長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部はその後の尚巴志の活躍です。お楽しみください。

2-87.サグルーの長男誕生(第二稿)

 三月十五日、勝連(かちりん)グスクでサムの息子、若按司のジルーと勝連ヌルの妹の娘、マーシの婚礼が行なわれた。サハチとマチルギ、馬天(ばてぃん)ヌル、ジルムイ夫婦が四歳になったジタルーを連れて勝連に行き、新婚夫婦を祝福した。新婚夫婦に男の子が生まれれば、勝連の血を引く若按司となるので、家臣たちも城下の者たちも喜んでいた。
 マーシの父親は武寧(ぶねい)の長男のカニムイだった。十歳の時、浦添(うらしい)グスクが焼き討ちに遭い、二人の兄と一人の弟が殺された。三人の妹がいたが、生き別れとなって、今、どうしているのかわからない。マーシは母と侍女とサムレーたちに守られて勝連に逃げて来た。
 マーシは浦添グスクの御内原(うーちばる)で生まれ、大勢の侍女たちに囲まれて、お姫様として育った。やがては父が中山王(ちゅうさんおう)となって、母は王妃になり、長女のマーシは浦添ヌルになるか、中山王と同盟を結んでいる、どこかの若按司のもとに嫁ぐはずだった。
 浦添グスクが焼け落ちても、首里(すい)に新しいグスクが完成した。必ず、首里から迎えが来るに違いないと勝連で待っていたのに、父親も祖父も戦死して、首里グスクは奪われたと知らされた。平和だった日々が、あの日、浦添グスクが焼け落ちると共に消え去った。
 勝連グスクにも父を殺した新しい中山王の家臣が後見役としてやって来た。マーシと母は悲しみに暮れながら、城下の屋敷で心細く暮らしていた。
 去年の二月、若按司が突然、病死してしまった。城下の者たちは勝連の呪いはまだ解けていないと騒いだ。マーシは勝連の呪いなんて知らなかった。話を聞いてみると、五年前の六月、奇病に罹って勝連按司と若按司夫婦が亡くなった。七月には、勝連按司を継いだ弟が若按司と一緒に、やはり奇病で亡くなった。そして、その跡を継いだ弟は翌年の二月、首里南風原(ふぇーばる)で戦死した。一族の者が次々に亡くなって、最後に残った若按司までが亡くなってしまった。勝連の呪いはまだ解けていないという。
 マーシは心配になって、伯母の勝連ヌルに呪いの事を聞いた。もう呪いはないと伯母ははっきりと言った。恐ろしいマジムン(悪霊)は退治したので大丈夫、若按司が亡くなったのは呪いとは関係ない、ただの病(やまい)だと言った。マーシはホッと安心したが、とんでもない話が舞い込んできた。
 首里から来ている後見役の息子と一緒になってくれと大叔父の平安名大親(へんなうふや)から言われた。父と兄の敵(かたき)である中山王の家臣の息子に嫁ぐなんて考えられない事だった。マーシは耳をふさいで断った。
 マーシは母に説得された。あなたがお嫁に行かないと勝連の血は滅んでしまうと言われた。
「百年以上も代々続いて来た勝連按司の一族は滅んでしまうのよ。一族のために、あなたが男の子を産んで、その子を按司にしなければならないの。あなたは按司の母親として、勝連を守っていかなければならないのよ」
 按司の母親として勝連を守っていくという言葉にマーシの心は動かされた。勝連に来てから、何の望みもなく生きて来た。勝連に来たのは、一族を守るためだったのかもしれないと思ったマーシは、お嫁に行く事を決心した。
 後見役は勝連按司になり、マーシの婚約相手は若按司となった。そして一年が過ぎ、婚礼の日を迎えたのだった。
 婚礼の日までの一年間で、マーシはジルーと仲よくなっていた。婚約が決まって、初めてジルーに会いに行った時、後見役の屋敷の庭では、娘たちが剣術の稽古に励んでいた。マーシは驚いて、木剣を振っている娘たちを見ていた。
 娘たちがどうして剣術の稽古をしているのか、マーシにはわからなかった。浦添にはそんな娘はいなかった。
 娘たちに剣術を教えている女武芸者が、「あなたも一緒にやりますか」とマーシに声を掛けて来た。
 マーシはうなづいた。剣術を習って強くなれば、今まで諦めていた父や兄の敵(かたき)が討てるかもしれないと思った。
 マーシは初めて木剣を手にして、女武芸者に教わりながら木剣を振って汗を流した。
 娘たちは皆、家臣たちの娘で、マーシと同じくらいの年の子もいて、すぐに仲よくなった。娘たちの話から、女武芸者が後見役の奥方だと知って驚いた。奥方の方も、突然現れた娘が息子の婚約者だと知って驚き、ジルーに会わせてくれた。
 ジルーは城下のはずれにある読み書きの師匠のクーシの屋敷に住み込んで勉学に励んでいた。今までもクーシから読み書きを習っていたが、急遽、若按司になったため、一人前の若按司になるために読み書きだけでなく、様々な事を教わっていた。
 マーシが初めて見たジルーは弓矢の稽古をしていた。勝連按司は代々弓矢の名手で、勝連按司になった後見役も今、弓矢の稽古に励んでいるという。母親からマーシを紹介されたジルーは、驚いた顔をしてマーシを見て、「よろしくお願いします」と言って笑った。
 さわやかな笑顔だとマーシは思った。敵の息子を一目見てやろう。いやな奴でも勝連のためにじっと我慢しなければならないと思ってやって来たのだが、驚きの連続で、そんな事はすっかり忘れ、マーシは素直な気持ちで、「こちらこそ、よろしくお願いします」と言っていた。
 マーシは毎日、ジルーの母親のマチルーのもとに通って、娘たちと一緒に剣術を習い、時々、クーシの屋敷に顔を出して、ジルーと色々な事を話して過ごした。
 ジルーは若按司になる事に戸惑ったという。父は後見役に過ぎず、若按司按司になったら勝連を離れて首里に戻る。ジルーは船乗りになって、明国やヤマトゥに行こうと心に決めていたという。でも、若按司になったからには、この勝連の地を繁栄させなければならない。もっと交易に力を入れて、首里に負けない都にしなければならないと力を込めて言った。ジルーの話を聞きながら、マーシは過ぎた事は忘れて、ジルーと一緒に勝連のために生きようと思うようになっていった。
 婚礼の日、ジルーとマーシは仲睦まじく、祝福してくれる城下の者たちに挨拶をして回った。サハチとマチルギも、中グスク按司のクマヌも、いいお嫁さんをもらったなと喜んだ。
 勝連の婚礼から五日後の二十日、首里で丸太引きのお祭りがあり、シンシンが活を入れたお陰か、今年は久米村(くみむら)が優勝した。
 二十四日には、去年の十月に明国に行った進貢船(しんくんしん)が帰って来た。副使を務めたタブチ(八重瀬按司)は立派に役目を果たし、米須按司(くみしあじ)と玻名(はな)グスク按司も満足した顔付きで帰って来た。山南王(さんなんおう)は山北王(さんほくおう)と同盟を結んだが、米須、玻名グスク、八重瀬(えーじ)は攻めなかったと言うと、三人はホッとした顔で笑った。
 会同館(かいどうかん)で帰国祝いの宴が開かれ、タブチが明国から持ち帰った獅子舞(しーしまい)が披露された。明国の正月は、あちこちで獅子が舞っているという。二人が一組になって獅子を演じ、大きな口を開けたり閉じたりしながら舞っている。笛と太鼓の音に合わせて、雄と雌の二匹の獅子が体をくねらせて舞い、尻尾を動かしたり、時にはひっくり返ったりして、見事なものだった。
「あれと同じ物をいくつも作って、来年の正月は大通りで舞わせればいい」とタブチは言った。
 サハチはタブチにお礼を言い、「来年は都らしい正月になりそうだ」と喜んだ。
 新(あら)グスクを貸してくれたお礼も言って、タブチから旅の様子を聞いた。永楽帝(えいらくてい)は去年の十一月に順天府(じゅんてんふ)(北京)から応天府(おうてんふ)(南京)に戻って来た。今、杭州(ハンジョウ)から順天府へ向かう大運河を造っていて、それが完成すれば船に乗ったまま、順天府まで行けるだろうという。歩いて一か月も掛かる距離を運河を掘ってつなげるなんて、とても考えられない事だとサハチは思った。タブチもその話を聞いた時に驚いたが、永楽帝がすべてを掘るわけではなく、元(げん)の時代に造られた運河を浚渫(しゅんせつ)して、再び使用できるようにするとの事だった。
 シンシンはシラーとの再会を喜んで泣いていた。シンシンがヤマトゥ旅に出る時に別れ、帰って来たら、シラーは明国に行っていた。一年近く会っていなかった二人は、改めて相手の存在の大きさを知り、別れる前よりも相手を大切に思うようになっていた。
 タブチが帰って来た事により、イハチと具志頭按司(ぐしちゃんあじ)の娘との縁談は急速に進み、婚礼は四月十二日と決まった。すでに二人の新居は島添大里(しましいうふざとぅ)グスクの東曲輪(あがりくるわ)に完成していた。
 四月五日、首里の御内原でサグルーの長男が誕生した。待望の息子は祖父であるサハチの名前をもらって、サハチと名付けられた。自分と同じ名前の孫を抱きながら、お前のために、何としてでも琉球を統一しなければならない、とサハチは改めて肝に銘じていた。
 十日には今年二度めの進貢船が出帆した。正使は本部大親(むとぅぶうふや)で、サムレー大将は又吉親方(またゆしうやかた)だった。クグルーと馬天浜のシタルーの二人が従者として行った。二人とも二度目の唐旅(とーたび)だった。
 その二日後、イハチの婚礼が島添大里グスクで行なわれ、具志頭から花嫁のチミーが嫁いで来た。花嫁の先導役はタブチが務めて、島添大里グスクまで連れて来た。島添大里では久し振りの婚礼だったので、花嫁行列を見るために沿道は人々で埋まり、城下の者たちに大歓迎されて花嫁は東曲輪に入った。東曲輪で一休みした花嫁は、二の曲輪に移って婚礼の儀式を行なった。佐敷ヌルとサスカサによって、家臣たちが居並ぶ中、厳かに儀式は行なわれ、イハチとチミーは夫婦となった。
 イハチもチミーも相手を見るのはこの時が初めてで、イハチはチミーを想像していたよりも可愛い娘だと満足し、チミーはイハチを見て、何となく頼りない男だと少し不満に思っていた。それでも、女子(いなぐ)サムレーたちを束ねている佐敷ヌルはかなり強いとの噂だし、イハチの母親はチミーの母親が尊敬している師匠だった。そんな強い女がいる所に、お嫁に来られたのだからよかったと思っていた。
 儀式が終わると東曲輪が開放されて、城下の者たちに酒や餅が振る舞われ、新郎新婦は挨拶をして回った。
「頼もしいお嫁さんが来たわね」とマチルギは嬉しそうだった。
「女子サムレーたちの弓矢の指導を頼んだらいい」とサハチは言った。
「そうね。首里に連れて行こうかしら」
「おいおい、新婚さんの邪魔をするなよ」
「冗談よ」とマチルギは笑った。
 イハチの婚礼が終わったあと、梅雨に入ったようで雨降りの日が続いた。サハチは忙しい日々を送っていた。進貢船の準備とヤマトゥ旅の準備、それに伊平屋島(いひゃじま)と与論島(ゆんぬじま)の問題もあり、思紹(ししょう)がいるにも関わらず、休む間もないほど忙しかった。
 佐敷グスクのお祭りは、幸いに雨は降らなかった。お芝居の演目は『舜天(しゅんてぃん)』だった。ササが久高島の神様から、舜天の誤解を解いてくれと頼まれ、みんなの誤解を解くのは、お芝居にして見せればいいと佐敷ヌルと相談して筋書きを考えたのだった。
 神様が心配するほど、『舜天』の名は知られてはいなかった。一部のヌルが知っている程度だったが、間違ったまま後世に伝えられたら可哀想なので、今のうちに訂正しておいた方がよかった。
 ササは舜天の父親のシングーの十郎の事を中グスク按司のクマヌに聞いていた。熊野の山伏だったクマヌは新宮(しんぐう)の十郎を知っていた。鎌倉に幕府を開いた源頼朝(みなもとのよりとも)の叔父に当たる人で、頼朝によって殺されたという。その人が琉球に来たかどうかはクマヌは知らなかった。戦に敗れたあと、二十年間、熊野の山中に隠れていたようだから、琉球に行く気になれば、熊野水軍の船に乗って来られるかもしれないと言った。
 舜天の父親の事はまだよくわからないので、お芝居には出さずに、舜天が陰陽師(おんようじ)の理有法師(りゆうほうし)を倒す話を中心にまとめた。
 ヤマトゥから理有法師がやって来て、妖術を使って真玉添(まだんすい)のヌルたちを倒す。妖術に掛かったヌルたちは、理有法師の思い通りになって酒の相手をさせられる。真玉添に腰を落ち着けた理有法師は、近くの村々を襲って食べ物を盗んだり、娘をさらったりとやりたい放題の事をしている。浦添按司の舜天は理有法師を倒そうとするが、妖術にはかなわない。どうしたものかと悩んでいると天の助けか、理有法師を追って来た朝盛法師(とももりほうし)が浦添に来る。舜天は朝盛法師と一緒に理有法師を倒して、めでたしめでたしでお芝居は終わった。
 島添大里グスクのお祭りで演じた『酒呑童子(しゅてんどうじ)』の鬼退治の話と似ている話になってしまったが、観客たちは喜んでくれた。旅芸人たちの『浦島之子(うらしまぬしぃ)』も評判はよかった。
 佐敷のお祭りが終わると佐敷ヌルとユリは与那原(ゆなばる)に行って、ヂャンサンフォンの指導を受けた。新年の儀式からずっとお祭りの準備で忙しかった二人は、次の与那原のお祭りまでは間があるので、その間を利用して、ヂャンサンフォンから武当拳(ウーダンけん)を学ぼうと決めたのだった。
 ササやサハチからヂャンサンフォンのもとで一ヶ月間、修行を積めば体が軽くなって、以前よりも自由に体が動かせるようになると聞いていて、早く教えを受けたかったのだが、ヂャンサンフォンは一昨年はサハチと一緒にヤマトゥに行き、去年は思紹と一緒に明国に行ってしまい、教えを受けられなかった。今年こそは念願がかなえられる、と佐敷ヌルとユリは娘をナツに預けて与那原グスクへと飛んでいった。佐敷ヌルがメイユーから預かっているシビーも一緒に行った。シビーは去年の十一月に、サスカサと一緒に新(あら)グスクに行って、一か月の修行を受けていて、今回が二度目だった。
 その頃、ンマムイの新しいグスクも南風原に完成し、兼(かに)グスクと名付けられた。ンマムイたちの引っ越しが終わった四月の末に、新しいグスクで完成祝いの宴が開かれた。兼グスクができた事で、山南王に対する守りが強化された。ンマムイたちが出た新グスクには、タブチの三男のエーグルーが入った。
 今年のハーリーはまだ梅雨が明けていなかった。雨が降る中、行なわれたが、相変わらず大勢の人が集まって賑わったという。中山王の龍舟(りゅうぶに)の代わりに山北王の龍舟が参加して、見事に優勝していた。本部(むとぅぶ)のテーラーは明国で本場のハーリーを見た事があり、出るからには勝たなくてはならんと必死になって、サムレーたちを鍛えたようだった。
 その事を知らせに来たウニタキの配下のシチルーは、山北王の娘を嫁にもらった山南王の三男が、完成した保栄茂(ぶいむ)グスクに入り保栄茂按司を名乗ったと言った。
 シチルーは『三星党(みちぶしとー)』の四天王の一人で、以前は島尻大里(しまじりうふざとぅ)の『よろずや』の主人だった。初代の主人はカマンタ(エイ)捕りの名人だったキラマで、キラマの跡を継いで、山南王の情報を集めていた。イーカチが絵師になって抜けたので、シチルーは四天王に昇格した。イーカチが担当していた島添大里と佐敷を受け持つ事になって、敵の間者(かんじゃ)の侵入を防いでいた。
 ウニタキの配下の四天王はシチルーの他に、チュージ、アカ-、タキチがいて、チュージが首里、アカ-が島尻大里、タキチが今帰仁(なきじん)を拠点にして活躍していた。それぞれ二十人の配下を率いて情報を集め、時には敵の間者の始末もしている。集まって来た各地の情報の中から重要な情報をサハチに伝えるのはウニタキの役目だが、ウニタキが留守なので、シチルーが来たようだった。
今帰仁から来て保栄茂グスクに入った兵たちの大将は知名大主(ちなうふぬし)といって、永良部按司(いらぶあじ)の三男で、母親は察度(さとぅ)の娘のようです」とシチルーは言った。
「察度の娘が永良部按司に嫁いでいたのか」とサハチは驚いた。
「俺も驚きましたが、山南王の奥さんの姉のようです。知名大主はシタルーの甥に当たるというわけです」
「シタルーと永良部按司がつながっていたとは知らなかった。本部のテーラーも保栄茂グスクに入ったのか」
「いいえ、入ってはいません。テーラーは梅雨が明けたら今帰仁に帰ると思います」
 テーラーが今帰仁に帰ったあと、伊平屋島を攻めて来たら面倒な事になりそうだとサハチは思った。
「ところで、慈恩禅師(じおんぜんじ)殿が今、どこにいるか知っているか」とサハチは聞いた。
 首里の城下に屋敷を用意したのだが、久高島参詣から帰って来ると与那原グスクに行ってしまった。ヂャンサンフォンの指導を受けるという。運玉森(うんたまむい)ヌルがいるので、ヂャンサンフォンが与那原に住み、ヂャンサンフォンが与那原にいるので慈恩禅師まで与那原にいる。思紹も時々、お忍びで与那原に出掛けているらしい。マジムンたちがいた運玉森は武芸者たちの聖地になりそうだった。
 佐敷グスクのお祭りには、慈恩禅師もヂャンサンフォンと一緒にやって来た。二、三日前、ンマムイが来て、慈恩禅師が一人で旅に出たらしいと言った。サハチが驚いて詳しく聞くと、ヂャンサンフォンは今、佐敷ヌルとユリとシビーと右馬助(うまのすけ)の指導に当たっていて、慈恩禅師はフラッと旅に出て行った。どこに行ったのか誰も知らなかったという。旅慣れた慈恩禅師の事だから無事に帰って来るとは思うが、どこにいるのかわからないのは心配だった。
「慈恩禅師殿は今、越来(ぐいく)グスクにおります」とシチルーは言った。
「越来グスク?」
 意外な答えに戸惑ったが、越来按司も美里之子(んざとぅぬしぃ)と呼ばれた武芸者だった。前回の旅の時、武芸の話で盛り上がり、気が合ったのかもしれないと思った。
 それから四日後、五十人の兵を乗せた船が二隻、小雨の降る中、伊平屋島に向かった。梅雨が明けるのを待ってはいられなかった。山北王の兵たちより先に着かなければならない。伊是名親方(いぢぃなうやかた)率いる五十人は伊是名島を守り、田名親方(だなうやかた)率いる五十人は伊平屋島にいるムジルが率いる九十人の兵と合流する。武器や食糧もたっぷりと積んであった。それとは別に、ヒューガが率いる水軍も三隻が伊平屋島に向かい、敵の出方によっては海戦にも備えた。
 同じ日、勝連からは五十人の兵を乗せた船が二隻、与論島に向かった。苗代之子(なーしるぬしぃ)(マガーチ)を大将にした与論島攻めの兵百人は、新たに集められた者たちで、首里の十番組になる。その中にはジルムイ、マウシ、シラーも入っていた。マウシは今、明国に行っているが、帰って来たら合流する。今まで別の組にいて一緒に行動できなかったジルムイとシラーは、一緒になれた事を喜び、絶対に与論島を奪い取ろうと気合いを入れた。

 

 

 

手造りシーサー 大立 素焼 (雌雄セット)