長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

2-196.奥間のミワ(改訂決定稿)

 六月十二日、ササ(運玉森ヌル)たちは愛洲(あいす)ジルーの船に乗ってヤマトゥ(日本)に行った。
 島添大里(しましいうふざとぅ)グスクで安須森(あしむい)ヌル(先代佐敷ヌル)の帰国祝いとタキドゥン按司たちの歓迎の宴(うたげ)を開いた次の日の夕方、ササたちがアンアン(トンドの王女)たちを連れて島添大里グスクにやって来た。ササは『瀬織津姫(せおりつひめ)様』のガーラダマ(勾玉)を手に入れたと言って大喜びしていた。その夜、ササたちの帰国祝いとアンアンたちの歓迎の宴を開いて、サハチ(中山王世子、島添大里按司)はササから瀬織津姫様の事を聞いた。
 千五百年も前の神様の事を調べるためにヤマトゥに行くなんて、サハチには信じられなかった。
豊玉姫(とよたまひめ)様でさえ聞いた事もない瀬織津姫様の声がお前に聞こえるのか」とサハチが聞くと、ササはガーラダマを見せて、「これがあれば聞こえるわ」と自信たっぷりに言った。
 サハチが見た所、古いガーラダマだという事はわかるが、馬天(ばてぃん)ヌルのガーラダマより小さいし、特別な物とは思えなかった。
「そのガーラダマもしゃべるのか」と聞いたら、ササは首を振って、「まだしゃべらないけど大丈夫よ。まだ長い眠りから覚めていないの。瀬織津姫様の声を聞いたら目が覚めるわ」と言った。
「ユンヌ姫様も連れて行けよ」
「勿論よ。ユンヌ姫様も瀬織津姫様に会いたいはずよ。アキシノ様も行くわ。アキシノ様は、もしかしたら瀬織津姫様の子孫かもしれないって思っているの。それを確認しに行くのよ。南の島(ふぇーぬしま)から来たアカナ姫様とメイヤ姫様も一緒に行くわ」
 思紹(ししょう)(中山王)が弁才天(びんざいてぃん)を彫っている事を教えると、ササは持っていた袋の中から弁才天の絵を出してサハチに見せた。
「トンド(マニラ)の弁才天様よ。南の島では『サラスワティ様』って呼ばれているわ」
 綺麗に色まで塗られた見事な絵だった。やはり、手が四本あって、三弦(サンシェン)のような楽器を持っていた。
「お前が描いたのか」
「マグジ(河合孫次郎)が描いたのよ」
「ほう、あいつは絵も描くのか」
「南の島で絵心に目覚めたのよ。ターカウ(台湾の高雄)やトンドの絵も描いているからあとで見せてもらうといいわ」
「奴はどこにいるんだ?」
「アヤーと一緒に与那原(ゆなばる)グスクにいると思うわ」
「親父に見せたら喜ぶだろう」
「もう見せたわ」
「親父に会ったのか」
「ここに来る前、首里(すい)に寄って来たの。王様(うしゅがなしめー)はイーカチ(辺土名大親)を呼んで、その絵を写せさせたわ。マグジの事を言ったら、イーカチは絵を見せてもらうって言って、途中まで一緒に来たのよ」
「そうだったのか」
「安謝大親(あじゃうふや)様にも会って、浮島(那覇)に来ている倭寇(わこう)たちの事を聞いたのよ」
「なに? そんな事を聞いてどうするんだ?」
「まず最初の目的地は阿蘇山(あそさん)なの。阿蘇山に行くには現地の人の協力が必要だわ。浮島に来ている倭寇なら助けてくれるかもしれないでしょ」
「成程、ところで、阿蘇山はどこにあるんだ?」
 ササは袋から九州の絵図を出した。
「これもマグジが描いたのか」
「これはシンシン(杏杏)がお父さんが持っていた絵図を写したのよ」
「ほう、シンシンも絵心があるじゃないか」
 サハチがシンシンを見ると、嬉しそうな顔をして笑った。
 阿蘇山は九州のほぼ中程にあった。
「こんな所にあるのか。博多から行くわけにはいかんな」
「そうなのよ。阿蘇山はヤタルー師匠(阿蘇弥太郎)の故郷らしいの。慈恩寺(じおんじ)に寄って、ヤタルー師匠からお話を聞いてきたわ」
「ヤタルー師匠も連れて行けばいいんじゃないのか」
「あたしも頼んだんだけど、今、抜けるわけにはいかないって言われたわ」
「そうか。ヤタルー師匠が抜けたら慈恩禅師殿が大変だな」
「安謝大親様が息子の天久之子(あみくぬしぃ)を一緒に行かせるって言ったから大丈夫よ。浮島に来ている倭寇たちを知っているわ」
「なに、安謝大親の息子が一緒に行くのか」
「今までサムレーをしていて、二、三年前から安謝大親様の下で働くようになったみたい。サムレーだった時に明国(みんこく)に行っているけど、ヤマトゥには行っていないので行かせるって言っていたわ。それで、阿蘇山なんだけど、山の頂上近くに阿蘇神社の奥宮(おくのみや)があって、そこに『阿蘇津姫(あそつひめ)様』が祀ってあるらしいわ」
阿蘇津姫様というのは瀬織津姫様の事なんだな」
「そうなのよ。阿蘇山に登って、瀬織津姫様のお話を聞かなければならないわ。それでね、浮島に来ていた倭寇の中に『名和弾正(なわだんじょう)』という人がいたのよ。ここよ」と言ってササは九州の絵図を示した。
 絵図には『やつしろ』と書いてあり、阿蘇山の南西にある海辺だった。サハチは名和弾正を知らなかった。
琉球に来ているとはいえ、名和弾正がどんな奴だかわからないぞ。お前たちだけでは危険だ」
「大丈夫よ。トンドでもユンヌ姫様が危険を知らせてくれたわ」
「トンドにはアンアンたちがいたからいいけど、知らない土地では味方もいない。ヂャンサンフォン殿(張三豊)がいたら一緒に行ってくれって頼むのだが、もういないからな」
「ジルーたちがいるから大丈夫よ」
「でもな」と言ってから、「クマラパ殿に頼めないか」とサハチは言った。
「クマラパ様?」とササは首を傾げた。
「クマラパ様はヤマトゥに行った事はないわよ」
「そうか。それならクマラパ殿に慈恩寺の師範を頼んだらどうだ。そうすれば、ヤタルー師匠が一緒に行けるんじゃないのか」
「そうだわ。それがいいわ。ヤタルー師匠が一緒なら阿蘇山まで行けるわ」
「ヤタルー師匠が一緒なら俺も安心だ。俺からも頼んでみるよ」
 次の日、ササたちと安須森ヌルはアンアンたちと南の島のヌルたちを連れて久高島(くだかじま)に行った。ユリはハルとシビーを連れて、手登根(てぃりくん)グスクのお祭り(うまちー)の準備に出掛けた。
 その日、叔父のサミガー大主(うふぬし)がクマラパたちを連れて島添大里グスクに来た。サハチはクマラパたちを歓迎して、ナツはクマラパから祖父のカルーの事を聞いて驚いていた。
 翌日、サハチはクマラパたちを首里慈恩寺に連れて行って慈恩禅師と会わせた。クマラパは慈恩寺が気に入って、喜んで師範を務めると言ってくれた。そして、ヤタルー師匠にササたちの事を頼んだ。ヤタルー師匠は二十三年振りの里帰りを喜んだが、ヤタルー師匠以上に喜屋武(きゃん)ヌル(先代島尻大里ヌル)が喜んでいた。
「ヤタルー師匠から阿蘇山のお話を聞いて、行ってみたかったのです。それに、お義姉様(ねえさま)(トゥイ)もヤマトゥに行っているし、京都で会いたいわ」と嬉しそうに喜屋武ヌルは言った。
 クマラパと妹のチルカマ、娘のタマミガはそのまま慈恩寺に滞在する事になった。タマミガは修行に励んでいる若者たちを見て、わたしのマレビト神はいるかしらと目を輝かせていた。
 二日後、思紹は名護按司(なぐあじ)に贈る側室を船に乗せて名護に向かわせた。四月に名護按司が亡くなって若按司按司を継いだ。そのお祝いとして美人の側室を贈ったのだった。按司の代が変わると側室を贈るのは恒例となっていた。側室も一緒に行く侍女も『三星党(みちぶしとう)』の女だった。すでに、奥間(うくま)からも側室が贈られていた。
 その船には、『真喜屋之子(まぎゃーぬしぃ)』の事を調べるために、ウニタキ(三星大親)が旅芸人たちと一緒に乗っていた。ピトゥ(イルカ)の塩漬け(すーちかー)を浮島まで運ぶ人足(にんそく)たちも乗っていた。冊封使(さっぷーし)のために大量のピトゥを買い付けなければならなかった。
 その日、行方知れずだった玻名(はな)グスクヌルが島添大里グスクに帰って来た。驚いた事に、奥間の若ヌルのミワとクジルーが一緒にいた。
「あなた、奥間まで行ってきたの?」と安須森ヌルは驚いた。
 玻名グスクヌルはうなづいた。
「どうやって行ったのか覚えていないんですけど、気がついたら奥間にいました。奥間ヌル様に、ササ様の弟子たちやマユ様も南の島に行って来たと言ったら、奥間ヌル様が驚いて、ミワ様もヤマトゥに連れて行ってくれと頼んだのです」
「カミー(アフリ若ヌル)とフカマヌルの若ヌル(ウニチル)もヤマトゥに行く事になったのよ。ミワも入れたら、八人の若ヌルを連れて行く事になるわ。ササたちだけじゃ、とても無理だわ。あなたも一緒に行ってくれないかしら」
「はい。そのつもりで預かってきました」
「お願いね。南の島でもあなたに預けっぱなしだった。本当に感謝しているわ」
 女子(いなぐ)サムレーから知らせを受けてサハチがやって来ると、「お父様!」と叫びながらミワがサハチに駆け寄った。
 皆が唖然とした顔で、サハチとミワを見ていた。サハチも驚いて、まいったなといった顔でミワを迎えた。
 安須森ヌルがサハチたちの所に来て、サハチとミワを見比べて、「やっぱり、そうだったのね?」とサハチを睨んだ。
「この事は内緒だったんだ」とサハチはミワに言った。
「あっ!」とミワは言って、「お母様からも内緒って言われていたんだけど、お父様の顔を見たら、つい‥‥‥」
「もういいんだ。いつかはわかってしまう事だ」
 そう言ってサハチは笑った。マチルギの怒った顔が目の前に浮かんだ。
「遠い所をよく来てくれた。お前の兄弟たちを紹介するよ」
 サハチはみんなの視線から逃げるように、ミワを連れて一の曲輪(くるわ)に向かった。
 奥間の若ヌルの父親がサハチだった事は、すぐにグスク内に知れ渡った。
「妹が増えたのね」と言いながらサスカサ(島添大里ヌル)は頬を膨らませていた。
「ミワちゃんが俺の妹だったのか」とマグルーは目を丸くして、妻のマウミと顔を見合わせた。
 女子サムレーの隊長、カナビーはミワの事をマチルギに知らせた方がいいか安須森ヌルに相談した。
「噂はすぐに首里にも行くわ。その前に知らせた方がいいわよ」と安須森ヌルは言った。
 カナビーはうなづいて、近くにいたユーナを呼んで首里に送った。
 次の日、マチルギはやって来た。凄い剣幕で屋敷の二階にやって来ると刀を振り回した。侍女たちも女子サムレーたちも呆然として見守った。子供たちはナツがどこかに連れて行って、いなかった。
 サハチは土下座をして謝った。マチルギの怒りは治まらず、うなだれているサハチを連れて東曲輪(あがりくるわ)に行くと物見櫓(ものみやぐら)に登った。
 景色を眺めながらマチルギは深呼吸をして、「お芝居よ」と言った。
「えっ?」とサハチはマチルギを見た。
「グスク内に知れ渡って、城下にも知れ渡ってしまった。みんながわたしがどう出るのか見守っているわ。みんなの期待通りのお芝居をしたのよ。ミワはもう十二歳よ。そんな昔の事を今になって怒ったってどうしようもないでしょう。三年前に奥間ヌルと出会った時にわかったわ。ミワの年を聞いて、あなたがサタルーの婚礼で奥間に行った時と符合したものね。あの時、あなたを責めようと思ったけどやめたわ。サタルーを守るために、妹が必要だったんだってわかったのよ」
「サタルーを守る妹?」
「そうよ。あなたにとっての安須森ヌル、王様にとっての馬天ヌル、サタルーにもそんな妹が必要だったのよ」
「ウナイ神か」
「そうよ。奥間を守るためにはサタルーだけでなく、ミワも必要だったのよ」
 サハチはそんな事には気づかなかった。奥間ヌルがサハチが来るのをずっと待っていたのは、そんな理由があったのかと今になってわかった。
「でも、あなたの事を許したわけじゃないのよ。あとで借りはちゃんと返してもらうわ」
 わかっているというように、サハチはうなづいた。マチルギは冊封使を迎える準備で忙しいからと首里に帰って行った。
 その日の朝、ササたちが噂を聞いてやって来て、ミワを連れて玻名グスクに行った。帰りに首里に寄ると言ったので、マチルギはミワと会うだろう。マチルギがミワを気に入ってくれる事をサハチは祈った。
 ミワもヤマトゥに行く事になって、サハチは心配した。ヤタルー師匠だけでは八人もいる若ヌルたちを守るのは難しい。サハチは浦添(うらしい)に行って飯篠修理亮(いいざさしゅりのすけ)に頼んだ。ササの話をすると浦添ヌルのカナが乗り気になって、一緒に行くと言ってくれた。修理亮は阿蘇山にも登った事があるというので、ササに言うとササも喜んで、二人は一緒に行く事になった。
 琉球を直撃しなかったが、台風が近くを通ったらしく海が荒れた。うねりが治まるのを待って、ササたちはヤマトゥ旅に出掛けた。
 その頃、ヤマトゥでは戦(いくさ)が始まっていた。息子を人質として送り、頭を下げた北畠左中将(きたばたけさちゅうじょう)(満雅)だったが、約束を反故(ほご)にした将軍と北朝天皇を許す事ができず、二月になると挙兵した。三月には一族でありながら裏切った木造中納言(こづくりちゅうなごん)(俊康)の木造城を攻め落として、木造城(津市)、大河内城(おかわちじょう)(松阪市)、坂内城(さかないじょう)(松阪市)、玉丸城(玉城町)、多気(たげ)の霧山城(美杉町)に一族を配置して、北畠左中将は阿坂城(あざかじょう)(松阪市)で総指揮を執った。
 将軍義持(よしもち)は四月に美濃守護(みのしゅご)の土岐美濃守(ときみののかみ)(持益)を大将に命じて五万の兵を伊勢に送った。さらに、丹後と若狭の守護を兼ねる一色兵部少輔(いっしきひょうぶしょうゆう)(義貫)を援軍として伊勢に送り込んだ。各地で激戦が行なわれて、木造城が落城し、五月半ばには阿坂城も落城するが、琉球の交易船が博多に着いた六月十日、戦はまだ終わってはいなかった。北畠に従っている愛洲家も戦に参加していて、お屋形様に率いられた兵たちは多気まで出陣し、愛洲隼人(はやと)に率いられた水軍は伊勢湾まで出陣していた。


 ササたちが船出した六日後、山南王(さんなんおう)の他魯毎(たるむい)が送った進貢船(しんくんしん)が糸満(いちまん)の港に帰って来た。他魯毎の使者が首里に来て、冊封使が七月の半ば頃に来るだろうと伝えた。冊封使一行は二隻の船に乗り、総勢五百人位になるとの事だった。
 サハチはその数を聞いて驚いた。『天使館』は三百人が収容できるようになっていた。船に残る者もいるだろうから残りの百人余りは宿屋に分宿する事になる。今の時期はヤマトゥンチュがいないので何とかなりそうだ。しかし、五百人の唐人(とーんちゅ)が三、四か月も滞在するとなると消費する食料は莫大だった。米は勿論の事、豚(うゎー)の肉に山羊(ひーじゃー)の肉、魚や貝類、野菜に塩や味噌、酒も用意しなければならない。
 米は羽地(はにじ)から仕入れてある。豚は去年から飼育を始め、今年も旧港(ジゥガン)(パレンバン)とジャワから来る事になっている。山羊はファイチ(懐機)に言われて集めてある。名護按司からピトゥの肉も大量に買い入れた。南の島の人たちがザン(ジュゴン)の肉と海亀の肉を持って来てくれた。酒はウニタキの酒蔵にたっぷりとある。それで何とか足りると思うが、心配になってきた。
 かつて、久米村(くみむら)を仕切っていたアランポー(亜蘭匏)は察度(さとぅ)(先々代中山王)の死を知らせず、冊封使を呼ばなかった。その気持ちがよくわかったような気がした。
 それから五日後、今帰仁(なきじん)に行っていたウニタキが帰って来た。サハチの顔を見るとニヤニヤして、「噂を聞いたぞ」と言った。
「お前の噂は今帰仁まで届いた」
「嘘を言うな」
「嘘ではない。勿論、城下には流れんが、『まるずや』では噂をしていたよ。とうとうばれたようだな。マチルギが鬼のような顔をしてやって来て、お前に斬りつけたそうだな」
「まいったよ」とサハチは苦笑した。
「玻名グスクヌルがミワを連れて来るなんて、思ってもいなかったよ。俺の顔を見た途端、ミワはお父様って呼んで駆け寄って来たんだ。会えたのは嬉しかったが、みんなが呆然とした顔をして俺たちを見ていたよ」
「ウニチルの時と一緒だな。突然、お父さんと呼ばれて、皆、唖然としていた」
「いつかはばれると思っていたが、突然だったからな。マチルギがいつ現れるのか、その夜はろくに眠れなかったよ」
「寝首を掻かれると思ったのか」とウニタキは笑った。
「怒ると本当に恐ろしいからな」
 ウニタキはサハチの顔を見ながら笑い続けていた。
「お前だって気をつけろよ。リリーの事が突然ばれるかもしれんぞ」
「リリーは今、今帰仁にいる」
「なに、娘を連れて今帰仁に行ったのか。『まるずや』にいるのか」
「いや、『まるずや』に置いたら、俺の顔を見て、お父さんて呼ぶから危険だろう。城下で暮らしているよ。リリーはヤンバル(琉球北部)生まれだから怪しまれる事はない。芭蕉(ばしゅう)の糸を紡いで、地道に暮らしているよ」
 サハチは笑って、「お前の別宅というわけか」と言った。
「俺だって、時にはくつろぎたいのさ」
「ところで、『真喜屋之子』の事で何か新しい事はわかったか」
「苦労して調べる事もなかった。イブキが詳しく知っていたんだ」
「イブキがどうして、真喜屋之子の事を調べたんだ?」
「あの事件が起こったのが、イブキたちが今帰仁に行った年だったんだよ。進貢船が帰って来て、今帰仁の城下はお祭り気分だった。その翌日、山北王(さんほくおう)(攀安知)の弟のサンルータの病死が知らされたようだ。前日にサンルータは『よろずや』に来て、扇子やら髪飾りやらを買って行ったそうだ。急に病死するなんておかしいと思って探ったようだ」
「そうだったのか」
「奴が首里にいると聞いて、イブキも驚いていたよ。そして、奴の家族の事を教えてくれた。兄貴は奴が事件を起こした時、今帰仁のサムレーで副大将を務めていたんだけど、奴のお陰で『材木屋』に回されたんだ」
「材木屋?」
「その頃、首里の城下造りのために大量の材木を浮島に運んでいたんだよ。奴は人足たちを指図していたのだろう。それでも、商才があったのか、今では材木屋の主人になっている」
「なに、奴の兄貴が材木屋の主人だったのか」
「俺も驚いたよ。材木屋と油屋は寝返らせなくてはならないと思っていたからな。親父が南部にいれば寝返らせやすくなった」
「材木屋の主人だったか。すると、宜野座(ぎぬざ)に材木屋の拠点を置いたのもそいつだったのか」
「そうだ。サムレーだった頃は仲尾之子(なこーぬしぃ)といっていたが、材木屋の主人になってからは『ナコータルー』と名乗っている。真喜屋之子には弟もいて、弟が仲尾之子を名乗ってサムレーをやっている。諸喜田大主(しくーじゃうふぬし)の配下で、湧川大主(わくがーうふぬし)と一緒に鬼界島(ききゃじま)(喜界島)に行っている」
「なに、奴の弟が鬼界島攻めに加わっているのか」
「弟を殺した奴の弟だが、湧川大主は許したようだ。諸喜田大主が庇ったのだろう」
「そうか。奴の弟が鬼界島に行ったのか‥‥‥」
「奴の姉はリュウイン(劉瑛)の妻になっていて、妹は重臣の息子に嫁いでいたんだが、子供ができないと言って離縁されている。その後、嫁ぐ事もなく、父親の世話をするために島尻大里(しまじりうふざとぅ)の城下に住んでいる」
「その妹は知っている。ミーグスクにいた。夫は戦死したと言っていたが、離縁されたのか」
「真喜屋之子のせいで離縁されたのだろう」
「母親は今帰仁にいるのか」
「弟の家族と一緒にいる。母親は国頭按司(くんじゃんあじ)の妹だ。鬼界島で戦死した鬼界按司の姉さんだよ」
「今回、鬼界按司になった根謝銘大主(いんじゃみうふぬし)も弟なのか」
「いや、兄貴だよ。鬼界島で思い出したが、湧川大主は助っ人を依頼したようだ。奴の使者が小舟(さぶに)でやって来て、山北王は新たに二百人の兵を鬼界島に送った」
「苦戦しているのか」
「そのようだ。詳しい事はわからんがな。しかし、山北王は按司たちの反感を買っている。各按司から兵と兵糧(ひょうろう)を強引に徴収したからな」
 サハチは笑った。
「殺されたサンルータの事はわかったのか」
「湧川大主の下にンマムイ(兼グスク按司)の妻のマハニがいて、その下に徳之島按司(とぅくぬしまあじ)に嫁いだ娘がいる。その下がサンルータだ。本部(むとぅぶ)で生まれて、六歳の時、今帰仁に移ってグスク内の御内原(うーちばる)で育ったんだ。山北王の側室たちに囲まれて育ったのが悪かったのかもしれんな。兄は何人も側室を持っている。自分も側室を持って当然だと思ったのだろう」
「サンルータは側室を持っていたのか」
「死んだのが二十一歳だったからな、公然とは持っていなかったが、隠れて囲っていた女がいたかもしれんな。人の妻に手を出したのも、それ程、罪の意識はなかったのかもしれん。奴が手を出した真喜屋之子の妻なんだが、永良部按司(いらぶあじ)の娘で美人(ちゅらー)だったようだ。母親はトゥイ様の姉さんだよ」
「なに、トゥイ様の姪が殺されたのか」
「トゥイ様も殺された事は知らないだろう。病死したと聞かされているはずだ。トゥイ様の姉さんは今、今帰仁グスクで暮らしていて、トゥイ様とも会ったようだ」
「グスク内にいるのか。今帰仁攻めの時、助け出さなければならんな」
 ウニタキはうなづいて、「山北王妃はンマムイの妹だし、奥間から贈られた側室たちも助け出さなくてはならん」と言った。
「そうだ。親父の娘もいるんだったな」
「そんな先の事よりも、真喜屋之子は四度、明国に行っているんだが、名護按司が若按司だった頃、一緒に明国に行っているんだ。羽地按司(はにじあじ)の弟とも一緒に行っている」
「羽地按司の弟というのは奄美按司になって、奄美大島(あまみうふしま)攻めに失敗した奴か」
「そうだよ。その後、伊平屋島(いひゃじま)に攻めて来て、惨めな姿で帰って行った奴だよ」
「奴は今、何をしているんだ?」
奄美按司になる前は今帰仁のサムレーだったんだが、伊平屋島で失敗してからは今帰仁にいられず、羽地に帰ってサムレー大将をやっている」
「そうか」
「真喜屋之子は名護にも羽地にもつながりがあるから、二つを寝返らせるのに使えそうだ。それと、サンルータの妻だが、国頭按司の娘で、サンルータの娘を連れて国頭に帰っている。サンルータの妻が真喜屋之子の事をどう思っているのかはわからんが、会わせてみるのも面白いような気もする」
「使えそうだが、奴がうなづいてくれるかな」
「もう少し様子を見てから考えるよ」
 翌日は手登根グスクのお祭りだった。三度目のお祭りだが、いつも、主人のクルーはいなかった。来年はヤマトゥ旅を休ませた方がいいかなと、クルーの子供たちを見ながらサハチは思った。
 お芝居はハルとシビーの新作『サスカサ』だった。取材のためにユリとハルとシビーはヒューガ(日向大親)の船に乗ってキラマ(慶良間)の島に行っていた。ユリの娘のマキクは祖父の船に乗れて大喜びだったという。
 島添大里グスクが落城して、サスカサが久高島のフボーヌムイ(フボー御嶽)に籠もっている場面から始まった。サスカサを演じたカリーは神々しいヌルをうまく演じていた。若い頃はあんなだったのかもしれないとサハチは思った。
 久高島に東行法師(とうぎょうほうし)が来て、若者たちを鍛え始めて、島は賑やかになる。神様のお告げを聞いてウタキ(御嶽)から出て来たサスカサは東行法師たちと一緒にキラマの無人島に行く。
 木を伐って小屋を造り、畑を作って野菜を育て、海に潜って魚や貝を捕り、武術に励む若者たちの喜怒哀楽を描いていた。サスカサも若者たちと一緒に働いて、みんなのために山の上のウタキでお祈りを捧げる。台風が来て、すべての小屋が飛ばされてしまった時も、サスカサは皆を励まして小屋を建て直す。若者たちの悩みを聞いてやり、サスカサは若者たちの母親のように慕われる。
 血気盛んな若者が多く、喧嘩もすぐに始まった。強い娘がいて、その娘が出てくると必ず喧嘩が治まるのが面白かった。あの娘は誰なんだろうとサハチは考えた。もしかしたら、首里の女子サムレーのクムかなと思った。
 戦に行くぞと言って島を出て行く所でお芝居は終わった。よく考えたら、前回の『佐敷按司』の続編だった。サスカサを主役にした続編だった。
 旅芸人たちは『馬天ヌル』を演じた。登場するサスカサはカリーが演じていて、観客たちは喜んだ。
 お芝居のあと、安須森ヌルが横笛を吹いた。南の島を想像させる快い曲だった。皆、うっとりとして聴いていた。スサノオの神様が安須森ヌルの笛を聴いてミャーク(宮古島)に来たという。安須森ヌルの笛はまさに、神様が吹いているような神秘的な調べだった。
 ウニタキとミヨンが三弦(サンシェン)を弾いて歌を歌い、最後はみんなで踊ってお祭りは終わった。
 今回、念仏踊りはなかった。辰阿弥(しんあみ)はササと一緒にヤマトゥに行き、福寿坊(ふくじゅぼう)は交易船に乗ってヤマトゥに行っていた。福寿坊がいない事を知ったササは、辰阿弥が四国の生まれだという事を思い出して、山グスクにいた辰阿弥に会いに行った。話を聞くと『大粟神社(おおあわじんじゃ)』に行った事があるという。ササは一緒に行く事を頼んで、辰阿弥は承諾した。
 七月になって、今帰仁に来ていた明国の海賊が帰って行ったと知らせが来た。そして、海賊が帰るのを待っていたかのように、山北王は沖の郡島(うーちぬくーいじま)(古宇利島)に行ったという。
 七月七日、今年で三度目になるヌルたちの『安須森参詣』が行なわれた。久し振りにヌルの格好をしている安須森ヌルを見て、サハチは驚いた。神々しくて、不思議な力に包まれているようで、まるで生き神様のようだと思った。
 南部のヌルたちが浮島の『那覇館(なーふぁかん)』に集まって、ヒューガの船に乗って北へと向かった。那覇館に滞在していた南の島のヌルたちも、アンアンたちも一緒に行った。いつもなら護衛役にヂャンサンフォンと右馬助(うまのすけ)が行ったのだが、今年はいないので、クマラパとガンジュー(願成坊)、アンアンたちと一緒に来たシンシンの兄弟子のシュヨンカ(徐永可)に頼んだ。
 今年は久高島からは誰も参加しなかった。大里(うふざとぅ)ヌルが今にも赤ちゃんを産みそうだという。右馬助と結ばれて、跡継ぎを授かったのだった。

 

 

 

伊勢国司北畠氏の研究

2-195.サミガー大主の小刀(改訂決定稿)

 知念(ちにん)グスクに泊まったササ(運玉森ヌル)たちは翌日、ヒューガ(日向大親)に会うために浮島(那覇)に向かった。うまい具合にヒューガは水軍のサムレー屋敷にいた。与那覇勢頭(ゆなぱしず)とフシマ按司が来ていて、ヒューガは絵図を広げて南の島の事を聞いていた。
「お前、どこに行っていたんじゃ?」とヒューガはササの顔を見ると聞いた。
「ごめんなさい。急いで知りたい事があったので、お父さんに挨拶もしないで行っちゃった」
 そう言ってササが笑うと、
「まったく、相変わらずじゃのう」とヒューガも笑った。
「ササ様はミャーク(宮古島)のヌルたちに尊敬されております。神様の事はわしらにはわかりませんが、ササ様のお陰で、昔の事が色々とわかったとヌルたちが喜んでおりました」と与那覇勢頭が言った。
「ほう、ササが尊敬されておるのか」とヒューガは嬉しそうな顔をしてササを見た。
「幼い頃から不思議な力を持っていたからのう。きっと、母親に似たんじゃろう」
「ねえ、お父さん、お父さんのお母さんの事を話して」とササはヒューガに言った。
「なに、わしの母親の事じゃと? どうしたんじゃ、急にそんな事を聞いて」
「とても重要な事なのよ」と言って、ササはヒューガの隣りに腰を下ろした。
 ササの真剣な顔つきを見て、ヒューガはうなづいた。
「わしの母親は、わしが八歳の時に亡くなったんじゃよ。戦(いくさ)に巻き込まれて母親だけでなく、兄妹もみんな、死んだ。戦に出掛けた親父も帰って来なかったんじゃ。わしだけが独り生き残ったんじゃよ」
 ヒューガはササを見て苦笑した。
「お前の母親はお前と同じ『笹』という名前で、『大粟神社(おおあわじんじゃ)』の巫女(みこ)の娘だったんじゃ。そういえば、お前はだんだんとわしの母親に似てきたようじゃな。わしの記憶の中にいる母親は三十歳のままじゃ」
「巫女の娘って、もしかして、お母さんも巫女だったの?」
「いや。巫女じゃないよ。お母さんのお姉さんは巫女だった」
「大粟神社に祀られているのが『阿波津姫(あわつひめ)様』なのね?」
「阿波津姫?」とヒューガは首を傾げた。
「そうかもしれんが、大粟神社の神様は『大冝津姫(おおげつひめ)様』と呼ばれておる」
オオゲツヒメ?」
「阿波(あわ)の国(徳島県)を造った古い神様らしい。大粟神社は大粟山の中腹にあるんじゃが、山頂に古いウタキ(御嶽)のようなものがある」
「大冝津姫様のお墓なの?」
「そうかもしれんのう」
 ササはヒューガが持っているヤマトゥ(日本)の絵図を見せてもらって、大粟神社の場所を教えてもらった。四国の東の方にあるので、京都に行く途中に寄れると思った。
「行くつもりかね?」とヒューガが聞いた。
「行ってみたいわ」
「阿波の国は細川家が実権を握っている。昔は小笠原家が守護を務めていたんじゃが、今は細川家の被官になっているはずじゃ。三好家は小笠原家の守護代を務めていたんじゃよ」
「お父さんの親戚の人はいるの?」
「わからんな。南北朝の戦(いくさ)の時、同族同士で争って来たからのう。わしの親父は本家の長男だったんじゃが、本家筋の者は皆、戦死してしまった。分家の者が細川家に仕えているが、わしを知っている者はおらんじゃろう」
 四国の北に児島(こじま)があるので、「四国にも熊野の山伏はいるの?」とササは聞いた。
「四国には険しい山が多いので山伏は大勢いる。『剣山(つるぎざん)』というスサノオの神様を祀っている山があって、大勢の山伏が修行をしている。わしも若い頃、山伏に憧れていたんじゃよ」
 福寿坊(ふくじゅぼう)を連れて行った方がいいなとササは思った。
 ヒューガと別れたササたちは愛洲(あいす)ジルーの船に行って、みんなに用意したお土産を下ろし、浮島にあるヒューガの屋敷に行って、お土産の整理をした。
 浮島のヒューガの屋敷は、三年前にヒューガが『宇久真(うくま)』の遊女(じゅり)だったミフーを側室に迎えて建てた屋敷だった。ヒューガと馬天(ばてぃん)ヌルが結ばれてササが生まれ、馬天ヌルは跡継ぎを得たが、ヒューガには跡継ぎがいなかった。馬天ヌルの薦めで、ヒューガはミフーを迎えて、翌年、息子を授かっていた。五十九歳で息子を授かったヒューガは、息子が一人前になるまでは死ぬわけにはいかんと張り切っていた。
 その夜、ササたちはヒューガと一緒に酒を酌み交わしながら旅の話をして、ササは愛洲ジルーがマレビト神だった事を教えた。
「そうか。やはり、ジルーだったのか。よかったのう」とヒューガはジルーを見て喜んだ。
「わしは若い頃、慈恩禅師(じおんぜんじ)殿と一緒に五ヶ所浦に行った事があるんじゃよ」
「えっ、本当ですか」とジルーは驚いた。
「わしは熊野に行く途中、慈恩禅師殿と出会って、一緒に熊野参詣をしたんじゃ。新宮(しんぐう)から熊野水軍の船に乗って五ヶ所浦に行ったんじゃよ。その時、愛洲の水軍の大将は九州に行って戦をしておると言っておった」
「それは俺の祖父の愛洲隼人(あいすはやと)です。今回の南の島の旅で、俺は祖父の事を詳しく知る事ができました」
「なに、南の島に祖父を知っている者がいたのか」
「そうなのです。俺も驚きました。祖父の話を聞いて、祖父の気持ちを理解する事ができました。行ってきて本当によかったと思っています」
 ササがターカウ(台湾の高雄)のキクチ殿の事を話すと、ヒューガは驚きながら話を聞いていた。
 その日、クマラパは娘のタマミガと妹のチルカマを連れて、サミガー大主(うふぬし)の小舟(さぶに)に乗って津堅島(ちきんじま)に渡っていた。五十四年振りに帰って来た津堅島は当時とあまり変わっていなかった。チルカマは当時の事を思い出して、自然に涙が溢れてきた。
 サミガー大主はナツの祖母が住む家に連れて行った。ナツの祖母はクマラパとチルカマを見て、五十年前の事がまるで昨日の事のように蘇って、夢でも見ているようだと再会を喜んでいた。
 二人を知っている年寄りたちが集まって来て、涙の再会をした。当時、幼かったナツの伯父、チキンジラーも二人を覚えていた。カマンタ(エイ)捕りを引退して島に戻っていたチキンジラーは島の人たちを集めて、クマラパ兄妹の里帰りを歓迎した。
 クマラパ兄妹を津堅島に連れて来た船乗りのカルーはナツの祖父だった。カルーは浮島に来ていた泉州の商人、程復(チォンフー)の船乗りになって何度も泉州に行っていた。クマラパ兄妹をミャークに連れて行った五年後、カルーは明国(みんこく)に行ったまま帰っては来なかった。嵐に遭って遭難したのか、倭寇(わこう)に襲われたのかわからない。クマラパ兄妹はその事を知って悲しんだ。
 フーキチ夫妻は首里(すい)の城下に住む奥間(うくま)の鍛冶屋(かんじゃー)と一緒に玻名(はな)グスクに行って、按司になったヤキチと再会した。
 グスクも立派だし、按司になったヤキチは自分の事など覚えていないだろうと心配していたフーキチだったが、グスクに入って驚いた。グスク内で奥間の若者たちが鍛冶屋の修行に励んでいた。そして、若者たちを指導していたのはヤキチだった。二十五年前と同じように鍛冶屋をやっているヤキチを見て、フーキチは嬉しくなった。
 ヤキチはフーキチを覚えていた。南の島に行ったササが、フーキチを連れて来てくれるような予感がしていたという。フーキチ夫妻はヤキチと奥間の者たちに大歓迎された。
 ナーシルは苗代大親(なーしるうふや)と一緒に首里の城下にある屋敷に行って、苗代大親の妻、タマと会った。タマは初めて見る娘を歓迎して、顔を出したマガーチ(苗代之子)とサンダー(慶良間之子)、クグルーの妻のナビーも初めて見る妹を歓迎した。
 パティローマ(波照間島)のペプチとサンクルは首里のサングルミーの屋敷に滞在して、親子水入らずの時を楽しんでいた。屋敷で働いている女たちは、いつもシーンとしていた屋敷に、笑い声が絶えないので、よかったわねと喜んでいた。
 ミッチェとガンジュー(願成坊)、サユイ、クン島(西表島)のユーツンのツカサ、ドゥナン島(与那国島)のユナパとフーは、安須森(あしむい)ヌル(先代佐敷ヌル)と一緒に島添大里(しましいうふざとぅ)グスクに行った。
 多良間島(たらま)のボウ、野城(ぬすく)の女按司(みどぅんあず)、池間島(いきゃま)のウプンマ、保良(ぶら)のウプンマ、ドゥナン島のアックとラッパは、馬天ヌルと一緒に首里グスクに滞在していた。
 ツキミガとインミガ、ボウの娘のイチは、ミーカナとアヤーと一緒に与那原(ゆなばる)グスクに行った。勿論、ゲンザ(寺田源三郎)とマグジ(河合孫次郎)も一緒に行った。
 サハチ(中山王世子、島添大里按司)はンマムイ(兼グスク按司)と一緒に慈恩寺(じおんじ)に行って『真喜屋之子(まぎゃーぬしぃ)』と会っていた。真喜屋之子はヤマトゥンチュ(日本人)に扮していて、『三春羽之助(みはるはねのすけ)』と名乗っていた。
首里に慈恩禅師殿のお寺(うてぃら)ができたと聞いて、本当に慈恩禅師殿がいるのだろうかと出て来たのが失敗でした。まさか、兼(かに)グスク按司殿と会って、自分の正体がばれるなんて思ってもいませんでした」
 そう言って羽之助は苦笑した。
「お前の事は兼グスク按司から聞いた。若い頃、佐敷の武術道場で修行していたそうだな」
 羽之助はうなづいた。
「一年余りお世話になりました。あの頃の俺は自分が何をしたらいいのかわからなかったのです。俺の親父は山北王(さんほくおう)(帕尼芝)の重臣でした。兄貴が跡を継ぐだろうし、俺はサムレーになるしかないのかなと思っていました。俺が九歳の時、今帰仁(なきじん)の合戦があって、叔父が戦死しました。まだ十九の若さでした。叔父の戦死があったので、俺はサムレーになる事を嫌って旅に出たのです。馬天浜のサミガー大主殿の離れに滞在していた時、密貿易船に乗って来た唐人(とーんちゅ)と出会って、明国の話を聞いて、俺も明国に行きたくなりました。進貢船(しんくんしん)には護衛のサムレーも乗るので、進貢船のサムレーになろうと決心して今帰仁に帰ったのです。美里之子(んざとぅぬしぃ)殿の武術道場で修行したお陰で、俺は進貢船に乗る事ができました。そして、明国に行って驚きました。明国は思っていた以上に凄い国でした。明国のあらゆる事を学びたいと思って、俺は毎年、明国に行きました。でも、過ちを犯してしまって、明国で学んだ事を生かす事はできませんでした」
「明国で何を学んだんだ?」とンマムイが聞いた。
「色々と学びましたよ。まず始めに学んだのは言葉です。言葉がわからないと何も聞けませんからね。言葉を覚えてからは、興味がわいた事は何でも聞いて回りました。家の建て方とか、石畳の道の造り方とか、橋の架け方とか、陶器の作り方とか、井戸の掘り方とか、琉球にない物は皆、聞いて回りました」
「ほう、お前は頭がいいようだな」とサハチは感心した。
 羽之助は照れくさそうに笑った。
「俺は四回、明国に行きました。三十歳まで進貢船のサムレーをやって、そのあとは普請奉行(ふしんぶぎょう)になって、ヤンバル(琉球北部)の道を整備しようと計画していたのです」
「妻の密通事件で、お前の夢は破れたか」とンマムイが言った。
 羽之助は昔を思い出したのか、顔を歪めた。
「お前の親父は島尻大里(しまじりうふざとぅ)にいるぞ。そろそろ会ってもいいんじゃないのか」とサハチは言った。
 羽之助は首を振った。
「俺は死んだ事になっています。それでいいのです」
「ずっと隠れて暮らすのか」
「生きている事がわかれば、湧川大主(わくがーうふぬし)は許さないでしょう。親父も兄貴も姉も弟も迷惑を被る事になります。俺の事は内緒にしておいて下さい」
 サハチはうなづいて、「慈恩禅師殿を助けてやってくれ」と言った。
「慈恩禅師殿の話は師匠から色々と聞いていて会ってみたいと思っていたのです。まさか、琉球で会えるなんて思ってもいませんでした。師匠と出会った頃を思い出して、修行をやり直しているのです」
 サハチとンマムイは羽之助と別れて慈恩寺を出た。ンマムイはマサキが待っていると言って兼グスクに帰って行った。サハチは首里グスクの龍天閣(りゅうてぃんかく)に向かった。タキドゥン按司が待っているはずだった。
 龍天閣に行くと、思紹(ししょう)(中山王)と馬天ヌルがタキドゥン按司と話をしていた。サハチの顔を見ると、
「お前、これを覚えているか」と思紹が聞いた。
 思紹は短刀を持っていた。鮫皮(さみがー)が巻かれた柄(つか)に見覚えがあった。思紹が短刀を鞘から抜いた。
「あっ!」とサハチは叫んだ。
 擦り減った刃が細くなっていて、祖父のサミガー大主が毎日、研いでいた姿が思い出された。
「お爺の小刀(くがたな)だ」とサハチは言った。
「そうじゃ。親父が人喰いフカ(鮫)を倒した小刀じゃ。親父は海でなくしたと言っていたが、タキドゥン殿に贈っていたんじゃよ」
 驚いた顔をして小刀を見ていたサハチは、タキドゥン按司を見ると、「祖父を知っていたのですか」と聞いた。
「わしの母親は馬天浜のウミンチュ(漁師)の娘なんじゃよ。若按司だった父に見初められて側室になったんじゃ。わしが二歳の時、祖父の島添大里按司浦添(うらしい)の極楽寺で戦死して、父は按司になったが、察度(さとぅ)(先々代中山王)に攻められて戦死してしまったんじゃ。わしは母親と一緒に城下に移って暮らす事になった。とは言っても、二歳だったわしはグスクにいた事など何も覚えていない。母は父親の事は教えてくれなかった。わしは幼い頃、母に連れられて馬天浜に行っては遊んでいたんじゃ。わしが四歳の時、サミガー大主殿は馬天浜に来て、鮫皮作りを始めたんじゃよ。わしの祖父と叔父はカマンタ捕りをやっていた。赤ん坊だった王様(うしゅがなしめー)と馬天ヌル殿とも一緒に遊んだものじゃった」
「わしらが生まれた頃の事を知っていたとは驚いた」と思紹が言って笑った。
「十二歳の時に、父親の事を知らされてグスクに入ったそうじゃ。その後は水軍の大将として、ヤンバルに行って材木を伐り出していたそうじゃ」
「その頃、わしは与那原の屋敷で暮らしていて、馬天浜にもよく来ていたんじゃよ。親父を知らないわしにとって、サミガー大主殿は親父のような存在だったんじゃ。浜辺で一緒に酒を飲んで、語り合った事もあった。そなたが生まれた時、ヤマトゥンチュたちが来ていたが、わしも一緒にお祝いをしたんじゃよ」
「そうだったのですか」とサハチは驚いていた。
「タキドゥン殿の話を聞いて、わしは思い出したんじゃよ」と思紹が言った。
「母が大(うふ)グスク按司の娘だったので、親父の屋敷にはサムレーたちが出入りしていたんじゃ。ほとんどが大グスクのサムレーだったが、島添大里のサムレーもいた。そのサムレーがタキドゥン殿だったんじゃよ」
「わたしも思い出したわ」と馬天ヌルが言った。
「子供の頃、遊んだのはかすかに覚えているけど、わたしが馬天ヌルになった時、ヌルの屋敷を造るための材木を運んでくれたのが、あなただったのよ」
「おう、そういえば、そんな事があったのう。あれはわしが水軍の大将になった年じゃった。大将になって最初の取り引きだったんじゃ。ヤマトゥの刀を大量に手に入れて、按司の義兄(あにき)に褒められたんじゃよ。以後、サミガー大主殿との取り引きは、わしが任されるようになったんじゃ」
「その小刀はいつ、お爺からもらったのですか」とサハチは聞いた。
琉球を去る前じゃよ。義兄が亡くなって、子供たちが家督争いを始めた。わしはどうしたらいいのかわからず、馬天浜の浜辺で海を眺めていたんじゃ。サミガー大主殿が来て、わしの話を聞いてくれた。そして、わしを見つめて笑うと、その小刀を腰からはずして、わしにくれたんじゃよ。わしが琉球から去ろうとしていた事を、サミガー大主殿は見抜いていたのかもしれん。わしは守り刀として大切にしてきた。無事に南の島に行けたのも、わしが南の島で按司になれたのも、その小刀のお陰かもしれん」
 タキドゥン按司は小刀を返すと言ったが、思紹は受け取らなかった。
「親父の遺品として持っていて下さい。そして、時々、サミガー大主の事を思い出してくれたら、親父も喜ぶでしょう」
 タキドゥン按司はうなづいて、「タキドゥン按司家の家宝にします」と言った。
「話は変わりますけど、運玉森(うんたまむい)にあった立派な屋敷はタキドゥン殿が建てたのですか」とサハチは聞いた。
「あれを建てたのは祖父じゃよ。奥間から美人の側室を送られて、祖父は大層、気に入ったようじゃ。立派な屋敷を建てたんじゃが、察度に攻められて、側室も子供も殺されたようじゃ。察度が島添大里グスクを攻めた時、その屋敷は本陣として使われて、父を倒したあと焼き払われたんじゃが、大雨が降ってきて火は消えたそうじゃ。その後、マジムン(化け物)が現れるという噂が立って、マジムン屋敷と呼ばれるようになったんじゃよ。まだ、マジムン屋敷はあるのかね?」
「マジムンを退治して、今は与那原グスクが建っています」
「なに、あそこにグスクが建っているのか。そうか、随分と変わったようじゃのう」
 サハチはタキドゥン按司を連れて島添大里グスクに帰った。
 二十五年振りに島添大里グスクに入ったタキドゥン按司はあまりの変わり様に驚いていた。
「石垣が高くなっているのは以前に来た時に知っていたんじゃが、二階建ての屋敷があるとは驚いた。前回に来た時、あの屋敷を建てている最中じゃった」
「えっ、前回に来た時、このグスクに入ったのですか」とサハチは驚いて聞いた。
「招待されたんじゃよ。勿論、わしは先代の按司の一族だった事は隠して会ったんじゃ」
「そうでしたか。一族を滅ぼした相手に会うなんて、辛かったでしょう」
「憎らしかったよ。だが、顔には出さずに話を聞いていたんじゃ。近いうちに明国に進貢船を送るので、珍しい物を手に入れたいと言っておった。わしは持ってきた海亀の甲羅とザン(ジュゴン)の塩漬けをヤマトゥの商品と取り引きしたんじゃよ」
「そうだったのですか」と言いながら、サハチは汪英紫(おーえーじ)が山南王(さんなんおう)(承察度)の船を借りて進貢していたのを思い出した。
「その時の島添大里按司汪英紫という名前で進貢船を送っていました。そして、島尻大里グスクを奪い取って、山南王になったのです」
「なに、あの男が山南王になったのか」
 信じられないというようにタキドゥン按司は首を振った。
 サハチはタキドゥン按司を一の曲輪(くるわ)の屋敷の二階に案内して、昔の話を聞いた。
 島添大里グスクが八重瀬按司(えーじあじ)だった汪英紫に滅ぼされた時、サハチはまだ九歳だった。馬天浜から見上げていた島添大里グスクは、当時のサハチにとっては別世界で、島添大里按司の事なんて何も知らなかった。島添大里グスクが落城したあと、父が佐敷グスクを築いて按司になり、サハチは若按司となった。自分が今、島添大里グスクで暮らしているなんて、当時、考えた事もないほど、とんでもない事だった。
 琉球を旅立って南の島に行って、タキドゥン島(竹富島)に落ち着くまでの話をしてから、タキドゥン按司は急に思い出したかのように、「サスカサは生き延びたそうじゃのう」と言った。
「サスカサさんは久高島(くだかじま)に逃げて、ずっとウタキに籠もっていました。わたしがこのグスクを攻め落とした時、ここに戻って来て、わたしの娘を指導して、娘にサスカサを譲ったのです。その後、運玉森ヌルを名乗って与那原にいましたが、去年、ヂャンサンフォン(張三豊)殿と一緒に南の国(ふぇーぬくに)に旅立ちました」
「なに、南の国に行ったのか」
「ムラカ(マラッカ)に行くと行っておりました」
「ムラカか‥‥‥しかし、またどうして、そんな遠くの国に行ったのじゃ?」
「今年、明国から冊封使(さっぷーし)が来ます。明国の皇帝の永楽帝(えいらくてい)はヂャンサンフォン殿を探しています。琉球にいたら皇帝のもとに連れて行かれてしまうので、ヂャンサンフォン殿は逃げて行ったのです」
「ヂャンサンフォン殿は権力者が嫌いなんじゃな」と言ってタキドゥン按司は笑った。
「姪に会えると楽しみにして来たんじゃが、行き違いになってしまったか」
「ほとぼりが冷めたらヂャンサンフォン殿と一緒に琉球に戻って来るでしょう。そしたら、タキドゥン島まで行かせますよ」
「そうか。姪に会えるまで長生きせねばならんのう」
 賑やかな子供の声が聞こえてきた。
「あら、お帰りだったのですか」とナツが部屋を覗いて、サハチに言った。
「安須森ヌル(マシュー)様が南の島(ふぇーぬしま)のお客様をお連れになって、南の島のお話を聞いていたのです」
「マシューが帰って来たか。ササたちも一緒か」
「いえ、ササたちはいません。マユちゃんは安須森ヌル様と一緒です」
「そうか。帰国祝いと歓迎の宴(うたげ)をしなくてはならんな。準備を頼むぞ」
 ナツはうなづいて、子供たちを連れて行った。
「わしの義兄は玉グスク按司の息子で、島添大里に婿に入ったんじゃよ。父が亡くなった時、長男のわしは二歳じゃった。十三歳の姉が十五歳の婿を迎えて、婿が島添大里按司を継いだんじゃ。婿と一緒に玉グスクのサムレーたちが入って来て、義兄が亡くなったあとの家督争いが起こってしまったんじゃ。義兄が亡くなる時、あとの事は頼むと言われたが、わしにはどうする事もできなかったんじゃよ。玉グスク派と地元派が争って、そこに側室の兄の糸数按司(いちかじあじ)も加わって、八重瀬按司も首を突っ込んできた。わしは逃げ出した。タキドゥン島に行っても、ここの事は気になっていたんじゃ。サミガー大主殿の孫のそなたが、このグスクを奪い取ってくれたなんて、わしは夢でも見ているような気分じゃよ」
 そう言って、タキドゥン按司は楽しそうに笑った。
 その夜の宴で、サハチは安須森ヌルから『英祖(えいそ)の宝刀』の中の一つ、小太刀(くだち)がミャークにあったと聞かされた。
 英祖の宝刀は浦添按司(うらしいあじ)だった英祖がヤマトゥに使者を送って、鎌倉の将軍様から贈られた三つの刀だった。太刀と小太刀と短刀で、三つ揃って『千代金丸(ちゅーがにまる)』と呼ばれた。六年前に安須森ヌルが久高島の神様から探し出すようにと言われたのだった。
「やはり、ミャークにあったのか」とサハチは嬉しそうな顔をして安須森ヌルを見た。
「与那覇勢頭様が初めて琉球に来た時に、察度様から贈られたようだわ。今はミャークの首長になった目黒盛豊見親(みぐらむいとぅゆみゃー)様がお持ちです」
「ミグラムイトゥユミャー?」
「目黒盛というのがお名前で、豊見親というのは『世の主(ゆぬぬし)』というような意味らしいわ」
「ほう、鳴響(とぅゆ)む親(うや)というわけか。面白いな」
「目黒盛豊見親様に見せてもらったけど、名刀と呼ばれる見事な物だと思うわ。刃の長さは二尺(約六〇センチ)弱で、ミャークでは『ちがにまる』って呼ばれていたわ」
「『ちゅーがにまる』が『ちがにまる』に訛ったか。これで三つの刀のありかがわかったわけだな」
 安須森ヌルはうなづいた。
「太刀は今帰仁にあって、山北王の宝刀になっている。短刀は越来(ぐいく)ヌルのハマが大切にしているわ。そして、小太刀はミャークの守り刀になっているっていうわけよ」
「どこにあるかがわかっただけでも上出来だよ。ありがとう」
「久高島の神様に報告に行かなくちゃね」
「南の島のヌルたちを連れて行ってくるがいい。ところで、ササは何をやっているんだ?」
「ササはヤマトゥに行くつもりなのよ」
「なに、これからヤマトゥに行くのか」
「南の島で、『瀬織津姫(せおりつひめ)様』という凄い神様の事を知ってしまったのよ」
瀬織津姫様? 弁才天(びんざいてぃん)様の化身の神様の事か」
「えっ、お兄さん、知っているの?」と安須森ヌルは驚いた。
「今、親父が弁才天様を彫っているんだよ。報恩寺(ほうおんじ)の和尚から、瀬織津姫様の事を聞いたらしい。馬天ヌルに聞いても知らなかったと言っていた。ササなら知っているかもしれんと親父は言ったけど、まさか、ササが瀬織津姫様の事を調べているとは驚いた」
「お父さんはどうして、弁才天様を彫っているの?」
「馬天ヌルに頼まれて、ビンダキ(弁ヶ岳)に祀るために彫っているんだよ。昔、ビンダキには『役行者(えんのぎょうじゃ)』という山伏の元祖が祀った弁才天様があったそうだ」
「ビンダキに弁才天様が‥‥‥そうだったんだ」と安須森ヌルは納得したようにうなづいた。
「それで、瀬織津姫様というのはどんな神様なんだ?」
スサノオの神様の御先祖様なのよ。そして、琉球のお姫様なの。豊玉姫(とよたまひめ)様の御先祖様でもあるのよ。アマミキヨ様が琉球に来て、多分、垣花森(かきぬはなむい)に都があった頃、瀬織津姫様はヤマトゥに行ったんだと思うわ。その事を豊玉姫様から聞くために、ササはセーファウタキ(斎場御嶽)に行ったのよ」
「しかし、そんなに古い神様に会う事なんてできるのか」
瀬織津姫様のガーラダマ(勾玉)を手に入れれば会う事はできるわ。玉グスクにあるかもしれないのよ」
「そのガーラダマを持って、ササはヤマトゥに行くというのか」
「そういう事。あたしも行きたいけど、冊封使が来るから、あたしは残るわ」
「そうだよ。お前まで行ったら大変な事になる。ササは愛洲ジルーの船でヤマトゥに行くのか」
「そうよ。帰りはシンゴ(早田新五郎)の船に乗ってくればいいわ」
「ササも忙しい事だな」とサハチは笑った。

 

 

 

NEU-101RD【懐剣シリーズ】赤糸拵 短刀(観賞用模造刀・美術刀)(コスプレ)

2-194.玉グスク(改訂決定稿)

 那覇館(なーふぁかん)での歓迎の宴(うたげ)の翌日、南の島(ふぇーぬしま)の人たちとトンド王国(マニラ)のアンアン(安安)たちは安須森(あしむい)ヌル(先代佐敷ヌル)とササ(運玉森ヌル)たちの先導で、隊列を組んで首里(すい)グスクへと行進した。沿道には小旗を振る人たちが大勢集まって、遠くから来た人たちを歓迎した。
 二十年前に琉球に来た与那覇勢頭(ゆなぱしず)、多良間島(たらま)のボウ、タキドゥン按司琉球の変わり様に驚いていた。首里天閣(すいてぃんかく)があった所に高い石垣に囲まれた大きなグスクが建ち、鬱蒼(うっそう)とした樹木に覆われていた所に新しい都ができていた。初めて琉球に来た人たちは何を見ても驚いた。トンドの都に住んでいるアンアンたちも首里グスクの立派さには驚いていた。
 首里グスクの百浦添御殿(むむうらしいうどぅん)(正殿)で中山王(ちゅうざんおう)の思紹(ししょう)と会って、安須森ヌルの案内で都見物を楽しんだあと、会同館(かいどうかん)で再び、中山王による歓迎の宴が催された。
 首里に来たササたちは、あとの事は安須森ヌルに任せて、馬にまたがりセーファウタキ(斎場御嶽)に向かった。早く『瀬織津姫(せおりつひめ)』の事が知りたかった。ササ、シンシン(杏杏)、ナナの三人に愛洲(あいす)ジルー、シラー(久良波之子)、サタルーが付いて来た。玻名(はな)グスクヌルは鍛冶屋(かんじゃー)のサキチとどこかへ行ってしまい、若ヌルたちは実家に帰した。
 与那原(ゆなばる)を通り抜け、佐敷を通り抜け、手登根(てぃりくん)からクルー(手登根大親)が造った道を馬を走らせて、久手堅(くでぃきん)ヌルの屋敷に向かった。久手堅ヌルの屋敷で男たちには待っていてもらい、ササたちは久手堅ヌルと一緒にセーファウタキに入った。イリヌムイ(寄満(ゆいんち))に行き、その奥にある豊玉姫(とよたまひめ)のウタキ(御嶽)がある大岩に向かった。
 以前、豊玉姫のウタキに入れなかったシンシンとナナは躊躇(ちゅうちょ)したが、久手堅ヌルが大丈夫よと言ったので、二人は喜んでウタキの中に入って行った。
 大岩をよじ登って、頂上でお祈りを捧げると豊玉姫の声が聞こえた。
「あなたたちには驚かされるわ。何度もヤマトゥ(日本)に行っていて気づかないのに、南の島に行って瀬織津姫様の事を知るなんて‥‥‥知ってしまったからには話さないわけにはいかないわね」
瀬織津姫様は琉球のお姫様だったのですね?」とササは豊玉姫に確認した。
「そうよ。瀬織津姫様はわたしが生まれた頃より五百年も前の人で、わたしは玉グスクで生まれたけど、瀬織津姫様の事を知らなかったのよ。わたしの母も知らなかったわ。わたしが瀬織津姫様の事を知ったのは、ヤマトゥに行って、スサノオと一緒に九州平定の旅に出た時なのよ。阿蘇山(あそさん)に登って、阿蘇山の神様から『阿蘇津姫(あそつひめ)様』の事を知ったの。阿蘇山にいた頃、瀬織津姫様は阿蘇津姫様と呼ばれていたのよ。南の島から来た神様らしい事はわかったけど詳しい事はわからなかったわ。でも、何となく、琉球の神様のような気がしたの。わたしは琉球に帰って来てから調べたのよ。御先祖様の神様をたどっていったの。でも、瀬織津姫様を知っている神様はいなかった。瀬織津姫様は琉球の人ではないんだと諦めかけた事もあったけど、わたしは挫けなかったわ。そして、やっと、瀬織津姫様を知っている神様に巡り会えたのよ。なかなか見つからなかったのは、瀬織津姫様の子孫が琉球にいなかったからなの。瀬織津姫様の子孫はヤマトゥにいるのよ。瀬織津姫様は垣花(かきぬはな)のヌルだったんだけど、琉球に帰って来なかったの。今の垣花グスクじゃなくて、玉グスクの北(にし)にあった垣花の都の事よ。当時はヌルが都を統治していて、瀬織津姫様は垣花のヌルの跡継ぎのお姫様だったのよ。瀬織津姫様がヤマトゥから帰って来ないので、妹様が母親の跡を継いだわ。だから、琉球にいるのは妹様の子孫たちなの。勿論、わたしたちもそうなのよ。瀬織津姫様の子孫じゃないから、わたしたちには瀬織津姫様の声は聞こえないのよ」
「やっぱり、瀬織津姫様のガーラダマ(勾玉)は琉球にはないのですね?」とササは少し落胆した声で聞いた。
「わたしもそう思ったわ。でも、わたしは諦めずに瀬織津姫様の妹様のお墓を探したの。玉グスクにはなかったし、垣花グスクにもなかったわ。そして、知念(ちにん)グスクで見つけたのよ。知念は瀬織津姫様の妹様が造った村だったの。妹様は『知念姫様』と呼ばれていて、若い頃から新しい村造りに励んでいたらしいわ。でも、お姉様がヤマトゥから帰って来ないので、垣花に戻って、お母様の跡を継いだのよ。長女に垣花のヌルを継がせて、晩年には知念に戻って来て、次女に知念のヌルを継がせたの。知念森(ちにんむい)と呼ばれていたお山が知念姫様のお墓になって、そこがウタキになって、今の知念グスクができたのよ。当時は『グスク』ではなくて、『スク』と言っていたらしいわ。スクというのはアマンの言葉で『一族』っていう意味らしいの。一族の首長のお墓を『スク』と呼ぶようになって、ヤマトゥから伝わった敬語の『御』が付いて、『グスク』になったらしいわ。わたしの頃もスクだったわ。グスクになったのは按司が生まれた頃じゃないかしら」
 ミャーク(宮古島)でもイシャナギ島(石垣島)でも、グスクの事をスクと呼んでいた。古い言葉が未だに残っていたのだった。
「それで、知念姫様は瀬織津姫様のガーラダマの事を知っていたのですか」
「知っていたのよ。瀬織津姫様はヤマトゥで亡くなったけど、ガーラダマが遺品として届けられたのよ」
「えっ、琉球瀬織津姫様のガーラダマが届けられたのですか」とササは驚いて、シンシンとナナを見た。
 二人も驚いた顔をして、豊玉姫の声に耳を澄ましていた。
「わたしも驚いたわ。なんと、玉グスクにあったのよ」
「えっ、玉グスクにあるのですか」
 思っていた通り、玉グスクにあったとササは喜んだ。
「玉グスクの一の曲輪(くるわ)の石の門を抜けた所に、『アマツヅウタキ』があるわ。古い神様で、雨乞いの神様だと伝えられているわ」
「わたしも母からそう聞きました」とササは言った。
 若ヌルだった頃、母に連れられて玉グスクのウタキに行った事をササは思い出した。按司の屋敷がある二の曲輪の上にある一の曲輪は全体がウタキになっていた。古い神様のウタキがいくつもあって、母と一緒にお祈りをしたけど、当時のササには神様の声は聞こえなかった。
瀬織津姫様は水の神様だから、それでいいのよ。そのアマツヅウタキに瀬織津姫様のガーラダマが祀られているのよ」
「えっ、瀬織津姫様のガーラダマはウタキに埋められているのですか」
「そうなのよ。垣花の都があった頃、都の南にあった岩山の頂上に、瀬織津姫様のガーラダマを祀って、『玉スク』って呼んでいたの。玉というのはガーラダマの事だったのよ。知念姫様の話だと、ガーラダマは石に囲まれた中に安置されて、重い岩盤で蓋をされたらしいわ。千五百年も前の事だから、今ではその岩盤も土に埋まっているわ。ガーラダマは玉グスクにあるけど、見る事も触れる事もできないわね。掘り起こしたりしたら大変な事になるわよ」
 ササはがっかりした。ウタキに埋められたガーラダマを手に入れる事はできなかった。手に入れるには瀬織津姫様の許可が必要だった。
「アマツヅウタキで、豊玉姫様は瀬織津姫様の声を聞いた事はありますか」
「ないわ。あそこには垣花の都の首長だった歴代のヌルたちが眠っているの。瀬織津姫様のお母様のウタキもあるのよ。お母様の声は聞いた事あるけど、瀬織津姫様の声は聞いた事はないわ。時々、琉球に帰っていらっしゃるようだけど、わたしには聞こえないのよ」
「アマツヅウタキ以外に、瀬織津姫様のガーラダマは玉グスクヌルに伝わってはいないのですか」
「家宝として古いガーラダマはいくつもあるわ。その中には瀬織津姫様がヤマトゥとの交易で手に入れたガーラダマもあるはずよ。でも、瀬織津姫様が身に付けていたガーラダマはないと思うわ」
瀬織津姫様が交易で手に入れたガーラダマでは瀬織津姫様の声は聞こえないのですね?」
「それらのガーラダマは各地のヌルたちに配られたのよ。当時の玉グスクヌルも手に入れたでしょう。でも、瀬織津姫様が身に付けていたガーラダマでなければ、瀬織津姫様は気づかないわ。瀬織津姫様が身に付けていたガーラダマをササが身に付けていれば、瀬織津姫様もササに声を掛けてくるでしょう」
「そうですか。でも一応、玉グスクヌルに会って聞いてみます。ありがとうございました」
「あなた、ヤマトゥに行くつもりなのね?」と豊玉姫は聞いた。
琉球で見つからなければ、ヤマトゥでガーラダマを探してみます。阿蘇山か武庫山(むこやま)(六甲山)か、伊勢にあるかもしれません。もしかしたら、那智の滝にあるかもしれません」
「千五百年も前の事なのよ。難しいと思うわ」
玉依姫(たまよりひめ)様もご存じないのですね?」
「わたしが教えたから、瀬織津姫様が琉球のお姫様だったという事は知っているけど、それ以上は知らないと思うわ。でも、南の島で瀬織津姫様の事を知ったのだから、ササと瀬織津姫様は何か縁があるのかもしれないわね」
 ササたちは豊玉姫にお礼を言って、ウタキから降りた。
瀬織津姫様の事は初めて聞きました」と久手堅ヌルがササに言った。
 アマミキヨ様が南の島から琉球に来て、ミントングスクで亡くなり、その後、一族の人たちが垣花に都を造って、垣花のお姫様がヤマトゥに行って、瀬織津姫と呼ばれる神様になった事をササは教えた。
瀬織津姫様の子孫がスサノオ様です。瀬織津姫様の妹の子孫が豊玉姫様で、二人が結ばれて、琉球天孫氏(てぃんすんし)とヤマトゥの天孫氏は一つになりました。わたしたちはその子孫なのです」
「ヤマトゥに行って瀬織津姫様に会うのですね?」
「そう思っているんですけど、瀬織津姫様のガーラダマがないと会う事はできません。何としてでも、ガーラダマを探さなければなりません」
 セーファウタキから出て、久手堅ヌルの屋敷で昼食を御馳走になって、ササたちはジルーたちと一緒に玉グスクに向かった。
 途中、知念グスクの近くを通った時、
「知念には寄らないの?」とナナがササに聞いた。
 ササは少し考えたあと、「先に玉グスクの『アマツヅウタキ』に行った方がいいわ」と言った。
 志喜屋(しちゃ)の村を通り抜け、垣花の城下を通って、玉グスクの城下に入った。城下にあるヌルの屋敷に行って、玉グスクヌルと会った。
 玉グスクヌルがササたちの無事の帰国を喜んでくれたので、ササたちは簡単に旅の話をしてから、古いガーラダマの事を聞いた。
「これも古いガーラダマだと伝わっています」と言って、玉グスクヌルは自分が身に付けているガーラダマを見せた。
 二寸(約六センチ)弱の黄色っぽい翡翠(ひすい)のガーラダマだった。
「先代から聞いた話では、豊玉姫様がヤマトゥに行く時に付けていたものだそうです。豊玉姫様がスサノオ様から授かったガーラダマもあったんだけど、中山王になる前の察度(さとぅ)が浦添(うらしい)を攻めた時、極楽寺(ごくらくじ)にいた玉グスクヌルと一緒に焼かれてしまったわ。石だから残っていると思うけど、極楽寺の跡地に埋まったままなのよ」
 そう言って玉グスクヌルはササを見ると、「あなたが羨ましいわ」と言った。
「わたしは按司の娘に生まれたので、玉グスクヌルになったけど、決してシジ(霊力)が高いわけではないの。決められたお勤めはしているけど、豊玉姫様の声を聞いた事はないのよ。聞こえるのは数代前の御先祖様の声だけだわ。昔のヌルは一族の人たちを率いていかなければならなかったので、シジが高くなければヌルにはなれなかった。でも、按司が一族を率いる時代になって、ヌルは按司のための祭祀(さいし)ができればいいようになってしまって、按司の娘がヌルになる事になったわ。でも、若ヌルのウミタルはシジが高いのよ。まだ修行中だけど、あの娘(こ)が豊玉姫様の声が聞こえるようになる事をわたしは祈っているわ」
 若ヌルのウミタルはササの従姉(いとこ)のマナミーの娘だった。安須森ヌルの妹の娘なのでシジが高いのかもしれないとササは思った。
 玉グスクヌルは大切にしまってある木箱を出して、その中にある古いガーラダマを見せてくれた。ガーラダマは十数個あったが、ササの目にかなう物はなかった。
 ササたちは玉グスクヌルと一緒に玉グスクに行った。二の曲輪の屋敷に行って按司と奥さんのマナミーに挨拶をした。マナミーは南の島の話を聞きたがり、ササたちは簡単に話した。
「お土産(みやげ)はあとで届けさせるわ」と言って、詳しい話はジルーに任せて、ササたちは玉グスクヌルと一緒に一の曲輪に登った。
 急な石段が続いていて、石の門をくぐって一の曲輪に入ると霊気がみなぎっていた。正面に『アマツヅウタキ』があった。石垣に囲まれていて、瀬織津姫のガーラダマが安置してある石室の蓋は見えなかった。草が生えているので土の下に埋まっているようだ。掘り起こしたいと思ったが、それはできなかった。千五百年もの間、玉グスクヌルが守ってきたウタキを荒らすわけにはいかなかった。
 ササたちはウタキにお祈りを捧げた。神様の声は聞こえなかった。
 一の曲輪内には古いウタキがいくつもあって、玉グスクヌルと一緒にお祈りを捧げたが、神様の声は聞こえなかった。
「ササ様から教えていただいて、『垣花森(かきぬはなむい)』に行って、極楽寺で亡くなった玉グスクヌルと会って、お話を聞きました。ここにある古いウタキは、垣花森に都があった頃の首長だったヌルたちのお墓だそうです。極楽寺で亡くなった玉グスクヌルも、アマツヅウタキに瀬織津姫様のガーラダマが眠っている事は知りませんでした。雨乞いの神様だと言っていました」
 一の曲輪には若ヌルの屋敷があって、若ヌルのウミタルが暮らしていた。以前は玉グスクヌルもここで暮らしていたのだが、何代か前のヌルが高齢になって上り下りに苦労するようになり、城下に屋敷を建てて暮らすようになった。以後、ヌルは城下に住んで、若ヌルが一の曲輪に住むようになったという。
 若ヌルはいなかった。多分、『宝森(たからむい)』のウタキに行っているのだろうと玉グスクヌルは言った。
 ササたちは玉グスクヌルにお礼を言って、石門をくぐって外に出た。そこからの眺めは最高だった。海の向こうに久高島が見えた。
 二の曲輪に戻って、ジルーたちを連れて玉グスクを出た。馬にまたがりながら、これからどうしようかとササは考えた。
「都だった『垣花森』に瀬織津姫様のガーラダマが眠っているかもしれないわよ」とシンシンが言った。
 確かにその可能性はあるが、密林になってしまっている都の跡を探すのは無理だった。
「垣花グスクも古いんでしょ。何かがわかるかもしれないわよ」とナナが言った。
 ササはうなづいて、来た道を戻った。
「なんだ、また戻るのか」とサタルーが聞いた。
「ものには順番があるのよ」とササは言った。
 垣花グスクの城下にあるヌルの屋敷で垣花ヌルと会って、ササは瀬織津姫の話をした。垣花ヌルは興味深そうに話を聞いていたが、瀬織津姫の名前を聞くのも初めてだし、そんな昔にヤマトゥに行ったヌルがいたなんて信じられないと言って驚いていた。古いガーラダマも見せてもらったが、それらしい物はなかった。
 垣花ヌルはササの母親、馬天(ばてぃん)ヌルと同じくらいの年齢で馬天ヌルを尊敬していた。ササは去年の安須森参詣で会ってはいるが、あまり話をした事もなかった。垣花グスク内にあるウタキは古い垣花ヌルたちのウタキで、垣花に関係のない人を入れるわけにはいかないと言った。
 関係はあるのだが、いちいち説明しても理解してはくれないだろうとササは思って、お礼を言って別れた。
 垣花から知念に行って、知念ヌルと会った。知念ヌルは知念按司の妹で、知念按司の妻のマカマドゥはササの従姉なので歓迎してくれた。瀬織津姫の事を話すと驚いて、瀬織津姫の妹が知念の村を造ったと言ったら、そんな事は全然知らなかったと言った。
「知念グスクを築いた知念姫様は玉グスクの一族だという事は聞いているけど、そんな凄い神様の妹さんだったなんて初めて聞きました」
 そう言って、若ヌルのマカミーに波田真(はたま)ヌルを呼んで来るように頼んだ。波田真ヌルは先代の知念ヌルだった。知念ヌルは引退すると波田真ヌルを継ぐ習わしがあった。二年前、波田真ヌルだった先々代の知念ヌルが亡くなったので、波田真ヌルを継いでいた。
 ササたちが知念ヌルから古いガーラダマを見せてもらっている時、若ヌルが波田真ヌルを連れて来た。
瀬織津姫様の名前は先々代の志喜屋の大主(しちゃぬうふぬし)様から聞いた事があるわ」と波田真ヌルはササを見て言った。
「かなり古い神様で、凄い神様だったと聞いているけど、その瀬織津姫様と知念姫様が姉妹だったなんて知らなかったわ」
 志喜屋の大主は馬天ヌルにガーラダマを授けた人だった。佐敷按司を隠居した思紹が志喜屋に行って、志喜屋の大主の娘の志喜屋ヌルからガーラダマを譲られて、思紹は馬天ヌルに渡した。そのガーラダマは浦添のヌルに代々伝わって来たもので、豊玉姫スサノオから授かった十種(とくさ)の神器(じんぎ)の中の一つだった。
「志喜屋の大主様は凄い神人(かみんちゅ)だったと聞いていますが、未来に起こる事がわかったのですか」とササは波田真ヌルに聞いた。
「そうなのよ。凄い神人だったのよ。男の人だからウタキに入れないけど、神様とお話ができたのよ。そして、予言も当たったわ。浦添按司になった玉グスクの一族が察度に滅ぼされるのも、島添大里按司(しましいうふざとぅあじ)が八重瀬按司(えーじあじ)に滅ぼされるのも予言したのよ」
「凄い人だったのですね」と言って、ササは手に持っていた古いガーラダマを箱に戻した。
 ここにも瀬織津姫のガーラダマはなさそうだった。
「伯母さん、あのガーラダマも見せてもいいですか」と知念ヌルが波田真ヌルに聞いた。
「えっ?」と言ったあと、波田真ヌルはササを見て、「瀬織津姫様のガーラダマを探しているの?」と聞いた。
 ササはうなづいた。
「見せてもいいわ」と波田真ヌルは知念ヌルに言った。
 知念ヌルは部屋から出て行って、綺麗な箱を持って戻って来た。箱の中に古いガーラダマが入っていた。大きさはそれ程大きくはないが、何か強い力が感じられた。
「知念グスクを築いた『知念姫様』のガーラダマだって伝わっているわ」と波田真ヌルは言った。
「若ヌルが知念ヌルになる時、これを首に掛けるのが古くからのしきたりなの。でも、気分が悪くなって、すぐに外したくなるのよ」と知念ヌルが言った。
「わたしは二日も寝込んだわ」と波田真ヌルが笑って、「いつしか『試練のガーラダマ』って呼ばれるようになったのよ」と言った。
 ササはガーラダマをじっと見つめてから、顔を上げて、「首から下げてもいいですか」と聞いた。
 知念ヌルは波田真ヌルを見た。
「ひどい目に遭うわよ」と波田真ヌルは言った。
「人によって症状は違うけど、胸が締め付けられるように苦しくなって血を吐いた人もいたって伝えられているわ。あなたにその覚悟があるなら、試してみるがいいわ」
 ササはガーラダマにお祈りを捧げた。シンシンとナナもササを見倣ってお祈りを捧げた。
 目を開くとササはガーラダマをゆっくりと箱から出して、目の前に捧げてから、ガーラダマの紐を頭から通して首に掛けた。
 突然、雷が鳴り響いた。若ヌルが悲鳴を上げた。シンシンとナナがビクッとして外を見た。勢いよく降る雨の音が聞こえてきた。外にいたジルーたちが慌てて飛び込んできた。
 ササが首から下げたガーラダマが一瞬、光ったように思えた。
「あなた、大丈夫なの?」と波田真ヌルが聞いた。
「気分は悪くはありません」とササは言った。
「何となく、身が軽くなったような気がします。空でも飛んでいけるような気分です」
「信じられないわ」と言ったあと、ハッとした顔をして、波田真ヌルは何かを思い出したように指折り数えた。
「志喜屋の大主様が亡くなって、三十三年目だわ」と驚いた顔をして波田真ヌルが言った。
「志喜屋の大主様は亡くなる時に、三十三年後、そのガーラダマを身に付けるべき人が現れると言ったのよ。わたしたちはまさかって思ったけど、今年が丁度、三十三年後なのよ。でも、どうして、あなたなの?」
 ササにもわからなかった。豊玉姫様の子孫には違いないけど、知念とのつながりはなかった。でも、ガーラダマを見つめていたら、「大丈夫」という声が聞こえたような気がした。ササは痛い思いをする覚悟をして、一か八か首から下げたのだった。
 四半時(しはんとき)(三十分)後、雷も大雨もやんで、嘘のように晴れ渡った。ササたちは波田真ヌル、知念ヌルと一緒に知念グスク内にあるウタキに行った。ここのウタキもグスクの一番上にあった。
「知念姫様が瀬織津姫様の妹さんだったなんて驚いたわね」と波田真ヌルがまた言った。
「今まで知念姫様の声を聞いた事はなかったけど、そのガーラダマを首から下げているあなたなら声が聞こえるかもしれないわ」
 ササたちはお祈りを捧げた。
「そなたは誰じゃ?」という声がササだけに聞こえた。
「馬天ヌルの娘で、運玉森(うんたまむい)ヌルを継いだササと申します」とササは答えた。
 ササの声を聞いて、皆が驚いてササを見た。
「運玉森ヌルのそなたが、どうして、われのガーラダマを首から下げているのじゃ?」
「わかりません」とササは答えてから、「神様は知念姫様ですか」と聞いた。
「そうじゃ。そのガーラダマは姉がヤマトゥに行く時に身に付けていたガーラダマで、われが垣花のヌルを継ぐ時に、姉から譲られたガーラダマじゃ。われの長女が垣花のヌルを継ぐ時に譲ったが、長女はそのガーラダマを身に付ける事はできなかった。われは知念森に隠居して、知念のヌルになった次女にガーラダマを譲った。次女も身に付ける事はできず、代々、知念ヌルに伝わっていったが、誰一人として、そのガーラダマを身に付ける事はできなかった。なぜ、そなたはそのガーラダマを身に付ける事ができるんじゃ?」
「知念姫様のお姉様というのは瀬織津姫様の事ですね?」
「姉は『垣花姫』を名乗ってヤマトゥに行ったが、『阿蘇津姫』という名を名乗って琉球に帰って来た。そして、われに垣花のヌルを継げと言って、そのガーラダマをわれに譲った。次に帰って来た時は『武庫津姫(むこつひめ)』と名乗っていた。その後、姉は帰っては来なかった。ヤマトゥで亡くなって、神様になって帰って来た時、『瀬織津姫』と名乗っていたんじゃよ。もしや、そなたは姉の子孫なのか」
「まさか?」とササは首を振った。
「そなたの父親の母親は誰じゃ?」
「わたしの父は三好日向(みよしひゅうが)というヤマトゥンチュ(日本人)で、阿波(あわ)(徳島県)の国で生まれました。母親は阿波の国の娘です」
「阿波の国に『阿波津姫』という姉の娘がいると姉から聞いた事がある。その娘は姉の子孫に違いない。われの子孫の馬天ヌルと、姉の子孫の阿波の国の娘が産んだ三好日向が結ばれて、そなたが生まれたのじゃろう」
「えっ、父のお母さんが『瀬織津姫様』の子孫だったのですか」
「そうとしか考えられん。われらが亡くなって四百年後、われの子孫の『豊玉姫』と姉の子孫の『スサノオ』が結ばれて、『玉依姫』が生まれた。玉依姫はヤマトゥの女王になった。それ以来の事じゃ。そなたが何をしでかすのかわからんが、姉もそなたの出現に喜ぶ事じゃろう。ヤマトゥに行って、姉に会って来るがいい」
 ササは驚いて返事もできなかった。自分が玉依姫様と同じように、瀬織津姫様の子孫とその妹の知念姫様の子孫が結ばれて生まれたなんて信じられなかった。
 夕日に照らされて輝いているササの顔を見つめながら、シンシン、ナナ、波田真ヌル、知念ヌルは呆然としていた。

 

 

 

エミシの国の女神―早池峰-遠野郷の母神=瀬織津姫の物語   円空と瀬織津姫 上巻 北辺の神との対話   円空と瀬織津姫 下巻 白山の神との対話

2-193.ササの帰国(改訂決定稿)

 進貢船(しんくんしん)を送り出した二日後、首里(すい)の武術道場で『武科挙(ぶかきょ)』が行なわれた。
 明国(みんこく)の制度を真似して、サムレーになりたい若者は誰でも受ける事ができた。大勢の若者たちが集まって来て、武術の試合を行ない、勝ち残った百人がサムレーになるための修行が許された。
 今まで、重臣やサムレーたちの息子は才能がなくても、武術道場で修行をする事ができたが、これからは武科挙を受けなければ、たとえ重臣の息子であってもサムレーになる事はできなくなった。『まるずや』の主人、トゥミの息子のルクは見事に勝ち残って、武術道場で修行する事になった。
 サハチ(中山王世子、島添大里按司)も苗代大親(なーしるうふや)を手伝って、若者たちの試合に立ち会った。ルクは思っていた以上に強かった。父親よりも母親に似たらしい。ヤフス(先代島添大里按司)の息子という事は、ルクは他魯毎(たるむい)(山南王)の従弟(いとこ)になるのかとサハチは改めて気づいた。でも、ルクはその事は知らない。いつの日か、知る事になるのだろうかと少し心配になった。
 その翌日、サハチは龍天閣(りゅうてぃんかく)で思紹(ししょう)(中山王)と今帰仁(なきじん)攻めの兵力と行軍行程を検討していた。大勢の兵を率いて今帰仁まで行かなければならないので、兵糧(ひょうろう)は勿論の事、馬や荷車など、今のうちに用意できる物は用意しておかなければならなかった。
 一通り検討したあと、サハチは思紹が今、彫っている彫刻を見た。
「観音様ですか」とサハチが聞いたら、
「『弁才天(びんざいてぃん)様』じゃ」と思紹は答えた。
 サハチは弁才天様を知らなかった。
「馬天(ばてぃん)ヌルから彫ってくれと頼まれたんじゃよ」
「叔母さんが? 琉球の神様なんですか」
「どうも違うようじゃ。昔、ビンダキ(弁ヶ岳)にヤマトゥ(日本)から来た山伏が登って、山頂に弁才天様を祀(まつ)ったらしい。今はなくなってしまったので、わしに彫ってくれと言ったんじゃよ。報恩寺(ほうおんじ)の和尚(ナンセン禅師)に聞いたら、弁才天様は天竺(てぃんじく)(インド)の神様で、唐に伝わってヤマトゥに来たという。水の神様であり、音曲(おんぎょく)の神様でもあるようじゃ。馬天ヌルがビンダキの神様から聞いた話をしたら、和尚は驚いて、ビンダキに弁才天様を勧請(かんじょう)したのは『役行者(えんのぎょうじゃ)』に違いないと言っておった」
役行者?」
「山伏の元祖だそうじゃ。ヤマトゥの大峯(おおみね)という修験(しゅげん)の山に弁才天様を祀ったのも役行者だと言っておった。ヤマトゥでは『瀬織津姫(せおりつひめ)様』という神様の化身として弁才天様があちこちに祀ってあるらしい」
瀬織津姫様というのは、豊玉姫(とよたまひめ)様の娘ですか」
「さあのう。馬天ヌルに聞いても知らなかった。ササ(運玉森ヌル)なら知っているかもしれんな」
 弁才天様を見ると三弦(サンシェン)のような楽器を持っていた。そして、不思議な事に手が四本もあった。
「どうして、手が四本もあるのですか」とサハチは聞いた。
「報恩寺の書庫に弁才天様の絵図があったんじゃ。そこに描いてあった弁才天様の手が四本あったんじゃよ。和尚に聞いたら八本もある弁才天様もいるらしい。八本も彫るのは大変なんで四本にしたんじゃよ」
 不思議な神様だと思いながら、サハチは弁才天様の顔を見た。まだ彫りかけなので輪郭しかわからないが、何となく馬天ヌルに似ているような気がした。
 サハチは思紹と別れてビンダキに行った。山頂の小屋に猟師(やまんちゅ)の格好をしたウニタル(ウニタキの長男)がいた。
「何だ、お前はここにいたのか」
「いつも、ここにいるわけではないんですけど、そろそろ按司様(あじぬめー)が来るだろうから、見張っていろと親父に言われたのです」
「俺に何か用があるのか」
「そうじゃないみたいです。按司様が独り言を言ったら、よく聴いておけと言われました」
「俺が独り言を言うだと? お前の親父は寝ぼけているのか」
「さあ?」とウニタルは首を傾げた。
「ここに弁才天様の祠(ほこら)があったのを知っているか」とサハチはウニタルに聞いた。
弁才天様って誰ですか」
「神様だよ」
「知りません」とウニタルは首を振った。
 サハチは辺りを眺めたがわからなかった。舜天(しゅんてん)(初代浦添按司)の時代、熊野水軍琉球に来ていたので、その頃、熊野の山伏がこの山に登ったのだろうか。山伏の元祖が弁才天様を祀ったというのなら、もっと昔の事かもしれなかった。
 夕暮れの南の海を眺めながら、サハチはササたちの無事の帰国を祈った。
「サハチ」と呼ぶユンヌ姫の声が聞こえた。
「ユンヌ姫様、帰って来たのか」とサハチは言った。
 ユンヌ姫の声が聞こえないウニタルは、サハチが独り言を言ったので驚いた。
「明日の正午(ひる)頃にはササたちが帰って来るわ」
「なに、明日の正午に帰って来るのか。無事でよかった。今まで、ありがとう」
「楽しい旅だったわ。収穫も多いわよ。楽しみにしていて」
「南の島(ふぇーぬしま)の人たちも来るのか」
「ミャーク(宮古島)の船とトンド(マニラ)の船が一緒に来るわ」
「トンド?」
「南の国(ふぇーぬくに)よ」
「総勢、何人だ?」
「百五十人位じゃないかしら」
「百五十人か‥‥‥」
 浮島(那覇)の『那覇館(なーふぁかん)』は旧港(ジゥガン)(パレンバン)とジャワの人たちの宿舎として拡張したが、途中で、南の島の人たちも来る事に気づいて、さらに拡張した。百五十人なら何とかなりそうだった。
「苗代大親の娘も連れて来たのか」
「連れて来たわ。サングルミー(与座大親)の娘もね」
「サングルミーの娘?」
「パティローマ(波照間島)にいたのよ。親子の対面があるから、苗代大親とサングルミーを呼んでね」
「わかった。無事に帰って来て、本当によかった」
 サハチはもう一度、ユンヌ姫にお礼を言ってから、「ユンヌ姫様はここに弁才天様が祀ってあったのを知っているのか」と聞いた。
「えっ、ちょっと待って」とユンヌ姫は言ってから、「そうよ。ここよ。ここだったんだわ」と言った。
琉球にも弁才天様が祀ってあった所があったんだけど思い出せなかったのよ。サハチがどうして、そんな事を知っているの?」
「馬天ヌルがここの神様から聞いたらしい」
「そうだったの。真玉添(まだんすい)の都があった頃、ヤマトゥから仙人が飛んで来て、この山に祀ったのよ。当時は弁才天岳(びんざいてぃんだき)って呼ばれていたわ。真玉添が滅んだあと、ここの弁才天様も忘れ去られてしまって、いつしかビンダキって呼ばれるようになったのね。ササも弁才天様の事を調べているのよ」
「ササがか。南の島にも弁才天様が祀ってあるのか」
弁才天様はもともと南の国の神様なのよ。トンドには弁才天宮があって、黄金(くがに)の弁才天様がいらしたわ」
「そうなのか。知らせてくれてありがとう。ササたちを迎える準備をして待っているよ」
 ユンヌ姫と別れたサハチが振り返ると、呆然とした顔をしてウニタルがサハチを見ていた。
按司様は神様とお話ししていたのですか」
「いや、ただの独り言だよ。ササたちが明日の正午頃に帰って来る。親父に知らせてくれ」
「はい。わかりました」と頭を下げるとウニタルは山を駈け下りて行った。
 サハチは首里グスクに帰って、ササたちの帰国を知らせて、城女(ぐすくんちゅ)たちに帰国祝いの準備をさせた。


 パティローマからフシマ(黒島)に行ったササたちは、フシマ按司を乗せて、イシャナギ島(石垣島)の玉取崎(たまとぅりざき)に寄った。玉取のツカサに馬を借りて、名蔵(のーら)まで行き、名蔵にしばらく滞在して、ブナシル(名蔵女按司)やマッサビ(於茂登岳のフーツカサ)に旅の話を聞かせた。仲間の若按司、富崎(ふさぎ)の若按司、新城(あらすく)のツカサ、大城(ふーすく)のツカサ、フーキチ夫婦を連れて玉取崎に戻り、平久保(ぺーくぶ)で若按司の太郎を乗せて多良間島(たらま)に行った。
 多良間島で女按司のボウと娘のイチを乗せてミャークに行った。与那覇勢頭(ゆなぱしず)は琉球に行く準備をして待っていた。ササたちはお世話になった人たちに挨拶をして回り、ミャークを船出したのは五月二十六日の早朝だった。
 サシバはすでに飛んで行ってしまっていたが、ササたちを待っていたのか、数羽のサシバ琉球目指して飛んで行った。ササたちはサシバを追って船出をした。
 与那覇勢頭の船には二十年前に琉球に行った船乗りも乗っていて、勘を取り戻せば琉球に行く事も帰る事もできるだろうと言っていた。夜中も走り通して、翌日の夕方、島影が見えてきた。キラマ(慶良間)の島々だった。ササたちは修行者たちがいる夢の島に寄った。修行者たちは驚いた。ササたちは修行者たちに旅の話を聞かせて喜ばれた。


 翌日、サハチは馬天ヌル、麦屋(いんじゃ)ヌル(先代与論ヌル)、カミー(アフリ若ヌル)と一緒に浮島に行った。サハチたちが来る前に、サスカサ(島添大里ヌル)、ユリ、ハル、シビーが来ていた。女子(いなぐ)サムレーたちも一緒にいて、集まって来た人たちに小旗を配っていた。
「ユンヌ姫様から聞いたのか」とサハチが聞くと、
「アキシノ様から聞いたのよ」とサスカサは言った。
「メイヤ姫様という南の島の神様も一緒にいたわ」
「なに、神様も連れて来たのか。神様の接待はお前たちに任せるよ」とサハチが言ったら、サスカサは笑った。
 噂を聞いた人たちがササたちを迎えようと集まって来た。ヤマトゥの船が帰ってしまって閑散としていた浮島が、お祭りのように賑やかになった。
 サタルーがシラー(久良波之子)と一緒にやって来た。
「お前、どうして、ここにいるんだ?」とサハチは驚いて、サタルーに聞いた。
「去年の暮れに丸太を運んだ船が奥間(うくま)に帰って来たんだけど、その船に玻名(はな)グスクの城下に住んでいた家族が乗っていたんです。その家族の親が奥間で亡くなったので、里帰りしたんです。その家族を玻名グスクまで連れて行って、山グスクに顔を出したら、ササたちが帰って来るという知らせを聞いて、シラーと一緒にやって来たんです」
「ナナに会いたくて、わざわざ来たんじゃないのか」と聞くと、サタルーは笑って、
「長い船旅でしたからね。ここに俺がいないとナナが寂しい思いをするだろうと思ったんですよ」と言ってシラーを見た。
「そうですよ」とシラーはうなづいた。
「明国から帰って来た時、シンシン(杏杏)がいなくて寂しい思いをしました。みんなが再会を喜んでいるのに、俺には誰もいなかったんです」
「そうか」とサハチは言って、二人を見て笑った。
 ンマムイ(兼グスク按司)夫婦とマグルー夫婦も来た。ヤグルー(平田大親)とマタルー(八重瀬按司)と手登根大親の妻、ウミトゥクも来た。叔父のサミガー大主(うふぬし)までやって来たのには驚いた。
「懐かしい顔と会えるかもしれんのでな」とサミガー大主は笑った。
 大勢の人が集まり過ぎてきた。うまい具合に浮島の警護を担当している田名親方(だなうやかた)が顔を出した。見物人たちを整理して、港から那覇館までの道の確保をするようにサハチは頼んだ。縄を持ったサムレーたちがやって来て、見物人たちを抑えた。
 四半時(しはんとき)(三十分)後、法螺貝(ほらがい)が鳴り響いた。遠くに船影が見えてきた。三隻の船がだんだんと近づいて来た。迎えの小舟(さぶに)が次々と漕ぎ出して行った。
 一番最初に上陸したのは、ササ、安須森(あしむい)ヌル(先代佐敷ヌル)、シンシン、ナナ、ナーシルだった。
 ササたちはニコニコしながらサハチたちの所に来て、「ただいま」と言った。
「楽しかったわ」と安須森ヌルは言った。
「凄い事がいっぱいわかったのよ」とササが言って、ナーシルを紹介した。
 ナーシルは背の高い娘で、槍を持っていた。目元が苗代大親に似ているとサハチは思った。
「遠い所をよく来てくれました。安須森ヌルの兄のサハチです」
「ナーシルです。よろしくお願いいたします」
 シンシンはシラーと、ナナはサタルーとの再会を喜んでいた。
 玻名グスクヌルと若ヌルたちが上陸して来た。旅立つ前、幼かった若ヌルたちは一回りも二回りも大きくなっているように思えた。皆、目をキラキラと輝かせていた。
 チチーは父親のマタルーと、ウミは父親のヤグルーと、ミミは母親のウミトゥクとの再会を喜んで涙ぐんでいた。マサキは父親のンマムイ、母親のマハニ、姉のマウミまでいるので感激して泣いていた。安須森ヌルの娘のマユは女子サムレーたちに囲まれていた。マユは女子サムレーたちに可愛がられて育っていた。皆、母親のようなものだった。
 みんなの再会を喜びながらも玻名グスクヌルは寂しかった。自分の身内は皆、戦死してしまって誰もいなかった。帰って来ても、誰も喜んではくれなかった。
「マフー」と呼ぶ声が聞こえた。空耳かしらと振り返ると懐かしい顔があった。
「サキチ‥‥‥」と玻名グスクヌル(マフー)は男を見つめた。知らずに涙がこぼれ落ちた。
「お帰り」とサキチは言った。
「ただいま」と言って、無理に笑おうとしたが、あふれ出る涙が止まらなかった。
 サキチは玻名グスクの城下に住んでいた鍛冶屋(かんじゃー)だった。マフーが十八歳の時に奥間からやって来た。マフーより一つ年上で、「好きです」と告白された。当時、若ヌルだったマフーは、「ヌルはお嫁に行けないの」とサキチの求婚を断った。それでもサキチは諦めなかった。
「俺が一緒になる人はマフーしかいない」と言って、嫁をもらう事もなく独身で通していた。鍛冶屋の腕は確かで、父にも信頼されていた。マフーが二十七歳の時、伯母の玻名グスクヌルが亡くなって、マフーが玻名グスクヌルを継いだ。それでも、サキチは諦める事はなかった。父や兄たちが戦死して、玻名グスクが奪われ、どん底にたたき落とされたマフーはサキチの事など忘れた。
 すっかり忘れていたサキチが南の島を旅していた時、突然、思い出された。ササや安須森ヌルの話を聞いて、もしかしたら、サキチは自分のマレビト神だったのではないのだろうかと思うようになった。助けが必要な時、サキチが現れて、いつも助けてくれた。その時は当たり前だと思っていたけど、決して、そうではない事に気づいた。サキチはいつも自分を見守ってくれていたのだった。マフーは琉球に帰ったら、サキチを探そうと思っていた。
 夢でも見ているかのように、サキチが目の前に現れたので、マフーの頭の中は真っ白になっていた。
 愛洲(あいす)ジルーたちが上陸して来て、サハチはお礼を言った。ミーカナとアヤーは与那原(ゆなばる)の女子サムレーたちに囲まれていた。
 ミャークの船から南の島の人たちが上陸して来て、サハチは挨拶を交わした。
「一番、お世話になった人よ」とササがクマラパを紹介した。
 雰囲気がヂャンサンフォン(張三豊)に似ていて、仙人のような人だとサハチは思った。
「そなたがサグルーの息子かね?」とクマラパは言った。
「昔、津堅島(ちきんじま)に住んでいて、お祖父(じい)様(先代のサミガー大主)を知っているのよ」とササが言った。
「妹と一緒に五十年振りの里帰りじゃ」とクマラパは楽しそうに笑った。
 トンドの船からアンアン(安安)たちが上陸して来た。トンド王国の王女様だと聞いて、サハチは驚いた。
「アンアンはメイユー(美玉)さんを知っているのよ」とササが言った。
「えっ、メイユーはトンドに行ったのか」
「メイユーさんは有名な女海賊だったのよ。トンドでもターカウ(台湾の高雄)でも神様になっていたわ」
「ターカウ?」
「あとで詳しく話すわ」
 上陸した人たちは、小旗を振って歓迎する大勢の見物人たちに驚きながら、那覇館へと移動した。
 那覇館で待っていた苗代大親は娘のナーシルと会った。ナーシルに母親の面影を見て、「ユミによく似ておる」と言って笑った。
 初めて見る父親は母から話を聞いて、ナーシルが想い描いていた通りの武将だった。
「ずっと、わたしを守ってくれました」と言って、ナーシルは短刀を腰からはずして苗代大親に見せた。
「そうか。大事に持っていてくれたか」
「母も会いたがっていたけど、琉球との交易が始まれば、いつでも行けるから、今回はわたしに行って来いって行ったのです」
「そうか。母さんも元気か」
 サングルミーは南の島の人たちを歓迎するために二胡(アフー)の演奏をしてくれと頼まれて那覇館に来ていた。大広間の舞台の脇で二胡調弦(ちんだみ)をしていたら、「サングルミー」と誰かが呼んだ。何となく懐かしい声のような気がして、顔を上げると南の島から来た女が二人、サングルミーを見つめていた。
 サングルミーは立ち上がって、二人のそばに行ったが、すぐには思い出せなかった。
「ペプチ」と年長の女が言った。
「ペプチなのか‥‥‥」
 女はうなづいた。
 サングルミーは女を見つめて、隣りにいる娘を見た。
「あなたの娘のサンクルよ」
 昔の思い出が蘇って、驚いたサングルミーは持っていた二胡を落とした。素早い身のこなしでサンクルが二胡を受け取った。
 サンクルはサングルミーの思い出の中のペプチによく似ていた。
「会いたかったぞ」とサングルミーは思わず言っていた。
 歓迎の宴(うたげ)が始まって、サハチは安須森ヌルと一緒に挨拶をして回った。女の人が多いので不思議に思って聞くと、南の島ではヌルが村を統治していて、女の按司が多いのよと安須森ヌルは言った。昔の姿を残しているんだなとサハチは思った。
 フーキチは奥間の鍛冶屋で、ヤキチ(玻名グスク按司)をよく知っていると聞いて驚いた。奥間の鍛冶屋が南の島まで行っていたなんて信じられなかった。
 タキドゥン按司汪英紫(おーえーじ)(先々代山南王)に滅ぼされた島添大里按司(しましいうふざとぅあじ)の息子だったと聞いて驚き、ミャークが昔、倭寇(わこう)の大軍に襲撃されて大勢の人が亡くなったと聞いて驚いた。倭寇が南の島まで行っていたとは知らなかった。ターカウは倭寇の拠点になっていて、明国の海賊たちが集まって来る。その中にメイユーもいて、メイユーはターカウで活躍したという。サハチはメイユーから、ターカウの事なんて聞いた事もなかった。
 トンドの人たちは言葉が通じないのでファイチ(懐機)に任せた。
 一通り、挨拶が終わって、ウニタキ(三星大親)の所に行くとンマムイが来ていて、二人で話し込んでいた。
「サハチ師兄(シージォン)、ウニタキ師兄に話していたんだけど、面白い男と出会ったんですよ」とンマムイが興奮した顔で言った。
「南の島から来た人たちの中に知り合いがいたのか」
「そうじゃなくて、慈恩寺(じおんじ)で会ったんです」
慈恩寺?」
「昨日、ちょっとヤタルー師匠(阿蘇弥太郎)に用があって顔を出したら、そこに懐かしい奴がいたんです」
「そいつ、使えそうだぞ」とウニタキがニヤッと笑った。
「何者なんだ?」とサハチは聞いた。
「仲尾大主(なこーうふぬし)の倅だ。名前はジルーで、『真喜屋之子(まぎゃーぬしぃ)』と名乗って、テーラー(瀬底大主)と一緒に進貢船(しんくんしん)に乗って明国にも何度も行っているそうだ」とウニタキが言った。
「ミーグスクにいた仲尾大主か」
「そうだ。姉さんはリュウイン(劉瑛)の奥さんだ。弟は今帰仁のサムレーらしい。そして、親父は山南王(さんなんおう)の重臣になっている」
「そんな奴がどうして、慈恩寺にいるんだ?」
「奴は死んだ事になっているんです」とンマムイが言った。
 ンマムイがジルーに初めて会ったのは、『ハーリー』でヂャンサンフォンと出会う数か月前の事だった。その頃、ンマムイはサハチを襲撃するために武芸者を集めていた。腕が立つジルーはンマムイの目にかなって、阿波根(あーぐん)グスクに滞在する事になった。口数が少ない男で自分の事は何も言わなかったが、ある日、マハニがジルーの事を思い出して、話をしたら、ジルーも驚いて、仲尾大主の息子だと白状した。事件を起こして今帰仁には帰れず、しばらくヤマトゥに行っていて、帰って来たばかりだと言った。
 翌年の一月、ンマムイがヂャンサンフォンを阿波根グスクに連れて行くと、ジルーも一緒にヂャンサンフォンの指導を受けた。四月にンマムイはサハチたちと一緒にヤマトゥと朝鮮(チョソン)に行った。帰って来たらジルーはいなかった。マハニに聞いたら旅に出たという。もしかしたら、またヤマトゥに行ったのかもしれないと言った。その後、ンマムイはジルーに会っていない。
 ンマムイが家族を連れて今帰仁に行った時、何気なく、ジルーの事を話したら、湧川大主(わくがーうふぬし)は目の色を変えて、奴はどこにいると問い詰めた。そして、ジルーが起こした事件の事を話した。
 ジルーは武芸の腕を見込まれて、山北王(さんほくおう)の弟、サンルータの護衛役として進貢船に乗って明国に行った。サンルータの護衛をしながらも明国の言葉を学んだらしい。そのお陰で、翌年はサムレーとして進貢船に乗る事ができた。
 サンルータの護衛を見事に果たしたジルーは嫁をもらった。永良部按司(いらぶあじ)の娘でマナビーという美人だった。嫁をもらった四か月後、ジルーは明国に旅立った。次の年は二度も明国に行っている。マナビーの実家は遠く離れた永良部島だ。寂しかったのだろう。ジルーが明国に行っている留守中、サンルータと過ちを犯してしまった。ジルーが四度目の唐旅(とうたび)から帰って来て、帰国祝いの宴がグスク内で行なわれた。その日、体調が悪かったジルーは早めに屋敷に引き上げた。そしたら、マナビーがサンルータと一緒にいた。カッとなったジルーはマナビーとサンルータを斬ってしまう。
 大変な事をしてしまった。もう逃げるしかないと思って、ジルーは倭寇の船に乗り込んでヤマトゥに逃げた。二人の死は病死と公表されて、怒った山北王はジルーを探させたが見つからなかった。ジルーは明国で病死したという事になっているという。
「湧川大主の下に弟がいたとは知らなかった」とサハチが言った。
「マハニも驚いていましたよ。サンルータは病死したと信じていたようです。昨日、奴から聞いて驚いたんだけど、阿波根グスクから姿を消したジルーはヤマトゥに行ったわけではなくて、ずっと浮島の若狭町(わかさまち)にいたそうです。遊女屋(じゅりぬやー)の護衛として遊女(じゅり)たちを守っていたようです」
「遊女の護衛か。面白い奴だな」とサハチは笑った。
テーラーが南部に来たので隠れていたようです」
「親父も来たしな」とウニタキが笑った。
「奴は少し変わった所があるようです。重臣の息子なのでサムレーになれたのに、それを嫌って、十八の時に旅に出たそうです。浮島に行ったら、密貿易船が何隻もいたので驚いたと言っていました。そして、もっと驚いた事に、奴はサハチ師兄の所で武芸を習っていたんですよ」
「何だと?」
「馬天浜のサミガー大主の離れに滞在して、美里之子(んざとぅぬしぃ)の武術道場に通っていたようです」
「それはいつの事だ?」
「浮島に密貿易船が来ていたんだから、ファイチが琉球に来た頃じゃないのか」とウニタキが言った。
 サハチは当時を思い出した。馬天浜でファイチと出会った頃、サミガー大主の離れに滞在して、カマンタ(エイ)捕りをしながら、武術道場に通っている若者がいた。どこかのウミンチュ(漁師)だろうと思っていたが、山北王の重臣の倅だったとは驚いた。
「ジルーは佐敷で腕を磨いて、サンルータの護衛役になったようです」とンマムイは言った。
「ジルーは慈恩寺にいるのか」
「腕を見込まれて、師範代を務めています。ヤマトゥにいた頃、慈恩禅師(じおんぜんじ)殿の弟子から指導を受けたと言っていました。その弟子は賀来内蔵助(かくくらのすけ)という男で、ヤタルー師匠も知っていました」
「成程、慈恩禅師殿の孫弟子だったのか」
「奴はリュウインの義弟だし、リュウインを寝返らせるのに使えるかもしれんぞ」とウニタキが言った。
「そうだな」とサハチはうなづいた。
「新しい海賊が来たので、リュウインが二度目の使者になる事はなくなった。何としてでも寝返らせなくてはならんな」
「もう少し、奴の事を調べてみよう」とウニタキが言った。
「頼むぞ」とサハチは言って、ササたちの所に行った。

 

2-192.尚巴志の進貢(改訂決定稿)

 土砂降りだった雨もやんで、佐敷グスクではお祭り(うまちー)が始まっていた。
 馬天浜(ばてぃんはま)からシンゴ(早田新五郎)たちも来ていて、山グスクに行っていたルクルジルー(早田六郎次郎)たちもマウシ(山田之子)と一緒に来ていた。
 大きなお腹をしたナツも子供たちを連れて来ていた。サハチ(中山王世子、島添大里按司)が心配して、休んでいろと言っても、まだ大丈夫よと言って聞かなかった。サハチも一緒に行ったら、ウニタキ(三星大親)とファイチ(懐機)も来ていて、久し振りに三人で酒盛りを始めた。
「五月に送る進貢船(しんくんしん)の使者が決まりましたよ」とファイチが言った。
「サハチの最初の進貢だ。サングルミー(与座大親)が行くんだろう」とウニタキは言ったが、ファイチは首を振った。
「まもなく冊封使(さっぷーし)が来ますからね。サングルミーさんにはいてもらわないと困ります」
「そうか。それもそうだな」とウニタキはうなづいた。
「末吉大親(しーしうふや)に正使を務めてもらう事に決まりました。去年、南風原大親(ふぇーばるうふや)と一緒に順天府(じゅんてんふ)(北京)まで行っているので大丈夫でしょう」
「末吉大親南風原大親は俺たちが明国(みんこく)に行った時、サングルミーの従者として一緒に行ったな」とサハチが言った。
「あの二人は同い年なんです。言葉に堪能な南風原大親が去年、先に正使になって、末吉大親も負けるものかと頑張って、今年、正使になったのです」
南風原大親は朝鮮(チョソン)にも二度行っている。朝鮮の言葉も話せるとカンスケが驚いていたよ」
南風原大親は一月に行っているから、二人は向こうで会うかもしれません」
「俺たちが明国に行ったのは、もう八年も前だ。また行きたくなったな」とウニタキが言った。
今帰仁(なきじん)攻めが終わったら、また三人で行こう」とサハチが言うと、
「そいつは楽しみだ」とウニタキが嬉しそうに笑った。
「ムラカ(マラッカ)まで行って、ヂャン師匠(張三豊)を驚かせましょう」とファイチも楽しそうに笑った。
 お芝居が始まった。ハルとシビーの新作『佐敷按司』だった。
 十七歳のサグルーがヤマトゥ(日本)から帰って来る場面から始まった。武術師範の美里之子(んざとぅぬしぃ)の娘、ミチに惚れたサグルーは、美里之子に認めてもらうために武術修行の旅に出る。久高島(くだかじま)でシラタル親方と出会い、剣術の極意を授かって佐敷に帰ると、ミチはサハチを産んでいた。美里之子に認められて、ミチと一緒になったサグルーは苗代大親(なーしるうふや)を名乗って、武術道場の師範代になる。
 島添大里按司(しましいうふざとぅあじ)が亡くなって家督争いが始まる。大(うふ)グスクで様子を見守っていた苗代大親は、島添大里グスクが八重瀬按司(えーじあじ)に攻め取られた事を知る。苗代大親は大グスク按司に命じられて、佐敷にグスクを築いて佐敷按司になる。
 佐敷按司になって五年後、島添大里按司になった八重瀬按司と大グスク按司の戦(いくさ)が起こり、佐敷按司も参戦する。佐敷按司の弟、苗代之子(なーしるぬしぃ)が活躍するが、美里之子は戦死してしまい、大グスク按司も戦死して、大グスクは島添大里按司に奪われてしまう。佐敷按司は島添大里按司に屈服する事なく、佐敷グスクを守り通すが、今帰仁合戦のあと若按司のサハチに按司を譲って隠居して、頭を丸めて旅に出る。
 かつて、自分が経験した事だが改めてお芝居にして見ると、昔を思い出して、胸の奥がジーンとなってきた。観客たちも昔を思い出して感動しているようだった。
 佐敷按司を演じたのは隊長のミフーで、十七歳から隠居する三十九歳まで、見事に演じていた。ミチを演じたのはナグカマで、苗代之子を演じたのはファイリン(懐玲)だった。
 女子(いなぐ)サムレーでもないファイリンが出て来たのでファイチは驚いていた。身が軽い事は丸太引きのお祭りで証明済みだが、大薙刀(うふなぎなた)を振り回す内原之子(うちばるぬしぃ)との戦いは武芸の腕も並ではない事を示していた。ファイチはファイリンの太刀さばきを見て、嬉しそうに目を細めていた。
 戦の場面では太鼓の音と法螺貝(ほらがい)が戦場の雰囲気を醸し出し、全編を通じて、ユリの吹く笛が流れていた。その曲が場面場面とうまくあって、お芝居を盛り上げていた。
 僧侶姿の佐敷按司が舞台から消えて、笛の調べも消えると指笛が響き渡って、歓声がどっと沸き起こった。
 旅芸人たちも来ていて、『豊玉姫(とよたまひめ)』を演じ、サハチも一節切(ひとよぎり)を吹いた。ファイチもヘグム(奚琴)を弾いて、ウニタキもミヨンと一緒に三弦(サンシェン)を弾いて歌った。辰阿弥(しんあみ)と福寿坊(ふくじゅぼう)の念仏踊りを皆で踊って、お祭りは終わった。
 雨が降りそうな空模様だったが、お祭りが終わるまで降らずに済み、翌日からまた雨降りの日が続いた。
 ユリはハルとシビーを連れて、島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスクのお祭りの準備を手伝うために島尻大里に行った。
 五月三日、ナツが女の子を産んだ。ナツにとっては三人目の子供で、ナツの母親の名前をもらって、ハナと名付けられた。ハナの元気な泣き声に驚いたのか、梅雨も明けたようだった。
 ハナの誕生祝いにやって来たウニタキに、
「明日の『ハーリー』だが、俺が行った方がいいかな」とサハチは聞いた。
「クルー(手登根大親)が行くんだろう。お前がわざわざ顔を出す事もない。ハーリーはすでに庶民たちのお祭りになっている。お前が行けば、豊見(とぅゆみ)グスク按司も気を使う事になる。やめた方がいい」
「そうだな。クルー夫婦に任せよう」とサハチはうなづいて、「豊見グスク按司の妻は、未だに中山王(ちゅうざんおう)を恨んでいるのか」と聞いた。
「恨んでいるかもしれんな。実家がなくなってしまったんだからな。中グスクから嫁いで来た日に、祖父の中グスク按司が殺されている。望月党(もちづきとう)の仕業なんだが、中山王が殺したと思っているようだ」
「そうか‥‥‥望月党なんて知らないだろうからな。親父は南風原(ふぇーばる)で戦死して、弟は中グスクで戦死している。恨むなと言うのは無理な話だな」
「戦だから仕方がない」とウニタキは言った。
 侍女のマーミがお茶を持ってきた。
「ナツ様が羨ましい」とぽつりと言って去って行った。
「マーミも長いな」とサハチはウニタキに言った。
「ナツが『まるずや』を任された時、ナツの代わりとして侍女になったんだ。もう十年近いんじゃないのか。どうやら、サグルーが好きなようだ。サグルーが山グスクに行ったので、面白くないらしい」
「なに、サグルーと何かあったのか」
「何もないだろう。マーミの片思いさ。マーミはササとヤマトゥに行っていたシズと同期なんだよ」
「シズはササと南の島(ふぇーぬしま)に行かなかったが、何をしているんだ?」
「今は今帰仁にいるよ。ヤマトゥ言葉がしゃべれるからヤマトゥンチュ(日本人)たちを探っているんだ」
「何のために?」
今帰仁攻めの時、ヤマトゥンチュが戦に加わったら面倒な事になるだろう」
「そうか。いつ攻めるかまだ決まってはいないが、冬に攻めるとなると、ヤマトゥンチュたちが城下にいる事になるんだな。前回、武寧(ぶねい)(先代中山王)が今帰仁を攻めた時、ヤマトゥンチュたちはどうしていたんだ?」
「戦に加わった者もいたようだが、ほとんどの者たちは伊江島(いーじま)に避難していたようだ」
伊江島か。伊江島には按司はいるのか」
「いる。古くからいるようだが、先代の山北王(さんほくおう)(珉)の姉が嫁いでいる。今の伊江按司は山北王(攀安知)の従兄(いとこ)だ。今回もヤマトゥンチュたちは伊江島に避難する事になるだろうが、戦に参加する奴も出てくるだろう。奴らの様子を探って、なるべく、戦に参加させないようにしなければならない」
「そうだな。ヤマトゥンチュの恨みは買いたくはない。すまんがよろしく頼むぞ」
「戦をするからには勝たねばならん。敵の兵力はできるだけ削減する」
「うむ」とサハチはうなづいて、「そろそろ本気になって作戦を練らなければならんな」と厳しい顔つきで言った。そして、思い出したかのように、「ところで、石屋のテハは何をしているんだ?」と聞いた。
「テハは他魯毎(たるむい)(山南王)に仕えて、情報集めをしているよ。島尻大里の城下に屋敷があるんだが、豊見グスクの城下にも屋敷を持って、マクムと娘が暮らしている」
「マクムは豊見グスクにいるのか」
「マクムの娘は他魯毎の妹だからな。まだ八歳だが、やがては島尻大里グスクに引き取って、山南王(さんなんおう)の妹としてどこかに嫁がせるつもりなんだろう」
「テハは中山王を探っているのか」
「いや、新垣大親(あらかきうふや)と真栄里大親(めーざとぅうふや)だ。二人とも親父を処刑されたからな。不穏な動きがないか見張っているんだ。それと、真壁按司(まかびあじ)も見張っている。東方(あがりかた)の八重瀬(えーじ)、具志頭(ぐしちゃん)、玻名(はな)グスク、米須(くみし)の城下にも配下の者を置いている。テハよりマクムの方が上手(うわて)だ。テハの動きはマクムを通して、すべて筒抜けだよ。話は変わるが、トゥイ様(先代山南王妃)がヤマトゥに行くそうだな」
「そうなんだ。俺も驚いたよ。三月の半ばに、トゥイ様はナーサと一緒に首里(すい)グスクに行って親父に頼んだらしい。親父は二つ返事で承諾したそうだ」
「ナーサがヤマトゥ旅に出たら、『宇久真(うくま)』の女将(おかみ)はどうなるんだ?」
「マユミが女将の代理をするようだが、そろそろ、ナーサも女将を引退するんじゃないかな。若く見えるが、もう六十を過ぎているからな」
「マユミで大丈夫なのか」
「『宇久真』もできてから九年が経っている。遊女(じゅり)たちも入れ替わって、マユミの先輩たちは皆、辞めている。最初からいるのはマユミだけになったんだ。マユミが跡を継ぐしかないだろう。今はまだ頼りない所もあるが、マユミなら女将が務まるさ」
「そうだな。重臣たちの側室に納まった遊女も多い。ヤシマは首里グスクの御内原(うーちばる)の侍女になったし、ミフーはヒューガ(日向大親)殿の側室になって、息子を産んでいるしな」
「お前のお気に入りだったユシヌは外間親方(ふかまうやかた)の後妻に納まったしな」
「ユシヌは可愛かった。まさか、外間親方に取られるとは思ってもいなかった。マユミが女将になったら、お前、マユミを側室に迎えられなくなるぞ」
「何を言っている? マチルギが許すわけないだろう。マチルギで思い出したが、マチルギはお前が去年の正月にキラマ(慶良間)の島に行った事に気づいたぞ」
 ニヤニヤしていたウニタキは急に真面目な顔になってサハチを見つめた。
「島添大里のお祭りに来て、ユーナと出会って、ユーナからいつ戻ったのか聞いたそうだ」
「まいったな。その事で、お前に何か言ったのか」
「いや、何も言わない」
「そうか。マチルギに気づかれたか‥‥‥」
「島の者たちはどう思っているんだ?」
「水軍のウーマから聞いたんだが、マチルギはアミーが娘を産んだ六日後にやって来たそうだ。その時、マチルギの機嫌が悪かったので、アミーの相手はお前に違いないと皆が思ったようだ」
「何だ、マチルギの勘違いで、俺だと思われたのか」
「今年の正月、ヒューガ殿が例年通り、島に新年の挨拶に行った。アミーの娘がヒューガ殿になついたので、島の者たちはヒューガ殿が父親かもしれないと思ったようだ。現に、俺がアミーに会いに行った時、ヒューガ殿も一緒だったからな。アミーは神様から授かった娘だから父親の詮索はしないでくれと島の者たちに言ったようだ。ヌルのマレビト神ではないが、アミーは島の者たちに尊敬されているからな。皆も納得して、今は神様の子供だと信じているようだ」
「神様の子供に落ち着いたか。でも、マチルギは知っている。チルーを悲しませるような事をしたら、お前を脅すかもしれんぞ」
「わかっている」とウニタキは苦笑した。


 梅雨が明けた青空の下、豊見グスクは子供たちで賑やかだった。去年は山南王と王妃が来ていたが、今年は来ていなかった。王様が来ると警備が厳重になって、庶民たちが萎縮してしまうので、今年は豊見グスク按司に任せたようだった。トゥイ様は島尻大里ヌルと一緒に来ていた。
 クルーが妻のウミトゥクと子供たちを連れてやって来て、豊見グスク按司(ジャナムイ)に歓迎された。ウミトゥクはジャナムイの一つ違いの姉で、今でも頭が上がらなかった。妹の長嶺按司(ながんみあじ)の妻も来ていて、ウミトゥクは久し振りの再会を喜んだ。
 チューマチ(ミーグスク大親)も妻のマナビーを連れてやって来た。マナビーは姉のマサキ(保栄茂按司の妻)と弟のミン(山南王世子)との再会を喜んだ。
 豊見グスク按司の妻、ナチは叔母との再会を涙を流して喜んでいた。叔母の久場(くば)ヌルは三歳の娘を連れてやって来た。
 久場ヌルから名前を呼ばれた時、ナチには誰だかわからなかった。中グスクヌルだったアヤ叔母さんよと言われて、ナチは久場ヌルをじっと見つめた。知らずに涙が流れてきた。中グスクを奪われた時、叔母も死んだと思っていた。
「叔母さん、生きていたのね‥‥‥」
「もっと早くに会いたかったんだけど、来られなかったわ」
 ナチは涙を拭いて笑いかけると、「今までどこにいたのですか」と聞いた。
「中グスクにいたわ」
「えっ、ずっと捕まっていたのですか」
「そうじゃないわ。新しい中グスク按司の娘をヌルにするための指導をしていたのよ」
「えっ、叔母さんは敵に寝返ったのですか」
 久場ヌルは苦笑して、「あなたから見たらそう見えるわね」と言った。
「あの時、わたしも死ぬつもりだったわ。でも、母に言われて、生きていく決心をしたのよ」
「敵(かたき)を討つためにですか」
 久場ヌルは首を振った。
「あの時、何が起こったのか、教えて下さい」
 久場ヌルはうなづいて、九年前の出来事を思い出しながらナチに話した。目を潤ませて、黙って聞いていたナチは話が終わると、
「もし、弟が降伏していたら、どうなっていたのですか」と聞いた。
「サンルーが降伏したら、中山王の孫娘を嫁に迎えて、中グスク按司になれたかもしれないわ」
「そんなの嘘です」
「嘘じゃないわ。中山王は無益な殺しはしないわ。抵抗した者たちは殺されたけど、女や子供たちは助けて実家に帰したのよ。わたしには帰る所もないし中グスクに残ったの」
「母も実家に帰ったのですか」
「そうよ。北谷(ちゃたん)にいるわ」
「母が生きていたなんて‥‥‥」
 ナチは涙をこぼして、堪えきれずに叔母の胸で泣いた。
 翌日、ナチは久場ヌルと一緒に母に会いに北谷に向かった。
 大勢の観客が見守る中、中山王の龍舟(りゅうぶに)と山北王の龍舟が競い合って、わずかの差で中山王が優勝した。山北王の龍舟に乗っていたのはテーラー(瀬底大主)の弟の辺名地之子(ひなじぬしぃ)で、中山王の龍舟に乗っていたのはマガーチ(苗代之子)だった。いつもは弟の慶良間之子(きらまぬしぃ)(サンダー)が乗っていたが、今年は俺がやると言って、見事に優勝を飾っていた。島尻大里ヌルのお陰かなとサハチは思った。
 八日後、島尻大里グスクで、初めてのお祭りが行なわれた。サハチも女子サムレーたちを引き連れて出掛けた。西曲輪(いりくるわ)が開放されていて、城下の人たちで賑わっていた。ほとんどの人たちがグスクに入るのは初めてで、皆、感激していた。
 今まで閉ざされていたグスクが開放されるなんて夢のようだと言っている者がいた。
 豊見グスクはハーリーの時に開放された。豊見グスク按司は城下の人たちに慕われていた。そんな豊見グスク按司が山南王になってよかった。島尻大里は以前よりも栄えるに違いないと言っている者もいた。
 西曲輪には屋台がいくつも出ていて、華やかに飾られた舞台もあった。舞台ではまだ何もやっていないが、島尻大里ヌルと座波(ざーわ)ヌル、ユリとハルとシビーが準備をしていた。サハチたちは舞台に行った。
按司様(あじぬめー)、いらっしゃい」とハルが笑った。
「ユリさんたちのお陰で、うまく行きそうです」と島尻大里ヌルがサハチにお礼を言った。
「お兄様」と言う声で振り返ると、王妃のマチルーがいた。驚いた事にマチルーは女子サムレーの格好だった。
「お前、なんて格好だ?」とサハチは呆れた。
「豊見グスクにいた頃は忘れていたけど、マアサが昔を思い出させてくれたの。わたしが物心ついた頃から、女子サムレーはいて、わたしも憧れていたのよ。お嫁に行かなくていいのだったら、女子サムレーになっていたわ」
「マチルー」と呼ばれて、マチルーが振り返ると懐かしい顔が並んでいた。
 幼馴染みで共に剣術の修行に励んだマイがいた。先輩のカリーと後輩のアミーもいた。
「みんな、よく来てくれたわ。ありがとう」
「王妃として何かと忙しいだろうが、今日はお祭りだ。昔の仲間と昔話でも語れ」
 マチルーは目を潤ませながらうなづいた。
 マチルーの案内で、奥の方にある客殿に行くと、按司たちや重臣たちが酒盛りをしていた。
 以前、ハーリーに行った時の事をサハチは思い出して、場違いな所に来てしまったように感じたが、手を振っているンマムイ(兼グスク按司)の姿が見えた。
「兼(かに)グスク按司を招待したのか」とサハチがマチルーに聞くと、
「保栄茂按司(ぶいむあじ)(グルムイ)の妻のマサキ(攀安知の長女)が、兼グスク按司の奥さんのマハニ(攀安知の妹)さんに会いたいと言って招待したのです。ハーリーの時に来なかったので、お祭りに呼んだのです」
「そうだったのか」
 サハチはンマムイを誘おうかとも思ったが、自分の命を狙ったシタルー(先代山南王)への恨みがあるので来ないだろうと思って誘わなかった。昔の事なんか忘れたような顔をして、重臣たちと酒を飲んでいるンマムイを見て、サハチは笑った。
 マチルーは女子サムレーたちを連れて、どこかに行った。
 ンマムイがいたお陰で、サハチもその場に馴染む事ができた。去年の戦の時、名前を何度も聞いたが、会った事のなかった重臣たちと酒を酌み交わした。寝返った振りをしていた照屋大親(てぃらうふや)はさすがに貫禄のある男だった。この男がいれば他魯毎も大丈夫だろう。照屋大親と波平大親(はんじゃうふや)は、裏切り者と言われながらも先代の王妃に従っていた。マチルーも重臣たちに慕われる王妃になってほしいとサハチは思った。
 他魯毎の弟たちにも初めて会った。豊見グスク按司も保栄茂按司も阿波根按司(あーぐんあじ)(シルムイ)も、按司の息子として、何不自由なく育ったという感じだが、妹婿の長嶺按司は一癖ありそうな気がした。山南王だった兄が朝鮮に逃げてしまって、その後、苦労したのかもしれなかった。
 お芝居が始まるというので、サハチはンマムイと一緒に舞台の近くまで行った。すでに、大勢の子供連れの人たちが舞台の前に座り込んでいた。サハチとンマムイは一番後ろに座って、マアサが作った女子サムレーたちが演じる『瓜太郎(ういたるー)』を観た。初めてにしてはまあまあの出来栄えで、観客たちは指笛を鳴らして喜んでいた。
 休憩を挟んで、旅芸人たちのお芝居『王妃様(うふぃー)』が始まった。サハチは途中まで観て引き上げる事にした。今晩、ルクルジルーたちの送別の宴(うたげ)が『宇久真』で行なわれるので、日が暮れる前に首里に行かなければならなかった。
 ンマムイも一緒に帰るというので、客殿にいた侍女に、女子サムレーたちを呼んでもらった。
「お前は泊まって行けばいいだろう」とサハチがンマムイに言ったら、
「俺はいいんだけど、マハニが怖いと言うんだ」と言った。
「そうか。ひどい目に遭わされたからな」
 女子サムレーたちは客殿の二階にいたようだった。マハニとンマムイが連れて来た女子サムレーも一緒だった。
 サハチがマハニに挨拶をしていたら、
按司様、お久し振りです」とンマムイの女子サムレーの隊長が言った。
 サハチには誰だかわからなかった。
「馬天浜のマシューと一緒に佐敷グスクに通って剣術を習っていたフニです」
 馬天浜のマシューはシビーの姉だった。二人が仲良く、マチルギから剣術を習っていたのをサハチは思い出した。
「確か、糸満(いちまん)に嫁いだのではなかったのか」
「そうです。嫁いだ翌年、阿波根(あーぐん)にグスクができて、夫がサムレーになりたいと言い出したのです。わたしが鍛えて、夫はサムレーになれました」
「そうか、お前が鍛えたのか」とサハチは笑った。
「わたしと同期だったのです」とカリーが言った。
「こんな所で会うなんて、本当に驚きました。あの頃、わたしより強かったので、お嫁に行くなんて勿体ないと思っていたんですけど、兼グスクの女子サムレーの隊長を務めていると聞いて、わたしも喜びました」
「そうか。阿波根グスクで娘たちを鍛えていたのはお前だったのか」
「そうです。そして、女子サムレーを作りました」
「これから首里に行くんだが、お前も来ないか。マチルギが喜ぶだろう」
「お師匠に会いたい」と言ってフニはンマムイを見た。
「よし、俺たちも首里に行こう」とンマムイは笑った。
 首里に行ったフニはマチルギとの再会を喜び、同期だった『まるずや』の主人のサチルーとも再会を喜んだ。
 サハチはンマムイを連れて、『宇久真』に行った。ヤマトゥに帰るルクルジルーたち、シンゴとマグサ(孫三郎)、交易船に乗るクルー(手登根大親)、ジクー(慈空)禅師、クルシ(黒瀬大親)、福寿坊、北原親方(にしばるうやかた)、クレー(シビーの兄)、朝鮮に行く本部大親(むとぅぶうふや)、越来大親(ぐいくうふや)、チョルとカンスケたちが集まった。北原親方は首里一番組の副隊長だったが、伊是名親方(いぢぃなうやかた)(マウー)が与那原大親(ゆなばるうふや)になったので、四番組のサムレー大将になっていた。
 思紹(ししょう)(中山王)も途中から顔を出して、
「ヤマトゥは戦をやっているかもしれん。無理をせず、充分に気を付けて行って来てくれ」と言った。
 翌日は馬天浜の『対馬館(つしまかん)』で送別の宴があり、船乗りたちと一緒に浜辺で酒盛りを楽しんだ。
 その翌日、ルクルジルーたちは帰って行った。シンゴの船にはウニタキの次男のマサンルーとマガーチの長男のサジルーがクレーと一緒に乗っていた。
「マシュー(安須森ヌル)もマユもいないので、今年は退屈だった」とシンゴは笑った。
「もうすぐ、無事に帰って来るだろう。南の島の人たちを連れてな。来年まで我慢しろ」
「来年は今帰仁攻めだろう」
「予定はそうなんだが、相手の出方次第だな。南部の状況はいいんだが、ヤンバル(琉球北部)の按司たちを分断しなければならない」
「お前の事だから大丈夫だと思うが、負ける戦はするなよ」
「わかっている。焦らず、時期を見極めるつもりだ。若い二人をよろしく頼む」
 シンゴはうなづくと小舟(さぶに)に乗って船に向かった。
 浮島(那覇)では交易船が船出していた。トゥイ様とナーサはマアサが率いる女子サムレー四人と一緒に船に乗り込んだ。越来(ぐいく)ヌルのハマはタミーの事を心配して、今年もヤマトゥ旅に出た。
 勝連(かちりん)では朝鮮に行く船が船出した。
 十日後、サハチが『中山王世子(せいし)尚巴志(しょうはし)』の名前で送る進貢船が船出した。正使は末吉大親、副使は桃原之子(とうばるぬしぃ)、サムレー大将は外間親方と勝連のサムレー大将、屋慶名親方(やきなうやかた)が五十人のサムレーを率いて乗っていた。毎年、行っているクグルーとシタルーも行き、平田大親の長男のサングルー、中グスク按司の長男のマジルー、佐敷のシングルーとヤキチの兄弟も唐旅(とうたび)に出掛けた。
 シングルーはヤマトゥ旅から帰って、ファイリンと一緒になったため、明国には行っていなかった。ファイリンから明国の言葉を習い、いつか正使になって、ファイリンを明国に連れて行くと張り切っていた。

 

 

 

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