長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部はその後の尚巴志の活躍です。お楽しみください。

64.シタルーの娘(最終決定稿)

 年が明けて、永楽(えいらく)元年(一四〇三年)となり、島尻大里(しまじりうふざとぅ)から山南王(シタルー)の娘、ウミトゥクがサハチの末の弟、クルーに嫁いで来た。花婿も花嫁も十六歳になったばかりで、初々しい夫婦の誕生だった。二人は島添大里(しましいうふざとぅ)グスクで婚礼の式を挙げて、佐敷グスクの東曲輪(あがりくるわ)の屋敷に入った。
 婚礼はいつものように、領内の村々を挙げてのお祭り騒ぎとなり、花嫁は大歓迎された。山南王の娘が嫁いで来れば、島添大里は安泰だ。しばらくは、戦も起こらないだろうと誰もが喜んでいた。しかし、花嫁は心に大きな傷を負っていて、心を閉ざしたままだった。
 ウミトゥクはシタルーの三女で大(うふ)グスクで生まれた。生まれた翌年には、父が豊見(とぅゆみ)グスク按司となって豊見グスクに移ったので、大グスクの記憶はない。豊見グスクのお姫様として何不自由なく育てられた。
 長女は七歳で亡くなってしまい、ウミトゥクが生まれた時にはもういなかった。次女は豊見グスクヌルになっている。その下に兄のタルムイがいて、その下がウミトゥクだった。
 五歳の時に父は明国に留学して、八歳の時に帰って来た。九歳の時に、父がグスクの北側を流れる国場(くくば)川で『ハーリー』を始めた。ハーリーには伯父の中山王と祖父の山南王もやって来て、大勢の人たちが集まり、お祭り騒ぎだった。以後、毎年、行なわれ、ウミトゥクはそれを楽しみにしていた。集まって来るお客さんは父の事を褒め、ウミトゥクはお姫様(とーとーぐゎー)と呼ばれて、みんなから可愛がられた。
 十四歳の時に、祖父の山南王が亡くなって、戦が始まった。父の敵は八重瀬(えーじ)にいる伯父(タブチ)だという。ウミトゥクは伯父の事はよく知らなかった。正月に島尻大里の祖父に挨拶に行った時に会っただけで、話をした事はなかった。
 豊見グスクは大勢の敵の兵に囲まれた。城下の者たちが大勢、避難して来た。一月半も包囲されて、ウミトゥクは殺されてしまうのではないかと毎日、恐ろしい思いをしていた。
 戦が終わると父は山南王になった。ウミトゥクは母と弟たちと一緒に島尻大里グスクに移った。そして、島添大里の叔父(ヤフス)が戦死して、島添大里グスクと大グスクが敵に奪われた事を知った。島添大里の叔父は豊見グスクによく来ていたので知っていた。時々、面白い事を言う叔父さんで、弓矢の名人だった。ウミトゥクも弓矢を教えてもらった事があった。あの叔父さんが亡くなってしまったなんて悲しかった。
 叔父さんの死を悲しむ暇もなく、父から島添大里にお嫁に行けと言われた。叔父さんを殺した敵の所に、お嫁に行くなんて信じられなかった。父は島添大里按司(サハチ)の事はよく知っているから、お前を大切にしてくれるだろうと言うが、敵の所にお嫁に行きたくはなかった。
 四月に兄のもとへ、敵の島添大里按司の娘が嫁いで来た。敵の娘だというのに、楽しそうにお嫁さんと話をしている兄が憎らしく思えた。
 父から、島添大里では娘たちが剣術の稽古に励んでいるから、お前も今のうちから稽古をしておいた方がいいと言われた。ウミトゥクは剣術と弓矢を真剣になって稽古した。いざという時は、叔父の敵(かたき)を討って、自分も死のうと覚悟を決めた。
 年が明けて、ウミトゥクは島添大里に嫁いだ。相手は島添大里按司の弟で、島添大里グスクではなく、佐敷グスクに住む事になった。豊見グスクと比べたら小さなグスクだった。
 佐敷グスクには、島添大里按司の弟の佐敷大親(さしきうふや)(マサンルー)が本曲輪に住んでいて、東曲輪にはマタルーという兄夫婦が住んでいた。ウミトゥクと夫になったクルーが住むのは、東曲輪の屋敷の隣りにある小さな屋敷だった。その屋敷で、島尻大里から連れて来た二人の侍女と佐敷の侍女二人と一緒に暮らす事になった。侍女とは別に女子(いなぐ)サムレーというのがいて、屋敷の警固をしていた。
 毎日、夕方になると娘たちが東曲輪の庭に集まって来て、剣術の稽古が始まった。娘たちに剣術を教えているのは、東曲輪内に住んでいる馬天ヌルだった。
 馬天ヌルの事は姉の豊見グスクヌルから聞いていた。ヌルとして凄い人で、姉は尊敬していると言っていた。馬天ヌルがいるから大丈夫、安心してお嫁に行きなさいと姉は言った。
 ウミトゥクは馬天ヌルに近づくために、稽古に加わる事にした。お嫁に来る前に稽古を積んで来たので、多少の自信はあったが、ウミトゥク程度の腕の娘は何人もいた。娘たちの話では、馬天ヌルは物凄く強いという。でも、馬天ヌルよりも強い大師匠が、島添大里グスクにいる奥方様(うなじゃら)だと教えてくれた。按司の奥方が剣術の大師匠だなんて、ウミトゥクには信じられなかった。
 村の娘たちと一緒に剣術の稽古を続けて行くうちに、ウミトゥクは少しづつだが、閉ざしていた心を開き始めて行った。

 

 正月の下旬、シンゴが馬天浜に来た。去年の約束を守って、船を借りて来てくれた。久し振りに、二隻の船が馬天泊(ばてぃんどぅまい)に入って来た。昔はいつも、二隻の船で来ていた。サハチがヤマトゥに行く時も二隻の船だった。対馬が高麗(こーれー)に攻められ、船を失ってからは一隻で来るようになっていた。
 船は『一文字屋』から借りたという。空船ではなく、ヤマトゥの商品をたっぷりと積んで来てくれた。その船の船頭(しんどぅー)(船長)はクルシで、クルシは隠居して、倅に跡を譲って来たので、船乗りたちと一緒にサハチの家臣になるという。積み荷は一文字屋の商品で、すべてを取り引きに使い、三往復すれば、船はサハチの物になるという。今は借り物でも、船を持つ事ができたのは嬉しかった。サハチはシンゴとクルシにお礼を言った。
 佐敷ヌルが娘を産んだ事を話すと、シンゴは、「すまん」と言って頭を下げた。
「何も謝る事はない。お前を受け入れたのは佐敷ヌルだ。お前は佐敷ヌルに選ばれた男なんだよ。ただ、親父には一言、謝った方がいいな」
「今、ここにいるのか」
「弟の婚礼があったので、まだ、島添大里にいる」
「わかった。謝るよ」
「ずっと、好きだったのか」とサハチは聞いた。
「初めて会った時から、惚れてしまった。まるで、天女のような美しさだ。とても、この世の人とは思えなかった。ヤマトゥに帰ってからも、忘れる事はできなかった。でも、俺なんか相手にされないという事もわかっていた。遠くから見ているだけでもいいと諦めていたんだ。でも、引っ越しの手伝いをした時、自分の気持ちだけは伝えたいと思って、思い切って告白した。そしたら、佐敷ヌルは驚いた顔をして、俺をじっと見つめた。俺は殴られるかと思った。たたき出されるかと思った。でも、違った。佐敷ヌルは嬉しそうに笑って、まるで、小娘のように赤くなったんだ。夢のような気分だったよ。今でも信じられない。ヤマトゥに帰ってからも、あれは夢だったに違いないと思っていた」
「夢じゃない。可愛い娘が生まれたんだ。佐敷ヌルは幸せそうだ」
 シンゴは目を潤ませて、うなづいた。
 サハチはシンゴとクルシを連れて、島添大里グスクに向かった。
 父は屋敷にはいなかった。母に聞くと佐敷ヌルの所だという。サハチは二人を連れて東曲輪にある佐敷ヌルの屋敷に向かった。
 末っ子のクルーが嫁をもらって、母は一人になってしまった。父がいるうちに、佐敷グスクから島添大里グスクに移ってもらった。クルーの嫁はシタルーの娘なので、父が年中、いない事に不審を持っては困るからだった。坊主になって旅をしている事になってはいるが、変だと思わせないために、こちらに移ってもらったのだった。
 父は嬉しそうに佐敷ヌルの娘を抱いていた。シンゴの顔を見ると、「お前のお父が帰って来たぞ」と言った。
 父は娘を佐敷ヌルに渡すと、「話がある」と言って、シンゴを外に連れ出した。
「ここまで来てもらったのだから、今晩、歓迎の宴を開きましょう。準備をさせますので、ちょっと待っていて下さい」
 サハチはクルシにそう言って、屋敷から出て一の曲輪の方に向かった。外には、父とシンゴの姿はなかった。どこに行ったのだろうと東曲輪と二の曲輪をつなぐ門の所で振り返ると、物見櫓(ものみやぐら)の上に二人はいた。
 サハチは笑いながら、「親父が高い所が好きなんで、みんな、似てしまったようだ」と独り言を呟いた。
 シンゴとクルシの歓迎の宴に、サハチは弟夫婦を全員、呼んだ。船が手に入った事で、弟の誰かをヤマトゥに送ろうと考えていた。これからは、弟たちに水軍の大将として、ヤマトゥや朝鮮(チョソン)、明国までも行ってもらうつもりだった。
「最初に誰が行く?」とサハチが聞くと、四人の弟たちはお互いの顔を見回しているだけで、俺が行くという者はいなかった。
「それじゃあ、マサンルーから順番に行って来るか」
 サハチがそう言って、マサンルーを見ると、マサンルーは妻のキクの顔を見てから、「ヤマトゥに行くとなると半年間、留守にしなくてはなりません。それはちょっと‥‥‥」と首を傾げた。
「そうか」とサハチはうなづいた。
 ヤマトゥへの船旅はそれ程、危険はないとはいえ、必ず、帰って来られるとは言い切れなかった。家族の事を思えば、無理には勧められなかった。
「ヤグルーはどうだ」とサハチはヤグルー夫婦を見た。
 妻のウミチルが、駄目よというようにヤグルーを見ながら、首を微かに振っていた。
「子供もまだ小さいし‥‥‥」とヤグルーは言った。
 サハチはうなづいて、マタルーを見た。
 マタルーは嬉しそうな顔をして、「俺、行きます」と言った。
「お前が行くか」と言って、サハチは妻のマカミーを見た。
 マカミーは驚いた顔をして、マタルーを見ていた。
「お爺と一緒に旅をした時、お爺からヤマトゥに行った時の話を何度も聞きました。その時から、俺もヤマトゥに行ってみたいとずっと思っていたんです。兄貴たちが行かないのなら、俺が行きます」
「そうか。よし、ヤマトゥに行って大きくなって来い。マカミーは大丈夫だな」
 マカミーはマタルーの横顔を見つめていたが、サハチを見るとうなづいた。
「はい、待っています」
 サハチはクルー夫婦を見て、「お前たちは新婚だからな」と言って笑った。
「俺は来年、行きます」とクルーは言った。
「俺はお爺と旅をしていません。旅に出るのを楽しみにしていたんですけど‥‥‥だから、ヤマトゥに行ってきます」
「そうか。お前は旅をしていなかったんだな。ここしか知らないのか」
 サハチはウミトゥクを見た。嫁いで来て、まだ半月余りしか経っていないので、どこか、よそよそしい所があった。馬天ヌルの話だと、敵の所にお嫁に来たと思っていて、警戒しているようだという。でも、時が解決してくれるわよと言っていた。
 歓迎の宴の次の日、父はキラマの島に戻って行った。
 物見櫓の上で、親父に怒られたのかとシンゴに聞いたら、佐敷ヌルの事は許してくれたと言った。
「佐敷ヌルの事よりも、一文字屋の船について色々と聞かれたんだ。クルシがお前の家臣になったと言ったら、喜んでいたよ」とシンゴは言った。
 父は前からヤマトゥに行ける船が欲しいと言っていた。琉球からヤマトゥへの海を知り尽くしているクルシが、船と船乗りと一緒に家臣になってくれたのは嬉しかったに違いない。
 三月になって、ウニタキが現れた。『まるずや』の裏の屋敷に行くと、相変わらず三弦(サンシェン)を鳴らしていた。余程、気に入ったとみえる。
「また久高島に行って来たのか」とサハチは聞いた。
 ウニタキは苦笑した。
「それを言うな。今、思えば夢のような感じだ。あれ以来、久高島には行っていない」
 シンゴも同じような事を言っていた。ヌルに惚れると夢の世界に行くようだ。
「それじゃあ、勝連(かちりん)に行っていたのか」
「いや、勝連にも近づいてはいない。ファイチ(懐機)に付き合って、久米(くみ)村の迷路の中を歩き回っていたんだ」
「久米村? ファイチは何か捜しているのか」
「そうじゃない。ファイチも色々と考えているんだよ。お前のためにな」
「俺のために、久米村で何をしているんだ」
浦添(うらしい)を落とすというのは、島添大里を落とすのとはわけが違うぞ」とウニタキは真面目な顔になって言った。
「島添大里按司から浦添按司に変わるというだけじゃないんだ。中山王になるという事なんだ」
「そんな事は当然だろう」
「中山王になったら進貢船(しんくんしん)を明国に送らなければならん。それには、久米村の力が必要なんだよ。中山王になったからといって、久米村が素直に従うとは思うなよ。俺も久し振りに行ってみたが、様子が全然、変わっていた。密貿易船が来るようになってから、住民たちもかなり増えて来ている。ファイチのように、逃げて来た者たちがかなりいるのだろう。今、あの村を支配しているのは、アランポー(亜蘭匏)という男だ。アランポーは宇座の御隠居(うーじゃぬぐいんちゅ)が使者として明国に行っていた頃、通事(つうじ)として一緒に行き、御隠居の後を継いで使者となった。察度の使者として十数回も明に行っている。察度が亡くなったあとは武寧(ぶねい)と結び、久米村での力は相当なものだ。アランポーに逆らえば、あそこで暮らす事はできなくなる。逆らって追い出された者も何人かいるらしい」
 サハチは久米村の事は何も知らなかった。自分には縁のないものだと思っていた。しかし、中山王になれば、久米村は重要な拠点となる。味方に付けなくてはならなかった。
「それで、ファイチは何をしようとしているんだ」
「アランポーを倒すつもりだ」
「なに、久米村の支配者を倒すのか」
「そうだ。アランポーを倒して、新しい久米村を作りたいらしい。ファイチが言うには悪い人は追い出して、誰もが安心して暮らせる村にしたいそうだ。確かに、今の久米村は、ならず者たちが多すぎる。そいつらも皆、アランポーとつながっているんだ。だから、ファイチは悪い者の親玉のアランポーを追い出すと言っている」
「そんな事ができるのか」
「口には出さないが、アランポーに反発している者たちは多い。ファイチはそいつらをまとめて、対抗勢力を作るようだ。とりあえずは、手頃な家を手に入れ、そこを拠点にして、少しづつ味方を募っていくと言っていた」
「そうか。ファイチがそこまでやってくれるのか」
「お前を中山王にして、自分は久米村の王になろうとしているのだろう」
「ファイチを手伝ってやってくれないか」
「わかっている。今、配下の者を三人付けている。奴らもファイチから明の言葉を習えば、後々、役に立つだろう」
「そうだな。ありがとう」
 サハチが去ろうとしたら、「ちょっと待て」とウニタキは呼び止めた。
「まだ、肝心な事を言っていない」
 サハチは振り返って、「まだ、何かあるのか」と言って戻って来た。
浦添グスクに侍女が入った。しかも、二人も入った」
「なに、二人もか」
「こっちから時期を見て、頼もうと思っていたんだが、向こうから言ってきた。山南王になったシタルーが、お礼として美女を中山王に贈ったらしい。そしたら、あちこちの按司がそれを真似して、美女を贈って来たようだ。側室が増えたので、侍女が足らなくなってしまったというわけらしい。島添大里で戦死した重臣の娘たちという事にして、ムトゥが連れて行った」
「そうか。そいつはよかった。シタルーにお礼を言わなければならんな」
「それと、去年の十一月、ヒューガ殿の配下のサチョーが浦添に遊女屋(じゅりぬやー)を開いた」
「とうとう、浦添に店を出したのか。遊女(じゅり)たちは島に連れて行った者たちか」
「いや、あれから十年近く経っているからな、あいつらは使えんだろう。若い娘たちだよ」
「まさか、島の娘たちを遊女にしたのか」
「そうではない。多少、使える者を遊女にできれば、その方がいいのだが、無理に遊女にするわけにもいかない。遊女にするための娘を別に集めて、育てたようだ。当時、七、八歳の娘も今では立派な遊女になったそうだ」
「遊女まで育てたのか」
 そう言ってサハチは笑った。
「それと、もう一つある。まだ、はっきりとはわからないが、浦添の『よろずや』に望月党の女らしいのが、重傷を負って担ぎ込まれた」
「何だって! 望月党の女?」
「先月、イブキがその女を助けたんだ。背中を刀で斬られて倒れていた。野良着を着た百姓の女らしいが、そんな女が刀で斬られているのが不自然だった。何かわけがありそうだと思って助けたらしい。かなりの重傷で、助からないかもしれないと思っていたようだが、イブキが薬草を使って治療をすると何とか持ち堪えた。まだ、寝込んだままで、何もしゃべらないが、懐(ふところ)の中に小さな薬入れのような物を持っていて、そこに九曜紋(くようもん)という家紋が描いてあるんだ。イブキが言うには、その家紋は望月家の家紋だという。薬入れの中には毒薬が入っていた。多分、望月党の女で、何者かに狙われたのだろうとイブキが言っていた」
「その女が何かを話してくれればいいな」
「難しいだろう。だが、傷が治ったあと、そのあとを追えば、望月党の隠れ家がわかるかもしれん」
「充分に気を付けろよ。望月党でも、その女を捜しているかもしれないからな」
「わかっている」とウニタキはうなづき、三弦を鳴らし始めた。

 

 お嫁に来てから早いもので、五か月が過ぎようとしていた。ウミトゥクは縁側に座って雨を眺めながら、敵(かたき)って一体、何だろうと考えていた。
 夫のクルーの母親は美里之子(んざとぅぬしぃ)という武将の娘で、美里之子は祖父(汪英紫(おーえーじ))と戦って戦死していた。クルーの祖母は大グスク按司の娘で、大グスク按司も祖父を相手に戦って戦死していた。佐敷から見れば、祖父は敵だった。そして、ウミトゥクは敵の孫娘だった。
 隣の屋敷に住んでいるマタルーの嫁のマカミーは、父の敵である伯父(タブチ)の娘だという。マカミーは山南王の娘のあたしを憎んでいるに違いないと思っていたが、そんな事は少しもなかった。お嫁に来たのだから、あたしは佐敷の娘よと言って、一緒に剣術の稽古をしている村の娘たちと、いつも楽しそうに笑っていた。
 豊見グスクにいた時、どこに行くにも侍女が付いて来たが、ここではそんな事はなかった。クルーと一緒に、お気に入りの馬天浜に行く時も、二人だけで出掛けて行った。村人たちは二人を見ると優しそうな顔をして挨拶をしてくれる。馬天浜で働くウミンチュたちも優しかった。ウミトゥクは頭の中が混乱すると、クルーと一緒に馬天浜に行っては海を眺めていた。広い海を見ていると心が落ち着いた。
「あなたは頭がいいから考えすぎるのよ。頭の中を空っぽにしなさい。そうすれば、必要な物だけが頭の中に入って来るわ」
 馬天ヌルにそう言われたけど、頭の中を空っぽにするのは難しかった。すぐに、色々な事を考えてしまう。
 梅雨が明けると兄夫婦たちと一緒に旅に出た。毎年、按司夫婦は旅に出ているという。しかも、供も連れず、庶民の格好で、歩いて旅をするという。ウミトゥクにはまったく理解できない事だった。去年は按司夫婦とヤグルー夫婦、マタルー夫婦が行って、今年はマサンルー夫婦とクルー夫婦が一緒に行くという。ヤグルーの妻とマタルーの妻は妊娠しているので、今年は行けないらしい。それに、マタルーはヤマトゥから来た船に乗って、ヤマトゥに旅立ってしまった。
 ウミトゥクはクルーと一緒に粗末な野良着を着て、クバ笠を被り、杖代わりの棒を持って、本曲輪の兄夫婦のもとに向かった。佐敷から出た事がないクルーは、旅に出るのが楽しくてしょうがないようだった。
 やがて、按司夫婦が佐敷に来て、マサンルー夫婦とクルー夫婦と合流した。
「お前たちと旅をするのは久し振りだな」と按司(サハチ)はマサンルー夫婦に言った。
「あたしがお嫁に来た年ですから、もう九年前になります」とマサンルーの妻のキクが言った。
「あの時はどこに行ったんだっけ」
首里天閣(すいてぃんかく)を見て、宇座の御隠居の所よ」と奥方(マチルギ)が言った。
「そうだったな。お祝いだといって馬をもらって来たんだったな。さて、今回はどこに行く」
「クルーに各地のグスクを見せた方がいいんじゃないのか」とマサンルーは言った。
「そうだな。嫁さんの実家の島尻大里の賑わいでも見に行くか」
「ええっ」とウミトゥクは驚いた。
 こんな格好で、父のいる所には行けなかった。
「あのう、あたし」とキクが遠慮しながら言った。
「ウミチルから聞いて、いつか、久高島に行きたいと思っていたの。駄目かしら」
「久高島か」とサハチはマチルギを見た。
 去年、行ったばかりだった。
「フカマヌルが独りぼっちで寂しがっているから、今年も行ってみましょうか」とマチルギは言った。
「そうだな。島尻大里に行くのは次回にしよう」
「俺はどこでもいいです。旅ができれば」とクルーは言った。
 按司が自分を見ていたので、ウミトゥクはクルーを見てからうなづいた。
 一行は東へとのんびりと歩いて行った。海辺に出ると久高島が見えた。ウミンチュに頼んで小舟(さぶに)に乗せてもらって久高島に渡った。
 久高島には姉のフカマヌルがいた。フカマヌルは赤ちゃんを抱いていた。
「もしかしたらと思ってはいたが、やはり、赤ちゃんが生まれたのか」と按司がフカマヌルに言った。
「女の子よ」と嬉しそうにフカマヌルは笑った。
「佐敷ヌルも女の子を産んだのよ」と奥方が言った。
 そのあと、みんなで海に入って遊んだ。ウミトゥクもキクも海に入るのは初めてだった。初めは怖かったけど、楽しかった。奥方から泳ぎ方も教わって、日が暮れるまで遊んでいた。
 遊んでいるうちに、頭の中が空っぽになった。頭の中が空っぽになると、何の飾り気もない按司も奥方も素敵に思えてきた。
 海に浮かんで青い空を見上げながら、お嫁に来てよかったんだわとウミトゥクは思っていた。