長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部はその後の尚巴志の活躍です。お楽しみください。

2-105.小松の中将(第二稿)

 琉球の交易船の警護をしなければならないと言って、あやは上関(かみのせき)に帰って行った。
 ササたちはあやにお礼を言って別れ、京都へと向かった。
 六月三十日、ササたちは京都に着き、いつものように高橋殿の屋敷に入った。男はだめよと言って、サタルーたちは一文字屋に預けた。
「ねえ、ササ、今年はどこに行くの?」と高橋殿は聞いた。
「御台所様(みだいどころさま)(足利義持の奥方、日野栄子)がまた熊野に行きたいって言っているわよ」
「熊野ですか‥‥‥」と言ってササは佐敷ヌルを見た。
「あたしも行ってみたいわ」と佐敷ヌルは言った。
「決まりね」と高橋殿は喜び、
「もう、先達(せんだつ)に頼んであるのよ」と笑った。
「去年はサハチさんの娘さんが来て、驚いたけど、今年も驚かされそうね」と高橋殿は佐敷ヌルを見た。
 佐敷ヌルは高橋殿を一目見て、その美しさに見とれ、兄のサハチと関係があったに違いないと思った。高橋殿は佐敷ヌルを一目見て、その美しさに驚き、ササ以上に凄い人が来たと思っていた。
 その夜、お決まりの酒盛りが始まった。ササたちが御所に来るのが待ちきれないと言って、御台所様も奈美と一緒にお忍びでやって来た。去年一緒に熊野に行った対御方(たいのおんかた)と平方蓉(ひらかたよう)もやって来て、賑やかな宴となった。
 高橋殿は佐敷ヌルが琉球でお芝居をやっていると聞いて驚いた。佐敷ヌルが熱心に話すお芝居の話を聞きながら、わたしも負けてはいられない。女猿楽(おんなさるがく)をやらなければならないと強く心に思った。佐敷ヌルは高橋殿から猿楽の事を興味深く聞きながら、是非とも見たいと思っていたが、いつしか酔い潰れてしまった。
 次の日、ササたちは船岡山に行って、スサノオの神様に挨拶をした。御台所様は用があるので帰らなければならないと寂しそうな顔をして帰って行った。奈美が御台所様を送って行き、高橋殿はササたちと一緒に来た。
「今年もやって来たな」とスサノオは言って、「おや、凄い美人を連れて来たのう」と嬉しそうに言った。
 ササは佐敷ヌルを紹介した。
「御先祖様にお会いできて光栄です」と佐敷ヌルが言うと、
「ユンヌ姫から聞いたぞ。小松の中将(ちゅうじょう)とやらを探しているそうじゃのう」とスサノオは言った。
「御存じなのですか」
「残念ながら、知らんのじゃよ。あの頃で知っていると言えば、建春門院(けんしゅんもんいん)(後白河上皇の妃)くらいかのう。あの女子(おなご)は美しい女子じゃった。美しいだけでなく、舞もうまいし、賢い女子でもあった。熊野にも何度も行っておるし、信心深い女子じゃった」
「建春門院様というのは、小松の中将様と関係がある御方なのですか」
「小松の中将と関係あるかは知らんが、建春門院の倅(せがれ)が高倉天皇で、その倅が安徳天皇じゃよ」
安徳天皇様はどこにいらっしゃるのですか」
「それも知らんのう。小松の中将とやらは、都でも有名な美男子だったから、必ず、誰かが知っているに違いないと言って、ユンヌ姫が今、探し回っておる。見つかれば知らせてくれるじゃろう」
「ユンヌ姫が探しているのですか」とササが聞いた。
「お前にお世話になったお返しだと言っていた。気まぐれな奴じゃが、義理堅い所もある。いい孫娘じゃよ」
「そうだったのですか」
 ササはユンヌ姫を見直し、ユンヌ姫が見つけてくれる事を祈った。でも、小松の中将様はアキシノが会わせてくれると言っていた。どうせなら、小松の中将様ではなく、安徳天皇を探してくれればいいのにとも思っていた。
スサノオ様、お願いがあるんですけど、鳥居禅尼(とりいぜんに)様に会わせていただけませんか。小松の中将様は熊野から琉球に向かいました。鳥居禅尼様なら、小松の中将様の事を知っているかもしれません」
「また、熊野に行くのか」
「はい、行きます」
「いいじゃろう。鳥居禅尼に会わせてやろう。去年と同じように、新宮の神倉山(かみくらやま)に来るがいい。待っておるぞ」
 ササたちはスサノオにお礼を言って別れると平野神社に向かった。平野神社に来たのは一昨年(おととし)の台風の時以来だった。
 境内は閑散としていた。参道を真っ直ぐ本殿の方に向かおうとしたら、アキシノの声が聞こえた。アキシノの声に従って、本殿の脇にある小さな神社の前で、ササたちはお祈りをした。
「小松の中将様の居場所がわかりました」とアキシノは言った。
「大原の山の中に寂光院(じゃっこういん)という古いお寺があるのですが、そこにおりました。新三位(しんざんみ)の中将(平資盛(たいらのすけもり))様も建礼門院右京大夫(けんれいもんいんうきょうのだいぶ)様と御一緒におりました」
建礼門院右京大夫様というのはどなたですか」と佐敷ヌルが聞いた。
「有名な歌人です。当時、新三位の中将様との仲が噂されておりました」
「女の方なのですね」
「そうです。美しいお方で、殿方たちの憧れの的だったようです。建礼門院様(安徳天皇の母、平徳子)にお仕えしておりました」
「大原ってここから近いのですか」とササが高橋殿に聞いた。
「大原? 今から大原に行くつもりなの?」
「できれば行きたいのですが」
「住心院(じゅうしんいん)よりも遠いわよ。ここから二時(にとき)(四時間)は掛かるわね」
 ササは佐敷ヌルを見て、「行きましょう」と言った。
「今から大原に行きます」と佐敷ヌルが言うと、
「御案内します」とアキシノは言った。
 ササたちはアキシノにお礼を言って、大原に向かった。
「去年は源氏で、今年は平家を調べるなんて、あなたたちも大変ね」と言いながらも、高橋殿も一緒に付いて来てくれた。
「平家を知るなら『平家物語』ね」と高橋殿は言った。
「琵琶(びわ)法師が語っている長い物語なのよ。最近は書物にもなって、将軍様もお読みになっているはずだわ」
 佐敷ヌルが目の色を変えて、「そんな書物があるのなら是非、読ませてください」と言った。
「御所に移ったら、好きなだけ読めるわよ」と高橋殿は笑った。
 戦(いくさ)の話なんて、女の人はあまり読みたがらないけど、佐敷ヌルはお芝居のためなら何でもやりそうだった。佐敷ヌルの情熱に、高橋殿は昔の自分を思い出していた。芸のためなら何でもやった若い頃を思い出し、そろそろ、将軍様のために働くのを引退して、女だけの猿楽座を作ろうかと本気で考え始めていた。
 歩きながらササは、壇ノ浦で滅んだ平家の残党が琉球に来て、今帰仁按司(なきじんあじ)になった。その今帰仁按司になったのが、小松の中将様という人らしいので、これからその人に会いに行くと高橋殿に説明した。
「わたしも『平家物語』は聴いているので、小松の中将の事は知っているわよ。平維盛(たいらのこれもり)という名で、光源氏と言われたほどの美男子だったんでしょ」
「高橋殿も知っていたのですか」
平家物語では、平維盛は熊野の那智で入水(じゅすい)した事になっているわ」
「それなんですよ。あの頃、熊野水軍琉球に来ていたのです。新宮の十郎様と同じように、熊野水軍お船に乗って琉球に行ったのだと思います。それを確認するために、もう一度、熊野に行かなければなりません」
「確かに、それは考えられるわね。もし、維盛が今帰仁按司になったとしたら、その子孫は美男子のはずよ」
「あたしは見た事はないけど、噂では、今の今帰仁按司も美男子らしいですよ。今帰仁按司の娘が、島添大里(しましいうふざとぅ)に嫁いで来たけど、美人だったわ」
「サハチさんの息子さんに嫁いで来たの?」
「そうなんです。去年、ヤマトゥに来たチューマチですよ」
「あら、チューマチさんがお嫁さんをもらったの。それはおめでたいわね」
 シンシンのガーラダマに憑(つ)いたアキシノの案内で、大原の山の中の寂光院に着いたのは、正午(ひる)過ぎだった。
 寂光院は荒れ果てていた。本堂の屋根は傾いて、板戸は破れている。庭には池もあったようだが、水は涸れて、夏草が生い茂っている。完全に世間から忘れ去られた存在のようだが、誰かが草刈りをしているとみえて、山門から本堂までの参道は綺麗になっていた。
「小松の中将様が笛を聴かせてくれと言っております」とアキシノが言った。
「えっ!」と佐敷ヌルとササは驚いた。
「お姉さん、頼むわ」とササが佐敷ヌルに言った。
 佐敷ヌルはうなづいて、腰に差していた横笛を袋から取り出した。半ば朽ちかけた本堂を見ながら、佐敷ヌルは笛を構えて吹き始めた。
 何も考えなかった。今、感じている事を素直に音として表現した。
 幽玄な調べが山の中に響き渡った。
 辺りが急に暗くなった。
 幻(まぼろし)が現れた。
 幻はきらびやかな衣装を身にまとった美しい男で、佐敷ヌルの笛に合わせて、華麗な舞を披露した。
 夢でも見ているのだろうかと思いながらも、佐敷ヌルは笛を吹き続けた。
 ササが佐敷ヌルの笛に合わせて、笛を吹き始めた。佐敷ヌルとササは、まったく別の調べを吹いているのに、うまく調和して、さらに幽玄さを増していた。
 高橋殿が舞い始めた。高橋殿は幻の貴公子を相手に華麗に舞っていた。
 シンシン、シズ、ナナの三人も幻を見ていて、高橋殿との華麗な舞を夢でも見ているかのような気持ちで、呆然と佇んだまま見つめていた。
 佐敷ヌルとササの笛に、もう一つの笛が加わった。誰が吹いているのかわからないが、低音で響くその笛は、幽玄な調べを荘厳な調べに変えていた。
 素晴らしい夢の世界が永遠に続くかと思われたが、佐敷ヌルとササの笛が静かに終わりを告げると幻は消え去り、もとの明るさに戻った。
 高橋殿は呆然とした顔付きで、佐敷ヌルとササを見た。
「わたし、どうしたのかしら?」と高橋殿は言った。
「素晴らしい舞でした」と佐敷ヌルが言って、拍手をした。
 ササ、シンシン、シズ、ナナも、「凄い」と言って拍手を送った。
「わたしじゃないわ」と高橋殿が言った。
「佐敷ヌルとササの笛よ。あんな曲、聴いた事もないわ。まるで、神様が奏でているような曲だったわ。わたしの体は自然に動いてしまったのよ。そして、一緒に舞っていたのは、もしかして、平維盛様だったの?」
「多分、小松の中将様に違いないわ」とササが言い、
「凄い美男子だったわ」とナナが言った。
「歓迎するよ」と神様の声が聞こえた。
「中将様です」とアキシノが言った。
 ササ、佐敷ヌル、シンシンはその場にひざまずいて、両手を合わせた。高橋殿、ナナ、シズもササたちに従って、神様にお祈りを捧げた。
「話はアキシノから聞いている」と小松の中将は言った。
「安須森(あしむい)の事は後悔している。しかし、あの時のわしは、相手の事を考えるほどの余裕はなかったんだ。とにかく、落ち着く場所が欲しかった。謝って済む事ではないが、すまなかった」
「あなたは初代の今帰仁按司なのですね」と佐敷ヌルは聞いた。
「そうだ。わしは平家を棄てて、今帰仁按司になった。琉球に行って、わしは祖父(平清盛)や親父(平重盛)や叔父たちから解放されて、ようやく、自由になったんだよ」
屋島(やしま)から逃げ出した時、最初から琉球に行くつもりだったのですか」
「いや、あの時は琉球という島の事は知らなかった。どこでもいいから南の島に逃げたかったんだ」
屋島から熊野に向かったのですか」
「そうだ。紀伊国(きいのぐに)(和歌山県)の田辺に行った。田辺には熊野権別当(ごんのべっとう)の湛増(たんぞう)がいたんだ。湛増は親父と親しかった。湛増は京都に屋敷を持っていて、六波羅(ろくはら)の屋敷にも出入りしていて、わしも熊野の話など湛増から聞いていた。親父は亡くなった年に熊野参詣に行ったんだが、その時、わしら息子たちも一緒に行って、湛増のお世話になったんだ。湛増は突然のわしの出現に驚いたが、話を聞いてくれた。湛増から那智に行けと言われて、わしたちは熊野を参詣して那智に向かった。男は皆、山伏の格好になって行ったんだ」
那智に行くのにどうして、熊野参詣をしたのですか。船でまっすぐ行った方が安全だったのではありませんか」とササが聞いた。
「確かにそうだ。湛増から新宮の者たちは源氏贔屓(びいき)だと聞いていた。しかし、あの時のわしは、まだ迷っていたんだ。本当に、親父が言った通り、生き残る事が正しいのか、わからなかったんだよ」
「中将様のお父様は、もう亡くなっていたのでしょう?」
「ああ。五年前に亡くなっていた。親父は亡くなる前、わしたちを熊野に連れて行って、今後の事を話したんだ。あの時のわしたちには、親父が言った事は理解できなかった。親父は平家が滅びる事を予見していたのかもしれない。何が起こっても、一族と一緒に滅びる事なく、お前たちは必ず、生き延びろと言ったんだ」
「お父様がそう言ったので、琉球に逃げたのですか」
「そうだよ。それが親父の遺言だったんだ。京都に帰ってからは、その事には触れなかったけど、亡くなる前にも、熊野の事は決して忘れるなと言った。最初に親父の遺言に従ったのは弟の清経(きよつね)だった。奴は京都を落ちて九州に行った時、九州の奴らに裏切られて、横笛を吹いたあと、入水(じゅすい)したんだ。わしにはわかっていた。奴は入水したように見せかけて、どこかに逃げたに違いないと。わしも清経のあとを追って、南の島に行こうと思って、屋島から逃げたんだけど、まだ迷っていたんだよ。本当に逃げてもいいのか。それとも、熊野の水軍を引き連れて、屋島に戻った方がいいのか‥‥‥わしは心を決めるために、もう一度、親父と歩いた熊野参詣の道をたどってみたんだ」
「そして、答えが出たのですね」
「ああ、迷いは消えたよ。わしは中辺路(なかへち)を歩きながら、どうして親父があんな事を言ったのか、ずっと考えていたんだ。親父が亡くなったあと、祖父と後白河法皇(ごしらかわほうおう)は対立して、祖父は法皇を鳥羽に幽閉してしまった。そして、法皇の息子の以仁王(もちひとおう)が、『平家打倒』の令旨(りょうじ)を出して、各地の源氏が蜂起した。親父が源氏の蜂起まで、予見していたとは思えないけど、祖父と法皇の対立はわかっていたのだろう。そして、平家の嫡流が叔父の内府(だいふ)(平宗盛)に移ってしまう事もわかっていたのだろう。親父が亡くなったあと、小松家(重盛の子供たち)の者たちは孤立したような感じになった。わしたちが親父の喪(も)に服していた時、様々な事が起こったんだ。祖父が法皇を幽閉したのも、安徳天皇が即位したのも、祖父が都を京都から福原(神戸市)に移したのも、喪に服している時で、わしらは蚊帳(かや)の外に置かれたんだ。わしらには何の相談もなかった。そして、源氏が蜂起して、わしは総大将として関東に出陣した。あの時、祖父はわしを信頼していると喜んだけど、よく考えてみると、平家の棟梁(とうりょう)になった叔父のために、邪魔者のわしを総大将にして、戦死してくれればいいと思ったのかもしれないと疑った。北陸攻めの時もそうだった。あの時はもう祖父は亡くなっていて、叔父の内府が名誉挽回の機会を与えてくれたとわしは喜んだけど、内府はわしたちが戦死するのを願っていたに違いない。あの時、小松家の者たちは出陣して、内府の身内は京都を守っていたんだ。その事に気づいて、わしは改めて、逃げようと決心を固めたんだよ。内府のために戦死するなんて馬鹿げている。それに、一ノ谷の合戦で、平家が源氏に敗れて、大勢の武将が戦死したとの噂が熊野に流れて来た。すでに手遅れだと悟ったよ。わしは熊野で生まれ変わって、新しい生き方をしようと決めたんだ。わしたち小松家の兄弟は、親父の言いつけをちゃんと守って、みんな、生き延びたんだよ」
「熊野参詣をして、那智まで行って、それから琉球に行ったのですか」と佐敷ヌルが聞いた。
「いや、琉球に向かったのは、その年の冬になってからだ。北風が吹かないと琉球には行けないと言われて、冬まで隠れていたんだよ。那智に行くと熊野水軍の色川左衛門佐(いろかわさえもんのすけ)が待っていた。左衛門佐の船に乗って山成島(やまなりじま)に渡り、追っ手から逃れるために、入水したように見せかけたんだ。家宝の太刀を手放すのは残念だったけど、仕方がなかった。そのあと、左衛門佐の拠点がある山奥に行ったんだ。船に乗って太田川をさかのぼって、途中から険しい山道をどんどん進んで行った。山に囲まれた小さな村で、冬までの一年近くを隠れて暮らしていたんだよ」
「いい思いもしたんでしょ」とアキシノが言った。
「何を今更、言っているんだ」
「すっかり忘れていたのに、当時を思い出したら悔しくなったわ」
「あれは仕方がなかったんだよ。助けてもらったんだ。左衛門佐の願いを聞いてやるしかなかった」
「あたしに内緒で、都の話を聞かせてやるとか言って出掛けて、あちこちに女をこさえていたのよ」
「だから、仕方なかったんだよ。山の中の村だから、新しい血が欲しかったんだ」
「それにしたって、何人も相手にする事もないじゃない」
「夫婦喧嘩はやめてください」と佐敷ヌルが言った。
 二人とも黙った。
「山奥の村で冬まで待って、それから琉球に行ったのですね」と佐敷ヌルは小松の中将に聞いた。
「そうだよ。南には思っていた以上に、いくつもの島があった。わしは生まれ変わった気持ちになって南の島々を巡って、琉球にたどりついたんだよ」
「平家の御曹司(おんぞうし)という地位を捨てても惜しいとは思わなかったのですか」
「平家の御曹司か‥‥‥祖父や親父の時代だったら、面白おかしく暮らせただろうけど、わしの頃は、うるさい叔父や大叔父が何人もいて、何一つ思うようには行かなかったんだよ。十九歳の時に、法皇の御前で舞を舞って評判になったけど、わしに近づいて来る女子(おなご)はいなかった。わしの顔を見るとキャーキャー騒いでいるのに、文(ふみ)を送って来るような娘はいなかったんだよ。わしは雲の上の人で、近寄りがたかったようだ。山奥の娘たちは文字も知らんし、歌など作れんが、わしを雲の上の人ではなく、地上にいる男として接してくれたんだ。そんなの初めてだったので、嬉しかったんだよ」
「奥さんはいたのでしょう?」
「十五の時に、親が決めた娘を嫁にもらった。可愛い娘だったよ」
「奥さんは琉球に連れて行かなかったのですか」
都落ちの時に、京都に残したんだ。わしの事は忘れてくれと言ってな」
「そんなのひどいわ」とササが言った。
「ああ、ひどい。でも、一緒に連れて行ったら、妻はもっとひどい目に遭ったかもしれない」
「どうしてですか」
「わしが二十歳の時、妻の父親藤原成親(ふじわらのなりちか))は謀叛(むほん)を企てて捕まり、流刑地(るけいち)で殺されたんだ。妻は裏切り者の娘という烙印(らくいん)を押されてしまったんだよ。都落ちしたら、妻はうるさい叔母たちと行動を共にしなければならなくなる。叔母たちにいじめられるのは目に見えている。きっと、妻には耐えられないだろう」
「中将様は大丈夫だったのですか」
「わしもさんざ陰口をたたかれたよ。妻の父親が殺され、その二年後には、親父が病死してしまった。親父の喪が明けたあと、わしは関東攻めの総大将に任命された。わしは張り切っていた。伊豆の三郎(源頼朝)の首を取ってくるつもりでいた。しかし、侍大将の上総介(かずさのすけ)(伊藤忠清)のお陰で、すべてが台無しになってしまった。上総介はわしの乳父(めのと)だったんだ。いつまで経っても、わしを子供扱いして、わしのやる事に一々文句を言ってきた。福原を発ったあと京都に入ると、上総介は日が悪いだのと言って、十日近くも京都から動かなかったんだ。その隙に、平家を裏切って、源氏に寝返った者たちが数多くいたはずだ。富士川に着いてからも、わしは攻めると言ったのに、上総介は戦わずして退却すると決めた。士気は落ち、皆、逃げる事しか考えていなかった。その夜、敵が夜襲を仕掛けて来たのか、水鳥が一斉に飛び立った。その音に驚いた兵たちは慌てふためいて、我先にと逃げ出したんだ。まったく惨めな戦(いくさ)だった。戦いもしないのに、わしは負け戦の大将になってしまったんだよ。祖父は鬼のような顔をして怒鳴った。宮中の者たちは、わしの顔を見ると、こそこそと陰口を言っていた。いたたまれない気持ちだったよ。その翌年、祖父が平家の行く末を見る事もなく、熱病に罹って亡くなってしまった。祖父の死は大きかった。祖父がいれば、源氏なんか倒せると誰もが思っていた。祖父が亡くなって、平家の行く末に暗雲が立ち込めたんだ」
 小松の中将は昔を思い出しているのか、黙ってしまった。
 佐敷ヌルは中山王だった察度(さとぅ)を思い出していた。佐敷ヌルは察度に会った事がなかったので、察度のお芝居を作る時、ンマムイから察度の話を聞いた事があった。祖父が偉大過ぎたので、父(武寧)も俺も、祖父と比べられて大変だったとンマムイは言っていた。
「今思えば、祖父は物凄い人だったんだなと思うよ」と小松の中将は言った。
「祖父は福原に新しい都を造ろうとしていたんだ。源氏の蜂起がなかったら、福原は素晴らしい都になって、宋(そう)との交易で栄えた事だろう。富士川の負け戦のあと、祖父は福原を諦めて、また京都に戻ったんだよ。福原は半年足らずの都だった」
「中将様が富士川からお帰りになったあと、源氏は京都に攻めて来たのですか」と佐敷ヌルが聞いた。
「いや、まだだよ。祖父が亡くなったあと、わしはまた戦に出たんだ。叔父の三位中将(さんみちゅうじょう)(平重衡(たいらのしげひら))と一緒だった。叔父と言っても、わしより一つ年上で、三位中将とは気が合ったんだ。今もここに一緒にいる。その時の戦は美濃(みの)(岐阜県)まで行ったんだけど、勝ち戦だったんだ。祖父が亡くなったあとの勝ち戦だったから、京都はお祭り騒ぎになった。源氏なんて大した事はない。田舎者が平家に逆らうなんて、神様がお許しにならないだろうって、みんなの意気は上がったんだ。その時の勝ち戦で、わしは中将に昇進して、小松の中将と呼ばれるようになったんだよ。でも、喜んでばかりもいられなかった。大飢饉(だいききん)が襲って、京都には食糧がなくなって、大勢の餓死者(がししゃ)が出たんだ。祖父が亡くなる前の年、三位中将が南都(奈良)を焼き払ったんだけど、その祟(たた)りだと京都の者たちは騒いでいた。都中に死臭(ししゅう)が漂っていて、まったく、悲惨だったよ。あちこちで源氏の蜂起は続いていたけど、戦をやれる状況ではなかった。一年が過ぎて、ようやく、飢饉も下火となって、また戦が始まった。わしはまた総大将に任じられて、北陸へと向かったんだ。まず、越前(えちぜん)(福井県)で火打城(ひうちじょう)を攻め落として、加賀(石川県)に入った。木曽の山猿が越中富山県)にいると知らせが入ったので、わしらは二手に分かれて、越中との国境に向かったんだ」
「木曽の山猿って何ですか」とササが聞いた。
「木曽の次郎(源義仲)だよ。わしらは倶利伽羅峠(くりからとうげ)で、奴の夜襲に遭って敗れてしまったんだ。あの戦で多くの兵を失って、平家は再起不能になってしまった。あの負け戦のすべての責任がわしにあるわけではないが、いや、総大将だったわしの責任だろう。敵の動きをもっとよく調べればよかったんだ。わしは、あの負け戦から立ち直る事はできなかった」
「アキシノさんとはいつ出会ったのですか」と佐敷ヌルが聞いた。
「アキシノと出会っていなかったら、わしは倶利伽羅峠で戦死していたかもしれんな。あの時、大勢の兵が戦死するのを見て、わしは京都に帰るのが恐ろしくなった。富士川の戦の時のように、負け戦の大将と陰口をたたかれるのに耐えられないだろうと思ったんだ。あの時とは違って、大勢の者たちが戦死した。宮中の者たちだけでなく、戦死した兵たちの家族からも責められるだろう。生きて京都には帰れないと思ったんだよ。供の者たちに、早く逃げようと言われた時、アキシノの顔が浮かんだんだ。わしは京都ではなく、アキシノがいる厳島神社(いつくしまじんじゃ)に帰ろうと思って、必死に逃げて来たんだよ。アキシノと初めて出会ったのは、富士川の合戦に行く前だった。戦勝祈願のために大叔父の薩摩守(さつまのかみ)(平忠度(たいらのただのり))と一緒に厳島神社に行った。迎えてくれた内侍(ないし)(巫女)の中にアキシノがいたんだ。一目見て、何か惹かれるものを感じたよ。でも、その時は言葉も交わさなかった。二度目に会ったのは、富士川の負け戦のあとだった。福原にいるのに耐えられず、わしは馬に乗って厳島神社に向かった。その時はアキシノの顔が浮かんだわけではない。負け戦の事で頭はいっぱいで、神様にすがる気持ちだったんだ。ところが、厳島神社に来て、ばったりとアキシノと出会った。アキシノはわしを覚えていてくれた。アキシノと一緒に弥山(みせん)に登って、わしは戦の事を話した。アキシノに話したら、なぜか、気が軽くなったんだ。周りの者が何と言おうと気にするなとアキシノは言った。そのあとは、戦勝祈願のためと言っては、何度も厳島神社に通って、アキシノと会ったんだ。倶利伽羅峠の戦から帰って来て、わしは戦死した者たちの平安を祈るために、厳島神社に行った。そして、都落ちのあとは、アキシノを連れて一緒に行動して、屋島に落ち着いた時、脱出の計画を練って、熊野に向かったんだよ」
「弟の新三位の中将様が安徳天皇様をお連れして、南の島へと逃げましたが、その天皇は偽者だったとアキシノ様から聞きました。本物の安徳天皇様がどこにいらしたのかご存じないのですか」
「わしも探しているんだが、どこにもおらんのだよ。何者かが結界(けっかい)を張ってしまったのかもしれんな」
「結界ですか。誰がそんな事をするのですか」
安徳天皇が壇ノ浦では亡くならず、どこかで生きていたという事が公表されたらまずいと思っている奴らだろう」
「その事が公表されたら、まずい事になるのでしょうか」
安徳天皇は本物の三種の神器(じんぎ)を持っておられたんだよ。壇ノ浦で沈んだのは偽物だ。鏡と勾玉(まがたま)は回収されたそうだが、あれは偽物だ。今の天皇は偽物を大切に持っているというわけだ。その事が公表されたら大変な事になるだろう。それで、安徳天皇は本物の三種の神器と一緒に隠されてしまったのだろう」
「探す事はできないのですか」
「どこにあるのかわからんが、その結界を破ると天変地異が起こるかもしれんな」
 突然、笛の調べが聞こえてきた。静かで優しい調べだった。小松の中将が吹いているようだ。佐敷ヌルはその笛に合わせて、笛を吹き始めた。
 源平の戦が始まる前の平和な京都の情景が思い浮かぶような曲だった。
 やがて、笛の音は消えた。佐敷ヌルは笛から口を離すと、両手を合わせて、お礼を言った。
「中将様はお帰りになられたのですか」と佐敷ヌルがアキシノに聞いた。
六波羅の方にお移りになられました。弟たちがあちらで酒盛りを始めたようです」
「弟たちと言いますと、新三位の中将様や小松の少将様たちですか」
「新三位の中将様はここにいらっしゃいました。左の中将様(平清経)、小松の少将様(平有盛(たいらのありもり))、丹後侍従(たんごじじゅう)様(平忠房(たいらのただふさ))、土佐侍従(とさじじゅう)様(平宗実(たいらのむねざね))、備中侍従(びっちゅうじじゅう)様(平師盛(たいらのもろもり))、が六波羅に集まっておられるようです。それと、琵琶の名人の但馬守(たじまのかみ)様(平経正(たいらのつねまさ))もいらっしゃるようです」
「賑やかそうですね」と佐敷ヌルは笑ったあと、「アキシノ様、熊野まで一緒に来ていただけないでしょうか」と頼んだ。
「まだ、何か、お調べになるのですか」
「小松の中将様の事をお芝居にして、今帰仁の人たちに見せたいと思っております。中将様の足跡を確かめたいのです」
「お芝居ですか。それは楽しそうですね。中将様もまだ帰りそうもないし、熊野に行っても構いませんよ」
 佐敷ヌルはアキシノにお礼を言って、小松の中将の神様から聞いた話をササ、シンシンと一緒に、高橋殿、ナナ、シズに話して聞かせた。

 

 

 

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