長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部はその後の尚巴志の活躍です。お楽しみください。

2-45.佐敷のお祭り(第二稿)

 四月二十一日、佐敷グスクでお祭り(うまちー)が行なわれた。思紹(ししょう)が大(うふ)グスク按司から佐敷按司に任じられ、佐敷にグスクを築いてから二十九年の月日が経っていた。
 サハチが九歳の時で、村(しま)の人たちが総出で木を切り倒して整地をし、土塁を築いて屋敷を建てた。サハチは若按司と呼ばれるようになって、弓矢や剣術の稽古に励んだ。小さなグスクだが、島添大里按司(しましいうふざとぅあじ)(汪英紫(おーえーじ))に滅ぼされる事もなく守り切って、今の発展の礎(いしずえ)となったのだった。
 東曲輪(あがりくるわ)が開放されて、舞台では娘たちの踊りや笛の演奏が行なわれ、女子(いなぐ)サムレーたちによる剣術の模範試合、シンシンとササの武当拳(ウーダンけん)の模範試合も披露された。
 梅雨はまだ明けてないが、幸いに雨は降らず、大勢の人たちが集まってきた。
 中グスク按司のクマヌが山伏の格好でやって来て、サハチを驚かせた。
「中グスク按司ではないぞ。山伏のクマヌとしてやって来たんじゃ」とクマヌは笑った。
「久し振りに来ると、やはり懐かしいのう」
 クマヌは周りを眺めながら感慨深そうに言った。山伏姿のクマヌを見るのは久し振りだった。すでに六十の半ばになり、年齢(とし)を取ったなあと思わざるを得なかった。
「色々とありましたからねえ」とサハチは言った。
 クマヌはうなづいた。
「ここはマチルギが嫁ぐ前に築いたんだったのう‥‥‥按司様(あじぬめー)がヤマトゥ旅に行っている時、マチルギが突然やって来た。あの時は本当に驚いたのう。マチルギがここで娘たちに剣術を教え、女子サムレーもここで生まれた」
 屋敷の縁側に腰を下ろして、人々で賑わうグスク内を見ながらクマヌは様々な事を思い出しているようだった。
「親父も来ています」とサハチは言った。
「なに、中山王(ちゅうさんおう)が来ているのか」
 クマヌは驚いた顔でサハチを見た。
「中山王ではなく、東行法師(とうぎょうほうし)になって来たのです。また頭を丸めてしまいましたよ」
「なに、また坊主になったのか」
「困ったものです」とサハチは苦笑した。
「一の曲輪の屋敷でマサンルーと会っています。越来按司(ぐいくあじ)も美里之子(んざとぅぬしぃ)に戻って来ています」
「そうか、美里之子も来たか。ここの事を思い出すと皆、昔に返るようじゃのう。挨拶して来よう」
 クマヌはサハチに手を振ると東曲輪から出て行った。
 舞台の上ではウニタキとミヨンが三弦(サンシェン)を弾きながら歌を歌っていた。ウニタキの妻のチルーが子供たちと一緒に見ている。ナツとマカトゥダルも子供たちを連れて来ていた。シンゴとマグサ、『対馬館』の船乗りたちも楽しそうに舞台を見ている。ヂャンサンフォンと修理亮(しゅりのすけ)、兼(かに)グスク按司のンマムイもいた。
 舞台の進行役の佐敷ヌルとユリは、烏帽子(えぼし)をかぶって直垂(ひたたれ)を着て、ヤマトゥのサムレーの格好だった。二人の美人は男装姿も様(さま)になっていた。
 サハチはンマムイも朝鮮(チョソン)旅に連れて行く事に決めていた。ンマムイは一応、山南王(さんなんおう)の許しを得ていた。自分が原因で中山王と山南王が戦(いくさ)を始めたらまずいと思ったのだろう。山南王はンマムイの言った事に呆れて、しばらく声も出なかったという。それでも朝鮮に行く事を許し、朝鮮とヤマトゥの状況を詳しく知らせる事と山南王の五男とンマムイの次女の婚約を条件に出した。山南王の五男は七歳で、ンマムイの次女はまだ六歳だった。
 サハチもンマムイを連れて行くに当たって条件を出した。兼グスク按司として連れて行くと、中山王の家臣たちの反感を買うので、ヂャンサンフォンの弟子のンマムイとして連れて行くと言った。ンマムイは条件を飲んで大喜びをした。
 舞台を見ようとサハチが立ち上がった時、フカマヌルが娘を連れてやって来るのが見えた。咄嗟にまずいと思ったサハチは二人を屋敷の方に呼び込んだ。
「お父さんが歌っている」と娘のウニチルが言って、舞台の方に駈け出して行った。
「あっ」と叫んで、サハチはフカマヌルを見た。
「チルーがいるんだ」とサハチはフカマヌルに言った。
「手遅れね」とフカマヌルは首を振った。
 ウニチルは舞台まで行ったが、人が多くて舞台に近づけないようだった。
「ウニタキに呼ばれたのか」とサハチは聞いた。
 フカマヌルはうなづいた。
「あいつ、何を考えているんだ」
「もう無理なのよ」とフカマヌルは言った。
「奥方様(うなじゃら)は気づいてしまったわ」
「なに、マチルギが気づいたのか」
「久高島参詣の時、あの子の名前を知ってしまったの」
「今までずっと、チルーって呼んでいたじゃないか。チルーなんてどこにでもある名前だ」
「ウニチルは自分の名を知っているわ。でも、『鬼(うに)』が付くのがいやで、自分でもチルーだって思っていたの。『鬼』はお父さんの名前からもらったのよって言ったけど納得しなかった。でも、あたしがヤマトゥに行っている時、お婆から『ウニチル』って名前はとてもいい名前だって言われたみたい。『鬼』っていうのは、とても強いという意味があって、あなたがヌルになった時、どんなに強いマジムンでも倒す事ができるでしょうって言ったみたい。ウニチルも自分の名前が好きになって、チルーって呼ばれると、本当はウニチルなのよって言うようになったのよ」
「マチルギにもそう言ったのか」
 フカマヌルはうなづいた。
「奥方様はすぐに気づいて、ウニタキにその事を確認したそうよ。そして、自分からチルーさんに説明して謝りなさいって言ったのよ」
「そうだったのか」
「あたしも隠しておくのに疲れたわ」
 舞台に行ったウニチルは人混みをかき分けて舞台の前まで出た。おとなしく歌を聴いていたが、歌が終わると思わず、「お父さん」と声を掛けた。
 ウニタキはウニチルを見て、笑いながらうなづいた。
 ウニタキの隣りにいるミヨンは驚いた顔でウニチルを見て、「誰?」とウニタキに聞いた。
 チルーもウニチルを見た。そして、ウニタキをじっと見つめた。
 舞台の脇にいた佐敷ヌルも驚いた顔をしてウニチルを見ていた。
 舞台から降りたウニタキはミヨンに、「お前の妹だ」と言って、ウニチルの事を頼み、チルーを連れて屋敷の方に向かった。
 屋敷の縁側でサハチと話をしているフカマヌルを見て、チルーは何もかも悟っていた。ウニタキとチルーとフカマヌルの三人を屋敷に上げると、サハチはウニタキの肩をたたいてうなづき、舞台に向かった。
 サハチは一節切(ひとよぎり)を披露した。マチルギから贈られてから、サハチは必死に稽古をしてきて、ようやく思い通りに吹けるようになっていた。
 初めて聴く一節切の音色は華やかな横笛と違って、渋くて重々しく、風の音のように人々の心の中に染み渡っていった。時にはそよ風のように優しく、時には嵐のように激しく、吹き抜ける風は人々を思い出の中へと引き込んで行った。サハチの吹く曲を聴きながら、誰もが懐かしい昔の思い出の中に浸っていた。
 サハチが一節切を口から離して、曲が終わると辺りはシーンと静まり返った。しばらくして大喝采が沸き起こった。
 屋敷の中では、ウニタキがチルーに頭を下げていた。
「あの子はいくつなの」とチルーは聞いた。
 怒っているのか、悲しんでいるのか、よくわからない表情だった。
「七つです」とフカマヌルが答えた。
「マチと同い年なのね‥‥‥あなたが歌っている歌、久高島の歌だって聞いたわ。もしかしたらって思っていたのよ」
 フカマヌルもチルーに頭を下げた。
 頭を下げている二人を見ながらチルーの目には涙が溜まっていた。
 舞台から降りたサハチが屋敷に戻るとウニタキが一人、縁側にしょんぼりと座っていた。
「どうした。許してくれたか」とサハチが聞くと、ウニタキは首を振った。
「今、二人で話をしている」
「マチルギが気づいたそうだな」
 ウニタキはうなづいた。
「チルーは泣いていた。怒ってくれた方がよかったのに‥‥‥」
「そうか‥‥‥」
 サハチにも何と言っていいのかわからなかった。
「このグスクの裏山にある屋敷は今、どうなっているんだ」とサハチはどうでもいい事を聞いた。
「あそこにはイーカチが住んでいる」
「なに、イーカチが住んでいるのか」
 サハチは驚いていた。今まで、イーカチは表に出て来なかった。ウニタキから時々、イーカチが描いた絵を見せられても、本人と直接に会う事は滅多になかった。ウニタキが明国に行っていた時、『三星党(みちぶしとー)』を仕切っていたのはイーカチだった。そして、マチルギの護衛役としてヤマトゥに行った。そのイーカチが佐敷にいたとは驚きだった。
「時々、首里(すい)の女子サムレーのチニンチルーが顔を出しているようだ」
「チニンチルー?」
「一緒にヤマトゥに行った女子サムレーだよ」
「イーカチといい仲になったのか」
「そのようだ。十五年前、島尻大里(しまじりうふざとぅ)の城下を荒らし回っていた時、イーカチは一緒になるはずの女を失っているんだ。大した傷ではなかったんだが、その傷が悪化して亡くなってしまった。イーカチはその女を守れなかった事をずっと悔やみ続けていた。チニンチルーはその女が生まれ変わったかと思うほどよく似ている。初めて見た時、俺は幽霊を見たかとびっくりしたよ」
 サハチはチニンチルーを知らなかった。
「イーカチはチニンチルーに惚れているんだが、何せ、年齢(とし)が離れすぎている。イーカチは俺たちより一つ年下だ。チニンチルーは二十四、五だろう。十歳以上も離れているからな、イーカチもそれで悩んでいるようだ」
「イーカチは今、いるかな」とサハチは聞いた。
 ウニタキは首を傾げた。
「留守を頼んだから、俺の留守中はビンダキにいると思うが、今はどうかな」
 いてもいなくもいいから行ってみようとサハチはウニタキを誘った。ウニタキは屋敷の中の二人を心配しながらも重い腰を上げた。
 イーカチは裏山の屋敷にいた。三人の女子サムレーが一緒にいた。チタとクニは知っているが一人は名前を知らなかった。名前は知らないが首里のお祭りの時、チタと一緒にいるのを見た事があった。美人で背の高い女だった。
「チニンチルーも来ている」とウニタキは笑った。
 名前の知らない女子サムレーがチニンチルーのようだった。
 クニはサハチの従妹(いとこ)だった。叔母のマウシの三女で、祖母と一緒に新里の屋敷で暮らし、佐敷グスクに通って馬天ヌルから剣術を習った。十八歳の時に佐敷の女子サムレーになり、翌年、首里の女子サムレーになっていた。馬天ヌルが旅をしていた頃は、ササも祖母に預けられたので、一緒に暮らしていた。ササより三つ年上だった。
 サハチとウニタキが来たのを知るとイーカチは驚いて、迎えに出た。
「お頭に按司様(あじぬめー)、一体、どうしたのです」
「気にするな」とウニタキは言った。
「久し振りに来てみたかっただけだ」
 サハチとウニタキは縁側に腰を下ろして庭を眺めた。幼かったミヨンが庭を走り回っていたのが、つい昨日の事のように思えた。
「そろそろ、チタの出番じゃないの」と女子サムレーたちはサハチたちに頭を下げると出て行った。
「俺が運玉森(うんたまむい)に移ったあと、ここをお前に任せたが、ここで暮らしていたら、昔の事を思い出してしまうな」とウニタキが庭を見ながら言った。
「いえ、そんな事は‥‥‥」とイーカチがウニタキの背中に答えた。
「この屋敷を建てた頃、配下の者で女は五人しかいなかった。ムトゥとトゥミ、イチャ、クミ、タキだ。ムトゥは今、今帰仁(なきじん)にいて、トゥミとイチャは首里にいて、タキは越来(ぐいく)にいる。そして、クミは十五年前に亡くなった。もう充分に苦しんだんじゃないのか」
 イーカチは何も言わなかった。部屋の中でかしこまって座っていた。
「もしかしたら、お前は奥間(うくま)から来たのか」とサハチはイーカチに聞いた。
「はい、そうです」とイーカチはうなづいた。
「こいつは炭焼きの三男なんだ」とウニタキが言った。
「どうせ、村を出なければならないと言って付いて来たんだ。本当の名はサンキチだ。絵がうまいので、誰が言い始めたというわけでもなく、『絵画き(いーかち)』と呼ばれるようになったんだよ。あいつの絵で随分と助かっている」
「ヤマトゥ旅の絵を見たよ」とサハチは言った。
対馬の景色を見て懐かしかった。親父も感心して、大きな絵を描いて楼閣に飾ってくれと言っていた」
「イーカチ、チニンチルーと一緒になって、本物の絵画きになってもいいぞ」とウニタキは言った。
「えっ」とイーカチは驚いた。
 サハチも驚いてウニタキを見た。
「お前の才能を裏方だけで終わらせるのは勿体ない。表に出て、その才能を生かすんだ。お前が描いた絵を首里グスクやこれから作るお寺(うてぃら)に飾るんだ。ただし、俺が朝鮮から帰って来るまでは副頭(ふくがしら)として、三星党の指揮を執ってくれ。頼む」
「かしこまりました」とイーカチは神妙な顔をしてうなづいた。
「年齢の差なんて関係ないぞ。チニンチルーもお前に惚れているようだ。幸せにしてやれ。お前も知っていると思うが、チニンチルーの親父は知念(ちにん)のサムレーで、チニンチルーが六歳の時に戦死した。今帰仁合戦の時、東方(あがりかた)の按司たちは島添大里グスクを攻めた。その時に戦死したんだ。母親もまもなく亡くなってしまい、チニンチルーは伯父夫婦に育てられたが邪魔者扱いされて、旅をしていた東行法師(サミガー大主)に拾われてキラマの島に送られたんだ。チニンチルーは幸せな家庭を知らない。一緒になって幸せな家庭というものを味わわせてやれ」
 イーカチは深く頭を下げていた。
 ウニタキは立ち上がると去って行った。
「俺もお前の才能は伸ばすべきだと思うよ」
 そう言ってサハチもイーカチと別れて、ウニタキを追った。
「イーカチが抜けたら大変だろう」とサハチはウニタキに追いつくと言った。
「ああ、大変だ」とウニタキは苦笑した。
「朝鮮旅から帰って来たら考える。世の中、何とかなるもんさ」
 サハチは笑いながらウニタキを見ていた。
 佐敷グスクの東曲輪に戻ると、舞台では佐敷ヌルが横笛を吹いていた。ヤマトゥから帰って来た佐敷ヌルはユリから笛を習っていた。島添大里グスクでは子供たちが笛を吹いているので騒がしく、佐敷ヌルが吹いている笛の音(ね)はわからなかった。
 佐敷ヌルも独自の感性を持っていた。神秘的なその調べは、遙か遠い昔の神々の世界を思わせるような心の奥底に響く調べだった。サハチもウニタキも佐敷ヌルの吹く笛の音に聞き入っていた。
 曲が終わるとシーンと静まり、やがて喝采がわき起こった。
「お前ら兄妹はどうなっているんだ」とウニタキは言った。
「お前の笛もそうだが、佐敷ヌルの笛も、まるで、神様の言葉のようだ」
「神様の言葉?」
「そうだよ。俺は久高島で神様の声を聞いた事がある。その時と同じ気持ちになるんだ。思わず、感謝をしたくなるような気分にな」
「お前、褒めてるのか」とサハチは聞いた。
「悔しいが、お前の笛は凄いよ」
「お前に褒められるとは思わなかった。笛をやってきてよかったと、今、改めて思ったよ。俺はずっと、お前の三弦に負けていたからな」
「これからが勝負さ。俺も負けてはおれんぞ」
 屋敷を覗くとチルーとフカマヌルの姿はなかった。
「どこに行ったんだ」とサハチとウニタキは二人を捜した。
 舞台では修理亮と女子サムレーが竹の棒を持って模範試合を披露していた。ウニチルはミヨンたちと一緒にいたが、チルーとフカマヌルの姿はなかった。
 佐敷ヌルの屋敷かなと覗いてみると二人はいた。マチルギが来ていて、ナツも加わって四人が深刻な顔で話し込んでいた。サハチとウニタキを見るとマチルギは手を上げて、二人にうなづいた。この場はマチルギに任せる事にして二人は引き下がった。
「姉御のお出ましだ」とウニタキは言った。
 チルーはマチルギの叔母、フカマヌルは姉で、二人ともマチルギより年上なのだが、ウニタキが言うようにマチルギには姉御という貫禄があった。
「ここにはササが住んでいるのか」とウニタキが聞いた。
「ササとシンシンが暮らしている」
「佐敷ヌルはいないのに『佐敷ヌルの屋敷』なのか」
首里に『ヒューガ屋敷』はあるが、ヒューガ殿は住んでいない。それと同じじゃないのか」
 ウニタキはサハチを見て笑った。
 屋敷の中からも笑い声が聞こえてきた。
 サハチとウニタキは顔を見合わせ、
「姉御がうまくやっているようだ」とうなづき合った。
 佐敷グスクのお祭りから五日後、梅雨が明けて暑い夏がやって来た。
 その翌日、朝鮮とヤマトゥに行く交易船(進貢船)は夏風を帆に受けて出帆した。来月に行なわれるハーリーが気になったが、ヤマトゥの都と朝鮮の都に行くとなると忙しい旅になる。出帆はなるべく早い方がよかった。
 サハチ、ウニタキ、ファイチの三人は交易船の見晴らし台から琉球の山々を眺めながら、わくわくしていた。これから始まる半年余りの長い旅が素晴らしい旅になるように、琉球の神様に祈りながら、期待に胸を膨らませていた。