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長編歴史小説 尚巴志伝

第一部は尚巴志の誕生から中山王武寧を倒すまで。第二部はその後の尚巴志の活躍です。お楽しみください。

2-57.漢城府(第二稿)

 五郎左衛門が言っていたように、都へと続く道はひどいものだった。道幅が狭くて、でこぼこで、ほとんどが山道同然と言ってよかった。こんな道では荷車は通れなかった。サハチたちは馬に乗っていたが、十日以上もこんな道を行くのかと思うと疲れがどっと出て来た。
 琉球使者たちが都に向かうと、途中の村々の警備も厳重になるので、先に行った方がいいと五郎左衛門が言った。サハチたちは五郎左衛門の娘婿、浦野小次郎と一緒に『津島屋』の荷物を守る警護兵に扮して都へと向かった。朝鮮の着物に袴をはいて、朝鮮風の髷(まげ)を結って鉢巻きをして、弓矢を背負って、腰に刀を差した。サハチは刀と一緒に一節切(ひとよぎり)を腰に差し、ンマムイは横笛を差し、ウニタキは三弦(サンシェン)も背負っていた。
 サハチと一緒に行ったのはウニタキ、ファイチ、ヂャンサンフォン、ンマムイの四人で、あとの者たちは対馬に戻る事になった。ササたち女は無事に都に行けたとしても、城壁に囲まれた都の中には入れないだろうという。商団の中に女がいれば怪しまれて質問を受ける。言葉がわかれば何とか言い逃れもできるが、言葉がわからないと異国の女とばれてしまう。琉球から来た女が使者たちより先に都に来た事がわかるとあらぬ疑いを掛けられ、交易もうまくいかないだろう。それとジクー禅師もやめた方がいいという。
 ヤマトゥの僧侶が使者として都に行く事はあるが、使者ではない僧侶が商団と一緒に行けば怪しまれる。今、朝鮮では仏教が禁止され、僧侶の地位は落ち、都に入る事もできなくなっている。各地で古い寺院は破壊され、修行していた僧たちは都に連れて行かれて、都造りの人足(にんそく)にされている。宮廷が僧に対してそんな扱いをするので、僧たちは馬鹿にされ、村人たちに石を投げ付けられているという。都に行くまでの道中も危険だった。
 ジクー禅師もササたちも五郎左衛門の忠告を守って、サハチたちを見送った。ササが駄々をこねないかと心配したが、「対馬に帰って、ミナミと遊んでいるわ」と言ったので安心した。
 富山浦(プサンポ)(釜山)を見下ろす山の上に古い城壁がずっと続いていた。高麗(こうらい)の前の時代、新羅(しらぎ)の頃に造られたものだという。五百年以上も前に、よくこんな物を築いたものだと感心しながら、サハチたちは半ば壊れた石門をくぐって向こう側に出た。山々がずっと連なっているのが見えた。朝鮮(チョソン)の都、漢城府(ハンソンブ)は遠くに見える高い山々を越えた向こうだという。景色を眺めながら、都は遠いと改めて思った。
 狭い山道を進んで行くと洛東江(ナクトンガン)と呼ばれる広い川に出た。川は渡らず、川に沿って北上した。最初の夜は川岸で野宿だった。何度も富山浦と漢城府を往復している小次郎たちは旅慣れていて、目的地に着くとさっさと食事の仕度をして、交替で見張りに立っていた。
 食事のあと、川の流れを眺めながらサハチは小次郎から父親が戦死した戦(いくさ)の話を聞いていた、
「もう二十年も前の事です。まだ、この国が高麗と呼ばれていた頃、高麗の兵たちは明国と戦うために北へと進撃して行きました。相手は大国の明国です。各地を守っていた兵たちも皆、討伐軍(とうばつぐん)に加わって北へと出陣したのです。当時、高麗の都の開京(ケギョン)にいた父は、その情報をつかむと、すぐに対馬に知らせました。先代のお屋形様(早田三郎左衛門)はここぞとばかりに出撃命令を出します。この川の河口から上陸した騎馬隊はお屋形様に従って、この川を北上しました。船は騎馬隊を追うように、この川をさかのぼります。この川は慶尚道(キョンサンド)で採れた穀物を都に運ぶために使われているので、各地に穀物蔵があります。穀物蔵には穀物だけでなく、貧しい民から搾り取った布や紙などもあります。そういう物をすべて奪って、船に積み込み、先に進んで行ったのです。どこも守備兵がろくにおらず、戦う事もなく逃げて行ったようです。この川をどんどんさかのぼって尚州(サンジュ)まで行った時、突然、敵の反撃に出会ってしまいます。北で明国の兵と戦うはずだった大軍が、王命に逆らって引き上げて来たのです。大軍を率いて都を攻めたのは、初代の朝鮮王、李成桂(イソンゲ)です。李成桂は都を制圧すると、すぐに兵を南に送ったのです。敵の大軍と戦い、父は戦死してしまいました。その時、かなりの者が戦死しました。今のお屋形様の弟、左衛門次郎殿が戦死したのもその時でした」
 その話はサイムンタルー(左衛門太郎)から聞いていた。サイムンタルーがサハチを送って琉球に行っている時に起こっていた。琉球から帰ったサイムンタルーはその事を聞いて怒り、翌年の正月、弔(とむら)い合戦だと高麗を攻めた。その留守を狙われて、高麗の軍船は土寄浦(つちよりうら)一帯を攻め、焼け野原にしてしまったのだった。
父親の弔い合戦には参加したのですか」とサハチは小次郎に聞いた。
 小次郎は首を振った。
「参加したかったのですが、お屋形様は許してくれませんでした。当時、俺はまだ十四歳だったのです。十八の時に初陣(ういじん)を飾りましたが、逃げて行く役人を後ろから斬るといった情けないものでした。その頃は高麗の末期で、役人たちは戦う意志もなく、貧しい村の者たちは自ら進んで捕虜になるという有様でした。穀物蔵を襲撃すれば、村人たちも一緒になって略奪していたのです。その後も何度か、村々を襲撃しましたが、戦らしい戦はありませんでした。そして、お屋形様が朝鮮に投降してからは、戦をする事もなく、商売に励んでおります」
「都まで行く途中、山賊が出ると聞いたが、本当に出るのか」
「父を殺し、土寄浦を焼き討ちにした朴葳(パクウィ)という武将がいました。その武将が倭寇(わこう)を退治すると同時に名だたる山賊どもも退治しました。山賊どもも倭寇として殺され、奴の手柄になったようです。その武将も十年前に、今の王様によって殺されました。しばらくは山賊どももいなかったのですが、最近になって、北の方からやって来た山賊が出るようです。ヤマトゥからの使者が多くなったので、それを狙ってやって来たのでしょう」
「やはり、出るのか」
「大丈夫ですよ」と小次郎は笑った。
「山賊といっても、今はもう規模の大きな山賊はいません。十人前後といった所でしょうか。俺たちを襲撃する力は持っていません。それに山賊が出る場所もある程度は決まっておりますので、そういう場所は避けて行きます」
 ウニタキがやって来て、小次郎の隣りに座り込むと、
「お前の母親は高麗人なのか」と小次郎に聞いた。
「いえ、違います」と小次郎は首を振った。
「そうか。俺の母親は高麗人なんだよ」
 ウニタキがそう言うと、小次郎は驚いた顔をしてウニタキを見た。
琉球にも倭寇が連れ去った高麗人がいると噂では聞いていたけど、本当だったのですね」
「俺の父親は勝連(かちりん)という所の領主で、倭寇によってさらわれて来た母親を側室に迎えて俺が生まれたんだ。母親は俺が十一歳の時に亡くなってしまった。子供の頃は高麗の言葉で母親と話をしていたんだが、今はほとんど忘れてしまった。それでも朝鮮に来て、こっちの言葉を聞くと懐かしい響きに聞こえるよ」
「そうでしたか。漢城府にいる丈太郎(じょうたろう)殿の母親は高麗人です」
「五郎左衛門殿から聞いたよ。やはり、倭寇に連れ去られて対馬に来た娘だったそうだな。その娘と一緒になって富山浦に来て、娘の両親を探したけど見つからなかったと言っていた。倭寇にさらわれたのか、あるいは殺されてしまったのかもしれないと言っていた。俺の母親は高麗の都で生まれたらしい。父親は役人だったようだが、宮廷内の争いに巻き込まれて殺されそうになり、都から逃げて倭寇の船に乗り込んだそうだ。その後、両親とは別れ別れになって琉球まで連れて来られたようだ。亡くなる時も両親に会いたいと言っていた」
「宮廷内の権力争いに敗れて殺された者は大勢います。高麗から朝鮮に変わった時も大勢の人が殺されました。高麗王の一族は皆殺しにされ、高麗王に仕えていた役人も李成桂に従わない者たちは家族もろとも殺されました」
「そうだったのか。琉球に来なければ殺されていたかもしれないんだな。そうなったら俺は生まれていなかった」
 ウニタキは母親を思い出しているのか黙り込んで、川の流れを見つめていた。
 貧しい村がいくつもあった。宿泊する施設も食事を提供する店もなく、毎晩、野宿が続き、似たような雑炊(ぞうすい)ばかり食べていた。対馬で食べていた新鮮な魚貝類が懐かしかった。曲がりくねった細い山道が延々と続き、都は遠かった。
 富山浦を出て十二日目、漢江(ハンガン)を渡し舟で渡り、ようやく漢城府に到着した。雨降りで丸一日つぶれたが、幸いに山賊が出て来る事もなかった。
 都は明国と同じように高い城壁で囲まれていた。ただ城壁は石垣ではなく土塁のようだった。崇礼門(スンネムン)(南大門)は石垣の上に瓦屋根の大きな屋敷が乗っている大きな門だった。小次郎が書類を門番に渡し、簡単な荷物の検査があって、中に入る事ができた。
 城壁の中は別世界だった。広い大通りがずっと続いていた。門の近くにはあまり家々は建っていないが、通りの先の方には家々が建ち並んでいるのが見えた。しばらく行くと川が流れていて、橋もちゃんと架かっていた。
 通りを歩いている人たちの顔付きも、村々にいた疲れ切ったような顔付きとは違って活気があるように思えた。ただ、人々の着物はなぜか地味で、白っぽい着物を着ている者が多かった。京都のような華やかさはないが、建物はどれも皆新しく、ここが新しくできた都だと感じさせた。
 『津島屋』は大通りに面して建っていた。店というよりは屋敷だった。富山浦の津島屋と似たような造りで、土塀に囲まれて、広い敷地内にいくつも建物が建っていた。
 ここの主人の丈太郎とは二十二年振りの再会だった。わずか八日間だったが、一緒に剣術の稽古に励んだ仲だった。サハチは去年、クグルーとシタルーがお世話になったお礼を言い、今年もお世話になりますと言った。
「サハチ殿の活躍はシンゴからよく聞いております。津島屋が都に店を出せたのもサハチ殿の活躍のお陰です。お礼を言うのはこちらですよ」
 丈太郎はサハチたちを歓迎してくれた。
 一休みしたあと、サハチたちは丈太郎の娘、ハナの案内で都見物に出掛けた。ハナは十五歳の可愛い娘だった。母親は対馬の娘だが、四分の一は朝鮮の血が入っているからかもしれない。チマチョゴリと呼ばれる朝鮮の着物がよく似合っていた。
「あたしがここに来たのは四年前だけど、四年間で随分と賑やかになりました」とハナは言った。
「四年前に来た時は宮殿の周りに建物があるばかりで、この通りにもこんなにもおうちはなかったのですよ。四年間ですっかり変わりました」
「ここが都になったのは十年以上も前の事じゃないのか」とサハチはハナに聞いた。
「そうなんですけど、都が完成する前に、大きな戦(第一次王子の乱)が起こって、宮殿も新しく建てた家々も、みんな破壊されたり焼かれたりしたそうです。辺り一面、戦死した兵の死体だらけで、こんな所に住むわけにはいかないと言って、二代目の王様は以前の都の開京に戻ったのです。そして、また大きな戦(第二次王子の乱)が起こって王様が代わり、今度は開京が死体だらけになって、また、ここに戻って来て、都造りを再開したのです」
 そう言えば、ンマムイが朝鮮に来た時は開京に行ったというのをサハチは思い出した。
「開京からここに戻って来た時、ここにあった死体はどうしたんだ」とウニタキが聞いた。
「さあ」とハマは首を傾げた。
「もう白骨になっていたんじゃろう」とヂャンサンフォンが言った。
「お前はここに来たのは初めてなのか」とサハチがンマムイに聞くと、「ええ、初めてですよ」とうなづいた。
「漢江を渡って、ここの城壁を横に見ながら進んで行ったんです。朝鮮には二度来たけど、二度とも開京に行きました。開京はここよりも北の方にあって、ここから二日掛かります」
「開京は俺の母親が生まれた場所だ」とウニタキが言った。
「あとで開京に連れて行ってくれ」
「はい。是非、行きましょう」とンマムイは嬉しそうな顔をしてうなづいた。
「開京はどんな所なんだ」とウニタキはンマムイに聞いた。
「明国の古い都に似ていますよ。ここと同じように城壁に囲まれていて、城内には宮殿があって、古いお寺もいくつもありました。妓楼(ぎろう)(遊女屋)もあったけど、戦で焼けちまったかな」
 サハチもウニタキもファイチもヂャンサンフォンも明国の都、応天府(おうてんふ)を思い出しながら、成程というようにうなづいた。
 サハチは辺りを見回しながら、ここには高楼がない事に気づいた。二階建ての建物も見当たらなかった。ハナに聞くと、王様のいる宮殿よりも高い建物は建てられないという。随分と心の狭い王様だなとサハチは思った。
「お寺もないのか」と聞くと、ハナは後ろを振り返って大通りの反対側を指さした。
「あそこに大きな古いお寺がありましたけど、今は破壊されて惨めな姿になっています。でも、王様に保護されているお寺もいくつかあるんですよ。禅宗の本山と言われている興天寺(フンチョンサ)というお寺は破壊されていません」
「この通りは、この都の主要道ではないのか」とヂャンサンフォンがハナに聞いた。
「そうです」とハナは笑った。
「都でも一番いい場所なんです。東に行くと興仁之門(フンインジムン)(東大門)に出て、西に行くと敦義門(トニムン)(西大門)に出ます。都を横切っている大通りなんです」
「こんないい場所によく店を構えられたな。五郎左衛門殿は宮廷の偉い人と親しいのか」
 ヂャンサンフォンがハナに聞いたが、ハナは首を傾げた。
「祖父の事はよくわかりませんけど、時々、偉そうな人がお屋敷にやって来て、父とお話をして帰ります」
 ヂャンサンフォンはハナに笑ってうなづいた。
 大通りを西に進みながら、ハナが右側にある建物を指さして、「あそこは恐ろしいお役所です」と言った。
「義禁府(ウィグムブ)といって、反逆罪とかの重罪人を取り調べる所なんです。二年前に王妃様の弟が二人、反逆罪で捕まって死罪になっています」
「王妃の弟が二人も反逆したのか」とウニタキが驚いた顔をしてハナに聞いた。
「父は無実に違いないと言っていました。王妃の兄弟が権力を持ち過ぎたので、王権を守るために殺されたのだろうと」
「無実の罪で殺されたのか。朝鮮とは恐ろしい所だな」
「王様の悪口は言わない方がいいですよ。たとえ、日本の言葉でも誰が聞いているかわかりません。見つかったら不敬罪で捕まります」
 ウニタキは当たりを見回して、ニヤッと笑った。
 しばらく行って右に曲がると、その通りには役所が並んでいて、官服を来た役人たちが行き来していた。正面に宮殿(景福宮)が見えてきた。宮殿も高い城壁に囲まれていて、『光化門(クァンファムン)』と書かれた立派な門には武器を持った門番が立っていた。門は閉ざされていて、中の様子はわからなかった。
 宮殿から大通りに戻り、大通りの一本向こう側の道に出ると小さな店が並んでいた。日用雑貨を売る店だった。特に珍しい物は売っていないが、何か土産物を買って帰らなくてはならないなとサハチは思った。
 大通りに戻り、津島屋の屋敷の前を通り越して東の方に向かった。左側に土塀で囲まれたお寺があった。まさしく、あったと言うべきで、土塀はあちこちが崩れ、門も壊れて、あちこちに瓦のかけらが落ちていた。広い敷地内にある建物も皆、無残に破壊されていた。サハチは武当山(ウーダンシャン)の破壊された寺院を思い出した。
「ここに興福寺(フンボッサ)という古い大きなお寺があったんです。立派な五重の塔もあったんですよ。去年の五月に初代の王様がお亡くなりになると、大勢の兵がやって来て、あっという間に破壊してしまったのです」
「ひどいもんだな」とウニタキが首を振った。
「王様はどうして仏教を禁止したんだ」とサハチはハナに聞いた。
「あたしにはよくわかりませんけど、高麗の国は仏教を保護していました。高麗は五百年も続いたので、仏教と政治が結びついて、お坊さんたちが力を持つようになったようです。お寺も各地にいっぱいあって、お坊さんたちも大勢います。放って置くと、騒ぎを起こす危険性があるので、禁止したのではないでしょうか」
「これだけ大きなお寺なら、修行していた僧たちも大勢いたじゃろう。僧たちは皆、捕まったのか」とヂャンサンフォンがハナに聞いた。
「お坊さんたちはみんな、城外に追い出されました。反抗して捕まったお坊さんもいたようです。身分も賤民(せんみん)に落とされて、城内に戻る事は禁止されてしまいました」
「ここに来るまでの道中、小さな村々に乞食坊主がうろうろしておったが、みんな、お寺を追い出された僧だったんじゃな」
「このお寺が破壊されてから、各地のお寺も破壊されるようになったようです」
「ここが都になったために、古くからあったこのお寺が、見せしめにされてしまったんじゃな」
「その通りです」とハナはうなづいた。
「この先に新しい宮殿(昌徳宮)があるんですけど行きますか」とハナは皆に聞いた。
「どうせ入れないのだから門と城壁を見てもしょうがない。そろそろ日も暮れるし帰ろう」とサハチは言った。
「俺は腹が減ったよ」とウニタキが言い、「久し振りに酒が飲みたいな」とンマムイが言った。
「お母さんがお酒も用意しているはずよ」とハナは笑った。
 サハチたちは津島屋に向かった。
 広い大通りだが、ここにも荷車は通っていなかった。大きな荷物を背負った人や馬の背に荷物を積んで運んでいた。両班(ヤンバン)と呼ばれる男たちも歩いていて、皆、奇妙な形をした黒い笠をかぶっていた。着物を頭からかぶっている両班の女たちもいた。大通りの北側には両班たちの屋敷が多くあり、南側には庶民たちの家が多いという。
 津島屋に帰ると、食事の用意が調っていて、丈太郎は朝鮮の料理と酒でもてなしてくれた。酒はヤマトゥの酒だった。朝鮮の酒はないのかと聞くと、「朝鮮には禁酒令があるのです」と丈太郎は言った。
「えっ」とサハチたちは顔を見合わせて驚いた。
「隠れて皆、飲んでいますがね。薬酒(やくしゅ)だと言って飲んでいるのです」
「王様はどうして、禁酒令なんか出したのです」
「朝鮮を建国した当初、干魃(かんばつ)が続いて人々が食うのに困っていた時、寺院では大量の米を使って酒を造っていたのです。初代王の李成桂は怒って、禁酒令を出し、仏教も禁止したのです」
「どうして、寺院で酒を造っていたのですか」
「高麗の時、仏教は国の法として保護されていました。仏教の儀式も盛大に行なわれ、儀式に必要な酒を寺院で造るようになったのです。大寺院になると広い領地を持ち、大勢の奴婢(ノビ)も持っていました。領地で採れる米を使って、奴婢たちに造らせたのです」
「ノビとは何ですか」
「ノビとは賤民の事です。日本にはいませんが、朝鮮や明国にいる最下層の人々で、売り買いされる事もあります」
「明国で舟を漕いでいた奴らだ」とウニタキが言った。
 丈太郎はうなづいた。
「舟を漕いだり、両班のお輿(こし)を担いだり、この店の荷物を担いで来た者たちも、この店で雑用をしている女たちも奴婢です」
「王様は大寺院をつぶして、土地を取り上げ、大勢の奴婢たちも手に入れたという事ですね」
「そういう事になりますね。酒を造っていた寺院がなくなったので、酒も出回らなくなりました。今では酒も密貿易されている有様です」
「成程、朝鮮では酒が売れるという事ですね」
「ただし、裏に隠れてこっそりとです」と丈太郎は笑った。
「津島屋がこの一等地に店を出せたのも、実は裏取り引きがあるのです。津島屋は表向きは明国の陶器を扱う店なのです。朝鮮は明国に朝貢(ちょうこう)しています。一年に三回、明国に使者を送っています。その使者たちの一行には商人たちも加わって、明国で取り引きをして来ますが、朝鮮の使者たちは陸路で行くのです。漢城府から北の義州(ウィジュ)までの道は明国の使者たちも通るので、富山浦からここまでの道とは違って、ちゃんと整備されています。しかし、人力で運ぶのには限りがあって、大量の陶器を持って来る事はできません。朝鮮では明国の陶器は貴重品として高く取り引きされています。それで、琉球から運ばれて来る明国の陶器を扱っている津島屋が漢城府に呼ばれたのです。裏の取り引きは日本刀です。朝鮮は明国を恐れて、日本から来る使者たちに日本刀を求めてはいませんが、一番欲しい物は日本刀なのです。朝鮮の刀を見ればわかりますが、日本刀とは比べ物にならないほどお粗末な物です。名だたる武将たちは皆、日本刀を欲しがります。王様に信頼されている将軍に李従茂(イジョンム)という人がいます。その人が父を訪ねて来て、日本刀を大量に手に入れたいと言ったのです。父は引き受けて、漢城府に店を出したのです」
「王様公認の裏取り引きなのだな」
「そういう事です」と丈太郎は笑ったが、「この国は何が起こるかわかりません」と厳しい顔付きで首を振った。
「油断は禁物です。常に宮廷の動きを探らなければなりません。御存じだと思いますが、お屋形様の兄上の奥さんの実家は宮廷との取り引きによって殺されてしまったのです。当時、宮廷で王様よりも力を持っていると言われた鄭道伝(チョンドジョン)に近づきすぎて、財産は没収され、家族は皆、殺されました。鄭道伝のような有能な者でさえ殺されるのが朝鮮という国なのです。気を付けなければなりません」
 その後、丈太郎は琉球の事を聞いてきた。サハチたちは琉球の事を話した。ンマムイがサハチが倒した武寧(ぶねい)の倅だと聞くと、驚いた顔をして、サハチとンマムイを見た。
「師兄(シージォン)は俺に取って親の敵(かたき)になるんだが、なぜか、こうして一緒にいる。不思議な縁というものだろう」とンマムイはわけのわからない事を言って、皆を笑わせた。
 ヂャンサンフォンとファイチが明国の人だと知ると、丈太郎は目を輝かせて明国の話も聞いてきた。
 夜遅くまで、朝鮮、明国、琉球、日本の事を語り合っていた。

 

 

 

図説 ソウルの歴史-----漢城・京城・ソウル 都市と建築の六〇〇年 (ふくろうの本/世界の歴史)   ソウル都市物語―歴史・文学・風景 (平凡社新書)