長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

2-64.旧港から来た娘(改訂決定稿)

 サハチ(琉球中山王世子)たちが家族水入らずの旅から帰って来ると、朝鮮(チョソン)に行った使者たちが博多に戻ったとの知らせが入った。
 サハチはウニタキ(三星大親)とファイチ(懐機)を連れて、イトの船に乗って博多に向かった。使者たちは『妙楽寺』に滞在していて、出入りも自由だったので、サハチたちは一文字屋孫次郎と一緒に妙楽寺に行き、使者たちと会った。
 無事に役目を終えた使者たちはホッとした顔でサハチたちを迎えた。サハチは皆にお礼を言った。
 通事(つうじ)(通訳)をしてくれた早田藤五郎(そうだとうごろう)はまだ富山浦(プサンポ)(釜山)に残っていた。同じく通事を務めてくれたチョル夫婦は朝鮮に帰らず、また戻って来ていた。どうしたのかと聞くと、
「かみさんに言われたんです」とチョルは言った。
「このまま帰ってもいいのかと言われたんです。恩返しをしなくてはならないと思いまして、琉球に戻る事に決めたのです。カンスケたちに朝鮮の言葉を教えて、立派な通事に育てようと思いました」
 サハチはチョルにお礼を言った。チョルの言う通り、来年も朝鮮に行くとなれば通事を育てなければならなかった。
 明国(みんこく)との交易と違って、大量の陶器がないため、船倉はまだ空いていた。サハチは空いている船倉に、瓦(かわら)と鉄屑(てつくず)を積むように使者たちに頼んだ。
 博多に残していった一徹平郎(いってつへいろう)は新助と一緒に、『一文字屋』のお客様用の屋敷を建てていた。『龍宮館(りゅうきゅうかん)』と名付けられた屋敷はそれ程大きな建物ではないが、独特な作りで、あちこちに新助が彫った龍が飾られてあった。龍ばかり彫っていると言われるだけあって、その龍は生き生きとしていて迫力があり、見事な彫り物だった。思紹(ししょう)(中山王)には悪いが、思紹の彫った龍が子供のいたずらのように思えた。
 一徹平郎は瓦職人も見つけ出してくれた。唐破風(からはふ)の瓦は特殊な瓦なので、職人を連れて行かなければならないと思い、探したのだと言った。サハチも瓦職人は連れて帰りたいと思っていたが、唐破風の瓦が特殊な瓦だとは知らなかった。一徹平郎が瓦職人を探してくれなかったら、百浦添御殿(むむうらしいうどぅん)の唐破風はできなかったに違いない。改めて、一徹平郎という男を見直し、サハチはお礼を言った。
 栄泉坊(えいせんぼう)は博多の寺院や神社、サムレーの屋敷や庶民の家まで、あらゆる建物を絵に描いていた。充分に今後の参考になる絵ばかりで、サハチは栄泉坊に感謝した。
 来年もお世話になるので、サハチは九州探題の渋川道鎮(どうちん)にも挨拶に行った。道鎮は快く会ってくれた。朝鮮の事を聞かれたので、李芸(イイエ)の事を話すと、道鎮も李芸を知っていた。去年、李芸は副使としてやって来たが、暴風に遭って石見(いわみ)の国(島根県)まで流された。京都に行くのは諦めて、大内氏の援助で朝鮮に帰って行ったが、倭寇(わこう)に連れさられた朝鮮人を百人近くも連れて帰ったという。早田左衛門太郎に会ったかと聞かれたので、サハチは会いたかったが会えなかったと答えた。
 道鎮は京都の様子を話してくれた。
「鎌倉の御所様(足利満兼)に不穏な動きがあって、敵が京都に攻めて来ると一時は大騒ぎになったんじゃが、何とか無事に治まったようじゃ。事を起こす前に、御所様は亡くなってしまったらしい。狂気したとの噂も流れていたので、重い病に罹っていたのかもしれんのう。興奮し過ぎて、頭に血が昇り過ぎたんじゃろう」
 サハチは鎌倉に行った高橋殿を思い出した。
 もしかしたら、高橋殿の仕業だろうか‥‥‥
 事が起こる前に殺したのだろうか‥‥‥
 サハチは道鎮と別れたあとも高橋殿の事を考えていた。
「高橋殿がうまくやったようだな」とウニタキが言って笑った。
 ウニタキは高橋殿が殺したと思っているようだが、サハチはそうは思いたくはなかった。
 サハチたちはクグルーとマウシ、クルシ(黒瀬大親)、カンスケたちを連れて対馬(つしま)の船越に帰った。
 久し振りに対馬に帰って来たクルシは孫たちに会いに土寄浦(つちよりうら)に行った。クルシには三人の息子がいて、長男と三男がサイムンタルー(早田左衛門太郎)と一緒に朝鮮にいて、次男がシンゴ(早田新五郎)の補佐をしていた。孫たちは二十人もいて、その中の一人は船越にいて、六郎次郎に仕えていた。
 カンスケの妻と子供は船越にいた。奥さんは船乗りの娘で、子供をサワに預けて、イトと一緒に船に乗っていた。子供は四人いて、十歳になる長女はしっかり者だった。カンスケと一緒に通事をやってくれた者たちは土寄浦に帰って行った。
 クグルーと再会して泣いている娘がいた。去年、仲よくなった娘だった。仲よくなったといってもクグルーは手を出さなかったらしい。もう二度と会えないと思っていたクグルーが現れたので、娘は感激して泣いたようだった。
 マウシはミナミとの再会に喜んでいた。ミナミも喜び、マウシの名を呼び捨てにして肩車をさせて走らせ、キャッキャッと嬉しそうに騒いでいた。
 一仕事を終えたサハチたちは対馬でのんびりと過ごした。あとは十二月になって北風が吹くのを待つばかりだった。
 ササ(馬天若ヌル)とシンシン(杏杏)とナナ、ンマムイ(兼グスク按司)とクサンルー(浦添按司)は土寄浦で若い者たちを鍛えている。サハチとウニタキとファイチ、それとヂャンサンフォン(張三豊)は船越の若者たちを鍛え、三人の女子(いなぐ)サムレーとシズは船越の娘たちを鍛えていた。その合間にファイチとイハチ、三人の女子サムレーは、ヤマトゥ(日本)言葉を手の空いている女たちから習っていた。
 好きになった娘のために強くなろうと思ったのか、イハチは真剣に武術修行に励んでいた。そんなイハチを見ながら、そろそろ嫁さんを探さなければならないなとサハチは思っていた。
 ジクー(慈空)禅師は鉄潅和尚(てっかんおしょう)と仲よくなって、ほとんど『梅林寺』にいた。梅林寺で来年のヤマトゥ行きの計画を練っているようだった。
 十一月になって急に寒くなってきた。イトが昔を思い出して襟巻きを作ってくれた。サハチたちは襟巻きを首に巻いて寒さを凌いだ。
 一文字屋の船が船越にやって来た。外間親方(ふかまうやかた)が乗っていて、博多に旧港(ジゥガン)(パレンバン)の船がやって来て、琉球に帰る時に一緒に琉球まで連れて行ってほしいと九州探題の渋川道鎮に頼まれた事を告げた。
 旧港の船と言えば、去年、若狭(わかさ)(福井県)に着いた船だった。『七重の塔』の上で勘解由小路殿(かでのこうじどの)(斯波道将)から話を聞いて、そのあと、高橋殿から詳しい事情を聞いていた。
 去年の六月、旧港の支配者となったシージンチン(施進卿)が、日本国王に送った使者が若狭の国の小浜(おばま)港に着いた。象という鼻の長い巨大な動物、日本の馬よりも一回り大きな立派な馬、綺麗な鳥の孔雀(くじゃく)と鸚鵡(おうむ)を積んでいた。若狭守護の一色氏の家臣たちに守られながら京都へ向かい、将軍様足利義持)に謁見(えっけん)して、珍しい動物たちを献上した。動物の他にも南蛮(なんばん)(東南アジア)の品々や明国の陶器も献上して、将軍様を喜ばせた。特に気に入ったのは馬で、将軍様は愛馬として乗り回しているという。
 象、孔雀、鸚鵡は使者たちの宿舎となった寺院で、一般の者たちにも公開して、京都の人々を驚かせた。サハチたちが京都にいた頃は京都の郊外にある醍醐寺(だいごじ)にいたらしい。鼻が長くて目が小さくて、足が太くて巨大だと高橋殿は象の事を言ったが、一体、どんな動物なのか、サハチには想像もできなかった。
 旧港の船は大量の日本刀を仕入れて帰ろうとしていた去年の十一月、台風に遭って、船が壊れて帰れなくなってしまった。将軍様の援助で新しい船を造る事に決まり、船が完成して小浜(おばま)を船出したのが今年の十月で、その船が今、博多にいるのだった。
 サハチはウニタキとファイチ、ヂャンサンフォンも連れて、博多に向かった。旧港を支配しているシージンチンは明国人だった。わたしの出番が来たようですとファイチは張り切っていた。もしかしたら、旧港の使者はメイユー(美玉)の事を知っているかもしれない。知っていれば話も弾むに違いない。いつの日か、旧港に使者を送るようになった時、役に立つだろうとファイチは言った。
 旧港の使者たちの船は進貢船(しんくんしん)と似ていた。小浜で新造したのでヤマトゥの船かと思っていたが、壊れた船と同じ物を造ったようだ。あの『七重の塔』を建てた大工なら、明国の船を真似して造る事もできるだろう。腕のいい船大工も琉球に欲しいとサハチは思った。
 旧港の使者たちがいるという『承天寺(しょうてんじ)』に行くと、広い境内の片隅で武芸の稽古をしている娘たちがいた。着ている着物は明国風なので、旧港から来たようだが、娘たちが一緒にいるのは不思議だった。
「武当剣(ウーダンけん)のようじゃ」とヂャンサンフォンが言った。
「するとあの者たちは師匠の弟子なのですか」とウニタキが驚いた顔をして聞いた。
「弟子の弟子、あるいはそのまた弟子かもしれんのう。しかし、旧港にもわしの弟子がいるとは知らなかった」
 サハチたちが本堂の方に向かおうとした時、娘たちの師匠らしい老人が近づいて来て、ヂャンサンフォンをじっと見つめた。ヂャンサンフォンもその老人を見つめて、「ミンジュンか」と言った。
 老人は急にひざまづいて、何事かを言い出した。
 ヂャンサンフォンは老人を立たせると、
「弟子の弟子ではなかったわ。わしの弟子のシュミンジュン(徐鳴軍)じゃった」と言って笑った。
「何年振りかのう。こんな所で出会うとは思ってもいなかったわ」
 ヂャンサンフォンとシュミンジュンは再会を喜んで、しばらく話し込んでいた。二人が並んでいる姿はどう見てもヂャンサンフォンの方が若く見えた。ヂャンサンフォンをここに置いて使者に会おうとしたら、二人の娘のうちの一人がシージンチンの娘らしいとヂャンサンフォンは言った。
 シュミンジュンが娘たちを呼ぶと、二人の娘がやって来た。二人とも二十歳前後の娘だった。
 シュミンジュンが娘たちに何かを言った。娘たちは驚いた顔をしてヂャンサンフォンを見て、慌てて師匠に対する礼をした。そして、サハチたちを見ると一人の娘が、
「シージンチンの娘のシーハイイェン(施海燕)です」とヤマトゥ言葉で言った。
「日本の言葉がわかるのですか」とサハチが聞くと、
「小浜に一年以上いました。日本の言葉のお稽古をしました」とシーハイイェンは言った。
「そうでしたか」とサハチはうなづき、ファイチを見て、「ファイチよりもうまいようだ」と笑った。
 サハチはファイチとウニタキを紹介した。
 シーハイイェンはもう一人の娘を紹介した。ツァイシーヤオ(蔡希瑶)という名前だった。
 シーハイイェンに連れられて、サハチたちは使者たちと会った。ヤマトゥ言葉をしゃべる通事もいて、『ワカサ』と呼ばれていた。どうやら日本人のようだった。
 サハチは旧港の船を琉球に連れて行く事を約束して、さらに明国まで連れて行く事も約束した。琉球まで行くのはいいが、それから先はどうしようかと悩んでいた使者たちは、サハチの申し出に大喜びしてくれた。
 使者たちとの話がまとまると、サハチはシュミンジュンとシーハイイェンとツァイシーヤオの三人を『一文字屋』に連れて帰り、酒と料理を御馳走して、旧港の話を聞いた。ヂャンサンフォンとシュミンジュンは別れてからのお互いの事を話し合っていた。
 シーハイイェンとツァイシーヤオはメイユーの事を知っていた。メイユーからヂャンサンフォンが琉球にいる事を聞いて、琉球に行きたかったと言った。
「でも、父はあたしよりワカサの言う事を聞いて、琉球に行くより日本に行けと言ったのです」
「ワカサというのは通事の事ですね?」
 シーハイイェンはうなづき、「ワカサは倭寇です」と言った。
「あたしたちが広州(グゥァンジョウ)にいた頃、助けられて、そのあとはずっと仲間です。メイユーが持って来てくれた日本刀はとても素晴らしいです。旧港の兵たちを日本刀で武装しなければなりません。日本刀を手に入れるために日本にやって来たのです。ワカサが生まれた小浜は京都に行くのに近いというので、小浜を目指して来ました。京都にも行きました。素晴らしい都でした。とても高い塔があって、そこからの眺めはとてもよかったです」
「七重の塔だな」
「そうです。七重の塔。あんなに高い塔は明国にもありません。日本という国は凄いと思いました。京都から小浜に戻って、帰るつもりだったのですが、台風が来て船が壊れてしまいました。将軍様のお陰で新しい船を造りましたが、一年も掛かってしまいました。でも、その間にワカサの奥さんがいる平戸(ひらど)(長崎県)という島に行きました。平戸の人たちはワカサが死んだと思っていたので、みんなが驚いて、そして、喜んでいました」
「ワカサは松浦党(まつらとう)だったのか」とウニタキが言った。
「ワカサは琉球にも行った事があると言っていました」
 ファイチが明国の言葉で、シーハイイェンに質問した。ファイチは旧港の事を詳しく聞いていた。
 シーハイイェンは明国の広州で生まれた。七歳の時、海賊のリャンダオミン(梁道明)は旧港に移った。リャンダオミンの配下だった父親も移る事になり、シーハイイェンは海を渡って旧港に行った。
 旧港はシュリーヴィジャヤ王国の王都として栄えていたが、マジャパヒト王国に滅ぼされて、国は乱れて海賊たちの拠点と化していた。リャンダオミンは配下を率いて旧港を攻め、海賊どもを追い払った。
 旧港には元(げん)の時代に広州から移住した商人たちが多く住んでいた。リャンダオミンは一年足らずで商人たちの首領となり、旧港の王を名乗った。
 シーハイイェンが十六歳の時、リャンダオミンは明国から来た役人に投降して、広州に帰って行った。リャンダオミンの後継者として選ばれたのは父だった。父は旧港の王となった。リャンダオミンの護衛役だったシュミンジュンは父のために残る事になった。
 リャンダオミンが去ったあと、チャンズーイー(陳祖義)が大勢の配下を率いて旧港にやって来た。チャンズーイーも広州の海賊だったが、やる事が汚いので海賊仲間からも嫌われ、広州を追放されて、マラッカ海峡で暴れていたのだった。チャンズーイーは王宮から父を追い出して、自ら王を名乗り、好き放題の事をした。シーハイイェンも隠れて暮らさなければならず、必ず、チャンズーイーを倒してやると武芸の修行に励んだ。一年後、その苦しい立場は急転した。ジェンフォ(鄭和)が率いる大船団がやって来て、チャンズーイーを退治してくれた。チャンズーイーは進貢船も襲っていたので、永楽帝(えいらくてい)の怒りを買っていたのだった。
 父はジェンフォから旧港の首領である事を認められた。翌年には姉婿が使者となり、明国に行って朝貢した。父は永楽帝から正式に、旧港宣慰司(ジゥガンシェンウェイスー)に任命された。その翌年、メイユーが琉球から大量の日本刀を持ってやって来た。メイユーが明国に帰ったあと、父は日本に使者を送る事を決定し、シーハイイェンも一緒に行く事に決まった。去年の五月の事だった。
「きっと、両親が心配しているに違いないわ」とシーハイイェンとツァイシーヤオは暗い表情になったが、「でも、日本刀をいっぱい持って帰れば喜んでくれるに違いないわ」と言って、うなづき合っていた。
 シーハイイェンはシージンチンの次女だった。姉はお嫁に行ったので、あたしが父の跡を継がなければならないと言った。母親違いの弟がいるけど、まだ幼いので任せられない。あたしは父親の跡を継ぐために日本にやって来た。日本では船が壊れて苦労したけど、琉球の人に会えて、琉球に行けるのは嬉しい。琉球の事はメイユーから聞いていて、行ってみたいと思っていたという。
 ツァイシーヤオは父親の腹心の部下の娘で、幼い頃から一緒に育ち、共に武芸の稽古に励み、お互いにお嫁には行かないで、旧港の発展のために生きようと誓い合った仲だった。
 シーハイイェンとツァイシーヤオの話を聞きながら、ササのいい友達になれそうだとサハチは思った。きっと、意気投合して仲良しになるに違いない。
 シーハイイェンたちと別れて対馬に帰ったサハチたちは富山浦に行って、早田五郎左衛門にお世話になったお礼と別れを告げた。ササと仲良くなったナナは五郎左衛門の許しを得て、一緒に琉球に行く事になった。
 対馬に戻って、サハチがイトとユキとミナミに別れを告げている時、ウニタキはツタと別れを告げていた。ツタの夫は戦死したので仲よくなっても構わないのだが、二人が仲よくなっていたなんてサハチはまったく知らなかった。ファイチはヤマトゥ言葉を教わっていたアサと、ヂャンサンフォンは後家のキタと、シズはシノの息子の新太郎と別れを告げていた。
 まったく意外だったのはンマムイだった。女子サムレーのクムに振られて土寄浦に行ったンマムイが、シンゴの妹のサキと仲よくなっていた。そろそろ帰るからと土寄浦にいるンマムイやササたちを呼び戻したら、サキも娘を連れてやって来た。サキだけでなく、娘のミヨもンマムイを慕っているようなのには驚いた。
 別れの前夜、『琉球館』で送別の宴(うたげ)が開かれ、みんなが集まって来て、夜遅くまで騒いだ。
「今度はいつ会えるかしらね」とイトが言った。
「来年、来られたら来るよ」とサハチは言った。
 イトは笑いながら首を振った。
「来年はマチルギさんが来るんじゃないかしら」
 サハチは笑ったが、あり得る事だった。今度はあなたが留守番よと言って、女子サムレーを引き連れて来るかもしれなかった。
「でも、以前よりも対馬琉球は近くなったような気がするわ。これから毎年、博多に来るんでしょ。来年は来られなくても、二、三年後には会えるような気がするわ」
「そうだな」
「あたしもいつか必ず、琉球に行くわ。真っ白な砂浜を見てみたいわ」
「是非、見せたいよ。海に潜れば綺麗な魚がいっぱいいる」
「マチルギさんから聞いたわ。色鮮やかなお魚がいっぱいいるんですってね。見てみたいわ」
「あたしも見たい」とミナミが言った。
「ミナミもいつか琉球に来いよ」
「絶対に行く」とミナミは言って、「マウシ!」と叫んでマウシの所に行った。
 可愛いミナミの笑顔を瞼に焼き付けようとサハチはミナミを見つめていた。
 十二月五日、サハチたちは船越を去って博多に向かった。イハチとクサンルーは残した。二人は一月後、シンゴの船に乗って琉球に向かう。イハチが仲よくなったマユの娘のミツを琉球まで連れて来るかもしれないが、それはそれでいいだろうと思っていた。
 それから三日後、サハチたちは交易船に乗って博多を発ち、琉球を目指した。サハチたちの船の後ろに旧港の船が従っていた。

 

 

 

世界の歴史13 - 東南アジアの伝統と発展 (中公文庫)   世界の歴史―ビジュアル版〈12〉東南アジア世界の形成

2-63.対馬慕情(改訂決定稿)

 サハチ(琉球中山王世子)たちが朝鮮(チョソン)から対馬(つしま)に戻ったのは、山々が紅葉している十月の初めだった。
 九月の初めに漢城府(ハンソンブ)(ソウル)に着いた琉球の使者たちは、二十一日にようやく朝鮮王(李芳遠(イバンウォン))に謁見(えっけん)した。何度も歓迎の宴(うたげ)が行なわれたが、なかなか朝鮮王に会う事はできなかった。李芸(イイエ)に聞くと、書類の手続きに手間取っているようだという。
 新しい宮殿の『昌徳宮(チャンドックン)』で朝鮮王と謁見した使者たちは胡椒(こしょう)や蘇木(そぼく)、象牙(ぞうげ)などを贈り、武寧(ぶねい)(先代中山王)の側室たちを返した。お礼として大量の綿布(めんぷ)と経典(きょうてん)や仏像を贈られた。ただ、仏像は大きな物は運べないので、小さい物ばかりだった。
 使者たちが朝鮮王と会ったのを確認すると、サハチたちは富山浦(プサンポ)(釜山)に引き返した。ナナがササに会いたいと言って一緒に付いて来た。途中、長雨に見舞われて三日間、足止めを食らったが何とか無事に富山浦に到着した。道のひどさに辟易(へきえき)して、もう二度と漢城府には行きたくないとサハチは思っていた。
 富山浦の『津島屋』の留守を守っていたのは、浦瀬小次郎の弟の小三郎だった。小三郎の話によると、サハチたちが漢城府に旅立ったあと、ササたちはすぐに対馬に帰らず、小次郎の双子の娘、ソラとウミを連れて、近辺の山々に登っていたという。危険だと言っても言う事を聞かず、小三郎を困らせたらしい。それでも、八月の半ばには無事に対馬に送り届けたという。サハチはお礼を言って、漢城府の出来事と、開京(ケギョン)でサイムンタルー(早田左衛門太郎)と会った事を告げた。
「お屋形様に会えましたか。それはよかったです。それに、朝鮮の王様を間近に見るなんて、ササが言っていましたが、あなたは何かを持っているようですね」
「ササが何かを言ったのですか」
「わたしがあなたたちの事を心配していたら、あなたは『龍(りゅう)』だから大丈夫だと言っていました。意味はよくわかりませんが、きっと、強運の持ち主なんだろうと思いました」
 ササが子供の頃、父親のヒューガ(日向大親)が彫った『龍』を渡された事をサハチは思い出して笑った。
 船大工の与之助は帰ったかと聞くと、進貢船を隅から隅まで調べて、九月の半ばに帰って行ったという。船の事しか考えていないあんな船大工が琉球にも欲しいと思った。
 次の日、サハチは『倭館(わかん)』に行って、漢城府に行かなかった又吉親方(またゆしうやかた)に使者たちの様子を話して、先に対馬に帰る事を告げた。
 丁度うまい具合に、イトの船が富山浦にやって来た。
「迎えに行って」とササに言われたという。ササたちも一緒に来て、ナナとの再会を喜んでいた。
 対馬に帰ったサハチはイスケの船に乗って、イト、ユキ、ミナミを連れて、家族水入らずの旅に出た。喜んでいるユキとミナミを見ながら、子供たちと一緒に旅をするのは初めてだなと思った。マチルギとは毎年のように旅をしたが、子供たちを連れて行った事はなかった。琉球に帰ったら、幼い子供たちを連れて久高島(くだかじま)にでも行こうかなとサハチは思っていた。
 ササから話に聞いていた仁位(にい)の『ワタツミ神社』は、海の中に鳥居がいくつも立っている不思議な神社だった。本殿を参拝して、森の中にある豊玉姫(とよたまひめ)のお墓で両手を合わせた。
 イトが近くに眺めのいい山があるというので登った。大して高い山ではないので、すぐに山頂に着いた。そこからの眺めは素晴らしかった。周りに高い山がないので、東西南北すべてが見渡せた。ミナミもキャッキャッと言いながら喜んでいた。
 サハチたちが眺めを楽しんでいるとササたちがやって来た。ササとシンシン(杏杏)とナナの三人だった。ミナミが喜んでササたちの所に飛んで行った。
「お前ら、あとを付けて来たのか」とサハチが聞くと、
「そうじゃないのよ。土寄浦(つちよりうら)に行く途中なのよ」とササは言った。
「土寄浦の若い者たちを鍛えてくれって頼まれたのよ。ンマムイ(兼グスク按司)とクサンルー(浦添按司)は先に行ったけど、あたしはワタツミ神社に寄ってから行くって言ったのよ」
「またスサノオの神様か」
「そうよ。この山に登ってみたかったの」
「この山にスサノオの神様が来たのか」
「来たと思うわ。周り中が眺められるもの。この山があったから、スサノオの神様はワタツミ神社の所にお屋敷を建てて暮らしたんだと思うわ」
「成程」とサハチはうなづいた。
スサノオの神様に敵がいたのかどうかは知らんが、ここにいれば敵の動きがわかるな」
「ここから周りを見張っていたのよ。あたし、ずっと豊玉姫様がどこから来たのか考えていたんだけど、ようやくわかりそうだわ」
「ほう、ここに来てわかったのか」
「そうじゃないけど、見方を変えてみたのよ。豊玉姫様はスサノオ様に会うためにここに来たけど、最初に南の島(ふぇーぬしま)に行ったのはスサノオ様なのよ。南の島でスサノオ様は豊玉姫様と出会って結ばれるわ。豊玉姫様にとってスサノオ様はマレビト神だったのよ。豊玉姫様は妊娠して、スサノオ様のもとで子供を産みたいと対馬にやって来るの。スサノオ様はどうして南の島に行ったの?」
「シビグァー(タカラガイ)でも採りに行ったのか」とサハチが何気なく言うと、ササは驚いた顔をしてサハチを見つめ、「どうして知っているの?」と聞いた。
「今、朝鮮の都でシビグァーが流行っているんだよ」
「えっ、どういう事?」
「ノリゲ(着物に付ける装飾品)にシビグァーを飾るのが娘たちに流行っていて、漢城府の『津島屋』は繁盛しているんだ」
「へえ、そうなんだ。お土産にしようと思って、ノリゲは富山浦の遊女屋(じゅりぬやー)の女将(おかみ)さんから譲ってもらったわ」
「お前、女将に会ったのか」
「女将さんが『津島屋』に来たのよ。綺麗なチマチョゴリを着ていたんで、どこで手に入れるのか聞いたら、あたしたちを遊女屋に連れて行って、綺麗なチマチョゴリをくれたのよ。いい人だわ」
「お前がお世話になったとは知らなかった。改めてお礼をしなければならんな」
「お願いね」とササは言って、スサノオに話を戻した。
スサノオ様もシビグァーを求めて南の島に行ったんだけど、ノリゲに飾るためじゃないのよ。スサノオ様の時代、シビグァーは銭(じに)の代わりとして交易に使われていたの」
 サハチはうなづいて、「明国(みんこく)に行った時、ヂャン師匠(張三豊)から聞いたよ」と言った。
「今でも山奥ではシビグァーが銭の代わりに使われているらしい。琉球にいたら考えられない事だが、朝鮮ではシビグァーは採れない。かなり貴重だったのだろう。今でも貴重だが、スサノオ様の頃ならシビグァーが宝物のように大切にされていたのかもしれんな」
「そうよ。スサノオ様は宝物を求めて南の島に出掛けて行ったのよ。そして、豊玉姫様と出会うのよ。豊玉姫様って豊の国(大分県)のお姫様だと思っていたんだけど、もしかしたら、鳴響(とよ)む玉グスクのお姫様じゃないかしら?」
豊玉姫様が琉球人(りゅうきゅうんちゅ)だというのか」とサハチはササを見て笑った。
「おかしくないわ」とササは真剣な顔して言った。
「シビグァーはただ採ればいいというわけじゃないわ。生きているシビグァーを持って行っても途中で腐ってしまうわ。ちゃんと中身を出して乾燥させなくてはならないわ。そんなシビグァーの貝殻を大量に手に入れるには、力を持った按司がいなければならないわ。あたしは琉球の歴史は詳しくないけど、玉グスクって古いんでしょ。きっと、スサノオ様の頃に玉グスク按司がいて、海外とシビグァーの交易をしていたのよ。それを知ったスサノオ様は琉球まで行ったのに違いないわ。大量のシビグァーを手に入れたスサノオ様はカヤの国(朝鮮)に行って、大量の鉄を手に入れたのよ」
 確かにササの言う通りだった。シビグァーの中身を取り出すのは手間の掛かる仕事だった。中身を腐らせてから取り出すので、悪臭が漂う中、ウミンチュ(漁師)のおかみさんたちが手慣れた手つきで作業をしていた。
スサノオ様が交易したとして、スサノオ様は琉球に何を持って来たんだ?」
「これよ」とササは赤いガーラダマ(勾玉)を見せた。
「ガーラダマの石はヤマトゥ(日本)で採れるって聞いているわ。琉球では採れないからとても貴重なのよ」
「成程、あり得るな。しかし、お前の言う通りだと、『アマテラス』のお母さんは琉球人という事になるぞ」
「そうなのよ。アマテラスは天皇の御先祖様でしょ。でも、アマテラスのお母さんがよその国の人だと具合が悪いので、両親のスサノオ様と豊玉姫様は消されてしまったんだわ。スサノオ様は京都の神社に祀られているけど、京都の人は誰もスサノオ様がアマテラスのお父さんだって事は知らないのよ。誰かが歴史をねじ曲げてしまったんだわ。あたし、琉球に帰ったら、スサノオ様の足跡を探すわ。きっと、どこかに残っているはずよ」
「そうだな。頑張れ」とサハチはササに言ったあと、「もしかしたら、スサノオ様が行った頃の玉グスク按司というのは俺たちの先祖なのか」と聞いた。
 ササは首を傾げた。
「そういう事はマシュー姉(ねえ)(佐敷ヌル)が詳しいんじゃないの?」
「そうだな。帰ったら聞いてみよう」
 急ぐ旅ではないので、その日はのんびりと過ごして、夜は砂浜で野宿をした。ミナミに引き留められて、ササたちも泊まる事になった。シズがいないので、喧嘩でもしたのかと聞いたら、シズは好きな人ができたみたいと言った。
「誰だ?」
「新太郎」
 サハチには誰だかわからなかった。
「まさか、奥さんがいる男じゃないだろうな」
「奥さんはいないわ。でも、シズより年下なのよ。お母さんはシノさんよ」
「何だって!」とサハチはササを見た。
 シノの息子という事はマツ(中島松太郎)の息子だった。確か、長男のはずだった。マツの跡を継ぐ息子が琉球の娘と仲よくなるなんて‥‥‥問題が起きなければいいがと心配した。
 焚き火を囲んで、笛を吹いたり歌を歌ったりと楽しく過ごしたが、夜は思っていたよりも寒かった。それでも、イトが用意してくれた毛皮を掛けて、みんなで寄り添って眠った。
 次の日、サハチたちはササたちと一緒に土寄浦に向かった。ワタツミ神社は深い入り江の奥の方にあるので、『木坂の八幡宮(海神神社)』まで一日では行けなかった。
 サハチたちが漢城府まで行っている間に小舟の操り方を覚えたらしい。ササたちは達者に小舟を操っていた。
 土寄浦に着いて『琉球館』に行くと、ンマムイとクサンルーはどこに行ったのか姿はなかった。
「あの二人、振られたのよ」とササが言った。
「ンマムイはクムに振られ、クサンルーはアミーに振られたの。船越にいられないからこっちに来たのよ」
「何をやっているんだ。ンマムイはあんな綺麗な奥さんがいながらクムを口説いているのか」
「あら、人の事を言えるの?」とササはサハチを横目で見た。
 サハチは苦笑して、「イハチはうまく行っているのか」と聞いた。
「イハチは按司様(あじぬめー)の息子だから、ミツのお母さんも反対していないわ。琉球に行ってもいいのよって言っているわ」
「まあ、それもいいが‥‥‥」と言ってから、サハチはササを見て、「対馬に来た弟や倅たちが、ここの娘と仲よくなったかどうか、お前、聞いてないか」と聞いた。
 ササはニヤニヤして、「女子(いなぐ)サムレーたちと一緒に調べたのよ」と言った。
「どうして、そんな事を調べたんだ?」
按司様が気になっているだろうと思ってね」
「ああ、確かに気になるよ。ユキのような子がいたら、ちゃんと面倒を見なけりゃならないからな。それで、そんな子はいたのか」
 ササは首を振った。
「一人や二人はいると思ったんだけどいなかったわ」
「そうか」とサハチは安心したが、少し情けなくもあった。
按司様のあと、最初に来たのはマタルー(与那原大親)とマガーチ(苗代之子)でしょ」
「そうだったか」とサハチは当時を思い出してみた。
 マサンルー(佐敷大親)とヤグルー(平田大親)が断って、マタルーが行く事になった。そして、マタルーの供として従弟(いとこ)のマガーチが行ってくれたのだった。
「二人ともすでに奥さんがいたし、特に仲よくなった娘はいなかったみたい。按司様とは違うのよ」
「うるさい」
 ササは笑って、「本当は釣り合う相手がいなかったみたい」と言った。
「十六、七の娘じゃ若すぎるし、釣り合いの取れる相手は皆、お嫁に行って、小さな子供を育てていたわ」
「成程。そういう事か」
「次に行ったのはクルーと勝連按司(かちりんあじ)後見役(サム)よ」
「お前、よくそんな事を覚えているな」とサハチは感心した。
 ササは笑って頭を指さし、「みんな、ここに入っているのよ」と言った。
「この二人はちょっと問題があったわ。クルーはここの娘と仲よくなったみたい。クルーはあんな可愛い奥さんがいながら浮気したのよ。按司様に似てるのかしら」
「俺の事を一々出すな。それで、その娘とどうなったんだ?」
「子供はできなかったみたい。その娘はお嫁に行ったわ。クルーは三年後にもう一度、対馬に来るんだけど、その時、その娘は大きなお腹をしていたらしいわ」
 サハチは笑った。
「サムは何もなかったんだな?」
 ササは首を振った。
「ミツのお母さんといい仲になったみたい」
「何だって!」
「お互いに浮気をしたのね。娘がイハチを好きになっても、自分もそうだったから許せるのよ」
「サムがマユとか‥‥‥」
 そう言ってサハチは首を振った。
「次に来たのはマサンルーとサグルーよ」とササは言った。
 マサンルーは何事もあるまいが、サグルーは心配だった。
「二人とも問題ありよ。マサンルーはサワさんの娘のスズさんと仲よくなったわ」
「何だって! マサンルーがスズちゃんと‥‥‥」
 マサンルーがそんな事をするなんて信じられなかった。サハチは口をポカンと開けたまま、ササを見ていた。
「サグルーはかなり持てたようよ。按司様の事は伝説になっていて、その息子がやって来たんだから当然ね。それに、サグルーは見た目もいいし。サグルーの時から船越の方に移ったみたい。サグルーと仲よくなったのは船越の娘のサヤよ」
「今はもうお嫁に行っているんだろう」
 ササは首を振った。
「お嫁には行っていないわ。イトさんのお船に乗っているわ」
「お嫁に行かないのか」
「サグルーの事が忘れられないみたい」
「イトの船に乗っていると言ったな。マチルギはサヤの事を知っているのか」
「奥方様(うなじゃら)とずっと一緒にお船に乗っていたけど名乗らなかったみたい。みんなにも口止めしていたらしいわ」
「そうか。お前、サヤに会ったのか」
 ササはうなづいた。
「綺麗な娘よ。そして、かなりの腕だわ。奥方様と出会って尊敬したみたい。奥方様みたいになりたいって必死にお稽古したって言っていたわ」
「今もサグルーの事が好きなのか」
「みたいね。いつかもう一度会えると信じているみたいよ」
「そうか‥‥‥そんな娘がいたのか」
「サグルーとサヤが再会したら、新しい伝説ができるわね。いつか、サグルーは対馬に来るんでしょ」
「多分な。俺の代わりにヤマトゥや朝鮮に行く事になるだろう」
「劇的な再会ね。按司様、サヤの事、サグルーに言っちゃだめよ」
「おっ、そうだな」とサハチは笑いながらうなづいた。
 ササは話を聞いていたシンシンとナナ、イスケにも口止めした。イトとユキとミナミはシンゴ(早田新五郎)の所に挨拶に行っていた。
「おい、ジルムイはどうなんだ? 仲よくなった娘はいるのか」
「ジルムイも持てたようよ。でも、特に好きになった娘はいなかったみたい。ジルムイはずっと勝連に行ったユミの事を思っていたのよ」
「そうか‥‥‥マウシは問題を起こさなかったか」
 ササは笑った。
「マウシは惚れた娘がいたんだけど、相手にされなかったのよ」
「ほう、そんな娘がいたのか」
「ユキさんよ」
「何だって! マウシの奴、ユキに惚れたのか」
「惚れたというより憧れたというか。マウシはユキさんの家来になったみたいだって、みんなが言っていたわ。当時、三歳だったミナミちゃんのいい遊び相手だったみたい」
「マウシがミナミと遊んでいたのか」
 その姿を想像してサハチは笑った。
「サワさんから聞いたんだけど、按司様のお父さんも好きになった娘がいたみたいよ」
「そんな事、サワさんから聞いてないぞ」
按司様が前に来た時、その人は幸せに暮らしていたから按司様には言わなかったのよ。その後、旦那さんが戦死してしまって、その人は旦那さんに代わって、家臣たちを引き連れて海に出て行ったらしいわ」
倭寇(わこう)働きに行ったのか」
 ササはうなづいた。
「でも、その人も戦死してしまったらしいわ」
「そうか‥‥‥女武者として戦死したのか」
「きっと、王様(思紹)から剣術を習ったんだわ」
「親父からその人の事は聞いた事はない。お爺(サミガー大主)も好きな娘がいたと言っていた」
「えっ、お爺もなの?」とササは驚いていた。
「俺が対馬に連れて行くって約束したんだけど、約束を果たす前に亡くなってしまったんだ」
「そうだったの。お爺が好きになった人を探すのは難しいわ。きっと、もう亡くなっているわね」
 ヤグルーが後家の女と仲よくなった話を聞いていると、ンマムイとクサンルーが酒樽を担いで帰って来た。イトとユキとミナミも一緒で、シンゴの妹のサキが娘のミヨと一緒に、女たちを連れて料理を運んでくれた。
「お前たち、お屋形に行っていたのか」とサハチはンマムイとクサンルーに聞いた。
「稽古が終わったあと、シンゴさんに呼ばれて行ったんです。朝鮮の事を話していたら、イトさんたちがやって来て、宴(うたげ)の準備をして、こうして運んで来たのです」
 サハチは朝鮮から帰って来た時、シンゴと会って朝鮮での事を話していた。もっと詳しく知りたいとンマムイを呼んだのだろう。
 サハチたちは遠慮なく、酒と料理を御馳走になった。
 次の日、サハチたちは『木坂の八幡宮』に向かった。浅海湾(あそうわん)から外海に出たら海は荒れていた。無理をせず、二日掛かりで木坂に着いた。のんびりと景色を楽しみながらの旅だった。娘のユキと孫娘のミナミと一緒にいるだけで楽しかった。そして、イスケとイトがいた。イスケはサハチが誕生した時、馬天浜にいたという。考えてみれば長い付き合いだった。
 八幡宮は山の上にあった。神気が漂っているような雰囲気があり、各地にある八幡宮の総本山だという事を感じさせた。ヤマトゥの事も朝鮮の事も、何もかもがうまくいった事へのお礼を言って、これからも見守ってくれるようにお願いした。
 サハチは感謝の気持ちを込めて一節切(ひとよぎり)を吹いた。神々しい調べは山の中に響き渡り、今にもスサノオの神様が降りて来るような気がした。

 

 

 

対馬国志 全巻セット

2-62.具志頭按司(改訂決定稿)

 九月十日、平田グスクでお祭り(うまちー)が行なわれた。
 お祭り奉行の佐敷ヌルは、ヒューガ(日向大親)の娘のユリと一緒に張り切って準備に明け暮れた。メイユー(美玉)、リェンリー(怜麗)、ユンロン(芸蓉)の三人も手伝ってくれた。初めての大々的なお祭りなので、平田大親(ひらたうふや)(ヤグルー)の妻、ウミチルも張り切って、娘たちに笛や踊りの指導をしていた。
 お祭りの当日、太鼓や法螺貝(ほらがい)の音に誘われて、人々が続々と開放されたグスクに集まって来た。
 フカマヌルも娘のウニチルを連れて、母親のフカマヌルと一緒にやって来た。まぎらわしいが、母も娘もフカマヌルだった。母は平田のフカマヌルで、娘は久高島(くだかじま)のフカマヌルだった。
 佐敷からクルー夫婦と佐敷大親(マサンルー)の妻のキクが子供たちを連れてやって来た。女子(いなぐ)サムレーたちも一緒だった。
 首里(すい)から伊是名親方(いぢぃなうやかた)(マウー)が配下のシラーとウハを連れて、馬に乗ってやって来た。三人とも平田大親と一緒に明国(みんこく)に行っていた。伊是名親方は今まで平田大親とは交流がなかったが、共に辛い旅を経験して仲よくなっていた。もっとも、伊是名親方が平田に来たのは平田大親に会うためだけではなく、リェンリーに会うためだった。妻の手前、首里では会えないので平田までやって来たのだった。
 島添大里(しましいうふざとぅ)からはナツとマカトゥダルが、サハチ(島添大里按司)の子供たちを連れてやって来た。ウニタキ(三星大親)の妻のチルーとファイチ(懐機)の妻のヂャンウェイ(張唯)も、子供たちを連れて一緒にいた。子供たちを守るために慶良間之子(きらまぬしぃ)(サンダー)と女子サムレーたちも付いて来た。
 慶良間之子の目当てはユンロンだった。慶良間之子は非番の度にユンロンと会っていた。妻も薄々気づいているようで、はっきりとは言わないが、最近はずっと機嫌が悪かった。そんな妻の顔を見ていると、余計にユンロンに会いたくなるのだった。
 知念(ちにん)の若按司夫婦も子供たちを連れて来てくれた。
 馬天浜(ばてぃんはま)のシタルーは宇座按司(うーじゃあじ)の娘のマジニを連れて、仲よくやって来た。明国から帰って来たシタルーはお土産を持って宇座に行き、マジニに自分の気持ちを打ち明けた。マジニは喜び、宇座按司も許してくれた。
 シタルーは昨日、馬に乗って宇座に行き、マジニを馬天浜に連れて来て、両親(サミガー大主夫婦)に紹介した。両親は突然の事に目を丸くして驚いたが、大喜びしてくれた。嫁をもらう事にまったく興味を示さなかったシタルーが、こんなにもいい娘さんを連れて来るなんて夢にも思っていなかった。しかも、宇座按司の娘だという。両親は良縁を授けてくれた神様に感謝をした。
 平田グスクは十年前に、マサンルーが築いたグスクだった。
 長男のサハチがマチルギを嫁にもらう時、佐敷グスクを拡張して東曲輪(あがりくるわ)を造った。次男のマサンルーは奥間大親(うくまうふや)(ヤキチ)の娘を嫁にもらって、ヒューガが住んでいた屋敷に入った。その頃、ヒューガは山賊となって運玉森(うんたまむい)に住んでいた。三男のヤグルーの嫁は玉グスク按司の娘だったので、グスク内に住まわせた方がいいだろうと東曲輪に屋敷を新築した。三男夫婦をグスク内に住ませ、次男夫婦をグスクの外に住ませるのもおかしなものだと、ヒューガの屋敷に住んでいたマサンルー夫婦を東曲輪の本屋敷に入れた。当時、サハチ夫婦は一の曲輪の屋敷に住んでいて、隠居した父は久高島にいたし、二人の妹たちも嫁いでいたので、マサンルー夫婦が本屋敷に入る事ができたのだった。
 それから四年後、四男のマタルーが八重瀬按司(えーじあじ)(タブチ)の娘を嫁にもらう事になった。さて、マタルー夫婦の屋敷をどうしようかと考えていた時、マサンルーが平田にグスクを築いて移ると言い出した。サハチたちも賛成してグスクを築き、マサンルーが平田グスクに移って、ヤグルーが東曲輪の本屋敷に移り、マタルー夫婦は新屋敷に入った。
 それから三年後、サハチは島添大里グスクを奪い取って島添大里グスクに移り、マサンルーは佐敷大親になって佐敷グスクに戻り、一の曲輪の屋敷に入った。東曲輪の本屋敷にいたヤグルーが平田大親になって平田グスクに移り、マタルーが東曲輪の本屋敷に入った。その翌年、末っ子のクルーが山南王(さんなんおう)(シタルー)の娘を嫁に迎えて、東曲輪の新屋敷に入った。マタルーが与那原大親(ゆなばるうふや)になって出て行くと、クルー夫婦は本屋敷に移り、今、新屋敷は空いていた。あと四、五年もすれば佐敷大親の長男が嫁を迎えて入る事だろう。
 マサンルーが平田グスクにいた時、家臣は五十名だったが、ヤグルーが入った時、家臣は倍の百人になった。ヤグルーはグスクを拡張した。以前は一つの曲輪だけだったが、裏山を切り崩して新しい曲輪を造って土塁で囲み、そこを一の曲輪にして、以前の曲輪を二の曲輪にした。一の曲輪に屋敷を新築して、以前の屋敷はサムレーたちの屋敷にした。お祭りで開放したのは二の曲輪だった。
 二の曲輪内に舞台を作って、酒や食べ物を振る舞う屋台がいくつも並び、揃いの着物に着飾った女子サムレーたちが配っている。
 舞台では娘たちが歌や踊りを競い合っていた。平田の娘たち、佐敷の娘たち、島添大里の娘たち、知念の娘たち、久高島の娘たちと津堅島(ちきんじま)の娘たちも来ていた。娘たちを応援するために各地から集まって来た人々は、楽しそうな顔をして拍手を送ったり、指笛を鳴らしていた。進行役の佐敷ヌルとユリはメイユーが贈った明国の着物を着ていた。身分の高い女の人が着る高級な着物だという。二人は何を着ても似合っていた。
 娘たちの競演が終わると、女子サムレーたちの剣術の模範試合が行なわれ、メイユー、リェンリー、ユンロンの三人も明国の剣術を披露した。シラーとウハは明国で身に付けた少林拳(シャオリンけん)を披露した。
 シラーとウハは共に伊是名親方の配下のサムレーで、下っ端なので順天府(じゅんてんふ)(北京)までは行けず、ずっと泉州の来遠駅(らいえんえき)にいた。来遠駅の守備兵に少林拳の名人がいて、二人は滞在中、少林拳の修行に励んでいたのだった。ウハはヤンバル(琉球北部)生まれで、ヒューガの配下のタムンが扮した東行法師(とうぎょうほうし)に連れられてキラマ(慶良間)の島に行き、武術の修行を積んでいた。
 武器を持たずに素手で戦う少林拳は見物人たちの興味を引いて、皆、真剣な顔付きで、二人の素早い動きを追っていた。
 武術の演武が終わると飛び入りの芸能大会が行なわれ、各自、自慢の芸を披露した。笑われる者がいたり、冷やかされる者がいたり、喝采(かっさい)を送られる者がいたりと、皆、楽しそうに舞台を見ていた。
 舞台から少し離れた所にある縁台では、平田大親が弟のクルーと酒を飲みながら明国での思い出を語り合っていた。
「八重瀬按司(タブチ)があんなにも達者に明国の言葉をしゃべるなんて驚いたな」と平田大親が言うと、
「八重瀬按司は三度も明国に行っていますからね。去年はマサンルー兄貴とマタルー兄貴も八重瀬按司のお世話になっています」とクルーが言った。
「そうらしいな。あれだけしゃべれれば使者も務まりそうだ」
「ええ。それよりも米須按司(くみしあじ)が順天府まで来たのには驚きましたね」
「米須按司は八重瀬按司と仲がよかったようだから、八重瀬按司から話を聞いて、明国に行きたくなったんだろう」
「順天府の『会同館』で再会を喜んでいましたね」
「順天府まで行って、知人と会う事など滅多にない。たとえ、知人でなくても同じ琉球人(りゅうきゅうんちゅ)なら懐かしく思うもんだ」
「確かにそうですね。順天府まで行ったら、中山(ちゅうざん)だの山南(さんなん)だのなんてどうでもいい事です。同じ言葉をしゃべるだけで仲よくなれますよ」
 平田大親はうなづいて、「明国というのはとてつもなく大きな国だ。あの大きさというのは実際に行ってみなくてはわからん。明国に行って来て、本当によかったと思っている」としみじみと言った。
 舞台では『浦島之子(うらしまぬしぃ)』というお芝居が始まっていた。
 佐敷ヌルが対馬(つしま)にいた時、船越の『アマテル神社』のお祭りがあった。土寄浦(つちよりうら)にいた佐敷ヌルはフカマヌルと一緒に船越に戻ってお祭りを楽しんだ。その時、旅芸人の一座が来ていて、『浦島之子』のお芝居を演じた。佐敷ヌルは初めて見るお芝居に感激して、琉球のお祭りで演じたいと思った。旅芸人たちから詳しい話を聞いて、琉球に帰って来てから準備を進めた。首里のお祭り、島添大里のお祭り、佐敷のお祭りでは準備が整わなかったが、平田のお祭りには間に合ったのだった。
 佐敷ヌルが琉球を舞台にした話を作って、その話に合わせてユリが曲を作り、ウミチルが踊りを考えて、平田の女子サムレーによって演じられた。舞台の背景の絵はイーカチ(三星党副頭)が描いていた。
 馬天浜で子供たちにいじめられている亀(かーみー)を助けた浦島之子は、亀の背中に乗って海の彼方にある龍宮(りゅうぐう)に行く。龍宮では美しい乙姫様(うとぅひめさま)に歓迎される。浦島之子は乙姫様と結ばれて、夢のような日々を送る。あっという間に三年が過ぎて、浦島之子は故郷に帰りたくなる。
 乙姫様から、「決して開けてはなりません」と言われ、玉手箱(たまてぃばく)をもらって故郷に向かう。故郷に帰ると七百年の月日が経っていた。知っている人は誰もいない。呆然として海を眺めていた浦島之子は玉手箱を開けてしまう。
 玉手箱から煙が立ち上って、浦島之子は急に白髪のお爺さんになって亡くなってしまう。やがて、鶴(ちるー)に変身した浦島之子は龍宮へと飛び立つ。龍宮では亀に変身した乙姫様が待っていた。再会を喜んだ鶴と亀は共に長生きをして幸せに暮らした。
 女子サムレーのナカウシが浦島之子を演じて、ミニーが亀を演じて、チリが乙姫様を演じた。亀をいじめていた子供たちは、そのあと着替えて、龍宮の舞姫たちを演じた。物語は笛と太鼓の音に合わせて進み、ゆっくりとした会話と歌で物語を説明していた。
 浦島之子が亀の背中に乗って移動する場面は、木で作った甲羅を背負ったミニーが四つん這いになって、ナカウシを乗せたが、ナカウシの足もミニーと一緒に歩いていたので、見ている者たちを笑わせた。
 龍宮は首里グスクの百浦添御殿(むむうらしいうどぅん)(正殿)にそっくりだった。背景に描かれた龍宮の前で、浦島之子と乙姫様が仲よくお酒を飲みながら、舞姫たちの踊りを見ている。舞姫たちは明国の妓女(ジーニュ)のような華やかな着物を着て華麗に舞っていた。亀がのそのそと出て来て、三年が過ぎた事を教えた。
 玉手箱を持って馬天浜に戻って来た浦島之子が、玉手箱を開けて変身する場面が最大の見せ場だった。岩の上に座って玉手箱を開けると紙吹雪が飛び出して、紙吹雪が舞っている間に、ナカウシは白髪頭の老人に変身した。そして、苦しみながら亡くなり、岩陰に隠れて鶴に変身して出て来た。大きな翼を羽ばたかせながら飛んで行き、龍宮で乙姫様と再会する。乙姫様は乙姫様の格好のまま甲羅を背負って、亀になった事を表現していた。舞姫たちが二人を祝福するように踊って、お芝居は終わった。
 観客たちは拍手を送り、指笛が飛び交った。琉球で最初に演じられたお芝居は大成功に終わった。
 その後、子供たちの笛の合奏、ミヨンの歌と三弦(サンシェン)が披露され、ユリ、チタ、佐敷ヌル、ウミチルの笛の競演が行なわれ、最後は調子のいい曲に合わせて、みんなが踊って終わりとなった。
 平田のお祭りから一月余り経った十月十四日、馬天浜でお祭りが行なわれた。七年前に先代のサミガー大主(うふぬし)が亡くなった日だった。今までは身内だけで集まって、サミガー大主を偲んでいたが、サミガー大主を慕っていたウミンチュ(漁師)たちが自然と集まって来るようになっていた。島添大里のお祭りを復活させて、佐敷と平田のお祭りを始めたように、馬天浜のお祭りも恒例行事として始めたのだった。
 馬天ヌル、佐敷ヌル、サスカサ(島添大里ヌル)がサミガー大主夫婦が眠っているガマ(洞窟)の前でお祈りを捧げて、馬天浜に移ってお祭りは始まった。ウミンチュたちが各地から集まって来て、馬天浜は小舟(さぶに)で埋まり、『対馬館』の大広間から砂浜に至るまで、ウミンチュたちの酒盛りが始まった。
 対馬館の庭に作った舞台では『サミガー大主』と題したお芝居が演じられた。演じたのは島添大里と佐敷の女子サムレーたちだった。平田のお祭りで演じた『浦島之子』の評判がよかったので、佐敷ヌルが祖父の話をお芝居にしたのだった。一月余りしかなかったので、お芝居の中で流れる曲や踊りは『浦島之子』とほとんど同じで、歌詞だけを変えた。
 伊是名島(いぢぃなじま)で鮫皮(さみがー)を作っていたサミガー大主は、ヤマトゥ(日本)からの船が来ないので島を追い出される。今帰仁(なきじん)の近くの海で夜を明かした時、夢の中に鎧武者(よろいむしゃ)が現れて、「馬天浜に行け」と言われる。
 サミガー大主は夢のお告げを信じて、馬天浜に行く。馬天浜で鮫皮作りに励んでいるとヤマトゥの船がやって来る。サミガー大主は鮫皮と大量の鉄を交換して、浜の人たちに喜ばれる。その事は大(うふ)グスク按司の耳にも入り、御褒美として大グスク按司の娘、マシューをお嫁にもらう。お姫様姿のマシューが馬天浜に嫁いで来て、浜の人たちに祝福されてお芝居は終わる。
 サミガー大主を演じるリンが、穴の空いた船から足を出して移動する場面では皆が大笑いした。岩陰で眠っているサミガー大主の枕元に、突然現れた鎧武者は見ている者たちを驚かせた。幕の後ろに隠れていた鎧武者を、幕を一瞬のうちに下ろして見せただけなのだが、見ている者たちは鎧武者が突然、出現したと思って驚いていた。
 サミガー大主が水中で人喰いフカ(鮫)と戦って見事に勝つ場面もあった。フカを擬人化して、フカの顔を描いた烏帽子(えぼし)をかぶったマイがフカを演じ、飛んだり跳ねたりしながら、サミガー大主を演じるリンと見事な棒術の演武を披露した。
 ヤマトゥの船が来た時は、浜の娘たちが華麗に踊り、大グスクのお姫様が嫁いで来た時は、全員で祝福の踊りを踊って幕は下りた。お芝居を観ていたウミンチュたちは笑いながらも、サミガー大主を思い出して泣いている者も多かった。
 馬天浜のお祭りの次の日、三姉妹の船は明国に帰って行った。メイユーはマチルギの許しを得て、サハチの側室になっていた。
 それから三日後、与那原グスクが完成して、運玉森ヌル(先代サスカサ)によって儀式が行なわれ、マタルーは正式に与那原大親に就任した。
 メイユーたちがいなくなって、何だか急に静かになったように感じられた。
 マチルギはイーカチから各地の様子を知らされた。
 山北王(さんほくおう)(攀安知)は弟の湧川大主(わくがーうふぬし)に奄美大島(あまみうふしま)を攻めさせた以外は目立った動きはないようだった。明国の海賊、リンジェンフォン(林剣峰)の船は今年も三隻でやって来て、進貢船(しんくんしん)を出すよりもかなり多くの商品を持って来ていた。リンジェンフォンも南蛮(なんばん)(東南アジア)との交易をやっているらしく、南蛮の品々も数多く持って来ていた。交易を担当していた湧川大主がいないので、山北王は忙しく、弟を奄美に行かせたのは失敗だったとぼやいているという。
 山南王は完成した長嶺(ながんみ)グスクに、娘婿のクルクを長嶺按司に任命して守らせたという。そして、ヒューガが調べた所によると、山南王は粟島(あわじま)(粟国島)で密かに兵を育てているらしい。
「あたしたちの真似をしているのね」とマチルギが言うと、イーカチはうなづいた。
「今の兵力では中山王(ちゅうざんおう)にはかないませんからね。兵力を育てるのは当然の事です。ただ、どこで育てているのかわからなかったのです」
「その粟島ってどこにあるの?」
「キラマよりかなり北(にし)の方です。あそこから糸満(いちまん)に来るには、風に恵まれなければ一日では来られないでしょう」
「そう」と言いながら、マチルギは久し振りに船に乗りたくなっていた。しかし、今は船には乗れなかった。お腹に赤ちゃんがいるのだった。この年齢(とし)でお腹が大きくなるなんて恥ずかしかったが、今後の事を思えば子供は一人でも多い方がいい。でも、子作りは今回で最後にしようと思っていた。
「何となく、具志頭(ぐしちゃん)で何かが起こりそうです」とイーカチは言った。
「どういう事?」とマチルギは聞いた。
「タブチの留守中に具志頭の若按司に山南王の娘が嫁ぎました。具志頭グスクは八重瀬グスクの東(あがり)にあります。八重瀬グスクは島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスクと具志頭グスクに挟まれた格好です。タブチにしてみれば目障りな存在でしょう。明国から帰って来たタブチが動くかと思われましたが、その素振りは見せませんでした。ところが今月の初め、隠居していた先代の具志頭按司が亡くなりました。それから何日かして、島添大里按司として戦死したヤフス(屋富祖)の妻だった具志頭按司の姉が、八重瀬按司を訪ねているのです。奥間(うくま)からタブチに贈られた側室によると、具志頭按司の姉は自分の倅が按司になれるようにタブチに頼んだようです。タブチははっきりと返事をしなかったようですが、もしかしたら動くかもしれません」
 八重瀬城下にはウニタキの配下の研ぎ師のハンルクがいた。十年以上、城下に住んでいるのでタブチにも信頼されている。奥間から側室が贈られたのは二年前で、その側室から得た情報はハンルクを通してイーカチに知らされた。タブチの動きは筒抜けになっていた。
「具志頭按司の姉が弟を滅ぼして、自分の息子を按司にしようとたくらんでいるの?」とマチルギは聞いた。
「そうです。本来ならヤフスが具志頭按司になって、その息子が若按司になるはずだったのです。ところが、ヤフスが島添大里で戦死してしまったため、ヤフスの倅は按司になれなくなってしまいました」
「それにしたって、実の弟を倒すなんて考えられないわ」
「女は怖いですよ」とイーカチは笑った。
 一月が経って、イーカチの心配は現実のものとなった。
 タブチは具志頭グスクを攻め、たったの一日で攻め落とした。具志頭按司と若按司を殺し、ヤフスの倅を具志頭按司にした。若按司の妻のマアサは助けた。シタルーの娘であり、タブチにとっては姪だった。まだ十四歳のマアサは、お嫁に来たけど、あの人は好きになれないと言って、タブチにお礼を言った。タブチはマアサに手紙を持たせて島尻大里に送り届けた。その手紙には、今は亡き弟の倅が具志頭按司になったのだから文句はあるまいと書いてあったという。
 タブチは明国に行くようになってから、八重瀬の城下に明国の商品を売る店を出し、行商人を使って山南王の様子を探っていた。シタルーに隙があれば、シタルーを倒して山南王になるという夢をまだ捨ててはいなかった。その行商人を使って具志頭按司の姉と密かに連絡を取り、お互いに準備を進めて、奇襲を掛けたのだった。ヤフスの倅の手引きでグスク内に潜入した八重瀬の兵たちは、敵対する者を次々に倒して行った。突然の襲撃に、具志頭按司は守りを固める事もできずに討ち死にした。
 イーカチはタブチの動きを知っていた。知っていたが、中山王に関わる事ではないので放っておいた。
 新しい具志頭按司の妻は米須按司の娘だった。今回、米須按司は動いていないが、米須按司がタブチ側に寝返る可能性が出て来た。米須按司が中山王側に付けば、山南王の勢力は削減し、都合のいい事だった。

 

 

 

浦島太郎の日本史 (歴史文化ライブラリー)

2-61.英祖の宝刀(改訂決定稿)

 サハチ(島添大里按司)たちがヤマトゥ(日本)と朝鮮(チョソン)に船出した日から七日後の五月四日、豊見(とぅゆみ)グスクで毎年恒例の『ハーリー』が行なわれた。思紹(ししょう)(中山王)は王妃を連れて出掛けて行った。従ったのは馬天(ばてぃん)ヌルと五人の女子(いなぐ)サムレー、護衛の兵が十人だった。敵の襲撃を考えて、全員が馬に乗って出掛けた。
 佐敷のお祭りの時に髪も髭も剃ってしまった思紹は、その後、髪を伸ばす気はないようで、坊主頭に中途半端に伸びた髭面に、ヤマトゥのサムレーが着る直垂(ひたたれ)姿で馬に跨がっていた。王妃はこの日のために用意したきらびやかな着物に袴をはいて馬に跨がり、女子サムレーたちもいつもより華やかな着物を着ていた。馬天ヌルは白い鉢巻き、白い着物に白い袴姿で馬に跨がり、扇子を手に持ち、胸には大きなガーラダマ(勾玉)が光っていた。
 思紹たちは豊見グスクでシタルー(山南王)に大歓迎され、豊見グスク按司(太郎思)の妻のマチルーは両親の来訪に大喜びした。ハーリーの儀式のために来ていた島尻大里(しまじりうふざとぅ)ヌル(ウミカナ)は馬天ヌルとの再会を喜び、馬天ヌルを誘って儀式を執り行なった。島尻大里ヌルはシタルーの妹で、島添大里(しましいうふざとぅ)ヌルだった時、馬天ヌルに命を助けられていた。その儀式には豊見グスクヌル(シタルーの娘)と李仲(リーヂョン)ヌル(李仲按司の娘)も加わっていて、豊見グスクヌルも馬天ヌルとの再会を喜んでいた。
 サハチが言った通り、開放された豊見グスクの中は子供たちだらけで、思紹も王妃も驚いていた。
「孫たちも連れてくればよかったわね」と王妃は言ったが、思紹は素直にうなづく事はできなかった。
 階段状の物見台の脇にある仮小屋では南部西方(いりかた)の按司(あじ)たちが酒を飲んでいて、思紹と王妃を冷たい目付きで眺めていた。
 南部西方の按司たちが思紹を見るのは初めてだった。十七年前に隠居して坊主になったというのは噂で知っている。その後、何をしていたのかは誰も知らない。隠居した佐敷按司が何をしているかなんて、誰に取ってもどうでもいい事だった。七年前、佐敷按司(サハチ)は島添大里グスクを奪い取った。長い籠城戦(ろうじょうせん)のあと、戦(いくさ)は終わったとホッとしていた敵の隙を狙って奪い取ったのだった。その戦に隠居した佐敷按司が参戦していた事など誰も知らないし、三年前に首里(すい)グスクを奪い取った戦に、総大将として指揮を執っていた事も知らない。島添大里按司(サハチ)が中山王(ちゅうざんおう)になるものと思っていたのに、なぜか、隠居していた思紹が中山王になった。誰もが、思紹は飾りに過ぎない。本当の中山王はサハチだと思っていた。
 シタルーは思紹たちを按司たちのいる仮小屋には案内せずに、別の仮小屋に案内した。
「申しわけありません。せっかく来ていただいたのに、いやな思いをさせてしまったようです」
「それは仕方のない事じゃ」と思紹は笑った。
 シタルーは思紹たちを酒と料理でもてなしてくれたが、危険だと言って、物見台には連れて行かなかった。ハーリーを見る事もできず、何のために来たのかわからなかった。ただ、マチルーの四人の子供たちに会えたのはよかった。初めて会ったにもかかわらず、四人の孫たちは思紹と王妃をお爺、お婆と呼んで馴染み、二人は目を細めて孫たちと遊んでいた。
 今年は中山王の龍舟(りゅうぶに)が加わって、山南王(さんなんおう)、久米村(くみむら)、若狭町(わかさまち)、小禄(うるく)の五艘の競争となり、優勝したのは小禄で、中山王は惜しくも二着だった。
 シタルーは何度も謝って、来年は代理の者をここに送っても構わないが、龍舟は来年も参加してほしいと頼んだ。思紹は来年も龍舟を出すと約束して、豊見グスクをあとにした。敵の襲撃もなく無事に首里に帰った。勿論、苗代大親(なーしるうふや)とイーカチ(三星党副頭)は周到な護衛を付けていた。
 五月の半ば、普請中の与那原(ゆなばる)グスクに玉グスクの石屋が加わって石垣作りを始めた。与那原大親になったマタルーから石垣の事で相談を受けた思紹は、イーカチと話し合って玉グスクの石屋に頼む事に決めたのだった。玉グスクの石垣の修繕も終わったので、どうぞ、使ってくれと玉グスク按司は快く承諾してくれた。
 玉グスクの石屋がシタルーとつながっている事はイーカチは知っている。しかし、石屋を味方に付けるには石屋の事を知らなければならない。イーカチは配下の者を人足(にんそく)として与那原グスクに入れて、石屋についての情報を得ようとしていた。
 同じ頃、今帰仁(なきじん)では山北王(さんほくおう)(攀安知)の弟の湧川大主(わくがーうふぬし)が、進貢船(しんくんしん)に兵を乗せて奄美大島(あまみうふしま)に向かっていた。去年、攀安知(はんあんち)が徳之島(とぅくぬしま)を平定して凱旋(がいせん)して来たので、兄貴に負けるものかと張り切っていた。
 サハチたちが京都の高橋殿の屋敷にお世話になっていた七月の初め、三姉妹の船が今年も二隻でやって来た。一隻は明国(みんこく)の商品を積み、もう一隻は旧港(ジゥガン)(パレンバン)の商品を積んでいた。今年もメイファン(美帆)は来ないで、メイリン(美玲)、メイユー(美玉)、リェンリー(怜麗)、ユンロン(芸蓉)の四人だった。
 ファイチ(懐機)の家族も無事に帰って来た。生まれ故郷を見てきた息子のファイテ(懐徳)と娘のファイリン(懐玲)の目は輝いていた。龍虎山(ロンフーシャン)の祖父母に歓迎されて、楽しい時を過ごして来たのだろう。ウニタキ(三星大親)の妻のチルーが子供たちを連れて迎えに来ていて、一緒に島添大里に帰って行った。
 ファイチの家族は首里の新しい屋敷に一年ほど住んでいたが、島添大里の屋敷に戻っていた。ウニタキの家族と仲よく付き合っていて、ウニタキの家族が島添大里にいるので戻ったのだった。それに、妻のヂャンウェイ(張唯)も子供たちも馬天浜が気に入っていた。島添大里にいた頃はよく遊びに行っていたのに、首里からは遠かった。
 マチルギと佐敷ヌルの歓迎を受けて、メイユーたちはメイファンの屋敷に入った。今年もメイユーはリェンリーと一緒に旧港まで行って来たが、倒れる事はなく元気だった。
 旧港で手に入れたと言って、メイユーは孔雀(コンチェ)という綺麗な大きな鳥をマチルギに贈った。檻の中に入っている大きな鳥は羽を広げると鮮やかな扇子のように綺麗で、こんな鳥がこの世にいるなんて信じられなかった。マチルギも佐敷ヌルもあまりの驚きに声も出なかった。
「みんなにも見せましょう」と佐敷ヌルが言って、オスとメスのつがいの孔雀は首里グスクの北曲輪(にしくるわ)に置かれ、庶民たちに開放した。噂が噂を呼んで、孔雀を見るために大勢の人がやって来た。苗代大親は急遽、兵を配置して人々の整理に当たった。
 マチルギは佐敷ヌルと一緒にメイユーたちを久高島(くだかじま)に連れて行った。フカマヌルに歓迎され、フボーヌムイ(フボー御嶽)でお祈りをして、海に入って遊んだ。佐敷ヌルは神様に引き留められて、三日間、フボーヌムイに籠もった。
 神様は佐敷ヌルに前回よりも詳しく琉球の歴史を語り、英祖(えいそ)(浦添按司)の時代に鎌倉の将軍様から贈られた三つの宝刀を探し出せと言った。三つの宝刀は太刀(たち)と小太刀(こだち)と短刀で、三つ揃って『千代金丸(ちゅーがにまる)』と呼ばれる。英祖は琉球を統一するために、子供たちに守り刀として、それらの刀を渡して各地に派遣した。琉球を統一すれば、それらの刀は浦添(うらしい)に戻って来るはずだった。しかし、琉球を統一する前に、英祖は亡くなってしまい、三つの刀が揃う事はなかった。琉球を統一するには、その三つの刀を揃えなければならないと神様は言った。
「その刀はどこにあるのですか」と佐敷ヌルが神様に聞いたら、「それを探すのがお前の使命だ。兄のためにやり遂げなさい」と言われた。
 久高島から帰った佐敷ヌルは馬天ヌルに相談した。
「英祖様の宝刀?」と馬天ヌルは驚いた顔をして佐敷ヌルを見つめた。
 馬天ヌルは今まで、そんな話を神様から聞いた事もなかった。
「英祖様が鎌倉から贈られたって言ったわね?」と馬天ヌルが聞くと、佐敷ヌルはうなづいた。
「英祖様はヤマトゥに船を送って鎌倉の将軍様と交易をしていたようです。その頃、鎌倉では大仏様を造っていて、大量の宋銭(そうせん)を英祖様が鎌倉に贈って、そのお礼として三つの宝刀をいただいたようです」
「銅銭を溶かして、大仏様を造ったの?」
「そうみたいです」
「その三つの刀を見つけ出さないと琉球の統一はできないって言うのね?」
「神様はそうおっしゃいました」
 馬天ヌルは少し考えた。
「以前、先代のサスカサ(運玉森ヌル)さんから聞いたんだけど、あのフボーヌムイにはサスカサ系とフカマヌル系の二種類の神様がいらっしゃるらしいわ。サスカサ系は二百年以上も前から久高島にいる大里(うふざとぅ)ヌルの御先祖様たちよ。フカマヌル系は英祖様の娘のチフィウフジン(聞得大君)様が久高島のウミンチュ(漁師)と結ばれて、産まれた娘が初代のフカマヌルになって、今のフカマヌルの御先祖様たちなの。サスカサ系の神様は島添大里との関係は勿論だけど、首里にあった真玉添(まだんすい)や運玉森(うんたまむい)のヌルたちとも関係があるのよ。フカマヌル系は英祖様と玉グスクとも関係があるらしいわ。あなたがお話しした神様はフカマヌル系の神様だったのよ」
「英祖様の孫娘の初代フカマヌル様だったのかしら」
「初代のフカマヌル様は浦添で育ったので、鎌倉の宝刀の事は知っていた。でも、久高島に来たので、宝刀の行方は知らないのかもしれないわね」
浦添に行けば何かがつかめそうね」と佐敷ヌルは期待に胸を膨らませた。
「叔母さん(馬天ヌル)は『ティーダシル(日代)の石』を探しているし、ササは『スサノオの神様』の事を調べているし、あたしも何かがしたかったのよ。やっと、神様があたしにお仕事をくれたのね」
 佐敷ヌルはメイユーを誘って、馬に乗って浦添に向かった。
 浦添ヌルのカナと会って、宝刀の事を聞いたら、カナは知らなかった。浦添領内のウタキ(御嶽)を巡って神様のお話は色々と聞いたけど、英祖の宝刀の事は初めて聞くという。
 佐敷ヌルはまず、グスク内にあるウタキを巡った。グスク内のウタキは古いウタキばかりで、神様たちは英祖の事は知っていても宝刀の事は知らなかった。
「チフィウフジン様に聞けばわかるんじゃないかしら?」とカナは言った。
「歴代のチフィウフジン様は英祖様のお墓に眠っています。このグスクの裏の崖下にあります」
「行きましょう」と佐敷ヌルは張り切っていた。
「六十年間、ほったらかし状態だったので凄い所ですよ。それに、神様たちはうるさいし‥‥‥」
「神様がうるさいってどういう事?」
「六十年間、誰もあそこに近づかなかったらしくて、あたしが初めて行った時、神様たちは一斉にしゃべり出したの。頭がおかしくなりそうだったわ。それに異国の言葉をしゃべる神様もいましたよ。英祖様も異国との交易を盛んにしていたみたいですね」
 カナの案内で行った英祖のお墓は本当にひどい所にあった。かつては道があったのだろうが、そんなものは跡形もなく、薮(やぶ)をかき分けて進んで行った。
「こんな薮の中にあるお墓をよく見つけられたわね」と佐敷ヌルが聞くと、
「神様に連れて来られたのです」とカナは言った。
「英祖様はあなたたちの御先祖様だから、お墓をちゃんと守りなさいって言われました。王様(うしゅがなしめー)にお墓の事を伝えたら、島添大里按司様が朝鮮から帰って来たら相談しようっておっしゃいました」
 お墓に行く途中、古い石垣に囲まれた草茫々の平地があった。
「ここには何かがあったの?」と佐敷ヌルはカナに聞いた。
極楽寺(ごくらくじ)というお寺があったのです。極楽寺のお坊さんが英祖様のお墓を守っていたようです。初代の中山王(察度)が焼き討ちにして、そのお寺に集まっていた英祖様の一族を滅ぼしてしまったのです」
浦添にお寺があったなんて知らなかったわ」
 さらに薮をかき分けながら足場の悪い坂を登って行くと、目の前に険しい崖が現れ、崖の下に二つの穴が開いていた。
「このお墓は『ユードゥリ』と呼ばれていたそうです。右側のガマ(洞窟)が英祖様のお墓で、左側のガマが歴代のチフィウフジンのお墓です。英祖様のお墓には、歴代の浦添按司夫婦が一緒に眠っているようです。チフィウフジンのお墓の方には按司たちの側室や幼くして亡くなった子供たちも眠っています」
 英祖に挨拶するために、佐敷ヌルたちは右側のガマに入った。かつては入り口に扉があったのだろうがそんな物はなかった。ガマの中に瓦葺(かわらぶ)きの屋敷が建っていたようだが、朽ち果てて、屋根は半ば崩れ、落ちて割れた瓦が散乱していた。屋敷の中に厨子(ずし)がいくつかあったが、厨子も壊れていて白骨が散乱している。
 佐敷ヌルが突然、耳をふさいで、ガマから飛び出して行った。カナはそんな佐敷ヌルを見ながら笑っていたが、メイユーには何が起こったのかわからず、慌てて佐敷ヌルを追って行った。
「確かに頭がおかしくなるわね」と佐敷ヌルはカナに言った。
「神様が同時に話しかけて来るから、何を言っているのかさっぱりわからないわ」
「初めての時はそうなりますけど、だんだんと落ち着いて来ます」とカナは言った。
「あなたは何度、ここに来たの?」
「今回で七回目です。五回目くらいから落ち着いて来ました」
 佐敷ヌルはうなづいて、今度はチフィウフジンのお墓に入った。こっちのガマには屋敷は建っていなかった。いくつかの壊れた厨子があって、白骨が散乱していた。佐敷ヌルはここでも耳をふさいでガマから飛び出した。
「こっちのが凄いわ」と佐敷ヌルはカナを見て笑った。
「確かに異国の言葉も聞こえたわ」
「異国の女子(いなぐ)が側室になったのかしら?」とカナが言うと、
「異国の女でも側室になれるのね」とメイユーが目を輝かせてカナに聞いた。
「なれるわよ」と佐敷ヌルが答えた。
「先代の中山王(武寧)は高麗(こーれー)の女を何人も側室にしていたわ。先代の中山王の母親も高麗人(こーれーんちゅ)だったらしいわよ」
「あたしもなれるのね」とメイユーが嬉しそうな顔をして佐敷ヌルに言った。
 カナが不思議そうな顔をしてメイユーを見ているので、佐敷ヌルが説明した。
「メイユーはお兄さん(サハチ)が好きなのよ」
「えっ!」とカナは驚いた。
「お姉さん(マチルギ)には言ったの?」と佐敷ヌルはメイユーに聞いた。
「言おうと思って勇んで来たんだけど、奥方様(うなじゃら)の顔を見たらなかなか言えないわ」
「メイユーの気持ちはよくわかるわ。あたしも奥さんのいる人を好きになっちゃって、奥さんに土下座して謝ったのよ」
「マシュー(佐敷ヌル)が土下座したの?」とメイユーは驚いた。
「そうよ。でも、許してもらえたわ」
「そうなの‥‥‥ナツも奥方様に土下座したの?」
「ナツもしたのよ」
 佐敷ヌルとメイユーのやり取りを見ていたカナは、
「このお墓を直さなくてはなりません。佐敷ヌルさんからも王様に言って下さい」と言った。
「そうね、ひどすぎるものね。直さなければならないわ」
 佐敷ヌルとメイユーはカナの屋敷に泊めてもらって、毎日、『ユードゥリ』に通った。カナの言った通り、五日目には神様も静かになった。佐敷ヌルが宝刀の事を聞くと英祖のお墓では、神様は答えてくれず、『極楽寺』を再興しろと言った。チフィウフジンのお墓では、何代目かのチフィウフジンが答えてくれた。
 英祖が鎌倉から贈られた三つの宝刀のうち、太刀は今帰仁按司になった次男のジルー(湧川按司)に贈り、小太刀は島尻大里按司になった五男のグルーに贈り、短刀は玉グスク按司に嫁いだ次女のチムに贈ったという。その後、それらの刀がどうなったのかは神様たちは知らなかった。
今帰仁に行ってしまった太刀は今は無理だわ。小太刀と短刀は見つかるかもしれないわ」
 佐敷ヌルは神様とカナにお礼を言って、メイユーを連れて首里に戻ると馬天ヌルに相談した。
「英祖様が島尻大里按司に小太刀を贈ったのはいつの事なの?」と馬天ヌルは佐敷ヌルに聞いた。
「百年以上も前の事です」
「百年以上も前だとすると、今の山南王が持っているかどうか難しいわね。確か、先々代の山南王は朝鮮に逃げて行ったんでしょ。朝鮮に持って行ったかもしれないわよ」
「まさか、そんな。朝鮮までなんて行けないわ」
「島尻大里ヌルのお墓に行けば、誰かが知っているかもしれないわね」
「お墓はどこにあるのですか」
「島尻大里の城下の北(にし)、糸満川(いちまんがー)(報得川(むくいりがー))の近くの崖にあるガマよ。前に行った事があるわ」
「敵地だわね」
「そうね。危険がないとは言えないわ。焦る事はないわよ。琉球を統一するまでに集めればいいんでしょ。玉グスクに贈ったという短刀からやってみたら。マナミー(玉グスク若按司の妻、佐敷ヌルの妹)が何か知っているかもしれないわ」
「マナミーの長女がヌルの修行をしているようだから会いに行って来ようかしら」
「マナミーにそんな大きな娘がいるの?」と馬天ヌルは驚いた顔をした。
「十五の娘がいるのよ」
「えっ、マナミーに十五の娘? 驚いたわね。あたしが年齢(とし)を取るはずだわ」
 佐敷ヌルはメイユーを連れて、玉グスクに向かった。
 驚いた事に玉グスクに女子サムレーがいた。武寧(ぶねい)の三男、イシムイ(石思)に嫁いだが、浦添グスクが焼け落ちたあと玉グスクに戻って来たウミタル(思樽)が始めたという。
 ウミタルは二人の娘を連れて戻って来た。夫だったイシムイは頼りない男だったが、武寧が首里グスクに移ったあと、浦添グスクを任されて、浦添按司になるはずだった。ウミタルは浦添按司の奥方様になるはずだったのに、島添大里按司によって武寧は殺され、浦添グスクは焼け落ちた。
 玉グスクに帰って来た当初は島添大里按司を恨み、自分の不運を嘆いていたが、兄の若按司が中山王の船に乗って明国に行く事が決まると、新しい時代が始まったような気がして、いつまでもくよくよしていても始まらないと思うようになった。玉グスクを守るために何かをしなければならない。考えた末に、首里のような女子サムレーを作ろうと決めたのだった。
 義姉のマナミーとマナミーの侍女たちから剣術を習い、さらに玉グスクのサムレーたちからも習って、自分でも工夫しながら修行を積んだ。一年間の厳しい修行のあと、素質のありそうな娘を十人集めて、剣術を教えたのだった。佐敷ヌルが来た事を知るとウミタルは娘たちを鍛えて欲しいと頼んだ。佐敷ヌルは喜んで引き受け、メイユーと一緒に娘たちを鍛えた。
 マナミーもウミタルも宝刀の事は何も知らなかった。玉グスクヌル(マナミーの義姉)も聞いた事もないという。玉グスクヌルと一緒に歴代の玉グスクヌルのお墓に行って神様に聞くと、短刀をもらったチムの娘のカミーが、八重瀬按司(えーじあじ)に嫁いだ時に守り刀として持って行ったと言った。
 佐敷ヌルとメイユーは次の日、八重瀬に向かった。
 タブチ(八重瀬按司)の妹の八重瀬ヌルに会って、古いお墓に行って神様の声を聞いた。八重瀬按司に嫁いだカミーは、中グスク按司に嫁いだ娘のウミに短刀を持たせたという。
 八重瀬にも武寧の四男、シナムイ(砂思)に嫁いだ娘がいた。嫁いで一月もしないうちに戻って来たミカ(美加)は若ヌルになっていた。
 佐敷ヌルとメイユーは中グスクに向かった。
 中グスクヌルと再会を喜び、中グスクヌルの案内で古いお墓に行って神様の声を聞いた。中グスク按司に嫁いだウミは、人質になって安里の察度(さとぅ)の屋敷に行った娘のミイに守り刀として短刀を持たせたという。
「人質ってどういう事?」と佐敷ヌルは中グスクヌルに聞いた。
「父から聞いたんだけど、曽祖父の頃の話です。曽祖父は若按司だったんだけど、按司を継ぐ事ができなかったのです。浦添按司(玉城)の弟が婿に入って来て、中グスク按司になりました。曽祖父は按司の座を取り戻すために、密かに察度と同盟を結んで、娘を人質として察度に送ったのです。察度は浦添按司(西威)を滅ぼして、浦添按司になり、曽祖父も婿を倒して、中グスク按司になったのです」
「そんな事があったの。それで、ミイという娘は察度の奥さんになったの?」
「察度にはもう奥さんはいました。勝連(かちりん)按司の娘さんです。ミイは戦で活躍した武将の奥さんになって、その武将は越来按司(ぐいくあじ)になったと聞いています」
 佐敷ヌルは中グスクヌルにお礼を言って、メイユーと一緒に越来グスクに向かった。
 越来ヌルと再会を喜んで、英祖の短刀の事を聞くと、「ちょっと待っていて」と言って、神棚から綺麗な袋に入った物を持って来た。
「これの事かしら?」と言って、越来ヌルは袋の中から短刀を取り出した。
 あまりに突然に探していた短刀が現れたので、佐敷ヌルもメイユーも驚いて言葉も出なかった。
 短刀は長さが一尺半(約四十五センチ)もあり、佐敷ヌルが思っていたよりも大きかった。柄(つか)は鮫皮で、青い鞘(さや)は螺鈿(らでん)細工のようだった。
「どうして、あなたが持っているのですか」と佐敷ヌルは越来ヌルに聞いた。
「わたしの母が嫁いだ時に持って来たのです。正確に言うと察度の人質になった時に守り刀として祖母からもらったらしいわ」
「そして、あなたがお母さんからそれをもらったのですか」
「それは違うわ。わたしの母親は勝連に嫁いだ妹にこれをあげたのよ。妹は勝連按司の次男に嫁いだの。その次男は江洲(いーし)按司になって、やがて勝連按司になったけど、わけのわからない奇病で亡くなってしまったの。跡継ぎだった若按司も亡くなってしまい、妹はやつれた姿で越来に帰って来たの。二年後に妹は亡くなって、この短刀をわたしに残したのよ」
「この短刀は勝連のあの騒ぎに巻き込まれて、またここに戻って来たのね」
 佐敷ヌルは短刀を抜いてみた。詳しい事はわからないが、切れ味の鋭い名刀のようだった。
「誰かがこれを探しに来るような気がしていたの。あなただったのね」
 佐敷ヌルは英祖の三つの宝刀の事を越来ヌルに話して、大切に持っていて下さいと頼んだ。
「あとの二つも探すつもりなの?」と越来ヌルは聞いた。
 佐敷ヌルはうなづいた。
 そんないわれのある短刀なら、首里に持って行って保管してくれと越来ヌルは言ったが、佐敷ヌルは断った。
「その短刀は鎌倉から浦添に来て、玉グスク、八重瀬、中グスク、越来、勝連と旅をして、越来に戻って来ました。女たちの守り刀として活躍してきたのです。一カ所にじっとしているのは苦手なようです。今後の事はあなたにお任せします。ただ、どこにあるのかだけは把握しておいて下さい」
 越来ヌルは笑ってうなづいた。
「わたしには娘はいないから、越来ヌルを継ぐハマにあげようと思っているのよ」
「ハマならきっと守ってくれるでしょう」
 佐敷ヌルとメイユーはお礼を言って、越来をあとにして首里に戻った。
 七月の末に台風が来たが、それ程の被害はなくて助かった。北部の方ではかなりの被害があったようだった。
 八月の初めに進貢船が帰って来た。正使のサングルミー(与座大親)、副使の中グスク大親、サムレー大将の宜野湾親方(ぎぬわんうやかた)、副将の伊是名親方(いぢぃなうやかた)、従者として行った平田大親、クルー、馬天浜のシタルー、八重瀬按司のタブチ、サムレーとして行ったシラー、みんな無事に帰って来た。そして、念願の新しい海船が一緒に付いて来た。
 いつもより帰りが遅いので心配していたが、サングルミーの話だと、永楽帝(えいらくてい)が今、北平(ベイピン)(北京)に新しい都を造っていて、永楽帝に会うために北平まで行って来たという。北平は『順天府(じゅんてんふ)』と名前が変わって、応天府(おうてんふ)(南京)から順天府までは一月近くも掛かり、辛い旅だったとサングルミーは思紹に報告した。
 サングルミーの話を聞きながら、サハチが反対しても、来年は必ず、明国に行こうと思紹は心に決めていた。

 

 

 

居合刀-1 短刀・御守刀 (鮫巻柄6寸)

2-60.李芸とアガシ(改訂決定稿)

 開京(ケギョン)(開城市)から漢城府(ハンソンブ)(ソウル)に帰ると、サハチたちを待っている男がいた。イトから話を聞いていた李芸(イイエ)だった。ヤマトゥ(日本)言葉が話せるというので、サハチも会いたいと思い、丈太郎(じょうたろう)に頼んでいた。
 サハチたちが漢城府に帰った次の日に、李芸は『津島屋』にやって来た。ファイチ(懐機)は手に入れたヘグム(奚琴)の弾き方を習おうと、ンマムイ(兼グスク按司)と一緒にサダン(旅芸人)の所に出掛け、サハチたちも行こうとしていた所だった。
 李芸は両班(ヤンバン)の格好をして、見るからに頭がよさそうだった。意外に思ったのは、武芸の嗜(たしな)みがあるという事だ。にこやかな顔をして、武器は持っていないが、かなりできそうだと思った。
 流暢(りゅうちょう)なヤマトゥ言葉で李芸はサハチたちに挨拶をした。サハチは琉球中山王(ちゅうざんおう)の世子(せいし)(跡継ぎ)だと名乗った。丈太郎が李芸を信じて、すでにサハチの正体を告げていたのだった。
「驚きましたよ。琉球中山王の世子が、使者たちと別行動を取って、先に漢城府に来ていたなんて」
「内緒にしておいて下さい。ばれると使者たちの立場が悪くなるかもしれません」
「わかっています。お忍びという事で」と李芸は笑った。
 サハチたちは津島屋の離れで、お茶を飲みながら李芸と話し合った。そのお茶は開京で手に入れたものだった。漢城府ではお茶を手に入れる事もできなかった。
 李芸は琉球に連れ去られた朝鮮(チョソン)人の事をサハチに聞いた。
「今はあまりいません」とサハチは答えた。
「二十年以上前はかなりいました。先々代の中山王(察度)が琉球に連れて来られた高麗(こうらい)人を高麗に送り返す事で、琉球と高麗の交易が始まりました。中山王に高麗人を高麗に返すようにと進言したのは、ここにいるウニタキです。ウニタキの母親は琉球にさらわれた高麗人なのです」
「えっ、それは本当なのですか」と李芸は驚いて、ウニタキ(三星大親)を見た。
 ウニタキはうなづいた。
「当時、俺は勝連(かちりん)という所にいて、親父は勝連の領主でした。交易に来た倭寇(わこう)は親父に取り入るために、高麗からさらって来た美しい娘を贈ったのです。それが俺の母親です」
「わたしの母親はわたしが八歳の時に倭寇に連れ去られました。父は蔚州(ウルジュ)(蔚山)の役所に勤めていましたが殺されました。八歳のわたしは倭寇を憎んで、両親の敵(かたき)を討たなくてはならないと思ったのです」
「それで武芸を始めたのですね?」とサハチは聞いた。
 李芸は笑って、「皆さん方にはかないませんよ」と言った。
「ナナの父親は朝鮮の兵に殺されました。ナナは敵を討つために武芸を習い、初代の朝鮮の王様を敵と狙っていたようです」
「何ですって!」と李芸は驚いて、男の格好をしたナナを見た。
「敵は死んじゃったわ」とナナは言って、両手を広げて見せた。
「敵は討ったのですか」とサハチは李芸に聞いた。
 李芸は首を振った。
倭寇と戦うには強くなって、武官にならなくてはならないと思ったのです。でも、倭寇といっても数が多すぎます。あの時、蔚州を襲って、父を殺して、母をさらって行ったのが誰なのか、まったくわかりません。最近は大物の倭寇たちは朝鮮に投降して、朝鮮のために働いています。もう、敵を討つのは諦めました。でも、さらわれた母親は何としてでも救い出したい。それで、母親を探すために日本に行き、連れ去られた者たちを連れ帰っているのです。もしかしたら、母が琉球にいるかもしれません」
「八歳の時と言えば、三十年近くも前じゃないのですか」
「そうです。生きていれば、もうすぐ六十歳になります」
 六十歳と言えば、今回、通事(つうじ)として連れて来たチョルより少し年上という事になる。サミガー大主(うふぬし)の作業場で働いていた高麗の女たちもいたが、六十過ぎまで生きている者はいないような気がした。
「今回、琉球の使者たちが連れて来たのは先代の中山王(武寧)の側室だった女たちです。先代の中山王の母親も高麗人で、高麗の娘を何人も側室に迎えたようです。他にも連れ去られて来た者がいたら連れて帰ろうと思ったのですが、見つかりませんでした」
「本当ですか」
琉球まで連れて来るよりも、九州辺りで高く売れるのでしょう」
「確かに」と李芸は苦笑した。
「朝鮮に来る日本人たちは『大蔵経(だいぞうきょう)』を手に入れるために、倭寇に連れ去られた者たちをかき集めているようですね」
「二、三十年前に琉球に連れて来られて、遊女屋に買われた娘たちは今、どうしているのかわかりませんが、まだ琉球にいるはずです。遊女屋以外にも商人たちに買われた者や鳥島硫黄鳥島)に人足として送られた者など、探せば見つかるかもしれません。来年も使者を送るつもりなので、なるべく探し出して連れて来ますよ」
「ありがとうございます。お願いします」
「李芸殿、お聞きしたいのですが、琉球の使者たちが都に来る許可は下りたのでしょうか」
「下りています。今頃はこちらに向かっている事でしょう」
「そうでしたか。それにしても許可が下りるまで随分と時間が掛かったように思いますが、何か問題でもあったのでしょうか」
「問題があったのは琉球側ではなくて、宮廷の方です。前回に琉球の使者たちが来た時の記録がなかなか見つからなかったようです。都の引っ越しが二度もあったので、どこかに紛れ込んでしまったのでしょう。おまけに、当時の担当者もすでにいなくなっていて、宮廷は大わらわだったようです。記録を管理していた者は左遷されました」
「そうでしたか。そう言えば、前回に来た琉球の使者はここではなく、開京に行ったのでしたね」
「そうです。開京から苦労して、こちらに移り、四年後に開京に戻って、そして、二年後にまたここに戻って来たのです。三日も掛けての大移動ですよ。記録がどこかに行ってしまうのも当然な事です」
「兄弟で王の座を争ったと聞いていますが、どうして、そのような事になったのですか」
「初代の王様(李成桂(イソンゲ))の長男(李芳雨(イバンウ))が跡を継ぐ前に亡くなってしまって、初代の王様は二番目の奥方様が産んだ末っ子(李芳碩(イバンソ))を跡継ぎに決めてしまいました。それが争いの原因になったのです。最初の奥方様の息子たちが猛反対して戦(いくさ)となり、最初の奥方様の次男(李芳果(イバングァ))が二代目の王様になりました。それで、無事に治まるかと思われましたが、今度は四男(李芳幹(イバンガン))が反乱を起こします。二代目の王様が王族の私兵を禁止したのに反対した四男が開京に攻め込んだのです。その反乱を鎮圧したのが五男の今の王様(李芳遠(イバンウォン))です。二代目の王様の正妻には子供がなかったので、今の王様が跡継ぎとなって、やがて、二代目は王位を今の王様に譲って上王(サンワン)となります。二代目の王様はもともと王位に就く気はなかったようです。今の王様に勧められて王位に就きましたが、実権を握っていたのは今の王様だったのです」
「今の王様はどうして、二代目の王様にならなかったのですか」
「今の王様は五男です。上には三人の兄がいます。いくら実力があったとしても、三人の兄を差し置いて王になる事はできなかったのです。大義名分がありません」
 サハチは自分の兄弟の事を思った。もし、サハチが父より先に亡くなったら、兄弟で王位を巡って争いを始めるのだろうか。サハチは五人兄弟で、弟は四人いる。仲のいい弟たちがそんな事をするはずはないと思うが、あり得ないとは言い切れなかった。
 サハチは話題を変えて、「ところで、朝鮮の王様が何を欲しがっているのかわかりますか」と李芸に聞いた。
「わたし共の方も朝鮮の使者たちの記録が残っていなくて、詳しい事がわからないのです。できれば、喜ばれる物を持って来たいと思っております」
「まず、日本刀ですね。ただし、大量の日本刀を持って来られると困ります。名刀を数本です。王様が活躍した武官に下賜(かし)するのに使います。それと火薬の原料となる硫黄(いおう)も必要です。これも大量に持ち込まれると困ります。朝鮮は常に明国を刺激しないように努めています。大量の武器を仕入れている事が明国に知られると誤解されかねません。元(げん)の時代、高麗は元の大軍に攻め込まれて降参し、元の属国になってしまいました。二度とあんな惨めな思いはしたくはありません」
 李芸は軽く笑ってから話を続けた。
「銅も喜ばれるでしょう。御存じのように、朝鮮では銅銭が流通していません。明国に行った事のある王様は銅銭の便利さを知っています。銅銭を造って国内に流通させたいと考えています。それに、胡椒(こしょう)も喜ばれます。仏教が禁止されて、両班たちは堂々と肉を食べ始めました。今、両班たちは目の色を変えて胡椒を求めています。勿論、宮廷でも必要としています。布を赤く染める蘇木(そぼく)も喜ばれるでしょう。位の高い役人が来ている赤い官服(かんぷく)は宮廷内で作っています。蘇木は明国から仕入れていますが、琉球が持って来てくれれば王様も大喜びするでしょう」
「蘇木と胡椒、数本の名刀と適量の硫黄、それに銅ですね。明国の陶器はどうですか」
「陶器も喜ばれますよ」
「陶器は大量に持って来ても大丈夫ですね?」
「勿論です。ただ、富山浦(プサンポ)からここまで運ぶのが大変でしょう」
 サハチは細い山道を思い出した。確かに運ぶのは大変だった。
「水路は利用できないのですか」とサハチは聞いた。
「できない事はありませんが、前例のない事を決めるのは容易な事ではありませんよ」
 李芸はヂャンサンフォン(張三豊)にも明国にさらわれた朝鮮人はいないかと聞いていたが、ヂャンサンフォンは知らないようだった。ウニタキからウニタキの母親の事を聞き、ナナから戦死した父親の事を聞いて、また来ると言って李芸は帰って行った。
 琉球の使者たちが来るまでの間、サハチたちは毎日、サダンたちの仮小屋に行っていた。ファイチはヘグムの弾き方を習い、ヂャンサンフォンはテグム(竹の横笛)の吹き方を習い、サハチはテピョンソ(チャルメラ)の吹き方を習い、ウニタキは三弦(サンシェン)、ンマムイは横笛の稽古に励み、その合間に、サダンの者たちに武芸を教えていた。
 ウニタキの三弦は開京の妓女(キニョ)からもらったものだった。五十年以上も前に元の国から来た使者が妓女に贈った物だという。贈られた妓女はその三弦を弾き、代々受け継いで弾いていたらしいが、五、六年前に、三弦を弾いていた妓女が亡くなってしまってからは誰も弾く者はいない。しまっておくより、ウニタキが弾いてくれた方が三弦も喜ぶだろうと妓女は惜しげもなく、ウニタキに譲ったのだった。ウニタキが言うにはかなりの名器だという。大きさが一回り大きいので、何となく渋い音が出るようで、ウニタキは気に入っていた。三弦が手に入ったので、ウニタキはテピョンソをサハチに返した。結局、サハチが吹き方を身に付けなければならなくなっていた。
 八月が過ぎて九月となり、朝晩が肌寒く感じるようになってきた。琉球の使者たちが漢城府に着いたのは九月六日の事だった。その日、サハチは五郎左衛門が来るような予感がして、いつもよりも早く、サダンたちの仮小屋から引き上げてきた。
 津島屋にはお客さんが来ていた。屋敷の一画に小さな店があって、タカラガイなどの貝殻を売っている。店番をしているのはハナだった。父と娘らしい二人が店の中にいて、貝殻を見ていた。
 朝鮮の娘たちは『ノリゲ』と呼ばれる飾りを身に付けているが、そのノリゲに綺麗なタカラガイを飾るのが流行っていた。
 ハナの話では、それを流行らせたのは王様の娘で、今では宮廷で働く女官たちから両班の娘たちまで、タカラガイのノリゲを身に付けていると言って、自分のノリゲを見せてくれた。紐を束ねたような飾りで、その付け根のあたりに黄色いタカラガイが付いていた。漢城府でタカラガイを手に入れるには津島屋しかなく、用があって宮廷の外に出た女官や両班の娘たちが買い求めに来るという。開京の妓女たちもタカラガイのノリゲを身に付けていた。
 両班の娘が父親を連れて、タカラガイを買いに来たのだろうと思い、サハチが離れの方に行こうとしたらナナに声を掛けられた。
「ねえ、あの人、どう思う?」とナナは店の中にいる両班を見ながらサハチに聞いた。
「どう思うとは?」
「何者かって事よ」
両班だろう。身なりからして、かなり地位の高い男じゃないのか」
 ナナはサハチにうなづき、「王様のような気がするのよ」と小声で言った。
「えっ?」とサハチは驚いて、ナナを見てからもう一度、両班を見た。
 四十の半ばといった年頃で、貫禄があり、よく手入れされた髭にも風格があった。
「王様を見た事があるのか」とサハチはナナに聞いた。
「一度だけ、馬に乗っている姿を見た事あるわ。格好は全然違うけど、何となく似ているのよ」
「お忍びだとしても護衛の者がいるだろう」とサハチは言って、津島屋の門の外にいた二人の両班を思い出した。大通りを歩いている両班は珍しくもないが、その二人は門の脇に立って、立ち話をしていた。王様の護衛かもしれなかった。
「それに、あのアガシ(お嬢さん)なんだけど、前にも何度か来ているのよ。どこのアガシだろうと思って、あとを追って行った事があるの」
「お前は危ない事ばかりしているな。そのうち痛い目に遭うぞ。それで、あのアガシの正体はわかったのか」
 ナナはうなづいて、「慶安公主(キョンアンコンジュ)様だったのよ」と言った。
 サハチが驚くと思ったのにポカンとした顔をしているので、「王様の娘さんだったのよ」と言い直した。
タカラガイのノリゲを流行らせたのがあのアガシだったのよ」
「王様の娘なら宮殿に住んでいるんだろう。お前、宮殿内に忍び込んだのか」
「違うわよ。あのアガシ、お嫁に行って宮殿から出ているのよ」
「お嫁に行っている娘には見えないが」とサハチは言った。
 どう見ても、十五、六歳にしか見えなかった。
「王族は婚礼が早いのよ」
「あのアガシが王様の娘なら、一緒にいるのは王様かもしれんな」
「そうでしょ。あのアガシが住んでいるお屋敷の周辺で聞いたんだけど、王様が度々、お忍びでやって来るって言っていたわ。あのアガシは王様の三女で、美人のうえ聡明で、王様にもっとも可愛がられているらしいのよ」
「あのアガシのお陰で、タカラガイは益々売れそうだな」とサハチは言った。
「そうよ。シンゴ(早田新五郎)さんにタカラガイをもっと持って来るように伝えてね」
 そう言って、ナナは腰にぶら下げたノリゲを見せた。綺麗なタカラガイが光っていた。男の格好をしているくせに、女心はあるらしい。
「サハチが似合うよ」と言うと、ナナは嬉しそうに笑った。
「そんな所で何をしているんだ?」と誰かが言った。
 振り返ると官服を来た五郎左衛門がいた。
「五郎左衛門殿。使者たちはやっと着いたのですね?」とサハチは五郎左衛門に聞いた。
 五郎左衛門はうなづいた。
「東大門(トンデムン)の外にある円明寺(ウォンミョンサ)というお寺に入った。みんな、疲れ果てている。わしはこれから宮殿に行くんだが、通り道なんで、ちょっと寄ってみたんだ」
 ナナが店の方を五郎左衛門に示した。
「チョナー」と五郎左衛門は言った。
「やっぱり、王様だったのね」とナナが言った。
 五郎左衛門は慌てて、王様の所へと向かった。ひざまずこうとして、王様に止められたようだった。五郎左衛門は店の脇に立ち止まったまま、王様と娘を見守った。
 気に入ったタカラガイを手に入れて、大喜びした娘は父と一緒に帰って行った。五郎左衛門は頭を下げただけで、王様と話をする事はなかった。サハチたちも軽く頭を下げただけで、王様と慶安公主を見送った。何も知らないハナが五郎左衛門を見つけて、「あら、お祖父(じい)様、いらっしゃい」と笑った。
「今のアガシはよく来るのか」と五郎左衛門がハナに聞いた。
「お得意様よ。お兄さんのお嫁さんのお誕生日のお祝いに贈るタカラガイを探していたのよ。お祖父様はまたお客さんを都に連れて来たのね。もうお仕事は終わったの?」
「いや、これから宮殿に行く所じゃ」
「そうなの。早く、帰って来てね」
 五郎左衛門はハナにうなづくと、サハチたちの所に来て、「ハナには話すなよ」と言った。
「あのアガシはまた来るだろう。正体を知ってしまったら、ハナの奴、まともな応対もできなくなる。それに、あのアガシも来なくなってしまうだろう。内緒にしておいてくれ」
 そう言って、五郎左衛門は出て行った。
「驚いたな」とサハチは五郎左衛門を見送ってからナナに言った。
「王様に会えるとは思ってもいなかった」
「会ったというよりは見ただけだけど」
「そうかもしれんが、こんなに近くで王様に会うなんて、なかなかできないだろう」
「そうね。敵を討てばよかったかしら」
「馬鹿な事を言うな。ここで騒ぎを起こしたら、津島屋はつぶされるぞ」
「冗談よ。なぜか、王様を見ても、敵だとは思わなかったわ。王様もお父さんなのねって思っただけよ」
「確かに、娘を想うお父さんだったな」
「いいわね。あたしはお父さんていうものをよく知らないのよ。幼い頃、時々、訪ねて来てくれたんだけど、だんだんとその記憶も薄れてきてしまって、どんな顔だったのかも思い出せないの」
「開京でお屋形様(早田左衛門太郎)に会っただろう。お前の親父はお屋形様をちょっと男前にした感じだよ」
「あたしのお父さんの事、知っているの?」
「二十二年前、対馬に行った時、お前の親父さんに会った。お屋形様と並んで座っていたけど、お前の親父さんの方が貫禄があったよ。早田(そうだ)家の跡継ぎという威厳が備わっていた」
「そうだったの。お父さんがお屋形様より威厳があったんだ‥‥‥」
「先代のお屋形様もお前の親父さんを頼りにしていたらしい。今のお屋形様は当時、奥さんの実家の中尾家を継いで中尾姓を名乗っていたんだよ。お前の親父さんが亡くなってから、早田姓に戻ったようだ」
「そうだったの‥‥‥戦死しなければ、お父さんがお屋形様になっていたのね」
「そうだな。お前はお屋形様の娘として育ち、武芸なんかしなかっただろう」
「あら、そんな事はないわ。サキ叔母さんだって武芸を身に付けているもの。ところで、みんなはどうしたの?」
「まだ、サダンの所にいるよ」
「どうして、一人で帰って来たの?」
「何となく、五郎左衛門殿が帰って来るような予感がしたんだ」
 ナナは笑って、「まるで、ササみたい」と言った。
 俺も神人(かみんちゅ)に近づいて来たのかなとサハチは思った。

 

 

 

玄界灘を越えた朝鮮外交官 李芸―室町時代の朝鮮通信使―   李藝 ---最初の朝鮮通信使