽物だったとは驚いたのう」と真栄里按司(めーざとぅあじ)が言った。
「先代のヌルが、このグスクの守り神だと言って、毎朝、拝んでいたからのう」
「わたしがそのように教えたのです」と慶留ヌルは言った。
「伯父はあそこに物見櫓(ものみやぐら)を建てるつもりだったのです。柱を立てるために穴を掘ったら大きなガマ(洞窟)にぶつかって、そのガマを調べたら抜け穴として使える事がわかったのです。石垣の向こう側、東曲輪(あがりくるわ)にウタキがあるので、そこのウタキとつながっているように装って、大きな石を置いてウタキにしたのです」
「その細工をした者は殺されたのか」
「いえ、伯父が信頼していた大工です。幸い、普請(ふしん)が始まる前に発見したので、その大工しか知りません。伯父はその大工と二人だけでガマを調べて抜け穴にしたのです。その大工は伯父が亡くなる以前に亡くなりました。抜け穴の事を知っているのは伯父とわたしの二人だけになりましたが、伯父が亡くなる時、当然、息子たちに伝えたと思っておりました。先代の山南王は警戒心が強いので、危険な抜け穴は塞いでしまったものと思っておりました」
「抜け穴がある限り、わしらをここに閉じ込める事はできん」と摩文仁は楽しそうに笑った。
「真壁殿、よいヌルを側室に迎えたのう」と新垣按司が真壁按司を見た。
「わしもつい最近まで知らなかったんじゃ」と山グスク大主(うふぬし)が言った。
「わしが隠居した時に、初めて教えてくれたんじゃよ。倅は義弟の与座按司に会いに与座によく行っていた。余程、馬が合うのだろうと思っていたら、与座ではなく、慶留に行っていたとはのう。しかも、二人も子供がいると聞いて本当に驚いた。わしの姉の名嘉真(なかま)ヌルに慶留ヌルの事を聞いたら、姉は倅と慶留ヌルの関係を知っていて、子供たちがよく遊びに来ていたと言った。まったく、わしだけのけ者にされておったんじゃよ。倅が慶留ヌルといい仲になったお陰で、今回の戦に勝った。わしは倅の奴を見直したぞ」
「慶留ヌルは先代の王様(うしゅがなしめー)の従妹(いとこ)でしたから、知られたら一大事になると思って隠していたのです」と真壁按司は言った。
「慶留ヌルも慶留から離れたくないと言うし、俺が通って行けばいいと思って、通い続けて、早いもので十年余りが過ぎました。王様が突然、亡くなって、摩文仁殿が王様になって、慶留ヌルがそれを助けてくれるなんて、夢にも思っていませんでした」
「新垣殿も真栄平(めーでーら)ヌルを側室に迎えておるのう。先代の王様は座波(ざーわ)ヌルを側室にしておったし、賀数大親(かかじうふや)は大村渠(うふんだかり)ヌルを側室にしておる。そう言えば、大村渠ヌルはどうしたんじゃ。顔が見えんようじゃが」と真栄里按司が誰にともなく聞いた。
「前回の宴の時、按司たちが皆、偽者じゃと気づいてしまったんで、蔵に閉じ込めてある」と摩文仁が言った。
「いくら敵になったとはいえ、大村渠ヌルはそなたの姪じゃろう。あの時、閉じ込めたのなら、抜け穴の事は知るまい。返してやったらどうじゃ。ヌルを干し殺しにしたら祟(たた)られるぞ」
「そうじゃのう。賀数大親に返してやるか。それより、テハの配下の者たちはまだ見つからんのか」
「テハとの連絡をしていた侍女は見当たりません。すでに出て行ったと思われます」と波平按司(はんじゃあじ)が答えた。
「それと、御内原(うーちばる)にいた侍女と城女(ぐすくんちゅ)がいると思われますが、誰だかわかりません。側室たちがほとんど出て行ったので、テハの配下も一緒に出て行ったのかもしれません」
「テハは王様の側室たちを見張っていたのか」と摩文仁は聞いた。
「中山王から贈られた側室、八重瀬按司から贈られた側室、ヤンバル(琉球北部)の材木屋から贈られた側室がおりました。一緒に来た侍女たちが怪しい動きをしないか見張っていたのです」
「成程な。もし、テハの配下が残っていて、抜け穴の事を知らせたら大変な事になる。抜け穴の入り口は厳重に見張っておけよ」
「かしこまりました」と波平按司はうなづいた。
「戦が終わったら、そなたも若い側室たちに囲まれて暮らす事になるのう」と中座大主が羨ましそうな顔をして摩文仁に言った。
「贈られて来るものを送り返すわけにも行くまい」と摩文仁はニヤニヤと笑った。
 一旦、城下に戻って、着替えて来た『若夏楼(わかなちるー)』の遊女(じゅり)たちが賑やかに登場して、宴は華やかになっていった。
 摩文仁の次男の摩文仁按司が来て、八重瀬グスクが炎上して、タブチが戦死した事を伝えた。
「何じゃと?」と摩文仁は驚いた顔して息子を見つめた。
「どうして、タブチが八重瀬グスクにいるんじゃ。どこかの島に逃げたのではないのか」
「俺もわけがわからなかったので、城下の者たちに聞いてみたのです。タブチが山南王を辞めた事を知った東方の按司たちは、長嶺(ながんみ)グスクの包囲をやめて撤収しました。すると、なぜか、八重瀬グスクを攻めていた兼(かに)グスク按司(ジャナムイ)と瀬長按司(しながあじ)も撤収したようです」
「なぜ、撤収したんじゃ?」
 摩文仁按司は首を傾げて、「わかりません」と言った。
「グスクを包囲していた敵がいなくなったので、タブチは八重瀬グスクに戻ったようです。八重瀬グスクにいたチヌムイを連れに戻ったのか、何か忘れ物でも取りに行ったのかわかりませんが、グスクから出る前に、東方の按司たちが八重瀬グスクに攻めて来たようです。タブチの長男の八重瀬按司はグスクを開城すると言って、城下の人たちや家臣や侍女たちを解放して、その後、東方の按司たちと戦って破れ、屋敷に火を放って戦死したようです」
「東方の按司たちはどうして八重瀬グスクを攻めたんじゃ。仲間ではないのか」
「騒ぎを起こした者たちを東方の按司たちが退治すると言っています。八重瀬、具志頭、玻名グスク、米須、真壁と攻めて行くようです」
「何じゃと? 米須も攻めるじゃと?」
「どうも、その事で、他魯毎と手を打って、八重瀬攻めから手を引かせたようです。タブチが戦死したのは、丁度、山南王の就任の儀式があった日で、すでに新しい按司も決まっていました」
「誰が八重瀬按司になるんじゃ?」
「島添大里按司の弟の与那原大親(ゆなばるうふや)です。与那原大親の妻はタブチの娘で、新(あら)グスク按司の姉なので、すんなり決まったようです」
「中山王の倅が八重瀬按司になったのか。くそっ、タブチがいなくなって、八重瀬グスクが中山王の物となるとはのう。具志頭グスクは何としても守らなくてはならん。とりあえずは、お前と中座按司が明日の朝、具志頭に向かって守りを固め、東方の按司たちから守れ。すぐに救援を送って、奴らを追い返してやる」
「わかりました」と摩文仁按司はうなづいて、父が注いでくれた祝い酒を一息に飲んで、嬉しそうに笑った。


 翌日、摩文仁按司と中座按司が兵を率いて具志頭グスクに行った時、グスクには中山王の家紋『三つ巴』の旗がいくつもなびいていて、守っているのは東方の兵たちだった。百人の兵ではとても戦えないと摩文仁按司と中座按司は玻名グスクまで退却した。
 具志頭グスクの戦後処理を終えたサハチは報告のために首里に戻って、島尻大里グスクの包囲陣が壊滅した事を知って驚いた。
「信じられん。一体、何が起こったのです?」とサハチは思紹(ししょう)(中山王)とファイチ(懐機)に聞いた。
「どうも、抜け穴があったようじゃ」と思紹が言った。
「シタルーがまた抜け穴を造ったのですか」
「シタルーではなく、親父の汪英紫かもしれません。でも、摩文仁がどうして抜け穴の事を知ったのか。それが不思議です」とファイチが首を傾げた。
「誰が造ったにしろ、抜け穴があるという事は、奴らを閉じ込める事はできんという事じゃ。玻名グスク攻めは厳しい戦になりそうじゃ」と思紹は言った。
 具志頭グスクを奪われた事を知った摩文仁は今頃、玻名グスクの守りを固めているに違いなかった。
 具志頭グスクは、サミガー大主のお陰でうまくいったとサハチが話していると、ヤマトゥ(日本)から交易船が帰って来たと麦屋(いんじゃ)ヌル(先代与論ヌル)が知らせに来た。
 皆、驚いた顔で麦屋ヌルを見た。いつもより一か月近くも早い帰国だった。
伊平屋島(いひゃじま)の我喜屋大主(がんじゃうふぬし)からの知らせです。まもなく、浮島(那覇)に着くようです」
 サハチはファイチと一緒に浮島に向かった。
 すでに多くの人たちが集まっていて、サハチたちが浮島に着いた頃、小舟(さぷに)による上陸が始まっていた。
 ササたちが小舟から降りて来て、サハチの所に駆け寄って来た。
「戦(いくさ)が始まったのね?」とササはサハチに聞いた。
「早耳だな。南部で戦をやっている」
「山南王が亡くなったのは本当だったのですね」とカナ(浦添ヌル)が聞いた。
伊平屋島でも噂になっているのか」とサハチが聞くと、
「あたし、山南王がチヌムイに斬られる場面を対馬(つしま)で見たの。それで、早く帰って来たのよ」とササが言った。
「そうだったのか。それで早く帰って来たのか。お前、チヌムイを知っていたのか」
首里や佐敷のお祭りに、八重瀬の若ヌルと一緒によく来ていたわ。ンマムイの兼グスクに行った時にも会ったわ。それで、チヌムイは無事なの?」
「無事だよ。若ヌルもな」
「もしかして、山南王はチヌムイの敵(かたき)だったの?」
 サハチはうなづいて、「話が長くなるから今晩、詳しく話すよ」と言った。
「今年もお土産があるわよ」と言って、ササは福寿坊(ふくじゅぼう)と一緒にいる僧侶を指差した。
「呑兵衛(のんべえ)のお医者さんよ。無精庵(ぶしょうあん)ていうの。腕は確かだわ」
「なに、医者を連れて来たのか。ありがとう」
 サハチはササにお礼を言って無精庵を見た。名前の通りに見た目を気にするような人ではなさそうだが、何となく親しみのある顔付きで、腕のある医者のような気がした。
「今回の旅はまったくついていなかったわ。ついていたのはカナだけよ」とササはカナを見て苦笑した。
 総責任者の手登根大親(てぃりくんうふや)(クルー)、正使のジクー(慈空)禅師、副使のクルシ(黒瀬大親)、サムレー大将の宜野湾親方(ぎぬわんうやかた)と小谷之子(うくくぬしぃ)、女子サムレーの隊長のカナビー、福寿坊、皆、元気に帰って来た。
「御苦労だった」とサハチはクルーをねぎらった。
「見事な七重の塔を見てきました。前回行った時はまだ普請中だったので、完成した姿を見たかったのです。凄かったです」
「登ったか」とサハチが聞くと、嬉しそうな顔をしてうなづいて、「高橋殿が連れて行ってくれました」と言った。
 ジクー禅師とクルシにお礼を言っているとマグルーが現れた。シンゴ(早田新五郎)の船で帰って来るはずのマグルーとサングルーとクレーも一緒に帰って来た。
「いい旅でした」とマグルーが嬉しそうに言った。
「そうか。お前の留守中、色々とあってな。お前のお嫁さんが決まったんだ」
「えっ!」とマグルーは驚いた。
「今晩、詳しく教える」
 マグルーは何か言いたそうだったが、何も言わなかった。
 会同館での帰国祝いの宴で、サハチはササから高橋殿の父親、道阿弥(どうあみ)が亡くなった事を知らされた。ササは道阿弥の猿楽(さるがく)を観たようだが、サハチは観ていなかった。高橋殿が得意とする『天女の舞』は道阿弥が作ったという。亡くなる前に一度観てみたかったと思った。
「御台所様(みだいどころさま)のお腹が大きかったので、今年は遠出はしなかったの。でも、京都の街中を歩き回ったのよ。古い都だけあって、色々な神様に会って来たわ。それに、京都に行く前、備前(びぜん)の児島(こじま)で、英祖(えいそ)様のお父様も見つけられたのよ。ユンヌ姫様と一緒に琉球に来て、伊祖(いーじゅ)ヌル様と会っているはずだわ」
「そうか。カナの頼まれ事も解決したのか」
 そう言ってサハチはササを見た。来年はもうヤマトゥに行かないかもしれないと思った。
「また大きな台風が来てね、京都は大変だったのよ。梅雨に雨が降らなくて、あちこちで雨乞いの祈祷(きとう)をしていたわ。台風が来て大雨を降らせたのはいいんだけど、あちこちで川が氾濫して、多くの人が流されてしまったのよ。避難民たちの炊き出しで大忙しだったわ」
「炊き出しを手伝っていたのか」
「当然よ。高橋殿と一緒に避難民たちのお世話をしていたの。スサノオの神様も出雲(いづも)の方に行っていて留守だったんだけど、台風のあとに帰って来てね、助けてくれたわ」
スサノオの神様が何を助けたんだ?」
「京都中の神様に命令したみたい。困っている人たちを助けなさいって。神様のお告げがあったと言って、どこの神社も進んで食糧を出すようになったのよ。お告げがなかったら、きっと隠していたに違いないわ。慈恩禅師(じおんぜんじ)様が言っていたけど、仏教も神道(しんとう)も組織ができると、その組織を守ろうとして、仏様や神様の事は二の次になってしまって、だんだんとその組織は腐ってしまうんですって。京都のお寺や神社は古いから、その組織はみんな腐っているのよ。組織の上の者たちが手に入れた富を手放そうとしないんだわ」
「組織は腐るか‥‥‥慈恩禅師殿がそんな事を言っていたのか」
「無精庵様なんだけどね、慈恩禅師様の知り合いなのよ」
「なに、弟子なのか」
「お弟子じゃないみたい。昔、一緒に旅をしたらしいわ。慈恩禅師様のお話をしたら懐かしがって琉球まで来たのよ」
「そうだったのか」
「台風の避難民たちを助けている時に出会ってね、昔は将軍様にも仕えていた名医だったらしいわ。高橋殿も知っていて、その変わり様に驚いていたわ。奥さんが悪い病に罹ってね、それを治す事ができなかったからって、お医者を辞めてしまって、お酒浸りの日々を過ごしていたらしいわ。そんな時、慈恩禅師様と出会って、一緒に旅をして立ち直ったみたい。また、お医者に戻ったけど、偉い人たちには近づかないで、庶民たちの病や怪我を治しているのよ」
「そうか」と言って、サハチはジクー禅師とクルシと一緒に楽しそうに酒を飲んでいる無精庵を見た。本当にうまそうに酒を飲んでいた。
「いい人を連れて来てくれた。ありがとう」
 留守中に旧港(ジゥガン)(パレンバン)のシーハイイェン(施海燕)たち、ジャワ(インドネシア)のスヒターたちが来た事を教えると、ササたちは会いたかったわねと悔しがった。
 サハチはササたちに今の状況を説明した。
「えっ、サグルーが与那原大親になるの?」とササは驚いた。
「サムレー大将はジルムイ、マウシ、シラーの三人だ」
「えっ、あの三人がサムレー大将? 大丈夫かしら」と心配したあと、「ねえ、あたしたちも与那原に行こうかしら」とササはシンシンとナナの顔を見た。
「面白そうね」とナナが言った。
「行きましょうよ」とシンシンが笑った。
「お前たちが与那原に行ったら、佐敷はどうする?」
「マチ(佐敷若ヌル)がいるから大丈夫よ。ファイリン(懐玲)もいるし、それに、あたしのガーラダマ(勾玉)は運玉森(うんたまむい)ヌルのガーラダマよ。運玉森にいるのが当たり前なのよ。あれ、あたし、チチーを運玉森ヌルに育てなければならないんだけど、チチーは八重瀬ヌルになっちゃうの? サグルーにはまだ娘はいないし、誰が運玉森ヌルになるの?」
「ヌルの事は運玉森ヌル(先代サスカサ)様と相談しろよ」とササに言って、サハチはマグルーの所に行った。
 マグルーはマチルギと馬天ヌルに旅の話をしていた。マチルギと馬天ヌルも具志頭の家臣たちの身元調べが終わって、首里に戻っていた。
「半数近くの者が具志頭グスクから出て行く事になりそうだわ」とマチルギは言った。
「そうか、仕方がないよ」とサハチは言ってから、「お嫁さんの事は話したのか」と聞くと、「まだよ」とマチルギは首を振った。
「お嫁さんの事なんですけど」とマグルーは言って、少し口ごもり、「実は好きな人がいるんです」と言った。
「相手の気持ちはまだわからないんですけど」
「あら、そんな人がいたの?」とマチルギはとぼけた。
「ヤマトゥ旅に出る前に、待っていてくれって言ったんですけど、半年も待っていたかどうかはわかりません」
「何だ、自信がないのか」とサハチは聞いた。
「だって、相手は有名な美人(ちゅらー)だし‥‥‥」
「大丈夫よ」とマチルギは笑った。
「ちゃんと、あなたの無事を祈りながら待っていたわ」
「えっ!」とマグルーは驚いた顔して母親を見た。
「誰だか知っているんですか」
 サハチが手を上げた。ンマムイ(兼グスク按司)がマウミを連れて入って来た。
「花嫁の御入来だ」とサハチが言って、マウミの方に手を差し出した。
 サハチの手の先の方を見たマグルーは目を丸くして、マウミを見つめた。
「本当にマウミが俺の花嫁に‥‥‥」
 サハチとマチルギは笑ってうなづいた。
 指笛が鳴り響いた。拍手が沸き起こった。会場にいる皆がマグルーとマウミを見て祝福してくれた。
「お帰りなさい」とマウミが言った。
「ただいま」とマグルーが言った。
 二人はじっと見つめ合っていた。二人の目はあまりの嬉しさで涙に濡れていた。
「話したい事がいっぱいあるだろう。二人で庭でも散歩してこい」とサハチが言った。
 マグルーとマウミはみんなに頭を下げて、仲よく出て行った。
「あなたがヤマトゥから帰って来た時の事を思い出したわ」とマチルギが言った。
「あの時、お前がいたので驚いた。でも、馬天ヌルと佐敷ヌルと一緒にいる姿が、当たり前のように目に映ったんだ。二人で馬天浜を歩きながら話をしたっけな」
「あなたは大きくなってヤマトゥから帰って来たわ。マグルーもきっと大きくなっているはずだわ」
「マグルーは大きくなって帰って来ましたよ」とンマムイが言った。
「一寸(約三センチ)は伸びたんじゃないですか」
 サハチとマチルギはンマムイを見て笑った。

 

 

 

陰の流れ 愛洲移香斎 第三部 本願寺蓮如   陰の流れ 愛洲移香斎 第四部 早雲登場

2-132.二人の山南王(改訂決定稿)

 八重瀬(えーじ)グスクが炎上している頃、島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスクでは山南王(さんなんおう)の就任の儀式が盛大に行なわれていた。
 山南王になった摩文仁大主(まぶいうふぬし)(先代米須按司)は、シタルー(先代山南王)が冊封使(さっぷーし)から賜(たま)わった王様の着物を着て王冠をかぶり、感無量の顔付きだった。兄の武寧(ぶねい)が中山王(ちゅうさんおう)になった時、いつか必ず山南王になってやると心に密かに誓っていた。諦めかけていた、その夢が今、現実のものとなったのだった。
 王妃になった摩文仁大主の妻も嬉し涙で目が濡れていた。島尻大里按司の兄が、初代の山南王になったのは、長男のジャナ(米須按司)が生まれた年だった。夫婦揃ってお祝いに行き、その晴れがましい兄の姿は、今も瞼(まぶた)に焼き付いている。兄が亡くなって、甥の若按司が跡を継いだが、甥は中山王(武寧)から奪った高麗(こーれー)の美女と一緒に高麗に逃げてしまい、叔父の島添大里按司(しましいうふざとぅあじ)(汪英紫)に山南王の座を奪われた。あれから二十年という長い歳月が流れ、今、ようやく取り戻す事ができた。まるで、夢を見ているかのように幸せだった。これで、御先祖様に顔向けができると思うと嬉しくて、涙が知らずにこぼれてきた。
 山南王と王妃が島尻御殿(しまじりうどぅん)(正殿)の前に座って、御庭(うなー)には家臣たちがずらりと並んだ。島尻大里ヌルになった米須(くみし)ヌル、大村渠(うふんだかり)ヌル、慶留(ぎる)ヌル、真壁(まかび)ヌル、玻名(はな)グスクヌル、与座(ゆざ)ヌル、真栄平(めーでーら)ヌルによって儀式は執り行なわれ、摩文仁大主は『摩文仁』という名で、山南王に就任した。
 儀式のあとは南の御殿(ふぇーぬうどぅん)の大広間で祝宴が行なわれ、城下にある遊女屋(じゅりぬやー)『若夏楼(わかなちるー)』の遊女(じゅり)たちも参加して賑やかな宴(うたげ)となった。
 宴が始まって半時(はんとき)(一時間)後、島尻大里グスクは他魯毎(たるむい)(豊見グスクの山南王)の一千人の兵に包囲された。城下の人たちがグスクに入れてくれと殺到したが、御門(うじょう)が開く事はなく、追い返された。城下の人たちが諦めて散って行くと、総大将の波平大主(はんじゃうふぬし)は兵を配置に付けて、攻撃する事なく陣地造りを始めた。
 守備兵から他魯毎の総攻撃を知った摩文仁は慌てる事なく、いつも通りの守備をしていればいいと言っただけで、遊女を相手に機嫌よく酒を飲んでいた。
 摩文仁は敵の総攻撃を知っていた。大村渠ヌルと慶留ヌルが山南王の就任の儀式をやろうと言って来た時、おかしいと感じた。大村渠ヌルも慶留ヌルも以前、島尻大里ヌルだった。今までどこにいたのか姿を見せなかった二人が、突然、現れて、そんな事を言うのが不自然だった。摩文仁は二人を歓迎して、それはいい考えだと二人に任せたが、次男のクグルー(摩文仁按司)に豊見(とぅゆみ)グスクの様子を探らせた。
 摩文仁が幼い頃、養子になって米須に来た時、護衛役として一緒に来たタルキチというサムレーがいた。タルキチは察度(さとぅ)(先々代中山王)が倭寇(わこう)として壱岐島(いきのしま)で暴れていた時の配下で、察度が浦添按司(うらしいあじ)になる時もサムレー大将として活躍した。
 クグルーはお爺と呼んでタルキチといつも一緒にいた。タルキチから武芸を習い、小舟(さぶに)の操り方も習ってキラマ(慶良間)の島に行ったり、一緒に旅に出てヤンバル(琉球北部)までも行っていた。クグルーが十七歳の時、タルキチは七十五歳で亡くなった。タルキチが亡くなったあとも、クグルーは一人で旅に出たりしていた。そんなクグルーに、摩文仁は各地の情報を集めてくれと頼んだ。それは面白そうだとクグルーは配下の者を集めて情報集めを始めた。じっとしているのが苦手なクグルーにとって、あちこちに行って情報を集めるのは自分に合っている仕事で熱中できた。
 思紹(ししょう)が中山王になった時に側室を贈ったのもクグルーの提案で、側室に付いて行った侍女はクグルーの配下の者だった。父がタブチ(先代八重瀬按司)からシタルー(先代山南王)に寝返った時も、シタルーに側室を贈ったが、他魯毎には贈っていなかった。その代わり、侍女が豊見グスクに入っていた。クグルーが情報集めを始めてからすでに十年が経っているので、豊見グスクの城下に住み着いた配下の女が、奥方様(うなじゃら)(マチルー)の目に止まって、侍女になれたのだった。
 豊見グスクの守りは厳重になっているが、敵が攻めて来ているわけではないので、用があれば侍女たちは城下に行く事ができた。その侍女から山南王就任の儀式の時、他魯毎が総攻撃を掛ける事を知ったのだった。
 その事を知ったのはクグルーだけではなかった。真壁按司も慶留ヌルのフシから聞いていた。フシには二人の子供がいて、父親は真壁按司だった。
 真壁按司は若按司だった頃、フシに一目惚れをした。しかし、山南王のヌルとして島尻大里グスク内に住んでいるフシに近づく事もできず、気軽に声を掛ける事もできなかった。山南王(汪英紫)が亡くなって、シタルーが山南王になった時、フシはシタルーの妹に島尻大里ヌルの座を譲って、慶留ヌルとなってグスクから出た。
 若按司はフシに会いに行って、八年前に一目惚れをした事を告げた。フシは自分をからかっていると思って相手にしなかった。若按司は何度も会いに行って、世間話などをして帰って行った。
 フシが島尻大里ヌルだった時、ウタキ(御嶽)巡りをしている馬天(ばてぃん)ヌルが訪ねて来て、フシは古いウタキを案内した。先代の島尻大里ヌル(大村渠ヌル)よりも色々な事を知っている馬天ヌルをフシは尊敬した。フシは当時、二十七歳で、マレビト神に出会えない事を心配して、馬天ヌルに相談した。馬天ヌルも三十を過ぎてから出会ったから大丈夫よと言った。でも、心を閉ざしていると気づかない場合があるから気を付けてねと言った。
 フシは馬天ヌルの言葉を思い出して、自分はずっと心を閉ざしていたのかもしれないと思った。山南王の伯父は厳しい人だった。伯父に弱みは見せられないと常に気を張っていて、心も閉ざしてしまったのかもしれなかった。心を落ち着けて思い出してみると、真壁按司の視線を時々、感じていたのは確かだった。でも、ヌルとしての自分に自信がなくて、早く一人前のヌルにならなければならないと焦っていて、マレビト神の事を考える余裕はなかった。
 若按司と何度も会って話をして、ようやく、マレビト神だった事に気づいたフシは若按司と結ばれた。翌年、娘が生まれて、その三年後には男の子も生まれた。島尻大里ヌルを辞めて、ようやく、自分らしい生き方ができるようになったと感じていた。
 何だかよくわからないが山南王のシタルーが亡くなったという噂が流れて、しばらくして、豊見グスクヌルと座波(ざーわ)ヌルがやって来た。二人は王妃のために豊見グスクに来てくれと言った。何で王妃のためにと思ったが、豊見グスクに入れば何か重要な事がわかるかもしれない。その重要な事をお土産に真壁按司に会おうと慶留ヌルは思った。二人の子供は真壁按司の伯母、名嘉真(なかま)ヌルに預けてあった。二人の子供は名嘉真ヌルを本当の祖母のように慕っていた。
 豊見グスクに入って一月近くが経った頃、重要な任務を任されて島尻大里グスクに来たのだった。慶留ヌルは真壁按司と会って、他魯毎の作戦を教えた。
 他魯毎の総攻撃を知った摩文仁は、五人の重臣たちを御庭の中央に集めて、総攻撃に対する作戦を練った。
「敵の狙いは按司たちを皆、このグスクに閉じ込める事じゃな」と新垣按司(あらかきあじ)が言った。
「大村渠ヌルはなるべく多くの人が参加した方が縁起がいいと言っていた。兵たちも閉じ込める魂胆じゃ」と山グスク大主(先代真壁按司)が言った。
「敵がその気なら逆手を取るしかないですね」と波平按司(はんじゃあじ)が言った。
「グスクに入れる兵をなるべく少なくして、敵の総攻撃を待ち伏せしよう」と真栄里按司(めーざとぅあじ)が言った。
 皆がうなづいて、綿密な作戦を練った。それから六日後、山南王の就任の儀式が行なわれ、予定通りに島尻大里グスクは他魯毎の兵に包囲された。
 遊女屋の女将が心配そうな顔でやって来て、
「王様(うしゅがなしめー)、グスクが敵に包囲されたと聞きましたが、大丈夫なのですか」と摩文仁に聞いた。
「その王様という響き、いいのう」と摩文仁は嬉しそうな顔をして女将を見た。
「王様」と女将は色っぽい目付きでもう一度言った。
「いいのう」と摩文仁は笑って、「心配ない」と言って機嫌よく酒を飲んだ。
「敵の攻撃は計算済みじゃ。今夜は楽しく飲み明かそうぞ。朝になれば、この戦も終わっているじゃろう」
「あら、本当ですの? そんな秘策がおありなのですか」
「二人も山南王はいらんからのう。偽者はさっさと退治しなければならん」
 摩文仁は愉快そうに笑って、女将の前に酒盃(さかづき)を差し出した。


 夜も更けて、島尻大里グスクの周りはいくつもの篝火(かがりび)で囲まれていた。天も摩文仁を祝っているのか、空には満天の星が輝いていた。高い石垣に囲まれたグスクの中は見えないが、祝宴は続いているとみえて、時折、賑やかな笑い声が風に運ばれて聞こえて来た。
 まだ夜が明けきらぬ早朝、東の空がいくらか明るくなり始めた頃、大(うふ)グスク、与座(ゆざ)グスク、新垣グスクの三か所から摩文仁の兵が、島尻大里グスクを包囲している他魯毎の陣地を目指して出撃した。敵はまだ眠りについている。起きていたとしても戦支度はしていない。皆殺しだと、摩文仁の兵は敵陣目掛けて突撃した。
 ところが、不思議な事に敵陣に敵兵は一人もいなかった。消えた篝火と所々に杭が打ってあるだけだった。どこの陣地も同じで、一体、敵はどこに消えたのだと摩文仁の兵は辺りを見回していた。
「夜中に逃げやがった」と誰かが言って、
「怖じ気づいたに違いない」と別の兵が言って、数人が笑った。
 総大将の新垣按司は副大将の真栄里按司を呼んで、「敵はどこに消えたんじゃ?」と聞いた。
 真栄里按司は首を傾げて、
「そういえば、大グスクを包囲していた敵もいなかったぞ」と言った。
「もしや、また裏をかかれたのではないのか」と新垣按司が言った時、法螺貝(ほらがい)の音が鳴り響いた。
 法螺貝の鳴った南の方を見ると敵が攻めて来るのが見えた。北の方からも法螺貝の音が聞こえた。北からも敵が攻めて来た。
「皆、配置に付け!」と新垣按司は叫んで、合図の法螺貝を吹いた。しかし、間に合わなかった。
 一旦、崩れてしまった態勢を立て直す事はできず、敵の攻撃に押し負け、兵が次々に倒れていった。摩文仁の兵たちは我先にと島尻大里グスクの御門(うじょう)へと向かった。新垣按司の命令で御門が開けられ、摩文仁の兵たちはグスク内へと逃げ込んだ。
 他魯毎の包囲陣を攻撃したのは、およそ一千人の兵で、兵たちを指揮していたのは按司たちだった。儀式に参加したのは皆、偽者の按司たちで、その事に気づいた大村渠ヌルは儀式のあと、捕まって蔵の中に閉じ込められていた。勿論、テハの配下の者もグスクから出さないように、厳重に見張っていた。
 摩文仁の兵たちがグスク内に逃げ込むと他魯毎の兵たちは昨日と同じように、グスクを包囲して陣地造りを再開した。ほとんどの按司も兵も島尻大里グスクに閉じ込められた。それぞれの本拠地のグスクには、グスクを守っている五十人前後の兵がいるだけなので、他魯毎の包囲陣を攻撃する力は持っていなかった。
 山南王の執務室で、新垣按司から話を聞いて、摩文仁は信じられないと言った顔で宙を見ていた。
 急に笑い出すと、「李仲按司(りーぢょんあじ)め、なかなかやるのう。わしが裏をかいたら、その裏をかきおった」と摩文仁は言って、苦虫をかみ殺したような顔をして、「何人、やられたんじゃ?」と聞いた。
「二百はやられたかと。しかし、敵も百はやられているはずじゃ」
「わしらの半分か。そして、按司たちは皆、グスクに入ってしまったんじゃな」
「玻名グスク按司摩文仁按司の姿がありません。グスクに入らずに本拠地に逃げたものと思われます」
「なに、クグルーが逃げたか」
 摩文仁は満足そうに笑った。
「それと、イシムイ(武寧の三男)も見当たりません。どこかに逃げたものと思われます」
「イシムイも逃げたか」と摩文仁はうなづいて、ニヤッと笑った。
「これからどうしますか」
「まずは炊き出しじゃ。兵たちに飯を食わせなければなるまい。そのあと、御庭で戦評定(いくさひょうじょう)じゃ」
 新垣按司が去ると、島尻大里ヌル(先代米須ヌル)と慶留ヌルが入って来た。
「慶留ヌル様にグスク内を案内してもらったのよ」と島尻大里ヌルは楽しそうに言った。
「先代が随分と改装したようで、かなり変わっていました。このお部屋もすっかり変わっています」と慶留ヌルは言った。
 部屋の中を見回してから、
「お父様が山南王になったなんて、今でも信じられないわ」と島尻大里ヌルは嬉しそうに笑った。
「これからが大変じゃ」と摩文仁は苦笑した。
 刀掛けに飾ってある刀を見て、
「まだあったのね」と慶留ヌルが言った。
「先々代の伯父(汪英紫)が中山王の察度からいただいた御神刀(ぐしんとう)です。この刀があれば、王様を守ってくれるでしょう」
 慶留ヌルから御神刀のいわれを聞いた摩文仁は、自分の刀と交換して、察度の御神刀を腰に差し、これで山南王の座も安泰じゃと自信を持った。


 総大将の波平大主からの知らせを聞いて、作戦がうまく行った事を知ると、李仲按司は満足そうにうなづいた。
 慶留ヌルのマレビト神が真壁按司だった事は李仲按司も知らなかったが、豊見グスクに敵の間者(かんじゃ)が紛れ込んでいる事は知っていた。儀式の最中の総攻撃は必ず、敵の知る所となろう。それを知った敵がどう出るかを予想して、夜になってから陣地に使者を送って、国吉(くにし)グスクと照屋(てぃら)グスクに密かに撤収させた。敵が夜明けに包囲陣を攻撃したら、その敵を包囲してグスク内に閉じ込めろと命じた。もし、攻めて来なかったら、包囲陣に戻って陣地造りを再開しろと言ったのだった。
 敵は予想通りに夜明けに攻めて来て、グスクに閉じ込められた。あとは長期戦を覚悟して、敵の兵糧(ひょうろう)が尽きるのを待つだけだった。敵を閉じ込めておけば、山南王として、ヤマトゥ(日本)の商人たちと取り引きができるし、来年になったら進貢船(しんくんしん)を送って、先代の死を知らせて、冊封使を迎える事もできるだろう。冊封使が来る前に、島尻大里グスクは攻め落とさなければならなかった。李仲グスクにいる若按司には動くなと言ってあった。
 王妃のトゥイに呼ばれて、李仲按司が王妃の部屋に行くと他魯毎と豊見グスクヌル、照屋大親(てぃらうふや)も来ていて、見慣れない鎧櫃(よろいびつ)が部屋の中央に置いてあった。
「うまくいったわね」とトゥイは笑って、
「島添大里按司(サハチ)からの贈り物よ」と李仲按司に書状を渡した。
 書状には、タブチとチヌムイが八重瀬(えーじ)グスクに戻って来たため、八重瀬按司(エータルー)はグスクを開城せずに戦い、最後は屋敷に火を付けて、屋敷もろとも炎上した。焼け跡から三つの遺体が並んで見つかり、タブチ、八重瀬按司、チヌムイのものと思われるので、三つの首を送る。確認してほしいと書いてあった。
「首を確認したのですか」と李仲按司はトゥイに聞いた。
「そなたが来るのを待っていたんじゃ」と照屋大親が言った。
 李仲按司はうなづいて、トゥイを見た。
 トゥイはお願いと言うようにうなづいた。
 李仲按司は鎧櫃の蓋を開けた。三つの首は布でくるまれて、塩の中に埋まっていた。塩をよけて布を開いてみると焼けただれて真っ黒な顔が現れた。髪の毛は焼け落ちて、目玉も焼け落ちたのか、ほとんど骸骨(がいこつ)同然で、誰なのかわからなかった。トゥイも覗いたが、ちらっと見ただけで目をそむけた。三つとも同じような骸骨で、どれが誰の首なのか、まったくわからなかった。
「昨日、八重瀬グスクが燃えたのは本当らしいわ」とトゥイが言った。
「魚売り(いゆうやー)のおかみさんが言っていたわ。そして、八重瀬按司が戦死したという噂が流れていたらしいわ。八重瀬按司が息子なのか父親なのかわからないけど、島添大里按司は二人とも戦死したって言いたいようね。本当だと思う?」
 李仲按司は首を傾げた。
「本当かどうかはわかりませんが、山南王を殺したチヌムイとタブチが八重瀬グスクで戦死した事にすれば、一応、けじめは付きます。喜屋武(きゃん)グスクに隠れているとすれば、テハが何とかしてくれるでしょう。敵討ちの事はテハに任せて、島尻大里グスクをなるべく速く、攻め落とす事です」
「来月になったらヤマトゥの商人たちがやって来ます。そろそろ、準備を始めた方がよろしいかと思います」と照屋大親が言った。
 トゥイはうなづいて、「糸満按司(いちまんあじ)と相談して、うまくやってね」と照屋大親に言った。
「この首はどうするのですか」と豊見グスクヌルがトゥイに聞いた。
「あなたに頼むわ。それで呼んだのよ」
「頼むって言われても、体と別れた頭だけを埋めたら祟(たた)るわ」
「三人に祟られたら恐ろしいわね。八重瀬グスクに返しましょう」
「それがいいわ」と豊見グスクヌルはうなづいた。


 首里(すい)の龍天閣(りゅうてぃんかく)では、サハチ(中山王世子、島添大里按司)、思紹(ししょう)(中山王)、マチルギ、馬天ヌルの四人が八重瀬グスクをどうするかを考えていた。与那原大親(ゆなばるうふや)のマタルーを八重瀬按司にする事はすんなりと決まった。マタルーの妻のマカミーは新(あら)グスク按司の姉なので、新グスク按司も納得するだろう。
 問題は誰に与那原グスクを任せるかだった。サハチはマサンルー(佐敷大親)を与那原大親にして、長男のシングルーを佐敷大親にすればいいと言ったが、十七歳のシングルーではまだ無理だと皆に反対された。
 マチルギはジルムイに任せようと言った。ジルムイは首里の十番組のサムレーで、マウシ(山田之子)とシラー(久良波之子)と一緒に楽しくやっているようだった。一緒にヤマトゥ旅をしてから三人は仲がよく、ジルムイだけを離してしまうのはうまくないような気がするとサハチは思っていた。
「具志頭(ぐしちゃん)グスクを開城したら、イハチは具志頭按司になるわ」とマチルギは言った。
「おい、そんな事、まだ決めていないぞ」とサハチはマチルギを見た。
「イハチの妻のチミーは具志頭按司の娘よ。チミーの母親のナカーがいるから、イハチでも按司は務まるわ」
「まあ、そうじゃな」と思紹はうなづいた。
「イハチが具志頭按司になって、チューマチがミーグスク大親なのに、兄のジルムイが首里のサムレーだなんておかしいわ」
「ジルムイは将来、サムレー大将になって、兄のサグルーを助けるって言って、サムレーになったんだ。ジルムイは苗代大親(なーしるうふや)のようになりたいと思っているんだよ。グスクを持たせたら、その夢を奪う事になってしまうぞ」とサハチはマチルギに言った。
「そうだったのか」と思紹が驚いた顔をした。
「ジルムイも考えているんじゃのう。サグルーが中山王になった時、ジルムイがサムレーの総大将か。うむ、それはいい考えじゃ」
「ジルムイ、マウシ、シラーの三人はサムレー大将になるために必死に修行を積んで頑張っています。今のまま見守った方がいいと思います」
 サハチはそう言ったが、マチルギは納得しかねているようだった。
「サグルーを与那原大親にして、その三人を与那原のサムレー大将にするというのはどうじゃ?」と思紹が言った。
「えっ!」とサハチもマチルギも馬天ヌルも驚いて思紹を見た。
「サグルーは島添大里の若按司ですよ」と馬天ヌルが言った。
「中山王の世子(せいし)はどこにいる?」
 思紹がそう言うとマチルギと馬天ヌルがサハチを見てから、顔を見合わせて笑った。
「確かに、世子は首里にはいないわね」と馬天ヌルが言って、「サグルーにその三人を付けるのも面白いかもね」と賛成した。
「でも、その三人にサムレー大将が務まるかしら」とマチルギが心配した。
「与那原にはヂャンサンフォン殿がいる。ヂャンサンフォン殿に鍛えてもらえばいい」
「そうですね」とマチルギが賛成して、サグルーが与那原大親になる事に決まった。
「サグルーが出て行って、イハチも出て行ったら、島添大里グスクの留守を守る者がいなくなるな」とサハチが言うと、
「マグルーがいるわ」とマチルギが言った。
「おっ、そうだった。南部一の美人(ちゅらー)のマウミを嫁に迎えるんだったな。サグルーの屋敷に入れよう」
 ウニタキ(三星大親)がやって来て、島尻大里グスクの状況を知らせた。
摩文仁大主が山南王になって、配下の按司たちは皆、島尻大里グスクに閉じ込められたのか」と思紹は喜んだ。
「これで、玻名グスクも米須グスクもわしらのものとなるのう」
「李仲按司の作戦ですかね」とサハチが言った。
「シタルーの軍師じゃったというからのう。摩文仁大主の裏の裏をかいたのじゃろう。さすがじゃのう」
 これで他魯毎の勝利だなとサハチたちは喜び合った。

 

 

 

陰の流れ 愛洲移香斎 第一部 陰流天狗勝   陰の流れ 愛洲移香斎 第二部 赤松政則

2-131.エータルーの決断(改訂決定稿)

 サハチ(中山王世子、島添大里按司)はウニタキ(三星大親)と一緒に喜屋武(きゃん)グスク(後の具志川グスク)に行って、琉球を去るタブチ(先代八重瀬按司)たちを見送った。
 喜屋武グスクは海に飛び出た岬の上にあって、思っていたよりも小さなグスクだった。石垣に囲まれた二つの曲輪(くるわ)があり、二の曲輪には海岸へと抜ける穴が空いていた。一の曲輪は二の曲輪よりも低く、そこに屋敷が建っていた。
 タブチは欲を捨て去った禅僧のようなさっぱりとした顔付きで、サハチとウニタキを迎えた。
「迷惑を掛けてすまなかったのう」とタブチは頭を下げてから、サハチとウニタキを見て微かに笑った。
「ここに来て、海を眺めながら、今までの事を思い出していたんじゃ。色々な事を思い出したよ。そなたたちを恨んだ時もあった。だが、そなたたちに会えてよかったとしみじみと思った。そなたたちに会わなかったら、わしは弟のシタルー(先代山南王)と争いを続けて戦死していたかもしれんのう。何もかも捨て去って、久米島(くみじま)でやり直すつもりじゃ。わしは刀も捨てる事にした。前回の戦(いくさ)で二百人近くを戦死させてしまった。もう戦は懲り懲りじゃ。久米島に行って、静かに暮らそうと思っている。ただ一つ、長年連れ添ってきた妻を残して行くのが心配なんじゃ」
「奥さんは送り届けますよ」とサハチは約束した。
「すまんのう。そうしてもらえると助かる」
「側室たちはいいのですか」とウニタキが聞いた。
「隠居した坊主に側室はいるまい」とタブチは笑ったが、「できれば、ミカの母親のトゥムも送ってほしい。チヌムイの母親同然じゃからのう」と頼んだ。
「側室たちに聞いて、久米島に行きたいと言った者たちは皆、送りますよ」とウニタキは言った。
「すまんのう」とタブチは笑って、頭を下げた。
 タブチ、チヌムイ、ミカ、八重瀬(えーじ)ヌル、次男の喜屋武按司夫婦と五人の子供たち、五人のサムレーと五人の侍女が従って、ナーグスク大主(うふぬし)(先代伊敷按司)夫婦と次男のナーグスク按司夫婦と二人の子供たち、五人のサムレーと五人の侍女が従って、ブラゲー大主の船に乗って久米島に向かった。
 喜屋武グスクには島尻大里(しまじりうふざとぅ)ヌルと五人の侍女と十人の城女(ぐすくんちゅ)、五十人のサムレーが残った。
 島尻大里ヌルに、どうして一緒に行かないのかと聞くと、今回の戦で亡くなった人たちの冥福を祈らなければならないと言った。馬天(ばてぃん)ヌルから聞いていたが、島尻大里ヌルは昔と随分変わっていた。ヌルとしての貫禄も備わっていて、神々しさも感じられた。
「ここまで敵は攻めて来ないだろうが、タブチとチヌムイを殺すために刺客(しかく)が潜入して来るかもしれない。充分に気を付けるように」とサハチは島尻大里ヌルに言って、ウニタキと一緒に引き上げた。
 翌日、サハチは手登根大親(てぃりくんうふや)の妻、ウミトゥクに書状を持たせて、豊見(とぅゆみ)グスクの山南王妃(さんなんおうひ)のもとへ送った。ウミトゥクが豊見グスクに着いた頃を見計らって、長嶺(ながんみ)グスクを包囲している東方(あがりかた)の按司たちの兵を撤収させ、新(あら)グスクに移動させた。
 山南王妃が話に乗って来れば、八重瀬グスクを包囲している兵は撤収するはずだった。
 書状には、タブチが山南王の座を降りて、喜屋武グスクに引き上げた事。喜屋武グスクにはチヌムイと若ヌルも一緒にいる事。タブチが山南王の座を降りたので、長嶺グスクを攻めている東方の按司たちは撤収する事。世間を騒がせた八重瀬按司、玻名(はな)グスク按司、米須按司(くみしあじ)、真壁按司(まかびあじ)、伊敷按司(いしきあじ)は皆、隠居したが、東方の按司たちだった。東方の按司たちが引き起こした騒ぎは、東方の按司たちで決着を付ける。八重瀬按司、玻名グスク按司、米須按司、真壁按司、伊敷按司は全員、退治するので、八重瀬グスクから手を引いてほしい。喜屋武グスクも攻めて、タブチとチヌムイを生け捕りにしたら、豊見グスクに送り届ける。二人の処分は王妃に任せる。なお、島尻大里グスクでは、先代の米須按司が山南王になったようだ。偽者の山南王を退治するために島尻大里グスク攻めに専念してほしいと書いた。
 サハチからの書状を読んだ山南王妃のトゥイは、タルムイ(豊見グスク按司)と李仲按司(りーぢょんあじ)と照屋大親(てぃらうふや)を呼んだ。三人が来るとサハチの書状を見せて、「どう思う?」と聞いた。
「タブチとチヌムイは喜屋武グスクにいるのか」とタルムイが驚いた。
「それが本当なのかどうか確かめなくてはなりません」と李仲按司が言った。
「そうね」と言って、トゥイは石屋のテハを呼んだ。
「もし、本当だったら、八重瀬グスクを攻めるのは無駄な事です」とタルムイが言った。
「引き上げさせて、島尻大里グスクを包囲した方がいい。照屋グスクと国吉(くにし)グスクが味方になったのだから、邪魔なのは大(うふ)グスクだけです。大グスクを三百の兵で封鎖して、残りの兵で島尻大里グスクを包囲するべきです」
「長期戦になりますぞ」と照屋大親が言った。
「島尻大里グスクにはたっぷりの兵糧(ひょうろう)が蓄えられております。グスクから出て行った者たちも多いので、半年は持ちそうじゃ」
「半年は長すぎますね」と李仲按司は言った。
「テハの配下の者がまだ残っているはずだわ」とトゥイは言った。
「しかし、テハはもうあそこに入れんのじゃろう。連絡が取れなければ使えんな」と照屋大親が言った。
 テハが現れた。トゥイはテハにタブチの行方を聞いた。
「八重瀬ヌルと島尻大里ヌルを連れて島尻大里グスクを出て行きましたが、どこに行ったのかはわかりません。馬に乗って、南の方に行きました。配下の者があとを追って行ったのですが戻って来ないのです。タブチの配下の者にやられたようです」
「タブチもあなたたちのような者を使っているの?」
「八重瀬の城下にある『唐物屋(とーむんや)』の行商人(ぎょうしょうにん)たちが密かに動いています」
「タブチは喜屋武グスクにいるらしいわ。チヌムイも一緒にね。あそこまで兵を率いて出陣する事はできないわ。あなた、密かに二人を始末してくれないかしら」
「忍び込めと言うのですか」
「無理かしら?」
「タブチも守りを固めているでしょうから、忍び込むのは難しいと思いますが、何とかやってみましょう」
「粟島(あわじま)(粟国島)から来た若い者を連れて行くといいわ。刺客になるための訓練を受けている者もいるらしいから、波平大主(はんじゃうふぬし)とよく相談して連れて行ってね。頼むわよ」
 テハはうなづいて、「タブチはどうして喜屋武グスクに行ったのですか」と聞いた。
「山南王になるのは諦めたようだわ」
「すると、戦は終わるのですね?」
 トゥイは首を振って、「わたしの兄の摩文仁大主(まぶいうふぬし)が山南王になったようだわ」と言った。
「何と‥‥‥」とテハは驚いた顔でトゥイたちを見た。
「テハ、島尻大里グスク内に配下の者はいるのか」と李仲按司が聞いた。
「五人はいるはずなのですが、連絡が取れないのでわかりません。もしかしたら、皆、殺されてしまったかもしれません」
「そうか」
 テハが頭を下げて出て行くと、
「刺客を使うのですか」とタルムイが苦々しい顔をしてトゥイを見た。
「いつまでも敵討ちに関わってはいられないわ。偽者の山南王を倒さなくちゃね。タブチとチヌムイの事はテハに任せて、八重瀬の兵は撤収させましょう」
 トゥイが李仲按司と照屋大親を見ると、二人はうなづいた。
 李仲按司は絵地図を広げて、
「大グスクを封鎖して、島尻大里グスクを包囲しても、真壁、伊敷、米須の兵が邪魔をするだろうな」と言った。
「真壁、伊敷、米須、玻名グスクの兵も島尻大里グスクに閉じ込められればいいんじゃがのう」と照屋大親が言った。
「それじゃ」と李仲按司が手を打った。
「何かいい方法があるのですか」とトゥイが聞いた。
「山南王の就任の儀式をやらせるんじゃ。就任の儀式となれば、配下の按司たちは皆、集まるじゃろう。兵を引き連れて来るかどうかはわからんが、按司だけでも閉じ込めてしまえば、指揮官がいなくなるからのう。大分、有利となろう」
「でも、どうやって、その儀式をさせるのです?」
「儀式と言えばヌルじゃ。今の島尻大里ヌルはタブチと一緒に出て行った。先代のヌルはおらんのか」
「先々代のヌルは大村渠(うふんだかり)ヌルになって島尻大里の城下にいたんだけど、豊見グスクヌルに頼んで味方に引き入れて、今、豊見グスクの城下にいるわ」とトゥイは言った。
「初代の山南王(承察度)の娘だから、二代目の山南王の就任の儀式をやっているはずだわ。摩文仁大主の奥さんの姪だから、摩文仁大主も疑わないでしょう。それに、亡くなった山南王(シタルー)の従妹(いとこ)の慶留(ぎる)ヌルもいるわ。先代の山南王(汪英紫)の就任の儀式をやっているわ。慶留ヌルは大村渠ヌルの助手として行かせればいいわ」
「その二人のヌルに任せよう。摩文仁大主がその話に乗ってきたら儲けもんじゃ」と照屋大親がニヤッと笑った。
「必ず、乗って来るはずだわ」とトゥイは自信たっぷりに言った。
 その時、長嶺グスクから使者が来て、なぜか、東方の按司たちが皆、引き上げて行ったと知らせた。
 トゥイはうなづいて、タルムイにサハチ宛ての書状を書かせた。差出人は『山南王、他魯毎(たるむい)』となっていた。李仲按司が考えたタルムイの明国名(みんこくめい)だった。


 長嶺グスクを包囲していた東方の按司たちが撤収する時、指揮を執っていたのはサハチだった。按司たちを納得させて撤収させるには、やはり、サハチが出て行かなければならなかった。タブチとチヌムイが久米島に逃げた事は東方の按司たちには話さず、二人は今、喜屋武グスクにいると伝えた。
 新グスクに東方の兵がやって来た時、新グスク按司は驚いた。敵の大軍が攻めて来たと勘違いして、慌てて守りを固めさせた。先頭に来る兵が持った『三つ巴紋』の旗を見て、さらに驚いて、中山王(ちゅうざんおう)が出陣して来たのかと思った。
 サハチは新グスクの近くまで来ると兵たちの進軍を止めて、玉グスク按司、知念(ちにん)若按司、垣花按司(かきぬはなあじ)、糸数按司(いちかじあじ)、大グスク按司と一緒に、大御門(うふうじょー)(正門)まで行った。サハチが声を掛けると大御門が開いて、新グスク按司のエーグルー(八重五郎)がサムレー大将と一緒に出て来た。サハチは長嶺グスクから撤収して来た事を話し、相談があると言って、一人でグスク内に入った。
 一の曲輪にある屋敷の会所(かいしょ)で、サハチはエーグルーにタブチとチヌムイと若ヌルが久米島に逃げた事を告げた。エーグルーは信じられないといった顔でサハチを見ていた。
 サハチはこれまでの経緯を説明して、騒ぎを起こしている東方の按司たちを退治すると言った。エーグルーは納得して、逃げて行った親父のためにも、これからも東方の按司として活躍すると約束した。
 サハチがエーグルーと話している最中、八重瀬グスクを包囲していた敵兵が撤収したと知らせが入った。
 サハチはエーグルーと一緒に八重瀬グスクに向かった。
 一か月に及ぶ籠城戦の残骸がグスクの周りに散らかっていた。高い櫓(やぐら)が三つも建っていて、防御の楯(たて)がずらりと並んでいる。サハチは十一年前の島添大里(しましいうふざとぅ)グスク攻めを思い出した。
 大御門が開いて、八重瀬按司のエータルー(八重太郎)が出て来た。
「一体、何が起こって、敵は去ったのですか」とエータルーはサハチに聞いた。
「親父が山南王の座から降りたんだよ」とエーグルーは兄に言った。
「何だと?」
「詳しい話はあとだ」とサハチは言った。
「皆、疲れているだろう。もう敵は攻めて来ない。城下の人たちを解放して、兵たちも休ませろ」
 エータルーはうなづいて、御門番(うじょうばん)に指示を与えた。城下の人たちがぞろぞろと出て来て、我が家へと帰って行った。皆、疲れ切った顔をしているが、ようやく終わったという安堵感に溢れていた。
 城下の人たちが出て行ったあとのグスク内もゴミが散らかっていて、一か月の籠城の長さを物語っていた。武装を解いた兵たちは思い思いの所で休み、ホッとした顔で仲間と笑い合っていた。
 サハチは一の曲輪内の屋敷の一室に案内された。タブチが使っていた部屋だという。明国から持って来たのか、明国や南蛮(なんばん)(東南アジア)の国々が描かれた地図が飾ってあり、水墨画や高価な壺(つぼ)なども飾ってあった。サハチがそれらを見ている時、エーグルーがエータルーにタブチの事を説明していた。
 高価な品々を眺めながら、何もかも捨てて、一からやり直しだと言ったタブチの言葉が改めて思い出された。
 エーグルーの説明が終わると、サハチは今後の作戦をエータルーに告げた。
 東方の兵は具志頭按司(ぐしちゃんあじ)、玻名グスク按司、米須按司、真壁按司、伊敷按司を退治する。まず、最初に八重瀬グスクを攻めなければならない。山南王妃の手前、八重瀬グスクを包囲して攻撃する振りをする。何日かの抵抗後、グスクを開城して降参してくれ。しばらくの間は、新グスクに移ってもらおうと思うが、様子を見て、ほとぼりがさめたら、八重瀬グスクはエータルーに返すとサハチは言った。
「戦の振りは何日間ですか」とエータルーは聞いた。
「三日くらいでいいだろう。東方の按司たちは皆、そなたと親戚じゃ。皆に説得されて開城したと言えば、世間も納得するだろう」
 エータルーはうなづいて、「城下の人たちをまたグスクに入れるのですか」と聞いた。
「せっかく出られたのにまた入れるのも可哀想だ。新グスクに避難してもらおう。同じ避難でも、敵兵に囲まれていなければ安心だろう」
「わかりました」
「東方の按司たちは今、新グスクにいるが、率いている兵たちも一か月近く、長嶺グスクを包囲していて疲れている。三日間、休ませるつもりだ。四日後の正午、ここに攻め寄せるので、よろしく頼む」
 サハチはエータルーと別れて、新グスクに戻ると、按司たちを本拠地に帰した。
 サグルーと一緒に兵たちを引き連れて島添大里グスクに帰ると、ウミトゥクがタルムイの書状を持ってサハチを待っていた。
 山南王、他魯毎(たるむい)と書いてあるのを見て、
「お前の兄貴も山南王になったな」とサハチはウミトゥクを見て笑った。
 書状には、サハチの条件を呑んで、島尻大里グスクに居座っている偽者の山南王を倒すと書いてあった。サハチはウミトゥクにお礼を言って、豊見グスクの様子を聞いた。
「わたしは姉の豊見グスクヌルと一緒にいましたが、弟の保栄茂按司(ぶいむあじ)と妹のマアサも顔を出しました。姉はまだ、父上の死が信じられないと言っていました。保栄茂按司は豊見グスクに閉じ込められてしまったと苦笑していました。マアサはチヌムイは絶対に許せない。そして、チヌムイを好きになった自分はもっと許せないと自分を責めていました」とウミトゥクは言った。
「やはり、マアサはチヌムイが好きだったのだな。ンマムイ(兼グスク按司)が二人はいい感じだったと言っていた。こんな事になるなんてな。チヌムイも悩んでいたに違いない」
「でも、きっと、マアサなら乗り越えられるでしょう。強い子ですから」
 そう言って微かに笑ったあと、「母(山南王妃)のお部屋には李仲按司様と照屋大親様が呼ばれたようでした」とウミトゥクは言った。
「李仲按司か‥‥‥シタルーの軍師だったそうだな。李仲按司摩文仁大主を倒してくれるといいが」
「李仲按司様は具合が悪そうでした。明国で病を患って、国子監(こくしかん)にいる息子に福州まで送ってもらったらしいって姉が言っていました。帰って来たら、父上が亡くなったと聞いて、さらに体調を崩したみたいです」
「そうか。大事に至らなければいいがな。度々、使いを頼んで悪かった。クルーがいたら怒られそうだな」
「そんな事はありません。わたしでお役に立てるのであれば、何度でも行きますよ。姉や弟たちにも会えますし」
 ウミトゥクが帰るとサハチは首里(すい)に向かった。


 四日後の正午、東方の按司たちの八重瀬グスク攻めが始まった。うまく行くだろうと思ってサグルーに任せて、サハチは行かなかった。
 グスクを開城する約束の三日後、サハチは佐敷ヌルとサスカサ(島添大里ヌル)を連れて八重瀬グスクに向かった。
 すでに開城は始まっていて、侍女や城女(ぐすくんちゅ)たちがぞろぞろと出て来ていた。サグルーに聞くと作戦通りにうまく行っているという。女たちが出ると家臣たちも出て来た。皆、鎧(よろい)は着ているが武器は持っていなかった。タブチに従って明国に行っていた重臣の富盛大親(とぅむいうふや)が出て来て、サハチに書状を渡した。
「何だ?」とサハチは富盛大親に聞いた。
按司様(あじぬめー)はけじめをつけるとおっしゃっております」
「けじめ? 何のけじめだ?」
「山南王を殺したけじめです」
「エータルーは何を言っているんだ?」
按司様の覚悟が書いてあります」
 書状は二通あった。一つは略式で、もう一つは正式なものだった。略式の方から読んでみた。
 山南王を殺して琉球から逃げました、では世間が許しません。親父とチヌムイは八重瀬に戻って来て、ここで見事に戦死したという事にしてください。二人が死んだ事にしない限り、タルムイは二人を探し続けるでしょう。久米島にも追っ手が行くに違いありません。今、グスクに残っている者たちは、親父のために死を覚悟した者たちです。華々しい最期を飾らせてくださいと書いてあった。
 正式の書状には、降伏して開城するつもりだったが、隠居した父親が山南王の座から降りて、チヌムイを連れて帰って来たので降伏はできない。島添大里按司でも、親父とチヌムイの命を助けるのは難しいだろう。最期まで戦って二人を守ると書いてあった。
「あいつは何を言っているんだ?」とサハチは富盛大親に聞いた。
 富盛大親は苦しそうな顔をして首を振った。
「何を言っても無駄でした。誰かがけじめをちゃんとつけなければならない。親父とチヌムイを助けるためだったら、喜んで自分は犠牲になると言っておりました」
「何という事だ」
 大御門(うふうじょー)が閉められて、グスク内で法螺貝が鳴り響いた。突然、グスク内から弓矢が飛んで来た。
 サハチは刀で弓矢をはじいて、「戦闘態勢に付け!」と叫んだ。
 グスク内から次々に弓矢が飛んで来て、何人かが倒れた。法螺貝が鳴り響いて、東方の按司たちも戦闘態勢に入った。
 サハチは按司たちを集めて、事情を説明した。
「八重瀬殿が戻って来たのか」と糸数按司が聞いた。
「先日の豊見グスク攻めで、多くの兵を戦死させた事に責任を感じたようだ」とサハチは言って、エータルーの正式の書状を皆に見せた。
「八重瀬殿は死ぬつもりなのか?」と玉グスク按司が言った。
「倅が山南王を殺した責任を取るつもりなんだろう」と知念若按司は言った。
死に花を咲かせてやるしかないな」と糸数按司が言った。
「東方の按司としては、八重瀬グスクを落とさないと先には進めない。戦うしかないんだ」とサハチは言った。
 東方の按司たちはサハチにうなづいて散って行った。
 しばらく弓矢の応酬が続いて、火矢も放たれた。楯を持った糸数の兵と垣花の兵が石垣に向かったが、弓矢と石つぶての反撃が凄まじく、石垣に取り付く事はできなかった。
 サハチはタルムイの兵たちが造った櫓に登ってみた。櫓の上からグスク内がよく見えた。グスク内に人影はなく、石垣の上から攻撃している兵しかいなかった。死を覚悟した家臣だけが残っているとエータルーは言っていた。敵は思っているほど多くないに違いない。
 櫓から下りるとサハチは按司たちを集めて、
「敵は五十人足らずだ。一人づつ倒して行け。楯を持った兵を石垣に向かわせ、それを狙っている兵を確実に倒せ」と命じた。
 島添大里按司、玉グスク按司、知念若按司、垣花按司、糸数按司、大グスク按司の兵が六カ所から同時に攻めて、それを攻撃する兵を弓矢で狙った。石垣の上にいる兵が次々に倒れていった。
「大御門が開いているぞ」と誰かが叫んだ。
 見ると大御門が開いていた。信じられないが、かんぬきを掛けるのを忘れたらしい。いや、わざと掛けなかったのかもしれなかった。
「突撃だ!」と誰かが叫んで、東方の兵たちがグスク内に攻め込んだ。グスク内に入ったものの、敵を探すのが大変だった。グスク内は味方の兵で溢れた。
 二の曲輪から一の曲輪に行く途中、数人の敵が現れて、味方の兵に斬られた。
 突然、一の曲輪の屋敷から火の手が上がった。油を撒いたのか、火は勢いよく燃えて、屋敷に近づく事はできなかった。
 サハチが佐敷ヌルとサスカサを連れて、グスク内に入ると、味方の兵たちは呆然として、燃える屋敷を見つめていた。
「タブチの最期にふさわしいわね」と佐敷ヌルが言った。
「そうだな」と燃えている屋敷を眺めながらサハチはうなづいて、「エータルーは見事にけじめをつけたな」と厳しい顔付きで言った。

 

 

 

無住心剣流 針ヶ谷夕雲

2-130.喜屋武グスク(改訂決定稿)

 タブチ(先代八重瀬按司)の豊見(とぅゆみ)グスク攻めの二日後、島添大里(しましいうふざとぅ)グスクにンマムイ(兼グスク按司)が訪ねて来た。一緒に連れて来たのはチヌムイと八重瀬(えーじ)若ヌルのミカだった。チヌムイもミカもウミンチュ(漁師)の格好だった。
 山南王(さんなんおう)の進貢船(しんくんしん)が帰って来て、山南王妃がそれを奪い取った時と、豊見グスクが攻められた時、サハチ(中山王世子、島添大里按司)は首里(すい)に呼ばれた。豊見グスクが反撃をして、タブチの兵を追い返したと聞いて、しばらく様子を見ようという事で島添大里に帰っていた。
 サハチの顔を見て、「いてよかった」とンマムイは嬉しそうに笑った。
首里に行こうか、ここに来ようか迷ったんだけど、ここに来てよかった」
 ンマムイはサハチにチヌムイとミカを紹介した。話には聞いているが、二人に会うのは初めてだった。チヌムイは目付きがタブチに似ていて、タブチの若い頃はこんな感じだったのだろうとサハチは思った。ミカは与那原(ゆなばる)のマカミーと少しも似ていなかった。母親に似たようだ。サハチはンマムイたちを二階の会所(かいしょ)に案内した。
「母親の敵(かたき)を見事に討ったそうだな」とサハチはチヌムイに言った。
「はい、師兄(シージォン)」とチヌムイは答えた。
 サハチは笑って、「サスカサ(島添大里ヌル)とシビーと一緒に修行を積んだのだったな」と言った。
「お師匠から按司様(あじぬめー)のお話はよく聞いております。明国(みんこく)で按司様と出会えて、琉球に来られてよかったとお師匠はよく言っておりました」
「お師匠がそんな事を言っていたのか」
按司様は不思議なお人だとも言っておりました」
「俺が不思議な人?」
「百六十年も生きて来たけど、按司様のような男は滅多にいないと言っておりました」
 サハチは首を傾げた。
「師兄はまさしく、不思議なお人ですよ」とンマムイが言った。
「俺は師兄に会う前、敵(かたき)だと狙っていました。ところが、実際に会ってみたら、敵どころか、尊敬すべき師兄でした。妻も師兄は不思議な人だと言っていました。マウミも師兄の息子に嫁ぐのなら幸せになれると安心しています」
「何を言っているんだ。おだてても何も出て来ないぞ」
 ナツがお茶を持って来た。
「おいしいお茶が出て来ましたよ」とンマムイは笑った。
 サハチはチヌムイと若ヌルから、シタルー(山南王)を討った時の詳しい様子を聞いた。
 話を聞いて、サハチは改めて二人を見た。弓矢の連射といい、抜刀術(ばっとうじゅつ)といい、二人は恐るべき腕を持っていた。タルムイ(豊見グスク按司)に捕まって、殺させるわけにはいかなかった。
 チヌムイは懐(ふところ)から書状を出してサハチに渡した。『島添大里按司殿へ 李白法師』と書いてあった。
李白法師(りはくほうし)とは誰だ?」とサハチは聞いた。
「父上です。隠居して、李白法師(りーばいほうし)と名乗りました」
「隠居した? 山南王ではないのか」
「山南王は辞めたようです」
「何だと?」とサハチは驚いて、ンマムイを見た。
 ンマムイはとぼけた顔をして、壁に飾ってある水墨画を眺めていた。
「父上は今、喜屋武(きゃん)グスクにいます」とチヌムイは言った。
「なに? 一体、どういう事なんだ?」
「そこに詳しく書いてあります」
 サハチは書状を開いて読んだ。
 世間を騒がせてしまってすまなかった。山南王になったが、やはり、天は許さなかった。山南王の座を降り、チヌムイとミカを連れて琉球を離れる事に決めた。島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスクには、摩文仁大主(まぶいうふぬし)(先代米須按司)、山グスク大主(先代真壁按司)、中座大主(なかざうふぬし)(先代玻名グスク按司)が残っているが、やがて撤収するだろう。妻や子供たちの事が心配だが、八重瀬グスクは敵兵に包囲されているのでどうする事もできない。今までお世話になって、これ以上望むのは僭越(せんえつ)だが、妻や子供たちの事をよろしく頼む。東方(あがりかた)の按司たちにも迷惑を掛けてしまった。長嶺(ながんみ)グスクから速やかに撤収してほしい。もし、摩文仁大主が戦を続けた場合、阿波根(あーぐん)グスクと保栄茂(ぶいむ)グスクを狙うだろう。阿波根グスクに長年住んでいたンマムイを味方に引き入れようとするかもしれない。ンマムイの妻は山北王(さんほくおう)の妹なので、山北王を味方に付けるために、強引に引き入れようとするかもしれない。充分に気を付けるようにと書いてあり、最後にお世話になったお礼が書いてあった。
「お前の父上はお前たちを連れて琉球を去るのか」とサハチはチヌムイに聞いた。
 チヌムイはうなづいた。
「どこに行くつもりなんだ?」
「キラマ(慶良間)には無人島があるらしいので、そこに行くと言っていました」
「キラマか‥‥‥」とサハチは言って、修行者たちのいるあの島にタブチたちを匿(かくま)おうかと思ったが、ふと久米島(くみじま)が浮かんだ。進貢船の正使を務めたタブチを、進貢船の中継地の久米島に送るのがいいような気がした。久米島の長老たちをうまくまとめて按司になるのもいいし、按司にならなくても、チヌムイと若ヌルの武芸は島の者たちのためになるだろう。
久米島に行くように、父上に伝えろ」とサハチはチヌムイに言った。
久米島?」
「そう言えばわかるよ」とサハチは笑った。
久米島か。あそこはいい島だぞ」とンマムイはチヌムイに言った。
「お前の事も書いてあったぞ」とサハチはンマムイに言った。
摩文仁大主がお前を味方に引き入れようとするそうだ」
「叔父上が俺を味方に?」
「そうか。摩文仁大主はお前の叔父か」
「親父(武寧)が殺されたあと、瀬長按司(しながあじ)と一緒に何度か会って、親父の敵討ちの相談をした事があります。摩文仁大主はあまり乗り気ではありませんでした。中山王(ちゅうざんおう)よりも山南王の座を狙っているような気がしました。摩文仁大主の奥さんは山南王の妹だったのです。祖父(汪英紫)に奪われたのが悔しくて、とりあえずは叔父の八重瀬按司(タブチ)を山南王にして、その後、山南王の座を叔父から奪い取ろうとしていたような気がします」
摩文仁大主がそんな事をたくらんでいたのか」
「今回、八重瀬の叔父が出て行ったので、山南王になるかもしれません。それと、久高島参詣(くだかじまさんけい)の中山王を襲撃した俺の弟のイシムイを密かに援助しているようです」
「なに、イシムイとつながっているのか。イシムイは今、どこにいるんだ?」
「俺は知りませんが、摩文仁大主と瀬長按司は知っていると思います。浦添(うらしい)グスクが焼け落ちた時、イシムイは我如古大主(がにくうふぬし)の娘に会いに行っていて助かったのです。あいつは我如古の山の中で、百人の兵を鍛えて、中山王を襲ったのです。襲撃に失敗して、どこかに逃げたようですが、どこに逃げたのか俺は知りません」
「あの時、ウニタキ(三星大親)が追って行ったんだがヤンバル(琉球北部)まで逃げたようだった。その後もウニタキは探しているが、まだ見つかっていない」
今帰仁(なきじん)には行っていないようです。多分、読谷山(ゆんたんじゃ)の多幸山(たこーやま)辺りに潜んでいるのではないかと思います」
「多幸山か‥‥‥我如古の娘は我如古にいるのか」
「いないようです。イシムイと一緒にいるようです。もしかしたら、摩文仁大主はイシムイを呼ぶかもしれません」
「イシムイとはどんな奴なんだ?」
「あいつは俺より三つ年下の弟で、俺みたいにフラフラしていないで、書物を読むのが好きな静かな男でした。明国や朝鮮(チョソン)に行った時、何冊か書物を買ってきてやったら、あいつは物凄く喜んでくれました。あいつの婚礼は盛大でした。琉球中の按司が集まったのです。師兄も浦添に行ったのではありませんか」
 サハチは思い出した。初めて、浦添グスクに入った時だった。グスクの広さに驚いて、迷子にならないように必死に皆のあとについていた。一番末席だったので、花婿の顔は覚えていないが、あれがイシムイの婚礼だったのかとサハチは初めて知った。
「あんな盛大な婚礼に出たのは初めてだったよ」とサハチは言った。
「我如古大主の娘と出会ったのも書物が縁です。我如古大主は浦添グスクの書庫を管理していたのです。書庫にもない珍しい書物も我如古大主は持っていて、我如古大主が非番の時、あいつも一緒に我如古まで行っていたようです。久高島参詣の襲撃の前に久し振りに会いましたが、あいつはすっかり変わっていました。まるで、山賊のお頭のようでした。たった二年で、あれほど変わるなんて驚きましたよ。浦添にいた時、弓矢の稽古だけは親父に命じられて、嫌々ながらもやっていましたが、武芸なんかまるで興味のなかったあいつが、長い太刀を背中に背負っていましたよ。あいつは親父が殺された恨みよりも、書庫にあった大切な書物が燃えた事に腹を立てて、復讐を誓ったと言っていました」
「すべてとは言えんが、浦添グスクの書庫にあった書物は今、報恩寺(ほうおんじ)の書庫にあるはずだよ」
「えっ!」とンマムイは驚いた。
「ウニタキが運んだんだ。書物だけでなく、財宝もな」
「そうだったのですか。ウニタキ師兄が‥‥‥今でも、あいつが書物を読んでいるのかわかりませんが、それを知ったら喜ぶでしょう」
「話がそれてしまったが、摩文仁大主から声が掛かっても、決して動くなよ。お前が動けば、家族を巻き込む事になる。来年はマグルーとマウミの婚礼を挙げなくてはならんからな」
「わかりました。決して動きません」
 ンマムイはチヌムイとミカを連れて帰って行った。三人を見送るとサハチは首里に向かった。


 その頃、タブチは喜屋武グスク(後の具志川グスク)から海を眺めていた。いつまで見ていても飽きない眺めだった。
 山南王の座から降りたタブチは、八重瀬ヌルと島尻大里ヌルを連れて島尻大里グスクから喜屋武グスクに移っていた。ナーグスク大主(先代伊敷按司)も、わしも抜けると言って一緒に出て、ナーグスクに戻っていた。次男の喜屋武按司に頼んで、ブラゲー大主と連絡を取り、チヌムイとミカを呼んで、書状を持たせてンマムイのもとへ送ったのだった。
 明国への使者を引退したあと、ここで、のんびり暮らそうと思っていたのに、それはかなわぬ夢となってしまった。何事もなければ、今頃、チヌムイと一緒に進貢船に乗っていただろう。果てしなく広い明国を見たチヌムイが、敵討ちなんかやめて、新しい生き方を見つけてくれる事を願っていたが、手遅れになってしまった。
 済んだ事を悔やんでも仕方がないとタブチは首を振って、「一から出直しじゃ」と独り言をつぶやいた。
 ナーグスク大主が訪ねて来たと喜屋武按司が伝えた。タブチは会所に通すように言って屋敷に上がった。
 会所に行くと、ナーグスク大主はいたが、なんと頭を丸めていた。
「似合っておるぞ」とタブチは笑った。
 ナーグスク大主は坊主頭を撫でて、
「髪を剃ったら、何となく、すっきりした」と笑った。
「ちょっと、この辺りが涼しいがのう」とタブチは後頭部をたたいて笑った。
「倅の伊敷按司(いしきあじ)を説得したんじゃが、駄目じゃった」とナーグスク大主は力なく言った。
「奴は摩文仁大主の娘婿じゃからのう。すっかり嫁の尻に敷かれて、嫁の言いなりじゃ。美人(ちゅらー)なんじゃが、親父に似て気の強い女子(いなぐ)じゃ。摩文仁大主と一緒に戦って、必ず勝って、摩文仁大主を山南王にすると強気なんじゃよ。わしとナーグスク按司が動かなくても伊敷按司が参戦すれば、摩文仁大主が負けた時、わしら一族は皆殺しにされるじゃろう。わしもそなたと一緒に逃げようかと考えておるんじゃよ」
「何じゃと? すべてを捨てて逃げるというのか」
「殺されるよりもましじゃろう。実はのう、これは倅たちにも内緒なんじゃが、娘の伊敷ヌルがタルムイの子供を二人も産んでいるんじゃよ」
「何じゃと?」
 タブチは驚いて、ポカンとした顔で、ナーグスク大主を見ていた。
「わしもまったく知らなかったんじゃ。去年の暮れ、先代の伊敷ヌルが亡くなったんじゃが、亡くなる前に教えてくれたんじゃ。わしも驚いた。どうして隠していたのかと聞いたら、わしが山南王(シタルー)を毛嫌いしているから隠していたと言った。そして、若ヌルを責めないでくれと言った。神様のお導きで結ばれたのだから、いつか、必ずいい事が訪れるはずじゃと言ったんじゃよ」
「そなたの娘がタルムイとのう」と言ってタブチは信じられないと言った顔で首を振った。
「二人は一体、どこで出会ったんじゃ?」
「李仲按司(りーぢょんあじ)のグスクが完成した時、完成祝いと按司の就任の儀式があって、その手伝いに娘の若ヌルも伊敷ヌルと一緒に行ったんじゃ。その時は山南王もいたし、各地の按司たちもいたので、何もなかったようじゃ。次の日、若ヌルはなぜか、ナーグスクの近くの浜辺に行ったそうじゃ。そしたら、タルムイが海を見ていたというんじゃよ」
「何じゃと? どうして、タルムイがそんな所にいたんじゃ?」
「タルムイは前日に飲みすぎて李仲グスクに泊まったんじゃ。海風に当たろうと浜辺に行ったら、若ヌルがやって来たというわけじゃ。二人はそこで結ばれて、わしが明国に行っている留守に娘を産んだんじゃよ。明国から帰って来て、赤ん坊を抱いている若ヌルを見て、わしは驚いた。じゃが、嬉しくもあった。最初の孫じゃったからのう。相手は誰じゃと聞いたら、マレビト神じゃと言った。先代に聞いても相手は知らないと言った。跡継ぎが生まれてよかったと思って、わしは何も言わなかった。とにかく、可愛い孫娘だったんじゃよ。それから二年後、若ヌルのお腹が大きくなってきた。若ヌルはまたマレビト神だと言った。前の神様と同じ神様かと聞くと、そうだという。わしは近くにマレビト神がいるような気がして探してみたが、わからなかった。若ヌルと親しくしているような男はいなかったんじゃ。まさか、相手がタルムイだったなんて思いもしない事じゃった。それで、今回の戦もあまり乗り気じゃなかったんじゃよ。何とか理由を付けて抜け出したいと思っていたんじゃが、なかなか、うまい理由が見つからなかった。そなたが抜けると言ってくれたので、わしはホッとして一緒に抜け出して来たんじゃよ」
「伊敷ヌルをタルムイのもとに送るつもりなのか」
「わしはそのつもりだったんじゃが、ナーグスクを守ると言いおった。ここはタルムイとの思い出の場所なので、息子をここの按司にすると言ったんじゃよ」
「そうか。タルムイが山南王になれば、それも可能じゃろう」
「そうなってくれればいいが心配じゃ。もしもの時は舟に乗って逃げろとは言ったがのう」
 タブチはナーグスク大主と一緒に逃げる事に決めて、引き上げる準備を始めた。


 首里の龍天閣(りゅうてぃんかく)では、真武神(ジェンウーシェン)を彫っていた思紹(ししょう)(中山王)が、タブチが山南王の座から降りた事を知ると驚いて手を止め、サハチを見つめた。
「タブチが八重瀬ヌルと島尻大里ヌルを連れて、喜屋武グスクに行ったとウニタキから聞いていたが、単なる気分転換じゃろうと思っていた。まさか、山南王を辞めたとはのう。タブチが抜けたとなると状況も変わって来るな」
「長嶺グスクを攻めている東方の按司たちも撤収するようにとタブチは言っています」
「そうか。タブチがいなくなれば、攻める理由もなくなるか。しかし、長嶺グスクの攻撃をやめたとしても、八重瀬グスクを攻めているタルムイの兵は引かんじゃろうな」
 サハチはうなづいて、タブチの書状を思紹に見せた。思紹は書状を読むと、「戦評定(いくさひょうじょう)じゃ」と言って、みんなを招集した。
 一時(いっとき)(二時間)後、マチルギ、馬天(ばてぃん)ヌル、苗代大親(なーしるうふや)、奥間大親(うくまうふや)、ヒューガ(日向大親)、ウニタキ、ファイチ(懐機)、サタルーが顔を揃えて、戦評定が始まった。
「山南王のタブチが抜けたのに、まだやるつもりなのか」とヒューガが聞いた。
摩文仁大主か山南王になるようです」とウニタキが答えた。
「なに、摩文仁大主が山南王に?」と皆が驚いて、ウニタキを見た。
摩文仁大主は山南王妃の兄です。先代の山南王の義兄なのです。妻は初代の山南王(承察度)の妹です。資格は充分にあるとして重臣たちも認めたようです。今、残っている重臣は三人しかいませんがね」
「勝てると思っているのか」と苗代大親が聞いた。
「島尻大里グスクを抑えている限り、勝ち目はありと考えているようです」
「タブチがいなくなったので、東方の按司たちは長嶺グスクから撤収しようと思っています」とサハチは言った。
「長嶺按司がまた出て来ますね」とファイチが言った。
「八重瀬グスクが包囲されてから、もうすぐ一か月になるわ。山南王妃の兵を八重瀬から引かせる事はできないかしら」とマチルギが言った。
「チヌムイが目当てだからな。チヌムイを渡さない限り撤収しないだろう」
「チヌムイは喜屋武グスクにいると言ったらどうかしら?」
「言っても信じないかもしれんが、喜屋武グスクを攻めようとするかもしれんな」とサハチが言うと、
「そいつは無理じゃろう」と苗代大親が言って、絵地図を見た。
「喜屋武グスクは最南端じゃ。そこを攻めるには、島尻大里グスクを迂回したとしても伊敷グスク、真壁(まかび)グスク、波平(はんじゃ)グスク、山グスクを落とさなければ近づけまい」
「海から攻められませんか」とサハチは聞いた。
「無理じゃな」とヒューガが言った。
「あの辺りは絶壁が続いている。上陸できる場所は限られていて、どこから上陸しても、上から狙い撃ちされるじゃろう」
「タブチも凄い所にグスクを築いたのう」と思紹は感心して、
「タブチは船を持っているのか」とウニタキに聞いた。
「ヤマトゥ(日本)船が欲しいと言っていましたが、まだ手に入れてはいないようです。小舟(さぶに)を何艘か持っているだけです」
「小舟で逃げるつもりなのか」
「いえ、ブラゲー大主の船があります」
「成程。それなら大丈夫じゃな」
「東方です」と絵地図をじっと見ていたファイチが言った。
「東方がどうかしたのか」と思紹がファイチに聞いた。
「八重瀬、具志頭(ぐしちゃん)、玻名(はな)グスク、米須(くみし)、山グスク、ナーグスクは皆、東方の者たちです。反乱を起こした東方の按司たちを東方の按司たちが退治するという形にして、それらのグスクを攻め取るのです」
「東方の問題を東方の者たちが解決するというのじゃな」とヒューガが言った。
「そうです」とファイチはうなづいて、「中山王はまだ介入はしません」と言った。
「東方の者たちだけで、それらのグスクが落とせるかのう」と思紹が言った。
「今、長嶺グスクにいる五百の兵で、一つづつ落として行けばいいのです。まずは八重瀬グスクです。タブチが山南王の座から降りた事を知らせれば、降伏してグスクを明け渡すでしょう」
「八重瀬グスクは敵兵に囲まれているぞ」と苗代大親が言った。
「山南王妃に、タブチとチヌムイが喜屋武グスクにいる事を伝えて、騒ぎを起こしている東方の按司たちは、長嶺グスクを包囲している東方の按司たちが退治するので、八重瀬グスクから撤収して、島尻大里グスク攻めに専念してほしいと言うのです」
「山南王妃がそれで手を打ってくれるかのう」と思紹は首を傾げた。
「長嶺グスクから東方の按司たちが撤収すれば、山南王妃も手を打ってくれると思いますが」
「長嶺から撤収した兵を新(あら)グスクに移動させたらどうでしょう」とサハチが言った。
「それじゃ」と思紹が手を打った。
「挟み撃ちにされると思って、八重瀬の包囲陣を解くかもしれんな」
「撤収しなかったら、八重瀬は後回しにして、具志頭グスクを攻めましょう」とファイチが言った。
「あそこは按司が戦死して、先々代の奥方様(うなじゃら)が守っている。奥方様はマチルギの弟子だ。マチルギが話せば、グスクを明け渡すだろう」とサハチは言った。
 マチルギはうなづいて、「任せて」と言った。
「わたしも具志頭ヌルを説得するわ」と馬天ヌルが言った。
「次は玻名グスクじゃな」と苗代大親が言った。
「玻名グスク按司の妻は山グスク大主の娘です。かなりの抵抗を受けるでしょう」とウニタキが言った。
「玻名グスクと具志頭グスクじゃが、どうして、あんな近くに二つのグスクがあるんじゃ?」と思紹がウニタキに聞いた。
「地元の古老の話だと、具志頭グスクの方が古いようです。昔、玉グスクと島尻大里が争っていた時期があって、島尻大里按司が玉グスク側の具志頭グスクに対抗するために玻名グスクを築いたようです」
「すると、昔は敵同士だったわけじゃな」
「そのようです。玉グスク側の浦添按司の西威(せいい)が察度(さとぅ)に滅ぼされて、玉グスク側の八重瀬按司汪英紫(おーえーじ)に滅ぼされてからは、玻名グスクも具志頭も汪英紫に従うようになったようです」
「成程のう。玻名グスクには配下の者はおるのか」
 ウニタキは首を振った。
「米須の『まるずや』の行商人が時々、顔を出す程度です」
「そうか。あのグスクは大きいからのう。そう簡単には落とせまい」
「玻名グスクの城下には古くから奥間の鍛冶屋(かんじゃー)が数多くいます」と奥間大親が言った。
「先々代の玻名グスク按司が農具を作るために鍛冶屋を集めたのです。先代の中座大主も鍛冶屋を保護したので、按司に信頼されている鍛冶屋が多くいます」
 思紹は嬉しそうにうなづいて、「それは使えるな。うまく行くように運んでくれ」と奥間大親とサタルーに言った。
「今なら玻名グスクも油断しているかもしれません」とウニタキが言った。
「東方の按司たちは長嶺グスクを攻めているので、玻名グスクには来ないと安心しているでしょう。グスク内に潜入できるかもしれません。そして、島尻大里から避難して来たと行って城下にも配下の者を入れましょう」
「頼むぞ。奥間の者たちとうまくやってくれ」と思紹はウニタキに言った。
 ウニタキは奥間大親とサタルーを見てうなづいた。
「次は中座グスクか」と苗代大親が言った。
「中座グスクはまだ完成していません。摩文仁グスクもです。屋敷があるだけで、石垣はありません」とウニタキは言った。
「その石垣はどこの石屋が造るんだ?」とサハチはウニタキに聞いた。
「島尻大里にいる親方のテサンだよ」
「シタルーがよく許可したな」
「グスクの縄張り図を提出させる事を条件に許可したのだろう。奴らは職人だから仕事がなければ稼げんからな。たとえ、中山王に寝返った奴らのグスクだろうと稼ぎになれば動くのだろう。だが、山南王が急に亡くなったので、石垣の普請は中断されたままになっている」
「中座グスクと摩文仁グスクは放っておいて、次は米須グスクじゃな」と苗代大親が言った。
「米須の若按司の妻はクマヌ(先代中グスク按司)の孫娘じゃ。若按司夫婦を何とか助け出して、米須按司を継がせよう」と思紹が言った。
「うまい具合に米須按司が兵を引き連れて出陣して行けば、留守を守っているのは若按司じゃ。説得すれば何とかなりそうじゃな」とヒューガが言った。
「米須按司は今、島尻大里グスクにいます」とウニタキが言った。
摩文仁大主は山南王になって、王妃として妻を、世子(せいし)として米須按司を呼びました。娘の米須ヌルも呼んで、島尻大里ヌルを継がせました。今、米須グスクにいるのは次男の摩文仁按司と若按司です」
「すると、摩文仁按司をおびき出せばいいんじゃな」と苗代大親が言った。
「米須グスクにも配下の者を潜入させてくれ」と思紹はウニタキに頼んだ。
 ウニタキはうなづいて、「面白くなってきましたね」と笑った。
「玻名グスク、米須、真壁、伊敷、喜屋武、ナーグスク、山グスク、すべてのグスクに配下の者を潜入させます」
「頼むぞ」と思紹は厳しい顔付きで言って、ニヤッと笑った。

 

 

 

摩利支天の風 若き日の北条幻庵

2-129.タブチの反撃(改訂決定稿)

 照屋大親(てぃらうふや)と糸満大親(いちまんうふや)の裏切りで、進貢船(しんくんしん)をタルムイ(豊見グスク按司)に奪われた事を知ったタブチ(先代八重瀬按司)は物凄い剣幕で腹を立てた。
「なぜじゃ。なぜ、あの二人が寝返ったのじゃ?」
「照屋大親糸満大親も初代の山南王(さんなんおう)(承察度)からの重臣じゃ。山南王が入れ替わっても、二人で糸満の港を守って来たんじゃ。裏切る事などあるまいと思っていたんじゃがのう」と山グスク大主(先代真壁按司)は苦虫をかみ殺したような顔で首を振った。
「まったく許せん事じゃ」と摩文仁大主(まぶいうふぬし)(先代米須按司)も怒りに満ちた顔付きで怒鳴った。
「あの二人にとっては、何をおいても交易が一番なんじゃろう。王妃様(うふぃー)が王印を持って行ったので、王妃様に寝返ったに違いない」
「王印か‥‥‥」とタブチは渋い顔をした。
 弟の惨めな死に様を見て、チヌムイを助けるためと弟に詫びるために、命を捨ててここに来たのが間違いだった。エータルーが言ったように、兵を率いて、ここに来て、山南王になると宣言すればよかったのだ。そうすれば、王印は王妃に奪われる前に、ちゃんと確認したはずだった。カニーと侍女たちは豊見(とぅゆみ)グスクに潜り込む事に成功したが、そう簡単には奪えないだろう。
 重臣の波平大親(はんじゃうふや)が顔を出して、大(うふ)グスクからの知らせで、敵兵六百人が照屋グスクと糸満グスクを守るための陣地を造っていると知らせた。
「六百じゃと?」とタブチは驚いた。
「長嶺按司(ながんみあじ)の兵がグスクに閉じ込められて、瀬長按司(しながあじ)と兼(かに)グスク按司が八重瀬(えーじ)グスクを攻めているのに、どうして、そんなにも兵がいるんじゃ」
「亡くなられた王様(うしゅがなしめー)は密かに兵を育てておりました。その兵が敵に加わったものかと思われます」
「どうして、その兵をこっちに呼ばなかったのじゃ」
「それがどこなのか、わしら重臣たちも知りません。王妃様は知っていたようです」
「何てこった。その兵というのは何人おるんじゃ」
「正確にはわかりませんが、五百はいるかと」
「シタルーは重臣たちにも内緒で兵を育てていたのか。くそったれが」
「今後の対策を練りますので、皆様方に集まってもらいたいとの事です」
 タブチたちは波平大親に従って、北の御殿(にしぬうどぅん)の重臣たちの執務室に行った。長卓(ながたく)には新垣大親(あらかきうふや)と真栄里大親(めーざとぅうふや)の二人しかいなかった。
 重臣たちは八人いた。糸満川以北に本拠地を持つ賀数大親(かかじうふや)と兼グスク大親は出て行き、照屋大親糸満大親は寝返った。残るは四人のはずだった。
「あと一人はどうした?」とタブチは重臣たちに聞いた。
「国吉大親(くにしうふや)は照屋大親が寝返ったと聞いて、国吉グスクが危ないと言って飛び出して行った」と新垣大親が言った。
「照屋グスクが敵になって、国吉グスクはわしらの最前線のグスクとなったわけじゃが、国吉大親はグスクを守るために行ったんじゃない。今頃はもう寝返っているじゃろう」
「何じゃと?」と摩文仁大主が怒鳴った。
「国吉大親の奥方は照屋大親の娘なんじゃよ」と真栄里大親が言った。
「それに国吉大親の父親は照屋大親のお陰で重臣になれたんじゃよ。照屋大親を裏切る事はできまい」
 タブチの父、汪英紫(おーえーじ)が山南王になる時、先々代の国吉大親は与座按司(ゆざあじ)と一緒に最後まで抵抗して戦死した。サムレー大将だった弟も戦死して、国吉グスクを守っていた三男は照屋大親のお陰で、国吉大親を継いだ。すでに、今の国吉大親に娘が嫁いでいたので、兄たちに従うなと言って助けたのだった。
「何で、止めなかったんじゃ」とタブチが言った。
「照屋大親糸満大親の裏切りを知って呆然としていたんじゃよ」と真栄里大親が言った。
「とても信じられなかったんじゃ。奴が国吉グスクが危ないと言った時、確かにそうじゃと思って送り出したんじゃ。あとになってから、奴が照屋大親の娘婿だって気づいたんじゃよ。照屋大親とつながっているのは国吉大親だけではないからのう。新垣大親殿の長男の妻も照屋大親の娘だし、糸満大親の長男の妻も、賀数大親の長男の妻も照屋大親の娘なんじゃ。重臣の中でも最も力を持っていた照屋大親と誰もが姻戚関係になろうとしていたんじゃよ」
「ふん」とタブチは鼻で笑って、椅子に腰を下ろした。
 四人の御隠居(ぐいんちゅ)たちも椅子に座って、三人の重臣たちと向き合った。
「わしは殺される覚悟でここに来た。ところが、重臣たちは、わしに山南王になってくれと言った。わしはその言葉を信じて、山南王になる決心を固めた。それがどうじゃ。今、ここに残っている重臣はたったの三人じゃ。どうなって、こうなったのかを説明してもらおうか」とタブチは言った。
「そなたが先代の王様の遺体と一緒にここに来た時、わしは重臣たちにその事を伝えた。捕まる覚悟で来た事もな」と新垣大親が言った。
重臣たちの答えは、そなたを捕まえて、豊見グスク按司に跡を継いでもらおうというものじゃとわしは思っていた。だが、わしは何とかして、そなたを助けたいと思った。そして、長男が跡を継ぐべきじゃと言ったんじゃよ。チヌムイの母親が殺される前の正常な状態に戻すべきじゃと言ったんじゃ。そしたら、重臣たちのほとんどが、それがいいと賛同したんじゃよ」
「真栄里大親殿も賛同したのですか」とタブチは聞いた。
「賛同しました」と真栄里大親は言った。
「わしにも三人の倅がおりまして、家督争いをさせたくはなかったんじゃ。それに、豊見グスク按司はまだ若いし、山南王になるための修行もしておらん。突然、ここに来ても山南王は務まらんと思ったんじゃ。それに比べて、八重瀬殿は何度も明国(みんこく)に行っているし、中山王(ちゅうざんおう)の正使も務めておられる。誰もが、山南王にふさわしいと思ったんじゃ」
「それに東方(あがりかた)の事もあるのです」と波平大親が言った。
「東方の按司たちは山南王に敵対していました。八重瀬殿が山南王になれば、東方も従って、山南王の領内は以前よりも広くなると思ったのです。現に、東方の按司たちは八重瀬殿の命令に従って、長嶺グスクを攻めています。このまま、八重瀬殿が山南王になれば、すべてがうまく行くと誰もが思っていました」
「それなのに、どこで狂ったのじゃ?」
「王妃様じゃろう」と新垣大親が言った。
「王妃様が王印を持って豊見グスクに行った事で、すべてが狂ってしまったんじゃ」
「照屋大親は裏切り者が出て、王妃様にすべてを話した者がいると言っておったが、それは誰だったんじゃ」
「わからん」と新垣大親が言って、真栄里大親と波平大親は首を振った。
「早くに寝返った兼グスク大親と賀数大親が怪しいが、今思えば照屋大親だったのかもしれん」
「八重瀬殿を山南王にしようと決めていた時、この部屋から出て行った者がおるじゃろう。そいつが王妃様に知らせたんじゃ」と摩文仁大主が言った。
「評定(ひょうじょう)の最中、少し頭を冷やして、冷静になって考えようと照屋大親が言って、四半時(しはんとき)(三十分)ほど休憩したんじゃ。王様の突然の死を知って、皆、動転しておったからのう。頭を冷やす必要があったんじゃ。あの時、王妃様に会おうとすれば、誰でも会う事はできたはずじゃ」
「照屋大親が怪しいのう。裏切り者がいると言っておったが、自分が裏切り者だったのかもしれん」と真栄里大親が言った。
「でも、照屋大親殿も王妃様が王印を持ち出した事にはかなり驚いていました。その事は知らなかったようです」と波平大親が言った。
「すると、王印が王妃様のもとにある事を知ってから、照屋大親糸満大親は寝返る決心をしたんじゃな」とタブチは言った。
「そうかもしれん」と新垣大親がうなづいた。
「照屋大親はどうやって、王妃様と連絡を取ったんじゃ。進貢船を奪い取って寝返る事を、どうやって王妃様に知らせたんじゃ」
「それは石屋のテハに頼んだんじゃろう」と新垣大親が言った。
「当然、書状のやり取りがあったと思うが、その事をテハはそなたたちに黙っていたのか」
「照屋大親が口止め料を弾んだんじゃろう」
 テハから詳しい話を聞こうと波平大親がテハを探しに行ったが、見つからなかった。
「いつもはどうやって、テハを呼んでいたんじゃ」とタブチが波平大親に聞いた。
「テハの配下の者が侍女の中にいて、いつも控えているのですが、なぜか、今日は見当たりません」
「ふん。そいつはわしらの話を聞いて、逃げて行ったんじゃろう。きっと、テハの奴も王妃様の回し者じゃ。何もかも王妃様に奪われておる。王印を奪われ、進貢船も奪われ、糸満の港も奪われた。この先、どうやったら勝てるんじゃ」
「弱音を吐いてどうするんじゃ。戦はまだ始まったばかりじゃ」と山グスク大主が気楽な顔で言った。
「王印と進貢船は奪われても、山南王の居城である島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスクはわしらのものじゃ。ここの主(あるじ)が山南王なんじゃよ。総攻撃を掛けて、豊見グスクを攻め落としてしまえばいい。敵は今、手に入れた糸満の港を守るために六百の兵を出して陣地造りに精を出している。本拠地の豊見グスクは手薄のはずじゃ。六百の兵に気づかれんように迂回して豊見グスクに向かって、総攻撃を掛けるんじゃ」
「おう、それがいい」と摩文仁大主が賛成して、絵地図を広げた。
 島尻大里から豊見グスクまで、迂回したとしても三里(十二キロ)はない。一時半(いっときはん)(三時間)もあれば行ける。夜のうちに移動して、饒波(ぬふぁ)橋辺りに待機して、早朝に攻め込めばいいと決まった。
 翌日、タブチは山南王として領内の按司たちを島尻大里グスクに集めた。以前に言っていたように、タブチの次男の喜屋武大親(きゃんうふや)は喜屋武按司に、三男の新(あら)グスク大親は新グスク按司に昇格した。同じように摩文仁大主の次男は摩文仁按司(まぶいあじ)となり、山グスク大主の次男は山グスク按司、ナーグスク大主(先代伊敷按司)の次男はナーグスク按司、中座大主(なかざうふぬし)(先代玻名グスク按司)の次男は中座按司になった。山南王の重臣だった新垣大親、真栄里大親、波平大親の三人にも按司を名乗らせた。そして、新たな重臣として、摩文仁大主、山グスク大主、ナーグスク大主、中座大主、新垣按司、真栄里按司、波平按司の七人を任命した。
 集まった按司は、重臣たちを除いて、米須按司(くみしあじ)と摩文仁按司の兄弟、真壁按司(まかびあじ)と山グスク按司の兄弟、伊敷按司(いしきあじ)とナーグスク按司の兄弟、玻名(はな)グスク按司と中座按司の兄弟、与座按司(ゆざあじ)、具志頭按司(ぐしちゃんあじ)、李仲(りーぢょん)若按司、喜屋武按司だった。タブチの次男の新グスク按司は八重瀬グスクを包囲している敵陣の後方攪乱(かくらん)のため、今回は参加しなかった。
 李仲若按司の妻は波平按司の娘だった。明国から帰って来た父が豊見グスクにいるので、父の事を心配しながら作戦を聞いていた。
「心配するな。お前の親父は必ず助け出す」と新垣按司が李仲若按司に言った。
「お前の親父にも重臣になってもらって、新しい山南王を助けてもらう」
 李仲若按司は微かに笑ってうなづいた。
 作戦を頭に入れた按司たちは本拠地に帰って戦仕度を始め、その夜、思い思いの変装をして、武器や鎧(よろい)は荷車で運び、饒波橋に向かった。天が味方をしているとみえて、満月が煌々(こうこう)と輝き、夜道を照らしてくれた。集まった八百人の兵たちは橋の周辺の草むらに身を隠して、夜が明けるのを待った。
 総大将は新垣按司だった。シタルーが山南王になるまで、サムレー大将として活躍していたし、最年長なので、按司たちも命令に従うはずだった。真栄里按司もサムレー大将から重臣になったので、副大将として出陣した。隠居した四人の重臣と波平按司は島尻大里グスクに残った。タブチも摩文仁大主も山グスク大主も大将として出陣したかったのだが、山南王が自ら行くべきではないし、隠居したからには倅たちに任せようと自分に言い聞かせて、勝利の知らせを待つ事にした。
 翌日の早朝、武装した兵たちは饒波川に沿って豊見グスクに向かった。
 豊見グスクは静まり帰っていた。櫓門(やぐらもん)の上にも石垣の上にも見張りの兵の姿はなかった。敵の攻撃などあるまいと安心しきっているようだ。
 前もって決めておいた位置に兵たちが配置につくと、新垣按司は総攻撃の合図の旗を振った。敵が守りを固めていたら火矢の攻撃から始め、敵が油断していたら弓矢は使わずに、石垣に取り付いてグスク内に侵入しろと決めてあった。火矢の場合は法螺貝(ほらがい)、石垣の場合は旗で合図を送る事になっていた。
 合図を見ると兵たちは梯子(はしご)を担いで石垣へと走った。あともう少しで石垣に届くと思った時、突然、石垣の上に敵兵がずらりと現れた。弓矢と石つぶてが雨のように降り注いで、兵たちが次々に倒れていった。
「引けー! 引け-!」と新垣按司は叫んだ。
「くそっ、はめられた。敵はわしらの攻撃を知っていた。裏切り者がいるに違いない」
 新垣按司は火矢を射るように命じた。
 味方の兵が楯を並べて、弓矢と石つぶてを防ぐと敵の攻撃もやんだ。
 火矢は次々とグスク内に撃たれるが、距離が遠いので威力はなく、敵に防がれて効果はなかった。
 石垣の周辺に苦しんでいる兵が何人も倒れていたが、回収する事もできなかった。ざっと見た所、百人近くの兵がやられたようだった。
 北御門(にしうじょう)を攻めていた真栄里按司が馬に乗ってやって来た。
「敵はわしらの攻撃を知っていた。いつまでもここにいたら挟み撃ちにされるぞ」と真栄里按司が馬から下りると言った。
「わかっている」と新垣按司は言った。
「具志頭按司が潜入に成功するかもしれん。火の手が上がるのをもう少し待とう」
 真栄里按司は、厳しい顔付きの新垣按司を見つめながらうなづいた。
 島尻大里の城下にいる石屋の親方のテサンは、豊見グスクを造っていて、抜け穴がある事を知っていた。天の助けだとタブチも重臣たちも喜んだ。抜け穴から潜入して、屋敷に火を掛け、敵が混乱している中、御門を内側から開けて、総攻撃を掛ける。多少の犠牲は出るかもしれないが、豊見グスクは落ちたも同然だった。
 誰が抜け穴を行くかを決める時、希望者が殺到したので籤(くじ)引きをして、具志頭按司が当たったのだった。具志頭按司は張り切って、五十人の兵を引き連れて抜け穴に入って行った。見事に落とす事ができれば、豊見グスクが自分のものになるかもしれないと夢を抱いていた。
 半時(はんとき)(一時間)が過ぎても、グスクから火の手は上がらなかった。
「物見の者から照屋にいた敵兵がこちらに向かっているとの知らせが入ったぞ。早く、撤退した方がいい」と真栄里按司が言った。
 新垣按司はグスクを見上げたままうなづき、「撤収じゃ」と叫んで、合図の法螺貝を鳴らせた。
 新垣按司は撤退する時に城下の家々に火を掛けさせたが、その事を予見していたのか、消火活動も早く、数軒の家が焼けただけで火は消えた。
 帰って来た新垣按司を迎えたタブチは、「王印は手に入れたか」と聞いたが、新垣大親は首を振った。
「なに、失敗したのか」
「裏切り者がいるんじゃよ。わしらの作戦はすべて敵に筒抜けじゃった。抜け穴を行った具志頭按司待ち伏せを食らって全滅したじゃろう」
「何という事じゃ。一体、誰が裏切ったのじゃ」
「テハの配下の者がグスク内におるんじゃよ。侍女やサムレー、城女(ぐすくんちゅ)の中にいるに違いない」
「くそっ!」とタブチは拳(こぶし)を握りしめて怒りを抑えていた。
「損害はどれくらいじゃ」とタブチは聞いた。
「二百近いかもしれんな。撤収する時にも敵の追撃に遭って、数十人がやられている」
「二百か‥‥‥」
 タブチは首を振ると溜め息をついて、島尻御殿(しまじりうどぅん)の二階に向かった。
 山南王の執務室で八重瀬ヌルと島尻大里ヌルが待っていた。タブチは妹たちを見て、二人が一緒にいるのを久し振りに見たような気がした。
「だめだったのね」と八重瀬ヌルが言った。
「石屋のテハにやられたようじゃ」とタブチは力なく言った。
「突然に湧いた話はうまくは行かん。二百人もの兵を死なせてしまった。具志頭按司も戦死したんじゃ」
「えっ、ヤフスの息子が戦死したの?」
「せっかく、具志頭按司になれたのに、戦死してしまったんじゃ。可哀想な事をしてしまった」
「そう」と言って八重瀬ヌルは両手を合わせた。
 島尻大里ヌルも両手を合わせて、具志頭按司の冥福を祈り、タブチも両手を合わせた。
「跡継ぎはまだ幼いわね」と八重瀬ヌルが言った。
 島尻大里ヌルはまだお祈りを続けていた。
「三人の子がいるが、長男はまだ十歳くらいじゃろう」
「先々代の奥方様(うなじゃら)(ナカー)がいるから大丈夫よ」
「そうじゃな」とタブチは力なくうなづいた。
「その刀なんだけどね」と八重瀬ヌルがタブチが腰に差している刀を示した。
「やっぱり、察度(さとぅ)(先々代中山王)の御神刀(ぐしんとう)なのよ。察度はその御神刀のお陰で中山王になったわ。そして、父に贈って、父は山南王になった。父が山南王になったのも察度のためだったのよ。察度の跡を継いだ武寧(ぶねい)を守ってもらうために、察度は父を選んで、その刀を贈ったのよ。現に父は武寧とうまくやっていたわ。武寧が亡くなってしまって、その刀は眠りについたけど、お兄さんのお陰で目を覚まして、察度のために働き出したのよ」
「なに? どういう意味じゃ?」
「中山王の武寧は滅ぼされて、跡継ぎも殺されたわ。今、察度の孫が山南王になろうとしている。それを助けているのよ」
「察度の孫? タルムイの事か」
 八重瀬ヌルはうなづいた。
「そんな事、信じられん。タルムイを山南王にするなら、わしを殺せば済む事じゃろう」
「タルムイに試練を与えているのよ。豊見グスクからここに移って来て山南王になったとしても、何も知らないタルムイは重臣たちに操られるだけだわ。戦という試練を与えて、誰が自分に忠実な重臣なのかを悟らせているのよ」
「何じゃと‥‥‥わしはタルムイを成長させるために山南王になったというのか」
「その御神刀には察度の魂が宿っているわ。察度が願う通りに事は起こるのよ」
「何てこった。わしは察度に踊らされていたのか」
 タブチは腰から刀をはずすと、刀掛けに置いてある自分の刀と交換した。
「お兄さんが腰からはずしたとしても、御神刀はタルムイを助けるでしょう。タルムイが山南王になるまで眠りにはつかないわ」
「わしはどうしたらいいんじゃ?」
「タルムイが山南王になれば、チヌムイは勿論の事、お兄さんの一族は滅ぼされるわ。生き延びるためには、琉球から出て行くしかないわ。どこか遠くの島に逃げるしかないのよ」
 タブチは溜め息をついた。
「逃げるしかないのか‥‥‥」
 波平按司がタブチを迎えに来た。
 タブチはお祈りを続けている島尻大里ヌルと御神刀を見つめている八重瀬ヌルを見てから、北の御殿に向かった。
 重臣たちは暗い顔付きで、タブチを待っていた。
「ここで話した事はすべて敵に筒抜けじゃぞ」とタブチは言った。
「確かに」と新垣按司が言って、部屋の中を見回した。
 テハの配下がどこかに隠れて話を聞いているはずだった。
「ここにいたら息が詰まる。外に出よう」
 タブチは重臣たちと一緒に御庭(うなー)に出た。
 御庭は首里(すい)グスクと同じように、島尻御殿、北の御殿、南の御殿(ふぇーぬうどぅん)に囲まれていて、正面には高い石垣があって、その中央に御門(うじょう)があった。
 御庭の中央に床几(しょうぎ)を円形に並べて、タブチたちは顔をつき合わせて今後の対策を練った。
「豊見グスク攻めは失敗に終わった。次は照屋グスクでも攻めるか」とタブチは言った。
「まず、王印を奪い取らなければならん」と摩文仁大主が言った。
「王印が手に入れば、照屋大親糸満大親は戻って来る」
「戻って来たら迎え入れるのか」とタブチが聞くと、
「長年、交易に携わってきた照屋大親は必要じゃ」と新垣按司は言った。
「よく考えたんじゃが、わしはこの辺でやめた方がいいと思う」とタブチは言った。
「何じゃと?」と摩文仁大主がタブチを見た。
 ほかの重臣たちは口をぽかんと開けて、タブチを見ていた。
「最初から無理な話だったんじゃ。わしはチヌムイを連れて琉球から逃げる。そなたたちもこのグスクを明け渡した方がいい。わしに踊らされたとわしのせいにすればいい。わしがいなくなれば戦も治まるじゃろう」
「今更、何を言っているんじゃ」と山グスク按司が怒った顔でタブチに詰め寄った。
「そなたたちを誘った事は謝る。すまなかった。そなたたちは隠居の身じゃ。グスクに戻って、頭を丸めて謹慎していれば許されるじゃろう」
「馬鹿な事を言うな。まだ、諦めるのは早い」と中座大主がタブチの膝をたたいた。
「ほんの短い間じゃったが、わしは山南王になれた。もう何も悔いはない。残りの余生はどこかの無人島で釣りでも楽しみながら暮らすつもりじゃ」
 タブチは力なく笑うと立ち上がった。
「ありがとう」とタブチは皆にお礼を言うと御庭から立ち去った。
「ちょっと待ってくれ」とナーグスク大主があとを追って行った。
 残った六人の重臣たちはタブチとナーグスク大主が消えて行った島尻御殿を呆然とした顔付きで眺めていた。
「去る者は追わずじゃ」と摩文仁大主が言った。
「どうするんじゃ。わしらも引き上げるのか」と山グスク大主が聞いた。
「タブチは簡単にああ言うが、タルムイはわしたちを許すまい。わしらは皆、殺されるじゃろう」
「わしらも逃げるしかないのか」と中座大主が聞いた。
「逃げるか、それとも、戦って勝つかじゃ」
「勝つ? 山南王がいなくなったのに、どうやって勝てるというのじゃ」
「そなた、わしを誰だか忘れたのか」と摩文仁大主は言って、皆の顔を見回した。
「あっ!」と山グスク大主が摩文仁大主を見つめた。
「忘れておった。そなたは王妃様の兄じゃった」
「そうじゃ。わしは王妃様の兄で、亡くなった山南王の義兄じゃ。義兄が山南王になってもかまうまい」
 皆が驚いた顔で、摩文仁大主を見つめていた。

 

 

 

天明三年浅間大焼 鎌原村大変日記