長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部は山北王の攀安知を倒すまでの活躍です。お楽しみください。

クマラパの略歴(1339-1416)

1339年 華山の道士の子として生まれる。1歳

1348年 方国珍が倭寇と結び、浙江、福建で海賊を行い、元の輸送船を襲い始める。

1351年 白蓮教の教祖韓山童が北宋徽宗の末裔を名乗り、河南で黄河の土木工事に従事
    していた人夫達を扇動して反乱を企てるが、挙兵直前に発覚し韓山童は処刑さ
    れる。14歳
    湖北で僧侶彭榮玉に祭り上げられた徐寿輝が皇帝を名乗り、国号を天完、年号
    を治平とする。
    道士になるため華山で修行を始める。
    父は徐寿輝の部下の陳友諒に仕える。

1354年 張士誠が誠王と称し、国号を大周、元号を天祐と定める。16歳
1356年 張士誠が江南の経済と文化の中心地である平江路(蘇州)を占領し、隆平府と
    改めて、国都に定める。18歳
    朱元璋が集慶路(南京)を占領し、応天府と改める。
    全真道の雲谷道士と出会い、弟子になり厳しい修行を積む。
1357年 倭寇が連年、元の沿岸を襲い各地の官民を脅かす。19歳
    張士誠が水軍を用いて朱元璋、楊完者を攻撃するが、成果を得られず。

1359年 徐寿輝が部下の陳友諒に殺害され、陳友諒が皇帝を名乗る。大漢皇帝を称した
    陳友諒は湖北から江西にかけての一帯を勢力に収める。21歳

1560年 師の雲谷道士と一緒に張三豊に会うために武当山に行くが破壊されていて誰も
    いない。22歳
    陳友諒が朱元璋側の拠点である太平を攻め落とし応天府に迫るが、敵将康茂才
    の偽りの降伏を信じて応天府の攻撃を急ぐあまり、朱元璋軍の反撃を受けて敗
    北する。
    父が戦死して身の危険を感じ、師の雲谷道士と別れて、妹フォーヤオ(チルカ
    マ)を連れて逃げる。

1361年 5月 泉州から商人の船に乗って、フォーヤオを連れて琉球に行く。23歳
    船乗りのカルー(ナツの祖父)と仲よくなり、一緒に津堅島に行く。
    馬天浜に行って、サミガー大主と出会い、カマンタ捕りをする。
    12月 早田氏が馬天浜に来る。

1365年 1月 サグルー(思紹)が弓矢の修行を始める。27歳
    10月 程復(チォンフー)の商船に乗ってミャーク(宮古島)に行き、白浜で暮
    らす。
    保良に行き、マムヤに会って一目惚れする。

1366年 5月 福州の商人、蘇歓(スーファン)がミャークに移住して、大浦多志(ウプ
    ラタス)按司を名乗る。28歳
    9月 チルカマが石原按司に嫁ぐ。
    ウプラタス按司のもとに居候する。
    保良に行き、マムヤに振られる。

1367年 上比屋のムマニャーズと呪術の決闘をして勝つ。29歳

1368年 元国が滅び、明が建国。30歳
    上比屋のムマニャーズと呪術の決闘をして勝つ。

1369年 ムマニャーズが娘を産むが、父親はクマラパではないと言われて去る。31歳
    10月 ウプラタス按司と一緒に大陸の様子を見にターカウ(台湾の高雄)に行
    く。
    途中、ドゥナン島(与那国島)に寄り、張三豊の孫弟子ウーニンから武当拳
    指導を受ける。
    明国の海賊がターカウにいて、明国に行くのは危険だと言うので、海賊と取り
    引きをして帰る。海賊は張汝厚(ヂャンルーホー、張士誠の次男)と林福。

1370年 5月 ミャークに帰る。32歳
    10月 ウプラタス按司と一緒にイシャナギ島(石垣島)に行き、船を造るための
    材木を仕入れてくる。ウムトゥダギに登る。

1372年 5月 明国の使者が琉球に行き、琉球の進貢貿易が始まる。34歳

1373年 春 目黒盛がイナピギムイで七兄弟を倒し、祖父代々の土地を取り戻す。35歳
    目黒盛が白川大殿の娘、ムニアツを嫁にもらう。

1374年 11月 菊池三郎が配下を率いてターカウに移住して、キクチ殿と呼ばれる。

1375年 4月 野崎に行き、アコーダティ勢頭のために船を造る。37歳

1376年 9月 アコーダティ勢頭と一緒に明国を目指してターカウに行く。38歳
    ドゥナン島に寄り、ドゥナンバラ村の若ツカサが産んだ息子クマンと会う。
    ターカウは倭寇の中継地となっていて、明国の海賊もヤマトゥの商品を求めて
    やって来る。
    キクチ殿から明国に行くのは危険だと言われ、トンドの話を聞いてトンド王国
    に行く。

1377年 5月 トンド王国で交易をして帰国する。39歳
    10月 アコーダティ勢頭、野崎按司と一緒にターカウに行く。弟子の多良間のボ
    ウも行く。
    ドゥナン島に寄り、ドゥナンバラ村の若ツカサが産んだ娘ラッパと会う。
    キクチ新三郎と隈部源十浪を弟子にする。

1378年 5月 ターカウから帰る。ボウと一緒に池間島に行く。40歳
    10月 アコーダティ勢頭、野崎按司と一緒にトンド王国に行く。

1379年 5月 トンドから帰国。41歳
    10月 野崎按司と一緒にターカウに行く。

1380年 5月 ターカウから帰る。42歳
    目黒盛の従弟、飛鳥主が石原按司に殺される。
    飛鳥主を殺したのはウキミズゥリ(白川大殿の息子で目黒盛の義弟)。
    石原按司を助けて、北銘グスク、北嶺グスクを攻め取る。
    10月 アコーダティ勢頭と一緒にトンド王国に行く。

1381年 5月 トンドから帰国。43歳
    各地の按司を訪ねる。

1382年 3月 池間島に行き、ウパルズの声を聞く。44歳
    狩俣で女按司のマズマラーと出会い、狩俣に落ち着く。
    10月 アランポーの乗った琉球の進貢船が風に流され、ミャークに漂着する。
    11月 琉球の進貢船が明国に向かう。

1383年 2月 糸数按司が石原按司を殺し、飛鳥主の敵を討つ。45歳
    石原按司の妻チルカマから敵討ちを頼まれる。
    糸数按司が飛鳥主を殺したウキミズゥリを殺す。
    10月 南朝の水軍大将佐田又五郎が配下1000人を率いて九州から明国に向かい
    倭寇働きをする。
    12月 佐田又五郎がターカウに行き、キクチ殿に歓迎される。

1384年 6月 佐田又五郎がターカウからパティローマ島(波照間島)に行く。46歳
    目黒盛に頼まれ、白浜で琉球に行くための造船を手伝う。
    糸数按司の側室になった弟子が糸数按司を殺す。
    7月 佐田又五郎が配下1000人を率いてミャークに来て、下地の与那覇を拠点に
    する。又五郎は佐田大人(サータオフンド)と呼ばれる。
    ウパルズから佐田大人はミャークにとって危険な者たちだから早く倒しなさい
    と警告されるが、目黒盛にミャークを統一してもらうために、佐田大人を利用
    しようと考える。
    8月 大きな台風が来て、佐田大人の船が壊れる。
    佐田大人の兵が食糧を略奪するために各地に出陣する。
    狩俣集落を囲む石垣を築く。
    9月 グラーとトゥムの兄弟が久米島から伊良部島に来る。
    10月 佐田大人が野崎を襲撃しようとするが守りが堅いのでやめて、隣の美野を
    攻め滅ぼす。
    佐田大人が大嶽按司を攻め滅ぼす。

1385年 1月 佐田大人を倒すため伊良部島で兵たちに武芸を教えて鍛える。47歳
    3月 佐田大人が高腰按司を攻め滅ぼす。
    7月 佐田大人がウフラタス按司を攻め滅ぼす。
    佐田大人の兵が狩俣を攻めるが追い払う。
    8月 佐田大人が内里按司を攻め滅ぼす。
    9月 佐田大人が川満、浦ノ島、久場嘉を襲撃する。

1386年 2月 目黒盛を助けて、佐田大人を倒す。48歳
    目黒盛の武将マサク(与那覇勢頭)が大怪我を負う。
    目黒盛が初めて豊見親と呼ばれる。
    白浜で船造りを再会する。

1387年 5月 那覇勢頭が琉球に行く。49歳

1388年 10月 マズマラーを連れてトンド王国に行く。50歳

1389年 5月 帰国。51歳
    9月 マズマラーが長女タマミガを産む。
    那覇勢頭が察度から千代金丸の小太刀を賜ってミャークに帰る。

1390年 5月 与那覇勢頭が八重山の首長を連れて、中山王察度に朝貢する。52歳
    9月 与那覇勢頭が帰る。

1391年 10月 マズマラーが長男を産む。53歳

1392年 5月 与那覇勢頭が八重山の首長を連れて、中山王察度に朝貢する。54歳
    9月 与那覇勢頭が帰る。

1394年 5月 与那覇勢頭が八重山の首長を連れて、中山王察度に朝貢する。56歳
    9月 与那覇勢頭が帰る。

1396年 5月 与那覇勢頭が八重山の首長を連れて、中山王武寧に朝貢する。58歳
    9月 与那覇勢頭が帰る。武寧の態度に朝貢はやめる。

1397年 10月 ターカウに行き、倭寇と取り引きをする。キクチ新三郎と再会する。

1401年 11月 マズマラーを連れてターカウに行く。63歳

1409年 2月 キクチ殿が亡くなり、新三郎が二代目キクチ殿を継ぐ。71歳
    11月 与那覇勢頭と一緒にターカウに行く。タマミガ、ナーシルも行く。

1410年 10月 アコーダティ勢頭の息子と一緒にトンドに行く。タマミガも行く。72歳

1414年 9月 琉球から狩俣に来たサミガー大主の孫のササたちと出会い歓迎する。76歳
    ササたちを与那覇グスクに連れて行き、与那覇勢頭と会わせる。
    ササたちを漲水ウタキに連れて行き、根間グスクで目黒盛豊見親と会わせる。
    ササたちを野崎に連れて行き、アコーダティ勢頭と会わせる。
    漲水のウプンマと一緒にササたちを連れて、船立ウタキ、糸数グスク跡、ウプ
    ラタスグスク跡を見て、狩俣に行く。
    ササたちが妻のマズマラーと一緒にウタキに入る。
    ササたちを連れて池間島に行き、池間按司と会う。
    ウパルズに呼ばれてナナムイウタキに入り、ササたちに30年前の事を話し、野
    城按司と高腰按司を再興した事が認められてウパルズから許される。
    ササたちを大嶽、赤名ウタキ、赤崎ウタキ、上比屋に連れて行く。
    ササたちを百名、保良、アラウス、野城、高腰グスクに連れて行く。
    ササたちを石原グスクに連れて行き、妹のチルカマに会わせる。
    ササたちを伊良部島に連れて行き、久米島から来たトゥムと会わせる。
    娘タマミガを連れて、ササたちと一緒にイシャナギ島(石垣島)に向かう。
    多良間島に行き、弟子である女按司のスタタンのボウをササたちに会わせる。
    イシャナギ島の北部の平久保に着き、平久保按司と会う。
    名蔵に着き、女按司のブナシルとフーツカサのマッサビに歓迎される。
    ウムトゥ岳の中腹にあるナルンガーラに行き、ササたちはツカサたちと一緒に
    山頂に行き、男たちはマッサビの屋敷で酒盛りを楽しむ。
    ササたちと一緒にヤラブ岳に登る。
    10月 ササたちと一緒にタキドゥン島(竹富島)に行き、先代按司のタキドゥン
    と会う。
    クン島(西表島)に行き、ユーツンで、クンダギのツカサとユーツンのツカサ
    に歓迎される。
    ササたちと一緒にドゥナン島(与那国島)に行き、息子と娘との再会を喜ぶ。
    11月 クブラ村に行き、ターカウから来た南遊斎と再会する。
    1月近く滞在したドゥナン島に別れを告げて、ターカウ(台湾の高雄)へと向
    かう。
    12月 ターカウに着き、ササたちを案内して「宮古館」に行く。
    ササたちを連れてキクチ殿(新三郎)と会う。
    ササがトンドの王女アンアンと会い、唐人町にある宮殿で暮らしているアンア
    ンの兄の太守に歓迎される。
    ササたちを連れてマカタオ族の女首長パランと会う。
    松景寺の慶真和尚と再会して遊女屋に行き、死んだはずの太守の妻ヂャンジャ
    ランと再会する。
    アンアンの船と一緒にトンド王国(マニラ)に行く。
    トンドに着き、アンアンと一緒に宮殿に入り、アンアンの父の王様と会い歓迎
    される。
    歓迎の宴の時、ササたちの船が海賊に狙われ、船に戻って海賊たちを待ち伏せ
    して倒す。
    海賊の隠れ家に行くと、海賊の首領はヂャンジャランによって殺されている。

1415年 1月 トンドで新年を迎える。77歳
    2月 ササたちと一緒にルバン島(ルバング島)に行く。
    3月 ササたちと一緒にパラワン島に行く。
    4月 アンアンの船を連れて、ミャークの船と一緒にパティローマ島(波照間
    島)に行く。
    5月 ミャークに帰り、ササたちの船に乗って、チルカマを連れて琉球に行く。
    琉球の浮島に着き、那覇館で歓迎され、ササの母親の馬天ヌルに再会する。
    首里に行って中山王思紹と再会する。
    チルカマを連れて、サミガー大主と一緒に津堅島に行き、島の人たちに歓迎さ
    れる。
    島添大里グスクに行きサハチと会い、側室のナツに祖父カルーの事を話す。
    サハチと一緒に慈恩寺に行き、慈恩禅師と会い、慈恩禅師から武当拳の指導を
    受け長年の疑問が解決して、慈恩禅師のために師範を務める。
    妹のチルカマはギリムイヌルを手伝って、修行者たちの面倒を見て、娘のタマ
    ミガは慈恩寺の隣の南島庵で、イシャナギ島のミッチェとサユイ、ミャークの
    ツキミガとインミガ、多良間島のイチ、ドゥナン島のユナパとフーと一緒に、
    女子サムレーたちと武芸の稽古に励む。
    9月 来年もまた来るとサハチに言って、与那覇勢頭の船に乗ってミャークに帰
    る。