長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

2-129.タブチの反撃(改訂決定稿)

 照屋大親(てぃらうふや)と糸満大親(いちまんうふや)の裏切りで、進貢船(しんくんしん)をタルムイ(豊見グスク按司)に奪われた事を知ったタブチ(先代八重瀬按司)は物凄い剣幕で腹を立てた。
「なぜじゃ。なぜ、あの二人が寝返ったのじゃ?」
「照屋大親糸満大親も初代の山南王(さんなんおう)(承察度)からの重臣じゃ。山南王が入れ替わっても、二人で糸満の港を守って来たんじゃ。裏切る事などあるまいと思っていたんじゃがのう」と山グスク大主(先代真壁按司)は苦虫をかみ殺したような顔で首を振った。
「まったく許せん事じゃ」と摩文仁大主(まぶいうふぬし)(先代米須按司)も怒りに満ちた顔付きで怒鳴った。
「あの二人にとっては、何をおいても交易が一番なんじゃろう。王妃様(うふぃー)が王印を持って行ったので、王妃様に寝返ったに違いない」
「王印か‥‥‥」とタブチは渋い顔をした。
 弟の惨めな死に様を見て、チヌムイを助けるためと弟に詫びるために、命を捨ててここに来たのが間違いだった。エータルーが言ったように、兵を率いて、ここに来て、山南王になると宣言すればよかったのだ。そうすれば、王印は王妃に奪われる前に、ちゃんと確認したはずだった。カニーと侍女たちは豊見(とぅゆみ)グスクに潜り込む事に成功したが、そう簡単には奪えないだろう。
 重臣の波平大親(はんじゃうふや)が顔を出して、大(うふ)グスクからの知らせで、敵兵六百人が照屋グスクと糸満グスクを守るための陣地を造っていると知らせた。
「六百じゃと?」とタブチは驚いた。
「長嶺按司(ながんみあじ)の兵がグスクに閉じ込められて、瀬長按司(しながあじ)と兼(かに)グスク按司が八重瀬(えーじ)グスクを攻めているのに、どうして、そんなにも兵がいるんじゃ」
「亡くなられた王様(うしゅがなしめー)は密かに兵を育てておりました。その兵が敵に加わったものかと思われます」
「どうして、その兵をこっちに呼ばなかったのじゃ」
「それがどこなのか、わしら重臣たちも知りません。王妃様は知っていたようです」
「何てこった。その兵というのは何人おるんじゃ」
「正確にはわかりませんが、五百はいるかと」
「シタルーは重臣たちにも内緒で兵を育てていたのか。くそったれが」
「今後の対策を練りますので、皆様方に集まってもらいたいとの事です」
 タブチたちは波平大親に従って、北の御殿(にしぬうどぅん)の重臣たちの執務室に行った。長卓(ながたく)には新垣大親(あらかきうふや)と真栄里大親(めーざとぅうふや)の二人しかいなかった。
 重臣たちは八人いた。糸満川以北に本拠地を持つ賀数大親(かかじうふや)と兼グスク大親は出て行き、照屋大親糸満大親は寝返った。残るは四人のはずだった。
「あと一人はどうした?」とタブチは重臣たちに聞いた。
「国吉大親(くにしうふや)は照屋大親が寝返ったと聞いて、国吉グスクが危ないと言って飛び出して行った」と新垣大親が言った。
「照屋グスクが敵になって、国吉グスクはわしらの最前線のグスクとなったわけじゃが、国吉大親はグスクを守るために行ったんじゃない。今頃はもう寝返っているじゃろう」
「何じゃと?」と摩文仁大主が怒鳴った。
「国吉大親の奥方は照屋大親の娘なんじゃよ」と真栄里大親が言った。
「それに国吉大親の父親は照屋大親のお陰で重臣になれたんじゃよ。照屋大親を裏切る事はできまい」
 タブチの父、汪英紫(おーえーじ)が山南王になる時、先々代の国吉大親は与座按司(ゆざあじ)と一緒に最後まで抵抗して戦死した。サムレー大将だった弟も戦死して、国吉グスクを守っていた三男は照屋大親のお陰で、国吉大親を継いだ。すでに、今の国吉大親に娘が嫁いでいたので、兄たちに従うなと言って助けたのだった。
「何で、止めなかったんじゃ」とタブチが言った。
「照屋大親糸満大親の裏切りを知って呆然としていたんじゃよ」と真栄里大親が言った。
「とても信じられなかったんじゃ。奴が国吉グスクが危ないと言った時、確かにそうじゃと思って送り出したんじゃ。あとになってから、奴が照屋大親の娘婿だって気づいたんじゃよ。照屋大親とつながっているのは国吉大親だけではないからのう。新垣大親殿の長男の妻も照屋大親の娘だし、糸満大親の長男の妻も、賀数大親の長男の妻も照屋大親の娘なんじゃ。重臣の中でも最も力を持っていた照屋大親と誰もが姻戚関係になろうとしていたんじゃよ」
「ふん」とタブチは鼻で笑って、椅子に腰を下ろした。
 四人の御隠居(ぐいんちゅ)たちも椅子に座って、三人の重臣たちと向き合った。
「わしは殺される覚悟でここに来た。ところが、重臣たちは、わしに山南王になってくれと言った。わしはその言葉を信じて、山南王になる決心を固めた。それがどうじゃ。今、ここに残っている重臣はたったの三人じゃ。どうなって、こうなったのかを説明してもらおうか」とタブチは言った。
「そなたが先代の王様の遺体と一緒にここに来た時、わしは重臣たちにその事を伝えた。捕まる覚悟で来た事もな」と新垣大親が言った。
重臣たちの答えは、そなたを捕まえて、豊見グスク按司に跡を継いでもらおうというものじゃとわしは思っていた。だが、わしは何とかして、そなたを助けたいと思った。そして、長男が跡を継ぐべきじゃと言ったんじゃよ。チヌムイの母親が殺される前の正常な状態に戻すべきじゃと言ったんじゃ。そしたら、重臣たちのほとんどが、それがいいと賛同したんじゃよ」
「真栄里大親殿も賛同したのですか」とタブチは聞いた。
「賛同しました」と真栄里大親は言った。
「わしにも三人の倅がおりまして、家督争いをさせたくはなかったんじゃ。それに、豊見グスク按司はまだ若いし、山南王になるための修行もしておらん。突然、ここに来ても山南王は務まらんと思ったんじゃ。それに比べて、八重瀬殿は何度も明国(みんこく)に行っているし、中山王(ちゅうざんおう)の正使も務めておられる。誰もが、山南王にふさわしいと思ったんじゃ」
「それに東方(あがりかた)の事もあるのです」と波平大親が言った。
「東方の按司たちは山南王に敵対していました。八重瀬殿が山南王になれば、東方も従って、山南王の領内は以前よりも広くなると思ったのです。現に、東方の按司たちは八重瀬殿の命令に従って、長嶺グスクを攻めています。このまま、八重瀬殿が山南王になれば、すべてがうまく行くと誰もが思っていました」
「それなのに、どこで狂ったのじゃ?」
「王妃様じゃろう」と新垣大親が言った。
「王妃様が王印を持って豊見グスクに行った事で、すべてが狂ってしまったんじゃ」
「照屋大親は裏切り者が出て、王妃様にすべてを話した者がいると言っておったが、それは誰だったんじゃ」
「わからん」と新垣大親が言って、真栄里大親と波平大親は首を振った。
「早くに寝返った兼グスク大親と賀数大親が怪しいが、今思えば照屋大親だったのかもしれん」
「八重瀬殿を山南王にしようと決めていた時、この部屋から出て行った者がおるじゃろう。そいつが王妃様に知らせたんじゃ」と摩文仁大主が言った。
「評定(ひょうじょう)の最中、少し頭を冷やして、冷静になって考えようと照屋大親が言って、四半時(しはんとき)(三十分)ほど休憩したんじゃ。王様の突然の死を知って、皆、動転しておったからのう。頭を冷やす必要があったんじゃ。あの時、王妃様に会おうとすれば、誰でも会う事はできたはずじゃ」
「照屋大親が怪しいのう。裏切り者がいると言っておったが、自分が裏切り者だったのかもしれん」と真栄里大親が言った。
「でも、照屋大親殿も王妃様が王印を持ち出した事にはかなり驚いていました。その事は知らなかったようです」と波平大親が言った。
「すると、王印が王妃様のもとにある事を知ってから、照屋大親糸満大親は寝返る決心をしたんじゃな」とタブチは言った。
「そうかもしれん」と新垣大親がうなづいた。
「照屋大親はどうやって、王妃様と連絡を取ったんじゃ。進貢船を奪い取って寝返る事を、どうやって王妃様に知らせたんじゃ」
「それは石屋のテハに頼んだんじゃろう」と新垣大親が言った。
「当然、書状のやり取りがあったと思うが、その事をテハはそなたたちに黙っていたのか」
「照屋大親が口止め料を弾んだんじゃろう」
 テハから詳しい話を聞こうと波平大親がテハを探しに行ったが、見つからなかった。
「いつもはどうやって、テハを呼んでいたんじゃ」とタブチが波平大親に聞いた。
「テハの配下の者が侍女の中にいて、いつも控えているのですが、なぜか、今日は見当たりません」
「ふん。そいつはわしらの話を聞いて、逃げて行ったんじゃろう。きっと、テハの奴も王妃様の回し者じゃ。何もかも王妃様に奪われておる。王印を奪われ、進貢船も奪われ、糸満の港も奪われた。この先、どうやったら勝てるんじゃ」
「弱音を吐いてどうするんじゃ。戦はまだ始まったばかりじゃ」と山グスク大主が気楽な顔で言った。
「王印と進貢船は奪われても、山南王の居城である島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスクはわしらのものじゃ。ここの主(あるじ)が山南王なんじゃよ。総攻撃を掛けて、豊見グスクを攻め落としてしまえばいい。敵は今、手に入れた糸満の港を守るために六百の兵を出して陣地造りに精を出している。本拠地の豊見グスクは手薄のはずじゃ。六百の兵に気づかれんように迂回して豊見グスクに向かって、総攻撃を掛けるんじゃ」
「おう、それがいい」と摩文仁大主が賛成して、絵地図を広げた。
 島尻大里から豊見グスクまで、迂回したとしても三里(十二キロ)はない。一時半(いっときはん)(三時間)もあれば行ける。夜のうちに移動して、饒波(ぬふぁ)橋辺りに待機して、早朝に攻め込めばいいと決まった。
 翌日、タブチは山南王として領内の按司たちを島尻大里グスクに集めた。以前に言っていたように、タブチの次男の喜屋武大親(きゃんうふや)は喜屋武按司に、三男の新(あら)グスク大親は新グスク按司に昇格した。同じように摩文仁大主の次男は摩文仁按司(まぶいあじ)となり、山グスク大主の次男は山グスク按司、ナーグスク大主(先代伊敷按司)の次男はナーグスク按司、中座大主(なかざうふぬし)(先代玻名グスク按司)の次男は中座按司になった。山南王の重臣だった新垣大親、真栄里大親、波平大親の三人にも按司を名乗らせた。そして、新たな重臣として、摩文仁大主、山グスク大主、ナーグスク大主、中座大主、新垣按司、真栄里按司、波平按司の七人を任命した。
 集まった按司は、重臣たちを除いて、米須按司(くみしあじ)と摩文仁按司の兄弟、真壁按司(まかびあじ)と山グスク按司の兄弟、伊敷按司(いしきあじ)とナーグスク按司の兄弟、玻名(はな)グスク按司と中座按司の兄弟、与座按司(ゆざあじ)、具志頭按司(ぐしちゃんあじ)、李仲(りーぢょん)若按司、喜屋武按司だった。タブチの次男の新グスク按司は八重瀬グスクを包囲している敵陣の後方攪乱(かくらん)のため、今回は参加しなかった。
 李仲若按司の妻は波平按司の娘だった。明国から帰って来た父が豊見グスクにいるので、父の事を心配しながら作戦を聞いていた。
「心配するな。お前の親父は必ず助け出す」と新垣按司が李仲若按司に言った。
「お前の親父にも重臣になってもらって、新しい山南王を助けてもらう」
 李仲若按司は微かに笑ってうなづいた。
 作戦を頭に入れた按司たちは本拠地に帰って戦仕度を始め、その夜、思い思いの変装をして、武器や鎧(よろい)は荷車で運び、饒波橋に向かった。天が味方をしているとみえて、満月が煌々(こうこう)と輝き、夜道を照らしてくれた。集まった八百人の兵たちは橋の周辺の草むらに身を隠して、夜が明けるのを待った。
 総大将は新垣按司だった。シタルーが山南王になるまで、サムレー大将として活躍していたし、最年長なので、按司たちも命令に従うはずだった。真栄里按司もサムレー大将から重臣になったので、副大将として出陣した。隠居した四人の重臣と波平按司は島尻大里グスクに残った。タブチも摩文仁大主も山グスク大主も大将として出陣したかったのだが、山南王が自ら行くべきではないし、隠居したからには倅たちに任せようと自分に言い聞かせて、勝利の知らせを待つ事にした。
 翌日の早朝、武装した兵たちは饒波川に沿って豊見グスクに向かった。
 豊見グスクは静まり帰っていた。櫓門(やぐらもん)の上にも石垣の上にも見張りの兵の姿はなかった。敵の攻撃などあるまいと安心しきっているようだ。
 前もって決めておいた位置に兵たちが配置につくと、新垣按司は総攻撃の合図の旗を振った。敵が守りを固めていたら火矢の攻撃から始め、敵が油断していたら弓矢は使わずに、石垣に取り付いてグスク内に侵入しろと決めてあった。火矢の場合は法螺貝(ほらがい)、石垣の場合は旗で合図を送る事になっていた。
 合図を見ると兵たちは梯子(はしご)を担いで石垣へと走った。あともう少しで石垣に届くと思った時、突然、石垣の上に敵兵がずらりと現れた。弓矢と石つぶてが雨のように降り注いで、兵たちが次々に倒れていった。
「引けー! 引け-!」と新垣按司は叫んだ。
「くそっ、はめられた。敵はわしらの攻撃を知っていた。裏切り者がいるに違いない」
 新垣按司は火矢を射るように命じた。
 味方の兵が楯を並べて、弓矢と石つぶてを防ぐと敵の攻撃もやんだ。
 火矢は次々とグスク内に撃たれるが、距離が遠いので威力はなく、敵に防がれて効果はなかった。
 石垣の周辺に苦しんでいる兵が何人も倒れていたが、回収する事もできなかった。ざっと見た所、百人近くの兵がやられたようだった。
 北御門(にしうじょう)を攻めていた真栄里按司が馬に乗ってやって来た。
「敵はわしらの攻撃を知っていた。いつまでもここにいたら挟み撃ちにされるぞ」と真栄里按司が馬から下りると言った。
「わかっている」と新垣按司は言った。
「具志頭按司が潜入に成功するかもしれん。火の手が上がるのをもう少し待とう」
 真栄里按司は、厳しい顔付きの新垣按司を見つめながらうなづいた。
 島尻大里の城下にいる石屋の親方のテサンは、豊見グスクを造っていて、抜け穴がある事を知っていた。天の助けだとタブチも重臣たちも喜んだ。抜け穴から潜入して、屋敷に火を掛け、敵が混乱している中、御門を内側から開けて、総攻撃を掛ける。多少の犠牲は出るかもしれないが、豊見グスクは落ちたも同然だった。
 誰が抜け穴を行くかを決める時、希望者が殺到したので籤(くじ)引きをして、具志頭按司が当たったのだった。具志頭按司は張り切って、五十人の兵を引き連れて抜け穴に入って行った。見事に落とす事ができれば、豊見グスクが自分のものになるかもしれないと夢を抱いていた。
 半時(はんとき)(一時間)が過ぎても、グスクから火の手は上がらなかった。
「物見の者から照屋にいた敵兵がこちらに向かっているとの知らせが入ったぞ。早く、撤退した方がいい」と真栄里按司が言った。
 新垣按司はグスクを見上げたままうなづき、「撤収じゃ」と叫んで、合図の法螺貝を鳴らせた。
 新垣按司は撤退する時に城下の家々に火を掛けさせたが、その事を予見していたのか、消火活動も早く、数軒の家が焼けただけで火は消えた。
 帰って来た新垣按司を迎えたタブチは、「王印は手に入れたか」と聞いたが、新垣大親は首を振った。
「なに、失敗したのか」
「裏切り者がいるんじゃよ。わしらの作戦はすべて敵に筒抜けじゃった。抜け穴を行った具志頭按司待ち伏せを食らって全滅したじゃろう」
「何という事じゃ。一体、誰が裏切ったのじゃ」
「テハの配下の者がグスク内におるんじゃよ。侍女やサムレー、城女(ぐすくんちゅ)の中にいるに違いない」
「くそっ!」とタブチは拳(こぶし)を握りしめて怒りを抑えていた。
「損害はどれくらいじゃ」とタブチは聞いた。
「二百近いかもしれんな。撤収する時にも敵の追撃に遭って、数十人がやられている」
「二百か‥‥‥」
 タブチは首を振ると溜め息をついて、島尻御殿(しまじりうどぅん)の二階に向かった。
 山南王の執務室で八重瀬ヌルと島尻大里ヌルが待っていた。タブチは妹たちを見て、二人が一緒にいるのを久し振りに見たような気がした。
「だめだったのね」と八重瀬ヌルが言った。
「石屋のテハにやられたようじゃ」とタブチは力なく言った。
「突然に湧いた話はうまくは行かん。二百人もの兵を死なせてしまった。具志頭按司も戦死したんじゃ」
「えっ、ヤフスの息子が戦死したの?」
「せっかく、具志頭按司になれたのに、戦死してしまったんじゃ。可哀想な事をしてしまった」
「そう」と言って八重瀬ヌルは両手を合わせた。
 島尻大里ヌルも両手を合わせて、具志頭按司の冥福を祈り、タブチも両手を合わせた。
「跡継ぎはまだ幼いわね」と八重瀬ヌルが言った。
 島尻大里ヌルはまだお祈りを続けていた。
「三人の子がいるが、長男はまだ十歳くらいじゃろう」
「先々代の奥方様(うなじゃら)(ナカー)がいるから大丈夫よ」
「そうじゃな」とタブチは力なくうなづいた。
「その刀なんだけどね」と八重瀬ヌルがタブチが腰に差している刀を示した。
「やっぱり、察度(さとぅ)(先々代中山王)の御神刀(ぐしんとう)なのよ。察度はその御神刀のお陰で中山王になったわ。そして、父に贈って、父は山南王になった。父が山南王になったのも察度のためだったのよ。察度の跡を継いだ武寧(ぶねい)を守ってもらうために、察度は父を選んで、その刀を贈ったのよ。現に父は武寧とうまくやっていたわ。武寧が亡くなってしまって、その刀は眠りについたけど、お兄さんのお陰で目を覚まして、察度のために働き出したのよ」
「なに? どういう意味じゃ?」
「中山王の武寧は滅ぼされて、跡継ぎも殺されたわ。今、察度の孫が山南王になろうとしている。それを助けているのよ」
「察度の孫? タルムイの事か」
 八重瀬ヌルはうなづいた。
「そんな事、信じられん。タルムイを山南王にするなら、わしを殺せば済む事じゃろう」
「タルムイに試練を与えているのよ。豊見グスクからここに移って来て山南王になったとしても、何も知らないタルムイは重臣たちに操られるだけだわ。戦という試練を与えて、誰が自分に忠実な重臣なのかを悟らせているのよ」
「何じゃと‥‥‥わしはタルムイを成長させるために山南王になったというのか」
「その御神刀には察度の魂が宿っているわ。察度が願う通りに事は起こるのよ」
「何てこった。わしは察度に踊らされていたのか」
 タブチは腰から刀をはずすと、刀掛けに置いてある自分の刀と交換した。
「お兄さんが腰からはずしたとしても、御神刀はタルムイを助けるでしょう。タルムイが山南王になるまで眠りにはつかないわ」
「わしはどうしたらいいんじゃ?」
「タルムイが山南王になれば、チヌムイは勿論の事、お兄さんの一族は滅ぼされるわ。生き延びるためには、琉球から出て行くしかないわ。どこか遠くの島に逃げるしかないのよ」
 タブチは溜め息をついた。
「逃げるしかないのか‥‥‥」
 波平按司がタブチを迎えに来た。
 タブチはお祈りを続けている島尻大里ヌルと御神刀を見つめている八重瀬ヌルを見てから、北の御殿に向かった。
 重臣たちは暗い顔付きで、タブチを待っていた。
「ここで話した事はすべて敵に筒抜けじゃぞ」とタブチは言った。
「確かに」と新垣按司が言って、部屋の中を見回した。
 テハの配下がどこかに隠れて話を聞いているはずだった。
「ここにいたら息が詰まる。外に出よう」
 タブチは重臣たちと一緒に御庭(うなー)に出た。
 御庭は首里(すい)グスクと同じように、島尻御殿、北の御殿、南の御殿(ふぇーぬうどぅん)に囲まれていて、正面には高い石垣があって、その中央に御門(うじょう)があった。
 御庭の中央に床几(しょうぎ)を円形に並べて、タブチたちは顔をつき合わせて今後の対策を練った。
「豊見グスク攻めは失敗に終わった。次は照屋グスクでも攻めるか」とタブチは言った。
「まず、王印を奪い取らなければならん」と摩文仁大主が言った。
「王印が手に入れば、照屋大親糸満大親は戻って来る」
「戻って来たら迎え入れるのか」とタブチが聞くと、
「長年、交易に携わってきた照屋大親は必要じゃ」と新垣按司は言った。
「よく考えたんじゃが、わしはこの辺でやめた方がいいと思う」とタブチは言った。
「何じゃと?」と摩文仁大主がタブチを見た。
 ほかの重臣たちは口をぽかんと開けて、タブチを見ていた。
「最初から無理な話だったんじゃ。わしはチヌムイを連れて琉球から逃げる。そなたたちもこのグスクを明け渡した方がいい。わしに踊らされたとわしのせいにすればいい。わしがいなくなれば戦も治まるじゃろう」
「今更、何を言っているんじゃ」と山グスク按司が怒った顔でタブチに詰め寄った。
「そなたたちを誘った事は謝る。すまなかった。そなたたちは隠居の身じゃ。グスクに戻って、頭を丸めて謹慎していれば許されるじゃろう」
「馬鹿な事を言うな。まだ、諦めるのは早い」と中座大主がタブチの膝をたたいた。
「ほんの短い間じゃったが、わしは山南王になれた。もう何も悔いはない。残りの余生はどこかの無人島で釣りでも楽しみながら暮らすつもりじゃ」
 タブチは力なく笑うと立ち上がった。
「ありがとう」とタブチは皆にお礼を言うと御庭から立ち去った。
「ちょっと待ってくれ」とナーグスク大主があとを追って行った。
 残った六人の重臣たちはタブチとナーグスク大主が消えて行った島尻御殿を呆然とした顔付きで眺めていた。
「去る者は追わずじゃ」と摩文仁大主が言った。
「どうするんじゃ。わしらも引き上げるのか」と山グスク大主が聞いた。
「タブチは簡単にああ言うが、タルムイはわしたちを許すまい。わしらは皆、殺されるじゃろう」
「わしらも逃げるしかないのか」と中座大主が聞いた。
「逃げるか、それとも、戦って勝つかじゃ」
「勝つ? 山南王がいなくなったのに、どうやって勝てるというのじゃ」
「そなた、わしを誰だか忘れたのか」と摩文仁大主は言って、皆の顔を見回した。
「あっ!」と山グスク大主が摩文仁大主を見つめた。
「忘れておった。そなたは王妃様の兄じゃった」
「そうじゃ。わしは王妃様の兄で、亡くなった山南王の義兄じゃ。義兄が山南王になってもかまうまい」
 皆が驚いた顔で、摩文仁大主を見つめていた。

 

 

 

天明三年浅間大焼 鎌原村大変日記

2-128.照屋大親(改訂決定稿)

 長嶺按司(ながんみあじ)は長嶺グスクに閉じ込められた。
 兵の半数近くが下痢に悩まされ、長嶺按司自身も悩まされていた。水のような下痢で我慢する事はできず、本陣となった屋敷に籠もって厠(かわや)通いが続いていた。こんな状態では戦(いくさ)はできん。出直して来ると兼(かに)グスク按司(ジャナムイ)と瀬長按司(しながあじ)に言って、兵を引き連れて八重瀬(えーじ)グスクの包囲陣から撤退した。
 長嶺グスクを包囲していた東方(あがりかた)の按司たちの兵は、長嶺按司の兵が帰って来ると逃げ散った。長嶺按司は一戦も交える事なく本拠地に帰って、我が家の厠に駆け込むと、ホッと溜め息を漏らした。
 長嶺按司が留守の時、包囲していた東方の兵は二百人だったが、長嶺按司が戻ると、五百人に増え、長嶺按司はグスクから出る事は不可能になっていた。
 糸満川(いちまんがー)(報得川(むくいりがー))では、夜が明けると川を越えて敵のグスクを攻め、日が暮れると川を越えて撤収するという兵の移動が、毎日の行事のように繰り返されていた。
 今帰仁(なきじん)から帰って来たウニタキ(三星大親)は、今の所、山北王(さんほくおう)(攀安知)が動く気配はないと言った。
テーラー(瀬底之子)とは会ったのか」とサハチ(中山王世子、島添大里按司)は聞いた。
「奴は俺の表の顔しか知らないからな。地図の仕事で今帰仁に滞在していると思ったようだ。俺に山南王(さんなんおう)が亡くなって、南部で家督争いが始まったんだと詳しく教えてくれたよ。だが、山南王妃が山北王に何を頼んだのかは教えてくれなかった。テーラーの話し振りから、山南王妃は中山王(ちゅうざんおう)の力も山北王の力も借りずに、自力でタルムイ(豊見グスク按司)を山南王にするつもりのような気がする」
「そうか。島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスクにこだわらなければ、それも可能だろう。帰って来る進貢船(しんくんしん)を奪い取る事ができれば、山南王妃の思い通りになるが、交易を担当している照屋大親(てぃらうふや)がタブチに付いてしまったので難しいだろう。タルムイは水軍を持っているのか」
「持っている。『ハーリー』の時に海上警備をするために必要なんだ。シンゴ(早田新五郎)が乗っているようなヤマトゥ(日本)船が二隻あるはずだ。その船で、粟島(あわじま)(粟国島)の兵を運んだのだろう。水軍を持っているのは照屋大親糸満大親(いちまんうふや)、それと、瀬長按司小禄按司(うるくあじ)だな。だが、瀬長按司は長嶺按司が抜けた穴を埋めるために、水軍の兵も八重瀬に呼んだようだ」
「なに、水軍を陸に上げたのか。タルムイと小禄按司の水軍だけで大丈夫なのか」
「大丈夫とは言えんな。交易の責任者は照屋大親だ。照屋大親の水軍が先に進貢船と接触して、山南王の死を隠して、瀬長按司が反乱を起こして進貢船を狙っているとでも言って、護衛したまま糸満沖まで連れて行くかもしれん」
「山南王妃は何を考えているんだ。八重瀬グスクを攻めるよりも進貢船の方が大事だろう」
「瀬長按司が強引に決めたのだろう。瀬長按司は山南王妃の弟だが、戦に女は口出しするなとでも言ったのかもしれんな。かなり気性の荒い奴らしい」
「確かにな」とサハチは『ハーリー』の時、冷たい目付きでサハチを睨んでいた瀬長按司を思い出していた。
「先に接触した方が進貢船を手に入れる事になりそうだな。今頃、キラマ(慶良間)の島辺りで待ち伏せしているのかな」
「いや、久米島(くみじま)まで行っているかもしれんぞ」
久米島か‥‥‥」とサハチは呟いた。
 久米島は平和な島だった。古くから米(くみ)の産地で米島と呼ばれた。米の産地なのに按司が生まれる事もなく、村々の長老たちの話し合いで、島を守って来ていた。察度(さとぅ)(先々代中山王)が明国(みんこく)との進貢を始めて、久米島は中継地となったが、察度は役人を置いただけで按司は置かず、島の事は長老たちに任せていた。思紹(ししょう)(中山王)も察度のやり方を踏襲(とうしゅう)した。しかし、今後、毎年送る進貢船の数も増えて、南蛮(なんばん)(東南アジア)の船も来るとなると久米島には兵力を持った按司を置いて、守らせた方がいいような気もした。
「小渡(うる)ヌルにも会ったのか」とサハチは聞いた。
 ウニタキはニヤニヤしながら、懐(ふところ)から二通の書状を出した。
 思紹とファイチ(懐機)が帰って来た。今、彫っている『真武神(ジェンウーシェン)』の細部の事がよくわからないと思紹が言ったので、二人で報恩寺(ほうおんじ)の書庫まで行っていた。報恩寺の書庫には久米村(くみむら)からも書物が寄贈されていて、真武神の図が描いてある書物があるはずだとファイチが言ったのだった。
「ありましたか」とサハチは二人に聞いた。
「おう、よくわかったぞ」と思紹は嬉しそうにサハチに言って、「今帰仁から帰って来たのか。御苦労じゃったな」とウニタキをねぎらった。
「お土産です」とウニタキは二通の書状を思紹に見せた。
「何じゃ?」と思紹は書状を受け取って驚いた。
 二通の書状には『山北王 攀安知(はんあんち)』の印(いん)が押してあった。永楽帝(えいらくてい)から賜わった『王印』を真似して作ったようだった。そして、宛名は一通は八重瀬按司(えーじあじ)(タブチ)、もう一通は摩文仁大主(まぶいうふぬし)(先代米須按司)だった。
「どうして、こんな書状がここにあるんじゃ?」と思紹はウニタキに聞いた。
「小渡ヌルから預かって来たのです」
「なに、小渡ヌルに会ったのか」
 サハチも書状に押された封印を見て驚き、ウニタキを見た。
「小渡ヌルは米須(くみし)の『まるずや』のお得意さんらしくて、今帰仁にも『まるずや』があったので顔を出したのです。小渡ヌルは俺の事を知っていました。米須に店を出す時、配下の者たちに指示をしている所を見られたようで、『まるずや』の主人ではないかと思っていたそうです。ヤンバル(琉球北部)では『まるずや』をあちこちに作ったために、俺は『まるずや』の主人として通っています。小渡ヌルは俺を信用して、その書状を摩文仁大主に届けてくれと託したのです」
 米須に『まるずや』ができたのは三年前で、摩文仁大主が中山王に寝返って、タブチと一緒に明国に行った時だった。米須の人たちはちょっとした物を手に入れるために、島尻大里の城下まで行っていたので、『まるずや』ができたのは非常に喜ばれて、真壁(まかび)、波平(はんじゃ)、真栄平(めーでーら)の人たちも買い物にやって来ていた。
「小渡ヌルは帰って来ないのか」とサハチはウニタキに聞いた。
「母親の里帰りだったので、もうしばらく滞在したいと言っていたよ」
「小渡ヌルは『まるずや』と中山王がつながっているのを知らないのかな」とサハチは言った。
「俺も最初はそう思ったんだが、小渡ヌルはかなり頭がいいような気がする。先の事を見越して、中山王にこの事を知ってもらいたいと思ったのかもしれない」
 思紹は書状を日にかざして、中が透けて見えないものかと眺めた。
「開けて中身を読んでも大丈夫です」とファイチが言った。
「なに?」と思紹がファイチを見た。
「タブチも摩文仁大主も山北王の印なんて見た事はありません。似たような芋版(いもばん)を作って押せばごまかせます」
 思紹は笑うと、書状を開封した。
 タブチ宛ての書状は、タブチが介入しないように頼んだらしく、しばらく様子を見ているが、娘婿の保栄茂按司(ぶいむあじ)の事はよろしく頼むと書いてあった。
 摩文仁大主宛ての書状は驚くべきものだった。山北王は摩文仁大主を叔父上と呼び、保栄茂按司が山南王になれるように事を運んでくれ。年末になったら援軍を送る事ができるだろうと書いてあった。
摩文仁大主は山北王の叔父だったのか」とサハチが言った。
「山北王の嫁さんは武寧(ぶねい)(先代中山王)の娘じゃ。摩文仁大主は武寧の弟だから叔父に間違いない」と思紹は言った。
「気が付かなかった。すると摩文仁大主は保栄茂按司の嫁さんの大叔父で、保栄茂按司の伯父というわけだな。摩文仁大主は保栄茂按司を山南王にしようとたくらんでいるのか」
「書状が二つあるという事は、摩文仁大主はタブチに内緒で、山北王に書状を送ったということになります」とファイチが言った。
摩文仁大主はタブチを山南王にする振りをしながら、山北王と手を結んで、保栄茂按司を山南王にしようとしているのか」と思紹が言った。
摩文仁大主と保栄茂按司とのつながりはあるのか」とサハチはウニタキに聞いた。
「保栄茂按司の婚礼の時、摩文仁大主はタブチと一緒に明国に行っていた。帰国してからも、中山王に寝返ったので島尻大里には行っていない。ただ、タブチと一緒に山南王の重臣、新垣大親(あらかきうふや)と密かに会ってはいたが、保栄茂グスクには行っていない」
テーラーとも会っていないのか」と思紹が聞いた。
テーラーは一応、米須にも挨拶に行ったようです。瀬長按司から摩文仁大主も武寧の弟だと聞いたのでしょう。しかし、テーラーが米須に行ったのは一度だけです。二人が密かに会っているとは思えません」
「という事は前もって準備をしていたわけではなく、シタルーの急死で、自分の出番があるかもしれないと考えたのだな」とサハチが言った。
「多分、そうだろう。今頃、保栄茂按司に近付く手段を探しているに違いない」
「今、毎日のように保栄茂按司糸満川を渡って糸満グスクを攻めている。島尻大里の兵三百を出陣させて、保栄茂按司の兵を取り囲んで、糸満の兵と挟み撃ちにして、保栄茂按司を生け捕りにするという手も考えられるぞ」と思紹が言った。
「もし、摩文仁大主が保栄茂按司を生け捕りにしたとして、その後の展開を考えてみましょう」とファイチが言った。
「保栄茂按司の妻と子は保栄茂グスクに残っている」とサハチは言った。
「妻や子を守っているのはテーラーだ。テーラーに山北王の書状を見せれば、摩文仁按司の味方になるかもしれんな」とウニタキが言った。
「保栄茂グスクがタブチ側になったとしても、豊見(とぅゆみ)グスクと阿波根(あーぐん)グスクに挟まれている。阿波根グスクを落とさない限り、保栄茂グスクを確保するのは難しい。ちょっと待て。阿波根グスクを築いた石屋は島尻大里にいるのか」とサハチはウニタキを見た。
「石屋の親方はテサンという名前で、島尻大里にいる。親方の弟はテスといって豊見グスクにいる。末の弟のテハが情報集めをしているんだ。テハはアミーの父親の中程大親(なかふどぅうふや)の弟子で、自分は石屋に向いていないので、サムレーになると言って武芸を始めたようだ。身の軽い男で、そこをシタルーに認められて、石屋の情報網を使って、各地の情報を集めろと命じられたらしい。配下も五十人はいるようだ。今は豊見グスクと島尻大里グスクを行ったり来たりしている」
「そのテハはどっちに付いているんだ?」
「それがわからんのだ。山南王妃の命令で島尻大里に行っているのか、島尻大里の重臣たちの命令で豊見グスクに行っているのか」
「どちらのグスクにも入れるのか」
「以前と変わらず、顔を見ただけで御門番(うじょうばん)は中に入れてくれる」
「阿波根グスクを造った石屋はどっちなんだ?」
「あの時はまだ先代の親方が生きていて、浦添(うらしい)にいたんだ。兄のテサンは島尻大里にいてシタルーに仕えていた。首里(すい)グスクを造るための準備が始まっていて、親方とテサンはそれに従事していた。阿波根グスクはテスに任されたようだ」
「豊見グスクにいる石屋が作ったのなら、弱点もわからんな」
「長年、あそこに住んでいたンマムイ(兼グスク按司)なら弱点を知っているかもしれんぞ」と思紹が言った。
「ンマムイはタブチの甥だ。動かないように釘を刺しておいた方がいいな」とサハチは言った。
「話がそれてしまいました」とファイチが手を上げた。
「そうじゃな。タブチが保栄茂按司を味方にして、山北王の兵がやって来るとなると、大戦(うふいくさ)が始まるじゃろう。豊見グスクは山北王の兵に囲まれてしまう。ヤマトゥの商人たちと交易もできなくなる。山北王の兵は夏までに豊見グスクを落として、タルムイ兄弟と山南王妃も殺される。保栄茂按司が山南王になって、タブチと摩文仁大主は山南王の重臣になって、保栄茂按司を操るという筋書きじゃな」
「中山王はそれをただ見ているのですか」とサハチが思紹に聞いた。
「山北王が出て来れば、山南王妃も中山王に助けを求めるじゃろう」
「すると、山南の地で、中山王と山北王が戦う事になりますよ。山北王も続々と兵を送り込んで来るでしょう」
「南部で戦をしている隙を狙って、山北王が陸路で首里を攻めるかもしれん。厄介な事になりそうじゃ。それに、どっちが勝ったとしても、かなりの損害が出るじゃろう。多くの庶民が殺される。それは絶対に避けなければならんな」と思紹は言った。
「保栄茂按司ですね」とファイチが言った。
「保栄茂按司をタブチ側に渡してはなりません」
摩文仁大主のたくらみを山南王妃に知らせた方がいいな」と思紹が言って、皆がうなづいた。
 誰を山南王妃のもとに行かせるか相談して、手登根大親(てぃりくんうふや)の妻のウミトゥクに決まった。
「この書状は誰が持って行くのですか」とファイチが二つの書状を示した。
「書状を届けたあと、摩文仁大主に殺されるかもしれませんよ」
 確かに危険だった。摩文仁大主がタブチに内緒で山北王に書状を送ったとすれば、その事を知っている者は消されるだろう。
 ウニタキは笑って、「足の速い女子(いなぐ)の行商人(ぎょうしょうにん)に頼むよ」と言った。
「ちょっと待て」と思紹が言った。
「その書状の事じゃが、テーラーは知っているんじゃないのか」
「小渡ヌルが今帰仁に来た時、テーラーはまだ今帰仁にいました。もしかしたら、山北王から話を聞いているかもしれません」
「知っているとすれば、テーラーの方から摩文仁大主に接触するという事も考えられる。テーラーをよく見張っていた方がいいぞ」
 ウニタキはうなづいた。
 ファイチが本物そっくりの芋版を作って、元のように戻し、ウニタキはそれを持って出て行った。


 ウミトゥクが持って来た中山王の書状を読んで摩文仁大主のたくらみを知った山南王妃は、保栄茂按司の家族を密かに豊見グスクに移した。山北王の兵はそのままグスクを守っているが、本部(むとぅぶ)のテーラーは保栄茂按司と一緒に豊見グスクに移っていた。糸満グスクを攻めていた保栄茂按司の兵も、豊見グスクのサムレー大将の我那覇大親(がなふぁうふや)に変わった。
 下痢が治った長嶺按司は何度もグスクから出ようと試みたが、包囲陣の守りは堅く、負傷兵が増えるばかりでグスクから出る事はできなかった。
 保栄茂按司を味方に引き入れるために、摩文仁大主は保栄茂按司の武術師範だった真壁大主(まかびうふぬし)に書状を書かせた。
 真壁大主は山グスク大主(先代真壁按司)の弟で、武芸の修行に励んで、強い師匠を探すために旅に出た。浦添の城下で、シラタル親方の弟子と出会って師と仰いで修行を積んだ。師匠の娘を妻に迎えて、浦添のサムレーとして察度に仕えたが、師匠が亡くなったのを機に故郷に戻って山南王に仕えた。山南王に仕えて六年後、今帰仁合戦が起こって、そこで活躍して武術師範役になっていた。兄の豊見グスク按司と兼グスク按司は中程大親から武芸を習ったが、中程大親が足を負傷してしまったため、保栄茂按司は真壁大主から習っていた。
 真壁大主の書状は石屋のテハに頼んで保栄茂グスクに届けさせたが、いつまで経っても返事は来なかった。
 石屋のテハというのが曲者(くせもの)だった。シタルーが情報集めのために使っていて、重臣たちもテハを使う事が許されていた。今回の戦でも、敵の動きを調べるために活躍している。重臣たちはテハと王妃がつながっている事を知らなかった。
 テハは王妃に弱みを握られていた。シタルーが粟島で兵を育てようと考えて、粟島を視察しに行った留守、テハはシタルーの側室のマクムに手を出して、その現場を王妃に見られてしまったのだった。シタルーにばれたら首が飛ぶし、テハの妻は重臣の新垣大親の妹なので、妻にばれても命はなかった。
 マクムは中山王が贈った側室で、ウニタキの配下だった。石屋の事を調べろと命じられていて、マクムはテハに近づいたのだった。
 弱みを握られたテハはその後、王妃の言いなりになって、シタルーと座波(ざーわ)ヌルの事を調べたりもしていた。今回も重臣たちの命令に従いながらも、それらはすべて王妃の耳に入っていた。シタルーが亡くなったので、一つの弱みは消えたのだが、妻に知られたら義兄の怒りを買う事になる。それに、テハはマクムに惚れていて、王妃は好きにすればいいと言った。今、マクムは娘と一緒に豊見グスクにいる。その娘はもしかしたら、テハの子供かもしれなかった。
 首里の龍天閣(りゅうてぃんかく)では、山南王の進貢船が帰って来るまでは戦の動きはないだろうと、戦評定(いくさひょうじょう)は解散となった。思紹は真武神の神像彫りを再開して、ファイチは久米村に帰って、サハチも島添大里(しましいうふざとぅ)に帰った。サグルーは兵を率いて長嶺グスクに出陣していて、イハチが島添大里グスクを守っていた。
 サハチがナツに今の状況を話していたら、奥間(うくま)のサタルーがやって来た。ナナはまだ帰って来ないのに何の用だろうと、侍女に連れられてやって来たサタルーの連れを見てサハチは驚いた。子供の頃に見たクマヌ(先代中グスク按司)にそっくりだった。
「サンルーです」とサタルーは連れを紹介した。
「『赤丸党(あかまるとー)』のお頭です。お世話になったウニタキ殿に恩返しがしたいとやって来ました。俺たちにも何か手伝わせてください」
 サンルーはサハチを見て、頭を下げた。
 まるで、クマヌが生き返ったようだとサハチは思った。若い頃のクマヌを知っている者なら誰もが驚くに違いない。
「そうか。ありがとう」とサハチは言って、「何人、連れて来たんだ?」と聞いた。
「二十人です。田舎から出て来た杣人(やまんちゅ)という格好で今、城下を散策しています」とサンルーが言った。
 声までクマヌにそっくりで、サハチは嬉しくなった。山伏の格好をさせて、思紹に会わせたら腰を抜かすだろうと思うと自然と笑みがこぼれてきた。
「すまない」と笑った事を謝って、「あまりにお前が親父にそっくりなので、びっくりしたよ」とサハチは言った。
「親父が亡くなる前、奥間に来ました。母に呼ばれましたが、俺は会いませんでした。会っておけばよかったと後悔しております」
「そうか。会わなかったのか」
「子供の頃のおぼろげな記憶しかありません。俺を育ててくれた父に申し訳なくて、会う事はできませんでした。その時、父はすでに亡くなっていましたが、父を裏切るような気がしたのです」
 サハチはうなづいた。
「クマヌはお前が『赤丸党』を作った事を喜んでいたよ。ウニタキが来る前、クマヌは裏の組織を作ろうとしていたんだ。でも、クマヌはサムレーたちの総大将になったので、裏の組織の事はウニタキに任せたんだよ」
 サハチはナツに、城下の屋敷をサタルーたちに使わせるための準備をするように頼んだ。ナツはうなづいて出て行った。ナツと入れ替わるように侍女がお茶を持って入って来た。
 侍女が去って行くと、「戦はどんな状況ですか」とサタルーが聞いた。
「今は膠着(こうちゃく)状態だ。山南王の進貢船が帰って来たら動きが変わるだろう。それまでは首里見物でもしていろ」
「進貢船はいつ帰って来るのです?」
「来月だ。来月の半ば頃だろう」
「随分と間がありますね」
「戦は長引きそうだ」とサハチは笑った。
 その夜、城下の来客用の屋敷で、『赤丸党』の歓迎の宴(うたげ)が開かれ、ウニタキ、奥間大親の長男のキンタ、佐敷大親、佐敷ヌル、サスカサ(島添大里ヌル)、ユリが招待された。ハルとシビーは呼んでいないのに、佐敷ヌルと一緒に来た。
 佐敷ヌルと佐敷大親はサハチと同じようにサンルーを見て驚いた。佐敷大親にはもう一つ驚く事があった。『赤丸党』に佐敷大親の息子、クジルーがいたのだった。クマヌほどは似ていないが、目元は佐敷大親にそっくりだった。
 佐敷大親は腰を抜かさんばかりに驚いた。奥間に息子がいたなんて夢にも思っていなかったようだ。
「クミの息子なのか」と佐敷大親はクジルーに聞いた。
 クジルーはうなづいた。
「母は俺を身ごもったまま、猟師の親父に嫁いだのです。俺は猟師の息子として育ちました。十五の時に、お頭に呼ばれて、厳しい修行に耐えて『赤丸党』に入りました。俺が『赤丸党』に入った時、母から本当の父親の事を聞きました。猟師の親父もその事は知っていました。知っていながら、俺を育ててくれたのです。本当の父親は若様(うめーぐゎー)の父親の弟だから、お前は若様をお守りしなければならない。奥間のために働いてくれと言われました」
「クミが兄貴の子を産んだのか」とキンタが驚いていた。
「クミを知っているのか」と佐敷大親がキンタに聞いた。
「幼馴染みです。佐敷に来る前、お姉(ねえ)はクミと仲良しでした」
「何という事だ。この事はキクには内緒にしてくれ」
 キンタはうなづいて、「でも、兄貴がお姉と一緒になる前に、クミと会っていたなんて驚きです」と言った。
 佐敷大親はサハチ、ウニタキ、佐敷ヌルたちにも両手を合わせて口止めを頼んだ。そんな慌てている佐敷大親を見るのは久し振りで、サハチは見ていて面白かった。
 キンタはサンルーを知っていて、サンルーが『赤丸党』を作ろうと思ったのも、キンタからウニタキの『三星党(みちぶしとー)』の事を聞いたからだった。キンタの紹介でウニタキと会って、ウニタキのもとで二年間、修行を積んだのだった。『赤丸』というのは奥間の御先祖様で、奥間にはアカマルのウタキ(御嶽)もあった。
 楽しい一夜を過ごした奥間の若者たちは、翌日、ウニタキとキンタに連れられて首里へと向かった。


 戦の進展はほとんどなく、半月余りが過ぎた十一月十二日、山南王の進貢船がようやく帰って来た。進貢船はいくつもの護衛船に囲まれて、国場川(くくばがー)に入って行った。
 首里に呼ばれたサハチが龍天閣に行くと、思紹、ウニタキ、ファイチ、苗代大親(なーしるうふや)、奥間大親、ヒューガ(日向大親)が顔を揃えていた。
「タルムイが勝ったようだな」とサハチは言ったが、そんな単純な事ではなかった。
「進貢船の護衛をしていたのは照屋大親糸満大親、豊見グスク按司小禄按司の水軍たちだったんじゃよ」とヒューガが言った。
 サハチにはわけがわからなかった。
「照屋大親糸満大親は寝返って、タルムイ側になったようだ」とウニタキが言った。
「どうして、急にそんな事になったんだ?」
「お前が来る前に話していたんじゃが、どうやら、照屋大親糸満大親は最初から王妃側だったようじゃ。進貢船を奪い取るために、わざと島尻大里グスクに残ったんじゃよ。タブチは進貢船の事は二人に任せていたようじゃからのう」
「何という事だ」とサハチは思紹の顔を見て、首を振った。
「山南の王妃様(うふぃー)はなかなかの策士のようじゃな」と思紹は笑った。
「照屋大親糸満大親は以前から王妃と仲がよかったのか」とサハチはウニタキに聞いた。
「二人と特に仲がよかったわけではないが、山南王妃はウミンチュ(漁師)たちに慕われているんだよ。俺の配下で島尻大里をずっと探っているアカーという奴がいるんだが、奴から聞いた話だと、山南王妃はウミンチュたちのために、色々とやっていたらしい。シタルーが山南王になって、初めて進貢船を送って、その船が無事に帰って来た時、シタルーは船に乗っていた家臣たちをねぎらうために帰国祝いの宴を開いた。その時、山南王妃は船乗りたちは呼ばないのとシタルーに聞いたそうだ。先代の山南王も呼ばなかったからいいんじゃないのかとシタルーは答えたらしい。山南王妃は宴を抜け出して港に行ったんだ。照屋大親が振る舞ってくれたと言って、船乗りたちは思い思いの所に座り込んで酒を飲んでいた。酒の肴(さかな)もお粗末な物だったそうだ。船乗りたちはキラマの島から来ているウミンチュも多く、粗末な小屋で寝泊まりしていたようだ。山南王妃は半年も明国に行って来たのに、あまりにも可哀想だと思って、グスクから酒と料理を運ばせたという。その後、山南王妃はウミンチュたちが寝泊まりできて、一緒に酒盛りができる大きな屋敷を建てて、ウミンチュたちに使わせた。いつしか、その屋敷は『鳥御殿(とぅいうどぅん)』と呼ばれるようになったんだ」
「鳥御殿?」
「トゥイは山南王妃の名前だそうだ」
「そんな事があったのか。しかし、察度の娘だった山南王妃がウミンチュの面倒を見ていたなんて意外だな」とサハチが言うと、
「察度の娘だからウミンチュを大切にしたのかもしれんぞ」と思紹は言った。
「察度もウミンチュたちに慕われていたんじゃよ。察度は若い頃、ヤマトゥまで行って倭寇(わこう)として暴れていた。中山王になっても、ウミンチュたちは仲間だと思っていたのかもしれん。そんな父親を見て、山南王妃は育ったのだろう」
「照屋大親糸満大親も、ウミンチュたちが王妃を慕っていたら、王妃に敵対する事はできませんね。これは見習わなければなりません」とファイチは言った。
「これで、二隻の進貢船も、糸満の港も山南王妃のものとなった。タブチにはもう勝ち目はないじゃろう」
 アカーがやって来て、今の状況を知らせた。
 タルムイの兵六百人が豊見グスクから出陣した。総大将は波平大主(はんじゃうふぬし)で、保栄茂グスクと阿波根グスクを攻めていたタブチの兵は、敵兵の多さに驚き、撤収して大(うふ)グスクに逃げ込んだ。タルムイの兵は糸満川を越えて、照屋グスクと糸満グスクを守るために大規模な陣地を構築している。タブチの兵は大グスクから出る事なく、様子を見守っているという。

 

 

 

沖縄二高女看護隊 チーコの青春

2-127.王妃の思惑(改訂決定稿)

 島添大里(しましいうふざとぅ)グスクに集まった東方(あがりかた)の按司たちは、今度こそ、タブチ(先代八重瀬按司)に山南王(さんなんおう)になってもらおうと声を揃えて言った。その中にンマムイ(兼グスク按司)もいた。
「お前が何で、ここにいるんだ?」とサハチ(中山王世子、島添大里按司)はンマムイに聞いた。
 タブチから援軍依頼が届いて、それを知らせに来たら、東方の按司たちが集まっていたので、一緒に待っていたという。
「お前は東方ではないだろう。首里(すい)の南風原(ふぇーばる)にいるんだから、兼(かに)グスクは中山王(ちゅうざんおう)の領内だ」
「俺もそう思ったんだけど、タブチは東方だと思っているようなんで、それを確認に来たんです。俺はグスクを守っていればいいんですね?」
「今の所はな。今後の展開によっては、今帰仁(なきじん)に行ってもらう事になるかもしれない。その時は頼むぞ」
 ンマムイはうなづいて、「チヌムイが山南王を倒したなんて驚きましたよ。真剣に修行を積んでいたけど、まさか、敵討ちのためだったなんて知らなかった。八重瀬(えーじ)グスクが敵兵に包囲されているようですけど、チヌムイは八重瀬グスクにいるのですか」とサハチに聞いた。
「まだ、どこにいるのかわからんのだ」とサハチは言った。
「タブチは島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスクにいるんじゃな?」と知念按司(ちにんあじ)が聞いた。
「タブチは八重瀬ヌルだけを連れて、島尻大里に乗り込んだようです。その後、兵の移動はありませんから、八重瀬グスクは二百人の兵で守られているはずです。そう簡単には落ちないでしょう」
「それでタブチは八重瀬の救援ではなくて、長嶺(ながんみ)グスクを攻めろと言ってきたんじゃな。中山王にとっても、あのグスクは目障りじゃろう。わしらで奪い取ってやろうじゃないか」
 皆が知念按司の言葉に賛同した。
 東方の按司たちにとって、タブチには世話になっているが、タルムイ(豊見グスク按司)とは縁がなかった。シタルー(山南王)は常に敵だったし、その息子が山南王になるより、タブチがなった方がいいと思うのは当然の事だった。
 玉グスク按司の弟、百名大親(ひゃくなうふや)の妻はタブチの四女で、知念按司の三女はタブチの三男の新(あら)グスク大親に嫁いでいる。垣花按司(かきぬはなあじ)の妹はタブチの次男の喜屋武大親(きゃんうふや)に嫁ぎ、糸数(いちかじ)の若按司の妻はタブチの五女だった。大(うふ)グスク按司の叔母はタブチの側室になってマカミーを産んで、マカミーは与那原大親(ゆなばるうふや)の妻になっている。誰もがタブチと関係を持っているが、シタルーと関係のある者はいなかった。強いて言えば、糸数按司の妻は察度(さとぅ)(先々代中山王)の娘なので、シタルーとは義兄弟の間柄だが、糸数按司が島尻大里や豊見(とぅゆみ)グスクに出入りしていた事実はなかった。
 全員がタブチを応援しているのに、やめろとはサハチには言えなかった。やめさせる正統な理由は見つからなかった。
 全員一致で、タブチに援軍を送る事に決まって、各自、戦仕度(いくさじたく)をするために帰って行った。
 廊下に飾ってある水墨画を眺めながら、「わしも隠居しようかのう」と知念按司がサハチに言った。
「玉グスク按司が亡くなって、垣花按司は隠居したんじゃよ。わしらの時代は終わったと言っておった。わしも今回の戦は倅に任せる事にしよう」
 知念按司は手を振ると帰って行った。知念按司が見ていた水墨画には、山奥の渓流で釣りをしている老人の姿が描いてあった。小舟(さぶに)に乗って、のんびりと釣りを楽しみたいと知念按司は思っているのだろうかと、その後ろ姿を見送った。このグスクを奪い取ったばかりの時、知念按司は血相を変えて怒鳴り込んで来た。あの時の勢いは感じられず、知念按司も年齢(とし)を取ったなとサハチは思った。
 サハチはサグルーと会って状況を説明して、戦の準備をさせた。


 八重瀬グスクを攻めていた兼グスク按司(ジャナムイ)、長嶺按司(ながんみあじ)、瀬長按司(しながあじ)はその夜、城下の家々を焼き払おうとした。
 日が暮れる前、家が燃えやすいように、長嶺按司の兵が藁束(わらたば)を担いで家々に配っていたら、隠れていた敵兵にやられた。十数人の兵が負傷して、二人が亡くなった。敵兵は素早く逃げてしまって捕まえる事はできなかった。
 空き家になっている城下に敵が隠れていたなんて、思いもよらない事だった。長嶺按司は改めて城下の家々を確認させ、火を掛けようとした時、突然、雨が勢いよく降ってきた。篝火(かがりび)も松明(たいまつ)も消えて、兵たちは空き家に逃げ込んだ。
「燃やさなくてよかったのかもしれんぞ」と瀬長按司が言った。
「どうせ、この城下はわしらのものになる。燃やしたら再建が大変じゃ」
「しかし、前回、城下を燃やしたら、グスク内にいる者たちが騒ぎ出して、グスクは落ちました。今回もその手で行こうと思ったのです」と長嶺按司が言った。
「その手を使うのはまだ早い。籠城(ろうじょう)が続いて、閉じ込められている者たちがイライラし出した頃でないと無理じゃ。籠城したその晩に焼いたら、返って、奴らはわしらを憎んで団結してしまうじゃろう」
 一晩中降っていた雨は翌朝にはやんでいた。
 雨宿りに飛び込んだ空き家の水甕(みじがーみ)の水を飲んだ者たちが、下痢に悩まされていた。城下の人たちはグスクに避難する前に、水甕に下痢をする薬を投げ込んだのだった。タブチが明国(みんこく)から持ってきた漢方薬だった。
 その日、豊見グスクで山南王の葬儀が行なわれた。兼グスク按司と長嶺按司は、八重瀬グスクの包囲陣を瀬長按司に任せて豊見グスクに向かった。島添大里にも知らせが届いて、サハチは行かなかったが、手登根大親(てぃりくんうふや)の妻、ウミトゥクが女子(いなぐ)サムレーを連れて豊見グスクに向かった。勿論、ウニタキ(三星大親)の配下も陰の護衛として従っていた。豊見グスクはタブチの攻撃に備えて守りを固めていたが、タブチの兵が攻めて来る事はなかった。
 葬儀から帰って来たウミトゥクは、久し振りに母親に会えたのは嬉しかったけど、父親が亡くなったなんて、今でも信じられないと言った。それと、もう一つ信じられない話を聞いたと言った。
「わたしたちの読み書きのお師匠なんですけど、久し振りにお会いしてお話を聞きました。去年の十月に、二人の娘さんを亡くしてしまったと嘆いていました。なかなか話してはくれませんでしたが、山南王の秘密のお仕事で、島添大里で亡くなったと言いました。わたしには信じられませんでしたが、本当なのでしょうか」
「去年の十月? 娘の名前はわかるのか」とサハチはウミトゥクに聞いた。
「アミーとユーナです」
「何だと? ウミトゥクは二人を知っているのか」
「幼馴染みです」
「そうだったのか‥‥‥」
 サハチは驚いた顔でウミトゥクを見ていた。アミーの父親はシタルーの護衛役だった。当然、シタルーの娘のウミトゥクは知っているだろう。その娘とも親しかったのかもしれない。今まで、どうして気づかなかったのだろう。
「二人は何をしようとして殺されたのですか」とウミトゥクはサハチに聞いた。
「二人は俺を助けてくれたんだよ」とサハチは言った。
「えっ?」とウミトゥクはわけがわからないと言った顔でサハチを見ていた。
「二人は無事だ。生きている。生きている事がわかると山南王に殺されるので隠れているんだ。山南王は亡くなった。もう出て来ても大丈夫だろう」
「本当に、二人は生きているのですか」
 サハチはうなづいた。
「どうして、父がアミーとユーナを殺すのですか」
 アミーが刺客(しかく)だった事は隠しておくつもりだったが、アミーと会えばわかる事なので、サハチはウミトゥクに真相を話した。
「そんな事があったなんて‥‥‥」
 ウミトゥクは目を丸くしてサハチを見つめて、信じられないというように首を振った。アミーが武寧(ぶねい)(先代中山王)を殺した事も、父がサハチを殺そうとした事もウミトゥクには信じられなかった。
「アミーはその時の借りを返してくれたんだよ」
「父を裏切って、按司様(あじぬめー)を助けたのですね?」
「二人は俺の命の恩人だよ」
「ユーナが島添大里グスクの女子サムレーだったなんて驚きました。あたし、何度か、佐敷ヌル様のお屋敷に行った事がありますけど、ユーナに会った事はありません」
「ユーナは山南王の間者(かんじゃ)だったから、お前に会うとすべてがばれてしまうと思って、会わないようにしていたのだろう」
「もし、会ってもわからなかったかもしれないわね。あたしが知っているユーナはまだ十二歳だったもの。でも、どうして、アミーは刺客になって、ユーナは間者になったのでしょう」
「わからんが、父親が動けなくなってしまって、父親の代わりに頑張ろうと思ったんじゃないのかな」
 ウミトゥクはうなづいて、「二人に会いたいわ」と言った。
「もうすぐ、会えるだろう」
 サハチはウミトゥクからアミーとユーナの事を聞いた。
 ウミトゥクのお師匠は『中程大親(なかふどぅうふや)』という名前で、シタルーと同い年だった。重臣の息子で、幼い頃からシタルーと一緒に育って、共に武芸の修行に励んだ仲だった。ウミトゥクとアミーは、アミーの方が一つ年上で、幼い頃はよく一緒に遊んでいた。豊見グスクに移ったばかりで、まだ、城下には家臣たちの屋敷もなく、グスクの屋敷で、按司の家族も家臣の家族も一緒に暮らして、城下造りに励んだのだった。
 シタルーが明国に留学した時は、中程大親も護衛役として一緒に明国まで行き、シタルーを国子監(こくしかん)に送り届けて、翌年帰って来た。シタルーの留守中はシタルーの子供たちに読み書きを教えたり、タルムイたちに武芸を教えていた。
 中程大親は男の子に恵まれなかった。それでも、アミーは武芸の才能があり、アミーも武芸の稽古をするのが好きだった。ウミトゥクもそんなアミーを見て、自分もやろうと思ったが、あまりにも厳しい修行なので、自分には無理だと諦めた。
 山南王だった祖父が亡くなって、父と伯父のタブチが争いを始め、その時の戦で、中程大親は足に怪我をしてしまった。何とか歩く事はできるが走る事はできない。護衛役を引退して、子供たちに読み書きを教えるお師匠になった。ウミトゥクがお嫁に行く時、アミーとユーナは家族と一緒に島尻大里の城下で暮らしていた。その後の二人の事はまったく知らない。二人ともサムレーの妻になって幸せに暮らしていると思っていた。中程大親は三年前に豊見グスクの城下に移って、若按司の指導をしているという。
「戻って来たら、ユーナを手登根の女子サムレーに迎えます」とウミトゥクは言った。
 サハチは笑って、「島添大里の女子サムレーたちもユーナが戻って来るのを待っているよ」と言った。
「そうなんですか。みんなから好かれていたのですね。それじゃあ、アミーをいただきます」
「アミーはキラマ(慶良間)の島で若い娘たちを鍛えているのが楽しいと言っていたよ」
「アミーらしいわね。あたしも佐敷にお嫁に来る前、アミーから剣術と弓矢を教わったのです。今思えば、アミーと一緒にお稽古を続けていたら、もっと強くなっていましたね」
 ウミトゥクは軽く笑ったあと、真顔になって、
「それで、戦が始まるのですね」と聞いた。
 サハチはうなづいて、「クルーは留守だがグスクを守ってくれ」と言った。
「かしこまりました」とウミトゥクは力強くうなづいた。
 いつの間にか、ウミトゥクも立派な奥方様(うなじゃら)になったなとサハチは思った。
 ウミトゥクは帰って行った。父親の死よりもアミーとユーナの死の方が、ウミトゥクには衝撃だったようだ。そして、クルーの妻として、何をやるべきかをちゃんと心得ていた。


 シタルーの葬儀の次の日、戦は再開した。
 タルムイが糸満川(いちまんがー)(報得川)を越えて、照屋(てぃら)グスク、糸満グスク、大グスクを攻めると、タブチも糸満川を越えて、阿波根(あーぐん)グスクと保栄茂(ぶいむ)グスクを攻めた。東方の按司たちもタブチを支援するため長嶺グスクを攻めた。小競り合いはあちこちで行なわれたが、敵が攻めて来ると皆、グスクに籠もってしまい、グスクを攻める方も無駄な弓矢を射る事もなく、長期戦を覚悟して陣地造りに精を出していた。
 豊見グスクにいる山南王妃(トゥイ)は石屋のテハを使って、島尻大里の城下に噂を流させた。タルムイが攻めて来た時、グスク内に避難した人たちは城下に戻って状況を見守っていた。戦は糸満川の周辺だけだと少し安心して、いつもの生活に戻っていた。
 石屋によって流された噂は、『八重瀬按司(えーじあじ)は山南王を殺して、王妃様(うふぃー)まで殺そうとした。王妃様は逃げて豊見グスクに入った。明国の皇帝(永楽帝)から賜わった山南王の『王印』は王妃様が持っている。王妃様によって、豊見グスク按司のタルムイが山南王に任命された。今後、山南王がいるのは島尻大里グスクではなく、豊見グスクである』というものだった。
 タブチはその噂を聞いて驚き、『王印』がなくなっている事に初めて気づいた。『王印』がなければ山南王として進貢はできなかった。何としてでも取り戻さなくてはならなかった。
 進貢船(しんくんしん)が国場川(くくばがー)に泊まっていて、タルムイの兵が抑えている事をタブチは知っていた。何も慌てて、その船を奪い取る必要もなかった。その船を守るためにタルムイの兵が減るのは、返って都合がよかった。もう一隻、明国から帰って来る船は、必ず奪い取らなければならなかった。その事は重臣の照屋大親(てぃらうふや)と糸満大親(いちまんうふや)に頼んであった。二人は水軍を持っているので、帰って来た進貢船を糸満沖に誘導してくれるだろう。
 『王印』を取り戻すのは難しかった。警戒厳重な豊見グスクに忍び込む事はできないだろう。
 ふと、タブチはシタルーに贈った側室のカニーを思い出した。八重瀬に帰したのだが、若ヌルがいないと言って、侍女を連れて、また戻って来ていた。敵が攻めて来た時、八重瀬グスクには入らず、隠れながら逃げて来たという。
 若ヌルのミカはチヌムイと一緒にブラゲー大主(うふぬし)に預けてあるが、今、どこにいるのかタブチも知らなかった。居場所を調べるから待っていろと言って、以前に使っていた東曲輪(あがりくるわ)内の御内原(うーちばる)の部屋で待っていた。
 カニーも二人の侍女もミカの弟子だった。ミカが女子サムレーを作ると言って鍛えていた娘たちの中から三人を選んで、シタルーのもとに送ったのだった。刺客を務めるほどの腕はないが、王妃に近づく事はできるはずだった。八重瀬に帰ったが、グスクは敵に囲まれていて入れないので、王妃を頼って来たと言えば豊見グスクに入れてくれるだろう。どうして、島尻大里に帰らないのかと聞かれたら、山南王を殺したタブチを恨んでいると言えば何とかなるだろうと思った。
 タブチは御内原に行って、カニーと会い、重大な指令を与えた。


 首里(すい)グスクの龍天閣(りゅうてぃんかく)で、噂を耳にしたサハチたちも驚いていた。
「山南の王妃もやるのう」と思紹(ししょう)が言った。
「とっさの時に、『王印』を持ち出すなんて、よく思いついたものじゃ」
「山南王妃は察度の娘ですから、『王印』の重要さを心得ていたのでしょう」とファイチ(懐機)が言った。
 来月の進貢船が中止になったので、ファイチも腰を落ち着け、龍天閣に滞在して、戦の成り行きを見守っていた。
「タブチは今頃、大慌てじゃろうな。山南王になっても『王印』がなければ、進貢船が出せんからのう」
「そろそろ四月に送った進貢船が帰って来る頃です。その船をどっちが奪い取るかで、今後の状況は変わります。ヤマトゥ(日本)の商人たちと取り引きができる方が本当の山南王と言えるでしょう」とファイチは言った。
 サハチは絵地図を見ながら考え込んでいた。
「山南王妃が言う事も一理ありますね」とサハチは言った。
「何も、島尻大里グスクにこだわる事はないのです。中山王が浦添(うらしい)から首里に移ったように、山南王も島尻大里から豊見グスクに移ればいいのです。必要のない島尻大里グスクは焼き払ってしまえばいい」
「何じゃと?」と思紹が驚いた顔でサハチを見た。
「山南王妃は島尻大里グスクの事は、すでに棄てに掛かっているようです。山南王妃が今、攻めているのは照屋グスクと糸満グスクです。糸満の港を手に入れようとしているのです。港さえ抑えれば交易ができます。たとえ、領地が狭くても交易さえできれば、のちになって按司たちは付いてきます。交易ができないタブチは皆から見捨てられるでしょう」
「成程のう」と思紹はうなづいたが、「しかし、照屋グスクと糸満グスクを落とすのは簡単ではないぞ」と言った。
「長期戦になったとしても、戦をしているので、糸満の港は使えません。ヤマトゥの商人たちは皆、国場川に集まって来るでしょう。豊見グスクは交易ができます」
「そうか。焦って落とす必要もないわけじゃな」
 思紹は唸って、「凄い事を考えるもんじゃのう。察度の娘だけあって、恐るべき女子(いなぐ)じゃな」と言った。
「王妃がそのまま、山南の女王になればいいんじゃないですか」とファイチが言った。
「山南女王か。そいつは面白い」と思紹は楽しそうに笑った。
 サハチも笑いながら、山南王妃は凄い女だと思っていた。サハチは今まで一度もシタルーの妻に会った事はなかった。シタルーからも妻の事は聞いた事がない。もしかしたら、山南王妃はシタルーの陰の軍師として、シタルーを支えてきたのではないかと思った。
 奥間大親(うくまうふや)が入って来た。
「何か動きがあったのか」と思紹が聞いた。
「特に動きはありませんが、八重瀬グスクを包囲している兵たちが下痢に悩まされているようです」
「悪い物でも食ったのか」と思紹が聞いた。
「それはわかりませんが、戦をしているのか、厠(かわや)に通っているのかわからない状況で、おまけに厠で殺される者もいるようです」
「何じゃと?」
「新(あら)グスクの兵が密かに活躍しているようです」
 十二年前、八重瀬グスクが敵兵に囲まれた時、新グスクは出城として数人の兵が守っているだけだったが、今はタブチの三男が新グスク大親を名乗って、五十人前後の兵を持っていた。その兵が後方攪乱(こうほうかくらん)をやっているようだった。
「阿波根グスクと保栄茂グスクはどんな状況じゃ?」
「阿波根グスクは伊敷按司(いしきあじ)と玻名(はな)グスク按司の兵が攻めています。保栄茂グスクは米須按司(くみしあじ)と真壁按司(まかびあじ)です。どちらも兵力は二百人といった所です。保栄茂グスクを守っているのは山北王(さんほくおう)の兵五十人のようで、保栄茂按司はその他の兵五十人を引き連れて、糸満グスクを攻めています。粟島(あわじま)(粟国島)からも若い兵が続々とやって来ていて、糸満グスク攻め、照屋グスク攻め、大グスク攻めに加わっています」
「粟島の兵がタルムイ側に付いたのか。やはり、山南王妃は知っていたようじゃのう。タブチにとっては計算外じゃろうな」と絵地図を見ながら思紹が言った。
「照屋グスクは波平大主(はんじゃうふぬし)と粟島の兵、糸満グスクは保栄茂按司と粟島の兵、大グスクは小禄按司(うるくあじ)です。こちらの兵力はどこも百人くらいです」
「長嶺グスクの様子はどうです?」とサハチは聞いた。
「陣地作りに励んでいます。東方の大グスク攻めの時にファイチ殿が考えた高い櫓(やぐら)を作って、グスク内を見張っています。グスク内には百人の兵と城下の者たちが避難しているようです。櫓が立った時、グスク内から弓矢の攻撃がありましたが、楯に防がれて無駄だと思ったのか、以後、攻撃もなく、今の所、負傷兵も出ていません」
「タブチは島尻大里の兵は使ってはいないのですね?」とサハチは奥間大親に聞いた。
「島尻大里グスクには三百の兵がいると思いますが、動いてはいません」
糸満川を越えて、糸満、照屋、大グスクを攻めているタルムイの兵が危険だな」とサハチは言った。
「夜襲でも掛けるか」と思紹が言った。
「それは阿波根グスクと保栄茂グスクを攻めているタブチの兵も同じです。豊見グスクの兵は動いていません」とファイチは言った。
「豊見グスクにも粟島の兵が加わって三百はいるかもしれません」と奥間大親が言った。
「今夜が見物(みもの)ですね」とファイチが言った。
 ファイチが期待した見物は起きなかった。夕方、糸満グスク、照屋グスク、大グスクを包囲していたタルムイ軍は撤収して、糸満川を渡って賀数(かかじ)グスクに入った。それを知ったタブチの兵は挟み撃ちを恐れて、保栄茂グスク、阿波根グスクから撤収して、糸満川を渡って、大グスクに入った。大グスクで、撤収して行く小禄の兵を追撃したタブチの兵が数人、伏兵(ふくへい)にやられたほかは戦はなく、糸満川を挟んで睨み合いが続いた。

 

 

 

藤吉郎伝 若き日の豊臣秀吉   時は今… 石川五右衛門伝

2-126.タブチとタルムイ(改訂決定稿)

 長い一日が終わった翌日、戦(いくさ)が始まった。
 ウニタキ(三星大親)の報告によると、タブチ(先代八重瀬按司)はシタルー(山南王)の側室や子供たちを島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスクから出して、タルムイ(豊見グスク按司)に味方したい重臣たちや豊見(とぅゆみ)グスク出身のサムレーたちも出て行かせたという。
 重臣で出て行ったのは、賀数大親(かかじうふや)と兼(かに)グスク大親だった。二人とも本拠地が糸満川(いちまんがー)(報得川(むくいりがー))以北にあるので、タブチ側に付いたら本拠地を失ってしまうからだった。サムレーたちの総大将を務めていた波平大主(はんじゃうふぬし)も五十人の部下を引き連れて豊見グスクに行った。シタルーの護衛を務めていた二人のサムレーは波平大主の部下だった。部下を殺したタブチのもとにはいられないと王妃のもとへと行った。波平大主の兄は重臣の波平大親(はんじゃうふや)で、兄弟で敵味方に分かれる形になった。
 シタルーの娘のマアサも自分が育てた十人の女子(いなぐ)サムレーを連れて豊見グスクに向かった。マアサの母親は王妃ではなく、側室だった。重臣の国吉大親(くにしうふや)の妹で、母は二人の弟と一人の妹を連れて国吉グスクに帰って行った。チヌムイが父親を殺した事を知ったマアサは驚いた。父親かチヌムイの母親を殺していた事を知って、さらに驚き、頭の中は混乱していた。父の敵(かたき)としてチヌムイを討たなければならないと思いながらも、チヌムイと共に修行を積んだ楽しい日々を忘れる事はできなかった。母のもとではなく豊見グスクに行ったのは、王妃がマアサを理解してくれたからだった。マアサが女子サムレーを作りたいと言った時、父はあまりいい顔をしなかったが、王妃は賛成してマアサを助けてくれた。マアサは王妃を守るために女子サムレーを率いて、王妃のもとへと行った。それだけでなく、兄たちがチヌムイをどうするのかも気になっていた。
 シタルーの側室で残ったのは、二年前にハルのお返しとして、サハチ(中山王世子、島添大里按司)がシタルーに贈ったマフニだけだった。シタルーとの間に子供はなく、ウニタキの配下なので、グスク内の様子を探るために残っていた。もう一人、ウニタキの配下のマクムがいたが、娘を連れて豊見グスクに行った。豊見グスク内の様子を探るためだった。マフニと同じ頃にタブチがシタルーに贈ったカニーは八重瀬(えーじ)に帰り、シタルーがタブチに贈ったミユーは、タブチを助けなさいとタブチの正妻のカヤに言われて島尻大里グスクに入った。
 戦が始まったのは八重瀬グスクだった。八重瀬グスクは兼グスク按司(ジャナムイ)と長嶺按司(ながんみあじ)、瀬長按司(しながあじ)(山南王妃の弟)が率いる三百人の兵に囲まれた。
 総大将の兼グスク按司は「チヌムイを引き渡せ」と交渉したが、八重瀬按司になったエータルーは拒絶した。実際、チヌムイは若ヌルと一緒に八重瀬グスク内にはいなかったが、エータルーは匿(かくま)っている振りをした。タルムイの兵を分散させるには、八重瀬グスクに釘付けにしなければならなかった。
 兼グスク按司は総攻撃を命じた。弓矢の撃ち合いで始まったが、守りを固めているグスクに近づく事はできず、一時(いっとき)(二時間)ほどで攻撃は中止され、兼グスク按司は長期戦の覚悟をして、陣地作りを始めた。
 すでに城下の人たちはグスク内に避難していて、兼グスク按司はグスクの近くにある重臣の屋敷を本陣として、長嶺按司、瀬長按司と今後の対策を練った。
 タルムイは保栄茂按司(ぶいむあじ)(グルムイ)、小禄按司(うるくあじ)と一緒に、三百の兵を引き連れて島尻大里グスクに向かった。糸満川に架かった橋を渡ると右側に照屋(てぃら)グスク、左側に大(うふ)グスクが見える。
 糸満川の河口は糸満の港になっていて、糸満グスク、兼グスク、照屋グスクの三つは、交易のための蔵から発展したグスクで、山南王(さんなんおう)の重臣たちが管理していた。
 大グスクは古くからの神聖なウタキ(御嶽)だった。シタルーの父、汪英紫(おーえーじ)が山南王になった時に禁を破って、山の頂上に見張り小屋を建てたのが始まりで、やがてグスクが築かれた。糸満川を利用して八重瀬グスクまで物資が運ばれていたので、それを見張るためだった。シタルーとタブチが対立すると、タブチの船を通さないように見張りが置かれた。島尻大里グスクに入ったタブチと豊見グスクのタルムイが対立したため、大グスクはタブチ側の最前線を守るグスクとなり、タブチは百人の兵を配置に付けていた。
 まだ戦の準備が整っていないのか、大グスクからも照屋グスクからも攻撃はなかった。タルムイの軍勢は警戒しながら島尻大里グスクに向かった。
 敵が攻めて来たと城下は大騒ぎになった。昨日のうちに逃げた人も多いが、もう少し様子を見ようと残っている人も多かった。
 タルムイは進軍をやめて、城下の様子を見守った。なるべく多くの人たちをグスク内に追い込んだ方がこの先、有利だった。
 一時(いっとき)(二時間)ほど待って城下が静かになったのを見届けると、タルムイは大通りを通ってグスクに向かった。弓矢の射程圏外で止まると兵を横に展開した。タルムイに従っていた豊見グスクヌルと座波(ざーわ)ヌルが馬に乗ったまま進み出た。
 大御門(うふうじょー)(正門)の上にある櫓(やぐら)の上からも、石垣の上からも、弓矢を持った兵が二人を見ていたが狙ってはいなかった。敵とはいえ、祟(たた)りを恐れてヌルを殺そうとする者はいなかった。
 大御門が少し開いて、馬に乗った島尻大里ヌルが現れた。島尻大里ヌルは静かに二人のヌルに近づくと、しばらく話をしていた。
 島尻大里ヌルが二人にうなづいて引き下がった。豊見グスクヌルと座波ヌルもタルムイのもとに戻った。
 しばらくして、シタルーの遺体が乗った華麗なお輿(こし)が現れた。お輿を担いでいた四人の兵は先程、ヌルたちが会っていた辺りにお輿を置くと、慌てて引き返した。馬から下りた豊見グスクヌルと座波ヌルがお輿を確認した。
 お輿のすだれを上げるとお香の匂いが漂ってきた。白装束のシタルーが首をうなだれて座っていた。その哀れな姿を見て、豊見グスクヌルも座波ヌルも涙が溢れてきた。でも、こんな所で泣いている場合ではなかった。二人は涙を拭いて、頑張りましょうとお互いの手を握って励まし合った。二人は立ち上がると両手を合わせてお輿の中の山南王に頭を下げ、グスクに向かって頭を下げ、振り返るとタルムイに合図を送った。四人の兵がやって来て、お輿を担いだ。
 お輿を先頭にして、タルムイの兵は引き上げて行った。


 その頃、首里(すい)グスクにはタブチからの書状と山南王妃からの書状が届いていた。
 タブチの言い分は、敵討ちをしたチヌムイの責任を負って、斬られる覚悟で島尻大里グスクに行ったが、重臣たちに説得されて、山南王になる決心をした。チヌムイを助けるには山南王になるしかなかった。突然の事で戸惑いはあるが、立派な山南王になって、南部地方を栄えさせるつもりだと言い、中山王(ちゅうさんおう)に今までの事を感謝して、今後も応援を頼むと書いてあったが、今回の戦には介入しないて欲しいと言ってきた。
 山南王妃の言い分は、山南王を殺した者が、山南王になる事は神様が許さないだろう。山南王の嫡男であるタルムイが山南王を継ぐのが正統なので、応援してほしいが、今回は介入しないでくれと書いてあった。
 龍天閣(りゅうてぃんかく)にはサハチ、思紹(ししょう)(中山王)、苗代大親(なーしるうふや)、ヒューガ(日向大親)、ファイチ(懐機)が集まっていた。
「どちらも介入するなと言ってくるとは意外じゃな」と思紹は言った。
 タブチはともかく、タルムイは援軍の依頼をしてくるだろうとサハチも思っていた。タルムイよりも母親の王妃が主導権を握っているようだった。
「やはり、タブチは死ぬ覚悟で行ったようですね」とサハチは言った。
「しかし、重臣たちはどうして、タブチを捕まえないで、山南王になるように勧めたのでしょう」
「タブチとタルムイを比較して、タブチの方が山南王にふさわしいと考えたのじゃろう。今のタブチなら、充分に山南王を務められる。タルムイではまだ頼りないと思ったのじゃろうな」
「タブチはシタルーの重臣たちと通じていたのでしょうか」
「その辺はわからんが、先代(汪英紫)が亡くなった時、重臣たちはタブチを支持して山南王にしようとした。その時の重臣たちはまだいるはずじゃ。それらの重臣たちにタブチは密かに、明国(みんこく)のお土産を贈っていたのかもしれんのう」
重臣たちは皆、グスクを持っていて、非番の時はグスクにいますから、そんな時に密かに接触していたのかもしれませんね」
「タブチならそのくらいの事はやっていたじゃろう」
「それで、山南王妃ですが、どうして介入するなと言ってきたのでしょう。タルムイは中山王の娘婿なのに」
「中山王が介入すれば、山北王(さんほくおう)も出て来ると思ったのかもしれんな。まもなく北風(にしかじ)が吹く。船で乗り込んで来て、夏まで居座る事になる。中山王と山北王が介入して来たら、戦は大きくなって、被害も大きくなる。庶民たちが苦しむのを見たくなかったのかもしれんな」
「すると、山南王妃は山北王にも介入するなと言ったのじゃろうか」と苗代大親が言った。
「本部(むとぅぶ)のテーラー(瀬底之子)は今、どこにいるんじゃ?」と思紹がサハチに聞いた。
「どこにいるのか知りませんが、島尻大里の騒ぎを聞けば保栄茂(ぶいむ)グスクに行ったのではないでしょうか」
テーラーが山南王妃の書状を持って、今頃、今帰仁(なきじん)に向かっているかもしれんな」
「山北王は動きますかね?」とサハチは誰にともなく聞いた。
「山南王妃に介入するなと言われても、娘婿の保栄茂按司を山南王にしようと考えるかもしれんな」と思紹が言った
「それはうまくないのう」とヒューガが言った。
 思紹はうなづいて、「それだけは絶対に阻止しなくてはならない」と厳しい顔付きで言った。
「山北王の兵がやって来たら海上で防ぎますか」とヒューガが言ったが、
「それもうまくないのう」と思紹は言った。
「山北王と戦をするのはまだ早い。山北王が介入して来たら、わしらもタルムイに援軍を出さなくてはならない。そして、タルムイに山南王になってもらう」
「タブチを倒すのですか」とサハチは思紹に聞いた。
「山北王が出て来たらの話じゃ。今はまだ、様子を見ん事には、わしらがどう動くかは決められん」
「タブチを殺すのは惜しい」とサハチは言った。
「今だけの事を考えるな」と思紹は言った。
「三年後には山北王を攻める。その時、安心して北部に出陣できるような状況にしなければならんのじゃ」
「タブチが山南王になった場合、どうなるのか考えてみましょう」とファイチが言った。
「タブチが勝つという事は、タルムイたち兄弟は敗れるという事じゃな」と苗代大親は言って、絵地図を見た。
「豊見グスク、長嶺グスク、保栄茂グスク、阿波根(あーぐん)グスクはタブチに奪われ、タブチの配下の武将が入る事になる。東方(あがりかた)の按司たちはタブチとつながっているから、タブチが山南王になるのならと山南王の傘下(さんか)に入るかもしれんのう」
「うーむ」と思紹は唸った。
「タブチが山南王になるとシタルーの時よりも勢力が広がるという事か」
「タブチが山南王になれば、交易に力を入れて、今以上に栄えるでしょう」とサハチは言った。
「明国の役人たちとも親しくしているようじゃからのう。海船を何隻も賜わって、一年に何回も行くかもしれん。うまくないのう」
「東方の若按司や家臣たちはタブチと一緒に明国に行っています。タブチが山南王なら従ってもいいと思うかもしれません」
「うまくないのう」と思紹は言ってから、「山南王の進貢船(しんくんしん)はどうなっているんじゃ?」とファイチに聞いた。
「一隻は国場川(くくばがー)に泊まっていて、もう一隻は明国に行っています。来月あたり、帰って来ると思います」
国場川の進貢船はタルムイが抑えているのか」
 ファイチは首を傾げて、「調べてみます」と言った。
「タブチが山南王になると今帰仁攻めは難しくなりそうですね」とサハチは言った。
「東方にある島添大里(しましいうふざとぅ)グスクが狙われそうです」
「いや、南部を支配下に治めたタブチは野望を抱いて、首里グスクを狙うじゃろう。シタルーと同じように山北王と手を結んで、挟み撃ちを考えるかもしれん」
「山北王と手を結ぶとなると保栄茂按司の嫁さんは助け出さなくてはならんな」とヒューガが言った。
「タブチの事じゃから、その辺の事は抜かりなくやるじゃろう」と思紹は言った。
「今度はタルムイが勝った場合を考えてみましょう」とファイチが言った。
「タルムイが勝てば、タルムイは島尻大里グスクに入って山南王になる」と苗代大親が言った。
「タブチに味方した米須按司(くみしあじ)、伊敷按司(いしきあじ)、真壁按司(まかびあじ)、具志頭按司(ぐしちゃんあじ)、玻名(はな)グスク按司、与座按司(ゆざあじ)は滅ぼされる。勿論、八重瀬按司(えーじあじ)もじゃ。それらのグスクにタルムイの配下が入る事になるが、タルムイの配下に按司が務まる人材はおるまい」
「人材以前に、タルムイの兄弟たちが、それらの按司たち全員を倒せるはずはない」とヒューガが言った。
「島尻大里グスクを包囲して置かないと、それらのグスクを攻める事はできない。島尻大里グスクを包囲するのに一千の兵がいる。そして、それらのグスクを倒すのには、さらに一千の兵が必要じゃろう」
「タルムイが勝つには、やはり、援軍が必要じゃな」と思紹は言って、「山南王妃は戦を知らんようじゃな」と笑った。
「それはタブチにも言えます」とファイチは言った。
「阿波根グスク、保栄茂グスクを落とさないと、豊見グスクは攻められません。阿波根グスクと保栄茂グスクを落として、豊見グスクを攻める事ができたとしても、長嶺グスクから妨害されます。シタルーの息子たちを倒すのは容易な事ではありません」
「長期戦になるという事じゃな」
「いっその事、三年間、続けてもらいましょう」とファイチが言って、皆を笑わせた。
「その辺の所は置いておいて、タルムイが勝ったとしましょう。そうなると南部の状況はどうなるでしょう」とファイチは真顔に戻って聞いた。
「タブチたちがいなくなったら、という事じゃな」と苗代大親が言って話を続けた。
「タルムイはまだ若いし、豊見グスクにいたので、父親の仕事を実際に見ていない。山南王になったとしても、何をしたらいいのかもわかるまい。そうなれば、当然、義父である兄貴を頼る事になる。東方の者たちも以前のごとく、中山王に従うじゃろう。山南王の勢力範囲は今と変わらんじゃろう」
「いや」とヒューガが言った。
「タルムイに援軍を送って、中山王の兵が八重瀬グスク、具志頭グスク、玻名グスク、米須グスク、伊敷グスク、真壁グスクを落とせば、それらのグスクに中山王の配下を入れて、山南王の領地を狭める事ができる」
「それじゃ」と思紹は手を打った。
「八重瀬グスク、具志頭グスク、玻名グスク、米須グスクは是非とも奪い取りたいものじゃな」
「タブチを攻めるのですか」とサハチは聞いた。
「その時期が問題じゃな。山南王妃に援軍を頼むと言わせなければならん」と思紹は言った。
 ウニタキ(三星大親)が現れた。
 兼グスク按司、長嶺按司、瀬長按司が八重瀬グスクを攻めた事、タルムイが島尻大里に攻め寄せて、シタルーの遺体を引き取った事を伝えた。
「タルムイは遺体を引き取っただけで引き上げたのか」とサハチが聞いた。
「引き上げた。親父の葬儀をやってから、戦を始めるのだろう。それと、テーラーがタルムイの使者として今帰仁に向かいました」
「やはり、山北王にも介入するなと言うようじゃな」と思紹が言った。
「タブチも山北王に使者を送りました」とウニタキは言った。
「タブチが?」と皆が驚いて、「誰を送ったんだ?」とサハチは聞いた。
「米須の隣り村(じま)にいる小渡(うる)ヌルです」
 誰もが小渡ヌルなんて知らなかった。
「何者じゃ?」と思紹が聞いた。
 小渡ヌルは先々代の越来按司(ぐいくあじ)の娘で、母親が山北王(攀安知)の叔母だとウニタキは説明した。
「そんなヌルが米須にいたなんて知らなかった」とサハチが言った。
「俺も知らなくて、ここに来る前、馬天(ばてぃん)ヌルに聞いてみたんだ。馬天ヌルは知っていた。驚いた事に小渡ヌルはヂャンサンフォン(張三豊)殿の弟子なんだよ」
「何だって!」
 サハチとファイチは顔を見合わせて驚いていた。
「それだけじゃない。佐敷ヌルの弟子でもあるんだ。俺たちが唐旅(とーたび)に出ていた頃、小渡ヌルは島添大里グスクの佐敷ヌルの屋敷に居候(いそうろう)して、剣術を習っていたそうだ。馬天ヌルもその話を聞いて驚き、佐敷ヌルに聞いたら、小渡ヌルの事を覚えていた。ただ、山北王とつながりがあるとは知らなかったようだ。その小渡ヌルだが母親と娘を連れて、『宇久真(うくま)』の女将と一緒に今帰仁に向かった」
「どうして、ナーサを知っているんだ?」
「ヂャンサンフォン殿のもとで一緒に修行を積んだ仲だそうだ。馬天ヌルから聞いたんだが、娘と一緒に小舟(さぶに)に乗って、海に潜って魚を捕っているそうだ。面白そうなヌルだよ」
「タブチも山北王に介入しないように頼んだようじゃな」と苗代大親が言った。
「山北王の動きを探ってくれ」と思紹はウニタキに言った。
「山北王の動き次第で状況は変わってくる」
 ウニタキはうなづいた。
「馬天ヌルは手登根(てぃりくん)から帰って来たばかりだったのですが、島尻大里からの避難民が首里にも大勢来たと言っていました」
「なに、島尻大里の避難民が首里に来たのか」とサハチは驚いた。
 思紹は廊下で待機している女子サムレーを呼んで、避難民たちの世話をするように重臣たちに伝えろと命じた。
 ウニタキが出て行こうとした時、マチルギが現れた。
「島添大里にタブチから出陣要請が来たわよ」とマチルギがサハチに言った。
「何だって?」とサハチは驚いてマチルギを見た。
 マチルギから渡された書状には、東方の按司たちを率いて、長嶺グスクを攻めてくれと書いてあった。サハチは思紹に書状を渡して、
「中山王には介入するなと言って、俺には援軍を送れと言うのか」と言って皆の顔を見た。
「タブチは東方は山南王の領地だと思っているようじゃ」と苗代大親が言った。
「タブチは山南王になったようじゃな」と思紹が笑って、「何と読むんじゃ?」とファイチに書状を見せた。
 書状の最後に『琉球山南王 達勃期』と書いてあった。
「タブチです。明国での名前です。以前は違う字でしたが、漢詩をやるようになって、そのように変えたようです」
 みんなが書状を覗き込んで、「これでタブチと読むのか」と首を傾げた。
「そんな事より、東方の按司たちをどうしますか」とサハチは思紹に聞いた。
「さっきと同じように分析してみよう」と思紹は言った。
「まず、東方の按司たちが長嶺グスクを攻めたらどうなるでしょう?」とファイチが言った。
「タルムイ側が八重瀬グスクを攻め、タブチ側が長嶺グスクを攻める。八重瀬を攻めている長嶺按司は焦るじゃろうな」とヒューガが言った。
「長嶺按司は長嶺グスクに戻るかな」とサハチが言うと、
「戻って来たら道を空けてグスクに入れて閉じ込めてしまえばいい」と苗代大親が言った。
「タブチの狙いはそれですかね」
「そうかもしれんな」と思紹が言った。
「阿波根グスクを攻めれば、兼グスクも引き上げるかもしれん。兼グスク按司も閉じ込めて、保栄茂按司も閉じ込めようとしているのかもしれん。みんなを閉じ込めてから、豊見グスクを攻めるつもりかもしれんのう」
「タブチは長期戦を狙っているのか」とサハチは言った。
「シタルーがたっぷりと兵糧(ひょうろう)を溜め込んで置いたのじゃろう」とヒューガが笑った。
「みんなを閉じ込めてしまえば、島尻大里を包囲する者はいなくなる。タブチは山南王としての仕事を進められる。有利な状況で、中山王、山北王とも交渉ができる」
「もし、長嶺按司や兼グスク按司がグスクに戻らなかったらどうなりますか」とファイチが聞いた。
「やつらは帰る場所を失うわけじゃから、早く戦のけりをつけようと焦るじゃろうな。兄弟が争いを始めるかもしれん。保栄茂按司が、タブチの甘い誘いに乗って、寝返るかもしれんな」
「甘い誘いとは、もしや、保栄茂按司に山南王の座を譲るとでも言うのですか」とサハチはヒューガに聞いた。
「タブチはもはや、昔のタブチではない。明国に行って、色々な事を学んでいるじゃろう。わしは明国の事は知らんが、ヤマトゥ(日本)の鎌倉幕府は、最初だけは源氏の将軍が力を持っていたが、その後は将軍というのは名ばかりで、力を持っていたのは執権(しっけん)という北条(ほうじょう)氏じゃった。タブチも保栄茂按司を山南王として飾って、裏で操るつもりなのかもしれん。保栄茂按司を山南王にすれば、山北王とも同盟ができる。やがて、中山王を挟み撃ちにする事も可能じゃ」
「何と言う事を‥‥‥」とサハチは驚いていた。
 思紹も驚いた顔でヒューガの話を聞いていた。
「それでは、東方がタブチの言う事を聞かなかった場合はどうなるでしょう」とファイチは言った。
「東方は中山王の領内じゃったと認識するじゃろうな」と苗代大親が言った。
「ついこの間までは、八重瀬も具志頭も玻名グスクも米須も東方じゃった」とヒューガが言った。
「東方の八重瀬グスクが攻められているのに、放って置くのかという理屈が成り立つ。現にタブチは明国の正使を務め、かなりの貢献をしていたからのう。理由はどうあれ、世間の人たちは、中山王はどうして八重瀬按司を助けないんだと思うじゃろう」
「八重瀬按司を助けるか‥‥‥」と思紹は独り言のように言った。
「東方の者たちの意見を聞いてみましょう」とサハチは言った。
「皆、婚姻でつながっているので、タブチを助けようと思う者もいるかもしれません。無理に引き留めたら抜け駆けをする者が現れるかもしれません。そうなったら東方は分裂してしまいます」
 思紹はうなづいたが、「お前は動くなよ」と言った。
「お前は島添大里按司でもあるが、中山王の世子(せいし)でもある。お前が参戦すると中山王の介入とみなされる。中山王が介入すれば、必ず、山北王が出て来る」
「わかりました。出陣するような事になったら、サグルーに行かせます」
「サグルーは今、いくつじゃ?」と思紹は聞いた。
「二十四です」
 思紹はうなづいて、「よし、サグルーに行かせろ」と言った。

 

 

 

 

等身大着用 甲冑/鎧 プラスチック製完成品 十二間筋兜桶二枚胴セット(黒) 成人用 コスプレにも最適   紙製甲冑・組み立てキット -超軽量- しのびやオリジナル

2-125.五人の御隠居(改訂決定稿)

 島添大里(しましいうふざとぅ)グスクから豊見(とぅゆみ)グスクに帰ったタルムイは母親(山南王妃)が来ていたので驚いた。
「母上、どうしたのです。父上が見つかったのですか」
「あなたが戻るのを待っていたのですよ。島添大里グスクに何をしに行ったのですか」
「島添大里按司(サハチ)の様子を見に行ったのです。父上の行方知れずに関わっているのではないかと思って」
 王妃は首を振って、「島添大里按司の仕業じゃないわ。八重瀬按司(えーじあじ)(タブチ)の仕業なのよ」と言った。
「伯父上が何かをたくらんだのですか」
「驚かないでね。今朝、早く、八重瀬按司が父上の遺体を運んで来たのよ」
「父上の遺体?」
 王妃はうなづいて、「父上は亡くなったのよ。山南王(さんなんおう)は殺されてしまったのよ」と言って、急に涙ぐんでいた。
「父上が殺された‥‥‥そんな馬鹿な‥‥‥」
 タルムイは信じられないと言った顔で、悔しそうに泣いている母親の顔を見つめていた。
 シタルー(山南王)の正妻、トゥイは察度(さとぅ)(先々代中山王)の娘だった。シタルーの姉が武寧(ぶねい)(先代中山王)に嫁いだ七年後、武寧の妹のトゥイがシタルーに嫁いで来た。トゥイの母親は武寧の母親と同じ高麗(こーれー)美人だった。母親が美人なので、トゥイも色白の美人で、それだけではなく頭も賢く、的を射た事を言うので、シタルーはトゥイを大切にした。トゥイは七人の子供を産んだ。長女は七歳で病死してしまうが、次女のマナビーは豊見グスクヌルになった。長男のタルムイは豊見グスク按司になり、三女のウミトゥクは佐敷に嫁いで、手登根大親(てぃりくんうふや)の妻になった。次男のジャナムイは兼(かに)グスク按司になって、四女のマジニは長嶺按司(ながんみあじ)の妻になり、三男のグルムイは保栄茂按司(ぶいむあじ)になった。子供は皆、按司やその奥方になって、それぞれのグスクで暮らしていた。
 トゥイが嫁いで来た時、シタルーは新(あら)グスクを守っていて、七年近くを新グスクで暮らした。トゥイが育った浦添(うらしい)グスクの御内原(うーちばる)の屋敷と比べたら、小さな屋敷だったが幸せだった。シタルーが大(うふ)グスク按司になると大グスクに移った。大グスクで四年余りを過ごして、シタルーが豊見グスクを築くと、豊見グスクに移って、十三年近くを豊見グスクで過ごした。豊見グスクに移った当初、グスクの周りには何もなかったが、シタルーが『ハーリー』を始めたお陰で、人々が集まってきて、賑やかな城下になっていった。
 シタルーが山南王になって、トゥイは王妃として島尻大里(しまじりうふざとぅ)グスクに入った。トゥイの母親も先妻が亡くなったあとに後妻として迎えられて、察度が中山王(ちゅうざんおう)になった時、王妃になっていた。山南王の王妃になった姿を母に見せたかったが、母は前年に亡くなってしまった。王妃として島尻大里グスクで十二年近くも暮らしているが、何となく馴染めず、豊見グスクに来ると、我が家に帰って来たという安堵感があった。
 トゥイは涙を拭くと気丈な顔付きで、「父上の無念を必ず晴らすのよ」とタルムイに言った。
 タルムイはうなづいて、「父上の敵(かたき)は必ず討ちます」と強い口調で言ったが、涙声になっていた。
 父と最後に会ったのは五日前だった。父は来年、ヤマトゥ(日本)に行って来いと言った。
「わしはヤマトゥに行ってみたかったが、行く事はできなかった。島添大里按司に頼めば、お前を交易船に乗せてくれるだろう。わしが健在なうちにヤマトゥの国をよく見て来い」
 そう言ったのに、急に亡くなってしまうなんて‥‥‥信じたくはなかった。
「敵(かたき)は伯父上なのですね。伯父上は今、島尻大里グスクに捕まっているのですね?」
 トゥイは怒りに満ちた目で首を振った。
重臣たちがまた裏切ったのよ。まったく、情けない人たちだわ。八重瀬按司を捕まえて、蔵にでも閉じ込めるかと思っていたら、何と、八重瀬按司を山南王にする相談をしているのよ。まったく、呆れて物も言えないわ。わたしは身の危険を感じて逃げ出して来たのよ」
「伯父上を山南王にするだって‥‥‥そんな馬鹿な‥‥‥重臣たちは何を考えているんだ」
 浮島(那覇)に行っていた長嶺按司、保栄茂グスクと長嶺グスクの間を探し回っていたジャナムイとグルムイが帰って来た。豊見グスクヌルとタルムイの妻、マチルーも呼んで、トゥイは山南王の死を皆に話した。
「そんな‥‥‥」と言って豊見グスクヌルが泣き崩れた。
「親父が死んだなんて‥‥‥」と皆、信じられないという顔をして、トゥイを見ていた。
「絶対に許せん、八重瀬グスクを焼き払ってしまえ」と長嶺按司が言った。
「島尻大里グスクも奪い返さなくてはならない」とジャナムイが言った。
「敵が守りを固める前に攻めた方がいい」とタルムイが言った。
「戦(いくさ)の前に、父上の遺体を引き取ってください」と豊見グスクヌルが言った。
「そうよ、それが先決よ」とトゥイも言った。
 義父の死を悲しみながらも、マチルーは早くこの事を父の中山王に知らせなければならないと思っていた。
 タルムイは山南王の死を小禄按司(うるくあじ)、瀬長按司(しながあじ)、与座按司(ゆざあじ)、伊敷按司(いしきあじ)、真壁按司(まかびあじ)に伝えて、味方になってくれるように頼んだ。山南王の軍師の立場だった李仲按司(りーぢょんあじ)が明国(みんこく)に行っていて、留守なのは痛かった。
 タルムイが戦の準備をしている時、トゥイに呼ばれた。一の曲輪(くるわ)の屋敷に行くと母は石屋のテハと会っていた。
 山南王に仕えていた石屋の頭領、テサンには弟が二人いて、上の弟のテスは豊見グスクの城下にいてタルムイに仕え、下の弟のテハは山南王のために情報集めをしていた。
 タルムイはテハから島尻大里の城下に流れている噂を聞いた。
「それは事実なのですか」とタルムイはトゥイに聞いた。
「山南王が八重瀬按司の息子に殺されたと聞いたけど、それが敵討ちだったなんて知らなかったわ。たとえ、敵討ちだったとしても、どうして、あの人が悪者にならなければならないの。兄の八重瀬按司から山南王の座を奪い取った悪者にされてしまっているのよ」
「父上がチヌムイという子の母親を殺したというのは事実なのですか」とタルムイは聞いた。
「あの時、このグスクも敵兵に囲まれたわ。あなたも覚えているでしょう。ここが落ちたら、わたしたちが人質になってしまったのよ。八重瀬按司は人質を楯にして、父上に山南王の座から手を引けと言ったでしょう。八重瀬按司の側室が殺されたのも、八重瀬按司が早く決断をしなかったからなのよ。戦で犠牲になった人たちが、一々敵討ちなんてやっていたら切りがなくなるわ」
「親父がそんな非情な事をしたなんて‥‥‥」
「戦自体が非情なものなのよ。敵討ちの事よりも、父上が悪者になっている事に怒りなさい」
 トゥイは部屋の隅でかしこまっているテハを見ると、「誰がこんな噂を流したの?」と聞いた。
糸満(いちまん)のウミンチュ(漁師)のようです」
「ウミンチュですって? ウミンチュがどうして、そんな事を知っているの?」
「今、調べております」
「照屋大親(てぃらうふや)に言われて、糸満大親(いちまんうふや)がウミンチュたちを動かしたのでしょう。照屋グスクも糸満グスクも攻め取った方がいいわね」とトゥイは厳しい顔つきで言った。


 首里(すい)に行ったサハチ(中山王世子、島添大里按司)は龍天閣(りゅうてぃんかく)に顔を出して、思紹(ししょう)(中山王)と会った。思紹は二階の作業場で、慈恩寺(じおんじ)に安置する真武神(ジェンウーシェン)像を彫っていた。まだ粗(あら)彫りだが顔付きがヂャンサンフォン(張三豊)に似ているような気がして、サハチは笑った。
「どうした? 進貢船(しんくんしん)の準備は順調なのか」と思紹は手を休める事なく聞いた。
「どうやら中止になりそうです」とサハチは言って、木屑の中に座り込んだ。
「中止?」
「シタルーが亡くなりました」
「何じゃと?」
 思紹は手を止めて、サハチを見つめた。
「シタルーが亡くなった? 熱病にでも罹ったのか」
「殺されたのです。殺したのはタブチの倅のチヌムイです」
 サハチは事情を説明した。
「シタルーが死んだのか‥‥‥わしより若いのに先に逝くとはのう」
 思紹は若い頃のシタルーを思い出していた。大グスクが落城して、シタルーが大グスク按司になった。シタルーは同盟を結ぼうと言って、守りを固めていた佐敷グスクに乗り込んで来た。佐敷按司だった思紹が断っても、懲りずに何度もやって来た。とうとう思紹は根負けして、同盟ではないが休戦という事で話をまとめたのだった。
 明国に留学して様々な事を学んで、豊見グスクと首里グスクを造ったグスク造りの名人でもあった。山南王になってからは、首里グスクを奪い取る事に執着して、持っている才能を無駄にしてしまったような気がした。
「それで、タブチは山南王になるつもりなのか」と思紹はサハチに聞いた。
「まだはっきりとはわかりません。城下に流れている噂ではそうなります。タブチはまだ島尻大里グスクから出て来ません。捕まってしまったのか、あるいは、山南王になる準備をしているのか‥‥‥」
「タブチは一体、何を考えているんじゃ」と思紹は独り言のように言った。
「兵も引き連れず、ヌルだけを連れて、しかも、頭を丸めて、シタルーの死体を運んだのか」
「まだ夜も明けぬ早朝だったそうです」
「山南王になるつもりなら、前回、親父が亡くなった時のように、島尻大里グスクを占領すればいいじゃろう。前回と同じように、重臣たちはタブチの言い分を理解してくれるじゃろう」
「それもそうですね。タブチは山南王になるつもりはなかったのですかね」
「倅に代わって詫びるつもりで頭を丸めたのか。それとも明国の詩人に憧れて頭を丸めたのか」
「明国の詩人は頭を丸めているのですか」
「明国の禅僧は漢詩に熱中しているとヂャンサンフォン殿が言っておった。明国に行った時、そんな禅僧に出会ってな、詩の事はわしにはわからんが、見事な字を書いておった。流れるような美しい字じゃった。まるで、字が生きているように見えたんじゃよ」
「タブチもそんな禅僧に憧れたのですかね」
 思紹は首を傾げた。そんな父親を見ながら、タブチは密かに、思紹に憧れていたのかなとサハチは思った。
「タブチが何を考えていようと、戦になる事は確実じゃな」
 思紹は立ち上がると木屑を払いながら、「上で戦評定(いくさひょうじょう)じゃ」と言った。
 苗代大親(なーしるうふや)、馬天(ばてぃん)ヌル、マチルギを呼んで、山南王の死を告げた。皆、目を丸くして驚いていた。
「あの子がシタルーを‥‥‥」と言って、マチルギは絶句した。
「チヌムイを知っていたのか」とサハチが聞いた。
「ンマムイ(兼グスク按司)の兼グスクで会ったのよ。明るい子で、敵討ちを考えていたなんて思ってもみなかったわ。『抜刀術(ばっとうじゅつ)』という不思議な剣術の工夫をしていると言っていたけど、その抜刀術でシタルーを倒したのかしら」
「抜刀術というのは慈恩禅師(じおんぜんじ)殿から聞いた事がある」と苗代大親が言った。
「居合(いあい)とも言って、突然の襲撃に遭った時、座ったまま刀を抜いて、一刀のもとに敵を斬る技だと言っていた。チヌムイとやらは、それを立ち技に変えて工夫していたんじゃろう」
「豊見グスクヌルが悲しんでいるでしょうね」と馬天ヌルが言ってから、「ウミトゥクに知らせなければならないわね」とサハチを見た。
「クルーが留守なのに、こんな事になるなんて‥‥‥叔母さん、お願いします」
 馬天ヌルはうなづいて、溜め息をついた。
「いつまでも、シタルーの死を悲しんでいても仕方がない。今後の事を考えるために集まってもらったんじゃ」
 思紹は南部の絵地図を広げた。
「東方(あがりかた)の按司たちには、守りを固めて動くなと言ってあります」とサハチは言った。
「東方の按司たちは皆、タブチと婚姻を結んでいたな」
「大グスク以外は」とサハチは言って、うなづいた。
「米須按司(くみしあじ)、玻名(はな)グスク按司、具志頭按司(ぐしちゃんあじ)、伊敷按司、真壁按司はタブチに付くじゃろう」と絵地図を見ながら思紹が言った。
「中グスクのマナミーが米須に嫁いだばかりなのに、こんな事になるなんて」と馬天ヌルが首を振った。
「何かがあれば、マナミーは必ず助け出す」と思紹は言った。
「タルムイに付くのは小禄按司と瀬長按司だけですね」とサハチは言った。
「しかし、タルムイの弟には兼グスク按司、保栄茂按司がいて、妹婿の長嶺按司がいる。まだ、皆、若いがのう」と思紹は言った。
「与座按司はどっちじゃ?」と苗代大親が聞いた。
「与座按司の妻はタブチの娘ですからタブチに付くでしょう」とサハチは答えた。
 苗代大親はうなづいて、「糸満川(いちまんがー)(報得川(むくいりがー))を挟んでの戦になりそうじゃな」と絵地図の糸満川を示した。
「兵力はタブチの方が有利のようじゃな」と思紹は言ったが、ふと思い出したように、「粟島(あわしま)(粟国島)には何人の兵がいるんじゃ?」とサハチに聞いた。
「確か、ハルが来た二年前、三百人いると言っていました。今は五百人いるかもしれません」
「それがどっちに加わるかじゃな」
「アミーの話だと、粟島の事はシタルーしか知らないようです。重臣たちは知らないでしょう。山南王妃が知っているかどうかですね」
「誰も知らなかったら奴らはずっと島にいる事になるぞ」
「そうなったら、迎えに行きますか」とサハチが言うと思紹が笑った。
「アミーに行かせて、全員、中山王の兵にすればいい。もし、山南王妃が知っていたとしても、タブチには話すまい。粟島の兵が動かなければ、タブチの方が有利じゃな。さて、わしらはどう動くかじゃ」
 ウニタキ(三星大親)と奥間大親(うくまうふや)が入って来た。
「何かわかったか」とサハチは二人に聞いた。
「米須按司、いや、隠居したから摩文仁大主(まぶいうふぬし)だったな。摩文仁大主、山グスク大主、ナーグスク大主、中座大主(なかざうふぬし)、四人の御隠居(ぐいんちゅ)さんが揃って島尻大里グスクに入って行きました。坊主頭のタブチが大御門(うふうじょー)(正門)の外まで迎えに出ていたようです」とウニタキが言った。
「中座大主とは誰だ?」とサハチが聞いた。
「玻名グスク按司だよ。米須按司が隠居したのと同じ頃に隠居したようだ。隣り村(じま)に中座グスクを築いて、中座大主を名乗ったんだ。まだ、グスクは完成していないがな」
「この辺りです」とウニタキが絵地図を見て、中座グスクの位置を指さした。
 思紹がうなづいて、そこに『中座グスク』と記入した。
摩文仁グスクはこの辺りです」とウニタキが示して、思紹は記入した。
「五人の按司たちが隠居して、皆、グスクを築いているのか」とサハチは賑やかになった南部の絵地図を眺めながら言った。
「隠居した按司たちは皆、タブチと一緒に明国に行っている。しかも、時期的に冬の雪山を越えて応天府(おうてんふ)(南京)まで行っている。共に辛い旅をして来た仲じゃ。団結力は強いじゃろう」と思紹は言った。
 サハチは冬山越えの経験はないが、クグルーと馬天浜のシタルーから話は聞いていた。寒さに耐えられずに亡くなった者や、氷に滑って大怪我をした者もいたと言っていた。五十歳を過ぎた男たちにとって過酷な旅だったに違いない。助け合って乗り越えて来たのだろう。
「タブチは山南王になるつもりなんじゃな」と思紹がウニタキに聞いた。
「島尻大里グスクに腰を落ち着けた所を見るとそのようです」
「タルムイの方は何か動きはあるのか」とサハチが聞いた。
「王妃様(うふぃー)が豊見グスクにいるようです」と奥間大親が答えた。
「なに、王妃様は島尻大里グスクから逃げたのか」
「今、島尻大里の城下は戦が始まると大騒ぎしていますから、それに紛れて逃げたようです」
「その王妃様は察度の娘じゃったな」と思紹が聞いた。
「そうです」とウニタキが答えた。
「武寧の妹です。摩文仁大主の妹でもありますが、摩文仁大主は幼い頃に米須按司の養子になっていますから、お互いに、子供の頃は面識もないはずです」
「評判はどうなんじゃ?」
「島尻大里の城下の人たちにも慕われておりますし、糸満のウミンチュたちにも慕われております。察度の娘として浦添グスクで生まれましたが、シタルーと一緒に苦労をしていますからね。大グスクから豊見グスクに移った時、まだ城下などなくて、シタルーと一緒に城下造りにも精を出したようです。豊見グスクの城下の人たちが奥方様(うなじゃら)が帰って来たと大喜びしておりました」
「王妃様は鍛冶屋(かんじゃー)や木地屋(きじやー)たちにも評判はいいです」と奥間大親が言った。
「職人たちを大切にしていて、グスクでお祝い事があった時には必ず、御馳走を差し入れてくれます」
「わたしたちも見習わなければならないわね」とマチルギが言った。
「何を言っておる」と思紹は笑った。
「お前が職人たちの面倒をちゃんと見ている事は知っておるぞ」
「職人たちは色々いますから、見落とした者がいるかもしれません。たとえば、紙漉(かみす)き師とか筆師とか、会った事もない職人たちも多いのですよ」
「そうか。職人たちの事はお前に任せる。話がそれてしまった。王妃様が豊見グスクにいるんじゃな。中山王の娘に生まれて、山南王の王妃様になった。当然、我が子を山南王にしようと願うじゃろうな。シタルーの幼い子供たちや側室はまだ島尻大里グスクにいるんじゃな」
「います。タブチがその者たちをどう扱うかですね」とウニタキが言った。
 思紹はうなづいて、「人質の扱い方で、わしらの出方も決まるというわけじゃな」とニヤッと笑った。


 その頃、タブチは島尻御殿(しまじりうどぅん)(正殿)の裏にあるシタルーの書斎で、四人の御隠居たちと祝い酒を飲んでいた。タブチから話を聞いて驚いた御隠居たちは、タブチを山南王にするために、息子たちに知らせて戦の準備をさせていた。
「こんなうまい酒が飲めるなんて幸せじゃのう」と山グスク大主(前真壁按司)が嬉しそうな顔をして酒を一口舐めた。
「シタルーも酒好きだったようじゃ。一緒に飲んだという記憶はあまりないがのう。明国の珍しい酒を集めていたようじゃ」
「それにしても驚いた」と摩文仁大主(前米須按司)が言った。
「山南王がそなたの倅に討たれたとはのう。わしもあの時、そなたの側室が斬られる所を見ていたんじゃ。シタルーには斬れまいと思っていたんじゃが、斬ってしまった。その時、シタルーも先代の倅じゃなと思って、ぞっとしたものじゃ。シタルーもやる時はやるなと感心したが、それが仇(あだ)となって、殺されてしまったとはのう」
「わしはどうもシタルーは苦手じゃった」とナーグスク大主(前伊敷按司)が言った。
「特に理由はないんじゃが、肌が合わんというのかのう。向こうも同じ思いでいたようで、李仲按司にグスクを築かせて、わしを見張っていたんじゃ。隠居してナーグスクに行った時はホッとしたものじゃ。ところで、八重瀬殿、来月の唐旅(とーたび)は中止になるのか」
「当たり前じゃろう」と山グスク大主が笑った。
「山南王が、中山王の使者になるわけがなかろう」
「そうか。わしは楽しみに準備をしていたんじゃ」
「今年は無理じゃが、来年の正月には進貢船が出せるじゃろう。わしは行けんが、みんなには使者になってもらおうかのう」とタブチは言った。
「なに、わしらが使者か」と中座大主(前玻名グスク按司)が嬉しそうに笑った。
「みんな、明国に何度も行っているし、わしがやっていた事を見てきたじゃろう。一度、副使を務めたら、次は正使じゃ」
「正使となったら明国の役人たちと一緒に妓楼(ぎろう)に繰り出す事になるのう。わしも笛や太鼓を始めなければならんな」と山グスク大主が楽しそうに笑った。
「それで、シタルーの倅たちに勝てる自信はあるのか」と摩文仁大主がタブチに聞いた。
「わしら五人が揃えば、若造たちに負けるはずはない」とタブチは不敵に笑った。
「シタルーの軍師だった李仲按司は、運のいい事に唐旅に出ている。来月に帰って来ると思うが、グスクの位置からして、タルムイ側に付くのは不可能じゃ。グスクを捨てて、タルムイに付くと言うのなら、それもいいじゃろう」
「王妃様や側室、子供たちはどうするつもりじゃ」
「王妃様はすでに逃げた。重臣の中に裏切り者がいて、シタルーの死を伝えたようじゃ。出て行きたい者は今のうちに出て行けと重臣たちに言った。裏切り者は出て行くじゃろう。側室や子供たちも出て行きたい者は出て行かせる」
「人質として取っておいた方がいいんじゃないのか」と山グスク大主が言った。
「人質はいらん」とタブチははっきりと言った。
「わしはシタルーのように人質を使うような卑怯な真似はせん。出て行きたい者は皆、出て行ってもらう。残りたい者だけが残ればいい」
「うむ、それがいい」と摩文仁大主はうなづいた。
「裏切り者が内部にいれば、内通される恐れがあるからな。残った者たちが団結して戦えば、勝てるじゃろう。問題は中山王と山北王(さんほくおう)じゃ」
「それなんじゃよ」とタブチは顔を曇らせた。
「突然、こんな事になってしまって、中山王には申し訳ないと思っているんじゃ。すでに、知っていると思うが、使者を送って事情を説明しなくてはならんのう」
「事情を説明して、味方になってもらうのか」と中座大主が聞いた。
 タブチは首を振った。
「タルムイは中山王の娘婿じゃ。味方にするのは難しい。せめて、山南の事に介入しないように頼むしかない」
「中山王がタルムイに付いたらどうするつもりじゃ? 勝てるのか」と山グスク大主が聞いた。
「東方の按司たちが中山王に付いたら負けるかもしれん」
「東方の者たちも中山王の船に乗って明国に行っている。中山王を裏切れんじゃろう」
「山北王を味方に付けたらどうじゃ」と摩文仁大主が言った。
「それも難しい。シタルーの三男、グルムイ(保栄茂按司)は山北王の娘婿じゃからな」
「グルムイを味方に引き入れたらどうじゃ」と山グスク大主が言った。
「何を言っている。グルムイはタルムイの弟だぞ」
「シタルーは弟なのに山南王になった。グルムイを山南王にすると言って迎え入れるんじゃ」
「グルムイが山南王になったら、タブチはどうなる?」と中座大主が聞いた。
「タブチは山南王の重臣となって、グルムイを操ればいい。すでに隠居した身じゃ。山南王の座に未練はあるまい」
「確かにそうじゃ。今朝、わしは死を覚悟して、ここに来た。生きているだけでも儲けものじゃ。グルムイを山南王にするというのも面白いな」
「グルムイの母親はまだここにいるのか」とナーグスク大主がタブチに聞いた。
「グルムイの母親は王妃様じゃよ。タルムイもジャナムイ(兼グスク按司)も長嶺按司の嫁も皆、王妃様の子供なんじゃ」
「そうなるとグルムイが寝返るのは難しいな」
「諦めるのはまだ早いぞ」と摩文仁大主が言った。
「グルムイはここで育った。幼馴染みとか、武芸の師匠とかがいるはずじゃ。そいつらを使って寝返らせるんじゃ」
「寝返らせて、山北王を呼び込むんじゃな」と中座大主が言った。
「しかし、そうなると中山王はタルムイ側に付くぞ。この地で、山北王と中山王の戦が始まる。そうなるとうまくないのではないのか。もし、わしらが勝ったとしても、山北王の家臣たちがここに入り込んできて、わしらの自由にはできなくなる」
「そうじゃのう」とタブチは少し考えて、「山北王にも介入してもらうわけにはいかんな。わしらの力だけで倒そう」と言った。
「もし、中山王が介入して来たら、グルムイを説得して、山北王を味方に付けなければならんぞ。山北王まで、向こうに付いたら勝ち目はない」と山グスク大主は言った。
「確かにな」というように四人の御隠居たちはうなづいた。
「敵の動きはちゃんと探っているんじゃろうな」と摩文仁大主がタブチに聞いた。
「勿論じゃ。心配するな。豊見グスクも長嶺グスクも阿波根(あーぐん)グスクも保栄茂グスクも、どこも今、戦の仕度で大忙しじゃ。明日にも攻めて来よう」
「わしらは隠居した身じゃ。戦の事は倅たちに任せて、今は祝い酒を楽しもう」と摩文仁大主は笑った。
「話は変わるが、これを機に、わしは喜屋武(きゃん)グスクにいる次男と新グスクにいる三男を按司に昇格するつもりじゃ。そなたたちも次男を按司にすればいい」とタブチは言って、うまそうに酒を飲んだ。

 

 

 

飛天牌 貴州茅台酒 (キシュウマオタイシュ) 53度 500ml   茅台迎賓酒 (マオタイゲイヒンシュ) 500ml